河太郎の部屋> 動物のみかた> 総論

1-1.目的別

   あがめる | おう | たべる | とる | ならす | めでる


あがめる

あがめる(崇める);敬い尊ぶ。

 日本は神さまだらけの国だ。仏教が入ろうと、八百万の神の信仰は消えはしない。神と仏がくっついて神さまが増えるばかりだ。
 動物には、様々な迷信や言い伝えがある。たとえばお稲荷さんはキツネ。キツネは田んぼの神さまだ。土地の神さまとも言われる。時 代が下るにつれて商売の神さまとしても崇められるようになった。
 奈良県の大神(おおみわ)神社の神体はヘビ。この神社がある三輪山の神、オオモノヌシの正体はヘビなんだそうだ。他にもヘビは「 夜刃(やと)の神」などと呼ばれていたようだ。
 大口真神(おおくちのまかみ)はオオカミ。オオカミは大神とも書かれる。時代が下って、神さまの使いとして扱われるようになり、 現在では秩父の三峯神社や奥多摩の御嵩神社などでお使いをしている。
 日吉大社はサル神。春日大社にはシカ。熊野の神さまはカラス。和歌山県の熊野本宮大社には、「カラス文字」で書かれた御神符があ る。これらの動物たちも、神さまだったのは過去の話。時代とともに、神さまではなくその使いと見なされるようになっていく。

 こう見ていくと、神さまは、どれもこれも、野生動物だ。家畜ではない。人に使役される哀れな家畜は、神さまにはなれなかったよう だ。
 人と野にすむ動物との間には境界がひかれ、ふとした折りに互いの世界をかいま見る。のぞき見ることの、神秘。

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おう

おう(追う、逐う);離れた場所へ去らせる。追い払う。

駆除(=追い払うこと。殺して取り除くこと)
退治(=討ち平らげること。征伐(=罪のある者や反逆者を攻めうつこと)征討(=服従しない者を、兵を出して攻めること))。

 最近、イノシシ、シカ、サルは農作物を荒らす害獣としてニュースによく出てくる。しかし、古代から農民はこうした動物被害に悩 んできた。シシ垣作りは古代から行われてきたし、江戸時代には動物たちを追い払うためのおどし鉄砲の許可を求めていた。考えてみ れば、動物たちにすれば、探さずとも食べやすい食物が一ヶ所に集まっているのだから、こんなに便利なことはない。こうした被害が なくなることはないだろう。

 虫は、不潔あるいは病気の代名詞として、追われる存在だ。少し前までの日本は、においと虫で満ちていたろう。除草剤がまかれ、 肥溜めも湿地もない今の日本では、想像もできない人も多いだろう。
 田畑に集まる、ネズミやモグラ、スズメ、ウンカやイナゴを退治するために、いろいろな対策を採ったが、完全に追い出すことはで きなかった。その一方で「虫送り」という呪術的な儀式が行われていた。これは、夜、ワラに火を付けて、虫を集まらせて、村の外へ 捨てに行くというものだ。
 夏になれば、現在でもまだまだ蚊に悩まされるけれど、昔は煙でいぶしていた。蚊遣火(かやりび)という。家の中で生の葉っぱを 燃やして、煙で追い出す。明治になって、蚊取り線香が発明されたけど、いまだ使われているから大したもんである。

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たべる

たべる(食べる);噛んで飲み込む。食う、喰う

食料;食べ物。
食糧;食用にする物。とくに米・麦などの主食。

 昔の日本は肉食をしなかったというが、全くなかった訳ではない。「肉」という字は「シシ」とも読む。イノシシやカノシシ(シカの 古語)、カモシシ(カモシカの古語)は、食べるための動物というわけになる。肉食を「穢れ」として禁忌にする傾向は、江戸時代頃か ら強まる。とはいうものの、薬喰いと称して、金持ちや病人はこれらの肉を食べていた。イノシシ肉はボタン、シカはモミジ、ウマはサ クラ、といって、植物の名前が付けられているのは、要するに隠語だ。
 食べてはいけないことになっていたのは、ウシ・ウマ・ニワトリ・サル・イヌ。少なくとも、これらの動物を食べる習慣があったと言 うことだろう。この古代の肉食禁止令も、何度も出てるから、守らない者が多々いた証拠。そうしてその習慣は受け継がれていくのだ。  牛肉のメッカは彦根藩、江戸や水戸の殿様が肉を取り寄せたという記録もあるようだ。江戸時代の後半ともなると「ももんじ屋」など で肉を食べることができた。そして、明治維新とともに、肉食は解禁となる。
 また、犬を食べるという習慣も、別段中国や韓国だけに限ったことではない。あんなに近いお隣さん、文化が移らないわけがない。武 士は、犬の足の速さにあやかりたくてとか、単に食べる物がないからとか、それがはやりだからとか、様々な理由で犬を食べていた。お おっぴらなものではなかったようだが。

 とにもかくにも、昔の日本人のタンパク源は、鳥や魚だった。魚が豊富に捕れる日本だったからこそ、肉食禁止令は可能だったようだ。

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とる

とる(採る(=植物や昆虫などを採集する)、捕る(=動物などを捕まえる。とらえる)

狩猟;野生の鳥獣を捕獲すること。

 狩猟、という言葉にどんなイメージがあるだろうか。ハンティングという方が通りがいいかもしれない。欧米で盛んなスポーツだが、 日本でも、イノシシやシカを対象に行われている。
 縄文時代だけでなく、日本ではずっと狩猟の文化が続いてきた。天智天皇が肉食禁止令を出したために、主流になりはしないもののア イヌやマタギに受け継がれ着実に現代まで続いている。古代蝦夷の習慣なのか、東日本に強く残り、西よりは肉食禁忌の傾向が弱いよう だ。江戸の頃には殿様の鷹狩りが常時行われ、ツルやガンカモ類が狩られ、朝廷に献上したり家臣に振る舞ったりしていた。ついでだが 、鷹狩り用の鷹の餌はイヌ肉だったそうだ。
 今のハンティングも犬を使って追うのが普通だが、江戸時代にはすでにグレート・デンが輸入されていて、イノシシを追いかける図も 残されている。ほかに、キツネやウサギも対象になる。
 野山ばかりではない。クジラ漁は紀州や土佐、房総、瀬戸内海の沿岸で行われていたし、北海道では、アザラシ・トド猟が行われてい た。ラッコやオットセイも毛皮が珍重されていたが、近代になって乱獲のために絶滅寸前になってしまった。江戸時代には水鳥問屋なん てものもあったようだ。
 大型哺乳類の絶滅の原因は、乱獲であることが多いから、狩猟は悪者になりがちだ。ライオンやヒョウをヨーロッパから滅ぼした古代 ギリシアの時代から、人間は、生息域拡大のため他の動物を滅ぼしてきた。人間が生き残るためにも、他の動植物を滅ぼすことなくやっ ていけないものか。狩猟が悪いわけではない。適正な、というとあいまいではっきりしないが、必要な分だけ取っていれば問題はなかっ た。商売のため、必要とする「かも」しれない分まで取ることが、滅びに結びつくのだ。

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ならす

ならす(慣らす、馴らす):動物などを飼い慣らす(=野獣や野鳥を飼って、人になつくようにする)こと。

例えば、半野生状態のウマを乗馬に用いるため人に馴らすこと。
愛玩するため、人から餌をもらうように慣れさせること。

 人間は、動物を飼い慣らし、自分たちのくらしを助けるためにその能力を利用してきた。
 たとえば、荷を運んだり田を耕したりするのには、日本ではウシやウマが主に使われてきた。ヨーロッパならロバ、アラビアではラク ダ、チベットではヤク、アンデスではリャマ・アルパカ、ロシアではトナカイ、東南アジアでは水牛・バリウシ・ガヤルが同じような役 目を果たしてきた。
 昔の日本のウシやウマは、現在ウマ・ウシと聞いて思い浮かべる競走馬やホルスタイン牛などの姿とは異なり、かなり小型で、女性が 荷物を載せやすいようなサイズだった。昔は荷を運んだり、田を耕したりするのが主だったから、小柄でよく働くものが喜ばれたのだ。 現在の日本では、ウマはもっぱら速く走るための、ウシは牛乳を多く出したり、よい肉を生産するためのものであるから、体格がいいも のが多い。
 使役動物は、ウシやウマばかりではない。イヌも、人間のために働いている。番犬、軍犬、警察犬、猟犬、牧羊犬、盲導犬。戦争で活 躍した動物としては、伝書鳩やゾウがある。
 これらの動物を調教するには、子どもの頃から育てねばならない。野生の動物の子どもを捕まえて調教する。家畜化はここから始まる 。家畜として定着するには、人間が繁殖をコントロールし、ほしい性質を固定しなければならない。鷹狩の鷹も、雛の頃から飼い慣らさ れ調教されたが、育種の方は進まなかった。というより狩りのための動物だから、野生の性質が必要だったのだろう。
 池のコイや公園のハト、港のカモメにお菓子をやるのはどうだろうか。家畜の「畜」には「飼い慣らす」という意味もある。
 野生の動物や鳥は、人になつくことはない。なついたとき、かれらはすでに野生の動物ではない。家畜化の始まりというべきか。
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めでる

めでる(愛でる);愛する。いとおしむ。かわいがる。

愛玩;だいじにして、かわいがること。なぐさみ(=気晴らし。楽しみ。遊び。)。

 小型犬や金魚、文鳥などは、人間の仕事に役に立つわけではない。何もせず、ただそこにいることを楽しみ、かわいがる。それが愛玩 だ。いなくてもすむけれど、どうせならいてほしい。ペットというのはそういうものだ。
 ペットという言葉にそれ以上の意味はないと思うのだが、よくないイメージを受ける人がいるらしく、伴侶動物という言葉で表現する ことが増えている。しかし、どんな言葉を使おうと、結局のところ人間が、ただかわいがるためだけに飼っているのだ。どれだけかわい がったところで、人間と動物は別の世界にいきているのである。動物が何を考えているかは、動物にならないと分からない。ソロモン王 や聞き耳頭巾、聖フランシスは、叶わぬ夢である。
 見せ物の動物となると、話はちょっと変わる。珍しいものが見たいという心理は万国共通。江戸時代には、舶来のゾウやらダチョウや ら手に入れては、見物料を取っていた。これらの動物は、たまたま、珍しいものが生き物だったという限りで、人間の奇形児やアミ細工 、曲芸師と同列に並ぶ。マヤだったかアステカだったかにあった動物園には、各地の動物だけでなく、奇形の人間も収容されていたとい う。
 未だ知らない生き物がいる。こうした動物たちを観察することで、博物学の眼が養われていった。

 現在ふえている電子ロボットは、ペットの必要最小限の部分を切り出したようなものだ。なんといっても世話をしなくてすむという人 間のエゴが丸出しになっている。ちゃんとペットを飼う自信のない方は、ロボットにしておくことをお薦めする。

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