女子高生拉致事件(親父がこう呼ぶ)から一週間、怒涛の一週間だった。それはもう。
近所で当然顔が割れているので香織ちゃんの母親が怒鳴り込んでくるわ、それを英彰君が連れ帰るわで大騒ぎを起こした。
その間香織ちゃんは早季子さんの家に預かってもらった。
今の状態の母親と相対するのはあまりに酷だろうから。
私の方は英彰君の段取りで父親の方に会うことができた。
結婚したと言うのに実家に入り浸りの彼でも多少は子どもに関心があるらしく、
娘に対する強引な見合い話に驚いていた。もっとも、自分がすっかり蚊帳の外に置かれたという
疎外感に対して怒っていたのかもしれないが。
「と、いうことで香織さんと結婚しますので、ご了承ください」
もはや承諾を得るということではなく、報告だ。こんな人たちでも親は親、全く無視するわけにも行かないし、
香織ちゃんは未成年なので両親どちらかの承諾が要るのは確かだ。
「香織はまだ高校生ですから」
「じゃあ、あなたの妻の攻撃から守ってやれるのですか?」
未成年の親の立場としては当然の反応。
「いや、それは」
「無理でしょうね、香織ちゃんが虐待されていても知らぬ顔をしていたあなたですから」
これ以上ないというぐらい渋い顔をする。
当たり前だ、彼も内心それぐらいには気がついている。
「家庭に帰ってまともな夫婦をやって、家族を再生させる気があるんですか?」
挑みかけるような気持ちで彼の目を見据える。そんな私の視線から逃れるように顔を俯かせる。その態度にイライラが募る。
「無理でしょうけどね」
ため息をつきつつ冷たくあしらう。
そう、彼らにはもう無理だ。お互いの求める方向があまりにも違いすぎる。
親に依存しすぎた夫と妻はもう向き合うことはないだろう。
夫婦はそれでもいいかもしれないが、間に挟まれた子どもに罪はない。
「それとも、老後の保障として彼女を縛り付けておきたいんですか?」
究極に意地悪い物言いだとは自覚している。
でも、彼女がされたことはこんなものの比ではないはずだ。
彼は俯いたまま怒っているのか悲しんでいるのかそれすらもわからない。
わずかながらも香織ちゃんに興味か愛情めいたものはあるのだろう。
先ほどの質問にはかろうじて首を横に振る。
「だったら解放してください、いらないのなら手放してください。私が代わりに彼女を愛しますから」
それは、自分に対する決意表明のようなもの。私はこれから彼女を愛していく、誰よりも深く誰よりも強く。
彼はただ黙ってサインをしてくれた。
これだけでいい、口に出してもらえなくても認めてもらえただけで充分。
最後まで顔をあげようとしなかった父親を置いて部屋を出る。
目的がかなった、という達成感よりも喪失感の方が大きい。
嘘でもごまかしでも、自分も香織を愛している。そのたった一言が欲しかった。
「もらってきたわけ?」
「ちゃんともらってきた」
早季子さんの家で婚姻届を前に4人で語らう。早季子さんに香織ちゃんに自分、もう1人はというと。
「先輩ってロリコンだったんですね」
行き成り失礼な口を聞くこいつは早季子さんの夫。
全く知らなかったが、早季子さんは本当に結婚したらしい、しかも自分達の後輩と。
「卒業後でしょ?」
「それは、まあ」
心配そうに早季子さんが尋ねる。いくらなんでも在学中に結婚しようとは思わない。いや、できないのか?校則で。
「若先生ほんとうに私なんかでいいんですか?」
私の目を真剣に見つけながら訊ねられる。あまりのかわいさに人前だと言うのに理性が飛びそうになる。
「私なんか、じゃなくて香織ちゃんがいいの。だからそんなこと言っちゃダメ」
思わず頭を撫でながら答えてしまう。
「うわ、きもちワル!!俊也が甘い雰囲気をだしてるぅ」
「俺も初めて聞きました、なんかこうむず痒くなるような」
鳥肌が立ったーー、などと失礼なことを言いながら夫婦で突っ込んでくる。こいつら結構いいコンビじゃないか。
「新婚さんに言われる筋合いはないです」
茶化しながら答える。
「でも、香織ちゃんお家帰れないよねぇ、あの状態では」
例の母親は差し出せるはずの娘が逃げ出して世間体が悪いと騒ぎ出すし、婚約者への嫌がらせはエスカレートするし、
で、とうとう英彰君は婚約者と黙って籍を入れて海外逃亡してしまった。
自慢の息子と世間ではいい子と表される娘の二人ともに逃げられた彼女は半狂乱らしい。
婚約者の実家へ怒鳴り込みに行くのに忙しくて、こちらには来ていないが、いつ矛先がかわるとも限らない。
「うん、だから新居をね、構えたから、そこで一緒に暮らそうかなって」
この面子の中ではかなり言いづらい。
「はぁ?同棲ってこと?」
案の定秒速で突っ込まれる。
「女子高生と同棲だなんて、先輩……。うらやましい」
言うと同時に叩かれている。早季子さんの前でその手の冗談を言えるだなんていい度胸をしている。
「お姉さんはそんなこと許しません」
「や、お姉さんじゃないし」
今度は私もスリッパで叩かれる。
「でも実際、私の実家も危ないし、新婚家庭に放り込んでおくのも悪いし、
婚約しているんなら一緒に暮らしても問題ないかと思うんだけど」
「それは、そうだけど」
3人して香織ちゃんの方へ顔を向ける。同時に振り向かれて、かなり戸惑っている。
「香織ちゃんはどうしたい?」
早季子さんが優しく問い掛ける。
彼女は戸惑いながらも一生懸命思考をまとめているのか、少し考え込んでいる。
皆が彼女を見守る中、やっと結論がでたのか、彼女が口を開く。
「私、は、若先生と暮らしてみたい。……です」
思わず口元が綻ぶ、今自分が不気味な顔をしていないか確認する勇気はない。
「後悔しない?」
早季子さんが念を押す。
「後悔は、やってみてする方がいいですから」
花びらが零れ落ちそうな顔で微笑む。
それを見て何も言えなくなったのか、早季子さんがさらに念を押す。
「いい?香織ちゃん、何かあったら私か大先生のところにいくこと、俊也がオイタしたらすぐに叱り飛ばしにいってあげるから」
香織ちゃんは何を言われているのかわかっていないらしく、ただ無邪気に笑っている。
早季子さんも観念してため息ながらも認めてくれた。
「まあ、香織ちゃんがいいと言うなら、ね」
こちらに何かあったらただじゃ置かないという意味の篭った視線を送る。
「大丈夫ですよ」
そう言って返す。
「ね、香織ちゃん」
彼女に同意を求めるべく、声をかける。彼女は頷きながら、
「大丈夫ですよ、今までと対して生活が変わるわけじゃないですから」
と、同意する。
「うーん、でも一緒に暮らすとなるとね、お互い摩擦なんかも起きるだろうし」
「摩擦?ですか?」
「そうそう、うちも小競り合いは日常茶飯事よ」
きょとんと不思議そうな顔をする彼女。
この人と小競り合いを繰り返せる後輩を眺める。
確かに常に一緒の状態になればお互いの苦手な部分もでてくるだろうしな。
「若先生と、ですか?」
「たぶんね、この人も神様じゃないんだから、っていうかむしろ我侭なぐらいだし、
きっと香織ちゃんが我慢することの方が多いと思うのね」
「随分とひどい言い草ですね」
「これでもいい足りないぐらいよ」
勝ち誇ったような早季子さんは無視して、香織ちゃんに向き直る。
「お互い徐々に慣れていけばいいよ、ゆっくりと。香織ちゃんはまだまだ若いんだから」
「その分夫が歳食ってますけど」
自分より年上の早季子さんが素早く反応して後輩君をケリ倒す。
コレ位反応がよければ、心配しないんだけどな、香織ちゃんも。
思案顔の彼女がこちらを見つめる。
「あの。若先生、よろしくお願いします」
にっこりとはにかんだ表情で微笑む香織ちゃんを見て、心配事は全てどこかへ消え去ってしまった。
これから一緒に歳を重ねていけばいい。お互いのテンポでゆっくり一歩ずつ。
いつまでたってもきっとこの日を忘れない。
ずっと彼女を守っていく、単純だけど守り通すには難しい言葉を心に浸透させていく。
一緒に暮らしてみて、彼女のテンポが予想以上にゆっくりなことに驚いたけれど、それはまた別のお話。