10・背伸び



「何そんなにイイコぶってんだ?気持ちわりぃ」

クラスメート達の遊びの誘いをことごとく断っていたら、突然こんな言葉を吐かれてしまった。短大のクラスではあまり人数が多いわけではないせいか、何かにつけクラスで集まって遊びに行く事が多い。カラオケ、飲み会といったインドアからバーベキューなどのアウトドアまで、様様に遊んでいるらしい。
その行事に全部参加する人間も少ないものの、逆に全く参加しない人間も少ない。そのせいか、最近誘い方が激しくなってきた。
俊也さんが嫌うわけじゃない、私がただ参加したくないだけ。
お酒は飲めないし(それにまだ飲んだらだめだよね?)、アウトドアなんてついて行っても迷惑をかけるだけだし。それにもともと人付き合いは苦手。できるだけ接触しないように生きていこうと思っているのに。

いい子ぶっている、彼には私はそんな風に映っているのか、なんて思わず納得してしまう。

「あの…」
「なんだよ」
「もう終わりなら、帰りたいんだけど」

教室の出口でまるで通せんぼをしているような形の彼に告げる。

「…おまえ、何か言い返せよ」
「別に、言い返すことはないから」

彼がそう思っているのなら、彼にとっての私は「いい子ぶっている」人間なのだろう。わざわざ訂正する必要はないと思う。

「なんでそんなに付き合い悪いんだよ」
「どうしてそんなに参加しなくちゃいけないの?」

彼らが企画している遊びは、学校主催のものではもちろんない。だから当然参加したい人が参加すればいい。私の場合はクラスメートと付き合いたくないわけじゃなくて、ただ興味を引かれる企画がなかったから、参加しなかっただけ。その代わりに、高校時代とは違って、お茶に行ったりご飯を食べに行ったりするぐらいの友人はできた。
それだけでもがんばって人付き合いしていると言えるのに。

「一度も参加してないから…」
「それは私だけじゃないと思う」

段々と声が小さくなってきた彼に被せるようにして答える。
今日の俊也さんは帰りが遅いらしいけれど、家へ帰って暖かい料理を準備して待っていたい。私の中ではクラスメートとのお付き合いより優先順位が高いのは仕方がない。

「どんな企画だったらお前も参加するんだよ」

哀願するような口調に戸惑う。

「ごめんね、あんまり大人数で行動する事になれていないから」

そんな言い訳を口にしながら、ドアと彼の間にできた隙間をくぐりぬけようとする。

「若月さん!」

突然捕まれた左腕に痛みが走る。殴られる、と思った瞬間足がすくんだ。
ぎゅっと目を瞑り、衝撃に耐えられるように身を竦める。だけど、いつまでたってもその衝撃は齎されることがなかった。
そろりと目を開け、上目遣いに彼の顔色を窺う。そうして、彼がただのクラスメートで、あの人のように私にそんなことをする人ではないのだということに思い至る。それでも体の強ばりはなかなか消えてはくれない。
沈黙を破ったのは彼のほうが先だった。

「……ごめん」

何かを飲み込んだような謝罪の言葉が私の耳に突き刺さる。
同級生にこんな態度を見せてはいけないのだと、そこまで思考が回ったと同時に、自分がとても情けなくなる。若先生と暮らしているうちに、忘れてしまえたと思っていた。だけど、ひょんなことから湧き上がってくる負の感情が消せない。
落ち着かせるように深呼吸をして、なんとか笑顔を作り出す。
彼は寂しそうな顔をしていたかもしれないけれど、そんなことに気がつく余裕のない私は、力が緩んだ隙に、するりと彼の腕から逃げ出した。
適当に挨拶をして、足早にその場を立ち去る事だけで精一杯で、彼がずっと私の背中を見ていたことにも気がつかずにいた。






彼女は時々、体温を欲しがる。
変な意味じゃなくて、もちろん変な意味でもいいのだけれど、真夜中に無意識でこちらのベッドに潜り込んでは猫のように丸くなって眠る。そんなことは年に数回あるかないかの事で、彼女の事を意識せずに済んだ幼い頃ですら、こうやって甘えてくるのはまれなことだった。
我慢強いのだと思う。
自分の中の弱さを人に見せようとはしない。
そうやって強がっていないと立っていられなかったのだろう。
ささいな変化だけど、ずっと側にいて見守っていた自分にならよくわかる。
だけど、頼りにしてくれない寂しさを感じてしまっているのも事実で、そんなものは自分の我侭だとよくわかっている。
それに、大人になった香織ちゃんにこうやって無防備に触れられる事が辛いことも承知している。
でも、彼女のぬくもりを求めてしまうのは仕方のない事で、だからこんな風に彼女が寄って来てくれたことにすら喜びを感じてしまう。例え彼女が弱っているのだと知っていても。
かわいらしくパジャマの裾を小さく握りしめた香織ちゃんが寝息を立てている。
久しぶりの闖入者に妙な動悸やら眩暈まで感じてしまう始末。
そっと額にかかる前髪を上げる。少しだけ汗ばんだ額を親指でなぞる。
彼女が起きないのをいいことに、触れるようなキスをする。本当はもっと深くと願う心を嗜め、掛け布団を直しながら、彼女を抱きしめる。

欲しいのは体だけじゃない。

だから、背伸びをしているといわれても、今はまだ彼女の安心できる存在でいたい。





「おはよう、ございます…」

朝になって、真っ先に確認したのは自分の隣の場所。そこにはすでに彼女のぬくもりはなく、伸ばした手は虚しくシーツの上を滑っていった。 仕方がない、と思いながらも寂しく思ってしまう心は止められなくて、慌ててダイニングの方へ向う。彼女は俯き加減で小さな声でおはようの挨拶をくれた。

「おはよう。よく眠れた?」
「はい…。あの…」
「ん?」

彼女のいれてくれたコーヒーに口をつけ、彼女の方に顔を向ける。
真っ赤になった彼女はやっぱり可愛くて、どうしようもないほど愛しい。肉体的にもっと即物的な欲望もあるにはあるが、今のところなんとか押さえ込んでいる。

「ベッド…、占領しちゃってすみません」

今までとかわらない遠慮の仕方にちょっとだけがっかりする。

「いいんだよ、別に。そのためにダブルベッドなんだし」
「いえ、その、でも…」

真っ赤になってしどろもどろな彼女に少しだけ意地悪がしたくなる。

「もう夫婦なんだから遠慮しなくてもいいんだよ。本当にそのためにダブルなんだし」

ニッコリと笑顔を絶やさずそんなことを言ってみる。
彼女はその意味が理解できているのかいないのか、やはり赤くなって俯いているばかり。

「それよりも、昨日は何かあった?学校で嫌な事があったとか」

いいかげんいじめてばかりでもアレなので、気になっていたことを質問する。彼女がああいう状態になるのは、本当に極稀で、しかも決まって母親にひどく傷つけられたときだ。
彼女ははっきりとその事を伝えてくれたわけじゃない。でも親父の飄々とした口調と、穏やかな雰囲気についうっかり口を滑らせてしまう。そんなことが多々あった。
だからこそ、彼女の精神状態との因果関係を知ることができたのだが、今度のこれはどこで彼女が傷付いていたのかがわからない。

「嫌な事というわけでは」

思案に暮れた、といった彼女が溜息をつく。

「話してみない?今日はゆっくりでいいし」

立ち上がって、彼女を手招きする。
戸惑いながらも彼女はこちらへと近づいてくる。近づく距離に、妻なのに妙に胸がドキドキするのは、一晩中彼女の香りに包まれていたせいかもしれない。

「で?何があったの?」

ソファーに深く腰掛けて、背もたれに両腕を広げる。香織ちゃんはちょこんと浅く腰をかけ、こちらの方へと体を向けてくれている。
こんな風に妙に近すぎる距離には平気らしい彼女に、顔がにやけてしまうのを必死で押さえる。

「イイコぶってる、って言われたんです」
「イイコぶってる?」
「はい」

首を傾げながら、その言葉を反芻するように呟いている。

「ぶってるもなにも、香織ちゃんはイイコじゃないか、本当に」
「それは、その。若先生がそう言ってくれるだけで…」

昔の癖でつい若先生と呼んでしまった彼女の鼻を軽くつまむ。彼女も不味かったと思ったのか照れ笑いを浮かべる。

「誰が言ったの?そんなこと」
「クラスメート」

クラスメートにそんなことを言われるほど、彼女が深い付き合いをしているとは思えない。だからといって、相手が彼女と深い付き合いをしたくない、だなんて楽観的な推測はできない。なんといっても香織ちゃんはとてもかわいいのだから。そこまで思考が進んで、嫌な予感がよぎる。

「ひょっとして、それを言ったのって男?」
「はい、そうですけど」

自分の予感があたってしまったことに苛立つ。
彼女をひどく傷つけた男。
なのに、ひどく嫉妬している自分がいることにも、思った以上に自分に余裕がないことを思い知らされる。

「クラスの遊びに参加しないからって…」

それは、香織ちゃんが参加しないからだよ、という言葉を飲み込む。

「ふーん、でも強制じゃないんだろ?それとも香織ちゃんも本当は参加したかったとか?」

彼女は授業が終わると、まっすぐに家へ帰っているらしい。もちろんそんな時間に帰宅できる事はほとんどないから、実際のところは知らないけれど、それでも彼女を見ていれば、家と大学の往復だけで生活しているということは容易に伺い知ることが出来る。
自分の視線をどういう風に取ったのか、彼女が音がしそうなほど首を左右に勢いよく振っている。
そんな仕草もかわいくて思わず頬に手を当ててしまう。
ピクリと動いた肩に気がつかないふりをして、感触を楽しむ。

「あの、行きたいとか、そんなのじゃなくって。あの…」
「大丈夫、わかってるから」

再び動揺してしまった彼女を安心させるように、務めて穏やかに話し掛ける。

「どうしても、行く気にはなれなくて。若…、俊也さんと一緒にいる方が、その…」

段々声が小さくなっていく。思い切り抱きしめたくなる衝動を必死になって抑える。

「自分もこうやって香織ちゃんといる時が一番幸せ」

そのまま固まってしまった香織ちゃんを引き寄せる。
彼女の存在を確認するように、そっと恐がらせないように。

「誰がなんと言おうとも、香織ちゃんはいい子だから」
「嫌いに、なりませんか?」

潤んだような瞳でこちらを見上げてくれる。
これでもかという扇情的な表情に、理性の文字がはじけて飛びそうになる。

「香織ちゃんが何をしても香織ちゃんが一番すきだよ」

ホロリと一粒だけ涙が零れる。反射的にその涙に吸い寄せられるように口づける。
涙の味がする、なんて思った時には、再び彼女をびっくりさせていた。

「家族だから、ね」

言い訳にもならない言い訳に、なぜだか彼女はひどく安心したように頷いた。





「俊也さん、本当に来たんですか?」
「迷惑だった?」
「いえ、迷惑とかじゃないですけど…、あの、少し恥ずかしいというか…」

ノコノコやってきたのは、彼女のいるキャンパス。
今日はお昼を学食で一緒に食べようと約束したのだ。無理やり。親父の意味深な口笛にもめげずになんとか時間をやりくりしてやってきたのには訳がある。

「あれーー、若月さん。ひょっとして彼氏?」

案の定というか、やっぱりというか香織ちゃんのクラスメートが目ざとく見つけては寄って来る。彼女達にはできるだけ人懐っこい笑みを浮かべてみる。彼女達は自分と香織ちゃんの関係をなんとか聞き出そうと取り囲んでくる。

「朝の彼、いる?」

香織ちゃんが不思議そうな顔をして、でも、目立たないように指を差してくれた。
予想通りというか、予想以上に驚愕した顔を隠そうともしない男が、女の子達の輪から少し離れたところに立ちつくしていた。

「香織ちゃんは、言ってないの?」

ヒラヒラと左手を見せながら隣の香織ちゃんに質問する。困った顔をして香織ちゃんが頷く。

「いや?」
「いいえ、えっと、あの。聞かれなかったから」

香織ちゃんはいつも左手に指輪をしている。もちろん結婚指輪で自分とおそろいで、仕事以外では自分もきちんとはめている代物だ。目ざとい人間は、それどういう意味?と聞いてくると思っていたのに、香織ちゃんは思った以上に目立たないように過ごしているらしい。

「どういう関係なんですかぁ?」

群がる彼女達の中の一人が口を開く。
にっこりと彼女の方を見て、はっきりと宣言する。

「結婚してるんだ。これ結婚指輪」

左手を差し出しながら、離れた位置にいる男に聞こえるような声できっぱりと。
瞬間、混乱したのか、周囲が沈黙する。その隙に香織ちゃんを連れ出し、さっさと学食の方へと歩いて行く。
もちろん、彼の方へ牽制の意味の視線も送っておくのを忘れなかった。
取り残されたクラスメートは、やがて悲鳴とともに後を追いかけてきた。
彼はといえば茫然自失、魂が抜けたような顔をして一歩も歩きだせないようだ。
これでよし、と思ったのは香織ちゃんには気がつかれないようにして、隣で困りきっている彼女へ笑顔を向ける。

照れながら、それでも少しだけ笑顔を浮かべてくれた。
こんな顔が見られるのなら、自分はなんだってしてしまうかも、なんて危ない思考が湧いてくる。

欲しいのは彼女の全て。
だけどまだ、このままで。

2.9.2006
修正:7.12.2007
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