三回転校の小学校


(集団疎開か縁故疎開か、それとも名古屋に留まるか)


 棣棠(現山吹)小学校
亀太郎と同年輩の人、誰でもが経験した事でしょうが、私も縁故疎開か集団疎開かの選択をする事となりました。昭和19年の夏の頃、六年生の時でした。


生家は名古屋市東区鍋屋町の下町で育ちましたが、町名の如く確かに一丁目の角には鍋屋さんが有りました。

祖母から聞いた話:−この鍋屋さん、元は名古屋城の近くにありましあが、朝から晩まで トンチンカン、 トンチンカン と鍋つくりに喧しく、もっと遠くで鍋を作るべし、と命令されて移って来たのがこの鍋屋町・・・本当???


酒屋さん、小間物屋さん、タバコ屋さん、帽子屋さん、洋服仕立屋さん、パン屋さん、張子屋さん、うどん屋さん、八百屋さん、駄菓子屋さん、饅頭屋さん、
「中央ラヂオ商会」、
お医者さん、葬儀屋さん、それにお寺もある・・・・なんの不自由も無い下町!!

そうそう、隣は銀行(名古屋銀行? 明治銀行?かは、知りません)でも何故かclosedのまま、がらんとした銀行で、老夫婦二人が留守番をしていましたっけ。


小学校の北ブロックには、白壁町がありました。裕福な家庭が多く下町とは些か異なって時間がゆったりと過ぎて行くような雰囲気の場所。 勉強もせず遊びまくっている亀太郎には不具合(?)な町でした。継ぎはぎだらけの上着、擦り切れた半ズボン、穴のあいたズックとは対照的に、濃紺/黒の上下御揃いで、金ボタンつき詰襟の学生服、ピカピカの革靴で御登校される品格の有るおっとりとした”お坊ちゃま”(華族?様)達は、皆 白壁町からお出ましでした。 時には、下校時にお付きの人がお迎えに・・・何故こんなに違いがあるのでしょう、と幼心に不思議におもったことがありましたが。


亀太郎は、こんな白壁町を通り抜けて、天気がよければ毎日の様に名古屋城のお堀に魚取りに直行です。 復習も予習も宿題もせずに! だから担任の先生は亀太郎の通信簿を作成するのに何の苦労も無かった筈ですね。 甲乙丙の内で一番簡単に一筆で書けるアヒルさん(乙)で統一すればよかったのですから。


いよいよ名古屋も空襲される、と言うことで亀太郎は(名古屋に留まる父母と4歳と1歳の弟達を残して)妹二人と共に伯父の住む(当時の)葉栗郡光明寺に縁故疎開をする事になりました。同級生の殆どが集団疎開でした。名古屋に残った人も居たようですが。


 葉栗小学校
光る蛍 アニメ 昭和19年夏、夜になれば近くの川べりにホタルを見に従姉妹ともまいりました。特に雨上がりの夜のホタル、それは本当に幻想的でもありました。
光る蛍


伯父の家から徒歩で30分程の小学校。 緑一色の田んぼ道を、とぼとぼと妹二人を連れて通いました。最初の頃は真夏の太陽にめまいが致しましたが、体も大分と慣れてまいります。 体も日焼けして黒くなりました。


今日は一時間目から木曽川の堤の草刈・・・草刈鎌なるものを初めて手にしましたが、鎌の使い方も草の刈りかたもわからず、だだ唖然と立ち竦んでいる亀太郎。 先生が教えてくれた様に鎌を動かしてみても上手く行きません。もう少しで左の人差し指を切り取るところでした。本当に! 割り当てられた幅2メートル 長さ7〜8メートルの堤の草刈りを悪戦苦闘して終えましたが、当然のこと一番のビリ!しかも虎刈りの様相!

見かねて友達が、刈残した草を整備してくれましたが、流石に早い!アットいう間に完了です。 エキスパートはどこにでも沢山いるものです。


学校の帰り道、突然の夕立。 傘はなし! 幸いな事に目の前に里芋畑。 よく伸びた茎の先が傘に使えそう!「よし、これだ!!」 とばかりにもぎ取って傘に仕立てて帰りました。亀太郎のそれを見て、叔母がビックリ仰天・・・早速、里芋畑の持ち主に謝罪にすっ飛んで行きました。

亀太郎、あの畑も伯父のもの、と思ったのです・・・畑には名前が書いてありませんもの!  ごめんなさい、里芋畑の小父さん!!


近所の友達が毎朝学校に誘ってくれました。友達同士は皆、姓でなく名前で呼び合っておりました。亀太郎には、何か不思議な音に聞こえて成りませんでした。名古屋では亀(姓)で呼ばれることが多く、太郎(名前)は家庭内での呼び名であったからです。気が付いてみますと、村の皆が(例えば)”小島”の姓の友達ばかりなのです。”小島”と呼んでも誰の事か分からなかったのです。”小島”一族は、どこかで血縁が繋がっていてお互いに助け合って生活をしているのです。

でも、いまでは新しい住宅がどんどん建って来ておりますので、組長さんも隣組の皆さんを姓で呼んでおられる事でしょうね。


稲の実る事から名古屋空襲の噂があり、その可能性も益々高まって、父母と弟二人も名古屋から一宮市内(御朱印地町)に疎開することと成りました。亀太郎もようやくまた家族全員で暮らすことになり、市内の第四小学校へ転校です。昭和20年1月頃の事でした。そして、名古屋の生家は昭和20年3月の名古屋空襲で焼失いたしました。
空襲 gif


 第四小学校(現大志小学校)
いよいよ六年生最終学期、皆が中学校進学用の試験問題集に取組んでおりました。亀太郎も・・・

戦火は益々激化、 中学校入学試験は中止!  結果的には、六年生の最終成績により中学校が決定いたしました。亀太郎の第一志望校は当然の事ながら担任の先生から拒否されました・・・平生の行いが大切なのです。


一宮市内も空襲の恐れありと、今度は市北部の島村(文楽でも有名)に引越し。その後一宮空襲で市内の仮住まいの家も、昭和20年7月に焼失。
                 昭和20年8月15日終戦!
ダイナマイト アニメ piece or war gif



転校した三校の小学校、それぞれに特徴があり、いろいろ楽しい経験苦い経験をもいたしましたが、亀太郎にとり誠に有意義な期間でもありました。

違った環境にflexibleに順応してゆくことも人生にとって必要な事でありましょうが、時には自分の意志を気骨をもって主張/固持し続けることも大切です。

(2000年5月31日記)

(2001年5月26日再記)


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