●4/1日
昨日、ある拍子に危うく転びそうになった。が、…「そういえば、最近は、こんなこともなくなったなぁ」 と、過去の自分を振り返えってみることにもなった。
…と同時に、何故か、昨日に限っては
(発症以来、何度となく、けたたましく転倒していながら)「きっと俺の最期もこんな風に訪れるんだろうなぁ」と、今までになかったような感慨を抱くとともに、
また、何の脈絡でか、ふと、去年亡くなったアップル社の創始者-ジョブズ氏が、生前、母校の若者達に遺していたという、あの、「常に、自分は明日死ぬかもしれないと思いつつ生活しているだけで、きっと、今よりも数段充実した人生を送れるはず‥」
というような意味の、ガンの手術を受けた直後の講演での一節を思い出していた。
‥「これだな!」と思った。今、自分に必要なのは…。
今更ながら、心底 「一日一日を慈しみながら生きよう」 と思った。
●3/23金
(我が子へ)
この世は(人の世は)
究極、人間が好きな人が勝つように(幸せになるように)できています。
それを教えてこなかった父は、すごく心配です。
今からでもいいです、好きになってください、人間を、いっぱい‥。
悟りの遅い父で、ゴメンナサイ。
●3/15木
他人(ひと)には「とにかく前向きに‥」、と言っていても
実は、‥
しかたないさ
こんなドデカイ真っ黒の海を前にしては‥
●2/29水
「♪何でもないことが、しあわせだったと思う〜」
という歌がある
たしかに‥
我が身と照らし合わせてみても、そう思う
たとえば、「運動能力」 を無くしてしまった私は、今、ふつうに歩くことができない
その当たり前のことを難なくやってのけるあなたがたは
私から見れば、みんな、「大天才」 なのだ
●2/26
あれから、ほとんど失ってしまった「バランス感覚」が (私の場合は、それを取り戻すというより、新たに作り直す、といった方がいいのかもしれないが)
この頃、ようやく、(ほんとうに「気持ち程度」でしかないが) 間違いなく作られつつあるのを感じる。
あれから、6年目。長かったが
‥希望は持つもの、努力はするもの、ということだろうか?
●2/23木
私の体であっても
自分の自由にならないという理不尽
‥の中で
唯一当たり前に動く右手だけは文字通り、「救いの手」だ。
‥有難い。
●2/2水
今更だろうか?
いつか、こんな日がくるだろう、ということを、遠い昔から予感していたような気がする。
たとえば子供の頃、私は、よく「21世紀まで生きられるだろうか?」と考えていた。‥傍目には分らない、ある苦痛をひとり背負っていたからだが‥。
だから、実は、
2000年を越えてまだ生きていたことを、半分はそれを否定しながらも、半分は「よくやって来たよな」と、自分を誉めていたのである、こうなるまでは‥。
●2/1水
未来(予想図?) を描けなくなったからか、しぜん思い出ばかりの旅を漂うことになる。
と、案の定、突き当たるのは過失だらけの暗澹たる森。
そこで、気を紛らせるもの、話相手のある人は幸いだ。憂鬱風にかからなくて済む。
(わが輩は下手くそながら画に逃げているが)
もし、逃げ場がなかったとしたら、どんなにか、苦痛な日々を送ることになったろう。
●1/13金
ふとこんなことを思い出していた
《 あの時 (倒れてまだ1,2月の時)、
(理学療法士さんもそうだし、その他の人たちも)
私が歩けないのは筋力がないからではなく、そもそもバランス能力を無くしたからだと、何故、直ぐに見抜けなかったのだろう、その説明もなかったし‥》
「今更」である
そうと分っても、大差ないことなのに‥
‥
●1/10火
なんとなく
なんとなく‥
●12/23金
リハビリって、
「失った機能を回復させるための訓練」 と、ばかり思っていた。
(整形外科等ではそういう意味だろう?)
‥が、私たちにとっては、どうもそういうことではないような気がする。
私たちにとっては
「(今まで持っていた)機能を失った新しい体に慣れさせるための訓練」
だ、とは、いえないだろうか?
●1/24木
昔
時間に追われない生活に憧れたことがあった
‥
ある意味、これで願いが叶ったことにならないか?
‥
それにしても
あんまりだ、よな (笑)
●10/20木
誰でも
最期が、同じ 「オチ」 で、終わる人生なら
御殿のような大邸宅で、それを迎えようが
青テントの中で、迎えようが
長命だろうが、短命だろうが
病に臥していようが、元気でいようが
賢明だったろうが、愚か者だったろうが
はちきかんばかりの富と笑顔に溢れていようが
あきれるほどの借金と泥にまみれていようが
大勢の家族に見守られていようが
ひとりぽっちだろうが
有名だろうが、無名だろうが
夏目漱石を読んで育ったろうが
漫画ばかりを見ていたろうが
世界一周を経験してようが
隣町にも行ったことがなかろうが
AKB-48を知っていようが、知っていまいが
どんなにたくさんの人に愛されていようが、孤独だったろうが
大きな仕事を成し遂げていようが
ぐうたらな生涯だったろうが
50畳の豪華な居間だったろうが
雨ざらし野ざらしの青木ヶ原だったろうが
充実していようが、空疎だったろうが
‥
せめて、<自己満足>の真ん中で終われたら
と、思う
●9/28水
できたものはしょうがない
やってしまったものも、しょうがない
あるもの、ないもの、なくしたものも
(数えあげても) いくつあってもしょうがない
しょうがないのは、×× してもしょうがない
ここが踏ん張りどころと
新たな道への
‥華麗なスタートラインにするよりしょうがない
●9/16金
いまだからいうと
あの時
俺は、地獄に落ちた、と思った
*
だから
ほんとに、よく、還ってきたなと思う
*
比較すれば、この世は天国、だ
たとえどんなだろうとも‥
*
それを否定する人がいたとしても
結局、心の持ちよう一つだと思う
●8/28日
成る程
言葉の「重み」や「説得力」というものは
その人が何をしたかによるものなのだ
‥
(と思うと)
(もう、‥言葉が無かった)
‥
●8/14日
§
極端にスタミナのない子だった
自他共に認める、「ナマケモノ」 より怠け者の、軟弱な子だった
(人間にはいろいろあるとは思っていたが)
そういえば
オイラには、毎年、絵に描くような 「夏バテ」 というものがあった
§
しかし、あれ以降
長年悩ませていた夏バテも虚弱体質もどこへか霧消し、その片鱗さえなくなって
いる
(体質がまるっきり変わってしまったのだ)
どうしたらいい?
オイラは、「あれは、決して悪いことばかりをもたらしたわけではなかった」 と
正直に伝えるべきだろうか?
§
●8/7日
突然思った
いつまでも落武者の役回りを演じているのは止めよう、と‥。諦めちゃいけなかった、最後の最後まで。
ましてや、もしかしたら 「災い転じて福となす」 ように、‥これからの幕は、終局へのどんでん返し(毎日笑っていられる方へ)に向かって、もうすでに進行中なのかもしれないし‥。
どうも、先は (思っていたより、ズッと) 長そうだ。
でも、さすがに、この、ひん曲がった性格だけは、すぐには治せそうにないけど。(笑)
●7/30土
あの日、目覚めた私に「青天の霹靂だったか?」と問う人がいた。返答に窮した。チョッと違うような気がした。何故というに、そう、この日のくることを、私は何故か、かなり前から予感していたような気がしていたからだ。
「生きてたのか?」と云った。‥つもりが、発音できなかった。口の辺りがマヒしていた。昨日までの、救急車で運ばれた記憶を手始めに、シャガールの絵のような、おぼろげにして不思議な世界をさまよっていた数日間の冒険?
を思い出して、すべてを納得した。
見回すと、なにもかもが、私がかつて見知っている世界とは別世界のように見えた。大体、触感から違っていた。人間のものではなかった。虫になっていた。カフカの「変身」なんぞを読んでいたからだろうか、一瞬そんな感慨にとらわれたが、そうではなかった。言い直すなら、もしも虫だったら、こんな感覚がするだろうか?
などと思ったのだ。‥が、すぐに、変わったのは自分の五感? と気づいて、「成る程な!」と呟いた(つもりだった)。
発音するのに簡単な単語をひとつ選んで、「病院?」と聞いた。ベッドの中にいたからだ。ただ、ある光景を思い出してからは、これは、もう「青天の霹靂」なんてものじゃなく、「曇天から雨」のような、極めて当り前のことだと思っていた。
ズーッと若い頃だが、一時期、「俺はロクな人生は歩かないだろうなぁ」 という、どこか予言めいた感覚に囚われていたからでもあるが、‥と同時に、何故、そんなふうに想ったのか?
も、ハッキリと思い出したからだった。
●7/17土
結局、
(容易に自分の人生が振り返れるようになった、今、思えば)
大したことなかったな、俺。
「いや、よく やって来た さ !」
●7/15金
よく生きてたな、と思う
どう考えても、ここに来るしかなかった
「いや、よく やって来た さ !」
●7/11月
兄がいる。‥しかも目と鼻の先に、‥似たように独り暮らしで。‥当然、他人(ひと)は、こう云う。 「一緒に暮らせば?」「二人なら、何かと便利だろうし‥」
自分の気分が楽になるからだろう。
残念! 余計に苦労する人がいる。
大体、オイラがひと(他人)と一緒に暮らせるような人間だったら、あの家(結婚して養子に入った先)を出てくることは無かった。
(ましてや、今、快適な生活しているのに、何も、それを壊す必要はないだろう?)
そう、オイラ 、実は国宝級? のワガママ者(というより、相手にメチャクチャ気を使って、‥使いすぎて疲れ果て、‥で、何も出来ずにイライラばかりを溜め込んでしまうという、どうしょうもない輩)。
‥ウマくいくわけがない‥。
●7/7木
よく、他人の携帯や使用中のパソコンは覗くべきではない、という声を聞く。
考えてみた。確かに一理はある。(特に、裏の顔を持っている人には?)
じゃ、絶対そうか? というと、そうでもないようなのだ。
‥というのは、「覗くな!」という言葉には、「自分はそんなに信用出来ない人間だろうか?」という落胆の声や、「そんなこと言わないで、もっと自分に興味を持ってよ!」という嘆き声なども、あたかも反語のように聞こえてくるからだ。
‥としても、やっぱり適度の(程度)問題だろう。
そう、これだけじゃなく、物事みんな(絶対ダメというものにも)、適度という一本の線があって、‥で、その位置をいつ(早ければ早い方がいいだろうか?)悟ることができるか否かで、その人の運命も大きく変わってくるように思われる。
もちろん、今頃になって気づいた私には、ロクな人生しか無かったというわけだが‥。(へへヘ)
●6/25土
当たり前というか何というか、‥うーん、自己確認ということで‥。
自分の体のことは自分が一番知っているわけだから、おのずと、何もかもが自己責任ということになる。たとえ医師、リハビリの先生方が相手でも、まるで頼りっきりでは
ダメなのだ。
どんなに優秀な医師でも どんなに経験豊富な理学療法士でも、じゃぁ、彼らが実際に脳卒中で倒れた経験はあるか? といえば、ほとんど あるわけはないのだし‥。
特に、この病気は 人によってマチマチで、なってみなければ分からない事柄も多く、ひと筋縄ではいかないのでは? と思うのだ。つまり、結局は 本人でなければ分からない
ということであって、彼らの 「専門家」としての高度な術と知識はありがたく活用させて頂きながら、(なにごとによらず?)、最後は自分で、おのれに与えられた《新しい》道を
切り開いていかなければならない、ということになるだろうか?
それだけ、コッチが もっと勉強しなければならない、ということだが‥。