9・嫌いが好きに変わる時



 最初は彼女の事が苦手だった。姉妹に挟まれた俺は待望の長男というわけではなく、どちらかといえば女系家族の中ではどうでもいい子だったらしい。親父の存在感も限りなくないに等しいしな。その代わり、女性に対する幻想やら憧れやらは見事なぐらい芽生えるまえにすでに木っ端微塵にされた。
別にとりたててひどい人間というわけではないけれど、女だらけのせいなのかあけすけな彼女達の会話は、見た目とは違う現実を思い知らせてくれるには十分なものだった。
そのせいばかりにするのもなんだけど、中学生にもなって初恋もまだだった俺は、この年にしてすでに“女なんて”といった変に冷めた少年だった。
 最初に彼女に気が付いたのは、あまりにもシンプルな自己紹介のせいだった。
2年生になって最初のホームルームで担任が、いきなり自己紹介を命じたのだ。他のクラスメートは入っている部活や趣味といったことを沿えて話すのに、彼女は自分の名前とただ「よろしくお願いします」の一言を言っただけだった。今にして思えばそれがどうして気になったのかはわからない。けれども俺の山名に対する第一印象はただの“大人しくて暗い奴”だった。

 それから、何気なく彼女の事を観察していると、誰とでもうまくやっているようで、友人はいない、とか、頭はいいけどクラスでの発言がまったくない、とか、目立たないようにひっそりと学生生活を送っている彼女の事が目に付いてきた。
クラスでも成績上位にいる連中は目立つ事が多いのに、彼女の名はそういった会話の中にも出てこなかった。
本当に注意深くみていないとわからないぐらい彼女は周囲の雰囲気に同化していた。誰にも気が付かれないように。
遠足で同じ班になった時も、二人でうるさいぐらい話ながら歩く二人から半歩離れ、タイミングよく相槌だけを打つ彼女がいた。完全に黙ってしまうわけでも、会話に積極的に参加するわけでもない。ただそこにいて、邪魔にならないように会話に交じるだけ。
他の二人は彼女が自分から発言しないことにも気が付いていない。
でも、彼女が黙ったままだった、という印象も与えない。
プラスでもマイナスでもない存在。
それが彼女のあえて取っているスタンスに見えた。

俺はなぜだか彼女のそんな姿を見るたびイライラを募らせていた。
もっと彼女のことを知りたいのに、会話に加わって話し掛けるたび簡単にかわされる。
彼女がどうして目に付いてしまうのか、どうしてイチイチ気に触るのかわからないままに彼女の行動だけが気になっていく。
自分の気持ちがなんのかわかったのはそれから大分たった頃、3年生に進級したあとだった。

「山名……」

部活を終え、忘れ物を取りに教室へと戻った俺は、夕日が差し込む中、ただ山名が浅く椅子に腰掛け、足を前方へとまっすぐ伸ばしたままで窓の外を眺めている姿を発見した。
俺が発した声にまるで気が付かないのか、微動だにしない。
もう一度少し大きな声で彼女に声をかける。
フワリと振り返った彼女の顔とともに、肩で揃えられた髪の毛が揺れる。
逆光で彼女の表情はよくわからない。それなのに、俺は彼女が今泣いているのだと気が付いてしまった。

理由はわからない。

その後直ぐに彼女は立ち上がり、小さく「さようなら」と言って帰ってしまったから。
入り口で固まったままの俺はその場に取り残される。
彼女が座っていた席はきちんと椅子が元に戻され、先程までの気配は何も残されていない。
でも、俺の脳裏には彼女の姿が焼きついたまま。
それが彼女を思う気持ちが変化した瞬間だったのかもしれない。

そこから先は別に何が起こるわけでもなく、結局ただのクラスメートのままで終わってしまった。
相変わらず彼女は目立たずひっそりと暮らしているし、お調子者で運動馬鹿の俺はたぶん彼女の対極にいる人間。だから接点すらないまま卒業してしまった。
頭のいい彼女はやっぱりそれなりの進学校へ、頭の悪い俺はなんとか滑り込んで高校へは潜り込めた。

それから何度か彼女とを遠くから見つける事ができたけれども、それでもやっぱり声は掛けられなかった。
意気地なしの俺は、未だに未練たらしく彼女の事を好きでいる。
はっきりとそう自覚してから思いは強まったのかもしれない。
高校を卒業したら告白しよう、大学受験真っ最中にそんなことを思う。

たった一枚手元にある彼女が混ざった集合写真を眺める。
写真の彼女の笑顔は作り物のようで、本当の笑顔を見る事ができたなら。

6.22.2005
修正:7.12.2007
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