貸してあげる
「どうすっかな、これ…」
どう考えても男が持っているには不釣り合いな、淡いピンク色の端がレースになっているハンカチを目の前に置き、頬づえをつく。
横を向けば、その持ち主がいる。
ただ、友達と話し込んでいて自分には気づいていない。
だから、話しかけるタイミングさえ見つからない。
「あっ、血が出てる…平気なの?」
あの子に話しかけられたのはこれがはじめてのことだ。
原因は僕がボケッとしていながら歩いていたからだ。気付いた時には既に柱に鈍い低音とともに額をぶつけていた。
「あーいや、大丈夫」
まさか今目の前にいる子に気をとられていたからなんて言えるわけもなく、なんの根拠もない返事をしてみる。
額に手をあてて血がついているのを確認しながらそんなこと言っても、なんの説得力もないだろうけど。
「と、とにかくこれ使って」
その時渡されたのが、このハンカチだ。
肩を縮こませながら、僕を時折上目遣いでうかがってくるその様子と、そして何より自分の気持ちというフィルターまでかかっている状況でむげに断ることもできるわけがなく。
「ありがとう」
とまず礼を言いながら受け取って、遠慮なく使わせてもらうことにした。
「それじゃ…」
本当はよくある流れ上「洗って返すよ」と続けるつもりだったけれど、彼女はすぐに背中を向けて走っていってしまった。
ハンカチと同じ、彼女の香りを残したまま。
しっかり洗ってきれいになっているハンカチは、あとは返されるのを待つばかりになっている。
だけどその最後の仕上げができないまま、既に1週間が過ぎていた。
迷いが吹っ切れないまま、もう一度持ち主の方を向いてみる。
「あ…」
言葉が漏れたのは、自分はもちろんのことだけど。
相手も声こそ聞こえなかったものの同じように口が開いていた。
思い切り彼女と視線が絡み合ってしまった。いつの間にか彼女の周りから友達はいなくなっていたのだ。
僕の机の上には、今も変わらず置いてある彼女のハンカチ。僕から外れた彼女の視線は、次にそこに向かっていた。
ばっちり目が合ってしまったことに気恥ずかしさこそあれど、これをナイスタイミングと言わずして何と言えばいいのか。
これで行動に出なかったら逆に不自然だと言い聞かせながら、僕は拳を握り締めて気合を1つ。立ち上がって彼女の元に足を進めた。
「あの、さ」
「は、はいっ」
心なしか彼女が一歩、僕から引いているように見えた。
あまりにも声をかけるには突然すぎたのか。いや、視線が合ってからしばらく時間は経っているはずなのでそれはないはずだ。
どこか焦っているような受け答えといい、もしかしたら彼女に迷惑をかけているのかもしれない。
そうだとしたら切ないけれど、どちらにしても返すべきものは返さなければ。
「これ、借りてたハンカチ。遅くなってゴメンな」
「ううん…平気だよ。というか…えっと…」
そこまで言ったところで、彼女は視線を下に落とす。おかげでその後の言葉が聞き取れない。
「ん?」
さっきから彼女の様子が読み取れない。迷惑なのかどうかだけでも知りたいところだが、直接聞くわけにもいかない。
正直、僕は困った。疑問の声を投げかけるしかできなかった。
その思いが伝わったのかは分からないが、彼女がゆっくりとうつむいていた顔を上げた。
「そ、そうだっ…もう額は大丈夫なの?」
「もうなんともないよ。ほら」
話がつながったことにほっとしながら、額にかかっている髪の毛をかき上げる。
「あの…見えなくて。しゃがんでくれますか?」
「そっか。ほら」
多少の背の差があったおかげで今まで避けられていた、彼女の顔を真正面にして顔が熱くなりそうになったその一歩手前。
「えいっ」
彼女がいきなり近づいてきて、その額でこつんという軽い衝撃を僕の額に与えてきた。
「まだ、赤いよ。えへへ」
「え…」
「また貸してあげる。そうすれば…またお話しできるから…」
そう言って彼女はまた、あの時と同じように背中を向けて行ってしまった。
…今度も返そうとしたら、また同じようにしてくるのかな。
そんなバカなことを考えながら、僕はまた、残された彼女の香りに包まれていた。