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「創造者の道」
(「ツァラストラかく語りき」:ニーチェ著 竹山道雄訳 より)


   同胞よ、なんじは孤獨の中に往かんとするのか? なんじの自我への路を求めんとするのか? さらば停まれ。わが言うをきけ。
   
  「求むる者は迷うであろう。孤立してあることは罪過である。」--かく群衆は言う。
なんじがこの群集に属すること久しかった。
   
   この群集の聲はいまも尚なんじのうちに響いている。 かくて、なんじが「われもはやなんじらと等しき良心を持たぬのだ。」 と言うとき、そは詠嘆であり、痛楚である。
   
   みよ、なんじのこの痛楚は、かの等しき良心が産んだところのものである。この良心の最後の餘燼は、なおなんじの悲哀の上に燃えている。
   
   さあれ、なんじは、この路がなんじの自我への路である故に、 あえて悲痛の道を選ばんとする。しからば、なんじの権利を見せてくれ、 ---なんじの力を示してくれ!
   
   なんじは一つの新しい力であるか?  一つの新しい権利であるか?  最初の運動であるか? みずから輾りいずる車輪であるか?  また、なんじは星をも強要して、なんじのめぐりを 運行せしむることができるか?
   
   あゝ、高さに對してなんという情欲があることぞ! 野心家たちのなんという多くの痙攣があることぞ! なんじがかかる情欲者また野心家ではない、ということを示してくれ!
   
   あゝ、いかに多くの大思想があることぞ! かれらは鞴の作用よりしないのだ。吹き膨らまし、空にする。
   
   なんじは自己を自由だという。だが、われが聴きたいと思っているのは、なんじの支配的な思想なのだ。なんじが軛から脱れた、ということではない。
   
   なんじは果たして軛から脱れることを許されうるものであるのか? 彼の服従と奉仕を抛つと同時に、彼の最後の価値をも抛ち去った---、かかる人間の數、まことに尠しとせぬのである。
   
   何から自由である、というのか?ツァラストラはかかる事には、何の関心をも寄せぬ! ただ、なんじの瞳に明るく告げて欲しい、---何の為に自由であるか、を。
   
   なんじはなんじ自身になんじの善と惡を與えうるか? また、なんじの意思を律法の如くになんじの上に掲げうるか? なんじはなんじ自身の裁判官たりうるか? みずからの律法の復讐者たりうるか?
   
   自己の裁判官及び自己の律法の復讐者とのみ、共に生きてあるは、おそるべき事だ。かかる場合には、荒涼たる空間の中に、また氷のごとき孤獨の氣息の中に、一つの星が投げ出される。
   
   なんじ孤りなるものよ、今日は、なんじなお多數者のために苦しんでいる。今日は、なお勇氣と希望とを持つている。
   
   しかはあれど、いつの日か、孤獨はなんじを疲勞せしむるであろう。 いつの日か、なんじの矜持は跼まるであろう。なんじの勇氣は難破するであろう。 いつの日か、なんじは叫ぶであろう、 ---「自分は寂しい!」と。
   
    いつの日か、なんじははや自己の高さを見ないであろう。自己の低さをのみあまりに近くで見るであろう。なんじの有たりし崇高なるものすら、幽霊の如くなんじを畏怖せしむるであろう。 いつの日か、なんじは叫ぶであろう、---「一切は虚妄である!」と。
   
   孤獨なる人間を殺そうとする感情がある。殺すことができなければ、この感情はみずからが死なねばならぬ! なんじはよく殺戮する者となりうるか?
   
   同胞よ、なんじはかの「輕蔑」という言葉を知っているか? また、輕蔑する者に對してなんじ自身を公正ならしめんとする、なんじの公正の苦惱をば知っているか?
   
   なんじは多數者を強要して、なんじについて改め學ばしめんとする。 之に依ってかれらは、なんじに含むのである。なんじはかれらに近づき、しかも通り過ぎ去った。之をかれらは宥すことができない。
   
   なんじはかれらを超えた。なんじが登ること高ければ、高いほど、嫉妬の眼はなんじを小さく見る。しかして、飛翔しゆく者は最もはなはだしい憎しみを受けねばならぬ。
「いかなれば、なんじらがわれに對して公正でありえようぞ!」---となんじは言わねばならぬ。「われは運命の當然の分前として、なんじらの不公正を選び取るのだ。」
   
   かれらは孤獨なる者にむかって、不公正と汚穢とを投げつける。されど、心せよ、同胞よ、もしなんじが星であろうと願うならば、かれらに對し光り燿くことこの故に薄くあつてはならぬのだ!
   
   さらに善き者、義しき者を警戒せよ!自己の為に道徳を創りいだす者を、かれらは好んで磔刑にする。---かれらは孤獨なる者を憎惡する。
   
   神聖なる単純をも警戒せよ!この女にとつては単純ならざる一切のものは邪惡である。この女は好んで火を---焚刑の火を弄ぶ。
   
   また、なんじの愛の發作をも警戒せよ! 孤獨なる者は、彼に出會する者に、あまりにはやくその手を差しのべることがある。
   
   大凡の人間には手を差しのぶるな。ただ前足のみを與えよ。しかも、この前足には猛獣の爪を潜めよ。
   
   さあれ、なんじが出會しうる最惡の敵は、ただつねになんじ自身である。洞窟に、森林に、---なんじ自身がなんじを待ち伏せている。
   
   孤獨なる者よ、なんじはなんじの自我への路を往く! しかも、その路はともすると、なんじのほとりを、またなんじの七つの惡魔のほとりを通り過ぎてしまいがちである。
   
   なんじはなんじ自身に對して異端者たり、魔女たり、豫言者たり、白痴たり、懐疑家たり、汚涜者たり、また無ョの徒たるべきだ。
   
   なんじはなんじの炎の中に自らを焚かねばならぬ。なんじまず灰燼となることなくして、いかに鮮しく生れることを望みえようぞ!
   
   孤獨なる者よ、なんじは創造者の路を往く。なんじはなんじの七つの惡魔から、一つの~を創造せんと願っている!
   
   孤獨なる者よ、なんじは愛する者の路を往く。なんじはなんじ自身を愛している。さればこそ、なんじはただ愛する者のみが輕蔑するごとくに、なんじ自身を輕蔑している。
   
   輕蔑するが故にこそ、愛する者は、創造せんと欲する!おのれが愛するところのものを輕蔑せずにありえた者が、愛について何を知るものぞ!
   
   同胞よ、なんじの愛をもて、またなんじの創造をもて、なんじの孤獨の中に行け。時を經て後、公正はようやくなんじを追つて、跛足ひきつつ跟ききたるであろう。
   
   同胞よ、なんじわが涙を得て、なんじの孤獨の中に行け。自己を超えて創造せんと欲する者、かくして没落しゆく者---、われはこの人を愛する。
   
   ツァラストラはかく語つた。

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