株式日記と経済展望

ページを繰り越しましたのでホームページからどうぞ。


「米国は日本の政治家や官僚は意のままに命ずる事は
できても、日本国民の反発は軽視できないと言う事だ。」
米国務省や米軍は毎日「株式日記」を愛読してくれている。


2004年10月15日 金曜日

具体案先行「誤りだった」=アーミテージ氏認める−米軍再編協議

来日中のアーミテージ米国務副長官は13日行った米大使館での記者会見で、在日米軍再編問題について、個別の基地や司令部の移転案を先行させたこれまでの協議の進め方は誤りだったとして、在日米軍の役割や機能に関する論議を優先すべきだとの考えを示した。
 アーミテージ副長官は「順番が違った。理念を先に議論すべきで、それによって在日米軍基地の移転(先)も明らかになってくる」と述べた。陸軍第1軍団司令部のキャンプ座間移転案に地元自治体が反対するなど国内調整が難航する見通しとなっていることに配慮したものとみられる。 
(時事通信) - 10月13日23時1分更新

迷走する米軍再編へのわが国の対応 天木直人

米国がもたもたする日本に苛立ちを見せた事で、俄かに日本側が慌て始めた。慌
て始めた事で、あらためて日本側の政策不在が浮き彫りになった。これまでの日本の
安全保障政策は、独自の安全保障政策も戦略もなかった。ただ米国の要求に対応し
ていればよかった。無理な注文も、国民をごまかし、野党を押し切って乗り切ってきた。
憲法9条に反するような米国の要求も、安保再定義とか憲法解釈の拡大といった不
透明なその場しのぎの対応の積み重ねで今日まで済ましてきた。
 
 ところがここに至って、米国の「テロとの戦い」に呼応した米軍再編(トランスフォーメ
ーション)に基づく要求は、ついに日本政府を、ごまかしで逃げ切れないところまで追
い詰めることになった。小泉首相や外務官僚にとっては最大のピンチである。14日付
の新聞各紙からその混迷振りを拾い読みしてみた。

 米軍再編の一つとして米陸軍司令部の一部を日本に移転すると言う米国案が日本
側に提案されていた。しかしこれが安保条約第6条のいわゆる極東条項に反するとし
て外務官僚が難色を示してきた。しかし14日付の各紙によれば、外務省首脳(という
ことは町村外相と考えるのが常識である)が13日報道関係者に「最初からカチッと枠
をはめてしまえば行き詰まりになる」(毎日新聞)、「最初から条約局長的な発想でい
いのか」(朝日新聞)などと、極東条項にとらわれない柔軟な発想で協議すべきとの考
えを示したらしい。

 他方において13日の衆院本会議で、小泉首相は「司令部機能の日本への移転は
極東条項に抵触する可能性がある」と質した鳩山由紀夫氏に対し、「在日米軍の見直
しは現行の安保条約の枠内で行われるもの」と極東条項修正を否定する見解を示し
ている。米国の要求にどう対応していくのか眼がはなせない。
 
 米軍再編のもう一つの課題は沖縄にある米軍基地の移転問題である。小泉首相は
先般都内の講演で国内移転を検討する事に言及した。しかし14日付読売新聞「方位
計」によれば小泉首相は就任直後の2001年夏、「沖縄全戦没者追悼式」に出席した
際、「基地問題は全国の問題として取り組んでいきたい」と公言し、稲嶺知事は「小泉
首相の発言は大変重要だと思っている」と感激している。しかしそれ以来の三年間、
まったく動きは見られなかったのだ。

 今回は米国のほうから移転問題が提起された。自治体の強い反発をどう説得して
いくのか。日本政府は国外移転も視野に入れているようであるが、米国は抑止力低
下を理由に難色を示しているという。「具体的めどもないまま国内移転を口にするの
はあまりにも無責任」と岡田民主党党首が非難したように、小泉首相は答え出さねば
ならないのである。
 
 在日米軍再編問題で来日中のアーミテージ米国務副長官が重大な発言をしている。
13日、同副長官は米国大使館で記者会見をし、「個別的な場所から議論を始めたが、
議論のスタートが間違っていたかもしれない。」(14日付毎日新聞)、「我々がまずキ
ャンプ座間について、と言い始めたのは、順番がまちがっていたかもしれない。十年、
十五年後の日米同盟の理念から議論を始めたほうがいい」(同、日経新聞)と発言し
ているのだ。

 この発言の意味を我々は正確に読み取らねば成らない。米国は自治体の反発、日
本国民の反発に怯んだのだ。これ以上日本国民の反発が広がれば日米安保関係そ
のものにひびが入ることを恐れているのだ。このことから我々は二つのことを知らなけ
ればならない。外務省はこれまで何かにつけて「米国が安保条約を廃棄すると言って
きたらどうするのか」と国民を脅してきた。
しかし実態は日米安保条約がなくなれば困
るのは米国のほうなのだ。在日米軍基地は米国にとってありがたい存在なのだ
。もう
一つのポイントは、米国は日本の政治家や官僚は意のままに命ずる事はできても、
日本国民の反発は軽視できないと言う事だ。これからの日米安保関係は政治家や官
僚に任せていてはいけないということだ。日本の将来を決めるこれからの日米同盟関
係は、米国政府と日本国民が決めていくという状況を作っていくべきなのである。


14日付の日経新聞は囲み記事で来日中のアーミテージ国務副長官の日本での大
物振りを次のように報じている。すなわち13日、朝食は細田博之官房長官、夕食は
町村信孝外相がセット。12日に安倍信三自民党幹事長代理、大野功統防衛庁長官
と会談。13日には武部勤自民党幹事長、公明党の神崎武法代表、冬柴鉄三幹事長
と会談。おまけに13日午後拉致被害者家族までが訪問している。日本という国はい
かに米国に人脈がないかということを証明しているようなものだ。「事実上のアジア担
当国務長官」、「ブッシュ政権きっての知日派」などと勝手に持ち上げているのだ。
 
 かつて辺見庸が「たかが軍人上がりの一人の米官僚にここまで日本が頭を下げて
いいのか」という趣旨の発言をしていた。そのアーミテージ国務副長官は「憲法9条は
安保条約にとって邪魔者である」などと日本の雑誌に公言している。田中真紀子元外
務大臣がアーミテージはたかが副長官ではないのかといって面会を断った態度こそ
正しいと私は思うのである。たとえ米国にEと採点されようとも。


(私のコメント)
日本人と言う民族は非常に臆病な民族で、自分の意見をなかなか言おうとしない。絶えず周囲の空気をうかがい、人の顔色を眺めてから始めて自分の意見を言う。この事は学校時代にも会社員時代にも、この印象は変わる事が無い。インターネットの時代になってもこの傾向は変わらず、自分のサイトで自分に意見発表をする人が実に少ない。GOOGLEで検索してみてもそれを実感する。アメリカでは政治経済に限ってみても数万のブロガーが持論を展開している。

日本では「副島隆彦氏のサイト」を見ても掲示板に投稿されるのは2,3日に一件という寂しさだ。それも他のサイトの記事をコピーしただけと言う情けなさ。他にも「阿修羅」と言うサイトがありますが、これもほとんどがニュースをコピーしただけのニュースコピーサイトに成り下がっている。私は数行でもいいから自分のコメントを付けるべきだと書きましたが状況は変わらないようだ。

もちろん分野を限定すれば優れた意見を発表し続けているサイトはたくさんあります。しかしそれでは読者も限定されてきて、意見の広がりは望めません。例えばアメリカ国務省が日本国民の世論を知りたいと思っても、日本のテレビや新聞を見ても分からないことははっきりしています。中国や韓国北朝鮮の工作員やアメリカの工作員が報道にフィルターを被せて宣伝機関に成り下がっているからだ。決して国民世論を反映していない。

ならばインターネットのサイトを見ても質量ともにアメリカに比べて格段に劣っていることに驚いていることだろう。日本では政治、経済、外交と言った分野で戦略的な思考と言うのは出来ないのだろうか。日本では中央の官庁が参謀本部的な働きをしてきましたが、やはり官庁では役人の能力的限界で戦略的な思考は無理なようだ。

アメリカなどでは民間のシンクタンクが戦略的レポートを発表している。ところが日本ではシンクタンクが機能していない。天下りの役人やダメ社員の溜まり場になって、誰にも読まれないレポートを発表し続けている。これでは日本の国民世論を知りたいと米国務省が思っても途方にくれるだけだろう。かろうじて我が「株式日記」が本当の国民世論を代表しているのではないかと自惚れているのですが、米政府機関や米軍が毎日「株式日記」を愛読してくれています。

とは言っても「株式日記」は毎日のアクセスが3000件程度なので、とても世論を代表するものではありませんが、アダルトサイトやアイドルサイトが一日に数万件もあるのと比べれば情けない限りだ。それでも時々「株式日記」」に書いた事が日本政府や米国政府に影響を与えているのではないかと思うこともたびたびあり、思わぬ人が「株式日記」を読んでいるのではと自惚れる時もあります。

13日のアーミテージ国務副長官のニュースを見ても、私が10月6日に書いた「米軍司令部の座間基地移転を認めてはならない」と書いた記事を、米国務省は読んだのではないかと思っているのですが、どうなのだろう。それ以外にも「2ちゃんねる」などの書き込みなども、国民世論の反映の場として影響力が大きくなって来ている。しかしそれが為に管理人などに工作員が入り込む余地が出来ているようだ。

天木直人氏のサイトは元外交官だけあって精力的に毎日記事を発表していますが、日米安保体制についての意見に賛成だ。日本の政治家や官僚は日米安保体制にどっぷりと浸かりこんで外交と防衛をアメリカに丸投げしている。しかし日本国民は自分の国は自分で守るべきではないかと思っている。その辺のギャップを米国務省も感じ始めて来ているのだろう。

戦後の学校教育や左翼的なマスコミに洗脳されてきた人から見れば、「株式日記」は政治的に偏っていると見る人もいるだろう。しかし年数がたてばTORAが言っている事が正しかったとわかるときが来るだろう。少し自信過剰と思えるかもしれませんが、それは「株式日記」のバックナンバーを見てもらえば分かるとおり、時代を予見することを数多く書いて来ている。小泉首相や安倍自民党幹事長代理も読んでいただいているのだろうか?




集団自殺した人たちも、西武の堤義明氏も、ダイエーの
中内功氏も、心の中の無限の豊かさに気がつかない人だ。


2004年10月14日 木曜日

34歳女性、書き込みで仲間募る=「練炭、睡眠薬、車」

埼玉県皆野町の7人集団自殺で、東京都文京区の女性(34)が今月6日、インターネットの自殺系サイトへの書き込みで「練炭、睡眠薬、車」などと計画を公表し、仲間を募集していたことが14日、知人の話で分かった。
 女性はサイトの掲示板に「男女問わずグループで実行したい」と記入。「前に練炭で失敗したので今度は確実に」と、今月上旬に東京都奥多摩町で女性3人と起こした自殺未遂に触れたとみられる記載もあった。
 知人によると、女性はインディーズ系のロックバンドのメンバーとして活動したこともあった。自ら自殺についてのサイトを運営し、2001年5月まで内容を更新。「生きるべき理由が見つからない」「世界がすっかり崩壊したらちょっと愉快」などと記していた。また、「楽しくないのに生きている意味があるの」などと何度も自殺願望を口にしていた。
 女性はこの知人に対し、1回目の自殺未遂前、「4日に新宿に集合する」と集団自殺の計画を伝えた。知人は警察に通報したが、場所などが分からず阻止できなかった。 
(時事通信) - 10月14日9時0分更新

癒すこと、癒されること―心と運命と大地を幸せにする方法 加納真士(著)

「多数決の原理」というフィールド  なわふみひと

●価値観のフィールドは、いわばその人の感じてきた歴史観であり、人生観である。では、価値はいったいどこからきたのか? それは、「多数決の原理」という、数の多い意見が正しいとされる間違った思いこみからである。

 多数決の原理は民主主義によって支えられてきた。民主主義は、ひとつの理想的な政治システムかもしれないが、それは理性と知性が兼ね備えられて初めて完成するシステムなのだ。ガリレオのように真実を告げても、判断する権力者や大衆の目が開けてなければ、多数決の原理は真理を抹殺してしまう。少数意見を駆逐する民主主義は完全ではない。

 日本のマスコミは、コマーシャリズム(商業主義)の上に成り立っているために、多数決の原理を優先しやすい。購買者の最大公約数を意識した記事が多すぎるように思う。人々は、真実のもの、真によいものを求めている。だが、情報が多すぎて、どれが本物なのかを判断できない。そのために、広告宣伝の多いものが「よいもの」と思わせられてしまうのだ。価値観のフィールドはそういう中で生まれてくる。

「自我」のフィールド  

「自我」こそは、もっとも気づきにくいフィールドである。
 ある講演会で主婦の方からこんな質問を受けた。
「望み通りに子どもは希望の学校に入学できました。夫も出世をし、家も建てることができました。それは、長い間、私の望んでいたことでした。でも、ある日、自分は幸せではなかったと気がついたのです。これは、どうしてでしょうか?」

 それは、魂の喜びに沿って生きていなかった自分に気がついたからである。よく、人は自分の希望通りになったら自分は幸せになれると思っている。だが、そう思うのは、「どの自分」なのだろう? 人は、自分だと思い込んでいる“自我”によって、幸せというものを判断していることが多い。自我とは世間の価値観の中で育ててきた人格のひとつにすぎない。だから、自我の範囲で喜びを得ても、魂の望む本当の幸せにはつながらないことがある。

「幸せになるために」は、ヒーリングの目的である。だが、人に、この道が正しいと言うことはできない。「あなたはこうすべきだ」とか、「自分はこうしてきて幸せだったから、あなたも同じようにすれば幸せになれる」と言っても、人によって価値観は違うからだ。

 自分の生まれてきた目的や魂の目的に添わない限り、本当の意味での幸せは得られない。人には、それぞれに生まれてきた目的がある。ただひとつ、すべての人に言える共通した目的は、自分の中にある愛を表現するために生まれてきたということである。自分のできる形で世の中に愛を表現していくことだ。そうすれば、どんな生活をしていようと、どんな境遇にあろうと、心からの満足が得られる。だだ、愛の表現も「自我」を通すと自己顕示欲にすり替わってしまう。

◆感謝の心とヒーリング 

●「貧者の一灯」という言葉を聞いたことがあると思う。仏教の説話で、説法を聞きにきた人が、聖者のために油で明かりを灯すのだが、昔は油が高価だったために、お金持ちはいくらでも明かりを灯すことができたが、貧しい人は食べるものを節約しなければ油を買って明かりを灯すことはできなかった。それでも感謝を奉仕という形で表そうとした気持ちが一灯になった。心のこもった一灯と、形だけの一灯は、明かりとしては同じでも価値が違うということを諭したものである。

●仏典の「貧者の一灯」の本当に意味は、自分の何かを犠牲にすることを奨めたものではない。人が自分の中に、汲んでも汲みきれない無限の愛があることに気づき、それを引き出すきっかけを創るということである。犠牲には苦しみが伴うが、愛には感謝を伴う喜びがある。

『聖書』に「裕福なる者が天国に行くのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」とあるのは、お金持ちのように財力のあり余った人は慢心しやすく、何も持たない自分の中に無限供給があることに気づきにくいという意味である。自分でも貧しいのに、病気なのに、苦しいのに、それでも他人のために何かをしてあげたいと思った瞬間に、その人の中の無限の扉は開く。

 お釈迦様が洪水の後に、弟子たちに「被害に遭った人の家に托鉢に行きなさい」と言う説話がある。弟子たちは困惑して、今日は托鉢に行っても米はおろか一粒の麦もないでしょうと答える。すると、お釈迦様は「おまえたちはいったい何を学んできたのか。裕福な人に施しをしてもらうことを托鉢だと思ってきたのではないか。一番苦しい状況のときに、それでも人は自分の中に無限の力があるのだという自覚を引き出すのが托鉢ではないのか」と諭したという。

◆闇の見分け方  

闇の意識の特徴は、低次元の物質的レベルに人を固執させようとすることである。お金や地位、名誉、財産などを求めさせる欲の心を操るのだ。人間を物理的な限界に縛りつけておきたいからである。

 反対に、光の意識は人を物質や経済の奴隷から解放する。人間がそれらの主人であることを自覚させるのである。富や名誉があっても幸せではない人がいるのはなぜか、ということに目を向けさせる。
 だが、闇はいつも光に化けたがる。巧妙に「平和」や「魂の進化」という言葉を唱える。(中略)

 しかし、見分け方はとても簡単である。「争う心のあるところに高い意識はない」という宇宙の法則があるからだ。もし、あなたを誰かと争わせようとしたり、親や兄弟、その他、親しい人との間に不調和を作らせようと言葉巧みに誘ったり、人を区別し、排除させたりするような言動が見えたなら、それは光をまねた巧妙な闇の意識である。

 また、あなたの中の孤独から生まれたコンプレックスを刺激するように、「あなたこそ特別な人です。他のレベルの低い人のために祈ってあげてください」と言ったり、共通の敵を生み出して団結を誘ったら、それも闇の意識なのだ。

闇の正体  

闇から身と心を守るには、闇の正体を知ることだ。闇の正体は、人間の「恐れ」「嫉妬」「憎しみ」「人と比べる心」を生み出した「欲の気」の集合体である。(中略)

 そして、闇には実体がない。大切なことなので、繰り返したいと思う。「闇には、実体がない」――それを忘れないでほしい。闇や悪は、存在はするが「実在」ではない。砂漠に現れる蜃気楼のようなものだ。そのことを知られるのが、彼らにとっては一番恐ろしい。
 しかし、人の「恐れ」が闇に力を与えると、闇が物理的に働くこともある。(中略)

 それこそが向こうの手である。暴力を生活の手段にしている人たちと同じように、自分の存在を恐れさせたいのが闇である。(中略)

 逆に言うと、恐れない者には闇は何もできない。闇には、物理界に働きかけられる能力が、自分からはひとつもないのだ。闇に力を貸すのは、肉体を持って物質的にも霊的にも関わっている「人間」である私たちだということを心に留めてほしい。

自らの中に師を持とう! それが光の選択の第一歩である  

●この地球にいま生きている人たちは、それぞれに特別な使命をもって生まれてきたことを知ってほしい。ところが、その使命を忘れて自分を無力な存在だと錯覚してしまっている人たちは、不安になると自分を導いてくれる存在を求めたがる。そして、自分の行動や疑問を断定的に指示し、解決してくれる人に依存してしまう。時には、その人の助言があなたを楽にしてくれるだろう。

 だが、人に依存し続けると、自分のレーゾンデートル(存在意義)の喪失と使命の放棄につながる。すべては、あなたという「自分」への自己過小評価のせいである。

 どうか、自らの中に「師匠=マスター」を持ってほしい。人間は皆、内側に高い意識を持っている。師の意識は、常に自らを高い次元の波動帯に高めようとする。「愛」の本当の意味を学ばせ、魂が進化する方向に人を望んで導くのである。

●お釈迦様も「他を拠り所とせず、自らを拠り所としなさい」と説いている。それは、人の自主性と内なる光を大切にする言葉であると同時に、他の人を盲目的に崇拝する危険性を教えてくれる。本当にすぐれた指導者なら、自分を拝むことよりも、人々が自らの意志で直接天とつながることを何よりも喜ぶに違いない。

人が自分の中に師を持ったとき、自分を含めた世界がすべてある意志の下に「生かされている」ことが理解できるようになる。そのとき、隣り合う人の中にも、自分の中の師と同じ尊い姿を見るのだ。内側に師を持つと、本当の謙虚さを持つようになり、自然に頭を下げられるようになる。


(私のコメント)
最近になってネットが媒体になった若い人の集団自殺がたて続けに起きている。テレビのワイドショーを見ていたら、主犯格の34歳の若い主婦は「生きていても楽しくないから死にたい」と洩らしていたそうだ。昨日は日本の社会風土からその原因を考えてみましたが、今日は人間の心の中から考えてみたいと思います。

集団自殺した34歳の若い主婦は離婚問題で悩んでいた。他の若い6人も就職問題などそれぞれ理由はあったらしい。しかし自殺の動機としては不可解であり、そんなことで自殺していたら皆自殺しなければならなくなる。ましてや「楽しい事がひとつもないから自殺したい」とは、なんと甘ったれた言葉だろう。残された二人の子供に対する責任感が感じられない。

集団自殺した7人に共通して言えることは、戦後教育の個人主義が行き着くところまで行ってしまって、自分さえ良ければ他の人の事までかまっていられないとする生き方だ。そうでなければ「楽しい事がなければ死んでいしまいたい」などと言えるはずがない。自分を育ててくれた両親や、これから育てなければならない子供のことなど考えられないほど追い詰められていたのだろう。

戦後の学校教育は倫理や道徳などは戦前の教育の弊害として退けられて、個人主義の名の下に利己的な人間を育ててきたようだ。学級においても何でも多数決が民主主義として教え込まれた。それでは愚かなものが多数なら愚かな者の決定に引きずられてしまう。青少年の性的な退廃もみんながやっていることだから私もやると言った馬鹿な事が横行している。

学校の教師達も生徒たちの競争意識を煽りたてて、嫉妬や憎しみや恐怖で子供たちの心を蝕んでいるのだ。もちろん競争意識も大切であり、弱肉強食の世界を生きてゆくには強い心も育んでいかなければ生きては行けないだろう。しかしそれだけでは落ちこぼれる子供がどうしても出てくる。それに対する宗教的倫理的な心のケアが今の教師達には出来ないのだ。

また生存競争に勝ち抜いた人にとっても、経済的な成功が幸せを必ずしももたらさない事は誰もがよく言うことですが、西武鉄道グループの堤義明氏の生き様を見ていると、彼に欠けてしまっているのは自分の心の貧しさに気がつかないことだ。人に後ろ指を差されながら経済的な権勢を誇っても、堤義明氏のの心は癒されないだろう。

全て順調に希望がかなった主婦の場合の失望感はなぜなのか。「生きていても楽しい事が一つもないから死にたい」と言って自殺した主婦とたいして変わりがないことに気がつくだろう。自分は何のために生まれて生きたのか考えることなく生存競争に勝ち抜き勝利者の栄冠を勝ち得ても、魂の喜びに沿って生きてこなければ、決して幸福にはなれないのだ。

キリスト教や仏教が説いている事は、富める者が驕った心で慢心しやすくて、心の無限の豊かさに気がつかずに生きてしまうことを戒めている。ダイエーの中内オーナーも西武の堤義明オーナーも企業が大きくなればオーナー経営の呪縛にとりつかれて時代に流されてしまった。零細企業ならいざ知らず、自分の子孫に経営を継がせるのは煩悩がなせる業だろう。




集団自殺とフリーターの激増は小泉・竹中内閣の責任
アメリカ金融勢力に乗っ取られた日本経済の行方は?


2004年10月13日 水曜日

就職、進学などで悩み 埼玉で集団自殺の男女

埼玉県皆野町で男女7人が自殺した事件で、身元が判明した5人の最近の様子が13日、秩父署の調べで分かった。就職などで悩みを抱えていた人が多く、同署が詳しい経緯を捜査している。
 調べでは、佐賀市の無職女性(20)は高校卒業後、定職がなく悩んでいた。自宅で長時間インターネットに浸る生活で、約1カ月前、自殺をテーマにしたサイトをのぞいているのを母親(53)が見ていた。「メル友に会う」と9日朝、家を出たまま行方不明になった。
 埼玉県所沢市の無職男性(20)も定職に就いていないことを悩み、北海道に住む両親に相談していたという。10日朝、同居の弟(19)に「今日も帰らない」と電話したのが最後だった。
 大阪府東大阪市のアルバイト男性(20)は、2年続けて大学受験に失敗。父親は秩父署員に「4月から様子が変だった」と打ち明けた。
(共同通信) - 10月13日6時28分更新

第四の国難 日本崩壊の地鳴りが聞こえる 前野徹(著)

アメリカ金融勢力に乗っ取られた日本経済 なわふみひと

●アメリカ追随政治、アメリカ制定憲法によって、今や日本経済はアメリカ金融勢力に半分乗っ取られている。
 国際未来科学研究所の浜田和幸さんの調べでは、「2001年年頭の時点で、日本企業を買収対象とするファンドや金融機関は25を超えている」、「日本市場に上場され株式公開されている企業のうち、外国人の持ち株比率が25%を超える企業は100社近くあり、その数は年々増えている。東京市場では、売買高の50%以上を外国人投資家が占めているありさまで、まさしく、外国人投資家に生殺与奪の権を握られている日本企業が多くなっている」(『乗っ取られる大国・日本』祥伝社刊)

道義が地に堕ちたニッポンの惨状

●フリーターが激増している。(中略)フリーターにははっきりした定義はないが、労働白書では「パートでアルバイトをする学生ではない人々、女性は未婚」といった条件をつけている。その数はこの17年間で実に3倍に膨れあがり、1997年の時点で155万人に達し、現在は200万人に迫っており、将来も増え続けていくだろうと分析されている。
 なぜフリーターがこれほどものすごい勢いで増え続けているのか。若者に蔓延している無気力、無目的の人生行き当たりばったりの人生観のせいである。
 働くことに意義を見出せず、いったい何のために生きているのかもわからない。かといって、戦後豊かになった日本の家庭で育った彼らは、物質的には学生の頃から恵まれていて、せっぱ詰まった生活環境にはない。だったら、その日さえしのいで、楽しく暮らせればいいではないか、と考える若者が増えている。
 では、どうしてこのような働く意欲もなく人生の目的も持ちえない若者が量産されているのかといえば、戦後の日本社会に原因があると指摘する識者が少なくない。
 戦後の進歩派と称する知識人や文化人は、自立した人間を育成するのだと主張し、国の意識や国としての独立、尊厳を顧みず、ひたすら個人の権利を尊重する方向に突き進んできた。その結果、わがままで他人への依存心が強い若者が続々と生まれ、皮肉なことに、自立どころか生きる気力すら持てない屍のような若者が街にあふれている。

●戦後の官僚政治家たちが、GHQの占領政策に身をゆだね、教育制度も日本人の精神のあり方もアメリカに言われるままに作り直してきた結果、日本と日本人の自立が損なわれ、甘えと欺瞞を助長してきた。
 かくして、かつて日本人の美風であった礼節、勤勉性、忍耐心、公徳心、名誉を守る信条、勇気といった固有の心と魂が雲散霧消してしまった。かわって、今の若者たちも大人たちも持っているのは、自分さえよければそれでいいという私利私欲主義、目前の損得主義である。
 と同時に、国家観を失った日本人にとって、社会の夢と自分たちの夢が乖離し、日本人としての生きる目的を社会の中には見出せなくなった。個々で夢を探せといっても、夢は本来、社会との関係性の中にある。結局、行き着く先は自分がよければとなってしまい、これがまた利己的な行動に結びついていく。
 不登校の児童、生徒が増加しているのも根は同じである。自国の歴史と自分たちの祖先にプライドも尊敬の念も持てない親たちに育てられた子供たちが、まともに勉強し、周囲の人々と交わりたいと思うはずがない。

●今日、日本で毎日のように繰り広げられている惨劇は目を覆うばかりである。酒鬼薔薇事件が起こり、われわれを震撼させたのはわずか6年ほど前だ。以来、新聞を開ければ連日のように、少年や両親による殺伐とした事件が報道されている。親殺し、子殺し、通り魔殺人事件、幼児虐待‥‥。病院では何の罪もない患者が、腹いせのために殺害され、道を歩いている無関係の人まで、むしゃくしゃしたというだけの理由で巻き添えになる。
 日本人の道義は地に堕ち、今や凄惨な事件にもわれわれは不感症にすらなりつつある。動物でさえ、親子の愛情は山よりも高く海よりも深い。現在の日本人は畜生以下である。私の知る限り、過去に日本民族の精神がここまで破壊されたという歴史はない。(中略)

後生に光り輝く日本を

●日本が亡国の危機に直面していると言っても、大半の人が信じないのではないかという危惧を感じながら、今、筆を執っている。実は、それがもっとも大きな危機であるとも言える。
 危機が迫っているのに、危機を感じない。京大教授・中西輝政氏は、その原因を見事に喝破している。

 「危機感がない」原因として考えられるのは、戦後の日本人の中に占領政策といいますか、このままアメリカがあつらえた憲法とか教育理念を後生大事に続けていれば、いずれ日本国・日本国民の精神はなくなってしまうという危機意識をもっている人たちが多くいるにもかかわらず、前に立ちはだかる「タブー」の大きさに怯えてしまっていること。戦後日本の特殊な政治、社会、経済の価値観について民族としての自覚をもって危機を唱えられない、子孫に伝えられないということがあります。

●日教組の誤った教育をセーブできず、無日日本人のあふれる日本にしてしまったわれわれの世代の責任は大きい。今の50代以下の人々や孫の世代から「こんな日本にして」と責められても仕方がないと思っている。
 無日日本人にしてしまった若い人々にも、謝罪しなければならないと思っている。日本の精神が土台から腐るまで放置しておいた責任を今、私はヒシヒシと感じている。
 日本という国家の崩壊は、止めようのない激しい濁流となって日本民族を飲み込もうとしている。民族の融解は、もはや完遂段階まで来ているのかもしれない。日本は明らかに亡国の道を走り出している。ここでわれわれがいくら意を決したところで、徒労に終わる可能性も高い。
 なら、そんな無駄なことをせず、左うちわで残り少ない余生を謳歌したほうがずっと利口ではないか、という忠告が私の周囲からも聞こえてくる。しかし、この先、我が祖国が、我が日本民族が消滅しようとも、生きている限りせめて真実の声は残しておかねばならないと思っている。
 亡国の足音はひたひたと押し寄せている。日本崩壊の地鳴りが聞こえる。民族の滅亡の危機が、「第四の国難」の危機がすぐそこまで迫っている。


(私のコメント)
前野徹著「第四の国難」は2001年10月15日の日記でも紹介しましたが、昨日の埼玉県で起きた若い男女7人による集団自殺を見て、いよいよ日本にも「第四の国難」で指摘されたような時代が来てしまったことを痛感します。彼らがなぜ集団自殺したかの原因を探ると、ほとんどが無職でノイローゼ気味でありインターネットに入り浸っていた。

現在のフリーター人口は200万人にもなり、フリーター予備軍を合わせれば日本の若者の半数近くになるだろう。なぜならば日本の若者の半分は年金を支払っていない。厚生年金を支払っているような正社員ならば強制的に給料から差し引かれるから、年金を支払っていない若者はほとんどがアルバイト生活なのだ。

日本経済はバブルの頃までは慢性的な人手不足の時代であり、新卒者は金の卵と呼ばれていた。ところが最近は大卒や高卒の新卒者も半分近くが就職できない。あるいは就職しても三年以内に会社を辞めてしまう。あまりにも労働環境が厳しくて、甘やかされて育った若者には耐えられないのだ。

小泉内閣になってから景気対策というものは死語になってしまった。マスコミからも景気対策をやれという声は出なくなってしまった。だから小泉内閣は増税・財政再建路線という官僚ペースの経済運営で日本経済は死にかけている。窓を閉め切った車の中で練炭を炊いているようなバカな政策を竹中大臣がやっている。

日本の中小企業や地方経済は悲鳴を上げているにもかかわらず、マスコミは退場すべき企業は退場すべきと、会社倒産が構造改革と言わんばかりに報道している。ダイエーやUFJに対する金融庁や産業再生機構は締め付けを厳しくして解体しようとしている。時間をかければダイエーは黒字企業であり、UFJは資産査定を適正にすれば優良企業なのであり、不良債権は解決できる。

まさに日本自体の集団自殺を政府もマスコミも喜んでいるかのようだ。なぜそうなるのか、民主主義で選ばれた政治家も、マスコミも国民の声を反映せず、外国勢力の巣窟となり彼らの手先が日本の政権を握ってしまっている。嘘だと思うのなら小泉首相はアメリカ政府高官から指示されて、自らは何も言わない。「イラクから自衛隊を撤退させたい」など言えるわけがない。

三年前の10月15日の日記では次のように書きました。

《中国と韓国の対日非難は戦後間もない頃よりも、最近のほうが強くなってきています。一連の対日非難は外交カードとして有効だから事あるごとに理由を見つけて非難してきます。日本ならいくら攻撃しようが報復はしてくる心配がないから安心して日本叩きが出来るのです。そして首相自ら謝罪にやってくるのですから、ますます対日非難が強まる。

このような中国と韓国の行為は一種のゆすりたかり行為だ。それだけで日本の政治家は友好親善の為に大金をばら撒いてくる。日本の政治家は何の為に繰り返し謝罪外交を繰り返すのだろうか。政治家個人になにか弱みでも握られてそうせざるを得ない理由があるのだろうか。日本の政治家がこのように頭を下げてまわる姿を見て、中国、韓国のみならず日本国民からも馬鹿にされるだけだ。

このように「侵略国家日本はけしからん」と言いつづけ、政治家が謝罪を繰り返しつづけることで、日本人の精神を蝕み二度と立ち直れないように、日本人の心にマインドコントロールをかけつづけているのだ。アメリカにとっても東京裁判史観を植え付けるのに都合が良い。日本を戦争犯罪人として断罪しつづける事により、アメリカも日本を思いのままに扱えるからだ。

そのために日本のマスコミは、アメリカをはじめ中国や韓国の言うがままに書きたてる。日本の内閣改造が行われるたびに、新大臣に朝日新聞記者は一人一人に「靖国参拝はするか」と質問をする。その結果を中国へ報告して中国政府高官の談話を載せる。このように日本政府高官の動向は日本のマスコミに監視され中国、韓国、アメリカに報告される。日本のマスコミは外国の諜報機関の手先に成り下がっている。》


残念ながら三年たった今もこの状況に変わりはない。先日のTVタックルにおいてもハマコー先生は「アメリカにNOということは許されない」と断言していた。おそらくこれからもアメリカにNOと言える首相は出てこないだろう。すなわち日本はこのままずっとアメリカに搾取され続けて、アメリカのドルを永遠に買い続けるのだろう。財務省の官僚も彼らの手先なのだ。




東京裁判が国際法を骨抜きにした。日中戦争でゲリラ戦の
違法性を問わなかった米国がベトナムやイラクでの因果応報


2004年10月12日 火曜日

地球史探訪:国際法を犠牲にした東京裁判  国際派日本人養成講座

1.核の恐怖の責任追求を■  

インドに続き、パキスタンも核実験を行った。いわば、教室の中 でバタフライ・ナイフを持って、にらみ合いをしている状態である。 現代の国際社会はなぜ、このような法もルールない「暴力教室」と なってしまったのか?  

一九四五年八月六日と九日に、広島、長崎に原爆が投下され た際、米国の指導者はもとよりその責任を追及されなかった。 だが、法に照らしてみると、広島の大惨事、およびその後全世 界の人々の心に植えつけられた核兵器による大虐殺の恐怖に対 する責任を米国の指導者に追及する裁判が開かれてしかるべき ではなかっただろうか?[1,p249]  

オーストラリアの勅選弁護士で、国際法律家協会の委員などを歴 任したエドワード・セント・ジョンは、こう考えて、「第2次」東 京裁判の開催を提唱した。  人類史上最初の核兵器の使用に対し、東京裁判が目をつぶってし まった事が、現在の国際社会の無法状態の根源ではなかったか?  核兵器に限らず、東京裁判が国際法にとって有害であったと考える 国際法学者は、少なくない。

2.最大の犠牲は「法の真理」■  

東京裁判で、全員無罪の判決を少数意見として下した国際法学者、 インドのパール博士は、次のように語っている。

《この度の極東国際軍事裁判(東京裁判)の最大の犠牲は『法の 真理』である。・・・勝ったがゆえに正義で、負けたがゆえに 罪悪であるというなら、もはやそこには正義も法律も真理もな い。力による暴力の優劣だけがすべてを決定する社会に、信頼 も平和もあろうはずはない。  

今後も世界は戦争は絶えることはないであろう。しかして、 そのたびに国際法は弊履のごとく破られるだろう。だが、爾今、 国際軍事裁判所は開かれることなく、世界は国際的無法社会に 突入する。その責任はニュルンベルグと東京で開いた連合国の 国際法を無視した復讐裁判の結果であることをわれわれは忘れ てはならない。[2,p22]  》

パール博士の予言した「国際的無法社会」は、現在の「暴力教 室」として現実のものになっている。東京裁判によって、いかに国 際法と国際正義の概念、権威が大きく後退し、そのことによって戦 後の国際社会がどのような災厄を被っているのかを見てみよう。

3.核兵器の廃絶■  

もし敵(日本やドイツ)が原子力の問題を解決して、さきに 原子爆弾を使ったとすれば、原子爆弾の使用が同盟国[アメリ カ]における戦争犯罪のリストの中に掲げられ、原子爆弾の使 用を決定した人たちや、原子爆弾を用意したり使用した人たち は断罪されて絞首刑に処せられたであろう。[1,p84]  

イギリスの元内閣官房長官ハンキー卿の言である。非戦闘員の生 命財産を破壊するというのは、明らかな国際法違反であった。東京 裁判では、ブレークニー弁護士がこの事を訴えたが、その時、日本 語通訳は突然打ち切られて、日本人には秘匿されたのであった。  

東京裁判で、この点を徹底的に議論していれば、当時はアメリカ しか核兵器を持っていなかった段階で、国際社会が核開発の廃絶に 同意するチャンスもあったのではないか。しかしこのチャンスは失 なわれ、ソ連や中国の核武装が進み、アメリカ国民自体も核の恐怖 のもとに曝されることになったのである。

■4.ゲリラ戦の禁止■  

パール判事も論じているように、南京事件に関しては多数のでっ ち上げ証拠が採用されて、松井石根大将は、一般市民保護のために 十分な保護措置をとらなかったとして死刑に処せられた。一方、シ ナ側の便衣兵(市民と同じ服を着て、日本兵を襲うゲリラ)戦法が 国際法違反であったという弁護側の主張は無視された。  

東京裁判で中国のゲリラ戦が咎められずに済まされたため、それ が明確な国際法違反であることがないがしろにされ、やがて共産主 義の有効な戦法として定着する。それに苦しめられたのは、アメリ カ自身であった。ベトナム戦争で共産ゲリラに手を焼き、ついには ソンミ村事件など、一般人をも巻き込む虐殺事件も引き起こした。  

ゲリラ戦を禁じたのは、一般市民を戦闘の巻き添えにしないため の文明国家間の知恵であった。このルールが東京裁判以降、無視さ れるようになってしまった。ゲリラが認められてしまえば、テロも 五十歩百歩である。現代の「国際的無法社会」では、北朝鮮のよう なテロ国家が、法の咎めも受けずに存在している。

5.侵略戦争の禁止■  

東京裁判では、「平和に対する罪」という新しい概念が持ち出さ れ、東条英機以下が、侵略戦争(正確には「侵攻戦争」)を行った 罪で処刑された。判決では、この「平和に対する罪」の根拠として パリ不戦条約を持ち出した。  

この条約は、戦争を自衛戦争と侵略戦争に二分し、後者を違法と したものである。しかしこの条約では、侵略戦争の定義は出来てお らず、アメリカなどはその判断は各国に任せられていると主張して いた。このように侵略戦争の定義もないままに、日本が侵略戦争を 行ったとして東条らを処刑したのが、東京裁判であった。  

一方、日本に対して経済封鎖を行い、戦争状態に追い込んだアメ リカの行為は咎められる事がなかった。この点について、占領軍総 司令官のマッカーサー自身が、次のような証言を行っている。  

《日本は、絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いの です。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が 無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如してゐる。そ してそれら一切のものがアジアの海域には存在してゐたのです。  もしこれらの原料の供給が断ち切られたら、一千万から一千 二百万の失業者が発生するであらうことを彼らは恐れてゐまし た。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分 が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。[3,p564]  》

このように一国の「生存権」を脅かすような経済封鎖を行った上 で、次のような挑発を行ったとしたら、どちらが先に「侵略戦争」 を仕掛けたと言えるのだろうか?  今次戦争についていえば、真珠湾攻撃の直前に米国国務省が 日本政府に送ったものとおなじような通牒を受取った場合、モ ナコ王国やルクセンブルグ大公国でさえも合衆国にたいして戈 (ほこ)をとって起ちあがったであろう。[4下,p441]  さらに日ソ中立条約を破って満州から(8月15日の降伏後も) 北方領土まで侵略したソ連の行為は不問にされている。

6.侵略戦争を法的に取り締まれない国際社会■  

東京裁判において、「侵略戦争」の定義もないまま、片手落ちの 判決を下したために、それを禁ずる国際法の発展は阻害された。  侵略戦争を違法とする国際法の案は、'51年と'54年に国連総会に 提出されたが、いづれも「侵略戦争」の定義が未完成であるとして、 審議が見送られた。そして国連総会において「侵略」の定義が決議 されたのは、ようやく'74年であった。

この定義が今後、正式に国 際条約として立法化された時に、ようやく国際社会は侵攻戦争を 「違法」として追求しうる段階に達する。  湾岸戦争の時に、イラクのフセイン大統領のしたことは、世界中 から侵略戦争だと見られていた。しかしフセインの進攻に対しては、 「多国籍軍」が力で撃退しただけで、その「侵略行為」の不正を問 うことは現在の国際法の段階ではできないのである。  

逆に言えば、フセインが湾岸戦争に勝っていたら、国際社会はイ ラクがクウェートを併合するのを、黙って見ている事しかできなか ったであろう。現代の国際社会は、まさにパール判事が予言したよ うに「力による暴力の優劣だけがすべてを決定する社会」なのであ る。

7.アメリカが国際社会の「保安官」になった理由■  

東京裁判は、国際法を恣意的に濫用して勝者が敗者を裁いたもの であった。その被害者は、敗者だけでなく、パール判事の言うとお り「法の真理」であった。  

アメリカは戦後、「国際社会の警察官」と言われたが、この表現 は不正確である。警察官は自分でルールを決めたり、捕らえた人を 裁いたりしない。「国際的無法状態」のもとで、自らがルールとな り、自らの力で悪者を取り締まらねばならないのは、「法の下にあ る警察」というよりは、「西部の無法地帯を力で抑える保安官」と 言った方が近い。  

そしてその「保安官」役を引き受けなければならなくなったのも、 国際法を発展させて、法治社会を作ろうという方向を、アメリカが 東京裁判で自らねじ曲げてしまった結果なのである

その「保安官」が日本に対して、「平和を愛する諸国民の公正と 信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう」という憲法を 書いてくれたのだが、この「国際的無法状態」では「保安官」の力 にすがるしか道がないのが現実である。  

この現実に目をつぶって、日本だけが軍備放棄をすれば良いとい う「一国平和主義」、あるいは、戦争や核の悲惨を訴えていれば良 いという「念仏平和主義」では、「国際的無法状態」からの脱却は 望めない。  

国際社会の信義と公正を戦争や核の恐怖をこの地上からなくした いという日本国憲法の理想を実現するためには、国際社会において、 戦争や核兵器を違法とする国際法と国際正義の確立に向けた学問的、 政治的努力が必要である。その努力は国際法を踏みにじった東京裁 判の見直しから始まる。


(私のコメント)
昨日の日記でも書いたことですが、アメリカ軍はイラクでは歩兵の戦闘能力はかなり落ちており、米軍車両へのロケット砲や遠隔操作による爆弾テロを防ぎきれないようだ。歩兵による掃討作戦が徹底されていないために、ゲリラ側の重火器による攻撃が激しさを増している。これらの攻撃を防ぐためには、一軒一軒の家屋を徹底的に虱潰しに武器の摘発をかけなければ防止することは出来ない。それが首都であるバクダッドでも出来ていない。

日本の軍事評論家達は主な抵抗はスンニトライアングルだけで、その他のところは平穏だとしていますが、米軍およびその他の同盟軍は自衛隊のように基地に閉じこもっているだけだから戦闘が起きていないだけだ。ところが首都周辺はそのようなわけには行かず、最低限度の掃討作戦が海兵隊によって行われている。それでもアメリカ軍は苦戦している。以下に米軍の苦戦ぶりを物語る兵士の手記を紹介します。

イラク駐留米軍人が冷静に語る「我々が勝てない理由」 韋駄天掲示板

では次に,なぜ我々がイラクで勝てないか,その理由を個別に上げていこう。

まず第1に,我々は現実を相手にすることを拒んでいる。我々はゲリラ戦を行っているが,政治が原因で,我々はこれがゲリラ戦であると明言することを禁じられ,そして,整然と我々に対峙し,ますます効率的になってゆくゲリラ軍を「テロリスト,犯罪者,希望もなく自暴自棄になった者」と呼ばなければならない。

このことは,事態がゼロ・サム・ゲームなのだということを示唆している。つまり,我々は敵X人を殺す,すると戦闘は終わり,任務は完了し,みなが勝つ。だが残念ながら実際にはこうなっていないのだ。我々が思い通りに使える道具は少なく,それらはゲリラと戦うためにはまったく使えないものだということがはっきりとわかってきつつある。

ゲリラ軍と闘うことの裏にある理念とは,ゲリラを全員殺すことではない(日中はゲリラは一般人の中に隠れているのであるから,それは不可能である)。むしろ,ゲリラ戦の理念とは,ゲリラを支持する基盤をぼろぼろにすること,もしくは崩すことである。

ゲリラに対する支持がある限りは,1人を殺せば,2人が立ち上がり,殺された1人の後を継ぐ。より重要なことには,そのゲリラを殺すのに使った道具が精密誘導弾薬や空爆など,一般市民の犠牲をうむものである場合,ゲリラへの支持を高め,自身の支持を下げているのである。(500ポンド誘導爆弾は,最小で半径400メートルの範囲で犠牲者を出す。計算をしなさい。)

第2に,平均的イラク人に動機を与えるものについての我々の想定は誤っていた。これもまた,政治的に動機付けされた「専門家」によって歪められていたのだ。我々はファンタジーを抱いてここにやってきた。現地人は無知蒙昧で,泥の家に住みラクダに乗り,彼らは道の両側に並んで我々に薔薇の花弁を浴びせ,椰子の葉を道に敷き,永遠に感謝してやまないであろう,というファンタジーを。実際,現地の人々からの支持や敬意があった時期もあったが,我々正規軍の占領が何ヶ月単位で続き,その結果,かつては友好的だった人々も,最近は敵意を抱くようになってしまった。

この点についての考えを正そうとする試みは,無益である。現地の人々が我々をますます嫌いになっているばかりでなく,ますます怒りをたぎらせ,敵意を公然と示すことも多い,という事実を指摘することは,政治的に正しくない。現地の人々が怒りや不満を抱いている理由を述べる代わりに,我々はワシントンの政治家たちが我々に対し,がんばってこいと肩をたたき便利な理由を述べるのを許している。そしてそれらの便利な理由は,現実とは似ても似つかないものである。

現地の人々が怒り心頭なのは,敵意を抱き攻撃的で怒った軍に彼らの国を占領させているからではない,と我々は言われる。現地の人々が怒り心頭なのは,我々が作った警察国家や,あるいは,彼らに代わって彼らの代表を選出したことに対してではない,と我々は言われる。そうではなく,我々は,一握りのテロリストや犯罪者,自暴自棄の者どもが彼らの中にいて,そのために現地の人々は怒っているのだ,と言われる。そして,「左翼メディアの偏向」という例の都合のよい架空の議論も,彼らの怒りの原因だと言われる。

第3に,ゲリラたちは失った分をすぐに補充している。我々がゲリラに損失を与えるよりもはやく。これはゲリラ戦においてはほとんど常に当てはまる。とりわけ,ゲリラとの戦闘における戦術(tactics)が,ゲリラへの支持をぼろぼろにすることではなく,ゲリラを殺すことに向けられている場合にはそうなる。我々は,「スマート・ボム(smart bomb)」でゲリラを殺すごとに,ゲリラよりずっと多くの何の関係もない市民を殺し,イラクのコミュニティの中に激情と怒りを引き起こしている。この激情と怒りは,結果としてテロリストの増加につながり,我々へのサポートは減る。

我々はまたもや,ボディ・カウント・メンタリティに陥っている。我々は一般市民の犠牲者を戦争の必要と位置付けようという姿勢を示している。しかし,その同じ犠牲者が,我々に対する憎悪の波を創り出すことには気付いていない。イラク市民たちがこのような怒りを抱いていることは,ゲリラ軍への入隊者が増えることばかりでなく,ゲリラ軍への支持がより拡大する結果となるのに。


(私のコメント)
アメリカ軍がイラク戦争で、ゲリラをゲリラと呼べずにテロリストと呼んでいるのは歴史の皮肉だ。アメリカ軍自身が東京裁判にてゲリラ戦が国際法違反であることを問わなかったために、ベトナム戦争においてもイラク戦争においても、ゲリラを捕まえても国際法違反として処刑する事が出来ない。それはアメリカ軍自身が日中戦争でゲリラ兵を処刑した罪を東京裁判ではA級戦犯として松井大将を処刑したからである。

処刑の手続き問題(2):軍律法廷

米軍のファルージャ空爆で9人死亡




米軍の負け戦は必至、奈落の底に突き進むイラク
米有力紙WSJのバグダッド特派員の手紙


2004年10月11日 月曜日

ホテルにロケット弾、火災 バグダッド、治安一層悪化

【バグダッド8日共同】イラクの首都バグダッド中心部で七日夜(日本時間八日未明)、旧シェラトンホテルなどへロケット弾による攻撃があり、同ホテルが被弾、敷地内で火災も発生した。
 同ホテルに隣接するパレスチナホテルには今年八月にも、迫撃砲とみられる砲弾一発が撃ち込まれる事件が発生。高さ数メートルの防護壁で囲まれ最も厳重な警戒が敷かれている一角で起きた攻撃は、首都の治安情勢悪化に歯止めがかからない現状を見せつけた。
 米軍や外国報道機関の関係者らが多数宿泊する両ホテルは、“米国支配のシンボル”として武装勢力から狙われているという。
 パレスチナホテルにはNHKや朝日新聞など外国報道機関が拠点を置き、共同通信バグダッド支局も近くのホテルにあるが、在イラク日本大使館によると、日本人の被害者はいなかった。イラク内務省報道官は、攻撃による死傷者はいないと言明した。
(共同通信) - 10月8日12時10分更新

米軍の負け戦は必至、奈落の底に突き進むイラク 10月10日 日刊ベリタ

イラク情勢は、マスコミが伝える「治安の悪化」などという表現とは程遠い、奈落の底に突き進んでいっているようだ。米国の有力紙ウォールストリート・ジャーナルのバグダッド特派員は、缶詰状態のホテルの一室から友人にあてて書いた手紙で、米軍の敗戦を確実視するとともに、米国の間違った侵略によって揺り起こされた混乱とテロの大魔神を元のビンに戻すことはもはや不可能だと悲観的なことばを連ねている。この手紙は、チェーンメールとして世界中のネットをかけめぐっているという。(TUP速報=ベリタ通信)
 
☆バグダッドから友へ☆

               ファルナーツ・ファッシーヒ
               バグダッドにて 9月29日

 このごろ、外国人特派員としてバグダッドに駐在するということは、ホテルの一室に自宅軟禁されているようなものだ。私がジャーナリストになりたかった理由は、「世界をめぐり、異国の人々と交わり、特ダネを報じて社会に貢献したかった・・・」なんてことなんだが、今はもうそんなことはどうでもいい。

 ここの状況は、日に日にひどくなっていくばかりだ。ホテルの外は危なすぎて歩けない。友人の家をたずねて行けないどころか、コンビニで買い物も、レストランで食事もできやしないんだ。取材にも行けないし、人とも話せないし、英語もご法度だし、ダメダメダメ、できないことだらけだ。

 バグダッドに来て以来、危機一髪で命びろいをしたことが、もう何度もある。この前などは、車両爆弾がホテルのすぐそばで爆発して、私の部屋の窓がすべて割れたくらいだ。
だから、いまの私の望みといえば、あっと驚く特ダネをゲットすることではなく、ただただじっとしていて、自分とイラク人の助手が生き延びることなんだ。命があってのものだねだ、記事なんて二の次だ。

 バグダッド市内だけで、この4日間に110人が殺され、300人が負傷した。イラク厚生省はそのガラス張りの公正さを印象づけるために、今まで暴力による死傷者数を発表してきたが、近ごろはその数がショックを受けるくらいに多いので、公表を止めたくらいだ。武装勢力による米軍への攻撃は、一日に87回にものぼるのだ。

 友人がサドル・シティーをドライブしてきたのだが、そこでは、若者たちが我が物顔で、自家製爆弾を道に埋めていたという。彼らはアスファルトを掘り起こし、爆弾を隠したあとに土をかけ、その上に古タイヤなどを置いて、そこに罠が仕掛けられていることを隣人に報せているそうだ。

 また、サドル・シティーの大通りには10メートルごとに10個以上の地雷が仕掛けられており、友人はそれら地雷を避けながらヘビのようにくねくねと運転しなくてはならなかったという。

 大通りに面した壁の裏側では、怒ったイラク人たちが、米軍車両が近づいてきたら地雷を爆発させてやろうと手ぐすねをひいて待っている。その辺はシーア派住民が住む地域だ。シーア派の人々は、イラクを開放してくれた米軍に感謝しているはずだったのに・・・。
われわれジャーナリストにとって、連続して起こる誘拐事件はもはや人事ではなくなっている。特に誘拐された米技術者が二人とも首を切られて殺されたのには参った。

 彼らは高級住宅地に住んでいて、イラク人たちの好感を買うために、自分の家の動力発電機で起こした電気を無料で近所の人々に流していたという。その日も朝6時、米国人の一人が発電機のスイッチをいれようと外に出たところ誘拐犯に連れ去られた。
そして数日後、彼らのばらばら死体は、その家の近所に投げ捨てられていたのだ。

 私は米国大使館と米軍と外国人特派員とが誘拐について話しあうミーティングに参加した。そこでは、背筋が寒くなるような「誘拐の3ステップ」という話を聞かされた。

ステップ(1) 犯罪者があなたを誘拐する。

ステップ(2) 犯罪者があなたをファルージャにいる元バース党員に売る。

ステップ(3) 元バース党員はあなたをアル・カイダに売る。

・・・そのかわりに、アル・カイダから大量の武器とお金が元バース党員に渡り、またその一部が犯罪者たちに渡るという。

 友人のフランス人ジャーナリスト、ジョージは一ヶ月前に、ナジャフに行く途中で誘拐されたが、いまだにその生死も分からない。

 米軍が手際よくこの国から撤退できるとしたら、イラク国防軍や警察がその切り札になるって? そう、米政府は何百億円というお金を彼らの訓練に費やしたものね。

 しかし毎週、イラク人警察官が数十人単位で襲われ傷ついていて、すでに700人が殺されてしまっているのだ。さらに、武装勢力側のスパイが、軍や警察の内部に深く浸透している。味方だと思って雇った人間の多くが、実はゲリラ側の兵士だったという問題は非常に深刻だ。米軍は訓練したばかりの三万人のイラク人
警官たちに、六億円を分配して密かに解雇していたくらいだからだ。

 こんな戦争、誰の得になっているというのだろう? 戦う価値なんてあったのだろうか? イラクでは、サダムは逮捕されたけど、アル・カイダが暴れまわるようになった。そんな状況で、アメリカがより安全になったなんて言えるのだろうか?

 今日、教養のあるイラク人が私にこう言った。

 「もしサダム・フセインが次の選挙に出馬することが許されたなら、彼は大多数の票を得るだろうね」・・・これは、本当に悲しいことではなかろうか?

 「アメリカはすでに救いようがないほどこの戦争に負けている・・・」と言う人がいる。この奈落の底に落ちていく暴力の連鎖から、何かを救い出そうとするのは、もうとうてい無理のような気がする。

 米国による間違った侵略が、混乱と重罪とテロの大魔神を揺り起こしてしまった。そしてその大魔神はもう、元のビンの中へは戻せないのだ。

 28歳のイラク人技術者に、「この国で初めての選挙が来年あるけど、君は投票するのかい?」と聞いてみた。そして彼のこの答えが、イラクの現状のすべてを物語っているように思えた。

 「選挙に行きたいやつがいるなら行くがいいさ。投票所に仕掛けられた爆弾に吹き飛ばされるか、さもなきゃあ、武装勢力に追いかけられて、米軍支援者だとののしられて殺されるのがおちだ。そんなリスクなんてとれないよ。えっ、何のためにだって?

 民主主義のため? 冗談がきついよ」

               ・・・友へ、ファルナーツより

           (抄訳・パンタ笛吹、TUPメンバー)

写真は8月バグダッドで、燃える米戦車の上を飛行する米軍ヘリ


(私のコメント)
日本のテレビニュースがイラクの戦況をほとんど報道しない結果、最近のイラクの状況が良く分からない。しかし通信社のニュースを並べてみると、外国人はバクダッドでは外を歩けないほどの状況らしい。いったい米軍の治安維持活動はどうなっているのだろうか。首都のバクダッドですらこのような状況では、地方都市は無政府状態に近いだろう。

13万人もの米軍は何をしているのかというと、砂漠の真ん中の基地で引篭もり状態でじっとしている。海兵隊の一部を除けば米軍のほとんどは戦闘能力を失い、治安活動を行っていないようだ。米軍のパトロールしている車両が近づくと仕掛けられた爆弾が爆発して米兵の犠牲者が増加する。戦闘活動を行っているのは米国空軍でジェット機から爆弾を落として「大本営発表」を行っている。

ベトナム戦争の頃だって首都のサイゴンはこれほど酷い状況にはならなかった。ところがバクダッドではムジャヒディンが外人の拠点となっているホテルにまでロケット弾を打ち込むまでの状況になっている。キッシンジャーが「イラクはベトナムのようなジャングルでは無いからゲリラは大丈夫」といった自信はどこへ行ったのだろう。

アメリカのラムズフェルド国防長官までイラクからの撤退を仄めかすまでになっているが、どこまで本当かわからない。ネオコンたちはイラクに10年でも20年でも留まってイラクを支配するつもりらしいが、そのような事がはたして可能なのか。少なくとも軍事的には不可能で、戦争兵器がいくら進歩したところで、最終的に占領支配するためには歩兵が地域を掃討しないと支配は出来ない。

その点でアメリカが一番上手く占領支配できた国が日本であり、僅か4万人の米軍が駐屯して1億3千万人の日本を支配している。天皇および政治家や官僚などの日本の支配層を完全に丸め込んで、国民をも安保条約の名の下に誤魔化されているのだ。日本人はなぜイラク人のように自爆テロまでしてアメリカ軍に抵抗しなかったのだろうか。

7年間にも及ぶアメリカ軍の日本占領は異常に長期間にわたった。その間に憲法から教育に到るまで完全に日本は作り変えられ、戦前の日本の良いところも完全に失われてしまった。ベトナムやイラクで出来た事がなぜ日本では出来なかったのだろう。それは広島、長崎への原爆を投下できたからであり、その頃は核兵器使用に対するアメリカ政府の罪悪感は存在していなかった。

実際には朝鮮戦争やベトナム戦争にも原爆の使用は検討されたが、現実には使用できなかった。広島、長崎と朝鮮戦争の間に何が起きたのだろうか。もし実際に原爆を使用した場合、戦争が拡大していった場合に全面核戦争が起きたら、アメリカといえども核戦争に無傷であることはありえず、地球上の全人類を20回殺せるほどの威力を持つ事がわかっているからだ。

その意味で日本が二発の原爆をアメリカに落とされた意味は大きい。その精神的ダメージがいまだに癒えずアメリカの軍事占領を許してしまっている。TVタックルでもハマコー先生が三発目の原爆をアメリカは日本に落とすだろうと脅迫している。それほど日本の支配層はアメリカの力に脅えている。国民もなぜアメリカ軍が日本に駐留していることに対して何も不思議に思わなくなっている。

多くの日本人は、なぜイラク人があれほど激しくアメリカ軍に抵抗しているのか理解できないのかもしれない。むしろアメリカと共に民主国家を建設したほうが、はるかに豊かな生活が出来るのにと思っていることだろう。しかしイラク人は、アメリカの言いなりになっている日本を見て、イラクは日本のようにはなりたくないと思っていることだろう。




日本の政治家はなぜ異常なほどアメリカを恐れるのか?
「戦いか破滅か、現代の黙示録を解く」


2004年10月10日 日曜日

戦いか破滅か、現代の黙示録を解く (オーム真理教のテキスト?)

3.ペリー来日〜日露戦争  

日本とアメリカの関係は、1853年のペリー艦隊の侵入に始まるが、わたし たちが学んだ教科書では、アメリカが太平洋で捕鯨を行なっており、その補 給港を求めに来たことになっている。ところが真実は、アメリカはこのとき に日本を占領して植民地にしようと考えていた。  

このときアメリカは、南北戦争で忙しく、武力で威嚇しつつ日本に対して 不平等条約を結ばせるにとどまった。とはいえ、日本はアメリカ優位の貿易 と無謀な通貨政策を押しつけられ、物価は高騰し、民衆の生活は非常に苦し くなった。その状態を立て直すべく日本は大陸に向かうことになった。そこ で大国ロシアと衝突することになる。  

これが1904年に幕を開けた日露戦争だ。当時の日本にはロシアと戦う余裕 はなかった。日本銀行の金庫にはわずか1億円あまりしかなかったのである。 その日本が戦争に踏み切ったのは、アメリカのク−ン・ロエブ財閥の融資が あったからだ。この融資の背景には、日本とロシアを戦わせることによって 両国の力を消耗させ、大陸における漁夫の利を得ようというアメリカやイギ リス、フランスを中心とした多国籍企業の企てがあった。  

日本が奉天、旅順、日本海で勝利を収めたこの戦争は、セオドア・ルーズ ベルト・アメリカ大統領の仲介によるポーツマス講話条約をもって終結する ことになる。しかし、その内容はアメリカの中国における権益やフィリピン などの植民地を守ることを最優先したものであった。

数十万人の死傷者をだ し、重税に苦しみながら勝ったにもかかわらず、アメリカ本位の条約を押し つけられたことに対して、国民は抗議運動を起こした。その波は、日比谷公 園に始まり全国各地に広まっていった。

4.アメリカのアジア支配  

さて、日露戦争後、日本は欧米列強の圧力に対抗しようとする。しかしア ジアには、すでにアメリカの手が伸びており、アメリカの植民地となった東 南アジアに対して、日本は何の発言権もなかった。  

1921年以降アメリカは保護主義政策をとって、日本製品を締め出しにかか り、1924年にはアメリカで排日移民法が制定され、日本人の移民が制限され た。この人種差別は、後に日系人収容所問題を引き起こす。これは太平洋戦 争中、正式にアメリカ国籍を取得しているにもかかわらず、単に日本の血を 引いているという理由のみで強制収容所送りとなった事件である。

日系人は 収容所送りになったが、ドイツ人、イタリア人はそうはならなかった。原爆 も日本にだけ落としている。アメリカは日本人に対して特別な敵意をもって いるのだ。後にその収容所内の若者は、アメリカへの忠誠を示すという理由 でヨ−ロッパ戦線へ駆り出され、常に白人の盾となるように最初に突撃させ られた。  

1940年から41年にかけて、アメリカは次々と日本への石油をはじめとす る輸出制限を行なった。  1941年7月には、アメリカにある日本人の資産を凍結し、イギリス、オラ ンダらと共同行動をとって、鉄、石油を含む対日貿易をすべて停止するとい う「ABCD包囲陣」を敷いた。  このようにアメリカは日本を追い詰め、日本を挑発した。もちろん戦争で 莫大な利益を上げるためだ。

第6章 在日米軍に奪われる日本人の命

1.在日米軍  

さて、在日米軍の基地は沖縄、三沢をはじめ、およそ140カ所ある。北は 北海道最北端の稚内、南は沖縄や小笠原諸島、硫黄島まで日本中に広がって いる。特に、日本の首都圏には、横田、横須賀、座間、厚木といった重要な 米軍基地が配置され、日本の首ねっこをおさえている。

在日米軍の基地面積 を合計すると大阪市や名古屋市より広く、東京23区の半分にも及ぶ。その 中では日本の法律は通用しない。アメリカ合衆国の領土と変わらないわけ だ。そして在日米軍の規模は実戦部隊だけで5万5千人。家族などを含めると 11万人にもなる。まさに日本はアメリカの植民地にほかならない。  

日本にアメリカ軍が存在する法的根拠は日米安保条約である。この条約 は、戦後連合国に占領されていた日本がアメリカに強引に結ばされたもの だ。  

この条約によれば、駐留米軍は日本の安全保障の義務はなく、日本の内乱 鎮圧にも出動する権利が与えられている。内乱鎮圧というと聞こえはいい が、パナマ侵攻に見られるとおり、何を正義かと判断するのはアメリカであ り、僕たちにとって正しくとも、アメリカにとって都合が悪いことに対して はそれを叩きつぶすことができる、そんな口実を与える条約である。  

この安保条約によって日本に居座ることになった米軍は、夜間飛行訓練で は騒音をまきちらし、電波障害を周囲に与え、それどころか戦闘機の事故や 爆弾のミス投下など、迷惑な存在である。それだけでなく、いつ日本人に襲 いかかってくるかわからないのである。例えば、1988年にアメリカの駆逐艦 タワ−ズが日本の巡視船を標的に射撃訓練を行なっている。

4.日本再占領  

それでは在日米軍の目的は何か。それは日本を守るためではなく、植民地 日本を脅し、監視し、そして攻撃するために存在しているのである。  

1991年、アメリカの大統領直属の情報機関であるCIAが中心にまとめた 「JAPAN2000」というレポ−トは、日本人の異質性をことさらに強調 し、日本を悪の帝国として位置づけるという内容であった。  

そして92年1月にワシントンポストのスクープという形でリークされた、 アメリカ国防総省のアドバイザーグループである「統一戦略目標研究会」が まとめたレポートでは、戦略ミサイルのターゲットとして日本を挙げてい る。  

なお、アメリカは日本の正確な重力分布を毎年調査している。これはIC BM、核弾頭を装備した大陸間弾道弾が正確に日本の都市を攻撃できるよう に行なったものである。  さらに、92年3月ニューヨークタイムズに掲載された国防総省指針草案も CIA筋の意図的なリークにより書かれたものであるが、日本の軍事的台頭 を防ぐには在日米軍の駐留が必要だと述べている。
 

次に見るように、アメリカは意図的に国内世論を誘導し、反日感情をあお った。  さらに、1992年1月、当時衆議院議長の桜内が日米貿易摩擦について、 「アメリカの労働者の質が悪い」と述べたことをアメリカのマスコミは一斉 に批判し、反日キャンペーンを繰り広げた。さらに日米貿易摩擦を背景とし た、宮沢元首相のアメリカ車輸入の割当てに関する発言をアメリカのマスコ ミは利用し、これも反日感情をあおることとなった。

このようにして、アメ リカ人の反日感情が意図的に高められ、その結果、1992年2月に中京大学の 学長がアメリカに滞在中殺され、また、アメリカで不動産会社を経営してい る社長が殺された。  このように反日感情による殺人が増加し、アメリカ人の間では、NIPと いう日本人を軽蔑する呼び方さえできた。

第7章 日本再占領の理由

1.経済戦争  

それではなぜアメリカは、日本を破滅させようとするのか。その理由の一 つは、アメリカが財政、貿易と双子の莫大な赤字を抱え、国家破産寸前だか らである。その額は1993年で440兆円という莫大なものであり、専門家によ れば1995年にはアメリカは破産するといわれている。 [『大不況サバイバル読本』(PP.169-170)、浅井隆(1993)、徳間書店]  

アメリカの主な借金の先は日本である。戦争で日本に勝つことによって、 その借金がご破算になるばかりか、日本から賠償金を取ろうとさえしている のである。第二に、アメリカの多国籍企業である軍需産業が戦争によって莫 大な利益を上げるためである。そして背後には彼らの世界政府の樹立、世界 支配への大きな野望がある。  

そして今、日本は不況に苦しんでいるが、この不況こそ彼らが仕組んだ日 本崩壊計画の序章だった。  まずアメリカは過去数年にわたって円高ドル安を演出し、輸出業者を追い 込んだ。一方バブル崩壊前の金余り日本の銀行、生命保険会社にアメリカの 国債を買わせた。これにより一時的にアメリカの財政赤字は解消されたので あるが、その国債を日本が取り立てようとする前に日本を叩きつぶそうとし ているのである。

3.思いやり予算  

また、日本の政治家は日本国民のためでなく、アメリカのために働いてい ることは次のことからも明らかである。日本国民は、「思いやり予算」とい う名目で莫大な金額をアメリカ軍のために支払わされている。  

日本の国家財政は破綻しているにもかかわらず、在日米軍に巨額の税金が 使われている。1993年度は日本政府の発表によると、思いやり予算として、 米軍に支払った金額は5612億円にものぼる。しかし実際は、正しい評価をす れば、はるかに巨額になるのである。

つまり、在日米軍の土地の価値は正し く評価すると30兆円ほどの価値があり、賃貸料だけを考えても、米軍は年間 8400億円以上支払わなければならないのである。  日本はアメリカ軍の兵士に豪華な家を与えているばかりか、思いやり予算 の対象をどんどんひろげ、1989年には三沢基地のF16戦闘機のシェルター に約200億円も支払った。

また、横田基地の滑走路修復費や弾薬庫、化学・ 細菌戦用病院の施設費用を負担し、アメリカ軍の部隊の移動経費や燃料費ま で負担している。さらに、自衛隊に在日米軍の装備や人員の運搬を受け持つ ことまでさせようとしている。  細川前首相は「思いやり」予算について「できる限り行なう」とアメリカ に誓約した。日本の政治は完全にアメリカの思うがままである。

第8章 アメリカのコントロール

1.政治家  

では、なぜ日本の政治家たちはそれに抗議しないのか。それは、日本の政 治家が終戦以来アメリカのコントロ−ル下にあるからだ。その第一の布石 が、東京裁判である。  極東国際軍事裁判いわゆる東京裁判は昭和21年5月3日、その開幕を迎えた のである  

東京裁判とは、正式には極東国際軍事裁判といい1946年5月3日から1948 年11月4日にかけて行なわれたものである。この東京裁判は法的根拠があい まいで勝者が敗者を裁くという力まかせの強引なものであった。そもそも本 当の戦争犯罪人はアメリカ大統領だったのである。  

この東京裁判によって、捕虜虐待を名目として、2000人以上の旧日本兵が 処刑によって殺された。  極限状態の中で行なわれたとはいえ、人間として許されざる行為があった ことは否定できない。しかし、報復の意味を含んだこれらの裁判が、必ずし も罪ある者を裁いたとはいえない。中には、人違いなどの誤解から、無実の 者が裁かれた例もあり、また、上官、あるいは部下の罪を背負って処刑され た人もいた。  

また、軍人のみならず、政治家の広田元首相も死刑となった。アメリカは 政治家の命を奪うことによって日本の政治家たちに脅しをかけたのである。 さらに長く日本の政治家に印象づけるために、当時の皇太子、現在の天皇の 誕生日、即ち12月23日に東条英機や広田弘毅(ひろたこうき)など、主要な 人物の処刑を行なった。  

アメリカのやり口は巧妙で、ムチだけでなくアメも与える。彼らが選んだ 政治家には惜しみなく資金を与える。たとえば、細川前首相には、彼らから 200億円もの大金が融資されたことを、ジャーナリストの広瀬隆氏が暴露し ている。そうでもなければ一介の熊本県知事であった人物が政党を率いて国 政選挙に出られるものではない。

しかし、小選挙区制導入、コメの自由化 と、役目が終わったとなると細川氏はスキャンダルをリ−クされ失脚させら れたのである  そもそも、日本の首相は、日本の国会で決められているように見えるが、 それは見せかけである。実は、日本の首相は、多国籍企業の代表者やその代 理人ともいうべき政治家たちが集うダボス会議で決定されるのである。  

細川前首相は、昨年1月、ダボス会議に出席し、首相になることを許され た。だからこそクリントン・アメリカ大統領が来日したとき大使館主催のパ ーティーに招かれたのが当時の宮沢首相ではなく、細川とその後見人の小沢 一郎であった。  

そして今年は羽田牧がダボス会議に招かれた。その時点で、彼は外務大臣 であったが、果たして現在彼は日本の首相である。つまり、今回もこのスイ スで開かれたダボス会議で日本の首相が決定されたのである。  このように日本の政治は文字どおり彼らによってコントロ−ルされてい る。

2.教育制度  

GHQの民間情報局教育課の使命は、日本人の思想、生活、および行動の 形態を変えていくように、日本の教育制度を利用することであった。そのた めに、必要な教育改革を教育課が起案し、マッカーサーの承認を得た後、文 部省を監督しつつ、教育制度に適用して、教育改革を達成させるという方法 がとられた。  

戦後、日本人の教育は、アメリカ礼賛という形で行なわれ、また、長い歴 史で培われた日本社会、日本文化の良ささえも否定するような思想を植えつ けられたのである。  戦後日本の学校教育は、知識詰め込み型の教育であり、日本人から、思考 力、思索力を奪ってきた。そこでは、膨大な知識を詰め込まれ、ただ、与え られたことを要領よくこなす、ということに重点が置かれた。

この、点数重 点主義、偏差値重点主義は、一部のエリート選別を行ない、その他の大部分 は、落ちこぼれというレッテルを貼られ、単純な肉体労働の供給源として、 教育され、無知化、動物化されてきた。また、一部のエリートにしても、自 ら思索するのではなく、上の者から言われたことを能率的にこなす能力を身 につけるだけであった。  

その結果、日本人は自由な発想を奪われ、画一化され、個性を奪われてき た。あるいは、思考力を奪われ、無知化し、情報に流されるようになった。 そして、これこそ、彼らが国民を支配する上で、好都合なものであった。

3.マスコミ  

マスコミが極度に発達した現代社会においては、テレビの果たす役割が非 常に大きく、容易に世論を形成、思想を統一することができ、その公平性、 中立性が要求される。しかし、マスコミも一つの企業であり、その財政基盤 であるスポンサーとしての大企業、あるいは国家権力などの影響下に置かれ ている。  

現在のテレビ放送は、国民を無思考へと導く、暴力、スポーツ、グルメ、 セックス、レジャー、お笑いといった享楽的情報以外、流さなくなってき た。軽薄短小なアメリカ文化が移入されたのである。これにより国民は、こ のような情報に流され、無知化し、彼らによってコントロールされているの である。


(私のコメント)
ネットサーフィンをしていたら興味深いサイトを発見しました。書かれているものを読んでいると「株式日記」で私が日頃から書いているものと一致するものが多い。URLを見ると、どうやらオーム真理教のテキストらしい。サイトの最後には「松本」という名の救世主が現われると書いている。

終わりのほうになるとノストラダムスの予言とか、世界の有名な予言者の予測を並べて、それは東洋人であり日本人で「松本」という名の救世主の出現を書いている。つまりこのテキストは最初はもっともらしいことを書き並べて信用させて、読みつかれた終盤になって核戦争や環境汚染などで世界が滅びると脅かして、救世主の存在を認めさせようとしている。

そのためには、その前に書かれた事が説得力のあるもので信用させなければならない。その部分を読む限りにおいては、まことにもっともな事が書いてある。日米関係の歴史的解説から始まって、現在の日米関係における歪んだ関係は真理を突いている。特に巨額なアメリカの日本への債務を帳消しにするために、日本を叩きのめすという予言は思わず背筋が走る。

ここに書かれているのは反米的なものですが、左翼的なものではなく、東京裁判の否定など民族主義的な見方は私と同じだ。とくに今上天皇の誕生日に合わせてA級戦犯を処刑するなど、アメリカ占領軍のやり方は非常に悪質だ。さらにA級戦犯の印象を悪くするために、東京裁判で南京大虐殺をでっち上げた。

中国では南京大虐殺の記念館まで作られていますが、そこに展示されている写真や映画フィルムなどは、アメリカが日本のイメージを悪くするために作られた宣伝映画や写真なのだ。それをいまだに使って中国の反日感情を煽りたてている黒幕はアメリカなのだ。つまりアメリカが一番恐れているのは日中が連帯して反米になることを恐れている。

日本の左翼というのは不思議な存在で親中国でありながら、最終的には日本がアメリカに隷属するための環境作りに貢献している。中国の戦略とすれば、いかに日米を離反させるかという外交戦略があるはずですが、非武装平和主義が日米の離反を起き難くしている。

日本の政治家もアメリカから金をもらっているから、それをばらされるのが怖いからアメリカの言いなりにならざるを得ないようだ。外交政策で一番効率的なのは相手国の政治家を金で買収するのが一番効率的だ。日本も佐藤政権の頃まではCIAから金をもらって野党まで金をばら撒いて政治をしていた。

細川政権の成立にしても僅か200億円程度の政界工作資金で簡単に非自民政権が出来てしまった。その窓口になったのが小沢一郎であり、その構図はいまだに変わっていない。日本の政局と言ったって、どうなるかはアメリカの金次第でどうにでも動く。このように日本の政治家を賄賂漬けにしておけば、資金回収は何倍にもなってアメリカに還流して行く。

もはやアメリカ権力中枢は日本国民を完全にバカにしきっている。戦後教育やテレビなどのスリーS政策で完全に思考能力を失い、テレビが煽れば世論工作も思いのままになっている。日本政界の実態が暴露されるようになっても反米的な世論はほとんど起きない。それほど日本国民に洗脳教育が染み渡っているからだ。洗脳といったらオウム真理教が専売特許なのですが、その本家はアメリカなのだ。




西武と堤義明の”悪行”を暴く 噂の仕置人 草野洋
西武の堤義明会長の引責辞任劇は何を意味する。


2004年10月9日 土曜日

業績悪化の「西武鉄道グループ」 草野洋

西武鉄道グループの広告塔的役割を果たしてきたライオンズ球団を、
「合併させたい」ほど西武鉄道グループは業績悪化している。
「西武鉄道」は前期85億円の赤字。レジャー、サービスは23億円の営業赤字。
「コクド」もレジャー事業が低迷で、営業赤字は八期連続。
西武グループ有利子負債総額は1兆円を上まわる。
そのうち「西武鉄道」は約8,000億円の負債を抱えている。
一方ではグループの土地の含み益はどんどん減り続け、もはや一兆円を下まわっている。

こうした財務状況の悪化で、スポーツ関連部門でもリストラが続き、
「プリンスホテル」野球部は2000年に廃部、アイスホッケーも
昨シーズン限りで「西武鉄道」が廃部を決め、「コクド」に統合される。
そんな中で今度は「西武ライオンズ」の「合併」をオーナーである
堤義明が口にした。
「西武ライオンズ」は「コクド」の小会社であり、経営内容は非公開だが、
これも赤字の模様だ。もはや球団を支えていく力がないのだろう。

こうした西武グループの哀退傾向の中で、
今年3月に総会屋への「利益供与事件」が発覚、
その責任を取って義明は「西武鉄道」会長を辞任したが、
依然としてグループのオーナーであり、実権と影響力はいささかも変わらない。

この「総会屋利益供与事件」では、
「西武鉄道」元専務ら鉄道側被告10人が有罪となったが、
土地1坪売るにしても義明の了解がなくては
売買できない仕組みになっているのに
グループ総帥の義明が関与しないわけがない。

ましてや「西武鉄道」の社有地6,300平米という鎌倉と横須賀の土地を安値で売り、
総会屋はその土地を転売して8,800万円の転売差益を得たという。
昭和38年の衆議院選挙で未曽有の違反者を出した先代
堤康次郎は、心労のためか翌39年4月、76歳で死去。
その遺言では「10年間は何もするな」というものだった。

その際、番頭格の岡野関治は「義明さんのやり方は先代にそっくりだ」と
舌を巻いていたというほどで、この<西武と堤義明の"悪行"を暴く>
というシリーズで、その辺も含めて読んでいただきたい。

"宮様"土地収奪の手練手管 草野洋

「西武鉄道」のある役員は「義明さんは太陽で、あとはみんな石コロだよ」と言った。
お茶を運んできた女性秘書は、床にひざまずいて差し出す。
西武が開発した"鎌倉霊園"には、毎年元旦にはグループ幹部500人が、
先代の墓前に手を合わせる。

そして「感謝奉仕」の社是を引き継ぐと称して西武グループの「奉仕当番」だ。
これは西武グループの誰かが、毎日2人か3人で墓地の横にある休憩所に泊り込む。
各自手弁当でこの墓地に出勤して清掃する。
これは狂信的な宗教団体のようなもので、
義明のこうした前近代的な君主制は何によって培われたのだろう。

'92年に、"持株会社"といわれる「コクド」が、名門の「川奈ホテル」の経営を引き受けた。
周知のように「川奈ホテル」には"富士コース"と"大島コース"のゴルフコースがあり、
毎年フジサンケイクラシックが開催される。一泊してワンラウンドまわると1人7万〜9万円。
凋落傾向にある義明の「コクド」が、なぜ「川奈ホテル」に手を出したのかといえば、
「川奈ホテル」は名門大倉財閥系で「先代康次郎そっくり」の義明は
"宮家"とか"華族""名門"に異常な執着心を見せる。

旧財閥の岩崎小弥太(三菱財閥)の持っていた伊豆長岡の別邸を先代康次郎は、
調査もしないで言い値で買い取った。(『西武王国』中嶋忠三郎著)
また、北白川家の約4万平米の高輪の土地は衆議院議長に就任した2ヵ月後に
"西武のもの"(所有権登記は26年後)にしている。
そしてここには「新高輪プリンスホテル」を建てた。

戦後の皇室離脱によって民間人となった"宮家"は、税金で持ちこたえられずに、
やむなく"物納"していた。
国は、この土地の一角を衆議院議長公邸として使用していたが、
先代康次郎が衆議院議長に就任するや、北白川家の執事を抱き込み
「高輪に家を建てて戻りたいから、物納した土地を返してもらいたい」と
衆議院議長あてに返還を訴えさせた。

それを受理する側だった康次郎は、衆議院議長の立場を利用して処理させた。
明治天皇は「北白川の宮」、「竹田の宮」、「東久邇の宮」、「朝香の宮」の
それぞれの皇女に約4万坪の土地を持参金として4つに分けて下賜されたものが、
「目黒迎賓館」、「品川のパシフィックホテル」、「赤坂プリンスホテル」、
「高輪プリンスホテル」などの土地で、「東久邇の宮」のパシフィックホテルの土地は、
故河野一郎と故大野伴睦に邪魔されて「プリンスホテル」目的を達することができなかった。

"皇室"にも触手をのばした義明 草野洋

「西武」創設者である先代康次郎も堤義明も、
「旧華族」、「皇室」、「名門」にこだわってきたかというと、
世事に疎い"皇族"は"欺しやすい"だけでなく、
"堤家の血"すなわちそのルーツにコンプレックスがあるのではないかと思われる。

「日本で活躍する朝鮮半島出身者の末裔・西武王国の実像」
という記事が某誌に掲載された。
その某誌の「最高顧問」も朝鮮半島系の人物で、
その記事の中に「かつて義明は、彼の長男に天皇家の長女・紀宮妃を
嫁にもらうべく画策した、と某週刊誌が報じたことがある」と書かれている。

これが事実だったとすれば、"堤家"は日本の"皇室"の財産を収奪し、
長男を皇室と結びつけることによって堤家の過去の悪業の数々と、
血のルーツを隠ぺいしようとしたのだろうか。
人間にとって、その血のルーツがどこにあろうとこだわるべきでないが、
"堤家"の"皇族"に対する執着にはただならぬものを感じる。

その一方で西武は税金を払わないよう経理上の操作をし、
義明個人は「世界一の金持ち」として『フォーブス』に取上げられたこともある。
「義明さんは大物だよ。われわれがゴルフに行くと、
何人連れていってもタダでやらせてくれて、プリンスホテルに泊まらせてくれるよ」
と元首相の小渕恵三(故人)は言った。

そこで「義明さんがそうした待遇をするのは、
早稲田大学出身同士という親しみからでしょうが、
何か陳情された時断れないでしょう。企業人が金を出したり、便宜をはかるときは、
必ず下心があるものですよ」と言葉を返すと、
まだ40代後半だった小渕は、意味が飲み込めないようだった。

こうした義明の魂胆を見抜けないノー天気な政治家らは、
そのパーティーにプリンスホテルを利用する。
'98年10月、「高輪プリンス」の
"さくらタワー"開業記念パーティーには1万人ほど招待された。

その中には羽田孜、森喜朗、竹下登(故人)、村山富市ら総理大臣経験者から、
義明と"親密"と噂のある沢口靖子をはじめ芸能人、
マジシャンの引田天功、そして義明と同様に、
「プロ野球再編問題」でヒンシュクをかった
『読売』のナベツネこと渡辺恒雄もかけつけていた。

(続きは) 噂の仕置人 シリーズ西武 草野洋


(私のコメント)
西武の堤義明会長といえば、財界では泣く子も黙る存在でしたが、最近では利益供与事件で責任を取って辞任に追い込まれましたが、今では西武ライオンズのオーナーとしての活躍が目立っている。しかしながら西武本体の経営危機から、プロ野球団を手放さざるを得なくなるほど経営が危機的なようだ。

日本経済がバブルにまみれる以前から西武の堤義明会長は堅実な経営で知られていましたが、それでも長引く不況は西武グループ全体を経営危機に陥れている。鉄道部門もホテルやスキー場などのレジャー・サービス部門も赤字で苦しいことは間違いないようだ。強力なリーダーシップもなかなか効果を見せず、世界的な資産家として話題になった堤義明会長も今は見る影もない。

西武鉄道は一部上場会社ですが、市場調達をほとんど行わず、増資も社債の発行も行わず、もっぱら銀行借入で西武を発展させてきましたが、それでも株主総会で利益供与しなければならないほど株主総会は厳しい意見が出ることを恐れざるを得なかったのだろう。オーナー経営者だから株主総会など恐れる事はないと思えるのですが、何があったのだろう。

西武グループは先代から政界とのパイプも太く、政界への影響力を行使すれば、速やかに景気を回復させる政策をとらせて、会社の経営を立て直すぐらいのことは出来ると思うのですが、それよりもアメリカの国際金融資本の前には、日本の有力企業も歯がたたなかったのだろう。

堤義明会長もソニーの森田会長のように世界的に名前を売って、国際金融資本家たちから情報を仕入れていれば、もっと巧みに経営を切り替えることも出来たことだろう。しかし業種が鉄道やホテルでは国際的な活躍も限られたものになる。むしろ今回の経営危機はオーナー経営を守ろうとするあまり銀行借入に偏りすぎた経営姿勢が裏目に出たことだ。

もっと増資などをして株式市場から積極的に資金を集めて経営していれば、1兆円もの有利子負債を抱えずに済んだはずだ。しかし先代の康次郎氏の時に戦前の恐慌で社債の借り換えが出来ずに潰れた企業を見て、西武は社債を発行しないことを社是としてきた。銀行から借り入れしたほうが借り換えは楽だし、銀行が安泰であったならば西武も経営は安泰であったはずだ。

西武の企業風土は極端に閉鎖的であり、堤義明氏は宗教団体の教祖を思わせるほどのカリスマ性で経営してきた。今回の利益供与事件も信者達が身代わりになったかのように教祖を守っている。全盛期なら国税庁や検察をも動かせるほどの政界への影響力を持っていたが、今では見る影もない。

しかしながら西武が莫大な含み資産を保有していることには変わりはなく、銀行が立ち直って金融の目処が立ち、リストラで経営の見直しが進めば、膨大な資産を生かして西武グループは安泰だろう。しかし今回のプロ野球再編劇を見ていると、そのドタバタぶりは絶頂期だった頃の堤義明氏なら考えられない不始末で、ついに焼きが回ったと思わせるほどだ。

プロ野球団としての西武ライオンズは経営としては一番まともな経営をしており、さすがは堤オーナーと思いますが、背に腹は変えられずにライオンズをロッテなどと合併などを模索している。今ではIT企業が新球団に参入に名乗りを上げていますが、この事からも時代の変化について行けないものを感じます。




ジョセフ・S・ナイ(著) 「ソフト・パワー」
「信頼性こそがソフトパワーの源泉である」


2004年10月8日 金曜日

ソフト・パワー 国際政治の方程式を解く ジョセフ・S・ナイ(著)

情報時代の広報外交

自国の良いイメージを広める活動はとくに新しいものではないが、ソフト・パワーを活用する際の環境は過去何年かに劇的に変わっている。ひとつには、世界の半分近くの国がいまでは民主主義国になっている。冷戦の時代とは違って、二つの政治・社会体制の競争という観点は、広報外交の指針としての重要性を失っている。

ミャンマーやシリアのように、政府が情報を管理している国に対しては、いまでも国民に正確な情報を提供する必要があるが、メキシコやトルコのように、議会が政策決定に影響を与えられるようになった国に対して、自国に好意的な世論を作りだす必要が新たに生まれている。

イラク戦争にあたってアメリカがこれらの国の支持を求めたとき、ブッシュ政権がソフト・パワーに打撃を与えていたために、これらの国の政府がアメリカを支持できるどころか、支持できない状況になっていた。

独裁政権が崩壊し、民主主義の政権ができた国では、世論の形成がさらに重要である。政治指導者が親米的であっても、世論と議会がアメリカとその政策を否定的にみていれば、政治指導者がアメリカ支持の政策をとる余地がかぎられる場合もある。

こうした状況では、外国の世論にはたらきかける外交が、政府首脳の間でかわされる秘密の外交的なやりとりと変わらぬほど重要な影響を与えることがある。

情報は力であり、いまでは世界の人口のなかで情報という力を行使できる人の比率が以前よりはるかに高まっている。「海外に勤務するアメリカ政府の何人かの職員がジープを運転し、中南米など、世界各地の奥地を巡回して、世界から隔絶した地域に住む人たちに映画をみせる」時代は、はるか以前に終わっている。

技術の進歩によって、情報を処理し伝えるコストが劇的に低下した。その結果、情報の爆発が起こり、「豊富さの逆説」が生まれている。情報が豊富になったために、注意が不足する結果になったのだ。

情報の量の多さに圧倒されるようになって、何に注意すべきかをみきわめるのが難しくなっている。このため、情報ではなく注意が希少な資源になり、無意味な雑音のなかから価値の高い情報を選びだす能力をもつものが力を獲得するようになった。

編集者と解説者への需要が高まっており、どこに注目すべきかを教えてくれる人たちがカを得るようになっている。さらに、大衆は宣伝に警戒し、敏感になった。編集者と解説者にとっては、信頼性が決定的な資源であり、ソフト・パワーの重要な源泉である。


信頼性に関する世評は以前よりもさらに重要になっており、信頼性の構築と破壊をめぐって政治的な戦いが繰り広げられている。各国政府は、他国の政府との間で信頼性を競っているだけでなく、ニュース・メディア、企業、非政府組織、国際機関、科学者のネットワークなど、幅広い参加者とも信頼性を競っている。

政治は信頼性をめぐる戦いになった。いわゆる権力政治の世界では、軍事力と経済力の勝負になるのが通常である。これに対して情報時代の政治は、「最終的に誰の説明が受け入れられるかになる可能性がある」とランド研究所の政治と情報の二人の専門家が論じている。

各国政府は他国の政府や他の組織との間で、みずからの信頼性を高め、反対勢力の信頼性を弱めるために戦っている。たとえば、セルビアと北大西洋条約機構(NATO)が一九九九年にコソボ紛争の解釈をめぐって、翌年にセルビアでの事態の解釈をめぐって戦った。

二〇〇〇年十月にミロシェビツチ大統領を辞任に追い込んだ抗議行動が起こる前、セルビアの成人の四五パーセントが自由ヨーロッパ放送とVOAを聞いており、国営のラジオ・ベオグラードを聞いていたのは三一パーセントにすぎなかった。

また、セルビア国内の独立系ラジオ局、B92は欧米のニュースを流していたが、政府が放送を中止させようとしたとき、インターネットを通じてニュースを提供しつづけた。世界政治では評判はこれまでつねに重要だったが、いまでは「豊富さの逆説」のために信頼性が力の源泉として一層重要になっている。

情報を提供しても、宣伝にすぎないと思われれば相手にされないだけでなく、それによって自国の信頼性に関する評判が悪化すれば、逆効果にすらなりかねない。

イラクのフセイン政権の大量破壊兵器とアル・カイダとのつながりに関する誇張した主張は、アメリカ国内でイラク戦争に対する支持率を高める点では役に立ったかもしれないが、その後に誇張していた事実があきらかになって、アメリカとイギリスの信頼性に大きな傷がついた。

さまざまな国の政府や組織がニュース提供で競い合う情報時代の状況では、強引な売り込みよりも控えめな売り込みの方が効果的になっていくともみられる。

広報外交の形態

一九六三年に、有名なニュース・キャスターでケネディ政権のUSIA局長になったエドワード・R・マローが、広報外交とは外国政府だけではなく、主に外国の民間人と民間組織を対象にした交流であり、政府の見方だけではなく、民間の多様な見方を伝える場合が多いものだと定義している。

イギリスの広報外交専門家のマーク・レナードが指摘しているように、「広報外交」という言葉を宣伝の椀曲表現にすぎないと考える人たちは、肝心な点をつかめていない。単純な宣伝は信頼性がない場合が多く、そのために広報外交としては逆効果になる。

また、広報外交は広報活動だけにかぎられるわけでもない。情報を伝え、良いイメージを売り込むことも広報外交の一部だが、それだけでなく、長期的な関係を築いて政府の政策を実行しやすい環境を作ることも、広報外交の一部である。

広報外交には三つの側面がある。三つはどれも重要であり、直接の政府情報と長期的な文化交流の比率がそれぞれ違っている。第一の側面は直接的なものであり、日々の情報提供である。国内政策と外交政策の決定の背景を説明する活動である。政府の高官は政策決定を下すたびに、マスコミに何をどのように伝えるかに十分に注意するのが通常だ。

だが一般に、こうした活動は国内のマスコミに焦点をあてており、広報外交の第一の側面では外国のマスコミをもっとも重要な標的にしなければならない。

レナードが警告している点だが、政府は国内政策の決定を国内のマスコミと国民だけに説明しようとする間違いをおかし、政府の行動とその説明が自国の国際的なイメージに与える影響に気づかない場合が少なくない。


マスコミの例をあげるなら、イギリスで鉄道事故が相次いだとき、イギリスの新聞が自国は「第三世界の国」だと自嘲する記事を書いた。外国の一部の新聞がこの言葉に飛びっき、どのような文脈で使われたのかを説明することなく、報道で繰り返し使った。その結果、イギリスが衰退しているとのイメージが強まることになった。

広報外交のうち日々の活動の側面では、危機に対応する準備を整えておかなければならない。素早く対応する能力があれば、事実に反する非難を受けた場合や、誤解を招く情報が流された場合に、すぐに反論できる。

たとえば、アルジャジーラが二〇〇一年十月七日にウサマ・ビン・ラディンのはじめてのビデオテープを放送したとき、アメリカ政府は当初、アルジャジーラとアメリカのネットワークがそのテーブを放送するのをやめさせようとした。

だが、いまの情報時代には、これは潮流を押し止めようとするような無駄な努力であるうえ、それを象徴する国になりたいとアメリカが望んでいる開放性の価値観に反することにもなる。

ウサマ・ビンニフディンの憎しみに満ちた演説に対抗するアメリカの声を、アルジャジーラなどの放送局に大量に送る準備を整える方が、はるかにすぐれた対応であった。カタールに本拠をおくアルジャジーラなど、外国のメディアは偏りがないわけではないが、放送するネタを必要としている。

実際にも、アルジャジーラのワシントン支局長は、「われわれの局に話しにきて、利用してほしい」と、アメリカ人に呼びかけている。

広報外交の第二の側面は戦略的情報提供である。これは選挙や広告のキャンペーンに似ており、いくつかの単純なテーマを設定する。一年のうちに何度か、象徴的なイベントや情報提供を計画し、中心的なテーマを印象づけるか、政府の具体的な政策を推進する。これは計画は簡単でも、実行が難しい場合もある。

たとえば一九九〇年代にブリティッシュ・カウンシルは、現代的で、多民族社会で、創造性豊かな国というイギリスのイメージを広めようと懸命に努力したが、同じときに政府の別の機関、観光庁はイギリスの伝統、儀式、歴史を必死に広告していた。

さらに、何かの動きによってそうしたキャンペーンが頓挫することもある。たとえばイギリスは何年にもわたってEUの忠実な加盟国というテーマを強調してきたが、二〇〇三年にイギリスがフランス、ドイツと対立してイラク戦争でアメリカを支持した。この結果、多くの国でイギリスはアメリカの属国だとする好ましくないイメージが強まった。(P166〜P171)


(私のコメント)
私はこうして毎日「株式日記」を書いていますが、それは現在のマスコミが信頼のできるニュース解説を行っていないために、その穴を埋めるために書いている。大きな突発的な大事件が起きた時に、誰もがテレビにかじり付きますが、専門家をスタジオに呼び出しても、なかなか適切と思える解説を行っていない。

ジョゼフ・S・ナイの書いた「ソフトパワー」は情報が氾濫する中で、何に注目すべきかを選び出す有能な解説者の需要が高まっていると指摘している。ところが現在の日本のマスコミにはその解説者によって世論が動かされるような偉大な人物がいないのだ。解説者やコメンテーターや評論家はたくさんいますが、どれも国民の信頼を勝ち得てはいない。

しいて挙げれば世論を動かすパワーは石原慎太郎が一番あると思えるし、頭の切れで言えば久米宏が一番切れている。その他には分野を限れば信頼できる解説者はいるのだろうが、多くのジャーナリストや評論家には信頼性が欠けている。日本にはオピニオンリーダーが不在なのだ。

テレビでは田原総一郎や筑紫哲也ががんばっていますが、言うことがクルクル変わり、とても信頼されているとはいえない。その点は「株式日記」でも攻撃してきた。情報化社会でありながら、国民はかえって本当に必要とする情報を探し出せないで右往左往している。

経済問題にしても、日本は「失われた10年」と言われながら、誰もその原因と解決方法を見つけ出せないで来た。少なくとも「株式日記」はその課題に早くから取り組んできたし、いろいろその点に関しては書いてきた。最終的には私が指摘してきた事が正しかったと認められるだろう。

911テロ事件に対しても、いろいろ書いてきましたが、やはりこれも真相は時間が経てば、真相は明らかになるし、私の指摘が正しかったと証明できるだろう。当初は陰謀論とかデタラメと胡散臭く思われても、結果的にそれが正しければ信頼性も高まってくる。

「ソフト・パワー」とは文化的な面ばかりが強調されているようですが、むしろ情報や広報活動における信頼を勝ちうることのほうが重要であり、作為的な誤った情報の押し付けは逆効果であり、情報を遮断して政府の一方的なプロパガンダを流していれば、国民は誰も政府を信用しなくなる。

日本のマスコミも一方的な政治的な宣伝活動の行為が信頼性を失わせることを知らないのだろうか。例えばそれがスポンサーや広告代理店の圧力で一つの物事を煽っていれば、やがては国民はマスコミを信用しなくなるだろう。今までならマスコミが世論を作り出すことは簡単だった。しかし最近はネットが普及してきてマスコミのニュースよりもネット情報を信ずるようになって来ている。

昨日も朝日新聞と中国の関係について書きましたが、「南京大虐殺」のキャンペーン活動は中国のような情報が遮断されたところでは有効だろう。しかし日本のような情報がオープンなところでは、たちどころに情報の嘘が暴露されて、かえって朝日新聞の信頼性は低下して来ている。本多勝一氏も信頼がなくなった。

ジョセフ・S・ナイの「ソフトパワー」はそのような情報を扱う人にとっては必読の書であり、押し付けがましい情報はかえって信頼を獲得するには逆効果になることもある。2002年のワールドカップのテレビの「韓国を応援しよう」というキャンペーンもサッカーファンには反発を招いた。一度信頼を失えばその回復には長い期間を要するようになるだろう。




親中国の朝日新聞が「南京大虐殺」を独り歩きさせた
ヤングジャンプの「反日漫画家」本宮ひろ志を許すな!


2004年10月7日 木曜日

反日漫画家」本宮ひろ志を許すな! 南京大虐殺プロパガンダとしての「国が燃える」の内実

本宮ひろ志という漫画家が「国が燃える」(集英社「ヤングジャンプ」)の中で「南京大虐殺」を描いている。
 まず、東京裁判で「A級戦犯」として起訴され昭和二十三年十二月二十三日に処刑された松井石根大将の言葉が引用されている。
 「南京事件ではお恥ずかしい限りです…」「私は皆を集めて軍司令官として泣いて怒った…」「私だけでもこういう結果になるという事は当時の軍人達に一人でも多く深い反省を与えるという意味で大変に嬉しい…」
 本宮は言う。「昭和十二年十二月十三日、日本軍は中国国民政府首都・南京を陥落。
 その作戦中の数日間に、南京では、人類が絶対に忘れてはならない日本軍による愚行があった。いわゆる“南京大虐殺事件”である」
 そして「兵士の証言」らしきものが語られる。「その頃ワシは南京城外にいたんだが、片っ端から殺したよ」「耳をそぎ取る、鼻を切り落とす…」「口の中に帯剣を差し込んで切り開く…目の下を突くとドローンと白い液が流れてくるだよ…」「年寄りから十二、三の子供まで片っ端から全部姦(や)っちまった…」「姦(や)った後は大抵殺しちまったよ。生かしておけば強姦だが、殺しちまえば残敵掃討だ…」「女を柳の木に縛り付けてね、両足首をロープでくくって二頭の馬の鞍に結んでな…。両方からムチをくれると股から裂けて乳房あたりまでまっ二つだ…」「殺し、放火、強姦…何でも片っ端からやれって俺たち兵隊は上から命令されてたぜ…」
 中国人殺戮の現場を見ていた一人の日本人が「これが日本人の正体か」と怒り、近くにいた日本兵に「俺の名は松岡洋平っ、軍総司令官松井石根をここへ呼んでこい」と叫ぶ。
 本宮は「ひとりの人間として絶対に事件を許すな」と書く(十月七日号)。
 「中支方面軍司令部」の一室で、松岡なる男は松井大将を詰問する。
 「南京で日本軍がやっている事はいくら隠しても世界中の知る事となり、世界の国々が例え黙認しようが断じて神が許さん」「すべての責任はあなただ」「中国は四億の民が最後の一人になろうと断じて日本に屈服はしない」「この俺もアジア人として大アジアの敵、日本という狂犬に百万回噛み殺されようが蘇って戦いつづける…」(十月十四日号)
 昭和二十二年生まれの本宮ひろ志は「男一匹ガキ大将」「サラリーマン金太郎」などの漫画も描いている。
 荒唐無稽な「正義感」を振り回すのは結構だが、あまりにヒドイ「反日漫画」である。
 「この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません」と断っているが、松井石根大将は実在の人物である。
 松井大将の言葉も「正確」に引用されている。
 また残虐な情景の多くは「実際の写真」を加工している。
 その上で「地獄と化した南京の街…。民が受けた傷は何千年の恨みと化すのだろうか…」と書くのである。
 数多くの問題点があるが一点だけ指摘しておこう。
 
 引用されている松井大将の言葉は、漫画で描かれているように東京裁判の法廷で大将が述べた言葉ではない。
 この言葉は処刑の直前(昭和二十三年十一月二十三日)に教誨師の花山信勝に語った(とされる)言葉である(『平和の発見』朝日新聞社、昭和二十四年刊、229頁)。
 ここで松井大将は「慰霊祭」も「シナ人の死者と一緒に」と言ったが部下の師団長らに反対されたと述べている。
 大将はかつて従軍した日露戦争と比較し、支那事変を「武士道という点」では「全く変わっていた」とも述べているが、いわゆる南京大虐殺を認めたわけでは断じてないのだ。
 昭和二十一年三月から四月に行われた「検事取調」で大将は次のように陳述している。
「南京事件に関しては我軍による少数の暴行強姦については之を認めたるも『虐殺』は断じて之なし」「派遣将兵の一部に風紀上の欠陥ありたるは之を認めたるも、一般軍紀の弛緩せる事など絶対になし」
 松井大将は南京占領に先立って次のような訓令を出していた。
 「部隊の軍規風紀を特に厳重にして、中国軍民から皇軍の威風に敬仰帰服させ、いやしくも名誉を毀損するような行為の絶無を期する」
 絶無を期していたのに、少数とはいえ「暴行強姦」事件が発生したからこそ、大将は「泣いて怒った」のである。
 本宮ひろ志が歴史を考証したとは思えないが、「国が燃える」はこの一点だけでも許せない。
 松井大将とわが国の名誉を著しく傷つけている。
 その責任は万死に値する。

朝日新聞のおもねりが「南京大虐殺」を独り歩きさせた

それは本多氏が、取材当初から“日本軍がいかに中国でひどいことをしたか”というモチーフを持っていたからにほかならない。
 最初から、そういう目的の取材をしにいっているのだ。
 だから、南京事件の実態はどうだったのかとか、旧日本軍は中国で非人道的なことをやったといわれるが、実際はどうだったのかとか、旧日本軍は中国で非人道的なことをやったといわれるが、実際はどうだったのかといった、報道者として当然掘り下げるべき作業をしていない。
 最初から、いかに中国で日本は非人道的なことをやったかということを書く目的で行き、そこに、それに即した材料をはめ込んだとしか思えないのだ。
 しかも、そのことを評論家の田辺敏雄氏に指摘されると、本多氏は、
 「私は中国の言うのをそのまま代弁しただけですから、抗議をするのであれば、中国側に直接やっていただけませんでしょうか」(片岡正巳・田辺敏雄・板倉由明共著『間違いだらけの新聞報道』より)と回答した。
 このことは、本多氏は書いたものについて、何ら、責任感を持っていないことを露呈している。
 しかし、いくら取材方法に問題があろうと、一方的な記事であろうと、この記事がもたらした影響は甚大であった。
 中国人が語るところの旧日本軍の行状(ぎょうじょう)だけが、事実として大きく取りあげられていった。
 この記事によって、『南京大虐殺』という既成事実が作り上げられたといっても過言ではない。
 おそらく、当時、日中国交正常化の条件のひとつとして、日本が過去の問題について中国へ謝罪するということが強く求められていたわけで、結果として、中国側の路線に朝日新聞はうまくのせられたということだろう。
 逆にいえばそれは、あくまでも中国へのおもねりだったと思う。
 それが、はっきりとした形で“日本断罪”という路線が出てきたのはソ連の崩壊から冷戦構造が変化してからだろう。
 ソ連崩壊以後、朝日新聞の方向性も変化せざるを得なかった。
 そして、それまでの反米、親ソ、親中という路線を変換せざるを得なくなった時登場したのが、環境保護と人権という方向性だった。
 その、人権という方向性と中国での日本軍の行いというテーマが合致し、日本を断罪するという路線が生まれたのだと私は思う。
 『南京事件』の報道なども、結果的にはそれにうまく結びついてしまったというのが今の状況だろう。
 そういう意味では、『南京大虐殺』は、東京裁判で作られたものだが、それを世間に広く認知させたのが朝日新聞の中国に対する“おもねり路線”だったということができるだろう。(小学館『SAPIO』98年12月23日掲載)

「南京大虐殺はウソだ」のサイト


(私のコメント)
中国政府の宣伝工作による、日本の朝日新聞やテレビ朝日による「南京大虐殺」などの世論工作がまだ続いているようで、今度は少年漫画雑誌のヤングジャンプに南京大虐殺」を肯定したようなマンガが掲載されているようだ。私はこのようなマンガ雑誌を読まないのでまだ見ていないのですが、史実に基づかない事をあったかのようにマンガで描くのは、何も知らない少年読者に非常な有害な影響をもたらす。

「南京大虐殺」は東京裁判のときに始めて持ち出された事件ですが、その実態が解明されないまま松井石根大将が東京裁判でA級戦犯で処刑された。罪名は一般市民を保護しなかったということですが、ゲリラ戦が国際法違反であるという反論は採用されなかった。確かに日中戦争で多くの民間人にも死者が出たことは確かだろう。その責任を問われて松井大将は処刑された。

ならばアメリカがイラクで行っている戦争では、イラクの一般市民の死者は10000人以上にもなっている。ならば松井大将が処刑されたならば、ラムズフェルド国防長官もアメリカが裁判で裁かれるようになった場合は処刑されなければならない。しかしながら最近のニュース報道を見ても日中戦争を思わせるような報道が続いているが、中国政府がアメリカに抗議した気配は見られない。要するに中国政府のプロパガンダなのだ。

バグダッド、衝突続き死者230人 市民の犠牲目立つ

バグダッドのサドルシティーで、中部の聖地ナジャフでの停戦後も、イスラム教シーア派強硬指導者サドル師派民兵と米軍との衝突が続き、28日夜も米軍が激しい空爆を加えた。一連の衝突が始まった5日以降、死者は230人に達し、市民の犠牲が目立っている。一方、南部バスラでも同師派が戦闘継続を宣言するなど、混乱は収まる気配を見せていない。

 サドルシティーは首都の東部にあり、シーア派住民が多い。ナジャフ攻防に呼応して5日、サドル師派民兵「マフディ軍団」と米軍との戦闘が始まった。

 複数の住民によると、民兵は街区の一部を封鎖し、戦闘拠点を構築。遠隔操作の爆弾を多数埋設した。米軍が近づくと、建物の陰から攻撃を加えている。

 米軍は空爆に加え、小さな路地にまで入って民兵掃討を続けている。

 イラク保健省によると、この間のサドルシティーの戦闘による女性、子供の死者は15人。負傷者は全体1971人のうち137人。

 市街戦の激化で多くの住民は自宅に閉じこめられている。22人家族の仕立業ジャシムさん(32)は16日から5日間、一歩も家を出られなかった。食料は1日分しかなく、残る4日間はパンと紅茶でしのいだという。

 隣家が砲弾を受け、兄弟が重傷を負った。産気づいた妊婦を病院に運ぼうとした夫が、戦闘に巻き込まれ、殺された。ジャシムさんは「通りに爆弾を仕掛ける民兵に抗議する人もいた。もううんざりだ」と話した。

 シーア派宗教指導者団体は28日、サドルシティーでの戦闘中止を求め、最高権威シスターニ師に仲介を求める声明を出した。同師はナジャフ停戦を実現させている。

 一方、バスラのサドル師派事務所幹部は同日、「ナジャフの和平合意に関心はない。引き続き英軍と戦う」と宣言した。 (08/30 02:40)




『フォッグ・オブ・ウォー』のマクナマラの反省
米軍司令部の座間基地移転を認めてはならない


2004年10月6日 水曜日

日本の対ロシア政策は間違っている 増田俊男

今後ロシア問題が浮上してきます。それはアメリカが日本とロシアのさらなる緊張を望むから。アメリカの当面の国際戦略は中東のドル市場化と、来るべき「中台戦争」です。

2010年の上海万博後に中国経済は間違いなく破綻(ハードランディング)するので、中国は国内の騒乱を避けるため中台戦争に踏み込まざる得なくなります。アメリカ議会は台湾の安全を保障していますから、中台戦争では当然アメリカは中国と戦闘状態になります。

アメリカは中東戦略では今や世界最大の産油国ロシアと利害対立し、中台戦争でもロシアと対立します。ロシアが原油高を梃子に30%も軍事予算を増強したり、まるで戦時体制のようにプーチン大統領に国家権力を集中しているため、アメリカの警戒は極に達しようとしています。

このような状況下で、アメリカの従順な同盟国日本と仮想敵国ロシアの関係が改善されることは、アメリカの軍事戦略(国益)に反します。ワシントンの米軍参謀本部を座間に移転する米軍再編成構想は、中国のICBMの目標をアメリカ本土から日本に向けさせるため。敵の司令塔を粉砕することが最大の防衛です

いまアメリカが日本に要求している米軍再編成は、日本にとっては死活的リスクであり、アメリカにとってはリスク回避です。日本の米軍が増強され、参謀本部が米国本土から移転されれば、中国の対日警戒は強まるばかりか、日本は将来中国の攻撃目標になりますから、何かにつけ(靖国問題など)日中関係を悪化させてきます

アメリカは日中、日ロ関係改善は一切望みません。今後のアメリカの世界戦略の方針に反するからです。

「フォッグオブウォー」を見て 9月13日 深夜のNews

日本本土への爆撃作戦の司令官は、カーチス・ルメイ少将であった。東京大空襲では、一晩に10万人の日本人が死んだ。なぜ一般市民を10万人も殺す必要があるのかとマクナマラはルメイに訪ねる。ルメイはこう答える。ここで10万人の日本人を殺しておかなくては、アメリカ軍が後に東京湾から上陸した時に、日本人の強烈な抵抗にあいアメリカ兵の被害は甚大になる。だから、今殺戮をしておくのだという。この少将は、後にこの論理で広島と長崎に原爆を落とす。マクナマラは戦争には程度があり、東京を空襲して一晩で10万人の一般市民を殺すことも、広島・長崎への原爆投下も必要なかったと語っている。ルメイは、この戦争は絶対に負けれないと言う。なぜならば、自分は戦争犯罪者になってしまうからだと。マクナマラも、この戦争に負けていたら自分もトルーマンも戦争犯罪者になっていたと語っている。ルメイは後のキューバ危機の時に、最後まで核攻撃を主張する。今度は、ルメイの上役になったマクナマラはそれを退けた。

 この映画には『華氏911』ような派手さもコミカルさもない。マイケル・ムーアの映画には今でも(そしてこれからも)数多くの批判や事実誤認の指摘があるが、この映画には『華氏911』や『ボーリング・フォー・コロンバイン』のようなトゲトゲしい激しい批判はないように思う。むしろ、いい評価をするレビューが多い。

 内容については、先日ここで書いた通りだ。もっとキューバとかベトナムとかでの討論会のことをやって欲しかったと思った。

 マクナマラは反戦論者ではない。ベトナム戦争はもっと適切な方法で行うべきだったのだと述べている。そうではなかったので反対していただけだ。興味深いのは、彼にはリベラルや保守といった思想的なものがないように見えるということだ。良くも悪くも、合理的経営管理の人だった。

 結局、マクナマラはベトナム戦争を拡大させたのはジョンソンだったと語っている。ベトナムからのアメリカ軍を撤退させる演説の準備をしていたマクナマラのもとに、ジョンソン大統領からの電話がかかってくる。映画の中では、この時の会話のテープが流れる(ホワイトハウスでの電話の録音って、ニクソンが最初かと思っていたけど違った)。撤退なんかせずに、もうすこし頑張ろうじゃないかみたいな電話だったと思う。国防長官が拒否できるわけがない、この1本の電話によって、アメリカはさらなるベトナム戦争の泥沼に引きずり込まれてしまった。

 しかし、その一方で、ジョンソン大統領にそうさせたさまざまな圧力があったのだろうと語っている。インタビュアーの「あなたはどの程度、ベトナム戦争の拡大の計画に責任を負っていると感じますか?あるいは、自分はコントロール不可能な出来事のひとつの歯車だったと感じていますか?」という質問に、マクナマラはただ一言「私は大統領に仕えようと努めた」とだけ答えている。マクナマラは、ジョンソン大統領とは膚が合わなかった。しかし、それでもケネディ亡き後、ジョンソンに仕え、最後は政権から解任された。それでも彼は人生で一番誇らしかった時は、ジョンソン大統領から自由勲章を授かった時だと答えている。政権を去る時に、ジョンソン大統領のスピーチに涙ぐむ彼の姿は印象的だ。

 マクナマラはベトナム戦争について当時の政権は間違っていたと言うが、個人的な謝罪はしていない。ジョンソン政権解任後、彼は反戦的言動をいっさいすることはなかった。今でも、自分から責任があったとは言わないが、人から責任があったと言われるときは否定はしないという。

 孤高の道を歩む、知的誠実さのカタマリのような老人という気がしないでもない。誰もがマクナマラのように生きなくてはならないとも思わない。今のアメリカで(日本でも)こうした人は希であろう。

 しかし、誰もそんなマクナマラを笑ったり、非難したりすることはできないはずだ。この老人は歴史の流れの中に一人で立ち、自分の犯した過ちを真正面から見続けている。そうしなければならないわけではないのに。しかし、彼自身が納得できないのであろう。その姿に今の時代の人が失ったものを思う。今のアメリカは、ベトナム戦争のことなど思い出したくもないし、あれはなかったことにしたいのだろう。

 『華氏911』とは異なり、見終わったあと、じわじわときいてくる静謐で真摯な、しかし本質的に今のアメリカのあり方を問いかけるいい作品だ。

 さて、ではわが国日本ではどうなのだろうか。なぜ日本ではこうしたドキュメンタリー映画が少ないのか。


(私のコメント)
最近、また中国が小泉首相の靖国参拝を根に持って騒いでいるようですが、その理由というのがA級戦犯が祀られているからけしからんという理由らしい。今上天皇も靖国へ行幸されないというのもA級戦犯が原因らしい。しかしA級戦犯という名は連合国側が勝手に行った報復裁判でつけたもので、東京裁判は裁判ではなく政治的なショーであった。

さらに中国がA級戦犯と問題にするのは盧溝橋事件以後のことだと思うが、盧溝橋事件は中国共産党が国共内戦で日本軍を引きずり込み、蒋介石軍と日本軍とを戦わせて、共産党軍は漁夫の利を得る戦略だった。日本軍が中国へ深く引きずり込まれていったのも、近衛文麿一派の中に共産主義者が入り込んでいたからであり、当初の陸軍大本営は不拡大方針だった。

だから中国政府がA級戦犯と名指ししているが、本当の日中戦争の仕掛け人は中国共産党だ。さらには昭和天皇は日中戦争を止められる権限があったと思うが、積極的に動いた形跡はなく、杉山陸軍大臣を叱ったという程度の働きしかしていない。もし天皇が陸軍に中国からの撤退を命じていれば、日米戦争はなかったはずだ。だから真のA級戦犯は昭和天皇ではないかとも考える。

だからこそ今上天皇は靖国神社に行幸されて、250万の英霊に対して謝罪すべきなのだ。明治憲法上は天皇に戦争責任があったか意見は分かれるところですが、天皇が本気で日中戦争を止めようとすれば出来たはずだ。それが出来なかったのは明治維新以来の天皇の立場の複雑さで、明治の元勲から見れば天皇は「玉」に過ぎなかった。

しかし日中戦争の頃になると明治の元勲もいなくなり、天皇は一人で日本国元首として放り出される結果になった。輔弼すべき元勲のいない時に一人で決断を下せというのも無理であり、結局のところ誰がA級戦犯なのかわからない。私は当時の日本国民こそ日中戦争になぜ反対しなかったのかを問題にしたい。

当時の日本と現在のアメリカは状況がよく似ている。杉山陸軍大臣が4ヶ月で日中戦争を終わらせると天皇に報告したごとく、アメリカはイラクへ侵攻しましたが、一年たってもまだ終わらない。アメリカ国民のイラク戦争反対気分が高まればブッシュ大統領もイラクから兵を引かざるを得ないだろう。しかしまだ多くのアメリカ国民はイラク戦争を支持している。戦前の日本も国民の大半が日中戦争反対の世論なら陸軍だって日中戦争はできなかったはずだ。

当時の日本も現在のアメリカも景気対策として戦争を始めたが、どのように戦争を終わらせるのかを考えずに始めた。その結果、泥沼化して大日本帝国も大アメリカ帝国も墓穴を掘った。アメリカ国民がケリーを大統領に選んで早期にイラクから撤退できれば、アメリカ帝国も少しは長続きするだろうが、ブッシュが選ばれれば大アメリカ帝国の没落は早まる。

日本はどこまでアメリカに協力して行くのか外交軍事戦略を練る時期を迎えていますが、日本の外務省も防衛庁も誰も考えていないようだ。アメリカ政府が軍事再編計画に対して日本政府は何の対応策も出していない。アメリカ軍が7万もの海外に駐留している兵士を引きあげさせるのに、日本からは引きあげないばかりでなく、陸軍第一軍団司令部を座間にもってこようとしている。

私は3日の日記で書いたごとく、米軍基地なき日米安保を目指すべきだと思うのですが、腰の引けた小泉内閣ではアメリカのポチでいるしかないのだろう。しかしアメリカのほうから見れば緊急展開部隊さえ整えば、何も日本に基地を置く必要はなく、基地なき安保も可能なはずだ。その場合のオプションとして日本に地域核を持たせることもあるかもしれない。

増田俊男氏が指摘するごとく座間に米軍の陸軍司令部が出来ることは、将来予定している米中戦争に日本が巻き込まれることを意味している。アメリカが中国と戦争をしたければ勝手にすればよいので、日本が関わりになる必要は全くない。アメリカの思惑としては日本を矢面に立たせて中国との戦争を計画しているのだろうが、その戦略に日本は乗ってはならない。

アメリカはイラク戦争を見れば分かるごとく、陸軍兵力が非常に弱体だ。13万人の兵力を長期にイラク戦争に投入し続けるのは無理だろう。すでに予備役兵まで動員しているがこの体制は長くは続けられない。イギリスやポーランドまで兵を引き上げ始めた。結局日本は最後までアメリカにおつきあいして残るのだろう。私は最初から自衛隊のイラク派遣に反対してきた。しかし国民のほとんどは無関心だった。

アメリカはこのままイラクから撤退することはないだろう。撤退すればイラク戦争に敗退したことを意味するからだ。そうなればブッシュ政権の要人は戦争犯罪人となり、東京裁判ならぬバクダッド裁判が開かれるだろう。そうなればブッシュが天皇にあたり、チェイニーやラムズフェルドがA級戦犯ということになる。要するに戦争に勝てば英雄になれるが、負ければ犯罪人として罰されることになる。

映画の「フォッグオブウォー」においてマクナマラガ告白していることは、アメリカといえども負ければ自分達が戦争犯罪人として裁かれることを自覚しており、負けることを恐れるあまりに東京大空襲や広島や長崎に原爆を落とした。もし日本が最後までイラクのように抵抗して本土に米軍を引きずり込んでゲリラ戦を挑んでいれば勝てたのかもしれない。それがイヤだったから米軍は原爆を用いたのだ。




ハゲタカが嗤った日 新生銀行の「隠された真実」
新生銀行は東京三菱に買収される? 浜田和幸


2004年10月5日 火曜日

ハゲタカが嗤った日―リップルウッド=新生銀行の「隠された真実」 浜田和幸

新生銀行は東京三菱に買収される?

では、新生銀行の今後の見通しはどうか。高橋は驚くべき見方を語ってくれた。「これはあくまでも僕の予測ですけど、新生銀行はもたないと思うんです。現在の新生銀行の内容は非常によいのですが、日本の金融を考えると、中小企業を育成するための融資が欠かせない。

ところが、新生銀行はインベストメント・バンクに特化しているため、日本の土壌にはなじまないでしょう。そうすると、当然、後を引き継ぐのは東京三菱銀行になる。私の考えでは、裏でシナリオを描いているのは三菱商事です。

長銀を買収したリツプルウッドに出資するかどうかで、三菱の中ではずいぶん割れた。三菱グループ内部が分裂し、東京三菱銀行、三菱重工、三菱白動車、三菱地所は買収に反対した。しかし、商事が押し切ったわけです。だから最終的には、新生銀行がもう一回おかしくなって、東京三菱が仕方ないから引き取るというようなことに征るのかもしれません」

三菱地所が買収に反対したというのは興味深い。三菱地所といえばバブル期にニューヨークのロツクフェラービルを買収したものの、結局三分の一くらいのお金で手放さざるを得なくなった件がトラウマになっているのだろうか。

「そもそも外資のJPモルガンだのゴールドマン・サックスだのが裏で糸を引いていると言うが、三菱商事が買収資金の相当分を出しているわけだから、『外資による買収なんていったって一部じゃないか』という見方もあります」

「金融機関全体が束になっても、やっぱり世論というのは強い。世論にはあの大蔵省を解体させるだけの力があったわけです。この際、日本の金融行政の姿勢の見直しをしっかり行なうことが大事だと思います。きちっとけじめをつけてバブルを終息させる。そういう方向に持っていかないと意味がない。

今回の一連の事件はバブル崩壊という金融行政の失政から始まったのです。私に言わせれば、長銀も犠牲者なのですよ。大蔵省の指導によって、結局BIS規制の問題で分母を減らせ(注・貸し倒れ可能性のある融資を減らせ)ということの至上命令があったでしょう。自已資本率を八%以上にしなければ国際業務が認められなくなったわけです。それが国営銀行みたいな長銀の判断を誤らせたのだと思う。

その長銀が新生銀行として立派に生まれ変われば、バブルの幕引きになるでしょう。しかし、その処理をめぐる政府の対立やその他の金融機関のあいかわらずの現状に、国民の多くは反感を持っている。『お金を預けても利息は貰えない』『税金を八兆円注ぎ込んで』といった不平不満の声が大きくなる一方です。

マスコミ関係者に言わせると、金融庁も世論が怖くて、今まったく動けないみたいですよ。私が『(金融庁が)裁判所に圧力をかけるのではないか』と聞いたら『それをやったらもう最後で、日本の金融機関は全滅する。だから動けないですよ。どうするのですかね』と首を傾げていましたね。とはいえ、マスコミは各杜とも金融庁の動きをいろいろ推察も交えてシミュレーションしているようでした」

世論やマスコミの動きに注意を払いながら、新生銀行をめぐる裁判の行方に神経を集中させているふうの高橋であった。その口ぶりには「転んでもただでは起きない」という思いが冷めた風貌から透けて見える。

高橋は大方の予想を裏切って、アメリカで起こした裁判で勝訴している。そこでアメリカでの裁判に話を向けると、

「これはアメリカの弁護士チームが作った陪審員用の紙芝居です。これでプレゼンしたわけです」と、長銀の秘密工作を裏付ける資料を組み合わせたパネルを持ってきた。

三四枚のカラーパネルの内訳は、イ社が所有していた海外のホテル、リゾート、オフィスビルの写真。これらを長銀がいくらで売却し、その後いくらまで値上がりしたのかというグラフ。これらを見れば、イ社がいくらの損害を被つたのか一目瞭然である。また、長銀の内部資料の英訳も添えられていた。

「アメリカの弁護士は、何も分かっていない陪審員をどうしても説得するために、一種俳優的な役割も演じなくてはいけません。その才能次第で凄い報酬を取る。優秀な弁護士を雇えるかどうかが勝敗の分かれ目になるといっても過言ではないでしょう」

サイパンの裁判では、新生銀行に対する損害賠償請求額は、「一兆円を超えるという額」になった。仮に新生銀行が負ければ、アメリカの裁判では見せしめの効果を狙って請求額の三倍まで賠償させることができる。そうなれば、三兆円の賠償金もありえたわけだから、優秀な弁護士を雇い、これだけのプレゼンテーション資料を作る甲斐があろうというものだ。

実際、BMWが訴えられたケースでは、一審で千倍、二審で五〇〇倍、最高裁までいって一二・五倍の懲罰的賠償が課せられたことがある。(P214〜P217)

叱責されたコリンズ

華々しく上場した新生銀行。だが、その後の株価の足取りは冴えない。コリンズもフラワーズも、リップルウッドやニューLTCBパートナーズとは別に、自分のファミリーで運営する投資会社を持っており、新生銀行上場によってそちらでも大きな利益を確保している。

「おいしい汁をたっぷり吸ったので、あとは早々に撤退し、次の獲物を狙っているようだ」。こういった情報が流れると、投資家の間では慎重な動きが生まれ、自分たちもある程度の利益を確保できたのだから、早めに売り抜けよう、との思惑が先行しはじめた。株価はじりじりと下がり始めた。

ビルダーバーガーたちからの怒りの連絡がコリンズの下に続々と寄せられたはずだ。「お前を世界の超エリート集団に迎えてやったのに、このザマはなんだ」新生銀行の二次募集の株では、さらに大きな利益を得る。そのシナリオが狂いかねない。

コリンズを引き立ててきたジョーダンにとっても、これは大きな問題だ。しかも、弁護士ジョーダンの目には、イ杜訴訟は「新生銀行の命取りになりかねない」と映ったようだ。数々のスキャンダルを解決してきたジョーダンのアドバイスは「時間を無駄にするな。一刻も早く先手を打っことだ。転んでもただでは起きるな」であったはず。

うろたえたコリンズは「裁判を止めさせ、投資家の不安を拭い去るにはどうすればいいのか」と、必死で考えた。笑顔を絶やさないようにしていたコリンズが眉問にシワを寄せるようになった理由は、そこにある。

悩み抜いた彼の結論は「訴訟を起こしている管財人との和解しかないだろう」というもの。「それしかない。うまくすれば、和解金も日本政府から引っ張りだせる。いや、引っ張りだしてみせる」。そう確信したコリンズは平成一六年四月一日、新生銀行を訴えていたイ社の管財人やその他の原告との和解交渉を始めたのである。

その後の経緯は本書で明らかにしたとおりである。失敗していれば、「ご苦労さん。もうずいぶんおいしい目をしたのだから、ここらでビジネス稼業からは引退し、念願のアフリカの難民キャンプでの慈善活動に専念してはどうか」と言われたはずのコリンズ。

高橋のお陰で命拾いできたようなものである。逆に、今日成功したことで、「よくやった。次の目標は中国市場だ。不良債権問題で破綻間際の国営銀行がいくつもあるから、その再建を任せる」という、新たな指令がきているはずだ。(P258〜P259)



(私のコメント)
リップルウッドはハゲタカファンドの代名詞的存在ですが、主人公のティモシー・コリンズの背後にはビルダー・バーグと言う秘密結社があるようだ。この日本人には馴染みのない秘密結社はロックフェラーとロスチャイルドの連合体のようなもので、メンバーには当然日本人は一人も含まれていない。

このビルダーバーグの実態は謎のままで、多くのマスコミの記者が取り上げようとするとクビになったり左遷されたりで、欧米の記者もビビって書けないでいるほどの秘密結社らしい。しかし彼らがやってきたことは政府などの文書で発表されているのもあり、アメリカ政府やヨーロッパ諸国の政府をも動かす秘密組織だ。

ティモシー・コリンズという男はビルダーバーグの常任理事のジョーダンのパシリで、その無名の彼が各国政府のVIPと話をつけて日本に乗り込んできた。気の毒なのは彼の矢面に立つ日本の官僚や政治家達であった。彼らは、さまざまな方面からの圧力に屈して、リップルウッドの思いのままに日本の銀行や企業や不動産などを二束三文で売り払うように圧力をかけられた。

その模様などはこの「ハゲタカが笑った日」にも書かれているのですが、野党議員も厳しい質問を浴びせかけるのですが、歴代金融大臣などはただひたすら、ごまかし答弁で逃げ回るばかりで、本当の実態は明らかにされない。仕方なく歴代の政治家のごとくアメリカの高官の前に出ると何も言えなくなり、ひたすら米高官の意見を拝聴して来る。

根本的にはアメリカ軍が4万数千人も常駐して日本人に銃口を突きつけている以上、日本政府がアメリカに逆らえないのは当然なのだ。だから私などはアメリカがあまりにも理不尽な要求を突きつけてきたら、アメリカ軍に日本からお引取り願うのが一番いい交渉方法だと思うのですが、私のような左翼でない反米保守論者は少数派だ。

しかしリップルウッドのような政治的圧力で日本でぼろ儲けをやり続ければ、多くの日本人も反米的になって、いつしかその不満が爆発する時がくるかもしれない。だからこそ私も「株式日記」で警鐘を鳴らしているのですが、ネット上では世論に影響を与えるほどにはならない。一年前の日記でも次のように書いて警告しました。

新生銀行、来年早々「1兆円上場」のハゲタカの野望 2003年11月30日

ゼロ金利解除もペイオフの強行も私は一貫して反対してきた。そして公的資金で不良債権を買い取り一気に金融問題を片付けることを提案してきた。しかし中途半端な対策しか出来ず、金融政策は迷走している。新生銀行にしてもリップルウッドに売った後も1兆2000億円も公的資金を投入した勘定になる。外資に売ったところで国が身軽になったわけではないのだ。このように我々の税金がハゲタカ外資の手に渡ってゆく。この事をずっと「株式日記」で訴えているのですが、日本国民はおとなしい。

しかしおとなしい日本国民が怒りはじめたらブレーキが利かない恐れがあります。北朝鮮問題がいい例だろう。去年の9月17日以前は拉致問題は大した問題となってはいなかった。ところが金正日がそれを認め、拉致被害者が帰ってきたとたん大騒ぎになった。おそらく北朝鮮の崩壊まで怒りは収まらないだろう。このような新生銀行のようなケースが続けばいずれは火が付くに違いない。そして日米安保体制にまで影響が及ぶだろう。

日本政府はいつまでアメリカに貢ぎ続けるのか 2004年1月9日

新生銀行のことについては何度か日記に書いてきましたが、予想外に早く1兆円上場をすることが決まりました。5年余りで10億円が1兆円となって返って来るわけですから、最初からリップルウッドに1兆円を差上げたのも同じだ。何故リップルウッドが長銀を買収したのかも不透明で説明責任はなされていない。瑕疵担保責任なども後になって明らかにされたもので、柳沢金融担当大臣はアメリカに脅されたと言われている。

これはモデルケースの一つにすぎず、第二第三の新生銀行がこれから次々上場される。あおぞら銀行や東京スター銀行だ。いずれもハゲタカ外資に買収され、不良債権は日本政府がつぎ込んだ金で処理されている。当初の外資のふれこみでは企業再建技術に優れているからと言うことだったが、何のことはなく、単に経営姿勢がドライなだけで、特に優れた経営術を持っているわけではない。だからこそ再上場を早くして資本を回収しようとする。




小林慶一郎の東大、通産官僚、朝日新聞論説委員
シンクタンク研究員の華麗なる経歴に騙されるな。


2004年10月4日 月曜日

独立行政法人「経済産業研究所」・小林慶一郎研究員に聞く

昨春、若手官僚が書いた「日本経済の罠」という本が注目された。その筆者がきょう登場の小林慶一郎さんだ。バブル後の「失われた十年」がなぜ起きたのかを分析し、不良債権先送りの構造を徹底論証。官民の経済論争の誤解を正し、倒産処理のじん速化などを通して「日本再浮上」への政策提言に満ちていた。筆者は旧通産省官僚で今、独立行政法人「経済産業研究所」に出向し、新たな経済政策の研究に日々取り組んでいる。日本経済の今後について率直な意見を聞いた。(聞き手は田村耕太郎・大阪日日新聞社社長) 2002/03/06

小林慶一郎(こばやし・けいいちろう)

独立行政法人「経済産業研究所」研究員。平成元年東大工学部卒、同3年東大大学院修士課程修了(数理工学専攻)、同年通産省入りし産業政策局配属。同10年シカゴ大大学院博士課程修了(経済学)。経済産業省課長補佐を経て、同13年から現職。専門はマクロ経済学だが、主な研究分野としては内生的経済成長理論、一般均衡理論、景気循環論など。主な編著書に「日本経済の罠−なぜ日本は長期低迷を抜け出せないのか」(日経新聞社)「バランスシート再建の経済学」(東洋経済新報社)がある。

ニュースと感想 4月28日 南堂久史

 「デフレの分析」について。
 小林慶一郎の解説コラムへの批判。
 毎度毎度、嘘とデタラメばかり書く朝日の名物ほら吹きへの解説。

 話の根源として、彼は自分の立場がわかっていない。一方では解説者として中立的立場のふるまい、一方では偏向して主張する(つまり、古典派丸出しで主張したり、不良債権処理論の急先鋒として主張したり)。「私はアンパイヤです」と言いながら、一方的にふるまう選手のようなものだ。野球で言えば、主審が一方のチームに属していて、勝手な判定ばかりをする。もう、メチャクチャである。
 以下、具体的に示す。

(1)デフレの原因

 「デフレの原因はわかっていない」と記す。だったら謙虚に「私はわかりません」と書けばよい。つまり「私たちの説は不完全です」と白旗を上げればよい。なのに、「わからない」と言いながら、勝手に自分の説だけを「有力候補」として紹介する。自説ばかりの身びいき。

 あのねえ。自説を紹介するなら自説と断って述べる。中立的ならば、すべての説を示す。どちらかにしてもらいたいものだ。「自分の説だけを、中立の振りをして、読者に強制的に押しつける」というのは、朝日の体質そのものだが、小林は極端すぎる。「報道の倫理」というものを、最低限、わきまえてもらいたい。(「読者を洗脳しよう」というのが、朝日の方針であるせいかもしれないが。)

(2) 金融システム不全説

 こんなのを「有力候補」として紹介しているが、冗談ではない。こんなのを信じているのは、小林と朝日ぐらいのものだ。今や「不良債権」説なんて、マイナーすぎる。経済学の世界のはしっこにあるにすぎない。

 なぜか? 論理破綻しているからだ。論理的に言えば、「金融システム不全ならば、金詰まりで、資金不足となり、金利上昇」であるが、これが成立しないからだ。何度も指摘されているのに、本人だけが気づかない。裸の王様。

 「金融システムが健全なら、信用創造のメカニズムで、信用乗数が増える」と述べる。論理が狂っている。その論理は成立しない。成立するのは、その裏である。つまり、「金融システムが不健全なら、信用創造のメカニズムが不良となり、信用乗数が減る」ということだ。これは成立する。しかし、それだけのことだ。(例:「体が不健全ならば、オリンピックに出場できない」ということは成立するが、「体が健全ならオリンピックに出場できる」ということは成立しない。)

 金融システムが健全でも(資金供給が健全でも)、資金需要が減っていれば、銀行貸し出しは増えない。金利も低い。これが正解だ。小林の説は、「インフレ下の資金不足」を説明しているだけであり、「デフレ下の資金余剰」を説明していない。

◆(3) 原因

 そもそも、デフレに「原因」というのを求めること自体、古典派の発想である。「原因があるから、均衡が阻害されて、デフレになった」というわけだ。残念ながら、はずれ。「均衡が阻害されたから、デフレになった」のではなくて、「均衡が達成されていくから、デフレになる」のだ。それが「縮小均衡」という状況である。

 小林は古典派丸出しだから、マクロ経済ふうの「GDPの縮小」という概念がまるきり欠落している。「デフレとは均衡が阻害されることだ」と思い込んでいる。

 違う。「デフレとはGDPが縮小すること」なのだ。マクロ経済をイロハのイから、お勉強し直しなさい。そうすれば、「デフレの原因はない」または「デフレの原因はデフレだ」とわかる。

 そしてまた、デフレとは何かがわかれば、デフレから脱出する方法もわかる。それは、「デフレの原因を除去すること」ではなくて、「デフレという状況から一挙に移転すること」である。阻害要因を除くことではなく、状況を一挙に変えることである。その手段が、「総所得の増大」すなわち「大幅減税」だ。

 マクロ経済を理解するというのは、所得とGDPの関係を理解するということだ。小林には、この分野の知識が、まったく欠落している。それでいて、平気で経済を解説する。彼に最も欠けているのは、知識というより、恥である。「無知の知」がまったくない。

(4) 国債暴落

 今後の見通しとして、「国債暴落」の可能性を挙げている。これ自体はいい。しかし、その理由として、「金利上昇で既発国債の投げ売りが生じる」と解説している。

 とんでもない。既発国債というのは、一種のマネーである。売れない商品の投げ売りならばあるが、マネーの投げ売りなどはありえない。

 投げ売りというのは、「本来の価値は 100円だが、売れ残りの不安があるから、出血値引きで、80円で全部売ってしまえ」というようなものだ。しかし、マネーには、「売れ残り」なんてことはないのだから、「投げ売り」などはありえない。ただし、経済音痴が見ると、(商品で)「本来の価値は 100円なのに、80円で売る」というのと、(国債で)「額面価格は 100円なのに、80円で売る」というのを、混同する。前者は投げ売りだ。しかし後者は投げ売りではない。「額面価格と流通価格が異なる」だけだ。その理由は、「金利上昇で既発国債の理論価格が低下したから」である。

 国債暴落は、人々が不安になったから発生するのではなくて、人々が将来に期待をもてるようになったから発生するのだ。「これから景気回復が起こるぞ」と人々が思うと、消費や投資が増えて、景気が良くなる。そういう現象が「市場金利の上昇」つまり「国債暴落」である。

( ※ 国債暴落には、他のタイプもある。アルゼンチンふうのタイプだ。国家が破綻するという懸念が生じると、デフォルトの危険があるので、投げ売りが生じて、国債が暴落する。……しかし、景気回復過程の国債暴落は、全然別のタイプだ。小林は両者を混同している。経済知識がゼロ同然であり、それでいて、世間に解説する。厚顔無恥。人心攪乱。……罪は重いね。)

(5) モラルハザード

 最後にはおきまりの「モラルハザードが起こる懸念」を訴えている。この人はやたらとモラルのことばかりを言い立てる。経済学者というよりは、宗教家に近い。私は思うのだが、この人は、朝日の記事を書くよりは、教会の牧師になって「誠実に働きましょう」とお説教をする方が向いている。小林は職業選択を誤った。これが最大の誤り、じゃなくて、これが最初の誤り。以後、無数の誤りが、増殖していく。ウィルスのように

結語。

 デフレについては、まず、デフレの本質を理解することが大切だ。デフレとは、価格下落という現象のことではなく、生産量縮小という現象のことだ。そして、それを理解するには、GDPを考察するマクロ的な理論が必要となる。

 ところが、古典派経済学には、GDPを考察するマクロ的な理論がまったく欠落している。ある仕事をするのに、最低限必要な道具や材料が欠けているのと同然である。正しい認識など、最初からできるはずがない。

 何事であれ、何かを理解しようとしたら、「自分は何を知っているか」を問う前に、「自分は何を知らずにいるか」を問うべきだ。無知の知が大切だ。それなくば、言説のすべてが砂上の空論と化す。

[ 付記 ]

 対比的に、読売の記事を紹介しておこう。「小泉内閣の特徴は、何もしないことだ」と述べて、政府の無為無策を批判している。(読売・朝刊・1面コラム 2004-04-25 )

 舌鋒鋭い政府批判だ。偉い。マスコミというものは、こういうふうに政府批判をすることに、存在価値がある。たとえ精密な分析などはなくとも、問題点をうまくえぐりだせば、そのことだけで大きな価値がある。「世の中にある問題点を赤裸々に示すこと」というのは、世間の目を開くことであり、とても大切なことだ。

 ひるがえって、朝日は、どうか? 人質事件ではけっこうまともなことを書いていたようだが、生ぬるい表現が多かった。「こんなことでいいのか」という論調は多かったが、「これではいけない」と攻撃的に示した論調は少なかった。人質問題で、朝日で唯一、切れ味のある解説をしたのは、夕刊のマンガだけである。朝日の記事の表現力は、マンガに比べてはるかに劣る。また、川柳欄には「イラクより母国の方が怖かった」というのがあったが、これもまた記事よりも百倍も雄弁だった。

 話が逸れたので戻す。朝日は、人質事件はともかく、経済記事はひどすぎる。「問題点を浮き上がらせる」ということすらできていない。迷走しているし、それどころか、小林のように、とんでもない方向にミスリードする。不良債権処理なんてのは、経済学会ではまともに扱われていないトンデモ同然であるのに、このトンデモばかりを大々的に紹介する。「さまざまな情報の提供」という、新聞としての最低限の使命さえ忘れて、見当違いの方向にミスリードする。そして、その方向の行きつく涯は、破滅である。

 朝日はいったい、何をしようとしているのか? そのことを、もう一度、自問してもらいたいものだ。そもそも、「情報の提供」というのは、一体、誰がやるのか? 政府か? インターネットのゴミ掲示板か? それとも、どこかの変人ホームページか? ……「いや、情報の提供は新聞の使命だ」と、はっきり言いきることができるのか? 

 読売は少なくとも経済については、「政府の問題点を指摘する」という態度がある。朝日には、それがまったくない。ただ問題点を隠蔽することしかしていない。そして、そのための道化が、小林だ。

 私が小林批判を繰り返す目的は、小林をいじめることではない。道化に全権を与えている朝日を批判することだ。そしてまた、小林にも、勧告しておきたい。「無知の知」によって、自己の視野の狭さを理解するべきだ。少なくとも「マクロ経済の知識がゼロだ」ということを自己認識するべきだ。彼は「米国に留学してもそんなことは教わらなかったよ」と言うだろうが、古典派の総本山で古典派の知識しか学ばないのは、当然である。まずは、米国かぶれを捨てることが先決だ。そのあとで、日本の経済学講座で、マクロ経済を勉強するべきである。

 一般に、大蔵省・財務省の官僚は、東大法学部を出てから、米国の大学院で経済学を勉強する。エリート意識に凝り固まっているが、経済学の基礎が全然できていない。あれこれと応用的な数式操作ばかりを学んだ末に、経済学の最も基礎となることを疎かにしている。「基礎の欠落」。小林は、その典型であろう。(ただし、世間は、その華麗なる経歴にだまされる。詐欺師というのは、一般に、そういうふうにしてだます。)


(私のコメント)
久しぶりに経済学論争について書かせていただきます。なぜならば最近また竹中大臣がテレビに盛んに出るようになって、郵政の民営化について論じていますが、質問する人が田原総一郎で、自分から経済のことは分からないという人が質問している。そして経済の分からぬ竹中大臣が答えているから、聞いている我々にはさっぱりわからない。

せめて、経済の事がわかっている人が質問すれば、竹中大臣が経済の事がわかっていない事がはっきりするのですが、経済がわかっている人は、今はテレビに出る事が出来ない。経済論争も小渕首相の頃は盛んに行われていましたが、今では竹中一派にテレビ業界が仕切られている。新聞にしても同じ状況らしい。

小林慶一郎氏の経歴を見れば、非の打ち所のない日本のエリート中のエリートだ。この経歴を見れば我々凡人は彼の言う事がすべて正しく見えてしまう。竹中平蔵氏も華麗なるキャリアを積み重ねて、ついには大学教授と国務大臣という「末は博士か大臣か」といわれた位人臣を極めた知的なエリートのはずですが、どういうわけか中味が伴わない。

私も「株式日記」で、どうしたら日本はデフレから抜け出す事が出来るかと書いてきましたが、今でも持論は変わっていないのですが、竹中平蔵氏や小林慶一郎氏などの経済理論を攻撃してきたのですが、いまだにその成果が現われてこないのはどう説明しているのだろうか。それとも小泉・竹中内閣はほとんど経済政策らしいことをやっていないからか。3年半も政権を担当していてはその理由も通らない。

要するに竹中一派が言っている事は、不良債権さえ早期に処理すれば、失われた10年から抜け出せるということを言い続けてきましたが、すでに銀行は倒産ぎりぎりまで無理をして、不良債権を処理してきましたが、いまだに景気回復の兆しすら見えないのはなぜなのか。彼らはしきりに経済は回復していると主張しているが正しいのだろうか。

政府の発表している数字が正しいのか分からないが、景気の先行指標である株価は、いまだに11000円台で、確かに7000円台よりかは株価は上がっているが、景気回復というには株価は示していない。南堂久史氏も実際のデーターを見れば景気は回復していないと指摘している。

ニュースと感想 9月26日 南堂久史

「最近の景気」について。
 景気は回復基調にある、という診断が長く報道されてきたが、私はこれについて否定的だった。政府や新聞がいかに楽観の観測を掲げても、実際のデータを見れば景気回復なんかしていないからだ。
 それを裏付けるデータがまた出た。「猛暑で消費も夏バテ」という記事。猛暑と五輪効果で消費が拡大して、景気は回復する、という6月ごろの予測とは裏腹に、現実は駄目。7月だけは五輪効果が出て、テレビなどが売れたが、全体としては、駄目。
  (下記の数字は%。記事は朝日・朝刊・経済面 2004-09-25 )
          7月    8月   
百貨店    −1.3   −4.8   
スーパー   −1.9   −4.6   
家電量販    9.9   −7.3
 

というデータが出た。7月と8月を通じてみれば、百貨店とスーパーで大幅減。家電量販店は少しは増えているが、これはテレビ増販の効果だろう。なお、家電量販店は差し引きして景気がいいように見えるかもしれないが、実は、家電量販店以外を含めて、パソコン専門店やネット販売も含めると、そうではない。というのは、パソコンは大幅に売上げが減ったから。読売の記事によれば、24%減、だという。つまり、この夏は、パソコンが売れなくなって、テレビが売れただけだ。差し引きすると、電器製品全体(家電とIT機器)の売上げは、若干のマイナスだろう。
 なぜ? 当たり前です。総所得が減っているんだから。何度も指摘したとおり。
( → 前回のデータなどは  8月16日7月03日


(私のコメント)
最終的にデフレから脱却するためには、南堂氏が指摘するように消費が伸びるように所得が増えなければデフレは脱却できない。そういう事がわかっていれば増税が正しい政策であるかどうかわかるはずだ。ところが日本の知的スーパーエリート達にはその事がわかっていない。増税すれば逆に税収が減る状況が理解できないようだ。

日本の知的スーパーエリートがその程度の頭脳ならば、小泉内閣の大臣達が言う事が支離滅裂であるのも無理はない。国民はその支離滅裂な理論を聞いてもその矛盾に気がつかない。日本国民が絶望的な気分になるのも、日本の知的スーパーエリートが救いようのないほどバカであることを直感的に知ってしまったからだ。

日本はもう駄目ですね。(10月3日 サンデープロジェクトを見て考察する)

さて、竹中大臣の「国民の利益」が今話されたようである。

 350兆円が民間に流れる事で市場経済が活気づく
2 郵政は地域社会の隅々まで広がっている「コンビニ」であり、官の規制が外れる事で国民生活は便利になる。
3 公務員は減らさねばならない。競争によって、全ては良い方向になる。

1 民間は金余り状態だと三役は言っていましたが・・・
2 地方のコンビニは生存競争の中で潰れているのが実情で、仮に郵政が一部の地域から撤退するような事になれば、全国ネットワークが崩れる事になりますし、「民間になっても義務が課せられる」のなら「公社のママでもサービスの拡大は可能」でしょう。
3 公務員を減らす事に意味があるとすると「それは税金で雇っている場合でしょう」郵政公社の職員は「独立採算性」ですので、国民生活(税金面)からならば余り意味はありません。郵政民営化問題の国民意識は2%(これは他の課題に関心があると云う意味で実際には数十は%ありそうですが)から判断すると「無理に郵政公社の公務員を減らす事に固執する事」は無いでしょう。

国家破産はありえないというFPさんの参考投稿のコピべ紹介

国家破産バカがいる限り何回も書きますが、ところで、今年外人が6兆円日本株を買いこし、東証一部の時価総額はピーク時で70増加しました。つまり6兆円のふくらし粉を放り込んだらパン生地が膨れて70兆円分容積が増えたというわけです。
さて、このうち1割が消費に回ったとしたら7兆円です。
2割だとしたら14兆。

よく政府が補正を5兆組むかどうかで財政赤字が増えるだろとか、赤字国債がとか大騒ぎになることを考えれば、この70兆の時価総額の増加がどれだけの消費刺激効果を生むか、ちょっとは考えたらどうでしょうか?

悪銭身につかずとはよくいったもので、手に入れたゼニが不労所得であればあるほど、人間という生き物は気前良く使ってしまうものなのです。
70兆!ああ70兆!濡れ手に粟で70兆!なんてすばらしい。
日本の国家予算はたかだか64兆円じゃないですか!
日本人は労せずして国家予算一年分を上回る富が生まれたことをもっと喜ぶべきなのです。

外人はこの株価のトリック(株を買う→株の時価総額が投下資本の数倍の勢いで増える=日本の富が増加する=資産デフレの終焉→そのうち何割かは消費に回り、その金額はちょっとした補正予算以上の金額になる→消費財のデフレはインフレに転化→景気好転・税収増→国家破産は幻に)がわかっていますから、年明けは日本株は買いです。

更に付け加えますと、外人が日本株を買う為には、ドルを円に変えなければなりませんから→当然円高進行→更なるドル買い円売り介入の実施で外貨準備は更に増加。外貨準備が積みあがった国がどうやったら国家破産するのでしょうか?経済破綻や国家破産した国は全て外貨不如意で石油や食料などの生活必需品を購入できなくなり、IMFから資金を借りざるを得なくなったのでしょう?

来年以降も国家破産なんてまじめに信じてドルを買っていると、ほんと氏にますよ。来年以降のドルの腐り方は、この半年の腐り方がかわいく思えるぐらいの腐り方になるでしょうね。



「日米中トライアングル・クライシス」 寺島実郎
日本の戦略は米軍基地なき安保への移行である


2004年10月3日 日曜日

司令部移転の合意目指す 米軍再編で政府

政府は16日、在日米軍再編問題で、米側が早期実現を強く求める在日米軍の司令部機能移転に関して年内にも基本合意を目指す方針を固めた。複数の政府関係者が明らかにした。
 小泉純一郎首相が21日にニューヨークで行う日米首脳会談で、早期合意に努める姿勢をブッシュ大統領に伝える見通し。協議が進めば12月に外交、防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会(2プラス2)を開く方針だ。
 協議の対象は、日本側が求める横田基地(東京)の軍民共用化と管制権返還や、米側提案のうち大規模な部隊、訓練の移転を伴わない(1)横田基地の米第5空軍司令部とグアムの第13空軍司令部の統合(2)米ワシントン州の陸軍第1軍団司令部の「キャンプ座間」(神奈川)への移転−−などが柱。
(共同通信) - 9月17日2時38分更新

日米中トライアングルクライシスをどう制御するか 寺島実郎 中央公論

今回の安保再定義について、日米安保の性格が一九六〇年の安保改定当時のソ連封じ込めのための極東有事対応同盟から、広くアジア・太平洋地域の平和維持装置に変質しようとしていることについての懸念一か指摘されている。確かに「極東条項」の拡大解釈は危険であり、個人としては反対である。

しかし、この点は、湾岸戦争のときの沖縄基地が既に実証したように、実態として中東を含む地球の半分に展開するグローバルな軍事戦略のなかに組み込まれた前方展開基地としての性格を在日米軍基地が持つ以上、これまでも有事のときは米軍のオペレーションに日本が自動的に巻き込まれていく可能性を孕んでいたわけで、むしろ公式の相互了解か実態に近づいたともいえる。

問題は日米安保の対象地域の広域化よりも、現実に、アジア・太平洋地域の有事の局面で、米国に対し何をどのように協力するのか、あるいはどこで一線を画すのか、日本が主体的に判断・制御する能力を持っているのかなのである。

つまり、たとえ日米安保の対象地域の広域化や、日本の米軍支援体制強化が合意されたとしても、すぺての対象地域内の紛争に日本が米軍支援の行動を起こすべきではなく、その局面での「日本の判断」(可制御性)が大切なのである。私は、日米防衛協力体制の強化と日本の主体性確立を並行して追求することは可能であり矛盾しないと考える。

むしろ、この二つを両立させることが日本の国益であると判断する。何よりも強調したいのは、日本の主体性確立であり、有事の際、米国の行動と一線を画し、日本自身が自らの判断で行動選択できる体制と基盤を構築していくことの重要性である。

自動的になんとなく米国の「正義の戦争」に巻き込まれていくのではまずいのである。日本は考えられる有事を想定し、情報体制を装備し、有事を回避する努カとともに有事局面での最適な日本の対応戦略を瞬時に判断できる条件を整えていかねぱならない

私たちは、五年前の湾岸戦争で、日本の現実がいかに悲しむぺきものであるかを味わい尽くした。アラン・フリードマンの『誰がサダムを育てたか』(邦訳、NHK出版)において検証されているごとく、湾岸戦争とは、七九年のイラン革命に衝撃を受げた米国が、イランとの対抗上、八○年代を通じイラクを支援しつづけ、「米国自身がイラクヘの融資と情報提供と技術輸出の大方を容認・助長し、そのためサダムの軍事的脅威を肥大化させ、戦争という手段で叩いておとなしくさせるしか方法がなくなったというのが真相」という面がある。

つまり、米国の地域政策の失敗をいつのまにか糊塗し、「世界秩序のための日本の国際責任」とか「日本の生命線、石油資源確保のための当然の分担」という名目で、「周辺国援助も含め多国籍軍に一三〇億ドルの資金拠出」という事態が起こったのである。

日本がよほどしっかりした判断軸を持って行動しないかぎり、今後も同じような局面に立たされることが予想される。安保問題における日本の主体性確立のための具体的目標は、在日米軍基地の縮小であり、「基地なき安保」への段階的移行である。

米国人の対日深層意識のなかに否定的感情・若干の蔑視かあることを紹介したが、不公正でズルいという.対日感情のなかに、どうしても「防衛タダ乗り(フリーフィダー)」的な日本認識がこびりついていることも事実である。

国際社会で敬意を得るためには、少なくとも自分の国のなかに外国の軍隊が四・七万人も存在し続けていることに鋭い問題意識を持たなげればならない。語りたいのは、偏狭なナショナリズムではなく、しなやかなグローバリズム、国際常識である。

ドイツにも米軍基地はあり、基地の存在が必ずしも日本の自立・自尊の問題とは緒びつかないという議論もある。しかし、ドイツの場合、戦後五〇年間常に基地の問題を見直し、NATOという仕組み、さらには欧州安保協力機構(OSCE)という集団安全保障の仕組みに米軍基地のブレゼンスを相対化さぜる努力を積み上げてきている。

日本の場合、戦後五〇年、自国の安全保障について、米軍への依存に慣れきってしまい、民族の誇りをかけて、基地問題を交渉のテーブルにのせることをしてこなかった。基地を縮小することは、自前で自らの安全を確保する責任を高めることであるが、同時に基地が存在するごとによって米国の戦争に巻き込まれる危険を抑制することでもある。

しかも、日本が基地縮小を求める以前に極東情勢の変化や米国内の「内向き志向」を背景に、米国自身がアジア政策を転換し、基地縮小・撤退へと踏み切る可能性もある。であるならば、「基地縮小」の長期プログラムを模索しつつ安保の見直しを進めていくことは、準備されるべき合理性の高いアプローチである。

基地縮小を進める一方、日米の軍事協力については、公平で双務性のある協力体制へと踏み込み、日本が主体的に支援すぺきと判断することについては、米国に対し積極協力することが求められる。その文脈において、「日米防衛協力のためのガイドライン」見直しが重要なのである。

確かに、日米の軍事協力強化が、「憲法が禁止するとされてきた集団的自衛権の行使」につながらないように新ガイドラインをまとめることは、容易とは思えない。しかし簡単に「解釈改憲」で協力の枠を拡大していくのではなく、いざ有事が発生した場合も、そのときの日本国民が主体性をもって憲法の制約を熟慮しながら協力の範囲を決めることが大切なのである。

同時に、そのためには、日本に対する軍事攻撃がなされた場合、過剰に米軍に依存せざるをえない状況を改善し、「個別的自衛権」の範囲内で強い専守防衛力を装備すべきである。自己制御の効いた専守防衛力の強化のためにも、例えぱ高度なミサイル防衛網を整備することなど、自助努力が大切なのである。

日本の主体性を強調してみても、日本はつまるところ米国の核の傘に守られており、日米安保という枠内では「主体性」にも限界があるという指摘もある。しかし、冷戦が終わり「核抑止力」という概念も変質しつつある。

先に触れた前国防次官補J・ナイ教授の論文「情報革命と新安全保障秩序」のごとく、米国のなかにも「核の傘に代わる情報の傘」というゲームの変質に気付いている議論もある。また、ソ連の核に対する「抑止力」の時代と異なり、将来ありうべきアジアの複雑な核開発の状況を想定していかねばならない時代に向けて、ただ米国の傘の下にいれぱ安全ということでもない

世界の核を巡るゲームが複雑化するほど、非核政策を貫くことが、日本にとっての有効な「核抑止力」となるであろう。核は軍事的兵器というよりも、人類の存続さえも否定しかねない究極の「神学的兵器」であり、非核は「恐れを知ること」である。

核を、使えない兵器とするためには自ら核武装ゲームの外に身を置くことが求められる。基本的に、日本は、日米の二国間の関係、つまり経済・軍事両面における同盟関係を基軸にしながら、アジア・太平洋の多国間の新たな秩序創造を求めて生きていかねばならない。

その際、米国のアジア・太平洋外交は不安定で継続性・戦略性において確実なものではないことを前提に日本の進路を考えねばならない。なるほど米国の情報技術での優位性や、軍事プレゼンスヘの役割期待の高まり、さらには産業の再活性化などの意味においては「アメリカの世紀」の再生を思わせるものもあるし、「自由と民主主義」という米国流理念を掲げて押し出してくるバターンには一定の継続性も有している。

しかし、自国利益優先(アメリカ・ファースト)に傾斜しつつある米国民の「意識の内向」、さらには政治指導層の定見と責任意識の拡散をみつめるならぱ、米国が体系性あるアジア・太平洋外交を構築してくることは期待できない。

外交とは、自らの運命を自ら決する決意なくして成立するものではない。ましてや、日米中トライアングルの制御そして多国間の外交の時代を舵取りするためには、自らの力を冷静に認識しつつ、目指すべき「理念」を掲げ、それを具体化するための政策構想を構築していかねばならない

奇しくも、九六年春は、司馬遼太郎と高坂教授という二人の日本の進路を歴史的視界から論じてきた知性を失った。司馬遼太郎が重視した「商人国家のリアリズム」、高坂教授が指摘していた「通商国家日本の運命」を直視し、私たちは進路を模索していかねぱならない。

米国の倭小な追随者でもなく、かつ中国周辺国への転落でもなく、戦後日本人が大切にしてきた「軽装備経済国家」としての道を、グローバル・ユコノミーの時代に生かしていかねばならない。放っておけぼ「自然鎖国」になりかねない日本において、歴史の長期展望に立った国際関係を構想するという作業に、心して挑戦しなけれぱなるまい。
(中央公論 1996年8月号)


(私のコメント)
最近の一連の米軍再編に関する日本側の対応を見ると、日本の政治家や官僚たちは何の戦略も考えていないようだ。ただ小規模な手直しをして基本的な問題はみな先送りにしてしまう。このまま放置していれば日本の政治家や官僚たちは、米軍が日本に半永久的に居座ってしまうことを容認しかねない。

頭の空っぽなポチ保守たちは、これで日本の安全性が高まったとバカなことを言っている。むしろ60年近くも外国の軍隊が駐留していること自体が異常なことであり、日本は本当に独立国なのか、疑っているのですが、このような疑問を持っている日本人は僅かしかいない。みんなマスコミに洗脳されて自分の頭で考えることをしなくなった。

日本は自主防衛しますから米軍はお引取りくださいとなぜ言えないのか。ポチ保守たちは金がかかると言っていますが、目に見えない形でアメリカに巨額の金を毟り取られていることには目をつぶっている。アメリカ人たちは心の中では安保ただ乗りで日本はけしからんと思っているのでしょうが、だからこそアメリカ政府は平気で内政干渉をしてくるのだ。

北朝鮮の脅威にはどうするのかと心配する人がいますが、石原慎太郎が言っているように、日本に数発のノドンミサイルが飛んできたほうが、日本人の目を覚まさせるにはちょうどいいだろう。今のところミサイル迎撃システムが無いから、ミサイルが飛んできたら防ぎようがありませんが、結局はミサイル基地を叩くしかない事が良く分かるだろう。

現代の戦争はどこまでが防衛で、どこまでが攻撃かはっきり分からないから、ミサイルに燃料を注入しているかどうかは、理念上の法律論争に過ぎない。今のところ戦争への緊張が高まったら、報復攻撃の意志をはっきり示すことで、相手の国が攻撃を思いとどまらせるしかない。

もし中国が核で脅迫してきたら日本国民はどのように反応するだろうか。今のところはアメリカの核の傘の下だから、のほほんとしていますが、日米安保がなくなれば日本国民の国防意識もだいぶ変わるだろう。今の日本は左翼の反戦平和主義とポチ保守の日米同盟とがセットになっている。

寺島実郎氏は非核の原則を貫けと言っていますが、私は主だった国は皆核武装すべきだと思っている。世界の国の指導者は戦争すれば核ミサイルが真っ先に首都に飛んでくることが分かって戦争するだろうか。アメリカだってイラクにアメリカまで届く核ミサイルがあったらイラク戦争ができたろうか。出来はしない。

北朝鮮の金正日が必死になってミサイル開発と核兵器の開発に全力を注いでいるのも、核武装すればアメリカは攻めてこないと思っているからだ。韓国だって密かに核開発していたし、いずれは世界中が核兵器で武装するようになるだろう。インドやパキスタンやイスラエルなど冷戦時代のアメリカ、ソ連の力をもってしても核武装は止めることは出来なかった。

いささか逆説的ですが、世界中が核武装すれば世界から戦争はなくなるだろう。一番恐ろしいのは狂った独裁者が出てきて、世界滅亡覚悟で核戦争を始めることですが、アメリカがその恐ろしい国になる可能性がある。アメリカのカルト宗教である福音派はキリストの再来を信じ核戦争を望んでいる。その福音派が選んだ大統領が現在のブッシュ大統領だ。




「冬のソナタ」と「ビューティフルライフ」
共通するのは障害者を売り物にしたドラマ


2004年10月2日 土曜日

「ビューティフルライフについて」について 

ビューティフルライフについてあちこちで評判を聞きます。インターネットでもいろいろな意見が出ているようです。ということで今回は車椅子に乗っている私が感想を書こうと思う。
ビューティフルライフが初回(1月16日)視聴率31.8%とか。フジテレビのロングバケーションの抜いて第1位らしいです。2回目以降も30%前後を維持しているとか。11回続ドラマです。キムタクが出ているから視聴率が上がっているのだと言われています。確かにキムタクが出ているドラマはみんな高視聴率です。

 ヒロインの杏子が死んだ最終回はすごい視聴率だった。 アドバイザーとして実際に車椅子を使っているに意見を聞いて作っていたらしい。 ここまでしてこの程度なのか。
このドラマはラブストーリーです。ヒロインが車椅子に乗っている以外は普通のラブストーリです。しかし中途半端です。
普通のラブストーリーだと言っていますが車椅子の不便さを出したりして車椅子にこだわりを見せています。 私はどちらかに徹するべきだと思います。

(1)普通のラブストーリーに徹するなら車椅子という言葉をいっさい使わない。障害者だとか健常者だとかいう言葉もいっさい使わないという風に徹しないといけない。当然ヒロインの杏子に「もし歩けたらなあー」なんてセリフを言わせてはいけない。車椅子を特別な人が乗る特別な乗り物じゃなく、車椅子を自転車と思う感覚でなきゃだめです。
(2)一方、車椅子の不便さをこのドラマのストーリーの骨子にするなら徹底して社会の車椅子排除の状態を見せつけて欲しい。喫茶店に行ったとき、映画館に行ったとき、食事に行ったときに車椅子に乗っている者にとって最大の問題はトイレです。今までの内容ではそのような場面は非常に少ない。車いすで行けないところはキムタクが介護してこなしている
  脚本家は車椅子に乗ってみたり日常に車椅子に乗っている人に意見を聞いたりしている。 しかし、どちらかに徹することができないでいる。 どちらかに徹していればかなり質のいいドラマになっていると思う。出演が木村拓哉と常盤貴子でしょ。どちらに徹したドラマにしてもみんな見ますよ。惜しいです。こんな出演者のドラマめったに作れないでしょう。ミスキャストとよく言いますが今回はミスシナリオです。

 障害者を出して、それも非常に見てくれのいい障害者。障害者を客引きパンダとしてしか扱っていない。だから脚本が実にくだらない。 脚本家の今後に期待しましょう。
TBSさん、見てくれのいい障害者を扱うのはもうやめなはれ。

ドラマのTBSと言われた時期もあったのですから猛省を期待します。(中略)

このドラマで良かったところ
*的場浩司のボランティアはいい役だ。どうみてもチンピラ役の彼がボランティアをするのがとってもいい。

韓国ドラマを見て感じたこと

T 交通事故が多すぎる
 ◎冬のソナタではチュンサンが二回も交通事故
 ◎秋の童話ではウンソもジュンソも交通事故
 ◎夏の香りでは婚約者が結婚式の日に交通事故死
 ◎星に願いをでは父親が交通事故死
 たまたま見た4本が偶然交通事故が多かったのかもしれないけど、そのうちまた事故か!と思ってしまった。
あっけなく事故で殺したり、事故がきっかけでストーリーを大きく展開させたりする手法なんだろうけど,どうかね。
冬ソナのチュンサンなどは一度目で記憶を失い,二度目で失明するし,秋の童話では最後にジュンソが事故死。

あれはないと思う。
 驚いたのは夏の香り。
なにしろ,ウェディングドレスを着た花嫁が交通事故?で運ばれてくるんだから,,,,。
教会にトラックでも突っ込まないかぎりありえない,,,,,?
星に願いをでは社長が車を運転してスタートしてから,見送る娘をサイドミラーで見続けているうちにトラックとぶつ
かってあっけなく死んでしまう。簡単に殺すなよなー。
「真実」というドラマも同じ,すごい脇見をして人をひき殺すシーンが第一話。
それで泣かせるのは簡単なのかもしれないけど、あまり好きではない。

U 貧富の差を出す
 これもたまたま見たドラマがそうなのかなぁ?
夏の香りは第一話しか見てないから何ともいえないけど、あとは大金持ちが出てくる。
 冬ソナのイ・ミニョンは大金持ちの身内のやり手理事。一方,ユジンは母子家庭で結婚費用もままならない。
秋のソナタのテソクはホテルのオーナーの息子で,ウンソは借金で逃げ回っていた母子家庭。
星に願いをのオープニングは孤児院から社長にもらわれていくシーンから始まり,相手役のカン・ミンは大金持ち
の一人息子でそのうち超人気歌手にもなる。
ホテリアーのドンヒョクは仕事にヘリコプターを使い,宿はラスベガスの超高級ホテル,食事は一流レストランで
そこの料理も雰囲気も落ちたとこぼす,,,。
愛の群像は無料視聴の分しか見てないけど,ジェホは母親に捨てられた境遇でユンソナ扮するヒョンスは社長
令嬢だった。
 そう言えば,第一話しかみてないけどチェ・ジウ主演の54パーセント視聴率獲得の「真実」もそんな感じ。
国会議員の運転手の娘と国会議員の娘。チェ・ジウは運転手の娘役。

V アメリカが出てくる 
 必ずと言っていいほどアメリカが出てくる。
わずか5本だけど全部そうだった。
アメリカの有名大学に留学するとか留学してきたとか、アメリカへ成功して行くとか成功して帰るとか。
 冬ソナではミニョンがアメリカ帰りの金持ちのエリート。
秋の童話では少年時代にアメリカへ行き,大人になってもアメリカの大学の同級生同士。
夏の香りでは主役のソン・スンホンが傷を癒すために三年間のアメリカ。
星に願いをでは欧米を駆けめぐる財閥の孫が一人いたな。
ホテリアーではやり手企業買収役のペ・ヨンジュンはアメリカで活躍していたのを韓国へ呼んだ。
たまたま接することがあったドラマがそうだったのかもね。
 韓国の人はアメリカというブランドに特別な意味をもっているのだろうか?

W わかりやすい敵役がいる
 渡る世間は鬼ばかりというドラマ見たいにわかりやすい敵役がいる。
渡る世間どころではないオーバーアクションの敵役が、、、、。
元気なときはおもしろいが,疲れているときは見る気がおきない。


(私のコメント)
最近はレンタルビデオ屋もDVDが主体になってきました。DVDは画質も良くて画像の乱れもほとんどない。外国映画も字幕と吹き替えとで選べるし、数多く借りてもかさばらないのがいい。ビデオカセットの時は録画したカセットでテレビの脇はカセットの山になっていましたが、DVDになってからはHDD内臓のレコーダーなので、テレビの周りはすっきりしている。

私も遅ればせながら高視聴率をとったテレビドラマでDVD化されたものを見ているのですが、41%もの高視聴率をとったと言うことで「ビューティフルライフ」を借りてきて見てみました。木村拓哉と常盤貴子の売れっ子コンビと言うことも人気の秘密があるのだろう。主役ばかりでなく脇役もみんな若くてかっこよくてファッショナブルだ。

ひねくれた見方をすれば、「そんなわけないじゃないか」と注文つけたくなるようなストーリー展開で、いわゆるトレンディドラマはばかばかしくて見てこなかったのですが、現代の「おとぎ話」としてみればいいのだろう。しかし障害者を扱ったドラマは誤ったイメージが視聴者に与えられて、障害者にとってはたまらないだろう。

私が見ていて一番感ずるのは常盤貴子演ずるヒロインは、バリアフリーとはいえない古い家でどのように家の中を移動してトイレに行っているのだろうかと疑問を感じた。トイレのたびに兄に背負ってもらってトイレに行っているのだろうか。それとも這って行っているのだろうか。そんなことは出来ないことは寝たきり老人を介護した経験があれば分かるだろう。

「ビューティフルライフ」の中でも一度だけキムタクに抱き上げられてトイレに駆け込むシーンがありましたが、日常生活では一日にそんな事が7,8回もあるのだ。車椅子用のトイレのある勤め先の図書館なら障害は感じなくとも、一般の町へ出れば車椅子で移動することはドラマの中のようには行かないことは明らかだ。

だから実際に障害者から見れば、車椅子の人でも自動車を運転して、普通に働いて、素敵な男性と恋もできるようなイメージを与えてしまっている。もちろん階段などで苦労するシーンはたくさん出てきますが、実際に東京などでは車椅子の人を見かけることはほとんどない。それがけまだ東京もバリアフリーにはなっていないのだ。

「冬のソナタ」でも主人公が交通事故で記憶喪失になったり、失明したりと障害者になっているが、結局は障害者をドラマの売りものにしているだけなのだろう。そして障害をドラマを盛り上げる手段に便利だから使っている。これでは本当の障害者はたまったものではない。障害者に対する誤解をよけいに広げるだけだ。

他にも時代劇で「座頭市」シリーズも障害者が主人公ですが、いくら聴覚が優れていても、あのように人をばったばったと切れるものではない。健常者ではドラマにならないから「盲目者」をスーパーマンにして大ヒット映画になった。しかし盲目者が杖一つで外を出歩けるようなイメージを与えてしまっている。

業界人にとっては映画やテレビドラマがヒットしさえすればいいのだから、これからも障害者が主人公のドラマが作り続けられるだろう。そのことを別の人も指摘している。

TBSドラマ「ビューティフルライフ」について

楽しく見ていた。
車イスの人を主人公にするのは悪くないと思う。表現もわりと自然だ。
私も落ち着いたのか、事実と違う変なところは笑ってみている。
常盤貴子が、どうして入口が階段のキムタクの家に一人で入れるのかとか。
普通、こたつには座らないとか。

さて、恋愛ドラマを盛り上げる条件は、二人の仲を引き裂く障壁や困難である。
「ロミオとジュリエット」しかり、幾多の恋愛劇は
愛し合う二人のすれ違いから生まれるもの。
視聴者は、そんな二人にいらつき、やきもきしながらもドラマの世界に入りこんでいく。
二人を引き裂くモノ(恋敵、昔の恋人、家柄、仕事、不倫、等)が
強力であればあるほど盛り上がる。
そんな意味でも、主人公が車イスっていう設定と
キムタク、常盤貴子とくれば盛り上がる。(後略)





米国福音派=韓国統一教会=日本創価学会の魔の手
ついに「2ちゃんねる」にも彼らの魔の手が伸び始めた


2004年10月1日 金曜日

異端との交わりを絶て 9月22日 ミレニアム

http://www.equip.org/free/DM184.htm
によると、

多数の福音派のリーダーが理事を務める団体『アメリカ自由同盟(AFC)』は、統一協会から金をもらっていることを認めている。

AFCに関わっている人々の中には、『レフト・ビハインド』の著者ティム・ラヘイ、有名な牧師D・ジェームズ・ケネディ、トリニティ放送ネットワークのポール・クラウチ、米国宗教放送のベン・アームストロング、伝道者ジャームズ・ロビソンやレックス・ハンバードらがいる。

ラヘイとケネディは統一協会との関連を批判されて辞職したが、他の人々は、依然として関係を断っておらず、理事を務めているという。

AFCの総裁ドナルド・シルズは、統一協会の政治団体CAUSAでもよくスピーチをしており、アメリカの福音派が統一協会と関係を持っていることは明らかである。

日本において、統一協会といえば極悪非道の集団というイメージがある。事実、数々の社会問題を起こし、教団に息子や娘を奪われた事例が数多く存在する。

たとえ、アメリカにおいてこのような事件が起こっていなかったにしても、彼らの教義を見れば、これが異端以外の何物でもないことは明らかである。

それなのにレックス・ハンバードなどがいまだに関係を断っていないというのはどういうことなのだろう?アメリカの福音派が霊的に堕落しているとしか考えられない。

「パリサイ人のパン種に気をつけなさい。小さな塊が粉全体を膨らませるから」とあるように、そういった汚れた付き合いをしている人々が仲間にいるならば、その汚れは自分や兄弟姉妹のグループ全体にも及んでくる。

除名処分か絶縁宣言をすべきだ。そうしないと、知らず知らずのうちに、思考が異端の教えに慣らされてきて、霊的な感受性が劣化し、御言葉に対する感覚が鈍感になって、間違ったことを平気で行えるようになる。

福音派は、統一協会との関係をすべて断ち切ることだ。

正しい信仰に対して疑いを持つ異端の人々について、聖書は、「その下着すら忌みきらいなさい」(ユダ23)と命じている。

異端に対してはあいさつもしてはならない、家に受け入れることもしてはならない、とすら命令されている。

なぜならば、行いが伝染するからである。

「なぜお願いするかと言えば、人を惑わす者、すなわち、イエス・キリストが人として来られたことを告白しない者が大ぜい世に出て行ったからです。
こういう者は惑わす者であり、反キリストです。よく気をつけて、私たちの労苦の実をだいなしにすることなく、豊かな報いを受けるようになりなさい。
だれでも行き過ぎをして、キリストの教えのうちにとどまらない者は、神を持っていません。
その教えのうちにとどまっている者は、御父をも御子をも持っています。
あなたがたのところに来る人で、この教えを持って来ない者は、家に受け入れてはいけません。
その人にあいさつのことばをかけてもいけません。そういう人にあいさつすれば、その悪い行ないをともにすることになります。」(2ヨハネ7-11)

異端に走った人々を受け入れるならば、その異端の行ないをもともにすることになるのだ。

統一協会から金をもらえば、統一協会の行ないを知らず知らずのうちに行うようになる。たとえば、霊感商法とか集団結婚とか明らかに異常な、反社会的な行動をクリスチャンも行うようになるのだ。

この意味において、クリスチャンにとって「誰と付き合うか」は非常に需要な問題である。

今の風潮は、「心を広く、異なる教えの人々とも連帯していこう」というものである。

しかし、聖書はそれと逆のことを言っている。

教えに関しては「狭量」であるべきだ。

聖書から離れない。聖書から離れた人を受け入れない。

こういう態度は実は「狭量」ではないのだ。これは「純潔」「貞操」の行動だ。

姦淫を賛美したり認める人々が、寛容ではないのと同様に、教えにおいて妥協する人々を寛容な人と呼ぶことはできない。

我々は、統一協会から金をもらっているような人間と付き合うのを止めよう。そのような人が書いた本を読むのをやめよう。

異端が伝染しないように、我々は一切の交わりを絶つべきである。

異端との交わりを絶て2 9月24日 ミレニアム

近年、文鮮明が刑務所に入っていた時に面会に訪れたほど、統一協会と親しい間柄にあるAFCの総裁ドナルド・シルズは、反カルト組織やカルト問題対策団体を「宗教的自由への脅威」と呼んで、集中的に攻撃している。

AFCの聴衆の多くは、カリスマ派が占めている。

彼は、5月3日のトレニティ放送ネットワークが放映しているクラウチのショー『プレイズ・ザ・ロード』に出て、Cult Awareness Network(「カルト警戒ネットワーク」)を非難した。

さらにシルズは、グラントがホストを務めるAFCのラジオネットワークに出て、カルト警戒ネットワークと、一般のカルトウォッチャーを批判した。

最近、シルズは、Greater Grace World Outreach(旧Bible Speaks World Outreach)の広報担当になった。

このGreater Grace World Outreachという団体は、以前会員から660万ドルの献金を集めた方法が詐欺行為と認定され、連邦裁判所から払い戻し命令を受けた。

このように、統一協会は、AFCなどの団体を通じてアメリカの福音派に影響を与えている。(*)

最近、日本の教会や宣教団体が、アメリカの団体と仲たがいしていると聞くことが多い。

アメリカのクリスチャンが統一協会によって骨を抜かれ、汚されているならば、絶縁するのも仕方がないだろう。

http://www.equip.org/free/DM184.htm

(*)
ちなみに、統一協会は、政治にも大きな影響を与えている。その最も効果的な方法は、『ワシントン・タイムズ』紙である。

毎年2億ドルの赤字を出していると言われているが、文鮮明自身は、私は、「ワシントン・タイムズを通じて」レーガン大統領に影響を与えている、と述べたと多くの人が伝えている。



(私のコメント)
日本の大手マスコミが創価学会や統一教会のことについてほとんど報道しない結果、日本もアメリカのようにカルト宗教団体の思うがままになりつつある。今日もアメリカの大統領選挙の二人の候補のテレビ討論会がありましたが、たとえケリー候補が討論に勝ったとしても、選挙には大きな影響は与えないだろう。

それは日本の創価学会よりも数倍大きな団体がアメリカを支配しているからだ。富井牧師が指摘しているように、アメリカのキリスト教の福音派の幹部が統一教会から金をもらって活動しているということだ。創価学会にしろ、福音派にしろ一般の信者は非常に善良であり信心深い人たちだ。

ところが信心深いゆえに、カルト団体の幹部の指導に忠実であり、言われるままに行動し選挙の際には熱心な活動家となり、アメリカの大統領選挙や議会選挙では大きな影響力を持っている。ブッシュ大統領も福音派の応援がなければ選挙で負けていただろう。現在の日本の自民党も同じであり、創価学会の応援がなければ当選できない自民党議員が大勢おり、実質的に自民党は創価学会に乗っ取られた形になっている。

このように宗教勢力が政治に非常に熱心に介入してくると、歴史を見れば分かるように碌なことにならない。だからこそ憲法などで政教分離を多くの国が定めている。しかしアメリカや日本でその政教分離が空洞化しているのはなぜだろうか。日本でも信長と一向宗の戦いがありましたが、非常な凄惨な戦いを繰り広げている。信長は一向宗の信徒を皆殺しにしている。

ヨーロッパに目を転ずれば宗教戦争の歴史と言ってもいいくらいだ。それくらい宗教勢力が政治に口出しするのを許せば、大きな災いをもたらすことは歴史が証明している。ところがアメリカは大きな内戦は南北戦争ぐらいで、悲惨な宗教戦争を経験していない。ところが福音派の多い地区を見ると南北戦争における南部の諸州にピッたしと一致する。

同じプロテスタントでも南部と北部ではかなり違うようだ。このまま福音派の勢力が拡大していけば、宗教戦争としての南北戦争が起きるのではないだろうか。だから統一教会との連衛も福音派のカルト的性格から言えば手を組んでもおかしくはない。日本の創価学会もカルト的宗教団体であり、池田大作の出身からして統一教会と親和性を持っても不思議ではない。

これらの三つの団体に共通しているのは、まず言論の自由を認めず批判勢力に対して攻撃的であり、信教の自由の名の下に国家機関や報道機関に信者や工作員を送り込んで機能を麻痺させてしまう。完全に支配下になるまではおとなしくしているが、公明党が政権をとれば警察や検察や裁判所や自衛隊などに幹部が創価学会員に占められるだろう。

アメリカでも福音派と彼等と手を組んでいるイスラエルのシオニスト達の勢力は軍や司法やマスコミの幹部になっている。だからこそアメリカは根拠のないイラク戦争に突入して、中東でハルマゲドンの戦争を始めてしまった。小説や映画の「レフトビハインド」はかつて株式日記でも紹介しましたが、SF小説ならいざ知らず福音派の信者は「携挙」なるものを信じているようだ。富井牧師のサイトでは次のように書いてある。

ディスペンセーショナリズムのプレ・ミレの起源 9月25日 ミレニアム

「大患難時代が迫っている」、「ハルマゲドンが近い」、「携挙は間近だ」、「終末への秒読みがはじまった」・・・。

今、全世界のクリスチャンは終末を予期して騒ぎたっている。誰も「教会の勝利」を信じない。「これから、クリスチャンが世界に影響を与えて、政治・経済・文化のリーダーになる?笑わせないでよ。そんなことできるわけがないじゃない!」と言って再建主義をあざ笑っている。この不信仰に伴って、実際に、クリスチャンの力は弱まった。世界においてキリスト教の文化的影響力の衰退は著しい。

この世界のキリスト教を弱体化させた張本人である、いわゆる「ディスペンセーショナリズムのプレ・ミレ」と呼ばれる預言解釈の歴史は古くない。

Ovid E. Need Jr師が、20年にわたる研究を背景に発表した著書Death of the Church Victorious(「勝利の教会の死」)の中において、その歴史について詳しく触れておられる。

http://biblicalexaminer.org/BookReady.html

この預言解釈の基礎にあるディスペンセーショナリズムの学説をはじめて編み出したのは、ローマ・カトリック教会イエズス会の司祭ラクンザ(1731−1801)である。後に彼は「ベン・エズラ」という名で呼ばれた(彼はユダヤ人の家庭に生まれた)。(後略)


(私のコメント)
私は宗教学者でもなくキリスト教信者でもなく聖書も読んだこともない。だから専門家の見解を受け売りするしかないのですが、アメリカ、韓国、日本と、カルト宗教団体の連携が出来上がって政界を乗っ取ろうとしている。それに対して報道機関はすでに骨抜きにされて、口は封じられた。インターネットに対してもいよいよ言論弾圧の手は伸びてきたようだ。

私のサイトへも脅迫が来たのは先日述べたとおりですが、副島氏のサイトも嫌がらせで創価学会のBBSを閉鎖する。さらに「2ちゃんねる」のサイトも創価学会や統一教会がらみのスレは停止になるものが相次いでいるようだ。運用者の中に彼らの手先がもぐりこんだようなのだ。阿修羅でも次のような書き込みがあった。

2チャンネルで、911疑惑追及スレッドが軒並み「削除」 阿修羅BBS

▲2チャンに巣食うユダヤ尻ぬぐい担当の朝鮮宗教=創価学会・統一教会は、テレ朝のたけしの番組を契機に、「911の7つの疑惑」が2チャンで広く語られるのを恐れた。そこで、番組の少し前から、2チャンの「911」関連スレッドのパージに乗り出した。2チャン運営に潜り込んだ宗教豚が動員されて、911関連スレのスレスト・削除に奔走している。連中は、↓この話題を潰したい。ユダヤのために。911はユダヤ人が敢行した100%内部犯行のインチキテロである。(後略)




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