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2011
相馬三社野馬追

23日   24日

想い 〜人と馬に、歴史と伝統に〜

規模縮小で開催した相馬野馬追
鎮魂への願い、復興への象徴

苦境の中で出陣を決意したサムライ
参加をあきらめ祭を見守ったサムライ

人への思いやり、馬への愛情
歴史を継承する意思、伝統を守る決意

野馬追の郷は様々な想いがあふれていた……
野馬追の流れを紹介する2日分のレポートはすでに掲載しましたが今回も別レポートを一つ掲載します。
野馬追開催日の7月23日と24日、そして一週前に訪れた際のレポート&感想です。
宜しければ見てってくださいな。(^^ヾ

▼7月16日・夜

毎年、野馬追の一週前に相馬に訪れるのは祭りの準備で活気づく町や人々を見たり、出陣式が行われるためでした。
しかし今年は直前まで催しの内容も分からず、出陣式も無い様子。
サムライが友人や手伝いをしてくれる人を誘って開く個人の出陣祝い(飲み会?)もありません。
それでも何かあるかも、と淡い期待を抱いて原町へ向いました。
友人・若狭氏宅に泊まって翌17日。
まずは相馬市・中村神社に行ってみました。

ここには被災した馬たちがいます。
「引退馬協会」「馬とあゆむSOMA」の人達、
たくさんの支援者達によって救われた馬達です。

神社の入口脇の放牧柵にいる2頭がお出迎え。
そして中村城に登る途中に厩舎があり
そこには10頭近い馬達がいました。

その中には震災直後に小高で見た
マキバスナイパーやマイネルアムンゼン、
ノラ馬化していたドーケージの姿もありました。
ココにいる馬のことや写真は引退馬協会の
ブログに掲載されていますので割愛します。
というわけで厩舎にいたネコの写真でも。(^^ヾ

写真のネコと白いネコが昼寝していました。

ノンビリと穏やかそうな雰囲気。
ここが良い場所だとネコの表情が語っていますね。

一時はどうなるかと心配した馬達ですが
手を差し伸べてくれる人達のおかげで無事でいられた。
本当に嬉しいことです。(^^ヾ
社務所前にも放牧柵があり小さな馬がいました。

神社定番のハトの餌……ならぬ馬のエサ?
食べやすいようにキチンとカットしてありますね。
でも紹介板には「ニンジンよりリンゴが好き」
書いてあったり……(^^;

それでも人が近くに寄っていくと期待しているのか
ニンジンの側でジッとしていました。

社務所には野馬追の準備中の人達も集まっていて
さすがに一週前っぽさが感じられましたね。
この後、相馬市役所、南相馬市役所にも行ってみましたが日曜なので開いてませんでした。
例年なら一週前でも準備で慌ただしく、日曜でも人の出入りがあるものですが
やはり震災の今年は野馬追への準備ではそれほど動いていないのかもしれません。
と言うよりも震災直後は日曜でも開いていたことを考えれば、役所も一段落ついたんだと安心できますね。

翌日18日。
早朝に目が覚めたので、もしかしたら馬乗りしている人がいるかも、と淡い期待を抱き出かけました。
向ったのは雲雀ヶ原

残念ながら馬乗りしている姿はありませんでした。
早朝と言っても6時過ぎだったので、
もっと早い時間なら誰か来ていたかもしれません。

しかし久々に見た雲雀ヶ原は気落ちする光景でした。

雑草は伸び放題で観覧席も走路周りもひどい状況。
走路もところどころ草が伸びていて
相当手入れをしていないことが分かります。

野馬追の象徴的な場所なのに、荒んだ状況に
少なからずショックを受けました。
それなら烏崎は馬乗りしている人がいるかな……。
再び淡い期待を抱いて車を走らせます。

自分が初めて野馬追を見た2006年。
早朝の烏崎の光景は感動的でした。
その光景を想いつつ向ってみましたが
それが浅はかな考えだったことを思い知りました。

津波に全てを破壊された海沿い。
壊れた防波堤の内側まで海が残り、砂浜に行けません。
海に近い家屋は流され、緑溢れた松原の跡形もない。
遠くに見える火力発電所も被災していて……。

ここには悲しみしかない……。
ここに再び訪れたことを後悔しました……。
気を取り直して。

原町に残っている馬を見に行きました。

トーセンシャナオーのいるTAKANO厩舎へ。
以前見に来た時は少し細く見えましたが
今回はだいぶ馬体がふっくらとしていました。

引退馬協会の飼料支援のおかげ
十分な餌を与えることができたおかげと話していました。
若狭宅のメイショウアーム
コチラも良い感じの健康そうな馬体です。

このレポートを掲載する頃は2頭とも北海道ですね。
日高町の協力で被災馬は北海道へ避難しました。

実はこの訪問の時にすでに話は聞いていました。
今年の野馬追の後、北海道へ。
来年の春に再び戻してもらうという約束で
メイショウアーム達は北海道に避難しました。

8月末に持ち主達が北海道に見に行ったそうですが
自分も10月に会いに行こうと計画中です。(^^ヾ
18日午後。相馬を離れ、横浜へ帰りました。
翌週の野馬追に向けて、何か希望を見出せないかと期待しての一週前訪問でしたが
期待よりも気落ちばかり感じた訪問となってしまった……そんな感じです。
翌日。

インターネットで野馬追のことを調べていたら
「雲雀ヶ原に横断幕が」
という内容と左の写真を見つけました。

前日に自分が訪れた時は無かった幕。
雲雀ヶ原は雑草も刈り取られ
観覧席はキレイな状態という内容でした。

自分が訪れた後、騎馬会の人達が
雲雀ヶ原の清掃をしたそうです。

気落ちしていた心に再び期待が湧き上がりました。
7月22日・夜。
再び車を走らせて相馬に向います。
海側の国道6号線が通行できないため、磐越道の船引三春から北上し飯館村を通過して原町に入る道順。
震災後、何度も通った道です。

23日、朝5時に原町に到着です。
予定よりも早く着いたので雲雀ヶ原の横断幕を見に行くことにしました。
雲雀ヶ原に着くと馬乗りしている姿が!

前の週に期待していたのに見れなかった光景。
とても嬉しいと共に、やはりこういう人はいるんだと
感動してしまいました。(^^ヾ

声をかけたところ中ノ郷騎馬会の人でした。
野馬追で乗るわけじゃないですよね?と聞くと

「野馬追だからじゃなく単に馬が好きなんだ」

この町の「人と馬」のつながり。
その想いを改めて感じることができました。(^^ヾ
車で町の中を走っていると前方に馬の姿が。
さっき雲雀ヶ原で見た人かな?と思ったら違いました。

街中を普通に馬を引いて歩く人。
こういう光景が見れるのは相馬ならでは。
さすが野馬追当日!なんて感動してましたが
よく見ると前方に撮影のような人達が。

なんだかヤラセっぽい雰囲気でした。(^^;

しかしこの光景は以前の相馬では当たり前のこと。

今の目の前の光景はヤラセでも、
それが普通だったことは自分がよく知っています。
震災前まで、この光景は日常的な光景だったのです。
8時頃、相馬に向けて出発。
若狭氏と大熊町出身のN君の3人で向いました。
N君は震災直後に避難して、それ以来の相馬訪問。
6号線沿い、未だに田んぼの真ん中に残る船や
震災の傷跡を直に見てショックを受けていました。

中村神社ではすでに出陣式が行われていました。
親しい知人が出ていないことと混雑が予想されたので
行列の開始に合わせて行ったのです。

予想通り、神社には観覧客と報道関係でいっぱいです。
神社境内に入るのは無理そうなので
入口で行列が始まるのを待ちました。
出陣式が終り、始まる行列。

サムライの威勢の良い声と馬のいななき。
いつもと変わらない野馬追の姿が嬉しかったです。

騎馬数は確かに少ないけど
予想してたよりも多く、十分見ごたえありましたね。

周囲には中ノ郷や小高郷の人達、
野馬追に出なかった宇多郷の知人も見かけました。
他郷の人達は普段は23日も各々の行事があるため
客として見るのは初めてという人ばかりです。

「思ってたより、たいしたことないな」

なんて感想も聞きましたが、
内心は羨ましい・やっぱり出たかったという様子です。
場所を移動して北郷・海老原邸。
副大将への挨拶を告げる口上が聞こえてきました。

23日のレポートでも取り上げた濱名螺役長の口上
本当に素晴らしく、心に響きました。
濱名様はBTCに登録しているマイネルシーガルを所有。
一時、千葉のイグレット乗馬倶楽部に避難していて
自分も見に行きました(その時のレポート)が
今は再び相馬に戻っているようです。

いずれ相馬に戻った馬達にも会いに行きたいです。(^^ヾ
北郷の出陣式。

神棚に向けての礼螺や庭先で盃を割ったりと
初めて見る光景ばかりです。

2009年に北郷の行列も見ましたが
威圧感溢れる雰囲気にちょっと恐れ気味でした。
口上も勇ましすぎて逆に怖い感じもあり
副大将も総大将とは違う威圧感が感じられます。

……って、北郷に対して変な意識持ちすぎかな?(^^;
副大将出陣。

右の写真、副大将の馬の馬装を直しているのは
中ノ郷の人達ですね。

当日見てる時は気付いてませんでしたが
帰ってから写真をチェックしていて気付きました。

馬のこと、野馬追のことになれば
北郷も中ノ郷も無いのかもしれません。

今年、中ノ郷は馬に乗っての出陣はなく
自宅で馬を飼ってる人達にしてみれば
北郷の行事はやはり羨ましいのでしょう。

何気に撮っていた光景。
この写真は中ノ郷の人達の馬への愛情、
野馬追への想いが現れている一枚でした。
海老原邸を後にして北郷本陣へ。

初めて行った北郷本陣はとても広く
今年は観覧客もすごい数です。
どこで撮れば良いのか、何を撮れば良いのか、
流れはどうなっているのか……

口上も放送が入っていたりいなかったり
誰が話しているのか分からなかったり
本当に分からないことばかりです。(^^;
そんなわけで伝令を追ってみようと考えたのですが
馬の脚に付いていけるわけもなく
しかも思った以上に北郷本陣から海老原邸までは
距離がありました。

結局、中途半端に付いていって写真を少し撮れただけ。
右の写真みたいに6号線を横切ろうとする光景
何気に面白くも感じますけどね。

しかし非常に疲れたというだけです。(^^;
この行動のせいで、この後も疲れで動く気がおきず
行列まで見て行きませんでした。
当日朝に相馬に入ったことも原因でしょうが、23日はとても疲れました。
野馬追では、馬に触れたり野馬追に出てる知人と言葉を交わしていると元気が出てくるものですが
特に誰をという目的もなく撮影したり、大勢の観客に紛れて観覧するのは結構疲れるものでした。

思い返してみると、野馬追をイチ観覧客として見るのは初めてな気もします。(^^;
野馬追は普通に見ていると結構疲れるものですね。
まぁ伝令を追っかけたり無駄にアチコチ移動しているのが疲れる原因かもしれませんが。
普段の運動不足もあるだろうなぁ……(^^;


7月24日・朝。

若狭氏宅に泊って迎える24日。
中ノ郷の行事は11時から太田神社で行われる例大祭のみです。
朝、ノンビリと起床。
「野馬追の朝って感じはまったくしないよなぁ」
若狭氏とぼんやりとしながら話しました。
朝7時に獣医さんが来ました。
北海道に疎開する馬には注射をしなければいけません。

馬も注射はイヤがるのかな?どんな感じかな?

初めて見る馬の診察に興味深々で見ていると
獣医さんは馬の体を軽く触ったかと思うと
「はい終わり」と、アッサリ終了。

「早っ!」

5秒とかからない注射でした。
馬も何事もなかったような表情です。
今回のは特に簡単な注射のようですね。(^^;
行事の開始までまだ3時間以上あります。
家でボーッとしてても勿体ないのでちょっと外出。
街中まで行ってみましたがいつもと同じ雰囲気です。
ところどころにインフォメーションがある程度。

野馬追の朝なのに、なんだか寂しいです。
それならば、と太田神社に行ってみました。

観光交流課の人達が準備している中、
すでに気の早い観覧客も数名いました
時間までは特に何もないとのことでした。

とりあえず観光交流課の人とも久々に会えたのは
嬉しかったですね。(^^ヾ
ようやく時間が近づき出発です。
若狭氏は先に佐藤公信殿を迎えに行くというので

「副軍師殿をお迎えに上がりましたっ!」的なことを
期待していたのですが、普通に御自宅に行き
チャイムを鳴らして「迎えにきましたー」と。(^^;

副軍師も「まぁ上がってお茶でも飲んでけ」と
普通の対応でした。(^^;
太田神社に到着。
すでに中ノ郷の人達が集まっていました。

久々に会う顔ぶれ。
震災以降、無事だと聞きつつも避難していたり
仕事が忙しかったりで会えなかった人達ともようやく再会。

とにかく皆さん元気そうで良かったです。
例大祭が始まると皆、真剣な表情です。
境内は人で溢れかえり、報道関係も大勢いました。

社の中で行われる祭礼。
外にいるサムライ達も静かに見守ります。

厳粛な雰囲気です。

途中までは自分も成り行きを見ていましたが
写真を撮り続ける雰囲気でもないので
社務所前で祭礼が終わるのを待っていました。
やがて祭礼も終り直会へ。

サムライ達も緊張が解け普段の雰囲気になってました。

久々に会った國分氏や前田氏。
前田氏に千葉にいるフジサイレンスのことを話したら
「本当にあれは良い馬なんだ」とフジサイレンスのことや
震災で手放した馬の話をしてくれました。

馬をとても大切にしていたこと、
馬への思い入れの強さが伝わってきましたね。
相馬流れ山の斉唱の後、散らしの螺。

震災で皆、いろいろ大変なことと思われます。

原発に対してグチを言う人もいますが
野馬追のこと、馬のことの話になれば
楽しそうに語ってくれました。

馬に乗ってはいないけど、馬のことを気遣い
祭りの行事は縮小したけれど、
サムライの心はしっかりと胸に秘めている。

「来年こそ相馬野馬追を」

中ノ郷の人達の想いはあの横断幕の通りなのでしょう。
直会の後、大原の人達の反省会(二次会?)に
参加させていただきました。

直会でお弁当をいただいたサムライ達はともかく
周りで見ていた自分は腹ペコです。(^^;
出てくる食事をがっついていました。

サムライ達は酒を飲んで相馬流れ山を歌って
馬のこと、甲冑のこと、野馬追のことなど
大いに楽しんでおりました。


自分は先に上がらせていただき
日が暮れる前に相馬を後にしました。
2011年 相馬三社野馬追


鎮魂と復興を願い

人に、馬に

歴史に、伝統に

様々な想いを馳せて

そして時は流れていく……
▼戯れ言

と言うわけで2011年・相馬野馬追の最後のレポートを掲載です。
本当は震災から半年を迎えるころにはほぼ出来上がっていました。
しかし半年の日を迎え、改めて内容を見ていたらこのまま掲載して良いのか悩み始めてしまったのです。
ダラダラと当日の様子を書きなぐっただけという感じで
自分が伝えたいこと・感じたことを表現できていないように思えてきたのです。
……まぁ文章が下手なのは今に始まったことでなありませんが。(^^;

烏浜の写真も載せるべきか迷いました。
ただこの場所は自分にとってはとても大きな意味のある場所なんです。
被災地を見た自分の悲しみ……と言っても他所に住む自分の辛さは当事者からすれば全然小さいことでしょう。
そんなことを考えてしまうと載せるべきか迷ってしまいます。

日が過ぎていくと益々不安は大きくなり、なかなか掲載に踏み切れませんでした。
ただやはり、この写真……いえ、自分が選んだ写真には一枚一枚に意味があります。
伝えたいこと・感じたことは上手く伝わらないかもしれませんが
それでもこれからも野馬追を、南相馬を応援していくのだから
想いを込めたレポートを掲載することにしたのです。


……って、やっぱりグダグダですね自分。(^^;
キレイごとばかり並べるのは、少し恥ずかしい気持ちもありますね。
自分の心もまだまだ弱いんです……だからこそ、この言葉は自分の支えにもしています。

頑張ろう!希望を持ち!強くなる!


最後までレポートを読んでくださった皆様、ありがとうございました。

2011年 相馬三社野馬追レポート 終

23日   24日

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