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『勧進丸の紹介』

 1972年にスウェーデンのアルビンマリーン社で製造されたバラード321号艇が函館で
セーリングを始めてから40年を超えました、愛する我が艇のルーツをお話しましょう。

 お持ちの方は数少ないと思いますが「舵」1974年2月号にハーフトナー<Ballad>が
紹介されています、白黒写真は時代を思わせますが当時の舵誌のレベルの高さを証明するように
詳細な解説が5ページにわたって書かれています。 クルーズホールドで切りあがっている
シーンを撮った写真にはメインセールに321のナンバーが読めます。

全長    9.14m    
水線長   6.90m  
全幅    2.96m
喫水    1.55m
排水量   3.40t
バラスト  1.50t
帆面積   43 ㎡
エンジン  2GM

 マストヘッドリグのスループです。40年以上も前のデザインなので、最近の艇より
幅が小さくなっています。中排水量艇でクルージング用に水・燃料をたくさん積み込んでも
あまり喫水が下がらず面倒な偽装も少なめなのでショートハンドに都合の良い艇です。
製造中止になってから長い時間がたちましたが、1500艇以上の製造がありましたので
北米やヨーロッパでは今でも中古艇として人気の高い艇種です。



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 日本向けには2艇が輸出されただけのようで、函館に来るたくさんのクルーズヨットに
お尋ねしても未だにアルビンバラードのことを知っている方にはお会いしていません。
ただ一度だけ舵誌の艇譲渡のコーナーに「美艇アルビンバラード」と載っていて連絡先に
電話すると女性の方が千葉の方に行くことになったとお話してました。
321号艇は地元で不動産業を経営されていたご兄弟が購入されて、74年5月に銚子から
函館に回航されました。当時の函館でのセーリングはディンギーがほとんどで誰も東北太平洋岸
500マイルの経験がありません、1964年の東京オリンピックでヨット競技の役員を務めた
恩師のK先生が中心となって回航計画を練りました。ナイトランはしない、少しでも不安の時は
出航取りやめを原則に、先生は地元に残り艇からの電話連絡を待ちながら指示を出すことに
なりました。ディンギーのメンバーだけの回航でしたが6月12日無事に
回航を終えました。GPSも携帯電話もない時代で、当てにならない方探だけで
海霧の東北沿岸の航海は大変な苦労だったと思います。初代オーナーのご兄弟は現在札幌に
住んでいるようでチャンスがあったら購入のいきさつや輸入業者なども教えていただきたいと
思っていました。




「艇名の由来」

 ある日ヨットの若い仲間たちと酒を飲んでいた時の話である。
「今度新艇を買って新しいクラブをつくるが、どう言う会の名にしたらいいか?」と聞いた
ところ、「漢字の会の名にしたらいい」との 中島 哲の返事が返ってきた。
それを私が聞き違え「勧進(かんじん)の会の名にしたらいい。」と聞いてしまった。
「勧進(かんじん)とは歌舞伎十八番「勧進帳」にもあるように、、、、、
   ①衆庶を教化し勤めて善に向かわせる。
   ②社寺、仏像の建立、修繕などのため人に勧めて金品を募集する。
   ③転じて金儲け。そして「托鉢」「乞食」も意味する。そこで
「よし!それがいい。我々貧乏人でもやれるヨットの集まり〔勧進会〕。ヨットの名は
〔勧進〕としよう。ところで〔丸〕をつけるかどうか?」で意見百出したが
「近代的ヨットに日本古来から船につけている〔丸〕をつけるのもナウイ」と言うことで
「勧進丸」と命名された。
 私はこの「勧進(かんじん)と言うことばは、昔から好きなことばであった。
クラブの名を「勧進会」、所有艇ヨットの名を「勧進丸」としたのだ。


上河睦美氏 著  国民体育大会参加紀行より

 10年ほど前になりますが、やっと見つけたWebサイトに
BODAというのがありました、まずはリンクを見てください。
20か国1500艇以上の仲間がいると書いてあります。
最初にこのページを見た時には感激で体が震えたほどでした。
サイトの中でエンジンなどの装備品から製造された年が
推測でき、舵誌の記事と合わせるとおそらく72年の製造
だろうということになりましたが、これは後日証明される
ことになり感激のプレゼントにもつながります。