株式日記と経済展望

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「マンデヴィルと経済学の源流」 関岡正弘
「誰かが支出しない限り、他の誰かの所得は生じない」


2003年6月23日 月曜日

「広々とした蜂の巣に蜂の大群が住んでいた。
生活は奢侈で安楽に満ちていた。
学問や精励が奨励されていた。
政治体制は立憲君主国だった。
器械、労働者、船舶、武器、仕事場まですべてがあった。
人口が集中していたおかげで、
かえって繁栄していた。
欲望と虚栄を満たすため何百万人もが働き、
一方では何百万人もが消費していた。
仕事に労働者が追いつかなかった。
莫大な資本を元手に大きな利益を上げる者がいる一方で、
毎日汗を流し食うために体力と手足を使いつくす者もいた。
詐欺師、食客、女衒、博奕打ち、掏摸、贋金づくり、薮医者や占師、
なんでもいた。
弁護士はいつも不和をかもして事件をこじらせた。
医者は医術より名声や富を愛した。
ジュピター信仰の僧侶の多くは無学で、
高位の聖職者たちは安楽にふけっていた。
兵士たちは名誉を目的に戦争に出かけ、
大臣は権限を利用し役得を得た。
肥料の中には石やモルタルが混ぜられた。
百姓はバターといつわって塩を売った。
正義の女神でさえ黄金に買収されて、
持っているべき天秤をたびたび落とした。
かように蜂の巣は、部分的には悪徳に満ちていたが、
全体としては天国であった。
奢侈は貧乏人を百万人も雇い、
いとわしい自負はさらに百万人を雇った。
おかげで貧乏人の生活でさえ以前の金持ちよりよくなって、
足りないものはもうなかった。
しかし命ある者の幸福は空虚である。
そのうちに誰もが、詐欺や不正を非難し始めた。
ジュピター神が怒り、誰もが正直にし始めた。
すると驚愕すべきことが起きた。
肉の価格が下落し、偉大な政治家は道化師に変わった。
役人は俸給でつつましく暮らし始めた。
莫大な金額を浪費していた人がいなくなり、
土地と家屋の値段が下がった。
建築業はまったくだめになり、職人たちは仕事失った。
誰もが節制するようになり、
居酒屋の勘定をしたあとではもう二度と入らない決心をした。
広い蜂の巣に残るものはごく少数になり、
多数の敵に攻め込まれた時多くの蜂が死んだ。


(中略)

蜂の寓話を読んで気になるのは、現代日本との奇妙な一致である。マンデヴィルの蜂たちは「暴政の奴隷でないばかりか、野放しの民主主義の統治下にもなく、法律で権力を制限されている国王の下にあり、繁栄していた」(括弧内は泉谷訳より要約・以下同じ)のだが、その状態は正に第二次大戦後の日本の官僚民主主義そのものだ。

「おたがいの渇望をみたそうとして何百万もが努力(生産)し、他方さらに何百万もの仕事は生産物を破損(消費)することであった。仕事に労働者が追いつかなかった。莫大な資本で、ほとんど苦労なく利得の大きい事業に飛び込んだ者もいた」とは、まるで、数年前のバブル期、空前の売り手市場に酔った学生の姿、あるいは不慣れな不動産事業に走った日本企業のことを描写しているようだ。

「弁護士がきまって打つ手は、不和をかもして事件をこじらせること・・・、医者は名声や富のみを重んじ、腕前や患者の健康はあとまわし・・・、大臣たちは権利を乱用し役得を得た」と同じ記事が、今でも新聞や週刊誌の紙面を埋めている。「各部分は悪徳に満ちていたが、全部そろえばまさに天国であった。

悪徳は生活の便益やまことの快楽や慰安や安楽を高め、おかげで貧乏人の生活でさえ以前の金持ちよりよくなって、足りないものはもうなかった」。マンデヴィルの悪徳の定義、「奢侈」「浪費」「放蕩」などを前提とすれば、そっくりそのまま、一九八〇年代後半以来の、バブル期の日本の描写として通用する。 そして、神の中の神ジュピターが「わめく蜂の巣から欺瞞を一掃する」と宣告するやいなや、一転不況に陥るのだが、現代のジュピターは、もちろん、最近おやめになった銀行の中の銀行の鬼平総裁である。

やがて蜂の社会は、「土地や家屋の値段は下がり、職人たちの仕事がなくなってしまう」のだが、今の日本ではまだ進行中の現象である。

 不幸にして、マンデヴィルが「個人の悪徳は公共の利益」などといった偽悪的表現を付けたため、経済学では数少ない絶対的に正しいと思われる命題、「誰かが支出しないかぎり所得は生れない」という命題が、経済学に取り入れられることなく無視されてきた。 率直にいって、経済学の現状は正に危機的である。

世界でもっとも古く権威ある経済学誌エコノミック・ジャーナルの百年記念号を翻訳した「フューチャー・オブ・エコノミックス」(鳥居泰彦監修・同文書院インターナショナル)の日本版の序の中で、監修者の鳥居慶応義塾塾長は、経済学の現状について「誰もが、何かが狂っているのではないかと考え始めているのが、現在の状況である」と述べている。

 諸悪の根源は、ずばり、一般均衡理論にあるだろう。この世は宇宙ですら絶えず変化している。安定均衡の状態など、現実の世界にはありえない。もちろん道徳を論ずることは必要だが、経済学とは別枠で論ずべきである。 経済学は未曾有のピンチを脱するために、マンデヴィルが残したという、絶対命題の原点に立ち戻って考え直す必要があるのではないか。

マンデヴィルと経済学の源流 東京国際大学教授 関岡正弘


関岡教授の論文によれば、現在のデフレ経済は資産家が貯め込んだ金を、放蕩息子が金を使いまくることにより、日本経済は救われることになる。まさに放蕩息子こそデフレ経済の救世主となるのである。この点で小泉内閣の財政再建路線は全く逆のことを行っている。

日本人はあまりにも真面目すぎて、勤倹貯蓄に励みすぎて1400兆円もの貯蓄を溜め込んでいるからデフレ不況になるのだ。買いたい物も買わず、じっと財布の紐を結んで残したところで、天国にはお金は持って行けはしないのだ。せいぜい豪華な葬式を挙げられるのが関の山だ。

蜂の寓話におけるジュピターの神は、平成の鬼平総裁になるのだろう。ニュース・ステーションの久米弘氏は、平成の鬼平総裁を応援した。番組の中で久米氏は「政治家から電話がかかってきたら、電話線を引っこ抜け」とまで言い放った。今でもはっきり覚えている。こんな経済音痴がニュースキャスターをやっていいのだろうかと。

マンデヴィルの主張は「誰かが支出しない限り所得は生じない」と言うものだ。平成の鬼平総裁はその消費を押さえ込む事に成功した。成功したことにより日本経済はデフレ不況に突入した。蜂の寓話のように誰もが節制をして、全ての物価が下がった。建築屋は仕事を失い、居酒屋には客がいなくなった。

広々とした蜂の巣には蜂の大群が住み、天敵も近寄れなかったが、バブルの崩壊後は広い蜂の巣は閑散となり、天敵がやってきて蜂の巣はやられ、多くの蜂が死んでしまった。日本の上空にはハゲタカが散乱する死に掛かった企業や銀行を狙っている。

1723年のマンデヴィルの著作は、大きな反響を呼んだが、当時の新聞によってたびたび非難された。現在から見れば人間の行動が、利己心や自己愛を動機としているとする説に異論はないが、当時は忌避された。この事は経済学の父アダム・スミスにも大きな影響を与えていることに間違いはない。

しかしアダム・スミスも学者の世間知らずで、ペーパーマネーの存在に気がつかなかった。もし気付いていれば経済学も大分変わったものになっていただろう。現在の財務省官僚たちもアダム・スミスの労働価値説による、労働のみが価値の生産者と言う誤った理論を身につけている。

価値が生産された時点で固定されるとすると、「変化する価値」であるストックが扱えなくなってしまう。つまり土地や家屋は値段が下がり、職人達の仕事がなくなるという現象を理論的に説明できない。だから平成の鬼平総裁は株のことやバブルの問題を理解できなかったのだ。

関岡教授は諸悪の根源は一般均衡理論にあるとしている。安定均衡の状態など現実の世界にはありえないとしている。もう一度経済学の命題である「誰かが支出しない限り、他の誰かの所得を生じない」と言う原則に立ち返って考えてみるべきである。国が歳出をカットすれば確実にその分の誰かの所得が減る。この事を小泉首相は分かっていない。


マンデヴィルと経済学の源流 国際経済大学教授 関岡正弘




現在の学校の勉強をしすぎるとバカになる
東大法学部卒の秀才は何故無能なのか


2003年6月22日 日曜日

現在の教育は頭を使わないような内容ばかり

多くの人は、学校の勉強に真面目に取り組めば、頭が良くなると思っているかも知れない。ところが実際は、現在の学校の勉強をやりすぎると、逆に頭が悪くなる。信じられないと言う人が多いかも知れないので、少し詳しく説明しよう。

 日本の学校の勉強は、知識を記憶することが中心だ。本来なら考えることが中心の数学まで、暗記する教科にしてしまった。教師が説明した内容を暗記するように、頑張って努力する。答えを求めるときに何を考えればよいのか知りたいと、生徒が強く望んだとしても、教えてくれる教師は皆無に近い。

 授業のやり方も、頭を使わないように工夫(?)されている。教師の説明を聞くことが中心で、黒板に書いた内容を自分のノートに転記する。教師からときどき問題が出され、答えられる生徒が手を挙げて、指名された人が解答する。テーマを与えられてディスカッションしたり、正解のない問題を与えられることはほとんどない。

 授業以外でも、似たようなものだ。たとえば、教室などの清掃。掃除の時期、頻度、担当する人数など、教師が与えたルールどおりに決めて実施する。実は、このようなテーマも、生徒に考えさせる機会として利用できる。最小限の手間で最大の効果を得られるように、頻度や実施時間や人数を生徒自身に決めさせるのだ。単にルールを決めるだけでなく、掃除の質が向上するように考えさせる。「良い掃除とは何か」といった問題は、正解がないだけに面白く、身近で良いテーマといえる。

 以上は学校の話だが、塾でも大差はない。有名な塾になると講師はユニークだが、教える内容が受験勉強の範囲内であり、入学試験の合格が最大の目的なので、受験問題を解くことが目的となる。ここでも、頭の上手な使い方を教えることはほとんどない。

記憶中心の勉強を続けると思考力が低下する

記憶中心の勉強は、小学校から高校まで通うとして、合計で12年間も続く。しかも、小学校からという大切な時期である。これだけ長い期間で記憶中心の勉強をしたら、深く考えない癖が付いて当たり前だ。これは重要な点で、結果として思考する能力が低下する。

 現在の学校の傾向も大きな問題だ。掃除などの活動も含めて、生徒が受け身になるような体制になっている。教師の側からルールを与えられ、その善し悪しに関係なく、とにかく従うことを求められる。進学に必要な内申書という首根っこを押さえられているので、あからさまに反論することもできない。そんな状態が若いうちから何年も続くと、反論などしない人間に変わっていく。それでは、疑問点を自分で解決する癖や力が身に付かない。

 学校の勉強が出来るのだから、頭が良いのではと勘違いする人が多くいる。これは大きな間違いだ。学校の勉強は、正解のある問題が中心で、暗記すれば何とかなる。極端な言い方をすれば、頭を使わなくても解ける問題なのだ。ところが現実の世界には、正解のない問題が多くあり、正解のある問題よりも格段に難しい。これを解けることが重要で、頭が良いと評価する。面白いのは、正解のある問題の解く訓練を長く続けると、正解のない問題を解く能力が低下する点だ。疑問を持ったり創造することを押さえるために、頭の回転が悪くなるのが原因だと思われる。

 長期間の学校の勉強で低下するのは、思考力だけではない。新しいものを創り出すのに必要な創造力とか、壁にぶつかったときに打破する解決能力なども、どんどんと悪くなる。バカに向かって前進するわけだ。暗記中心の勉強は、長くやりすぎないことが大切だ。(後略)

知性の泉 現在の学校の勉強をしすぎるとバカになる 


昨日紹介したホームページと続く内容なのですが、猛勉強して東京大学に入る。それは大変な努力である。そして中央官庁のキャリア官僚になって局長、次官になる。それはほとんど奇跡に近い技だ。年功序列といいながら次官にたどり着けるのは数百人のうちの一人だけだ。

そして局長、次官までたどり着けば、天下り先は引く手あまたで、特殊法人や公社公団を渡り歩けば数億円の退職金がもらえる。それが現在の秀才達の成功の理想像だ。戦後の日本の高度成長によって、大蔵官僚や通産官僚の名声は高まった。日本にとって中央官庁のキャリア官僚は戦略を立てる参謀本部の役割を果した。

ところが90年代に入ると日本経済は変調をきたし始め、泥沼のデフレ不況は10年以上たっても脱する気配がない。首相や政治家達も構造改革を連呼するのみで中身のない政治が続いている。名声を誇った大蔵官僚たちもスキャンダルをCIAによりリークされて解体された。いまだになぜ大蔵省をアメリカ式の財務省に名前を変えたのか分からない。

アメリカの制裁をちらつかせながらの逆襲に、日本の政治家も官僚もなすすべがなかった。これで中央官庁のエリート神話が崩れ去った。第二の敗戦といわれる所以である。福井日銀はいまだに円高を防止するとしてドル買い介入を5月だけで4兆円もドルを買い続けた。しかしその実態は、敗戦によるアメリカへの賠償金の支払いなのだ。

第一の敗戦といわれる太平洋戦争も、なぜ負けると分からなかったのだろう。大本営の参謀本部には秀才中の秀才が集められ、戦略が立てられたはずだ。日露戦争以後の日本の戦略は迷走した。大陸への進出は戦略的に見て日本にプラスだったのか。このような正解のない問題を突きつけられると、秀才達の限界が見えてきてしまう。秀才達は正解のある問題には優れた対応能力を示すのだが。

日本が現在直面しているデフレ不況も正解のない問題だ。利下げや金融緩和や補正予算といった手段はカンフル注射になるだけで根本的な解決策は見つからない。戦略を立てるべき中央官庁の機能は停止してしまった。小泉首相も経済戦略会議を作って在野の人材を集めているがこれもまだ機能はしていない。

この問題は教育問題から改革していかないと解決のつかない問題なのだろう。記憶中心の教育から思考力を付けていく教育に変えていかないと、これからの日本は再び戦略が迷走して第三の敗戦を迎えることになるだろう。そのようなことは文部省がとっくに言い出しているが、ちっとも改革された気配がない。むしろ「ゆとり教育」などといった事を始めて子供達の学力は低下している。

川村渇真の「知性の泉」のホームページ




アメリカンビューティーと奴隷の楽園
自分の人生は何かを考える時


2003年6月21日 土曜日

猛勉強をして、一流大学に入る。
それは、大変な努力である。
そして、一流企業に入る。
ものすごく大変なことだ。
そして、そこで上司に気を使いながら、同僚の仕掛けた様々な地雷を踏みつけないように、歩き続け、出世していく。
もう、ほとんど奇跡に近い技だ。

そして、胃袋を半分ほど切り取ったころ、2000万円の年収が約束されるかもしれない。
サラリーマンとしては、2000万円の年収があれば、成功したほうだろう?。
今度は、家のローンに終われ、くたくたになって、ふとわれを見つめる。
「俺の人生は、一体何だったんだろう?」

彼は、仕事が好きだったか?
彼は、会社が好きだったか?
彼は、自分が好きだったか?

きっと、そのうちのどれかが好きだったかもしれない。
せめて、そうであって欲しい。

もし、仕方なく、その道しかなかったと思っていたなら、あまりにもかわいそうだ。
仕方なく思っている人は、多分、会社に行って仕事をする以外、金を稼ぐ方法が見つからなかったのだろう。

日本の人口の80%が、実にこういう人たちだ。
生かさず、殺さず。
その方法で、搾り取られる。
どことなく、会社と言う枠で守られている感じもあるが、実際、景気によっては、リストラされる不安もある。
まず、定年後は、会社は見向きもしてくれないのは、今でも分かっている。
かといって、腕一本で食べていく自信もない。

「あ〜あ」ため息をつく。
もし、そうならば、あなたは考えるべきときに来ている。
壁の向こう側の世界。
5%の人間になろう。

5%の人間は、経営者と呼ばれる人たちだ。

例えば、身近に目を転じて、見て欲しい。
駅前の立ち食いうどん屋の親父は年収いくらあるか?
一日に何杯のうどんが売れているか、そして、原価はどのくらいか。
その人を侮るなかれ、彼はネクタイを付けていないが、そこらのサラリーマンが成し遂げることの出来ない年収を稼いでいる。
とても難しいことを、成し遂げているのだ。(後略)

地球はこう動いている 金持ちになるか貧乏なままかの瀬戸際


先日のテレビで「アメリカンビューティー」と言う映画を放送していました。その年のアカデミー賞をとった映画なので見たいと思っていたのですが、中流家庭の崩壊を描いた映画です。上昇志向の強い妻に、少しくたびれた中年男の亭主と、プールつきの立派な家と年頃の娘が一人いて、一見円満そうな普通の家庭です。しかし誰もが問題を抱え、一つ対応を間違えると悲劇が襲ってくる。そんな怖さを描いたアメリカ文化の終焉を暗示する映画です。

主人公のレスターは雑誌の広告代理店で働いているが突然やめてしまう。その原因は美少女に惚れてしまったからか、隣の青年から貰ったマリファナのせいかはわからない。しかしサラリーマン生活に嫌気がして立ち食いそば屋ならぬハンバーガーショップで働き始める。

当然妻のほうは呆れて夫婦仲は破局を迎える。その数年前にすでに家庭内離婚状態だった。日本でもこのような状況の家庭は何処にでもある。いまやサラリーマンはリストラされるのも地獄なら会社に残るのも地獄の生活だ。家のローンに追われ、気がつけば定年が待ち構えている。

おそらく美人で社交的な女性ほど上昇志向が強く、亭主の出世競争を煽るだろう。一人娘にも会社の肩書がないとカッコがつかないと攻め立てる。一人娘が結婚する時に父親が一流会社の部長と立ち食いそば屋の従業員とでは縁談にも響いてくる。

一人娘も父親が美人女子高校生に熱を上げるのに呆れてぐれてしまう。あまりにもありふれた出来事に日本もアメリカも違いはない。妻もそんな亭主に愛想が尽きて不倫に走る。不毛な現代社会を描いたこの映画は体裁ばかり重んずる社会に警告を与えている。

一流大学への進学競争にかち、一流会社への就職に勝ち、そこでの出世競争に勝ったところで奴隷の楽園を生きてきたことに気付くだけだ。家族にもバカにされ家庭も決して憩いの場ではない。現代社会は8割の負け組みと2割の勝ち組があるとされている。しかしその勝ち組もいずれ奴隷の楽園の住人であることに気がつくときが来る。

アメリカンビューティのホームページ


冒頭でアメリカ文化の終焉をを暗示した映画と書きましたが、正確に言うとアメリカ白人社会の没落と言うべきなのだろう。アメリカはもはやWASPの国家ではない。もっと鋭くこの映画を分析している人がいる。この映画がアカデミー賞を取ったのにも訳があるらしい。それによると次のように書いている。

典型的な白人中流家庭である、バーンハム家とフィッツ家。思い出して欲しい。『アメリカン・ビューティー』に、白人以外の人種が登場していたか。何と、登場していないのである。唯一、不動産業を営む妻カロリーナが売ろうとする自宅を見に来る客に、黒人と東洋人がいるだけで、主演、助演のいずれにも、白人以外の人種が登場していない。これは異様である。人種のルツボと言われるアメリカ。そのアメリカ映画には、白人以外にもユダヤ系、アイルランド系、イタリア系、黒人、プエルトリコ系など様々な人種が登場している。登場しているのが当たり前である。逆に、白人しか登場していない映画というのは、ほとんど存在しないといってよい。しかし、『アメリカン・ビューティー』には、白人しか登場していないのである。すなわち、この『アメリカン・ビューティー』の「アメリカン」とは、多民族国家アメリカではなく、白人のアメリカという意味であることが、白人以外の登場人物が出ていないことによって証明される。

アメリカン・ビューティー 白人社会に対する批判的視線




西部 邁 著 「アメリカの大罪」
『改憲ではなく廃憲を』


2003年6月20日 金曜日

   ◆人間の公共心を根こそぎにする憲法 

民衆における公共性の欠如は、最近の(読売新聞とギャラップ社とが共同で行なった)世論調査に如実に現れている。それによれば、「最も信頼する公共機関は何か」という問いにたいしてアメリカ人が「教会」を挙げているのにたいし日本人は「新聞」と答えているのだ。新聞(をはじめとするマスメディア)によって国柄・国益がないがしろにされるという事態がこれだけ長きに及んでも、敗戦日本人はプレスから公共性についての教えを得んと構えている。「アメリカン・デモクラシーにおける第一権力はプレスである」(A・ド・トックヴィル)という指摘は日本の戦後民主主義に おいてはるかに正鵠を射たものになるといってよい。

敗戦日本人の教会は新聞である。そうであればこそ、憲法第二十条における「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」という規定が(最高裁にあってすら)新聞好みに解釈され、公僕が玉串料を公費から払ったことすらが違憲とされるのだ。その国の歴史にあって最も長くかつ安定して持続してきた宗教の儀式によって政治に聖的な装いを与える、という常識が敗戦日本では通用しないのである。それが新聞の教戒によるというのなら、役所が新聞購読料を公費で払うことのほうが憲法違反だといいたくなるではないか。

政治の本質は公的な価値の実現であり、宗教の本質は聖的な価値の探究である。互いに支え合うべき両者を完全に分離すれば両者とも倒れる。そのことから何が起こるか。歴史を物語として構成するという人類の英知が失われる。なぜといって、歴史物語は価値への志向なしには紡ぎえないものだからである。いわゆる教科書問題が持ち上がらざるをえないのは、こうした価値観の放螂によって歴史観や国家観を破壊するという経緯のなかに戦後教育があったからにほかならない。慰安婦の強制連行があったかなかったかということ以上に問題なのは、その確たる証拠がまだ挙げられていないにもかかわらず、強制連行があったと思い込んでしまう、もしくはそう思うことを欲する、のはなぜかということである。自国の歴史の流れに確信を持ちたくないから である、それを持つための歴史物語を人々が共有したくないからである。

歴史に懐疑をさしはさむな、といっているのではない。懐疑を抱くにはそのための前提を選ばなければならず、論理的には無数にありうる前提のなかからどれを選ぶかに当たってどうしても確信が必要になる。そしてその確信は、おのれの私的な欲望のなかに胚胎するのではなく、その欲望を可能ならしめている歴史への信頼のなかから生まれてくるのである。日本国憲法の大罪は、日本の歴史の流れを切断して新生日本を創造せんとしたアメリカ占領軍の押しつけの意志のなかに、というよりそれを押し戴こうとした敗戦日本人の意志のなかにこそある。抜本的に改革さるべきは、歴史の流れを根本的に変更できる、また変更すべし、とする敗戦日本人の反歴史および脱歴史の姿勢そのものである。そうした姿勢の立脚点として利用されている日本国憲法はできるだけ早く忘れ去るべき代物としかいいようがない。

   ◆ 改憲ではなく廃憲を

国家の根本規範は国民の規範意識のなかからしか出てきようがない。逆に憲法によって国民の規範を規制しようとするのはいわゆるコンストラクティヴィズム(設計主義)である。極論と聞こえるのを承知でいえば、憲法学者がいるということがむしろ 奇妙なのだ。いやいても構わないが、その主たる仕事は国民の(歴史的に形成されきたる)規範意識を分析し解釈することに当てられるべきで、成文憲法の字義解釈によって国民の規範意識に箍をはめようとするのは、本質的に、法匪のやり方にすぎない。

この種のやり方が許されるのは、政治権力の横暴に制限を課す、それが近代憲法の役割であると考える場合だけである。その場合には、憲法の条文を盾にして権力を掣肘するのが憲法学者の任務となる。だが、そんな憲法観が妥当なのは、民衆政治がまだ発展途上にある段階だけである。ひとたび民衆政治が、ということは「世論の支配」が確立されれば、政治権力は民衆によって選出され交替させられるということになる。このとき、憲法は規範意識にかんする民衆のための民衆による民衆の確認以外の何物でもなくなる。

問題は、おのれらの規範意識を成文憲法によって定めてもらおうとする敗戦日本人の他律的な態度にこそある。国民が自分たちの規範意識について自律的に感得し思考し議論し確認するならば、その国民が(おおよそ)共有するに至った国家規範にかんする解釈体系が憲法なのである。そして五十年前の(二十人足らずの米国人がたった六日問で書きなぐった)成文憲法がその解釈体系にそぐわないならば、変更されるべきは憲法の文章であって国民の解釈のほうではない。その意味では、(条文の字義解釈ではなく規範の意識解釈としての)解釈改憲であって一向に構わないのだ。

戦後日本人は、そろそろ、おのれらの規範意識のなかで日本国憲法を廃棄すべきではないのか。日本の国柄、日本国の国益、日本人の人柄、それらを自律的に考え直すためには、この憲法の成文は、批判の対象ではありえても、思索の基礎にはなりえない。むしろ、イギリスにならって、成文憲法なんかは廃止したほうがよいのではないか。それよりも、国民が白分らの歴史的なるものとしての規範意識について確認するプロセスが、つまり、家族に始まって職場や地域を経て議会に至るまでの、国民の個人性と集団性そして私人性と公人性の綾なす会話、議論、討論のプロセスが大事なのである。

民衆によるセルフ・ガヴァメント(自治)、それが民衆政治である。しかし民衆がオートノミー(自律)を失うなら、自治の自己否定となる。日本国憲法における国民主権も地方自治もおしなべてこうした自己矛盾のなかに放り込まれている。少なくともその憲法が敗戦日本人における規範意識を他律的なものにする根拠となっているかぎり、その矛盾は解かれない。しかもこの憲法は、拙い日本語によって表現されているにもかかわらず、高度に体系的な人権思想を展開している。つまり、いったん人権という思想的前提を受け入れてしまえば、容易には脱け出られない規範体系になつている。

一般に、人工的に作成された観念体系はそうしたものなのである。再確認させてもらうと、この体系の矛盾は前提そのもののうちにある。歴史の英知、慣習の常識そ して伝統の良識を総体として投げ捨てた民族はけっして自律的ではありえず、それゆえその自治は、せいぜいのところ、それらを投げ捨てさせた主人(つまりアメリカ)の支配下での奴隷の楽園をもたらして御仕舞ということである。

主人を呪う奴隷の気分でこんなことをいっているのではない。そもそも現在のアメリカは、軍事力のこともある程度含めて、主人たるの力量に欠けている。人権思想にしたって、それはアメリカの理念論もしくは弁護論にすぎないのであって、その現実はむしろ、人は不平等のただなかに生まれ落ちる、という人類に普遍の原則を体現している。情けないのは、アメリカ的理念の純粋型ともいうべき現憲法をヴァーチャル・リアリティ(仮想の現実)として生きつづけてきた敗戦日本人のこの半世紀間である、そのトラウマ(消えることなき精神の外傷)である。かくなる上は、「日本国憲法だって?・そんなものがあるとは知らなかったぜ!」ととぽけてみせてもいいのではないか。(P181−P186)


西部 邁 著 「アメリカの大罪」 小学館文庫


日本においての世論の形成は、テレビや新聞が大きな勢力となっている。新聞やテレビから情報を貰い、さらには結論まで押し付けられて世論が形成されているようだ。そのテレビや新聞から平和憲法を守るべきだと、識者から解説されると国民の多くがその通りと思う。さらには小学校の頃から、平和憲法こそ日本が世界に誇るべきものと先生から教えられれば、生徒の誰もがその通りと思う。

しかしその憲法がどのような経緯で作られたかを検討してみれば、その正当性に疑問がもたれてくる。戦後のドサクサ紛れにGHQから提示されたものを、そのまま国会にかけて成立させたものに、正当性はあるだろうか。当時は国民から政治家に到るまで敗戦のショックから虚脱状態にあり、多くの政治家や各界の要人が公職を追放されていた。

新聞なども戦前における戦争を扇動した罪悪感から逃れるために、左翼的な論調に終始するようになった。憲法を守れと言う革新陣営と、憲法改正をいう保守陣営がねじれ現象を起こしているのは戦後体制がそのまま続いているからだ。つまり日米安保と平和憲法とがセットになっている体制から少しも変わりがない。

つまり左翼陣営が護憲を主張すればするほど、日米安保体制は強固になることに左翼は気がつかないのだろうか。逆に自主憲法が制定されると自主防衛が可能となり、日米安保体制に変化がおきるだろう。だから日本とアメリカの間に楔を打つには憲法改正を主張したほうが理屈は通る。しかし最近の中国は日本がアメリカの支配下にいたほうが安心だと見ているようだ

国会においては自民党においては改憲論者が多数派となり、民主党においても改憲論者は半数近くもいる。しかしながら憲法改正案が出ないのは、出されると自民党も民主党も党が割れてしまうからだろう。国民の間では憲法と聞いただけで耳を塞いでしまう人がほとんどだ。今までの教育とマスコミの洗脳が効いて世論形成できないのだ。

このまま日本は奴隷の楽園状態でいいのか考える時なのだ。このまま放置していくと本当に奴隷の楽園と成り果てるだろう。それでも良いと国民は考えているのか、どうもよく分からない。国民全体が思考停止状態となり自分の意見を言おうとしない。そして政治や憲法そのものに興味がない。

アメリカ軍による戦後の占領は7年間もの長きにわたりおこなわれ、その間に戦犯の裁判も数々の改革も全てアメリカから押し付けられた。本来ならば日本自身の手で戦犯を裁くべきであったが東京裁判という報復劇により片付けられたため、戦争の真の清算が行われなくなってしまった。

大東亜戦争の真の清算が行われなければ、新しい憲法を作ろうにも何処が悪かったか分からないわけだから、作りようがない。天皇に戦争責任があったのか一つとっても結論は出ていない。結論が出ていないから現在の憲法のように天皇の地位が曖昧なのだ。

我が子に伝える誇りある近代史





なぜ人民元の引き上げが必要なのか
日本のためでなく中国自身のためである


2003年6月18日 水曜日

最近、躍進の目覚しい中国がグローバル・デフレの元凶とされて、日本を始めとする諸外国から人民元切り上げを求める声が高まっている。通貨は一国の経済力の鏡である。中国の競争力の向上を反映して、人民元の切り上げは自然な流れであろう。本文では、中国経済のファンダメンタルズの変化を踏まえて、中国が採るべき為替政策を検討する。

改革開放以来、人民元は低下傾向を辿ってきた。これは、輸出の拡大による交易条件の悪化(いわゆる「豊作貧乏」)を反映しており、産業の国際競争力の向上は、人民元切り上げの前提条件となる。最近の外貨準備の急増に示されるように、この条件はすでに整いつつある。人民元の緩やかな上昇は、競争力を始めとする中国経済のファンダメンタルズの改善を反映するものであり、切り上げによって国際社会の要望に応えることもできる。これを無理して先に延ばそうとすると、資源の配分の低効率化や、バブル経済の膨張、対外貿易摩擦の激化といった弊害が生じるであろう。

為替レートの調整に加え、為替制度自身も改革を迫られている。為替制度は、外貨管理制度と為替レートの決定メカニズムからなる。中国は96年12月に、国際収支の赤字対策などを理由に為替取引を制限しないことを約束するIMF(国際通貨基金)協定第八条を受け入れることになった。これを契機に、輸出入を始めとする経常取引に関して大幅な自由化が行われたが、資本取引に関しては、いまだ厳しく制限されている。WTO加盟を経て、資本管理が益々難しくなり、金融政策の独立性を確保するために、為替レートの変動幅を広げるべきである。しかし、不良債権問題を抱える銀行部門の脆弱性を考慮すると、当局が自ら資本移動の自由化を急ぐべきではない。

日本は人民元の切り上げを求めているが、これは中国の反感を買っているようである。しかし、為替政策は国益にかかわっているだけに、互いに感情論をできるだけ排除し、冷静な分析と対応が必要である。そもそも、中国と日本の経済関係は競合的というより補完的であることを考えれば、人民元の切り上げは、日本にとって、製品に対する需要の増大というプラスの面より、生産コストの上昇を通じて企業収益と産出の減少というマイナスの面の影響が大きいと見られる。一方、中国にとっても人民元レートを現在の低水準に維持し、不均衡を放置する時に伴う機会費用が非常に高いことを合わせて考えると、人民元の切り上げは、日本のためではなく、中国自身のためであると理解すべきである。

(中略) この外貨準備が多ければ多いほどいいという考え方は、外貨準備の規模が国力を表す重要な指標であると見なす重商主義に基づくものである。しかし、覇権国である米国でさえわずかな外貨準備しか持っておらず、外貨準備と国力の間には必ずしも関係性がないということは明らかである。中国が追求すべき目標は、あくまでも国民生活の向上であり、これは制度改革に加え、国内の人的資本や生産設備・インフラといった物的資本に投資することを通じてのみ達成できるものである。国民の貴重な貯蓄を低金利に甘んじてまで米国政府に融資し続けるのではなく、国内向けの投資など、もっと有効に利用すべきである。

(中略) しかし、国内外の経済情勢が大きく変化した今、これまで上手く機能してきた為替政策も見直すべき時期に入っている。ここでは、上述の論点の誤りを明らかにすることを通じて、人民元切り上げの必要性を訴えたい。まず、アジア通貨危機当時、人民元の安定(切り下げないこと)は各国が求めたものでもあったのに対して、現在の人民元の安定(切り上げないこと)は国際社会から批判の対象となっている。日米欧の対中貿易不均衡が拡大し、特に2002年の米国の対中赤字が1000億ドルを超えている中で、中国が切り上げを避けようとすると、貿易摩擦の激化という代償を支払わなければならない。

3000億ドルに上る現在の外貨準備の保有量はアジア通貨危機当時と比べて倍増しており、その運用益が国内投資と比べて非常に低いことをあわせて考えると、はるかに「最適規模」を超えていると見られる。そもそも、米国債を購入することは、米国政府に融資することを意味し、間接的に対イラク戦争を支援していることにもなる。また、中国が米国政府に対して多くの債権を持つことは、対米外交の交渉力を高める手段として使えるのではないか、という議論もある。しかし、中国の経済規模がいまだ米国の一割程度であることを考えると、中国の立場は弱く、米国政府への融資が逆に人質としてとられてしまうことさえ考えられる。こうした政治的考慮からも、外貨準備を減らしながら、その運用先として、ドル以外の通貨に分散すべきである。(後略)


なぜ人民元の引き上げが必要なのか 関志雄


日本経済がデフレに陥った要因が中国の異常な元安政策にあるのではないかと、以前に「経済コラムマガジン」のコラムを紹介しながら主張しました。最近は塩川財務大臣をはじめ経済官僚たちも中国の為替に原因があると発言するようになりました。台湾の経済当局者も同じ発言をしていることを以前にも紹介いたしました。

このような海外からの発言に対し、中国は陰謀だと反発を強めています。この意見に対しグローバル経済のエコノミストは対中輸入はGDPの1,5%に過ぎないから、デフレの要因ではないと揃って指摘している。しかしこれは数字の誤魔化しである。GDPではなく輸入商品分野別に数字を出すべきである。

たとえば最近のパソコンの値段の急低下は中国製の商品が溢れるようになったからだ。私が最近買った周辺機器はみんな中国製だ。5万円で最新のパソコンが買える。OSやCPUはアメリカ製だから残りの本体は3万円で売られている勘定だ。HDDやDVDやマザーボードは1万円以下で売られている。これが中国発デフレと呼ばずして何なのだろう。

その他の中国製の輸入雑貨を見ても異常な安さだ。ビニール傘が100円で売られている。光学式マウスが900円で売られている。日本製の五分の一の値段だ。GDPの割合からすれば1,5%だろうが特定商品の輸入ラッシュはまさに価格破壊行為だ。ただでさえ需要が落ち込んでいるところへ中国製品が日本市場に流れ込めば、需給バランスがますます悪化する。

アルゼンチンなどは中国製の競合製品が入ってきたために、アルゼンチンの国内産業が壊滅的打撃を受け破綻した。消費者にとっては確かに利益だが国内産業が壊れれば外貨が底をつきハイパーインフレがアルゼンチンを襲った。中国が世界の工場として一極集中化して、他の国の製造業は衰退化していく。これがグローバル・デフレと呼ばれる現象だ。

確かに日本と中国間に限ればデフレの要因としては特定の分野を除き大きくはない。しかし中国と競合する製造業の国はグローバル・デフレの影響をもろに受けている。では何処が一番利益を得ているかと言うと、ウォルマートのような巨大流通業だ。そこでは中国に只同然で商品を作らせ、巨大販売網を使って市場を独占していく。

中国としてはこれでいいのだろうか。3000億ドルもの溜め込んだ外貨の多くがアメリカ国債に投資されている。しかし経済規模以上の外貨を溜め込み元安を維持することがベストであろうか。元をある程度高くして国内基盤整備や産業に投資したほうが一番利益になるだろう。

この事は日本についても同じ事が言える。政府日銀は円を安くするためにドル買い介入し外貨を溜め込んでいる。外貨が増えるたびに円もまた高くなる。このような馬鹿げた事をいつまで続けるのだろうか。私はドルを買うよりユーロに外貨をシフトさせることを提案している。EUと貿易するためにはEUからの輸入を増やす必要がある。その為にはユーロが必要だ。

関志雄氏が中国経済に提言していることは日本にも当てはまる政策である。元を上げることで社会基盤を整備し、外貨準備もドルからユーロへ多様化を図ることである。日本における公共事業の評判は悪い。箱物土木事業に偏っているからだ。むしろ巨大技術開発事業などへ投資を向けるべきだ。高い給料で世界中から研究者を集めれば良い。人材を世界から集めて技術を集積してゆけば日本の未来は明るい。


中国経済新論のホームページ 関志雄




「もう(米国と)お別れの時期が来た」
英ロンドン大学教授 ロナルド・ドーア


2003年6月17日 火曜日

「イラクが、近隣諸国への、ひいてはヨーロッパ、米国への、緊急の脅威となる大量破壊兵器を確かに保有していた。その証拠がそのうちに出てくる」。米国当局以外にまだそう信じているのは英国のブレアと日本の小泉両首相くらいらしい。

小泉首相の場合、本音の信念なのか、単なる米国への忠誠表明なのか、ともかくイラク特措法から、大量破壊兵器処理のための自衛隊出動という条文を、自民党の了承の条件とはいえ、ずるいと思われるほど空虚なジェスチャーと見えたためか、法案から削ったところを見れば、さほど深い信念でもないらし い。

しかし、その条文にあった「国連の安保理の決議があれば」という条件付けが、まだ政府内の争点となっているようだ。湾岸戦争以来の「国際貫献」の中心問題である。国連主催の平和維持活動だけに協カするか、米国が指導する心有るものの同盟に加担するか。

イラク復興となれば、イギリスを含むヨーロッパ諸国民が、および民主党の安全保障尊門家
・前原氏をはじめ多くの日本国民が、二重の感惰を持っている。その矛盾した気持ちを米国
との交渉でフランス、ドイツ政府がよく表現している。

一方の感惰が、明らかに被害者であるイラク国民のために、国連が動員できる様々な救援活動を支援したい。もう一方が、イラクの次期政権の形成、石油施設の支配など、米英が「我々に一任」と要求するなら、占領の人的被害をも米英が被るべきだと考える。占領軍に対する攻撃による米兵死傷者数が毎週増えていく折から、「帝国維持の費用」をアメリカ国民に意識してもらうのも悪い事ではないとの考えもあろう。もともと、イラク征伐反対だった立場の人々から見れば当然と言えよう。

巨大な米国とどう共存するか。世の東西を問わず、外交政策の中核的課題である。日本政府の選択は明らかである。一例をとれば、北朝鮮問題で、韓国と歩調を合わせるより、米国の協力要講に応じることを優先させることにした。そして、それに対して、大きな反対の声は上がらない。日米安保体制自体が、メディア一般にとって、日本外交の問わざる出発点とされ ている。

ところが、今まで日本と同様、米国べったりの同盟国である英国では問わざる出発点では決してない。特にEUが新しい憲法を制定して、通貨問題をはじめ、英国の大陸への統合が問題にされている今日では。

最近、プロスペクト(PROSPECT)という有カな月刊雑誌に現れた「もうお別れの時期が来た」という論文が批判の声の代表的な表現であろう。著者のロドリク・ブレースウエート氏は決して無名な左翼分子ではない。元在モスクワ大使、二年間も英国中央機密委員会(英国の情報機関と政府との媒介機構)の会長を務めた立派な「体制派外交官」である。

ブレースウエート氏によれば、英米のいわゆる「特別関係」を全面的に支持している人間は三種類しかいない。いわく、ブ レア首相(自分が米国の政策形成に大きな影饗を及ぼせるという幻想のとりこになっているから)、核兵器を搭載している潜水艦艦隊司令部の人たち(米国の技術援助無しでは動けないから)、および電子スパイ本部の人たち(同じく米国への技術・施設の依存度が高いため)。

続いて一言う。問題は短期的なブッシュ政権の特質性にあるのではない。もともと、米国一般の世論にとって、英国の存在は微々たるものでしかない。戦後五十年を通じて、「協力」は一方通行の片思いであった。結果として「イギリスの行動の自由が大幅に狭くされ、独自な意思決定主体でなくなったように、世界から見られるようになった」と。

日本語に訳される価値のある論文だと思う。


(英ロンドン大学教授、経済産業研究所客員研究員)


東京新聞 2003年6月15日朝刊 時代を読む


小泉政権は外交と防衛はアメリカに丸投げしていると、私は前から指摘していますが、イギリスでもブレア政権がピンチに立たされている。イラクを制圧して2ヶ月が経ってもいまだにイラクから大量破壊兵器が発見されないからだ。アメリカはイラクの石油利権が目的だから攻撃理由などどうでもいいが、それに同調したイギリスはそうも行かない。

ブレア政権の場合は情報機関からの情報を改竄したのではないかと言う疑いで、下院の外交委員会で証人喚問が行われ7月に結果が出る。不思議でならないのはイギリスでは911のようなテロが起きておらず、テロの危険性もIRAのテログループよりかは可能性が低かった。それにもかかわらずイラク攻撃の先頭に立ったのはなぜか。

日本のように消極的イラク攻撃賛成でも良かったのではないか。現に100万人規模の反戦デモも起きていた。しかしながら911テロ以来のブレア首相の外交には疑問が持たれる。ロナルド・ドーア教授が指摘するごとく、イギリスは独自の意思決定能力を持てなくなってしまったのか。

日本においても小泉内閣はイラク支援法のために、国会の期日を40日間延長した。しかしイラク全土は散発的な抵抗が起きており、最悪の場合戦死者も出ることを覚悟しなければならないだろう。日本の場合国防軍を持たないアメリカの植民地であるから、アーミテージ総督の指示には従わなければならない。反対は許されないのだ。

イギリスと日本は対米外交で共通の利害を持っている。イギリスはヨーロッパであってヨーロッパでない。日本もアジアであってアジアではない。アメリカにとって日本とイギリスは大洋を挟んだ橋頭堡でユーラシア大陸を牽制している。だからこそアメリカはこの二カ国を子分にしているわけだが、イギリスではアメリカに見切りをつけるべきという意見が体制内から出てきている。

このようにイギリスはアメリカがコケればEUに加わればいいように行動している。ところが日本の場合、アメリカがコケたら何処にも連帯を組めるところがない。自主独立で中国やロシアと対抗してゆかなければならない。それだけの長期的戦略をもって外交を行わなければならない。

中国やロシアや南北朝鮮はとても同盟を組める国ではない。中国や韓国が小学生の時から反日教育を叩き込んでいる事は何度も日記で紹介した。ロシアも領土を返すつもりはない。つまり日本の周りは敵だらけだ。出来得るのなら第二次日英同盟を構想しても良いのではないかと思う。




「日本病」克服には世襲政治を断て
自民党一党支配体制の崩壊は必然


2003年6月16日 月曜日

『目本病』克服には世襲政治を断て

いずれにしても、この一〇年間、日本経済が不況に陥っていることが、東北アジアの経済活動の阻害要因になっており、東北アジア諸国は日本経済の一日も早い再生を真剣に期待している。台湾、香港、韓国は、労働力が安く有望な市場と見て中国に投資してきたが、中国側の経済政策が一貫していないために、その投資が水泡に帰そうとしている。したがって、日 本経済の再生に対する期待が高まっているのである。

中国は今、上海人脈の上層部が支配力を強めているが、あの大国を一つにまとめていくこと自体に無理があり、周辺藷国では中国はいずれいくつかに分裂するのではないかとの見方が強まっている。中国経済の先行きは決して楽観できない。中国が解体の方向にあることは確かだが、それは必ずしも中国という国が潰れるということではなく、中国で解体に向かっているのは、共産党による独裁体制である。ケ小平が開放政策で市場経済の導入を決めたときから、共産党の独裁体制は風化してきたのだ。

現在の目本は一見、亡国現象に陥っているように見えるが、それは国が潰れるのではなく、自民党の一党支配体制が崩壊しかけているのだ。自民党はその崩壊を食い止めるために、自自公連立を選択したのである。その意味では、中国共産党と日本の自民党は同じ立場にある。台湾の国民党も同様だ。今回、あちこちで「早く日本経済が良くなってほしい」と言われたから、「日本経済が良くならないのは、日本病だからだ。自民党の旧態依然とした支配体制が終わらない限りは、日本病は治らないでしょう」と答えておいた。

かつて欧米諸国が「英国病」「フランス病」と言われたことがある。そのときは当のイギリス人やフランス人はもとより、多くの日本人もその原因を理解していた。ところが、今 「日本病」と言われたとき、多くの日本人は何が日本病の原因なのか、よく分からないのではないか。それは政治も経済も教育も機能マヒに陥り、すべてのシステムが狂ってきているからだ。あえてその最大の原因を言えば、戦後日本のシステムを作ってきた官僚が、自民党と結託して規制緩和を行なわず、自分たちの既得権を守ることに汲々としているからである。それが日本病の正体なのだと気づくべきではないか。

官僚の既得権をいかに突き崩していくかは、二一世紀に日本経済を再生できるかどうかの最大のポイントである。今、内からはなかなか崩せない官僚の既得権を、外から激しく崩そうとしているのが外国資本である。日本の金融界を保護してきた〃護送船団方式"は、既得権保護以外の何物でもなかったが、それが外からの圧力で遂に崩壊しようとしている。今ここでいちばん大事なことは、ただ単に既得権を突き崩せばいいというのではなく、二一世紀の杜会のあり方についての明確なビジョンを打ち出し、その方向に向かって新しいシステムを構築していくことだ。

法治国家は、国会でその社会の理想に沿った法律を作り、それをルールとしてビジョンの実現に適進していくのだが、日本の場合、目先の彌縫策として法律を作っている。憲法 改正論議が出ているが、むしろ、それより二一世紀のビジョンを明確に打ち出し、それに基づいて法体系を変えることの方が先決ではなかろうか。

本来、法律を作る能力を持った人が政治家になるべきだが、日本の場合、二世、三世議員か官僚OB議員がほとんどで、法律を作る能力を持った議員は少ない。台湾の李登輝も『台湾の主張』(PHP研究所)の中で、日本の政治が世襲になっていることを残念がっている。外から言われるまでもなく、日本人は世襲政治と訣別し、新しい法体系を作る能力を持った政治家を選ばなくてはならない。(P88-P91)

正慶孝 藤原肇 著 「ジャパンレボリューション」


日本病の原因は、いまだにはっきりとした原因がつかめていない。小泉首相はしきりと構造改革を連呼しているが何をどのように構造改革するのかがはっきりつかめない。日本病が経済の停滞を意味しているにもかかわらず、小泉内閣の経済政策は逆噴射政策ばかりだ。どうやら小泉首相の構造改革とは行財政改革の事を言うらしい。

日本病の原因は、まだ誰もはっきりしたカルテを書いてはいない。今まで効いてきた処方箋を全て試してみたが、短期間しか効かずすぐに病状がぶり返してしまう。竹中大臣という藪医者が不良債権が原因であるとして早期解消を銀行に迫っているが、かえって病状を悪化させている。

私は日本病の原因は政府・日銀の経済政策のミスが原因であると指摘しているのですが、マスコミ・ジャーナリズムが触れようとしない。財務省や日銀に歯向かうことはタブーであるらしい。逆に正しい処方箋を書いている学者やエコノミストを締め上げている。栄養豊かな食事を取って体力を付けるべき時に、断食療法を行っている。

医者にしても世襲の医者が多くなり治る病気も悪化させ、その状態が10年以上も続いている。つまり名医に診せればよいものを世襲の医者を選ぶのは、日本人独特の義理人情に縛られているからだ。軽い病気ならそれでもいいが、生死にかかわる病気では義理人情にこだわるべきでないことは誰でもわかる。

医者を政治家に言い換えればすぐ分かるとおり、世襲政治家を総入れ替えして、やる気のある政治家と政党に政権交代させることが、正しい日本病の治療の仕方だ。ところが日本のマスコミは小泉内閣を批判しようとせず、逆に小泉政権の宣伝機関となってしまっている。景気がこれだけ落ち込んでいるのに逆に政権の支持率は上がっているのは理解できない。

世襲の政治家が既得権益を放棄して、構造改革するということは無理だろう。小泉首相自身「選挙で選ばれているから問題ない」と答えている。つまり日本国民の意識が江戸時代の封建制から進歩しておらず、国会議員の息子は国会議員を是認してしまっている。

一党支配体制が50年も続けば何処の国も政治家も世襲化されてくる。共産党政権が続いている中国も北朝鮮も政治家の世襲化おきている。アメリカですら二党支配体制が続き世襲議員が増えてきた。このような国家組織が硬直化してくれば経済政策も硬直化して規制と既得権益を守る方向になる。その結果、経済が停滞してくるのだ。

この状況を打破するには革命を起こすしかないのだろう。革命では大げさすぎるから政権交代程度の変化は起こすべきだと考えます。そうしなければ族議員と利害で結びついた官僚たちを退治できない。小泉首相を支持すればするほど特殊法人と天下り役人の天下は続くのだろう。




「秀真伝」こそ「古事記」「日本書紀」の原典
日本の学界はなぜ「秀真伝」を否定するのか


2003年6月15日 日曜日

『秀真伝(ホツマツタヱ)』が今年から数えて1870年前に 編纂された文書であることは、諸方面からの検討によって確実で ある。しかもその内容の約7割は、さらにその時点を遡ること 794年、神武天皇即位前8年(紀元前668)に書かれていた と推測して誤りないと思われる。  全編12万余字から成るこの『秀真伝』は、その成立の深さ、 伝承の深さにおいて、今日に完全な形で残る世界最古の古典と言 えよう。始皇帝の焚書坑儒の故事に俟つまでもなく、歴史書は常 に時の権力によって弄ばれる。『秀真伝』もその例外ではなく、 すでに仏教伝来、蘇我氏専権のころから受難が始まったのではな いかとも考えられ、ついに道鏡専横の時代に社会の表面から秘匿 されてしまった。

(中略) 明治時代から『秀真伝』は勿論、その他『上記』『富士古文献』 『竹内文書』などが世に出ているにもかかわらず、帝国大学国史学 科を先頭として、アカデミーの世界ではこれらを完全に無視してき た。彼らにとってこれらは存在して、しかも存在しないのである。 敗戦後の今日では事態はさらに悪化していて、虚構に屋上屋を重 ねる状況に至っている。

この幾重にも重層された虚構のもとは、蘇我氏専横の時代に、彼 らの国権纂奪の野望を遂げんとして、太古以来の天皇家の比類ない 遠い歴史と高い精神を湮滅させるべく、偽りの歴史、旧事紀が聖徳 太子、蘇我馬子、秦河勝らによって編まれ、以後その史観が、諸種 の理由によってそのまま踏襲され、一世紀後の古事記、日本書紀に 至ったものであろう。 以後今日までの長大な時間の間、記紀神話が疑うべからざる真理 として社会に固着した結果、これを真向から否定する『秀真伝』が、 世に出るべくして出られなかったのは良く分かる。

奇怪と言おうか当然と言おうか、敗戦後この記紀神話は心無き 歴史学者によってますます歪曲の度を強め、日本の所謂神代史は醜 いものに作り上げられてしまった。就中悪質なものは、最も尊貴 であり人類の精神文明の根元に連なると結論される天皇家について、 朝鮮半島から移動してきたと言った賎しむべき説を公布して得々た る特定の国史学教授輩である。 日本書紀を忠実に解釈すれば、必ず天皇家の出目、日本国の根據 について疑を抱くようになる。つまり記紀はそのために編纂されて いる。文献批判の学者・津田左右吉は記紀を冷静に分析して、そこ に書かれている天皇家を否定したが、それは当然であった。

(中略) このような歴史理解から現在を眺めると、幾人かの高度な研究者 が現れ、発行部数が万を超える『秀真伝』解説書が出ると言うこと は、それが正しく歴史必然を示していて、その延長上には、現在と は異なった世界が開けてくることを黙示していると考えられる。 すでに私が他の書で述べたように、黒船に始まった日本VS西洋 の対決は、文明の全相に亘ってその最終相を、いよいよ露呈してく る筋合いである。この衝突に際して、日本も西洋もその依るべき 本源は自らのアイデンティティであるより外はない。

日本の宗源は 天皇であり、これが外来であると言った証言に惑わされていては、 敗亡の運命が待つだけである。 『秀真伝』は皇室と日本民族の由来が千古に亘って一系であるこ とを、精密に、そしてあふれる詩情をもって伝えている日本の聖典 であり、この書が18世紀後半以来姿を現わしてきて、その研究が 末広がりの状況になってきていることは、そこに一つの歴史の構造 を見る気がする。(後略)

「秀真伝 ホツマツタヘ」の研究を勧める 馬野 周二


先日はハングルの由来について書きましたが、それは対馬に伝わる阿比留文字が元ではないかと書きました。神代文字を調べるとその中にホツマ文字で書かれた「ホツマツタへ」という世界最古の古典が日本に存在することがわかった。それは「古事記」「日本書紀」の原点になったと推測される。

日本の学界では「秀真伝」は「古事記」「日本書紀」を元に作られた偽書だとされている。「秀真伝」は完全な七五調で書かれているのに対して、「古事記」日本書紀」はかなり崩れてしまっている。これは「秀真伝」が口承で謡いやすく書かれたもので、途中で漢語訳で書かれたものを原典に記紀が書かれたのだろう。

内容についても馬野氏が指摘するように「秀真伝」も権力者の焚書坑儒に遭い、ほとんどの原典が消失した。蘇我氏や秦氏などの都合が良いように歴史が改竄されたのだ。外来の宗教や種族が、天皇の由来を曖昧にしてそれまでの歴史を作り変えてしまった。その伝統は今でも続いているようだ。

日本に学会は神代文字を認めず、「秀真伝」や「竹内文書」などの古代の文献を認めないのはなぜなのだろう。阿比留文字にしても石碑や神鏡等の物的な証拠も残されているにもかかわらず、学術的に触れることはタブーとなってしまっている。「秀真伝」も偽作の一言で片付けられている。

しかし内容から検討してみれば江戸時代の偽作とするには無理がある。それらは在野の研究者からいろいろ指摘されているが、学会は取り上げようとしない。この事は戦後のGHQによって東京裁判史観を国民に植え付けていることと同じ事であり、東京裁判も歴史の改竄の一種である。

最近において縄文時代の遺跡が発掘されているが、巨大建築物の跡や遺物などは今までの縄文文化の学説を覆すものだ。弥生時代を500年も前にずらしたり、最近の古代史学会は混乱している。それにもかかわらず記紀や魏志倭人伝にこだわり続けるのは馬鹿げている。「秘められた日本古代史ホツマツタへ」にはこのように指摘している。

古事記、日本書紀の記述では、この戦闘で神武天皇に敵対しているのは、ナガスネヒコと彼の奉ずる主将ニギハヤヒ〜中略〜なのは言うまでもありませんが、その点はホツマツタヘでも同じで、「ニギハヤヒ」がそれに当たります。「サスラ男」とは流離ふ男の意味であり、もちろん天照大神の弟のソサノヲノ命〜中略〜のことを指します。そしてホツマツタヘの記載では、同命が悪業の限りを尽くして放逐されるのは古事記、日本書紀と同様です。この放逐されることが即ち「下民」に落されることと同じ意味になるのですが、このことが古事記、日本書紀の記事にはないのです。古事記や日本書紀に出ないソサノヲノ命についてこの他にも多くの記述がホツマツタヘには記されており、今は略しますが、一言付け加えておきたいのは、ソサノヲノ命は後に悔い改めて天朝に復帰することになるということです。

「秘められた日本古代史 ホツマツタへ」

ホツマツタへについてのホームページ


このように記紀ではソサノヲノ命の話があちこち省かれたらしい。そのために解釈に無理が出てくるが、ホツマツタへでは「かけことば」として意味が通ずる例をあげている。さらに神代文字は五母音で、平安時代に八母音から五母音に変わったと学会では定説とされている。だから神代文字は五母音だから、神代文字で書かれたホツマツタへは平安以降のものという学説ですが、渡来人によって漢字を国語化する際に一時的に八母音なったらしい。

古代において日本人はどのような言葉を話していたのか。民族が変わってなければ今と同じ五母音だったと考えられる。中国からの渡来人が日本語を八母音として聞いていたからと見るべきだろう。だから邪馬台国を「ヤマタイコク」と「ヤマトコク」と混乱するのだ。だから魏志倭人伝の昔から大和国として天皇の支配する国家だったと考えるのが自然だ。

神代文字総覧




「戦争の真相究明はまだ終わっていない」
NYタイムス (ポール・クルーグマン)


2003年6月14日 土曜日

2003年6月11日(水) (プリンストンにて)

ブッシュとブレア政権は、彼らがイラクからの脅威を誇張したと言う批評家(それらのうちの多数、現在の情報アナリストあるいは元情報アナリスト)に試みています。
先週、ブレア政権は政府に対して計画したことで英国の情報局を非難しました。
(ブレアの政府はそれで1月の「危険な調査資料」に対して謝罪しました。)
アメリカでは、国務長官コリン・パウエルは、戦争の正当化の理由についての疑問が「論外である」と宣言しました。

まだ不正な売り込みはブッシュ政権の国内政策への世論工作の証明でした。
また、イラクとの戦いの根拠が全く異なっていなかったことはますます明らかになりました。

例えば、修辞学的に政府がサダム・フセインを9月11日の攻撃にリンクした方法を見てください。
AP通信社がそれを置いたとともに:
「ブッシュからの合意、の上で、サダムがオサマ・ビン・ラディンのネットワークを支援したということでした。
政権はそのようなリンクを示すよい証拠を持たないが、イラクおよび9月11日の攻撃は同じ文でしばしば言及されました。」
それは単によい証拠でなかった;
ニューヨークタイムズによれば、アルカイダの捕らえられたリーダーは、彼らがサダムと仕事をしていないとCIAに明らかに伝えました。

あるいは、不名誉な「細菌戦」の事柄を見てください。
私は、それらのイラク人が言うので、生物兵器を生産するかあるいは単に風船をふくらますように意図されたかどうか知りません-数人の外部のエキスパートに支援されたステートメント。
明らかなことは、1人のアナリストがニューヨークタイムズを伝えたので、それらが武器研究所だったと結論を下す第一次答申がそうだったということです、「急がせられた政治的な仕事および外観。」
ジョージ・W.ブッシュ大統領は「私たちは大量破壊の武器を見つけた」と宣言しませんでした。

私たちは、述べるためにブッシュがどのようにして来たか推測することができます。
アナリストの第1のチームは、彼らが何を聞きたかったか政府官僚に伝えました。疑問は払いのけられました。また、職員は、アナリストが言ったことさえ非常に誇張する公告を次に公開しました。

詐欺同様の手段は、政府の先入観に適した知能を選ぶおよび誇張することに、戦争の前に、大量破壊の武器の問題に関して展開しました。
ほとんどの情報専門家は、サダムがいくつかの生物・化学兵器を持っていると信じました。しかし、彼らは、それらがどんな切迫した脅威も生み出すと信じませんでした。
無所属派によれば、英国の共同の情報委員会による2002年3月の報告書は、サダムが1991年によりも著しく大きな脅威を生み出したという証拠を見つけませんでした。
しかし、そのような結論は受理可能ではありませんでした。

昨秋、元米国の情報当局は、公式宣言が「検討された分析」に基づいていると警告し始めました。
英国の情報当局がそのように心配していると無所属派は報道しました、それらは、プロセスの詳細な記録をとりました。
「決定的証拠は、多分大量破壊の武器上に存在するでしょう。しかし、それは政府の好みにないかもしれません。」情報筋は言いました。

しかし、ブッシュ政権は、知能の切れ端がその扇動に適しているのを見つけました。また、政権は強い公告を行ない始めました。

「サダム・フセインは、イラクの野戦司令官が化学兵器を使用することを最近認めました―独裁者が伝えるまさに武器を彼は持っていません。」ブッシュは2月8日に言いました。
公言された3月16日の副大統領ディック・チェイニーにおいては、「私たちは、彼が実際、核兵器を再構成したと信じます。」

バグダッドが落ちてから、2か月が今たちます。また、AP通信社によれば、大量破壊の武器を探索する軍事部隊は、見る場所を使い果たしました。

最後の1つのポイント:
それが見たかったものを見るブッシュ政権の決定は、単なるイラクが脅かした脅威の総体の誇張ではなく戦後の占有の問題の厳しい過小評価に結びつきました。
イラクの占領が長期間の何十万もの兵士を要求するかもしれないとエリック・シンセキ将軍(軍隊参謀総長)が警告した時、国防副長官ポール・ウォルフォビッツは彼がそうであると言いました「要注意人物」―また、軍隊の役職は彼の後押しのために解雇されたかもしれません。
今、150,000の力はますます頻繁なゲリラ攻撃に直面して、薄く伸ばされます。そして、上級将校は、イラクの政府が引き継ぐ前に2年かかるかもしれないとワシントンポストに伝えました。

私は、何が論外かあなたに伝えましょう。
それは人々が政府を批評しているという事実ではありません。それは、誰も戦争へアメリカを誤解させることには責任のあるように保持されていないという事実です。

ニューヨークタイムス 2003年6月11日 ポール・クルーグマン


中東情勢は私が予想したとおりベトナム化して泥沼化してきました。アフガニスタンではドイツ軍がゲリラの自爆攻撃に遭い4人の戦死者を出している。イラクではアパッチ攻撃ヘリが撃墜されゲリラとの激しい戦闘が続いている。そのような状況で小泉内閣はイラク特措法を国会に提出している。

普通ならば野党ならびに自民党の左派や、マスコミがいっせいに反対運動を起こすはずですが、いまいち反対運動に迫力が感ぜられない。北朝鮮カードが効いていて脛に傷を持つ政治家達は動きが取れないのだろう。あるいは湾岸戦争の後遺症でアメリカに逆らったら何をされるかわからないという恐怖感があるのだろう。

アフガンにしろイラクにしろ前線も後方もなく、相手はムジャヒディンだから輸送部隊のような武装の弱いところを攻撃してくるはずだ。だから輸送任務のような部隊は一番危険だ。現状においては日本はアメリカに協力せざるを得ない。アーミテージ総督から「プレイ・オンザ・グランド」と言われたらそうせざるを得ない。日本は植民地なのだ。

ならば、強力な武装を装備した部隊でないと、派遣される自衛隊に犠牲者が出る恐れがある。大量破壊兵器がいまだに発見されないことにより、アメリカのブッシュ政権とイギリスのブレア政権がピンチに立たされている。インチキな証拠をでっち上げて国際世論を誤魔化すことぐらいCIAなどは簡単に出来るはずなのにどうしてだろう。

このような状態で、いったん纏まるかに見えた中東和平が、テロの応酬で火に油を注いだような結果になっている。いずれは米英イスラエル連合軍とアラブのムジャヒディンとの全面戦争に発展するのだろう。アフガンからイスラエルに到るまでの広大な地域を米英だけで制圧することは不可能だ。その前に米英は経済的に破綻する。

ポール・クルーグマン教授がイラク戦争の正当性に疑問を投げかけている。経済学者の教授が疑問を投げかけるのも、アメリカがとても大軍をイラクに送り込めるほどの経済力に問題があるからだ。15万の大軍をイラクに駐留させるだけで年間数兆円の出費となる。戦闘が長引けば費用はそれだけ膨れ上がる。

アメリカのブッシュ政権はユダヤ・シオニストの力を借りないと政権が維持できない。キリスト教福音派の支援も必要だ。まさにアメリカ中央軍は現代の十字軍だ。ブッシュ大統領の演説には聖書からの言葉がちりばめられている。歴史的な教訓のあるヨーロッパは冷ややかな姿勢で見ている。




「在日朝鮮人と税金問題」
朝鮮総連という治外法権団体


2003年6月13日 金曜日

谷川宏夫さん(仮名、31歳)は、祖父が始めたパチンコ店グループを引き継ぐ在日3世である。その谷川さんにパチンコ業と朝鮮総聯ならびに北朝鮮との係わりを語ってもらった。

いま日本全国に約1万8000軒のパチンコ店があります。推定ですが、いわゆる"北"のパチンコ店は5000軒程度あるとみていいと思います。これだけのパチンコ店が、総聯と親しいわけです。正確に言いますと、各地方にある商工会(在日本朝鮮人商工連合会(朝鮮総聯の傘下団体))に加入していて、定期刊行物代を含めて月々2万円の会費を払っています。私のところも祖父の代からそうですが、だからといって、私自身には商工会に加入することで北朝鮮を支持するというような政治的意図はまったくありませんね。むしろ、いまでは政治的意図を持つ人は少ないんじゃないでしょうか。ではなぜ総聯系の朝鮮商工会に加入するのかといえぱ、理由はいたって簡単です。私どものビジネスにとって、商工会が税務処理上できわめて強力な味方になってくれるからです。

(中略) 現状は、個々のパチンコ店が、それぞれに税務対策をしているわけです。そのなかで、私なんかは実績からみて商工会がいちばん頼りになると判断しているわけですよ。日本の税埋士さんではこんなことはできない。仮にですよ、私がざっと計算してこの年は3億円の税金を持っていかれると思い、商工会に相談しますね。商工会の税務担当は、長年、税金を扱っているプロ中のプロですので、表も裏も知りつくしている。帳簿を見ると、これはどのくらいの税金を払えばいいかという「落としどころ」が分かるわけですよ。私が3億円と計算したところを、彼らは8000万円で済むと読む。そうであれぱ、私は2億2000万円の節税になるわけですよね。この3億円と8000万円は、机上の数字ではありませんよ。商工会に依頼すれば、事実、このぐらいの比率で節税ができます

商工会への謝礼ですか? 決算月に月々の会費の1年分の24万円を別に払います。ですから、毎年、商工会へは48万円を払っている計算になります。それに加えて、さっき言った「落としどころ」の3%、これがいわば暗黙の交渉手数料です。まあ最低でもこれだけはお願いしますという額ですね。つまり、「落としどころ」が8000万円だったら240万円ですね。"3億円"の例で言いますと、年会費の48万円に、この240万円で、合計288万円でしょう。それを払ったとしても、2億2000万円の節税ができるなら誰でも商工会に加入しますよね。あなたが商売人だったら、やはりそうするでしょう。その上、ここに支払った金は裏金でもなんでもない。商工会がちゃんと領収証を発行してくれる、何の問題もないお金ですからね。その見返りがきついだろうって? そんなもん、何もありませんよ。会費を払えば、新聞と雑誌を送ってきます。もっとも私はほとんど読みませんがね。あとは年に2回くらい、ハチミツとか金剛山の石とかの特産品を購入してくれませんかといった依頼があります。現地価格に比べれば高いかもしれませんが、日本国内の価格だと割安です。つきあいで買うこともありますよ。

商工会とのつきあいは、そんなものですよ。あくまでも税務対策上のもの。なぜ、商工会にそんなカがあるのかって? これは朝鮮商工会の歴史と実績としかいいようがないでしょうね。だって、国税庁との覚え書きがあるという噂があるのば朝鮮商工会ぐらいのものでしょう。そうなったのは、76年頃からだったとも聞いていますよ。ですから、私のところの税金申告書の担当税理士欄には、朝鮮商工会の印が捺してあります。で、窓口での交渉は、税務署と商工会ということになりますね。私は、いっさい関係なしでね。その結果が、さっき話したとおりですよ。商工会も、いろいろ裏技を使っているようですね。たとえば、退官した税務署員は、ほとんどが税埋士になるわけですよね。彼らに仕事をまわすとか…。パチンコ店というのは、彼らにとっても将来的にありがたいクライアントでしょう。実際に税務署との交渉に当たるのは、ベテランの商工会の理事長とか副理事長といった幹部クラスです。

(中略) 私たちは、再三言いますように、商工会に力があるのでつきあっているわけです。政治信条でつきあっているわけじやないんです。これは商工会だけでなく、朝信協(在日本朝鮮信用組合協会(朝鮮総聯の傘下団体))でも同じことですね。たとえば商売をしていると、なんらかの理由でウチに査察が入ったとする。そうすればメインバンク、銀行にも査察が入るでしょう。そういう場合、日本の銀行だと国のいうがままに協力し、私たちの取引内容を教えてしまう。担当者だって、守ったところでメリットはない。何かあれば彼の首が飛ぶわけです。彼だって、つまらないところで失点を増やしたくないでしょうからね。ところが、朝信協は違います。頑として抵抗する。身体を張ってでも、私たちの取引内容を公開しない。これば、身内意識というか、情というんでしょうね。商工会も朝信協も、いったん懐に飛び込むと徹底して守ってくれますね。それを政治的にどうこう、と考える人もいるのでしょうが、昔はともかく今は政治とは関係ないと考える人間が多いんじやないですか。

在日朝鮮人と税金問題 「その他の在日問題」より


最近では毎日のニュースで北朝鮮の問題がトップに取り上げられている。北朝鮮のテレビのニュースのおばさんは今やアイドル的人気になっている。北朝鮮の衛星放送が日本でも受信できるから毎日のように日本のテレビに登場するわけです。万景峰号の問題についても、その他の北朝鮮からの輸送船が1400隻も毎年やって来ているという事が明らかになった。

ほとんどの日本人は北朝鮮との国交が無いから船の往来があるとは知らなかった。そして秘密工作船で工作員が出入りしているだけだと思ってきた。舞鶴港には毎日のように北朝鮮からの船が出入りしている。それらの船は燃料が空の状態で入港し、重油を満載して帰って行く。

船の積荷は在日朝鮮人からの日常物資が多く、中古自転車や燃料用の古タイヤなどを積み込んで帰る。これらの費用は在日朝鮮人の仕送りや朝鮮総連などから支払われているのだろう。つまり北朝鮮は日本在住の朝鮮人が支えているような形になっている。1970年頃まではソ連や中国からの援助で韓国よりも豊かな国だった。

ソ連崩壊以降は北朝鮮は日本の朝鮮総連が支える形になり、日本の政界やマスコミに対する圧力は増した。朝鮮総連は治外法権団体となり警察も税務署も近寄れない聖域となった。調べようとすると政界から圧力がかかるようになったからだ。その中心的人物が自民党の実力者N氏だろう。日本のマスコミは一時期彼を日本の総理にと持ち上げた。

日本の政界やマスコミはなぜこれほど在日朝鮮人問題に対して臆病になったのだろうか。朝鮮総連の工作活動が、政界やマスコミの弱点を突いてきたからだ。在日問題を扱ったホームページには次のように書いている。

朝銀をめぐって最初のトラブルが起きたのは1967(昭和42)年のことである。東京在住の総聯商工人で、のちに暴力団員に殺された具次龍氏の脱税容疑で、国税当局は氏の取引先である朝銀の前身、同和信用組合(台東区上野)に資料の提出をもとめた。同和信組はこれを拒否した。国税局は強制捜査をおこなうことにした。ところが同和信組はシャッターをおろし捜査を実力で阻止した。国税局は機動隊をともなって、バーナーでシャッターを焼き切り、強制捜査を実施した。これを契機に総聯は、全国の総聯系在日朝鮮人多住地域の税務署に「抗議行動」をかけた。各地の税務署で業務妨害が発生した。このとき日本政府は、国家公務員たる税務署員にたいする公務執行妨害でこれを取り締まろうとしなかった。国税局と具次龍氏との脱税に関する和解は1976(昭和51)年に成立した。

その後、先に紹介した国税庁と朝鮮商工会との税金に関する「合意」なるものが交わされた。すなわち社会党の故高沢寅男衆議院議員の部屋で、氏を仲介者として国税庁と朝鮮商工会幹部の話し合いがおこなわれたのである。「現代コリア研究所」はそのときの出席者の名簿をもっている。この具次龍氏の事件以来、総聯は気に入らないことが起きると行政官庁やマスメディアなどに「抗議」という名の「暴力」を公然とふるうようになった。私は1967年の「抗議行動」を、第二次世界大戦後、日本が総聯の暴力に届した恥ずべき日と記録している。ここに紹介したような事例は、いまにいたるまで、あちこちでみられる。1985(昭和60)年12月、関東国税局は東京都北区在住の総聯商工人を脱税容疑で強制捜査した。すると、関東国税局にはもっとも多い日で1日600名の「抗議」が来た。少ないときで100名である。国税局の業務は麻痺状態に陥った。局内では「上はなにをしているのか。仕事にならない」という声がでた。警視庁からは「年末の忙しいときに国税はなにをやっているのか」という不満の声が聞かれたという。

(中略) 卑屈にならざるをえないひとつの理由は、総聯からの「抗議」という暴力が怖いから、または鬱陶しいから、ということがある。それはまた、日本がいかに暴力に弱いかということの証明でもある。1980年代末ごろのことである。外務省アジア局は北朝鮮に抑留されている「第18富士山丸」釈放のために頭を悩ませていた。当時、審議官だった元駐中国大使の谷野作太郎氏から「なにかよい解決策はないだろうか」と問われた私は、こう答えた。「簡単です。『第18富士山丸』を返さないなら、北朝鮮を訪問する在日朝鮮人に再入国許可をださないといえば、すぐに解決すると思います」在日外国人が日本国外に出国するのは自由であるが、ふたたび日本に戻る場合は、事前に法務大臣の入国許可を必要とするのである。谷野審議官はこれを聞いて「朝鮮総聯が抗議に来ませんか」といった。「来ると思います。しかし向こうが『人権侵害だ』といったら、『第18富士山丸の日本人にも人権がある。みなさんが北朝鮮を訪問したいなら、北朝鮮政府に第18富士山丸を釈放するよう要請してください』といったらいいでしょう」
「デモが来るでしょうね。外務大臣や首相がデモに耐えられるかどうか……」審議官は語尾を濁した。このやりとりをわかりやすくいえば、デモが怖いから人質をとり返すための制裁措置がとれないということである

第2章で、関東国税局が総聯商工人を脱税容疑で強制捜査したとき、総聯の抗議団が関東国税局に押しよせたことを書いた。その直後、私は所用があって法務省入国管理局の幹部と会った。用件がすんだあと私は、この一件にたいする国税当局と警察の弱腰ぷりを批判した。「行政官庁はみな総聯を怖がっている。強い姿勢でのぞめといっても無埋ですよ」幹部はそういって、私の意見に賛同しなかった。前にも述べたが、総聯が自分たちの気に人らないことを書く報道機関に抗議に行くことは広く知られた事実である。朝銀幹部の逮捕報道にたいして、いまだに『朝日新聞』に抗議に行っていると聞く。こうして、1社でも抗議を受けると、他の報道機関まで自己規制をはじめる。たとえば北朝鮮に批判的な人間に原稿を依頼するさい、「刺激的な表現は避けてください」とつけ加えるといったことになる。

「日本外交はなぜ朝鮮半島に弱いのか」 佐藤勝巳


9,17以前には朝鮮総連について触れることはタブーに近かった。私は朝銀問題などいろいろ書いてきましたが、ようやくマスコミもこの問題に触れだした。朝鮮総連の活動そのものが9,17以降弱くなり圧力が減ったからだ。もし北朝鮮が崩壊すれば朝鮮総連の工作員は非合法活動で逮捕されるだろう。

日本の文化人や知識人は、朝鮮人の民族問題や戦前の植民地支配の問題を出されると反論することすらタブー扱いし、聖域化した。私はあえて反論しているが、学校教育から東京裁判史観に洗脳された教育を行っているから、日本人はただひたすら謝罪と反省を繰り返してばかりいる。日本の総理大臣自らその先頭に立って、毎年のように韓国や中国に謝罪と反省の言葉を言うために訪れている。この異常さに日本人はいつ気がつくのだろう。

ビラのHP 在日韓国・朝鮮人に関する情報





1995年からのドル高政策からドル安政策へ
NYダウは中間反騰から4500ドルまで暴落か


2003年6月12日 木曜日

ニューヨークダウ工業株30種のチャート

このチャートから分かることは、1995年からの米国株式市場の上昇は『異常な上昇』であり、異常な上昇は最後には正常な上昇に修正されることから、レーガノミックスを支点とすればNYダウは6000ドル前後まで、戦後を支点とすれば1500ドルまで下落するということです。その間に4500ドル前後に抵抗ラインがありますので、最終的にNYダウは6000ドルか、4500ドル前後まで下落する可能性があるということになります

1994年からのNYダウのチャートと1996年からのNASDAQ指数のチャートを比べますと、NASDAQ指数(FT100株価指数もDAX指数も同じ)は既にとんがり帽子の形になっていますので、値幅の調整はほぼ終了したと言えます。しかし、NYダウはまだとんがり帽子の途中にあります。

従って、NYダウの9000ドル乗せはエポックであり、注目されることではありますが、まだリバウンド相場の域を出ないということになります。

過去の個別銘柄、株価指数の動きを見ますと、急騰したあとには必ず急落して、急騰し始めた水準まで下落し、その後は底値近辺で10年程度は揉み合うという展開になっています。ここから、NASDAQ指数は底値揉み合いの相場が続き、NYダウは最終的には底値近辺まで下落し、その後は10年程度は揉み合う展開になるのではないかと思われます。(2003.06.05)

今回も2つの政策によって米国株式市場はリバウンド相場が起こっています。1つはブッシュ大統領の大型減税で、もう1つはスノー長官が進めようとしていたドル安政策をグリーンスパン議長とブッシュ大統領が一時的に止めたことです

スノー長官がドル安誘導発言を行なった時、NYダウは100ドル以上の下落となりました。この株式市場の動きを見てドル安政策を一時延期して、当面はドルを115〜120円というレンジに留めることにしたように見られます。

グリーンスパン議長にはまだ『金利低下政策』と『金融の量的緩和政策』が残っています。ですから、今後もリバウンド相場が終わって下落した時に、株式市場が安値を更新すれば、グリーンスパン議長が金融政策によって株式市場をリバウンドとさせると思いますので、日本のように金融政策が効かなくなるまではリバウンド相場を起こしながら下落するという流れになるのではないかと思います。(2003.06.10)

◆日本人は正義感の強い国民性を持っていますし、いろいろなことに感動しやすい、また善意の塊のような国民性を持っています。言い換えますと、非常に不器用な国民性を持っております。

1995年に円相場が80円を割り込んで、円高デフレで日本経済が崩壊すると言われていたときに、突然クリントン大統領とグリーンスパンFRB(Federal Reserve Board、連邦準備制度理事会)議長が『ドル高政策』に転換したことで、多くのテレビでは『米国が日本を助けてくれた』と言っていました。

米国の大統領もFRB議長も『米国の利益』のために行動しており、米国の利益を度外視して日本の利益のために行動することはほとんどあり得ません。当時も、米国経済は景気に対してインフレ懸念が台頭しており、加えて景気が悪化し出したために、金利を引き上げてインフレに対応することが出来ませんでした。このために、結果としてクリントン大統領とグリーンスパン議長は『ドル高にすることでインフレを防ぐ』という政策を取ったので、突然ドル高政策に転換したわけです。(2003.06.09)

asahi com マネー NYダウチャート 今日の視点より


エビアン・サミット後の世界の株式の上昇は、ブッシュ大統領のドル高発言や福井日銀総裁による5月だけでも4兆円に及ぶドル買い介入がミニバブルを引き起こしているためだ。福井日銀は日本の株式は総額で3兆円しか買わないのに、ドルに関しては一ヶ月に4兆円ものドル買い介入をして、しかも不胎化介入をしている。

このために株高と債券高が同時に起きている。福井日銀が巨額のドル買い介入で米国の短期債権が上昇し、債券市場から資金が株式市場に流れ込み株が上昇している。つまり福井日銀がアメリカの株式を押し上げている。その反面福井日銀は日本の株式購入は慎重な態度でいる。

このような構造は1995年のルービン長官によるドル高政策以来続いている。アメリカはべつに日本の輸出産業を救うためにドル高政策をとったのではない。世界の貿易黒字国からドルを米国に還流させ株高政策が行われた。同時に金融政策だけでなくゴア副大統領が情報スーパーハイウェイ構想を打ち出し、IT革命を煽った。

その為に1995年には4000ドル以下だった株が2000年には11000ドル以上にも上昇した。世界中から集まったドルを株式に向けさせることに成功したからだ。このような事は日本からの資金流入がなければ出来ないことだ。私は2000年8月10日の日記に「ゼロ金利解除でアメリカ株式大暴落」と書いた。それは以下の通り。

株式は景気の先行指標として見るならば今年の後半は厳しい景気の後退が予想されます。今はとてもそのような事は想像も出来ませんが。そのようになる可能性としてはアメリカの株式が大天井を打ち暴落の可能性がある事だ。NY株は三尊天井を形成しており、ナスダックも3月の大天井を確認し37%も下落し、新高値をとれぬまま再暴落するか分からないからだ。9月のパレスチナ独立、11月の大統領選挙があり、アメリカの国内情勢は大きく変わる可能性がある。さらに日本のゼロ金利解除で資本の流れが逆流すれば、なおさらアメリカ株暴落の可能性が高まります。(2000.08.10)

その後のNYダウは、冒頭のチャートを見ていただければわかるとおり私の予言どおりになっている。これは日本の金融危機により日本がアメリカ経済をこれ以上支えることが難しくなってきたからだ。小泉ーブッシュ会談により一時的にドル高政策がとられることが決まった。グリーンスパンも株式をソフトランディングさせる必要があるからだ。

アメリカは産業の保護のためにはドル安が望ましいが、株価を上げるためにはドル高にする必要がある。アメリカの株式投資家は巨額の含み損を抱えている。だから株式が戻れば戻り売りが出てくる。最近の株式の高騰は中間反騰であり、いずれ更なる株式暴落の引き金になるだろう。

いずれアメリカはドルと株式と債権のトリプルの大暴落に見舞われるだろう。日本は円と債券が異常に高く、株式だけが異常に安い。日本の金融政策が歪んでいるからだ。その歪みとは時価会計制度やBIS規制やペイオフなどの銀行締め上げ政策だ。日銀は紙切れ同然のドルを買い支えるより、日本の銀行が持つ土地や株式などを「簿価」で買い取れば良い。

アメリカのFRBは景気対策としてジャブジャブとドルを垂れ流している。それが出来るのも福井日銀がそのドルを買っているからだ。買われたドルは債券市場や株式市場に流れ込んでいる。つまりアメリカでミニバブルが発生している。今回はIT革命のような材料が無いからすぐにミニバブルは弾けるだろう。




韓国・北朝鮮で使われているハングル文字は
古代日本の神代文字を改良したものである


2003年6月11日 水曜日

「神代文字を解読しよう」(写真)

(前略) ハングルはどうかと言うと、その「お手本」となる文字が無いのです。「お手本」となるべき文字が無く、今まで漢字と言う「表意文字」を使っていた朝鮮人が、なぜ、「音標文字」と言う全く異なるシステムの文字を「創造」出来たのでしょうか? 私には不思議でたまりません。そんな中、「お手本」となった可能性のある一つの文字が浮かび上がったのです。その文字の名は「阿比留文字」(アヒル文字)と言います。

比留文字。この聞き慣れない文字は対馬の占部阿比留(うらべ-あびる)家に伝えられた神代文字(古代日本の文字)です。まずは、下表の阿比留文字と冒頭のハングルを見比べてみて下さい。

どうでしょう、似てはいないでしょうか? これまでも両者の類似については幾度と無く言われてきましたが、日本の史学界が「阿比留文字」の存在自体を認めない事(漢字伝来以前、日本には固有の文字がなかったと言う頑迷)と、「阿比留文字」はハングルを模倣して作られた「贋作」と言う烙印によって、否定されてきました。しかし、両者をよく観察してみると、否定するには幾つかの疑問が残るのです。

第一に、「阿比留文字」は右側(漢字の「旁」に当たる部分)に母音字、左側(漢字の「偏」に当たる部分)に子音字を配置する「二次元」構成を取っています。対する「ハングル」は左右・上下配置の他に、三つの字母を配置する複雑な「三次元」構成を取っています。つまり、「ハングル」の方が「阿比留文字」の字母構成法よりも、明らかに「進化」していると言えるのです。こう考えると、「阿比留文字」が「ハングル」を模倣して作ったと言うよりも、むしろ、「ハングル」が「阿比留文字」を模倣して作ったと言う方がより自然なのです。

二に、「阿比留文字」が伝えられてきた場所にあります。「阿比留文字」は対馬の占部阿比留家に伝えられてきたと書きました。その対馬は地図を広げれば分かりますが、朝鮮半島の目と鼻の先にあるのです。又、かつて対馬を支配していた宗氏の様に、朝鮮と独自のコネクションを持ち、日朝間の国交を仲介した歴史もあります。更に時代を遡ると、邪馬台国の時代に「対馬国」として描かれ、対岸の「狗邪韓国」と交流していたであろう事も推察できます。つまり、対馬は常に朝鮮半島と交流を持ってきた訳で、対馬に伝わる神代文字が李朝に伝えられた事も十分に考えられるのです。

こで、対馬に伝わる「阿比留文字」が李朝に伝えられたとしましょう。すると、どうでしょうか。世宗大王のプロジェクトが短期間に「ハングル」を「創造」出来た事も納得がいくのです。「阿比留文字」と言う音標文字を「お手本」にして、自分達の使い易いように改良を加えた・・・。こう考えてこそ、「ハングル」誕生の謎が解けると思うのですが・・・。


       歴史再考 「ハングルは日本人によって作られた」より

冒頭に掲げた神鏡の写真を見ると外側と内側には漢字の文字が見られますが、中間の輪の中に書かれた文字は阿比留文字と言われるものです。この神鏡が作られた年代は不明ですが、神鏡そのものは古代に使われたものであり、朝鮮の世宗大王がハングルを考案した1446年よりはるか昔のものだろう。

阿比留文字は古くから対馬に伝えられた文字であり、それを元に世宗大王の時代に改良が加えられ制定されたものだろう。しかし韓国の小学校の教科書では世宗大王が人民のために作ったと教えられている。現在の韓国ではハングル文字でほとんど書き表されて、自分の両親の姓名すら漢字で書けない世代が増えている。

最近話題になった「創氏改名」の問題などにも書きましたが、学校教育において事実に基づかない根拠によって歴史を改竄し、生徒児童に誤った事実を教え込んでいる。その為に日本において真実が暴かれると困るから、日本の教科書問題に韓国や中国は神経質にならざるを得ない。

ハングルの起源が、日本の古代から伝わる神代文字からだとすると、朝鮮文化の独自性に傷がつくと思うのであろうか。日本のカタカナやひらがなは漢字を元に作られたと、日本では教えられている。漢字もそのまま使っている。だからと言って日本文化に傷がつくわけではない。

韓国では文化の独自性を強めようとするあまり、文化すらも排他的になり、漢字を廃止し、日本の小説や音楽すら禁止した。インドやフィリピンなどで英語やジャズやロックを禁止しただろうか。してはいない。むしろ高等教育では英語で教育が行われている。

むしろ外国文化を禁止しなければならない現状の方が問題なのだ。日本でも戦時中は英語は敵国語として禁止された。ジャズなども敵性音楽として禁止された。その頃の日本文化に明らかな異常があったからこそ、英語文化を規制したのだ。すなわち日本文化を規制している韓国にも明らかな異常があるのだ。

神代文字と神鏡の謎

日本の神代文字には謎が多い。日本の歴史教育からも抹殺されている。日本の縄文文化はもっと研究されなければならないが、現在の学会から否定されている。阿比留文字を見ると母音と父音に別れてアルファベットの表記に近い。古代には中東の文明と繋がりがあったのではないか。神鏡と宇宙というホームページには次のような記述がある。

これらのことから旧約聖書の「エデンの園」は、 まさしく「高天原」であり、ユダヤ人は決して追放された者の末裔ではなく、そして「失われたイスラエル10支族」のうちある支族のものたちが、預言者 モーゼの聞いた神の声(ヤハウェ)を信じ、本当の故郷である「高天原」=「エデンの園」に「秘宝アーク」を持ち帰ったのである。 (このことは天皇家と大いに関わることであるが、この点はのちに『高天原通信 シャマギル』において詳しく述べる。)

神鏡と宇宙のホームページ


つまり神代文字を解明してゆくと、天皇家の秘密をも明らかにしてしまう危険性があるために、学会は神代文字の存在を否定しているのだろうか。さらには「高天原」を「エデンの園」であるとし、「秘宝アーク」を「神鏡」とする見方は偶然なのだろうか。さらにエデンの園を追われたアダムとイブはイザナギとイザナミになるのだろうか。




小泉内閣の高支持率は対北朝鮮強硬路線のおかげ
森内閣の超低支持率は北朝鮮へのコメ支援が原因


2003年6月10日 火曜日

(前略) 「万景峰号の来航を止めたのは、
ここに集う被害者家族と日本国民の力である。
 
 ということは、本日より日本国民と金正日は
『戦争状態』に入ったということだ。
 なぜなら、金正日の生命線は万景峰号を象徴とする日
本からの補給ルートであり、
日本国民が、この生命線を止めたということは、
金正日にとっては宣戦を布告されたことになるからであ
る。

 北朝鮮と我々が、このような状態に入った以上、
我々は、断じてこの闘いに勝たねばならない。
 それは、つまり、
金正日を倒さねばならないということである。

 しかし、この闘いは、単に目を外に向けているだけで
は勝てない。
 
 有力な敵は内側にもいる。

 国内には、超党派の日朝友好議員連盟が依然として存
在し、元首相や各党の幹部を会員に擁して、未だ、
我々の拉致救出議連以上の勢力を保っているのである。
 彼等は、『日朝友好のため』、
今まで年中行事の様にピョンヤンを訪問し、
金日成の馬鹿でかい銅像の前で頭を垂れたうえ、
日朝友好の為に支援を約束し、
そのみ返りの喜び組みの接待で、
プライバシーを北朝鮮当局に握られているのである。
 
 さらに、朝鮮総連から一人現金一億円を相場とする金
をもっらっていた派閥幹部議員がわんさとおり、
 彼等は、この不正献金をばらされないため、
朝鮮総連と北朝鮮の忠犬となって、北朝鮮の利益の為に
なりふりかまわず働くのである。


 この腐敗売国の政界構造が、
実は現在も、政界の主流である!

 そして、この政界の主流の中で上手く遊泳し出世して
きた官僚が対北朝鮮外交の実務中枢を握っている。
 
 従って、日本外交は一貫して北朝鮮に弱く宥和を装っ
て金正日の犯罪と残酷さと日本人拉致事件を国民の目か
ら隠蔽してきたのである。

 この全体構造の中で、
拉致被害者は、二十数年間、日本政府から放置されてき
た。
 
 従って、我々は、断固として、
この内なる敵とも闘わねばならないのだ。
 
 日朝友好議員連盟の面々やコメを北朝鮮に送っていた
国会議員を排除しなければならない。
 拉致問題を、『障害』とみなして早く金正日のおっし
ゃるとおりに『処理』して終わらせようとしている実務
責任者、外務省審議官を更迭しなければならない。

 金正日との闘いに勝ち、
拉致被害者全員を救出するためには、
このような内外の敵と闘わねばならないのだ。

 従って、我々の闘いは、
拉致された同朋の救出にとどまらず、
祖国を救う、救国の戦いとなり、
さらに、飛行機で1時間半のところにいる
二千万の北朝鮮人民を
残酷で卑劣な圧制から救出する闘いでもあるのだ。

 これから先、北朝鮮は執拗にわれわれの勢力分散を図
り、体力が尽きるよう策謀してくるであろう。
 明日は来ないが、二十三日には来ると言っている。
 
 しかし、闘いを始めた以上、団結して、
万景峰号を始め千隻を数える金正日の『生命線』の入港
を阻止する闘いを貫徹しようではないか」

眞吾の時事通信 6月9日 「家族と金正日の戦いが始まる」より

西村信悟のホームページ


小泉内閣の支持率がNHKの世論調査によると、支持する人が56%の高い数値が出た。一連の万景峰号などへの強硬姿勢が支持を集めているのだろう。北朝鮮の金正日のクロメガネはまさにヤクザのボスそのものだ。北朝鮮は国家ではなく巨大な暴力団組織である。

日本の暴力団組織は北朝鮮から供給される麻薬や覚せい剤が大きな資金源になっている。北朝鮮は日朝友好議員連盟などへの政界工作で、朝鮮総連を通じて一人当たり1億円もの政治資金が渡されているようだ。自民党の最大派閥もそれで選挙に強いのだろう。

さらには選挙ともなれば、暴力団組織が大きな活動支援組織となり、自民党議員に深く浸透しているようだ。さらに暴力団員には在日の朝鮮人が多く組員として構成されている。自民党は戦後の政党設立段階から右翼暴力団組織との繋がりがある。戦後の共産主義運動への妨害工作に暴力団を使った腐れ縁があるからだ。

この辺の詳しいことはロバート・ホワイティング著「東京アンダーワールド」を読んでいただけば詳しく書かれています。日本のマスコミは非常に臆病で暴力団の脅迫で真実が書けないでいる。ロバート・ホワイティング氏はアメリカ人(CIA)だからこのような事が書けたのだ。エピローグの一部を紹介します。

日本は憲法に民主主義を掲げ、大いなる躍進をとげた。しかしそこにはまだ、顔も姿も隠したフィクサーによる、秘密の会合やヤミ取引が横行している。実際に事件が発生するまでは、裏で何が進行しているのか、世間にはまったくわからないのが現状だ。こうした姑息な手口はやがて一掃されるという希望的な観測は、一九九〇年代の一連の出来事によって、あっさりと出鼻をくじかれた。

最悪だったのは一九九八年の総裁選で、自民党の小渕恵三は、かろうじて二桁に届くという、戦後史上最低の支持率にもかかわらず、まんまと首相の座を射止めてしまった(小渕当選のシナリオは、前述の竹下登によって立案された。竹下は首相を退いたあと、自民党の有力な陰の立て役者におさまっていた)。

一九九二年には、自民党の権カブローカー、金丸信が、国会議員の辞職を余儀なくされた。暴力団会長、石井進との関係が明るみに出たばかりでなく、石井の会社と関連のある東京佐川急便から、山のような現金や進物を受け取っていたからだ。一九九三年、金丸は脱税容疑で告訴された。検察による家宅捜索の結果、現金、無記名杜債、金塊など、本州をまるごと買い取れそうな、けた外れの〃戦利品。が押収されている。検察はさらに、彼が四億四千万ドル相当 の不動産を、ハワイに所有している証拠もつかんだ。

金丸は、裁判の途中で他界した。これだけ大規模なスキャンダルだったにもかかわらず、刑務所送りになったのは、東京佐川急便の社長のみ。とはいえ、日本の贈収賄裁判に慣れっこの人問に言わせれば、この結末は少しも驚くにあたらない。

しかも、大手投資家への損失楠填や、暴カ団への無利子口ーンなど、各種の金融スキャンダルも、まったく納得のいかない形で片づけられた。野村証券その他の証券会社は、三ヶ月前後の営業停止処分という、ごく軽い懲罰を受けたにすぎず、そのあとは平常どおり業務を再開しているありさまだ。しかも、事件の責任をとって辞職したはずの重役が、いつの間にか「顧問」として返り咲いている。(P369-P370)


自民党と暴力団の関係は北朝鮮へも繋がっている。自民党の最大派閥でいられるのも中国、北朝鮮と深い関係があるからだ。日本のマスコミが北朝鮮を「朝鮮民主主義人民共和国」と特別に正式名称を使っているのも政界や暴力団筋からの圧力によるものだ。つまりテレビ局が脅迫に屈していますよと言う合図なのだ。だから北朝鮮による拉致問題も報道されなかったのだ。

日本の外務省も北朝鮮による拉致をテロとして認めていない。政界からの人事圧力でチャイナスクールをはじめ北朝鮮派閥が外務省の外交政策を握っているからだ。その主要メンバーと行動に関しては以下のホームページに出ている。これらの反日政治家と反日官僚と反日マスコミは国民世論によって排除していかなければならない。

とんでもない政治家と外務官僚 国民新聞




日本の銀行はなぜ金融機能が麻痺しているのか
日本の銀行の調査部は新聞や雑誌の切抜きだけ


2003年6月9日 月曜日

(前略) ヨーロッパやアジア諸国は日本と同じでして、エリート的な人材が銀行の窓口で金を貸したり預ったりしていますが、米国やカナダではそういう時代は三〇年前に終わってしまいました。札束を数えたり、借金依頼の書式を顧客に仕上げさせる仕事には、それほどの能力を必要としないからです。そして、各支店で男性が担当するのはせいぜい支店長と次長くらいで、それも経済学部を卒業したなどという人材は珍しいのが北米の現状です。おそらく八〇年代の後半には日本にもこういった潮流が浸透することでしょう。

 それでは経済学部を出たエリート中のエリートは銀行のどこにいるかというと、実は調査部や企画部に陣取っていて、情報分析やプロジェクト企画、あるいは運用投資といったことをやっているのです。そして、彼らのほとんどは技術系のプロフェショナルとチームを組んで仕事をし、必要に応じて外部のコンサルタントもチームに組み入れて新規プロジェクトを作ったり、プロジェクトをコオルディネイトしたりするのです。僕はコンサルタントとして、たまにこういったグループに顔を出しますが、そこには一次情報がふんだんにあるのを見て感心します。

日本の銀行の調査部はエリートの人材を集めていても、それらの人が新聞や雑誌の記事を切り抜いている程度で、人材が人材として活用されていない現実を思い出し、実にもったいないことだと思ったりします。彼らのほとんどは詰めこみ教育と丸暗記試験の果てに銀行調査部にたどりついた日本の逸材達でしょうが、数字を丸暗記する代わりに、数字の裏に読み取れる思惑や意図を把握したり、ソフトウエアの価値を評価するところまで識眼力を磨き上げないならば、金融や資本の自由化と産業活動の国際化を通じて、パイオニア魂と企業家精神に富んだ外国の小さな投資銀行家に、いい商売のほとんどを取られるに決まっています。

彼らは情報の価値や判断力の重要性を十二分に心得ていて、ベンチャー・ビジネスヘの投資や新しいプロジェクトヘの投資に際して、われわれプロのコンサルタントを活用していて、彼ら自身がベンチャー・キャピタル・ビジネスが何であるかについて知りぬいています。

 ベンチャー・キャピタルが存在せず、日本の銀行がその重要性に気がつかないまま、旧態依然の質屋まがいの業務に明け暮れていると、八○年代の日本経済はいよいよ硬直化してしまい、日本人の持つポテンシアルをそのまま殺してしまうことになるのではあるまいか、と大いに危倶せざるを得ません。

(中略) それでは知識集約型の産業に活力源を供給するのは何かというと、情報でして、それも量としての情報ではなくて、質としての情報です。質のいい情報をシステム化したものを、ソフトウエアと呼びますが、このソフトウエアを取り扱うのは問題意識とパーフォーマンスを誇る人間であるという意味で、再び労働力集約型と知識集約型が結びつきます。今度は肉体労働ではなくて、頭脳労働とより密着した新しいタイプの労働力集約型指向の産業社会が、二一世紀に大発展するかもしれません。

人間が個人としての判断力や見識を高める努力をおこたれば、人間に代わって人工頭脳がその主役を演じることになる可能性もなきにしもあらずです。それでもコンピューターのプログラムとしてのソフトウエアは人間の頭脳が作り出すものですから、たとえわずかにしても、人工頭脳より優れた頭脳を持つ人間は存在し続けるに違いありません。

 日本に帰る度に感じることですが、日本は情報の洪水であり、しかも、駄物の情報が氾濫しています。それに、情報を選択し、そこから情勢判断をしたり、将来を展望することのできる頭脳が不足しています。政治家や経済人たちは口をそろえて、日本は情報が不足していると言いますが、僕に言わせれば、情報は不足しておらず、駄物の情報があまりにも多すぎて、情報そのものとしてはむしろ過多というべきだと思います。

その上、駄物の情報をガブガブと飲みこみ、今度はそれを水増してペラペラ喋ったり、大袈裟なタイトルで記事に書き上げる評論家や学校の先生が大氾濫している代わりに、情報の選択眼を持つ人々がほとんどマスコミ界に活躍していないという悲しい現実があります。氷炭相容れずということなのでしょうかね。
 (後略)

電子テキスト本 「日本脱藩のすすめ」 藤原 肇 より


藤原肇氏はテキサスで石油開発会社を経営し、40代で引退をして現在はフリーランス・ジャーナリストされている方です。以前は竹村健一氏の対談番組などに出ていましたが、あまりにもタブーに触れる発言で、ビデオでズタズタに編集されてしまった経験の持ち主です。

「日本脱藩のすすめ」と言う本は20年前の本ですが、藤原氏のウェブサイトで電子本として公開されている。他にも藤原氏と小室直樹氏との対談本で「脱日本型の思考のすすめ」と言う本も電子テキスト本として公開されています。20年も経つと本としての商品価値がなくなる内容の本が多い中で、辛口の藤原氏の本は今でも十分に通用する内容を持っている。

電子テキスト本 「脱日本型思考のすすめ」 小室直樹 藤原肇


日本のテレビに出ている御用学者の本などは数年経たずして商品価値のないものになってしまっている。たまたま昨日の本屋で藤原氏の書いた「日本再生への処方箋」と言う本を買いましたが、別の機会に紹介します。隣に東大の伊藤元重教授の新刊本も並んでいたが、見たら教科書レベルのことしか書いてない。

日本の銀行が質屋に過ぎないと指摘したのは藤原肇氏が最初です。それでも質屋に対して失礼であり、質屋はダイヤモンドと水晶を見分けられなければならない。日本で銀行が直接ベンチャー・キャピタルに手を出すのは難しいだろう。商売のやり方が全く違うからだ。コンサルタントを雇ったり、シンクタンクの研究所に研究させても無駄だろう。

日本企業の調査部や企画部は、天下り役人や有力者の子弟の就職の受け皿場所になっている。やっている事は新聞の切抜きや雑誌に書いてあったことをコピーしてレポートを作成しているだけだ。新しく日銀総裁になった福井氏も富士通のシンクタンクに天下っていた。福井氏以外にも多くの日銀OBがシンクタンクに天下っている。だから富士通は業績がダウンした。

以前にも日本のシンクタンクがなぜ駄目なのか書きましたが、お役所の天下り機関だからだ。さらには優秀な人材がいても駄目な理事にスポイルされてしまう。日銀にも調査部がありますが、日銀のプリンス(佐々木直)の政策を批判したらクビになった調査局長がいた。「福井日銀・危険な素顔」からの引用です。

【石井】 戦後、各銀行にも調査部ができた。やがて、調査部長の親睦会である調査部の部長会というものができたが、その会長は常に日銀の調査局長だった。日銀の調査局長が銀行の調査関係のリーダーだった。日銀の調査部は総裁直属の調査部門として誕生し、世界各国の経済情勢や金融制度などを調査して、総裁が政策を決めるためのデータをつくるという役割を担っていた。日銀調査部で一番最初に有名になったのは、吉野俊彦さんだ。日本初のエコノミストは彼だ。彼はマルクス系のエコノミストだった。

【ヴェルナー】 戦後、日本でマルクス系のエコノミストが多かったのには理由があると思 う。一九四五年、つまり終戦の年まで、日本にはドイツ経済学というもう一つの経済学があった。しかし、終戦とともに、ドイツ同様ドイツ経済学も評判が非常に悪くなった。ケイソズが論文を出したのが一九三六年だが、ドイツ経済学はケイソズが論文を発表する前に、理論上の結論ではなく、実際に金融大恐慌後の経済を回復させたという実績があった。戦後、ドイツ経済学の評判が落ちたので、ドイツ経済学派の日本人エコノミストは多くの場合、マルクス経済の学派に入ったこともあったと思う。

【石井】 吉野さんは調査部一筋で、私が日銀に入った時は調査局担当理事だった。彼は調査局長として実績を残し、戦後一貫して一万田さんの右腕だった。一万田さんの調査はすべて吉野さんが担当した。吉野さんの次の調査局のエリートは、現在自由党の鈴木淑夫さんだ。本当はその間に呉文二さんという立派な人がいたのだが、呉さんは佐々木総裁に文句をいって、辞めさせられてしまった。「あなたの政策は問違っている」といって、終わりだ。

日銀では調査局長が総裁に対してはむかうような発言をすることは許されない。呉さんは「列島改造論は問違っている。佐々木さん、今のままでは大変なことになる。絶対にこのような政策を行ってはいけない」と総裁に進言したが、佐々木さんは「あ、そう」の一日で終わりだった。 それで呉さんは辞表を書いた。呉さんという人はすぼらしい人だった。こんな人は日銀調査部・調査局の長い歴史のなかでも一人しかいない。

呉さんと一緒に、調査局の若手三人が辞めた。斉藤精一郎氏、奥村宏彦氏、小椋正立氏の三人だ。おそらくこの三人が、政策の誤りを解明していたのだろう。入行年次は昭和三十八年が一人、三十九年が二人という若手三人が決起して辞めて、三人とも学者になった。彼らの気持ち、心意気は尊いと思う。

【ヴェルナー】 たしかに、呉さんは貸し出しの重要性、信用創造の重要性がわかっていた。窓口指導についても詳Lかった。素晴らしい論文を発表した。(P90-P92)


このように大銀行の調査部といっても日銀から比べれば遥かに挌下であり、重要な情報は公開されていない。日銀の金融研究所の論文は全て検閲が入っている。ヴェルナー氏も金融研究所にいたが、日銀のエリートの営業局の人は外人だと言うことで窓口指導のことを漏らしてしまったのかもしれない。

大手のシンクタンクですら、このような状況だから大学や民間のエコノミストに、日本の経済政策の資料が公開されるわけがない。だから「円の支配者」を発表されて驚いたのだろう。だから子飼いの学者やエコノミストを使って「とんでも本」と評価を振り撒いているのだ。

日本のエコノミストの世界では日銀の政策を批判することはゆるされていない。言うのは自由だが、言ったら最後、政府の審議会からはお呼びがかからなくなり、財務省や日銀の講演会からも声がかからなくなり、本の出版や雑誌の原稿にまで影響が及ぶ。だからみんな竹中大臣のシンパとなって御用学者になってしまう。




テレビ局はなんで竹中批判をしないのか
テレビ局は有力者の子弟でいっぱい


2003年6月8日 日曜日

テレビ番組制作会社の者です
テレビが何故告発できないのか・・・その理由をお教えしましょう

テレビ局が毎年、新卒を入れるときに○政とか○芸とか○文とか言う符丁で
呼ぶ人々がいます
これは、その父親が政治家、芸能プロか芸能人、文部省の役人と言う意味ですが
この連中は局内で集まり派閥を作る傾向があります
この派閥の特徴は、とにかく金回りが良いこと
車も外車が当たり前だし別荘にクル−ザ−、休みには海外旅行・・・
殆ど仕事もせずにテレビ局の名詞を悪用して遊び回っているわけです

竹中は慶応の教授時代から金持ちの子弟には必ずと言って良いほど声を掛けて
自分の子分である、外資系のコンサルを紹介してはマ−ジンを裏で稼いでいました
フェルドマンなんかはその頃からの腐れ縁です
同時にメディアに出るようになってからは、関係者をコンサルに紹介して良いエ−ジェント稼業に
勤しんでいたのです
芸プロの社長、タレント、もちろんテレビ局の財務部門・・・その連中を儲けさせたので
エ−ジェント竹中は評判が極めて良くなったのです

テレビ局というのは、裏金としてどのくらいの現金を撒くかで
出演が決まり結果ギャラに反映するわけです
裏金以上に稼げばよいわけですから、稼ごうと思えばそれだけ裏金も必要になります
しかしそれは、普通の方法では稼げません
脱税も良いでしょうが、それはリスクが伴います
竹中はケイマン諸島に本拠地を置くファンドが付いていると言われますが
そのようなファンドを上手く使って金を儲けさせてやる
結果、竹中情報は=金そのものでありテレビ関係者にとって竹中を出してやることは
=金作りになったのです
では、竹中がテレビに出るメリットは何でしょうか?
それは、彼のサイドビジネス・・・つまり、ファンドに金持ちを紹介するためには
テレビで自分を宣伝する必要があった
あの有名な竹中教授です・・・で、一回の講演料は安くてもその後のパ−ティでは
名刺を交換する金持ち連中が引きも切らなかったそうです

彼のずる賢い所は、出る番組を選ぶことです
NHKには出たがりません
これは、NHKの解説委員は東大出が多くしかも自分のアンチが出ることが多いので
極力出ないわけです
ところが、田原総一郎の様な”同業者”(田原は孫正義のエ−ジェント)に取っては
竹中と意見を同じくすることが良いビジネスになるわけです
竹中を知る大学関係者は、彼は学者ではないと言います
理由は簡単で、理論も何もないからです
ただ、ファンドの言うことを自分が言ったように見せかけているだけで
中身は何もありません

森内閣の時に、森喜郎と言う人がこれ以上はないミ−ハ−だったおかげで
芸能人脈を作ってしまいました
その子息が六本木人脈と言われている遊び人グル−プを作っていて
モデルやタレントの女の子を通じて、業界人の○グル−プを関係が深くなった
そこで、テレビ関係で殖財をしている連中とも親しくなり結果、竹中は
政治家を儲けさせてやることでより政界の中枢に出入りできるようになった

政治家の子息、テレビ局、芸能界、そして金持ちの子息・・・・
さらにその親たち・・・全ては竹中のクライアントなのです
批判できるわけがありません


政治家ーテレビ局  縁故入社の一例
●柿沢弘治元外務大臣の息子(未途)→元NHKの記者
●岡島正之の息子(一正)→元NHKの記者
●橋本龍太郎元首相の弟(大二郎)→元NHKの記者
●石原慎太郎都知事の息子(伸晃)→元日本テレビの記者
●(故)小渕恵三元首相の娘(優子)→元TBS
●加藤紘一の娘→TBS
●加藤紘一の娘ムコ→フジの記者
●松岡利勝の息子→NHK
●片山虎之助総務大臣の息子→NHKの記者
●(故)竹下登元首相の弟(亘)→元NHKの記者&アナウンサー
●羽田孜元首相の弟→NHK
●(故)金丸信の息子→テレビ山梨(TBS系列)の代表取締役社長


竹中大臣の強力なシンパ
奥田碩(経団連会長・トヨタ自動車会長)
生田正治(船商三井会長)
藤田田(日本マクドナルド会長)
江田憲司(元橋本龍太郎の片腕)
木村剛(KPMGフィナンシャル社長)
孫正義(ソフトバンク社長)
田原総一郎(評論家)
長谷川慶太郎(評論家)
佐藤雅彦(慶応大学教授)
島田春雄(慶応大学教授)
加藤寛(慶応大学名誉教授・千葉商科大学学長)
本間正明(大阪大学教授)
伊藤元重(東京大学教授)
吉田和男(京都大学教授)
中谷巌(多摩大学学長)
斉藤精一郎(立教大学教授)
霍見芳造(ニューヨーク市立大学教授)
久米宏(国民的カリスマキャスター)
小谷真生子(WBSキャスター)


2ちゃんねるBBS テレビ局はなぜ竹中批判が出来ないのかより


以前に竹中経済相はテレビマスコミが作り上げた、と書きましたが「2ちゃんねる」に業界人からの書き込みがあった。テレビ報道局は悪名高い銀行業界もかなわぬほどの高給とりで有名だ。長引く不況にもかかわらずテレビ業界はさほど業績は落ち込んではいない。

番組制作は下請けプロダクションに丸投げすれば良いし、コマーシャル収入が落ちたところで全て下請けにしわ寄せすれば済む。さらには有力者の子弟を沢山抱える事で、営業にも効果がある。このようにテレビ業界と政界、業界、学会、と組まれた組織は利害を共有することで成り立っている。

竹中大臣のシンパに私が今まで批判してきたメンバーがずらりと並んでいる。彼らは竹中大臣の学説に共感して集まったわけではない。もともと竹中大臣には学説など無いからだ。構造改革も外資系証券会社のエコノミストの受け売りに過ぎない。竹中大臣や木村剛氏を日本人の顔をしたアメリカ人というもの、彼らのバックにモルガン・スタンレーのフェルドマン氏らが控えている。

彼らはアメリカ人の割りには語学に堪能で名前や風貌からしてユダヤ系アメリカ人であることがすぐにわかる。彼らは肩で風を切って財務省の中を我が者顔で歩き回り、GHQのように役人をコントロールしている。彼らの背後にはアメリカ大使館と小泉首相がついているのだから、抵抗勢力の政治家もどうすることも出来ない。

彼らの強力なスクラムを突き崩すには世論しかないのだが、大手のマスコミを彼らが抑えているかぎり、世論が政治を動かすことは難しい。民主主義という制度は宗教とマスコミを支配することでいくらでも大衆をマインドコントロールすることが可能だ。アメリカの現状を見れば一目瞭然だ。

小泉内閣を倒閣に追い込むには、山崎自民党幹事長を集中攻撃するのが一番だ。小泉内閣を支えられる朋友は山崎幹事長しかいないからだ。森派の森会長が幹事長の椅子を狙っているが、抵抗勢力と仲が良い。アメリカは親米の小泉政権を支えている。だから愛人騒動の山崎幹事長も辞任せずにすんでいる。マスコミがおとなしいからだ。ワイドショーはなぜもっと騒がないのだろう。それとも「不倫は文化」と日本に定着したのか。




アカデミー賞9部門受賞「イングリッシュ・ペイシェント」
不倫の人妻と献身的な女の運命を描いたメロドラマ

2003年6月7日 土曜日

カナダの国民的作家となったスリランカ出身のマイケル・オンダーチェの英ブッカー賞受賞作「イギリス人の患者」が原作のアンソニー・ミンゲラ監督作品。 1996 年第 69 回アカデミー賞で9部門受賞など、数々の賞に輝くロマンス大作である。

 第二次世界大戦末期、大火傷を負って記憶も失っている<イギリス人患者>と名付けられた男(レイフ・ファインズ)が、カナダ人看護婦ハナ(ジュリエット・ビノシュ)の献身的な看護を受けて、記憶を取り戻していく。その記憶とは、人妻キャサリンとの北アフリカでの激しい恋だった。心に傷を負った4人の主な登場人物「イギリス人の患者」のアルマシー、ハナ、泥棒のカラバッジョ(ウィレム・デフォー)、インド人兵キップがお互いのふれあいを通して、希望を取り戻していく。

 原作の持つイギリスと白人文明に対する弾劾のメッセージが、アルマシーとキャサリンのロマンスに偏りがちなこの映画を、単なるメロドラマに終わらせてはいない。

「イングリッシュ・ペイシェント」の解説とストーリー


生きていくことは戦いの連続だ。自分を取り巻く全ての物との・・。
 刻一刻と変わる人生は砂漠の景色そのもの。
 砂漠の砂が一夜にして形を変える事と、人生がその時代の波や
 他人の投げた小石の波紋によって変えられていくみたいに。
 砂漠自身はしかし変わらずにそこにある、人がそこに存在するように。

 愛する人が皆死んでしまう嘆きのハナ。 そして、ハナは死人同然の患者と向き合う。
 人は皆死ぬ。いつ、どんな形かはその瞬間を迎えるまで誰にも解らない。

 私の周りでは死はまだあまり迫り来る事が少ない。
 あの大震災ですら、知人は皆無事で、とりあえずのるか反るかで助かったといえよう。
 でも多くの人が死んだのだ。 でもやはり死は身近にない。
 それは当然のこと。いつも「死ぬかもしれない」なんて考えていたら、生きていけない。気が変になる。
 死を認めて生き続けるのだ。 でも、本当にそうかな?

 映画を見ていて、「死」が恐くなった。「生」も恐くなった。
 行くも地獄、戻るも地獄。
 「死」は恐くない?だって死んだら何も解らないもの。
 やはり、生きていくことのほうがよっぽど恐い。
 でも、自分の力で止めることは出来ないから生きていくしかないんだ。

 生と死、愛と憎しみ、戦争と平和、男と女。
 過去、現在、未来・・・
 この映画には全てがある。
 私の人生はもちろん映画のようなものではないが、映画と同じくらい、いやそれ以上に大変だ。
 だって自分にとっての現実なのだから。
 みんなそうだ。今、生命あるもの全てが自分の人生を生きている。
 友達や恋人がいなくても、仕事がなくても、面白くっても、つまんなくっても、
 不幸でも、幸せでも、生きていくことはそれだけですごいかも。
 本当に生きてるだけで丸儲けなのだ。

 歴史にもしもが無いように、人の人生にもない。
 自分が愛したから、キャサリンは死んだ。
 お前が裏切ったから、俺の親指が無くなり、多くの人の命が危険にさらされた。
 私が愛した人は皆死んだ。
 そうとも云えるし、そうとも云えない。

 人は自分の傷口を広げる。
 イギリス人の患者は語る。
 偽名の復讐者は許す。
 不幸な呪縛から逃れた看護婦は歩き始める。
 動から静への、生から死へのコントラストが心を引き裂く。
 親しき物を目の前で突然、奪い去られる悲劇が繰り返される。

 心臓は燃え上がる為の器官。
 燃えつきる前の烈火のような二人の愛は彼の死で永遠に燃えつきた。

 キャサリンが美しかった。
 ハナはいじらしかった。
 カラバッジョが心憎かった
 キップが頼もしかった、愛すべき存在だ。
 アルマシー伯爵は悲しかった。
 イギリス人の患者、皮肉な呼び名。
 戦争に翻弄され、愛する女をむざむざ殺す羽目になってしまった男の悲しい人生。

 生きていくかぎり、この先何度も痛い目にあって、
 人の死に遭遇して、辛いんだろうな私はそれが恐い。
 でも生きていくしかないから、がんばって自分の人生を生きようと思う。

      みのりあるわーるど 「イングリッシュ・ペイシェント」より

1996年にアカデミー賞を総なめにしたような名画なのですが、日本ではあまり話題にはならなかった映画です。翌年の「タイタニック」が日本でなぜか大ヒットしたのに比べると対照的です。「イングリッシュ・ペイシェント」が大人向けの映画なのに比べ、「タイタニック」は若年者向けの映画だからでしょう。

「イングリッシュ・ペイシェント」は時代的な背景や、文化的な背景を良く知っていないと良さがわからない。さらに映画のワンカットごとが後のストーリーの伏線になっていることに気がつかないと面白さがわからない。なぜ結婚して1年の若い人妻が主人公と恋におちるのか。なぜイギリスは熱心に僻地探検に熱心なのか。なぜ主人公はイギリス軍を裏切りドイツ軍に地図を渡したのか。

主人公が全身大火傷で死ぬのは、不倫の恋は大火傷の元ですよ、という警告の意味が映画に込められている。レイフ・ファインズが演ずる主人公のアルマシー伯爵の端正な顔立ちと、大火傷を負った顔とが対照的であり、主人公を誘惑した新婚間もない人妻と、献身的に主人公を看病した若い看護婦の運命は対照的だ。

主人公を誘惑する人妻キャサリンは大変な才媛と美貌の持ち主で、夫の方は新妻にベタ惚れなのだが、いわゆるイギリスの上流社会同士の「愛のない結婚」をさせられたらしい事が映画で描かれている。なんとなくチャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚を連想される。

上流社会ともなると結婚と恋愛とは一つにならないことがよくある。その場合、不倫は文化として黙認されることがフランスなどでは常識だ。チャールズ皇太子もダイアナ妃も大衆新聞が騒ぎ立てなければ、お互いの不倫行為は黙認されていただろう。ヨーロッパの貴族社会の文化は不倫を肯定しないと成り立たないのだ。

日本の場合も歴史的に支配階級は正妻と愛人と分けて持つことが文化としてあった。そうしなければ家制度が持たないからだ。だから最近の大衆社会における性的に不道徳な「不倫」とは現象は同じでも異なる行為なのだ。

アメリカでもクリントン大統領が女子大生と不倫行為を告白しましたが、大統領を失職することもなくヒラリー夫人の許しを得て、大統領職を全うすることが出来た。もし「不倫」を罪悪として裁くとなると、国家としてあまりにも失うものが多くなるからだ。だから上流社会の文化と大衆社会の文化は区別されている。自民党の山崎幹事長の愛人騒動はどう裁かれるのかは微妙なところだ。




アメリカの安全保障の対象はテロではなくドルである
最近の日経225の上げはヨーロッパからの買い

2003年6月6日 金曜日

約一ヶ月に及んだ今回の海外出張の目的はSIC(サンラ・インベストメントクラブ)の投資先、24/7Real Media, Inc.(米ナスダック上場企業)の株価対策と、ヨーロッパの金融界、特にヘッジファンドのコントローラー達の協力を得てニッケイ225を上げることだった。出発時(4月24日)から24/7の株価は227%の値上がりを示し、ニッケイ225も約1000円上がって8400円になった。私の手柄とは言わないが、ヘッジファンドの仲間たちが5月中旬から日本株買いに入ったことは事実である。

6月中にもう一度訪欧をし、NYで私自身国際投資グループのポートフォリオを確認するつもり。既に実験的な日本買いは始まっているが本格的には7月からである。現在の東証のシェアーは圧倒的に「外人」である。かつて相場をリードした個人投資家は1割以下。銀行、生保等機関投資家も2割を割っている上に持ち合い解消続行中だから、日本株の上げ要因は外人買い以外にない。実は私の訪欧の狙いはこうした現実を背景にしたもの。日本政府の株価対策は、本質的には国内の右の資金を左に移動させているだけだから市場に与える影響はゼロ。あるのは売り圧力だけだから株価が上がるわけが無い。

上場企業の本年3月決算は過去最高で、経常は71%アップ!なんと過去最高!この好業績が全く株価に反映されない理由がわかっていない。この日本の株式市場の異常性をものの例えで言うと、日本の株式市場は世界一豊富な地下水の上にある空井戸のようなもの。水汲み教室の先生(竹中教授)を連れてきても、ポンプの錆(不良債権)を取り除いたり、取っ手や弁を新品に代えても(構造改革)、又水汲み屋さんへの貸付額を倍増しても(金融緩和)、地下水は一滴も上がって来ない。それどころか、井戸端に溜まっていたわずかな水まで地下に滲みこんでしまって(預金増大)、正に空井戸(不況)になってしまった(更なる株価下落)。

(中略) アメリカの「テロに対する戦い」は単なるキャッチフレーズ。アメリカの脅威の対象はテロでもテロ支援国でもない。真の相手はEUとEU支援国(ロシア、時には中国、アラブ諸国)の対ドル挑戦である。ドルが「機軸通貨」であることがどれほどアメリカの存在を保証しているか。ドルが基軸通貨であるということは、全世界の国々の製造、販売、通商、等々経済の結果である世界各国の富がドルで価値付けられることを意味する。ドル表示の我々の財産はアメリカが勝手に輪転機でドル札をプリントする度に減価する。資本主義社会を支配する唯一の道は自国の通貨を世界の基軸通貨にすることであることがわかる。

(中略) 中東に原油依存度が高い中国は、イラクがアメリカに占領されるとアメリカに中国経済の「首根っこ」を押さえられることになるから、急速にEU ・ロシア体制に傾倒した。ドルの基軸通貨の座が危機に瀕することはアメリカの存亡にかかわることだからアメリカはなりふり構わずイラク戦争を始めたのである。フセイン政権を倒してイラクの油田を手中に収め、イラクの原油決済をドルに戻す。これがアメリカの目的で無くてなんであろう。大量破壊兵器とかイラクの国民の解放など無関係! (後略)

増田俊男の時事直言 平成15年6月2日号

「りそな」の公的資金申請以降、日経225は堅調な動きをしている。すでに直近の安値から1000円も上げている。当面の材料が出たから売り叩けなくなったのと、外人買いが入ってきたことが上げのエネルギーになっている。増田俊男氏のウェブサイトを見るとヨーロッパへ行って情報交換されてきたという。

やはりヨーロッパの投資家の見方は、アメリカの投資家の見方とは大分意見が異なる。日本はいままで日本のやり方で上手くやってきたのに、なぜアメリカの言いなりになるのかと言うヨーロッパの投資家が多いそうだ。フランスもドイツも時価会計制度などは取り入れていない。

日本のマスコミやアメリカの紐のついた学者達が、アメリカの言うことがグローバル・スタンダードだとして、様々な金融制度改革をしたのが今日の日本の金融危機の原因になっている。フランスもドイツも株式を持ち合っている。何故日本だけが慌てて解消しようとするのか。

ヨーロッパの投資家の運用資金は日本のファンドに比べ一桁も二桁も違う。アメリカの巨大企業も倒産が続出し、デリバティプなどの破綻などでどのような影響が出るか分からないところがある。中国もSARSなどの対応を見るとカントリーリスクは思った以上に大きそうだ。

ヨーロッパの投資家は巨額の投資資金を主にアメリカで運用して来た。それだけの巨額資金を運用できる証券市場がアメリカしか無いからだ。しかしこれからはそうも行かない。残る大型証券市場は日本の市場しかない。

小泉・竹中内閣は株式には一喜一憂しない無関心内閣だ。企業が潰れれば構造改革が進んでいると放言する。おかげで株式は小泉内閣が発足して以来半値になった。株式が半値になれば銀行や生保は何をしようと経営危機は免れない。小泉首相は日本経済の景気を良くしようという姿勢が見られないのだ。

私は株式税制にポイントがあると見ていましたが、亀井政調会長が代わってから尻切れトンボになってしまった。こうなると日本の証券市場を建て直すにはヨーロッパの投資家と手を組むしかない。アメリカの投資家は日本株を売り叩くだけだ。だからこそ経済戦略的には米国からEUへとパートナーを切り替えてゆくべきだろう。




りそなを「破綻」させたアメリカの狙い
自民党の抵抗勢力も骨抜き状態

2003年6月5日 木曜日

◆アメリカ大使に呼びつけられた大物たち

日米首脳会談、エビアンサミットと外遊続きの小泉純一郎首相だが、上機嫌が継続している。同行の日本人記者団に対しても、秋の自民党総裁選への自信にみなぎった言葉が口をついて飛び出している。内閣支持率の回復もさることながら、ブッシュ大統領にテキサスの牧場に招かれたことが、その背景にあるようだ。

「余計なことをさせないように封じ込めろ」 5月17日の「りそな国有化」発表を前に、ワシントンのホワイトハウスからベーカー駐日大使に指令が下ったのは5月13日のこと。翌日にはベーカー大使は、中曽根康弘元首相、森喜朗前首相、古賀誠前自民党幹事長を大使公邸に呼び込んだ

「12日にホワイトハウスに日本から連絡が入り、りそな国有化の話が伝わりました。その際、抵抗勢力を封じ込めたほうが、アメリカのためということになりました。ワシントンと日本は13時間の時差があるので日本の13日にホワイトハウスから連絡があり、翌日、日本の政治家の方たちを呼びました」(アメリカ大使館関係者)

ベーカー大使から「りそな国有化への協力と小泉首相の再選支持」を要請された3人は、「唖然として固まったと同時に“アメリカあっての日本”ということを改めて実感したんではないでしょうか」(アメリカ大使館関係者)。

結局、日本政府は、りそなグループに2兆円の公的資金の資本注入を決めた。国民一人当たり2万円、りそなの行員一人当たりに1億円をプレゼントする形になった。公的資金注入が明らかになると、「公的資金はドブに捨てることになりかねない」(亀井静香前政調会長)「竹中金融大臣はやり方が間違っていた」(野中元幹事長)と“ちらほら”と竹中批判が出てきてはいたが、抵抗勢力による小泉批判はなぜかトーンダウンしていた。

アメリカはインフレターゲットとデフレ克服策をも日本に迫っている。インフレ目標の導入に消極的な見解を示していた日本銀行の福井俊彦総裁までもが、徐々に軟化しはじめた。6月1日に行われた日本金融学会の講演会では「インフレ目標のような手法を金融政策に組み込む余地があるか真剣に検討したい」と述べており、物価が上昇に転じた場合、インフレ目標や、日銀が望ましい物価上昇率を示すインフレ参照値などを導入することに前向きな姿勢も示している。

「アメリカが日本に景気回復を迫るのはブッシュ再選のためだけといっていいでしょう。日本発で金融恐慌が起きたら困りますし、日本をデフレから脱却させておかなかったらアメリカの経済も悪くなるからです。イラク戦争が終結を見たので、来年の大統領選に向けた人気浮揚のためには経済を良くしないといけないと必死なんです。ブッシュはそのためならなんでもする考えなんです。一方、小泉はブッシュの言うことを喜んで聞くという構造です。もちろん小泉も延命策です。ブッシュの後ろ盾なしでは、秋の総裁選で勝てません」(外国通信記者) (後略)

ニューズ・ウェブ・ジャパン 2003年6月4日号

日頃私が「株式日記」で指摘してきた通りの状況が展開されている。日本はアメリカの植民地でありGHQがアメリカ大使館に代わっただけなのだ。その為に米軍基地が日本の各地に置かれている。特に日本の首都東京の周囲には米軍基地だらけだ。

小泉自民党政権はアメリカの傀儡政権であり、日本国民はテレビなどの洗脳機器によって思考能力を奪われてしまった。テレビでニュース解説している学者や評論家やエコノミストはほとんどがアメリカに骨抜きにされた人物ばかりだ。私は特に木村剛氏を攻撃している。

テレビ朝日やテレビ東京は特に木村剛氏をお気に入りのようだ。竹中金融大臣は日本のマスコミが作り上げたと言うべきだろう。日本のマスコミは何故そこまでアメリカの言いなりなるのかと言うと大口スポンサーがトヨタやソニーなどの対米輸出企業だからだ。

戦後の日本の経済成長はアメリカからの投資と対米輸出によってなされたものである。アメリカも共産主義の拡大を防ぐためにも日本が高度成長する必要があった。日本に共産主義政権が樹立された場合アメリカは太平洋の覇権を失い、アメリカの西海岸は軍事的脅威にさらされる。

自民党の大物達は、なにかあるたびにアメリカ大使館に呼びつけられ指示が下される。この構造は自民党政権が続く限り変わらないだろう。一時期、細川政権が出来て非自民政権が出来たが、スキャンダルを流されすぐに潰れた。日本の政治家や高級官僚の行動はCIAによってすべてチェックされている。

このようにして作られた日本の経済的繁栄は90年代初めからアメリカ経済を支えるために使われるようになった。アメリカ帝国の巨大な双子の赤字は外国からのファイナンスによって支えられている。米国国債の三分の一を日本が買っている。ドルも円高を防ぐと言うことで買い支えている。それを止めればどうなるか。ドルは暴落しトヨタやソニーの輸出企業は大打撃を受ける。

小泉政権はトヨタやソニーと言った輸出企業が作った政権である。だからマスコミも小泉政権をヨイショしている。逆に国内産業はデフレの影響をもろに受け、倒産が相次ぎ外資の餌食になっている。ベーカー駐日大使の「りそな」破綻指令も、ハゲタカファンドに餌を与えるためである。

小泉・竹中政権が構造改革の名の下にデフレ政策を続け、銀行を潰し、中小企業を潰す。それをブッシュ政権が支援をする。マスコミも小泉氏以外に適当な人がいないと国民を洗脳している。その結果利益を独り占めしていくのは国際金融資本だけだ。つまりトヨタやソニーも彼らの一員なのだ。

アメリカのブッシュ政権も国際金融資本も日本経済が破綻することは望んではいない。破綻する寸前まで追い込んで、日本の資産を二束三文で買い叩くのが彼らの狙いだ。トヨタやソニー等以外の国内企業は欧米企業に買い取られ、構造改革とリストラの嵐が吹き荒れる。

この結果、日本国民はアメリカ国民や韓国国民のように、低賃金で働く労働者と高収入の一部経営者に分化してゆく。その一部経営者も業績が落ちれば外国金融資本家にすぐ首を切られる。つまり日本国民全部が奴隷のように働かされるのが将来の姿なのだ。




麻生氏の「創氏改名」発言で韓国与野党猛反発
歴史を直視できない韓国、北朝鮮の悲劇

2003年6月4日 水曜日

【ソウル2日共同】自民党の麻生太郎政調会長の「創氏改名」発言について、韓国の与野党は2日、一斉に「妄言」と反発、有力紙も3日付早版で相次ぎ批判の社説を掲げた。
 与党、新千年民主党(民主党)の閔泳三・副スポークスマンは「盧武鉉大統領の訪日前の妄言で一層嘆かわしい」と強調。野党の自民連も「憂慮を超えて嫌悪感すら覚える」と強く批判した。

 メディアではハンギョレ新聞が麻生氏を「歴史わい曲教科書をつくる極右団体の後援者」と指摘し、北朝鮮の核問題などを契機に日本が保守傾向を強めている危険性が示されたと警告した。また東亜日報は「ワールドカップ(W杯)1周年に水をかけた」として日韓の友好関係を傷付けると憂慮を示した。
(共同通信)[6月2日22時32分更新]

5月26日の「株式日記」で韓国の小学校の歴史教科書を紹介しましたが、かなり政治的プロパガンダが含まれていることを指摘しました。韓国が執拗に歴史認識問題に日本へ抗議するのは、彼らが小学校で教えていることがデタラメであることがばれてしまうことを恐れているからだ。韓国の小学校では次のように教えている。

人々が集まり会議を開くこともできず、わが国の文字、言葉、名前も思い通りに使うことができないようにした。日帝に抵抗し独立運動をしたり、少しでも日本人の気に障る行動をした人物は、日本の警察にひっぱられ苦しめられた。それだけでなく、彼らは土地の調査という名目で多くの農民たちの土地を奪い、日本人に渡し、米の増産を強要し、生産された大部分の米を日本に持っていった。

韓国の小学校の歴史教科書の「国権の守護」より

以上のような韓国の歴史教科書は事実なのだろうか。当時の状況を知る老人達の話と大分違うのは何故だろう。教科書では「名前も思い通りに使うことが出来ないようにした」と書かれている。朝鮮人が日本名にわざわざ変えること事態がよくわからない。その点について今岡氏は次のように説明している。

「創氏改名」ですが、これはもともと朝鮮総督府の意志で始めたわけではなく、朝鮮人が熱烈に望んで始まったんです。

どういうことかと言いますと、当時日本は列強の一つだったので、海外に出たら白人並の待遇を受けていた。けれども、朝鮮人は相手にされなかった。満州で朝鮮人が馬鹿にされていたというのはよく知られている話です。

そういう時代背景があって、「名前だけでも日本人の名前を使わせてくれ」という陳情が当時朝鮮総督だった南次郎大将のもとに殺到したわけです。それがあまりにも頻繁に続くので、昭和十五年、皇紀二千六百年の記念事業で創氏改名が許されたんです。

昭和十四年十月二十二日付の総督府官報を見ると、半年に限って希望するものは創氏改名を許可する。半年経っても届け出ないものは従来通り。つまり、希望者だけの申告制であることがはっきりと明記されています。

創氏改名も神社参拝も強制ではなかった 今岡

このように当時の事情は、韓国の歴史教科書とはかなり異なる。当時の朝鮮人は氏名を持たない人が多かったので、新たに作らせる法律が出来て日本風の名前を付けた人がいます。だから朝鮮風の氏名のままの人も2割ぐらいいた。だから「思い通りに使うことが出来ないようにした」と言うのは間違いだ。

しかしながらこの事は現在の在日韓国人、北朝鮮人に問題を投げかけている。現在でも在日の二世三世の子弟たちは日本名を名乗っている。戸籍上も日本名なら問題はないが、戸籍は韓国・北朝鮮名で日常は日本名を使っている人が多い。韓国籍、北朝鮮籍であることを隠したいと言う理由だろう。

この事は日本の学校でも問題になっているようだ。韓国・北朝鮮名だと日本人生徒に虐められるというのならそれは問題だ。だから学校側も日本人名を使わせている。つまり「日本政府が強制的に創氏改名させた」という理由で日本人名を通用させているのだろう。

同じように「強制連行」も実態は戦時中の「軍事徴用」であり、それ以外にも密入国してきた朝鮮人が「日本政府が強制連行した」と言う理由で、日本在住を認めさせている面もある。密入国で日本に来たとされると韓国や北朝鮮に返されるという懸念があるためだ。
この問題をウェブサイトでは次のように指摘する。

在日の多くが通名を名乗っている理由を知るには、その現在の生活の実態を知らなければならない。同様に、創氏改名が強制だったかどうかを考えるには、当時の植民地統治機構とその下での朝鮮人の生活実態を知らなければならない。そのことを抜きに強制だった自由意志だったと争っても平行線をたどるばかりだし、両者の考え方の根は実は一緒だとさえいえるのである。植民地支配を告発する側は、「創氏改名」を含め、「強制連行」「従軍慰安婦」などのトピックでショックを与えるという方法に頼り、植民地支配の現実を緻密に知る努力が十分でなかった。ショック療法はいま限界にきており、そのすきを植民地支配を正当化する側につかれているように思う。

創氏改名の意味するもの



<小泉首相>円高に疑問を投げかける
木村剛氏の「キャピタルフライト」の間違い

2003年6月3日 火曜日

【エビアン福本容子】「ボツワナより(国債の)格付けが低い日本の通貨が、なぜこんなに強いのかわからない」。小泉純一郎首相は2日、サミットの討議の中で、ドルに対して進んでいる最近の円高の動きに疑問を投げかけた。「経済が悪いから円は売られて当然」と言わんばかりの発言だが、デフレ克服や経済改革を強調し、「株価はこれから上がる」と日本経済の底堅さを強調してきた首相の従来発言と食い違いをみせた。

 小泉首相は先月末、対日投資を呼びかける演説で「日本経済は悪いと言われながらも、通貨価値は上がっている。日本は悲観主義になる必要ない」と円高の動きを前向きに評価したばかり。都合に合わせて円高を「善玉」にしたり「悪玉」にする姿勢に、「二枚舌は首相の真骨頂」との声も漏れている。
(毎日新聞)[6月3日0時33分更新]

(前略) 「経済の破局が原因となって、キャピタルフライトが発生する」(破局キャピタルフライト)ということは、ありうる。しかし、そのときはもう、破局しているのだから、心配しても無意味だ。一方、「大規模なキャピタルフライトが原因となって、日本経済が破滅する」(キャピタルフライト破局)なんてことは、ありえない。そんな心配は、原因と結果が反対になっている。

 著者はたぶん、「中南米やアジア諸国では、経済弱体化のあと、資本逃避が発生して、経済破局になった」というのが念頭にあったのだろう。しかし、日本経済は中南米のように供給能力がないわけではない(むしろ余っている)し、かつてのアジア諸国のようにバブルがふくらんでいるわけでもない(むしろバブルはつぶれている)のだ。事情が全然異なる。

 なのに、このような恐怖をあおるのは、一種のデマゴークである。やたらと民心を惑わせるわけだ。(この本を読んだらしい政府関係者が、「キャピタルフライトが起きないかと、夜もおちおち眠れない」と心配していたそうだ。かわいそうに。)

 ただし、こういうふうに恐怖をあおると、うまいこともある。本が売れるのだ。(ベストセラーの上位にランキングされていた。) 「ノストラダムス」もそうだが、民心を惑わせて金儲けをしようとする輩が多いわけだ。日本経済を腐らせて、自分の経済だけを豊かにさせようというわけだ。なるほど、うまい手だ。……だまされないようにしよう。

( ※ だまされて「財政赤字を縮減せよ」と唱える人も多いが。誰とは言わないけどね。)

(中略)結局、日本経済自体がしっかりしていれば、円安が防止されるから、キャピタルフライトも生じないわけだ。(仮に資金を国外逃避させれば、その人は、景気回復後に、大損することになる。)
 「円安に歯止めがかかる」ことには、もうひとつの理由もある。日本政府は膨大な米国政府証券を持っている。いざとなったら、これを売り払うことができる。米国から日本へ、「逆キャピタルフライト」を発生させることができるのだ。だから、本当なら、心配すべきは、日本ではなくて、米国なのだ。

ニュースと感想 2001年12月22日 南堂久史

木村剛氏の日頃から言っていることを見ると、木村氏は日本人の顔をしたアメリカ人だ。もう一人小泉内閣の閣僚に一人おりますが、彼らは若くしてアメリカに留学し、アメリカの崇拝者となって帰ってくる。日本がアメリカの一部になってくれることを願って彼らは行動しているのだろう。

竹中大臣はすでに次の就職先を見つけるために、いくつかアメリカの大学にあたっているらしい。アメリカ側にとっては日本の政権内部の秘密を知る上でこれほどの適任者はいないから、どこの大学からも好条件で再就職できるだろう。つまり彼らはアメリカと手を切りたくとも、おいしいポストを用意してくれるのだから断ち切ることが出来ない。

小泉首相は何のために竹中氏に経済相と金融相の二つのポストを与え、木村剛氏を委員会スタッフに加えたのか。彼らが優秀であるからか。そうではない。昨日福井日銀の事を書いたように、彼らは優秀であるよりアメリカに忠誠心があるから引き立てられるのだ。

もし日本の国益を考えて行動してアメリカを裏切った場合、彼らは直ぐに失脚するか、スキャンダルのネタをばらされて、アメリカの意を汲んだマスコミが騒ぎ立てる。田中角栄元総理を初めスキャンダルで失脚した政治家や官僚は見せしめなのだ。しかし国民世論がこのような陰謀に気がついて反米感情が盛り上がれば、アメリカもマスコミも手が出せなくなる。

木村剛氏のようにデタラメなことを主張し続けても、テレビや出版活動が出来るのは、彼らが日本の世論工作員だからだ。アメリカはドルの暴落を阻止しなければならない。その為に日本をデフレ状態にして、日本の円をアメリカに流すための陰謀なのだ。トヨタやソニーの会長もアメリカ様様だから彼らを応援している。トヨタの奥田会長の不可解な発言もこのためだ。

このように日本の経済学者や財界人が間違ったことを主張し続けられるのは、それを指摘する学者や財界人がいなかったからだ。いてもマスコミからは全く無視されている。リチャード・ヴェルナー氏が日銀の政策を批判できたのはドイツ人だからだ。経済コラムマガジンでは日本の学者や財界人を次のように批判している。

経済がこれだけ混迷し、大銀行が実質国有化される事態になっても、「規制緩和」や「構造改革」で日本経済は蘇ると言った『幻想』を頑に信じている多くの人々がいる。このような人は、小泉首相だけではないようだ。彼等は、今日の経済の不調が続く原因を、「規制緩和」や「構造改革」に抵抗する勢力が強く、「改革」がうまく進まないからだと言っている。

しかしこれらの人々は何ら論理的に物事を考えているわけではない。このような主張を行っている経済学者や財界人も同類である。面白いことに、いまだにこのような事を言っている経済学者やエコノミストに限って、昔から間違ったことばかりを言い続けていた。しかしそれらが後で間違いと証明されても、彼等は一度も釈明したことがない。今回も同じである。

(中略) 19日から三日間、日刊現代に日本経済復活の会の小野さんのシミュレーションが紹介された。50兆円の財政政策を5年以上実行することによって、財政はむしろ好転することを示している。もちろん株価は上昇し、失業率も低下する。一方、物価の上昇もほとんど起らない。さらに経済活動が活発化し、税収が飛躍的に増える。為替や国債が暴落する危惧する声があるが、これは政府・日銀がコントロールできるとしている(この点は最終取材の時に論理的に説明した)。むしろ小泉政権のような緊縮財政を続ける方が、確実に財政状態が悪くなることを証明している。

この日刊現代の特集記事では、我々のもう一つの主張である「政府貨幣の発行」や「国債の日銀による購入」といった実質的に国の借金にならない財源調達に触れていない。もちろんこれを行えば、たちどころに財政は健全化する。これを行わないまでも財政が健全化するところが、一つのポイントである。

経済コラムマガジン 規制緩和と日本経済

「経済コラムマガジン」の主張は当日記でも毎週のように紹介している。しかしながら「政府貨幣の発行」と言う革命的政策は、学者やマスコミ・ジャーナリストの理解を超えた事らしい。私のような素人ならともかく学者としての信用を失うのが怖いのだろう。少しはスティグリッツ教授の勇気を日本の学者は見習ったらどうか。




R・ヴェルナー石井正幸著「福井日銀・危険な素顔」
日銀の後継のプリンスの条件は能力ではなく忠誠心

2003年6月2日 月曜日

  ●プリンスの条件は能力ではなく、忠誠心

【ヴェルナー】 総裁の選び方はどう考えてもおかしい。若いうちに、たとえぼ三二-三三歳で六五歳から七〇歳の時期の総裁を決めるのは、どう考えても能力主義ではない。同期や同世代の人たちに「おれが総裁だから、君たちはどんなにがんばっても総裁にたれない」という逆インセンティブを与えてしまう。こんなやり方は、どう考えてもやはりおかしい。

【石井】 若いころからプリソスを決めるのは、日本の将軍の選び方と同じだ。

【ヴェルナー】 そう。それは貴族杜会にも当てはまる。早い時期に後継者を選ぶことにはちゃんとした合理的な理由がある。後継者選びの条件として、能力よりも重視しなければならないことがある。それは忠誠心だ。忠誠心は早く選ほないと植えつけることができない。つまり、現在のブリソスは自分に対して忠誠心のある人を次のプリソスに指名したい。なぜなら、プリソスは長期的に影響力を保ちたいから、白分の意見や政策を支持する人を跡継ぎにしないと困る。政策を変えずに、ずっと現在の政策を続けてくれれぼ、影響力を 高めることができる。

これは昔の王様・将軍、独裁者の後継者選びと同じやり方だ。白分たちの王朝体制を長く続げるとい視点で後継者を選んでいる。そうすると、望ましい人物像は自分の考え方や政策を守ってくれる人だ。合理的なやり方だが、能力主義の選び方でない。能力主義なら、いうまでもなく一番能力のある人、知識があつて積極的に仕事ができる人、実績がある人選ぶ。ただし、能力はあつても政策や考え方が同じになるとはかぎらない。たとえ考え方が異なっても、一番いい人を選ぶのが能力主義のメリツトだ。民主主義の場合、後継者選びは能力主義に基づいて行わなければならない。そうしなけれぼ、民主主義ではなくて貴族主義、王朝体制になってしまう。

日銀の後継者選びはまさに王朝体制そのものだ。円の支配者が、プリソスたちが次のブリソスを早く選んで「あなたは三〇年後に総裁になる、私のおかげで」と告げる。そうすると、次のプリンスに指名された人は、そこまで支持してくれるのだから「先輩のいうとおりにがんばります」と感謝する。それで、歴代のプリソスたる先輩の考え方、政策を支持するようになる。戦後の日銀の金融政策が一貫しているのは、プリンスの条件が忠誠心だったからだ。早 め早めに次のプリソスを選ぶことで、二〇年、三〇年といった長期計画をつくって導入、実施できる。

【石井】 まったく同感だ。日銀の総裁というのはまさに王様、将軍だ。将軍の跡継ぎを選ぶようなやり方で、日銀の総裁をずっと選んできたことは間違いない。日銀のブリソスはある時期がきたら先輩のプリンスたちからお墨付きをもらう。お墨付きというのは、将来総裁になれますよという証明書みたいなもので、そのお墨付きを出した時点で、たとえていえば総裁のやり方という巻物、本当の秘密も全部書いてある巻物が手渡される。この巻物を渡すということが、あなたを王様にするということになる。ヴェルナーさんのいうとおり、巻物、免許皆伝は早い時期に渡す。この巻物を持っていない人には、本当の金融政策はわからない。実は、前総裁の速水さんはこの巻物を持っていなかった。(P24−P27)

  ●速水おろし、速水いじめのすさまじさ

【石井】 実は、大変はずかしい話だが、それまで総裁の途中交代がなかったので、日銀はその時この総裁の任期がいつまでなのかわからなかった。速水さん本人もわからなかった し、周囲の人問もわからなかった。本人は三年程度か、あるいは松下さんの残りの任期、すなわち松下さんの任期は九九年一二月までだったので、それまでのショートリリーフかなといった感じだった。しかし、そのうちに速水さんは「いやいや私はね」と総裁の座に居座ってしまって、五年の任期いっぱい総裁をやってしまった。

【ヴェルナー】 すごくおもしろいことだ。速水さんは本当に短期問だけの総裁になる計画だった。つまり、福井さんが予期せぬ事態に遭遇して辞めて、松下さんの残りの期問が九九年一二月までだったので、三重野・福井の計画では速水さんの任期はそこまでだった。速水さんは当時、日銀を去ってから一〇年以上もたっていたので、日銀とは関係のない人にみえたが、三重野さんと速水さんは日銀の同期でしかも三重野さんのほうが立場が格段に上だったので、三重野さんが速水さんに「君ちょっと総裁になりなさい」と頼んで、速水総裁が実現した。

【石井】 おそらく三重野さんはその時速水さんの任期は九九年一二月までと考えていたはずだ。それで世の中が変わったら、福井さんを早く総裁にしようと。

【ヴェルナー】 それが計画だっただろうが、しかし速水さんには忠誠心がない。速水さんはプリソスとは全然違う。若いうちから選ばれていない。逆に、「あなたが総裁になるの はだめだ」とはっきりといわれた。そんな速水さんには、福井さんのことを忠実に守るインセソティブはやはり少ない。三重野さんと福井さんがショ-トリリーフ役に速水さん選んだのは、速水さんは三重野さんと同年齢で、従来の日銀総裁よりも年輩だったので、短期問の総裁には適任者だった。

そこで、日銀の歴史は長いから、総裁の任期は本来五年だが、この総裁の任期は九九年一二月までだということを理解してもらったうえで、速水さんに頼むという話し合いが あったと思う。しかし、速水さんには忠誠心がなかった。法律をみて、総裁の任期は五年と書いてあるのに、なぜ辞めなけれぱたらないのかと開き直って、辞めなかった。それで、福井さんは相当怒ったみたいだ。

【石井】 予定が狂ったから。三重野さんも頼んだ以上、速水さんに直接辞めろとはいえなかったのだろう。

【ヴェルナー】 速水さんが三重野さんたちが計画した任期の九九年一二月で辞めなかったからなのだろうか、二〇〇〇年には速水さんの評判が悪くなるようなことが起こった。理由は不透明なのだが、突然速水さんがゼロ金利政策を解除して金利を引き上げた。おそら く、速水さんは三重野さん、福井さんといろいろ相談して、金利を引き上げたと思うが、その結果速水さんの評判が悪くなってしまった。

金利を引き上げたから景気が悪化し、デフレスパイラルに陥ってしまったとマスコミや各方面から速水総裁は批判された。景気が悪化したのは速水さんの金利政策のせいだとみな思った。しかし、景気が悪化したのは金利を引き上げたからではない。日銀が信用創造の量、すなわち経済に入れるお金の量を九九年中、大幅に縮小させたからだ。当時、銀行は貸し出しの回収に力を入れ経済からお金を吸い上げていたが、日銀も経済からお金を吸い上げていた。経済全体に流通するお金の量を縮小させた。その縮小幅は戦後最大だった。しかし、速水さんは信用創造の量が縮小していることを、日銀が信用創造量を大幅に縮小させていることを知らなかった。

速水さんは金利を引き上げたが、大蔵省・財務省出身の総裁と同じように、本当の金融政策の意思決定にはかかわっていなかった。速水さんは信用創造のことはわからないようだ。営業局も経験していないし、信用創造の量、中央銀行の取引の量だってわからない。速水さんはただ総裁の地位にいただけで、本当の総裁は信用創造の量を決めるブリンスだった。速水さんはプリンスではないので政策決定の権限がなく、信用創造の量を決めるこ とができなかった。実際には、副総裁の山口さんが福井さんの命令によって信用創造の量を決めていた。だから、速水総裁の時にも、本当の総裁は福井さんだった。(P32-P36)

◆著者紹介 (「BOOK」著者紹介情報より)
石井正幸(イシイマサユキ)
1948年生まれ、広島県福山市出身。京都大学法学部卒業。1972年、日本銀行入行。営業局にて窓口指導等、金融政策遂行。外国局にて、国際金融・通貨政策に関与。静岡支店、松山支店にて地方金融機関の指導業務に関与。金融研究所にて米国金融革命、銀行持株会社、中国経済開放型金融制度創設計画研究。この間、日本輸出入銀行出向(2年)外務省中近東アフリカ局(経団連アフリカ協会)出向(1年)。現在、P・J・S・P‐石井プランニング代表取締役社長として金融コンサルティング業務を推進中

「福井日銀・危険な素顔」という著書は6月の12日に発売されます。たまたま書店で見かけたので、面白そうだったので購入しました。センセーションを巻き起こした「円の支配者」のリチャード・ヴェルナー氏と、日銀で営業局を勤めた石井正幸氏の対談を本にまとめたものだ。

日銀と言う王朝は外部からの勢力の侵入を防ぐために、早くから後継者を指名する。後継者は日銀の秘伝が書かれた巻物の授受が行われる。日銀の後継者の条件は本人の能力より忠誠心が求められる。現代のサラリーマン社会も能力よりも忠誠心が高いサラリーマンの方が出世する。

能力は高いが、独立心の強い人物は組織では警戒され、潰されてゆく。日本社会全体がそのような傾向がある。政治家も官僚も企業経営者たちも、世襲化されてゆくか、エリート階級が出来て固定化されてゆく。実はアメリカ大統領も早くからプリンスが指名され、ブッシュ大統領も早くから決められていたようだ。

日本を支配しているのは小泉首相ではなく、福井日銀総裁である。それは小泉内閣を生んだのは日本の長期不況であり、その長期不況にさせているのは日銀だからだ。日銀はアメリカ権力中枢の指令にもとづいて動く。日本の総理大臣の指示には従わなくても良い。

リチャード・ヴェルナー氏と石井正幸氏の対談の内容はかなり過激なものであり、紹介した内容は出だしに過ぎない。例によって日本のエコノミストからは「とんでも本」「インチキ暴露本」とレッテルを貼ることだろう。しかしこのエコノミスト達は日銀のプリンスに顎でこき使われた存在でしかない。

出来ることなら「株式日記」で全てばらしたいところですが、著作権の都合でさわりだけしか紹介できません。私もまだ読みかけですが、日銀を構造改革しないと日本の経済はアメリカに確実に売り渡される。小泉首相がいくら「政府・日銀が一体となってデフレと戦う」といったところで、福井日銀総裁は就任してから、「通貨の信認を守る」と称して円高政策を始めている。

日銀によるドル買い介入は史上空前の規模で行われている。日本がドルを買い支えていなければドルは大暴落していたところだ。日銀は日本の中央銀行であるにもかかわらず、アメリカのために全力でドルを買っている。しかしそのドルは紙切れでしかない。日本の国益からすればドルからユーロへシフトさせてゆかなければ、巨額の為替差損を生み出すだろう。

リチャード・ヴェルナー石井正幸著「福井日銀・危険な素顔」




民主党が公約として「高速道路無料化」を掲げる。
景気対策と地方活性化の切り札として使うべきだ。

2003年6月1日 日曜日

民主党は三十一日、次期衆院選の具体的な選挙公約「マニフェスト」の目玉政策に「高速道路通行料金の無料化」を掲げる方針を固めた。小泉政権は「道路公団の民営化」を打ち出しているが、民営化されても無料開放はされない。これが衆院選での大きな争点に浮上する可能性もある。

 民主党が検討している案では、日本道路公団と本州四国連絡橋公団は廃止し、両公団が管理する高速道路を即時に無料化する。年間約二兆円の通行料収入の代替財源として、自動車保有税(仮称)を創設、乗用車一台当たり年間五千円、営業車十万円を新たに課税する。

 ただ首都高速と阪神高速は、都心への車の流入を制限して渋滞や大気汚染の緩和を図るため、当面は有料制を維持する。

 日本道路公団などの廃止で残される約四十二兆円の累積債務は、現状では比較的高金利の財政投融資資金からの借り入れを五十年かけて償還することになっているが、民主党案では、この債務返済のために、期間三十年、金利2%程度の国債を発行する。

 試算によれば、最終的な国民負担は、利息を含め七十兆円程度となり、財投からの借り入れで返済する場合の半額程度に抑えることができる。このため自動車保有税の創設を考慮しても、トータルでの国民負担は大幅に減るという。
(東京新聞6月1日朝刊の記事より)

民主党は菅代表に代わってから政策で勝負しようという方針が出てきた。以前にも1998年の金融危機の時に、金融再生プランを自民党に横取りされてしまいました。自民党は政権を握るためなら社会党と手を組むぐらいのえげつない政党で、政策を横取りするのはなんでもないことだ。

しかしながら民主党は実現可能な政策を提言していく実績を重ねないと、選挙でも信任を得られないだろう。高速道路の無料化も野党の第一党が言い出せば、地方議員の多い自民党は、これ幸いと政策を横取りしてしまうだろう。自民党から言い出せば地方のエゴだと馬鹿なマスコミが言い出すからだ。

せっかく作った高速道路が熊やリスの遊び場ではそれこそ税金の無駄遣いだ。欧米のように高速道路は原則として無料化するのが原則だ。しかし高速道路の料金が新たな高速道路の建設資金につぎ込まれるのは公約違反だ。つまり公社公団の維持のために無料化が店晒しにされてしまった。民主党の岩国哲人議員は次のように主張している。

今こそ道路建設を急ぐべきである。政策の失敗としての不況の深刻化と雇用の喪失に政府は責任を取れ、という視点だけではない。不況だからこそ、労働余剰があるからこそ、今なら道路建設を前倒しに早めることが出来る。考えてもみよう。最初の1メートルのために使われた国民の税金が、10年とか15年の小きざみ工事のためにいつまでも完成せず、日本各地で税金が泣かされている。

 道路計画が何百本とあり、予算がちびちび、工事はのろのろ、分断道路があちこちにあって、いつまでもつながらない。せっかくの税金が目ざした地方の経済活力引き上げ効果を生まないで、自立できない自治体、「道路障害児」を放置したまま。親のすねに依存する地方自治体をいつまでにいくら減らすかという、一番大切な地方自治体の財政構造改革が犠牲になるとすれば、結局は親である国の借金が再び恐ろしい勢いで増えるだけの話だ。

(中略)高速料金がなくなることは北海道や九州が東京の隣に引越してくることを意味する。首都を地方に移転させるのではなく、地方を首都に「首都移転」させるのである。ワンバウンドで公団に、ツーバウンドで民間会社に、そして利用者は、「三菱」道路に金を払い、それが終わったら今度は「トヨタ」、「ホンダ」道路にカネを払うなどというややこしい民営化はわかりにくい。道路はノーバウンド、直球で国民の手に返す、これこそが「手直し」ではなく「世直し」である。

 高速道路収入は道路四公団(日本道路公団、首都高速道路公団、阪神高速道路公団、本州四国連絡橋公団)で年間約2.7兆円あり、同四公団の支出(年間7.5兆円)のうち、4割を占める「有料道路建設費と維持管理費(合せて年間約2.8兆円)」にほぼ匹敵する。

 このことから、「高速道路収入」総額にほぼ相当する既存の「有料道路建設費と維持管理費」については、全国の有料道路以外の一般道路工事予算(年間12.9兆円)の約2割程度を削減し、これを代替財源として使えば高速料金収入がゼロとなっても高速道路の建設・維持は今までと同じように可能となる。昨今の公共事業の中でも、特に不要不急の道路建設が多いと批判されており、2割程度の建設抑制と工事費削減は当然だろう。

 道路公団は廃止し、清算公団とする。その結果として残される四公団支出の6割を占める「金利・償還費等」は年間約4.7兆円で、累積された四公団の長期債務残高は38兆円を超えている。この不良債権をどう処理するかだが、次の方策ではどうだろうか。

 まず、第一の方法として、CO2抑制のための環境税の導入に先がけて、自動車関連八税(約8兆円)を整理・簡素化し、「交通環境税」として一般財源化する。その中で、高速道路建設を含めた道路整備等の公的支出との総合的な収支バランスを考慮しつつ累積債務の返済も一般予算から行なう。

 第二の方法としては、ナンバープレートに対し自家用車一台につき4千円、タクシー・ハイヤーには年3万円、営業用トラック・バスには年10万円を新たに課税し、納税者には「高速パス」プレートを交付する。これによる税収2.2兆円をもとに四公団の長期債務残高38兆円を金利分を考慮しても約20年で完済することができる。年4千円のプリペイド・ライセンス・プレートで全国どこまでも無料、料金所は撤廃、気持ちが一度に明るくなるにちがいない。以上二案のいずれかを実施する時点で、高速道路を即時・完全無料化(名実ともに「フリーウェイ」化)できる。【試算表はこちら(PDF版)】

 高速道路の建設とその無料開放は、出入口の増設が可能になり、一般道とのアクセスが飛躍的に改善され、生活道路を手にする地方自治体と民間企業が共同して、生活者本位の街づくりを推進することができる。また、企業、工場の地方分散が推進され、国土の有効利用とあいまって雇用の増大など幅広い経済効果が期待できる。

 全国669の料金所に払う年933億円の費用は、料金所にではなく、全国669の老人ホームに毎年支払うことにする。料金所従業員は排気ガスで囲まれた職場を離れて、老人の笑顔に囲まれる職場に移る。より多くのヒトや車が動いて不景気になるはずがない。動けば確実に経済活動が活発になり、税収が増える。それが生活革命であり、財政再建にもなる。

 日本中の有料道路を明日から無料にする、その費用は年間わずか2兆円。どこまで走ってもタダ。そうなれば、自動車を買おうかと思う、田舎に遊びに行く、JRや飛行機も対抗上、値下げや家族旅行優遇などでサービスが向上する。地方の旅館もはやる、レジャーが活発になる、宅配便や流通が新しい商売を考える、生鮮食品がぐっと安くなる・・。内需拡大で日本経済は一挙に活性化する。しかも一人ひとりの幸せ度が増し、将来不安がなくなり、ますます消費が拡大する・・・。これを構造改革と言わず、生活革命と呼ばず、なんと言うのか。日本の国にとって道とは何か、国も地方も道の哲学が問われている。

高速道路無料で景気刺激を 2003年5月6日 岩国哲人

日本の高速道路は首都高と東名神道路はパンク状態であり、その他の高速道路はガラガラの状態となっている。当然マスコミからは税金の無駄遣いとの指摘が出てくる。当然の指摘である。しかしすでに作ってしまった高速道路は有効に生かすべきだ。本四架橋もそうだしアクアラインも雨ざらしにしておくよりかは無料開放してしまった方がマクロ的には有効だ。

日本の高速道路計画は戦前にドイツのアウトバーンをモデルに計画された。だから軍需産業が集中している阪神地方から高速道路は作られた。ドイツのように無料のアウトバーンが発達していれば、ドイツのような地方分権も進んでいたことだろう。

日本の観光客が海外へ行ってしまうのも、交通費が高いからで、国内はやめてグワムやハワイになってしまう。新幹線や国内航空も高速道路が安くなれば安くせざるを得なくなる。海外へ移転してしまう地方の工場なども高速が無料になれば採算が合うようになるだろう。

私は石原行革大臣に当初は期待したが、全くの期待はずれになっている。お父さんの慎太郎なら公社公団を廃止して、高速道路を無料化するぐらいの大胆な発想をしていただろう。これらは官僚主導の役人に政治を丸投げしているからこのような事になるのだ。

ハイウエーからフリーウエーへ 中野 有



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