コーヒーとミルクティ
「藍ちゃんに会わせたい人が居るんだ。」
そう言いだした工藤君は、笑っていたけれど。何か困った様な、そんな表情だった。
工藤君は表情がくるくる変わるから、その裏側に隠された気持ちも読み取りやすい。以前、お父さんに工藤君の事を聞かれた時に、彼の事をそう説明したら笑っていた。「子どもっぽい?」と尋ねると、「年相応だと思うよ。」と答えた。そうじゃなくなるの?と聞いたら「そうとは限らないけど。藍には彼の気持ちが見抜けなくなる時がくるかもな。」と、頭に右手を落とされた。私は、それがお父さんの持つ影の様なものじゃなければ良いと願った。
・・・最近、お父さんが温かく微笑ってくれる様になった、と思う。
勿論、まだ隠し通そうという影は持っていそうだけど。でも、私が側に行っても意識して仮面を被る事が少なくなってきた様な・・・そんな気がする。
人は変わるもの。変えられるもの。・・・それを教えてくれた背中が、私が半歩遅れたのに気が付いて、振り向いた。
「藍ちゃん?・・・どうかした?」
「・・・・・・・・・」
彼はその沈黙を、私が不安がっているのだと受け取って。「大丈夫だよ、会わせたい人って言ってもお隣さんなんだ。」と説明を始めた。
「2ヶ月前くらいから始まってるんだけどね、毎朝、新聞取りに行って、お隣さんと郵便受けで顔を合わせるとお茶会、みたいな事をしてるんだ。」
・・・そう言えば、彼は、最近意味ありげな、大人びた笑い方をする様になった気がする・・・。私と違って人懐っこい彼は、至る所に友人がいる。それこそ、年齢や性別なんて関係なく。
「・・・でね、その人がね、藍ちゃんに一度会ってみたいって。」
地面に落とされた私の視線に、彼は私が不安がっていると思ったのだろう、笑って続けた。
「大丈夫、優しい人だよ。」
優しいとか、優しくないとか、そうじゃなくて。・・・彼を変えてしまった人に会うのが怖いのだ。
それは分かっているのだけれど、それなら何がそんなに怖いのかと尋ねられたら私はきっと、返答は出来なかっただろう。
そして、お姉さんを目の前にした時点で、これまで形の無かった不安が、はっきりとしてきた事に気が付いた。
「可愛い子、ね。」
ぽつ、ぽつと言葉少なに話す目の前の人は、真っ白な光の差し込む壁に囲まれた中で、白衣を身にまとっていた。明るい髪が揺れて、思慮深げな瞳が私をそっと覗き込んだ。
「藍ちゃんって言うんだよ。藍ちゃん、このお姉さん、下の名前は藍ちゃんと同じでアイだよ。漢字は違うけど。」
差し出された右手に、そっと手を重ねる。白くて、長い、綺麗な指先。私の、あまりに幼い子どもの指先とは全然違う。
「・・・黒羽藍です、よろしく・・・」
緊張して震えた私の声に、お姉さんはふっと微笑んだ。
「灰原哀よ。よろしく・・・。」
綺麗な、人・・・。
うちのお母さんも綺麗だと御近所では評判だけれど。どっちかというと、「可愛い」部類だ、と私は思う。けれど、今目の前に居る人は、確かにどこの誰が見ても「美人」だと言うに違いない。
どくん、と大きく心臓が跳ねる。
「あ、そういえば、昨夜のアレだけどさ・・・」
何だか聞いた事も無い単語や名前が飛び交う。それ程モノを知らないわけじゃないと、自分では思っていたのだけれど。必死に聞き取ろうとしていても、何の会話なのかがさっぱり分からない。ただ、何となく、飛び交っている名前の様な言葉は異国の響きの様な、そんな気がした。工藤君がこんなに一生懸命話しているのに会話を遮るのも悪いし・・・お父さんが帰ったら教えてもらおうかしら、とそんな事を薄ぼんやりと考えていた所で工藤君と目が合った。
「・・・藍ちゃん、顔色悪いよ・・・大丈夫?」
ああ、良かった、いつもの彼だ・・・
ええ、と答えようと工藤君に向けて顔を上げると、彼女が少し驚いた表情をして−・・・工藤君に耳元で二言三言、何か話し掛けた。
「・・・ちっ、違・・・っ!」
途端に真っ赤になって狼狽する工藤君とは対照的に、灰原さんはすごく楽しそうにくすくすと笑った。工藤君は、そんな灰原さんをじろりと睨んだ。
ああ、敵わないな・・・と二人の遠慮の無いやりとりに、少しだけ寂しくなったけれど。寂しいと我儘を言ってしまえる程、素直な子どもにはなれなかったから。胸の内側にある、黒い革のケースにそれを詰め込んで、出てこない様に鍵を掛けた。厳重に。
「・・・何か飲み物淹れるわ。何が良い?」
それが私への問いかけなのは、灰原さんの視線に、彼が含まれていない事からも分かった。
「あ・・・」
「紅茶と、コーヒー、カフェオレ・・・ジュースが欲しければ林檎とオレンジかしら。ミルクがあるからミルクティも出来るけど」
「じゃ、じゃあ、ミルクティを・・・」
小さく衣擦れの音がして、灰原さんが私に笑みを残して離れると、ますます追い詰められた様な気がした。
「ケーキがあるんだけど」
夕飯前だけど、食べられるかしら、と灰原さんが聞いた。
「って・・・灰原が買いに行ったの?」
「そうよ。博士を甘い誘惑の中に放り込む訳にいかないでしょう?。」
「まあ・・・そうだよな・・・」
「・・・吉田さんのお薦めとはいえ、ピンク色とレースの世界の店内には少し閉口したけどね。良い経験だったわ。」
灰原さんは私を見た後で、くすくすと意味ありげな笑みを工藤君に向けた。また、と少しムッとした工藤君の呟きが聞こえた気がした。
じゃ、用意してくるわ、と行って部屋を後にした灰原さんに、「手伝います」と慌てて付いて行く。困った表情をした工藤君が呼び止めようとしたけれど、構わず灰原さんに付いて行った。
今の工藤君は、見ていたくなかった。
そんな風に、誰にも見せた事の無い様な遠慮の無さで、目の前の綺麗なお姉さんと話している、工藤君は・・・。
私と二人になって、いつもの工藤君に戻って話されるのも嫌だった・・・。
「ごめんなさいね・・・?」
心のうちを見透かされた様な言葉が、頭の上から静かに降ってきた事に驚いて、戸棚の上から紅茶の缶を取り出したお姉さんと目が合った。
「貴女に会いたいって彼にお願いしたのは私なの・・・」
「あ、いえ、それは工藤君から聞いて・・・」
灰原さんは私の言葉に、静かに、微笑った。どこか、悲しそうに。
「彼にね、お願いした時・・・少し困った表情で『じゃあ』って言われたの。」
「え・・・」
「彼にしては珍しい反応だと思ってはいたんだけれど。」
それって、私に灰原さんと会って欲しくはないって事なのかしら、と口には出してはいなかった言葉が、灰原さんには聞こえたらしい。「違う、貴女の所為じゃ無いわ。」と軽く言われた。灰原さんはそんなに私と距離を置こうとは思っていないのかもしれない、と思い切って聞いてみた。
「それと『ごめんなさい』って言葉はどう繋がるんですか・・・?」
「見られたくなかったのね、きっと・・・二人で話している所を・・・」
眩暈がして、一瞬、視界が、揺れた。
泣いちゃ、ダメ・・・。必死に呪文の様に繰り返しながら、静かに微笑んで見せる。・・・お父さんに習ったポーカーフェイスには、自信があった。
「あの、・・・私がつまらなさそうにしていたと思われたならごめんなさい。灰原さんと会っているのが嫌だとか、そういうんじゃないんです。」
「そうね、こんなに年が離れている人といざ話すとなっても戸惑うわよね。共通の話題があるならともかく。」
「そ、そうじゃなくて・・・」
言ってしまおうか、どうしようか迷っていたけれど。工藤君の大切な人に、変に誤解されるわけにもいかない。慌てて、鍵を掛けた革のケースから、さっき詰め込んだそれを引きずり出した。無理やり引っ張り出したそれは、皺だらけでよれよれになっている、そんな気がした。
「か、彼が・・・知らない人みたいで、・・・・・ほんの少し寂しかっただけで・・・」
人は、誰しも自分の目の前に居る通りの人だとは限らない。誰しも、本音を曝け出せる場所を求めているだろう。そう、それは分かっているけれど・・・。
「知らない人・・・というのは工藤君?」
「・・・私には、灰原さんとの時みたいに親しい話し方はしてくれないし・・・」
「ああ・・・彼は親しみの度合いで話し方を使い分けてるんじゃないわ。安心して?」
私が望んだからなの、と灰原さんは柔らかく微笑んだ。
・・・素敵な、ひと・・・
こんなに素敵なひとだもの、工藤君が好きになったのも頷ける。
そして、私が彼にとってどんな存在になりたかったのかも、気が付いてしまった。
・・・嫉妬・・・。
気付かないで抱えていたその感情を、一言で括ってしまえるならそれだろう。相変わらず渦巻いている負の感情は、名前を貰った事で少しだけ私を解放してくれた。
この、素敵なひとには何も悪い所は無いのだ。ただ、私がそこに届かない事が悔しい―・・・。
「ごめんなさい、嫌な思いさせてしまって・・・」
「え?」
「・・・彼が大切にしている友達に、会ってみたかったの・・・。どんな子なのか、興味もあったし。」
それから、彼がどんな風に接するのかもね、と彼女は付け加えた。
「・・・後ろに置いて大切にされるより、隣に一緒に立っていられる・・・そんな存在になりたいです・・・。」
「やっぱり似てるわね・・・」
「え?」
誰にですか?と続いた問いかけに、彼女は困った様に笑った。
「・・・聞いてもいいですか?」
「どうぞ?」
「あの、さっき、工藤君に何を耳打ちしたんですか・・・?」
「気になる・・・?」
「あんな工藤君、初めて見たから・・・」
ふうん、と目の前のお姉さんは小さく呟いた後、ほんの少し口の端を上げて、笑ったー・・・。
「・・・20年後になってもまだ答えが分からなかったら教えてあげるわ。」
どういう意味ですか、と聞くと、彼女は悪戯っぽく、そこまで話してしまったら、彼に絶交されかねないもの、と笑った。
20年・・・。私が答えを導くまでの気の遠くなる時間、彼とずっと一緒に居られる様に。
強くならなくちゃ、と、そう思った。
出来る事なら、・・・そう、影が彼に手出し出来ないくらいに。
あとがき
禁断の遭遇連発中^^;
哀ちゃんと藍ちゃんの遭遇です。この一件、哀ちゃん視点で書いていれば一本でまとまったのですが、あえて藍嬢視点で出したのには他に理由があったりします。
誰に布石を持ってくるかで4人の候補があって相当悩んだのですが、今後の事を考えるとココでは哀ちゃんが一番適役かと。
気分は道に落とした小石を拾い集めながらお家に帰るヘンゼルとグレーテル(笑)