ピュア・ハート 最終回
「はぁ、はぁ・・・・由美ちゃん、おはよっ!」
私はいきせききらして教室に飛び込んだ。今日ほど、教室までの道のりが遠く感じたことはなかった。
「お、おはよ・・・・どうしたの?なんか急いでるみたいだけど?」
由美ちゃんの表情が驚きに変わっている。
でもそんな人の表情を見ているような余裕を見せる前に、私はすぐにでも聞かなきゃいけないことがある。
菊池くんの席が空いている。かばんも置いてない。それから考えられることは限られるけれど、確認しないといけない。
「ねぇ、菊池くん・・・・見なかった?」
私は疲れた体にムチ打つように、言葉を発した。
「えっ?菊池?まだ見てないけど」
その言葉で私は百パーセントの確信を持った。
私の家から葉埼くんの家を通過してここ、学校まで来る方法といったら、一本しかルートはない。もし他の道を通ったら、完全に遅刻してしまう。
その道で私は学校に向かっていた。なのに会わなかったってことは、つまり・・・・
「ちょっと理恵!どこ行くのよ!」
そう、どこかの道でそれているとしか考えられない。それが自分のせいだとしたら・・・・探さなきゃ!
音楽室、菊池くんの友達がいるクラス、トイレの中・・・・はちょっと無理があったけど、とにかく学校の中かも知れないと考えて探した結果、やっぱりいない。
学校の外・・・・それしか考えられない。
最初に調べておけば良かったと思ってももう遅いけれど、菊池くんのげた箱の中には上履きしか入っていなかった。
学校の中ではないことは、これでわかった。
私はそこで少し立ち止まって考えたけれど、やっぱりたまらなくなって始業時間のことも忘れて、外に飛び出していた。
菊池くん…と何回もつぶやきながら私は走った。それもほとんど回りには聞こえない声だと思う。それほど私は走り疲れている。
無我夢中に疾走していた。
自分の体は、二の次だった。
ここで菊池くんを見つけないと、きっと二度目は訪れない。そう思って、その一心だけで走ってる。
たびたび、もっと体力をつけておけばよかったと後悔しはじめている。
背中で揺れているかばんも、学校に置いてくればよかったって今頃思っても遅かった。
もはやスタミナも切れかかっていて、端から見ると競歩に見えるくらいかも知れないと自分でもわかる。
あの時応援してくれていたように見えた電柱や道路。それらにも裏切られたように私の足取りを重くする。
キーンコーンカーンコーン・・・・
ついに学校のチャイムが鳴ってしまった。
今から学校に行っても遅刻するだけ。もう学校のことをずっと考えられるような余裕もないほど、体力的にも、精神的にも、疲れはてていた。
とにかくどこかで休みたい。私はそう思って、足を引きずりながら近くの公園へと向かっていった。
つい三十分から一時間前はにぎやかだったこのあたりも、ひとたび九時前になれば、人もあまりいない。
小鳥の楽しそうなさえずりもゆっくり聞くことができる。
夏に向かって太陽がぎらぎらと輝いているが、公園には緑がいっぱい。木陰に入ると十分に涼しい。
その木陰では一人の学校をさぼったらしい男がベンチで寝転んでいる。人はそれくらいだろうか。
本当はだめなのにね、学校をさぼることなんて。結局自分もそうなってしまったけど。
「やっぱり向いてないのかな。私が恋愛することなんて」
真季さんの言葉が、今度はだんだん遠のいていくような感じがする。
というより、残念だけどできなさそうな気もする。
自分だけ気分良くなったりして、恋愛って簡単なものだったんだって思ってたけど、やっぱりそんなこと、ないんだよね。
自分から行動しなきゃ、なにもはじまらないっていうのに。
前々から、自分は人に頼ってばかりいた。そんな女の子が普通の恋愛なんて、できるはずがないんだよね・・・・
「少し・・・・休もうかな」
いい加減今までしようとしなかった、自分を振り返ることをやめて、ベンチに座ろうと、その方向に歩き出した。
私の足が一回一回砂を踏み締める。
なんだかその度に、ベンチにいる人が、どこかで見たことのあるような人に見えてくる気がする。
「まさか・・・・ね」
絶対、そうだよね。今まで散々探していなかったのに。
(これでいた!なんてことになったら私・・・・)
「いくらなんでも、そんなことって・・・・」
それがあった。ベンチで寝転がっていたのは、菊池くんそのものだったのだ。
「き、菊池くん!」
目をつぶって何かを考えているのか、まだ気付いていない。
ふと、菊池くんの目がぱっと開く。
「よし、こうなったらバシッと・・・・」
そこで私と菊池くんは目が合った。
菊池くんは驚きを見せながら大きく口をあけている。
頭の上で、小鳥が間を狙っていたくらいにちょうどいいタイミングで鳴いている。
あたりの空気が、一瞬止まった。
菊池くんはその後、やっと動きだしはじめたと思うと、急に叫んだ。
「うわわっ!な、なんで崎野さんがここに!」
「び、びっくりしたぁ・・・・」
つい二十分前にあった出来事を前提ともせず、私はただただ驚くばかり。菊池くんも同じらしく、
「び、びっくりしたのはこっちだよ!なんで崎野さんがここにいるのさ!学校はとっくに始まってるんだぞ!」
「それ菊池くんが言えることじゃないと思う」
私は口の中に空気をたっぷり含ませてそう言った。
「そ、そりゃそうだけど・・・・さ」
「私の・・・・せいなの?」
少し落ち込んでいるように見える菊池くんに、私は今一番聞きたいことを言った。
「私が葉埼くんにあんな風に言われたから?」
ちょっと間があいた後、菊池くんは答えた。
「かもしれないな」
「で、でもあれは!」
必死の言い訳、いや、真実を言おうとした私。だけど、
「知ってる。作ったことだろ?あいつが」
菊池くんは・・・・そのことを知っていた。
「じゃあ、どうして・・・・」
私はとても聞きたかった。それならなぜあの時、葉埼くんに反論しなかったのか。
「わかんないな。なんでだろうな。あの場面見てて、似合ってるって思った自分が・・・・悔しかったのかもな」
なんだか菊池くんが、また寂しい表情をしてる。
「私と菊池くんじゃ、似合わないの?」
もうここまできたら、本音を言うしかなかった。私の気持ちを、はっきりと。
「俺には不釣り合い過ぎる。絶対、後悔するに決まってる」
「こ、後悔だなんて!だって私は、菊池くんのこと・・・・」
今まで十分に本音を言ってきたのに、なのに、最後の一言がなかなか出ない。
怖くて・・・・その先が言えない。
でも、菊池くんはそのニュアンスを受け取ってくれる。
「俺なんか・・・・なんの取り柄もないぜ?」
「私は・・・・知ってる。今まで二年間、ずっと見てきて知ってるから!」
このくらいの言葉が今の私には精一杯だった。
再び意識してしまい、私と菊池くんは黙ってしまった。
けれど、今度の間は短かった。
「じゃあさ・・・・」
口を開けたのは、またも菊池くんだった。そして、その後の言葉は・・・・
「俺のこと、もっと知ってもらってもいいってことだよな?」
「えっ?」
私は声にならない声を出した。
菊池くん・・・・赤い顔してる。もしかして、今の言葉って・・・・
「もっと俺のこと知ってくれよ!」
私は今の菊池くんの言葉で、やっと心の中で確かとなった。
と同時に、私は菊池くんの腕の中へと飛び込んでいた。
初めての好きな人の胸の中は、とても暖かかった。
「ねぇ・・・・学校、どうしようか」
私がそう菊池くんに言った時、公園にあるたった1つの時計はすでに九時十五分を指していた。今から学校に行っても、一時限目の授業に間に合わない。
「そうだな、どうせだから、思い切って休まないか?」
「じゃ、どっか遊びに行きたいなぁ・・・・」
私は菊池くんの体にすりすりと近寄った。そんな私を見てか、菊池くんは赤くなりながら、一つの提案をした。
「よーし、じゃあ今日は俺のお勧めのところに行くとしようか!」
「うん、行こう行こう!」
「よし、決まり。じゃ、今日は崎野さんのおごりってことで!」
「えーっ!どうしてそうなるのー?」
今財布の中、いくら入ってたっけ・・・・
「ははっ、まあいいじゃないか」
そんな私の不安も気付かずに、菊池くんはいまだ笑い続けている。
「もう、今回だけだからね」
そうして私たちは学校とは反対側の、街へと向かっていった。
そんな私たちを祝福するかのように今日も青空が広がっている。
この青空のように、澄みきった関係にいつまでもいたい。そんなことを私は思いながら、菊池くんの腕に自分の腕を絡ませながら歩いた。
菊池くんのさっきの言葉、不釣り合いだって言ってたけれど、私はそれを否定するような仲になりたいと願いながら・・・・
その後の葉崎君と菊地君の二人はというと・・・・それがうまくいっていたりする。
「おはよう、理恵ちゃん!」
「おはよう、葉埼くん」
「よう、正樹。いやー、すさまじくいい天気だよな」
お決まりの二人。一か月たった今も、何も変わったことはないみたい。
「ったく、幸せものはいいよな、本当。見てるとむかつくくらい」
正樹は冗談半分に、コツッとたたく。首を絞められながらも、笑いながら続ける。
「大丈夫なのか?芋の煮えたもご存じないっていう言葉がぴったり当てはまるくらいの女の子だぞ、理恵ちゃんは。果たして菊池につとまるものか・・・・」
「なに?『芋の煮えたもご存じない』って」
「ははっ、帰って国語辞典でも引いてみな」
そこで菊池くんは間を割って話し始めた。
「世間知らずってことだよ。まったく、大きなお世話だ。平気だよ、まったくわたすつもりはないからな」
「あっ、そ」
顔は冷めても、首を絞める勢いは、さっきよりも数段増していた。
「へー、すごいすごい!菊池くん、すごい物知りー!」
葉埼くんは一つため息をつきつつ、
「ちぇっ、言うんじゃなかった。余計にひかれあっちゃってさ」
「ご協力、感謝するよ」
「ったく・・・・」
こんな感じに、順調に私たちは付き合っている。
そんな雰囲気の中で私は思った。これからもこんな関係を続けていきたい・・・・と。
次に何が起こるかはわからない。でも、菊池くんと一緒に乗り越えていきたいとも思う。
そう私は心に思いながら、今日という日も過ごしていった。
明日という未来に、幸せな出来事があると信じて・・・・