第87号「編集後記」
2024年1月に石川県能登半島を襲った地震では、亡くなられた方は200名を超え、 まだ安否不明の方もおられます。大きく傷ついた家屋や避難所での生活も制限が多く、 苦労されていることが報道されています。道路が寸断され、 生活基盤の復旧も目途がたっていない状況が続いています。 私たちが体験した熊本地震の場合を思い起こしても、安心して生活できるようになるまでには、 長い時間を要し、心身の健康を害される心配も続きます。 今もなお、命や健康に不安を持ちながら生活しておられる方々が多いことに胸が痛みます。 また、こうした災害時の被害が多くなるのも、高齢者や子ども、障害者など社会的弱者であり、 こうした方々への支援も重要です。できるところでの支援をしつつ、 一日も早く安心できるくらしがもどることを祈ってやみません。
「部落解放研究くまもと」87号をお届けします。
今号の特集は、長崎県人権研究所副理事長阿南重幸さんの
「部落問題とは何か? ~ 差別『排除』の根源を探る」です。2023年9月に行った
「ボシタ呼称を考える会」で講演していただいた内容に加筆していただきました。
部落史のとらえ直し、見直しが求められています。見直しを求められている課題は、大きく二つあります。
一つは、「部落は江戸時代につくられた。江戸幕府は人々を支配するために身分制度をつくった。
江戸時代の身分制度は士農工商だ。そしてその下に一段と低い身分を置いた。
その目的は『上見て暮らすな。下見て暮らせ』と人々の不平や不満をそらすためであった。
それが部落の起こりだ」といういわゆる「近世政治起源説」を克服することです。
もう一つは、「差別は決して差別被害者の問題ではない。差別する側の問題である」という見方、
考え方を確立することです。
これまで学校教育や社会啓発の場で教えられてきた「近世政治起源説」は、
「つくったのは武士だから、武士が悪い」、「江戸時代のことだから部落差別は昔の問題で、
自然になくなっていく」という部落問題に対する誤った認識にもつながり、
なぜ今も部落差別が解消されないままなのかという疑問に答えることができませんでした。
阿南さんの報告では、部落問題の根深さが、古代から中世にかけて続くケガレ意識の上に、
近世の身分制による差別、さらには近代的な価値観と血統を重視する差別意識が積み重なり、
さらにそれらが実態的な差別を引き起こしているという、
重層的で複合的な要因によって差別がつくられ続けていることからきていると述べられています。
それぞれの時代の差別が解決されないままに次の時代の差別意識が
そこに積み重ねられているということです。部落問題解決のためには、
「歴史的な遺物」ではなく、今もなお差別は再生産されているという課題意識が必要です。
もう一つの課題は、差別をする側の問題ととらえ、「なぜ人は差別をするのか」という視点で
歴史をとらえ直すというものです。
阿南さんは、講演の中で次のように指摘されています。
「歴史を見る指標として、二つの考え方があります。一つは、当事者の歴史を追うことによって、
差別の歴史を明らかにしていく、被差別部落の歴史を追いかけることによって、
彼らがどういう状態に置かれていたのかを明らかにしていくことですね。つまり差別の実相です。
今一つは、政治や社会の考え方や仕組みを追うことによって差別を明らかにする、
これは関連しているのですが、当事者の歴史だけを追っても、どうしてそうなのかが分かりません。
どうして、そんな差別政策が行われるのか、つまり政治や社会の考え方や仕組みを明らかにする、
これが『差別の歴史』を明らかにすることであると、私は考えたのです。
そこで今回は後者の視点に立って、社会の仕組みだとか政治のあり方を追うことで、
差別の歴史―加差別の歴史を明らかにしていくこと、
それが私たちの求めているものではないかと考えたのです。」
差別を受ける側の思いや、生き方を学ぶことには大きな意義がありますが、
それだけでは差別をなくす学習としては不十分です。「なぜ差別があるのか」、
「人はなぜ差別するのか」を明らかにしていくことが重要です。
無知や不健康、貧困を「個人の責任」として、自分とは関係ないものとする意識も未だ根強くあります。
また、血統を価値とする社会意識は現在も残っており、
それは部落差別をはじめとするさまざまな差別につながっています。
差別は決して個人の問題ではありません。社会的な問題です。
政治や経済や社会のしくみの中で植え付けられた「差別する側の論理」が
私たちの中にも根強くあることを見抜き、そこから解き放たれることが必要です。
阿南さんの講演の中で触れられていたのが法律の問題です。
「らい予防法」や「優生保護法」などの人を傷つけてきた法律が廃止されたり、
改変されたのは20世紀も終わろうとする頃でした。法律によって差別が固定され、
当事者を苦しめてきた歴史を私たちは持っています。法律が廃止されても、被害の補償の壁はまだ高く、
現在も続いている問題です。今世紀になり、差別的な法律が改変・廃止され
「部落差別解消推進法」に代表される差別をなくすための法律が制定されてきたことは、大切な一歩です。
歴史を通じて差別する側の意識や社会のしくみを学ぶことが、今ある差別をなくすことにつながります。
平井靖彦さんの「部落差別事件にどう向き合ったか」は、本文中にありますように、
2023年10月に行われた部落解放・人権確立第42回全九州大会で報告された内容に
加筆していただいたものです。
2021年4月に起きた、ある企業による部落差別発言に対する菊池市行政の取組が述べられています。
差別発言を受けて行われた学習会を通しての行政の課題が明らかにされた報告です。
発言が起きたとき、それが部落差別発言であることをその場では指摘できず、初動がおくれたこと、
差別発言をした側の責任を問うだけで、行政の「差別をさせた責任」を考えることがなかったことが
最初の段階での課題としてあげられています。その後の取組を通じても、
特別措置法が施行時の経験の蓄積が継承されず、
行政全体として部落問題に対する認識の差を埋められないまま、同対審答申で述べられた
「行政の責務」が不十分にしか果たされていなかったこともあげられています。
一方で、取組を通じての成果として、これまであった「差別事象に対する危機管理マニュアル」を
「差別事象に関する対応書」に書き換えたことがあります。表題を変えただけではなく、
「差別が起きたときどう対処するのか」ではなく、
「差別のない街をどうつくるか」という視点で学習資料を兼ねて作成されました。
また、差別事象の教訓を残すために、差別事象に関する報告書や「菊池市人権未来都市宣言」
などの作成もされました。行政・市民の「差別をなくしていく」実践の指標となるものです。
まだ社会に部落差別の現実があることをふまえ、「部落差別事件が起きたこと自体は恥ではない」、
「放置したり、なかったことにすることが恥だ」ととらえ直し、
部落差別事件の終息がその部落差別の終わりではなく、部落差別の解決にむけた始まりであるという認識も
生まれました。
特筆したいことは、差別発言をした企業の方たちの行動です。それが行政とだけでなく、
支部の方々とも学習を重ね、「差別をなくすなかまとしてつながる」変容につながりました。
報告の教訓として、「人は変わることができる」と書かれていますが、
人間を信頼しての粘り強いかかわりの結果です。
差別をした人を切り捨てるのではなく、ともに学習を深め差別をなくすなかまになっていくという営みは、
水平社宣言の「人間を尊敬する事によって自ら解放せんとするものの集団運動を起せるは、
寧ろ必然である」につながるものです。
近年になり、「部落差別解消推進法」をはじめ、「障害者差別解消法」、
「ヘイトスピーチ規制法」など、差別をなくすための法律が相次いで制定されました。しかし、
これらを活かしていくためには、行政や住民による取組が重要です。受け身ではなく、
ともに学び差別をなくしていく主体的な取組が求められます。
人権を尊重し差別をなくす取組は、誰にとっても住みやすい街づくりにつながります。
本報告が各地での差別をなくす街づくりへと広がっていくことを期待します。