Movies

1967−俺たちに明日はない

1968−猿の惑星、泳ぐひと、ブリット

1969−真夜中のカーボーイ、イージー・ライダー、ひとりぼっちの青春

1970−パットン大戦車団、ウッドストック、いちご白書、卒業、2001年宇宙の旅、ローズマリーの赤ちゃん、フィクサー、ワイルドバンチ、明日に向かって撃て!、大空港、M*A*S*H、ファイブ・イージー・ピーセス、エルビス・オン・ステージ、真夜中のパーティー                        

1971−バニシング・ポイント、愛の狩人、ジョニーは戦場へ行った、フレンチ・コネクション、ダーティハリー、探偵・ スルース         

1972−ホット・ロック、ゴットファーザーPARTT・PARTU、ディープ・スロート、大いなる勇者、激突!、ある愛の詩おもいでの夏、黒いジャガー、さすらいのカウボーイ、ラストショー、時計じかけのオレンジ、キャバレー、男の出発、脱出、ロイ・ビーン、ポセイドン・アドベンチャー     、                

1973−ロング・グッパイ、ペーパー・ムーン、燃えよドラゴン、エクソシスト、

1974−続・激突!・カージャック、ザッツ・エンタテイメント、ハリーとトント、ヤング・フランケンシュタイン

1975−ナッシュビル、カッコーの巣の上で、スケアクロウ、アメリカン・グラフィティ、追憶、スティング、カンバセーション、チャイナタウン、ファントム・オブ・パラダイス、悪魔のいけにえ、タワーリング・インフェルノ、ロンゲスト・ヤード、JAWS・ジョーズ、狼たちの午後、バリー・リンドン            

1976−グリニッチ・ビレッジの青春、ファミー・プロット、ばんばれ!ベアーズ、愛のメモリー、

1977−アニー・ホール、愛と喝采の日々、サタデー・ナイト・フィーバー

1978−帰郷、ミッドナイト・エクスプレス、スーパーマン、タクシー・ドライバー、キャリー、ロッキー、スター・ウォーズ、未知との遭遇、グッバイガール、ラスト・ワルツ、ビッグ・ウエンズデー、アニマル・ハウス、ディア・ハンター     

1979−ウォリアーズ、マンハッタン、地獄の黙示録、エイリアン、1941


1967年12月8日の(タイム)誌が、『俺たちに明日はない』を特集し、その見出しに、ニュー・シネマと言う言葉を使ったことがニュー・シネマの起源とされている。ニュー・シネマは、フランスのヌーヴェル・ヴァーグと同様、ジャーナリズムがもちいはじめた言葉で、流派や理論や思想上の運動でないから明確な定義をない。しかし、旧ハリウッドのタブーを破ること、リアリズムを加えてドラマに時代を刻むことが”ニュー・シネマ”派の作家に共通する姿勢である。”ニュー・シネマ”は、激動する70年代アメリカの反映だった。明確な定義がないが、いくつかの特色が見られる。第1は、ハリウッド外の才能の起用である、(俺たちに明日はない)のアーサー・ペン、(卒業)のマイク・ニコルズ、(明日に向かって撃て!)のジョージ・ロイ・ヒルは、舞台の演出家、(真夜中のカーボーイ)のジョン・シュレシンジャーはイギリス人、(イージー・ライダー)のデニス・ホッパーは売れなくなっていた俳優であり、(ファイブ・イージー・ピーセス)のボブ・ラファルスンと(いちご白書)のスチュアート・ハグマンはテレビ演出家だった。ハリウッドの外の人間の発想や技法が、ハリウッド内のそれより新鮮で、観客の心を捕らえた。第2は、ヴェトナム戦争が泥沼に入り込み、人種差別問題が盛り上がり、学園闘争が激化し、ヒッピーとロックとドラックが全盛だった時代の青春[やや晩年型もあるが]の苦悩を描いている。ある若者はドロップ・アウトし、ある若者は、目的なき旅にさまよい、ある若者は理由もなく車をつっ走らせた。西部は、力しだいで土地や女を獲得できる未開の土地ではなくなり、若者たちは無目的にそこをオートバイや車で疾走するだけだ。アメリカの夢は、失われてしまった。それはハリウッド映画の夢が失われたと同じ意味である。ヒーロー伝説は過去のものなり、アンチ・ヒーローが主流となった。第3は、1964年に、アメリカ映画協会会長に就任したジャック・ヴァレンティの働きにより緩和されたプロダクション・コードにより、セックス描写や、暴力、残酷、麻薬など描写が、それ以前のアメリカ映画とは比較にならないほど大胆にとりいれられるようになった。ヴァイオレンス描写を、見せ場にする映画も現れた。ペキンパーの(ワイルドバンチ)の有名な殺戮シーンや、(俺たちに明日はない)でのボニーとクライドが八十七発の弾丸をぶちこまれる有名な[死のバレエ]にせよ、スロー・モーション効果を生かした、美しい映像だった。これは、映像美の観念を一歩押し広げた。映像に対する感性のよさが、映画の価値観の決め手とさえなっていった。その映像は独立したものではなく、音楽との相乗作用によって成り立つ。監督たちが好んだこの時代映画音楽はロック・ミュージックである。ロックの持つ激しさや優しさは、出口なき青春に対する作者たちのいたわりや怒りや鎮魂の歌とも聞こえたのである。第4は、監督たちはそれまでのハリウッド映画が持っていたジャンルの公式にまったくこだわらず、むしろそのジャンルの枠を打ち破ろうとさえした。(俺たちに明日はない)はギャング映画、(明日に向かって撃て!)は西部劇、シリアスすぎるが(卒業)はコメディ、(2001年宇宙の旅)はSF映画である。同時にそれは、まだ多少に残っていた配給会社別のカラーも姿を消すことになった。ジャンルや会社のカラーからの解放が、作品それぞれにいちだんと自由な発想を呼び、各作品を個性豊かにしていくことになる。第5は、[シネモービル]を使いどんなところでも撮影可能になり、撮影所なしでも映画がつくれるようになった。(イージー・ライダー)やフランシス・コッポラの(雨の中の女)などはまったく撮影所を使わなかった。撮影所にセットを建てずにすむから、制作費がやすあがりですみ、そしてセットでは生み出せない土地や街と人間かかわりや対立をリアリティとなってくっきりと浮かび上がらせた。第6は、俳優の変化である。ハリウッドが夢の工場でなくなってしまった以上、容姿だけで見る者をうっとりさせる俳優は、必要でなくなり、存在感が不可欠となった。存在感をつくるのは、俳優の肉体であり、環境であり、血である。そのことを感じさせる力、演技力である。ニュー・シネマ以降、アクターズ・スタジオにおいて、スタニスラフスキー式のメソード演技がますます重要視されるようになった。ダスティン・ホフマン、ジーン・ハックマン、アル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロ、ジェイン・フォンダ、エレン・バースティン、フェイ・ダナウェイなど、これ以後のアメリカ映画を代表するスター=演技者の多くが、同様のメソードを受継ぐ研究所で演技術を身につけている。




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