小さな隠し事すらできない私が、こんな大きな隠し事をやすやすとやり通せてしまうとは。驚きとともに、安堵する。
人間って土壇場になるとわからないものだ。
「ねえ、明彦。結婚ってしてみたい？」
いつもの土曜日、何気ない風を装って聞いてみた一言。
彼は胡坐をし、右ひじを太ももに乗せさらに手のひらにあごを乗っける形で雑誌を読み漁っている。仕事の関係で頼んでもいないのに送られてくるらしい。たいしたことが書いてあるわけじゃないけれど、その英文雑誌は暇つぶしには最適らしい。
私といるときでも好き勝手に自分のことをする彼らしい姿といえるかもしれない。
「は？何いってんの？おまえ。結婚って俺たちが？」
「や、別に私とじゃなくってもいいけどさ」
チラッとだけこちらを一瞥した後、何もなかったように雑誌に目を落とす。
あまりにぶっきらぼうな物言いに思ってもいないけど、そうやって返す。
「ありえねーだろ、結婚なんて」
「そう・・・そうよね。ありえないわよね」
本当は泣きたくなるぐらい傷ついた自分。
だけど彼の前で強がってみせるのは癖みたいになっていて、
ナカナカ強気の殻を破れないでいる。これが今まで私が許容していた関係なのだから、それらは甘んじて受け入れる必要がある。
そっとお腹のあたりを触ってみる。
私は一人じゃない。
そう思えるだけで十分だった。
何も告げずに出て行くことは悪いことなのかもしれない。
でも、それを告げてしまったら、弱みを握ったみたいで自分自身が嫌になるから。
「私、転勤することになったの」
事実だけを端的に述べてみる。
内示があったのはダイブ前、受諾したのは最近。
本来なら迷うはずのない提案に、迷ってしまったのはあなたとのことがあったから、そんな言葉を必死で飲み込む。
縋る女にだけはなりたくない。
反面、そうやって自分の感情に素直な女性にも本当は憧れてしまう。
上辺だけ格好をつけて取り繕っている自分は本当は一番大嫌い。
「転勤？」
「そう、転勤」
視線を合わさずに答える。
彼の表情を見てしまったら、冷静に話せる自信がない。
「もう決定なのか？」
「うん」
「そう・・か」
上目遣いに彼の方を見る。
何か考え事をしているかのような顔をしている。
「で、おまえはそれを俺に言って、どうしたいわけ？」
「どうしたいって」
いつもこうやって情け容赦なく深いところまでえぐってくる。
彼に悪気はないのだろうけれど。
「止めて欲しいわけ？」
私の中にある醜い部分にダイレクトに響く。
「悪いけど、そうやって思わせぶりな態度を取る女って嫌いなんだ」
彼らしいセリフ彼らしい態度。
想像通りの答えに思わず笑顔さえ浮かんでしまう。
「うん、わかってる。だからもう会えないって言いたいだけ」
「おい、ちょっと」
「遠距離なんてがらじゃないでしょう、私たち」
無意識に両手でお腹を押さえる。
大丈夫。
何を言われても平気だから。
「何も別れなくても・・・」
「私・・・・は、将来は結婚したいと思ってるの」
彼の言葉が終わらないうちに自分の声で遮る。勢いで言ってしまわないととても最後まで言い切れそうにない。
「だから・・・、だから、先行きのない恋愛をしている暇はない、から」
半分は本当のことだ。
このままずるずると彼とともに行っても、その先には結婚というゴールはない。
婚姻自体を人生の目的にするつもりはないけれども、だからといって結婚したくないわけじゃない。
私だって夢を見る。
結婚して、二人で暮らして、いつかは子供を、なんて絵に描いたような家庭。
今はそれが不可能であることをわかっているけれど、側にいたら期待してしまう弱い自分がいるから。
これを機会に、卑怯だけれど離れてしまいたい。
「惚れてもいない男と生活できるのか？おまえは」
段々険しい顔になっていった明彦が言い放つ。
そこまで自分に自信があるのは羨ましい気がする。彼は私が自分以外を好きになることは有り得ないと思っているらしい。
「別に、将来のことなんてわからないし」
彼以上に好きな人ができるかどうかはわからないけれど、でも、このままの状態よりずっといい。
「好きにしろ」
胡坐をかいたまま、背中を向けた彼は、それっきり黙りこくる。
「好きにする」
動かない背中へ話しかける。
もしかしたら引き止めてくれるんじゃないか、なんて甘い期待がないわけじゃない。
だけど、そんなドラマみたいなことは起こるはずもなく、だから私はそのまま部屋を後にする。
すべてが終わる。
何も言わないのはあなたが好きだから。
最後まで何も言わない自分。彼の全てを受け入れているフリ。
これは私の罪なのかもしれない。
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