Hope
 
 
「もういやだ!話なんか聞いていられるか!」
 タカシはもうこれ以上頭を痛ませるわけにはいかないという気持ちで頭がいっぱいになっていた。我慢も限界に達し、立ち上がって家を飛び出していた。
 それから何分経ったか、この夏の陽射しが肌を刺す中で息さえもできなくなりそうなほどになった頃だった。毛穴から汗が、顔だけに限らず体中から吹き出し、地面へ落ちていくのがわかる。もうこれ以上走れない、と感じたところでタカシは足を止め、膝に手を置き、肩で息を整えることにした。
 あんなわからず屋の親なんていない方がマシだ、タカシは今にも叫びそうなのを残った理性で止めつつ、そう考えていた。
 いつも見慣れた住宅街の一角、何気ない風景が、すべて憎らしく思える。何も考えることなく立っている電柱など、蹴り飛ばしたくなるほどだ。
 タカシには悩みがあった。今もそれで親と口論になってしまったのだ。
 そう、それはつい数分前のことだった・・・・
 
『当市市長、市民税をさらに減税へ』
 今日の朝に新聞に折り込まれていた市の発行している広報誌には、見開き一ページにまでこの記事が及んでいた。そしてこのあとの親の言葉が、タカシの心を乱すきっかけとなってしまったのだ。
「市長さんってすごいわよねぇ・・・・市民税また下げるって。やっぱり真面目そうな人だから、いろいろと努力しているんでしょうね。ま、頭のできが違うってところかしら・・・・あ、ホラ、あんたも」
 その時タカシは、引いてはならない引き金を引かれたような気がした。もうすでに悪い予感をしていたのだ。
「なんだよ、また俺の将来の話かよ・・・・」
 今までも幾度となく、このような流れでそういう話をされていた。自分の将来のこと、もちろん気にはしていたけれど、あまりいろいろ調べたりとかはしていなかった。とはいえあまりにしつこく言ってくる親に、ストレスは他の何よりもたまっていた。
「あんただから言ってるの。まったく、高校三年の夏にもなってそんなにぼんやりしていて・・・・市長さんのツメの垢でも飲ませたいわ」
 そしてその瞬間、頭の中の導線を、ハサミか何かで乱暴に切り刻まれた音がしたように、タカシには聞こえた。
「なんだよ、それってどういう意味だよ。まるで俺がぜんぜん勉強してないみたいな言い方じゃないか!」
 しかし確かに親の言うとおり、家ではそこまで熱心に勉強をしていたためしはなかった。夏休みだから追い込んでいかなければいけないことだって、頭ではわかっている。でも学校ではきちんと真面目に取り組んでいるつもりだし、自分で言うのもなんだが、成績もさほど悪くはない。
 ただそれは学校の勉強の範囲内でテストをして、よい点を取ればいいという、目に見える目標があった。しかし今、この夏になってから、いったいどうしていけばいいのかがわからなくなってしまったのだ。単に学校の勉強だけでは片付けられないことが。
「だいたい、一体何になればいいのかなんてそう簡単には決められないし、それもわからないうちに何をどうしろっていうんだよ!」
 そう、やりたいことが見つからない、それが悩みだった。どういう進路を考えたところで決め手に欠けていたからだ。だからそれを無神経に話に持ち出す親にタカシは一種の幻滅感を抱いていた。
「だからいい大学に入ることができれば、そこそこ安定した職業につけるんだから・・・・今は不景気だし、そうすれば間違いは・・・・」
 タカシにとっては自分には何ができるか、何をしていきたいのかを見つける時間が欲しかった。要するに怖がっているのかもしれない。この高校三年になって自分が将来、どのように生きていくのかが。それを強引に押しつぶそうとしている親の考えは、到底タカシの納得できるものではなかった。
「もういやだ!勝手に俺の将来をいろいろと決めようとして・・・・もうこれ以上そんな話なんか聞いていられるか!」
 こんな家に果たしていつまでもいることができるだろうか。それさえも保証できなくなってきたタカシは、ここを出ることで苦痛から逃げ出すことにしたのだ。
 
 日がやがて見上げなくともまぶしいほどの位置になっていった。その切ない色の光につつまれていると、さらに現在の自分の孤独を強調しているように思えてくる。
 タカシは駅前の繁華街に足を運んでいた。自宅に帰っていく車で渋滞が起こっている。その騒音が、動き出す度に別れを告げていく。 もうすでに時は夕暮れ時を迎えていた。しかし今日は家には帰りたくない。どこか泊めてくれるところはないかと探してみても、今日に限ってどこの友達も親戚が来るだとか、出かけるだとかの理由で、口裏を合わせているのかと疑ってしまいそうなほど、ことごとく断られてしまった。
 このままではこんな人の往来が激しいところで野宿するか、夜を明かしていくしかない。 いや、そんなことになってたまるか。何か手段を見つけなければ、とタカシは自分を奮い立たせようとした。だがお金を持ってこなかった今、自分にできることといえば、なんだろうか。
 その答えはそう簡単に見つからないということは、タカシもすでに予感していた。だからといって立ちつくしているわけにもいかないのだ、タカシはこの繁華街をさらに奥へと進んでいった。
 
 ネオンの光が自分の前を流れていく。まるで昼間と変わらない。しかしひとたび空に目を向けると、真っ黒に塗りつぶされているキャンパスの中で瞬く星達が踊り、この狭苦しい世界を見下ろしている。あれだけ激しかった車の通行量もいつしか少なくなっていた。
 結局タカシにはあてがあるわけでもなく、ただ無駄な時間と労力を使うまでだった。
「ああ、くそっ!もうどうとでもしてくれ!」
 瞬間、自分に視線が集まるのを感じた。もう人の目も気にならなくなるほど神経も太くなってしまったらしい。ケンカでもしてやろうかとの意気込みで一人のサラリーマンらしき男に目を向けると、その男が後退りはじめた。すると回りの人々もそれを合図にしたかのようにその場から離れていく。
 そうか、この時間にうろついている目つきの悪い奴らの心境というのは、こんな感じだったのか。タカシはそう苦笑しようとしたが、後ろからある気配を感じてやめた。
 振り向くと、ある一人のスーツを着込んでいる男がいた。背丈はタカシよりも一回り高く、メガネが似合っていて、足元には革靴など、いかにもどこかの偉い人だといえるような格好が、そこにはあった。
 大人の余裕なのか、しばらく同じようににらむつもりで見続けていたが、それでも表情一つ変えないその男に、タカシは強気に出ようとしても出られなくなってしまった。
 男の口元がつりあがる。にらみあいで負かしたことでのタカシへの侮辱か、もしくは、まったく相手にしていないのか。どちらだとしてもタカシにとっては気分が悪い。
「あの、いったい俺に何か用ですか」
 タカシがそう口を開くと、男は今度はわざとらしい、営業用スマイルを見せてきた。
「いや、悪いね。君のような子がこのような時間にこのような場所にいるのを、放ってはおけなくてね」
 この人はきっと悩みなどなかったのだろう。ずっとエリートコースをたどってきたに違いない。その人に説教される筋合いはないと思ったら余計に腹立たしくなった。
「大きなお世話です。いいじゃないですか、どこにいたって」
「親御さん、心配しているだろう?」
「それは、どうですかね・・・・自分勝手で、どうしようもないですから」
「ほう・・・・どうしてそう思うんだ?」
「それは自分の将来を親が決める権利などないから・・・・って、なんであなたに話さなければいけないんですか!」
 ついタカシは口を滑らせて本音を言ってしまった。でもどうしてか、この人には相談できそうな感じがする。しかし、そんな正直な気持ちまでも否定してしまう。それはあるいは、他の人が解決する問題じゃないから、と思ったのかもしれない。
「そうか。私も昔は君のようだった」
 しかしその人はタカシの考えていることとはまったく違う方向にあったのだ。
「君はおそらく私のことをさぞ子供の頃から頭がよかったと思っているだろうな。しかし実際は違う。高校の頃までまったくの勉強嫌いで、親も困らせていた」
 タカシには、返す言葉もなかった。親を困らせているのは、自分も同じだ。
「だが、頭の善し悪しで将来が決まるわけでもない。それは確かにある程度の知識も必要だが、努力さえすれば人間はなんでもすることができる。まあそれで今はこうしていられる・・・・しかしいろいろな困難があった」
 それはタカシのこれからを変える、運命的な一言だった。
「ま、なんにしてもまずは両親を信じることだ。他にもあるが、何よりも後押ししてくれるのは両親しかいない。なに、きっと熱意が通じればわかってくれるさ。やりたいことを伝えれば、な」
 タカシはこの時ほど自分が嫌になった時はなかった。そうだ、いつも親に反対ばかりしていて自分の本当のやりたいことなんて、まだ見つけられずにいる。時間が欲しいなんて言い訳ばかり並べて、本気で探そうとしていなかっただけじゃないのかと、そう思った。
 頭の中で自分の中の様々な思いが渦巻く。結論は、すぐに出すことができた。
「お、俺・・・・もうすぐ・・・・」
「帰らなきゃ、だろ?」
 タカシはその見ず知らずだった男に深く感謝を込めてお礼をし、今来た方向を逆に走った。何事かと振り向く人たちが横目で見える。しかしその目はさっきのものとは違って見えた。いつかその目が、優しい目になってくれるようにがんばらなくては、と思った。
 
 それから三か月、タカシは親に驚かれるほど堅実な答えを出した。あまりにも堅実過ぎて、疑われたほどだ。自分のやりたいことを見つけ、そして突き通したのだ。
 タカシは責任をもつことと細かな作業をすることを悪く感じないことから、ゆくゆく役所の類に勤める公務員になろうと決めたのだ。もちろん、それには大きな壁を乗り越えていかなければならないこともあるだろう。しかし不安はない。なぜなら、それは・・・・
『市長、支持率さらに上がり、過去最高に』 それは、タカシに言ってくれたあの言葉が、この広報誌に載っている人のものだったのだから。
 いつか自分も夢をかなえた時、もう一度会えることをまた夢見て、これからもがんばっていこうと改めて思う瞬間だった。
 
 
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