株式日記と経済展望

ページを繰り越しましたのでホームページからどうぞ。


ヤフーBBに加入すると個人情報が創価学会に筒抜け?
ソフトバンク・創価学会公明党・暴力団の暗黒の三位一体


2004年2月29日 日曜日

ヤフーBB、保有情報丸ごと?流出 産経新聞 2月25日朝刊

「どうして流出したのか。批判は甘んじて受ける」。インターネット接続サービス「ヤフーBB」の顧客データが流出したとして、脅迫を受けていた親会社の「ソフトバンク」(東京)は二十四日午後、二度も記者会見。データ流出については当初、「確認していない」と否定したが、深夜に再度行われた会見では一転、同社が有する顧客データが流出していたことを認めるなど、社内の混乱ぶりを露呈した。

 会見は午後五時と十時の二回開かれた。二回目の会見では、ヤフーBBを運営するソフトバンクBBの宮内謙副社長も出席、「お客さまに心配をかけ、おわびします」と謝罪。そのうえで、容疑者側から示された計二百四十二件の個人データには、社内での内部管理用の情報が付記されていたことから、ソフトバンクBBが管理する顧客データであると判明していたことを明らかにした。

 ソフトバンク社によると、ソフトバンクBBの顧客データベースは氏名や住所などの基本情報に限られ、クレジットカードなどの「信用情報」は共同事業者の「ヤフー」が管理するデータベースに記録されている。

 個人データを閲覧できるのは、社内のシステム部門などの社員のみで、データベースから、データを移植した場合は履歴が残る。調査ではデータベースへの不正アクセスは見つからなかったという。

 四百六十万人分のデータに関しては、現在の加入者三百八十一万人(一月末現在)と加入手続き中の申込者などを含めれば「数字としてはほぼ合致する」ことから、今後の照合作業で、同社のデータと一致するかどうかを確認すると説明した。

 一回目の会見では、田部康喜広報室長が「把握している個人データの流出は一月に公表した二百四十二人分の名前や住所のみ」とし、DVDは「中身を見ていない」と存在さえ認めなかった。

 顧客データがほぼ丸ごと流出した可能性について、宮内副社長は「まさかわが社が、という過信はない。ただ、最初、犯人から膨大な数字を示された際、『騙(かた)っているだけではないか』と考えてしまった」と対応の甘さを認めた。

 ≪森容疑者、以前は政治結社代表≫

 逮捕された主犯格の森洋容疑者(六七)は、かつて右翼系政治結社の代表。総会屋的活動も幅広く展開する人物として、関係者の間で知られていた。関係者によると、森容疑者は茨城県出身。暴力団幹部だったが破門され、昭和五十一年に政治結社「新生日本協議会」を結成。五十七年には水産会社の株主総会に出席して議事を妨害したほか、五十九年にゼネコンへの抗議行動の際に器物損壊事件を起こした。

 竹岡誠治容疑者(五五)は創価学会元幹部。四十五年、創価学会による東京都杉並区の宮本顕治・日本共産党委員長(当時)宅への電話盗聴に関与していたことが、民事訴訟で認定されている。平成十四年、東京都千代田区のマンションでコンサルタント会社を設立。湯浅輝昭容疑者(六一)が副社長に就任し、ソフトバンク・グループのインターネット電話「BBフォン」の代理店業も始めた。竹岡容疑者は別のBBフォン代理店も経営。一次代理店として、同社だけで全国に約一千の二次、三次代理店を抱えていた。

 また、木全泰之容疑者(三一)は昨年六月まで約一年間、人材派遣会社を通じてソフトバンク関連のサポートセンターに勤務していた。


竹岡誠治容疑者(55)自民、公明両党議員でつくる議員連盟とも接点

インターネット接続サービス「ヤフーBB」の顧客データを入手し、親会社「ソフトバンク」に数十億円を要求したとして恐喝未遂容疑で逮捕された竹岡誠治容疑者(55)は、「株式会社循環社会研究所(東京・千代田区)を設立、自民、公明両党議員でつくる議員連盟とも接点を持っていたことがわかりました。

この議員連盟は、二〇〇〇年十一月に、自民党、公明党、保守党(当時)の与党議員で設立された循環型社会推進議員連盟。自動車燃料など新エネルギーの勉強会などをおこなっています。

公明議員23人

会長は自民党の橋本龍太郎元首相、会長代行には公明党の浜四津敏子代表代行、幹事長には公明党の福本潤一参院議員(現農水政務官)、事務局長に公明党の斉藤鉄夫衆院議員が就任。昨年末の時点でメンバーは七十五人。このうち公明党議員は神崎武法代表、冬柴鉄三幹事長、坂口力厚生労働相など二十三人にのぼり、公明党がかなりの比重を占めています。

一方、竹岡容疑者は今回の事件の舞台となった「ヤフーBB」の代理店「エスエスティー」で社長をつとめるだけでなく、同じビルに「循環社会研究所」を設立し、この社長にもなっています。

 同研究所は、議連設立に先立つ二〇〇〇年二月に設立され、会社の目的は「循環型社会」形成のための環境対策技術の開発、育成をあげています。

盗聴後抜てき

 研究所と議連の目的はほぼ同じ。竹岡容疑者に依頼されて、「エスエスティー」の役員となったというエネルギー研究者は、本紙の取材にたいし「竹岡氏に頼まれて循環型社会推進議員連盟の勉強会で講師をやった」と証言します。

 竹岡容疑者は、議連に講師を紹介する役割をしていたわけで、民間信用調査機関も竹岡容疑者について「与党三党でおこなわれている循環型社会推進議員連盟などでシンクタンク的な役割」などと指摘しています。

 また、竹岡容疑者は「与党三党の議員をメンバーに発足した循環型社会推進議員連盟の幹事長の福本潤一議員とは高校の同級生」(日刊工業新聞〇一年一月五日付)という関係です。

 竹岡容疑者は“創価学会の組織的犯行”(東京高裁の確定判決)と断罪された宮本顕治日本共産党委員長宅電話盗聴事件の実行犯。池田大作創価学会名誉会長に重用されて盗聴などの謀略をおこなった“山崎師団”のメンバーです。盗聴後、創価班全国委員長、青年部副男子部長に抜てきされ、その後、聖教新聞社に勤務。現在も創価学会の地域幹部です。

 竹岡容疑者とともに恐喝未遂容疑で逮捕された湯浅輝昭容疑者(61)は「エスエスティー」の副社長で、同じく現役の創価学会員でした。創価学会広報も「竹岡、湯浅両名とも学会員」「湯浅は函館で聖教新聞の販売店を経営していた」(「日刊ゲンダイ」二月二十七日付)と答えています。

 プライバシーを侵害する今回の事件で創価学会員グループの竹岡、湯浅両容疑者は何をねらったのか、政界との接点もふくめて今後の解明が重要になっています。


(私のコメント)
日頃から個人情報保護にはうるさい大手の新聞やテレビなどのメディアは、なぜか今回の莫大な個人情報が外部へ流出した事件には及び腰だ。産経新聞だけが記事の中で創価学会との関係を書いている。大手メディアにとってはYAHOOや創価学会は大きな顧客であるだけに書くに書けないのだろう。テレビにだって広末涼子のコマーシャルがたえず流れている。

しかしヤフーBBの顧客データーにはキャッシュカード番号などの重要なデーターが含まれており、単なる事件ではない。さらに犯人の経歴を追っていくと創価学会において共産党の宮本書記長の電話を盗聴しようとして捕まった犯人であり、今も聖教新聞に勤務する創価学会の幹部であることは、どのメディアも分かるはずなのにそこ事には触れようとしない。

最近はどのメディアも創価学会と聞いただけで及び腰になってしまう。ちょうど9,17の前の朝鮮総連のような存在だ。活動家の数から言えば創価学会のほうがはるかに規模はでかいが。さらに竹岡容疑者には公明党を中心とする国会議員グループとも繋がりがあり、さらには暴力団関係者も共犯で捕まっている。

これはとんでもないスキャンダルに発展すべき大事件であるにもかかわらず、日曜日のテレビの報道番組はそのことにはほとんど触れようとしていない。まさに政界、財界、宗教団体の超大物が絡んでいるだけにマスコミも手が出せないのだろう。「2ちゃんねる」あたりでは祭りになっていた。

もしこのままヤフーBBフォンがネット電話のグローバルスタンダードになったとしたら恐ろしい事が起きただろう。サーバー経由で通話内容がみんな非合法に盗聴される恐れがある。さらにはヤフーBBの顧客データーは創価学会へも流れて選挙などに利用されるだろう。電話番号も住所もみんな筒抜けだからだ。

私は日頃から創価学会のような宗教団体が政治に関与することには反対している。公明党は明らかに創価学会の政党組織だ。だから憲法違反であり政教分離に反している。創価学会員の数は800万を超え、各選挙区で2,3万票もの影響力を持っている。自民党はすでに創価学会の支援なしには勢力を維持できず、公明党に乗っ取られた形になっている。

インターネットの世界も政界や財界や宗教界からの圧力の輪が狭まってきて、自由な言論活動が出来なくなる時代はもうすぐそこまで来ている。韓国では本名でなければネットが出来なくなる法案が出されるそうだ。韓国と創価学会・公明党の関係も深くやがては日本でも同じよな動きが出るだろう。

【孫】ソフトバンク、パスワード使いまわし状態・450万件個人情報漏洩 ★


名無しさん@お腹いっぱい。 :04/02/27 01:39 ID:Zcpa2Fpe
「ヤフーBB」のデータ流出事件 容疑者は宮本宅盗聴犯の創価学会元幹部
宮本氏は創価学会の北条浩会長(当時)や、山崎元顧問弁護士とその配下の竹岡誠治、広野輝夫らのグループを被告として
損害賠償請求訴訟を起こし、東京地裁(八五年四月)、東京高裁(八八年四月)で、いずれも創価学会の組織的関与を認める判決が出ました。
創価学会側は、最高裁に上告したものの こ っ そ り 取 り 下 げ て 損害賠償金を支払いましたが、謝罪はいっさいしないままです。
判決では、竹岡容疑者について、深夜電柱に登って電話線端子に盗聴器をとりつけるなど実行部隊の中心だったと指摘していました。
盗聴後、竹岡容疑者は七八年には 創価班全国委員長 、翌年に 青年部副男子部長 に抜てきされました。

もちろん、創価学会現役大幹部で、池田大作お気に入りの諜報部隊統率者の竹脇(オウムの井上被告に相当)が、
創価学会にYBBの情報を流している。
YBBは固定IPアドレスだから、学会の悪口を書いた香具師の家は盗聴、ストーカーされている可能性がある。

麻生総務相秘書宅に発砲=玄関に弾痕−警視庁

1日午前7時前、東京都豊島区高田、麻生太郎総務相の秘書官宅の玄関に拳銃を撃った跡があるのを同宅の家人が見つけ、110番した。けが人はない。目白署は拳銃発砲事件とみて、捜査を始めた。
 調べによると、秘書官宅で前日夜、大きな音がしたのを家人が聞いているという。玄関ドアには3発程度の弾痕が見つかった。 (時事通信)
[3月1日9時1分更新]

(私のコメント)
これもソフトバンクBBの顧客データー漏洩事件に対する、暴力団の総務省に対する脅しだろうか。一連のニュースを関連付けていくと、オウムの事件が明るみに出る前の状況によく似ている。松本サリン事件もマスコミは事件の被害者の河野さんを容疑者に仕立て上げた。マスコミ内部にも創価学会の工作員が入り込んでおり、巧みに事件の揉み消しを図っている。そのためにも総務省の麻生大臣に脅しを掛けたのだろう。

iiii彡≡≡≡|≡ヾ ヽ    ______                      ___ ,-───
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ミiiiiiヽ            \    _-=≡///:: ;; ''ヽ丶/ヾ ヾ .,! !,,!_´,,//_//
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死刑判決最高ですかぁ? 定説最高ですかぁ? 顧客名簿ゲット最高ですかぁ? 足裏最高ですかぁ?





ノモンハン事件はスターリンの満州・朝鮮への侵略の
野心を打ち砕いた戦略的日本の大勝利であった。


2004年2月28日 土曜日

ノモンハン事件(ロシア・モンゴル側はハルハ河戦争と呼称)は、これまで日本軍とソ連・モンゴル軍との国境紛争であり、日本はソ連の機械化部隊と戦い、大損害を受けたという話が定説となっていました。

 確かに日本軍の、特に主力となった第二十三師団は出動人員の約七割が死傷するという膨大な数の損害を出したことは事実です。戦闘に参加した日本軍全体の死傷者及び捕虜、行方不明者は、一万七千三百六十四名にも上りました(三代史研究会『明治・大正・昭和30の「真実」』文春新書/一二五頁)。しかしながらソ連・モンゴル側の損害、つまり日本軍の戦果は、事件後も公表されず、そのことが「ソ連圧勝」というプロパガンダが長いこと蔓延した原因でもあります。

 十月号の「NHKウオッチング」で述べられた「日ソとモンゴルの研究者による共同調査」というのは、恐らく一九九二年に開かれた、「ノモンハン・ハルハ河戦争国際学術シンポジウム」のことではないでしょうか。このシンポジウムにおいてロシア軍のワルターノフ大佐は、ソ連・モンゴル軍全体の損害(死傷者及び行方不明者)は、一万九千三百五十九名としており、日本軍よりも二千名も多く損害を出していたことを明らかにしました(前掲書一二六頁)。

 しかも、ソ連・モンゴル軍は日本軍の三十倍以上の兵力を投入しており、この点から見ても、いかにソ連の大勝利がウソであったかがお分かりいただけると思います。日本軍は兵力不足と砲弾・弾薬不足の中よく戦いました。しかしせっかくソ連戦闘機を蹴散らしたにもかかわらず、空からの攻撃はほとんど行われず(当時、陸軍には制空権の思想がなかったと言われている)、前線への補給も貧弱だったため(日本軍は補給手段を主に徒歩と馬に頼っていた)、苦戦を強いられ、結局は撤退せざるを得ませんでした。

 
ノモンハン事件はソ連側の侵略でした。スターリンは一九四五年八月九日の対日参戦でも明らかなように、満州や朝鮮半島に対する領土的野心も有していました。現地の日本軍の奮戦は、そのような野望を打ち砕き、日本と満州を防衛したというところに大きな意義があると思います(ただし、ソ連の対日参戦によって満州帝国が幻となってしまったので、今日的な意義は見いだしにくい)。しかしながらこの「戦争」で露呈された日本軍の補給の貧弱さや航空戦力の軽視は、第二次大戦に参戦しても改まらず、日本陸軍はノモンハン以上に多大な犠牲を出すこととなりました。

 ノモンハン事件に関する国際シンポジウムに関して知りたい方は、ノモンハン・ハルハ河戦争国際学術シンポジウム編『ノモンハン・ハルハ河戦争』(原書房)をご覧ください。その他の参考文献。小田洋太郎・田端元『ノモンハン事件の真相と戦果』(友朋書房)。

ハイ、せいろん調査室です(12月号-1)


ソ連は故意に国境紛争を惹起しこれを口実に外蒙古に大軍を派遣して頻発する反ソ暴動を制圧し、進んで外蒙古から満洲に侵攻する企図を有しており、昭和十四年(一九三九)五月十一日、スターリンの指示を受けた外蒙軍が、外蒙古と満洲国の国境のハルハ河を越え、満洲国軍とノモンハン付近で衝突し、六月十七日以降には、ソ連軍がソ連の唱える国境線から二十キロ東にある満洲国領内の将軍廟にまで侵入したが、関東軍の頑強な抵抗に遭って苦戦した為、八月二十日、ソ連軍は約二十三万以上の大兵力を投入し日本軍に大攻勢を仕掛けたが、関東軍(最弱師団の第二十三師団)は、政府軍中央の不拡大方針に掣肘を加えられながらも精強な我が下士官兵の挺身戦闘によってソ連軍に大打撃を与えよく満洲国防衛の任務を全うし、スターリンは止むを得ず東亜侵攻を一時中断し軍の矛先を東欧と北欧へ向けたのであった。

ノモンハン事件の日ソ両軍の損害数

◆日本軍側、戦死傷者一万七千四百五名、航空機百七十九機、戦車二十九台。

◆ソ連軍側、戦死傷者二万五千六百五十五名以上、航空機千六百七十三機、戦車八百台以上。


ソ連は余りにも拙速に大軍拡を行った為、ソ連軍の諸兵器は粗製濫造品を多く含み、一九三七年五月二十七日のトハチェフスキー元帥の逮捕に端を発したスターリンの大粛清によって有能な幹部を喪失していたソ連軍将兵の練度は士気と共に極めて低く、約一対十一の日ソ軍の兵力比を勘案すれば、ノモンハン事件は我が軍の圧勝であり、当時の極東ソ連軍司令官ジューコフは、第二次世界大戦後、米国ミシガン大学のハケット教授や新聞記者らと会談した際、「どの戦いが一番苦しかったか」と質問されて「ハルハ河」と即答し、モスクワ攻防戦やスターリングランド攻防戦を予想した者を驚愕させ、彼等は改めて日本軍の桁違いの精強を認識したのであった。

国民のための大東亜戦争正統抄史1928-56


(私のコメント)
私は2003年10月3日に「本当は日本軍の大勝利だったノモンハン事件」を書きましたが、どうしてノモンハン事件が日本軍の大勝利であったか分からない人がいたようで、阿修羅BBSに以下のような反論がなされていた。しかし軍事的戦果から見ても10倍もの軍勢と戦って相手に日本軍以上の損害を与えたことは日本軍の勝利である。しかし傍観者A氏は戦略的に敗北だと決め付けている。ソ連の共産党のプロパガンダをそのまま信じている。

はぁ?ノモンハンが日本軍の大勝利?この人、「戦略的思考」があるの?【ウソを繰り返せばだませると思ってる典型>株式日記と経済展望】

(私のコメント)
しかしながら戦略的に見ても日本の勝利であることは考える頭があればすぐに分かることである。日本の秀才達の一番の欠点は教科書に書かれたことを覚えることに秀でているが、思考能力に欠けていることだ。傍観者A氏も従来の教科書に書かれた事と同じ事を指摘している。

《損害の絶対数が多かろうと、「敵の目標達成を阻む」逆に言えば「当方の目標を達成する」ことが出来れば、戦略的には勝ちなのである。そのことも理解できずに現場での損害数だけにこだわって、「木を見て森を見ない」人間に、大所高所から決定しなければならない国家的軍事戦略あるいは外交戦略を理解できるとは思えない。無論、そのような人物にそれら戦略の決定に関与してもらいたくないというのが個人的感想だ。

「株式日記と経済展望」などと大層なものを書いている人ににあわない器の小ささと言わざるを得ない(到底「相」や「将」の器ではない)。この人の株式や経済への洞察にも、重大な疑念を抱く(大所高所に立った戦略的な見方ができていないのではないか?)。》

(私のコメント)
当時の日本は中国における戦闘で手一杯の状態であり、とても「北進」出来る状態ではなかった。だからこそ大本営は不拡大の方針でノモンハン事件にあたった。むしろソ連のスターリンのほうが領土拡大の野心に燃えており、バルト三国の併合やポーランド分割やフィンランド侵略などを繰り返していた。年表から見ればその事実は明らかだ。

1939/05/12   ノモンハン事件 (スターリンの野望が日本軍に阻止される)

1939/09/17   ソ連軍、ポーランド東部に侵攻開始

1939/11/03   ソ連軍、フィンランド侵攻開始(ソ・フィン戦争勃発)(バルト三国併合)

このように年表を見ればソ連のスターリンが如何に侵略的であったかがわかる。ノモンハン事件においても23万もの軍隊を集結していた事からも、計画的な満州侵略を仕掛けたことは明らかだ。それに対する日本軍は僅か2万の一個師団しかモンゴル・満州国境に配置していなかった。しかしながらソ連モンゴル連合軍23万は僅か2万の日本軍に大敗を喫した。

そのことによりソ連のスターリンは急遽日本と和睦してポーランドに襲い掛かり、ポーランドの領土の東半分を併合した。それでもスターリンの侵略は止まずバルト三国とフィンランドに襲い掛かりバルト三国は併合された。もし日本軍がノモンハン事件で勝利していなかったならば、ソ連軍は満州を併合していただろう。

その意味でノモンハン事件はソ連のスターリンの野望を阻止した意味で戦略的にも勝利して、スターリンは1945年まで満州には手を出すことが出来なかった。あくまでも当時の日本軍は中国との戦争で手一杯であり、日本側からノモンハン事件を仕掛けたことはありえない。食料や弾薬も用意していなかったことからも明らかだ。ノモンハン事件のサイトでは次のように記述している。

《外蒙軍総司令官であったチョイバルサン元帥は、日本側の撤退命令と同じ5月15日頃、国境警備隊に主力到着までハルハ河で阻止するよう命じ、外蒙第6騎兵師団を進出させた。同時にソ連第57狙撃軍団は相当の兵力を5月20日までに進出、ソ連・外蒙軍は東支隊の撤収後の東岸に進出して陣地を構築した。これを知った小松原師団長は再び「満ソ国境紛争処理要綱」に基づき、ハルハ河東岸のソ連・外蒙軍の撃滅を決心する。》

満ソ国境紛争2/ノモンハン事件 概説1  昭和14年5月11日〜昭和14年9月16日

(私のコメント)
ソ連のスターリンはどこまで満州に侵攻するかは不明ですが、23万もの大軍を用意していたことから、抵抗が少なければ満州はポーランドやバルト三国のように併合されていたことだろう。そして中国で戦っていた日本軍は背後からソ連軍の脅威にさらされた事になる。スターリンの野望は消えることなく1945年に日ソ中立条約を破って満州に侵攻している。

傍観者A氏は当時の日本軍がソ連やモンゴルへ侵攻できるという根拠はどこにあるのだろうか。当時の関東軍は中国へ出払ってしまってモンゴル国境にはにわかじたての第二十三師団しか配置していなかった。戦車にしても僅か百台しかない。当時の日本には中国とソ連を同時に戦争できる軍事力はなかった。ましてやアメリカと戦争をするなどとは陸軍は考えていなかった。

ところが日本海軍は勝手にパールハーバー奇襲作戦を決めてしまい、アメリカと戦争を始めてしまった。当初こそ陸軍は海軍に協力していたが、途中で軍を引き上げて中国に戻そうとしている。バカな海軍が勝手にアメリカと戦争をしてしまったことは陸軍にとって予想外のことであり、そのことが日本の敗戦に繋がっている。概説太平洋戦争のサイトでは次のように書いている。

《海軍は、オーストラリア全土の征服を真剣に考えました。ただ、この計画は陸軍の反対によってご破算になりました。陸軍がどうして反対したかというと、彼らの本音は、一刻も早く太平洋から兵力を引き上げて、中国との戦争に注力したかったからです。それにしても、オーストラリアの征服なんて、当初の戦争目的から照らして何の意味も持たないし、そもそも日本の国力では達成不可能でしょう。ここにも、「官僚の暴走」という構図が見て取れます。暴走官僚は、仕事をすればするほど省益にプラスになるので、あえて無意味な大仕事を企画する特徴があるのです。》

(私のコメント)
日本の官僚的感覚から言えば戦争に負けたのは海軍が勝手にアメリカと戦争したからであり、わが陸軍は負けていないと言う感覚だろう。無敵の関東軍は満州には居らずもぬけの殻であった。如何に陸軍は中国との戦争で手一杯かの証拠であり、インパール作戦も中国への補給路を遮断するための作戦であり、陸軍が中国との戦争しか考えていなかった証拠でもある。とてもソ連へ侵攻することなど誰も考えていなかった。




新生銀巨額上場益でウハウハ リップルウッドの次の標的
通信では富士通、金融では武富士という名前も浮上


2004年2月27日 金曜日

大もうけした資金を、今度はどこへ回すのか。米投資ファンドのリップルウッドの動きから目が離せなくなってきた。

 今月19日に、リップルが投資した新生銀行が東証に再上場する。この上場で、数千億〜1兆円の利益をリップルは手にするともっぱらだ。
「新生銀行への投資額は、約1210億円でした。堅く見積もっても時価総額は7000億円ぐらいになるでしょうから、少なくとも6000億円近くのもうけが出る計算です」(金融関係者)
 その資金をどうするかが、いまアチコチで話題になっている。

「大型案件に投資することになるんだと思いますよ。通信ビジネス、金融ビジネスが本命でしょうね。水面下ではかなり動き回っているといいます」(調査会社関係者)
 具体的な企業名も、いくつか挙がってきた。
「憶測の域を出ませんが、通信では富士通、金融では武富士という話が流れているのは事実です」(前出の調査会社関係者)
 実現の可能性は?

「武富士に関して言えば、武井(保雄前会長)ファミリーが株式の約70%を握っています。しかし、武富士のコンプライアンス(法令順守)委員会のメンバーには元金融監督庁長官の日野正晴氏が入ったし、かなり厳格に見直しています。そうなると、ファミリー株の放出は間違いない。その行き先が気になるところです」(別の金融関係者)

 こんな指摘がある。
「みずほFGが、武富士を欲しがっているという話が少し前にあった。メガバンクの中で、みずほだけが消費者金融を傘下に持っていないのが、その理由。でも、実現性は薄い。武富士はクリアにしなければならない問題が多く、日本企業には荷が重い。その点、外資系はドライに行ける。リップルは狙っていると思いますよ」(経済ジャーナリスト)

 リップルは、昨年夏に日本で6件目となる日本テレコムの買収を発表(買収額2613億円)、久しぶりの大型案件と話題だった。しかし、話題となった宮崎「シーガイア」はいまだに低迷から抜け切れていない。
 リップルのT・コリンズCEOは以前「2000年から3年間は実験段階」と語っていた。
 実験は昨年で終わり。次なるターゲットは、かなり絞り込んでいるはずだ。

新生銀巨額上場益でウハウハ リップルウッドの次の標的


平成12年3月2日役員改選が行われ日本長期信用銀行は「新生銀行」 として新しく生まれ変わることとなった。 新役員は日米エスタブリッシュメント・オールスターズとなっており、 世界中のコンスピラシー・セオリー(陰謀理論)支持者の注目を集める ものとなっている。この分野からもさまざまな考察が行われる事が予測 されるが、ここではあくまでも企業・政治戦略上の見地に立ちそのメカ ニズムに迫りたい。

注目すべきは米国インナー・サークルの頂点に立つ3人の役員就任であ る。 筆頭はデビッド・ロックフェラー氏である。スタンダード・オイル創業 3代目の誰もが認めるロックフェラー家の継承者である。ロックフェラ ー一族が管理する財団、基金の事実上の責任者でもある。1969年か ら1980年までチェース・マンハッタン・バンクのCEOを務め、辞 任後もヘンリー・キッシンジジャー氏と共に同銀行の国際諮問委員会の 会長として支えている。また米外交政策立案機関として有名な外交問題 評議会(CFR)議長を長く務め(現在は名誉会長)欧米主要政財界人 で構成されるビルダバ−グ会議や欧米日三極委員会(TC=トライラテ ラルコミッション)を主催している。 民間企業の役員就任は1980年以後20年ぶりとなる。昨年から就任 要請の噂は絶えなかったが、今年85歳という年齢的問題からも実現す るとは考えられなかった。

またシニア・アドバイザー就任のふたりもロックフェラー氏同様にビル ダバ−グ会議や欧米日三極委員会、外交問題評議会の役員を務める大物 である。

元連邦準備制度理事会議長であるボルカー氏は富士銀行やトヨタ自動車 のアドバイザリーボード(社外顧問会)メンバーに就任しており日本財 界に以前より強いパイプを有していた。また社外取締役として参画して いるネスレはヨーロッパ財界団体であるヨーロピアン・ラウンドテーブ ルの会長を送りだしており、欧米日にまたがる取締役兼任ネットワーク のコア(中核)となっている人物である。

バーノン・E・ジョーダン,Jr.氏はAkin, Gump, Strauss, Hauer & Feldのパートナー(弁護士)として活躍しユダヤ系投資銀行のラザ−ド ・フレール以外にも多数有力企業の取締役を兼任している。クリントン スキャンダルのキーパーソンとしてマスコミにも再三登場した。クリン トン大統領の公私にわたる友人のひとりである。

当初ここにもうひとりの大物ロバート・ルービン前財務長官(元ゴール ドマン・サックス会長)が加わる予定だったが辞退したようだ。現在共 同会長を勤めるシティーグループにおいて長く会長を務めた米財界の重 鎮ジョン・リード氏退任でそれどころではなかったのであろう。

この大物3人の起用は槙原 稔氏(三菱商事株式会社取締役会長)の要 請によるものと推測される。以前より欧米日三極委員会や外交問題評議 会において旧知の間柄であり1995年からのリップルウッドと三菱商 事との資本関係から願いでたものと思われる。本人は演出に徹していた かったようだが八城氏に説得され就任に至ったと思われる。また日本財 界人からもかなり反発されたようだが府立一中の同級生である今井敬氏 を口説いたのも八城氏である。

三菱商事の社長であった藤野忠二郎氏はかってチェース・マンハッタン ・バンクの国際諮問委員会に就任していたこともあり、歴史的にもロッ クフェラーグループと三菱グループとは比較的関係が深い。 (日本企業でもアドバイザリーボード(社外顧問会)や国際諮問委員会 を設置する企業が増えているが顧問的役割にとどまっている。米国では チェースにしろJ・P・モルガンにしろその権限は取締役会に匹敵する。 アメリカン・エクスプレスなどは国際諮問委員会にキッシンジャー氏を 招き対中関係強化に向けた取り組みを行っている。)(後略)

「新生銀行」の行方 国際戦略コラム YS/2000.03.05


(私のコメント)
新生銀行の背後にはリップルウッドがあり、リップルウッドの背後にはロックフェラー財閥と三菱財閥が控えている。長銀がリップルウッドに売却される背景には、日本政府高官とアメリカ政府高官レベルの密約によるものだろう。当初から小泉首相とロックフェラーの仲は親密であり、小泉首相の下にはロックフェラー本人が何度も訪れている。

日本の財務省がリップルウッドに税金を掛けられないのも、リップルウッドがアメリカの政財界人のオールスターだからだ。さらには三菱財閥がロックフェラーと手を組んでぼろ儲けを企んでいる。リップルウッドの次なる標的はハイテクの富士通と、消費者金融の王者の武富士を狙っているようだ。ロックフェラーは富士が好きなようだからメガバンクも富士銀行が狙いなのだろうか。

テレビや新聞などの大手マスコミがリップルウッドを、ハゲタカファンドと叩けないのも、ロックフェラー財閥と三菱財閥を敵に回すようなものだから叩けないのも当然であり、同時にロックフェラーと一心同体の小泉首相も叩けない。もしロックフェラーと三菱を敵に回せば、いかなる大手マスコミでもいっぺんに潰される。だから田原総一郎が新生銀行を褒め上げるのもそのせいだ。

このままリップルウッドが濡れ手に粟のぼろ儲けを続けていって、日本の銀行や基幹産業がロックフェラーの資本の下に入っていっていいものだろうか。その手助けをしているのが小泉・竹中内閣だ。だから小泉・竹中内閣が続く限り日本経済は回復するはずがない。回復しようとすればロックフェラーからの指令が飛んで、竹中大臣が経済を潰しにかかるはずだ。もっともブッシュ大統領が再選されるまでは、一時的な好景気が来るかもしれない。

昨日は兵頭二十八氏の「ニッポン核武装再論」を紹介しましたが、日本は軍事面では中国と北朝鮮の脅威にさらされている。それを助けられるのはアメリカだけですよと小泉首相は言っている。しかしその中国に莫大な投資をしているのもロックフェラーだ。つまりロックフェラー正面からは中国を使って軍事的に脅しを掛け、背後からはリップルウッドを使って資本の独占を狙っている。

日本の自衛隊が石油の宝庫であるイラクへ派遣されたのも、ロックフェラーの指図に基づくものだろう。新生銀行も問題もイラクへの自衛隊派遣も元をたどれば原因はみんなアメリカの国際金融資本にたどり着く。このまま日本を小泉内閣の思いのままにしておけば、ますますリップルウッドが大暴れをして魔の手を広げてゆくだろう。御用学者や御用評論家は外資が日本経済を活性化すると白々しいことを言っているが、みんな彼らの手先だ。

だらしがないのが日本の政治家、官僚、財界人たちで、外資がやりたい放題の事をしても、おとなしい羊のように従順だ。日本国民がそれ以上におとなしいから、外資のやりたい放題でも小泉内閣の支持率は高いままだ。構造改革も不良債権処理もみんなアメリカ政府の圧力で行われている。どちらも間違っていると訴えているのですが、状況は変わりそうもない。




兵頭二十八 著 「ニッポン核武装再論」
経済大国で軍事小国という許されざる矛盾


2004年2月26日 木曜日

アメリカと中国はどちらが信じられるのか

古代法を研究し、法律の進化について考えた19世紀の学者、ヘンリー・サムナー・メインは、「生存闘争を嫌悪する大衆の傾向」のために民主主義はダメになっていくのではないかと、晩年に懸念した。過去、幾多のヨーロッパの学者が「特定の共同体(それには特定教会も含まれた)にとらわれない「正義」の体系が記述し得るのではないかと思うたびに、古いローマ法の中にヒントを求めたのである。

その何百年にわたる考究から次第に浮かび上がってきた「あるべき個人の権利」は、向然権(個人が自己の生命を保存しようとする権利など)と呼ばれる。自然権が尊重される社会は、啓蒙的社会である。そこでは個人の基本的権利は対等である。しかし、人々は啓蒙的社会を欲しつつも、他方では、権カ競争から解脱することができない。なぜなら、人問のポピュレーションは常に増え続けようとするのに、食料は人間の数ほど簡単には増産が利かないと、歴史的経験が知らせるからである。

そこで、啓蒙的社会を目指すことで合意している共同体同士の間でも、権力競争があり得る。日米関係は、この関係である。西尾幹二氏は夙に、東アジアに「幼稚なナショナリズム」があることを警告しているが、筆者は、中国人や朝鮮人の「指導的5%」が特に幼稚なのだとは思わない。彼らが隣国として危険なのは、中国文化が染み付いているからである。

彼らがその意識を支配されているところの中国文化は、人と人の対等をアプリオリには認めない。個人間だけではない。中国文化圏には、国家間の法的権利の対等という理念も生じ得ない。西欧の国民国家が古代ローマ法の中に再発見した自然法の合意が、根っから無いのである。

この中国文化圏の中にいつまでも居ては面白くないと、日本人は「脱亜入欧」を標榜する文化革命を推進し、成功した。それが明治維新である。同時にそれがまた、日本の近代の始まりであった。脱亜入欧を成功させた要因の一つに、日本の「島国性」が数えられることは確かであろう。

共同体への外からの脅威がごく短時間でやってくるような地理条件では、外夷への対策をどうすべきかについて、議会で論議している暇がない。かつて、ミラノがフィレンツェのような民主制ではなく、君主制を維持する必要があったのも、それだけ外夷に近かったが故である。また、地理的に「近間の脅威」を国境の東西南北、二方向以上に持ってしまった民族は、民主的議会制度が国策を分裂させて国力の順調な発展を妨害し、ひいては自力での安全保障が考えられなくなると いう悪循環に嵌ったためしが多い。 日本は、 英国や米国と同様、 この運命も免れた。

日米に道義的対立が生じる可能性

米国では誰でも大統領の悪口を言ってよい。米国の国策に反対を唱えても、夜中に逮捕状なしで拘引されてそのまま裁判なしに地下牢に無期収監されるような恐れもない。これは今の日本でも同じである。かつてのイラクや今の中国は、日本や米国の仲間ではない。しかし米国も権力競争の主体であり、日本政府にいろいろな要求をすることが「安全・安価・有利」な政治だと思ったなら、騙しに近いこともやる。

わきまえるべきなのは、これは、日本国民の自然権を奪ってしまおうというようなたくらみではない。これに騙されるか騙されないかは、まったく日本政府次第なのだ。そして、日本の政権は、日本の有権者が民主的選挙により選んだものである。

1970年代末から80年代前半のアメリカ政府は、北海道にソ連軍などくるわけがないから、日本は戦車など調達するのはやめ、海上自衡隊の対潜装備をもっと増やして、シーレーンを守りなさい、と要求していた。これは実は、米国がソ連とのSLBM潜水艦の展開競争で断然有利になるための手伝いをしなさい、という本音が隠されていたことは今では明らかである。

ところがレーガン政権になると、ヤルタ体制への批判が出始め、同時に「北海道侵攻はあり得る」と、発言が逆転してきた。この時点では「水面下の戦い」は米国潜水艦の圧倒完勝に形勢が定まっていて、次なる狙いとして、SDI(戦略防衛構想、別名「スターウォーズ」計画)への日本の資金協力が求められ ていたのであった。

結果論として日本の大蔵省が米国の赤字財政に異常な「奉仕」をしたおかげでソ連は崩壊させられた。だから、骨折り損のくたびれ儲けではなかったが、日本の経済はそれから相当おかしなことになった。日本が米国の政策に道義的に反対すべき局面があるとしたら、それは西洋啓蒙思想の根付く気配がほとんどないサウジアラビアやクウェートのような専制国体を、埋蔵石油のみを理由として米国が保護しようとする「反啓蒙主義」の外交に、わが国までが協カを求められたときであろう。

ベトナム戦争中、イギリスの中東撤退の真空を埋めがたいことに悩んだ米国のニクソン政権は、王制のサウジとイランを反ソの味方として「育てる」戦略を選んだのである。しかし両国に西洋文化は根付かなかった。ロシアがその国力を半滅したといえる現在、イランやペルシャ湾岸やアラビア半島にロシア軍人が出張ってきてインド洋にまで支配力を延伸するなどという事態は、もう考えられない。同じ非望をサダム・フセインが夢見たかもしれないが、彼も権力を剥奪された。

日本と米国が直接対決するイシューは、今後あるだろうか。産業の合理化が極度に進んだ結果、一握りの有能な労働者が、全国民の福祉予算をまかなえるほどの国庫歳入を可能にするという事態は、アメリカでは、もうすぐそこまで来ている。ところが問題は、そこでアメリカの金持ちの有権者が、増税に応じたがらぬ場合である。たぶん、そうなるに決まっている。やがて米国内で貧富の闘争が激化するだろう。そういうときには、えてして米国内をまとめるための「外の敵」が措定され、スケープゴートに仕立てられ易くなる。

米国の大衆の自我は、都市部の欧州人ほど近代的でない。誰か敵をつくって対決番組をプロデュースし、そのゲームに複雑な問題のすべてを集約させ置き換えないと、エリートはモチベーションを抱かず、大衆は団結できないというところがある。.日本は今から「立派な口上」で米国に負けないように、宣伝力を強化しなければ危ういだろう。しかし官僚にこのような対米宣伝能力がないことは、過去のFSX(次期支援戦闘機)騒ぎで嫌というほど証明されている。有能な宣伝政治家が、選挙で選ばれてくることを祈るしかない。

海外派兵はなぜ必要かー大国の意義について

日本は貿易を止めることのできない経済大国である。GNPに占める貿易の割合は低いという人もいるけれども、分母が世界第2のとんでもない規模であることを思い出さねばならない。また、量の多少にかかわらず住民の生存のために必須の栄養源やエネルギー源も、日本はほとんど交易を通じて安価に確保している。国内産品でのそれらの代替は、物理的または経済的に不可能だろうとも見積もられている。

そこでもし今日から、国境を超える価値の所有移動がゼロになったら、日本国民は間違いなく「自分は悲惨である」と歎ずる生活に直面する。おそらくは「安全の低下」と「自己実現の困難」も付随しよう。簡単にいうと、日本国民は不幸になってしまう。経済大国は、他国との貿易を妨げられないための武力手段を備えていなければ、自存も自衛もできない。また、自らが生かされている世界がこれ以上悪くならないように、手を貸すこともできない。

小国は自国と同等以上の武力を備える外国に、何かをさせることもできないし、何かをさせないこともできないが、大国はまったくその逆の立場にある。だから、最大の矛盾は、経済大国でありながら軍事大国にならぬ路線だといえる。その路線は、すなわち人権を軽んずる小国や、専制主義の大国をサポートして、地球上の不幸を増し、ひいては自国の繁栄も生存も危うくする道につながるので。

近代西洋の啓蒙主義的人文思想を否定する北朝鮮のような小国にとって、国際秩序や国際法とは、周囲の大国から強制されるものでしかない。大国が原爆を持ち、このような小国には持たせないように図っていく以外に、どうやって地球の安全があり得るのか?札付きの小国に原爆を持たせて・世界人民の幸福を大いに後退させる手助けを、日本の政府と国会は不作為によって進めようというのか。この西洋からの非難を、世界との貿易で生かされている近代日本人は免れない

「攘夷」止まりの目本人が理解できない「近代」

英仏が毎年のわずかな国防費の中からやりくりして海外派兵の責任を分担しているのは、核兵器を独占しているだけでは誰も「P5(国連安保理常任理事国)」の資格があるとは思ってくれないからである。P5の資格とは、自前の核抑止能カに加えて、海外派兵ができる軍事大国であることなのだ。陸上自衛隊の現在の定員は16万人。すべて本土防衡用だ。その少ない陸兵から一部を割いて海外に送り出すといっても、ごくごく限られた作戦分担しか負うことはできるはずがない。1000人やそこらの後方支援部隊の派兵で「積極」も「消極」もないのだ。

それでも、国政選挙などをきっかけとして、我が国の主だった政党の中から、かつての「ハリネズミ防衛論」、別名「ミサイル国防論」に類した路線提示が、「海外派兵反対論」のバージョンのひとつとして、リバイバルしてくる懸念が常にある。これは要するに、各種の戦術誘導武器で日本は守れると机上論で空約束し、そのためには今でも16万人しかいない陸自の兵力をさらに削減してその人件予算を回しましょうと説く書生論の訴えかけがくっついたもので、現在は民主党(菅&小沢氏が主導)が標榜している。

これが日本では大衆を誤導しやすいのは、日本人民はその特殊な水稲農業ゆえに近代兵役を厭う理由が確かにあった反面、「攘夷」のための建艦費捻出や、航空増産のための勤労奉仕は、これに理性的に納得し、尽力も惜しまなかったという伝統精神が消えていないからである。

いうまでもなく自民党の「MD」(ミサイル防衛=中国大陸から発射される核ミサイルを日本海上のイージス艦から発射する非核の対空ミサイルで撃墜できるというアメリカの説明を呑んだ奇妙きわまる国防構想)も、この下地をうまく利用して進められているもので、これに反対する政治家が育たないのは、日本人が未だに「近代」に立ち向かおうとする自我を持つに至っていない証左に他ならぬ。(P33−P39)

兵頭二十八著 ニッポン核武装再論 日本が国家としてサバイバルする唯一の道


(私のコメント)
2月18日の日記でオランダを例にあげて、いかに軍事力のない経済大国が脆いものであるかを論じましたが、日本の国防論はこのレベルに留まっており、核武装論にはまだ早すぎるようだ。私は改憲論者であり核武装論者でありますが、日本政府はなし崩し的に既成事実を作り上げて、後から追認させるという改憲手段は危険だ。

このような方法が許されるのならば、日本には国会が必要ないのではないかということになる。国会が単なる事後承認機関でしかないのなら選挙も大した意味はなく、形式的な行政委任手続きでしかなくなる。自民公明の連立政権は絶対多数をいいことに次々と法案を通していますが、選挙でそうなったのだから仕方がありませんが、憲法違反の法案を押し切ってしまうのは空恐ろしい。

憲法を単なるスローガンに骨抜きし空文化することで日本は立憲国家ではなくなった。だから国会も形だけのものであり、国会審議は単なる議員たちにとっては国民を騙す行事でしかない。戦前にしても議会は相次ぐテロで機能しなくなり、軍人達のやりたい放題が出来るようになり、国会は単なる追認機関となっていた。自衛隊のイラク派遣は関東軍の満州進出と同じであり、誰もその事を指摘しないのは、戦前の事を知る人がほとんどいないからだ。

私は反戦平和主義者ではなく自主防衛核武装論者ですが、国会が決めた憲法を政府が蹂躙していいものではない。戦前にしても統帥権を軍部が持ち出して明治憲法を蹂躙しましたが、小泉首相は憲法の前文を持ち出して九条を空文化してしまった。

2月20日の日記でも宮台真司氏の憲法論を紹介しましたが、そもそも日本がアメリカの植民地なら憲法がないのも当然であり、植民地だからこそ軍隊も存在してはいけない法律(九条)があるのも当然だ。だからこそ小泉首相は日本の国益のためではなくアメリカのために自衛隊をイラクへ派遣したのだ。

私が主張したいのは独立国家としての憲法を持ち、その憲法に基づく軍隊を持つべきだということであり、アメリカの植民地であることをあからさまに肯定するような、自衛隊のイラク派遣に反対している。おそらくアメリカはイラクの泥沼に嵌り込み、アメリカ軍は中東に釘付けとなり極東は軍事的空白となるかもしれない。

アメリカ軍は沖縄の海兵隊も韓国の陸上部隊もイラクへ回るだろう。そうなった時にその軍事的空白をどこが埋めるのか。日本しかない。朝鮮半島はもとより台湾海峡も緊張が高まっている。将来にわたって中国やロシアの圧迫をアメリカだけで食い止めることは難しいだろう。日本の政治家も国民もいい加減に目を覚ますべきだ。

現在の極東は明治維新の頃の情勢とよく似ている。アメリカもそれに気付いて当時のイギリスと同じように日本を東洋の番犬にしようとしている。朝鮮半島も台湾も結局は日本の力に頼らざるを得なくなるだろう。このままでは韓国も中国のものとなり台湾も飲み込まれる。それが日本国民にも分かり始めたからこそ日本でも改憲論議が高まっている。

兵頭二十八氏の「ニッポン核武装再論」も、日本の再軍備の一つのアイデアであり、中国やロシアに対抗するためには日本も核武装することは常識的考えだ。中国もロシアも絶えず日本に外交的圧力を掛けてくるだろう。今までならアメリカに泣き付けばよかったが、これからは日本単独で対応せざるを得ない時が来るだろう。そのためには日本の核武装が不可欠だ。

「日本核武装論」 アメリカは9・11で、日本は9・17で生まれ変わった。




日本の景気回復は輸出頼み、回復の持続性に疑問
実際に起きているのは労働者の賃金の低下である


2004年2月25日 水曜日

日本の景気回復は輸出頼み、回復の持続性に疑問=FT紙

[東京 24日 ロイター] 24日付の英フィナンシャル・タイムズ紙は、日本経済は回復したかのように見えるが景気回復の持続性には疑問がある、とする社説を掲載した。

 FT紙は、日本の2003年第4・四半期の国内総生産(GDP)は年率7%を記録し、経済が回復基調に入ったとみられているとしながらも、景気回復を支えているのは、輸出の伸びとそれに伴う投資の増加であり、輸出主導による景気回復だと指摘。そういう意味では、日本経済の構造は変化を遂げたというよりも、ほとんど変わっていないとしている。

 同紙によると、現在の景気回復局面で大きな役割をしめているのが、アジアの大国である中国。先月の日本の貿易黒字は、5070億円(47億ドル)と前年同月から5倍以上に拡大した。うち、中国向け輸出が前年同期から33.8%増加し、長い間日本にとって脅威とみられてきた中国は今や日本経済の救世主になりつつある。
 こうした輸出主導の景気回復が持続可能かどうかをめぐって、根本的に大きく異なる2つの見方がある、という。 (ロイター)
[2月24日13時11分更新]

<GDP>本当?年率7%高成長

この20年間、日本経済は年度を通じて7%という成長スピードを経験したことがない。バブル経済にわいた88年度の6.7%が最高で、実感的にはピークだった90年度も6%。2カ月前に、それを上回る活気に包まれていたと思う人は極めて少ないだろう。

 この謎について、みずほ証券の上野泰也チーフマーケットエコノミストは「実質成長率よりも、企業や家計の実感により近い名目成長率を重視すべきだ」と指摘する。本来、名目は「見かけ」で、物価上昇分を差し引いた実質が「実感」なのだが、それはインフレを前提にした話。物価や所得の下落が続くデフレ下では実質の方が“上げ底”される。10〜12月の成長率も7%でなく、名目の2.6%が実感により近いと言える。

 それでも実感に遠いと思う人も多い。債務が少ない一部企業やそこに勤めて給与が少しずつでも増えている従業員、資産の多い富裕層らは、物価下落の恩恵に浴し、実感をひそかにおう歌しているが、借金を多く抱えて返済負担に苦しみ、売上高(賃金)が落ち込む企業(個人)の感覚は「マイナス成長」だろう。(毎日新聞)
[2月19日6時43分更新]

ニュースと感想 (2月24日b) 「名目成長率と実質成長率の乖離」について。

実質成長率が7%だという統計データを見て、「景気は回復しつつある」なんて認識している人がけっこういるようなので、それが誤認だという決定的な反証を示しておく。

 そのことを示すには、過去の事実を見ればよい。名目成長率と実質成長率に乖離が見られた時期は、過去にもあった。それは 1999年から 2001年にかけての2〜3年間だ。このころ、GDPデフレータ(物価上昇率のようなもの)は、戦後最悪の水準であり、マイナス2%程度であった。ただし、名目成長率は、ゼロ近辺をうろうろしていた。若干のプラスになることもあり、若干のマイナスになることもあった。で、実質成長率は、両者の差し引きであるから、プラス2%程度をうろうろしていた。(ただ、2000年の半ばには、名目成長率はかなり高めであり、実質成長率もかなり高めであった。このことが結果的に、夏の「ゼロ金利解除」を促した。ただし、これは、別の話。)

 ともあれ、 1999年から 2001年にかけては、名目成長率はゼロ近辺であったが、物価上昇率は2%程度のマイナスであり、そのせいで、実質成長率は2%程度のプラスだった。
 では、この時期、景気は回復過程にあったのか? 物価が下落して、企業の倒産も労働者の失業も、非常に高水準であった。こういう経済状況を、「景気回復状態」と呼べるのだろうか? もちろん、否である。

 とすれば、同様のことは、今現在についても当てはまる。たとえ輸出のおかげで名目成長率がプラスであるとしても、「物価がどんどん下落して、失業率もあいかわらず高水準のままで、所得も消費も低迷している」という悲惨な状況は、決して「景気回復」とは言えないのだ。(一部の輸出企業だけは悲惨ではないが。)
 とにかく、「物価が下落すればするほど、景気は良くなっていることになる」という主張は、荒唐無稽と言うしかないのだ。

 [ 付記 ]

 このような現象(物価上昇率がマイナスで、名目成長率がプラス)の、本質は何か? 妥当なものとして考えられるのは、「労働分配率の低下」である。

 労働分配率が低下すれば、賃金水準の低下によって、「物価下落」と「労働時間増加による所得維持」が同時に可能だ。企業の業績は回復するし、生産性は向上するし、企業にとってはいいことずくめだ。ただし、その半面では、労働者が泣く。マクロ的には、所得増加がないから、消費主導による本格的景気回復が不可能となる


 これが本質だ。だから、日本経済は、正しい道を歩んでいるのではなく、間違った道を歩んでいるのである。正しくは、「企業利益を正しく労働者に配分して、消費主導の景気回復の道を取ること」である。この場合は、内需拡大にともない、物価が上昇し、賃金も上昇し、金利もゼロを上回り、微弱なインフレとなる。つまり、デフレを脱出して、正常な経済となる。
 現実には、そうなってはいない。「物価上昇率がマイナスであることを喜ぶ」という倒錯的な状況である。


(私のコメント)
新聞記事などをよく読めば年率GDP7%の高成長とと言う記事の中身で、名目は年率2,6%であることは触れていますが、デフレ経済でGDPを実質で言うことはほとんど無意味だ。それは名目GDPの伸びが0%で、デフレーターが10%だったら10%の高度成長と言えるだろうか。そもそも政府の官庁がどのようにGDPを計算しているのか、非常に怪しい。

例えばマンションや住宅販売もGDPに含まれているはずですが、土地の値段が五分の一から十分の一に落ち込んだことにより、かつての億ションは半分以下の値段で売られている。販売戸数がさほど増えていないから金額はかなり落ち込んでいるはずだがGDPには反映されていない。生産工場はどんどん海外へ移転しているのもGDPに反映していない。

だから本当にGDPが500兆円もあるのか不思議でならないのですが、官庁がどのように計算しているのか内訳はまるで分からない。GDPの計算根拠なり内訳を官庁はなぜ発表しないのか。これだけ日本経済の不振が続き物価の下落が起きていればGDPが500兆円のままというのはおかしい。副島隆彦氏が「堕ちよ日本経済」と言う本の中で次のように書いている。

正しい日本のGDPはいくらなのか?

再度繰り返すが、この表からわかるとおり、現在、アメリヵのGDPは、八・二兆ドルである。アメリカ合衆国が世界GDPの二七%の比率(シェア)を持つ。それに対して、日本のGDPは、現在三・八兆ドルである。これを、一ドル=一〇七円で計算すると、ちようど四〇〇兆円になる。日本のGDPは、いまや四〇〇兆円しかないのである。私たちは、この冷酷な事実を直視すべきである。

これが、四年前の一九九六年では、アメリカは七・一兆ドルで、世界GDPの二六%だった。このとき日本は、四・九七兆ドル(五〇〇兆円)で、実に、世界GDPの一八%だった。いま(一九九九年度)は、三・八兆ドルで、たった四年間で、なんと四〇〇兆円で一二・七%にまで落ちている。わずかこの四年で何が起こったのか。

私の概算では、ここ三年間、毎年三〇兆円ずっの赤字国債を発行し続げたのだから、「三〇兆円X三」の三年分で、約一〇〇兆円が財政赤字として増えている。だから、日本のGDPは、九七年まで、五〇〇兆円だったのが、いまは、四〇〇兆円(三・八兆ドル)にまで大幅に減少したのだとでも考えたげれぱ、っじっまが合わない。

ところが、管轄(掌)庁である経済企画庁による統計数字の発表を見ると、日本のGDPは、二〇〇〇年の今でも相変わらず五〇〇兆円のままである。より正確には、四九〇兆円と、わずか一〇兆円減っただげである。

経企庁は、ヨーロッバが中心の国際金融機関である0ECD(経済協力開発機構)に、日本の金融統計数値を報告する義務を負っている。経企庁が日本の金融統計を握っている役所である。もっとうがった見方をすれぱ、0ECDの目本支杜が、経企庁なのだ。経企庁は、IMF(アメリカ中心)の統計数字よりも、OECDに忠誠を誓っている。

しかし、別の統計では、これが四五〇兆円に減っている。本当の日本のGDPは、一 体、いくらなのか。真実はさらに下落している。私の実感では、この四年間で、GDPは四〇〇兆円にまで落ちているはずである。目本のGDP(国内総生産)は、確実に落ちつづけているのである。OECDの発表している数字からは、日本のGDPは三・八兆ドルである。こっちが真実だ。三・八兆ドルは、今の為替相場の一ドル=一〇七円で換算すれぱ、まさしく四〇〇兆円である。(P61−P63)


このように専門家でも分からない数字を根拠にゼロコンマ以下の数字に一喜一憂しているが、分母が20%も狂っているのにどうしてこれが問題にならないのだろう。500兆円が400兆円にも落ち込んでいるとすれば大変なデフレ経済に日本が落ち込んでいることになるが、日本の官庁は大本営発表を続けているのだ。

これぐらいGDPが落ち込んでいれば企業も給与を引き下げ、従業員のリストラもしなければとてもやっていけないことが分かる。税収もピーク時の60兆円から現在は40兆円に落ちている。GDPが500兆円のままならばこんなに税収が落ち込むことは少しおかしい。やはりGDPの数字は大本営発表だ。

だから実質7%の経済成長も大本営発表であり、名目GDPも国民の給与水準も落ち続けているのかもしれない。私自身だってバブルの崩壊で多くの資産を処分して収入源も大幅に減ってしまった。それに対して景気の良いのは一時のIT産業であり、自動車のような輸出産業の一部に過ぎない。

だからデフレ経済の時に実質何%という数字自体無意味だし、デフレの時は名目で見ないと経済の実態を反映しない。ところがテレビのニュースでは7%成長の数字だけが叫ばれている。確かにデジタル家電はヒット商品が出て景気がいいはずなのに、秋葉原の電気街は閉店が相次いでいる。どうも実感と数字とが合わないのはなぜなのだろう。




大東亜戦争敗北の反省点 日本のエリート官僚は
なぜ大所高所の国家戦略が立てられないのか。


2004年2月24日 火曜日

第七話 ガダルカナル戦

どうして日本軍が補給に無関心だったのか?結局、日本本土付近での短期決戦のみを戦略の前提にしていたので、敵の補給をどうするかなんて、考えるだけ無駄だと思っていたのです。

 なにもかも、大所高所に立って国家戦略を考える人材がいなかった事が原因なのです!


 悲劇を更に拡大したのは、陸軍省の不見識でした。前線の兵士たちが、武器弾薬の枯渇や食糧不足を訴えても、東京に座すキャリアどもは、「根性が足りん」「敵の食糧を奪えばいいじゃん」などと、訳のわからぬことをほざいて、有効な対策を立てようとはしなかったのです。

 現場を知らぬキャリアがもたらす悲劇。この傾向は、ますます拡大していくのでした。

 さて、ガ島の戦局も終盤に向かったところで、少し欧米のエリートと日本のエリートの違いについて考察して見たいと思います。というのは、あの戦いの勝敗を決したのは、戦争指導者の資質によるものだと考えるからです。

 まず、勝海舟の『氷川清話』を見てみましょう。


 老中「そちは、一種の眼光をそなえた人物であるから、定めて異国へ渡ってから、何か目をつけたことがあろう。詳しく言上せよ」
 勝「アメリカでは、政府でも民間でも、およそ人の上に立つ者は、皆その地位相応に利口でございます。この点ばかりは、全く我が国と反対のように思いまする」

 勝のこの言葉は、現在の日本に当てはめても十分に成立すると思います。

日米のこの差はどこから来るかといえば、エリートというものに対する考え方の相違なのでしょう。

日本におけるエリートは、「社会的な権威のある人」です。家柄や財産、受験の成績や卒業した大学といった形式基準にクリアした人が、エリートと見なされるのです。つまり、その人の人生経験や能力といった実質的な部分は、あまり重視されないのです

これに対してアメリカでは、形式よりも実質を重んじます。その人が、どのような人生経験をしてきたのか、どれくらい広い見識を持っているのか、どのような考え方をするのかを重視するのです。

 私自身も、外国人と接して、いろいろと考えさせられる事がありました。私は、前の会社にいたとき、5年間連続で、「社内英会話教室」に通っていました。ちゃんと、外人講師が来てくれる奴です。私はこういう性格なので、教室だけで付き合いが終るのが我慢できず、講師と積極的に仲良くなって、授業の後で一緒に飲みに行ったりしたのです。そこでプライベートな話をしていると、外国人と日本人の考え方の違いが良く分かりました。

まず、私の能力は「公認会計士」という肩書きだけでは評価されません。例えば、私が同じ会社に5年もいると知ると、講師(アメリカ人)は「君は体が悪いのか?」と聞いてくるのです。どういう意味かというと、アメリカのエリートは、若いうちに色々な職種を転々とし、経験と見識の幅を広げるものなのだそうです。エリートのくせにそういう努力をしない者は、「怠け者」か「身体障害者」のレッテルを貼られるのです。つまり、人間の能力を評価する上で、肩書きよりも経験を重視する伝統があるということです。私は、「怠け者」だと思われたのです。

また、別の講師(オーストラリア人)とは、こんな会話をしました。
 私 「オーストラリアって、どんな所ですか?」
 講師「日本と全く同じさ」
 私 「そんなことは無いでしょう」
 講師「いや、同じだ。人間よりも羊が多い」
 私 「え?」
 講師「日本人なんて、ほとんどが羊と同じじゃないか。メエメエ鳴いているだけで、自分の考えを持っていないから


私は、カチンと来たので、激しく反論したのですが、内心では彼の言うことももっともだと思っていました。さて、議論をふっかけられた講師は、気を悪くするどころか大いに喜び、前よりも私に心を開いてくれました。欧米の文化圏では、自分の考えをしっかり持ち、それを表現できる者でないと評価されないし、下手をすると人間扱いすらされないのです。私は、ディベートの能力を評価されて、ようやく人間と認められたのでした。


 このように、アメリカのエリートは、人生経験の豊富さと能力を基準に評価されます。ビル・クリントンが、大多数のアメリカ国民からBランクと思われていた理由は、おそらく彼がベトナム戦争を徴兵忌避した事にあるのでしょう。戦争がどうのこうのと言うよりは、若い頃に貴重な経験を積むチャンスをフイにした点が問題視されたのだと思います。

アメリカの大統領の中には、太平洋で日本軍と戦った人もいます。JFKは、魚雷艇の艇長として、ソロモン海で日本海軍と戦いました。彼の船は、日本駆逐艦「天霧」の体当たりを受けて沈没するのですが、JFKは、卓抜した判断力で、生き残りの乗員を全て生還させたのです。また、ジョージ・ブッシュ(もちろんパパの方)は、爆撃機のパイロットとして小笠原諸島で戦い、日本の高射砲によって撃墜されましたが、味方の潜水艦によって救出されたのでした。彼らのこのような経験が、大統領選で好影響を与えたことは間違いないでしょうね。

さて、我が日本はどうか?エリートの基準は、江戸時代までは門閥家柄でしたが、明治時代以降は、受験勉強の成績になりました。そして、この傾向は現代でも変わっていません。ここで注意すべきは、日本における受験勉強というのは、その人に能力を与えることを目的にしているのではないという点です。あくまでも、「権威」を与えるためのツールなのです。

だから、難解だけど実社会で役に立たない事が出題されるのです。例えば、大学の入試試験で、古文や漢文の文法を覚えたところで、学生生活や社会で何の役にも立たないでしょう?これが、日本の受験教育の本質なのです。そして、日本のエリートの多くは、この異常な本質に気付かずに、自分が偉いものだと思い込んでしまうのです。

しかし、言うまでもないですが、受験勉強の能力は人間の能力を表彰しないのです。私は、仕事柄、キャリアや東大卒と接する機会が多かったのですが、頭の良い人もいれば、どうしようもないバカもいましたね。どういう具合にバカかというと、要するに世間並みの一般常識が無いのです。人生の中で、受験勉強しかしたことが無いので、それ以外の能力が中学生レベルという人が少なからず実在するのです。こういう人は、想像力も状況判断力も応用力もありません。だけど、こういう人たちが、日本を実質的に支配していたりするのだから恐ろしい・・・。


太平洋戦争当時の日本のエリートも、これと同じ事でした。キャリア軍人は、士官学校での試験の成績と年功序列だけで昇進できる仕組みになっていましたから、教科書に書かれていることには詳しいのですが、具体的な実務の事を何も知らなかったのです。教科書に書いてあるとおりの事をすれば、戦争に勝てると思い込んでいたのです

当時の士官学校の教科書では、何を教えていたのか?実は、「日露戦争」の戦術を教えていたのです。


「日露戦争」では、補給線の遮断があまり問題になりませんでした。実際には、日露両軍は、相手の補給を断とうとして奮闘したのですが、どちらも成功しなかったので戦訓から忘れ去られてしまったのです。海軍のキャリアが、敵の補給に無関心だったのは、「教科書に書いてなかった」というのが主な理由だったのでしょう。

歴史ぱびりおん 概説 太平洋戦争


(私のコメント)
私が小さい頃から疑問に思っていたのは、なぜ日本はアメリカと戦争をしたのだろうか?ということだった。陸軍は専ら中国との戦争に明け暮れてアメリカと戦争をするなどと考えるゆとりは無かった。中国とは泥沼に陥って百万近い軍隊が釘付けになり、国際舞台からは袋叩きにされ孤立状態に陥っていた。

当時の日本にとっては戦争が一種の公共事業だったから、今日の公共事業が止められないがごとく陸軍も面目上止められなかった。その時点で当時の陸軍にものを言える政治家はおらず、結局は東条英機を首相にして止めさせようとしたが無駄だった。そこでアメリカがハルノートで中国から引き上げろと言われて、バカ陸軍は切れてしまったということだろう。

当時も今も日本のエリート官僚は自分の過ちを認めたがらない。過ちであると気付いても、それを誤魔化すために問題を先送りしたり、より大きな深みにはまり傷口を大きくしていった。当時も今も政治家に力なく、エリート官僚が権力の実権を握っており、日本の金融破綻はより大きくなっていった。政治家に力がありエリート官僚の誤りを正すことが出来たら、二つの日本の危機は避けることが出来たはずです。

しかしいくら政治家に強大な権力を与えたとしてもそれは機能しないだろう。日本になぜ独裁者が出ないのかという疑問にも共通するのですが、原因は救いようのないバカもいない代わりに超人的天才も出ない国民性があります。だから目標がはっきりした課題には対応が出来ても、何が問題の原因か分からないといった事には日本の知的エリートは対応できないのです。

私は「失われた10年」とか「第二の敗戦」と言われる日本の閉塞感をなんとか打開するために「株式日記」を書いているのですが、何が日本の停滞の原因であり、どうしたらその問題を解決できるかいろいろ書いてきた。私がこのようなことが出来るようになったのもインターネットのお陰ですが、一般市民レベルで情報交換出来る事により、草の根シンクタンクが出来るようになって来た。

日本のシンクタンクといわれる中央官庁の機能低下はひどいものだ。いわゆるキャリア官僚はほんとに知的エリートなのだろうか。大学の教授達も現実の経済問題や政治問題に適切な問題提起や政策提言が出来ないでいる。それは本屋へ行って見れば分かる。有名な評論家や学者の本が出ているがろくなものがない。翻訳されて海外で評価されるような本が日本にはないのだ。ノーベル経済学賞をとるような学者は日本から出ないだろう。

日本が第三の敗戦を迎えないためには世界的視野に立った戦略が必要です。しかし日本人はオーストラリア人が指摘したごとく自分の考えを持たないメエメエ鳴くおとなしい羊ばかりだ。自分で考えないから余計に学歴信仰になってゆく。学歴が一種の宗教になり東大法学部教が信者を集めている。しかし中味は何もない。ではどうしたら日本の戦略を作ることが出来るようになるのだろうか。以下のサイトを紹介します。

大学にシンクタンク機能を 山内直人教授

かつて、霞が関の中央官庁は日本最大のシンクタンクといわれた。実際、重要な政策やそれを実行するための予算・法律は、国会ではなく、官僚によって作られてきた。

 国会議員が政策を作らないのなら、政策秘書の制度を持て余したとしても不思議はない。官の地盤沈下が言われて久しいが、これに代わる有力なシンクタンクはまだ現れていない。

 アメリカには「政策産業」があるといわれる。ワシントンには、ブルッキングス研究所、アーバン・インスティテュートなどの大手シンクタンクが軒を連ね、それぞれ数百人規模の政策研究者を抱えている。彼らは、政党や行政機関から政策研究を受託したり、財団の助成により自主研究を行ったりしている。

 日本にもシンクタンクが存在しないわけではないが、企業や行政が設立したいわゆる「総研」の類が多く、独立系のものはほとんどない。行政は、委託調査の形で結論の半ば決まったような調査報告書を総研に書かせて、政策評価の客観性を装うという慣行が今でも続いている。

 もし、実力のある独立シンクタンクが日本の政策を客観的な目で評価していれば、これほど巨額の財政赤字をたれ流し、日本国債の格付けがボツワナ以下になることもなかったかもしれない。もっとも、独立シンクタンクを育てるには莫大な費用と長い時間が必要で、昨今の経済情勢をみるとそう簡単なことではない。

 そこで現実的な選択肢として提案したいのは、既存の有力大学にシンクタンク機能を持たせることである。これまで、大学教授が審議会の委員などの立場で個人的に政策形成にかかわることは多かったが、大学が組織として政策研究に取り組むことはあまりなかった。

 また、政策研究の担い手を育成することも大学に期待される重要な役割である。最近では、日本でも政策系学部を持つ大学が増えているが、政策研究のプロの育成には、大学院レベルの教育プログラムを充実させる必要がある。

 かつては、「よらしむべし、知らしむべからず」のことば通り、官僚が政策評価に必要な情報を独占していたために、官の外で、説得的な政策研究を行うことは困難であった。

 しかし、二つの点で事態は変わりつつある。一つはインターネットの急速な発達であり、もう一つは情報公開法の施行である。これらによって、官と民との情報格差は大きく縮小することが期待されている。

 納税者であれば、誰しも巨費を投じた景気対策の効果があったかどうかを知りたいし、ゆとり教育が日本の国際競争力をどう変えるかも知りたいだろう。

 今こそ、大学を核とした政策産業を興し、こうした市民の問いに科学的な回答を与えるべきだと思う。



(私のコメント)
大学が一つのシンクタンクの役割を果たすというのもアイデアですが、大学教授やスタッフは世間知らずになりやすく秀才バカの集まりになっている。工学系の大学は良くても人文系の大学は腐りきっている。研究論文をろくに書かずとも教授でいられるし、最近は役人達の天下り先になっている。

若い生徒達を教えていく分には、単なる秀才でもいいのでしょうが、海外の天才的戦略家に対抗できるような人材は現在の大学からは出るはずがない。年功序列が幅を利かして学歴社会だからだ。しばらくはボランティア的に民間から研究者を育成するしかないのだろう。先日の日曜日に岡崎氏と寺島氏が対談していましたが、岡崎氏が日米同盟しかないと繰り返して言っていましたが、残念ながらこれが日本の戦略家のレベルなのだ。




外資丸儲けのカラクリ 新生銀株の上場益約1兆円
個人零細企業から税を搾り取り、外資には寛大な政府


2004年2月23日 月曜日

新生銀行(旧日本長期信用銀行)の株式が十九日、上場されました。世界中で投機的取引に手を染める米投資組合リップルウッドは、保有株の含み益も考えると投資額の八倍にもなる約一兆円もの上場益が出る計算です。しかも、その譲渡益には日本の課税権が及びません。そのからくりは…。(北條伸矢記者)

米リップルは、旧長銀の買収・増資に際し、オランダ籍の投資組合ニューLTCBパートナーズ(NLP)を設立しました。参加者の出資比率さえ公表されておらず、書類上だけの実体のない組織とみられています。

税逃れの秘密を解くカギは、NLPの国籍に隠されています。

 なぜオランダなのか。日本・オランダ租税条約は、条文に特記されていない収益に対する課税権が源泉地国(今回の事例では日本)ではなく居住地国(同オランダ)にあると定めています。株式の譲渡益は「その他」に分類され、オランダに課税権があります。

 オランダの国内法は自国籍の法人が外国で得た投資収益を非課税と規定。リップルは、日本からもオランダからも課税されません。

 リップルのような投資組合は「ヘッジファンド」の名で知られています。私募(非公募)の形式をとる組織で、各国の金融監督当局の規制外に置かれています。多国籍大金融機関の資金提供も受け、世界中で投機的な株・外国為替取引などに従事。最近は、リスクが高くても利ざやの稼げる破たん企業の買収などにも食指を伸ばしています。

 一九八〇年代から弁護士や専門家も動員し、各国の条約や法制度を研究して税逃れの“抜け穴”探しに躍起になってきました。

それでは、現行の日米、日蘭の二国間条約や国内法の枠組みで、日本がリップルに課税するのは不可能なのでしょうか。

 谷垣禎一財務相は十六日の衆院予算委員会で、日本共産党の塩川鉄也議員の質問に対して「一般論としては…わが国においては課税されない」と答弁しました。

 一方、日本の課税権行使の可能性を否定しない見解もあります。

 二〇〇二年十月十五日の第二回国税審査分科会で発言した国税庁の東正和調査査察部長(当時)は「介在するペーパーカンパニーではなく、A国(外国)の投資家が実質的な所得者であると認定」して二国間の租税条約に準拠したり、日本の営業者が実際上は「A国」の海外投資家の設けている恒久的施設または代理人だと認定できれば、課税権行使の可能性もあると述べています。

 昨年、米シティグループ傘下の消費者金融の旧ディックファイナンス(現CFJ)が日本で得た利益をオランダの関連会社に移して課税を免れようとし、約五百億円の申告漏れを指摘され、追加徴税された事件もありました。

 今国会に提出予定の改定日米租税条約では、破たんして公的資金が投入された金融機関の株式を外国籍の法人・個人が取得し、五年以内にその株式を売って得た譲渡益に対しては、日本でも課税できる条項が加わりました。

 谷垣財務相は改定の理由として「国民の健全な意見が背後にあった」ことを認めています。

 ところが、新条約には「条約発効前に取得した場合…には、適用しない」(第一三条3b)との例外規定があります。竹中平蔵金融相は適用除外になる案件に関して「旧長銀、旧日債銀が相当する」と説明。つまりリップルには課税できなくなるのです。

 谷垣財務相は「予期せざる不利益をかけるわけにはいかない」とリップル側の利害を代弁しましたが、八兆円の税金を投入し、四兆円以上の損失をこうむった日本国民の「不利益」はどう説明するつもりなのでしょうか。

衆院予算委で谷垣財務相は「条約関係のもとで日本では課税権がないことを承知していた」と述べ、旧長銀の売却時点ですでにリップルの将来の収益に課税できないことを知りながら、放置してきたことを認めました。まさに、外資に身を売ったといわざるをえません。

 塩川氏は、今年四月から導入される消費税の免税点引き下げで、中小企業に四千億円もの負担増がのしかかることを指摘。「百四十万事業所から数千億円集めるより、リップルにきちんと課税するほうがどれほど中小企業と日本経済のためになるか」と政府の姿勢をただしました


 「国民の税金が元手になって獲得した利益に日本側で課税するのは当然だ」(塩川氏)。これは、国民大多数の声です

外資丸儲けのカラクリ 2004年2月20日(金)「しんぶん赤旗」


「一時国有化」を強行した「戦犯」たちを吊るし上げろ。2004/2/22

98年に「一時国有化」された新生銀行(旧長銀)が再上場された。
ここに到るまでに、公的資金8兆円が投入されたという。
うち、約4兆円の損失が確定、残りは買い取った不良債権の回収次第というが、
あまり多くの回収は見込めないだろう。
それに対し、旧長銀の買収に1200億円を投資した外資ファンドは
上場によって現状の含み益をふくめ1兆円近い利益をあげたことになる。

一方、貸出先を倒産させればその貸し倒れ損失が公的資金で補填されるという
「瑕疵担保条項」をあてにして安易に倒産に追い込まれた企業は相当数にのぼり、
それもあって、98年当時16兆円あった旧長銀の資金量は6兆円まで落ち込み、
マクロ的な信用収縮にも大きな悪影響を及ぼすこととなった。
いずれも大きなデフレ要因として作用したことになる。

もはや、政策の失敗は明らかだ。
当時の大蔵省が主張したように、政府が長銀に優先株の形で
いくらかの資本を貸してやって他行と合併させて、
その上で、それによって得た優先株式を数年後に市場で売却するか、
もしくは直接返済してもらえばよかったのである。
別に税金なんて1円たりとも使う必要はなかったのだ。

しかも、その方法ならば瑕疵担保条項など当然必要ないため、
銀行にとって企業を潰すよりも、むしろ支えるインセンティブが働くことになり、
多くの企業が安易に倒産に追い込まれることもなかっただろう。
当然、税金で不良債権を買い取ってやる必要もなかったし、
デフレに大きく寄与することもなかったことになる。

「一時国有化」などという究極の愚策の失敗が
これほどまでにあからさまに提示されているにも関わらず、
当時、「反大蔵省」のポーズのためだけに、
何の考えもなく、このような愚策を声高に叫んだ
低劣なマスコミや政治家連中はなんの反省も示していない。

それどころか、一部マスコミは自らも戦犯の一翼を担っているために、
この失政から目をそらさせるための問題のすりかえに必死である。
特に目立つのが外資のリップルウッドが儲けたことや、
売却の際の瑕疵担保条項をことさらに強調して
国民の怒りを外資ファンドや新生銀行に向けさせようという手法だ。

しかし、瑕疵担保条項はあとさき考えない一時国有化の結果、
そうでもしないと買い手が付かなくなったためやむを得ずの措置である。
また、外資しか入札できなかったのは、国内勢は政治にもみくちゃにされて
契約後におかしな因縁をつけられるのを恐れたからであり、
「さすがに外国企業に無茶を言ったら国際問題になる」と読んだ外資しか
手が上げられなかったということだ。それでも彼らはリスクを取ったのだ。
その結果外資が儲けたことにとやかく言える筋合いがあるはずもない。

問題の根源は一時国有化などという究極の愚策にこそあり、
後はそこから派生した結果にすぎない。
であれば、その愚策を主導した連中こそ徹底的に吊るし上げなければならない。
具体的には多くのマスコミ、菅をはじめ民主党の連中、
民主党案の採用を強行に主張した自民党の石原、塩崎らのカルト代議士である。
いまこそ、彼らのデタラメを徹底的に叩くべきである。

97年以降猛威を振るっている「銀行を潰せばいい」「企業を潰せばいい」というような、
狂った思想の行き詰まりは今や明白になってきている。
デフレが急速に拡大したのもそれ以降だし、
銀行貸し出しが減少に転じたのもそれ以降だ。
さらに言えば自殺者数が2万人前後から3万人前後に跳ね上がったのもそれ以降だ。
破壊の果てには何もないことをいい加減に理解すべきである。


一方、そういう連中はなぜか同時に、
政府が経済より直接的に介入するといいことがあると信じているようだ。
しかし、それも全くの幻想であることも長銀の失敗から学習すべきだ。
いまだにカネボウを国家管理しようなどという狂った発想が
どこから出てくるのが私にはまったくわからない。
こういうデタラメな連中を淘汰することこそが、真の「官から民へ」の道であり、
真の「構造改革」であるという思いを強く感じている。


「明日への道標」ーみんなが幸せになるために


(私のコメント)
先月の1月30日の日記で改正消費税法について書きましたが、消費税の免税点が3000万円から1000万円に引き下げられることを指摘しました。この事が一般国民に何を意味するかが解説されていません。対象業者は140万件ほどですが、それ以外のほとんどの国民が実質的な消費税の増加に繋がることをテレビはほとんど報道しません。年金についてはしつこいほど報道していますが、改正消費税のほうが影響は大きい。

例えばマンションに賃貸や自宅で住んでいる場合、管理費や家賃に5%上乗せされることが多くなります。毎月の家賃収入が80万円以上や管理費が80万円以上になる管理組合のマンションは消費税の対象になることで5%上乗せされる。10万円の家賃の小さなマンションは5000円値上げされるはずだ。もちろん今まで非課税だった店で飲み食いや物を買っても5%が加算されるから、全て合計すれば数千円の出費増になるだろう。

このように日本の国税当局は個人や零細企業から搾り取るように課税を掛けてくるのに、今回の新生銀行の株式上場で約1兆円の上場益が出ますが、儲けた外資は税金は課税されないことになっています。しかしこの事実を報道するテレビはほとんどありません。私はテレビを見ていましたが、二人のゲストコメンテーターが10分ほど問題点を指摘していましたが、外資に税金がかからないことに対しては触れていませんでした。

新聞などには記事の中ではそれとなく触れていますが、大きな見出しになることはなかった。もしこれが日本企業だったら約1兆円もの脱税を見逃すだろうか。日本のマスコミは外資というだけで及び腰になり口を噤んでしまうのだ。批判をすれば小泉・竹中内閣を批判することになり、政府を批判することになる。政府を批判することがマスコミの役割なのに、今では政府の政策の旗振り役でしかない。ハゲタカ外資がどのようにして税金を払わずにぼろ儲けをしているかポスト誌は次のように書いている。

(5) ハゲタカの手口「つぶして転売 週刊ポスト

小泉首相のペイオフ見直しの指示を受けた金融庁は、早速、企業の当座預金を今後も全額保護する方針を決めて預金保護法改正の準備に取りかかっている。
 それと同時に金融庁が進めているのが、地方銀行や信金・信組など中小金融機関の合併や統合の際、税金投入を可能にする仕組みだ。つまり、ペイオフ破綻する前に税金で救済して他の銀行に合併させるか、外資に売却してしまおうという作戦なのである。

 中小金融機関が淘汰されることで一番儲かるのは、いうまでもなく、税金投入という“持参金”付きで買収できる外資に他ならない。
 前出のゴールドマン・サックス証券以外にも、米国のモルガン・スタンレー証券が日本の不良債権処理で得た利益を海外に隠していたことで東京国税局に摘発されている。
転売の手口もえげつない。

 例えば、不良債権の象徴のようにいわれたゴルフ場の場合、外資の手にかかると莫大な利益を生む“夢の投資”となる。幹部が解説する。
「赤字ゴルフ場を二束三文で買収すると、すぐに倒産させる。そうして会員権を紙くずにしたうえで、クラブハウスなどに入っているテナントや社員をすべて追い出す。できるだけカネをかけずにリフォームした上で『新規オープン』と銘打って新たに会員権を販売してごっそりと資金を集める」


 外資系金融機関の中には、そうした短期で儲ける不良債権ビジネスを順調に進めるため、日本の金融機関が隠している不良債権を調べ上げて金融庁に“密告”し、金融庁が調査に入って処理を勧告するところを見計らって、
「うちが買収しましょう」
 と持ちかける手口で知られるハゲタカファンドもあるほどだ。外資はそうして得た利益の税金も払わず、外国に持ち出しているのだから、この国は完全に食いものにされているといっていい。

 立教大学経済学部の山口義行教授は、小泉政権の金融政策を鋭くこう批判する。
「金融庁は外資の手を借りて不良債権処理を進めようとしているが、そもそも外資には日本を再生させようという考えはない。再生可能な企業まで外資の商法に巻き込まれて破綻してしまう。小泉改革とは、金融再生の役に立たないどころか、日本経済を根底から破壊してしまうものだ」

 小泉首相は場当たり的な金融政策を打ち出すことしかできず、財務省や金融庁の役人は天下りとひきかえに日本の銀行や企業を売り渡す。
 それでは国民の金融資産1400兆円がいずれハゲタカに食いつぶされるのは時間の問題ではないか。


あるゴルフ場会社の風景

              / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
            | お客様は神様です
  モナー観光 .. レ―――――――
       ∩_∩  ∧_∧     / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       (・∀・ ) (´∀` )  < てか、仏様にするモナ
 ____( <∨> .)( <∨>_.)___   \_____
         /_____/
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   MONA TOURIST
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(私のコメント)
このように日本では経済破綻して自殺して仏様になった人が毎年3万人以上いる。私は竹中大臣が平成のポルポトと書いたサイトを紹介しましたが、失われた10年の犠牲者の数を合計すれば数十万人になり、決して誇張した言葉ではない。ところが日本のテレビ局は小泉内閣の構造改革を賛美して報道している。そして小泉内閣に批判的な報道はされなかった結果、自衛隊のイラク派遣がかかった選挙も小泉自民党は勝利した。つまり日本報道機関は戦前のような軍国日本の復活に貢献して、戦前の過ちを再び繰り返そうとしているのだ。




ロシア、新たな弾道ミサイル技術を開発。21世紀
ロシア=ソ連は全ユーラシアへ大侵略を開始する


2004年2月22日 日曜日

ソ連崩壊後最大の演習開始 核戦争想定しロシア軍

【モスクワ16日共同】インタファクス通信によると、ロシア連邦軍は16日までに、1991年のソ連崩壊後では最大規模の軍事演習をロシア全土で開始した。
 バルエフスキー第1参謀次長は演習の目的の1つとして戦略核兵器の能力の点検を挙げ、演習が核戦争を想定したものであることを示唆した。
 ロシアでは3月に大統領選を控えている。演習は、弱体化した軍の再興を示すことで、約99万人の軍人やその家族を中心とする有権者の間で、プーチン政権への支持を一層強めるのが狙いとの見方が強い。
 演習への動員兵力は不明だが、国防省当局者は「陸、海、空のロシアすべての核戦力が動員される」と述べ、主力戦略兵器を総動員した大規模なものになることを明らかにした。
 演習では、バレンツ海の原子力潜水艦からの大陸間弾道ミサイル発射訓練や、主力戦略爆撃機Tu160からの巡航ミサイル発射訓練などを実施する。
 インタファクス通信によると、北部のプレセツク基地からは軍事衛星が打ち上げられる。
 演習は10日から本格化し、今週、最大のヤマ場を迎える予定だが、その終了時期は不明。(共同通信)
[2月16日20時26分更新]

ロシア、新たな弾道ミサイル技術を開発

[モスクワ 19日 ロイター] ロシアのバルエフスキー第1参謀次長は、同国があらゆる防衛システムをあざむくことのできる弾道ミサイル技術を開発した、と表明した。500億ドルを投じた米国のミサイル防衛システムに対する明らかな挑戦とも受けとめられるという。
 前日には、プーチン大統領が、米国に匹敵する次世代の長距離兵器を軍に導入する、と述べている。
 同次長は、ロシアは18日に行った大規模軍事演習で、飛行しながら防衛システムをあざむく機能をもったミサイル・システムの発射実験を行った、と述べた。
 同次長は記者会見で、「昨日の試験で、ロシア戦略軍(の攻撃)に対し、あらゆる防衛システムを機能不全にする兵器が開発できることを確認した」と語った。(ロイター)
[2月20日15時43分更新]

二一世紀ロシア=ソ連は全ユーラシアへ大侵略を開始する

ソ連共産党が大謀略を開始した理由

 ソ連の中距離核ミサイルは米国には届かないが、西ヨーロッパに配備される米国の中距離核ミサイルはソ連の中枢部(ソ連の欧州部)に到達する。このような「地理の非対称」が米国とソ連の間にはあるのである。だから、もしも米国をリ−ダ−とする西側が欧州で戦域核戦争を起こせば、核戦力も通常戦力も圧倒的に優位のソ連が西ヨーロッパを制圧することにはなるが、ソ連の政治・軍事中枢は米国の中距離核ミサイルで壊滅してしまっている。つまりこの戦域核戦争後のソ連は、もはや核超大国ではなくなってしまっているのである。一方、米国本土は無傷で残っているのである。だから、アメリカが全面核戦争(=戦略核を使用する)の恫喝をすれば、ソ連にはもはや屈服するしか道はないのである。これらは、中川八洋教授が主張していることである(『蘇えるロシア帝国』一二三頁以下、『大侵略』六八頁以下参照)。

 なお、八三、八四年当時、アンドロポフソ連共産党書記長は、「戦域核戦争は、必ず全面核戦争にエスカレートするぞ」と何度も宣言していたが、これははったりでしかない。全面核戦争にエスカレートさせるということは、米ソ共倒れになるということであり、ソ連の消滅である。しかしソ連の目標は世界制覇であるから、自らが滅んでしまう戦争は絶対にできないのである。だからもしも西側が、欧州で戦域核戦争を仕掛けたとすれば、ソ連は、全面核戦争にエスカレートさせずに、欧州のみに限定する戦域核戦争を戦うしかない。そして前述の如く、ソ連には敗北しかなくなるのである(『蘇えるロシア帝国』一二九頁参照)。

 レーガン大統領の「ソ連=悪の帝国」発言と、グレナダ共産政権つぶしの軍事行動、そして八三年からのINF(中距離核戦力)の西ヨーロッパ配備開始によって、ソ連共産党のエリートは、レーガンは本気でソ連をつぶすために西側を総動員して戦域核戦争を仕掛けてくるかもしれないと考えて、恐怖に陥り、臨戦態勢をとったのである。

 もちろんレーガン政権は、戦域核戦争を自ら仕掛けるつもりでINFを配備していったのではない。このINF配備は、ソ連のINFにバランスさせるためにしたにすぎなかった。だが、世界征服のためならば「味方」さえも犠牲(東欧解放の演出で東欧の共産党を犠牲にした)にするメンタリティーのソ連共産党は、自らの姿によって相手を判断することによって、米国もそうだろうと考えた。だから恐怖のためにパニックに陥っていったのである。

 西欧配備の米国のINFとは、ソ連が西欧へ侵略を仕掛けたとすれば、米国と西欧(NATO)は欧州戦域核戦争で対抗できるようになるということを意味する。戦域核戦争になれば、戦争後のソ連の敗北は決定してしまうから、ソ連は西欧を侵略することはできなくなってしまうのである。すなわち米国のINFの西欧配備開始とは、ソ連を完全に封じ込めるものになったのである(『大侵略』六九頁参照)。

 さらにSDIの研究開始決定が、ソ連共産党を恐怖のパニックに陥し入れた。SDIが開発配備されれば、ソ連が長年苦労して開発・生産・配備してきたICBM、SLBM(潜水艦発射弾道核ミサイル)が宇宙で破壊されてしまうことになり、無効になってしまう。そうなればソ連は、「ICBM、SLBMを米国へ撃ち込むぞ!」という脅しが使えなくなるから、米国の核抑止がストレートに機能することになり、全ヨーロッパ、東アジア、中東を侵略・植民地支配するという(→さらに世界支配へ)ソ連の念願は不可能になってしまう。ソ連は完全に封じ込められてしまうのである。そればかりか、米国がソ連帝国解体のために戦略核戦争の恫喝を加えれば、ソ連は屈服、降伏を余儀なくされることになってしまうのだ。

 つまりソ連共産党=ソ連は、米国レーガン政権によって徹底的に追い詰められたのである(だが、米国には軍事理論的にその自覚が全くない!)。再び繰り返そう。このまま事態が進展していけば、客観的に、ソ連は完全に封じ込められて対外侵略ができなくなってしまうだけでなく、将来、透徹した指導者が米国に現れたら、米国の戦略核戦争の恫喝によって、ソ連は敗北、解体することにさえなってしまうのである。

 この心底からの危機感と恐怖感が、ゴルバチョフらが、世紀の大謀略シナリオを創り、発動していかざるをえなかった理由である。

(中略)

21世紀ロシア=ソ連は全ユーラシアへ大侵略を開始する

今後ロシアは、現在実行中の大謀略戦争を時間をかけて更に発展させて、ロシアの戦略環境をより優位なものにしていく。現在ロシアは新型ICBMを開発しているし、古い兵器を廃棄して(これを軍縮だと騙す)、最新鋭のものに更新している。そして二○一○年か一五年か二○年かはわからないが、これで十分だと判断したら、核兵器、化学兵器、通常兵器を総動員して、一気に日本など東アジア、全ヨーロッパ、中東へ大侵略を開始することになる。

 ロシアのエリートは、この大侵略を開始するとき、偽装をやめてソ連であることを公然と宣言して革命戦争として行なうはずである。そうすれば、西側各国の左翼勢力を味方にでき、西側各国内を分断できるからだ。その頃になれば、かつてのソ連が言語に絶する非人道的国家であったという事実は、西側の人々の記憶から消え去ってしまっている。

 ソ連が大侵略を開始せんとしたとき、思想軟弱になり軍事的にも大劣位になっている米国は、自分の国が侵略されてもいないのに、ソ連から大量の報復核が飛んでくることを覚悟して、ソ連の政治・軍事中枢へ戦略核を撃ち込んでソ連の侵略を止させようとするだろうか?できるだろうか?その答えは否だ。米国は消極的に侵略を容認していくだろう。侵略された日本など東アジア、全ヨーロッパ、中東では大虐殺、大収奪、大強制連行・強制労働の地獄が出現する。何千万人もの貴い命が奪われることになる。

 このまま時が進めばそうなるしかないだろう。私たちは一日でも早くソ連=ロシアの大謀略に気づき、米国を中心に西側同盟の結束を強化し、関係する条約、協定を全て破棄し、一切の交渉を拒絶し、核戦力をはじめとする軍備を増強して、今度は自覚的に「欧州戦域核戦争戦略」に基づいてロシアを攻勢的に封じ込めていく冷戦を早急に再開していかねばならないのである。同時にNMD、TMDさらにSDIを開発配備していかねばならない。

日本と自由世界の安全保障研究会


(私のコメント)
最近ロシアが大規模な大軍事演習をした事を日本人のほとんどが知らない。また記事を目にした人もそのニュースが何を意味するのかを知る人はほとんどいない。新聞やテレビがほとんど報じないからだ。私もネットで検索して始めて知った。ロシアが核戦争を想定した大規模な軍事訓練を何故今この時期に行ったのだろうか。

ソ連はアメリカとの軍備拡張競争に敗れソ連は崩壊し、新生ロシアとして再出発したと見ていた。しかしソ連が崩壊したとするならば、何故いまだに共産党があり、クーデターを起こしてゴルバチョフを追い落とそうとした八人組が釈放されているのか。これは一種の八百長の革命だったのではないか。

プーチンという元KGBの大佐が大統領になってようやくソ連の大陰謀の正体が見えてきた。確かにソ連という国家は崩壊したのだが、これは数十年先を見越した戦略の建て直しをしたに過ぎない。90年までのソ連は経済力も東欧を支えることは出来なくなり、軍事技術もアメリカのSDIに対抗できる技術力を持つことが出来なかった。

そこでソ連は一気にリストラを行うことによって、経済力と技術開発を行えるだけの余力を確保して来たのだろう。従来の核戦力は旧式化して使い物にならず、軍縮と称してアメリカを引きずり込んでEUのINFを撤去させ、大幅な米ロの核弾頭の処分を進めさせた。ロシアは本当にアメリカにとって無害な存在になったのだろうか。

テレビなどではソ連が崩壊して、経済が混乱している模様がNHKなどの特番で放送された。中にはロシア軍の核ミサイル施設まで公開された。このようにロシアの核ミサイルは老朽化してスクラップ寸前ですよと見せたわけだ。しかしそれらはNMD時代には無力な打ち上げ花火にしかならず、本当はNMDを無力にしてしまう新型ミサイルに転換することを隠していたのだ。

ロシアの大統領選挙もほとんど有名無実であり、ソ連時代の選挙と大して変わらなくなってきている。多くの大統領候補が立候補しているが、これらは演出に過ぎない。ソ連からロシアへと国名が変わっただけで旧KGBはそのまま生きており、その実態は何も変わってはいない。本当にロシアが変わったとするならば共産党への批判が高まり、大規模な混乱が起きたはずだ。国民自らがソ連崩壊はお芝居であることに気がついている。気がついていないのは西側のマスコミだけだ。サイトでは次のように指摘している。

ロシアでは国家テロルの恐怖が支配する

(2)次は妻が観たテレビ番組で、エリツィンの兄と母親を紹介したものである。多分NHKであろう。九○年代の初め頃だと思われるが正確な時期ははっきりしない。エリツィンの兄はレンガ職人であり、粗末な作業服姿で小さな家から出てきたのであった。また一緒に住む母親もエプロン姿で気さくなロシアのおばあさんという格好でいたというものだった。

 これはロシア国民が観れば子供を含めて全員が一発で嘘の芝居だとわかる代物である。なぜなら、ソ連時代であれ新生ロシア時代であれ、国のエリート(独裁者)たちは全員がその家族を含めて立派な宮殿や御殿に多くの召使いをかかえて住んでいるからである。日本のテレビ局はKGBにうまく騙されて、「市民派エリツィン」を日本国民に印象づける宣伝番組を作ったわけである。

 ソ連やロシアでは、エリートたちはどんな嘘の芝居でも平気で自ら演じ、また演じさせていくことができる、ということをこのテレビ番組は雄弁に物語っている。もしも日本の有力な政治家が同様な芝居をしたとすれば、すぐに暴露されて即刻辞任に追い込まれてしまう。だがソ連=ロシアでは、この嘘の芝居を暴露してエリツィンを批判した報道機関も民衆も誰ひとりいないのである。言論の自由、報道の自由は否定されている。KGB、内務省軍による国家テロルの恐怖が国民を骨の髄まで支配しているのだ。ソ連=ロシアがどれほど恐ろしい国かがわかるだろう。だが日本では外務省もロシアでは自由が保障されていると盲信してしまっているのだ。


(私のコメント)
ロシアのテレビや新聞などの報道の自由がプーチン大統領の登場で全く無くなってしまった。彼がKGB出身であることから国民は口を噤み、テレビなども政府批判は聞かれなくなってしまった。まるでソ連が復活したかのような印象であり、ロシアの実業家達も反プーチン派が逮捕されている。このようにニュースの断片を集めてゆくとロシア=ソ連の大謀略は本当に思えてくる。



日本のアニメの粋を凝縮した「アニマトリックス」
仮想現実を主題にした九つの短編アニメ集


2004年2月21日 土曜日

DVD「THE ANIMATRIX」(定価2,980円)を観た。
ほとんどの人は知ってるだろうけれど、これはマトリックスの世界観をモチーフとした短編アニメーションのオムニバス作品だ。各アニメーターがそれぞれの視点を加味して作り上げた9つの作品群。

元々、マトリックスの監督であるラリー&アンディー・ウォシャウスキー氏は日本のアニメーションを敬愛していて、マトリックスもアニメ「攻殻機動隊」を実写で映画化したいという想いから作られた。

そして自分たちに影響を与えてくれたアニメーションクリエーターと一緒に作品を作りたいというのがこの作品の出発点らしい。それでこのような作品集が完成したというわけだ(最初はテレビシリーズか長編アニメを作りたいという話だったようだが)。


マトリックスの世界観として「ロボットと人間の対立」というバックグラウンドテーマが挙げられる。「ロボットと人間の対立」というのはSFでは使い古されたテーマで、ありがちな世界観といえなくもない。が、映画ではそれはメインテーマではないし、ストーリーといい映像といい、「マトリックス」は映画としてはやっぱり秀逸な作品であると思う。

さてそれではこの「THE ANIMATRIX」はどうかというと、ここでもアニメーションという手法を使って、物語はいい感じに仕上げられている。

以下それぞれの作品についての感想を書いていきたいと思う(ストーリーに関するネタばらしはたぶん無いと思うが気になる人は読まない方がいいかも)。


FINAL FLIGHT OF THE OSIRIS(ファイナル・フライト・オブ・ザ・オシリス)
監督アンディー・ジョーンズ、脚本ラリー&アンディー・ウォシャウスキー
この作品はハイクオリティーなフルCGアニメ。アンディー・ジョーンズ氏は映画「FINAL FANTASY」のアニメーション監督でこの作品も「ファイナルファンタジー」を作ったスタッフによるもの。あの映画もリアルスティックだったけれど、この映画ももちろんリアルである。ぱっと見は、人物の肌の質感とか表情とかがかなりリアルで、実写と見間違ってしまうくらいだ。フルCGでマトリックスを作り直したらこんな作品だろうという感じで、実写版マトリックスに一番近い位置にある作品かも知れない。


THE SECOND RENAISSANCE PART1 & 2(セカンド・ルネッサンス パート1&2)
監督前田真宏、脚本ラリー&アンディー・ウォシャウスキー
前田真宏氏は青の6号の監督、メカニカルデザインを担当。オレも一部しか見てないけれど、CGを初めて大々的に取り入れたアニメだった。

セカンド・ルネッサンスは映像制作の方法論としてCGの導入が必要不可欠だった作品で大半のカットにCGが使われているようだが、CGクサさが出ないように 2Dの画との融合に苦労したそうだ。そのおかげでCGがうまく画面に溶け込んでいる。さすがという感じ。

とにかく、STUDIO 4℃の作品(アニマックスは9本中、5本がスタジオ4℃の作品である)はジャパニメーションという形の企画ということで、映像を作るときにまず方法論ありきで手描き,3DCGに拘らず作って、CGはアニメの世界観と画の雰囲気を壊さないように融合性に心がけたという。

この作品はマトリックスの世界観(どうしてああいう世界になったのか)を理解するためには必見だろう。「ロボットと人間の対立」というテーマをメインとして描かれている。これは使い古されたテーマだけに逆に描くことが困難であるとも言えるが、非常にうまい具合に描かれていていて感心する。


マトリックスの世界での人間がたどってきた愚かな歴史が描かれているのだ。これは実際にこの現実世界の人間の愚かな行為にだぶっていて(前田氏は意識して風刺でそうしたようだ)この作品を観ると、この世界の未来は本当にマトリックスのような世界になっちゃうんじゃないの?みたいな馬鹿げた危惧がふつふつと沸いてきて、考えさせられる作品だ。

残酷なまでの暴力的描写も多く、目を背けたくなる部分があるが、嫌悪すべきシーンたちは、この作品の重要な要素であると共に、現代の我々をも風刺しており、人としてのあり方さえ考えさせられる。

マンダラをイメージしたという冒頭シーンや、イメージカットなどが象徴的ですばらしい。非常にショッキングであるとともに、インパクトのある作品だ。


KID'S STORY(キッズストーリー)
監督渡辺信一郎、脚本ラリー&アンディー・ウォシャウスキー
これは手書きのラフさを取り込んだ作画が印象的な作品だ。 CG彩色のために、輪郭をかたどったレイヤーを作る必要があるため、2倍の作画が必要ということで非常に手間が掛かっている。作画で描かれた生きた線を殺さないように頑張ったとのことだ。導入部とエンディングに挿入されるシーンが印象的。


PROGRAM(プログラム)
監督脚本川尻善昭
監督がチャンバラをさせられないかということで、時代劇風チャンバラアクションになっている。アメリカ人受けしそうな内容でチャンバラの殺陣やカット割りもカッコいいし、動き的にも非常に躍動感が感じられていい。作画的にはあくまでも2Dにこだわったという職人気質。あと、スクリプト的には最後のオチはさすがと思わせる部分だ。魅せますよ。


WORLD RECORD(ワールドレコード)
監督小池健、脚本川尻善昭
小池氏は映画「PARTY7」のオープニングアニメを監督した人。あれも1回見ただけであんまりまじまじと見たことがなかったのだけれどキャラが独特。この作品もデフォルメを取り入れた日本人離れしたキャラクターデザイン、影の陰影を取り入れた作画のセンスが良い感じ。

この作品は「小池氏のキャラクターの走るところが見たい」との川尻氏のリクエストに応えて作ったとのことで、ランナーの躍動感とかはさすが。走ってるとき、顔も変に歪んでるのがちょっと笑うんだけど(いや、笑うところじゃないんだけどさ)。キーを投げるシーンがクールだ。


BEYOND(ビヨンド)
監督脚本森本晃司
森本氏は「AKIRA」の設定・作画監督補として活躍。ケンイシイの「EXTRA」、GLAYの「サバイバル」のミュージッククリップでも有名だ。

舞台が日本である。雑然としたちょっと古めの日本の下町?みたいな風景がうまく描かれている。横断歩道で「とうりゃんせ」が流れるのには泣くな〜。信号機とかに日本語が出てくるのだが、 PCのキーボードも描くなら英語キーボードじゃなくて、こだわって日本語キーボードにして欲しかったぞぅ。

脚本も森本氏が書いたようだが、何度もボツにされたようだ。結局最後は説き伏せたようで。マトリックスと全然関係ない世界といってもおかしくない作品。森本氏が自分の作りたい作品をマトリックスにかこつけて作っちゃったんじゃないの?みたいにちょっと勘ぐってしまうような印象を受けた。それだけに氏の個性を他の作品よりも顕著に感じる作品だ。

関係ないけれど「とうりゃんせ」とか信号が青の時にメロディを流すのは日本独特なものという話。そうなんだ……。


A DETECTIVE STORY(ディテクティブ・ストーリー)
監督脚本渡辺信一郎
個人的にこれが一番気に入った作品だ。
渡辺氏は俺も好きな「COWBOY BEBOP」も手がけた人で、カウボーイビバップ自体、アメリカでもかなり評価が高いそうで。

この作品は、いろんな人が20数本の脚本を書いたそうだが、ウォシャウスキー兄弟が気に入らなかったのかそれらがすべて没に。最終的に渡辺氏のアイディアが採用されたようだ。

主役が探偵でハードボイルドな世界観が「COWBOY BEBOP」に通じる。画面全体のザラッとしたノイジーな質感はCG処理だけれど、出すのに非常に苦労したとのこと。モノクロームの画と相まってこれが非常に雰囲気が出ている。とにかくマトリックスとは直接関わらないような世界だけれど非常に渋くてシビレます。惚れたっ!


MATRICULATED(マトリキュレーテッド)
監督脚本ピーター・チョン
氏はディズニーその他のスタジオで、脚本、デザイン、絵コンテ、アニメーターなど様々な分野で活躍した人らしい。コマーシャル監督として一流メーカーの作品も手がける多才な人のようだ。

ストーリー的には非常に惹かれるというか、「異種たる者が真に理解し合えるのか」という題材は自分でも前々から描きたかったもので、久々に触発されたというか楽しめた。ただ、この作品は画的にはちょっとCG部分がアニメに融合できていないというか、CGっぽすぎて個人的にはいまいちかな。ただ、それがこの作品の味にはなっていると思う。(後略)

日本のアニメーション技術の粋を凝縮したアニマトリックス


(私のコメント)
映画のマトリックスをビデオで見ましたが、現実と空想を逆転した発想は非常にユニークで、CGをフルに使った特撮はアニメーションを超えてしまったかのような作りでした。映画制作にCGを使えば一種のアニメーションと同じ事になります。この「アニマトリックス」も最初の「ファイナルフライト」を見ても、実写かCGだか分からないほど写術的な画像で、アニメと実写とのコラボレーションが「マトリックス」実現している。

しかし限りなく実写に近い作りで作ったところで、メリットはあるのかというと、限度があるだろう。実写は実写でありアニメはアニメなのだ。静止画像でも写真は写真でありマンガはマンガであり、写真のようなマンガを作っても意味はない。写真をデジタル技術で自由自在に加工して、現実にはない写真を作ることが出来るようになったに過ぎない。

「ファイナルファンタジー」という限りなく実写に近いアニメが作られたことがありましたが、やはり失敗している。映画は映画でありアニメはアニメであり、限りなく実写に近いアニメを作っても意味はないのだろう。「アニマトリックス」はそのような意味で、同じ仮想現実をテーマにしてもアニメは異なることを訴えているのだろう。

だから最初の「ファイナルフライト」以外はアニメーションであることを強調するように、登場人物をアニメっぽく描いている。「アニマトリックス」は九つのアニメ短編集ですが、その内の七つを日本人が製作しており、残りの二つもスタッフに日本人が関わっている。アニメといえばディズニーが老舗ですが、最近はネタが涸れてきたせいか、CGを使った製作技術は金を掛けてすばらしいのだが、作品内容でいまいちの作品が多くなった。

アメリカのアニメは子供向けに作られており、歌あり踊りありの作品で、大人向けに作るという発想はないようだ。ところがアメリカでも日本のアニメを見て育った世代が大人になり、「千と千尋の神隠し」などの作品がアカデミー賞を貰うほど評価されるようになった。ディズニーアニメが100億円で作られるとすると、日本のアニメは数億円で作られている。

映画は豪華な役者を使ったりセットを使ったりで、金を掛ければ掛けるほど良い作品が出来ますが、アニメは金を掛けても作品がダメだと良い作品は出来ない。たしかにCGをフルに使って作れば動きは滑らかだし立体感もある作品を作ることが出来る。

九番目の「マトキュレーテッド」もいかにもCGをフルに使った作品ですが、画像は非常に綺麗で目をひきつけられるのですが、それだけで終わってしまうような作品だ。ロボットと人間は愛し合えるのかという主題なのですが、CGのロボットとアニメの女性とでは違和感が出てしまう。

私は九本の作品のうちでは「ビヨンド」という作品が気に入りました。画像がアニメっぽいのですが非常に綺麗に描かれて、手間と時間を掛けて作られている。他には「セカンドルネッサンス」は見方によっては意味深な内容で、ロボット国家をユダヤ国家と置き換えると、現代社会を風刺しているように見える。ユダヤ人がマスコミを支配して現代人を洗脳していると告発しているのだろうか。

このロボット国家はちょうど中東のあたりに作られたとストーリーでは言っている。最初は反乱したロボット達は大量に処分されましたが、やがて熱や放射能に強いロボット達が世界を支配するようになるというストーリーで、やがて人類は夢の中でしか生きられなくなるという「マトリックス」の世界が実現する。その中で一部の特殊な感受性を持った者だけが仮想現実に気付くようになるというのは、ユダヤ人の洗脳に気がついた人間と言うことになる。




憲法が憲法として機能するための国民常識とは何か?
事情変更を踏まえて憲法意思を貫徹しうる唯一の方法


2004年2月20日 金曜日

憲法が憲法として機能するための国民常識とは何か?宮台真司ブログ

■米国の憲法学者ローレンス・レッシグは『コード』という本で、興味深いことを言う。
合衆国政府は、合衆国憲法修正十箇条を作った始祖の精神に立ち返り、国民の自由を守た
めに、民間企業によるネット上での収益活動を規制する義務を負わねばならない、と。

■これを読んだとき、その意味が分かる日本人がどれだけいるのだろうと思った。という
のは、右の命題を理解するには憲法とは何かについての基本的理解が必要なのだが、残念
ながら私たち日本人の多くは理解を欠いているからだ。では、必要な理解とは何か。

■第一に、憲法が統治権力への命令であること。詳しく言うと、(1)憲法が国民から統治権
力への命令で、(2)法律が統治権力から国民への命令で、(3)憲法が法律に優越するとは、
国民からの命令の範囲内でのみ統治権力は国民に命令しうるということだ。

■というと必ず出る疑問が義務教育(26条)や納税義務(30条)の規定。憲法をよく読む
べし。国民は法律の定めるところにより義務を負うとある。子供に教育を受けさせない国
民や税金を納めない国民を放置せぬように法律を作れと、国民が国家に命令しているのだ。

■もう一つ出るのが民法は国民への命令ではないとの疑問。それを言うなら全ての法律は
刑法を含め「〜したなら…と判断する」という条件プログラムの裁決規範(裁判所への命
令)。それが国民の行動へのガイダンス機能を持つがゆえに「国民への命令」と言うのだ。

■これでレッシグが「合衆国政府は憲法により義務を負う」と言う意味が分かった。次に
問題なのは「始祖の精神」。憲法に関わる立法意思、すなわち「憲法意思」だ。憲法は憲
法意思を参照して初めて意味を持つ。法律が原則として立法意思と関係ないのと対照的だ。

■盗聴法や個人情報保護法への広汎な異議申し立てがなされた際、政府は国会で「そうし
た意図(立法意思)はない」という答弁を繰り返したが、無意味だ。政府や国会が代替わ
りすれば、法律に書いてないこと(意図の類)が統治権力を制約することなどあり得ない。

■憲法は違う。憲法の文面によって国民がどんな意思を表明したのかが重要だ。その意味
は二つある。例えば政教分離の規定は各国憲法に似た文面で規定されるが、それによって
表明された国民の意思はまちまちで、ゆえに憲法解釈は国ごとに異なる。それが一つ。

■もう一つ、憲法は国際条約と同じく「事情変更の原則」が通用しない。民法などと違い、
事情が変わったので意思表明や合意が無効になった、ということがあり得ない。もしあり
得たら大変だ。統治権力が「事情が変わった」と表明しさえすれば、何でも出来てしまう。

■憲法においては「事情が変わった」かどうかを判断するのは国民で、そう判断したのな
ら国民が憲法(統治権力への命令)を変えねばならない。変えない限り憲法制定時に始祖
が意思した本義は永久に不変だ。国民は文面ではなく当初の本義を参照せねばならぬ。

■「せねばならぬ」とは、さもないと憲法は憲法としての機能を果たさないということだ。
「せねばならぬ」と憲法には書いてない。当然だ。憲法に何が書いてあろうとも、それが
憲法として機能するために国民が一定の憲法常識を持たねばならぬということなのだから。

■さて、私たちに憲法常識はあるか。例えば「憲法が国家への命令」であるのを知ってい
るか。もし知っていれば、衆参両院の憲法調査会でしばしば出る「日本国憲法には権利規
定ばかりで義務規定が少ないのはオカシイ」という幼稚園レベルの議論はありえない。

■「事情変更の原則」が通用しないのを知っているか。知っていれば、事情が変わったの
で当初吉田茂が認めなかった自衛権が認められるようになる、などあり得ない。かつて三
島由紀夫は憲法上自衛隊を海外派兵できない事実ゆえに憤死した。目的次第では海外派兵
できるとする小泉答弁を聞いた三島は、墓の中で椅子から転げ落ちていることだろう。

■とするなら、私たちは憲法を改正しなければならない。その意味を次回詳しく述べる。


事情変更を踏まえて憲法意思を貫徹しうる唯一の方法 宮台真司ブログ

■前回述べたことを一括すれば、憲法とは国民が国家を操縦する道具で、国家をどう操縦
するかという国民の意思こそが憲法意思だ。事情が変わって憲法意思にとって憲法が役立
たなくなったのなら、国民は憲法を改正せねばならぬ。

■この「せねばならぬ」もまた、さもないと憲法が憲法としての機能を果たせなくなると
いうこと。事情変更にもかかわらず「護憲」に固執するなら、事情変更前に憲法が果たし
ていた機能が既に失われたのに、失われた状態を放置する振舞いを意味してしまう。

■むろん第九条のことだ。私の立場は明確だ。まず憲法を改正し、集団的自衛権を明示的
に許容するものとした後、次に国家安全保障基本法を作り、何が集団的自衛権行使に相当
するかをマルチラテラルな枠組(安保理での多国間協議など)に委ねる。

■こうしておけば、国内外の恣意的要求によってクソがミソだと言いくるめられる可能性
を抑止できる。今般で言えば、米国に対し「多国間協議でイラク攻撃の正当性を調達すれ
ば自衛隊は出せるから、まず正当性を調達せよ」と堂々と影響力を行使できだはず。

■こうした私の主張は年来のものだが、本来ならオーソドックスなはずのこうした主張が
少数派に留まらざるを得ないところに日本の未熟さがある。確かに改憲論はあるが「交戦
権を認めた上、国民の義務を──愛国の義務を──明示せよ」といった幼稚園レベル。

■三島由紀夫によれば、愛国は国民の義務ではなく権利でなければならぬ。君が代を歌わ
ずともよいと制止しようと「私たちは歌います」と子供らがすっくと立ち上がるときにこ
そ愛国の本義は貫徹される。

■ゆえに愛国とは政治ではなく文化で、東側のごとき文化への政治介入は愛国文化を弱体
化させると彼は言う。ちなみに彼は文化の入替え不可能性を担保する装置が天皇だとした
が、天皇論を除けば彼の議論は今も多くの者が肯んじえよう。

■さて憲法的制約で自衛隊の海外派遣ができないことに憤死した三島由紀夫が生きていれ
ば、今般の自衛隊派遣を喜んだか。ありえない。市ヶ谷駐屯地での自決直前の演説にもあ
るが、三島は自衛隊が米軍(の附属物)に過ぎぬ事態に憤っていた。

■憤激を理解するには戦後史を知る必要がある。戦後しばらくは右から左まで「対米追従
ルサンチマン(怨恨・憎悪)」の克服こそが愛国の本義だった。米国からの再軍備要求に
抗うべく平和憲法を逆手にとって安保条約を締結した吉田茂も、本義に忠実だった。

■だが岸信介による手続無視の安保改定を契機に、安保は日帝による米帝追従の象徴と化
し、9条さえ掲げれば平和主義者だというエセ左翼が出て来る一方、9条改正で自衛隊を
出しさえすれば一人前だとの「憲法9条ルサンチマン」に駆られるエセ右翼も出て来た。

■大量破壊兵器問題に見るように、「米国が白だと言えば黒も白」というケツ舐め外交で
自衛隊を出すのが一人前か。ありえない。国際刑事裁判所設立の音頭を取っていた日本が、
米国の機嫌が悪いと見るや百八十度転換したのに引き続き、国際的には嘲笑の的だ。

■冷戦体制下だった三島の時代、国際協調路線とは対米追従と同義で、これに一国独自路
線が対向した。三島自身はむろん後者。だが冷戦体制の終焉で、国際協調路線とは、米国
の一人勝ち的な一国主義に対抗する各国の戦略的行動を意味するようになった。

■そのことが国際的には誰の目にも明らかなのに、米国の核の傘の下で「対米追従ルサン
チマン」を忘却のうえ「憲法9条ルサンチマン」の下でケツ舐め外交に甘んじる今般の日
本を、三島由紀夫が見たら、恥辱のあまりいま一度憤死せざるを得なかっただろう。

■「9条を守って自衛隊を出さなければ平和主義」はありえない。「9条を廃して自衛隊
を出しさえすれば一人前」もありえない。私たちが平和主義を憲法意思とすればこそ、冷
戦体制後の事情変更を踏まえ、憲法改正によってケツ舐め外交に終止符を打つべきだ。


(私のコメント)
日本の政治論争では右翼か左翼かの二次元で論じられ、異なる次元の愛国か売国かの時限で論ぜられることが少ない。一番の愛国者でなければならない日本の首相が一番の売国者であるとするならば、これほどの悲劇はない。なぜ明らかに憲法違反である自衛隊のイラク派遣が、憲法違反を論点に国会で話し合われないのか。

もちろん民主党なども何度も憲法違反と小泉首相に質問しているのだが、復興支援だとはぐらかし答弁で終わってしまう。この論法ならば北朝鮮へも自衛隊を復興支援のために派遣して、拉致被害者を連れ戻してほしいものだ。ついでに金正日を捕まえて国際刑事裁判所へ突き出して拉致誘拐罪で裁いてほしいものだ。

言葉さえすり替えてしまえばなんでも通用していいものだろうか。少女売春も援助交際と言葉をすり替えればかまわないとばかりに、違法行為がまかり通るようになってしまう。日本は立憲国家であるにもかかわらず、国家みずから憲法を犯しても誰もそれを罰しようとしない。日本では司法も国会の弾劾裁判も違反行為を見て見ぬ振りをしている。

日本はいまだに三権分立ではなく三位一体の権力であり、警察も裁判所も国家権力の言いなりなのだ。だからこそ憲法の基本原則が守られなければ裁判所だって憲法違反判決を出しようがないし、警察も検察も野党や首相の政敵ばかり捕まえてばかりいるのは当然なのだ。国民世論を代弁しなければならないマスコミも権力に擦り寄ってしまった。

宮台真司氏は若手の論客ですが、「朝まで生テレビ」などにも出ていたから知っている方も多いと思います。日本の大学教授や評論家達は専ら金になる仕事ばかりして、自分の論文などを自分のウェブサイトに載せる人は数えるほどしかない。それくらい日本の言論人はけち臭いのだ。載せると自分の本が売れなくなると思っているのだろう。

宮台氏は東京新聞に掲載した憲法論を自分のウェブログに発表している。日本の政治論争がなかなか盛り上がらないのもネットを利用して活動する人が少ないからだ。そして一方通行的にテレビで御用学者や御用評論家のコメントがテレビに溢れ、本当の論争が行われない。だから政府に批判的な論者はネットなどで発表とせざるを得なくなる。

私の憲法論も宮台真司氏もほとんど同じですが、日本政府がアーミテージというアメリカ政府の一高官の言いなりになって尻尾を振るさまは見苦しい。小泉純一郎は10年前は日本の自衛隊が湾岸へ派遣することに閣内にいながら大反対をした。ところが今回は自衛隊のイラク派遣の中心人物になっている。この間に何があったのだろう。




生産輸出立国から研究開発立国へ転換せよ
青色LED訴訟にみる日本企業の悪しき体質


2004年2月19日 木曜日

青色LED訴訟、200億円の支払命令は異常=同友会代表幹事

[東京 3日 ロイター] 経済同友会の北城恪太郎代表幹事は定例の記者会見で、会社に対して200億円の支払いを命じる判決が出た青色LED訴訟について、「問題がある判決だ。異常だ」との考えを示した。

 北城代表幹事は会見で、「多大な(企業の)負担が発生するなら、日本で研究開発をする意味がなくなる。ボーナスとして報いるとか昇給、ストックオプションなどで対応できる。成果が出たら多大なコストがかかるとなれば、現在の(研究開発の)状態は維持できず、空洞化をもたらしかねない。国際競争力を念頭に置くべきだ」と述べた。(ロイター)
[2月3日15時48分更新]

ニュースと感想 2004年2月1日 「発明者報酬」について

額が巨額すぎる

 逆である。小額すぎる。判決では 2010年までに 1兆2千億円と見ている。そのうち、たったの 600億円だ。5%にすぎない。これでは、アイデア製品(アイデア洗濯ばさみなど)の特許使用料と同じだ。独占競争力のないものでそうであるなら、独占競争力のある製品では、もっと高い特許使用料を払うのが当然だろう。ちなみに、書籍の印税は、10%だ。このくらいは、当然だろう。

負担に耐えかねて、研究施設が国外逃避する。日本から研究施設がなくなる。

 そう思うのなら、勝手にどうぞ。たとえば、今回の例で言えば、「青色LEDは人件費の安い中国やアフリカで開発しよう」と思う会社は、中国やアフリカに研究施設を置けばいいだろう。たしかに、開発コストは激減する。ただし、成果も激減する。たぶんペイしないと思う。(どうせなら現地の企業の方が有利だろう。)

 一方、「国内で研究開発を」と思う企業は、中村修二のような研究者を雇い、600億円の対価を払って、自社は莫大な利益を得ればよい。
 どちらの道を歩むかは、その企業しだいだ。小額の金を払うのがいやな企業は、さっさとアフリカにでもニューギニアにでも逃避しなさい。青色LEDのかわりに、トーテムポールの特許でも取るといいだろう。

給与・処遇で報いている

 その額が問題であるわけだ。今回で言えば、600億円の貢献度があったのだから、その分を払え、ということだ。いくら「給与・処遇で報いている」と主張しても、「払うべき金の1%以下」では、意味がない。ここでは、有無ではなく、量が問題となっている。
 だいたい、企業は常日頃、「成果主義」を唱えていたはずだ。ところが、現実には、天才的な技術者が出ると、とたんに、「成果主義」の口をつぐむのである。劣った社員を見ると「成果主義」を唱え、優れた社員を見ると「平等主義・共同性」を唱える。……まったく。呆れはてるしかない。二枚舌というか。自己矛盾というか。ご都合主義というか。

もっと小額を払うだけでいいだろう

いくらまで値切れば気が済むのか? 5%から値切っても、たいした金額にはならない。たとえゼロにしても、コストは5%しか減らない。企業にとっては、あまり意味がない数字である。それだったら、中村修二を雇用する方が、ずっと得である。そうすれば、利益の向上は、5%どころか、何十%も向上しただろう。
 金を値切ることばかり考えていて、売上げを増やすことを考えられないのが、阿呆な経営者だ。愚の骨頂。

今回、600億という数字を見て、「巨額だ」と思う人が多いようだが、実は、たったの5%だけなのである。絶対額が多く見えるのは、中村修二の発明が巨大であったというだけのことだ。取り分が大きいのではなくて、発明が巨大だったのだ。

 ついでだが、会社がどうしても「払えない」というのなら、私が払ってあげてもいいですよ。会社の保有する特許権を、私が 3千億円で買ってあげます。そしてすぐ、その何倍かで転売する。ボロ儲け。……会社はもちろん、文句がないはずだ。なにしろ、「この特許の価値は2万円」と主張しているのだから。2万円のものを3千億円で買ってあげるのだから、文句を言わないでほしいね。

600億円という数字は大きすぎる。

 「真面目に働いた金」として見ると、大きすぎるかもしれないが、「働かないで得た不労所得」として見れば、ちっとも大きくない。たとえば、アメリカでは企業経営者などが「ストックオプション」の形で、数百億円や数千億円をもらっている。彼らは、会社の経営を劇的に向上させたわけでもないのに、単に経営者というだけで、「ストックオプション」の形で、莫大な金をせしめている。

 「技術者に巨額の金を払いたくない」と思うのならば、「ストックオプション」の形で払えばよい。たとえば、中村修二に、この会社の株の 10%を渡す。会社としては、別に、一円も払わないで済むのだから、問題はないだろう。また、中村修二は、600億どころか、その何倍もの莫大な金を入手できる。

( ※ 経団連などは、「ストックオプションで企業の活性化」と主張しているのだから、それを実際に行使する人がいれば、慶賀すべきことだろう。……とはいっても、あの団体は、常に二枚舌ですけどね。)

中村修二教授 特別講演の記録 2000年11月16日

20.比べて見ると日本はシステムが狂っている。日本は社会主義とも思える。また、官僚主義で森さんだって官僚の書いたものを読んでいる。
今、自分は自由を謳歌している。若い人をどう育てるかと聞かれることがあるが、アメリカに行けば良い。
また、日本のサラリーマンは虐待されている。米国では仕事の出来る人は4〜5年でやめて行く

米国では入社の時に契約をする。4〜5年の期間とストックオプションの契約である。だから新入社員だってみんな入社条件が違う。日本のように100人も採用しようとすると大変な作業になる。

21.米国では人間を人間と見ている。先進国というだけでなく仕組みが違う。若い人はみんな米国に行くこと、4〜5年で会社を辞めることをすすめたい。(辞めないでいると企業は人件費を抑える方向に動く。)
野球選手やサッカー選手を見習わないといけない。アメリカの社会はベンチャーに支えられている。独創的なアイデアは会議からは出てこない。ベンチャーからでないと出てこない。

22.日本は教育に問題がある。高校、大学時代の大事な時に、好きなことをさせないといけない。暗記重点の入試制度が阻害している。中学、高校時代に米国に行かせてベンチャーの世界を経験させてから日本に戻ればよい。但し、米国ではやる気のない人はダメ。やる気のない人は日本にいればよい。日本は社会主義の国だから。


(私のコメント)
日本企業には今リストラ旋風が吹き荒れていますが、それならばリストラを逆手にとって、企業とサラリーマンの関係を見直してみるべきだろう。今までの日本企業は終身雇用と年功序列で来ましたが、それが長引く不況で崩れ去り、終身雇用と年功序列に代わり、リストラと成果主義の時代になったようだ。

日本が高度成長時代はベビーブーマーがみな若くて、よく働く割りに若年ということで給与を安く雇うことが出来た。その代わり年功序列で出世したら高給が約束されているとみなが錯覚した結果、90年代ともなると中高年サラリーマンが会社に溢れかえり、働きが十分でないのに給与は高いことになって、会社はリストラを始めた。

終身雇用も年功序列も今になって見ればベビーブーマーは騙された結果となる。安い給与でこき使っていながら、社員が歳をとると実力主義だの成果主義だのと言い出すのは一種の詐欺行為だ。企業も成熟化してくれば無能な人間でも幹部になるのは弊害が多くなる。年功序列から崩れ去り、出世できずにいた人もリストラにあい終身雇用もなくなった。

ならば最初から実力主義・成果主義で行きますよと言えば良かったのでしょうが、大企業では個人の実力を評価することは難しい。僅かな優秀な人間が多くの無能な人間をカバーしているのが大企業の実態だろう。優秀な人間が会社の幹部になり、無能な人間がその下で働くのなら会社はうまく行くのだろうが、無能な人間が幹部になって行けば会社は傾くだろう。

有能でも会社から評価されていないと思うならば、自ら会社を辞めて転職すべきなのだろう。中村修二氏が会社を辞めたのも実力と成果を評価してくれなかったせいで、会社にとってもかえって高くつくことになった。会社にとっても実力主義や成果主義は弊害の多い制度なのだ。つまり有能な人は高給を出さないと辞めてしまうし、無能な人ほど会社にしがみつく。

日本が生産大国であった頃は終身雇用も年功序列もそれなりに効果を発揮した。生産現場では年数に伴って習熟度も高まり熟練工として評価された。しかしそのような労働は中国などのような人件費の安いところへ移転していった。そして日本国内では研究開発拠点が残ることになり、有能な研究者や技術者が求められている。

中村修二教授が世界的大発明が出来たのも、中小企業で自由な研究が出来たからであり、もし大企業にいたら出来なかったことだろう。だからこそ有能な人間は大企業に行くべきではなく、中小企業か独立して始めるべきなのだろう。そのためにも今回の中村氏の発明に対する判決の高い評価は、これからの企業の転換を求めるものだ。

日本の長引く不況は企業体質を確実に変えている。有名大学を出た秀才ばかりを採用してきた大企業や銀行が業績不振でいるのは当然のことであり、官僚組織も高学歴者が多いが政治課題や経済問題に対応できずに迷走している。大学の入試なども専ら記憶力を試すものであり、独創性や創造性を試すような入試は行われていない。今までの教育体制が大量生産社会に適したもので、研究開発型の人材を育成するシステムになっていないからだ。




オランダはなぜ世界帝国になり損ねたか
軍事力を伴わずに経済大国は維持できない


2004年2月18日 水曜日

■1.大英帝国になり損ねたオランダ

地球史の上で、オランダは偉大な足跡を残しているのだが、 それらのほとんどは大英帝国によって「上書き」され、消され てしまった。  たとえば、オーストラリアはイギリスよりも1世紀前にオラ ンダが発見し、ニューホラントと命名している。ホラントはオ ランダの中心的な州で、日本語の「オランダ」の語源である。  ニュージーランドの方は、もう一つの大州ゼーラント(英語 では Seeland、海の土地)からとられたオランダ名がそのまま 残ったものである。  

ニューアムステルダムと言われた都市もあった。今のニュー ヨークである。ハドソン湾として名を残しているイギリス人探 検家ハドソンは、実はオランダの東インド会社の社員として、 航海に出たのである。オランダは、現在のニューヨーク付近と デラウェア州以北の北米東北部を領有していた。[1,p155]  その他、オランダは、アフリカ最南端の喜望峰から、セイロ ン、ジャカルタ、広東に植民地や通称拠点を置き、17世紀の 世界貿易の中心を担っていた。長崎の出島はその終点なのであ る。  

これだけの勢力圏を築いたオランダが、その勢いを続けてい たら、英国などの出る幕はなく、南アフリカから、インド、イ ンドネシア、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどを支配す る大蘭帝国が成立し、英語ではなくオランダ語が国際語となっ ていたであろう。  なぜ、オランダはイギリスよりも先頭を走りながら、大英帝 国になり損ねたのか? 世界貿易の中心を占めた経済大国が、 なぜ急速に衰退したのか? オランダの盛衰の歴史は、現代の 日本にとって他人事ではない。

6.自由への戦い

こうして始まったウィリアムとオランダ人民による自由への 戦いであったが、勇猛なスペイン軍に対してしばしば苦戦を強 いられた。ナールデンという城塞都市は、スペイン軍に包囲さ れ、降伏を申し入れた。スペイン軍は街に入るや虐殺と略奪を 行い、アルバ公はフィリップに対して、「すべての市民は喉を かき切られ、人の母から生まれた息子で生き残っている者はい ない」と報告した。  こうした経験から、オランダの諸都市は決死の抵抗を行った。

ハーレムの町の城壁はホラント州でも最も弱いと言われていた が、市民の一致団結した抗戦により、スペイン軍はこの町を陥 とすのに、7ヶ月の時間と1万2千の兵を失った。  ここから、さしものスペイン帝国もオランダの全都市を陥落 させるだけの力はないのではないか、という希望がオランダ人 に生まれ、抵抗の意思をますます堅くした。  海上のオランダ船もスペイン艦隊の攻撃を受けたが、どのよ うな大敵でも応戦して、負ければ自沈した。「戦史は降伏する よりも自沈したオランダ船の記録に満ち」ている、とバーカー は記している。  

このような勇戦ぶりを見た英国は、オランダの要請に応えて、 援軍を送る。スペインは英国征服を決意し、無敵艦隊を編成し て、オランダを攻撃している軍の精鋭6千を載せようとした。  ところが、オランダ船150隻があらゆる水路を封鎖して、 スペイン軍の移動を許さなかった。無敵艦隊がむなしく待って いる間に、英国艦隊が奇襲攻撃をしかけ、大損害を与えたので ある。バーカーは次のように述べる。  オランダ人の決意と、これを実行する能力がなかったな らば、パルマ公(JOG注:当時のスペイン軍司令官)は英 国を征服し、ローマ・カソリックは世界を征服していたか もしれない。かくしてオランダは英国、ひいては全世界の 自由のために戦ったのである。[1,p138]

7.卑怯な商人ども

こうして両国は運命共同体として、スペインとの80年戦争 の大半をともに戦ってきたのだが、1648年にスペインとの講和 が成立するや、わずか4年後には英蘭戦争が始まっている。 なぜか?  1584年、ウィリアムがスペインの刺客に暗殺されると、その 子マウリッツ公が軍事指導者となる。マウリッツは父の志を受 け継いだ名将であったが、まだ若く、政治的な実権はホラント 州のブルジョワ政治家たちが握った。

オランダ商人の利益を代 表するこれらの政治家たちは、スペインとの戦争よりもオラン ダの商圏拡大に重きを置いた。  スペインとの戦争中に、オランダは経済的躍進を遂げ、世界 一の海上帝国を建設したのだが、それはオランダが金はかかる が利潤のない地上戦闘は同盟国の援助に頼り、もっぱら海上勢 力を充実したからである。当時の重商主義者トーマス・マンは 言う。  オランダ人が東西両インドを征服し、その交易の果実を われわれからむしり取っている間、われわれはオランダの 防衛のために血を流しているのである。[1,p219]  

自由貿易を信奉するオランダ商人のなかには、敵国スペイン に大量の武器弾薬を売って大儲けするものもいた。その一人ペ イラントは、逮捕されても「貿易は万人にとって自由でなけれ ばならず、戦争によって妨げられてはならない」と主張して、 裁判で無罪を勝ち取った。この主張を「ペイラントの自由」と 呼ぶ。[2,p337]  

当時のイギリス人は、何の良心の呵責もなく敵に武器弾薬を 供給するオランダ商人に呆れはてたという。バーカーも次のよ うに述べる。  英国人は繰り返し同じ疑問を持った。われわれのように 強く勇敢な国民が貧乏していて、自分達のための戦いも金 を払って他国民に戦ってもらっているような卑怯な商人ど もが世界の富を集めているのは、果たして正しいことなの であろうか?[1,p219]

8.「ペイラントの自由」の信奉者たち

1651年、英国は、アジア、アフリカ、アメリカの産品は外国 船(当時はほとんどオランダ船)で輸入されてはならない、な どと、オランダを狙い撃ちした航海条例を制定した。これをき っかけとして、翌年、第一次英蘭戦争が勃発する。  ブルジョワ政治家たちは、戦争の危機を叫ぶと、軍事指導者 モウリッツ公を利するという判断から、事態をわざと甘く見て、 英国との戦争にはならないと主張した。

英国を圧倒する造船能 力を持ちながら、海軍増強には金を使おうとはしなかった。こ れら政治家も、私利私欲のためには国家全体の危機も省みない という、「ペイラントの自由」の信奉者であった。  1665年の第二次英蘭戦争の前には、すでにオランダ船200 隻が拿捕されていたにも関わらず、オランダ商人は英国に大量 の軍艦用資材を売りつけて、倉庫を空にしていたという。これ また「ペイラントの自由」である。  

政敵を利すまいと国家の危機にも目をそむける政治家と、儲 けのためには、敵国にも資材を売る商人たちと、国中に「ペイ ラントの自由」の信奉者がはびこっては、さしもの経済大国オ ランダにも勝ち目はなかった。  英国は西アフリカや北アメリカのオランダ植民地を次々と奪 取していった。ニュー・アムステルダムが、ニューヨークとな ったのも、この時である。これを契機にオランダの海上覇権も 失われ、世界貿易の中心はアムステルダムからロンドンに移っ ていく。

地球史探訪:オランダ盛衰小史 国際派日本人養成講座


(私のコメント)
現在の日米関係をよくローマとカルタゴに例える事がありますが、それよりも同じ海軍国同士が覇権を競い合った英蘭関係のほうが参考になる点が多い。それ以前はスペインが世界の覇権を握り繁栄を築いていましたが、オランダとの戦争に足を取られ、イギリスの艦隊にスペインの無敵艦隊が敗れるなどで、オランダが世界の通商貿易を一手に握り繁栄を築き上げた。

これに対して同盟を組んで戦ったイギリスは面白いわけはなく、三次に渡る英蘭戦争でオランダは海戦には勝利するも国力を使い果たし、イギリスに覇権を譲った。スペインやオランダは海洋国家ではあってもヨーロッパ大陸の一部であり、本土防衛戦争と海戦との両面作戦を強いられるのに、イギリスは島国であるために海戦だけに軍事力を集中させることが出来た。

オランダは自由貿易を旗印として通商立国を目指したが、イギリスがオランダを狙い撃ちにした航海条例を作って妨害し戦争になった。オランダ海軍は善戦していたが、イギリスはフランスと組むなどしてオランダ本土を危機に陥れてオランダは譲歩を強いられていった。結局は陸上戦闘力の小ささが通商立国の没落に繋がった。

日本も通商立国として戦後の繁栄を築き上げることが出来ましたが、これは長続きするだろうか。しかも軍事力は持たず、もっぱらアメリカの軍事力のお世話になっている。オランダがイギリスの軍事力のお世話になりながら世界の通商で経済力をつけましたが、結局はイギリスに横取りされて、ヨーロッパの一小国になってしまった。

いくらオランダが通商立国を目指したところで、その通商を守るためには大海軍力が必要であり、世界一の海軍を持ったとしても本国を守る地上軍も持たねば通商立国は維持できなかった。日本は世界に向かって平和立国、通商立国を宣言して経済大国を目指してきましたが、周りの外国がそれを容認するだろうか。世界の歴史を見ても通商だけで長期の繁栄を続けた大国はない。

ポルトガルがスペインに横取りされたように、オランダもイギリスに横取りされたように、日本だって経済にだけかまけていれば、いずれはアメリカに経済は横取りされるのだ。アメリカが直接日本に手を出さずとも、中国、ロシアなどとの戦争を強いられて国力を消耗するのはすでに体験済みである。アメリカの戦略としては裏から日本に中国やロシアをけしかけるのは、バランスオブパワーとして当然のことだ。

たとえ日本がそれらの圧力をかわしたとしても、将来的にはアメリカはイギリスのように無理難題を押し付けてくるが、それにどう対応するのだろうか。英蘭関係もスペインという宿敵がいたから同盟できましたが、スペインが敗れると同時に英蘭は対立関係になった。日本もロシアの崩壊が日米対立になることを早く見抜くべきであった。

現在も日米が全面対立になっていないのも、中国がまだ残っているからだ。ロシアだっていつ復権するかわからない。つまり日本は中国ロシアとは敵対しつつ協調し、アメリカとは協調しつつ敵対するという複雑な外交戦略をとる必要があります。そのためには非武装中立という戦略は成立し得ない。ある程度の武力を持ちつつ協調しながら敵対するという外交の技が日本に求められる。

北米イギリス植民地帝国史




カーター・J・エッカート著「日本帝国の申し子」
日本の植民地史の知られざる一面を著した本


2004年2月17日 火曜日

朝鮮資本主義と帝国資本主義との緊密な協力関係

京城紡織株式会社(京紡)の発展は、朝鮮資本主義が一九四五年以前に開花したことを如実に物語っており、同社の業績は通説(萌芽説)を完全にくつがえすものである。通説によると、朝鮮の資本家成長の萌芽は一七、一八世紀に初めて見られたが、一八七六年以降は日本の帝国主義にほぼ根絶され、再び出現するのは一九四五年以後であるとされている。だが先にも述べたように、朝鮮資本主義のルーツを一八七六年以前に設定するのは、学者の希望的観測の産物にすぎない。

いっぽう、一八七六年をさかいに朝鮮人資本家が出現し、ようやく産業に目を向けはじめたということには疑いの余地がない。植民地支配は資本家の成長を抑えるどころか、むしろ大きく前進させた。すでに述べた政治的および経済的理由によって、日本は朝鮮人資本家階級の発達を容認し、これを支援したのである。こう主張したからといって、日本の帝国主義を弁護するものでは決してない。

私の意図は、今なお多くの韓国人学者のあいだに充満している植民地神話の一つを払拭することにある。植民地支配がなければ、朝鮮人が自力で資本家階級を生み出したという可能性もないとは言いきれない。しかし、実際にはそうならなかった。朝鮮の資本主義は、植民地支配という環境のなかで最初の真の成長を遂げたのである。確かにこれは不幸なことであり、多くの朝鮮人には認めがたい不快な指摘かもしれない。しかし、それはまぎれもない事実なのである。

朝鮮の資本主義が植民地時代に発展したことを確認し、その発展の程度を検討したうえは、この現象の性質を考察する必要がある。これまで使ってきた「資本主義」という言葉は、市場経済と財産の私有を特徴とする工業社会または工業化しつつある社会を意味する、この定義は、朝鮮の新興資本家の起源を突き止めその発展について述べるには役立ったが、朝鮮で発展した独特の資本主義についてはほとんど何も語らない。朝鮮資本主義の発展に特有のパターンとはどのようなものか。

もっと具体的にいえば、朝鮮資本主義の発展に国家はどのような役割を果たしたのか。さらに、植民地に誕生し発展した資本主義と、日本本国の資本主義とのあいだにはどのような関係があったのか。植民地時代の資本主義を完全に理解するには、これらの問題を検討することが不可欠である。だがこの問題を検討していくと、植民地時代について根強く残っているもう一つの神語と真っ向から対立することになる。それは、一九四五年以前の朝鮮の資本家階級は「民族資本」によって発展したという考えである。

すでに第一部で述べたように、趙磯溶のような萌芽派の韓国人学者は、日本の庇護のもとで著しい社会経済的発展があったという考え方を否定する。しかし、それでは京城紡織株式会社(京紡)に代表される朝鮮人資本家の発展にっいてはどう考えればよいのか。あまりにも明白なこのような発展の現実を説明しようとすれば、植民地支配の影響を認めざるをえないのではないか。

この明白な矛盾に対する巧妙な解決策として、趙をはじめとする韓国人学者は「民族資本」という概念に注目した。今日韓国で使われている多くの歴史用語と同様に、この表現はマルクス・レーニン主義にルーツがある。厳密な意味では、「民族資本」とは植民地下の朝鮮人プチブル(小市民階級)を指すが、彼らは本国の支配的な帝国主義ブルジョアジーと、帝国主義と結託した朝鮮の強大なブルジョアジー(いわゆる「買弁」資本家)の両方と競争し対抗する人々のことである。

北朝鮮の学者たちは「民族資本」と「買弁資本」を使い分け、さらに研究を進めている。 金日成に対するうんざりするような大賛辞にもかかわらず、この区別によって彼らの研究にはある種の分析的な明断さと深みが加えられている。韓国も最近になってようやく追いついてきた。韓国では一九八○年代になるまで民族資本と買弁資本の区別はほとんどなされておらず、概して、すべての朝鮮の資本は区別なく民族資本と呼ばれていたのである。

さて、ここからが神話の核心部分である。この陳腐な説によると、植民地時代の朝鮮の資本はすべて民族資本ということになるので、当然ながら反日的で、植民地の権力構造とも日本の資本主義とも対立していたということになる。趙機溶は、おそらく朝鮮の資本主義の発展に関しては韓国で最も権威ある学者であるが、植民地時代の民族資本の典型として、京紡の業績について次のように述べている。

京紡は、朝鮮の資本(民族資本)と朝鮮の工業技術のみに基づいて経営された。植民地支配のもとで、朝鮮の企業が支配国からの資金援助を受けたり日本の民間資本と提携したりすることなく存続することは困難だった。だが、京紡は朝鮮資本のみによって創設され、経営された数少ない朝鮮企業の;だった。技術者や経営に関しては、発展の遅れた国の企業は少なくとも数人の外国人スタッフを雇うのが一般的だが、京紡は意識的にこれを避けた。

しかし、問題はこのような偉業がどうやって達成されたのかである。どのようにして必要な資金を調達し、必要な原料や工業技術を確保し、朝鮮だけでなく満洲や中国にまで及ぶ巨大な販売網を確立することができたのか。しかも完全に孤立した状態で、あるいは植民地の権力構造と日本の資本主義 システムに逆らってである。この難問に答えるのは、どれほど想像力に秀でた学者であっても難しいだろう。だが、この問題が提起されることは決してない。たとえば趙は次のように述べるのみである。日本の植民地支配のもとでは「日本の大資本と競争しながら会社を成功に導くことは、確かに簡単なことではなかった」が、京紡のめざましい業績は経営陣の「合理的な経営手腕」の結果であった。

神話というものがすべてそうであるように、この話も一片の真実を含んでいる。京紡の株主の大部分が朝鮮人であったことは事実である。また、可能なかぎり朝鮮人技術者を使っていたことも事実である。さらに、この会社について調べた者なら、金季沫とその部下の経営手腕を否定することはないだろう。しかし、京紡クラスの規模と資力を誇る企業が、植民地政府や日本の民間資本と緊密な協力関係をもたずに発展し生き残ったというのは、まさに理性と常識に反する主張である。それどころか、朝鮮の民族資本といえるものが、少なくともある一定の期間、日本の政治的・経済的支配の枠組みのなかで、はたして存在したか(あるいは存在しえたか)どうかは重大な疑問なのだ。

神話から事実へと目を向けると、京紡の物語は神秘性を失うが、より興味深く意義のあるものになる。京紡という企業は植民地の権力構造から孤立し、日本の資本主義と対立していたのではない。それどころか両者との緊密な関係のなかで成長を遂げ、一九四五年には、日本から朝鮮、アジァ大陸にまで広がる帝国主義経済ブロックの重要な一部となっていたのである。

第三章と第四章では、京紡の資金調達と経営を検討することによって、植民地時代の政府と実業界の関係を考察する。第五章と第六章では、朝鮮の資本主義が、日本の根幹をなす資本主義および帝国主義全体とどのような関係にあったのかを検討しよう。(P94−P97)

事大主義の遺産

朝鮮の学者は南北を問わず、ナショナリズムという見地から朝鮮の歴史を説明しようとする。しかし朝鮮におけるナショナリズムは歴史が浅く、一九世紀後半に帝国主義への反動から生まれ、植民地統治の経験を経て強まったものである。もちろんそれまでにも、朝鮮人は民族、言語ともに周囲の国とは異なることを自覚していたし、王や支配王朝に対しても忠誠心を抱いていた。しかし一九世紀後半までは、国家としての「朝鮮」という概念や、同じ半鳥に住む同胞の「朝鮮人」に対する忠誠心はむしろ希薄だった。それよりはるかに強かったのは、王に対する忠誠心に加えて、村や地域、そしてなによりも氏族、家系、肉親、血縁集団への帰属意識だったのである。

とくに支配階級にとっては、ナショナリズムという概念はなじめないどころか、野蛮なものにさえ映ったことだろう。少なくとも七世紀以降、支配階級は文化的にはみずからを朝鮮人というより、中国を中心とする大きな世界文明の一員と考えていた。朝鮮の王位は、かたちのうえでは中国の皇帝に よって与えられる地位であったし、宮廷人や貴族のあいだでは中国語が書き言葉として用いられた。また中国の哲学や文学の古典が、あらゆる教育の基礎となっていた。朝鮮の支配階級にとって、中国文化に触れないことは野蛮人となるに等しかったのである。

李朝の初期、こうした中国文化崇拝は、事大主義と呼ばれる外交政策として具体化する。事大とはつか「偉大なるものに事えること」で、「偉大なるもの」とはすなわち中国にほかならなかった。ある意味で、事大主義は巧妙な外交戦術ともいえ、これによって朝鮮は偉大なる国家(当時の一般的な儒教用語でいうところの「兄」)から恩寵、庇護、そして洗練された文化を手に入れたのである。

しかし一方で、外国に対するこのような崇拝と服従は、朝鮮の支配階級に存在しえたかもしれない民族意識を大いに弱めるところとなった。たとえば一五世紀、中国語の押韻辞典をハングル(新しく作られた朝鮮独自の表音文字)に翻訳する試みがあったとき、名高い集賢殿で最高位の学者であった崔萬理は、これに対して激しく反対する文書を世宗に奏上している。この奏状には両班階級のあからさまで過激ともいえる世界観がはっきりと表われている。

「古より」と崔は書き出している。

九州はそれぞれ独自の慣習や言語を有してきましたが、これまでどの民族もモンゴルみずからの言語をもとに固有の文字を作ったことなどありません。蒙古、西夏、女真、日本、吐蕃などでは独自の文字を使っていますが、この者たちは夷秋(野蛮人)であり、語るに値しません。古典に、夷秋を中華に変えるとは申しますが、中華を夷荻に変えるなどという話は聞いたことがありません。

歴代の中国では、わが国をもって箕子の遺風があり、礼楽と文物が中華に比肩するといっているのに、いま別に朝鮮固有の文字(諺文=ハングル)を作るのは、中国を捨てて、夷秋と同じくなることにほかなりません。すなわち「蘇合の香を捨て、蟷螂の丸薬をとる」ということです。これはまさに我々の文明にかかわる由々しき事態です。

一八七六年以降、ナショナリズムが成長する一方で、みずからのアイデンティティを異文化の枠組みのなかに見出すという支配階級の伝統的な傾向は、植民地時代にも引き継がれたようだ。彼らは文明の中心を中国から日本におきかえ、日本を朝鮮の「兄」とみなした。そのプロセスは、中国の世界秩序が崩壊のさなかにあった一九世紀後半にすでに始まっていた。

支配階級のなかの革新派は中国に見切りをつけ、新たな世界文明の模範として西洋と日本に目を向けはじめたのである。日本を理想と仰いだ初期の両班階級の改革派の人々は、日本と朝鮮の正式な政治的合併など考えてもみなかったのだが、一九〇四年から一九一〇年のあいだに出現した「一進会」と呼ばれる過激な改革派は、日本を反西洋文明、汎アジア文明の中心に据え、朝鮮の保護国化と日韓併合を公然と支持したのである。

この姿を変えた事大主義は、韓相龍をはじめとする植民地時代の著名な実業家のスピーチや文書、談話などによく表われている。彼らが日本の役人や実業家と話すときに用いな言葉は、戦前の日本の標準から考えても過度に慇懃なものだった。日本語が不得手で、さまざまな修辞や細やかな表現を駆使できない場合でも、「弟」が「兄」につかえるという儒教の事大主義がはっきりと認められる。むしろ、日本語がつたないほど、事大主義がはっきりと見てとれるといえよう。

たとえば、一九三八年の時局対策調査会では、湖南銀行の頭取であり、高散の金一族と公私にわたり 深い付き合いのあった玄俊鏑が、日本人出席者を前にたどたどしい日本語で、未熟な「弟」である朝鮮人に対し日本人はもっと寛大であってほしいと訴えている。

朝鮮人を、いつも弟分又は乾分と思って、大きな包容力を有って、間違ったら、指導誘液してそれを許してやる、というような、寛大な気持を有って頂きたい。朝鮮人のような教育の足らない者を相手にして、お互喧嘩して争うことは内地人の恥と思って、寛大なる包容力を有ってあたれと希望したいのであります。(P294−P297)

カーター・J・エッカート著 「日本帝国の申し子」


江藤会長、「植民地時代には日本が韓国にいいこともした」

自民党衆院議員で江藤・亀井派の江藤隆美会長は12日、福井市内であった党支部定期大会で講演し、「新宿の歌舞伎町見てみなさい。第三国人が支配する無法地帯。最近は中国やら韓国やらその他の国々の不法滞在者が群れをなして強盗をやってる」と発言した。教育基本法の改正について国家のあり方を問う中で語った。
また国内の治安体制に関連して「朝鮮半島に事が起こって船で何千何万人と押し寄せる。国内には不法滞在者など、泥棒や人殺しやらしているやつらが100万人いる。内部で騒乱を起こす」とも述べた。
さらに南京大虐殺について、「教科書問題でも中国大使にいんちき言うなと。犠牲者30万人などというのはでっちあげのうそっぱち。違うと私が説明してやる」と語った。
江藤会長は、総務庁長官だった95年、「植民地時代には日本が韓国にいいこともした」との発言で国会が混乱した責任を理由に辞任している。
[毎日新聞7月12日] ( 2003-07-12-23:24 


(私のコメント)
江藤元総務長官は95年に「植民地時代には日本が韓国にいい事もした」との発言で引責辞任しましたが、当時は本当の事を言っても大臣の首が飛ぶ時代でした。当時のマスコミは一斉に暴言扱いの報道で政治家を血祭りにあげることで得意になっていた。確かに韓国人が聞けばカチンとくる発言ですが、間違いではないにもかかわらず大臣の首が飛ぶというのは異常であった。

当時のマスコミは北朝鮮をわざわざ「朝鮮民主主義人民共和国」と言い直していたことからも、当時は朝鮮総連から不当な圧力が加えられいたことが想像できます。政治家達も朝鮮総連のシンパが自民党の実力者としていた事から政界も朝鮮半島のことは、たとえ事実でも触れてはならない、とされたタブーが存在した。

最近は北朝鮮の拉致問題が表面化して、噂のあった自民党の実力者も引退し、風向きも大分変わってきました。しかしマスコミはいまだに南北朝鮮のシンパが、報道に様々な偏向を加えている形跡があり、いまだに朝鮮半島の植民地時代の公正な時代評価は出来ないようだ。

カーター・J・エッカート氏はハーバード大学の教授であり、コリア・インスティチュートの所長でもある朝鮮史の権威でも有ります。そして「日本帝国の申し子」という著作はアメリカの歴史学会などの受賞作でもあり権威のあるものです。しかし発刊されてから10年も経つのに韓国ではまだ翻訳された本が発行されておらず、韓国にはかなり反発があるらしい。

韓国は48年に独立してまだ間もない国ですからナショナリズムを高揚させる必要があるのは分かりますが、日本の歴史教育にまで干渉してくるのはやりすぎであり、強制連行問題や従軍慰安婦問題や創氏改名問題など、問題が起こるたびに私は反論して来ましたが、韓国人たちが歴史を直視しようとしないのは、彼らにとって不幸な出来事だ。

韓国における歴史教育において、日本の植民地支配を批判するのは理解できますが、ある事ない事をでっち上げて反日教育をしているのは、日韓関係に一つもプラスにならない事だ。そのことで韓国のナショナリズムは盛り上がるかもしれませんが、それが間違った教育の為だったと分かった時は、彼らはどのような思いを抱くだろうか。

それよりも問題なのは彼らに迎合して、日本は植民地支配をして悪い事ばかりしてきたと、日本の歴史教育で教えられていることだ。マスコミの記者たちもそれに同調しているような報道をしている。もっと悪いのは文部省もそれに同調していることだ。先月大学入試センターが行った世界史の問題で強制連行が行われたとする問題が正解とされた問題があった。西尾幹二氏のホームページから引用します。

5 それは、日本統治下の朝鮮について述べた文として正しいものを、四つの選択肢から選ばせるという形式の問題で、正解とされたのは、「第二次世界大戦中、日本への強制連行が行われた」(本件設問)というものである。これは、以下のとおり、選択肢中に正解がない設問である。

1) ここで使われている「強制連行」という悪質な違法行為を意味する用語は、最近になってから日本を糾弾するための政治的な意味合いをもって造語された言葉であって、事実をあらわすものではない。

2) 日本統治下の朝鮮においては、「国民徴用令」にもとづく徴用が昭和19年9月から実施されたので、設問は、対応する歴史事実としては、この徴用を想定していると推定される。しかし、当時は朝鮮半島の人々も日本国民だったのであり、徴用は国家による合法的行為であった。この設問は、日本政府が第二次大戦中、朝鮮人に対して違法行為を行ったという虚構の歴史を、大学受験という制度を利用して日本国民に押しつけようとするものである。


西尾幹二のインターネット日録 2004・02・04


(私のコメント)
ここまで来ると日本の文部省は一種の思想統制をしているのであり、自国民への歴史的罪悪感の刷り込みであり、事実として間違っている。戦時中の軍事徴用は強制連行とは全くの別のものであり、これは北朝鮮が言い始めたことを、韓国や日本の進歩的文化人が同調して言い始めたことである。

しかしながらこの事は日本のニュースにはならず、ネットなどで指摘されて問題になった。歴史を見る上で様々な立場から様々な見方があるのは当然である。私が「株式日記」で書いたことも一つの見方として書いている。ところが文部省のバカ官僚は教科書を通じて国民へ間違った歴史教育を生徒達に教え込んでいるのだ。




竹中平蔵は「平成のポルポト」だ
「不良債権処理強行」の即時中止こそが王道だ


2004年2月16日 月曜日

最近、私は「カンボジア戦記」という本を読み返している。
これは「革命」の名の下に多くの国民を死に追いやった
ポル・ポト政権が成立した1975年から、
91年のカンボジア和平成立までをレポートしたものである。

今なぜカンボジアなのかと思われる方もいるだろう。
しかし、今の日本の状況はポル・ポト時代のカンボジアに
あまりに酷似しているのではないだろうか。
そしてポル・ポトの狂気は竹中平蔵にそっくり受け継がれている。

75年に政権についたポル・ポトは「革命遂行」の名の下で
約4年間に数十万とも数百万とも言われる国民を
虐殺、強制労働による過労、栄養失調等で死に追いやっている。
中でも官僚、医師、エンジニアなどの知識階層については、
それだけで「反革命分子」とされ徹底的に抹殺された。

>01年に政権についた竹中平蔵は「構造改革」の名の下で
>約4年間に12万とも13万とも言われる国民を
>重労働による過労、自殺等で死に追いやっている。
>中でも商店、自営業者、などの中小企業階層については、
>それだけで「反構造改革分子」とされ徹底的に抹殺された


彼の論理の特徴はまず市場原理による資源配分を否定し、
国家が必要な産業(彼の場合は農業)を決定した上で
不要とした産業を潰し、無理やり国民を農業へと移したことだ。
もちろん、農業だけで国民を養っていけるなどというのは妄想にすぎず、
経済はそれでガタガタになり餓死者もでるのだが、
「革命」のためには死者いくら出ても仕方がないとされた。

また、その「革命」を遂行する手段としては、
「反革命分子」を排除することが大切であるとされた。
そして、さらには排除すること自体が自己目的化して、
「革命」に不要とされた人々を殺害し抹殺することが
すなわち「革命」を進めていくことと同義とされていった。

また、「革命」の美名のもとに国民は重労働を強いられたわけだが、
そもそもの経済理論がデタラメな上に
「反革命分子」が次々と抹殺される縮小均衡の中で
国民がどんなに働いても経済が上向くはずもなく、
経済は疲弊し、多くの国民が過労や栄養失調で
次々と命を落としていった。
それでも彼は独善的な「革命」路線を変えることはなかった


しかし、そもそもそんな彼がなぜ強権を握り得たのであろうか?
彼は「共産主義」という当時流行の思想を標榜し、
「階級敵」を攻撃する手法で大衆のルサンチマンに訴えたこと、
また、シアヌーク殿下という日和見主義だが国民的人気のあるカリスマを
前面に押し立て大衆の反発をかわす作戦をとることで
当初は大衆の支持を得ることに成功してきたのだ。

>しかし、そもそもそんな彼がなぜ強権を握り得たのであろうか?
>彼は「構造改革」という当時流行の思想を標榜し、
>「抵抗勢力」を攻撃する手法で大衆のルサンチマンに訴えたこと、
>また、小泉純一郎という日和見主義だが国民的人気のあるカリスマを
>前面に押し立て大衆の反発をかわす作戦をとることで
>当初は大衆の支持を得ることに成功してきたのだ。


もちろん、彼の正体が明らかになってくるに従い、
国民の支持は次第に彼から離れていった。
しかし、いったん実権を握った者を引きずりおろすのは
そう容易なことではない


結局、79年のヘン・サムリン政権樹立まで
ポルポト政権は約4年間に及び、
数十万とも数百万とも言われる国民が命を落とし国土は荒廃した。
そしてその後も混乱は続き、日本もPKOで参加した91年の和平まで
延々と内戦が続いていくことになる。

こうして見てくると、今日の竹中の思考・行動パターンは、
ポル・ポトのそれと酷似してることに気付くだろう。
これは明らかに「極左」の系譜である。
決して米国流合理主義の流れにあるものではない。
中国の文化大革命やスターリンによる粛清、
また最近注目を集める北朝鮮に見られるのと同様、
常に左翼のいきつく先にある、ドン詰まりの「極左」である。


この流れがわかれば、若い頃左翼カルトにはまり
未だにその尻尾を引きずり続ける連中が跋扈するマスコミが、
竹中に傾倒する流れも理解できる。
例えて言えば、彼らがイタコとなってポル・ポトの亡霊を
現代の日本に呼び覚ましてしまったといえるだろう。


しかし、「極左」路線で幸福になった国はないということは
歴史が証明している。
それは所詮カルトでしかなく、いずれ必ず破綻に至り、
常に国民に大きなツケだけを残しているという歴史から学ぶべきだ。
「極左」カルトに変質してしまった「構造改革」は捨て去る以外にない。

http://village.infoweb.ne.jp/~fwhh1899/page163.htm


小泉内閣がいう所の「構造改革」の行き詰まりは誰の目にも明白である。
その結果、じわじわと各方面から「ケインズ政策」
すなわち公共事業により需要不足を埋めていくことで、
経済の成長を実現する政策を求める声が広がり始めているようだ。

しかし、私はこの考えには全面的に反対である。
今、需要が足りないのは小泉内閣が「ワザと」やっていることだ。
それさえやめさせれば公共事業ではなく、
国民が自発的に欲しいものを買うことで景気の回復が可能なのに、
なぜ、わざわざ無駄な公共事業に国富をつぎ込まなければならないのか。

銀行が保有する国債の残高が過去最高の93兆円に達したという。
これも先日紹介した月間の為替介入が過去最高の7兆円に達したことと同様、
小泉内閣の狂った経済運営を示す象徴的な数字だ。

日銀はこの1月から日銀当座の残高目標を30〜35兆円にまで引き上げている。
それほどまでに日銀がしゃかりきになって資金を市場に供給しても、
銀行は金融庁の査定を恐れて貸し出し姿勢を慎重にせざるを得ず、
資金を国債に振り向ける以外にないということになっている。
これでは日銀がどんなに頑張っても金融緩和が社会全体に浸透していかない。

97年までは銀行の貸し出し残高は増加していたというデータがある。
つまり「不良債権」の「ある」「なし」自体は信用創造とは何の関係もないのだ。
真の「不良債権問題」とは不良債権の「存在の有無」自体の問題ではなく、
それを無理やり処理させたり、査定を強化したりすることによって、
銀行の貸し出し姿勢を萎縮させ、信用創造機能を毀損しているという問題なのだ


今、「金融政策」が効かないとよく言われるのは、そうやって、
その波及経路を金融庁がワザと毀損しているからである。
それさえやめれば「金融政策」が大いに効果を上げる可能性は極めて大きい。
そういう情況を理解しないまま、「金融政策」がダメだから
「財政政策」しかないというのは論理の飛躍というほかない。

今の資本主義諸国の景気対策の主流は「金融政策」である。
また、経済資源の市場原理に従った分配という観点においても
「財政政策」より「金融政策」が優れているということも明白だ。
また、日本の危機的な財政状態を考えても、
これ以上の余計な「財政政策」を行う余力があるとも思えない。
「不良債権処理強行」の即時中止により銀行の信用創造機能を回復し、
「金融政策」の効果によって経済再生を図ることこそが真の王道でなのである


最近、気になるのが小泉内閣の失敗が明白になるにつれて、
「ケインズ政策」のような「大きな政府」型の政策を主張する勢力が
また息を吹き返しつつあるように見えることだ。
しかし、小泉内閣のいう「構造改革」が失敗したのは、
「不良債権処理強行」という意味不明の統制経済的な政策を取り込んでしまった所にある。
「市場重視」、「小さな政府」、「官から民へ」などという
本来の「構造改革」の理念自体に問題があったわけでは全くない。

小泉内閣がそういう理念から外れて暴走したが故に失敗したにも関わらず、
意図的にそれに気がつかないふりをして、
日本を公共事業大国に引き戻そうとする勢力が蠢動している。
理念と行動があまりにも正反対であった小泉内閣の罪は
単にそれによる経済破壊という点だけに留まらず、
「だから改革はダメだ」という不信感を広く残したという点で万死に値すると思う。

http://village.infoweb.ne.jp/~fwhh1899/index.htm


(私のコメント)
よく「失われた十年」と言われますが、97年ごろまでは金融機関もまだ機能しており、単なる大型不況と見られていた。銀行が抱える不良債権は今までにない巨額なものでしたが、信用創造機能は失われてはいなかった。ところが1997年を境に銀行は株式などの資産を処分し始め、株価はさらに暴落を続け、大型の銀行倒産が現実化していった。

橋本内閣のビックバン政策がこれまでの護送船団方式から、弱肉強食政策に変わったからだ。なのに不良債権の額と銀行の貸出額とには関連性がないにもかかわらず、不良債権処理が強行されるようになったのだろうか。それは不良債権が銀行経営の癌であるとして、不良債権処理を最優先とする政策が決定されたからだ。

私はリチャード・クー氏の主張するように、不良債権は時間をかけて解消させていく方針を支持してきました。もしどうしても早期に不良債権を解消させるのなら、不良債権を公的資金で買い取る方法を提案してきた。しかしこれらの方法は構造改革推進論者により葬り去られ、金融庁による銀行が持つ不良債権の厳格査定により、日本の銀行は次々と潰され外資に売られていった。

竹中金融大臣はまだ日本の銀行を潰し足りず、メガバンクの処分を考えているようだ。そのモデルともいえるのが韓国であり、一連の構造改革支持論者も韓国を見習えといっている。そういえば自衛隊のイラク派遣と言い、韓国の3000人の軍隊派遣と言い、最近は驚くほど韓国と日本の政治構造が似てきている。二つの国を背後で操っているのが同じアメリカだからだ。国会における竹中大臣の答弁はそれを裏づけしているが、以下の通りです。

不良債権処理 背景に米経済戦略 2002年11月8日(金)「しんぶん赤旗」

小泉内閣の「不良債権処理の加速策」の背景に、米金融資本の利益を代弁した米政府の経済戦略がある――。日本共産党の大門実紀史議員は七日の参院財政金融委員会で、「加速策」の強行は日本経済と財政の崩壊につながると批判し、撤回を求めました。

 大門氏は、日本政府が「不良債権処理」の具体策をすすめるたびごとに日米首脳会談での対米公約があったことを指摘。さらに竹中平蔵経済財政担当相が九月の内閣改造で金融相を兼務することになり、「不良債権処理の加速策」に市場が反発、株価が大幅下落した際に、米大統領経済諮問委員会(CEA)のハバード委員長が「竹中大臣が進める方針を支持する」と表明。「加速策」に日本の大手銀行が反発したときにも、竹中支持を改めて表明したことを指摘。「竹中大臣の金融相の兼任はアメリカの強い期待があったのではないか」と強調しました。

 さらに大門氏は、竹中氏が「学ぶべきだ」としている韓国での「不良債権処理策」を紹介。韓国では、主要銀行九つのうち七行が国有化され、六行が米国の大手投資銀行などの外資に売り渡されています。しかもその際に使われた公的資金は、韓国のGDP(国内総生産)の三割の百五十五兆ウオン

 「韓国のどこを学ぶのか」と大門氏が迫ったのに対し、竹中氏は「公的資金が必要になった場合は、速やかに投入して処理したことなど学ぶべきことはある」と答えました。

 大門氏は「これでは経済はクラッシュ(崩壊)する。財政もパンクになる。日本の金融までガタガタにされて、最後に得をするのは外資しかない」と強調しました。

(私のコメント)
最近の経済政策に関しては私と共産党とは驚くほどよく似ている。韓国では大銀行9行のうち7行が国有化され、その内の6行が外資に売却されました。小泉・竹中内閣が企んでいるには日本の韓国化であり、ブッシュ政権を後ろ盾にしたアメリカの植民地化の推進である。最近はドルの買い支えをして1年で20兆円もの円をアメリカに献上した。

しかしこのような政策はアメリカにとっても良い戦略と言えるだろうか。アメリカがこのように露骨な経済侵略を行った場合、日本の反米感情は韓国のように激しくなり、ノ・ムヒョン大統領のような反米政権を生み出すだろう。私はその意味で警告しているのですが、小泉・竹中内閣は不良債権処理を強行しようとしている。

アメリカもハバード委員長をクビにして小泉・竹中内閣に「あまりやりすぎるな」と警告しているのですが、小泉首相はそれに気がつかないようだ。もっともブッシュ大統領自身が再選に覚束なくなり小泉内閣を道連れにして失脚するのでしょう。



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