離れていく心・第5回
理奈は教室のドアを開ける前から、クラスの中が異様な雰囲気につつまれていたことに気付いていた。
それはまだ少し早めのせいか、由紀どころかクラスほとんどがまだ来ていないこの教室の中で起こった。
まさか、こんなことになるなんて・・・・
真っ先に理奈の目についた、黒板に書かれたあるもの。
それを見て、理奈は体温が上がっていくのを感じていた。
背後では、女子のものだと思われる笑い声が聞こえてくる。それは決していい意味ではなく、どこかからかいの混じっているような声だ。
その原因はその黒板に理奈と卓也の名前が書かれた、相合い傘にある。
相合い傘のまわりにハートマークが散らばっていることは、気が動転したせいか、見ているのに頭が理解しない。
そのまますぐに理奈は黒板とは反対側、机のある方向に振り向いた。
そこでは理奈の想像通り、いたずらな顔をしているの女子が数人、固まって理奈の方を見ていた。
だけど、あくまで冗談のノリだった。理奈もこれをいじめだとは思わない。実をいう理奈も、他の女子にこういうことをしたことがあるからだ。
そんな理奈にもツケというか、ついに自分がターゲットになるときが来た。
ここのクラスの女の子はいつも、噂好きなのだ。
そんな噂好きのメンバーの中のどこからか、冷やかしのかかった声が聞こえてきた。
「何事にも積極的だよねー、理・奈!」
それには理奈も怒りがわき出る前に、あきれてしまった。ノリでやっているにしては大げさすぎる。別に積極的にアタックしたわけでもないのに。
卓也と他男子がまだこの教室の中に来ていないことが、唯一の救い。
というより、この女の子たちもたぶん、人がいるときにこんなことはしないだろう。それは理奈たちが決めた・・・・というより、マナーみたいなもの。
「私の手を引いて、どこかに連れてって、卓也くーん!」
「ようし、じゃ行くぞ、理奈!」
「うん・・・・私、卓也くんの行く所なら、どこでもついていくよ!」
終いにはそんな独りよがり・・・・二人だから二人よがりか、ショートストーリーを勝手に展開させている。いつも『くん』なんてつけてないことをつっこむ気にさえならない。
理奈は最初はほっておこうと思ったが、このままラチがあかないようなことをやっていると、この後に入ってくるクラスメイトがなにを言ってくるかわからない。
「いいかげんにしてよ、私は・・・・!」
すると向こうの女子たちは『せーの』とかけ声をかけたと思うと、一斉に言ってきた。 これが本当の悪夢の始まりだとは誰も知らずに・・・・
「卓也くんのことが大好きでーす!」
両手を開いて言ってきたこのとんでもない言葉に理奈はあわててしまった。
言葉自体には今までのと同じようなものだからそんなに関係はない。
ただ、その時に教室のドアが開いたのが問題なのだ。
目に映ったものでの激しい心の動きからか、理奈の口が勝手に開いた。
その人物は女子でもなく、その他の男子でもない、まぎれもなく卓也だったから。
さすがにこれには、理奈をからかっていた女子たちも黙るしかなかったらしい。ピタッとそのままの格好で一時固まった後、適当に咳払いをしたりしてごまかしながら、おとなしく自分の席についていく。
卓也も理奈と同じように、真っ先に目についたものは黒板の文字だった。
しばらくしたのち、今度はやっと気付いたのか、卓也と目が合った。
「お、おはよう。卓也」
とにかく何か言わなきゃという一心で理奈は卓也にあいさつをしていた。
ここ一番の勇気がないんだなと思った。もっと言いたいことだってあるはずなのに。
「おはよう」
いろんなことを考えている理奈とは違い、今日の卓也はかなりつれない。シンプルに理奈にあいさつをした後、そのまま自分の席に行ってしまった。
理奈はさすがになにも言えなかった。いや、言えるはずがなかった。
ここで下手に話すともっと溝が深くなってしまう、そう思ったから。
今の理奈には、黙って黒板に書かれている相合い傘を消すくらいしかできない。
でも昨日のことといい、今日のことといい、なぜ卓也はなにも言わないんだろう。
文句の一つでも言いたいはずなのに。
しかも、あのことがあってからほとんどなにも話してくれない。
昨日のことを意識してのことだったらいい。でもこの噂でそうなってしまっていたとしたら、せつないような、とても悲しいものがある。
きらわれているという予感がする自分が嫌だった。
どうすることもできない理奈の頭の中に、今朝の姉の言葉がよみがえってきた。
『いつもどおりの自分でいればいいの。そうすれば、いずれなにかが起こるよ』
今回はあまりなにをすればいいかという具体的なことは言われなかったものの、これ以上のアドバイスはないとも理奈は思っていた。
そう、自分の性格通り、いつも通りに・・・・
そう思うと、理奈はなぜだか気が楽になった。普段のまま行動してみよう、姉の言葉は二度目で初めて、改めてそういう気になれるから不思議だ。
(でも本当に何か起こるのかな・・・・)
ちょっと心配ながら、理奈が少しだけ活気を取り戻した頃、クラスの中も活気があふれてきはじめていた。
理奈と卓也のことがあったことも知らず、みんなは普通そのものだ。
そこに昨日とはまったく逆に遅刻しそうな由紀が息を切らしながら教室に入ってきた。
「おはよう、理奈!」
席についているときの落ち着いた雰囲気とは違うものの、由紀の笑顔は今日も変わっていなかった。
さっきのこと言った方がいいのかな、と、理奈は思った。
深呼吸を一回、心の準備。理奈は由紀と顔を突き合わせ、
「ねぇ、由紀・・・・」
「なぁに?理奈!」
やっぱりやめておくことにした。こんなにうきうきしている由紀だからこそ、理奈の今の悩みとのギャップが大きすぎる。またの機会にしよう。
「ううん、なんでもないよ!それよりも由紀、なんかうれしそうだけどどうしたの?」
「うん、実はね・・・・」
さっきのことはなるべく隠そうとしながら、理奈は由紀ととりとめのない話をした。
いくら親友でもこの話は何度もできない。だって、自分の問題なのだから・・・・