60番と決めていた、師匠のネタ一覧です。
ネタ名をクリックすると、独断で選んだ聞きどころが。
1999年の60番
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青菜 | 愛宕山 | 雨乞い源兵衛 | 阿弥陀池 | 池田の猪買い | 義眼 |
植木屋娘 | うなぎや | 延陽伯 | 親子酒 | 親子茶屋 | 風邪うどん |
替り目 | 口入屋 | くっしゃみ講釈 | 首提灯 | くやみ | 蔵丁稚 |
高津の富 | 鴻池の犬 | 子猫 | 瘤弁慶 | 子ほめ | 鷺とり |
皿屋敷 | 三十石 | 七度狐 | 質屋蔵 | 蛇含草 | 崇徳院 |
住吉駕籠 | 代書 | 茶漬えんま | つる | 鉄砲勇助 | |
天神山 | 道具屋 | 胴乱の幸助 | 時うどん | 夏の医者 | 猫 |
猫の忠信 | 寝床 | 軒付け | 八五郎坊主 | はてなの茶碗 | 花筏 |
東の旅 | 一人酒盛 | 兵庫船 | 日和違い | 貧乏神 | ふたなり |
船弁慶 | 饅頭こわい | 宿替え | 宿屋仇 | 幽霊の辻 |
1999年の番外
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勝手に決めた、ここがポイント
おさきさんが、押入から出てくるところでしょう。それを見て大工の”トメ”が、やいやい言うところが一番だと思います。
「また開けたまた開けた。顔から汗吹き出たあるがな。上から雄布団がバーンと落ちたがな、気色の悪い。何か言うてるで、
聞いたり聞いたり・・・・・・。」
トメと植木屋(名前は出てこない)の近所付き合いの様子がこの会話によく反映されています。
上方落語らしい、音曲入りの派手な噺です。旦那が投げた小判がキラキラ光りながら、
澄んだ空の中を深い谷間に落ちていく様が、目に浮かびます。
この噺は、爆笑ポイントと言うよりは、サゲの意外性が一番でしょう。枝雀師匠が「あっ、忘れてきた。」という時の顔が最高です。
まくらのおもしろさが一番。なぜ、天気予報は当たらないのか?
人間と天気では、その歴史が格段に違うからだそうです。その説明の進化論が聴きどころです。
話では、源兵衛に対する村人たちの要求が、だんだんエスカレートしてくるところに、
サービス業(雨乞いも、ある意味ではサービス業)に対するお客様の傾向を表しているように思います。
言葉遊びのネタです。例によってすっかりだまされたアホが、他の人を同じ目に遭わせてやろうとするのですが、
なかなかうまくいきません。「手が切れてぼろぼろ」「重曹飲んで体柔らかい」「今宮をかわす、西宮にもあんねん」
何のことかわかる人はかなりの通でしょう。このパターンは、夢路いとし・喜味こいし師匠も得意にしていました。
爆笑に次ぐ爆笑の噺です。いきなりの甚兵衛さんとのやりとりが最も笑えるところでしょうか?
「わしゃさっきから気になってたんじゃが、おまはん、鼻の頭のその黒いチョボは何じゃ?」から始まる部分です。
この噺には適当に面白いまくらが必要だと思います。まくら無しで、この噺が始まるとたまりません。
笑う準備ができる前に大笑いしなければなりません。
隣室の酔っぱらいが勝手にコップの水を飲む場面でしょう。コップに気がつくところから始まり、うまそうに水を飲み干そうとして
中に入っていた義眼を飲み込んでしまうところが最高です。「カコッ・・・・・・・・今のはなあに?」是非ビデオで見たい場面です。
師匠はこの噺のまくらで「あまり面白くありません」と言っていますが、植木屋の幸右衛門が娘のお光と伝吉の様子を、
塀の穴から覗くところなどは大爆笑です。
幸右衛門と寺の和尚との親しい関係を、まことに上手に描いていると思います。
あほが、延陽伯の名前を勘違いして勝手にえらいことになったと思いこむところ。
「おい、”なに妾の姓名なるや?妾、父は元京都の産にして、姓は安藤名は慶蔵。
字を五光と申せしが、我が母三十三歳の折、ある夜丹頂を夢見、妾を孕みしが故に、
たらちねの体内を出し頃は鶴女鶴女と申せしがこれは幼名。
成長ののちこれを改め延陽伯とすなり。”風呂いこか?」
この話は、師匠の酔態が聴きどころ見どころです。うどん屋をからかうあたりが最高です。
それから、親父の発言「酒ばっかり飲みくさって、年行った者はしょうがないとして」に対して、
息子の「毎晩毎晩酒ばっかり飲みくさって、若い者はしょうがないとして」という会話。
酒飲みの心情がうまく表現されています。
声をひそめてうどんを買いに来る客は、みんな十杯買ってくれると思いこむ、そんなうどん屋が聞きどころです。
「十杯ですか?」「いいや、一杯でええね」
「おかしいなぁ、そうか、味見や。・・・・・」実生活でもよくありそうな、自分中心の思いこみが笑わせます。
この噺にも、あの「松本留五郎」氏が登場します。すっかり酔っぱらって帰ってきた留五郎が、
女房相手にごちゃごちゃ言うところが聞きどころです。
最初は留五郎の方が勢いがいいのですが、酒のつまみを出すところから、奥さんの形勢がよくなります。
このあたりの夫婦の機微の表現がすばらしいと思います。
「何か残ってないの?」「冷やご飯ならあります。さめた冷たいご飯。」
「そんなん酒のつまみになりますか?何にもないの、つまむもの。」「茶瓶のふた、つまみなはるか」
新しくやってきた美人の女子衆が今日から住み込むことを知ってからの、一番番頭の反応と行動。
「おいっ、もう今日は仕事やめっ、早じまい。」「大戸を閉めよ」
「神さんに夜明かしあげよ」「つけたら湿して回れ」「寝間引いてはよ寝よぞっ」「めし?今日はくわんでええ。」「便所?明日行け。」
何か下心があるときの人間の行動は、自然と表に出るものです。(この噺では不自然な位はっきり表に出ていますが)
あほが胡椒を買いに行った八百屋の店先で、何を買いに来たのか忘れてしまい、思い出すために「八百屋お七」の浄瑠璃を一段語る場面。
「お伝馬町より引き出され・・・」それから、この噺の聞きどころは、胡椒の代わりに唐辛子を燻べられた後藤一山のくしゃみです。
最初は普通のくしゃみ、次は「あれっ」という気持ちを込めたくしゃみ、そして最後は我慢してもしきれずに出てしまうくしゃみ。
酔っぱらいが、上燗屋と応対しながら、ただのものだけを食べる場面。「鰯のからまぶしの下のおからはなんぼ?」
「お金頂戴するわけにまいらんちゅうのんは、どういうことを意味すんの?えっ、ただ?」「上の紅生姜はなんぼ?」
ろれつが回らないくらい酔っているのにこの鋭いつっこみ、上方らしいところです。
手伝いの又はんが、のろけ話をするところが爆笑ポイントですが、その中でも夫婦で行水をする場面が最高でしょう。
二人が背中合わせになって立ったり座ったりして洗いっこする場面、師匠の顔と姿が目に浮かびます。これもビデオで見たい噺です。
丁稚の定吉が、入れられた蔵の中で「仮名手本忠臣蔵」を始めるところが山場ですが、
私はむしろ、その前の旦那との応対が聞かせると思います。
芝居を見に行っていたことを隠していた定吉が、旦那の誘導尋問に引っかかってつい、今まで芝居を見ていたことをしゃべってしまう。
その理由が、自分にとっては常識ともいえることを間違えている人に対して、その間違いを正さずにいられないという、
人間の心理がうまく描かれています。
最初の、スケールが大きい法螺話でしょうか?それとも、富くじが当たったと気づいたときのリアクションでしょうか?
この噺は「大きいネタ」だと師匠はおっしゃっていましたが、私ごときにはどこが面白いのかよくわかりません。
どなたか、この噺はこういう解釈でこう面白い、というご意見がありましたら、教えてください。
米朝師匠が追悼番組で「枝雀のまくらは天下一品だった。面白かった」とコメントとされていましたが、この噺のまくらも面白いと思います。
例のB−29が登場するまくらです。噺の中では、池田屋さんの店先に捨てられた三匹の子犬を丁稚が発見するところから、
鴻池善右衛門に貰われるまでの部分の旦那・丁稚の優しさと、
病犬になってしまった三男を捨てに行くときの丁稚の行動の対比が聞きどころでしょう。
幸福な環境に居ながらそれに飽き足りずに、刺激を求めてしまう人間に対する戒めが含まれているように思います。
日頃よく働き、人に対する気遣いも抜群の「おなべ」という女中。見かけは良くないが気だては最高のこんな女性にも、
猫の生き血をすする、という止めようにも止められない性癖がある。つまり、完璧な人間はいない。という真実と、
見返りを期待しない行動は、周囲の人たちからの支援をもらうための、最適な行動だ。という話だと思います。
弁慶の瘤をとるのに、瘤を疣(いぼ)だと誤魔化して、蛸薬師さんにお願いする。いくら鮹断ちをしてお願いしても、
嘘をついては聞いてもらえるはずがありません。難題をかかえた時に、もうだめだと諦め嘆くよりはましですが、
蛸薬師さんを誤魔化して何とかしてもらおうという、その依存状態がとてもおかしい話です。
近年はやりませんでしたが、後半のにわかが聞かせる話です。文字通りアドリブで色々な小話を挟むのですが、
「青亀の怖いとろろ」が「憧れのハワイ航路」のしゃれだったり、
「機関車カンテキ網張られ」が「感謝感激雨霰」だったり、はたまた浪速の源蔵親分が登場したりと、とにかく楽しい噺です。
初めてお菊さんの幽霊を見に行く時は、怖い怖い、帰りたいとか言いながら、こわごわ行ったのに、
一度、別嬪のお菊さんを見て味をしめると、毎晩通い詰める。この男の悲しい性が、笑わせます。
皿を18枚読んだことを責められたお菊さんが、開き直るところ、「女の逆切れ、これは恐い。」という暗喩でしょうか?
まくらに使っていた、リニアモーターカーの噺が笑わせてくれます。「うちかけてはポッ、うちかけてはポッ。」
大阪から東京まで10分になったら、というところが関西人の師匠らしいですが、確かに弁当は食べる時間がないでしょう。
人形屋をひやかす場面、船頭をからかう場面など、盛りだくさんの爆笑ポイントを持った噺です。
餅を色々な技で食べる場面。フファフファフファフファ言いながらどんな顔で食べているのか想像しながら聞くのもいいですが、
やっぱりこの噺はビデオに限ります。
水も滴るきれいなお方を、「ビチャビチャの女子」、緋塩瀬の茶ぶくさ、を「ヒッチョゼノ、チャブクチャ」
「百人一首の中に、人食いてな人が」「崇徳院と違うのか」よくもまあ、ここまで聞き違いするな、と思うほど頼りない熊はんに、
息子の大切な、恋慕の相手探しを頼むあたり、この旦那の人を見る目はかなり正しいと思います。
誤魔化そうなどと考えず、一所懸命に捜してくれるに違いありません。
「へぇ、駕籠」「なにっ?」「へぇ、駕籠」「そうか、ホンなら後ろへ回り。」「何です?」
「せやから、後ろへ回れっちゅうてんねんがな。・・・屁え嗅ごっちゅうのやろ。」
ここですね。言われた駕籠屋はどんな表情をするのでしょうか?
もう今更ここに書くまでもありません。師匠の噺の中で、ひときわ光る大爆笑話です。松本留五郎が一躍有名になった噺です。
「生年月日っ」「年は23です」「学校?この頃は行きませんなぁ」等々。最初から最後まで笑いっぱなしです。
後半は職業が「ぽん」に変わりました。これはこれで面白いと思いますが、前の「河太呂」も捨てがたい味を出していました。
1荷入りの壺を2荷入りと交換してから、壺屋の番頭が悩むところでしょう。
「ここにお金が三円。それからこの壺は、今は壺やけれどもやがて3円に成るんやから、
3円入れるちゅうとこがちょっとややこしいねんで。・・・・おいっ、もっと大きいそろばん頂戴。」
この噺のビデオを所有していますが、このときの師匠の顔、仕草、本当に笑えます。
お釈迦様がでてきて、キリストの悪口を言うところでしょう。
キリストが憎くて悪口を言っているのではなく、千年以上の長い期間を友人として過ごした者だから言える、
遠慮する必要のない、親しみのこもった悪口です。この辺の感じを師匠はうまく出していると思います。
個人的には、この噺が一番好きです。笑えます、そして泣けます。
胴乱の安兵衛が安井の天神さんに奥さんをお願いするところ、思いっきり笑えます。
その後の母狐を逃がしてやる場面、思いっきり泣けます。動物に対する師匠の優しさがにじみ出ています。
師匠の話を生で聞いた最後がこの天神山でした。95年の冬だったと思います。少し病気が出始めていた頃だったのでしょうか?
「今日のお客さんが、もし笑てくれなんだらどないしょう、とばっかり考えてまんねん。」というようなことを何度もおっしゃっていました。
さすがに全盛の頃(個人的には92年から94年頃と思っています)ほどの凄さはありませんでしたが、しっかり笑わせ、泣かせてくれました。
けんかの仲裁に入ってもらってただ酒を飲もうとする二人の計略と、それにまんまとはまる炭団屋の幸助。好きなことをするときには、
他の情報に対する注意力が落ちるのはよくあることです。けんかの仲裁をしたい、したい、と思っていると
ニセのけんかだろうが、物語中のけんかだろうが、すべて仲裁しようと思ってしまうのでしょう。
噺の最初から大爆笑です。「夏のお陽ーさんが、かぁーっ。」最高です。
師匠の掌が太陽で、これに照りつけられるいかにも太陽に弱そうな頭。
この噺はビデオで見ることをおすすめします。
浄瑠璃の女師匠をめぐって、その弟子達がわいわいがやがや鞘当てをするところでしょう。若い頃、一度くらいは経験があるはずです。
相手の何の変哲もない仕草を自分に対する好意だと勘違いしてしまうことが。一般的には年齢(経験)とともに、好意を持っているか否か
見分けがつくようになるのですが、この境界線引きが甘い人が存在することも又事実で、色々な愛憎劇に発展したりしています。
なんだかんだと理由を作って、旦那の下手な浄瑠璃を聞かずにすまそうとした人達が、
旦那が激怒していることを聞いて嫌々集まってくる場面。
「またやるjことになりましたなぁ」「そうですなぁ」から始まるやりとりに、
昔も今も変わらぬ権力者のわがままに翻弄される庶民の姿がよく出ています。
旦那の味方であるはずの、店の従業員までもが、皆にコルクの耳栓を用意するぐらいですから、周囲の者全員相当迷惑をしているわけで、
下手な旦那はそれに薄々気づきながら、自己満足のために周囲を巻き込んでいる構図も、これまたよくある話です。
浄瑠璃の会に初めて義太夫として出演したときの、あがった様子と失敗の顛末がうまく描写されています。
カラオケが出始めた頃に歌うときにも同じような経験をしました。
後半の軒付けは、いわば武者修行です。鰻の茶漬けにつられて参加するこの男もなかなかの者ですが、
代役の三味線弾き源さんのレベルの凄さ。三味線の音あわせもできないのに軒付けに出ようとは。
不安を覚えながらも浄瑠璃語りのやりたさに負けてつい仲間に入れてしまうところが笑えます。
無事髪を下ろした八五郎改め法春が、チョンコ節を歌いながら歩く場面。
思いが叶ったうれしさのあまり、つい歌を口ずさんでしまうのはよくあることですが、
八五郎の場合はこれがチョンコ節だというところが笑えます。
「坊主抱いて寝りゃ可愛いてならぬ、どこが尻やら頭やらチョンコチョンコ」
大関花筏の偽物になってくれと頼まれた提灯屋の徳さんが、自分の不注意から、地元の強者千鳥ヶ浜と対戦することになるが、
さて、対戦の仕切り中に徳さんと千鳥ヶ浜双方が、相手の仕草、発言等で色々と考えてしまうところ。
自分が怖いときには相手も怖い、という状況をうまく描いています。
同じ船に乗り合わせた者同士、時間潰しにあれやこれやと楽しむ下り、現在ではあまり無くなった旅の情景です。
私が高校生の頃までは、電車で隣り合わせた人からよく話しかけられたものでした。
今は、通勤電車などでは、話している人に対してうるさそうな視線を向ける人が多いようです。
自分から積極的に働きかけないと、ネットワークができない世の中です。
私が持っているものは、小米から枝雀になって初めて演じた録音です。地味な噺ですが、将来の開花を感じさせる出来映えです。
あまりの窮状を見かねて、貧乏神が内職を始めてしまう。
世の中には「人に尽くすタイプ」と「人から尽くされるタイプ」があり、そしてそれぞれ上には上がある。
しかし、尽くしてもらっていい気になっていると終いには愛想を尽かされてしまう、という、
本当によくある話を暗くならずに仕上げています。
金貸しの利吉を脅かそうと、屋根に登って不動坊の幽霊を出す場面で、
人魂を出そうとして用意してきたアルコールをめぐってあほがスカタンをする場面。
「出てけえへんな?」「一杯詰まってるよ?」「一杯詰まってる?なんや甘いで」「一番上等やで」「一番上等で甘い?」・・・・・・・
「考えてわからんか?なんで幽霊がでるときにあんころ餅が必要やねん?」
雀のお松の登場場面が最高でしょう。人の話も聞かず、自分の言いたいことだけしゃべりまくるこんな人居ると思いませんか?
それと、喜六が焼豆腐を買いに行って、間違えて薄揚げを買ってきたときのお仕置きでしょう。
灸をすえられ熱い熱い、井戸水をかけられ冷たい冷たい、またお灸をぱっぱっぱっ、・・・・・・・・
熱いわい、冷たいわい、言うてそこで焼豆腐思い出したんや。
有名な話ですが、狐にだまされて、美人に化けた狐と旅人の様子を覗こうとして、馬の尻の穴を一生懸命のぞき込む場面でしょうか。
「ばさっとなんかが額にかかってきたのを払いのけといて、一生懸命覗いてみるのやが、
中はなんやこうもやもや、もやもや、として何か臭いかざがすんねで。」
「なんやそれは?」「なんやそれはと思って・・・・」 カットされることもありますが、
狐にばかされるときの様子がうまく表現されていると思います。
これも師匠の代表的な爆笑話です。大爆笑ポイントは無数にあります。荷物を担ごうとして担げないところとか
、釘を打ち込んでしまう場面とか、
そんな中で一番の聞きどころは、最初はおやっさんの方が勢いがいいのに、
新家に着くのが遅くなってからはおかみさんの勢いがよくなるところでしょう。
しょっちゅう喧嘩していながら仲のいい夫婦の様子が聞かせます。
長い話ですが、大爆笑に次ぐ大爆笑で、聴く方が笑い疲れてしまいます。中に休憩を挟んでいるのは大正解だと思います。
正塚の婆の孫の孫の孫とのやりとり。
鬼の船頭に渡し賃を決められるところ。「ピチピチ四十九」とか「一区二区ですか?」とか、「ケニアの山猟師六太夫」
六道の辻観光案内所。「幽霊のラインダンス、骸骨のストリップ」・・・・「あんた元関西の人でしょ」「わっかりますか」
とにかく最初から最後まで、爆笑に次ぐ爆笑です。