5・放課後の密談・1
「山名、これどういうことだ?」
授業を終え、帰宅準備を整えていたら、突然担任の先生に呼び出された。手には提出した進路指導の紙を持っている。
やっぱり、呼び出されちゃうよね。うっすら自覚があるので、おとなしく先生の方へと歩み寄る。
「医療短大希望だったろ」
そう、確かに私の夢は看護士さんや技術士になることだったけれど。
「事情が、変わったんです」
兄の結婚話から今私が置かれている不可思議な状況を説明する気はないから、至極簡単に説明をする。
「お前のうち、別に金に困ってるわけじゃないだろ」
それは、ない。私などへはお金さえ与えておけば文句を言うべき存在ですらない、そう考えている節がある。
「それに、成績だって充分だし」
「でも、事情が変わったんです」
詳しい説明はせずに、押し通すほうが無理がある、のはわかっているけど。若先生に迷惑がかかるのはなんとしても避けたい。
「仮に進学しないとして、何する気だ?」
「就職します」
そう言った私の言葉を受け、盛大にため息をつく。
「おまえな、高校生の就職がどれだけ厳しいか知らないわけじゃないだろう。まして就職する生徒がほとんどいないこの学校じゃあ、コネすらないし、こっちとしてもそういうスキルが蓄積されていない」
「わかってます」
「わかってないな」
私の突然の進路変更と甘い考えを切り捨てる。
「まあ、いい機会だから山名の両親にお会いしたいし、都合のいい日を聞いといてくれるか?」
「都合はつきません」
いまどき珍しいぐらいの熱血漢の先生は、私の両親がどちらとも全ての学校行事に参加しないのを訝しく思っている。保護者会も、三社面談も私が作り上げた病気と仕事というでっち上げの理由で欠席してきたのだから、当然といえば当然かもしれない。
「は?ってお前そればっかりだろうが」
「どうしても無理です」
「仕事って、お前のおふくろさん専業主婦だろうが」
「それでもダメです」
お互い引き下がらない。
もともと話にならない母親は兄のことでますますとんでもない状態だし、父はいつから顔を見ていないかわからない。唯一まともな兄は、奥さんと一緒に外国へ行った。
私の血縁関係でそんなことを話せる相手はいない。
「おまえなぁ、子供の進路のことだぞ?聞きたいに決まってるだろうが」
「そう、だったらいいですね」
きっと優しい先生には想像もつかない世界だから。
そのまま廊下をさる。
後ろのほうから担任教師の声が追いかけてくる。
「ともかく、一度お宅にお邪魔するから」
振り返りもう一度返事をする。
「来ても、誰もいませんから」
その日の話し合いは一方的にこちらが打ち切る形で終了した。
それだけで、終わったと思っていたのに。思いのほか、彼はしぶとかったらしい。
若先生の帰りを待つ間、急いで夕食を作る。
大半の家事を私がする、と言ったけれども、若先生は納得せず、できるだけ折半しようとしてくれる。
だけど、ただの学生で居候の私と、ちゃんと働いている家主の先生では立場が違う。
できるだけ彼にはさせないように、スピーディーにこなしていく。
あらかた作り終え、台所にたまった調理器具やお皿などを洗っていたら、若先生の帰宅を示すチャイムが鳴った。
今日はいつもより早いらしい。
そうは言っても、いつ呼び出しがかかるかわからないのだけれど。
「おかえりなさい」
玄関の方を振り向きもせずに、家事をしながら声を掛ける。
「ただいま」「お邪魔します」
だけど、軽やかな若先生の声とは対照的な遠慮がちな男の人の声が同時に聞こえてきて、思わず振り返る。
「先生」
「山名の家の前で黄昏ていたら、若月さんが案内してくれたんだ」
さわやかな笑顔で玄関先に立つのは担任教師その人で、どうしてそんな人が今この場所に存在するのかわからなくて混乱する。
「香織ちゃんの進路のことで相談があるとかで、とりあえず連れてきちゃったけど、ダメ?」
厳しい顔をしていただろう私に遠慮してか、申し訳なさそうな顔をして若先生が尋ねてくれる。
「ダメ。じゃないですけど」
若先生はこれがどういう状況かわかっているのだろうか。
同棲、正確には同居なのだけれど、なんてばれたら若先生に迷惑がかかっちゃうのに。
「山名の保護者代わりだって言ってたけど」
いつのまにかソファーに座り込んだ担任が疑問符を浮かべつつ質問してくる。
仕方がないので、二人分のお茶を持って私も反対側のソファーに座る。
「私、というより父の方がふさわしいんでしょうが、取り合えず今は仕事中なので」
私と若先生の関係性が掴めず、どう把握していいのかわからないらしい。
それはそうだろう、ただのご近所さんという関係で、親戚でもなんでもないのだから。
「えっと、じゃあ」
渋々といった風情で鞄から書類を取り出す。
「これなんですけど、ご存知でしたか?」
進学しない予定、とただ一言だけかかれた、大学の進路調査の紙をテーブルの上へ置く。
その文字を目にした瞬間、あからさまに若先生の顔が厳しくなる。
「どういうこと?香織ちゃん」
目が真剣に怒っている。
厳しい人だけれど、そんな視線を今まで受けたことがなかったから、とても戸惑う。
「あ…。えっと。働こうかな、って」
「なんで?」
間髪をいれずに切り込まれる。
どうして、と言われても。担任教師のいる前で、若先生のお荷物になりたくないから、とは言えない。そんな私の気配を察したのか、担任の先生へと無理やり作った笑顔を向ける。
「ありがとうございます、知らせてくださって。後は二人で決めますから」
有無を言わせぬ表情で畳み掛ける。
色々なタイプの患者さんを診ているから、こういった説得というより脅迫は得意らしい。
「はあ」
腑に落ちない表情だけれど、保護者と言い張る大人と肝心の生徒が帰宅を促すので帰らざるをえないみたい。
「あの、ですね。不躾な質問ですがお二人の関係は?あ、いえ、一応山名は私のクラスの生徒ですし、未成年でもありますから、色々と」
今まで口に出さなかったのが不思議なほどの初歩的な質問が放たれる。
躊躇する。
私と若先生の関係は?
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