「あんた何者?」
私に今度は両手首をつかまれた少女に、姉が質問を飛ばす。
さすがの姉も目の前の彼女が、なにか違うものであるとは感じとっているらしい。
「血を喰らうものよ」
「冗談はやめて」
「冗談など誰が言うか。私の後ろにいる小太郎だって人間ではないではないか」
姉が琥珀をまじまじと見詰める。そんな視線を珍しくもたおやかに受け流している。
「今度はその人に執着しているんですか、あなたは」
溜息交じりの琥珀の言葉はエリックのことを指しているのだろう。
「執着って?」
確か、こいつの兄は見た目が好みな“処女”しか嫌だとダダをこねていた。
「この子は一人気に入った人が現れると、死ぬまでその人に執着しつづけるタイプなんですよ、だから」
ターゲットはやがて死に至ると。
「でも琥珀、あいつは一年に一回程度でいいって言ってたぞ」
「本来はそのペースで十分なのですが、彼女は独占欲が強くてね、その人の全てを欲しがる」
兄より遥かに性質が悪いらしい。食べるよりちょっと悪いではなく、食べるぐらい悪いタイプの妖怪みたいだ。
「久しぶりに見つけた獲物なんだから、私のものよ!!」
捕らえられても尚、高慢な態度を崩さない彼女は小さな女王のようだ。
「どの口が言うか」
「いらい、はなしなはいよ(痛い放しなさいよ)」
姉は人差し指を口に突っ込んで左右に思い切り引っ張っている。子供同士の喧嘩のようだ。
あまり現実世界に適応できる会話を交わしていた覚えはないが、その辺りの部分はさっくり削除して話を進めている。
「あんたみたいなおばさん、彼が選ぶわけないじゃないの、ちゃんと鏡でも覗いたら?」
眉間に皺を寄せられるだけ寄せて、青白い怒りのオーラを漂わせている。
「悪いけど、彼はロリコンじゃないの」
手の甲に青筋が立ったままのねーさんは静かにそう言い放つ。
「だったら、成長してやるわよ」
そう言うと、彼女は一瞬にして妙齢の女性へと変化する。外見に伴って服装までもが大人っぽいキャミソールのワンピースに変更している。
エリックは座布団を頭に被せ、完全に恐怖から逃避行を謀っている。
「人間じゃないわけね…」
「その順応性はすばらしいが、少しは驚いてくれ」
人のことを高い高い棚の上に上げてなんだが、姉の頭の切り替えの早さには感心する。
「ちゅーことは、琥珀も人間ではないわけ?」
素早く部屋の隅に避難した琥珀は未だに彼女の赤ちゃんをおぶったままだ。
「まあ、その、色々あるんだ」
誤魔化すように畳の縁を見つめてみる。
「そっちの方はとりあえずいいわ。問題はこっちよ」
変化した女を指差し宣戦布告のように言い放つ。
「あのね、迷惑なわけ、消えてくれる」
「おばさんに言われたくないっていってるでしょ、この人は私のお気に入りなの」
二人の女性の争奪戦に巻き込まれたエリックは「ひぃぃぃぃぃ」と情けない声を上げながら、相変わらず座布団の下に隠れている。
その座布団をとりあげ、綺麗に正座させなおし、あまつさえネクタイで首を締め上げつつ姉が恫喝、いや、説得をする。
「どっちを選ぶわけ?」
視線が激しく泳いではいるが、とりあえず気絶はしていないエリック君はなんとか声を絞り出して、「紫さんです」と答えている。
その一言を聞き出した姉は勝ち誇ったように、女妖怪へと視線を戻す。
「聞いた?あんたは選ばれなかったの、ふられ女は潔く身を引いたらどう?」
「うるさいわね、気の迷いよ。大体、そんな脅すような態度で言質をとったって無効よ!」
すすすっとエリックの傍により、頭を撫でようとする。エリックはどこにそんな素早い運動神経を隠し持っていたのか、というほどの速度で姉の後ろに隠れる。両腕を彼女の腰に巻きつけながら。
「ぼ、ぼくは、紫さんの夫です!!お願いですから帰ってください」
あくまでも低姿勢なところがこの人らしい。
朝からずっとこの騒動に巻き込まれ、ほんとうにいいかげん疲れてきた私は、3人の喧喧囂囂とした言い合いを横目に、琥珀に相談を持ちかける。
「琥珀、あれは本当になんとかならんのか?」
「なんとかって言っても」
「兄にお持ち帰りいただくわけには?」
「兄妹といっても、仲がいいかどうかはちょっと」
「そんなもんなのか」
「そんなもんです。同じような状況で発生した性質が似通ったモノ同士、ってところでしょうか」
「あいつが闖入してきたら事態が悪化する可能性は」
「五分五分でしょうかね」
いや、まてよ、また血を吸わせてやるといえば言うこと聞きそうだが。
「いたい」
琥珀がまた耳を引っ張る。
「そんなこと考えちゃだめです」
思考を読まれるとこう言うときに不便だ。
「この前の貸しがありますから、回収ぐらいはしてくれるんじゃないですかね」
「ああ、そういえばそうだな。といってもあいつがどこにいるのかわからないか」
「いえ、交信できますよ」
さらりと言ってのけた琥珀の言葉に思わず胸倉を掴む。
「そういう能力があるのなら、なぜこの間使わない」
わざわざ真を利用してまで敵地に赴かなくても良かったではないか。
「あの時は、相手が誰だかまではわかりませんでしたし、それにお互いそういう能力があって、契約を結ばないとできないんです」
「契約?」
「ええ、口約束みたいなものですが。我々は何事にも囚われない性質ですが、ただ唯一言葉による契約に縛られるんです」
「言霊か?」
「そんなもんです」
「翠さんに悪さをしないように、鈴をつけておいたんですよ、あいつに」
そう言って片目をつぶってみせる。赤ちゃんを抱っこした和服の美形はそんなナリでも十分に魅惑的だったりする。
琥珀が両目を閉じ丁度座禅を組むような形をとる。
数分後、静かに彼が虚空を見つめると、小型のブラックホールが出現したと思ったら、突然あの金髪野郎が現れた。