予行練習 
 
 
「さってと、今日はちょっと頼みがあるんだけど、聞いてくれないか?」
 それは、大学の講義が終わって一息入れた時の彼の言葉だった。
「ん、何?頼みごとしだいで聞いてあげるよ」
 私はカバンに文房具を放りこみながら、受け答えた。
 どうやらこの会話が、カップル同士のものとしか周りは見えないみたいで、お互い否定しているものの、いつのまにかこんなやりとりも冷やかされないほどに公認になっていた。
 でも、私はと言うと…
 本心は、否定していない。
 だから、冷やかされるのもそんなに悪い気分はしていなかった。
「これからさ、観覧車乗りに行かないか?」
「えっ…!何よ、いきなり」
 だから彼のこの誘いには、もう飛び跳ねるほどの嬉しさと驚きがあった。
「ここからお台場のパレットタウンって近いだろ、そこの観覧車にしよう。うん、決まり」
 勝手に決められていくスケジュール。嬉しいのは本当だけど、なんの脈絡もなくこんなことを言われても。
「ねっ、ねえ。なんでいきなりそんなこと言うわけ?」
 その直後の答えに、凍り付くことになることも知らずに…私は、彼に理由を尋ねてしまった。
 
 さすがお台場からの眺めはすごくて、ちょうど日が沈む直前なので、海がオレンジ色にキラキラ光っているのが印象的。
 …なんだけど。
 家族以外の男の人と、しかも2人きりで観覧車に乗っているのに。
 そして、私が望んでいたことだったはずなのに。
 なんだか、気分が落ち込んでいるみたい。体の力も、無理しないとすぐに崩れ落ちていきそうな感覚だった。
「なあ、こういうときどういう話すればいいだろ?」
 それでも彼と一緒にいられるのは嬉しいので引き受けたことだから、私はあまり彼のほうを見られないまま、答えることにした。
「うーん、私だったらね…」
 答えながら、さっき講義室で彼の言っていた言葉を思い出す。
 そう、今日私を観覧車に誘った理由…それは。
 
「実はな、気になる人を観覧車にでも誘おうと思ってるんだけど、もしうまく誘い出せたとして、どうすればいいかわからなくて。頼りになるお姉さんに指南していただきたいな、と思ってさ」
 
 そう、この今の空間は、本番に向けての予行練習…
 その相手に選ばれたということは、良く考えれば信頼してもらえているという印なのだろうけど。
 同時に、私のことを恋愛対象には見られていない現実も受けとめなければいけない。
「そっか、小物でどういうものが好きかって話か…本当に自分の場合の話なんだな」
「仕方ないでしょ、他の女の子のことなんてわかんないわよ」
 実際、私自身もどんな話を彼にしてほしいかもわからなくて、とりあえず自分の好きなものの話だったらできるという程度の答えしかできなかった。
「そりゃそうだ、でも参考になったよ」
「参考にして失敗しても知らないからね」
「いや、それはたぶん、大丈夫」
「えっ、大丈夫って…」
 なんでそんなことが言い切れるのだろう。私がその意味をつかみかねていると、その時に彼が。
「さて、予行練習はここまでにして」
 突然私に視線を合わせながら。
「小物って、どういうのが好きなんだ?後でなんかいいと思うのがあったら買ってやるよ」
 観覧車がちょうどてっぺんまで来たときの、彼からの嬉しい答えだった。