通り雨第5話

「ねーさん、その根拠は?」
「首筋にキスマークつけてたの、こいつは!証拠の写真だってとってあるんだから」

すかさず証拠固めをするなんて、さすが姉さん。

「でも、本当に記憶がないんですよ!だからあれは打ち身かなにかに決まっているんです」

身を乗り出して説明をするも、姉は全く聞く耳をもたない。

「翠ちゃん、これ見てみ。絶対浮気だし」

どこからか例の証拠写真を取り出し、私の目の前に突きつける。
私の頭の上から琥珀も興味深そうにそれを窺う。

「さすがにちょっと経験がないから、これがそうなのかはわからない。それに道場へ行けばこれぐらいの傷跡はいつも残るし」

それがいつついたものだかもわからない打ち身の跡などは日常茶飯事である。

「こいつがそんなことするもんですか。運動神経だって皆無なのに」

これは本当のことだったのだろうか、さすがに口をつぐんでいる。

「翠さん、これ例のあいつの仕業じゃないですか?」
「例のって、あいつか?」

たぶん、あいつのことだろうと、先月であったもう一人の妖怪の姿を思い浮かべる。

「そうそう、そいつです」
「でもあいつは男女差別していなかったか?」
「そういえばそうでしたねぇ。でもなんかこの人からあいつに似た匂いを感じるんですよねぇ」

そういって右手の人差し指を顎に当てて考え込む。
確かに例のやつの仕業であれば、キスマークがついたこと自体忘れているはずだ。しかし、このような跡がつくかどうかはわからない。あの時は首筋じゃなかったからなぁ。
そんなことを思い出していると、突然両耳を引っ張られた。

「翠さん、あんなことはとっとと忘れてください、いいですね」

言外にそうしないと忘れさせますよ、強制的に、と言われているようであせる。いや、でも琥珀が思い出させたんじゃないのか?あいつのことは。

「まあ、ともかく、エリックさんは記憶がないわけね、これに関して」

ヒラヒラと一枚の写真を彼に振って見せる。

「はい。本当に本当に記憶がないんです」
「でも、ねーさんは浮気を確信していると」

彼女は腕組みをして威張っている。

「で、どうする?琥珀。なんだかめんどくさくなってきた」
「僕もどちらかというと静寂を好みます」
「あれできる?」

二人のその部分の記憶を消せるかと問う。

「………嫌です」
「できるんだ」
「………あれはおいしくないですし、記憶が消せるわけではないですし」
「このままだとずっとうるさい上にねーさんがいるけど、いいのか?」
「それは、困ります、けど、テンションを下げるぐらいしか効果はないですよ?記憶はなくならないですし、まずいし」
「それでいいから、ちゃっちゃっと」

二人で密談を交わしていたら、姉がギロリとこちらを睨んでくる。
心の中で琥珀と交渉を続けながら、姉には笑顔で誤魔化しておく。とりあえず怒りのテンションさえ下げれば、追い出せる、かもしれないし、静かになるかもしれない。
琥珀との交渉の結果、彼の望む音楽CDを買うということでお互い手を打つことにした。彼は最近80年代アイドルに夢中になっている。そこかしこで聞こえてくる往年のアイドルの歌声、それが一種類増えたところで、まあ、耳障りではない。

「まあ、そういうことで」

続けようとした言葉は、何か違う別の存在によって邪魔をされる。



「あらやだ、小太郎じゃないの」

鈴を転がしたようなかわいらしい声が居間に響く。
突然現れた物体は、失礼にも机の上に立っていた、土足で。
突っ込むポイントはそこではないとわかってはいるが、一月ほど前から人外魔境に片足を突っ込んだ私としては、この程度は驚くに値しない。
ちらっと見上げた琥珀は、渋い顔をしている。
エリックさんは、後ろにひっくり返ってしりもちをついた格好。姉は素早く身近にどうしてだかあったバットを取り出して、応戦体勢に入っている。

「ちょっとあんた、どうやってここに入ってきたの」
「そんなことどうだっていいでしょ」

相変わらず土足で机の上で仁王立ちしている不審人物。姿だけは鏡の国のアリスを思わせるような、金髪碧眼おまけに緩やかに波打った髪の毛はその小さな顔をよりいっそう引き立たせている。しかも顔立ちもその派手なパーツに負けないだけの造りをしているものだから、街中であったら思わず振り返るだろう。
見た目だけは小学校高学年程度の美少女。中身は―――――たぶん例のあれ。
普通ならひっくり返りそうな場面だが、さすがは姉、1mmの隙も見せずに構えている。

「あらやだ、おばさんまだエリックにつきまとってるの?」
「おばさん?今おばさんって言ったわね、この小娘」
「いやあね、そんなに怒ったら小じわが増えるわよ、お・ば・さ・ん」

かわいらしい顔で言われると憎さ倍増。怒りの発火点にもはや着火した姉はあっという間に彼女の両足首を掴んで振り回している。

「きゃあーーーーーーーー!!!なにすんのよ!放しなさい」

ぐるぐる回っている彼女のパンツはフリルたっぷりのペチコートタイプ。いや、そんなことはどうでもいいんだが。

「小太郎!なにやってんのよ、助けなさい」

小太郎と呼ばれた琥珀は明後日の方向を向いて全身で拒否を示している。

「で、琥珀、あれは誰?」
「思い出しましたが、あいつの妹ですよ」
「妹?」
「はい」
「ていうか、あんたたちに親兄弟っているわけ?」
「いるのもいますし、いないものもいます。私はいませんよ、誰も」

少しだけ哀しい目をして琥珀が呟く。

「ちょっとあんたたち、見てないで助けなさい」

中身はやっぱり妖怪なのか、通常の少女よりも姉の攻撃に耐えている。
やる気はないけど話が進まないからな。のろのろと立ち上がり、姉の喉笛を右手で押し、彼女の動きを止める。

「ねーさん、手を離さないと本気で攻撃するよ」

両手を使っているため、私の攻撃をかわせなかった姉は、渋々と言った顔で彼女の足首を手放す。

「いたっ!!」

当然彼女は重力通り頭から畳の上に落ちるわけで。
哀れ美少女はパンツ丸出しで頭を擦ることになった。

05.20.2005
06.05.2007修正
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