離れていく心・第9回
時は七月二十二日、午前十一時五十分。いわば、夏休み初日の昼・・・・
なにか得体の知れないような料理を作っている姉から逃げるように散歩に出かけたその途中のことだった。
まるで森のような、理奈が偶然立ち寄った神社の中で、間違いなくそこにいるのは・・・・今でも三週間前のあの手の感触を忘れることはない、卓也だった。
突然すぎる思いがけない人物に、理奈は状況をうまく飲み込むことができなかった。
「た、卓也・・・・」
こうしてせいぜい相手の名前を呼ぶことがそれ以上ない限界。なんだかもどかしい。
「やあ、理奈。元気だったか?」
そしてその卓也の目は、夢にまで見た・・・・のはちょっとオーバーだけど、間違いもない、普通の目だった。
しかし気まずい毎日になっていた割には、今の言葉がやけに親しげだったようだった。
「ん?どうかしたか?」
理奈は卓也に逆に心配されてしまった。
(もう、人の気も知らないで・・・・)
勝手に思っているだけだけど。
でもこれは又とない、神様がくれたチャンスなのかもしれない。すぐ目の前でしっかり見守ってくれてるし・・・・それにはなんだか自分自身でも、真実味があると思える。
理奈はちょっとしたお礼も兼ねて、本殿に軽くウインクをした。
と、そこで卓也と目が合った。
「だから、どうかしたかって聞いてるんだけど」
「えっ、わ、私?」
「ほかに誰がいるんだよ」
「あれ?本当だ、誰もいない」
なぜだろう、いつのまにかさっきまで見かけていた参拝者がまったくいない。
どうすればいいかわからなくなった理奈はなぜか笑顔を作ってごまかしていた。
「あははははっ・・・・」
「理奈、大丈夫か?」
その行動にはさすがにすぐ卓也の突っ込みが来た。
改めて考えてみると、理奈もなぜ笑ったのか、わからない。
どうも卓也といきなり会ったことで、頭のどこかがショートしてしまったようだ。
なんとか笑い過ぎから立ち直った理奈は、一つ深呼吸をした。
そして、自分の今一番聞きたいことを卓也に聞くために、心を落ち着けた。
一瞬、沈黙を表すかのように、ときたま来るくらいの風が間を通り過ぎた。
自分のショートの髪が揺れるのを感じた。
理奈はそれを合図に口を開いていた。
「卓也、あの・・・・さぁ、久し振りだよね、話したの」
「そうだったっけか?」
しかし、卓也はどこかそっけない。
この時ほど姉のように人の心が少しでもわかることができるといいのにとうらやましく思うことはない。
手をつないだり、相合い傘を書かれたり、人からからかわれたこともあったのに・・・・
なんでこんな風に話をしてくれるのだろう。
普通だったら、無視くらいしてもおかしくないっていうのに・・・・
実際に、理奈もそれを覚悟していたというのに・・・・
いったい卓也に、なんの変化があったというのだろう。
「卓也・・・・ちょっと聞いていい?」
少し乱れた髪を整えていた卓也は、その言葉で理奈の方を向いた。
「あの噂のことだけど・・・・」
言い掛けたその途端に、卓也は口を挟んできた。
「ああ、あのことか。気にすんな。俺も気にしてない。あの噂好きのクラスなんだ、しょうがないじゃないか」
「そっか・・・・う、うん、そうだよね!」
理奈は妙にうれしくなった。
今、この境内には理奈と卓也しかいないのに大声で叫んでしまっていた。
「だってよ、あんな大げさに言うんだぜ。どう考えたって学校の中で話し掛けたら危険じゃないか」
(そっか、そういうことだったんだ・・・・!)
再び、理奈は神様に感謝した。
心だけではバチが当たると思った理奈は、最初の目的だったことも加えて、こう卓也に提案した。
「あっ、私そういえば願掛けに来たの。卓也も一緒にどう?」
「ん、そうだな。散歩に来ただけだけど、ついでだ。つきあうぜ」
理奈と卓也はほぼ同時に本殿のある方向に向いた。
五メートルほど先で待ち構えているようにそれはどっしりと位置している。
二人はその手前にある賽銭箱への五段ほどの階段を登り、意識的か、少し離れてそこに立ち止まった。
理奈は愛用の赤い財布をハンドバックから取り出し、こづかいの少ない理奈にとっては少し痛かったが、奮発して五百円玉を選んだ。
「おっ、五百円か。気合入ってるな。そんなにかなえたいことなのか?」
「ううん、もうかなったから」
「そっか、そのお礼ってやつか」
卓也のことだとは夢にも思っていないだろうけど・・・・
それでもよかった。一歩前進したのは間違いもない事実なのだから。
そして卓也もお賽銭の五円玉を取り出した。ご縁がありますようにということだろう。
とにかく卓也、それを見てから続いて理奈は、そのお賽銭を賽銭箱に放り込み、鈴の音みたいなのが鳴るもののひもを、卓也が揺らした。
理奈は卓也のその真剣な姿に、目を放せなかった。こうして卓也と並んでいることが、まだ信じられなずにいた。
卓也がお祈りをはじめる・・・・それと同時に理奈は前を向き、目をつぶった。
(卓也と会わせてくれて・・・・ありがとう!)
考えることは、これ一つだった。
それで理奈のほうはかなり早く終わったため、理奈が顔をあげたときでも、卓也はまだ祈りの途中だった。
その卓也の真剣な目つきに、理奈の心が揺れた。
好きなんだな・・・・って改めて思う瞬間だった。
ちょうどそう思っていた時に卓也が顔をあげたころには、その真剣さが逆におかしさに変わり、理奈はいつものノリでからかいたくなった。
「卓也、長くお祈りしすぎだよ」
「うるさいな」
「すっごく真剣だった。こーんな顔して」
まゆをよせるとかして少し大げさに理奈は表現した。少しでも、卓也に近づきたかった。
「そんな変な顔してたのか?」
「うん、してたしてた」
すると卓也の顔にかなりの速度で血が集結していくのが、理奈にもすぐにわかった。
「あー、赤くなってるー」
「だ、誰が。行くぞ、もう」
「待ってよー、照れなくったっていいじゃない!」
足早に出ていく卓也を、理奈は追った。
さっきはけっこうつらかった上りを、それこそ五倍くらいの速度で降りていく。
それが失敗だった。
気をつけてれば滑らないで済むそのものに、理奈の足がとられてしまったのだ。
もちろん、そのために理奈は前のめりになってしまった。
「きゃぁっ!」
その瞬間だったか、ふっと意識がなくなった感覚がしていた。
その間に無意識に感じていたのは、地面ではない何かにぶつかったような衝撃。
それからしばらくして理奈も意識が少しずつ戻ってきたのが自覚できたその時、すぐにわかった感触はなんだか暖かいような、心がやすらぐ気がした。
「おい、理奈!理奈!」
ほほをたたかれている、確かな痛み。
それが、理奈を起こしてくれた。
こんなに呼んでくれているなら起きなくちゃという、それだけの理由だった。
けれど、起きたときにはそんな冷静な判断をとれるような状況でなくなった。
理奈が少しずつ目を開けたとき・・・・
目の前には、気になるあの人が理奈の視界いっぱいに広がっていた。