「なんだよこれは?」 呆れた声が小さく部屋の中に響いた。 ここは世間では名探偵と崇め奉られている「毛利探偵」の私的な居住空間だ。探偵事務所はすぐ下の階になるのだが、ここにはそれを匂わせるようなものは何もない。探偵などというモノを生業としていればイヤでも資料となる写真だの文書だの新聞の切り抜きだのに埋もれる生活になり、それをきっぱりとプライベートスペースに持ち込まないようにするのは極めて難しいことになる。関わっている件を(事件まで発展しないモノも含めて)早く解決に導こうとするのなら時間はいくらあっても足らないからだ。「毛利探偵」ほどの知名度を持てばそれも顕著なはず・・・なのだけれども、本人にその自覚がないのだからまあ仕方のないところなのかもしれない。 その気持ちいいほどきれいさっぱりと探偵の自宅くさくない一室で、彼は彼宛に届いた一通の封筒を前に呆れた声をあげていた。 季節は冬となっていた。当然、気温はしごく低くなるわけで、この毛利の家にも暖房としてファンヒーターが入っている。元々は普通の灯油ストーブだったものが、ヤケドでもしたら危ないとこの家の主が寒くなってきてから買ってきたものだった。その時はストーブならば、上にやかんでもかければ乾燥しがちな室内の湿度は保てるし、お湯も沸いて何かと便利だったろうにと瞬時に思った。そして、要は自分の見かけの幼さがそうさせたのだと思い至るとなんとも言えない申し訳なさが襲ってきたものだ。 大切にされていると思う。己の所業からすると過ぎるほどに。 その温風がやさしく包む室内で、彼はつい先ほど受け取った封筒を、立ったままの姿勢で握りしめていた。 「父さん・・・忙しいはずだろ?なんでまたこんな時期に・・・」 その封筒は普通に言われるところの封筒の大きさとは一線を画していた。既に封は宛名の主である送り主の息子によって開けられており、中身を覗かせている。その中身は紙の束だった。正確に言えば工藤優作の手になる推理小説の原稿、世界に何百万といる彼のファンが見れば泣き叫んで喜ぶであろう逸品だ。直筆部分はさすがに最初の一枚目にサインとして入っているものと、別に添えられた愛想もへったくれもない、送り状まがいの息子への私信だけであったが・・・。 「ったく。CD-ROMで送ればいいだろうによ。重いってーの。エアメールにいくらかけてんだよ」 本来の姿であればともかく、今の小さなその手では支えて持つのがやっと、紙の束はとても重いのだ。それでもファンから見れば随分とバチ当たりな言を吐きながら、彼はそれを抱えたままどさりと床に座り込んだ。今日はこの家にいるのが自分だけでよかった、ポストになぞ入る訳もないこの大きさ、厚さの封筒は「江戸川コナン」宛で、直接配達人がチャイムを鳴らした時、受け取ったのが自分ではなく例えば蘭だったりしたら、一体何事かと思われてしまうだろう、裏書もきっちり書いてあるし、そりゃあ母さんが遠い親戚だと言い訳はしておいてくれてるけどよ、どっか抜けてるよなあ。などと彼は心中でひとりごちた。 静かな日だ。 電話の1本もない。 いいかな、読んでもいいかな。 おっちゃんは商店街のマージャン仲間に誘われて出かけてしまったから夜まで、いや、下手すると午前サマかも知れない。休日だというのに、蘭は大会が近いからと朝も早くから練習に出かけてしまったからできた仕儀だけれど。 読み始めたら、解けるまで読み止めれないのはわかりきったことだ。時間が十分ないとそれはできない。それに人目のあるのもダメだから。今は、この家にいる上では千載一遇のチャンスなんじゃないだろうか。 いいかな、読んじゃおうかな。 彼はもう一度、父親の書いた短い一筆に目を落とす。 |
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やあ新一。元気にしているようだね。 クリスマスは今年も一緒には過ごせないようだから、忘れない内にプレゼントを贈るよ。 おまえの一番の好物だ。じっくりと賞味するように。 そして考えるといい。犯人と共に私が伝えたいことを。 |
その手紙を脇に置いて、タイトルとサインだけが入った1ページ目を彼はじっと見つめた。 犯人は分かる。 でも伝えたいことって・・・? 心に落ちた小さな疑問をそのままに、ぱらりとそれをめくる。 世界に名を馳せた推理小説家のまだ見ぬ謎の提示は、少なからぬ吸引力があったから。 |
| 『背後から忍び寄る影』 工藤優作 |
そして彼はそのまま、リアルな虚構の世界へと埋没していった。 |