No.11             戻る

●4/1日

昨日、ある拍子に危うく転びそうになった。が、…「そういえば、最近は、こんなこともなくなったなぁ」 と、過去の自分を振り返えってみることにもなった。

…と同時に、何故か、昨日に限っては
(発症以来、何度となく、けたたましく転倒していながら)「きっと俺の最期もこんな風に訪れるんだろうなぁ」と、今までになかったような感慨を抱くとともに、
また、何の脈絡でか、ふと、去年亡くなったアップル社の創始者-ジョブズ氏が、生前、母校の若者達に遺していたという、あの、「常に、自分は明日死ぬかもしれないと思いつつ生活しているだけで、きっと、今よりも数段充実した人生を送れるはず‥」 というような意味の、ガンの手術を受けた直後の講演での一節を思い出していた。

‥「これだな!」と思った。今、自分に必要なのは…。
今更ながら、心底 「一日一日を慈しみながら生きよう」 と思った。

●3/23金

(我が子へ)

この世は(人の世は)
究極、人間が好きな人が勝つように(幸せになるように)できています。
それを教えてこなかった父は、すごく心配です。
今からでもいいです、好きになってください、人間を、いっぱい‥。

悟りの遅い父で、ゴメンナサイ。

●3/15木

他人(ひと)には「とにかく前向きに‥」、と言っていても
実は、‥

しかたないさ
こんなドデカイ真っ黒の海を前にしては‥

●2/29水

「♪何でもないことが、しあわせだったと思う〜」
という歌がある

たしかに‥
我が身と照らし合わせてみても、そう思う

たとえば、「運動能力」 を無くしてしまった私は、今、ふつうに歩くことができない
その当たり前のことを難なくやってのけるあなたがたは
私から見れば、みんな、「大天才」 なのだ

●2/26

あれから、ほとんど失ってしまった「バランス感覚」が (私の場合は、それを取り戻すというより、新たに作り直す、といった方がいいのかもしれないが)

この頃、ようやく、(ほんとうに「気持ち程度」でしかないが) 間違いなく作られつつあるのを感じる。

あれから、6年目。長かったが
‥希望は持つもの、努力はするもの、ということだろうか?

●2/23木

私の体であっても
自分の自由にならないという理不尽

‥の中で
唯一当たり前に動く右手だけは文字通り、「救いの手」だ。
‥有難い。

●2/2水

今更だろうか?
いつか、こんな日がくるだろう、ということを、遠い昔から予感していたような気がする。

たとえば子供の頃、私は、よく「21世紀まで生きられるだろうか?」と考えていた。‥傍目には分らない、ある苦痛をひとり背負っていたからだが‥。
だから、実は、
2000年を越えてまだ生きていたことを、半分はそれを否定しながらも、半分は「よくやって来たよな」と、自分を誉めていたのである、こうなるまでは‥。

●2/1水

未来(予想図?) を描けなくなったからか、しぜん思い出ばかりの旅を漂うことになる。
と、案の定、突き当たるのは過失だらけの暗澹たる森。

そこで、気を紛らせるもの、話相手のある人は幸いだ。憂鬱風にかからなくて済む。
(わが輩は下手くそながら画に逃げているが)
もし、逃げ場がなかったとしたら、どんなにか、苦痛な日々を送ることになったろう。

●1/13金

ふとこんなことを思い出していた

《 あの時 (倒れてまだ1,2月の時)、
(理学療法士さんもそうだし、その他の人たちも)
私が歩けないのは筋力がないからではなく、そもそもバランス能力を無くしたからだと、何故、直ぐに見抜けなかったのだろう、その説明もなかったし‥》

「今更」である
そうと分っても、大差ないことなのに‥


●1/10火

なんとなく

  なんとなく‥

●12/23金

リハビリって、
「失った機能を回復させるための訓練」 と、ばかり思っていた。
(整形外科等ではそういう意味だろう?)
‥が、私たちにとっては、どうもそういうことではないような気がする。

私たちにとっては
「(今まで持っていた)機能を失った新しい体に慣れさせるための訓練」
だ、とは、いえないだろうか?

●1/24木




時間に追われない生活に憧れたことがあった



ある意味、これで願いが叶ったことにならないか?



それにしても

あんまりだ、よな (笑)

●10/20木

 誰でも
 最期が、同じ 「オチ」 で、終わる人生なら

 御殿のような大邸宅で、それを迎えようが
 青テントの中で、迎えようが

 長命だろうが、短命だろうが

 病に臥していようが、元気でいようが

 賢明だったろうが、愚か者だったろうが

 はちきかんばかりの富と笑顔に溢れていようが
 あきれるほどの借金と泥にまみれていようが

 大勢の家族に見守られていようが
 ひとりぽっちだろうが

 有名だろうが、無名だろうが
 
 夏目漱石を読んで育ったろうが
 漫画ばかりを見ていたろうが

 世界一周を経験してようが
 隣町にも行ったことがなかろうが

 AKB-48を知っていようが、知っていまいが

 どんなにたくさんの人に愛されていようが、孤独だったろうが

 大きな仕事を成し遂げていようが
 ぐうたらな生涯だったろうが

 50畳の豪華な居間だったろうが
 雨ざらし野ざらしの青木ヶ原だったろうが

 充実していようが、空疎だったろうが

 ‥

 せめて、<自己満足>の真ん中で終われたら
 と、思う

●9/28水

できたものはしょうがない
やってしまったものも、しょうがない

あるもの、ないもの、なくしたものも
(数えあげても) いくつあってもしょうがない

しょうがないのは、×× してもしょうがない

ここが踏ん張りどころと
新たな道への
‥華麗なスタートラインにするよりしょうがない

●9/16金

いまだからいうと
あの時
俺は、地獄に落ちた、と思った
 *
だから
ほんとに、よく、還ってきたなと思う
 *
比較すれば、この世は天国、だ
たとえどんなだろうとも‥
 *
それを否定する人がいたとしても
結局、心の持ちよう一つだと思う

●8/28日


成る程

言葉の「重み」や「説得力」というものは

その人が何をしたかによるものなのだ



(と思うと)

(もう、‥言葉が無かった)



●8/14日

 §

極端にスタミナのない子だった
自他共に認める、「ナマケモノ」 より怠け者の、軟弱な子だった

(人間にはいろいろあるとは思っていたが)

そういえば
オイラには、毎年、絵に描くような 「夏バテ」 というものがあった

 §

しかし、あれ以降
長年悩ませていた夏バテも虚弱体質もどこへか霧消し、その片鱗さえなくなって
いる

(体質がまるっきり変わってしまったのだ)
 
どうしたらいい?
オイラは、「あれは、決して悪いことばかりをもたらしたわけではなかった」 と
正直に伝えるべきだろうか?

 §

●8/7日

突然思った
いつまでも落武者の役回りを演じているのは止めよう、と‥。諦めちゃいけなかった、最後の最後まで。

ましてや、もしかしたら 「災い転じて福となす」 ように、‥これからの幕は、終局へのどんでん返し(毎日笑っていられる方へ)に向かって、もうすでに進行中なのかもしれないし‥。
どうも、先は (思っていたより、ズッと) 長そうだ。

でも、さすがに、この、ひん曲がった性格だけは、すぐには治せそうにないけど。(笑)

●7/30土

あの日、目覚めた私に「青天の霹靂だったか?」と問う人がいた。返答に窮した。チョッと違うような気がした。何故というに、そう、この日のくることを、私は何故か、かなり前から予感していたような気がしていたからだ。

「生きてたのか?」と云った。‥つもりが、発音できなかった。口の辺りがマヒしていた。昨日までの、救急車で運ばれた記憶を手始めに、シャガールの絵のような、おぼろげにして不思議な世界をさまよっていた数日間の冒険? を思い出して、すべてを納得した。
見回すと、なにもかもが、私がかつて見知っている世界とは別世界のように見えた。大体、触感から違っていた。人間のものではなかった。虫になっていた。カフカの「変身」なんぞを読んでいたからだろうか、一瞬そんな感慨にとらわれたが、そうではなかった。言い直すなら、もしも虫だったら、こんな感覚がするだろうか? などと思ったのだ。‥が、すぐに、変わったのは自分の五感? と気づいて、「成る程な!」と呟いた(つもりだった)。

発音するのに簡単な単語をひとつ選んで、「病院?」と聞いた。ベッドの中にいたからだ。ただ、ある光景を思い出してからは、これは、もう「青天の霹靂」なんてものじゃなく、「曇天から雨」のような、極めて当り前のことだと思っていた。
ズーッと若い頃だが、一時期、「俺はロクな人生は歩かないだろうなぁ」 という、どこか予言めいた感覚に囚われていたからでもあるが、‥と同時に、何故、そんなふうに想ったのか? も、ハッキリと思い出したからだった。

●7/17土

結局、

(容易に自分の人生が振り返れるようになった、今、思えば)

大したことなかったな、俺。

「いや、よく やって来た さ !」

●7/15金

よく生きてたな、と思う

どう考えても、ここに来るしかなかった

「いや、よく やって来た さ !

●7/11月


兄がいる。‥しかも目と鼻の先に、‥似たように独り暮らしで。‥当然、他人(ひと)は、こう云う。 「一緒に暮らせば?」「二人なら、何かと便利だろうし‥」
自分の気分が楽になるからだろう。


残念! 余計に苦労する人がいる。

大体、オイラがひと(他人)と一緒に暮らせるような人間だったら、あの家(結婚して養子に入った先)を出てくることは無かった。

(ましてや、今、快適な生活しているのに、何も、それを壊す必要はないだろう?)

そう、オイラ 、実は国宝級? のワガママ者(というより、相手にメチャクチャ気を使って、‥使いすぎて疲れ果て、‥で、何も出来ずにイライラばかりを溜め込んでしまうという、どうしょうもない輩)。
‥ウマくいくわけがない‥。  

●7/7木


よく、他人の携帯や使用中のパソコンは覗くべきではない、という声を聞く。

考えてみた。確かに一理はある。(特に、裏の顔を持っている人には?)

じゃ、絶対そうか? というと、そうでもないようなのだ。
‥というのは、「覗くな!」という言葉には、「自分はそんなに信用出来ない人間だろうか?」という落胆の声や、「そんなこと言わないで、もっと自分に興味を持ってよ!」という嘆き声なども、あたかも反語のように聞こえてくるからだ。

‥としても、やっぱり適度の(程度)問題だろう。

そう、これだけじゃなく、物事みんな(絶対ダメというものにも)、適度という一本の線があって、‥で、その位置をいつ(早ければ早い方がいいだろうか?)悟ることができるか否かで、その人の運命も大きく変わってくるように思われる。

もちろん、今頃になって気づいた私には、ロクな人生しか無かったというわけだが‥。(へへヘ)


●6/25土


当たり前というか何というか、‥うーん、自己確認ということで‥。

自分の体のことは自分が一番知っているわけだから、おのずと、何もかもが自己責任ということになる。たとえ医師、リハビリの先生方が相手でも、まるで頼りっきりでは ダメなのだ。

どんなに優秀な医師でも どんなに経験豊富な理学療法士でも、じゃぁ、彼らが実際に脳卒中で倒れた経験はあるか? といえば、ほとんど あるわけはないのだし‥。
特に、この病気は 人によってマチマチで、なってみなければ分からない事柄も多く、ひと筋縄ではいかないのでは? と思うのだ。つまり、結局は 本人でなければ分からない ということであって、彼らの 「専門家」としての高度な術と知識はありがたく活用させて頂きながら、(なにごとによらず?)、最後は自分で、おのれに与えられた《新しい》道を 切り開いていかなければならない、ということになるだろうか?

それだけ、コッチが もっと勉強しなければならない、ということだが‥。