まるで絵葉書のような風景が広がっている。延々と続くかのような錯覚を起こさせる青い海、白い砂浜。ここから見える光景はあたりまえすぎて、当時どれだけ大切なものなのかわからなかった。
「おまえ、それでどうするんだ?」
私が離婚して帰ってきたといち早く聞きつけた彼は、興味半分心配半分といった顔をしている。
「まあ、落ち着いたらまた出て行くしかないでしょうね、仕事ないし、ここ」
自然溢れるといったキャッチコピーはすばらしいが、正直なところここは働く場所が少なすぎる。彼のように地元の役場に勤める他は農家か、地元民相手にやっているお店やぐらいしかない。観光地でもなく地方都市からも遠いここではソレが現実だ。
「ここにいればいいだろう」
「そうしたいのは山々だけどね」
「大学行くって言って外にでたお前がやっと帰ってきたと思ったのに・・・」
「そうねー、同級生も就職やら進学でほとんど出ていっちゃったし」
古民家のような実家の縁側で私は膝を抱えながら、彼はその縁に土足のままで腰掛けている。今は昼休みに抜け出しているらしい。
「こんなこと聞くのは下世話だけどさ・・、おまえ幸せそうだったじゃん」
元夫をここへ連れてきたときに見せた、彼の複雑な表情が蘇る。あれは同級生がずっと帰ってこなくなる寂寥のせいなのか、それとも。
「幸せだったわよ。表面上は」
「表面って・・・」
掛け違ったボタンは永久に元へ戻る事はなく、半ば衝動的に叩きつけた離婚届もあっさりと受け入れられた。
うまくいっていると思っていた。
だけど、それは私の独り善がりだったのだと思い知らされた。
「子ども」
「?」
「子どもができなかったのよ、私達。原因は不明なんだけどね」
「だからってそれだけで・・・。そういう夫婦はたくさんいるじゃないか」
「まあね、お互いに信頼関係があればどうってことないのかも」
私は信頼していた、少なくとも。実家から遠いところへと結婚のために引っ越す事で決意というものができていたのかもしれない。だけど、彼の方は違ったらしい。
変らない生活、世話をする人間が母親から妻へとスライドしただけで、人間関係も職場もなにもかも元のままだ。彼はきっと息子のままであって、決して私の夫ではなかったのだと、その事に気が付いた時には私達の関係はすでに修復できないところにまできていた。
「私の方は検査を受けたけどさ、異常なしだって」
「旦那の方に?」
「さあ?してないもの、検査。男のプライドにかかわるんだって」
「ばかじゃないのか?そいつ」
「そう、馬鹿なの。でも、そんな男を選んだのは私」
猫みたいに背中を丸め膝へと頭を載せる。
眼前に広がる景色が綺麗すぎて、今の私には辛すぎる。
「もうちょっとここにいないか?ここなら環境もいいしさ」
「根っこが生えちゃうからダメ」
穏やか過ぎる時の流れはゆるゆると私からやる気を奪い取っていく。田舎特有の閉塞感も結婚生活を思えば優しいものだ。なによりここは生まれ育った場所だから。
波の音が聞こえる。永遠に変らないその音は懐かしい昔の出来事を思い起こさせる。
「おれ、おまえの事好きだったんだけど」
風の音に紛れながらも耳に届いたのは、突然の告白。
「ありがとう」
たぶん気が付いていて知らないふりしていた私に目隠しをする。
「それに、今でも・・」
「ありがとう、でもそれは過去の事だから」
彼の言葉で縛られる前に全てを遮断する。
思い出に囚われているのは彼の方だ。変らない風景に、私が昔のままだと錯覚してしまっただけ。
「来週には出て行く」
無言で頷いたであろう彼が、縁側から離れていく。
遠ざかった気配に一抹の寂しさを覚える。
でも、それはこの場所が私を懐かしさにおぼれさせようとした罠。
現実に踏みとどまった私は、頭をあげ、もう一度目の前の風景を眺める。
もう目を背けない。
私は私で生きていける。