通り雨第1話

 梅雨のあの出来事から一月。琥珀の作ってくれる食事がおいしいせいか、同居生活もすっかり慣れた。彼が存在するのが不自然でなくなっていく。
そんな中、油断していたのかもしれない、穏やか過ぎる毎日のおかげで。



「どういうことか、説明してもらいましょうか?」

腰に手を当てて、まさしく仁王立ちしている人物は、見忘れるはずもない実の姉だった。
去年の春頃、妊娠して駆け落ちして行方不明になっていた姉が、突然現れた。本来なら、彼女の無事を知ることになり、大変喜ばしい限り、ではあるのだが。今のこの状態はちょっと笑えない。
女王様のごとく悠然と構えている彼女とは対照的にテーブルの下で頭を抱えて座り込んでいる物体が一つ。言わずと知れた、琥珀である。 彼はどういうわけだか、出会った頃のように小刻みに震え何事か呟いている。

「ちょっと翠。これあんたの彼氏?」
「いや…」

と、口を開いて反論しようとするものの、口の回転も頭のそれも彼女の方が上回っているため、言葉を遮られる。

「やめてよね、こんな情けない男」
「私の顔見るなり、机の下に潜って震えてるだなんて、そんな男との交際はおねーさんが許しません!」

勝手に駆け落ちした人間に、許しませんと言われる筋合いは全くないと思うのだが、一応誤解を解いておかないと、あらぬ方向へ突っ走りそうだ。
私が話し出そうとする前に、今度は琥珀の首根っこを掴んで引きずり出している。
ねーさんは私のように真剣にやらなかったけど、一通りの武術は会得している。大男だけど力のない琥珀を扱うなど、容易いことだろう。

「ごめんさいごめんなさいごめんなさい…」

パニックに陥った琥珀は、あの時のように謝罪の言葉を繰り返している。あまりに弱弱しくて、本当に泣けてきそうだ。情けなくて。
彼の腕を取り、私の後ろ手に隠す。大男ができるだけ小さくなって私の背中に隠れようとする気配を感じる。

「まあまあ、ねーさん。ここは一つ落ち着いて」

猪突猛進型のねーさんはとりあえずクールダウンしてもらわないと、まともな話し合いも出来ない。
私の言葉になんとかド突き倒しそうなオーラは薄めたものの、まだまだ言い足りないといった顔をしている。

「とりあえず、お茶でも入れてくれる?琥珀」

私の後ろに隠れている琥珀に向って話し掛ける。ええ!なんていう小さな悲鳴が聞こえたような気もするが、無視する。
とりあえず、私と姉は和室へ移動する。姉は何かを思い出したかのように足元を振り返り、先ほどとは打って変わった優しい顔をして跪く。
彼女が優しい眼差しを向けたその先には、まだ小さく幸せそうな顔をして眠りこけている子どもが毛布に包まれていた。
今までその存在に気が付いていなかった自分は、初めて彼女の子どもを目の当たりにして驚愕する。
姉に子どもが出来たことは知っていたが、見ると聞くとでは大違い。行き成りその存在を突きつけられ、彼女が母親になったのだと実感する。
そんな私の視線に気が付いたのか、彼女は抱えている子どもの顔をこちらへ向け、私に紹介してくれた。

「廉、よ。男の子なの」

余計なことなど一切語らず、彼女は甥っ子を紹介する。
そういえば、彼女の駆け落ち相手とはどうなったんだろうか。
さすがに今ここで訊ねるのははしたないことかと思いとどまる。
琥珀はびくついてお茶を少々溢しながらも、言われた通り和室へとやってきた。
相変わらず姉にびびっている彼は、素早く私の後ろへと隠れる。

「で、誰なの?その男」
「誰、と言われると困るのだが」

机の向こうに対峙した姉が、単刀直入に訊ねてくる。
しかし、私だとて彼のことをどう説明していいのか考えあぐねている。

「彼氏?」
「いや、違う」
「そうよね、それなら真ちゃんのほうがいくらなんでもましよね」

あからさまにほっとした様子を見せる姉は、実は真のことも好きではない。彼女の中ではあれ以下に認定されたらしい。

「なんで、そんな得体の知れない男が台所でごはん作ってるのよ」

言い訳の仕様がない、というのはこのことだろうか。あれ以来全ての料理を引き受けてくれる彼は、すっかり馴染んだ様子であちこち使いまわしている。その手慣れた様子に、昨日今日ここに来たという嘘をついても信用されないだろう。

「あの…」

びくびくしながらも、ひょこっと私の肩越しに顔を覗かせたらしい琥珀が声を上げる。

「なに?」

ねえさんの気迫の篭った返答にまた首を引っ込めた。

04.23.2005
06.05.2007修正
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