にんぎょひめ
昔深い海の底に人魚が住んでいました。
たくさんの魚たちに囲まれて、人魚のお姫様達はすくすくと育っていきます。
15歳になったら海の上から外の世界を楽しめると、お姫様たちは期待に胸を膨らませていました。
そんな中でも哀ちゃんの外の世界への期待は大きいもので、先に15歳になって外の世界を見てきたお姉様たちの話を聞いては、早く自分も外の世界を見たいと願っていました。
15歳になった夜、やっとお許しが出て、哀ちゃんは外の景色を見に行きました。
「・・・あら、思ってたより綺麗じゃない・・・」
満天の星々に見とれながら、哀ちゃんが水に浮かんでいると、どこからともなく賑やかな声が聞こえてきました。
「・・・・・・・・・・・なにかしら・・・・・・・・?」
哀ちゃんは海の上に船を見つけました。
そっと近づいていくと、賑やかに踊る人達を見つけました。
「・・・・・・・・・・・・・・あら、退屈しのぎにはもってこいね・・・」
哀ちゃんはその様子をしばらく眺めていました。
「・・・・・・今夜は遅いし、明日の朝出直そうかしら・・・・・・・」
哀ちゃんが小さなあくびをした時です。
小さな鼻の頭にぽつんと、雫が落ちてきました。
雨です。
いつのまにか空一面に黒い雲が広がって、雷まで鳴り出しています。
「・・・・・・・・・・・・・この分だと嵐になるわね・・・・・・・・・」
船も高波に揺られています。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・面倒はごめんだわ・・・・・。帰りましょ・・・・・・・」
こうして海の中に潜っていった哀ちゃんですが、やっぱり気になって再び海の上に引き返していきました。
海の上では船が転覆して、大変な事になっています。
哀ちゃんの目の前で、人影が沈んでいきました。
「あ・・・!いけない!!」
哀ちゃんは海に潜ると、その人影を一生懸命海面まで運びました。
「・・・・・・・・ほら!しっかりしなさ・・・・・・・工藤君!!?」
驚きました。哀ちゃんが助けたのは王子様の新一君だったのです。
「・・・・・・・・・・・・・今回は王子様なのね・・・・・・・・ま、ドレス着てるよりはいいんじゃない?」
中々起きない新一君に呆れながら、哀ちゃんは浜辺まで送っていく事にしました。
「さっさと起きないと、溺死するわよ?」
それでも新一君は起きません。
周囲が明るくなってきて、人が近づいてくる気配がしました。
「とりあえず、この姿じゃまずいわね・・・・・・・・・・・」
哀ちゃんは海の中に入ると、少し離れた岩陰から新一君の様子を見守る事にしました。
「・・・・・・・・あ、あの人、工藤君に気がついたわね・・・」
近づいてきた女性の顔がようやくちらっと見えました。
「蘭さん・・・だったのね・・・」
「・・・あれっ、新一?新一!起きて!!起きてってば!!!」
「・・・・・・・ん・・・・・んん?・・・・・・・・蘭・・・・・・???」
「もー、どーしてこんな所で寝てるのよー!!」
「・・・・・・・・??????」
哀ちゃんに助けられた事も知らない新一君は、浜辺にいる自分が、その状況が不思議でたまりません。
「お・・・おめーが助けてくれた・・・のか??」
「はあ!!??何寝ぼけてんのよ!!!!」
「んじゃ・・・・どうしておれがこんな所にいるんだ・・・・・・????」
変な事を言う新一君を、呆れた表情で蘭ちゃんが見ています。
「・・・・・・・・・・・・・・ふふ・・・・工藤君、一つ貸しよ?」
岩場の陰で、哀ちゃんが微笑んでいます。
「貸しは返してもらわなくちゃね・・・・・・・・」
哀ちゃんは海の中の魔法使いの所へ行く事にしました。
おどろおどろしい扉を開けると、黒ずくめの装束を身に纏ったジンが出迎えました。
「・・・・・・・・・・シェリーか・・・何の用だ?」
突然の訪問に、ジンは不機嫌そうに薬を作っている手を休めて、哀ちゃんを見ました。
「・・・あなたに薬を分けてもらいに来たの。・・・・・・・私を人間にして頂戴」
ちらっと哀ちゃんの表情を見やると、ジンはまた不機嫌そうに壷の中の液体をかき混ぜ始めました。
「・・・・・・二度と人魚には戻れない・・・それでもいいのか?」
哀ちゃんはジンの言葉に躊躇う事なく答えました。
「ええ・・・。人魚だからって特にいい事もないしね・・・・・・。」
「人間になったからといって、何かいい事があるわけでもあるまい?」
呆れ半分のジンの言葉に、哀ちゃんはくすっと微笑みました。
「・・・・・・・・・・・・そうね・・・・・でも、このままでは何もいい事なんてなさそうじゃない?」
哀ちゃんの言葉に、ジンは表情も変えず、薬棚の前に進むと、中から薬のビンを取り出しました。
「・・・・・これだ・・・・・。この薬を飲めば人間になれる・・・・・・。ただし、次の満月までだ。それまでに愛した男と一緒になれなかった時には、海の泡となって消えてしまう。・・・・・・・・・・薬を飲んでから、少しでも口をきけば・・・・・」
「同じように泡となって消え行く運命・・・・・・・・でしょ?」
ジンから薬を受け取ると、哀ちゃんはふっと微笑みました。
「・・・・・・・・・・・・・・それでも飲むか・・・・・・・・・・・・・・・・・?」
「ええ・・・・・・ここにいる限り、私は何も前に進めないもの・・・・・・・。」
哀ちゃんの笑顔に背を向けたジンは、背後で哀ちゃんが出て行く気配を感じました。
「・・・・・・・・・やはり、止められない・・・・・・・・・か・・・・・・・・・・・・・・・」
ジンの声は、闇の色のような壷の薬の中に溶けて混ざっていきました。
哀ちゃんは薬を受け取ると、浜辺にまで泳いできました。
「・・・・・・・・・この辺でいいかしら・・・・・・・」
哀ちゃんは人に見られないように細心の注意を払うと、薬を一気に飲み干しました。
焼けつくような痛みを喉に覚え、哀ちゃんの意識はゆっくりと遠ざかっていきました。
「・・・・・・・・・・・おい、灰原、大丈夫か???」
その声で目を覚ました哀ちゃんは、ゆっくりと起き上がりました。
『・・・工藤君・・・?』
確かにそう言ったと思ったのですが、自分の喉から声が出てきません。
『あれっ・・・・・・・・・?』
「・・・おめー、なんでこんな所に倒れてんだ?」
何とか自分の思いを伝えようと必死な様子の哀ちゃんに、新一君はただならぬ雰囲気を感じ取ってくれました。
「おめー・・・口が・・・?」
『そうなの・・・』
「そうか・・・・・なんか理由があるんだな?』
こくりと頷く哀ちゃんに、新一君はにこっと微笑みました。
「そっか、じゃーおれんちに来いよ。博士もいるしな・・・。博士になんとかしてもらえば、おめーも喋れるようになるかもしれねーし・・・」
哀ちゃんが立てるようにと、新一君がそっと右手を差し伸べました。
哀ちゃんはぎゅっと新一君の手を掴んで、立ち上がりました。
その瞬間、哀ちゃんの足に激痛が走りました。
「・・・おめー、もしかして足も・・・?」
『・・・・・・今出来たばかりの足じゃ歩く事は出来ないのね・・・。練習しなくちゃ・・・』
哀ちゃんをひょいと抱き上げると、新一君は哀ちゃんを自分が乗ってきた馬の背に乗せました。
「無理するなよ?・・・・・・・さ、城に戻ろう」
新一君が哀ちゃんを連れ帰ると、お城の中は騒然としてしまいました。
「王子様が女の子を連れ帰った!?」
「こんな時に・・・・!」
「王子は何を考えておられるんだ!?」
中でも驚いたのは阿笠博士です。
「あっ・・・哀君!!!???どうしたんじゃ!!??」
「博士、こいつ話せないみたいなんだ・・・。なんか薬作ってやってくんねーか?あ、あとそれから車椅子かなんか・・・歩けるように・・・。おれは例の支度があるから・・・頼んだぜ?」
「ああ、それはいいが・・・」
博士は哀ちゃんを抱きかかえると研究室へと急ぎました。
「これ・・・でもない・・・あれでもない・・・・・・・・」
博士は薬品棚をひっくり返すように棚の中を漁り始めました。
『・・・・・・こんなに散らかして・・・・・一体誰が片づけるのかしら・・・・・・・』
呆れ半分の哀ちゃんの表情など気付いてもいません。
「あ!あったぁ!!」
やっとお目当ての薬が出てきたようです。
「・・・・・・・・さ、哀君、これを飲むんじゃ!!!」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
哀ちゃんは博士の手にそっと右手を添えると、にこっと微笑みながら首を横に振りました。
「・・・・・・・・・・・・・・哀君・・・?」
さっき人間になる薬を飲んだばかりです。その薬の成分は不明ですから、他の薬との併用は危険極まりない事は、哀ちゃんにも分かっているのです。
哀ちゃんは紙とペンを手に取ると、筆談の形で博士に薬も心配も必要ない事を告げました。
詳しい事情は知らされないまま、博士は困った表情で哀ちゃんを見ました。
『城の中を見たいのだけれど・・・』
哀ちゃんのその言葉に、博士は戸惑いながらも、城の中を案内する事にしました。
城は忙しそうに駆け回る使用人達でいっぱいでした。
「・・・?」
「あ、これから・・・ちょっとイベントがあってな・・・その準備で皆急いどるんじゃ・・・」
・・・イベント?
不思議そうに瞳で問い掛ける哀ちゃんに、言葉を濁して博士は広間へと続く廊下へと車椅子を押して行きました。
「あれーっ、灰原さんじゃない!!?」
自分の名前を呼ぶ聞きなれた声に、哀ちゃんはそっと声のした方を見ました。
「・・・・・・・・どうしたのー、こんなとこで!!・・・・・・?車椅子??」
「あ、歩美君・・・!」
くすっと微笑む哀ちゃんに、歩美ちゃんは嬉しそうに駆け寄ります。
「歩美、今使用人してるの!!!大変なんだよー!結婚式の準備でねー」
『・・・・・結婚式・・・・・・?』
きょとんとしている哀ちゃんに、歩美ちゃんは説明を付け加えました。
「王子様と、隣の国のお姫様の結婚式なの!・・・・・・・隣の国のお姫様は蘭おねーさんなんだよ!!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
哀ちゃんの胸が、締め付けられるように痛くなりました・・・・・・・・・・・。
「ま・・・まあ、そういう事なんじゃよ・・・」
博士も頭を掻き掻き済まなさそうにその話が本当である事を伝えました。
哀ちゃんは動揺を隠して、博士に心配をかけないように、ふっと微笑みました。
「灰原さん・・・・・・・・?」
「あ、歩美君、哀君は今口がきけないんじゃよ・・・」
「そ・・・そうなの?」
歩美ちゃんは、哀ちゃんの表情を心配そうに覗き込みました。
『心配しないで・・・大丈夫よ』
哀ちゃんは優しい笑顔を見せ、歩美ちゃんを安心させました。
歩美ちゃんも、なんとなくですが、哀ちゃんの言いたい事が分かり、にこっと明るく微笑みました。
「博士!私、灰原さんと散歩してきたい!・・・いいでしょ?」
「え・・・それは構わんが・・・いいかね、哀君は・・・」
哀ちゃんは返事の代わりにこくんと頷きました。
「さ!れっつごー!!!」
歩美ちゃんの明るさが、哀ちゃんの心に光を灯してくれました。
歩美ちゃんにお願いして、哀ちゃんはペンと紙を用意してもらい、筆談の形で歩美ちゃんと会話をしました。
「灰原さん、人魚だったの!?素敵〜!!海の中とか、綺麗だった!?」
哀ちゃんの紙の上の言葉に大喜びの歩美ちゃんでしたが、昔お母さんに読んでもらった人魚姫のお話を思い出して、その表情は暗く沈んでしまいました。
『どうしたの?』
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・灰原さん、泡になっちゃうの・・・・・・・?」
『・・・・・・・・・』
哀ちゃんも、昔・・・ずっと昔に読んでもらった事がありましたので、人魚姫のお話を知らないわけではありません。自分がどうなるかくらいは分かっていました。
「そんなのやだよ・・・」
涙ぐむ歩美ちゃんの背中にそっと手をやりながら、哀ちゃんは遠くに見える海の中の事を考えていました。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・消えちゃやだよぉ、灰原さ〜ん・・・・・」
歩美ちゃんに心配をさせまいと、哀ちゃんはただ微笑んでいるしかありませんでした。
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