45年のサラリーマン生活

(警視庁で始末書)


Overseas Trade Division:-
”日本国、外貨稼がずしてその繁栄ありや!!”と真剣に考えていた昭和30年(1955年)3月。地元の老舗問屋に貿易部がありましたので、縁あって入社いたしました。
travel gif
当時は中華人民共和国から友好商社の指名を受けておりましたので、バーター取引で輸出も輸入の業務も行っておりました。優秀な人材が集まっており、先輩諸氏がバリバリと仕事をしておりました。

             夕食は毎晩会社、帰宅は22時〜23時。

N部長などは泊り込みの日が続いても翌朝には大阪出張。 要件を済ませて最終便、名古屋で下車すべきところを、寝過ごして東京まで。 朝まで東京駅で過ごして、折角だからと東京で ひと仕事。

帰路の東京→名古屋間でも居眠りして大阪まで。 何時になったら お酒好きの部長は会社に顔を出すのでしょう!  こんなツワモノが当時は何人もおりましたね。昭和31年には後輩3人も入社してまいり、中国貿易全盛の時を迎えておりました。

しかし、世間の見る目は今と異なり、Main Land of Chinaと関連を有する会社、将来どうなるのかと、いささか国内取引先は敬遠気味な面も。そうでしょう! その筋の捜査管員達が、静かに会社の動きを洞察していたのですから。

でも、今日この会社は、Shanghai近郊に33,000uの敷地内で生産工場を建設して活躍をいたしております。


亀太郎は、中国以外の市場への輸出業務の担当を仰せつかりました。副部長のT氏はUSA と European markets、亀太郎はMiddle East SouthEast Asia countries向けの輸出です。

結婚して2週間後に1ヶ月間のHong Kong主張を命じられたのが昭和35年(1960年)のことでした。当時の香港は、Ferry port も素朴な雰囲気をもつ自由港でありました。

その後、昭和56年(1981年)、当社は Maker からConsumerへの直接販売、消費市場に一歩でも近づこうと、商工一体の企業確立を目指し、sister firmの生産工場と合併致しました。

さて、仕事内容はさて置き、失敗談のほうが参考になると思いますので下記に付しておきましょう。 亀太郎の反省をも含めて!

A)善意の過失・・・始末書 於 警視庁
police gif 輸出業務にも慣れてきた2〜3年目、某大阪商社から
我社の某海外代理店(non-resident)に外貨で支払うべきAgent    commission

「日本円で国内の某社に送金をして欲しい」

旨の依頼がありました。
各国市場に絶えず出張して販売するわけに参りませんので、通常は自社の製品を専属に販売をしてくれるAgentを設定し、契約/船済み完了後にAgent commission(代理店手数料)として支払うのも外貨です。

即座に OK して経理部に日本円での送金を依頼しました。


約六ヵ月後、警視庁から「何月何日に出頭すべし」との呼び出し。指定どおりに出頭・・・

担当官曰く「non-residentの外貨を日本円で動かされましたが、そのためのpermissionを取得されておられますか?」との事。

亀太郎  「海外のAgentに外貨でcommissionを支払う為には、当然のことながら MITIpermissionを取得してから送金をいたしております。ただし今回は大阪商社からの依頼で送金、permissionが必要であるとするならば、それは大阪商社が認可を得ているものと理解して送金を履行いたしました。」

担当官  「大阪商社も、あなたも、 permissionを取得されておられません。両社ともに認可取得が必要なのです。」

今回の場合は、我社の認可取得は必要ないはずと頑張っても相手は外為法の
プロ、規則を細かく説明してくれますが、亀太郎には責任なしと言い張っても無駄!

「亀太郎さん、今日一日警視庁に泊まって行かれますか? 明朝、再度ご説明いたしましょう」・・・・この言葉にには降参!!

『未だ、貿易業務に精通せず、不勉強の至り・・・・以後この様な違反 無き様 相務めます』・・・・

長い始末書を担当官の言われるままに綴り、 署名捺印して一件落着。

我社、若き者には比較的自由に、自分の思うがままに業務を任せてくれており、時に失敗があっても大目に見てくれました。(若者の特権)二度と同じ失敗を繰りかえさなけば。

貿易管理法も、ご時世柄 緩和の傾向にあるとは思いますが、法として歴然と存在する以上、我々はそれを遵守しそれに従わねばなりません。大手商社には財務管理部門もありましょうが、我々中小企業では担当者自身が外為法を学び、習得しなければなりません。

疑問/不祥なことがあれば、是非 銀行の外為部に問い合わせる事、または 日銀の窓口へ アポイントを得て出かけられ、問い合せることをお勧めいたします。(日銀担当者も親切丁寧に説明をしてくれます。)


B) Army Uniform Cloth の入札・・・

某国の軍服用服地入札、二年連続落札。  よし! 三回目も!と、事前に原材料を手配、半製品にして結果まち。・・・しかし、最終的に今回は unssuccessful bid・・・一年間商品をstockとして持つわけにはゆかない。

早速、上司に報告/相談。   当時の社長も常務も、さすがこの道で長年
生きてきたベテランで、半製品を一見して即座に、表面効果を内地向けの製品に転換作業を指示、しかも具体的に! 何度も試作して内地市場に紹介・・・これがブルゾン用の素材として好評で、2〜3年間リピート/リピートのオーダーを受注、新しい素材として生まれ変わりまいた。

亀太郎の先走った結果の失敗であったことは、歴然たる事実ですが、世の若人達よ、自分の失敗を決して隠す無かれ! 即、上司に報告をなすべし! 経験豊かな先輩、上司は必ず適切で最善の処理策を授けてくれるはず。

           発想の転換ができる、頭の柔らかい諸先輩が
              あなたの周りにも大勢おられるのです。


C) 為替相場    
外貨決済時の為替相場により、マージン率の良し悪しが発生するdollar gifのは当然です。思わぬ円安によって輸出手形決済に<^!^>(二ヶ月分の利益が一回の輸出手形決済で稼げたこともありますが、こんな例はまれ!)        
輸出先国の突然の通貨切り下げによる損失も経験しております。目先の商売に忙しく、ついつい相手国の財政状況の掌握が疎かになるときがあります。中小企業の悲しさです。(反面、自分の思ったとおりの企画の立ち上げ、実行が出来る利点を有するのも中小企業なのです。しかし、当然の事ですが、青写真=計画書は、確りとしたものでなければ会社からの企画実行許可は得られませんよ。)

こんな為替リスクを極力回避するためには、bulk order契約成立時に外貨の予約制度の利用も考えられます。 

機会があれば、追記も致しましょう。 失敗ばかりでなく、楽しかった事も沢山にあったのですからね!
でも、今日はこれまで。  Later on!

1986年 New York出張の際、偶然にホテルで朝食を共にしたH製薬会社の社長秘書室長M氏とは、今でも賀状で交友を深めていることを、記しておきましょう。彼は、現在でも東京で活躍をされておられます。   



 国内販売事業部
33年間のExport sectionの勤務を終えて、昭和63年(1988年)に客先との契約内容の誤認で発生したトラブルの解消と、その事後処理を兼ねて国内販売事業部に転勤。

契約なるものはIndent sheetが客先から発行されて、決済はIrrevocable L/Cに基ずくシステムに慣れた亀太郎には、メモ程度の発注書で商品が生産/販売される国内取引が不思議でなりませんでした。これは、長年の取引で築かれてきた信頼関係に基ずくのもで、杓子定規に頭から否定できないものなのかも しれません。最近では取引改善策が検討されておりますので、10年前とは、状況が些か異なるかもしれませんが。

当トラブルも解消し、今度は新規顧客開発が問われて東西の市場に・・・・
汗を流した結果が生まれたときの喜びは成果の大小を問わず、何時も忘れられませんね。最初は、以前のcompetitorsでもあった輸出商社の社長を訪れ、内地取引関連部長の紹介を願った事もありました。快く承諾していただいて、取引開始。 例え競争相手であっても、平生懇意にしておくこと、人脈は大切ですね。



 総 務 部
内地取引先の仕入れ担当者の殆どが部長を含め、亀太郎より若く(当然)相手の義理買いの連続であってはなりません。 亀太郎のルート作りは、誠にささやかでは有りましたが、 もう済んだかな?

平成4年(1992年)には、総務部に転勤。  毎月、販売担当者の成果を計算、リストアップして計画対比表を各人に配布する・・・亀太郎にとっては厭なtask・・・
でも仕方がない!!

          此れも総務の仕事の一つか!!(もう忘れましょう。)


社長の予定に合わせて、訪問者の時間振り分けから始まり、雑貨屋さん的な面も。  鉛筆一本、食堂の食材料仕入れから下水工事の手配まで。 入社試験問題の作成も。 勿論、冠婚葬祭も。

当時の社長はワープロの文面を好まず、客先の社長、専務、部長、担当者が栄転・転勤・退職の際には勿論、病気のお見舞い、忌明け挨拶状に対する返礼など、必ずその都度一筆挨拶状を出して居りましたが、 全て肉筆で書く事を強要されました。亀太郎は悪筆なので、ご遠慮申しましたが手紙は心を伝えるもの、ワープロの書状は

             ”義理で手紙を投函しているようなもの”

という、 哲学を持った人でした。

個人で使用する年賀状も最近では印刷が増えてきましたが、一行であっても肉筆で追記された賀状を受け取れば、確かに心が、和みますよね! とは云うものの、亀太郎、親戚・友人への書状、最近ではワードで作成・投函しております。(深く反省中です。)

            学ぶべき点も多く、有意義な総務部時代でした。



 Plastic Moulding Section
平成8年(1996年)より勤務、1999年12月まで亀太郎最後の御奉公の期間。


1985年に新事業部として発足した事業部で、本業とは全く違うプラスチックの成型/組立てを行うsectionですが、既に軌道には乗っておりました。社長には申し訳ないことですが、このプラスチック成型過程の作業には精通する事が出来ませんでした。現場は成型課の課長任せ、検品・梱包はパートの女性に一任で有りました。

もっぱら、この事業部の日々の動き、特に収支の状況掌握に専心いたしました。一日の物の動きを正確に入力すれば、その日の収支バランスが19〜20時にはプリントアウトされて「日報」となるプログラムが組まれており、明朝には、社長から 不審な点が有ればred mark付きで返却れてまいります。誠に良く出来たコンピュータプログラムでした。(「パソコンとの出会い」 参照あれ)

自動車部品のファースナ成型/組立て専門商社の下請け、そして洋服(紳士もの、婦人も)の搬送用ハンガーの成型をも手がけておりますが、両分野の顧客は、何れも上場銘柄一流企業でした。)


A) 自動車部品のパーツファースナー成型/組立
1999年夏以降、毎朝 on line で order が到着。オーダー分のtagも自動的にプリンcar gifターに打ち出されます。 大手自動車メーカーに習い かんばん方式のオーダーです。必要以外の数量は引き取らないのが原則ですが多少の余裕をもって発注をかけてくれます。日毎、月別の各製品の必要量も「発注予定表」で知ることも出来ますが、2トン車一杯の製品を毎朝出荷しても、生産が間に合わず積み残しが発生。 午後に第二便での出荷(嬉しい悲鳴です!)

時には、「NG発生のご連絡です。製品を返品いたしますので、代替品を明朝必着で御願いします」・・・時には「製品不具合のため、自動車生産ラインがストップいたしますが、よろしいか」との連絡があれば、夜なべ生産/検査/梱包・・・そして明朝9時必着の赤帽で、またはチャーター便でユーザーへの直送なども度々経験致しました。

たった100個の不足成型品を夕方に乗用車で豊田まで、また鈴鹿への持ち込みも・・・


B) ハンガーの成型/組立
製品搬送用のハンガーですが、細かく数えれば10数種類の成型・組立もメインの仕事の一つです。顧客の関連工場が全国にあるため、北海道から沖縄まで、各ハンガーgif地に商品を出荷いたしておりました。

2,000本の出荷も、200本の出荷も単価が同じであるのはおかしい、と社長からの指摘もありましたが、「全てプールして採算はとってあります」との報告でまずは社長了解。 経営者としては当然のcomplaint、亀太郎の報告不足でした。

種類別の生産数量、如何程のストック数量が適切なのかを掴むのに時間が必要でした。それでも、生産体制がうまく組めず、折角の注文もcancellationのやむなきの醜態を生む事も有りました。

種類によっては、当社に一本化集中発注の用意ありとする担当部長や、課長が折々当工場を訪問され、協力的なお客様でありましたが、一部の製品に関しては御意向に沿えず、 心残りでありました。

催促の電話対応・生産の再調整などで誠に慌だたしい日々の連続4年間では有りましたが、終業のあと、日計表を打ち出し、数字を見て(゚.゚)  or  \(^o^)

            充実感を味わった事業部勤務でありました。
(the section closed on Aug.2007)



1999年12月体調不良・・・ 何故か微熱が下がらない。 白血球数値の増加!

滅多に怒らない亀太郎が、 怒鳴りだした。  何か異常だ!!!
その後、三日間の抗菌剤の点滴をうけて数値、やっと平常に。

後任者に業務を継承願って45年のサラリーマン卒業証書をいただきました。



様様な分野での業務を45年間の在職中に経験できましたこと、
亀太郎にとり たいへんにラッキーなことでありました。


The wonderful times we shared togther shall always remain in my heart !!
Tank you again !!


Dizzy!!!一服の亀 gif "Let me take a minute recess"
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Kametarou
2000年4月28日記

2001年6月01日再記
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