12

「由香ちゃんこないんすか?」

いつのまにか下の名前、しかもあだ名めいたもので呼んでいた永田が、どこか吉井を責めた風な口調で尋ねる。いつのまにそんなに仲良くなったのかと、問い質したい気持ちを抑え、極力そっけなく答える。

「就職活動もしないとな、いいかげん」
「でも、たかが週に一回じゃないですか」
「おまえは、あの頃そんな余裕があったんか?」
「もちろんありましたよ、自分そんなに真面目な学生じゃなかったですから」

永田の逸話は良く聞いている。確かに今時コンパクトにまとまった真面目な学生ではなく、やや破天荒なグループに分類される人間ではある。だからといって、由香子のそれとは一緒にして欲しくはないと強く思う。

「元々ボランティアみたいなものだから、やってもらっただけありがたいと思わないと」
「でも寂しいもんですねぇ、女の子の一人もいないっていうのも」
「あんまりそういうことはおおっぴらに言うなよ、最近はセクハラが厳しいぞ」
「はぁ」

それきり由香子の話題が上ることもなく、吉井の生活は雑事と研究に追われる日常へと戻っていった。



 金曜日になると、決まって同じ時間に壁掛け時計を見上げる。それが、毎週毎週由香子がやってきていた時間を指していることに苦笑する。
いいかげん、この無意味な癖を直さなくては、と、吉井は言い聞かせるように思いはするけれども、無意識のレベルではいまだに、由香子の存在を心待ちにしていることにも気がついてはいた。
―――だからといって、どうしようもない。
そう呟いた吉井の声は、誰にも聞かれることなく薄暗がりの室内へと拡散していく。
やがて春が近くなり、世間並みの年中行事、年度末の修羅場やら卒業式などを人事のように過ごしながらも、吉井は相変わらずの生活を続けていった。
朝起きて、コーヒーを飲み、学校へ行く、雑事をこなしながら実験もこなしつつ、学生の面倒をみる。合い間に授業や打ち合わせ、面倒くさい会議などをはさみ、夜遅く、日付が変わらない程度の時間には帰宅をする。吉井准教授の毎日は、以前と変わりないほど淡々と過ぎていく。
その生活に物足りなさを感じたことなどなかったはずなのに、どこかに何かを忘れてきてしまったような居心地の悪さを感じている。 その理由がどこにあるかなど、わかりきっていたはずなのに、決して口にはださないまま、ようやく年度が新しくなる。つまり、澤田由香子にとっても、この大学に在籍する最後の年度となったのだ。



「じじいのところにいくのはやめたわけね」
「やめたけど?」
「なんで?」
「なんでって、さんざんいくのやめろやめろって言ってたじゃん」
「そっちこそあんなに頑なに絶対行く!って言っていたのに、どういうわけ?ひょっとして何かされたとか?」

好奇心半分、心配半分の表情を浮かべながら佐緒里がくってかかる。元々、佐緒里にとって得体の知れない若い男のところへ、この無防備な友人が通っていることそのものに嫌悪感を抱いていたものの、頑固だとわかっていた由香子がこうもあっさりとそれをやめてしまうことに疑問を覚えているせいだ。

「べーつーーにーーー、何かって何よ」
「いや、まあ、あんたってかわいいし」
「女友達には言われるけどねー、小さくてかわいいって」

確かに、平均より背の低い彼女は、どうしても友人達の間でマスコット的な扱いになることが多い。だからといって、由香子に性的魅力がない、とは言い切れず、現に何人かの人間がそういう興味を持って彼女に接触をはかっていたことを佐緒里は知っている。知らないのは本人、由香子ばかりであり、その度に周囲の人間はさんざんやきもきされた事を思い出した。

「ちゃかさない。で、何があったわけ?」
「だから、何も」
「何もって、何にも?」
「うん。何がおこるっていうわけ?ただ掃除のバイトに行ったってだけで」
「バイトっていっても、毎週毎週ごはん食べに行っていたわけでしょ?それにお酒だって」
「まあ、確かにそう言われればそうだし、お酒だって飲みには行ったけれど」

あの居酒屋へはあれから数度吉井と共に行った。すっかりおかみさんに気に入られた由香子は、毎回キッチリとオムライスを作ってもらい、それをしっかりとおなかの中に納めていた。

「たまには相槌うってくれる人が欲しかったんじゃないの?」
「それだけ?」
「それだけ」

ただの職員と学生だと、言い切れてしまうほど吉井と由香子の表面的な関係は潔白なものだ。教職員と学生が食事を共にする、というのはさほど珍しいことではなく、昼飯などは大勢の学生に教授が一人、という構成を学食などで見かけることも多い。確かに一対一であれ程の日数を一緒に出かけるとなると、勘ぐられてもおかしくはないものの、それだけは由香子も自信をもって言う事ができる。
ただ、心の中でどう思っていたのかは、全く別のことだけれど。
―――ワタシタチってどういう関係?
まるで、別れ間際の恋人同士のような問いかけが口に出そうになったことに、由香子は苦笑する。
ただの、学生と職員だ、という吉井の冷淡な返事が頭の中によぎったような気がした。





>>次へ>>戻る

12.25.2007

>>目次>>Text>>Home