1・この日が終われば(Seasons・番外編)

 ずっと前から気がついていた、こんな日が来ることを。結論を自覚することを恐れ、何もかも曖昧にしたまま最悪の結果を引き出してしまった。



大切な人を傷つけた。
愛していた人を失った。



俺にはもう何もない。



だからもう笑わない。
感情なんてどこかえ消えてしまえばいい。





「ねえ、雄一郎私のこと好き?」

最近さやかは体を重ねるたびにそんなことを聞いてくる。
何かを恐れているらしい彼女。

「たぶん」

線引きが曖昧なまま、こんな関係になったことを後悔しているわけじゃない。
口先だけでも、言葉を掛ければ彼女が安心することはわかっている。
けれども、その言葉を出すことを躊躇い続ける自分がいる。

「それより、もう帰らないと」

そうはぐらかす。
時計は8時を回っていた。いくらお互いの親が知り合いだとは言え、あまり遅くなるのはやはり歓迎されない。

「そう・・ね」

先ほどまで熱を持った身体をだるそうに動かしながら衣類を身につけていく。

「送るよ」
「・・・近くまでね」

幾度聞いたかわからないその言葉に思わずため息をつく。
彼女は自分の家へ俺を近づけようとはしない。
少し前まではそんなことはなかった。元々祖父同士が友人関係だった両家は俺たちが子供の頃から仲が良かった。だから当然向こうの家は俺のことを知っているし、あの家へ行けば喜んで迎えてくれる。
以前は彼女を送っていくついでにお茶をごちそうになったり、世間話をしたりしていたのに、いつの頃からか、さやかが俺を家へ入れなくなった。
それどころか近づくのも嫌だと、そんな素振りをみせる。
何度も理由を聞いてきたけれど、その都度はぐらかされるばかりで、未だに明確な答えをもらっていない。

「いこっか」

着替え終わった彼女が俺の腕をとる。
子供から少しずつ大人になっていく段階で、お互いを“異性”なのだと認識するのは早かった。 友情なのか愛情なのかその区別さえ曖昧なままなんとなく身体の関係をもった俺たちは、はっきりしないままずるずるとした関係を続けていった。



 偶然だった、彼女に会ったのは。
だけどそれはやはり必然であったのだと、後になって気がつく。

「雄兄さん」

久しぶりにあったさやかの妹の真弓は、まだ見せてもらっていない真新しい高校の制服に身を包んでいた。
ひとりでに速度を速める鼓動。
何も言えなくてただ呆然と彼女を見つめる。

「どうしたの?」
「あ、いや。なんでもない。久しぶり、だな」

自然と肩を並べて歩き始める。
真弓とも幼馴染なのだから、こうやって二人きりで過ごすこともなかったわけじゃない。
そう言い聞かせるも心拍数は上がっていくばかりで、まともに顔すら見ることができない。
どうして彼女の姿を認識しただけで、そんなことになってしまうのか、その理由がわからない。 自分が自分でなくなるような、そんな不安定さをただ感じていた。

「最近家こないねぇ」
「・・忙しいから」

さやかが嫌がっているのだと、そんなことは告げられない。
久しぶりに会ったというのに、何も話せないまま彼女を家まで送る。
いつもはさやかと並んで帰る、歩き慣れたはずの道。
隣に立つ人間が変わるだけで、これほど代わり映えするものだなんて知らなかった。
言葉が出ないくせに彼女の肩が触れる左半身に神経が集中する。
子供の頃から知っているはずの、髪も顔も首筋も、全てがまるで初対面の人間の様に余所余所しい。

「兄さん、ありがと」

そう言って、こちらを振り返る。
風に靡く黒色の髪。扇形に広がって、再び元の位置へと収まっていく。
彼女の姿に釘付けになる。
しばらくその場を動けないまま、彼女の姿が浮かんでは消える。
今、脳裏によぎった感情を振り払う。
考えてはだめだ。
馬鹿馬鹿しすぎる。
そんなはずはない。

 でも、浮かんでしまった衝動は決して消えることはなく、身体の奥底でくすぶり続ける。
本当にどうかしている。
さやかの妹を抱きたいだなんて。





 あの日以来、さやかに対して一線を引くような付き合い方をするようになった。
タイミングよく高校3年生で大学受験を理由に、会う回数も激減していった。
そんな俺に不信を募らせないはずはなく、彼女の束縛は日に日に加速していった。

「どうして会ってくれないの?」

自分でも理由を探し出せない。
なぜ、会えないのか。

「受験、だから」

免罪符のようにそれを持ち出し、納得させようとする。
もちろんそんな陳腐なセリフで納得するはずもなく、なおもさやかは俺を追い詰める。

「私のこと好きなわけ?」
「たぶん」
「いつもそれなのね、いいかげんはっきりしてよ」

射るような鋭い眼差しで見つめられる。
後ろ暗さを白日の下にさらされそうで、思わず視線を逸らす。

「はっきりしないのね。私はあなたの何?」

繰り返される問答。最後には何もかも面倒くさくなって、ベッドに押し倒して終わってしまう。
真弓と同じ白い肌、真弓とは違う少しふっくらした顔立ち。
あの日出会った彼女の残像が幾度となく浮かび上がる。
組み敷いた相手が、彼女であったならば。
恐ろしい思いつきに、神経が途切れそうになる。
彼女に集中する。意識を行為に没頭させようとする。
だけれども、思わず名前を呼びそうになり、絶句する。

限界だ。
これ以上さやかの側にいたら、こちらがおかしくなってしまう。

何も言わずに、受験先をここから離れた場所に選ぶ。
口先だけではごまかして、容易に来ることができない土地へ進学する。
これでいい、なにもかも、側にいなければいい。
忘れてしまえ、真弓のことなど。

まだ、真弓に対する気持ちを名付けることができないまま逃げるようにして二人の側から離れていった。

 遠距離などそうそう続くものじゃない、そう高を括っていた。さやかのことを見くびっていたともいうが。
定期的に届く手紙、鳴る電話。こちらから何も行動を起こさなくても、 彼女の努力で第三者からみれば恋人だという関係がつながっていた。
そうこうするうちに、親父同士が将来結婚してはどうか、などという提案をしてきた。
周囲は俺たちのことを恋人だと認識している。両家ともに仲が良い。別にこちらが断る理由なんてどこにもない。
だけど、その提案にも「そんな関係じゃないから」などと、曖昧な言い訳をして回避してしまう。

 さやかの父親が結婚を口にした瞬間、真弓の顔を見た。嬉しそうな寂しそうな複雑な顔。
手放しで喜んでいないことに歓喜する。
それが例え、兄をとられる妹のような感情だとしても。
そうしてまた、そんなことを考えてしまう自分に嫌気がさす。

わかっている。
真弓に対する気持ちがなんなのかを。
それに名前を与えたら、俺自身が抑えられなくなる。
でも、抑えきれない衝動。
彼女の全てが欲しいのだと。
そんなことは言えない。
俺はさやかと関係を続けているのだから。



 曖昧なまま逃げ続けた俺を待っていたのは、突然の真弓の死だった。
動かなくなった彼女。
こちらを見てくれない瞳。
そんな姿を見たくなくて、葬式にすら行けそうもなかった自分。
だけど、自分の中にある、この気持ちがなんなのか、確かめたくて。

 動かない彼女を見て、時が止まる。
彼女はもう話しかけてくれない、いや、俺の声は彼女に届かない。
永遠に行き場を失った思い。

そう、俺は、彼女を愛していたのだと。
こんな時にこんな場所で強く強く自覚する。
彼女に対する思いを名づけたなら、それは愛情だったのだと。

自然に溢れ出る涙を拭うこともできず、ただ呆然と彼女が運ばれていく光景を目に焼き付ける。二度と忘れないように。

愛した人を失った。
一度も告白することもなく、この気持ちはどこに行くのか。
この日が終わったならば、何もかも封印してしまおう。
この思いも、後悔も全て。



11.30.2004
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