忘れ去られたマンドリン「masakichi suzuki mandolin」
楽器を「道具」としてとらえると、「音」と違って手にとって 目で見ることのできる物体であるということです。たとえどんなに見すぼらしくても、粗末でも、古ぼけていても、ちっぽけでも、その「道具」は楽器としてその時代に存在していた価値を物語っているます。言いかえれば楽器を音楽を奏でる「道具」としてだけでなく、その楽器の大きさ、構造、材料、デザイン、装飾、金具などは当時の人の「思い」・「歴史」・「美学」など情報の集合であると思います。
それぞれの楽器には固有の音域、音色、音階を持っています。そしてそれがその楽器の特徴となっています。 さらに、これらの楽器が演奏された形態を考えると(形態はその演奏された絵画や写真などから推測することになるが・・・)演奏者の属性(性別、年齢、職業など)演奏目的、さらにその演奏場所、演奏の服装などから音楽と人間の関係を想像することができます。演奏形態・・独奏か、合奏か、歌と一緒か・・・など、演奏形態からもその役割は変わってくる。
また、その楽器の発祥地、経緯、命名、伝来の行方、伝播の歴史は単なる音を奏でる楽器として存在ではなく、歴史的、文化的、経済的な物事とも捉えられると思います。
マンドリンの姿を見るとなんと不思議な形をしていることか・・・何気に滑稽で不安定な姿。しかし愛嬌のあるかわいい姿にも見えてきます。どうしてこういう姿になったのか気になるのは小生だけではないでしょう。
さて、マンドリンは日本に伝来してすでに100年余りを経過しています。 今日、日本のマンドリン界の発展(質・量ともに)は目覚ましいものがあります。 しかし、その楽器の伝播・普及・浸透の経緯は必ずしも十分に調べられているとは言い難いのが現状でしょう。 明治時代に西洋音楽は津波のように我が国に押し寄せてきました。その楽器の一つとしてマンドリンがありました。
今日の発展の裏にはマンドリンを普及させようとした「比留間賢八の夢」と楽器作りにかける「鈴木政吉の情熱」があってのことと思います。また、2人を取り持ち楽譜や教則本の出版に尽力をされた「共益商社の白井練一」の存在を忘れてはならないのです。
明治時代に賢八と政吉により試行錯誤して作られたマンドリン(マサキチブランド)についてはほとんど見向きもされていないのが現状です。日本のマンドリンのルーツ「masakichi」を見つめて見ると「賢八の夢」が手にとって見えてきます。当時どんなマンドリンがあったのか、そしてそのマンドリンはどのように変化し、改良されたのか、興味がわいてきます。
「MASAKICHI.SUZUKI.」を実際に手に取って調べることで「賢八の夢」と「政吉の情熱」をたどって見たいと思います。また、引用したデーター等はすべて出典を明確にしてあります。
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