株式日記と経済展望

ページを繰り越しましたのでホームページからどうぞ。


英語の一元的支配の歴史的過程
アメリカのソフトパワーの衰退は決定的


2003年12月31日 水曜日

◆英語の一元的支配の歴史的過程

特定の言語が、もともとは地域的にも使用者の数の面でも限定された民族語でありながら、母国語の異なる様々な人々によって広範に使用されるようになるには、この言語を母国語とした国家・民族の経済的・文化的影響力がその他の言語を母国語とする様々な国家や民族のなかで、かなりの程度大きいものであることが前提となる。簡単にいえば、言語の影響力は、その言語を使用する国家・民族の経済的・文化的力量と、それを保障する政治的・軍事的な力量に比例する

ヨーロッパ史を例にとれば、ローマが地中海を「我らの海」とする世界帝国に成長すると、ラテン語がローマに服従する広大な地域、様々な民族のあいだでの「公用語」の役割を果たした
[10]。さらに、ローマ帝国の解体後のキリスト教世界では、聖書は西方ローマ・カトリック圏ではラテン語、東方ギリシア正教圏のビザンツ帝国ではギリシア語、スラヴ諸国では教会スラヴ語でのみ記述され、典礼もそれぞれの言語で行われるようになると、ラテン語、ギリシア語、さらに教会スラヴ語がそれぞれの地域の「公用語」の役割を果たすようになっていった。なかでも、とくに西ヨーロッパ・中央ヨーロッパ地域では、古代ローマ帝国に由来するラテン語は、文化の担い手あるいは様々な行政文書・法律の作成作業に責任をおっていた聖職者階層にとっては、近代にいたるまで、いわば国際共通語の役割を果たし続けた[11]

ただし、古典古代のギリシア・ローマ文明は、中世ヨーロッパに直接継承されたわけではなく、7世紀に登場したイスラム帝国に継承され、そこから12世紀ごろにヨーロッパに逆輸出されたことに注意しなくてはならない。このことを言語の影響力の面からみると、イスラム帝国は9世紀ごろからギリシア語の作品を精力的にアラビア語に翻訳し、それらを帝国の図書館に蓄積し、その後、十字軍時代を経て、イスラムの科学と哲学に関心を抱いたヨーロッパ側が、イスラム固有の科学や哲学の著作だけではなく、アラビア語に翻訳されていた古典古代文明の作品をラテン語に翻訳したことになる。

したがって、
12世紀ごろのヨーロッパの知識人はあらそって(今日の日本の英語ブームと同様に)アラビア語を習得しようとしたのであった。当時のヨーロッパの王侯貴族にとっては、アラビア風の衣装をまとうことが最新ファッションであったことなどを考えると、経済的・文化的力量こそがその経済・文化を担う言語の普及を促進するという事実を確証している[12]

だが、西ヨーロッパにおけるラテン語の支配は、ローマ教皇を中心とするキリスト教共同体という理念の崩壊およびイギリス、フランスなどの国民国家の登場によって揺らいでいく。ローマ・カトリック教会の免罪符の発行を批判して、宗教改革の口火をきったマルティン・ルターはワルロブルクに隠れていたときに、新約聖書をドイツ語に訳し、このことが近代ドイツ語の形成に大きな影響を与えたこと、またイギリスでもローマ教会から独立したイギリス国教会の確立とともに聖書の英訳が完成したことはよく知られた事実であるが、このことはローマ教皇権への挑戦が、ラテン語の支配への挑戦でもあったことを意味している

また、ローマ教皇権との対立のなかで王権を確立していった絶対君主たちは、自分達の地域的な支配に対立する普遍的な教皇権の影響を排除するために、ラテン語を排除して、自分の支配する地域で主流の言語=民族語に国家語として地位を与えることによって、王権を強化しようとした。

例えば、フランスでは、フランソア
1世は1539年にヴィレル・コトレの勅令(Ordonnance de Villers-Cotterets)を発して、それまでラテン語で行なわれていた裁判の判決や記録をすべてフランス語で行なうことを命じているが、この勅令はあわせて教会裁判権と世俗裁判権の管轄区分の明確化、戸籍の作成を命じていることからもわかるように、あきらかにフランス語=国家語の導入によって、「国民国家」の統合を意図したものである。

結局、
17世紀ごろになると、ラテン語は聖職者=知識人の「国際共通語」としての地位を失い、ヨーロッパには、例えば、商業の分野ではオランダ語が、文化的な分野ではフランス語が優位を占めるといったように、一元的な影響力を持つ言語はなくなり、いわば多言語的な環境が産み出されていった。さらに、19世紀に入ると、民族主義運動の高揚のもとで、それまで国民国家や多民族国家の中で抑圧されていた少数民族の言語も自己主張をしはじめ、多言語的な環境はいっそう複雑になっていった。ザメンホフがエスペラントを提案した時代も、このような時代であった。

ラテン語が「公用語」としての地位を失いつつあった17世紀、英語はまだヨーロッパ大陸から離れた孤島の小言語にすぎなかった。その英語が、300400年間で、今日のガリバー的な巨人言語に成長するのであるが、歴史的な諸事件と英語の普及・支配との関連を以下にまとめておく。

(中略)

以上のように見て来ると、言語の影響力は、その言語を使用する国家・民族の経済的・文化的力量と、それを保障する政治的・軍事的な力量に比例するという観点からすれば、英語の急速な普及と支配は、植民大国としての大英帝国の興隆、大英帝国の衰退の後には、アメリカ合衆国の世界帝国への成長という近・現代の国際関係史の諸事件の当然の結果であった[16]

もっと時代を限定すれば、今日の国際秩序を形作った20世紀の3つの戦争(第一次大戦、第二次大戦、米ソ冷戦)で全勝を収めたのが、イギリスとアメリカ合衆国という英語を母国語とする国家であったがゆえに、今日の英語の一元的な支配という言語環境が生まれたといえる[17]

したがって、エスペラントの可能性を探る場合でも、たんにエスペラントの方が英語よりも習得が簡単であり、言語学的にも優れているということを主張するだけではすまされず、今日の国際秩序のもとでは、英語が世界のかなりの地域で重要な役割を果たしており、各地域の民族語のなかに無視し得ないほど浸透しているという事実を直視することから出発しなくてはならない。

このような英語の優位は、国際交流のあらゆる分野でも圧倒的である。例えば、公的な国連総会などでは、英語、フランス語、スペイン語、ロシア語、中国語の
5つの言語が同時通訳の付く公用語(oficialaj lingvoj)とされているが[18]、国連諸機関の日常的な活動の中で使われる作業語(laborolingvoj)としては英語とフランス語、とくに英語が圧倒的な地位を占めている(国際的な舞台における英語とフランス語の力の割合は、大目に見て101ぐらいであろうといわれている)。

こうした中でも、母国語以外の外国語の中で英語の地位が圧倒的に高いのは、日本であろう。起源をたどれば、すでに明治政府の中において、当時外交用語の主流であったフランス語ではなく、英語が支配的であったことに行き着くのであろうが
[19]、今日の外国語=英語、ひいては国際語=英語、国際人になること=英会話ができることというような風潮が我が国では、際立っている。

例えば、我が国の中・高の教科科目として、正式に設定されているのは「外国語」であり、建前の点では、タガロク語であろうと、スワヒリ語であろうと、あるいは人工語であるエスペラントでさえも、「外国語」教科として選択することは可能である。しかし、前述の風潮と、大学の試験科目の大半が英語であるために、きわめて少数の例外を除いて、北は北海道から南は沖縄までの全国の中学校・高校では、英語が教えられており、一般的には「外国語」とは英語のことであると受け取られているのが実情である
[20]

◆英語の一元的支配の問題点

このような英語の一元的な支配の結果、どのような事態が生じてしまったのか。1980年にストックホルムで開かれた第65回エスペラント世界大会は、直接英語の支配に言及しているわけではないが、今日の事態を「言語差別」ととらえ、次のような決議をしている。

(1) 言語差別問題は、別の形の差別と密接に関連しており、この別の形の差別は常に言語問題の側面を持っている。

(2) しかし、言語差別は独自の問題として明確に区別できるのであって、それはしばしば人種・民族問題と混同されてしまうが、実際には独自の特徴を持っている。

(3) 固有の異なる言語を持つA、B二つグループのうち、AグループがBグループの言語を学習・使用しなくてはならず、BグループはAグループの言語を学習する必要がないときに、言語差別が生じる。

(4) 言語差別を受けるのは、一国家の中の言語的少数派だけではなく、世界的な規模では、独立民族、国家も言語差別を受ける。

(5) 他の言語を使用する人々との接触にあたって自分固有の言語を使用し、自分の言語を使うように強制している人々が、言語差別を実行している。

(6) 他の民族によって特定の生活分野(例えば、教育、職業、国際交流)で他民族の言語を使うことを強制されている人々は、言語差別に苦しんでいる。

(7) 諸国家のあいだでの言語差別は、国際組織内部での言語政策に反映している。国際組織では、特定の民族語が作業語として推奨され(その結果、特定の国家が他の国家に優越する状況を産み出している)、そのことによって、弱小国家や民族の言語が排除されているのである。」[21]

また、英語の一元的な支配あるいは英語=国際語論を鋭く批判する津田幸男氏は、今日の状況をもっと具体的に、こう述べている。

「英語を母国語とする人間、または英語が堪能な人間と、英語を母国語としないか、または英語が堪能でない人間が出会って英語で話をするとき、何が起きるかは明白である。具体的にいうと、アメリカ人と日本人が英語で話し合うとき、日本人は表現を制限されるばかりか、相手のいうことも聞きとれず、不利な立場に追い込まれる。日本人の基本的な権利や立場が失われることさえある。

『英語支配』は、こういった不条理な現実の蓄積と繰り返しにより正当化され、動かしがたいものになってきている。英語支配を支えるイデオロギーは、英語=国際語という現在世界中に広まっている認識である。このイデオロギーが、一方では、英語国民が高圧的に英語を押し付けることを許しており、他方で、非英語国民が強迫観念的に英語を学ばされ、使わざるを得ない状況に追いこんでいる。」
[22]

この津田幸男氏の状況認識は、英語の支配に否定的な人々、英語の支配の中で不利な状況に追い込まれている人々だけではなく、英語支配に肯定的な人々、英語の支配から利益を享受している人々にとっても、受け入れられる認識であろう。なぜなら、英語の一元的な支配は、特定の国家・民族が国際秩序の中で政治的・経済的・文化的・軍事的に優位を占めている場合、その国家・民族の構成員がその母国語とともに、他の国家・民族の構成員と彼らの民族語に対して優位を占めてきたという人類史の冷厳な事実の反映にすぎないからである[23]

しかし、英語の一元的な支配が今日の国際秩序の反映であるとすれば、英語の一元的な支配の克服は非常に困難であることを意味する。したがって、「存在するものは合理的である」という歴史家の「冷笑的」な観点からすれば、英語を母国語とする人々中心の国際秩序が続く限り、英語の一元的な支配も続くであろう。(逆に、この秩序が解体すれば、自動的に英語の一元的な支配も終了する)

もしも、政治的・軍事的・経済的な手段によって、この国際秩序を解体するという手段を取らないとすれば、残されている手段は地道な、もしかするとほとんど成果をあげることのできないかもしれない、啓蒙的な運動あるいは意識改革運動だけにすぎない、という結論になる。エスペラント運動が、その熱心な支持者の活動にもかかわらず、ザメンホフ死後
1世紀の今日にいたっても、支持者の拡大という面でさしたる成果をあげていないのも、まさにこの冷厳な事実のためであった。

したがって、問題は、現在の国際秩序が少なくともかなりの期間続き、英語の一元的な支配がかなりの期間続くであろうという状況の中で、英語を母国語としていない国家・民族が、どのようにしたら自分達の国家的な利益・民族的な利益を守っていくことができるかという点にある。そして、既存の国際秩序の変革という課題は、「言語」の問題をはるかに越える問題であるので、「言語」の問題としては啓蒙的な意識改革運動しか手段が残されていないとすれば、その中で、エスペラントにはどのような可能性、方向性があるのであろうか。
 

加藤研究室の個人書庫 ニュールンベルク・東京裁判史観に抗して


(私のコメント)
昨日の晩にNHK-BSで「MTVミュージック・アウォード」を放送していましたが、冒頭でマドンナとブリトニー・スピアーズとクリスティン・アギュレラが出てきてナイス・パフォーマンスを見せていましたが、マドンナの迫力と貫禄は完全にブリトニーとクリスティンを圧倒していました。

しかしマドンナは1980年代のポップスターであり、私はほとんど引退していたものと思っていた。マイケルジャクソンも事件を起こして起訴されているし、アメリカの音楽界はどうなってしまうのかと思っていましたが、マドンナの声もボディーもぜんぜん衰えておらず、筋肉モリモリのナイスバディーは全盛期のままだ。

現在のアメリカの若手女性ボーカルはブリトニーですが、普通の日本人でブリトニー・スピアーズの名前をどれだけ知っているだろうか。私ですらヒット曲の名前も思い浮かばない。CDの売り上げにしてもほとんどがJ-POPが占めている。これは音楽界のみならず映画もハリウッド映画の寡占体制が続いているが、質的な面の低下が明らかだ。アメリカ文化は80年代で終わってしまったようだ。

経済力や軍事力においてはアメリカの力は圧倒的だ。しかしこれはいつまで続くのだろうか。経済力も生産力の低下が続き空洞化している。圧倒的強さを持った航空宇宙産業ですらアメリカ企業は青息吐息だ。スペースシャトルは墜落し人類を月に送る余力はアメリカにはもうない。

軍事力はどうだろうか。ハイテクパワーは圧倒的であり軍事予算はアメリカ一ヶ国で他の20カ国を上回る。しかしイラク侵攻で見せたようにアメリカ軍に思わぬ欠陥があらわになってしまった。攻撃力は圧倒的でも、掃討作戦は歩兵がやらねばなりませんが、アメリカは10万の歩兵も長期間送り込むことは出来ない。EUやアジアから引き抜いて回さざるをえない。しかしEUやアジアに軍事的空白が生まれてしまう。

このように現状はアメリカの経済力、軍事力は絶大ですがそれがクラッシュする時期が近くに迫っている。アメリカは思想的にも自由と民主主義のイデオロギーをソ連の崩壊で生かすことが出来なくなってしまった。今やその相手をテロリストにすり替えているが、下手をすれば全世界を敵に回すことになるだろう。

現在の世界的共通語としての英語の支配力はこれからも続くのであろうか。言語が経済的文化的な力の反映とするならば、英語の全盛期はそう長くは続かないだろう。ロシア語にしてもソ連の崩壊とともにロシア語の勢力圏は小さくなってしまった。これは以前の日記でもニューズウィークの記事を紹介して書きました。英語にも同じことが起こりうるのであり、これからは中国語やEU諸国の言語にも日本は重きをおく必要があります。

日本はアメリカのような世界帝国にはなり得ないのだから、コバンザメのようにNo2の国としての処世術を駆使していくべきだろう。次の世界帝国はEUになるか中国になるかロシアになるかわかりませんが、世界情勢に柔軟に対処してゆくべきだ。現在の日本政府のやり方はあまりにもアメリカ一辺倒で、アメリカがこけたら日本も道連れだ。

いずれアメリカはアジアから兵を引くときが来るであろう。その時の荒波の呑まれない為にも日本のアメリカからの自主独立と国力を維持するための戦略をもたなければならない。アメリカの国力の源泉は石油に恵まれていたからですが、石油がなくなれば自動車は動かず、船も飛行機も動かなくなります。それに変わるべきものは見つかってはいない。アメリカは近く7割もの石油を輸入するようになる。アメリカ国内の石油が枯渇しかけているからだ。その意味でアメリカの衰退は火を見るより明らかだ。

田中宇氏が同じような意味でボーイング社の凋落を書いています。

ボーイング社の凋落と日本の運命 田中宇





<東証>今年最後の終値、続伸1万676円
小泉総理と竹中大臣の性格に対する恐怖


2003年12月30日 火曜日

<東証>今年最後の終値、続伸1万676円

 30日の東京株式市場は、今年最後の取引となった大納会。前日の米国市場で株価が上昇したことから、幅広い銘柄が買われ、日経平均株価は3営業日連続で上昇し、前日比176円02銭高の1万676円64銭で取引を終えた。終値での1万600円台は11月7日以来。TOPIX(東証株価指数)は、同17.45ポイント高の1043.69だった。(毎日新聞)
[12月30日12時45分更新]

◆2004年の相場展望

2003年は14年ぶりに株式市場が本格的に上昇を開始した年になりました。なぜ本格的に株式市場が上昇したと言えるのかと言いますと、1990年以降で景気対策を伴わずに株式市場が上昇したのは2回しかないからです。
最初は1999年から2000年にかけて起こったIT相場でしたが、これは米国のIT相場を模倣した相場であり、足が地についた経済環境を前提に株式市場が上昇したわけではありませんでした。

したがって、本当の意味で株式市場が自立的に上昇したと言えるのは2002年12月から始まった小型株相場と2003年5月から始まった大型株相場だったということになります。この2つの相場は『政治が株式市場を上げる政策とは逆に、株式市場を下げる政策を取り続けた中で起こったこと』だからです。つまり、景気対策を行わずに株式市場がファンダメンダルズを材料に自立的に上昇したのは今回が初めてということになります

◆来年の株式市場に影響を与える要因
◇小泉総理の寿命と対抗馬
1.小泉総理の役割はほぼ終わったと言えます。色々な改革を提唱した小泉総理でしたが、猪瀬氏、田中真紀子氏、石原大臣など、小泉総理が責任を預けた方々の結果は、ただ一人竹中大臣の除いて全員が討ち死にとなりました。非常に強い意志と特殊な性格を持っていた竹中大臣は小泉総理の後押しがなくても不良債権処理を行うことが出来ましたが、他の人は一般的な意志と性格しか持っていなかったからか、全員討ち死にとなり、相手の軍 門に下るか、辞職して職務放棄をするという結果になりました。つまり、小泉総理は難しいテーマを提供しただけでしたので、人によって成果が変わってきたということになります。

小泉総理の性格に対する恐怖と竹中大臣の性格に対する恐怖から企業経営者は、このままでは会社が倒産するという危機感が生まれたことは、二人の何をするか分からない(経済が混乱しても痛くも痒くもないという精神構造が違う)という性格が他人任せの日本の経営者を変えさせましたので、これは二人の大きな功績といえます。

2.衆議院選挙が終って起こったことは、年金保険料アップや年金支給額の減少などの国民負担増、三位一体改革の後退、道路公団問題の骨抜きなどでした。これが選挙前であれば、自民党は大敗していたと思いますが、選挙後に行ったこと、来年7月の参議院選挙までには何か出来ることで、抵抗勢力と同じような方法に出てきました。

ということは、来年7月の参議院選挙が終われば『当分の間は選挙がありません』ので、小泉総理の政策は更に露骨になってくるのではないかと思います。そして、その段階で国民の小泉総理に対する支持率は『末期状態=10%台』まで下落、小泉政権が危機になるのではないかと思います。

但し、抵抗勢力にとっては『抵抗勢力の方向に堂々と転換してくれる』小泉総理は得がたい人物となりますので、この時点で小泉総理を支持するグループが国民から抵抗勢力に変わるのではないかと思います

3.対抗馬はいるのかという問題については、小泉総理の対抗馬が現時点では出てこないと言えます。革新的な発想を持っている知事に期待したのですが、道路公団改革で『国民の利益よりも地元の利益を優先する』と表明したことで、知事の中には日本を変えるという大きな設計を持ち、国民から支持される知事はいないのではないかと思います。

小泉総理が誕生した時から言われていたことですが、小泉総理には対抗馬がいません。小泉政権が安定しているのは『小泉総理のライバル』が全く出て来ないからです。したがって、政治的には自民党の中、自民党以外、現時点での政治家以外のいずれになるかは分かりませんが、小泉総理の対抗馬が出るか出ないかに懸かってくるということになります。現時点では対抗馬と呼ばれる人はおりません。小泉総理は非常についている政治家ということになります。

◆結論
1月からの通常国会で構造改革が画期的に前進すると考えている投資家はいないと思います。つまり、構造改革が進まないということが前提で先週から株式市場は上昇を開始したということになります。

但し、企業業績が良くなるという前提は株式市場の上昇に入っておりますので、企業業績が悪化するという状況になれば株式市場は下落することになります。しかし、現時点では米国も中国も欧州も経済はしっかりしていますので、企業業績の悪化による株式市場の下落はないということになります。

では、3月決算期末問題はどうか。これまで3月末に向けて公的資金の買い物が入って3月末は高いという流れが続いていましたが、今年の3月の時にはこの動きが起こりませんでした。しかし、現在の動きが続く以上は3月末対策を政府が行う必要はありませんので、PLO(株価押上策)もそれほど話題にはならないのではないかと思います。

ケンミレニアム株式情報 本日の株式市況 12月30日


(私のコメント)
私のホームページは「株式日記」と銘打っていますが、小泉・竹中内閣の発足以来株式から手を洗い、小泉総理の経済政策がはっきり見え出した頃から、株は一株も持ってはいない。森総理・亀井政調会長の頃ならまだ見込みはありましたが、小泉総理が構造改革と言い出したときから、銀行潰しと潰した銀行を外資に売り払う政策がはっきり見え始めた。

おそらく小泉総理が登場してから株を買った人はほとんど損したことだろう。今年の5月にりそな銀行を公的資金を注入して株式責任を問わなかったことから、小泉内閣の金融政策が転換したかと見えましたが、足利銀行でまた元に戻ってしまった。9月ごろ多くの投資家が株を買ってシコリ玉を作ったか損切りをしたことだろう。

私は小泉・竹中内閣が続く限り株に手を出すのは止めている。全く信用できないからだ。小泉首相の経済政策は潰せるだけの中小企業は潰して、生き残った企業だけ救うと言う弱肉強食政策だ。そこを外資が只同然で買い漁っている。日銀がアメリカへ今年だけで20兆円分もドルを買い支え、その金が日本買占め資金となっている。

何のことはない、日本の総理大臣も日銀総裁もアメリカの手先なのだ。マスコミにしたって小泉人気を煽って選挙に勝利して、憲法違反にもかかわらず戦争が続くイラクへ自衛隊を派遣することに手を貸している。マスコミは戦前と同じ過ちを繰り返し、軍事大国日本を作ることに貢献するのだろう。

自民党が小泉総裁を引き摺り下ろせないのは、背後にアメリカのブッシュ大統領が控えているからだ。竹中大臣も金融情報をアメリカに流すことで、アメリカの金融界に貢献している。アメリカの金融資本はユダヤ人ネットワークのほかに、各国の政府の金融担当者にコネをつけているから、相場で大損することはないのだ。

最近は個人投資家が株式をいくら勉強してもテクニカルでは役に立たなくなっている。むしろ外人投資家の裏を読んで投資していかないと大怪我をする。今年の4月からの上げは外人投資家によるものだ。来年も上げるかどうかは外人投資家次第だ。その外人に資金を供給しているのが日銀だ。今年だけで20兆円もドルを買う金があるのなら日本の株を買えばいいのではないかと思うのだが、日銀総裁は日本のために仕事をしているわけではない。日本は米国の植民地なのだ。

アメリカがドル安にもかかわらず株が上がっているのは日本が資金を供給しているからだ。その多くが米国債に変えられ売却することは出来ない。日本の対米貿易黒字は7兆円ほどだ。だからそれぐらいは資金還流させる必要があるが、日本政府は140兆円ものドルの買い支えをやるつもりのようだ。

EUや世界の資本家達はそれだけ安心してドルを売ることが出来る。最近のユーロ高は世界の資金がドルからユーロへと地すべり的に起きていることを証明している。イラクで泥沼に再び足を突っ込んだことでアメリカから資金が逃げ出している。いずれアメリカ株式もこの咎めが出てくるだろう。いずれにしろ株式のチャートだけ見ていたのでは株式の先の動きはわからない。




構造改革の正体は道路公団を見れば分かる
首相も猪瀬氏も同罪 桜井よしこさんが批判


2003年12月29日 月曜日

<道路公団改革>首相も猪瀬氏も同罪 桜井よしこさんが批判

 小泉純一郎首相による道路公団改革が決着した。これをどう評価するか、「改革」の推進役を担った作家の猪瀬直樹・道路関係4公団民営化推進委員会委員と、批判してきたジャーナリストの桜井よしこさんにそれぞれインタビュー、小泉道路改革とは何だったのか、総括してもらった。【「道路国家」取材班】

●ジャーナリスト・桜井よしこ氏

 ――今回の改革の本質をどう見ますか?

 ◆道路を建設する新会社と、保有する機構とを上下分離したことが改悪のポイント。資産も債務もない、リース権しかない新会社が自主権を発揮することは金輪際ありえません。

 ――新会社は、この道路は赤字だから造りたくない、と言えない?

 ◆アクアラインがいい例。毎日約1億円の赤字を出す道路を造ったのと同じ構造です。一般有料道路は、形式上は道路公団が要請し、国交省が認めて造るが、実際は国交省の言いなりです。料金収入を借金のための担保に使わない、というもう一つの重要点も換骨奪胎です。働かない息子に親のクレジットカードをもたせるようなもの。場合によっては、兆単位の新債務が国民負担になる。これでは改革ではなく、国民への背信行為です。

 ――6.5兆円のコストカット、分割はどうか?

 ◆お題目ですね。経費削減は、かつて一度も機能していない。批判をかわすのが国交省の狙いでしょう。机上の計算だから何とでもいえます。分割も、上下分離なら新たなファミリー企業ができるだけ。扇千景さん(前国交相)が「分割したら天下りが増える」と言ったが、その点において彼女は正しかった。

 ――猪瀬直樹さんへの批判が起きています。しかし、悪かったのは丸投げした小泉首相じゃないでしょうか。

 ◆両方悪い。同罪でしょう。猪瀬さんは、首相が明言しないことを自分の考えを推進する材料に使った印象はぬぐえない。空疎な改革をアピールするのに、お互いにちょうど良いコンビだったのではないか。

 ――猪瀬さんはジャーナリストとして書くだけでなく、実現しなければ意味はない、と思ったのでは。

 ◆著書「日本国の研究」に書いてあることは素晴らしい。しかし、その後の主張は180度変わり、その著者とは別人のようです。意見書と反対のことも持ち回ったわけで、他の委員がフィクサーという表現で批判し、立腹したのは当たり前。あのように現実の妥協点を探るのなら、ご自分が政治の世界にお入りになればいいんですよ。

 ――猪瀬さんは「獲得」も重要だと。

 ◆委員会というのは最も優れた案を出すのが仕事で、現実政治とどうおり合いをつけるかは政治家、首相の仕事です。猪瀬さんは、そののりを超えましたね。

 ――小泉さんは何をしたかったと思いますか。

 ◆あの方は「民営化」とか「株式上場」といったキーワードは頭の中に入っている。それが良いことであるとも知っている。けれど、著しく勉強が足りません。民営化委の意見書と政府案を見比べて「(意見書を)8割方反映している」「これまでより良くなる」と発言なさった。そこまで読み取れないとしたら知性を疑います。

 ――小泉構造改革にもう期待は持てない、と。

 ◆抵抗勢力とか官僚が小泉さんの足を引っ張っていると思ってましたが、これで改革の評価は私の中でマイナスになりました。もう一点指摘すると、今回の公団改革案では、小泉さんが改革したがっていた財政投融資のしがらみからも脱却することはできません。ということは、もう一つの柱である郵政3事業民営化も実質的に否定したことになるんです。

「獲得」の中身評価を−−猪瀬直樹氏

 ――今回の道路公団民営化案。評価は低いですね。

 ◆すべて理想通りにはいかなかった。ただ一定の成果は積み上げられた。料金の平均1割値下げに加え、別納割引の廃止でさらに値下げ幅を大きくできた。会社の自主権と分割も成果だ。6.5兆円のコストカットも実現した。料金が下がれば投資額が減り、必死で利益を出そうと無駄な建設をしていられなくなる。分割で全国料金プール制のどんぶり勘定が茶わんになり、競争が生まれ地域の声も聞こえるようになる。不採算路線を国から押し付けられないためには自主権の確立が一番大事だ。

 ――評点は?

 ◆不満はいっぱいあるが、ゼロ点ではない。改革というのはゼロか100ではない。改革後退と評価する人は、ほんとうに現在の公団方式が存続したほうがいいと考えているのだろうか。

 ――猪瀬氏の立ち回りも、フィクサー呼ばわりされた。

 ◆僕は小泉首相と違い、何の権限もない。僕が妥協した、と書いた新聞もあったけど、妥協は権限のある者同士でなければできない。僕は論理とデータで粘り強く相手を説得するしかない。民営化委を公開してその中身を報道してもらい、世論がそれに同調して初めて獲得が実現するんです。

 ――壁は厚かった?

 ◆330人の道路族がいて、国土交通省という岩盤があったが、非公開資料を表に出させ徹夜して反論データを作り委員会に出してここまできた。細川政権は10年前、夢を売ったが夢で終わった。小泉政権もいずれ終わるが、僕は結果を残すよう頑張った。

 ――作家というより、政治家、首相補佐官の役割を演じられたのでは。

 ◆土光敏夫さんの臨調・行革を思い出してほしい。補佐官でも何でもない一民間人だが、一人で官邸へ行き、信念を説き、時の首相を説得した。政府税調の加藤寛さんも時には塀を乗り越えて首相に会いに行った。最後の決戦時に首相を説得に行くのは当然だ。

 ――小泉さんの姿がどうも見えにくかった。

 ◆小泉さんは起承転結のうち「起」の人。歴代首相にはない、道路についての「起」はあった。繰り返すけど、国会議員330人が反対している話ですよ。「起」がなければ取り上げてすらもらえなかった。

 ――「起」しかない、後は丸投げ、ともいえる。小泉さんは猪瀬さんの説明を本当に理解したのか?

 ◆理解できた分だけは理解している(笑)。イラクだ、三位一体だ、郵政だという中、ご本人が歩留まりをどう考えるか、ということではないですか。

 ――でも、もっと小泉さんが積極的にかかわっていれば、猪瀬さんが責められることもなかった。

 ◆不満はいっぱいある。悪い一番は、道路族だけど、次が小泉さん。民営化委員会が意見書を出した時、「あとは政治に任せて下さい」という。その後、小泉さんは「基本的に尊重する」としか言わない。

 ――今後、民営化委は?

 ◆法案が骨抜きにならないよう監視しなければならない。委員会が開かれなくても意見は述べられる。他の(辞表を出した)委員の方は、無責任ですね。官邸も霞が関も永田町も、うるさい猪瀬が動きにくくなって、ほっとしているんじゃないか。かっこよく辞めましたでは、敵を利するだけでしょう。(毎日新聞)
[12月27日23時31分更新]

◆川本委員が欠席へ 道路民営化推進委の開催、一層困難に

 道路関係4公団民営化推進委員会の川本裕子委員(マッキンゼー・アンド・カンパニー シニア・エクスパート)は25日、「委員会の機能は事実上停止した」として、公団民営化に関する政府・与党合意に抗議する意味で、今後の委員会を欠席することを表明した。今後の推進委の開催は一層困難になった。

 推進委では田中一昭委員長代理(拓大教授)と松田昌士委員(JR東日本会長)が22日、「推進委の意見書の根幹が反映されていない」と辞任。今井敬委員(日本経団連名誉会長)と中村英夫委員(武蔵工大教授)は昨年末から欠席している。

 猪瀬直樹委員(作家)と大宅映子委員(評論家)は政府・与党合意に一定の評価をしている。

(12/25 13:15)



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(私のコメント)
私は当初から小泉内閣の構造改革はまやかしであり、自民党の生命維持装置に過ぎないと断言してきました。小泉首相と抵抗勢力という対立構造を演じて見せて、実際は看板だけ付け替えて、それでおしまいと言うことになる。結果的には天下りする役人達が焼け太りの美味しい蜜にありつくのです。

自民党も少し動き始めているように見えますが、このままでは政権が維持できそうも無いから、少しじたばたしているだけで小泉首相ががんばっているからではない。根本的には国家予算にとり付いた族議員と役人達の利権から、どのようにして国家予算という甘い砂糖の山から排除するかですが、政権から切り離すしか方法はないのだ。

官僚単体では大した権力を持ちませんが、族議員が出来て官僚と利権を分かち合うようになると、それこそ族議員や官僚のやりたいように利権が貪られるようになる。だから長期政権が続いたら政権交代するという暗黙のルールが出来ないと、同じことの繰り返しが続くことになります。

「報道2001」でも塩川前大臣と榊原教授が言っていましたが、抵抗勢力という自民党議員よりも国土省の官僚たちがぐちゃぐちゃな文章の書類を作ってきて、大臣や委員達が困惑しているうちの話を進めて行ってしまう。本来ならば有能な大臣がもっとわかりやすい書類を作って来いと突き返せばいいのですがそれが出来ない。

役人達が意地悪してわからないような作文をわからないと言える大臣がなぜいないのだろうか。今まで何もかも役人に丸投げしてきたから、いまさら付け焼刃の知識を詰め込んでも役に立つわけがない。だから真の抵抗勢力は役人達であり、自民との抵抗勢力は選挙でいつでも落とせる存在でしかなく、役人はなかなか辞めさせることは出来ない。

小泉政権が出来て方2年半あまりの間ずっと小泉構造改革を批判してきましたが、いまだに小泉内閣支持が48%もあるのは何故だろう。構造改革はもとより、憲法違反を承知で自衛隊を戦闘の続くイラクへ派遣した。それでも支持するというのは何故なのか。いったん前例が出来てしまえば自衛隊は次々と海外へ出てゆくことになるの。

日本国民にそれを止める手段がなかったかというとそうではない。先の衆議院選挙で自民党が負ければそれを止めることが出来た。この事から連想されるのは戦前の戦争への道を止める方法がなかったかということだ。普通選挙法は大正時代に制定され昭和3年に第一回選挙が行われている。 国民が戦争反対だったら戦争は起きてはいなかっただろう。

小泉首相は構造改革が進めば景気は良くなると言い続けている。しかし実際は景気が良くならなければ構造改革は進まないのだ。政府の歳出カットと景気の低迷による歳入の減少はいたちごっこを続け、国会議員と公務員の天国が続くのだ。日本のマスコミも小泉内閣を応援し続けて、ついには憲法を無視して軍隊を戦争状態のイラクへ派遣した小泉首相を支持したことになる。




狂牛病は存在しません!日本の政治の腐敗


2003年12月28日 日曜日

日本の政治は実に腐っています。私は狂牛病と言う意味が未だに分かりません。小泉になって以来、

@小渕首相の暗殺

A株の暴落のし続け。

B大企業を倒産させる。

C外国の投資家に大企業、銀行の資産をただであげる。

D民営化と言って、公なものを個人資産にし、株の暴落の餌食へと、用意している。

E郵便貯金は日本の大銀行を集めたよりも多い資金と言う意味、健全経営がなされているのに、あえて民営化をさせ、株式投資として資金を使う計画をして、近未来に外人に献金する予定にしている。

F憲法は関係ない。自民も関係ないと言い続ける、パックアップはロスチャイルドとキリエンコ、橋本派の後ろ盾による、利己益を目的とした、日本売りの政治。今までこんな非常識な政治家は居なかった。

G国民の生活は下降一方なのに、「行革の成果」と嘘を平気で言い、選挙の為の株価を少し吊り上げたのです。日本の国民の生活はよくなっていないのです。未だに14ヶ月連続の下落なのです。しかし、日本人の企業が困っていても、外人企業の言うことだけを優先にしていたら、日本の貴方の仕事の給与は、今のまま、急落します。安い給与が好きな人達は自民党を押しなさい。日本の景気は絶対によくなりません。小泉の嘘が大きくなるだけです。それでも、彼は何も感じません。

Hこれだけ悪い状況があっても、メディアは彼を褒め続けるのです。お金支配はできていると言う自信が彼の姿勢なのです。「誰も適しえない、『悪党総理小泉首相』なのです。世界統一経済組織が彼と一緒だからです。しかし、悪は悪によって滅ぶと言うのも近いのです。悪しき者たちは悪しき者たち同士で争ってで、血を見るでしょう。しかし、神の裁きも近づいていると言うのも確かです。

I戦争参加、空爆参加、多くの軍事資金の供与、・・こういう死の商人に加担する総理は、小泉です。全例を見ない、利己的政治家です。

J一都3県から、ディーゼル車を締め出すと言うけれど、京都議定書は大切と言うけれど、日本の車を生きら改造しても、温暖化はなくなりません。金持ち達は「日本と弱小国」の規制はさせても、キリエンコのロシアとユダヤ人のアメリカは参加しません。バカな日本人が石原都知事の言うことを真に受けるのです。第三世界に来なさい。どんなに古い車でもあります。第二次世界大戦以前のバイクをインドの田舎で見られます。第三世界を走り回る車は40年前のものも ざらなのです。排ガス規制はどうなっていますか?この状態はギリシャなどでも同じです。

  トヨタ自動車と外人は「車検」「排ガス規制」「燃料の規制」 ・・と、貴方に色々な制約を強い、働く貴方の資金を取り続けているのです。第三世界に新しい車を送って、使わせてあげるだけで、十分目標は達成できます。スクラップにする車をあげるだけで、世界の温暖化はなくなります。私はイエスキリストに聞きました。「イエス様、温暖化は排ガスによって進行しているのですか。」と。

   イエスキリストは「排ガスによる温暖化は、全くありえない事実です。オゾンホールと成層圏の成り立ちは、時代のものなのです。今回はイエスキリストが帰ってくる土台としての温暖化なのです。全部の車を止めても、排ガスを全く出さなくても、温暖化による自然破壊は続きます。何故ならば、『助け合わない人類を、これ以上野放しにはしない』のです。」と言っています。

   排ガスによる温暖化などは存在しないのです。トヨタも三菱も・・と大企業に勤めている人達は地獄で反省する日が近くなっています。私はこんな呪いの言葉ばかり書き続けていて、「自分が地獄に行きそう。」と考えたくなりますが、私が行けるならば、私が行きたいと思うほど、ひどい「悪事」が公然と行われています。自民党を選ばす゛、小泉を蹴飛ばし、石原都知事を辞職させましょう。それは神の御心です。  

K国内で初めてBSEの牛が発見され、01年10月に小泉政権以前はないことを、突然「昔からあった」といわんばかりに、狂牛病対策などと言う政策が存在するようになりました。小泉とユダヤ人の大嘘なのです。誰か狂牛病で死んだ人間が居ますか?答えてください。誰も居ないのです。バカな小泉の言うことは聞かないことが一番なのです。

 北海道庁から虚偽報告を求められたため自殺と言うことは、事実だとイエスキリストは言います。狂牛病など存在しないのです。可愛そうな正直者は「小泉の悪事に加担したくないと言ったので、小泉に殺されたのです。自殺ではありません。」とイエスキリストは言いました。ここでも、私利私欲の為に、小泉は人を殺し続けています。

  小泉がした悪さは、天国の神の御座まで届いてると言っています。これによって雪印乳業は潰れました。潰して、儲かった会社は生産は二倍になって、利益を確保し、「外国牛」の仕入れにまわしています。外資が儲かるのです。第三世界からの牛を入れない為と、仕入れを一本化して、日本人から搾取しています。イエスキリストがそう言います。小泉しかできない悪事なのです。外にも多くあるでしょう。しかし、貴方の選択が、彼にこうした「悪徳政治」を許しています。貴方の無関心は、貴方の責任になります。神が貴方に問う日も近いのです。

  小泉を蹴飛ばす人達は、イエスキリストに喜ばれる人達なのです。彼を蹴飛ばして、弱い者たちを助けましょう。神は、『人間の罪は増し加わって、これ以上見過ごせない!』と言っています。貴方のエンドタイムの苦しみも、この世の戦争と殺戮のエンドタイムもまじかです。貴方が一刻も早く回心し、イエスキリストの愛に生き始めなければ、貴方も地獄の生活が長いものになるのです。貴方のとなりの困っている人達を助け、正しい意味の愛に生き、貴方の地獄をなくし、直接天国に入れる努力をしましょう。

狂牛病は存在しません。 10月6日 愛は世界を変えるのホームページより



(私のコメント)
狂牛病がアメリカで発生して大騒ぎになっています。たった一頭で、しかもカナダから輸入されてきた牛らしい。しかしヨーロッパであれだけ狂牛病が広まったのに、アメリカやオーストラリアなどでは発生していないと言うのは不可解だった。感染源そのものが肉骨粉でEUから世界中に輸出されていた。日本に来たのも飼料が原因です。

しかしテレビであれだけ大騒ぎしているのに、狂牛病で死んだり、感染したり、発病した日本人はいるのか。もしかしたら白人にだけ感染して有色人種には感染しないのかもしれないし、SARSのように特定の国に偏って発病するものかもしれない。しかし日本政府はアメリカからの牛肉輸入は全面的にストップした。

発生源となったイギリスでも発病した人はわずかだし、大量に食べないと感染や発病もしないらしい。それよりか肉そのものを食べられない人が世界には多数にいるのに、せっかく育てた牛を大量に処分しなければならない。エイズなどの病気に比べて人類の生命に与える影響はごくわずかだ。少し騒ぎすぎではないのか。それとも何らかの陰謀だろうか。

<米BSE>輸入再開へ対応要請 外食産業

 BSE感染が確認され、米国からの牛肉輸入が全面禁止されたとを受け、外食チェーンが加盟する日本フードサービス協会は26日、緊急会議を開き、輸入再開に向け政府や米国当局に働きかけを強めることを確認した。同協会の横川竟会長は輸入再開の条件について、「全頭検査を米国が受け入れる可能性は低い」と分析した。(毎日新聞)
[12月26日23時22分更新]



アメリカ最後の大統領はヒラリー・クリントンです。


彼女が最後の大統領と「ケネディーが暗殺されることを予告」する予言をした中に、出ていた、「終わりの時は、美人のアメリカ大統領が最後の大統領」と言われているのは有名です。そして、ブッシュ以上に悪どい仕事を、手下達と旦那にさせていたと言う人です。


バグダッドで兵舎を視察するヒラリー・クリントン上院議員=AP 

 米民主党のヒラリー・クリントン上院議員が28日、バグダッドを訪れた。米英暫定占領当局(CPA)のブレマー代表らと会談し、自分が選出されたニューヨーク州に本拠地を置く師団の兵士らと昼食をともにした。バグダッドはブッシュ米大統領が27日に電撃的に訪問したばかり。 

 同議員は、ブッシュ大統領のイラク政策について「まだ満足できる勝利を得られていない。意識改革が必要だ」と批判。米英主導のイラク統治については「米国の負担を減らすため、国連に指導的役割を与えることは、今でも遅すぎることはない」と述べ、国連の役割強化の必要を強調した。 (11/29 10:47)


ヒラリークリントンはどうしてここに出てきたかというと、戦争の現場を見に来たということです。大統領が来てその次、ヒラリーが来ました。ですからヒラリーは大統領と同じ権限があるということです。

大統領はなぜここへ出てきたかという話になります。イラクの石油を彼女のものにしたいというのがアメリカの政府の方針です。今までは株価操作によって資金を作って人々を使うことができました。しかし、これからはできない状況が来ました。正しいことをしたいという人々が多くなってきたからです。

アメリカは悪の巣窟でした。日本の政府も国会議員たちも悪の巣窟です。悪いことを平気でする人々が集まってしまいました。自民党の政策によって「戦争放棄」の憲法違反が成立した時、「憲法の戦争放棄が蹂躙されている」と、正しいことを叫び続けたのは土井さんだけでした。

戦争放棄もできない国会になったのです。質疑応答もできない国会になったのです。十分な話もできないうちに憲法は破られたのです。イラク支援の予算の話もできません。質問は出るけれど、首相は答えないのです。こんな国会ではヒラリーの言いなりの仕事ができるはずです。日本の国会はヒラリーに牛耳られていたということです。日本人として情けないとは思いませんか。自民党支持を全員で止めることです。

ヒラリーの方針が阻害される状況が出てきたということです。ニューヨーク証券取引所のトップリーダーたちが次々とクビになっています。それによって世界の金権体質が変わりつつあります。今までは世界統一政府の言うことを聞かないと株価が暴落しました。その差益は自民党支持者渡っていました。株価の暴落を事前に情報としてもらっていたからです。そしてこれが止められたということです。多少は起こるでしょう。しかし、以前と同じようにはならないはずです。

日本が生き残る道はアメリカ債権を取り続けることです。そして日本の国債を買い続けることです。


その前には、アメリカの大停電がありました。「キリエンコが7年間の契約を破棄し、裏切ったからです」。このように世界は激変してきました。ちょうどそれは2,003年の夏です。三年半後がその8月の意味だったのかはまだわかりません。しかし、近づいたということは確かです。

「ヒラリーのあり余るお金」を作って、戦争の爆弾をたくさん作って、イラクでテロと言いながら多くの同胞を殺すヒラリー支配を止めましょう。税金を燃やしていると言う時事です。

キリエンコに加担することを止めましょう。それは小泉を倒すことです。自民党支持しないことが貴方の将来の幸せです。

小泉がなぜ自衛隊をイラクに送りたいのかを考えましょう。彼らはお金を作れない仕事はしません。イラク復興支援は、福田と小泉が儲かるのです。

イラク復興支援はお金が彼らの資金になるので、全員の質問にも答えずに強行するのです。お金を設けて後でみんな良ければ自分の支配が続くと考えています。自民党議員にお金をバラまけばそれで選挙は勝つと思っているのが小泉達です。

貴方はそれを止めることができます。それは人殺しを止めることです。大いに意味がある勇気ある仕事です。

パレスチナに送った人道支援の一億円以上のテントの件を考えてみてください。自衛隊で160張りのテントを運ぶには、せいぜい百万円あれば十分です。それに対して一億円を出したという意味は、自民党の小泉がそこからお金をもらったという意味です。そのルートを探し出しましょう。自衛隊を海外へ派遣したならば、小泉と福田にお金が入るということです。そのルートを探しましょう。そしてそれらを止められれば死人がなくなります。

今までは悪いものが大きな顔して首相をしてきました。小泉のような人殺しが首相になったのです。

神はイエスキリストです。悪い者達の時代を止めることができます。

土井党首のような方が首相になる時代がもうすぐ来ます。

それには、正しいことを言い続けている土井党首のような人達を助けてあげましょう。

現時点でのアメリカの指導者はヒラリーです 愛は世界を救うより


(私のコメント)
小泉政権が決断した自衛隊のイラク派遣は、北朝鮮の国交回復のように国会議員たちの利権のためだろうか。日本政府だけが高額なイラク復興支援金を拠出した。おそらく金が動けば手数料としてキックバックされる仕組みが出来上がっているのだろう。公共事業費が削られる一方なのに海外への援助資金は議員達にとっては残された数少ない資金源だ。

紹介した記事でも100万円足らずのテント代に1億円使われていても誰も不思議に思わない。輸送費だってそんなにはかからない。このような金はいったん海外へ出てしまえばどこへ消えたのかわからなくなる。たぶんスイスやタックスヘブン等の国会議員や高級官僚たちの預金口座に手数料として振り込まれるようになっているのだろう。

湾岸戦争で拠出された日本の資金は未だに明細がわからない。1兆3000億円もの金が会計報告もされていない。まさかアメリカ政府に明細を明らかにしろとも言えないからだ。たぶん数%は日米の高官たちに手数料として消えてしまったのだろう。

数日前の新聞にヒラリー・クリントンがディーン候補の副大統領として名前があがってきている。副大統領候補なら次の次が狙える。いったん大統領候補として敗れると再び大統領候補になるのはゴア候補のように難しい事情があるようだ。ブッシュだって馬鹿では無いから選挙直前にイラクから兵を引いて、反戦のディーン候補のお株を奪うことも出来る。だからヒラリーは2008年を目指しているが、副大統領として出るかもしれない。

50億ドルの支援表明へ 23日からイラク支援会議

 イラク復興支援会議が23日からスペイン・マドリードで、日本や米国、欧州諸国など約90の国や機関が参加して開かれる。川口順子外相は24日の閣僚会議で、2004年に拠出する無償資金15億ドル(約1650億円)を含む総額50億ドルの資金協力を盛り込んだ復興支援声明を発表する見通しだ。
 ただ、米国に次ぐ巨額負担に対し「国民の理解が得られるか」(政府筋)と懸念する声もあり、援助の必要性や拠出方法、使途の具体的説明が求められそうだ。
 外務省の高島肇久外務報道官は22日の記者会見で「(04年の無償資金協力だけではなく)中期的にもできる限りの支援をしていく」と述べ、現段階で政府方針に変わりはないことを示唆した。
 世界銀行は04年からの4年間でイラク復興に計550億ドルが必要と試算。(共同通信)
[10月22日19時8分更新]



NHK50周年記念ドラマ 「川、いつか海へ」(第五話)
口先男(小泉)に騙される女(国民)は馬鹿なのか?


2003年12月27日 土曜日

12月20日BS-hiで先行放送
12月21日〜総合テレビで6夜連続放送

第1&5話 野沢尚脚本 深津絵里、ユースケ・サンタマリア、浅丘ルリ子、森本レオ
第2&4話 三谷幸喜脚本 渡辺謙、小林聡美、西田敏行
第3話 倉本聡脚本 小泉今日子、柳葉敏郎、椎名桔平
第6話 倉本聡脚本 浅丘ルリ子、奥田瑛二、井川比佐志、江波杏子

(私のコメント)
最近はテレビドラマを取り上げていますが、私は、作品の出来不出来よりも、作品からどのようなことが学べるか、あるいは考えさせるかが作品の鑑賞の仕方だと思います。今日は25日に放送された第五話についての論評です。

株式日記と経済展望 NHK 「川、いつか海へ」(第五話)




テレビ朝日開局45周年記念
「流転の王妃・最後の皇弟」(前編)


2003年12月26日 金曜日

テレビ朝日開局45周年記念
11月29日(土)・30日(日)放送

竹野内豊 常盤貴子 反町隆史 江角マキコ 木村佳乃 竹中直人 天海祐樹 段田安則 野際陽子 岩崎ひろみ 久本雅美 伊東美咲 ほか

(私のコメント)
年末近くになりますと特別番組のテレビドラマが放送されますが、テレビ朝日が異例の制作期間と費用をかけて「流転の王妃・最後の皇弟」放送しました。このドラマについては下記のページの特別コーナーで論じています。

株式日記と経済展望 「流転の王妃・最後の皇弟」(前編)





日本の財務省、為替介入資金140兆円 英FT紙
円高介入ではなくドルの買い支え資金である


2003年12月25日 木曜日

英フィナンシャル・タイムズ紙ヘッドライン(22日付)

日本の財務省、為替介入資金を調達するため外国為替資金特別会計を通じて発行できる外国為替資金証券(FB)の発行限度額を2004年度予算で140兆円に増額。円高抑制の能力を見せつける。 [東京、ロンドン]

◆日本のドル買い介入、逆にドル調整を長引かせる  Yen Dokki

UFJつばさ証券チーフエコノミストの斎藤満さん(Mitsuru Saito/Chief Economist,UFJ Tsubasa Securities Co.,Ltd.)は、為替介入資金枠を140兆円に増額すると報じられたことに関して、「一見、危機回避のためのセーフティ・ネットのように見えるこの措置も、いくつかの問題が内包されている」と語り、その上で主だった点を以下の通り指摘している。  第1は、米国債を買うのは良いが、売るに売れないことだ。介入で買ったドルは、その後ほとんどの場合、米国債の購入に充てられる。ブッシュ大統領は来年の大統領選挙もあって、金利の動きに神経質になっている。特に米国の長期金利が大幅な低下を見せ、ここまでの住宅投資をはじめとする景気拡大に大きく寄与した、と見ているだけに、「日本の米国債売却で長期金利が上昇する事態を強く危惧している」と言う

TV塔ドル札ばらまき男に続け…あしぎん株大商い

24日の東京株式市場で、あしぎんフィナンシャルグループ株に買い注文が集まり、22日終値より5円高い12円まで急上昇して引けた。

 23日に名古屋市のテレビ塔から大量の米ドル紙幣をばらまいた男性が、同株の取引で巨額の利益を得たと伝えられたため、投資家の投機熱が再燃した。出来高も1億9900万株で、第1部の出来高トップとなった

 あしぎんFG株は、傘下の足利銀行の一時国有化(特別危機管理)に伴い、今月3日には1円の最安値をつけていた。だが、その後は「企業の内容を考慮しないマネーゲーム」(大手証券)が繰り返され、一時は24円まで上昇するなど乱高下していた。

 米ドルをばらまいた男性は、この間に利益を得たと伝えられたため、個人投資家が再び着目した。市場では「極めて投機的で勧められない」との指摘がある。(読売新聞)
[12月24日23時21分更新]

◆アメリカ経済の基礎知識 増田俊男

アメリカ経済は他国とは基本的に異なるので、「アメリカ経済は、、日本経済は、、」などと並列的に比較するのは間違いである。世界経済を図示すれば、アメリカは太陽、他国は惑星である。アメリカ以外の国はアメリカを中心に回転しているに等しい。アメリカ(太陽)と他国(惑星)の距離は為替(重力)によって異なり、他国は異なった軌道を描きながらアメリカを中心に一定の動きをする。

日本はアメリカ(太陽)から降ってくるエネルギー(ドル)で生きているようなものだ。日本はローカル通貨(円)を使ってモノを作り、作ったモノを売ってドルを稼ぎ、稼いだドルで世界から必要なモノを買う。日本の正式な(世界に通用する)富は円で作ったモノを売って得たドルである。太陽は水素ガスが連続的に燃えている炎の塊だが、それが何百億年先であれ、いつかは燃え尽きる運命にある。最近のアメリカ(太陽)は燃えるガスが完全に無くなってしまっている。

アメリカは世界のエネルギー源であるドルを世界中にばら撒いて、太陽(基軸通貨国)の役目は果たしているが、肝心のドル(エネルギー)を作るガスが無くなってしまったのである。第二次大戦直後のアメリカは恒常的貿易黒字国だったからドル(エネルギー)の蓄積はいつも十分だったが、1971年8月15日(日本の敗戦記念日)以降逆転して恒常的貿易赤字国に転落し、将来黒字転換の可能性は皆無となった。したがってアメリカは太陽(基軸通貨国)の役目を終えなくてはならないのに、太陽(基軸通貨国)のメリットがあまりにも大きい(アメリカの借金は全部他国が働いて払ってくれる)ので太陽(基軸通貨国)の地位にしがみついている。

アメリカの生死に関わる国益は基軸通貨国の地位を死守することである。アメリカが今なお基軸通貨国であることがアメリカ経済の基盤であり、アメリカ以外の国の経済はアメリカ経済の派生経済になっている

アメリカは恒常的貿易赤字国で2002年度の貿易赤字額は約4300億ドル(約46兆円)、財政赤字は約3700億ドル(約40兆円)になる。対外債務も毎秒新記録更新中。アメリカの国民はと言えば、これまた借金漬けで預金はほぼゼロ。したがって今のアメリカは恒常的貿易黒字国の日本や中国からドル(エネルギー)を還流してもらわないと太陽(基軸通貨)の働きが出来なくなってしまった。

日本は恒常的貿易黒字国であるばかりか国民は世界一の金持ち(1400兆円金融資産)。中国は人民元のぺッグ制維持(1ドル8.27―8.28元で固定)のため毎日3億ドルを買っている。日本は自国の貿易黒字分でアメリカの貿易赤字分を補填するため、自国の資金需要は皆無なのに超金融緩和策を執りアメリカへ資金を送り続けるだけでなく、2004年度は外国為替資金特別会計予算(為替介入資金)を140兆円(2004年度の国家予算83兆円と比較してください)も計上して、ドルを買いまくる

正に介入と言う名の対米資金援助である。資金の流れだけを見ると日本はアメリカの国益(基軸通貨維持)のために働いていることになる。正に日本はアメリカの存在のために存在しているようだ。本当は日本が太陽になるのが正しいのだが、、、、。正しさを否定するのがアメリカの軍事力!


(私のコメント)
私は日頃から日本がアメリカ経済を支えていると書いてきましたが、以上のようなニュースを並べてみれば一目瞭然だと思います。しかしながら日本での扱いは誠に小さく専門家が見ないとわからないようにしている。国家予算の倍近い金額の140兆円も垂れ流し的にドルを買い支えると言うのに、日本のマスコミのこの小さい扱いは何でしょうか。

世界は石油をめぐってドルとユーロの戦いが行われている。その主戦場がイラクである。イラクがなぜアメリカに攻め込まれたかと言うと、サダム・フセインが石油の売却にユーロしか扱わないと宣言したためだ。他の中東の石油産油国への見せしめのためである。だからイランも危ない。他にもう一つ石油大国でドルからユーロに切り替えることを仄めかしている国があるが、アメリカはなんとも言わない。それはロシアだからだ。

アメリカのイラク介入にフランスとドイツが強硬に反対したのもユーロ通貨の中心国家だからだ。石油の買い手も中国などはユーロで買う意向を示しているが、アメリカは何にも言わない。アメリカは弱い国には武力介入と言う強硬手段をとりますが、ロシアや中国には何も言わない。このように見るとEU、ロシア、中国というユーラシア連合とアメリカとの石油と通貨をめぐる大戦争が行われている事がわかります。

日本とイギリスがアメリカべったりなのも石油と通貨でがっちりと足を握られているためです。小泉総理が無理やりにもイラクへ派兵しようというのも、これが原因です。しかしアメリカは石油と通貨の戦いで勝てるのだろうか。日本がこれだけ必死にアメリカを支えてもアメリカはふらふらの状態だ。万が一アメリカがこの戦いに敗れたときのことを考えて対策を練っておくべきなのだ。

近いうちにドルは紙切れになるかもしれない。その証拠に名古屋のテレビ搭でドル札100万円分ばらまいた人がいた。もはやドル札は紙切れ寸前だから、ドルからユーロへとなだれのように流れが起きてしまった。それを日本政府は必死にアメリカを買い支えている。けなげと言うか馬鹿と言うかあきれ返って言葉が出ない。財務省と日銀は馬鹿ばかりだ。




NHK50周年記念ドラマ 「川、いつか海へ」(第三話)
ハイビジョンはテレビドラマを一変させるだろう。


2003年12月24日 水曜日

1話・5話 深津絵里・ユースケサンタマリア
2話 渡辺謙・小林聡美・西田敏行
3話 小泉今日子・柳葉敏郎・椎名桔平
4話 観月ありさ・香川照之・筒井道隆
6話 浅丘ルリ子・森本レオ

(私のコメント)
第二話は「愛」をテーマにしては的が絞りきれていなくて単なるどたばた喜劇になってしまった。第三話も子供達の物語ですが、小泉今日子と柳葉敏郎の演じた夫婦について論じています。

株式日記と経済展望 NHK50周年記念ドラマ「川、そして海へ」(第三話)





NHK50周年記念ドラマ 「川、いつか海へ」(第一話)
愛を信じられない多実はどのように目覚めたか


2003年12月23日 火曜日

12月20日BS-hiで先行放送
12月21日〜総合テレビで6夜連続放送

第1&5話 野沢尚脚本 深津絵里、ユースケ・サンタマリア、浅丘ルリ子、森本レオ
第2&4話 三谷幸喜脚本 渡辺謙、小林聡美、西田敏行
第3話 倉本聡脚本 小泉今日子、柳葉敏郎、椎名桔平
第6話 倉本聡脚本 浅丘ルリ子、奥田瑛二、井川比佐志、江波杏子

(私のコメント)

今日は祭日でもあるので、息抜きにウエブサイト再録ドラマとして別のページにて作って見ました。テレビ画面をキャプチャーするのは簡単になりまして、最近では動画をそのままサイトにアップすることが出来る。しかし「ぷらら」のウエブ用のスペースが10Mしかなくもうじき満杯になります。それで無料ホームページで100M借りてミラーサイトを作りました。今日の日記は以下のページへジャンプしてください。ウエブサイトでテレビドラマがどれだけ再現できるか実験的に作ってみました。感想をお待ちしています。

株式日記と経済展望 NHK50周年記念ドラマ 「川、そして海へ」(第一話)





イエス=キリストは実在の人物ではない
『聖書』は中国の古典からのパクリである


2003年12月22日 月曜日

キリスト神話作成の目的

 自分の右の頬を最初に打たれるなら、その打った相手は左利きだということに接し、『聖書』という書物に謎めいたものを感じ、あれこれ調べ始めた。

 第1に見つけたのは、「西暦元年は辛酉歳で、『聖書』がキリスト以前を旧約、以後を新約とに分けていることなどを考えると、キリスト生誕は神武天皇即位年と同様に、辛酉革命と呼ぶに相応しい出来事だと言える」ということだった。そこで、西暦元年は辛酉革命による作為ではないかと疑った。

 これが出発点であって、その疑いから、古代中国との共通点を他にも捜してみたのだが、するとこんな発見があった。

 中心教義の「愛」は、『墨子』の「兼愛」と同じだった。
 生誕神話の受胎告知は、司馬遷の『史記』にある漢の高祖の出生伝説に似ていた。
 東方の三博士が生誕したばかりのキリストを拝みにやって来たことや、生誕地がユダヤの中心地エルサレムの南方のベトレヘムだということ、ユダヤの新しい王だと称えられたことは、西暦元年の九星の巡りと一致していた


 そして最も目を引いたのは、クリスマスの日付を、易と数の関係によって易の卦に置き換えてみると、辛酉革命の生みの親でもある[新体制を支える三人の力]という卦を示していたということだった。

 そこでこの関係に注目し、辛酉革命と易六十四卦の序次を組み合わせてみたら、馬小屋で生まれたとすることや救世主と呼ばれたことも、この序次と結び付き、さらにはキリスト教会が根拠不明とするユダヤ暦元年も計算できた。と同時に、そのユダヤ暦元年に行われたとする天地創造神話の、神は6日間で天地創造を行い、7日目に休んだとすることと、6日間各日の様子も、易六十四卦の序次の流れと一致していた。

 これは西暦元年と天地創造神話の当該個所が、同時に考案されたか、古い時代に易によって天地創造神話が創作され、そのことを知っている人物が、その易の理論の延長線上でユダヤ暦元年や西暦元年、『新約聖書』の当該個所を作成したかの、何れかでなければあり得ないことである。しかし、少なくとも、天地創造神話もキリスト生誕神話も、ともに易を熟知した人物が作成したことだけは確かである。

 その上、日月火水木金土という1週間各日の名称も、中国に古くからあったものだった。
 また、キリスト教は男尊女卑を正当化しているわけだが、それも中国と共通し、なおかつその理由も、キリスト教は神の意志として明らかにしないのに、儒教を手がかりに探ることができた。そして仏教に目を転じると、水の上を歩いたり、食料を増やしたりという奇跡は、何もキリスト教の専売特許ではなく、仏教伝説にもあったことが確認された。


 これらの様子から、さらに聖書神話を検証してみると、ノアの方舟神話を手がかりに、現在キリスト教会に伝わっている『旧約聖書』は、古くからあっものそのままではなく、新約編纂時に作為をもって内容を一部改められていたことが判明したとともに、キリストが架空の人物だったことを初め、いろいろなことがわかって来た。

 ノアの方舟神話も天地創造神話と同様に易六十四卦の序次をもとにし、ここでは序次が上篇から下篇に移行するところをモチーフに作られていたのであって、そのことを踏まえて探って行くと、今度は太祖7代目エノクの、365歳の時に神が取り去ったとする記述に秘密めいた示唆を見出し、それはアダムからキリストに至る系図とトランプとの、ただならぬ関係を教えてくれた。と同時に、この系図は一部に矛盾があり、また、エノクの次の太祖メトシェラーの年齢にも矛盾があり、この二つの矛盾はキリスト教のシンボル十字架について、こんなことを教えてくれた。

 「十字架は、キリストが処刑されたからシンボルになったのではなく、[王様と親しむ民衆]の卦象(卦の形)から考案されたのだった。この卦は宗教社会の理想像を表現している形であり、だからこそシンボルとされたのであって、処刑神話はシンボルとするための口実として作られたのだった。」

 もっとも処刑神話はただそれだけの寓話に過ぎないというわけではなかった。「過ぎ越し」という言葉で[背負った大きな重荷]という卦をアピールし、そこにキリスト復活という寓話と、1週間と十二消長との数の差という事柄をリンクすることで、易を知る異邦人の読者に対しては、重大なことを伝えようとしていたのである。

それは、「『新約聖書』はそのすべてが、西暦301年から360年の間のある時期に、易を熟知した人物の指導のもとで書かれたのであって、キリストが架空の人物であることは無論だが、旧約もそれと同時に内容を一部改められた」
 ということである。


 駆け足で話せば、ざっとこんなところだが、とすると聖書成立はどういう経緯だったのだろうか。当時の中国人になったつもりで、少しシミュレーションしてみよう。 西暦166年。ローマ帝国と中国の後漢との間に交流が始まったと、『後漢書』にある。

 それから150〜200年くらい経った西暦300年代前半。中国は西晋の終わり、あるいは東晋の初めといった時代で、北方では五胡十六国が覇権を争っていた。

 そんな頃、とあるローマの旅人が中国を訪れ、「仁」や「愛」すなわち「他人に対する思いやり」という観念に触れ、その素晴らしさに感動した。武力と財力を権威の象徴とし、弱者を非人間的に支配しても、何の後ろめたさも持たないローマ帝国の治世に、人々の心は荒れ果て、憤りを感じていたのだろう。

 何とかヨーロッパに紹介できないものかと考え、中国の学者達と相談した。
 手っ取り早いのは、「四書五経」や『墨子』、その他の漢籍をそのまま翻訳することだが、あまりにも文化が異なるので、それでは真意が伝わりにくく、まして権力者には耳が痛い話ばかりなのだから、彼等が受け入れる可能性も低い。

 当時のローマ帝国は、ユピテルやアポロンを中心とした古来の神々に、ペルシャ伝来のミトラ教などをブレンドした多神教によって社会が支配され、その神々の名の下に法律や制度が運用されていた。とすると、これに対抗し得る宗教を作り、民衆の心を揺り動かすのが、最も効果的だろう。
 多神教に多神教で対抗しても、民衆にはわかりにくい。

 多神教に対して最もインパクトがあるとすれば、それは一神教しかない。神はただひとりしかいないとすれば、宗教イメージも簡潔でわかりやすくなり、その教えを民衆も理解しやすい。そうだ、それが一番よい。後は具体的な一神教の物語を作ればよい。
 何かよい題材はないだろうか。
 歴史を紐解いてみると、200年くらい前(西暦135年)に、ローマが滅ぼしたユダヤという国がある。これを使おう


 すでに滅亡し、国民は離散してしまっているのだから、何をどう書こうと文句は出ないに決まっている。丁度よいことに、彼等ユダヤ人は一神教を信仰していて、その一神教が太古からあったとする神話をもっている。これを神との古い契約(旧約)の書とし、新しい契約(新約)の書を、新たに書き下ろそう。それは愛と正義の主人公の物語にし、その主人公がそれまでの歴史を総括しながら、死後の世界の幸福と現世の生活を結び付け、それを心の癒しとし、なおかつ仙人伝説にあるような超能力による病気治療といったことで、神秘なものに対する好奇心をくすぐればよい。仏教伝説もヒントにしよう。そしてクライマックスでは、主人公に非業の死を遂げてもらおう。その方がインパクトが強く、民衆の共感も得られよう。

 最後はローマに布教されるところで終わりにすれば、ローマの民衆にも愛着が出る。そんな事実はないと指摘されたとしても、時代を少し古くしておけば、当時のローマ帝国にとっては些細なことだったので、すでに忘れ去られたのだと反論すれば、事無きを得よう。

 ただし、ユダヤ人の神話(旧約)にも少し筆を加えておこう。と言っても大したことは必要ない。ストーリーに違和感が出ない程度で、要所の名前や数字をほんのちょっといじれば、それでこと足りる。天地創造神話だって、理由はわからないが、要するに昔の中国人が作ったからこそ、易の序次とその流れが一致するのだし、そんなまがい物の神話なんだから、この辺で新たに手を加えても、別段悪いことはないだろう。

 主人公が処刑されるのは祭りの期間とし、その祭りの名称を沢風大過から採って「過ぎ越しの祭り」なんていうのが面白い。

 そんなふうに加筆すればそれでよいのであって、このようにしておけば、容易に主人公が架空の人物で、その神話が中国に帰って来た時にも、それが中国製であることが、簡単に読み取れる。
 そうだ、より中国製であることが明瞭になるように、易と辛酉革命で、暗号の骨格を組み立てておこう。それと、7日でひと区切りとしていることと十二消長を利用して、加筆製作年代がわかるようにもしておこう


 主人公の時代から暗号に従って計算すれば、この前の辛酉歳(西暦301年)になるようにすればよい。それに、その時代(西暦元年)に主人公を設定しておけば、ローマと中国がまだ正式には交流していない時代なのだから、易や漢字のわからないローマの民衆としては、それが中国製だとは思ってもみないに違いない。そうそう、主人公の誕生日は、彼等ローマ人の暦の中から、辛酉革命と結び付く日付を捜し出しておこう。その方が、こちらとしてもわかりやすい

 おそらくローマ人の依頼を受けた中国の学者達は、こんなことでも考えながら、旧約の加筆と新約の物語のアウトラインをまとめたのであって、依頼人はそれをローマに持ち帰り、ユダヤ周辺などでいろいろと取材し、その結果あのような聖書神話を完成させたのだろう。

 そしていざ布教活動を始めてみると、その愛の教えは、疲弊したローマの民衆の心を掴んで離さず、瞬く間に広がり、西暦380年にはローマの国教となるなどして、その地位を着実に上げて行った。

 ちなみに旧約新約の全聖書がローマ教会によってまとめられたのは、西暦397年、ラテン語版聖書が完成したのは405年だとされている。

 しかし一方では、そんな聖書神話に疑いの目を向ける人々もいたことだろう。そこで国教となった地位を利用し、キリスト神話を初めとする各種の物語を歴史的事実であるかのように見せかける偽装工作が、あちらこちらで行われだした。

 その結果が、現在われわれが知る古代西洋におけるキリスト教発展史なのではないだろうか。
 西暦紀元頃から四、五世紀までのキリスト教に関してを記述したものとしては、エウセビオスの『教会史』、フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代史』、また、タキトゥスの『ローマ年代記』などを初めとするローマの歴史書があるが、これらこそ、その見せかけ工作の一環として、後世に編纂あるいは加筆修正されたものなのだろう。

 まして西暦590年、グレゴリー1世がローマ法王となるころには、キリスト教会は絶大な権力を誇り、それは以後数百年持続する。とすれば、その間にもキリスト教に都合のよい歴史歪曲や遺跡捏造が行われたとしても、何の不思議もない。


 聖地奪還を旗印にイスラム教徒と戦った十字軍は、数多くのキリスト教関連の遺跡から、貴重な資料を持ち帰ったとされているが、あるいはそれも捏造の一環だったのかもしれない。そこで次に、その古代ローマのキリスト教関連の歴史につして、少し考えてみたい。

古代ローマとキリスト教

キリスト教がローマに伝わった様子は、おおむね次のようだったとされている。
 新約「使徒行録」では、キリストの死後=正確に言えば、死後三日目の復活から40日目の昇天の後、弟子達は聖霊のお告げに従って各地に伝導に赴き、ローマにはペトロとパウロという十二使徒中の最重要人物によって伝導されたとある。

 その後、シリア、小アジア、ギリシャから首都ローマまでの主要都市や農村に教会が建てられ、さらにはアルメニア、エジプト、イスパニアや北アフリカにも広まり、三世紀の初めまでにはローマ帝国の地中海沿岸全域におよび、またペルシア帝国にも伝わった。

 当初は都市部商人や奴隷などが信者の主体だったが、次第に農村部や社会各層におよび、だんだんと富裕な高身分の人々の中にも信者が現れるようになった。もっともそんな様子をローマ帝国は、ただ指を咥えて見ていたのではなく、信者を見つけると、改心を迫り、それでも従わない場合には、身分の低い者は火刑、十字架刑、猛獣との格闘刑、鉱山労役刑、身分の高い者は斬首刑、流刑に処したりといったふうに、キリスト教徒撲滅作戦を行ったので、十二使徒の全員を初め、数多くの殉教者を出した。そのため信者はカタコームと呼ばれる地下の墓地などに秘密の集会所を作り、密かに活動したりもした。

 しかしそんな迫害を受けても、いや、受ければこそそれが却って弾みとなり、反政府的なエクスタシーとなって民衆を酔わせ、キリスト教徒の数は益々増えて行き、いつしか政府の中枢にも信者が存在するような事態に陥り、ついに政府としても認めざるを得なくなり、公認するまでになって行った。

 また一方、ギリシャ哲学とキリスト教を融合させたグノーシス派というキリスト教異端の集団も生まれ、さらには仏教の影響も受けてマニ教という宗教に発展したグループもあった。
 二〜三世紀のキリスト教の歴史とされている事柄を駆け足で辿れば、だいたいこんなところだが、これらの出来事が、前項で話した虚構の歴史ということになる。
 おそらく真実は、次のようなことだったのだろう。

西暦70年、エルサレムの神殿をローマ人に破壊され、自分達の宗教と民族としてのプライドをずたずたにされたユダヤ教徒すなわちユダヤ人は、ローマに対する報復を画策し、同じくローマ帝国から搾取されていた貧農や奴隷階層の人々を抱き込み、反政府ゲリラ活動を行った。困ったローマ政府は、その防衛のために、彼等を探索して摘発し、ローマへの忠誠心を問いただし、反抗すれば処刑した。カタコームもその反政府ゲリラの拠点だったのであって、そんな彼等を牽制し、ユダヤ人のゲリラ活動を封じ込めるという狙いも、キリスト教を考案した目的のひとつだったのではないだろうか

 「マタイ伝」第27章のキリスト処刑神話のところでは、「今後我々ユダヤ人の子孫がどのような迫害を受けようと構わないから、ともかく今、キリストを処刑しろ」というユダヤの民衆の熱望によって、ローマのユダヤ総督ピラトは処刑を許可したとあるのだから、キリスト教を信仰して最も損をするのはユダヤ人ということになる。このピラトに対する嘆願により、キリスト教徒は、例えローマでの身分は奴隷であったとしても、ユダヤ人を自由に迫害する権利を得たことになるからである。

 後世、そのユダヤ人のゲリラ活動をキリスト教布教活動の歴史にすり替え、カタコームにもキリストの絵を描いたりして、それが恰もキリスト教の遺跡であるかのように偽装したのだろう。無論、十二使徒を初めとする多くの殉教伝説も、作り話ということである


 グノーシス派やマニ教も、キリスト教から分派したのではなく、ユダヤ教エッセネ派という集団がギリシャ哲学や仏教と融合させて起こしたのではないだろうか。エッセネ派とは、西暦紀元前後に盛んに活動していたとされるユダヤ教禁欲主義の異端集団で、1947年以来死海近郊のクムラン地方の洞窟の中から、いわゆるクムラン文書と呼ばれる相当数の『旧約聖書』の断片や戒律などを記した書物の断片が発見されて脚光を浴びたが、その洞窟も活動拠点のひとつだったのだろうとされている集団である。(後略)

『聖書』の作者は古代中国の易学者だった!! 橘 翼


(私のコメント)
18日の日記の続きになりますが、キリスト教のの謎について探求していくと、とんでもない天地をひっくり返すような説を唱えるホームページがあった。しかしながらよく読んでゆくと、キリスト教の内容と中国の易学との単なる一致ではすまない事実がたくさんあると指摘されると、納得させられることがあります。

歴史によると中国とヨーロッパの交流は、シルクロードを通じて紀元前の遥か昔からあったと見るのが常識だろう。ならば中国を訪れた中東かローマ人が、中国の古典や易学を学び自分のものとして『聖書』を編纂したとしてもおかしくはない。正統性を持たせるために200年前にローマ帝国に滅ぼされたユダヤ教に接木を当てたような形にした。だから聖書は新約と旧約とに分かれている。

このようなキリスト教が出来た原因はいろいろ考えられますが、当時はローマ帝国がユダヤ人の反乱に手を焼いていた事実がある。一説はローマ帝国がユダヤ人への弾圧を正当化するために、イエス・キリストを裏切ったのはユダヤ人だという作り話を広めて口実にしたという説だ。

もう一つはユダヤ人の方から、ローマ帝国の市民達を古代ギリシャの神々やギリシャ哲学から、キリスト教に感化させ国家としての支柱を弱体化させることにあったとする説も考えられる。あるいは双方の思惑とは別に、中国の「墨子」の「兼愛」の思想はローマの奴隷達から市民へと広がっていった。ローマ帝国もキリスト教が広まるにつれ強大な武力も弱体化していった。「汝敵を愛せ」だの「右の頬を打たれたら左を差し出せ」などと言っていたら、兵士達は戦争が出来ない。

だからローマ帝国は野蛮人のゲルマン民族の侵入を防ぐことが出来なくなってしまった。この点ではユダヤ人の作戦勝ちであり、キリスト教でもって大帝国を滅ぼすことが出来た。しかしながらユダヤ人はキリストを裏切ったという作り話は残り、その後のヨーロッパにおけるユダヤ人弾圧の根拠ともなった。

この事からも古代ギリシャの合理的思想がヨーロッパには広まらず、ビザンティンや中東に伝えられたのは、ユダヤ人との確執があったか、なかったかの違いによるものだ。旧約聖書の神話そのものも中東で昔からあったものを作り直したものですが、年代などの記述は中国の易学の影響が反映している。キリストの誕生した年も生年月日も易学から導き出されたもので、イエス・キリストは架空の人物なのだという根拠にもなる。

月火水木金土日の七曜も古代中国の昔からあったものであり、男尊女卑の思想も同じく中国の思想が反映している。このように古代中国思想に詳しい人が聖書を研究してゆけば、聖書が中国人が書いたのか、中国で易学や思想を学んだ人が書いたのではないかという事に気が付いてもおかしくはない。

だから中国や漢学の盛んな日本でキリスト教が布教しないのも、「墨子」や「孔子」の教えを焼きなおした宗教に改める必要も無いからだろう。日本においても戦国時代にキリスト教が広まった時期もありましたが、南蛮文化に対する物珍しさに過ぎず、禁令を出したとたんすぐに廃れてしまった。同じアジアでも漢学のないフィリピンとか、ハングル化で漢学が廃れた韓国などではキリスト教が普及している。


18日の日記でもキリスト教の三位一体は訳がわからないと書いたのも当然であり、またマリアの処女受胎も中国の伝説の焼きなおしに過ぎないとわかれば、訳がわからないのは当然なのだ。世界史などでキリスト教西欧文明が過大評価されているのも、世界史学会の中にはキリスト教信者もいるから、なかなかキリスト教のタブーには触れられないようだ。

イラク戦争などを見ると、アメリカのキリスト教の傲慢さがどうしても目立ちます。キリスト教=文明であり、他の宗教は野蛮な宗教とみなしているようだ。ヨーロッパは古くからオリエント文明やエジプト文明に接していたから、多少は異文化や異宗教にも理解があるが、アメリカ人キリスト教信者のハルマゲドンという作り話を信ずるばからしさにいつ気が付くのだろう。




日本の司法は憲法に関しては司法の役割を放棄した
国家権力が憲法を守らなくなれば独裁国家も可能だ


2003年12月21日 日曜日

前稿「ゲリラ戦に参戦する覚悟はあるのか」には数多くの反響が寄せられた。大部分が賛同の意見であったが、中に「なぜ憲法9条に触れないのか」という質問と、「武力を用いないで、どのようにしてテロを根絶できるのか」という詰問があった。この質問に答えようと思っていたら、サダム・フセインの逮捕というニュースが飛び込んできた。このようなイラク情勢の変化も視野に入れながら、自衛隊のイラク派遣についての考察をさらに続けてみたい。

 最初に憲法の問題について述べ、次にテロの問題について述べる。

 私が憲法9条に触れなかったのは、これに触れると一種の神学論争になるからである。

 憲法の条文を素直に読むと、憲法はいっさいの軍事力の保持を禁じているとしか読めない。しかし、戦後の冷戦構造の中で東西対決の前線に位置した日本は、自衛の名のもとに自衛隊(当初は警察予備隊)を創設し、その戦力を増強してきた。そして現在は、地域紛争や国際紛争にもPKO部隊を派遣するという形で活動範囲も拡大してきた。そのさい用いられたのが「解釈改憲」という方法である。憲法の条文はそのままにして、その解釈を拡大したのである。

 法解釈は言語的操作によってほとんどどこまでも拡大可能であろう。そのことは、たとえばユダヤ教における律法解釈の歴史を見るとよくわかる。ユダヤ教の律法(トーラー)には248の掟と365の禁止事項が書かれている。しかし、大昔に作られた律法の中には、時代に合わないものもたくさん出てくる。しかし、律法は神によって与えられた規定とされているので、それを廃止したり改変したりすることはできない。そこで、律法の条文はそのままにして、その解釈を拡大するのが、ユダヤ教の律法学者(ラビ)に課せられた一つの役割である。

 たとえば、ユダヤ教では安息日(サバト)には労働が禁止されている。したがって、家の内部ではものを動かすことは許されても、自分の家から荷物を外に運び出すことは労働行為として禁止される。だが、これでは現代の生活に不便である。しかし、安息日規定は神が与えた律法なので、これを廃棄することはできない。そこで、一つの工夫が導入された。第二次世界大戦以前、東欧のユダヤ人の町村は「アイルヴ」と呼ばれる針金で取り囲まれ、その結果、律法上はその町全体が一つの住居と見なされるようになったのである。律法上は一つの家なのだから、その町村の中では、安息日でも荷物の移動は自由となった。次に、ワルシャワのような大都会では、電話線がワルシャワ全体を円環状に取り囲んだので、これも「アイルヴ」と見なされ、ワルシャワ市内であれば、「家の内部」なので荷物の移動は自由ということになった。こうなれば現代生活にほとんど何の支障もない。

 このように、律法を時代に合わせて柔軟に解釈するのが、ユダヤ教の知恵である。しかし同時に、解釈拡大の弊害もまたある。拡大解釈を続けていけば、どんな解釈も可ということになり、最終的には律法は、あってなきがごとき存在になってしまう危険性もあるからである。卑近なたとえになるが、パンツのゴムひもをあんまり広げすると、ゆるんでゴムひもの役に立たなくなるようなものである。律法学者は、一滴の水の中でも鯨が泳ぐことが可能、ということを論証できる、と揶揄する人もいる。

 このような拡大解釈に反対し、律法の字義通りの解釈に固執する人々が、超正統派と呼ばれる。これはユダヤ教だけの問題ではなく、キリスト教やイスラム教など、神から与えられた聖典を持つ宗教には、聖典の字義にできるだけ忠実たらんとする人々、いわゆる原理主義者がいる(いくら字義に忠実とはいっても、そこには常に解釈の問題が入ってくるのだが)。

 戦後の日本では、憲法、とくに9条が、一種の天与の「律法」となり、改変が困難な状況になった。憲法がなぜ「律法」化したのかは興味深い問題であるが、ここでは触れない。ともかく、憲法9条は終戦直後の日本人の心に強く訴えかけた理想であった。しかし、戦後の国際政治の変化の中では、いっさいの軍隊を持たないことは非現実的と考えられたので、憲法9条は、条文はそのままにしてどんどん拡大解釈されていった。今回の自衛隊のイラク派遣でも、それがどれほどこじつけであろうと、合憲であるとの理屈はつけられる。

 しかし、あまりにも拡大解釈が横行すると、憲法は、のびきったゴムひも、あってなきがごとき存在になる危険性がある。法が時の権力者によって恣意的に解釈されることは、立憲政治において決して好ましいことではない。法解釈に一定の限界を設定するのが司法の役割であるが、日本の司法は自衛隊の問題についてほとんどの場合、憲法判断を避け、現実を追認してきただけであった。

 憲法と現実がそぐわないのであれば、現実を憲法に近づけるか、憲法を現実に近づけるか、どちらかしかない。憲法は理想主義的な平和主義を語っている。もし現実を憲法に近づけようとするのであれば、日本人は理想主義的平和主義をいかにして現実化するかを真剣に考え、努力しなければならない。また逆に、憲法は神の律法ではないのであるから、憲法を現実に近づける形で変更することも可能である。憲法を現実に近づけて変えれば、拡大解釈という、ある種のいかがわしい手段に頼る必要はなくなる。憲法をどのような形に直すか(あるいは直さないか)は、最終的には、日本国民がどのような国家を欲し、国際社会の中でどのような生き方を選択するのか、という国民の総意によって決定される。

 しかし問題は、現在、この国民の総意が形成されていないことである。憲法9条を人類の理想として高く評価し、擁護する人々がいる一方、これを非現実的な観念論として、できるだけ早く改正(改悪?)することをもくろんでいる人々もいる。後者にとっては、自衛隊のイラク派兵が憲法に反すると言っても、「だからどうなんだ? 憲法が残って国が滅びてもいいのか? そんな憲法は早く変えてしまえ」という答えが返ってくるだけであろう。

 自民党は明確に憲法の改正を目指している。「自衛隊は軍隊でしょ」と公言してはばからない小泉首相は、もともと現憲法を尊重する気などない。「自衛隊は軍隊ではないから合憲」というのがこれまでの拡大解釈の理屈であったにもかかわらず、それすらもあっさりと踏み越えているからである。12月9日の「イラク派遣基本計画」の中で小泉首相が憲法の前文を引用したが、それは便宜的な拡大解釈のためでしかない。

 ここではこれ以上憲法論議に深入りすることは避けて、小泉首相の演説について触れたい。私が指摘したいのは、首相の演説は、「国民精神が試される」という言葉に端的に表われているように、一種の精神論であり、この派遣が「国益」にかなうことを、まだ具体的には説明していないということである。小泉首相や、アメリカのイラク攻撃を支持する人々――たとえば小泉首相のブレーンの一人とされている拓殖大学の森本敏教授など――は、これまで「国益」を根拠に自衛隊のイラク派兵を主張していた。だから私は前稿で、ならば小泉首相はその「国益」の内容を、リスクとの対比の上でもっと具体的に国民に説明すべきである、と論じたのである。

 ところが、小泉首相の演説は精神論に終始した。これを聞いて私は強い違和感をいだいた。小泉氏は、「首相になったら8月15日に靖国神社に参拝する」と約束して首相になりながら、中国と韓国の批判にあっさりと前言を翻して8月13日に「前倒し」参拝した。これは公約違反であるし、「英霊」への侮辱である(民族派の立場からすれば、中韓の内政干渉を許し、それに屈したことで、「国益」を損なったことになる)。国債30兆円以内という公約を破っても、「そんなこと大したことじゃない」とうそぶく首相である。そういう小泉氏に「国民精神」をお説教する資格があるのだろうか。

 誤解のないように付け加えておくが、私は「国益」を絶対化する気はない。21世紀の人類にとって必要なのは、むしろ「地球益」や「人類益」という発想である。しかし、哲学者でも宗教家でもなく、国民の安全や利益を現実的に確保しなければならない政治家が「国益」について考えるのは当然である。真に望まれる政治家は、「国益」と「人類益」、現実と理想を両立しうる偉大な見識を持った政治家であろう。しかし現在、それほどの政治家は日本のどこを探しても見つからない。だから、今の政治家が国益中心に考えるのもしかたがないと思うが、「国益」の名のもとに「国益」にならない政策を採ったならば、国民を不幸に陥れる致命的な過ちとなる。小泉首相には、もう一度真剣に「国益」について検討してほしいものである。

憲法と律法 中澤英雄 (東京大学教授・ドイツ文学)


(私のコメント)
今日も朝からテレビでは石破防衛庁長官や森本敏教授が掛け持ちして出ていましたが、一番肝心なイラク派遣が日本国憲法違反ではないかという基本問題が素通りしてしまっている。政府当局もイラク派遣が憲法違反であることは承知していて、いかに国民を誤魔化すかに三百代言を繰り返している。民主党の質問ももっともなことを言ってはいるのだが、はぐらかし答弁で引っ込んでしまう。

民主党の基本姿勢が間違っているから手詰まり状態になっているのだ。「民主党は憲法を改正してイラク派遣すべきである」と主張して追求すれば、自民党も憲法改正論者がたくさんいるから、自民党を分断することで有効だと思うのだが、左翼的な観点からイラク派遣に反対しても、突っぱねられればおしまいだ。左から攻めるよりも右から攻めたほうが有効なのだ。

結果的には現実は憲法を空文化させることにより、テロ特措法やイラク特措法が作られるようになった。憲法問題を司法に持ちかけても最高裁は憲法判断を避けてしまう。法の番人の役割を日本の司法当局は放棄してしまったのだ。国家権力の横暴をチェックするのが憲法の役目であり、人権を侵害することがあれば、憲法で国家を裁かねばならない。

ところが日本では憲法が空文化して、国家権力を規制する法律が機能しない結果をもたらすだろう。憲法を改正するには憲法96条に規定があるが、実施規定は50年たった今も決められていない。憲法が機能していないのみならず国会すら法律を作る機能が働いていないのだ。現実には憲法改正を主張するだけで軍国主義者だの右翼だのと言われてきたから、改正が出来る可能性は低かった。

私のような自主防衛・核武装論者は左翼から非難されると同時に、政府権力からも危険思想として封じ込められてきた。自分の国は自分で守れという常識が日本人には欠落してしまったから、極端にアメリカ依存的体質が政府も一般国民にも浸透してしまった。このアメリカ依存体質はアメリカ自身にとってもわずらわしく思われてきている。湾岸戦争の頃にこれに気付くべきだったが、何も出来ず金だけ毟り取られてしまった。

当時は海部首相の時でしたが、その教訓が小泉首相にとりついているのだろう。アーミテージ国務副長官から「ショーザフラッグ」だの「ブーツオンザグラウンド」といわれると、そのトラウマが首相自身に蘇り、超法規的法律を作って自衛隊のイラク派遣が決まってしまった。憲法が国家の基本原則であるにもかかわらず空文化してしまった危険性を感じます。




アメリカが東アジアの覇権を日本から奪った訳
将来は日、米、英の三カ国が覇権連合を組む


2003年12月20日 土曜日

日本にとって先の大戦は、民主国家たる日本がファシストたる中国国民
党、共産主義を奉じる中国共産党、更にこの両者と好を通じる共産主義国家
ソ連と熱戦、冷戦を戦っていたところに、(米国を対ナチスドイツ戦に引き
込みたかった英国の意向を受けて)米国が日本に無理難題をふっかけ、日本
を対米開戦(=三国同盟に基づくナチスドイツの対米開戦)に追いこんだた
めに始まったものなのです。

3 「Imperial Understretch」について

 (私も意見を同じくするところの)覇権国有用論に立脚したここでのファ
ーガソンの指摘には、極めて興味深いものがあります。
 とりわけ、英国の第一次世界大戦参戦(対独開戦)は誤りだったとする指
摘は重大です。

 この誤った戦略的意思決定が災いして英国が世界の覇権国の座から滑り落
ちてしまい、他方で米国にはまだ世界の覇権国の地位を引き継ぐ意思がなか
ったため、東アジアには完全な力の空白が生じ、力不足の日本が東アジアに
おける地域覇権国としてこの空白を埋めざるを得なくなってしまったからで
す。

 その「地域覇権国」日本の「覇権」の行使を執拗に妨害したのが米国でし
た。
 米国は日米提携を追求するどころか、まず英国に日英同盟を解消させ、そ
の結果、日本は孤立無援の状況で、上述したように、ソ連、及びこのソ連を
後ろ盾にし、かつナショナリズムの名を借りた 支那のファシズムと共産主義
と対決させられる羽目になります。そしてその後も、米国は積極的に中国国
民党及び中国共産党への支援を行っていき、万策尽きた日本は最終的にファ
シスト国家ナチスドイツとの同盟を選択してしまうのです。米国のこの愚行
の総仕上げが「太平洋戦争」だった、ということになります。(拙著第9章
参照)

 ところで、米国がこのような「愚行の総仕上げ」をしたのは、英国の要請
によるものであり、英国がかかる要請をする必要に迫られたのは、ナチスド
イツを早期(もちろん三国同盟などができる前)に叩かなかったという、フ
ァーガソン指摘の英国のもう一つの誤った戦略的意思決定のせいでしたね。
 つまり、没落しつつあった老練な英国の上手の手から二度も水がこぼれた
ことと、図体だけはデカイけれど子供並みの頭しかなかった米国がよってた
かって日本と東アジアを悲劇に追い込んだ、ということになります。

◆4 「良い宗主国・悪い宗主国」について
 
 植民地統治については宗主国間において相対的な評価がなされるべきであ
る、とのファーガソンのスタンスに私は賛成であり、英国が欧州列強に比べ
て相対的にマシな宗主国だったという彼の指摘はその通りです(コラム
#149)。

 しかし、ファーガソンは、独立後、英国の旧植民地の経済等のパーフォー
マンスが格段に滴下したと言っているところ、「かつて植民地であった国の
経済的パーフォーマンスは、旧宗主国別に、日本>ロシア>米国>オランダ
>英国>フランス、の順序である」(コラム#197)ところから見て、独立前
といえども、英国の植民地の経済的パーフォーマンスは自慢できるほどの高
さではなかったのではないでしょうか。

 私は以前、宗主国が植民地の原住民の自立心と自尊心を確立ないし強化し
たかどうかが旧植民地の独立後の経済発展を左右するのではないか、という
問題提起をしました(コラム#201)。
 自立心と自尊心の確立強化や経済の発展のための必要条件が基礎教育の普
及です。(もとよりこれは必要条件であって十分条件ではありません。基礎
教育の普及に力を入れつつ、それがむしろフィリピン人の自立心と自尊心の
確立強化や経済の発展を妨げた、米国によるフィリピン統治のケース(コラ
ム#201)を思い出してください。)

 日本の植民地統治と比べて英国の植民地統治が格段に見劣りするのが、こ
の基礎教育の分野です。ノーベル経済学賞を受賞したインド人、アマルティ
ア・センは、「インドでは、基礎教育・・は、つねに無視されつづけてき<
た>。その結果として、インドの成人人口の約半分は、今なお識字能力を欠
いている・・。」(セン前掲34頁)と言っていますが、これは独立後の歴代
インド政府の責任である以上にインドを150年にわたって統治した旧宗主国英
国の責任でしょう。

 結局のところ、露骨な収奪を行った欧州列強の植民地統治に比べれば、英
国の植民地統治は、植民地への投資から長期にわたってできるだけ多くの収
益を確実に回収する、という資本主義的経済計算に立脚して行われた、とい
う点でより合理的であっただけのことであり、原住民側から見れば、もっぱ
ら搾取が行われただけであったという点では、欧州列強と英国の植民地統治
との間に基本的な違いはなかった、と総括していいでしょう。
 私はファーガソンが、欧州列強や英国のそれと一味もふた味も違う日本の
植民地統治を視野に入れなかったために、彼の指摘が甚だバランスを欠いた
ものになったことを惜しみむものです。

 なお、ファーガソンは、インドのナショナリズムが英国製だとしており、
その点は否定できないものがある(マハトマ・ガンジーを論じたコラム#176
参照)のですが、インドを含めた英国や欧州列強の植民地原住民を独立に向
けて覚醒させる決定的な契機となったのは、1896年にアビシニア(エチオピ
ア)のメネリク二世がアドワの戦いでイタリア侵攻軍を撃破して独立を維持
したことや、1904-1905年の日露戦争で日本がロシアに勝利したこと(大川周
明「復興亜細亜の諸問題」中公文庫1993年(原著再刊は1939年)82頁、及び
http://www1.ttcn.ne.jp/~africanhistory/abyssinia.htm)であったという
べきでしょう。

 また、ここでもファーガソンは日本をナチスドイツと同一視しており、既
にこのことに対する批判は十分行いましたが、若干付言しておきます。
 彼がナチスドイツのホロコーストと日本の南京事件を同列に並べているの
は全くいただけません。(なぜかは説明するまでもありますまい。)

 このような、「戦前の日本嫌い」のファーガソンの指摘に接して改めてひ
しひしと感じるのは、ホンネのところでイギリス人が抱いているであろう日
本への憎しみです。英帝国の崩壊は避けられなかったとしても、第二次世界
大戦直後に早くも崩壊しまったことについては、ファーガソン自身が認めて
いるように、英国の戦略的意思決定の誤りによる自業自得であるわけです
が、一般のイギリス人にはそれがいかにも日本のせいのように見えるであろ
うからです。(私がエジプト滞在当時の1958年に、小学校の夏休みに母親と
一緒に欧州と英国を旅行したのですが、ロンドンで我々母子を日本人と知っ
た通りすがりのイギリス人から悪罵を投げかけられたことを思い出しま
す。)

5 「現代世界」について

 私はここでのファーガソンの指摘には特段異存はありません。
 あえて付け加えるとしたら次の二点です。
 私が当面望んでいることは、世界及び米国自身のために米国がより
multilateralに行動してくれることです。日本は英国と手を携えて米国を
multilateralismへと促すべきでしょう。

 中長期的には、ファーガソンも指摘するように、米国単独での覇権の維持
は困難だという問題があります。私は日本のイニシアティブの下、米国とア
ングロサクソン諸国と日本が積極的に提携して自由・民主主義と法の支配を
旗印とする覇権連合を形成することによって、世界が「歴史の終わり」(フ
ランシス・フクヤマ)に向かって引き続き前進を続けることを心から願って
います。

太田述正ホームページ 時事コラム <ニール・ファーガソン(その5)>


(私のコメント)
昨日の続きのような歴史の話になりますが、戦略的判断ミスは日本に限らず、アメリカやイギリスもおかしている。これは後世になっての反省から出てくるのですが、外交戦略において最善の策がとれないのはやむをえないだろう。必ずしも相手が合理的、理性的判断をしてくれるとは限らないから、正しい判断をとったとしても最善の策ではなかった結果を招くこともある。

岡崎久彦氏が指摘しているように日英同盟の解消は日本とイギリスにとって悔やまれるところです。これはアメリカの戦略である、日本とヨーロッパを組ませてはならないとする戦略から、アメリカの横槍で日英同盟は解消された。もし日英同盟が継続されていたならば、イギリスはシンガポールと香港の要塞は失わずに済んだだろう。日本も外交的に孤立することはなく日独伊の三国同盟はなかったはずだ。

明治初頭の東アジアは、ロシアの南下政策にイギリス一国では対抗できず、日本を近代化してロシアに当たらせる戦略がイギリスにあった。その結果が朝鮮半島の併合と満州国の建設となり、台湾も中国から日本へ割譲された。しかしながら昭和の軍人達はこの戦略が理解できず、中国からインドシナへ勢力を広げてしまった。アメリカは中国の市場を狙っていたが日本に独り占めされ、日本と開戦になった。

結果的にはアメリカの一人勝ちであり、イギリスは多くの植民地を失い、日本は朝鮮と台湾を失った。この結果で日英の軍事的後退はアメリカ一国が世界の制海権を握ることになった。しかしイラク問題に見るようにアメリカの軍事的弱点もあらわになり、経済的破綻がアメリカ一国主義の破綻に繋がるだろう。アメリカが再び大戦前の孤立主義に引篭もった場合、その軍事的空白をどこが埋めるのだろうか。日本とイギリスしかありえない。

とくに太平洋においてアメリカが引いた場合、中国とロシアが西太平洋に制海権を確立するだろう。果たしてそれはアメリカにとって容認できることであろうか。アメリカ本土の沖合いを中国やロシアの潜水艦が出没することは望まないはずだ。明治初頭のイギリスのように日本を盾にして中国とロシアに当たらせるはずだ。そのためにアメリカは日本をイラク戦争に強引に引きずり込もうとしている。

昨日のニュースで日本もMD計画が本格的に開発されることが決まった。これもアメリカの戦略の一環であり、日本の金で技術開発が進められるのだろう。それまで北朝鮮の金正日はがんばって日本を脅迫し続けてもらわねばならない。だから北朝鮮を崩壊に追い込むのはいつでも出来るが、そうしないのはアメリカの計算だ。

もう一つアメリカは中国に対して台湾という人参を目の前にぶる下げている。台湾の独立は認めないとしながらも、中国の武力による併合は認めないというのはどういう思惑なのだろう。中国がこのまま軍事力が強化され近代化したばあい、アメリカ一国の支援では守りきれないだろう。この場合も日本が盾となる役割を負わせるのだろう。日清戦争前の状況に東アジアは似てきている。




パールハーバー空襲はもっとも愚劣な作戦だった。
日本政府と官僚はなぜ最善の策がとれないのか


2003年12月19日 金曜日

蘭印油田地帯の保障占領こそがベスト.オプションだった

しかし、当時、本当に、オプションは、たった三つしかありえなかったのであろうか? 四番目の、もっと有効で有利な国家戦略の選択肢がありえたのではなかろうか? 先年、亡くなられた村松剛教授は、生前、「……昭和十六年秋時点でのわが国にどっての最も有利なオプションは、蘭印(蘭領東インド、現在のインドネシァ)の油田地帯を保障占領することだったはずだ!そのような場合であれば、当時の米国の国内世論の状況から見て、米国のルーズベルト政権は対日全面戦争を発動しえなかったはずだ!」と、口ぐせのように、繰り返し繰り返し、言っておられた。実は、私自身も、ずっと以前から今日にいたるまで、同意見である。

「保障占領」とは、「特定の相手国による一定条件の履行を、間接に強制し確保するために行なわれる相手国領域の一部(ときには全部)の占領」(有斐閣『新法律学辞典』)のことである。つまり、昭和十六年当時のわが国は、領土併合の意図などは持っておらず、正当な代価を支払って石油を輸入しようとしていただけであるから、そのことを内外に明確に宣言したうえで、蘭印側に石油の対日輸出を承諾させ、その履行を促進・確保するためという限定された目的のためにのみ、わが軍が蘭印の油田地帯とその積み出し港地区に進駐すればよかったわけである。このためのわが軍の必要兵力としては、一個混成旅団ぐらいもあれば、それで十分であったであろう。そうすることによって、わが国は石油を十分に入手しうるようになり、戦略的に非常に有利な地歩に立つことができるようになっていたはずである。

当時、オランダは、本国がドイツ軍に占領されてしまっており、辛うじてロンドンに亡命政府が存続していたような悲境にあったから、米英両国が対日全面戦争を発起しえない状況であったとすれば、蘭印は、おそらく無抵抗でわが軍の保障占領をゆるしたことであろう。そして米国はと言えば、当時のわが国でもよく知られていたことであるが、リンドバーク大佐(大西洋を初めて無着陸横断飛行した英雄)などによる反戦運動が米国民のあいだで広範な支持をえており、米本土から遠く離れた東南アジアの一隅にすぎないオランダ領の島に小規模な保障占領が行なわれたぐらいのことでは、いかに反日的なルーズベルト政権といえども、対日全面戦争をはじめるなどということは、とうてい不可能な政治情勢にあった。

この点は、当代第一級の軍事史家バーバラ・タックマン女史も強調して止まなかったところである(大杜淑子訳、『愚行の世界史』朝日新聞社、一九八七年刊)。もとより英国も、ドイツとの戦争で手いっぱいであったから、米国が起たない状況で、英国ひとり対日全面戦争に入るなどということは、ありえない話であった。

あの当時は、世界のいたるところで保障占領が行なわれていた。それも、米英両国が率先して、そ れをやっていたのである。昭和十五年(一九四〇年)の五月には英軍がアイスランドを占領している。翌年の昭和十六年(一九四一年)七月には(米国の正式参戦以前であるにもかかわらず)米軍もこのアイスランド占領に加わった。もちろん、これは、米英の戦時軍事行動へのアイスランドの協力を強制するためのものであった。同年(一九四一年)の五月には英軍がイラクを占領している。石油の確保と親英政権の樹立のためであった。さらに、同年の八月には英ソ両軍がイランを占領している(同国の北半分をソ連軍、南半分を英軍が占領)。

これも石油と対ソ軍事援助ルートの確保のためであった。だから、同年の秋に日本が蘭印の油田地帯の保障占領を行なっていたとしても、それは、当時では、とりたててシヨツキングなことでもなんでもなく、ごく普通の正当防衛戦略的な措置であると見なしうる程度のものであったはずなのである。だからこそ、ますますもって、米国としても、その程度のことでは、対日全面戦争に踏み切ることなどは、できなかったであろう。

言うまでもないことであろうが、前年の昭和十五年(一九四〇年)の夏、ドイツ軍の電撃作戦でフランスが屈服した直後が、わが国が蘭印油田地帯の保障占領を断行する絶好のチャンスであった。しかし、昭和十五年では、わが海軍の対米戦力比率がなお低く、万一にも、対米全面戦争になったといった場合には、善戦しうる見こみが立ってはいなかった。結局、昭和十五年夏のこの好機は見送られてしまい、わが国は、まず小林一三商工大臣を、次いで芳沢謙吉元外相を、特使として蘭印に送って・わが国への石油など重要物資の供給再開をもとめる交渉を行なったにとどまったのである(蘭印 はそれを拒絶した)。

しかし、昭和十六年の秋から年末にかけての時期の状況は、その一年前と比べると様変わりであったはずである。なぜならば、わが海軍の対米戦力比率が大幅に上昇していたからである。大和と武蔵の両超弩級戦艦は完成に近づいていたし、新鋭大型空母の翔鶴と瑞鶴が完成・就役したのである。太平洋水域においては、わが海軍力が米海軍力を上回ったとさえ言いうるほどになった。もともと、その年の十二月には米英蘭に対する全面戦争に突入する決意で戦備を急いでいたのであるから、わが国が蘭印油田地帯の保障占領を行なったことに触発されて、もしも米国が対日全面戦争を発動してきたとしても、いわば、もともとであって、わが国としては、既定の作戦計画と戦備に基づいて対米英戦争を戦いはじめれば、それでよかったはずのことであった。

このように、どう考えてみても、昭和十六年秋の時期においては、蘭印油田地帯の保障占領の断行ということが、当時のわが国にとって最も合理的で有利かつ容易な国難打開の「決め手」ともいうべき国家戦略であったはずであり、それを実行してさえいれば、「ABCD包囲陣」を無効にすることができ、それでいて、対米英戦争への突入という悲劇的な事態も、回避されえたにちがいなかったのである。

しかも、よくしらべてみると、昭和十五年の十二月に天皇陛下のご裁可をえて発効した昭和十六年度の「陸海軍年度作戦計画」には、蘭印だけを占領し、アメリカやイギリスの領土には手をふれないことにしたところの、対蘭印作戦案が示されていたのである。それを、少し手なおしすれば、上述の ような蘭印の油田地帯ならびに石油積み出し港地区のみを対象とした保障占領という、当時の米国民の反日感情への刺激を相対的に少なくしうるという意味でいっそう合理的な作戦案に、なりえたはずである。

にもかかわらず、昭和十六年の秋という決定的に重大な時期のわが国において、しかも、陛下が「国策の根本的再検討・再吟味」を指示された「白紙還元のご詫」を下されたにもかかわらず、なぜ、この最も有利な第四のオプションが立案・提示もされず、考慮もされなかったのかということが、きわめて大きな疑問点・問題点とならざるをえないわけである。

当時の閤僚や高級軍人たちが戦後になってまとめた数多くの回顧録のたぐいを見てみても、かれら昭和十六年の開戦決定に参画した当時のキー・パーソンたちは、戦後になってさえ、開戦直前の時期のわが国には蘭印油田地帯のみを対象とする保障占領というきわめて有利な第四のオプシヨンがありえたのだということに、全く気づいていなかったように思われるのである。まことに不可思議きわまる痛恨事であったと言わねばならない。

財政再建と経済異隆とを瞬時に達成しうる秘策

しかし、実は、まさに同様に不可思議な痛恨事が、以下に述べるように、平成十五年の現在時点でのわが国においても、昭和十六年秋のそれと同じパターンで、繰り返されつつあると見なければなら ないのである。

本稿のはじめの部分で述べておいたように、いまや、わが国の経済と政府財政は、真に危機的な悪循環の「底無し沼」の破局に引きこまれつつあるような状況にある。しかし、実のところは、私が、十年近くも以前から、繰り返し援言してきたように、そのような危機的な事態からの脱出をはたしうるきわめて容易かつ有効な方策がありうるのである。

そもそも、わが国の経済社会が持っている「真の財源」とは、マクロ的な生産能力の余裕ということであるはずである。そして、毎年、総需要の不足のために実際の実質GDPとしては実現されえずに、いわゆるデフレ・ギャップという形で空しく失われている潜在GDPこそが、このマクロ的な「生産能力の余裕」、すなわち、「真の財源」に他ならない。それは、いまや、わが国の経済においては、年問三百兆円にもおよんでおり、現在の趨勢が続けば、今後の十年問だけでも、合計四千兆円もの潜在GDP(一九九〇年価格評価の実質値)が実現されえずに失われるものと予測されざるをえないのである。

しかし、この「今後十年問だけでも四千兆円」という超膨大なデフレ・ギャップという「真の財源」の裏づけがあるかぎり、インフレ・ギャップ発生の怖れが現実的には皆無であるわけであるから、マネー・タームでの政府財政財源についても、たとえば、明治維新のさいに維新の大業成功の決め手となった「太政官札」や「民部省札」(いずれも不換政府紙幣)発行の故知にならって、現行法でも明記されているところの「国(政府)の貨幣発行特権」(セイニアーリッジ権限)の大規模な発動とし ての「平成の太政官札」(日銀券ではない隻ろの政府紙幣)の大量発行に踏み切り、その「造幣益」(つまり発券収入)によってほとんど無尽蔵に近いほどに巨額の政府財政財源を確保したとしても、なんら差し支えはないのである

あるいは、必ずしも「政府紙幣」の発行を現実には行なわなくてもよい。やはり、私が幾度も提言してきているように、政府が無限に持っているところの「無形金融資産」としての「政府貨幣発行権」のうちから、たとえば四百兆円ぶん、あるいは、五百兆円ぶんに限定して、その発行権を、政府が日銀に売却することにすれば、実際に「政府紙幣」の印刷・発行を行なわなくても、同じく巨額の財政収入を政府はうることができる。日銀にそれだけの額の「政府貨幣発行権」を売るさいに政府が若干のディスカウントをしてやれば、日銀としても、その資産内容を改善しうるというメリツトが大 きいであろう。

もとより、このような「国(政府)の貨幣発行特権」の大規模発動によってえられることになる超巨額の政府財政収入については、国債発行の場合とは違って、政府がそれに対して利息を支払ったり元本を償還したりする必要が全くない。担保も不要である。国民にも、それが現世代の国民であろうと、後の世代の国民であろうと、なんら負担はかからない。私が、これまで十年近くも強調し続けてきたように、この方策によって、いわば、瞬時にしてわが国の「財政再建」は達成されうるはずである。そして、このようにしてえられる超巨額の(そして正真正銘の)財政収入を財源として、政府が画期的に大々的なケインズ的内需拡大政策を実施すれば、わが国の経済が、すぐに、飛躍的な 再生と興隆の成長軌道に乗りうることも確実なのである。

ただし、長年の不況・停滞のためにわが国の各省庁や地方自治体、財界などは、おしなべて消極的な思考パターンに陥ってしまっており、上記のような超巨額の内需拡大予算を合理的・積極的に活用していこうとするような壮大な「国つくり」の計画・設計などは、いまのところ、まだ、全く準備されていないというのが、実情であろう。だとすれば、これまた私が繰り返し強く提言してきたように、ここ二〜三年ぐらいは、老人から赤ん坊にまでいたる全国民に、たとえば、一律、年額数十万円ずつの「潜在経済力活用費」(一種のボーナス)を政府が支給する(全国民の預金口座に振りこむ)といった施策を実行すればよいであろう(過日の地域振興券よりも桁違いに多額が支給されるべきである)。

これは、効果が疑いもなく一〇〇%決定的・即効的に確実であり、しかも、簡単明瞭かつ公平で、「消費者主権」のメカニズムを基本原理としている市場経済システムに最も適合しているのであるから、経済に歪みを遺すこともない。すなわち、現在のわが国経済の状況にあっては、このような、全国民への政府からの相当にまとまった額のボーナス支給、言うまでもなく、そのためのマネタリーな財源は上記のごとき「国の貨幣発行特権」の大規模発動によるべきである、という施策の断行こそが、経済学的には最もオーソドックスで、優れた政策なのである。

古今の史実にてらしてみると、「政府貨幣」としての「政府(不換)紙幣」の発行による造幣益の取得ということが、国家が危機的な事態に直面したときの救国の秘策となったケースが、非常に多いことがわかる。わが国の明治維新のさいの「太政官札」や「民部省札」の発行は、その典型例であっ た。北米合衆国は、「グリーン・バック紙幣」と呼ばれた「政府紙幣」の発行によって南北戦争を乗り切ることができた。「グリーン・バック紙幣」の発行がなされなかったとしたら、今日の強大な合衆国はありえなかったであろう。

英国は「カレンシー・ノート」と称する「政府紙幣」発行の造幣益によって巨額の戦費支出を行なうことが可能になり、第一次大戦を戦い抜くことができた。歴史家たちのあいだでは評判が悪いことで有名な大革命時のフランスの「アシニア紙幣」(同じく「政府紙幣」であった)にしても、ルイ十六世の時期の破綻しきった国家財政を引き継いで絶望的な財政困窮に直面していたフランス革命政府が、この「アシニア紙幣」発行の決断を下したことによって、とにもかくにも、巨額の財政収入を確保しえて、突貫作業的な急速建軍にも成功し、四方からフランス国内に侵入してきた外国の干渉軍を撃退することができたのである。

そればかりではなく、その後、間もなく、ナポレオンに率いられたフランス大陸軍による連戦連勝の外征さえ開始することができるようになったのである。そして、フランス大革命の数十年前には、わが国の徳川幕府が、大判・小判の改鋳による多額の造幣益を得て財政危機からまぬがれている。要するに、古今東西を通じて、国家存亡の危機にさいしては、「政府貨幣」としての「政府紙幣」の発行ということが、きわめて有効な危機突破のための「決め手」となってきたわけである。それは、けっして「禁じ手」ではないのである。(P110−P118)

謀略の思想「反ケインズ」主義 丹羽春喜著


(私のコメント)

今月の12月8日は日米開戦の記念日でしたが、NHKでも「その時歴史は動いた」で日本政府の暗号がすべて解読され、ハルノートが出されるまでの経緯を描いていました。実質的には日本に対する石油禁輸はアメリカの封じ込め政策であり、挑発に乗って戦争を仕掛けてくれば、待ってましたとばかりに叩く政策で、最近ではイラクと北朝鮮に仕掛けている。さすがにフセインも金正日もその手には乗りませんでしたが、日本のバカ政治家とバカ官僚はアメリカの挑発にのってしまった。

日本のエリート官僚と政治家の特性として、たとえ自分が間違っていたとしても頑なに自説にこだわる傾向があります。そのために柔軟な政策運用が出来ず、逐次投入で成果が上がらない習性を繰り返すのだ。小泉首相の頑ななまでのイラクへの自衛隊派遣も、もっと状況判断を冷静に見極めてから判断を下すべきである。構造改革も財政の均衡政策も頑なな態度をとるばかりで、自分の判断の誤りを認めようとしない。

結果論になりますが、パールハーバー空襲が一番の誤りであったことは明らかだろう。もともと成功するはずのない作戦を断行したことは、山本五十六がアメリカの工作員であったのではないかという疑いすらもたれるほどだ。その証拠に同じようなミッドウェイ作戦では壊滅的敗退を喫している。山本五十六も、アメリカのメッセンジャーボーイと呼ばれる竹中平蔵もハーバード大学に在籍経験がある。

当時の状況からして石油禁輸の制裁を受けたのだから、インドネシアの石油を確保するだけの限定作戦で保証占領に止めていればアメリカ、イギリスはどう動いたであろうか。そのような作戦をどうして日本軍はとれなかったのだろうか。後三ヶ月、半年状況を見極めていれば、ドイツの対ロシア戦争も勝てないことがわかったであろうし、日本も対米戦を避けただろう。

もっともアメリカ側も戦争準備があと三ヶ月で出来ることから、ベトナム戦争のトンキン湾事件をでっち上げたように戦争を仕掛けてきただろうが、その挑発に乗らないだけの駆け引きをすべきだった。しかしながら敗戦後も軍事官僚たちからは敗戦責任を認めながらも、戦略や作戦ミスに対する反省は聞かれない。太平洋戦争に入ってからも日本海軍は不可思議な作戦行動をとりアメリカ軍に勝利を導いた。しかしながら当事者の弁明は聞こえてこなかった。

バブル崩壊後の日本経済も第二の敗戦と呼ばれている。この事に対する大蔵官僚や日銀官僚の政策の誤りであったとする反省の弁明がいまだに聞かれないのも、太平洋戦争のときと変わらない。日銀の三重野総裁にいたってはインタビューにすら応じないのはなぜか。私も当時は個人で事業を始めていたから日銀の不可思議な金融政策は「何をやってんだろう」と当時から思っていたし、明らかに何らかの意図があったはずなのだ。

現在の経済・金融政策においても、頑なに構造改革を主張している理由が明らかになっていない。政策のバックボーンになるような構造改革の経済政策を論じた書物がないのだ。それらしきものは「前川レポート」と呼ばれるものがあるが、すでにカビが生えたものであり現在の日本と状況が異なる。実際のところ政府の政策担当者ですら何をどうしていいのかわからないというのが本当なのだろう。

その点で丹羽春喜教授の政府発行紙幣による金融・経済政策は画期的である。これに対する財務官僚や日銀官僚は経済は実験室ではないといった「事なかれ」的な反応しか見られない。彼ら高級官僚は前例がなければ何も出来ない。ただアメリカのブッシュ大統領が不良債権を早く処理しろとか金融緩和を続けてドルを買い支えろといった、アメリカの言いなり政策を続けている。

日本にはこれから10年にわたる四千兆円ものデフレギャップがあるのだから、それを活用して財政政策を進めてゆけばいいのだ。問題はその内容であり多くのプロジェクトを立ち上げて実施する必要があるが、今のままでは金のばら撒きに終わる可能性があります。6百兆円もの公共事業は日本経済に役に立ったのか。それを生かす地域の開発計画はあるのか。中央の官庁が許認可権限を手放さないために一向に前に進まない。

バブルの頃は日本中がゴルフ場などのリゾート建設ラッシュとなった。厚生省や労働省なども日本中にリゾート施設を作った。ところが軒並みそれらのプロジェクトは失敗した。むしろ大都市の生活環境を改善すべきだったのだろう。開かずの踏切が日本全国で500箇所もある。住宅環境も狭苦しいままだ。つまり需要は大都市にこそたくさんあるにもかかわらず、地方にばかり金が使われてしまっている。潜在需要の読みを政治家も官僚も間違えたのだ。




古代ギリシャの科学や哲学はどのように伝わったのか
アリストテレスの思想は中東から西欧に伝わった。


2003年12月18日 木曜日

◆ハウス・オブ・ウイズダム

西暦紀元前343年か342年頃、アリストテレスは、まだ13才だった未来の大王アレキサンダーの教師として雇われた。アリストテレスが42才の頃である。それは、人類史上でも最大級の二人の人物の出会いといえるだろう。しかしそれにしても、われわれ現代人は、なぜこのような遥かな昔の史実や、そもそも古代ギリシアの科学や哲学を知っているのだろうか。知識あるいは知恵の集積を後世に伝えることは、案外難しいのだ。

古代ギリシア人の知恵の産物が、われわれに伝えられたのは、多くの人びとの努力と歴史的幸運のお陰である。エジプトを征服したアレキサンダーは、アレキサンドリアに図書館をつくることを命令した。当時の図書館は、本をつくることから始めなければならなかった。文書の断片が帝国の各地から集められ、著者別に推論、区別され、本が作成された。それらの本は、ほとんどギリシア語で書かれていた。

アレキサンドリアの図書館は、いろいろな政治的事件に翻弄されながらも、かなり長く、存続し続けた。しかし、西暦391年にはキリスト教徒によって、642年にはイスラム教徒によって破壊された。いずれも、古代の合理的な思想が、宗教的に危険な存在と見做されたのである。その後、生き残ったギリシア語の文献は、ビザンチン帝国によって保管されることになった。

ビザンチン帝国は、東ローマ帝国とも呼ばれるので、ローマ帝国と考えられやすいが、事実上ギリシア帝国に変わっていた。しかしビザンチン帝国は、古代ギリシアの科学や哲学に積極的な関心は持たなかったらしい。当時のキリスト教徒は、キリストを神と人の間にどう位置づけるかという問題をめぐって、きびしい宗教的対立を続けていた。そんな雰囲気では、古代ギリシアの理性を重んずる思想は危険視されたのだろう。

そのままでは、ビザンチン帝国の書庫の中で朽ち果てたかもしれない古代の知識が、再び陽の目をみたのは、アラブ人の手によってである。751年、イスラム・アラブ帝国がウマイア朝からアッバス朝に変わり、首都がダマスカスからバクダッドに移ると、多くの民族が集まってきた。新しい都バクダッドは、かつての古代ペルシア帝国、ササン朝の都、クテシホンに近かった。そしてササン朝時代の学問の中心、ゴンデシャプール大学も、バクダッドからそれほど離れていなかった。

ゴンデシャプールでは西のギリシアの科学が、起源を異にするインドの科学と接触・融合していたのである。アッバス朝は、早くから知識の習得に熱心だった。第二代カリフで、実質的なアッバス朝の創設者であったアル・マンスールは、754年から775年の治政の間に、ビザンチン皇帝の下に使節を派遣して古代ギリシアの数学の教科書、とくにユークリッドの著書を求めている。そのために、同じ重さの金を支払ったと伝えられているはどの熱心さであった。

しかしアッバス朝の知識吸収欲が最高潮に達するのは、9世紀に入ってからである。第七代のカリフのアル・マアムーンは830年、バクダッドに「ハウス・オブ・ウイズダム」(知恵の家)という政府機関を設立した。伝説によると、アル・マアムーンの夢にアリストテレスが現われ、「神の啓示とギリシアの理性の間には矛盾がない」と保証したという。もっとも、イスラム教では、キリスト教と違って、知識の吸収は大いに奨励されていた。預言者ムハンマドも、「学者のインクは、殉教者の血より価値がある」とし、「知識を求めることは全てのイスラム教徒の義務」とまでいっている

「ハウス・オブ・ウイズダム」は多数の学者を雇って、ビザンチン帝国から求めてきたギリシア語の文献を、まずシリア語に訳し、それをアラビア語にさらに訳した。このような二段階作戦をとったのは、直接訳すことができなかったからである。とくに、ギリシア語からシリア語に訳すのにキリスト教徒が雇われた。

国家権力を基礎にした大規模な翻訳事業は、2世紀にわたって続けられた。当時存在したギリシア語の文献はほとんどアラビア語に訳されたという。それは、50万部にも達する膨大なものだったようだ。そのような膨大な本をつくることができたのは、751年のタラスの戦で、中国からの紙の製造技術を獲得していたからである。それまでは、羊皮紙あるいはパピュルスが使われていたが、羊皮紙は高価で、パピュルスは長持ちしなかった。

アラブの学者たちは、翻訳だけに満足していたわけではない。ギリシアの科学をインドの科学と結合して代数学などの独自の科学をつくり出し、自らの観察によって、ギリシアの科学を修正、発展させたのである。以上のように、知識の継承者としてのアラブ人の功績は大きい。しかしバクダッドは、西欧からあまりにも遠く、かつ、いずれモンゴルに亡ぼされる運命にあった。

古代ギリシアの知恵を現代に引き継ぐには、さらにスペインの役割が必要だった。ダマスカスにおけるアッバス朝の大虐殺をかろうじて逃れたウマイヤ朝の一人の王子が、スペインに後期ウマイア朝を建てた。アブダル・ラーマン一世である。その孫で、第四代のアブダル・ラーマン二世は、822年から852年にかけて、スペインを治めたが、バクダッドのアッバス朝に対抗するため、多くの学者を好遇をもって招いた。以後、その都、コルドバは、約400年にわたって学問の中心地となった

繁栄をきわめたスペインのアラブ・イスラム帝国も、その頂点、10世紀のアブドル・ラーマン三世の死後急速に衰退する。「レコンキスタ」の旗印の下、キリスト教徒が、イスラム教徒をしだいに南に追いつめていった。しかし、幸いなことに、今やキリスト教徒も知識欲を高めていた。1085、キリスト教徒の手に落ちたスペインのトレドが、その後200年にわたって、ヨーロッパのための知識の発信地となった。

少し遅れて、12世紀ノルマンに征服されたシシリーのパレルモも、アラビア語の文献の翻訳センターとなった。アラビア語から、ラテン語、ギリシア語、ヘブル語へ翻訳されたのだ。やがて、ヨーロッパの奥地、今日のフランス、ドイツ、イギリスなどから多くの学者が、蜜にすいよせられる蝶の如くに、トレドやパレルモに勉強にやてきた。

オックスフォード大学やケンブリッジ大学、それにソルボンヌ大学など現在のヨーロッパの大学の多くは、その創立の淵源をこの時期にもっている。それは偶然ではない。以上の如き歴史の偶然性と必然性の連鎖につながっている。そしてわれわれの世代もまた、後世に知恵と知識を引き継いでいく歴史的義務を負っていると思う。

関岡e-歴史研究所 ハウス・オブ・ウイズダム


キリスト教の謎

あらためて、キリスト教の謎に迫ろう。
キリスト教はユダヤ教から出た一神教である。
しかるにキリスト教は、信仰の根幹に「救い」という概念を持ち込んだ。
そのためキリスト教は愛の宗教となり、多くの信者の心を捉え、
世界最大の宗教となることができた。

「救い」とはなんだろうか。
原罪からの救いというのが一応の答えである。
しかし歴史を読めば、その場合の「救い」がそんな抽象的なものではないことが分かる。

歴史が物語る「救い」とは、一神教徒なら誰もが避けて通れない最後の審判の際、
確実に天国へ行ける保証以外のなにものでもない。

絶対神による最後の審判の結論は、天国か地獄か、二つしかない。
グレ−ゾ−ンはないのだ。
誰もが天国へ行きたいと考えるのは、人間心理から当然である。
とくに天国へ行きたいわけではないと考える、ひねくれ者でさえ、
地獄へだけは落ちたくないだろう。
地獄へ落とされないためには、どうしたらよいのか。
この問題でキリスト教は、他の一神教と決定的に決別する


ユダヤ教やイスラムの場合、地獄へ行かないで済む唯一の選択肢は、
神の命令どおり生きることである。
しかし一般の人間は、その肝心の神の命令を直接聞くことができない。
そこで、預言者が神の命令(言葉)を記録したとされる聖書が尊重されているのである。

そんな状況下、キリスト教だけは、キリストを信じれば地獄へ行かなくて済む、
という便法を考え出したのだ。

長い一生を、常に神の命令どおり生きているかどうか心配しながら送るよりも、
キリストを信じる方が遥かに生き方としては楽だろう。
キリスト教が急膨張したことも自然の成り行きであった。
しかし「救い」という概念は一神教の教義と相容れない。

キリストが、最後の審判より遥か以前に、
人間に天国行きを保証したとすると、
最後の審判者、絶対神の立場は奇妙なものとなる。
絶対神がキリストの決定に拘束されるのだとすると、
もはや絶対神ではなくなってしまう。
反対に、拘束されないとすれば、キリストは人間を騙したことになってしまう。

2世紀の原始キリスト教会は、この論理的絶対矛盾に悩むことになった。
このキリスト教最大のピンチを救ったのが三位一体説である。
絶対神を父、キリストを子とし、それに聖霊という神秘的要素を加味して、
それぞれは位格としては三つだが、存在としては一つとする教義である


この、普通の論理では到底理解できない学説が生まれた背景には、
新プラトン主義という「哲学」があった。
簡単に言えば、人間の論理を超えた超越的な論理があるというのである。
新プラトン主義は、プラトンのイデア思想にオリエントの神秘主義が混入された思想である。
しかし三位一体説が、すべての人々を納得させたわけではなかった


300年頃、アリウスが、キリストが神だとしても
絶対神と同格などといったことはありえないと、
もっともなことを指摘したが、異端として葬られた。
400年頃、ネストリウスが現れて、マリアの「神の母」という称号に疑問を呈した。
絶対神は、この世のすべてのものの創造神なのだ。
自らは、創造を超越している。
その絶対神と同格のキリストが、マリアから創造されたとしたら、
奇妙なことになってしまう。

再び、論理矛盾が露呈しかけたが、
キリスト教会は、ネストリウスを異端と断ずることによって危機を免れる。
ヨ−ロッパにマリア信仰が生れるのは、これ以降である。

4世紀末、アウグスティヌスが現れて、
新プラトン主義を基礎にキリスト教神学を確立した。
三位一体説擁護の立場である。
以後、キリスト教の中核に神学が座ることになった。

とても興味深い。キリスト教の根幹に哲学が居座っているのだ。
もちろん、ユダヤ教やイスラムなど、他の中東の一神教にも学問体系は存在する。
しかしそれは解釈学である。
できるだけ人間の考えを排し、神の真意を探る学問である。
しかしキリスト教だけは違う。新プラトン主義はギリシア哲学に行き着く。
ギリシア哲学は明らかに人間の思想である。
その意味でキリスト教は、一神教に人間的要素を加えたことになった。

アウグスティヌス後、キリスト教神学は修道院によって守られた。
9世紀にシャルル・マ−ニュによってカロリンガ・ルネッサンスが始まると、
キリスト教神学はスコラ哲学という形を取った。

ところが12世紀にアラブの世界から
先進的な学問体系がヨ−ロッパに入ってくると(12世紀のルネッサンス)、
長らくスコラ哲学として凍結されてきた学問ないし思想体系が、大きく揺らぐ。

中でもアラブから入ってきたアリストテレスの思想は、
プラトンのイデア思想とは対立するものだったが故に、
新プラトン主義で固められたスコラ哲学にひびを入らせる。

13世紀の初め相次いで、二つの托鉢修道会が誕生した。
フランシスコ会とドミニコ会である。
二つの修道会は、相対立する立場を取った。

前者はプラトン・アウグスティヌス主義、
後者はアリストテレス哲学に立脚したのである。
13世紀以降、この二つの修道会が西欧の哲学的・神学的二大傾向となった。

ドミニコ会からは、ヨ−ロッパ中世後期の思想界の大立て者、トマス・アクィナスが出た。
トマスのアリストテレス主義に対して、14世紀初めペトラルカが反論する。
以後、約200年間続いたプラトン派とアリストテレス派の論争が起きる。
それがヒュ−マニズム論争で、ルネッサンスや宗教改革の思想的母体となった。

関岡e-歴史研究所 キリスト教の謎


(私のコメント)
アメリカ十字軍による今回のイラク侵攻は、中世ヨーロッパの十字軍遠征と性格はよく似ている。中世ヨーロッパの十字軍はキリスト教の聖地奪回のために行われましたが、停滞したキリスト教会支配に対する不満を海外への遠征でそらそうとしたのだ。キリスト教会が特に敵視したのは中東から入ってきたアリストテレスの思想が敵意を呼んだのだろう。

合理主義的な古代ギリシャ思想は古代キリスト教とは相容れない要素を持っている。絶対神とイエス・キリストと精霊とはいかなる関係なのか、合理主義で突き詰めればキリスト教の教義は破綻する。三位一体だと説明されても一般の信徒にとっては理解しがたいものだ。古代ローマ帝国が一千年もの長きに栄えたにもかかわらず、キリスト教がローマ社会に広がるにつけ帝国のたがが緩み始め、ゲルマンの野蛮民族に侵入で滅び去った

ローマ帝国が滅び去った以降、ヨーロッパは文化や文明は停滞するか滅び去ってしまった。キリスト教という新興宗教がギリシャ・ローマ文明を葬り去ってしまったのだ。キリスト教徒でありさえすれば天国へ行けるとする宗教は当時のヨーロッパ人の心を捉え全ヨーロッパへ広まっていった。それ以降キリスト教会が支配するようになり14世紀のルネッサンスまでヨーロッパは暗黒時代をむかえていた。

その間の古代ギリシャ文化は滅び去ったしまったわけではなく、中東へ伝えられた。古代の合理的な思想はキリスト教にとってもイスラム教にとっても目障りな存在であったが、イスラムのカリフは「神の啓示とギリシャの理性との間には矛盾はない」として熱心にギリシャ文化を翻訳し奨励した。現在のイスラムのようにいつから外国の文化に対して排他的になってしまったかはよくわからないが、当時はバクダッドが文化と文明の中心地となった。

中東に対するヨーロッパの文化の立ち遅れは決定的になり、スペインにまでイスラム帝国が建設されるまでになった。それに対するキリスト教会側の反撃が十字軍遠征になりましたが、ゲルマン民族は武勇に優れてはいるが野蛮な戦闘的な民族であった。フランク王国の王様なども自分の名前も書けないほどだった。しかしその遠征が祟りキリスト教の権力は弱まり、スペインのイスラム帝国から文化を吸収するようになった。

だから現在の西欧文明は古代ギリシャ文明の直接の継承者ではない。古代ギリシャ文明はビザンチンからバクダッドを経てスペインへ渡りヨーロッパに広まったのだ。しかしこれ以降もオスマン・トルコ帝国まで、中東のヨーロッパへの優位は続き、西欧文明が世界を席巻するようになったのは400年ぐらい前からだ。

しかしながらキリスト教の基本的な問題は解決したわけではなく、アリストテレスの思想との確執はいまだに続いている。ヨーロッパのキリスト教は一応世俗化され合理的な思想を受け入れるようになったが、現代のアメリカのキリスト教は原理主義に立ち返り、聖書を絶対視して合理的な思想を排斥するキリスト教が復活している。以前は一宗派に過ぎませんでしたが、今では大統領を選ぶまでの勢力になっている。

アメリカといえば月に人類を送るまで進歩した科学技術大国ですが、その反動がキリスト教原理主義の復活となって表れている。この動きは古代ローマ帝国にキリスト教が広まり始めた現象とよく似ている。合理的な思想を持ったローマ皇帝からキリスト教徒の皇帝が現れるようになってローマは滅んだ。アメリカも近代的な軍事帝国にキリスト教原理主義を信ずる大統領が現れた。それがブッシュ大統領だ

だからブッシュがイラクへ十字軍を派遣するのも偶然ではなく、必然なのだ。やがてはエルサレムの奪回を目指してアメリカ十字軍を進撃させるのだろう。そのことがアメリカの国力の衰退と精神的退廃を招き、ローマ帝国が滅んだごとく、キリスト教原理主義がアメリカ帝国を滅ぼすもとになるだろう

日本人ならイエス・キリストが人間なのか神なのかを悩む心配はない。最近では明治天皇や東郷元帥が神社に神として祭られている。だから日本にあるキリスト教会はキリスト神社に過ぎない。ところが一神教であるキリスト教は、イエス・キリストが人間なのか神なのか、また天地を創造した絶対神とどう違うのか教義が混乱している。三位一体といっても私には理解できない。




イラクで捕まったサダム・フセイン元大統領は
国際刑事裁判所(ICC)によって裁かれるべきである。


2003年12月17日 水曜日

<フセイン裁判>イラク特別法廷で 外国人加え公正確保 米方針

【ワシントン中島哲夫】米国務省のバウチャー報道官は15日、フセイン・イラク元大統領の自国民虐殺や戦争犯罪を裁く方法について、イラク人による特別法廷に外国の司法関係者も加えるなど国際的な評価に堪えるものにする方針を示した。定例記者会見で述べた。米政府は年明け早々にも担当大使をイラクに派遣し、法廷設置に向けて統治評議会との本格協議を開始する。

 これに先立ち、ブッシュ大統領は記者会見で、フセイン元大統領の裁判の形式に関する質問に「国際的な吟味に堪える方法を創出するため、我々はイラク人とともに働く」と述べ、国際的な批判を受けないような「公正な」法廷を設置したい意向を示した。

 同時に、イラク国民がフセイン政権による弾圧の被害を受けた事実を指摘しながら「イラク国民が裁きの過程に大いに関与する必要がある」とも述べ、純然たる国際法廷は不適当だとの判断を明示した。

 ブッシュ大統領はまた、適用する刑罰について「私には個人的な考えがある」とした上でフセイン元大統領の残虐な行為を指摘し、「死刑が適切」と見ていることを暗示。しかし「重要なのは私ではなく、イラク市民の見方だ」と述べて、イラクに設置する法廷の判断を尊重する姿勢を示した。

 バウチャー報道官は大統領会見を受けた形で、イラクの統治評議会が設置を決めた特別法廷について「我々はイラク人とともに働いてきた」と明言。同法廷は国際的なアドバイザーや外国人の判事、検察官を置く可能性を想定していると説明し、米政府はイラク側が今後、法廷の具体的な構成を決めるにあたり緊密な協議を続けると述べた。

 特別法廷について従来も今後も米政府が影響力を行使し、国際的な評価に堪える形式にしようとしていることを事実上、認めた形だ。報道官はイラクへの大使派遣予定も明らかにした。(毎日新聞)
[12月16日16時5分更新]

◆ブッシュを国際刑事裁判所に提訴するには?

国際刑事裁判所(ICC)規程第2部は、管轄権や、起訴を受理するための基本的条件をすべ て詳細に明示しています。

1)ブッシュについて障壁となるのは、第1に、ICC規程12条が定める管轄権行使の前提 規定です。ICC規程の締約国はICCの管轄権を受諾するものとされています。アメリカは、ク リントンが行なった署名すらブッシュが撤回しています。批准はしていませんから、アメリ カはICCの管轄権を受諾していません。基本的には、ブッシュをICCに起訴することはできな いということです。

2)ただし、ICC規程12条は、犯罪行為が発生した領土の国家が締約国であれば、管轄権 を行使できるとしています。ところが、イラクも批准していません。

3)他方、ICC規程12条3項によると、締約国でない国でも、個別の事件についてICCの管 轄権を受諾することができます。例えば、兵士が個人的に戦争犯罪を犯した場合に、政府が その兵士に対するICCによる裁判を受け容れるというケースです。いわば、外交保護権の放 棄です。ブッシュの場合にはそうした事態は考えられません。 もっとも、もし将来、アメリカの政権が変化して、新政権がブッシュについてICCの管轄権 を受諾すれば、裁判ができることになります。当面は、現実性はありませんが。 仮にアメリカ政府がそこまで姿勢が変わっても、ブッシュをICCに引き渡すことまでは期待 できないでしょう。となると、大統領でなくなったブッシュが海外訪問したときに、その地 の政府官憲がブッシュを身柄拘束してICCに引き渡すという方法になります。イギリスがピ ノチェトを逮捕してチリに引き渡したようなケースです。アメリカ相手にそこまでできる政 府があるとも思えません。爆撃されるかもしれません

4)また、ブッシュ政権は、ICC規程の署名を撤回しただけでなく、いくつもの政府との間 に特別協定を結んでいます。それは、A国はアメリカの戦争犯罪容疑者をICCに引き渡さない という協定です。これは昨年急速に進められていて、西欧諸国からはICCを骨抜きにするも のだとの批判があがっていますが、アメリカは強行しています。ブッシュは当然、自分が戦 争犯罪人だと「自覚」しているのでしょう。捕まらないための手だてはしっかりやっていま す

5)次に、管轄権を行使するためには、締約国がICCに通知するか、安保理事会が通知する か、検察官が通知するか、になります。ブッシュを裁くために通知する国があるか否か、検 察官がそのまで英断を下せるかが問題になります。 なお、市民・NGOが原告になることはできません。私たちができるのは、ICC検察官に戦争犯 罪が犯されたとの証拠・情報を提供し、捜査の着手を要望することです。ICC規程には、締 約国は通知できるという規定があるだけで、市民ができるという規定はありませんが、ICC 規程の外で、市民が勝手に情報提供することはできます。ICC検察官が受理するか否かはわ かりません。

6)以上のように、現状では残念ながら、ブッシュをICCで裁くことは著しく困難です。国 際法の上でもほとんど不可能ですし、現実の国際政治のレベルでも不可能です。

7)ブッシュをICCで裁こうという運動はいくつか始まっているようです。私が見た呼びか け文には、いますぐにでもICCでブッシュを裁くことができるかのように書いてありまし た。できるはずのないことを、できるかのように書いています。ブッシュをICCで裁くこと には大きな困難があり、難しいけれども、困難を乗り越えるべく運動を展開しましょう、と 呼びかけるのなら理解できますが。

8)イギリスはICC規程を批准していますから、ブレアをICCで裁くことのほうが可能性があ ります。少なくとも国際法上の困難はさしてありません。国際政治上の困難は非常に大き く、海外に出たブレアを身柄拘束する国家を見つけなくてはなりませんが。そうなると、米 英軍がICCのあるオランダのハーグに爆撃するといった話になりかねません

9)私たちは、アフガニスタン侵略におけるブッシュの戦争犯罪を裁くための民衆法廷運動 を展開しています。
http://afghan-tribunal.3005.net/

イラク侵略におけるブッシュの戦争犯罪についても、ラムゼー・クラークさんたちインター ナショナル・アクション・センター(IAC)が民衆法廷を呼びかけるはずです。日本でも ブッシュの戦争犯罪を全面的に解明するために情報収集をしておく必要があります。民衆法 廷でしっかりと証拠を積み上げて、それを国際世論にアピールし、ICC検察官に提供する 必要があります。


(私のコメント)
サダム・フセインが生きて捕まったことで今後の展開が面白くなってきました。フセインをどうするかでアメリカの本性が見えてくるからです。ブッシュの思惑としては来年の大統領選挙のために、如何にサダム・フセインが悪者であったかをアピールして、イラク戦争の正当性を訴えるだろう。そのためにはフセインとも裏取引をしているかもしれない。さらにイラク戦争の泥沼化から目をそらす意味もあるだろう。

だからアメリカの思惑としては裁判と言う名の「政治ショー」として行いたいのだろう。以前にもパナマのノエリガ将軍を捕まえてアメリカの監獄にぶち込みましたが、フセインもそのようにアメリカ国内へ連行して裁くのだろうか。しかしそれではあまりにも露骨過ぎて、返り血も浴びる恐れもあるからたぶんしないだろう。

イラクの暫定政権に引き渡すことも考えられますが、それでは公正さに欠け、あっさりと処刑してしまうだろうからこれもまずい。公正さでは国際刑事裁判所(ICC)に委ねるのが一番良いのですが、アメリカ自身が批准も加入もしていないのでこれも出来ない。何故アメリカがクリントンが署名したにもかかわらず、ブッシュはそれを撤回してしまったのか。ブッシュ自身がICCに提訴される危険性があったからだ。

ここに現代のアメリカに対する一番の問題があります。イラク攻撃に国連決議を経て攻撃をしたならばそれなりの正当性はあっただろう。また国連決議をえた攻撃でも、アフガニスタンの民間人を狙った攻撃や、捕虜となったタリバンの兵士などに対する殺害行為など、明らかな国際法違反としてラムズフェルドなどが訴えられる恐れがあります。

このようなアメリカの独善的態度に日本の親米派の言論人は口を噤んだままだ。私はこの現象を「東京裁判シンドローム」と名づけたい。アメリカのすることは何でも正義であり、アメリカこそ絶対的善であるとする親米派は、アメリカを支持することで日本における地位を確保している人物が多い。アメリカを支持しているからこそ首相になれたり大学教授になれたりする国なのだ。

アメリカがイラクに攻め込んだのは大量破壊兵器を隠し持っているからという理由ですが、いまだに見つかっていない。いくらでも不正工作で大量破壊兵器をでっち上げることは出来たはずなのにそうしないのは何故なのだろう。イラクに大量破壊兵器を売り込んだのはアメリカだからだろう。だからフセインをどこまで追及できるのか疑問なのだ。フセインとCIAのつながりは大きいからだ。

「バクダッド裁判」では「東京裁判」のようなアメリカ主導のインチキ裁判が行われるのだろう。一応国際的な裁判官を並べて形式は整えるのでしょうが、内容はアメリカが一方的なシナリオを書いてそれに沿った「政治ショー」が繰り広げられるだろう。ブッシュは大統領選挙で利用できるからこそフセインを生きて捕まえたのだろう。




クライド・プレストウィッツ著「ならずもの国家アメリカ」
「日米安保は日本の力を抑制する為にあった。」


2003年12月16日 火曜日

米国側は「日本は市場をもっとオープンに」と繰り返したが、「オープン」というニュアンスは、法的な意味よりも、米国社会の根本的なメカニズムを表わしていた。つまり、値段が安く質の良い商品やサービスの提示をした者が注文をもらえる、「フェア」な環境である。縁故の問柄でしか仕事をさせてもらえない「商慣習」では、新参者は入れない。特に私たちが指摘したのは、日本の市場が価格よりも長年の取引関係を重視するという点、それから、市場が政府の「行政指導」により厳しく規制されていて、外国人はもちろん日本人にとっても新規参入が難しくなっているという点だった。

ところが、日本にとって「オープン」という言葉は、否定的で面倒臭いという意味が含まれていた。日本は伝統的に閉じた杜会であり、外から入ってくる新参者に対するルールは必要ない。「日本で商売をする以上、日本のやり方でやるのは当然だ」という考え方が主流であった。つまり、両者は同じグラウンドで全く別のスポーツをしていたと言える。通商交渉はまるで、サツカーをしている相手に野球のルールを言っているのと同じだった。

さらに私たちは、仮に日本のシステムが民主的だったとしても、それは非常に変わった種類の民主主義であり、他の大多数の民主主義国家の民主制度とは全く違っていると主張した。どこが変わっているかといえば、第一に、選挙で地方の票が都市部の票よりも重いために、一人一票のシステムではないのである。第二に、官僚の力が非常に強く、起草から導入まで立法のほとんどを取り仕切ったうえ、担当責任者である閣僚の国会答弁まで官僚が用意してやるほどだ。第三に、自民党内の仕組みでは、すべての意思決定の裏ですでに交換取引がなされているので、国会で実質的な立法論議がなされることはほとんどない。こうした日本の体制の本質について、日米がともに誤った前提に立っていることが、結果として貿易摩擦と不満を助長して、より根底で日米関係を蝕み始めているのだ、と私たちは指摘した

だが、誰も私たちの意見を聞く耳は持たなかった。日本にしてみれば、今のままで充分うまくいっているのだから、勝ち続けている戦略を変える理由はどこにもなかった。一方、アメリカが私たちの分析を受け入れたがらなかったのは、これを受け入れたら日米の根幹的な協定を見直さざるを得ない.からであり、もう一つには、これを受け入れたら「自由市場に対する人為的操作は、市場を歪める」という自由放任主義以外の経済システムを有効だと認めることになり、自分たちの原理原則が崩れてしまうからだった。そんなわけで、私たちは日米双方から、単なる「日本叩き」として片づけられた。日本を封じ込め、そのシステムを壊したがっているだけなのだ、と言われたのだ。

しかし実のところ、私たちはむしろアメリカ・バツシャーだったと言っていい。アメリカが始終「公平な土俵」に立てと日本に要求し、日本はずるいと非難していることが両国の関係を悪化させているのだから、方針を転換して双方のシステムの違いを認識し、その違いに対処することを目指すべきだ、というのが私たちの主張だった。つまり、「日本の経済構造は米国と異なっているのだから、摩擦を回避する方法は、構造自体を似たものにしていくよう、上手に管理していくことだ」というものだ。

しかし、日本叩きという言葉は「人種差別主義者」の娩曲表現と捉えられ、その否定的な響きのせいで、私たちの分析は一顧だにされず、日本の制度自体への批判として解釈されてしまったのは残念なことである。今にして思うと、日本があのとき私たちの言うことに耳を傾けていたら、今日の日本経済ははるかに良い状態にあったのではないだろうか。もちろん、後で振り返ってみて、ああすたやすればよかったと言うことは容易いことだが。

日本の貿易黒字が増大するにつれ、もっと円高にすべきだというプレッシャーが、二方面から起こった。市場とワシントンである。その結果が、プラザ合意だった。つまり、すでに円を押し上げていた市場の圧カに、アメリカ政府からの制裁が加わったのだ。日米両政府は、円を強める方向に吹いていた「風に逆らわない」ことで合意した。これもまた、日本がそれまでの戦略を見直して、重要な構造転換を果たす絶好の機会だった

貯蓄奨励、銀行を介しての問接融資、次々に巨大化する生産能力拡大のための設備投資、そして輸出といった戦略から、消費を拡大し、金融業とサービス業を育成し、円を国際通貨にする政策に切り替えるべきだったのだ。なぜそう言えるのかというと、日本の輸出主導型の成長戦略は、日本が世界経済の中でわずかな部分しか占めていなかった時期には有効だったが、もはや日本の経済力はそんなレベルではなくなっていたからだ。

日本はすでに世界市場で大きなシェアを占めており、それ以上の輸出拡大が見込みにくい臨界点は、すぐそこにきていた。それ以上の投資をしても、生産超過で在庫を増やすだけであり、最終的にはデフレに発展することは予想できた。実際に、前川レポートや中曽根行革などのかたちで、将来の日本を輸入.消費大国に想定する見直し案も出されていた。しかし、旧システムの成功神話は根強一く、旧システムにおける既得権益の力も非常に強かったため、見直し案はすべて押しのけられ、旧来の「奇跡的」システムを存続させる努力ばかりが強化された。

日本銀行は、通貨供給量を増やしてカネ余り現象を引き起こし、不動産と株の市場価格を天空まで押し上げ、それによって資本コストを実質ゼロにまで引き下げた。事実、バブル経済の絶頂期には・トヨタなどの企業の資本コストは、マイナスになっていた。つまり、彼らが債券を売って資金調達を行なう時、市場は実質的に、その証書を買う栄誉のために、わざわざプレミア分のお金を払っていたのである。

一九八○年代末から九〇年代初めにかけての数年問、日本はエルドラド(黄金郷一をついに発見したようなものだった。触れるもののすべてを黄金に変える、ミダス王のような国になっていた。だが、泡は永遠に膨らみ続けるわけはなく、日本のバブルも例外ではなかった。しかし、バブルがはじ けた一九九二年頃もやはり、システムを再考して新しい戦略を採用する絶好の機会だった。一つについは、不動産価格の永遠の上昇という日本人の土地神話が、株式市場の暴落とともに潰えたからである。この土地神話は、土地担保という憤習的融資行動を通じて、日本の銀行制度の根幹を成しており、実際、銀行資本の大部分を土地・不動産が占めていた。だから本来なら、ここですぐに銀行の健全性を調べ、バブル崩壊によって生じた不良債権に引当金をあてて帳簿から消し、キャッシュフローによる融資戦略を採用すべきだったのだ。

しかし、誰も奇跡が終わったことを信じたくなかった。自民党をはじめとする既得権益者の力が非常に強かったこともあって、古いエンジンの再生にあらゆる努力が傾けられた。だが、古いエンジンはかすかに振動音を立てるだけで始動せず、日本経済はその後一〇年の問に徐々に崩壊していった。かつては強みであった長期的な取引関係、政府の行政指導と暗黙の保障、高い貯蓄率、護送船団方式をとる銀行融資、終身雇用と年功序列型昇進・昇給や不動産担保融資といった慣習、高い投資率、製造業偏重、成長の軸足としての輸出重視策、円を国際通貨にしないための円の供給制限維持、外国からの投資の排除なゼが、今やすべて弱みに転換した。こうなってしまったのは、強みを発揮するはずの戦略が機能するための、環境や条件が変わってしまったからである。

そもそもの誤りは、これらがどんな時も常に強みになると信じられていたことだった。これらは、元大蔵省財務官の榊原英資の言葉を借りれば、「資本主義を超えた」日本に独特の優れた経済システムの構成要素なのだから、強みでなくなるはずがないという信念である。この信念と、さらに質の悪い強カな既得権益者のせいで、日本は新しい状況に見合うようなシステムの変更を行なわなかった。その結果、システムも「死に体」と化したのである。

経済が死に体であれば、アメリカによって設計され、支援されていた日本の政治システムもまた死 に体である。日本を外から見てきた私にとって、この一〇年の日本の歴史で最も不可解なのは、経済があえぎ続け、政治指導者が公約不履行を繰り返し、紛れもない詐欺や汚職といった不正行為が暴露されたにもかかわらず、全く政権交代が起こらなかったことである。

一時的に細川護煕が首相となった一九九三〜九四年を除いて、自民党は現在までずっと政権を握り続けている。細川政権誕生のあの時ほど、野党が新しい政策を提示し、国民が新しい指導者にチャンスを与えるのに、おあつらえ向きの状況はなかったはずなのに、そうはならなかった。自民党に三〇年間在籍する政治家である小泉純一郎が新しい指導者になっても、もちろん何も起こらなかった。

政権交代が実現しなかった理由は、その腐敗した選挙制度に加え、自民党に支持者層をつなぎとめておく能力があったためだ。自民党の票田となる有権者に対して、政府による補助金や公共事業という形でカネを気前良くばらまくことで、自民党が支持基盤をがっちりと固めたシステムが、日本では今なお残っている。ただし、先に行なわれた自民党総裁選を見てみると、小泉氏は利権につながる古い派閥政治を叩き潰すことで、新しい自民党を内から作ろうとしているようにも見えるが。

また、韓国の場合と違って、日本の民主主義には、自民党に代わって政権を担当できる政党を育てる能力がなかったため、政権交代が起こらない。その理由の一つは、自民党とアメリカの特別な関係が寄与している、ということだ。細川政権は二〇〇〇年までに米軍が沖縄から撤退することを求めたが、その細川政権が退陣し、自民党が再び政権を握る現在では、旧来の協定が有効なまま、米軍はまだ沖縄に駐留している

冷戦が終結し、世界経済のグローバリゼーションが進むなかで、日米関係の問題点はすでに明らかになっている。現在のような日米関係は、とっくに破綻した日本の政治経済システムを延命させるばかりでなく、日本が自身のアイデンティティを再定義するうえでも、また日米双方にとって有益とな るはずの成熟した対外関係を日本が発達させるうえでも、ますます弊害となっていくだろう。

日米安保条約の目的は、ソ連を牽制し、アメリカの影響力を強化し、日本の力を抑制することだ生言われてきた。つまりアメリカの存在は、日本を共産主義国家のソ連と中国から防衛するだけでなく、近隣諸国の脅威にさせない役割も果たしていた

実際、アメリカと日本の関係は長いこと、親と子供の関係のようなものだった。親であるアメリカは、未熟な日本が「成長」して責任を担うのを促してはいるが、一方で、日本が完全に自立できるとは思っていない。反対に、未熟な日本はアメリカが親のように監視することに不満を持ちながらも、完全に責任を担わなくていいことを利用している。どちらの側にも非常に複雑な心理があり、それはどちらにとっても健全ではない。

たとえば、国連安全保障理事会の問題にしてもそうだ。日本は安保理の常任理事国になりたがっており、確かに日本の経済的影響カを考えれば、そうなってしかるべきだろう。しかし、安保理は時として、理事国の軍隊を交戦地域に送る決断をしなくてはならない。戦闘が予想される所には軍隊を派遣しないと言っている国が、本当に理事国になれるだろうか。

それに、常任理事国になるということは、アメリカの支配下にある日本にかなりの自治権を与えることになる。それを知っているはずのアメリカが、本当に日本の常任理事国入りを望んでいるだろうか。さらに言えば、日本を近隣諸国の脅威にさせないというお題目もまた、問題をいっそう複雑にしている。

重要な同盟国であるアメリカがアジアの他の国々に対して、日本を再軍備させることはないし、日本に自国防衛や外交の政策責任を担わせて中国や韓国との問に緊張をもたらすようなこともしない、と言っていることを、日本はどう思っているのだろう。また、そうしたアメリカの言葉がアジアの一部の国に安心感を与えていることを、日本はどう思っているのだろうか。(P374−P379)

「ならずもの国家アメリカ」 クライド・プレストウィッツ著


(私のコメント)
クライド・プレストウィッツ氏は自ら書いているように「ジャパン・バッシャー」の一人だった。そして85年のプラザ合意の背景を市場とワシントンからの圧力によるものと説明している。それは市場の圧力が臨界に達していたのと、ワシントンの日本に対する政治的制裁の意味を持っていた。その結果円は1ドル240円台から一気に120円台に上昇してしまった。不思議なことに18年たった現在も120円を中心に円ドル相場は上下動を繰り返している。この水準は市場と政治的圧力のバランスで調整されているようだ。

プレストウィッツ氏が指摘している票の格差から来る地方に有利な選挙制度から、日本の政党がなかなか都市型の政党に脱皮できないでいることや、日本の行政が官僚主導で各大臣の国会答弁まで官僚が代筆している官僚主導体制や、裏取引による国会審議の空洞化の指摘はいまだに改まる気配がない。

悪名高い公共工事が止められないのも自民党が圧倒的に地方議員が主導権を持っており、高速道路の建設はうやむやのうちに元の木阿弥に返りそうだ。確かに日本を高速道路網で結ぶ計画は実施すべき計画だ。しかしながらその建設は非効率そのもので、地元業者の都合で工事区画はいくつにも区切られ、1年で出来る工事を数年に分けて作り、非常にコストの掛かるやり方をしている。

官僚主導の政策運営もなかなか改まらず、国務大臣の権限をいくら強めても、政策を立てる事自体を役人に丸投げしている状態では、官僚天国は改まらず天下り天国は解消できない。国会審議も実質的討議が行われず、肝心なことはみんな政党同士の裏取引で決着されている。いったい官房機密費の問題はどこへ消えてしまったのだろう。いまだに国会審議が止まるたびに与党側から札束を抱えて野党に持ってゆくという習慣は改まったのだろうか。

日本はすでに都市型国家になっているにもかかわらず、国家の政策運営は農村型政策運営がそのまま行われている。海外と自由貿易協定を結ぼうにも農村の意見で実現が出来ず、農村への補助金ばら撒き行政はなかなか変わらない。これらの制度で国家の財政支出は膨らみっぱなしで毎年40兆円もの財政赤字はなくなる気配がない。

もしこれらの財政を都市再開発やサービス産業の育成やハイテク産業の育成に当てていたら、景気は回復し税収入は伸びて財政の健全化も出来たことだろう。ところが財政の多くが地方への所得再分配のために使われてしまって、かえって日本の産業構造の改革を遅らせてしまっている。その原因を遡ってゆけば選挙の一票の格差が是正されないためだ。いまだに都市部の住民が税金を支払い、地方がそれを使っている。

日米関係も健全なる野党が育たないために、政権交替が出来ないでいる。その原因はなんだろうか。自民党政権が親米的になればなるほど、野党は反米的にならざるを得ない。小泉内閣がイラク派遣で積極的になれば民主党は反対せざるを得ないだろう。だからワシントンも反米政権が出来るのを恐れ政権交代を容認できないでいる。

ワシントンは反米政権が日本に出来れば、日本の米軍基地の撤去や日米安保の破棄に繋がるのではないかと恐れている。現に細川内閣で沖縄の米軍基地の撤去の話が出た。同時に朝鮮半島の動きも連動して不穏になった。日本から米軍がいなくなれば朝鮮半島と台湾は一気に中国側に飲み込まれるだろう。その結果アメリカは東アジアの覇権を失う。だからアメリカは日本の政権交代にナーバスにならざるを得ない。

韓国で反米政権が出来ましたがアメリカにとっては痛くも痒くもないだろう。現に米軍撤退を仄めかしたとたんノ・ムヒョン政権は親米的政策に切り替えた。もし日本に反米政権が出来たらアメリカは素直に日本から出て行ってくれるだろうか。もしできるのであれば自民党にこれ以上肩入れすべきでないだろう。日本の構造改革を遅らせているのは日本が政権交代して反米政権が出来ることを恐れるアメリカ自身にあるのではないか。




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