中村青年団の頃のつつこ引き
石川喜義さん

 昔は中村青年団と言っていて、7、80名くらいは団員がいたので、声をかけると5,60人くらいはすぐにつつこ引きに出てきました。私たちの頃あたりから、初老会が中心となってつつこ引きを行うようになり、2ヶ月くらい前から寄付集めを行いましたけど、なかなか出してくれないところもあって苦労しました。あの頃は、午前中に初老会長のうちでつつこを作り、午後からつつこ引きをやっていましたが、余裕を持って作ろうということで前の日に作るようになりました。私は青年団の頃からずっと竹係で、陣屋通りの十字路の角や堀時計屋のところまで竹を立てたこともありました。

                            

 昔のつつこ引きは本当に真剣勝負でね、友人であろうが勝負がかかるとけんかになることもあったし、それで仲違いすることもあった。勝負に勝つために相撲部を頼んだこともありました。私たちの頃から町外の人にも声をかけて参加するようになったと思います。電車が止まるくらい人が出てつつこが見えなくなるくらいで、今の小野屋本店の塀の上や向かいの家の2階が人だかりだったことが1番の思い出です。私たちの頃は足袋ではなくわらじだったのですぐに切れて足が血だらけでした。また、道路の両側にドブがあったのでつつこが落ちないようにバタで塞いだりしました。昔は砂利道だったし真剣勝負でやったから体が傷だらけで、終わってから体が痛くて風呂に入れなかったことが記憶に残っています

 そのうち若い人が少なくなってきてお祭りをやるにもこれから大変だということで、小野雄三くんが初老の時に若連を作るようにと話した覚えがあります。初老が少ないときなどに若連が手伝うようにしたのです。確か初めは7人くらいで始まったと思います。それから若い人や初老を終わった人が若連に入ってくるようになり現在の中村若連に至っています。