5・放課後の密談・2



「関係?」
「ええ、失礼ですが親戚、ではないですよね」
「ああ、そうですね、血のつながりがあったら大変だろうなぁ、今ごろ」

ちょっとずれた先生はちょっとずれた返答をする。相変わらず人がよさそうな笑顔でのほほんと。私はと言えば色々な思いが渦巻いて、頭の中がグルグルしているというのに。

「そうですねぇ…、夫婦?予定かな、なーーんて」

一人で言って一人で照れて笑っている。
私の方は、あっさりと私達のことをそう言ってのける先生に驚愕し、また、その言葉のもつ意味に再び驚くという、軽いパニック状態に陥ってしまっている。
何もいえない私と、照れ笑いする若先生を前に、担任教師は唖然とした表情で黙り込む。
しばらくそうした後、やっと脳に先ほどの単語がたどり着いたのか、怖いもの見たさのような表情で問い直す。

「ふうふ?」
「いやー、他人から言われるともっと照れますね。あ、いや。まだ入籍したわけじゃないですよ、籍を入れるのは卒業してからです、もちろん」

そこは強調するところじゃないような気がするけれど。思考回路がやや働き出した私が心の中でつっこむ。テンポを狂わされて、担任と私はお互い黙りこくる。

「えっと……、山名、ほんとか?」

やっと気を取り直した担任教師が私の方へ向き直って問い質す。
本当か、と言われても、当の本人がいまいち信じきれていないのだけど、とりあえず、うなずいておく。
照れ笑いしていた若先生はいつのまにか真剣な表情になって、担任の先生へと向き合っていた。そうして真剣な声音で彼に語りかける。

「先生にも香織のことでは心配をおかけしました。ついでに、といっては図々しいですが、このことは内密にしていただけるとありがたい」
「秘密にって」
「彼女をわけのわからない風評にさらすわけにはいかないですから」

俊也さんは、笑いながらも、先生の人となりを素早く観察して、こう言えば外に漏らさないだろうと判断したのだろう。ペースに飲まれて何も言えなくなったというのが正しいのかもしれないけど。
だったら、関係を暴露したのもわざとに違いない。

やっぱり、大先生の子供だけはある。

「彼女の保護者は保護者とは言えない人たちですから、これからは私と私の父がその立場に立つと思いますが、何卒よろしくお願いします」

最後にはあっけにとられた先生にニコヤカに右手を差し出して握手し始めた。
毒気を抜かれたというか、何が起こったのか分かっていない先生は、促されるまま、帰っていった。
たぶん、彼は何も話さないだろう。私の保護者にしても薄々はおかしいと気がついていたようだから。





「さて、と、香織ちゃん」

真剣な眼差しが私を射抜く。
そういえば、私の方の問題は何一つ解決していないのだ。

大人しく若先生の向かいに座りなおす。
両親にも怒られたことがないので、無暗に緊張してしまう。

「どうして就職するなんて言い出すの?」
「えっと、それは」
「自分に遠慮して?」

怒ったような呆れたような若先生は、私の言葉を塞ぐようにして問いただす。

「……」

無言を貫くしかない私は、俯いて必死に抵抗する。

「学費のこと?」

それもあるけれ、もちろん。

「だったら、学費に関しては香織ちゃんのお父さんが出してくれるそうだよ。こっちとしては私が出したいのだけれど」
「学費、だけじゃなくって」

生活するにはお金がいる。
何かを食べるのにも着るのにもお金が必要だ。
若先生ががんばって働いたお金で、私を丸ごと抱えさせるなんて、それはちょっと耐えられない。
ここに置いてもらえるだけでもありがたいのに。

「何を、心配しているの?」
「……邪魔になりたくない、から」

なんとか振り絞った声は、彼に届くか届かないかぐらいの小さな声で、それでも一生分の勇気を必要とした。私にはもうなにもないから、せめて目の前のこの人だけは失いたくない。
気がつくと目の前にいた若先生に強く抱きしめられていた。
まだ数えるほどしかされていないその行為は、私の胸をひどく締め付ける。

「邪魔だなんていつ言った?」
「でも」
「香織ちゃんが必要だって言ったよね」

行きたくもないお見合い現場から連れ出してくれた日、聞いたその言葉を思い出す。

「香織ちゃんがしたいことをして。周囲を気にして小さくなるのはやめてくれ」

若先生の腕の力と暖かい思いに、肩肘はっていた自分の心が溶け出していく。

「勉強したいなら、して欲しい。共働きになったってかまわない。香織ちゃんさえここにいてくれれば、それでいい」

私の全てを受けとめてくれる。

「若先生。私ここにいてもいいの?」

口に出せなかった言葉。
同情なんかじゃないって言ってくれたこの人なら。

「いていい、じゃなくて、いて欲しい」

さっきよりずっと強く彼の胸へと押し付けられる。
触れていたい、ずっとずっとこの人に。
私が思っている以上に、私はこの人のことが好きなのだと実感する。

「……学校へ行きたい、です」

そう呟いた私の言葉はリビングの静寂に飲み込まれる。
代わりに若先生の力強い抱擁が加わる。
息ができなくなるほど苦しいのに、とても安心する。
そっと、若先生の背中へ両腕を回す。
一瞬驚いた様に身体が反応したけれども、すぐにまた力が入る。

ずっとそうしていたかったのに、若先生が突然私の身体から離れてしまった。
彼の匂いや体温から離れてしまい、とても寂しい。

「ごめん、これ以上は、ちょっと」

若先生が口籠る。

「あの……。今のまたやってくれませんか?とても安心するから」

複雑な表情をした若先生は、もう少し待って、とちょっとわからない答え方をした。

「いや。その、まあ、なんだ。ちょっと待って」

男って悲しいよなっていう独り言が聞こえた。
なんだろう、何が悲しいんだろう。
私じゃどうしようもできないのかな?
同年代はおろか、男の人といえば若先生と大先生しか知らない私にはわからないことが多すぎる。 後で早季子さんにでも聞いてみようかな。

「はい、香織ちゃん」

深呼吸を繰り返して、意を決したように私を胸の中へと収める。
やっぱり気持ちがいい。
こうやってこのまま一緒に眠れたらいいのに、そうつい口に出してしまったら、即座に却下されてしまった。
男の人はよくわからない。引っ付いてくるのに、離れろって言ってみたり。
やっぱり早季子さんに相談しよう、きっと何か答えてくれるはず。

それが若先生をいじめるねたになるだなんて全く知らない私は、無邪気に好奇心に胸を膨らませていた。
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12.6.2004
修正:7.12.2007
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