MILD 9
IN THE TRAIN 〜SPRING〜

 僕は、心地よく揺られる電車の中で、体が固くなっていくのを感じていた。
 肩にほのかな香りを漂わせながら、かすかな重みがかかっている。
 とある高校の制服姿の、女の子だった。
 僕の乗っているこの電車は、もう中の人物がいつも決まっているようなもので、暗黙の了解とも言うべき席の入れ替えがある。
 例えばある駅で誰かが降りた時、次に座る人はいつも一定、のようなことだ。
 ただそれもだいたいといった感じで、いつもとは全く違う人が乗ってきた時や、始発の席の取り合いの状況にもよるのだろう、毎日寸分違わず、ということはない。
 僕は、いつも真正面の席についている彼女のことが、最近気になっていた。
 かわいいというだけじゃない。一つ一つの仕草が、僕の心を惑わす。
 いつか、隣の席になりたいと思っていた。
 それが、こうして現実に起こるなんて・・・・なったらなったで、信じられない。
 しかもただでさえ密着しているのに、彼女が僕の方へ首を無防備に傾けてきている。
 僕は次々に浮かんでくる不謹慎な考えを頭から振り払いつつ、懸命に彼女を支えた。
 彼女が乗っかっている右肩だけが、やけに熱く感じた。
「それにしても・・・・いつか彼女と話せる時が来ないものかな・・・・」
 でも肩に頭を乗せられただけでドキドキしている僕に、急にそんな機会が訪れたとしたら、心臓が爆発を起こしてしまいそうだ。
 それでも、彼女との接点は欲しい。こうして今チャンスがあるのだから、声をかけるのだって本当はたやすいことかもしれない。
「だけどな・・・・今、彼女寝てるからな・・・・」
 僕の降りる駅は、彼女よりも前にある。むやみに声をかけると、せっかく学校帰りで疲れている体を休めようとしているのに、それをムリヤリ起こさせることになる。
 さすがに、僕にそこまで踏み込める自信はなかった。
 だいたい、僕がどう思っていようが彼女にとって僕は初対面かもしれない。いきなり声をかけられて不審に思わないだろうか。
 僕の降りる駅まで、あと三駅・・・・ドアが開いて、また閉まる。これを二回繰り返した後の駅で、僕は降りなくてはならない。
 途端に人が降りる駅なので、座席に座っている人が半分くらいになった。同時に、そこまで来てしまったことでの焦りを僕は感じた。
 どうにか、彼女が起きないものだろうか。
 今度彼女が僕の隣に座ってくれる時が来るかどうか、見当もつかないし・・・・
 だめだ、不安は募っていくばかりでしかない。いまさら慌ててもどうしようもないのはわかっているのに。
 彼女はそんな僕の気も知らず、肩をさらに深くかけて眠っている。
 でも、なぜ今日に限ってなのだろう。いつもはこんな風に寝ていない。見たところ彼女は、うたた寝で首がガクッと大きく傾いた時にハッとして向き直るという、典型的なパターンを繰り返しているタイプなのだ。
 それが突然、完全に眠ってしまうとは・・・・
 再び、電車が減速して止まった。
「げっ・・・・もう一駅過ぎたのか」
 なんだか、とても短く感じる。普段は会社帰りのサラリーマンのオヤジのタバコ臭いのに囲まれて、早く着け!とかなのに、彼女といるとスキップしているようにさえ思う。
 そう僕が考えているうちにも、
『えー、次は○○大学前・・・・○○大学前・・・・』
 降りる一駅前のアナウンスだ。またも電車は減速を始め、止まってしまう。
 彼女の起きる気配は、いまだない。
 そのまま、僕にとって幸福の時である最後の一区間が始まってしまった。
 もうこの時の僕の気持ちは、単なる名残惜しさだけでとどまらなくなってきていた。
 今までの彼女を見ていた自分の心の整理をしてみて、改めてよくわかる。
「たぶん、好きなんだろうな・・・・この子のこと・・・・」
 そうでもなければ、こんなに見つめていたり、ずっとこの子のことで頭をいっぱいにしているわけがない。
「でも、いまさらわかってもな・・・・」
 そう、すでに電車の窓は僕の住む町の風景を映し出している。着くのも、もうすぐだ。
 僕は、彼女を起こさないようにそっと肩を抜き取る。
 それでも首を傾けてこようとする彼女に愛らしさを感じて、僕は笑いそうになりながら、速度の落ちていく電車の中で、お別れのあいさつを彼女にした。
「じゃあ・・・・また明日・・・・」
 そうさ、まだ明日だってある。明日がだめでも、あさって、そしてその次の日も・・・・
 あきらめちゃいけない。もう彼女と会えないわけではない。幸せな日はまだあるはずだ。
 僕は完全に止まった電車の中から、一歩足を踏み出した。
 また幸せが訪れる、その時まで・・・・
 と、外へ出ようとした僕は、何かにひっかかっているような感覚がした。
「あれ、腕の部分か・・・・?でも、別に何かひっかかるようなもの、身につけた覚えはないんだけど・・・・」
 後ろを振り返って、僕は驚きで、声が出なかった。その『ひっかかっていた』ものというのは・・・・彼女の手だったのだ。
 彼女が、目を開いて話し出す。
「私も・・・・ずっとあなたが気になって仕方がなかった。相手があなただからぐっすり眠っちゃって・・・・あっ、私・・・・少し目を覚ましかけていたから、聞いてしまって・・・・」
 僕の降りるべきだった駅のドアが閉まっていく。しかし僕はぜんぜん構わなかった。
 僕らの綴る物語のページは今開いたのだ。