通り雨第7話

「久しぶりだな、おいしそうなねーちゃん」

私の右手をとり、その甲に口付けを落とす。琥珀とは対照的に何からなにまで西洋風な男だ。
憮然とした表情で私の手を引っ手繰り、依然と同じようにハンカチでふき取る。琥珀は私がこの妖怪に触れられることが余程嫌らしい。

「おまえ、そんな能力があるのなら、あの時逃げ切れただろう、人間の女からぐらい」

保護色で見えなくなって逃げるだなんて消極的な逃亡を企てるぐらいなら、空間移動能力をフルに使用すれば、簡単ではないか?

「この能力は、しるしのある人間のところへしか飛べないんだ、残念ながら」
「しるし、とは、よもや私のことか?」
「お前以外ないだろう。数十年眠った後だから生きている人間でしるしのついたモノは他にいない」

不機嫌さに自然と眉根が寄ってしまう。琥珀は副作用はないといったはずだが。
私の思考を読んだ琥珀は慌てて弁解する。

「そんなおまけがあるだなんて、僕だって知らなかったんですよ。それに僕は止めたじゃないですか!」

すまない、今のは八つ当たりだ。処女じゃなくなるまでこいつに付きまとわれるかもしれない鬱陶しさに目が眩んだだけだ。
しかし、それでわかった。現在姉にいいようにいたぶられている少女がここに移動できたわけが。
エリックが彼女のしるしなのだろう。甚だ迷惑だが。
どこのホストが着るのだ?という夜の明かりにお似合いなスーツを身に纏った金色妖怪は目標物を発見すると、あっという間に小脇に抱える。

「無粋な妹がオイタをしたみたいで、申し訳ない」

ジタバタと最初の少女の姿であがいている。

「琥珀、これで貸しはチャラだな」
「むぅ。もう翠さんには近づかないで下さい」
「いや、そういうわけには、昨今おいしいえさにはトンとお目にかからない」

ニヤケ顔で言いたいことを言い募っているラテン系妖怪が雷に打たれたかごとく動きを止める。

「美しい」
「「「は?」」」

琥珀、私、姉と全く同じリアクションをしてしまう。
ついでに、妹は完全にそこから意識が離れた兄の手から、重力に逆らえもせずに背中から落下していた。本日2度目である。知り合う妖怪皆、鈍臭いのが多いのだろうか。
少女漫画の世界ばりに片膝をついて、ついでに真っ赤な薔薇の花束を抱えている。
しかし、その差し出す方向が問題だ。
あろう事か、あれほど処女じゃなくちゃ嫌だと駄々をこねていた張本人が、何故姉に向ってアプローチしているのだ?

「あなたほど美しい人は見たことが無い」
「あら」

呆気にとられつつもストレートな褒め言葉に敏感に反応している。
流れが変わったのを感じ取ったのか、ようやく座布団をはずしてエリックもこちらを窺っている。

「どうか、私の妻になってくれ」

単純馬鹿だったんだなぁ、なんて感想がよぎりつつも、かの妖怪は着々とプロポーズまで進んでいる。
全員が全員なぜだか固唾を飲んで二人の様子を見守っている。

「あんた馬鹿?」

気障ったらしく決めたつもりの彼にはとてつもなく落差のあるセリフが放たれる。

「名前も素性も知らないヤツと結婚する阿呆がいると思ってんの?」

もっともである。突然やってきた異邦人どころか異星人もどきにプロポーズされたところで、はいそうですか、と頷くやつがいるわけがない。

「大丈夫だ、私と一緒なら、永遠に今のままでいられる」
「ほう、そんなメリットが」

小さく呟いたつもりなのに、隣にいる琥珀にはきっちり届いていたらしい。また両耳を引っ張られる。

「そんなこと言う子は思いっきり食べちゃいますよ」
「いや、冗談だ。琥珀」


「ちょっと待ってください、その人は僕の妻です」

腰が引けながらも、一連の流れを把握したせいか、エリックが横槍を入れる。

「ふん、人間の若造ごときが何をいばっている」
「紫さん、紫さんからも何か言ってください」

丸投げしたようにも思えるが、彼にしては上出来であろう。

「あのね、年をとるから成長もするし変化もあるんでしょ。年もとらず永遠に変化の無い生活だなんて、退屈で死んじゃうわよ」
「だったら、傍にいてくれるだけで」
「ごめんなさいね、こんな人でも私はエリックを愛してるのよ」

子どもの廉に向けるのとは違う、すごく女らしい優しい表情で固辞する。こんな顔は家族である私は見たことが無い。

「あ、今やっと、おいしそうなオーラが」
「食べるの?」
「いえ、やっぱり根本的に合いそうもないです。アタリたくないですから」

06.02.2005
06.05.2007修正
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