心の残留物

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by,石礫

対局が終わり進藤ヒカル初段はエレベーターが上の階から来るのを待っていた。
その扉が開くと先客が一人
「うえっ!緒方先生!」
ヒカルはすこし前から、ある人物を意識的に避けてたのだが…その先客が、その人物、緒方精次十段・碁聖だった。
「なんだ、その第一声は…」 緒方はむっとした表情だった。


ヒカルは、数年間、碁の神様みたいな幽霊、藤原佐為(ふじわらのさい)にとり憑かれていた。

ネット碁でsai(佐為のHN)と塔矢行洋(塔矢アキラの父で当時五冠)は対局したが、
緒方は、それを見たらしく、ヒカルがsaiの橋渡しをしたと思い、「saiと打たせろ」と、ヒカルにしつこいほど言っていた
(塔矢先生にはヒカルとsai(幽霊とはさすがに言えない)が知り合いなのは内緒にしてもらっている)

去年の五月の仕事で緒方と一緒になったので、 十段祝いの酒を飲んでた泥酔に近い状態の緒方と佐為は打ったが。
かなり飲んでいたのに…ヒカルの前でも更に飲むし、相手はsai(佐為)なので…結果は佐為の中押し勝ちだった。
 その翌日、唐突に佐為はヒカルの前から消えた。
ヒカルは佐為が居なくなったすぐにはそれを信じられなくて、あちこち探しまわり、そして、いないと判ると…
碁を打たなければ、佐為が自分の元に戻ってくる気がして打てなかった。
佐為が居ないのに…気が付けば、無意識に碁の事を考えてしまうのに…碁を思う事を否定する事で…自分を戒めていた。
 伊角に促され碁を打った事で、自分の中に佐為の碁が存在し、碁盤が佐為に会える場所と気付かされヒカルは碁の世界に戻った。

藤原佐為は碁の師匠で理想で目標とする存在と、ヒカルは思っている。


佐為と緒方に対して「佐為が消える事を気が付いてやれていれば、二人にちゃんとした碁を打たせる事が出来たのに」と後ろめたい気持ちと
…saiとは、もう打てないが、「saiと打たせろ」と緒方が今だに言うのでは……と思うようになってしまっていた。
ついつい、彼を避けるようになった。見かけても、隠れたり、視線を合わせないし…塔矢と碁会所で打つ時も会わない日をなるべく選び、
例え、会って声をかけられても、挨拶もそこそこで、ヒカルは緒方から逃げ出していた。


「こ…こんにちは。あ、オレ、次のにするんで、行って下さい!」
「なんで、わざわざ…乗れば良いだろ…」と緒方は上背があるので、ヒカルより高い位置から睨み付けてくる。
その迫力にヒカルは負けて… で、乗ったは良いのだが二人っきりというのは…沈黙と緊張感のある気まずい空気だ。
エレベーターが下の階に付くまでの短い時間が今日はやけに長く感じる。
「今日、先生、対局だっけ?」
「上の出版部に用があった」
「へー」
「北斗杯、悪くはなかったな…」
「あー、でも、二戦とも負けちゃった…ですよ。」
「所で、進藤…saiは…」
「オレ、今回の若獅子戦…」
「二回戦、アキラ君と当ったんだろ。…で、」
「あ!緒方先生!本因坊戦挑戦者になったそーで、桑原先生へのリベンジなるか!…ですよね。」
「ああ、今度こそ確実に倒す!…所で、さっきから…お前、話ごまかそうとしてるだろ」
「ええっ、そ、そんな事…無いよ」
「saiは塔矢先生と打って以来現れなくなったな」
「そーだね(やっぱ、悪い事したよなぁ…。ダメだ!ここで、そう思っちゃ!!ま、負けるかっ!)」
「これから暇か?」
「…いっ、忙しいっ!…えっと…これから塔矢と打つ約束で!」
ヒカルの言葉(実は嘘)に納得顔の緒方。が、
「ちょっと待て!アキラ君は今日は仕事で地方だった筈だが!」
「ははは…そーだっけなぁ」
苦笑いするヒカル。緒方と塔矢は同門…スケジュールを聞かされてたのだろう

ちょうど、エレベーターが下の階に付いた。

「さよなら!(三十六計逃げるが勝ち)」微妙に間違って覚えて居る言葉をヒカルは心の中で呟きながら逃げかけるが…
「進藤!メシ奢ってやる!」との緒方の言葉…
「奢りですかっ!(あ、しまった…)」ヒカルは食べ物につられてた


鮨や鰻とか、とにかく高級な所をヒカルは期待したが
「ラーメン屋かよ……塔矢とも来た事あんの?」
「無い!アキラ君だと気を使うから連れて来れねェよ。」
「うわ、意外!意外に気ぃつかい?見えねー」
「塔矢先生の息子だぞ。一応、門下生だし気を使うだろ。」と緒方は答える。
「だってさぁ、先生って、自己チューって感じだから。」
不意に緒方はじっとヒカルを見詰める…ヒカルはドキリとして、すぐ視線をどんぶりに戻すが
「本当はそんな事無いんだが…」と、いつもと違う表情で優しく微笑む緒方を見てしまい。ヒカルは顔が赤くなる。
そんなヒカルの反応を見ると、緒方はいつもする意地悪そうな笑みをした。
「…なんか…すげー悔しいっ!カンジ悪っ」
それに気がついてバカにされたとヒカルは、緒方に悪態をつく、その割に嬉しそうな表情をしていたが…

食べ終わり、ヒカルは緒方をほうを不意に見ると、彼は、眼鏡を取って、それを拭いていた
はじめて見た緒方の素顔に、ヒカルは何故か『眼鏡を取ったら美少女』と言うフレーズを思い浮かべる
「(や…やべっ、カッコイイ。しかも…思ってたより若いんじゃないの、この人?)」
裸眼では見辛いのか微妙にしかめっ面をして眼鏡を拭いて居るのだが…その表情が以外なほどイケメンなのである。
ヒカルが、驚きのあまりボーっと見ていたら、緒方はその視線に気がついたらしく、
「どうした?オレに惚れたか?」
緒方の言葉にヒカルは固まる。言葉の意味を理解できるのにしばらく経った。
「……ち、違う!!そんなん無いっ!!!」ヒカルは顔を真っ赤にしながらも、力いっぱいに否定。

「…御馳走様でした!じゃ、さよなら!」
やっぱ逃げよう!と思いヒカルはさっさと店を後にする。会計を済ませた緒方がすぐに出て来る。
逃げるように何メートルも先に行くヒカルに気が付くと、慌てて声をかける
「進藤、待てって!なんで逃げるっ!!」

その声に聞こえないフリして逃げれば良いのに…ヒカルは不思議と嬉しい気がして…思わず、立ち止まった…
緒方が傍に来ると、ヒカルは自分の感情を悟られない様に平静を装いながら…
「なんすか?メシ食ったし、緒方先生、もう、オレに用なんて無いでしょ?」
「……………車だから、家まで送ってやるよ。」

緒方の愛車RX-7に同乗させてもらう。車内での沈黙から逃げたくて付けてみたラジオからは海をテーマにした曲が流れていた。
「このまま帰るのもつまらんし…どこか行くか?」
「…じゃ、お台場。」



目の前に広がる東京湾を眺めながら…
オレは煙草をふかし、進藤は話題に事かかないのか…一方的なほど、言葉をまくし立てて居る。
いや、まくし立てる事で、オレが言葉を挟めない様にしているんだろう。

「…そんなにオレの話は聞きたくないのか?」進藤の言葉が止まる。訪れる一瞬の沈黙…。

「進藤……オレは、saiと今でも打ちたいんだ。」
呟く様に言った言葉に、進藤は酷く困ったような顔をしていた。

「…佐…sai……は、ダメだよ」

進藤は…塔矢先生やアキラ君に言う事はあっても、きっと、オレには、saiの事を隠しつづける。それこそ、一生…。
saiこそ…進藤の師匠と密かに気付かされてもだ。
あの晩のお前は…saiのようだった…。saiが師匠であれば…あそこでsaiの癖が出たとしてもありえない事じゃない…
酔っぱらっていたと言い訳ならできるが、自分の中では言い訳の出来ない、してやられた対局。
そして、今だに頭から離れないのが…あの笑顔…。

「ダメ?」
「そう……」
進藤は苦しそうな表情を浮かべる。
どうあっても庇おうとする気なのかとイライラする

オレは…saiと言う存在に尊敬の念を抱く反面…進藤の心を占める存在で在る事が……憎いのだと思う。
打ちたいと言いながら…面と向って文句の一つぐらい…言ってやりたい…そう言う感情があるのも間違い無かった。

「どうして、そう言い切れる?」
「…だって……もう無理なんだ」
そう呟いた進藤は今にも泣きそうだった
「…もう?」

オレはやっと進藤の言いたい事が分かった気がした……

「お前…それであんなに休んだのか…?」

 saiは、もう居ない。

多分、あの月夜の晩以降に進藤の前から居なくなった。それも突然に
だから、進藤はsaiへの思いに縛られている…いや、居なくなった人間の思い出に縛られて居る…。

「……と、とにかくっ!オレで我慢してよね。」
「ちゃんと上がって来ないと、我慢できないな。」
「すぐ上がるさ!先生のタイトルだって奪ってやるんだから!…だから、オレがタイトル奪うまで待ってろ!」

目の前に居る棋士の言葉は宣戦布告。そして、オレはその宣戦布告に受けて立つ。

「ああ、待っててやるよ。ずっとオレに挑戦しろ。」
「……それって、防衛するって事?」
オレはそうだと笑った。そんな事させないと進藤は笑う。

必ず、こいつはオレの前に来る。これは、予感じゃない、確信だ。それも、近いうちに戦うべき好敵手。
 なのに…何故、オレは進藤の事がこんなにも好きなのだろう…



緒方先生…ごめんね…佐為の事、言えなくて……
きっと、先生と佐為を重ね、どこかに佐為を見てて、比べていると思ったけど…佐為への気持ちと何か違った。なんとなくドキドキしてた…
いや、きっと、あの時の事が心に引っ掛かってる…それだけ?謝れば良いんだ…謝ってどうするんだ?
今更…
 「藤原佐為は平安時代の棋士の幽霊でした。」
 「佐為は本因坊秀策でした。」
 「12歳の冬に憑かれ14歳の春に消えました。」
 「佐為が最後に打ちきった人が緒方先生でした。」
なんて…絶対に言える訳ない。
あんな碁を打たせてしまっておいて…。「打たせろ」と言われた時に打たせるべきだったのに…
だから、先生に「sai」の事聞かれるのが怖くて逃げてた。思わず、佐為の事、言ってしまいそうになるから…。

佐為を失ってから感じた罪悪感で見えない壁を作って…心に触られない様にしてたのに…この人は簡単にその壁を壊してしまう
絶対に言えない言葉の代わりに…奥底に閉じ込めてたもう一つの言葉がオレの心を占める…

いつの間にかオレは先生の胸に額をくっつけて寄りかかる様にしていた。
すぐ傍で先生の呼吸と鼓動を感じる それは命ある存在の音…そんな気がして、躊躇ってたもう一つの言葉が自然に口を突いて出てた

「…好き…大好き…」

言った後で、言った言葉に気がついた。真っ赤になったのが自分でも分かった


「………はははっ」
「…っ!今のはそんな意味じゃなくて!……もー、なんで笑うんだよ?」
何故か大笑いの緒方に憮然としてしまうヒカル
「ホント、素直じゃねぇな。おまえって…」
「なんだよ!それ」
「おまえはオレの事大好きだって、バレたくなくてオレの事避けたのか?」
「なっ…そ、そんなんじゃ無いって!!」
ヒカルは図星を指された気がして思わず言い返すが
「だったら、嫌いなのか?」
「…嫌いじゃないけど。」
「じゃあ、好きなのか?」
「……だから、それは…………うん。好き…だけど…」
「どんな意味で?」

「…………好きだよ。大好き!そう言う意味で!!これでイイかよ!」
「そうか。…オレも好きだぞ。」

真面目な顔して自分を見つめる緒方に、ヒカルは目を見張った…
「え?あ…あの…ちょ、ちょっと待ってよ。それって…そう言う意味?」
「ったく、聞き返すなよ。…だから、デートしてるんだろ?」
「いつのまにデートになってたの?」
「さてな。」
離れてた二人の距離が急速に埋まって行くのを感じた。


「でも、もしも、saiの正体を教えてあげるって言ったら…やっぱり知りたい?」
「…今更、知った所で、結局、同じなんだろう?」
「そうだね。」

「いなくなったヤツの思い出は、良い思い出以外残らない…ある意味…敵わねぇよ。思い出ってやつには…」
「なら、先生とも良い思い出残るかな」
「オレは消えねぇよ」
「あはは…確かに、緒方先生だったら、絶対、消えそうに無いもんね。」
「…お前は?」
「消えないよ。先生がいらないって言わない限りね」
「言うかよ」


FIN
後書き:日記でオガヒカ試作を読んだ人には、蛇足がついた物(滝汗)会話シーン書くのが好きなんだよ