おしえて、恋のイロハ。
Teach.3 見つめていいのかを、おしえて。

 
 
 翌日。打って変わっての雲ひとつない青空がどこまでも広がっている。
 聞こえてくるのは、ふとんをたたく音、子供たちが円を描くように走り回っている靴の音、そして楽しそうな声。休日の、平和な住宅街。
 そして私の目の前には、1軒のアパートがある。
 2階建てで、上下3戸ずつというこじんまりとしたものだ。
「ここまで来ちゃったけど…」
 私の目的はそのアパートの2階、左端にあるさびれて今にも崩れ落ちそうな感じが不安をあおる階段を上り、その突き当たり…ここのアパートの中で遠くにある部屋にある。
 このアパートの全ての住民が使用している、名前が連なるポスト。その中に『木下』の文字を見つける。
 木下先輩はここで1人暮らしをしている。中学から高校に進学する時に父親が突然転勤になったらしく、高校も既に決まっていた先輩はそのまま残ることにしたという話だった。
 ここは、その当時から住んでいる場所だ。
「迷ってても、仕方ないよね」
 誰に宣言しているか分からないけど、自分自身で気合を入れるには充分。
 どうしても、確かめたいことがあるから。
 どうしても、聞きたいことがあるから。
 それが、私の原動力。
 
 玄関先に着いて、いつものようにドアをノックする。
 ここにはドアチャイムがない。だけどそれゆえに、そのノックの仕方だけで誰だか分かるようになったと木下先輩は言っていた。
 そしてその中に私も含まれている。何度か来たことがあるのもそうだけど、私だけのサインがあるということだと思うと、なんだかくすぐったく感じる。それこそ、恋人のような感覚を味わえる一時だった。
「はーい、どちらさまですか〜っ?」
 ところが今日は、誰だか分かってもらえなかった。というか違う、そもそも声が木下先輩のものじゃない。
 ここは木下先輩の部屋、何度も来ているんだから間違っているはずがない。だけどどう考えても聞こえてきたのはどこか子供っぽく聞こえる女の人のものだ。
 重々しくきしむ音が聞こえる。ドアの開く音だ。
 部屋を間違ってしまったのかも、とどこかで思っていた私は、このもう逃げられない状況に息が止まる。
「あぁーっ!」
 そしてその息を飲んでしまい、私はのどが詰まって咳き込んでしまった。
 なにせ、ドアから人が現れたかと思うと突然私に指をさしながら大声を出されたのだから。
「お兄ちゃん!女の人!女の人が来てるよ!」
「…おにいちゃん?」
 私が咳き込んだことを全く気にも留めていないように部屋の奥へと走っていくその後ろ姿を見ながら、私はつぶやく。
「来てしまったのか…近づかないでくれって言ったのに」
 部屋の奥から現れた木下先輩は額に手をあててため息をついていた。さっき木下先輩のことをお兄ちゃんと言っていた女の子はその周りではじけるように飛び跳ねたり指でつついたりしていた。
「ねえねえ、この子彼女?彼女?」
「そんなんじゃないから、かなめはちょっと黙っててくれ」
「はうっ」
 木下先輩が女の子の口を押さえる。女の子は手足を大きく動かしながらまだ何か言いたそうに声をあげているけれど、全く何を言っているのかは分からなかった。
 木下先輩が一人暮らしをしているこの部屋は、玄関を入って両横にキッチンとトイレ、そしてその奥に6畳ほどの部屋がある。
 マンガ雑誌や雑誌が数冊転がってはいるけれど、床が見えないというほどのことではなく、むしろ男性の部屋としてはきれいに片付いている印象だ。テレビの横にはロボットかなにかのフィギュアがコレクションケースに入っていたりして、やっぱり男の人なんだなぁと思ったりする。
 部屋の中央に置いてある丸く白いテーブルには、ジュースが2つ。ここで今まで2人でゆっくりしていたのだろう。
 ところで、今の木下先輩の言葉でひとつ気になったことがあった。
「私の名前、呼ばなかった?」
「はぁ…面倒なことなんだけど、こいつは妹でかなめっていう名前なんだよ。なんか急に休みができたからっていきなり会いに来るなんて言い出してきて」
「は〜い!木下かなめ、高校2年生ですっ!ねえねえ、彼女さんですよね?お兄ちゃんとはどこま…ふむぐっ」
 いつの間にか抜け出していたかなめと呼ばれた女の子。今度は言い終わるまでに口をふさがれていた。
「さっきも言ったように彼女じゃないから」
「は、はじめましてかなめさん。私の名前、近葉かなめっていうの」
「わぁ…同じ名前。ふふっ、妹と同じ名前にするなんてお兄ちゃん、やるぅ」
 そう言いながらかなめさんはまた木下先輩をつつきはじめるが、もう諦めたような顔で今度は止めようとはしなかった。
 …自分と同じ名前を呼ぶのは凄く違和感があったけれど、仕方がないことだと思う。
 これまで何かと息つく暇もなかったので、ここではじめてかなめさんのことをちゃんと見てみる。
 元気なイメージによく似合っている高めに結ったポニーテールがまず目に飛び込んでくる。目がビー玉のように丸く大きくて、口もおしゃべりなことから来ているのか少し大きめ。だけど、常に機嫌良さそうにニコニコと笑っているので、その口はむしろチャームポイントに感じた。
 スタイルは…うーん、ちょっと負けちゃってるかも。特にピンクを基調にした上着から出ているふくらみのところとか…
 と、その時視界からかなめさんの姿が消える。
「え?…ひゃあっ!」
「うわぁ、ふかふか〜!やわらかい〜」
 いつの間にか私の後ろに回りこんで、私が今見ていたかなめさんのふくらみと同じ場所をつかまれていた。
「あ…きゃっ!くすぐったいっ」
「やめろ…恥をかかせないでくれ」
 しばらくされるがままになっていた私を救ってくれたのは、やっぱり木下先輩だった。
 手が離れたかと思うと、しばらくしてさっきも見たような首をつかまれて手足を大きく動かしているかなめさんの姿が目に入った。
「だから近づかないでくれって言ったんだけどな…こいつが来ている間、もし会ったらややこしいことになることは分かってたから。迷惑だっただろ?」
「あ…えっと。全然そんなことないよ。かなめさん、かわいい」
「ムリしてほめなくていいから。調子に乗る。ところでここには何をしに」
「ううん、なんでもない」
 だって、聞きたいと思っていたことは解決したんだから。
 なんだ…『近づかないようにして欲しい』って、そういう理由だったんだ。
「それならあまり来て欲しくなかったんだけどな。うるさいのが2人いるのはかなわない」
「お兄ちゃん、うるさいのって何よ!」
 かなめさんがいち早く反応するけれど。
「どさくさにまぎれて私までうるさいの扱いされちゃうんだ…」
「かなめお姉ちゃん、もうこうなったらお兄ちゃんをひどい目に合わせるしかないよね?」
 いつの間にかかなめさんが私のことをかなめお姉ちゃんと呼んでいる。ここまで『かなめ』という言葉が多いと、確かに木下先輩としては混乱してしまうかもしれないけれど。
「そうね、ひどい目に合わせないとね」
 なんだか、かなめさんとはいい関係を結べそうな気がした。
「な…なにを2人して怖い顔してるんだ…」
 そんな私とかなめさんの雰囲気に、木下先輩は後ずさっている。
 でも、当然だと思う。これだけ私のことを振り回しているんだから。
 
 だけど、このみ先輩に言われた言葉がまだひっかかってもいる。
『かなめちゃんは妹のような存在だって』
 今はこうして近づいていられるけれど、やっぱり私もかなめさんと同じように妹のようにしか見られていないの?
 だから、まだ疑問に残っていること…
 
 これからも見つめていいのかを、おしえて。
 
 

          

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