「琥珀、こいつ放っておいたらどうなるんだ?」
「さぁ、消えるんじゃないんですか?」
個人主義だといった妖怪同士は、お互いの生理がどうであるのかについて余り詳しくはないらしい。
「だから、お前の血を飲ませろといっているだろうが」
「だから、だめですって言っているでしょう」
「おまえは困らんだろうが」
「い・や・なんです」
私を挟んで美形な生物が小競り合いをしている様に心底嫌気が差すのはなぜだろう。そうだな、あいつらが人間だったら鬱陶しいが、少しは嬉しいのかもしれないな。
「真。あいつら人間じゃないって言ったら信じるか?」
「人間離れしてるってことは認めるが。知性とか」
二人仲良く呆れて妖怪同士の口論の行方を見つめる。
やがて業を煮やしたのか、金色が琥珀を殴りたおしてこちらへやってくる。彼は本当に肉体的に弱いみたいだ。謙遜じゃなかったらしい。
「話はついたみたいだな。本当に後遺症はないのか?」
「ない、というか本来はその間の記憶も忘れるようになっている」
「じゃあ、私も忘れるのか?」
「こんなに飲まれる意思がはっきりしたやつは初めてだからわからん。おまえならくっきり覚えてるんじゃねーか?」
「仕方がない、ボランティアだ、飲め」
そう言って、右手を差し出す。彼はその腕をとり自分の胸の中へと私を引き寄せる。
「やっぱりいい女だな、おまえ」
「あたりまえだ」
どういう手段を用いるのかわからないけど、これも手順の一つなのだろうか。
やつは私のあごに右手を添えて、角度を上へと持ち上げると、素早くその唇を私の唇に合わせる。
これはひょっとしてひょっとすると人間同士ではキスというものになるのではないかとぼんやり考えていたら、私の背後と金色妖怪の背後から悲鳴が上がる。
後ろの悲鳴の主は、大慌てで私を妖怪から引き離しついでに腹部を蹴っている。金色妖怪の背後の悲鳴の持ち主は倒れこんだ彼の腹部を念入りに踏み抜いている。
「うわーーーーーーーーーーーーーーーーーー、翠さん」
泣きながら、どこからかハンカチを取り出して私の口をやや乱暴に拭っている。
真は真で私を抱きしめたまま呆然としている。
二人にのされたはずの金色妖怪は、驚くほどの回復力で立ち上がり、満面の笑みを浮かべている。
「おまえ、美味いな。また来年にも喰わせてくれ」
その一言でもう一度真と琥珀に蹴りたおされている。蹴りたおされてもなお満足そうな顔が崩れないとは、私の血液も捨てたもんじゃないらしい。言っていて泣き出したくなる美点だが。
なぜだか泣きべそをかいている琥珀と、心底怒っている真が、私の腕をそれぞれ抱え、引きずるようにしてその場を離れようとする。
「そんなに怒らなくても」
「おまえ、何されたのかわかってんのか?」
「だからあんなやつはほっておけばいいと言ったんです!」
真剣に怒っている二人(?)には申し訳ないが、どうして怒っているのかわからない。
「先ほどのあれならペットの文鳥としているのとかわりないが」
見た目が人間っぽく見えているだけで、紛れもなく金色も妖怪の一種。だからそういう風に見えたとしても、私の中ではカウントしていない。
「俺が嫌なの」「僕がいやなんです」
同時に叫ぶ一人と一体。妙なところで気が合うものだと、思ったのも束の間、両者の間にも不穏な空気が流れている。
「だいたい、お前何者なんだよ」
「僕は翠さんの従者です」
「はぁ?何あほなことぬかしてんだ?」
「今の名前だって翠さんにもらったものだし」
「俺は小さい頃から一緒にいた」
「これからずっと翠さんの家に住みますし」
このセリフには真が瞬時に反応して、こちらへと振り返る。
「翠、本当なのか?」
本気で怒っている真を見るのは初めてなような気がする。
「あーー、まあ、成り行きで」
元々私が雨の中で拾い物をしなければこんなことにはならなかったのだが。
「ふふん、たかが親戚ってだけでいばらないでいただきたい」
とことん真を挑発した上でしかも私の肩にさりげなく腕を回すあたり、いいポイントを突いて攻撃している。
「だから、こいつなにものなんだよ、翠」
「だから、妖怪だって言ってるだろうが」
「は?さっきから、確かに人間離れしてやがるけど、そんな子どもじみた言い訳聞きたくないね」
確かに、さっきのあれでは信じるのは無理だろうて。仕方がないので一番手っ取り早く信用される手を使ってみることにする。真なら秘密を共有していても大丈夫そうではあるし、私一人で抱えているのは面倒くさい。この際思いっきり巻き込んでしまうのが吉だろう。
私の意向を察知したのか、琥珀が黙ってうなずく。
「そこのコ、いいからよーく見ておくんですよ」
そう言いながら琥珀は、真の目の前で一匹の黒猫に変化する。心の中でオカメインコはやめろ、せめてカラスか猫にしておけと願っていたのが通じたらしい。
私の肩の上で真を見下ろすようにして座っている黒猫を指差したまま、声にならない絶叫をあげる、大口をあけて。
「なんだよ、これ!!!!」
「だから妖怪」
「手品か?」
「そう見えるか?」
首を横に振って答える。
「さっきのやりとりって」
「あの金色のが血を喰らうもので、琥珀が思念を喰らうもの、らしい」
「思念って」
「無害だろう」
「そういう問題じゃねー」
思った以上に肝の据わっていたらしい真は、私のように腰を抜かすこともなく琥珀の変化に対応していた。
「ともかく人間じゃねーんだな」
「まあ、そんなとこだ」
真はくるりと黒猫の方へ向きを変え、指を差して宣言する。
「だったらなおのこと出て行きやがれ!」
『いやです、誘拐犯を確認したらいてもいいって翠さんが言ってくれました』
敵意を剥き出しにして怒鳴りたおす真にも怯まずに、琥珀が答える。忘れていたが確かにそう約束した。
「そうだな、約束した。女に二言はない。家にいろ」
嬉しそうに頬に擦り寄る黒猫の琥珀を叩き落とそうとする。そうはさせじと真の学生服の裾を引っ張り後ろへたおす。力は真にやや劣るが反射神経では負けていない。
「害は無いと言っているだろう、真。心配するな」
体勢を素早く立て直して、ズボンについた砂を払い落とす。
「あのな、人間じゃないってだけでも腹が立つのに、こいつ男だろ」
「真…。それは矛盾していないか」
人間じゃないなら男でもないだろうが。
「男のナリしたやつが翠ちゃんの近くをうろうろするのが気に入らないんだ」
「いや、しかし、こいつは結構便利なやつだぞ」
朝食と持たせてくれた弁当の味を思い出す。あれは美味かった。栄養として食物を摂取しなくていい琥珀は本当においしいものしか取り入れない舌なのかもしれない。本来必要の無い行為を行うにはそれなりの理由があるのだろう。
『大体あなたが決めるのはおかしいですよ。ちゃんと家主の許可が下りてるんですし』
琥珀は真の言うことなぞ最初から歯牙にも掛けていない。
「ともかく、私がそう決めたんだから真にとやかく言われる筋合いはない」
「翠ちゃん…」
情けない顔をしてこちらに訴えかけてくる。
「まあなんだ、何かあったら真っ先に真に相談するから、な」
こう言うと昔から真が折れてくれることが多かった。そういうところは素直でいいやつだ。単純と言うのかもしれないけれど。
「………わかった」
渋々といった顔はしているが、それでもきちんと理解してくれる。
三者三様に納得し、そろそろと歩き出す。一応誘拐事件は片付いたのだからこれ以上ここにいる必要はない。気を失っている女の子達も、そのうち覚醒して家へ帰ってくれるだろう、いや、頼むから帰ってくれ。
歩き出した私にちょっとした疑問が浮かび上がってくる。
「そういえば、お前って人間の形をしているけど、性別はあるのか?」
さっき真が投げかけた質問に漠然と抱いた疑問。姿かたちはそっくりだけれども、こういった場合男でもなく女でもないのだろうか。
そんな私の疑問を口に出した分も頭の中にある分も全て読み取った琥珀は、黒猫のまま答える。
『ありますよ。僕は男ですぅ。どうせでしたら試してみます?』
琥珀のイタズラっぽい口調と、肩から叩き落した後の猫の悲鳴で、とりあえず長い長い一日が終わる。
うっかり変なものを拾うと後でひどいめにあう、ただそれだけを教訓にして、私はベッドに潜り込んだ。次の日の朝食と琥珀の笑顔を夢に見ながら。