キィと小さな音を立てて、その閉ざされた世界への扉が開いた。半月以上前に人の出入りを許したばかりの家の中は、外の世界から漏れる光に照らされ、生まれたての埃の欠片がきらきらとその身を輝かせながら踊っていた。
今のこの身の状況が状況だけに、この家に帰る事は危険を伴うし気軽には出来ない。だが、落ち着いて思考の海に漂いたいのだと考えた時に、ここ以外に良い場所が思いつかなかった。見た目が幼い子どもである所為で、事務所や蘭の所では放っておかれる事は稀だし、博士の家は今回最初から除外している。あの2人がこの件に関与していないのであればまだそれでも甘えさせてもらう所なのだが。
ふ、と軽く息を吹きかけると、薄く表面を覆っていた埃がふわりと舞った。見えない気の流れに、薄く薄く力を削がれながら、ゆっくりと静に同化し、舞い落ちていく。
今は遠い海の向こうにある主を思い浮かべながら、書斎の机に座り、これまでの小説の束をデイパックから取り出した。既に十分な厚みを持ったそれに、思わず眉を顰めたのも仕方ないだろう。
その抱える連載数の多さに常に締め切りと背中あわせ。父さんの状況は、読者という立場から見たとしても尋常ではない。そんな父さんが作品という形でオレに伝えたかった事というのは一体何だろう。
みしりと椅子の背が預けた身体を支える。やはり、「1」と「最後」の言付けが重要なのだろう。それから、物語を繋ぐ形となった面々。それから、気になるのは物語の各章の冒頭だった。
物語自体とは何の関係も無く綴られた冒頭の書き出し。これは確か「探偵になる」と・・・父さんに言った時の言葉だ。探偵になりたいのだと話したのはあれが初めてだったんじゃないだろうか。今とそれ程目線は変わらなかったと思う。もう少し・・・低いくらいだっただろうか。少し霞みがかったその記憶の中、少し難しいかもしれないけれど、と前置きしたその話。普通の大人なら、もっと楽な生き方を提示するとかしてみせただろう。でも父さんは違った。父さんは目の前のオレを対等の人間として話したのだ。
章を追う毎に添えられたそれらは、成長していくオレに合わせた、父さんの言葉だった。それはつい最近の物で最後だった。
オレだって、胸が痛まない訳じゃない。こんな状況になって再会したあの時、あまりに明るくオレを引っ掛けた父さんと母さんに腹を立てつつも、内心ほっとしたくらいだし。・・・母さんを泣かせるんじゃないかとそう思っていたから。だから、父さんと母さんの耳に入る前に、オレ自身の事はカタをつけてしまおうなんて考えてもいた。
こんな身になったと連絡すらしなかった事を。隠せるものなら隠しとおそうとしていた事を。・・・普通、親の立場なら叱るだろう。でも、父さんはそれをしなかった。
そういう事・・・なのだろうか・・・それで合っているのだろうか・・・。違っていたなら思い上がりも甚だしいけれど。
苦い溜息を吐きながら、手帳に博士達の名前を書きとめる。「1」と「最後」という言葉。それから、らしくもない小説のタイトル。
「背後から・・・か・・・」
呟きながらトントンとペン先で一文字一文字、それに当たる文字を突付きながら降りていく。
友人ではなく、大切な人でもなく、守るべき人でもなく・・・正義でもなく。彼らの名を最後からカウントして出てくる答えはやっぱりたったひとつだ。
あがさひろし
もうりらん
はいばらあい
ちばけいじ
「別に、ないがしろにしてるワケじゃねーんだけどな・・・」
大切にしなくちゃいけねーのは分かってるんだ。でも、それじゃ前に進めねーし。
オレの身の重さから解放された椅子が、ギシと音を立てた。散らかった封筒と、物語の中身をそのままに、示された人物の本来の居場所へと向かう。トントンと、聞き慣れたそれより随分軽く小さな足音がオレに続いた。手をかけたドアノブは、記憶のままに冷たくて。ああ、こんな所は何も変わらないと苦笑した。
久しぶりに開いたドアの向こうは、相変わらずで。少し目線が低いだけで、何も変わらない。ただ一つ、机の上に見慣れた封筒が置いてある事を除けば。
手にしたそれの軽さに再び面食らったけれど。答えは間違い無いはずだと封印を紐解いた。そこには薄っぺらな紙の中央にたった一言。
「私は君を誰より信頼している。」
その言葉が甘くくすぐったく耳の奥で響いて、複雑に絡んだ笑みに繋がった時、ふいに紙の端がぺら、と捲れて下の紙が顔を覗かせた。
「・・・もう一枚?」
どうせなら一枚の用紙に書いちまえば良いのに、と思いながら捲った下の紙には。
しかし、有希子にあんな表情をさせたお前を、そのままにしておくわけにはいかないね。 罰として、この物語の最終章を君の手で書き綴ってくれたまえ。勿論、推理のポイントの箇条書きは却下だよ。 なに簡単だよ、「読む側」から「書く側」に立場が変わるだけの事。いつも有希子ばりの名演技を披露しているらしいじゃないか。もう半分は私の血が流れているのだから心配ないだろう? 締め切りは・・・そうだな、年内にしておこうか。もしそれまでに書き上げられなかったら、こちらにもそれ相応の覚悟はあるとだけ言っておく。 それじゃ、原稿楽しみにしているよ。 |
そんな文句で締められていた。
・・・確かあれは大阪での事件の時だ。
そうだ。
・・・今ならあの時の服部の気持ちが痛い程よく分かる。
探偵として、この類の感情を剥き出しにして叫ぶというのは宜しくないのはよく分かっているつもりだ。特に今の状況じゃ、いつどこに組織の目が光っているのか分からないし。けど。だけど。
「あンのタヌキ親父―――ッ!」
殆ど怒号に近い絶叫が、家中に響いた。