「そんなに信用できないなら勝手にすればええやろ」
およそ普段の彼とは異なる乱暴な口調で言い捨てられた。そのまま彼は週末には泊り込みにくる私の部屋を出て行った。
きっかけは、そう、ささいなことなんだけどなぁ。今回はたまりにたまったものが一気にでてしまったかんじ。
ちょっと、うーーん、だいぶ悪いことをしたかもしれない。
相変わらずいい男である今井君には綺麗な女の人がチョロチョロして、
しかも私の存在なんかまるっきり無視してちょっかいかけてくるんだよね。頭に来るっていうか馬鹿にされて多少凹むっていうか。
でも、もちろん今井君はちゃんと断ってくれたんだけどさ、だけどね。
喧嘩のきっかけはくだらないことだったんだよね。
研究室からの帰り際、二人で大学の廊下を歩いていたら、突然女の子が突進してきた。今井君めがけて。
で、あまりの勢いに彼女が止まり損ねて転びかけたんだよねぇ。しかもそれを片手で支えたりして。
常日頃から無遠慮な視線と陰口にさらされていた私としてはもう限界いっぱい、
我慢できなくなってそのまま帰って家に閉じこもっちゃった。
「今井のバーカ」
そんな独り言を呟きながら。
「翼ちゃんいいかげん機嫌直さない?」
「・・・・・・」
「あれは事故やって」
「・・・・・・」
本来おしゃべりな私が無視しつづけるのは精神的に辛い。しかも今井君は悪くないんだし。
転んだ彼女を助けない彼氏も嫌だし、彼女を抱きかかえるようにして助けた彼氏も嫌なんだよ、こっちは。
もう、ものすごいストレス。
「そない可愛くない顔しないで」
「ウルサイ」
可愛くないが引き金。冷静に考えれば表情のことだと気が付きそうなものだけど、
そのときはもう脊髄反射のようにそこだけに反応してしまった。
「どーーーせ、私は可愛くないってゆーの、だったら他行けばいいでしょ、他に!!!」
ありったけの大声で叫びまくって喧嘩はドンドン深みに嵌っていった。
ひょっとしなくても私って馬鹿?
数日後、弱ったフリをして斎藤先輩が近づいてくる。
「いいかげん仲直りしてくれないか」
「先輩には関係ありません」
論文雑誌に目を通す振りをしてサボっている私に忠告する。
「俺としても、別に君達がどうなっても関係ないんだけど」
さりげなく突き放すことを言うわね、この先輩。
「研究室の雰囲気が悪くなるんだよねぇ、君らのせいでさ」
「はぁ?私は、そりゃあ多少機嫌は悪いかもしれませんけど、それほど影響与えるほど表にだしてませんよ?」
「そう思ってるのは本人だけで、って、まあ渡会さんはその程度だけどさ、今井のやつがさ・・・」
チロっとこっちを見つつため息なんてつく。これ見よがしなんだけど、気になるじゃない。
同じ研究室でも師事している先生が異なる私と今井君は、実験室が違うので、
がんばればあまり顔をあわさずにすんでいるんだけど。
「そんなにヒドイの?」
「ひどいっていうか、苦虫を噛み潰したような顔という定番表現がぴったり。
おかげで新入生は怖がって近寄れない。今まで湧いてでてきてたお嬢さんがたが近寄れなくなったのはいいことだけど」
あのいつもヘラヘラ笑ってるイメージしかない今井君がそこまで怒ってんの?
なんか、あんまり想像つかないかも。
「だからいいかげん仲直りしてやってよ、俺の顔を立てると思ってさ」
斎藤先輩の顔を立てるのはどうでもいいけど、周囲に迷惑をかけるのはやっぱり私の主義に反するし。
仕方がない、こっちからすこーーーしだけ折れてやりますか。
そんなこんなで私の部屋へ呼びつけて冒頭のセリフとなるんだけどさ。
せっかく仲直りしようと思って部屋に来てもらったのに、ものすごくタイミング悪く、女の子から電話がかかってくるし。
「は?つーか、迷惑やし、俺彼女いるし、もう電話かけてくんな」
微妙に感情の沸点が上がった彼に思いっきり沸点が上がっている私が、
「いいですねーーー、おもてになって」
なんて嫌味を言ったのがいけないんだよね、たぶん。
「はあ?迷惑っていってるやろうが」
「の割には嬉しそうよね」
「誰がいつ嬉しそうにしたの?」
してないからこれは八つ当たりなんだけど、もう感情がセーブできなくなってて。
「どうせ私は可愛くないし、背も低いし胸もないし」
「だから翼はかわいいって言ってるやんか」
「・・・・・・」
「俺のことが信じられないの?」
「タラシ」
「そんなに信用できないなら勝手にすればええやろ」
それだけを言い残して出ていちゃったんだよね。
研究室終わってからだったから、時計はもう午前0時を示している。
あれから1時間たつけど帰って来る気配がない。
今回のは私が悪いのは分かってるんだけど、それでもイライラする気持ちが抑えられない。
もっと自分が可愛かったら、スタイルが良かったら、なんて思っても仕方がないことばかり考えちゃう。
そうしたらきっと“今井君の彼女です”って胸張って言えるんじゃないかって。
「なにやってんだろう」
独り言に答えてくれる人は当然いなくって、1人きりでも平気だった部屋がとても広くて寂しく感じる。
いつもは狭いだの暑苦しいだの言い合ってるのにさ。
定番中の定番の行動なんだけど、やけ酒でも飲んでしまおうかと冷蔵庫を物色中に、静かにドアが開いた。
買い物袋なんだろうかビニールのカサカサという音がする。
「酒は楽しく飲むもんやろ、今日はこっちにしとき」
差し出されたのは私が好きな銘柄のアイスクリーム。
「近くのコンビニに抹茶アイスがなくって、えらい遠くまで行ってきた」
呆然としている私をよそに、彼は冷蔵庫を閉め、私の手にアイスを載せる。
「もうこれで喧嘩終わり」
「でも」
「元々二人で喧嘩するようなことじゃなかったし、翼ちゃんが傍にいないっちゅーのは、かなりしんどい」
対応し切れなくて、とりあえず蓋を開けてアイスを一口放り込む。
「冷たっ」
「ほんま?じゃあ味見」
そう言ってしっかり口付けを落とす。
「甘いな」
「あたりまえでしょ、アイスなんだから」
甘いものが苦手な彼が少し顔を顰める。
「俺は翼ちゃんが好きなの、分かってる?」
「たぶん」
「たぶんじゃなくって、って相変わらず天邪鬼やな」
「どうせ私は」
「かわいいの、俺にとっては翼が一番かわいいから」
私の言葉を遮って言葉を続ける。
「あんまり周りは気にするな。いやな事言われたら俺に言って、なんでも」
付き合いだしたころよりずっと彼のペースに乗せられることが多くなってきている。
彼の扱いが上手になっている、とも言えるけど。
「翼ちゃん、お返事は?」
一つ年下の癖に最近ではすっかり子ども扱い。
それが嫌じゃない自分がもっと恐い。
「アイスに免じて賛成してやるわよ」
舌を出して応戦する。
「はぁ・・・・・・もっと素直になってくれたらもっとかわいいのに」
「別にかわいくなくってもいいもん」
「ま、翼ちゃんらしいか」
そう言って私からアイスを取り上げ、冷凍庫に仕舞う。
しかも罵詈雑言を浴びせ掛ける私をひょいと抱き上げて軽々とベッドまで運んでやがる。
だから、どうしてそうなりますか?あなたは。
や、これも嫌じゃない自分が空恐ろしい。
夜遅くまで起きていた私達は結果として、次の日、研究室にたどり着くのが大幅に遅くなってしまい、
斎藤先輩からたっぷりからかわれる羽目となる。
それでも、今井君が隣にいてくれるこの状況が心地いいから流せてしまう。
きっと今日はいい一日になる、そんな予感がする。