株式日記と経済展望

ページを繰り越しましたのでホームページからどうぞ。


独ソ不可侵条約を結んだ意図を見抜けなかった間抜けな平沼内閣。
日本は自立しなければ、ポーランドのように米中でに分割される。


2010年5月15日 土曜日

日米同盟を漂流させる愚かな日本 5月13日  織田 邦男

米国が中国と手を結んだ時、日本は存亡の危機に立たされる

 中国との関係を傷つけたくないという米民主党政権の思惑というだけならいい。

 だが、アングロサクソン特有の手法、つまり「勝てない相手なら手を結べ」(Can’t beat them, join them.)という戦略に転換しつつあるのであれば、日本にとって看過できない事態である。

 2正面戦略の放棄により、将来米国が中国と「手を結ぶ」可能性もなくはない


 中国と事を構えないことを最優先する戦略を米国が採るなら、中国は太平洋に堂々と進出してくるだろう。その時、日米同盟は有名無実と化し、日本の死生存亡に直接の影響が出るのは明らかである。

 現時点ではそうなることを米国も望んでいないだろう。だからこそ、日本の防衛力強化とともに在日米軍再配置により抑止力を高め、日本が米国と手を携えて中国をヘッジできる方向性が我が国の安全保障政策に求められているのだ。

米国が困っている今こそ日米同盟を修復するチャンス

 今回のQDRでは「アクセス拒否」など中国の動向に対応するうえで日本や韓国など同盟国への強い期待感が読み取れる。米国単独では対応できない現実を見据えたうえで日本の協力、協調、支援が求められているのである。

 日本にとっては、まさに傷ついた日米同盟を修復するカギがここにある。まさに絶好のチャンスなのだ。

 2010年QDRでは米軍移転についての記述で、「米軍の長期プレゼンスを確固」たるものにするため「アジア太平洋地域の安全保障活動のハブとなるグアムへの米軍移転を進めるための『2国間の再編に関するロードマップ』の履行を継続する」と述べている。

中国の台頭に最早単独ではヘッジできない米国が日本に対し強い協力、支援を求めているメッセージなのである。早急に普天間問題の解決を図り、このメッセージに応えることが日本の安全保障に資するのである。

終わりに

 足かけ9年にわたる戦争によって米国は傷つき弱りつつある。以前のような余裕はもはやなくなった。1997年QDRで「もはや米国に立ち向かえる相手は地上からいなくなった」と米国単独主義を高らかに謳った米国とは別の国のようである。

 しかしながらプライドを捨て、自らの力の限界を認識し、しかる後に政策を考えるという現実的、伝統的手法に立ち返ったことは米国の賢明さを示す。

 他人事ではない。日本も自らの「弱さの自覚」を忘れてはならない。安全保障は自らの弱さを自覚するところから始まる。

 我が国周辺の国際情勢を冷静に分析し、客観的に我が国の防衛力を見れば、日本は日米同盟なくして安全保障政策は成り立たないのは誰にでも分かる。我が国にとって必要なのは日米同盟の緊密化、そして実効性ある日米同盟なのである。

 再び「同盟漂流」の愚を繰り返している時間的余裕はないのだ。

 鳩山政権周辺には全共闘世代が多いせいか、ある種の屈折した反米感情が見え隠れする。敗戦時の反米ナショナリズムがいまだ未消化のまま残存しているのかもしれない。

反米感情は百害あって一利なし

 「独立国に外国軍隊が長期間駐留するのは異常だ」と言う。俗耳に入りやすい言葉だが、反米感情の単なる理由づけに過ぎない。政策に感情は無用である。感情や観念を捨て、賢明か愚昧かという冷静な選択が大切なのだ。

 外国軍隊駐留の是非は、日本の国益に照らし判断すべきことだ。強い米国が許せない、米国に従属しすぎた、離れたい。こういった反米感情は百害あって一利なしだ。

 「永遠の敵も、永遠の同盟もない。あるのは国益であり、これを追求するのが我々の使命である」と19世紀半ばの英国の首相パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプルが言ったように、重要なのは国益なのだ。

 今、日本に求められているのは「親米」でも「反米」でも「嫌米」でもない。日本の国益追求のためにどのように米国を活用するかという「活米」の知恵、「弱者の知恵」が求められているのである。

 2010年QDRの結言には「今米国が直面している課題は急迫している。だが、同時にチャンスでもある」というくだりがある。そのまま日本にも当てはまる言葉だろう。

 日本は天文学的数字の財政赤字を抱えている。今、日本が抑止力強化のために防衛費を2倍、3倍に増やすことは不可能に近い。だとすれば日米同盟の再構築しかない。

 2010年QDRには傷ついた日米同盟再構築のヒントが多く提示されている。2010年QDRをひもとき、政策に反映させ、早急に「同盟漂流」から回復させることが求められているのだ。

筆者プロフィール:織田 邦男

Kunio Orita 元・空将、現・三菱重工業航空宇宙事業本部顧問

1974年、防衛大学校卒業、航空自衛隊入隊、F4戦闘機パイロットなどを経て83年、米国の空軍大学へ留学。90年、第301飛行隊長、92年米スタンフォード大学客員研究員、99年第6航空団司令などを経て、2005年空将、2006年航空支援集団司令官(イラク派遣航空部指揮官)、2009年に航空自衛隊退職して現職。



21世紀の日米関係のあるべき未来 5月10日 「しんぶん赤旗」

米国の法律家のみなさんを前に、こうした機会をあたえていただいたことは光栄です。心から感謝いたします。私は、日米両国間の真の友好を願う立場から、「21世紀の日米関係のあるべき未来」と題してお話をさせていただきます。

「この条約が無期限の未来まで続くと考えることはできない」

 まず、1952年に発効し、1960年に改定された日米安保条約の現状をどうとらえるか。

 50年前の日米安保条約改定のさい、ドワイト・アイゼンハワー大統領は、日米関係は「完全に平等なパートナー」となったとのべましたが、実態はどうでしょうか。

 私は、4月15日に、米上院外交委員会での公聴会で、ジョージ・パッカード米日財団理事長がおこなった発言を、興味深く読みました。パッカード氏は、「この条約が無期限の未来まで続くと考えることはできない」として、つぎの五つの理由をあげています。

 ――第一に、「1952年のオリジナルな条約は、戦勝国と被占領国との間の交渉で結ばれたものであって、二つの主権国家の間で結ばれたものではなかった」。

 ――第二に、「日本は、歴史を通じて一度も外国軍を自国に受け入れざるを得ない経験を持たなかったが、戦争終結から65年たった今日なお、10万人近い米軍、軍属、その家族の無期限の駐留を、カリフォルニア州より小さな国の中の85カ所の基地に受け入れざるを得ない状況におかれてきた。米軍の75%は琉球列島の一部の小さな島、沖縄本島に駐留している」。

 ――第三に、「米軍のこのような大きな駐留の継続は、環境破壊、市街地や歓楽街での犯罪、事故、騒音をもたらしている」。

 ――第四に、「米軍のプレゼンスは米軍地位協定によって規定されているが、この協定は日本の国会の承認を受けたことはなく、心ある日本人の間では、19世紀のアジアにおける西洋帝国主義の特徴だった治外法権の延長だとますますみなされるようになっている」。

 ――第五に、「(日本の駐留米軍へのコスト負担は)年間43億ドルに達し、(その一部は)『思いやり予算』と呼ばれているが、これは双方にとって気まずい思いをさせる言葉だ」。

 そしてパッカード氏は、つぎのようにのべています。

 「日本の新しい世代が、自国に置かれた外国軍の基地を我慢しなければならないのか疑問を深めるであろうことは、まったく当然である。米国は、韓国、ドイツ、フィリピンで、駐留規模を縮小してきた。新しい世代の日本人がこのような状況で不満を募らせることは、驚くべきことでも何でもない」

 これらのパッカード氏の問題提起は、日米安保条約の現状を包括的にとらえるとともに、心ある日本国民が抱いている感情を、リアルに言い当てたものだと思います。私たちとは立場を異にしますが、日米関係において重要な役割を果たしている人のなかから、こうした率直な見解が述べられていることを、私は歓迎するものです。

 私たちは、日米関係が、戦後65年たって、「平等なパートナー」とは程遠い現状におかれているという事実を直視することから、その未来を考えなければなりません。 (後略)


(私のコメント)
鳩山内閣の支持率が10%台になったそうですが、自民党政権時代となんら変わらないからそうなってしまうのでしょう。日本でも強力なリーダーシップのある総理大臣が求められているのですが、鳩山首相の元気の無いぼそぼそと話す会見はイメージを悪くするだけだ。安倍首相や福田首相や麻生首相や鳩山首相に共通している事は戦う姿勢が見えないことだ。

小泉首相の場合は抵抗勢力とか守旧派とか敵を作って戦う姿勢を示して国民の人気を煽った。このようなやり方は後になって報復を招くから良いとは言えないのですが、八方美人になって何も出来なくて政権を投げ出すよりかは良いのではないか。いずれも世襲政治家だからどうしても八方美人になってしまうのでしょうが、問題があっても先送りしか出来ない。

60年間続いてきた自民党政権から政権交代が起きたと言う事は時代がそれだけ変わったということであり、これまでの自民党の政策から大きく転換しなければなりません。当然対米関係も一から見直して沖縄の普天間基地問題をきっかけとして変えて行くべきでしょう。ところが鳩山首相は先送りばかりしている。これだけ騒いで元通りでは意味が無い。

政権交代が起きたのは総理大臣が毎年のように代わっても経済状況が少しも良くならないからですが、自民党内では総理の人材がいなくなってしまった。戦前においても内閣が長続きせず頻繁に総理が交代をした。当時も経済状況が最悪であり外交情勢も複雑怪奇な状況だった。敵と手を組んで隣国を攻める事も戦国時代では当たり前のようにあったのですが、日本人はその感覚を失ってしまった。

いったい誰が味方であり誰が敵であるかは明日になれば誰にも分からないのが外交の常識なのですが、平沼内閣はナチスドイツがソ連と独ソ不可侵条約を結んだのを見て「複雑怪奇」と言う言葉を残して総辞職してしまった。ソ連は日露戦争以来の宿敵ですが同盟国のはずのドイツにヒトラーに裏切られてしまった。

ドイツにとってもソ連は最大の敵だったはずですが、その敵と手を結んでしまったのだ。その時点でドイツと手を切れば筋は通ったのですが、曖昧なままにして総辞職を選んでしまった。現在で言えばアメリカと中国は新冷戦時代を迎えるかのような状況ですが、間に挟まれた日本は複雑な立場に立たされる。

しかしオバマ大統領は中国との宥和政策を選んでG2戦略を打ち出した。日米安保は中国を潜在敵国とみなした条約なのですが、そのアメリカが中国と手を組む事を構想している。アメリカはイラクやアフガンで8年間に及ぶ戦争で疲弊して二正面作戦は出来ない状態だ。それに対して中国は海洋への進出で積極的になっている。

独ソ不可侵条約のヒトラーの主な狙いはポーランド併合ですが、ポーランドはソ連と軍事同盟を結んでいた。それを無力化するための独ソ不可侵条約だった。ポーランドにとってはソ連に裏切られて独ソで二分割されてしまった。だから、もしアメリカが中国と手を組めば日本が二分轄支配されることも考えられる。

気の毒なのはポーランドですが、ソ連に裏切られれば打つ手が無い。無理とは承知でも自主防衛力をつけて抵抗するべきであった。ポーランドは英仏とも軍事同盟を結んでいましたが英仏も動かなかった。外交的には万全であってもいざとなれば自国の防衛力しか役に立たない。軍事同盟など紙切れに過ぎない。

現在ポーランドと同じ立場に立たされているのが台湾ですが、アメリカは中国に対して譲歩に譲歩を重ねている。クリントンの三つのNOが象徴していますが、アメリカは台湾の民主主義政権を見捨てたようだ。中国はミサイルと潜水艦で台湾を取り囲んでしまった。

鳩山首相はこのような状況を見て外交戦略的に動いているのかもしれません。沖縄の普天間基地問題で日本政府が米軍基地撤去に動けば東アジアの米中の軍事バランスは大きく崩れる。中国の台頭で日本がアメリカと距離を置いて中国に接近すればアメリカは東アジアから追い出されるだろう。だから鳩山首相の東アジア共同体構想に危機感を抱いた。

鳩山首相が本当にルーピーなのかバカなふりしてアメリカを揺さぶっているのか分かりませんが、沖縄の米軍基地の存在をアピールして米中間に楔を打ち込めれば大した外交だ。日本とアメリカの同盟関係も永遠のものではなく同盟を組む必要が無くなれば同盟は解消されるだろう。91年のソ連の崩壊は冷戦体制の終了であり日米安保にも大きな影響があったはずだ。

アメリカにとってはソ連の共産主義や軍事的脅威が無くなりロシアを封じ込める必要性は減った。中国は経済の改革開放に大きく舵を取って来てアメリカの協力を必要とした。在日米軍基地の存在意義も共産主義拡大を封じ込める事から単なる中継基地となり、日米安保はアメリカにとっても国益上の必要性は薄れた。

90年代の日本叩きは冷戦崩壊の後の経済上のライバルを潰すものとして行なわれたものだ。しかしロシアも経済的に復興し始めて再び軍事力の再建を図っているし、中国も高度経済成長で国力を増してきて軍事力の拡大と近代化が進んできた。共産主義のイデオロギーの脅威はなくなりましたが、中国とロシアの台頭は将来的に軍事的脅威になるはずだ。

中国から見れば在日米軍基地は太平洋に出るための目の上のたんこぶであり、中国はアメリカに対して中国市場が欲しいのなら在日米軍基地を撤去せよと要求したかもしれない。クリントン大統領はそれに応じて日本に対して猛烈な日本たたきと日本素通り外交を行って日本を怒らせて日米安保解消を狙ったのかもしれない。

1990年代から2000年代はアメリカの一人天下であり、日本はたたかれても逃げ場は無かった。小泉内閣はブッシュ共和党政権のおかげで日本叩きから逃れる事ができましたが、オバマ民主党政権では日本叩きが復活するように思われた。しかし90年代とは違ってロシアや中国の軍事的台頭があり、アメリカ自身も中東戦争で弱点をさらすようになってしまった。

90年代のアメリカにとって日本はあってもなくてもいい国家であり金を吐き出させる対象でしかなかった。それに対して歴代の日本政府はなす術が無く、アメリカに進出した日本企業も東芝や三菱など集団訴訟の対象にされた。長銀などはアメリカの投資ファンドに貢物にされてリップルウッドに僅か10億円で売却された。アメリカから国益で判断すれば日本は同盟国としてよりも経済的植民地としての存在でしかなかった。

アメリカが今後日本に対してどのようにしてくるかはまだ見えない。日本としては復活してきたロシアの軍事力や台頭してきた中国の軍事力を横目で見ながら、アメリカに対して日本たたきを止めさせて新冷戦体制に持ち込んで日米安保の見直しを迫るべきだろう。その為の沖縄の普天間移転問題の揺さぶりを鳩山首相はしているのだろうか?

いずれにしても日本が自主防衛体制を強化して行かなければ米中の二大軍事超大国によってポーランドのような分轄占領される事態は避けなければならない。朝鮮半島もアメリカと中露によって分轄されてしまいましたが、日本も米中によって二つに分割される危険性は常にある。

日本の自主防衛というと親米派は金の問題をいつも持ち出しますが、カネで国防問題を論ずるのは間違っている。カネで命は買えないのと同様にカネで国の命は買えない。日本政府が思いやり予算をつぎ込んでも米軍は中国とは戦争をするつもりは無い。長期的な計画としては日本は自主防衛で行くから在日米軍基地の段階的縮小を訴えていくべきだろう。

アメリカにしても2008年の金融経済危機から急速に国力が落ち始めているように見える。ゲーツ国防長官も大規模な再編と軍縮を打ち出して来ていますが、いずれはアメリカ軍は北米大陸に引き篭もるだろう。単独覇権主義は過去のものとなり多極化して自国の防衛は自国で行わなければならない時が来ている。外交だけに頼った防衛ではポーランドのように強国によって分割支配されるのが歴史的教訓だ。




アルファベット26文字を全部書ける大学生はゼロ。九九が
できないばかりか、それを指摘されるとむくれてしまう女子学生。


2010年5月14日 金曜日

2010この現実 大学生/上 呉智英さん 5月13日 毎日新聞

◇失われた知的虚栄心−−評論家・呉智英さん

 大学は事実上「全入時代」に突入した。学力低下は言うに及ばず、時代の波を受けて、学生気質も様変わりしているようだ。社会の未来を担う大学生たちの、現状はどうなっているのか。【井田純】

 「ひところ、大学生なのに分数ができないとか何とかいう話があったけど、今はもうそんなもんじゃない。すごいことが起きてる」

 よく響く声に、独特の早口。40年前の大学生のころからなじみの街、西池袋にある小さな喫茶店で、呉智英さん(63)が話し始めた。差し出された名刺には、表に「評論家」、裏には複数の大学名と「客員教授」「講師」などの肩書が並んでいる。

 「現代大学生論」を伺うと、まず披露してくれたのは、大学教育の現場で呉さん自身の体験したことだった。

 かつて講義を持っていた愛知県内のある私立大学での話。アルファベット26文字を全部書ける学生はゼロ。九九ができないばかりか、それを指摘されるとむくれてしまう女子学生。99年に刊行された宮崎哲弥さんとの対談集「放談の王道」では、講義中に大学生の携帯電話がしきりに鳴ることを嘆いていた呉さんだが、もうそんな事態ではないらしい。

 講義は「名古屋学」と題した地域文化論。学生には、日付、名前などとともに講義名を記入した出席カードを提出させる。

 「ところが、何と『名古屋』の『屋』を書けない学生がいるんだよね。別の字を当てているんじゃなく、『屋』の途中で終わってて、最後の『土』の部分がない。しかも2人も。名古屋の大学で、名古屋学の授業に、なんで『屋』が書けない学生がいるんだっ!」

 どん、どん、どんどんどん! 勢い込んでたたいた喫茶店のテーブルが揺れ、声のトーンも高くなっていく。

 80年代以降、義務教育課程で進められた「ゆとり教育」。生きる力の育成を掲げて、従来の学習内容が削減された。「ゆとり世代」にはいくつか定義があるが、今年大学を卒業した新社会人は、高校時代に内容を削減した学習指導要領で学んだ「第一世代」といわれる。今、キャンパスで学ぶ大学生たちはその下の、「ゆとり教育」がさらに進んだ世代に重なる。

 「ゆとり教育の影響は、大いにありますよ。ただ、文部官僚の言い分にも一理ある。詰め込み教育はいけない、子どもの個性を尊重しろと言ったのはマスコミで、国民の多くがそれに賛成したじゃないか、と。『公僕である自分たちはそれに従うのが当然だった』と言われれば、その点は確かにその通りだよね」

 変化は学力に関してのみ表れたわけではない。プライベートを重視し、失敗を恐れ、競争を好まない――などと指摘されているゆとり世代の学生気質を、呉さんは「知的虚栄心がなくなった」と表現した。これは、いわゆる「偏差値の高い」大学の学生にも見られる傾向だという。

 「僕らのころは、仲間の間で『この本読んだか』なんて話があると、読んでないと言うのが恥ずかしいから、読んだようなふりして帰りに慌てて買った。それから2、3日で読んで、『あれはつまんない本だ』なんて言って。裏にあるのは知的虚栄心だけど、これが、この10年、20年で学生の間から消えていってる」。70年代ごろまで、大手出版社はこうした知的虚栄心に応えるかのように「世界文学全集」「世界の名著」などのシリーズを競うように刊行していた。今、本格的な全集はほとんど見られず、古典も「超訳」などの、手軽で実用的なスタイルが受けている。隣のテーブルには大学生らしい男女4人組。バイトの話題や、仲間のうわさ話で盛り上がり始めた。

 日本が物質的な豊かさを獲得した結果、社会をどうする、歴史とどうかかわる、というグランドデザインは語られにくくなった。「理想」を求める大きな物語が成立しなくなり、若者の知的エネルギーは、身近な「実務」へと向かった。「実務の時代っていうのは、つまり、金をもうけて何が悪い、っていうことだよね。それも何か寂しくないかい、と思うんだけれども」(後略)



新入生9割が中国人、渋谷に誕生した超異色大学 5月14日 貝田 尚重

(要点のみ)
日本経済大学を運営するのは、福岡市に本拠を置き幼稚園から専門学校、大学までを全国で運営する都築学園グループ。もともと、日本経済大学は、1968年に福岡市で「第一経済大学」として開学(2007年、福岡経済大学に改称)。福岡県内を中心に、西日本地域の学生を集める中堅大学だった。

 少子化に加えて、バブル期以降の大学新設ラッシュの反動で、日本の大学は入学希望者数が定員総数を割り込む「大学全入時代」を迎えている。各校は、推薦入試枠の拡大や、成績上位者に対する入学金や授業料の免除などを打ち出し、受験生獲得競争にやっきとなっているが、全国区の難関ブランド大学でもなければ、生徒数確保は容易なことではない。ここ数年は定員割れの大学が続出、日本私立学校振興・共済事業団の調べでは、私立大学の4割が2008年度決算で赤字に陥っている。

日本経済大学渋谷キャンパス。JR線渋谷駅から徒歩5分の便利な場所にある そんな逆風の環境下で、日本経済大学が、なぜ、あえて九州のローカルから、東京のど真ん中に進出を果たしたのか。

 そこには都築学園グループのお家事情も深くかかわる。同グループは、東京を中心とする首都圏で東京マルチメディア専門学校、お茶の水はりきゅう専門学校など多くの専門学校を運営している。

 しかし、贅沢を言わなければどこかしらの大学に入れる「全入時代」である。従来は専門学校で“妥協”していた層にとって大学へのハードルが低くなった分、専門学校の経営環境は大学以上に厳しくなっている。都築学園グループの複数の専門学校も、2009年度で廃止や、2010年度からの募集を停止しており、事態を放置すればグループ全体の経営がジリ貧になりかねない。専門学校の整理統合で発生する遊休校舎の有効活用策として、日本経済大学の渋谷キャンパスを開校する積極策に打って出たのだ。

かつての中国は、安価な労働力を提供する生産拠点であり、多くの製造業が進出済みだ。しかし、今の中国は、巨大な人口を抱える大消費地として、世界中からの注目を集める。日本からも、コンビニや薬局チェーンなどの小売店、物流などサービス業が本格的に成長マーケットである中国を目指しており、現地ミドルマネジャー需要が一段と高まるのは確実。

 日本経済大学が目指すのは、まさに、そうした、ミドルマネジャー層の養成だ。

 企業の立場からすれば、現地のミドルマネジャーが日本語を話せることは大前提。その上で、日本的経営の在り方、日本人の思考様式を理解した上で、正しく、現地の労働者に会社の方針、考え方を伝えることができる人物が必要なのだ。

 留学生の側も、7割程度が「日本で働きたい」「日本企業の中国現地法人で働きたい」と考えていることから、企業・留学生のニーズは合致している。

日本経済大学渋谷キャンパスの成否は、1期生を日本企業が求めるレベルまで育成し、就職の実績を上げることができるのか──に掛かっていると言っても過言ではない。そのため、同キャンパスでは、一般教養や経営学の授業だけではなく、1年生から徹底した就職教育を行う。

ローソンは2008年から日本で学んだ外国人留学生の採用をスタート。2009年度は全体の3割に当たる39人、2010年度は2割に当たる17人を採用した実績があり、日本企業への就職を目指す留学生にとっては、注目企業の1つ。ビデオメッセージに耳を傾ける学生たちの表情は真剣そのものだ。

 村山さんは「ローソンが留学生を採用するのは、日本人の考え方、働き方を変えてもらいたい、影響を与えてもらいたいと思っているから。将来的には中国現地法人の幹部社員として働いてもらうかもしれないが、当面は日本で働く覚悟がある人が最優先」と採用担当者ならではの視点を紹介。

 さらに「会社の中に1人でできる仕事はない。だから、ゼミやアルバイト、クラブ活動を通じて、コミュニケーション能力、チームワークを身につけてほしい。だからと言って、日本人とまったく同じになる必要はありません。日本人があまり自己主張をしないのであれば、きちっと自分の意見を言えることは、あなたの魅力になります」とアドバイスをした。

全員の前で発表。授業の中でも、日本語を話す、人前で意見を言う機会を取り入れている 先輩留学生からは、「日本語検定1級を取って、周囲の人からは日本語が上手だと褒められたが、それでも、文章力、自己PR力は日本人に劣ってしまう。日本人の10倍は勉強して下さい」と厳しい言葉も。さらに「会話は普段の一日一日の積み重ねによって上達するもの。街で道を聞いたり、ご飯を食べに行って店員さんと話をしたり、とにかく、たくさんの人と日本語で話さないとだめです」と、日本語能力アップの重要性を説いていた。


(私のコメント)
昨日の続きになりますが、日本語が国際語になるためには海外に広めなければなりませんが、日本企業がアメリカに進出したとしてアメリカ人の幹部や社員は日本語を身につけるだろうか? アメリカで仕事をするなら英語を使うのが当たり前という事になる。それに対して日本に進出した外資系企業などでは社内では公用語として英語が当たり前だ。

英語はグローバルスタンダードな公用語であり日本語はローカルな言葉だから、このような扱いになりますが、昨日も書いたように日本語は決してローカルな言葉ではない。経済規模からしても英語に次ぐ存在なのですが、日本及び日本人はアメリカ及びアメリカ人に対してどうして必要以上に卑屈になる必要が在るのだろうか? 

学校教育などにおいて必要以上に英語を学ばないと国際的に成れないと刷りこまれてしまって、それだけ国語教育が疎かになってしまう。麻生前総理も英米に留学して英語を身につけましたが漢字が読めなくて国民からの顰蹙を買ってしまった。語学的才能がある人ならともかく二ヶ国語を自由自在に使いこなすようになるには一般国民レベルでは無理な話だ。

呉氏は九九が出来ない、アルファベットも全部書けない大学生がいたことに嘆いていますが、大学全入時代を迎えて大学の性格が大きく変化してしまっているようだ。彼らの多くが勉強しようと思って入ってくるのではなく、大卒で就職したいから入ってくるだけなのだ。名古屋の「屋」の字が書けないのもワープロで字を書く事に慣れてしまっているからだろう。

大学生の変化は学力の低下ばかりでなく、草食男子のような無気力で競争を好まず失敗を恐れて自分の世界に閉じこもるゆとり世代はどうして出来たのだろうか? 学校教育や家庭の躾などが影響しているのでしょうが、それが日本の停滞を招いた原因の一つでもあるのだろう。彼らが待ち構えているのは厳しい競争社会であるのですが、ショックを受けて引きこもってしまう若者が163万人もいる。

世の中の厳しさを教えない学校や家庭に責任があるのですが、やがてはそのツケが日本全体に回ってくる。テレビを見ればバカを売りものにしたバカタレントが増えている。バカは芸でもなんでもないから誰でもなれる。反競争主義が行きつけばバカであるほど皆の人気者になれる。

大学全入時代になれば受験勉強しなくても推薦で学校を選ばなければ入れるから勉強をしなくなる。文部省が天下り先として大学を増やしすぎたからですが、少子化で学校が余るのは分かりきった事だ。大学の中には定員すら埋まらなくて中国からの留学生を受け入れて生き残りを図る所もできた。

日本経済大学では中国からの留学生を積極的に受け入れて大学の生き残りを図っている。留学生がそれだけ集まればいいのですが、記事によれば「2009年5月1日時点で、日本国内の大学などに通う留学生は前年同期比7.2%増の13万2720人と過去最高を記録した。」そうです。

それだけの留学生が集まるのは日本の経済力や文化レベルの高さがあるからでしょう。欧米の大学なども事情は同じであり、アジアやアフリカなどの発展途上国からどれだけ留学生が集められるかが課題になってくる。有利なのはアメリカやイギリスなどの英語を母国語とする国であり、語学留学生も多い。

『政府は2008年7月に「留学生30万人計画」を打ち出し、2020年頃をめどに、受け入れを30万人まで拡大する目標を掲げている。』そうですが、昨日のブログのコメント欄にも中国人留学生に対する批判が書かれていますが、日本語を国際語として広めていく為には留学生を積極的に受け入れて日本語が分かる外国人を増やしていくべきだ。

早稲田大学などでは留学生向けに英語で授業を行う所も増えてきましたが、そんなことをしてもアメリカやイギリスの大学にかなう訳がない。フランスやドイツの大学などは英語で授業を行う所が増えていますが、EUの公用語が英語になってしまってはそうするしかないのだろう。

日本の戦略としては漢字文化圏からの留学生を増やす事が一番適切な方法かもしれない。韓国や台湾や中国はかつては日本の植民地だった所でもあり、人口だけでも十数億人もいるから一大日本文化圏となる可能性がある。もちろん中国人や韓国人留学生に人気があるのはアメリカ留学ですが、遠くて金もかかるのが難点だ。

国費留学生についてはいろいろ批判もあるようですが、人数的にはほとんどが私費留学生であり国費留学生は1万人あまりだ。最近では欧米人でも日本語が流暢な人がいますが国費留学生などで来た人たちが多い。少子化で大学生の数が減る以上は留学生を積極的に受け入れて日本語や日本文化を積極的に広める手段として活用すれば一石二鳥になる。

アジアやアフリカ諸国では大学などの高等教育は現地語では出来ない国が多く、英語で大学教育などを行なっている。韓国なども大学では英語の授業が多くなり大学教授は英語能力が要求される。韓国が海外からの留学生を集めるにはそうするしかない訳ですが、アジアからの留学生にとっては英語も分からないし韓国語も分からないといった事になりがちだ。大学教授も不慣れな英語を使わなければならないので内容に問題が出ていることも多い。

記事にある日本経済大学では日本語による授業で、日本語の習得と専門科目の教育の二つを両立させている。日本に留学してくる留学生にとっても日本語で高等教育が出来るのだから英語でやったら中途半端になるだろう。

先日インドネシアやフィリピンなどからの看護師試験で3人しか国家試験に受からなかった事がありましたが、インドネシアやフィリピンなどでの日本語教育はどうなっているのだろう? 非漢字文化圏の留学生にとっては言葉の習得が看護師などの資格を要する仕事のネックになってしまいますが、海外での日本語の普及に積極的になるべきだ。その為には病院や介護施設などの外国人看護師の受け入れも積極的にすべきだ。

日本の病院や介護施設などでは看護師や介護士などの成り手が無く、日本の若者はそのようなきつい仕事はやりたがらない。競争を嫌い失敗を恐れて部屋に引き篭もってばかりいる日本の若者が多くなれば外国人に頼る事も仕方がないのだろうか。

163万人も引きこもりがいると言う事は社会問題なのですが、実態すらあまり掴めていない。小中学生などの不登校などからも数は推測できるのですが、理由も無く学校に行かないと言うのは先進国の文明病でもあるのだろうか? 中国人留学生などへの異常な嫌悪感を示すのも引きこもりの特徴でもあるのだろう。




言語は政治的につよい意味を持っている。母語が国際共通語である
話者は、グローバルな競争において圧倒的なアドバンテージを享受できる。


2010年5月13日 木曜日

言語別の経済力、支配力 1月20日 投資十八番

世界には数千(一説には8000以上)もの言語があるといいますが正確な数は不明です。
 数ある言語ですが、上位5言語で19億人(総人口の31%)をカバーし、上位100言語で49億人(同80%)をカバーするそうです。
 これは経済と似ています。経済力を測るモノサシとしてGDP(Gross Domestic Product)がありますが、世界190ヶ国の内、上位10国で約66%を占めているからです。

一部の国や言語に力が集中する理由を考えると歴史的・地政学的冗長話になりそうだから置いておくとして、国別の経済力がGDPで測れるのであれば、言語別の経済力を表す指標もあってよさそうなものです。ということでネットを徘徊して「言語の経済力」というべき統計を海外サイトで見つけました。
GLPとは、Gross Language Productの略で1年間に各言語の話者によって生み出される全ての最終的な商品とサービスの総市場価格のことをいうそうです。
 この統計によれば、英語(14.1兆ドル)とスペイン語(11.5兆ドル)が飛び抜けています。英語はイギリスの旧植民地を中心に、スペイン語はスペインや南米を中心に先進国、途上国ともに多くの話者がいます。
 次いで日本語ですが、これを日常語として操るのは「日本人」だけです。そのため日本語としての経済力は、日本一国のGDPとほぼ同額になります。

 中国の位置が低すぎる気がしますが、これは標準語である「北京語」を使用する人口だけでみているからだと思われます。今後は経済力の上昇とともにGLPも上がっていくはずです。
 その結果、近い将来には、英語、スペイン語、中国語の3言語圏が世界の経済を牛耳る存在となっているのではないでしょうか。

 次に、インターネット上で使用される言語をみてみます。インターネットは通信インフラの整備や教育が体系的になされていること、そして一定水準以上の所得がないと普及しません。そのため、普及率の上昇の程度やネットユーザー数を確認することで、その「言語圏の成長力」もしくは「言語圏の潜在力」を推測します。

 インターネットでもチャイナ・インパクトが強烈です。経済力の上昇と共にインターネット人口が急速に増えています。(そんな中国に喧嘩を売ったGoogleの真意と結末が気になるところです。)
 しかも、中国はまだネット浸透度が3割にも満たないため潜在力も大きい。また、英語はネットで最も使用される言語ですが、中国語には及ばないとはいえ、成長率と潜在力ともに大きい。そのため今後も高い伸びを期待できます。
 英語、中国後に次ぐのがスペイン語です。この言語も伸びが著しく潜在力も大きいため、先のGLPと同様、この3大言語がネット上でも強い影響力を持ちそうです。

 10年くらい前までは、将来はインターネットによって世界言語としての英語のパワーが支配的になるのかなと思ってましたし、実際にそういう論調が多かったような気がします。しかし、現実にはそうはなっておらず、シュミットが言うように数年のうちに中国語がネット上で最も使われる言語となる可能性が高いことがこれを証明しています。一方で、日本語、ドイツ語、韓国語などは伸び率が低く浸透度からみてのびしろも大きくないため、今後ネットにおける使用言語としての地位は落ちていくでしょう。
(このデータの「Korean」は韓国だけでなく北朝鮮も含まれていると思われます。)

 ネットから締め出された言語がこれから生き残っていくのは難しいかもしれないですね。100年後、世界中がインターネットで繋がっている未来で、果たしてどれだけの言語が残っているのでしょうか。


リンガ・フランカのすすめ 5月12日 内田樹

大学院のゼミで、シェークスピアの受容史について論じているときに(いったい何のゼミなんだろう)通訳翻訳コースの院生から、私の論の中にあった「言語戦略」という概念についての質問を受ける。
言語は政治的につよい意味を持っている。
母語が国際共通語である話者は、マイナー語話者(たとえば日本語話者)に対してグローバルな競争において圧倒的なアドバンテージを享受できる。

なにしろ世界中どこでも母語でビジネスができ、母語で国際学会で発表ができ、母語で書かれたテクストは(潜在的には)十億を超える読者を擁しているのである。
自国のローカルルールを「これがグローバル・スタンダードだ」と強弁しても、有効な反論に出会わない
(反論された場合でも、相手の英語の発音を訂正して話の腰を折る権利を留保できる)。
だから、自国語を国際共通語に登録することは、国家にとって死活的な戦略的課題である。

ご案内のとおり、20世紀末に、インターネット上の共通語の地位を獲得したことによって、英語は競合的なヨーロッパ言語(フランス語、ドイツ語、ロシア語)を退けて、事実上唯一の国際共通語となった。
世界中どこでもグローバルな競争に参加するためには英語を習得することが義務化している。
そして、その「グローバルな競争」なるものは「英語を母語とする人々」がすでにアドバンテージを握っている「構造的にアンフェアな競争」なのである。
一言語集団にこれほどまでの競争上のアドバンテージが与えられたことは、人類史上おそらくはじめてのことである。
ことの良否はわきに置いて、まずそのことを事実として認めよう。(中略)

これは伝統的な帝国主義の言語戦略である。
理由は明らかで、うっかり子どもたちに宗主国の言語の文法規則や古典の鑑賞や、修辞法を教えてしまうと、知的資質にめぐまれた子どもたちは、いずれ植民地支配者たちがむずかしくて理解できない書物を読むようになり、彼らが読んだこともない古典の教養を披歴するようになるからである。
植民地人を便利に使役するためには宗主国の言語が理解できなくては困る。
けれども、宗主国民を知的に凌駕する人間が出てきてはもっと困る。
「文法を教えない。古典を読ませない」というのが、その要請が導く実践的結論である。
教えるのは、「会話」だけ、トピックは「現代の世俗のできごと」だけ。
それが「植民地からの収奪を最大化するための言語教育戦略」の基本である。
「会話」に限定されている限り、母語話者は好きなときに相手の話を遮って「ちちち」と指を揺らし、発音の誤りを訂正し、相手の「知的劣位」を思い知らせることができる。

「現代の世俗のできごと」にトピックを限定している限り(政治経済のような「浮世の話」や、流行の音楽や映画やスポーツやテレビ番組について語っている限り)、植民地人がどれほどトリヴィアルな知識を披歴しようと、宗主国の人間は知的威圧感を感じることがない。
しかし、どれほどたどたどしくても、自分たちが(名前を知っているだけで)読んだこともない自国の古典を原語で読み、それについてコメントできる外国人の出現にはつよい不快感を覚える。

日本の語学教育が明治以来読み書き中心であったのは、「欧米にキャッチアップ」するという国家的要請があったからである。
戦後、オーラル中心に変わったのは、「戦勝国アメリカに対して構造的に劣位にあること」が敗戦国民に求められたからである。
私はそれが「悪い」と言っているのではない。
言語はそのようにすぐれて戦略的なものである。
英語圏の国が覇権国家である限り、彼らが英語を母語とすることのアドバンテージを最大化する工夫をするのは当然のことである。
非英語圏に生まれた人間は「それだけ」ですでに大きなハンディを背負っているような「仕組み」を作り上げる。

これを非とする権利は私たちにはない。
日本だって70年前には東アジアの全域で、「日本語話者であることのアドバンテージが最大化する仕組み」を作ろうとして、現に局所的には作り上げたからである。
けれども、ハンディキャップを負う側にいる以上、「どうやって英語話者の不当に大きなアドバンテージを切り崩すか」ということを実践的課題として思量するくらいのことはしてもよいと思う。(中略)

「英語」では、古典を適切な日本語に翻訳すること、修辞的に破綻のない英文を作ることを教育目標に掲げる。
中学なら時間割の時間配分は5:1くらいでよろしいであろう(もちろんリンガ・フランカが5)。高校になったら3:1くらいにして、大学ではできたら2:1くらいまでに持ってゆく。
これは「英語がほぼ独占的な国際共通語になった」という歴史的状況に対処するための、たぶんいちばんプラクティカルなソリューションであると私は思う。

小学生程度の英語を流暢に話す技能を「英語ができる」と評価することに私は反対である。それは「リンガ・フランカがよくできる」という項目で評価し、「英語ができる」という言い回しは「仮定法過去完了」とか「現在分詞構文」とかがぱきぱきと説明でき、He is an oyster of a man というようなセンテンスを嬉々として作文に使う子どものために取っておきたいと思うのである。
どうであろうか。
難波江さんの意見聞きたいんですけど、どうでしょうね。


(私のコメント)
世界がインターネットの時代に入ってきてインターネットで使われる言語は英語が圧倒的なのですが、将来的に見ても同じなのだろうか? 国際会議でもフランス人やドイツ人が英語でスピーチしているのを見るとヨーロッパ人としてのプライドはどこに行ってしまったのだろうか?

日本人で英語を流暢に話せる人があまりいないのは英語を習得する事が難しいからですが、日本の学校教育における英語教育が歪んでいるからだろう。語学というのは実際に使わないと身につきませんが、日常生活において英語を使う機会はほとんどない。アメリカ人など英語を母国語として話す人が身の周りにいないし、テレビも新聞もみんな日本語で間に合う。

英語を必要としている人は学者とかジャーナリストとか大企業の社員とか政治家といったトップレベルの人たちなのですが、彼らにあまり話せる人がいないのが問題なのだ。私のようなローレベルの一般市民に英語教育を施しても効果はあまり上がらないだろう。それとも将来は日本語を廃止して公用語を英語にしようとでも思っているのだろうか?

本当に英語が必要ならば学校で教えなくても人々は必死に英語を習得するだろう。しかしそれらはローレベルの英語であり、高度な文化内容を吸収するのには役に立たない。翻訳する為の英語学習と外人と会話する為の英語学習とは別と考えた方がいいのだろう。そして英語は外人とのコミニケーションの手段であり英米人の話す英語とはかなり発音などが異なっていても別にかまわないはずのものだ。

文章なども英米人から見ればおかしな文章でも外人同士で通じればいいのだろう。だから高校や大学などにおける入試科目から除外すべきだし、採点の基準も曖昧なものになるからだ。このように国際的な公用語としての英語と英米人が話す英語とは発音や文法など違っていても通じればいいと言った国際語が将来できるだろう。

だからアメリカ人やイギリス人がいちいち発音や文法などにクレームを付けるといった事は無視すればいいのだろう。層でなければ外人同士が使う公用語としての英語は成り立たない。英米などでは発音や言葉遣いなどで教養のレベルを計ることがあるようですが外人にそれを言ってみても無意味な事だ。

日本においては英語を第二公用語とするよりも翻訳する事で高度な文化を取り入れてきた。これは古代から中国の文化を受け入れてきた方法と同じであり、英語においても翻訳においても新しくそれに対応した言葉を作って翻訳してきた。戦後においても英語がそのまま入ってきましたが英語のような日本語だ。パソコンといった言葉は英語ではなく日本語だ。

学者や技術者といった専門家は国際的な論文を書くにも英語が必要になりますが、それは英語の文化ががトップレベルを維持している場合であり、国家の盛衰と大きな関係がある。英語が国際用語になったのもイギリス・アメリカと覇権国が続いた為であり、もし中国が軍事政治経済などで覇権国となった場合には中国語が国際的な公用語になるかもしれない。

日本語とドイツ語は戦争に負けてすっかり影が薄くなりましたが、日本語は経済規模においても英語にひけを取るものではなく、もっと国際的になってもいいと思うのですが世界中に日本語学校があってもいいと思う。漢字は確かに難しいが発音自体は単純明快でありローマ字やカナでそのまま読めば発音やイントネーションにかかわらずに通じる。

世界でも日本語を勉強すれば日系の会社に就職できるとか、進んだ文化を学べるとなれば日本語も国際的になるのですが、どういう訳か文部省などは積極的ではない。中国などでは世界中に中国語学校がありますが、経済的な規模からすれば日本語の方がはるかに規模は大きく文化的にも進んでいる。

冒頭のグラフではGLPで日本語は三番目の規模ですが、人口の数え方によってもだいぶ違いが出てくる。中国語にしても北京語だけを見ればGLPはさほどでもない。むしろ経済力や文化レベルなどが国際用語などにおける要素になりますが、英語、日本語、ドイツ語、フランス語といった先進国の言語は、日本語は英語に次ぐ地位にあるといっても大げさではありません。

にもかかわらず日本における日本語への評価は低いものであり、英語を学ばなければ世界に流れに乗り遅れるといった論調ばかりだ。日本語が英語に比べてそんなに劣っているものであるのならば技術力や経済力でもアメリカに差をつけられていたはずだ。しかし現実にはアメリカは日本の技術力に脅威を感じているのであり、ノーベル賞がアメリカに集中しているのは英語で審査されているからだろう。

国際会議においても英語が公用語となり、日本語で日本代表が演説しても誰も分からない。英語やフランス語やスペイン語が広まっているのは帝国が植民地に言葉を強制した為であり、日本語は朝鮮や台湾などで公用語になった時期もありましたが、敗戦によって日本語の分かる世代は消えかけている。

当面の戦略は英語圏の文化に付かず離れずに付いて行って、日本に留学生を迎え入れて日本語の国際化を図っていくべきなのだろう。しかしながら日本の大学などでも英語で講義をしようということが国際的だという意見もありますが、経済規模も大きく技術水準も高い日本語を普及させる努力をすべきだと思う。




安いレベルにある中国の人民元こそ、米国と中国の経済成長の源泉
であり、私が3年前に名づけた「米中経済同盟」の根幹をなすからだ。


2010年5月12日 水曜日

米国の本音は、人民元は安い方がいい 為替問題から透けて見える米中経済同盟 5月12日 山崎養世

今や中国は世界一の貿易黒字を稼ぎ、世界一の外貨準備の多くをドルで持つ。一方で米国は世界最大の貿易赤字を抱え、世界一の借金大国である。

切り上げどころか大幅に安くなった人民元

 ところが中国の人民元は、過去30年間で、切り上げどころか大幅に安くなってきた。1980年は1ドルは1.7人民元だったが、今は6.8人民元だ。4分の1になったことになる。

 今年は人民元のレベルを巡り、米国から中国への攻撃が続いている。特に選挙の年を迎えた米国の議会は、「米国の雇用を守れ」「中国の不当な為替操作を許すな」という合唱を繰り返している。

 まるで80年代の日米関係の再来のようだ。当時は、世界一の貿易黒字を稼ぎ、世界一の外貨準備のほとんどをドルで持つのは日本だった。日米の貿易摩擦は激化し、米国は円が安過ぎると批判した。

 そして、1985年9月のプラザ合意からわずか1年半で、円は1ドル260円のレベルから120円台にまで2倍以上円高になった。

 果たして、人民元も25年前の日本円のように急上昇するのだろうか。私は、それはありえない、と思う。

安い人民元は米国経済を実は潤している

 なぜなら、安いレベルにある中国の人民元こそ、米国と中国の経済成長の源泉であり、私が3年前に名づけた「米中経済同盟」の根幹をなすからだ。

 さらに言えば、安い人民元は米中両国の共同の利益であるだけでなく、今や世界経済の成長の中核システムであり、グローバリゼーションを基底で支える仕組みとなったからだ。

 だから、過度な(と言っても30%といったレベルであり、日本円のような200%以上でなくても)人民元の急激な上昇は、世界経済をリーマン・ショック以降の二番底に落とし込む危険性を持っている。

 なぜ、そう言い切れるのだろうか? それは、中国が「世界の工場」になったからだ。と言うと、日本も80年代に「世界の工場」になったではないか、と思われるだろう。もう少し正確に言う必要がある。

中国が、まず「米国企業の工場」となり、さらには「世界の企業の工場」となったからだ。だから、中国からの対米輸出の上位は米国企業が占める。そして、日本やヨーロッパ、さらに韓国や台湾の企業も、中国で生産して世界に輸出している。

人民元上昇で世界中の金利が上がり、企業は打撃を受ける

 もし人民元が大幅に上昇したら、何が起きるだろうか?

 中国で生産された製品の、ドルや円やユーロで換算した生産者物価が大幅に上昇するということだ。

 生産者物価の上昇は、売り値である消費者物価に転嫁される。つまり世界的に物価上昇を呼ぶ。そうすると上げざるを得ないのが、金利である。主要国の中央銀行は物価抑制のために、短期金利を引き上げざるを得なくなる。すると金利水準全体が上がることになる。

 一方、人民元の上昇によって生産コストが上がっても売り値に転嫁できなかった部分だけ、企業の儲けは減る。世界の企業の収益は打撃を受ける。

 つまり世界的に、企業の収益が減る一方で金利が上昇するのだ。世界の株式市場にとっては悪い材料である。人民元の上昇が大幅であれば、世界の株式市場が暴落しても不思議ではない。

人民元の切り上げは世界経済の自殺行為

 株式市場の暴落は、不動産市場の下落を誘発するかもしれない。ただでさえ整理が終わっていない欧米の不動産市場は、金利上昇と株式市場の下落のダブルパンチによって、再び下落の道をたどり得る。

 そうなれば、ようやくリーマン・ショックの後遺症から立ち直りかけた世界経済にとっては危機の再来である。消費の減退が企業の人員削減を呼び、それがまた景気を落ち込ませる、という悪循環が再起動されるかもしれない。

 人民元と世界経済は強い連動関係にあるから、急激で大幅な人民元の切り上げは世界経済の自殺行為になってしまうのだ。

 こうした構図は今に始まったことではない。1992年にケ小平が南巡講話を行った時に始まり、2000年以降の改革開放政策で一層強化された。

まず、米国企業が、中国で生産し米国や世界で売る、という水平分業を確立した。同時に、中国は米国国債の最大の買い手になり、金融危機では米国金融機関の救済でも協力した。実物経済と金融両面での「米中経済同盟」が成立したのだ。

米国の工場にならなかった日本との違い

 人民元と比較すれば、なぜ過去に米国は急激な円高を日本に押し付けたのかが見えてくる。

 1980年代に、日本は「世界の工場」となった。しかし日本は、「米国企業の工場」になったことはなかった。日本企業と米国企業は、米国の消費者を奪い合うライバルであった。

 だから、ライバルである日本企業を叩くために、米国企業は政府に圧力をかけて、大幅で急激な円高を求めたのだった。

 強い円を利用して、日本は一気に生活大国と金融大国の道を歩むはずであった。ところが、日本はそれに失敗した。対外資産のほとんどを米国国債で持ち、1990年代以降に10倍にもなる米国株や資源などには投資しなかった。海外の不動産投資は高値でつかんで後で手放した。

 円高を利用して日本の内需を拡大し、工業化社会から高度なサービス産業や知識産業を伸ばすことにも失敗した。農林水産業や観光などの田園の産業、新エネルギーの導入も遅れている。

円高が促すはずだった構造変化はどこへ行ってしまった

 国土は相も変わらず、極端に過密の大都会と不便で過疎の地方に二分される。50年前と変わらない満員電車の通勤、高い住宅コストとローンの重圧の大都会のすぐそばでも、交通が不便な土地は使われずに放置される。

 国土の利用は、工業化社会の産物である大都市集中のままだ。ところが大きな製造業企業のほとんどが生産を海外に移し、国内は空洞化が続く。

 円高が強制したはずの構造変化は、日本ではまだ起きていないのである。


(私のコメント)
「株式日記」ではアメリカと中国による日本封じ込め政策に対して批判してきたのですが、未だにアメリカの支持か中国の支持かの二元的な見方しか出来ない人が多いようだ。アメリカを批判すれば親中左翼呼ばわりするし、中国を批判すればネトウヨと間違える人がいるようだ。

だから「株式日記」では米中が連携して日本を潰しに来ていることの危険性を書いてきた。米中が連携している事は経済を見ればよく分かりますが、日本に対しては85年のプラザ合意で日本の円は200%の切り上げをさせられてしまった。これで普通ならば日本経済は潰れていたはずだ。

アメリカは本気になって日本を潰しにきたのだ。しかしながらこの現実をいくら書いてもアメリカを信頼して日米同盟が大切と思い込んでいる。米中が手を組んで日本から富と技術を盗み出しているのですが、親米派はこの現実には目を向けようとはしない。在日米軍基地は日本から富と技術を奪い取るための武力装置なのであり、中国から日本を守る為ではない。

アメリカ政府は日本に対しては200%の円を切り上げを飲ませたのに、日本以上にドルを貯めこんだ中国には元の切り上げ要求はポーズだけだ。このようにアメリカと中国は裏では繋がっているのであり、このようなやり方は暴力団がミカジメ料を巻き上げる方式と同じだ。いわばマッチポンプなのであり米中が軍事的に対立しているように見せる事もありますがやらせなのだ。

日本から米軍基地が無くなればすぐに中国に侵略されると親米派は言うが、既に日本はアメリカによって軍事占領統治されているのだ。その事によって日本に軍事力をつけさせないことはアメリカと中国と利害は一致している。在日米軍基地が日本から無くなれば日本は憲法を改正して軍事力を強化せざるを得ませんが、米中はそれを一番恐れている。

山崎氏が書いているように人民元が「1980年は1ドルは1.7人民元だったが、今は6.8人民元だ。4分の1になったことになる。」となったように元をドルに対して75%も切り下げましたがアメリカ政府の承認無ければこんな無茶な切り下げはありえない。アメリカは中国を使って明らかに日本を潰しにきたのだ。その結果日本経済は空洞化して雇用が中国に奪われてしまった。

日本の政治家達はこのような構造が見えないから、85年のプラザ合意も簡単に受け入れてしまった。当時のアメリカ市場は日本にとって一番のお得意先だったからそうせざるを得なかったのですが、今では中国が日本にとっての一番の得意先になっている。アメリカは経済危機で物を買う余力が無くなり市場は小さくなって来ている。だから日米がそれだけ疎遠になるのも当然なのだ。

中国は世界の工場となりましたが、それはアメリカ企業の下請工場になったということだ。中国の安い人件費で作って世界に売ってきたのだからアメリカ企業は大儲けをして株かも上昇した。日本の大企業も中国に工場を移転して大儲けしましたが、国内の下請け企業は切り捨てられて地方経済が疲弊してしまった。

日本はプラザ合意で200%もの円の切り上げにもかかわらず何とか持ち堪えていますが、その円高を生かせないのは何故なのだろうか? 中国のように石油や鉄などの鉱山会社を買ったらどうだろう。アメリカの企業を買収して資産を売り飛ばして転売すればハゲタカファンドのように儲かったはずだ。

日本には豊富な資金があるにもかかわらず、戦略的な金の使い方が出来ない。ひたすら米国債などを買ってはドル安で為替差損を受けてしまっている。株を買っていればドル安でも株高でメリットがあったはずだ。日本企業はアメリカのビルやゴルフ場などを買いましたが大損して投げ出している。株なら都合が悪くなれば処分して売ることが出来る。

昨日は中国の海軍力増強にアメリカ海軍の対応が取れていないことを書きましたが、中国の経済発展はアメリカからの資本と技術移転によるものだ。中国が敵ならこのような事はしないはずですが、アメリカは中国を使って東アジアを統治しようと考えているのだろう。つまり日本はアメリカと中国によって支配されて統治されてしまう事になる。それから逃れるには在日米軍基地の撤去しか道は無い。

在日米軍が信用できないのは台湾に対するアメリカの政策を見ればよく分かります。アメリカは台湾の独立を許さず三つのNO政策を打ち出した。中国の人民元切り下げの影響を受けたのは日本ばかりでなく台湾にしても同じだ。その為に多くの工場が台湾から中国に移転して台湾経済は低迷してしまった。アメリカは中国の近隣窮乏化に手を貸している事になる。

台湾有事の場合にアメリカ海軍は動く事ができないだろう。それだけ中国が軍の近代化を行なってミサイルの戦力を強化している。そうやってなし崩し的に台湾を中国に引き渡すつもりだろう。台湾が中国に併合されてしまえば中国海軍は大手を振って太平洋に出る事になりますが日本にとっては航路を遮断される危険性が出てくる。

一見東アジアに新冷戦体制が出来たような形になりますが、米中は対立するには経済が一体化しすぎている。米中の同盟体制によって日本や韓国や台湾が包囲されていると見たほうがいい。その包囲を解くには中国を日本に取り込む必要がありますが、アメリカにとって日中が手を組めば厄介な事になる。

ドイツがアメリカに対して独自の路線がとれるようになったのはロシアとの関係が深くなったからですが、日本もアメリカに対して強く出るためには中国の力を利用する方法がある。親中派の鳩山民主党が政権を取った事によって在日米軍基地問題も進展が期待されましたが、中国を敵視しない米軍がいてもお荷物になるだけであり、米中が手を組めば日本は身動きがつかなくなってしまう。




ゲーツ長官は米国の軍事的優勢が新兵器によって脅かされていると述べ、
経費のかかる空母や潜水艦に依存する海軍力のあり方に疑問を呈した。


2010年5月11日 火曜日

「海軍は新兵器への対抗を」、ゲーツ米国防長官 5月5日 AFP

【5月5日 AFP】米国のロバート・ゲーツ(Robert Gates)国防長官は3日、米海軍の退役軍人らの集会で演説し、公海での米国の軍事的優勢が新兵器によって脅かされていると述べ、経費のかかる空母や潜水艦に依存する海軍力のあり方に疑問を呈した。

ゲーツ長官が注意を喚起しているのは、膨大な資金をつぎ込んでいる米艦隊が、そうした新時代の兵器に対抗するものとしてそぐわなくなることだ。米海軍の攻撃型潜水艦隊や水上艦隊の規模は他国を大きくしのいでおり、戦略的展望が変化する中でこれまで同様の配備に多額を投じることが賢明かどうかと疑問を投げかけた。「他国が複数の艦隊をもっていない状況下で、わが国はこれからの30年間もこれまで同様、本当に11もの空母打撃群を抱えておく必要があるのだろうか」

 また空母や世界各地の基地への依存度を縮小するために、無人機や無人水中艇、現在よりも小型の潜水艦などを使用してより長距離を狙う攻撃方法を開発する必要があるとも述べた。

 冷戦時代に端を発する巨額の軍事計画の縮小にゲーツ長官は消極的ではない。このところ国防費を従来型の兵器から、イランやアフガニスタンで必要とされているヘリコプターや無人機の拡充に振り向けて「現実的な」脅威に対応すべきだと主張してきた。(c)AFP/Dan De Luce



米海軍「真珠湾以来の大敗北」 図上演習で衝撃の結果 5月9日 産経新聞

米海軍では近年、「真珠湾攻撃以来の海戦大敗北」が相次いだ。図上演習などの結果ではあったが「米海軍敗北」の意味は小さくない。強い相手と同じ土俵で戦わない「非対称(弱者)の戦法」に対し、米国が強敵だった旧ソ連正規軍など「対象」に備えた編成・戦術思想で対抗することが、場合により極めて難しくなっている「現実」を証明したからだ。

 「現実」を軍指導部が認めない、認めたがらない点はさらに深刻。米戦力の迅速・確実な投射が困難になれば、日本防衛や日本の生命線・中東からのエネルギー輸送航路の安定が大きく揺さぶられる事態となる。

 米国の外交政策専門誌に昨年末「米国はいかに海戦に敗北したか」という論文が掲載された。筆者は米統合参謀本部諮問委員を務めたジェームズ・クラスカ氏。論文は「2015年、東シナ海を航行中の第7艦隊主力・原子力空母に、中国軍発射の中距離対艦ミサイルが命中。艦載機60機とともに全長360メートル/全幅92メートル/排水量9万7000トンを誇る巨艦は、わずか20分で沈没する」という衝撃的シナリオで幕を開ける。戦況はこう推移する。

 《「真珠湾攻撃以来の海戦大敗北」に米国が次の一手で遅疑逡巡(しゅんじゅん)している間、中国は国連に対し「空母に放射能漏れの兆候が見られたため、沈める他なかった」と報告。素早い動きを見せた》(後略)


世界の海をめざす中国海軍の危険な野望 4月28日 ニューズウィーク

アメリカに働きかけるアジア諸国の不安

 一方、再び中国の「属国」にさせられる事態を懸念する東南アジア諸国は、太平洋地域から手を引かないようアメリカに密かに働きかけている。米海軍が引き続き強大なプレゼンスを発揮することで、地域のパワーバランスが守られるという思惑があるからだ。日本も中国の海軍力増強に警戒を強めている。

 09年にドイツを抜いて世界一の輸出国に躍り出た中国は、世界の鉱物資源を買い漁る輸入大国でもある。経済の生命線を守るために、世界の海を支配したいと考えるのは当然だ。

 海軍力は大国の象徴でもある。その意味で、中国の海軍力増強は米国防総省を苛立たせ、中国をアメリカの軍事覇権への大きな脅威とみなす人々に動揺を与えるだろう。

 もっとも、今の中国の船舶技術は、15世紀のように際立っているわけではなく、外洋船の規模もアメリカより格段に小さい。第一次大戦以前のイギリスとドイツの海軍力競争に比べれば、今の米中の競争など大した話ではない。

台湾問題で米中の均衡が崩れる?

 米中の対立に一気に火がつく火種があるとすれば、台湾海峡の問題かもしれない。アメリカは、台湾は中国の一部であると認めつつも、政治上の統合は平和的に進められなければならないと主張して台湾を保護してきた。一方、中国は台湾の独立を認めないと公言している。
 
 仮に中国が、海上交通路を守り、世界の海で国力を誇示する以上の軍事的野心をもつようになれば、米海軍による台湾海峡の支配にノーを突きつけることになるだろう。別の言い方をすれば、中国が自国の重要な一部とみなす台湾を取り戻す必要に迫られた場合には、アメリカに邪魔されたくないと思うはずだ。

 中台関係にかぎって言えば、中国にとってもアメリカにとっても台湾にとっても、現状維持が最も国益にかなっている。中国の海軍力が今後まずます増大すれば、台湾海峡の緊張を抑えるという重大な任務が、米中両国の外交官や政治家の肩にのしかかるだろう。



(私のコメント)
沖縄の普天間移転問題はアメリカにとっても渡りに船のような問題ですが、米軍当局が一番反対するだろう。沖縄の利権が失われるからですが、部隊を本土に引き揚げても彼らを引き取る所がない。アメリカは世界の警察官として自負してきたのですが、それは冷戦終了までの話だ。

現在のアメリカ政府は財政が火の車であり、9.11以降のアフガニスタン戦争やイラク戦争によって軍事予算は増える一方だ。ゲーツ長官が拡大しっぱなしの国防予算を削る事を考えるのは当然の話であり、そうしなければアメリカ政府の財政が破綻する。特にアメリカ海軍の編成は時代遅れのものであり、原子力空母や原子力潜水艦は金喰い虫だ。

もちろん全く必要でなくなるという訳ではないが、現代では兵器体系はステルス化と無人兵器化になって来ている。特に無人兵器はイラクやアフガニスタンで大活躍しており、大型化や高性能化が急がれている。有人の飛行機や船だとどうしても行動範囲が制約されるが無人兵器なら空気の無い所や長時間の作戦も可能になる。

潜水艦にしても人間が乗っていれば搭載する空気や食料は限界があるから一ヶ月以上の航行は難しいですが無人潜水艦なら燃料が持つ限り潜行することが出来る。航空機も対空ミサイルも届かないような高度を飛ぶことも出来るし、燃料が持てば何日間でも飛ぶことが出来る。

原子力空母は航空母艦というよりも洋上を移動する空軍基地のようなものであり6000人もの搭乗員がいて、それが一発のミサイルで沈められたらアメリカといえども打撃は大きい。相手がはっきりしていれば報復も出来ますが、韓国の哨戒艦のようにどこが魚雷を撃ってきたのかが分からなければ反撃できない。

アメリカの原子力空母が国籍不明の潜水艦によって沈められた場合は反撃のしようが無い。たとえ犯人が分かっても中国やロシアだった場合にアメリカは反撃できるだろうか? 韓国の哨戒艦も犯人は北朝鮮と推測がついているが北朝鮮は否定している。このように将来的に起こりうる戦争は敵が見えない戦争であり、9・11テロ事件はその先駆けだろう。

ミサイルは弾道コースを飛ぶから発射した国を特定する事ができるのでしょうが、爆弾を積んだ無人飛行機が飛んできて爆発したら犯人を突き止めることは難しいだろう。通常の旅客機を無人飛行機に改造して爆弾を積んだ飛行機が飛んできたらアメリカ軍は対応が出来るのだろうか? ペンタゴンを破壊した飛行機をなぜ米空軍は撃墜できなかったのだろうか?

兵器を無人化することによって飛行機も潜水艦も小型で航続距離の長い兵器を開発する事ができる。地上すれすれを飛べばレーダーにもかからないしミサイルとは違って変幻自在のコースを飛ぶことが出来る。巡航ミサイルも無人兵器ですが飛ぶコースがプログラミングされている。これがGPSでリモコンで自由に操作できるようになると無人爆撃機です。

米海軍が行なった図上演習では中国から発射された中距離対艦ミサイルの射程圏内では原子力空母機動部隊も太刀打ちできないのであり、だから中国海軍が第一列島線から第二列島線にまで進出してきたのだ。中距離対艦ミサイルの射程が延びれば中国の領海も広くなるのであり、いまのところ中距離ミサイルを全部打ち落とす事は難しい。

だからミサイルにはミサイルで対抗するしか手は無いのですが、アメリカは日本や韓国や台湾に対して中距離ミサイルを開発する事に対して反対している。防衛をアメリカに依存していれば従わなければなりませんが、中国のミサイル戦力拡大にアメリカは対抗できなくなって来ている。沖縄の米軍基地もその意味では無力化している。

つまり東アジアの軍事均衡はアメリカと中国の密約で仕切られるようになってしまったのであり、アメリカ軍が信用できないとなれば自主防衛しかほかに手はない。在日米軍基地があれば日本の防衛は大丈夫という意見は信用できるのだろうか? ゲーツ国防長官自身が従来の兵器体系に疑問を述べていますが、中国の中距離ミサイルの傘は日本にまで伸びて来ている。

台湾海峡も既に中国の領海になっているのであり、米空母が台湾海峡を航行する事はめったになくなってしまった。中国の通常型の潜水艦の性能の向上も飛躍的であり、リチウム電池の開発で一週間程度の潜行も出来るようになった。音も静かだから米海軍でも発見する事が難しくなって来ている。

アメリカの戦略は日本を自立させない事であり中国にとっても利害は一致する。沖縄の普天間基地の問題は米軍基地はあっても無くても無力化しているのであり、アメリカ軍が沖縄に拘る事自体が不可解だ。既に中継基地としてしか使われていないのだから日本国内の米軍基地は全部引き揚げてもらうべきだろう。

台湾を守るというのなら台湾に米軍基地を作ればいいのだし、東南アジア諸国が心配なら米軍基地を誘致すればいい。フィリピンやインドネシアやマレーシアなど米軍基地を誘致して守ってもらえばいい。その方が思いやり予算も確保できるだろう。日本人も本音では米軍基地は要らないと言う事だろうが、政治家自身がアメリカ政府高官の前に出ると何も言えなくなってしまう。

中国やロシアの中距離ミサイルに対してはPAC3たSM3も気休めに過ぎないのであり、日本独自で対ミサイル用兵器を開発すべきだ。台湾や韓国や東南アジア諸国も防衛をアメリカの任せていないで自国で守るべきだろう。出来なければ改めてアメリカに頼めばいい。日本くらいの国力があればアメリカに守ってもらう必要は無い。むしろ在日米軍基地は日本政府への牽制としてあると言った方がいい。

不可解なのはオバマ大統領の対中国姿勢であり、中国を重視すれば中国以外のアジア諸国を敵に回す事になる。日本もその中の一国になるだろう。だから在日米軍基地も出て行ってもらう事になる。オバマ大統領の外交政策はそこまで考えてのことなのだろうか? 鳩山首相はルーピー呼ばわりされていますが、そこまで計算していればたいしたもんだ。




欧州単一通貨ユーロが急落。投資家が、マネーを、株式から「安全
資産」である日米の債券などに逃避させる動きが鮮明になってきた。


2010年5月10日 月曜日

ギリシャ危機「想定超す」 投資マネー、一気に逃避 5月10日  読売新聞

世界株安 日米債券・金へ流入

日米欧で株価の下落が続き、ギリシャの財政危機をきっかけにした金融市場の動揺が収まらない。為替市場でも欧州単一通貨ユーロが急落。投資家が、マネーを、株式から「安全資産」である日米の債券などに逃避させる動きが鮮明になってきた。

 市場では「第2のリーマン・ショック」になりかねないとの懸念も出てきた。(ロンドン 是枝智、経済部 西原和紀)

◆1万円割れも

 7日午前9時前、都内の大手証券のトレーディングルームは、不気味な静けさに包まれていた。欧米市場で株安が続き、「もはや対岸の火事ではない」との思いが共通していたからだ。7日の東京株式市場は取引開始直後から幅広い銘柄に売り注文が殺到した。日経平均株価(225種)の下げ幅は一時、取引時間中で今年最大の438円まで拡大し東証1部の値下がり銘柄数は全体の90%を超えた。

 世界の金融市場が動揺しているのは、「ギリシャの財政危機は当初の想定をはるかに超えて悪化している」(BNPパリバ証券の河野龍太郎氏)との認識が広がったためだ。日経平均株価は1万円割れが現実味を帯びつつある。

 ギリシャ以外にも、欧州各地で財政問題が深刻化するとの懸念も強い。7日の欧州債券市場では、ギリシャ国債(10年物)が早朝に一時、2001年にユーロ圏入りして以来、最高の年15%台まで急騰したほか、財政が悪化しているポルトガル国債も年7%台、アイルランド国債も年6%台まで一時上昇した。2008年秋に世界を襲った金融危機のようなパニック的な様相が強まる中で、悲観的な見方を口にする市場関係者が増えている。

◆長期化も

 国内外の投資家が、各国株式市場でリスクを取って投資することを避け、安全資産にマネーを逃避させる姿勢が鮮明になっている。

 10年物の米国国債の流通利回りは6日、前日より0・15%低下して年3・40%になったほか、日本国債(10年物)も7日の終値で年1・28%と低い水準だった。欧州のマネーが日米の債券市場に流れ込んでいる構図だ。

 金を買う動きなども広がっており、金地金大手の田中貴金属工業によると7日の国内の金小売価格は1グラム=3774円(税込み)と約27年ぶりの高値を付けた。(後略)



危機の伝染に共通する人間の特性 5月10日 Financial Times

筆者が目にしている図には5つの輪が描かれている。すべての輪が互いに矢印で結ばれており、これらの輪から別の方向へ飛んでいく矢印もある。一見すると、核爆発か何かのような、何らかの連鎖反応を示す複雑なイラストに見える。

 この図が実際に示しているのは、ポルトガルとアイルランド、ギリシャ、イタリア、そしてスペインの債務で、矢印は、その国の債務がどれだけ各国の投資家に保有されているかを表している。これは、米シティグループがまとめたソブリン債の信用リスクに関するプレゼンテーションの一環だ。

 「ここには制御された爆発の余地はあまりない」。表題には、こう書かれている。「すべてが互いに結びついている」

すべてが互いに結びついている

 16カ国から成るユーロ圏の中では小国に過ぎないにもかかわらず、ギリシャが債務をデフォルト(債務不履行)するかもしれないという懸念は、封じ込めることができなかった。

 多くの債務ウオッチャーにしてみれば、これは何ら驚くに当たらない。まさに、ユーロ圏内、そしてグローバルな投資の世界では、すべてが互いに密に結びつき、関係しているせいだ。

 800年前までさかのぼる債務危機の歴史を研究したメリーランド大学のカーメン・ラインハート教授(経済学)が筆者にしてくれた話では、彼女はよく人に、ギリシャがどれほど小さい国か聞かされるそうだ。彼らは暗に、同国のデフォルトが連鎖反応を引き起こすのはおかしいと示唆しているのだという。

 「伝染の源は、金融の相互連関と重要な関係があり、欧州などの地域では金融の相互連関が強いことが分かっている」。ラインハート教授はインタビューでこう語った。「小さな危機」が大きな危機に発展し得るもう1つの理由は、「警鐘の仮説」だという。「肩越しに(他国に)目を向け、ちょっと待てよ、これらの国もギリシャとよく似てるじゃないか、と気づくわけだ」

 債務危機には共通する要素がいくつもある。問題に対処することを躊躇う態度や、問題の深刻さを認めたがらない態度などもそうだ。実際、ギリシャ国債で損失が生じる可能性を考慮して、投資家がリスクを再評価する中、世界の市場が痙攣を起こして急落したが、政治家は、市場の急激な動きが発するメッセージを軽くあしらおうとした。

問題を小さく見せようとする政治家

 「ある意味で、これは政治家と市場との戦いだ」。ドイツのアンゲラ・メルケル首相はこう言った。「しかし、すべての同僚もそうだと思うが、私はこの戦いに勝つ決意を固めている」

 大抵の場合、債務の危険性や悪影響を小さく見せようとする行為には、強力な実際的理由ばかりでなく、政治的な理由がある。誰も信頼喪失に手を貸したくはないのだ。歳出削減や人員解雇、年金カット、あるいは住居を手放すといった諸々の痛みを伴う対策をもってしか対処できない現実を受け入れるのは難しい。


 しかし、債務危機が手に負えないほど膨れ上がっていく可能性は常に存在している。

 「多額の借り入れがある時は、悲惨な状況に陥るのに、大したきっかけは要らない」。ケネス・ロゴフ教授と共同で債務危機を分析した著書『This Time is Different(今回は違う)』を執筆したラインハート教授は、こう語る。「何か案件が1つ失敗する、債券発行が1度でも大失敗に終わる、借り換えを巡る本当に短期的な資金不足に見えること・・・どんなことでも、投資家が一斉に逃げ出すシナリオの引き金となり得る」

小さな出来事をきっかけに出口への一斉逃避が起きる

 5月第2週の市場の大揺れは、それがいかにして起き得るかを思い出させてくれた。多くの場合、出口への一斉逃避のきっかけとなる予想外の要素がある。

 先日そのきっかけとなったのは、コンピュータープログラムに原因があったと見られる取引の大混乱だった。実際、コンピューター取引の普及のために、株式から債券、通貨に至るまで、あらゆる市場がますます密に相互に連動するようになっている。

 「一連の自己増殖的なプロセスは雪だるま式に、市場を本質的に不安定なものにする」。シティグループの信用ストラテジスト、マット・キング氏はこう指摘する。「我々が最も懸念しているのは、市場間の相互連関の度合い、そして信頼という極めて重要な要素について、投資家も政策立案者もまだ十分に理解していないのではないか、ということだ」

 ひとたび債務危機が起きた時に行われる分析は、債券が買われたり、売られたりする前に何をすべきかについて、有益なアイデアを提供してくれる。国、あるいは企業が投資家に債券を売ろうとする時、買い手を引きつけるために作られたプレゼンテーション資料には、派手なチャートや数字が並べられている。

 より大きな構図を理解し、リスク間の関係を把握することは重要だ。ラインハート教授の著作に掲載された、はっとするようなチャートを見るのもいいだろう。そこには、デフォルトと債務危機がどれほど頻繁に起きてきたかが示されている。

人間の傲慢と無知

 ラインハート教授は、危機に共通する要素は、人間が持つ2つの特性だと言う。つまり、「傲慢と無知」だ。

 「無知というのは、多くの場合、政策立案者や投資家、一般の人は、我々が以前にもこれを経験したこと、この映画を前にも見たことがあるということを全く知らないからだ」「傲慢というのは、そう、もしかしたらそれは分かっている・・・けれども我々には当てはまらない、という考え方だ。我々は前任者たちより賢いし、一連の古い原則、事情は変わった、技術も変わった、と思い込む」

 「このため結局、我々が本来注意すべきだったことが全く注意されずに終わり、同じパターンが繰り返されるのだ」とラインハート教授は言う。


(私のコメント)
「株式日記」のコメント欄には口蹄疫が大変だと書いている人がいるが、確かに大変な問題だが、ギリシャ危機が発端となっている世界的金融危機の方がとんでもない状況になりつつあるのにそれを指摘する人がいない。サブプライム問題の時もリーマンショックの時も大変な状況になりかけたのですが、市場が麻痺してもテレビのニュースなどでは報道されない。

いったん信用不安が発生すると各金融機関は一斉に貸出資金の回収にかかる。銀行の中で返せない銀行が出てくれば連鎖的な破綻が生じる。ギリシャ国債は世界中の金融機関が保有していますが特にヨーロッパの金融機関がたくさん持っていると想像されるから、世界の金融機関は疑心暗鬼になっている。

だからリーマンショックなどのときのように世界の中央銀行は市場に資金を供給して破綻を防ごうとしている。ギリシャを始めとしてPIGS諸国の国債利回りは急上昇していますが、逆に日本やアメリカの国債利回りが低下している。欧米のマネーが安全を求めて日本に避難している様な状況になっている。

円やドルなどの通貨や国債などの債権の信用の元はその国の経済力であり、ギリシャなどでは観光ぐらいしか産業が無い。円が高く国債の利回りが低いのはそれだけ日本の経済力が強いからですが、強いドルや米国債を買い支えているのも日本だ。日本が世界に資金供給しているときは世界がバブル景気に沸きましたが、日銀が資金供給を締め始めてからサブプライムやリーマンショックなど出始めた。

世界の中央銀行が資金供給するにしても資金力があるのは日銀くらいでFRBもむやみに資金供給できない状況になりつつあります。世界中の銀行が資金回収に追われれば今までバブル景気に沸いていた新興国もドバイからギリシャからPIGSへと広がりつつある。

目一杯借り入れした新興国の金利が急上昇すれば金利が払えなくなり新興国は破綻する。1997年のアジア金融危機の時は通貨を切り下げて経済が復活して何とか収まりましたが、ユーロ圏のギリシャにはそれが通用しない。金曜日に書いたようにギリシャを破たん処理して緊縮財政を取らせるしか方法はないでしょう。しかしギリシャ一国で収まるとは思えない。

ニューヨーク市場における1000ドルあまりの乱高下は結局は原因が分からないようですが、コンピューターが一斉にそう判断したのかもしれない。想定外の事が起きればコンピュータープログラムが想定外の売り指示を出す事もあるだろう。大量の売りものを細かく分けて売買するから誰がどう売ってきたのかも掴めないのだろう。

NY株式市場の乱高下は為替市場も巻き込んで乱高下した。為替が極めて短期の間に5円も動くとは株式も債券も為替もみんな連動して動いている。NY市場では60%以上変動した取引は取り消すそうですが債券や為替取引までは取り消せない。

ギリシャ自身は取るに足らない小さな国ですが、ユーロを形成している鎖の一番弱い部分であり、そこが切れればドイツも支えきれなくなりユーロから離脱するかもしれない。それよりもギリシャを破綻させてユーロから離脱させた方がいいのですがユーロはそのような状況を想定していなかった。

ユーロの暴落は基準が守られていれば起こり得ないはずのものだった。しかし財政赤字の基準を守れる国は無くECBも機能しない。ヨーロッパは一つといいながら上手くいっている時はいいが危機が起きると支える国が無い。ドイツもPIGS全部を支えるには弱すぎる。韓国は何度も外貨危機に見舞われてきたが日本とアメリカが救ってきた。

1997年のアジア金融危機の時も日本はアジア通貨基金を作ろうとしてアメリカに反対されて潰された。いかにアメリカが日本に対して警戒心を持っているかが分かりますが、それに比べるとドイツがどうしてギリシャ一国を救えないのだろうか? 

世界中の国が過剰債務に気がつき始めている。景気が上昇気流に乗っている時はいいが、気流が収まってみると過剰な債務の大きさに返済が優先されて経済規模は小さくなっていく。日本もそのような状況に直面して20年近く立ちましたが、欧米の場合はデフォルトという形で処分されるだろう。

債務が過剰かどうかは経済の成長度にもよりますが、新興国の多くが先進国の資本と技術に依存した経済成長だった。きのうもNHKの特番では自動車用バッテリーの開発現場をルポしていましたが、いかに中国がアメリカの技術に依存しているかが分かっただろう。だから高度成長しているように見えてもアメリカからの資本や技術が入ってこなくなれば中国の高度成長は止まるだろう。

確かに新興国の市場は人口から見ても巨大ですが、日本や欧米からの投資がある時は経済成長も著しいだろう。しかし信用不安が起きれば今回のギリシャのようになり、あっという間に破綻する。ドバイなども金融センターを目指していましたがヨーロッパからの投資が集まっていたからだ。

「株式日記」では日本が世界の覇権国となり円が世界の基軸通貨になると書いてきましたが、ヨーロッパが潰れてアメリカが潰れれば日本しか残らないからだ。新興国も自立的な経済発展は無理であり、中国がアメリカを追い越すことはアメリカが許さないだろう。昨日のNHKの番組を見ても中国の高度成長はアメリカの技術が大きな力になっている。




録音した音楽は、どうやっても生を超えることはできない。だから、
生の音楽に接する機会を、多く持ってもらいたいと思います。坂本龍一


2010年5月9日 日曜日

坂本龍一氏に訊く、これからの音楽のかたちと価値とは 2009年9月1日 Phile-web

今後の主流は音楽配信になっていく

「音楽配信という形態は今後も普及こそすれ、少なくなることはないと思います。今後は主流は音楽配信で、CDやレコードはコレクターズアイテムみたいな位置付けになっていくんじゃないでしょうか」と語る坂本氏。

「レコードからCDに主流が移り変わったとき、レコードは趣味的なものとして残りました。今度はCDのシェアがシュリンクして配信が主流になってきている。配信が主流になっても、CDもレコードも完全にはなくならないでしょう。携帯電話だけで聴く人もいればPCを使って聴く人もいる、レコードやCDを変わらず愛する人もいる…というように、チャネルの多様化が起こっていると感じています」。

ー3月に発売された、坂本氏5年振りとなるアルバム「out of noise」は、アナログレコード(2枚組)、CD(パッケージレス/フルアートワークパッケージ)、ダウンロード(48kHz/24bitのAIFFファイル、320kbpsのMP3)という五つの形態でリリースされた。これは前述のように多様化するチャネルに合わせた結果だという。

「僕自身も住み分けをしているんですよ。とりあえず気になるものは配信で聴いて、いいなと思ったものはCDで買う。そしてすごく愛着のあるものは、レコードで買いたいなと思う。それは、レコードは手でさわれる『モノ』としての愛着とか、ジャケットに描かれたアートワークの価値が大きいから。オーディオ的にも、アナログですから論理的にはリミットレスの情報を記録できるわけでしょう。メディアとしての可能性という点でも面白いですよね。CDは、モノとしての魅力はレコードより少ないけれど、コンパクトだから置いておきやすいとか、CD時代になってからの音源しかないとかの理由で少しは残っていくのかなと」。

作り手の思いは「なるべくいい音で聴いて欲しい」

ー「out of noise」の配信版には、“320kbpsのMP3”に加え、より高音質な“48kHz/24bitのAIFFファイル”が用意されている。これは作り手としての「なるべくいい音で聴いて欲しい」という思いが根底にあるという。

「この間のツアー公演(※)を配信したものは、いろいろな都合があってMP3の128kbpsだったのですが、音質的には非常に不満でね。でもMP3でも320kbpsくらいであれば、ほとんどの人が劣化を感じずに聴けると思います。生で鳴っている音って、データにしようと思ったらきっと相当な重さになりますね。でも作り手としてはやっぱり、ライブの音になるべく近いものを聴いてもらいたいんです」。

「圧縮コーデックはMP3以外にもどんどん改善されていくでしょうね。そもそもMP3も、インターネット初期になるべく軽く情報を詰め込めるという、飽くまで過渡的なものだと思うので」。

(※註)3月18日から4月29日まで開催されたツアー「Ryuichi Sakamoto Playing the Piano 2009」で、全24公演を終演後最短24時間でiTunes Storeにて配信するという試みを行った。

ーただ一方で、音楽の価値は高音質だけにあるのではないとも語る。

「武満徹さんの話ですけど、戦争中に空襲に遭って防空壕に逃げ込んだら、居合わせた将校が、蓄音機でシャンソンをかけた。もちろんノイズがいっぱいだったんだろうけれど、その時もの凄く感動して、彼のその後の音楽活動の原点の一つになったんだそうです。だから、“音のS/N”と“音楽のS/N”って全然違うんです。MP3の128kbpsでギザギザの音でも、心を大きく揺さぶることはできる。必ずしも『高音質=音楽性が高い』というわけではないんですね」。

デジタル音楽時代になって考えさせられた「音楽の価値」
ー いま音楽は、再び「ライブ」へ

「従来の音楽ビジネスは世界的に下降線を辿っていますが、音楽の消費や需要は増えています。けれど、音楽はどんどんタダ化が進んで、プライスがゼロに近づいてきています」。

「メディアという点から見ても、この100年くらいでコンテンツはどんどんゼロに近づいているんです。例えば『第九』。最初のSPは10数枚組くらいかな、もっとかな。ところがCDだと1枚に収められる。それで今度は音楽配信になると、メディアレスのデータのみになる。どんどん小さくなって、見えなくなる」。

「それで、10数枚組のレコードとデータを比べて『第九の本当の値段って、いくらなの?』って言ったとき、誰も答えられないでしょう? つまり、これまで音楽を買っているつもりで払っていた値段が、実は製造や運搬というパッケージのコストだったことが、インターネットの登場で露わになったんですね」。

− メディアのかたちが小さくなっていくについて、リスナーにとっての音楽の価値や存在感も小さくなってしまっているのではないでしょうか、と問いかけると、坂本氏は「そういう面もあるかも知れません」とうなずく。

「聞いた話なんですが、今の若い子は携帯電話で音楽を聴くけれど、機種を変更するときに、それまでダウンロードした音楽を一緒に捨ててしまうそうですね。機種間でデータを移行できないということもあるのでしょうが、捨ててしまってそれを顧みないのが習慣になってしまっているのかも知れません。作る側もそういう風潮に合わせるから、どんどん安っぽい音楽が増えていく傾向もありますしね」。

「けれど、もともと音楽って何万年もの間、かたちのない『ライブ』だったんです。メディアを再生して音楽を聴くというスタイルは、レコード誕生以後の約100年くらいの歴史しかないんですね。メディアがなく録音もできない時代、音楽は100%ライブだった。音楽が目に見えない、触れられないデータ化されたものになっている今、もう一度音楽のおおもとのかたち − ライブへの欲求が強くなっている。これはすごく面白いことだなと思っています。なにか必然的な理由があるような気がしてね」。

「たとえばいま携帯電話で音楽を聴いている子供たちにも、もっと生を聴く機会ができればいいと思います。シャカシャカした携帯電話の音楽と、ライブで聴く生音は全く別のものだって、1回聴けば分かりますよ。録音した音楽は、どうやっても生を超えることはできない。だから、生の音楽に接する機会を、多く持ってもらいたいと思います」。


(私のコメント)
昨日の続きのようになりますが、ネット化社会になると音楽の流通革命が起きてネット配信が主流になって、CDは無くならないけれども市場は小さくなっていくだろう。確かに録音された音楽を聴くのは100年ほどの歴史しかない。それまでは音楽は生で聴くものであり、レコードやCDで聴く歴史は数十年しかない。

ところが音楽業界といえばレコード業界と同一の意味になり、レコードの売上げによって市場規模は拡大していった。レコードで100万枚以上も売れた曲も毎年のように出た頃もある。100万枚売れれば数億円の売上げになるからほとんどライブ活動をしない歌手もレコード売上げで稼ぐ事ができた。

坂本龍一氏が言うように今では音楽配信が主流になってCDの売上げはトップレベルでも2,30万枚がやっとだろう。音楽業界は一足早くネット配信の世界になって来ましたが、書籍などの出版物も電子書籍の普及でネット配信で本を買うようになるだろう。

出版物も音楽と同じように坂本氏が言うように「音楽を買っているつもりで払っていた値段が、実は製造や運搬というパッケージのコストだった」のであり、作曲家や演奏家に渡るのはごく一部に過ぎない。書籍も同じであり製造や流通コストがほとんどなのだ。だからネットで中抜きが出来てしまうと製造や流通業者が要らなくなってしまう。

だから最近は歌手や演奏家はテレビなどにはあまり出ないようになりライブ活動が主流になってきた。もっぱら出るのは歌の下手なアイドル歌手でありデビューしたばかりの新人歌手になる。CDやレコードを買う層は10代20代の若い人たちだったのですが、いまではiPodでネットでダウンロードして聞いている。

テレビでも音楽番組は少なくなり今何が流行っているのかも分からない。歌手の名前も知らない歌手が増えてきて、売れてくるとライブ主体になっているようだ。紅白歌合戦にしても知っている歌手が半分くらいになり、聞いたこともない歌もある。音楽産業は冬の時代になっていようですが、一流歌手などはライブで稼いでいる。

最近の新人歌手などはユーチューブなどの動画サイトで売り出す歌手も出てきていますが、街頭でのライブ活動もよく見かける。音楽芸能プロダクションが金をかけて売り出す事も難しくなり、テレビのコマーシャルソングが国民的なヒットになったりするしかない。私はiPodで音楽を聴く習慣はないが、イアホンで聴く音楽は音楽と言えるのだろうか?

ゴールデンウィーク中はパソコンを改造してキャプチャーボードなどを取り付けて自作のHDDレコーダーを作ってみましたが、昔は高価なステレオアンプを買ったりスピーカーボックスを自作したりして音楽を聴いていた。だからとてもイアホンで音楽を聴く気にはなりませんが、秋葉原でもオーディオマニア向けの店が少なくなりました。

パソコンで音楽を聴くのも抵抗があるのですが、MP3で音楽を聴いても楽しいのだろうか? オーディオマニアからすればMP3の音は情報量が少なく坂本龍一でなくとも不満が出る。テレビで音楽を楽しむにしてもハイビジョンテレビのスピーカーも貧弱であり私はオンキョウのアンプとフォスターのスピーカーで聴いている。

いずれはネット配信でも音楽の音質は良くなるのでしょうが、今の段階はユーチューブの動画とハイビジョンテレビの動画を比べるようなものだ。問題なのはメディアがレコードからCDに変わりさらにiPodなどのプレーヤーに変わるごとに前のメディア再生できなくなる事だ。動画などもVHSカセットが再生できなくなり、仕方がないのでパソコンとキャプチャーボードでHDDに変換しようと思っています。

HDDならDVDの音楽ライブなども大量に録画できるし、ディスクをいちいちセットしないでリモコン一つで再生が出来る。しかしDVDレコーダーも壊れてしまうと録画したものも見れなくなるので、コピーガードを取り除いて録画しなおさないと他のプレーヤーで再生が出来ない。DVDやブルーレイなどのディスクに保存したら数百枚になってしまうから置いて置く場所が無い。

特に地デジやハイビジョン放送のコピーガードを取り除く録画方法をパソコンで作ったのですが、日本ではBCASカードやCDCPなどのコピーガードのかかった放送で不便しているのですが、いずれも既成業者を守る為にそうしているのでしょうが、メディアが変わるたびに買い換えろという事なのでしょう。

音楽は携帯電話でダウンロードして聴くものではなくライブで聴くのが一番いい。それが出来なければ高画質高音質で録画したHDDでハイビジョンと本格的なステレオアンプで再生して聴くべきものだろう。iPodでイアホンで聴いていたら耳が悪くなるだけだ。年末から年始にかけてビリー・ジョエルやスティビー・ワンダーやバーブラ・ストレイサンドやバリー・マニローなどのハイビジョン放送を録画して視聴いていますが、いずれも70年代のトップスターたちだ。

彼らが現役でライブが出来るのが奇跡ですがいずれも還暦が過ぎた歌手たちだ。若い歌手たちは何をしているのだろうか? 日本でも昨日のミュージックフェアで松田聖子が出ていましたが、80年代のアイドルがまだ現役でいるのは、若手の歌手は実力もなく才能も無いルックスだけのアイドルが多い。だからMP3の粗末なiPodの音でも間に合うのだろう。

全ての音楽をライブで聴く事は不可能だ。だから出来るだけ高画質で高音質な再生機器で楽しむべきなのでしょうが、高級ステレオアンプと高級スピーカーで聴いている若い人はどれだけいるのだろうか? 若手の歌手が伸び悩んでいるのは粗末な音楽再生環境が影響しているのではないだろうか? パヒュームなどはエフェクトをかけた声ですがあれは歌ではなく声を楽器のように変化させている。だから口パクでもどうでもいいのだ。

いずれはiPodなどデジタルミュージックプレーヤーの音も良くなって行くのでしょうが、イアホンでは限界がある。アナログのステレオで鍛えてきた耳で聴くとデジタルの音は深みが無い。パソコンで再生されるMP3は250円の牛丼や90円のハンバーガーみたいなものだろう。腹が減っていればおいしいのでしょうが料理ではない。若い人の味覚も聴覚も劣化の一途をたどっています。




今の日本メーカーにはアップルのような製品や「iPod(ハードウェア)+
iTunes(サービス)」で実現したビジネスモデルは絶対に作れないだろう。


2010年5月8日 土曜日

iPad販売100万台突破 iPhone上回るペース 5月4日 朝日新聞

【ニューヨーク=山川一基】米アップルは3日、4月3日に米国で発売した新型携帯端末「iPad(アイパッド)」の販売台数が、同月末までの28日間で100万台を突破したと発表した。07年に発売した携帯電話「iPhone(アイフォーン)」の2倍を超えるペースで売れていることになる。

 電子書籍はこれまでに150万冊以上、ゲームなどのアプリケーション(ソフト)は1200万以上がダウンロードされたという。

 iPhoneは100万台突破までに発売から74日かかった。スティーブ・ジョブズ最高経営責任者(CEO)は「需要がまだ供給を超えている。この魔法の製品をさらに多くの客に届けるためがんばっている」とコメントした。



iPadの凄まじいまでの可能性  5月7日 岸博幸

アップルのiPadの日本発売(5月末予定)が近づいています。私は一足早く米国で入手して使い込んでみたところ、久々にモノに感動しました。この新しい端末は凄まじいインパクトと可能性を秘めていると認めざるを得ません。そこで今週は、iPadの持つ可能性について考えてみたいと思います。

iPadはエンターテイメント消費ツール

 まず最初に、私の独断と偏見ですが、iPadはパソコンやネットブックの延長というより、エンターテイメント消費ツールと捉えた方が正しいと思います。

 もちろん、書類を作成するなど仕事にも活用できますが、マルチタスク(書類の作成中にウェブでデータを確認するなど複数の作業を同時に行なうこと)が行なえないなどの問題があるのも事実です。それもさることながら、ビジネス・ツールとしてよりも、様々なエンターテイメントをシームレスに消費できるという特性の方が明らかに際立っているのです。

 いわば、テレビと本棚とインターネットが一体になった感じです。一台の端末上でテレビ番組、映画、音楽、書籍、新聞などの本来は異なる媒体のコンテンツを、まったく同じようにシームレスに消費できるのです。更に、それと同じ感覚でネットサーフィンやメールのチェックもできます。

 実際に使うと分かりますが、これは非常に斬新かつ不思議な感覚です。久々の凄まじいイノベーションであると認めざるを得ません。

 加えて言えば、iPadの画面の大きさ自体も凄いイノベーションと言えます。動画を見るのにちょうど良いサイズだからです。このサイズに慣れたら、ケータイの小さな画面で動画を見るのはつらくなるのではないでしょうか。

書籍よりも雑誌のほうが
表現形態を拡張できる可能性大

 こうした点を踏まえると、iPadはコンテンツを制作する側に、表現形態を拡張するチャンスを与えていると思います。その典型例は電子書籍ではないでしょうか。

 電子書籍という点でも、iPadはアマゾンのキンドルよりも優れていると思います。キンドル上では、本の中身(=活字)をデジタル媒体に置き換えるだけとなるのに対して、iPad上では、書籍の表現形態が活字のみに制約されず、動画/音声/写真なども併用して表現できるようになるからです。

 活字のみをデジタル媒体に置き換えるだけなら出版ビジネスの市場は拡大しません。しかし、書籍の表現形態が大きく拡張されれば、出版ビジネスの新たな市場を創造できる可能性があるのではないでしょうか。

 そして、そうした可能性は、書籍よりも特に雑誌で大きいのではないかと思います。実際、米国では既にそうしたアプローチを行なっている雑誌が現れています。パソコンからも見られますので、The Weekという週刊誌のウェブサイトを見てみてください。そこの特集コーナー(FEATURED TOPIC)をクリックすれば分かりますが、同じトピックについての様々な情報が活字や映像で知ることができます。そこでは、活字と映像がシームレスに統合されているのです。このサイトをiPadから見ると、本当にすごいなあと感じざるを得ません。(後略)



iモードの生みの親・夏野剛 「iPadに惚れる」 週刊ダイヤモンド5月15日号

今のパソコンのOSのシェアは、Windowsが90%。Macは10%でしかない。でも、もし仮にこのシェアが逆だったら、どうだったろうか。

 おそらく、高齢者がパソコンを使えないだとか、教育の現場になかなかITが導入されないだとか、そうしたデジタルデバイドの問題は起こっていなかったと思う。家庭や職場でのパソコンのトラブルも半減していたはずだ。

日本メーカーには絶対に作れない

 もちろん、パソコンを普及させたマイクロソフトの貢献はかなり大きい。でも、いろいろな操作が、直感的でわかりやすいとはとてもいえない。

 ましてや、今の日本メーカーにはアップルのような製品や「iPod(ハードウェア)+iTunes(サービス)」で実現したビジネスモデルは絶対に作れないだろう。

 彼らにはまだ、技術と資本と人が残っている。でも、製品への強いこだわり、哲学、世界観を持っていて、リスクを取るリーダーがいない。

 僕はドコモの役員だったけど、やっぱり、大きな決断をするには役員ではダメ。せめて、副社長クラスじゃないと。

 今の通信会社や電機メーカーの顔触れを見ていると、ジョブズのような決断を下せる人が何人いるか、疑問だ。

 もちろん、過去には日本企業にも傑出したリーダーはいた。なんとかがんばってほしいね。



(私のコメント)
先日に秋葉原に行ったらiPadが8万円で売られていた。アメリカで発売されたものの転売品でしょうがプレミアがついている。今までもiPadと同じコンセプトのパソコンが作られて売られていましたが、どれも売れなかった。製品としての完成度が全く違うからですが、結局は日本の情報家電メーカーは技術力を製品に生かすノウハウが無いのだろう。

日本の情報家電メーカーはOSソフトも作れないしマイクロプロセッサーも作れないしアプリケーションソフトも作ることが出来ない。当初は開発してはいてもみんな途中で断念してしまう。そしてWindowsのOSとインテルのチップを使ったパソコンしか作れなくなり、これでは台湾や中国のパソコンメーカーに負けてしまう。

それに比べるとアップルはOSも自前だしiPadのチップも自前で開発した。普通のパソコンと違うのは軽くて薄くてバッテリーの持ちが10時間以上もあることだ。商品コンセプトとしてはネットブックと重なりますが、値段も同じくらいだ。iPadの重さは680〜730gで、バッテリー駆動時間は10時間で画面の大きさは10インチもある。

それに対して東芝やソニーのネットブックは高くて重くて駆動時間も短く画面サイズも小さい。Windowsとインテルのチップを使っていたらiPadと同じ性能のネットブックは絶対に作れない。アップルはOSから最終製品まで一社で賄える垂直統合型経営だから世界でどこも作れないパソコンが出来ますが、日本の情報家電メーカーはそれだけの技術力が無い。

アップルに一番近い日本のメーカーは任天堂ですが、ソフトからハードまで一社で作っている。日本の情報家電メーカーの利益率が低いのは円高のせいではなく独自の技術力が無いからだ。日本の携帯電話はガラパゴス携帯といわれますが、これもパソコンと同じく独自OSもマイクロプロセッサーの開発からも手を引いてしまった。

経営判断としてはそれが一番正しい判断としても、水平分業型の経営をしていたら韓国や中国のメーカーとの価格競争に巻き込まれて負けてしまうだろう。日本のメーカーはまだ部品レベルの技術力で何とかリードしていますが、儲ける為にはアップルのような垂直統合的な経営でないと価格競争で負けてしまう。

2,3年すればグーグルやインテルなどがOSやCPUを作ってくるでしょうが、そうなると儲かるのはグーグルやインテルばかりになってしまう。東芝とソニーと米国IBMが共同でCellプロセッサーを数千億円かけて開発しましたが、ハイパワーのCPUでソニーPS3に使われています。PS3でリナックスが動くという事でしたが、いよいよソニーや東芝が脱マイクロソフト・インテルに立ち上がったと期待したのですが、早くも潰されたようだ。

このようにCPUとLinuxというOSが用意できたとしても、それを利用したアプリケーションソフトが作れなければせっかくの技術も立ち枯れてしまう。しかしCellプロセッサーのようなハイパワーCPUを利用したソフトを個人で作ることも出来ず、東芝などの大企業がテレビ用のプロセッサーとしてしか使い道がないようだ。

それに対してiPadのA4プロセッサは謎のチップですが、既存のチップを改良して作ったものらしい。アップルのマックブックはインテルのチップを使ってはいますが、いずれば独自のチップを開発して行くらしい。そうしなければ利益が独占できず汎用の部品を使っていては差別化が難しいからだろう。

iPadが売れているからといって同じようなものが出るまでには時間もかかるし、製品は作れてもソフトが揃わない。アンドロイドOSとインテルの新開発チップを使えば同じようなものが作れるのでしょうが、それに載せるソフト開発はそれ以後になってしまう。ソニーやシャープといった大企業がiPhoneを作れなかったのはなぜだろうか?

ソニーやシャープなどはモバイル端末も作っていたし携帯電話も作っていた。それらがネットにアクセスできるようになって飛躍的に利用価値が高まりましたが、ネット関連の技術はもともとが軍事技術だけに日本のメーカーは弱い。これからも家電などもネットにアクセスできるものが出てくるのでしょうが、未だにテレビでインターネットがしにくいのは日本の情報家電メーカーがネット技術に弱いからだろう。

テレビでネットがなかなか普及しないのも既存の放送局の妨害もあるのだろう。アクトビラにしてもTCP/IPを利用しているがインターネットとは言えないものだ。テレビ用のブラウザソフトも普及していないし、東芝もソニーもパナソニックもテレビ用のブラウザソフト開発には関心が薄いようだ。

もしテレビでユ−チューブなどがボタン一つで見ることが出来るようになると、既存のテレビ番組を見る人が少なくなってしまう。最近東芝のZ8000と言う液晶テレビを買ったがネットでYAHOOは見れてもユーチューブがメモリ不足で見ることが出来なかった。仕方がないのでパソコンをテレビにつないでユーチューブを見る事にしましたが、どうしてネットとテレビは融合できないのだろうか?

そうこうしているうちにアップルがiPadを発売してテレビよりもiPadでテレビを見たりネットをしたり読書をしたりするようになるだろう。アップルは家電メーカーではないから自由な商品作りが出来ますが、日本の家電メーカーはテレビ放送と深いつながりがあるから、テレビ局を敵に回せない。だから本当のネットが出来ないテレビを作り続けているのだ。




ギリシャ問題に解決策があるとすれば、ギリシャへの債権を諦め、
ギリシャをデフォルトにしてユーロから除名するしかないといえるでしょう。


2010年5月7日 金曜日

日経平均が一時400円超下落、欧米株安と円高で 5月7日 ロイター

[東京 7日 ロイター] 寄り付きの東京株式市場で日経平均は大幅続落。前日比400円を超える下落となっている。欧州の債務危機拡大への懸念から欧米株が急落、為替市場でも円高が進んでいることから輸出株や金融株を中心に売りが先行している。

 ただ、米ダウが6日の市場で一時、998.50ドル安と取引時間中としては過去最大の下げ幅を記録したのは、ある大手行のトレーダーによる取引ミスが原因との見方も一部に出ているため、「売り一巡後は4月米雇用統計などを前に様子見ムードが強まる可能性もある」(大手証券情報担当者)という。



ユーロがドルと円に対し急落、ギリシャ問題拡大懸念で=NY市場 5月7日 ロイター

[ニューヨーク 6日 ロイター] 6日のニューヨーク外国為替市場ではギリシャ問題の拡大懸念からユーロが急落した。この日は、トリシェ欧州中央銀行(ECB)総裁が理事会後の記者会見で、ECBは今回の理事会で国債の買い入れについて討議しなかったと発言。ギリシャの債務危機への新たな対応策を示さなかったことから、ドルと円に対する逃避買いが膨らんだ。

 さらに、午後中盤の米株式市場で株価が急落したことを受け、ユーロは下げ足を速めた。

 ユーロ/ドルは一時1.2523ドルまで下落。その後は2009年3月以来の安値となる1.5%安の1.2622ドル近辺で推移した。

 フォレックス・ドット・コムの主任外為ストラテジスト、ブライアン・ドラン氏はユーロ急落について「市場は完全に売り一色となった」とし、「欧州のソブリン債懸念が発端となり、完全なパニック状態になった」と述べた。 

 ギリシャでは緊縮財政措置に反対する市民が首都アテネで抗議デモを繰り広げており、ユーロ圏に対する信頼感が揺らいでいる。GFTの外為調査部門を統括するキャシー・リエン氏は「現時点でユーロを支援するには、大きく注目を集める何らかの発表が必要だ。ただ、こうしたものはトリシェECB総裁からは出てこなかった」と述べた。

 ECBは今回の理事会で、予想通り主要政策金利を過去最低の1.00%に据え置くことを決定。トリシェ総裁は理事会後の記者会見でギリシャ問題について、ギリシャがデフォルト(債務不履行)に陥ることは「論外だ」と述べた。

 ロイターのデータによると、ユーロ/円は一時110.65円まで下落、2001年以来の安値を更新した。その後は5.2%安の114.09円で推移した。

 円もリスク回避に伴って買われる傾向があるため、この日の取引でドルが下落したのは、主要通貨の中で円に対してのみ。ロイターのデータによると、ドル/円は88.03円と4%を超えて下落、2009年12月以来の安値をつけた。また、この日1日の下落率は1998年10月以来の大きさとなった。



飛び火しない訳がないギリシャ問題 6月6日 S氏の相場観

財政が困窮しているギリシャへの支援がドイツを中心とするEC各国、IMFから出されているのですが、正直言ってこれは何の解決策にもなっておりません。この問題に解決策があるとすれば、ギリシャへの債権を諦め、ギリシャをデフォルトにしてユーロから除名するしかないといえるでしょう。

 当然既に買ってしまっているギリシャ国債が紙くずになる訳ですから、既に何兆円分も持っているドイツは痛手となる訳で、それは出来ないという事で金融支援を決定したのでしょうけれども、これは問題の先送り以外の何物でもありません。こんな手のさしのべ方をしたところで、底なし沼に引きずり込まれるだけです。何せ今のギリシャは溢れかえっている公務員がゼネストを起こしており、もはや国として機能していないのです。こんな状態の国にいくらお金を支援したところで、どぶにお金を捨てるのと一緒です。

 EC各国が、ドブにお金を捨てる決断をしたのですから、ユーロは売られて当然ですし、ギリシャだけの問題は正常な国にも飛び火するのは明らかなのです。そして、飛び火して直ぐに燃え上がる可能性が高いのがポルトガルであり、イタリアであり、スペインであるのです。ギリシャに対しては支援したのに、他は支援しないという訳には行かなくなりますし、これらが燃え上がるのも時間の問題としかいいようがありません。

 そして、その炎が英国に燃え移った時に、第二次世界金融危機の到来という事になる可能性が高いかと思います。というよりも、世界金融危機は終わっておらず、あくまでも第二波到来というだけの話でありますので、この金融危機に対してどんな名前が付くかは分かりませんが、とにかく相当酷い事態に至る可能性が高いと見ておくべきでしょう。

 もう一つだけ解決策があるとすれば、問題を先送りしている間に世界の景気が回復してくれればという事があるのですが、これはおそらく無理でしょうね・・・。確かに新興国の景気は旺盛かと思いますが、それを支えているのは先進国の金融緩和政策であり、それももはや限界は近いと見るべきです。

 新興国の代表格である中国ですが、上海万博は不発に終わりそうな気配も見え始めておりますし、お金をばらまき過ぎたために、とにかく物価の上昇に歯止めがかからず、金融の引き締めを実行しない訳には行かない状況になってきているのです。にも関わらず、既に株価は年初来安値を更新している状態であり、この問題をどうやって片付けるつもりなのか・・・。ちょっと想像難しい状態であります。輸出を伸ばしたい米からの元切り上げ要求も根強く、見通しは決して明るくないとしかいいようがありません。

 そして、これらの問題は日本にとっても人事ではないという事です。日本は国民の預貯金を無断借用し、それを公共事業に振り分けるという悪行を続けており、今尚預貯金に余裕があるためにそうした動きに歯止めがかかっていないという、とんでもない状況が続いているのです。後数年はこんな無茶な状態も続けられるかも知れませんが、そろそろ国民も危機感を抱き始めているのではないでしょうか。債務のGDP比はギリシャよりも酷い状態ですし、明日は我が身と心構えしておく必要があるのではないでしょうか。

 そして、肝心の株価ですが、既にピークアウトはしていると見て良く、下手な押し目買いは命取りとなりかねません。世界にはマネーが溢れており、一方通行で下落という事はないかと思いますが、それが故に間違った行動をしてしまう可能性が高い相場になると思われます。

 世界が目先の痛みを嫌う限り、問題は深刻化し続けるのです。癌を治すのに必要なのは、放射線治療であり、手術であり、生活習慣の改善でありなのですが、麻酔で痛みをごまかし続けていても治る訳がないのです。今の世界は、正にこの麻酔で痛みをごまかしている状態であり、治そうという勇気がないというか、政治家が国民にそれを説明出来ずにいる状態であるといえるでしょう。儲かるのはそうした事実を知り尽くしている一部の富裕層のみという事になってしまうのでしょうね・・・



(私のコメント)
当ブログは株式日記と題していますが、ブログを始めた頃は株式投資をしていたのですが、コイズミ政権が誕生してその経済政策に失望して株式投資から手を引いてしまった。一国の総理大臣が株式市場に関心が無いのは日本ぐらいだろう。昔は政治資金を株式投資で稼いでいた頃がありましたが、マスコミの批判が大きくなって政治家は株に手が出せなくなってしまった。

政治資金を株で稼いでくれれば株式市場の活性化にもなるし、政治銘柄と噂されるだけでも株価は上がる。小沢一郎みたいに不動産屋で政治資金を稼ぐ手段もありますが、沖縄の普天間問題も不動産がらみの問題なのだ。しかし政治家さんたちが株式にもっと興味を持ってもらっていれば、国際金融問題にも強い政治家が出来るだろう。

もちろん政治家と株式相場というとインサイダー取引がつきものですが、ちょうちんが沢山付いてくるから活性化にもなるのですが、仕手株も最近では死語になってしまったようだ。株式相場が低迷した時は仕手株でにぎわいをもたらして来たのですが、最近ではコンピュータでアルゴリズムで株を売買してくるから個人投資家は手も足も出なくなってしまった。

ニューヨーク証券取引所では株の誤発注による1000ドル近い暴落がありましたが、先物取引で単位を間違えて1000倍も多く売り注文を出してしまったらしい。つまりコンピューターを使えば実際には存在しない株式数の売買が成立してしまう。日本でもジェイコム株で誤発注事件がありましたが、昔ならありえないことだ。

もしこれが意図的な誤発注であるとすれば犯罪になる。コンピューター同士の売買だからあらかじめ誤発注をプログラムしておけば誰も手が出せない間に利益を取ることが出来る。コンピューター売買は一秒間に数百回もの売買に分散させてしまうから不可能な売買も可能にしてしまう。だから誤発注があったかも突き止めることが難しい。先物取引だから実際に株を持っているわけではなく指数だけの取引だから金のある方が必ず勝ことが出来る。あるいは誤発注ではないのかもしれない。

ギリシャの問題はサブプライムよりも大きな問題になるだろう。国債などの債券市場は株式市場よりも桁外れに規模が大きい。そしてギリシャ国債がデフォルトして紙切れになってしまえばCDOに組成されているからどこにどれだけ紛れ込んでいるのか疑心暗鬼になり売買が成立しなくなる。CDOの組成は複雑怪奇だからサブプライムローンが小さなものであっても格付けから暴落して手が出せなくなってしまう。ましてやギリシャ国債がデフォルトすれば影響がどう出るか全く分からない。

このように最近ではコンピューター取引やデリバティブやCDOやCDSなど何がどう絡んでいるのか中身が全く見えない。誤発注にしてもコンピューターのアルゴリズムを解析してみなければ分からないのだろう。株価が異常な動きを示せばコンピューターもそれに合わせた売り注文を出すから誰がどう誤発注をしたのかも分かりにくい。

日本のジェイコム株のような単純な誤発注ならすぐに分かりますが、コンピューターによる完全自動売買で誤発注があること事態が信じられないのですが、株式売買は自動化されてロボットが株式売買をしている。もし株式分析ソフトが正常で売りの指示を一斉に出したらこうなるのかもしれない。ギリシャ問題でヨーロッパで変調が出ていたからだ。

ギリシャ問題はしばらくの先送りは可能でも、ギリシャ国民が緊縮財政を受け入れる様子は無いようだ。ギリシャは三人に一人が公務員であり56歳から年金が出る。働いて真面目に税金を納める人がいないのに年金や公務員給与で出る一方では大胆なリストラが必要だ。しかし公務員のデモは収まりそうもない。遅かれ早かれギリシャはデフォルトするだろう。

ギリシャがデフォルトすればPIGS諸国にも金融危機が広がる。ニューヨークの金融ロボットはそれを素早く分析して売り指示を出したのかもしれない。1998年のロシア危機も今回のギリシャ危機も状況は似ているのだろう。ロシアもIMFが一度は救いましたが結局は破綻しました。その結果ヘッジファンドのLTCMが破綻した。LTCMのコンピューターはロシアのデフォルトを想定していなかった。

LTCMは割安だったスペインの国債を買い割高だったアメリカ国債を売っていた。それがロシアのデフォルトでLTCMは股裂きにあってしまった。ロシアのデフォルトでアメリカ国債が値上がりしてスペイン国債が暴落したからだ。今回も危険回避でドルや円が買われていますが、結局は経済力から見れば日本とアメリカが強いのだろう。

しかしアメリカも中国がおかしくなれば米中経済は一蓮托生だからドルも危ない。結局は円ばかりが買われて、一番強い経済力を持つ国が生き残るだろう。日銀は慌てて2兆円を市場に資金供給しましたが、円高と言う事は日銀に資金供給を求めている信号であり、世界経済は円とドルが支えている。ユーロはギリシャを切り捨てないと埋没してしまうかもしれない。

問題はギリシャの次はどこかと言う事ですが、PIGS諸国ばかりでなくBRICs諸国にも飛び火するかもしれない。S氏が言うように中国も元の切り上げを迫られてどうなるか分からない。インドも絶好調ですが先進国からの資金が回転しているからですが、いったん危ないと噂が広まればギリシャのような目に遭うだろう。次ぎは日本だという人がいますがどうして円が買われるのか分かっていないようだ。




肉食女(勝間和代)VS草食男(ひろゆき)のテレビ番組での討論
アメリカ的な金銭第一的労働価値観をひろゆきがボコボコに論破!


2010年5月6日 木曜日

デキビジ 勝間和代 VS ひろゆき (若者の起業編) 5月3日 魚の目

勝:若年層の人たち、若い人たちが今なかなかですね、こう少子高齢化の中で元気が無いといわれているんですけども、若い人たちが元気になるためにはどうしたらいいですか?

ひ:元気にならなきゃいけないんですか?

勝:そこですよね、やっぱり。困ったんですよ。実はテーマとして雇用促進というのを話そうか、若者に対して起業をもう少し促進することをどうやったらいいかということをですね、議論にしようということを予定していたんですが

ひ:会社側が求人出してばんばん雇えばいいんじゃないですか?

勝:え?

ひ:雇用促進ですよね?

勝:じゃ、例えば若い人たちが起業したいと思う・・・

ひ:いや、金持っているのは歳取った層ばかりなんだから、歳取った層が自分で若い人雇えばいいんじゃないですか。なんで若い人が起業しなきゃいけないんですか?

勝:若い人は起業しなくていいんですか?

ひ:したければすれば良いと思いますけど。

勝:ひろゆきさんは今、2ちゃんねるというのは起業だったんですか?

ひ:いや、あれ趣味ですけど。

勝:じゃあ起業はしていない、今も?

ひ:まあ、会社は大学のときに作りましたけど。

勝:起業しましたよね。その会社今どうなったんですか。

ひ:ペーパーカンパニーとして細々とやっていますけど。

勝:じゃ、起業は若い人たちはやりたければすれば良いという発想ですか?

ひ:ええ、当然。

勝:じゃあ逆に今起業する人たちが、例えば堀江さんがああいうことになって結局起業ブームが一回あったけれども、こう起業してもなかなかうまくビジネスに繋がらない、得じゃないみたいな風潮が出てしまっているような風潮があるような印象が私にはあるんですけれども。

ひ:風潮がどうこうじゃなくて儲かるんだったら、まあ例えば歳取ってる人の方が社会経験もあってお金も持っているわけじゃないですか。だから歳取った人が起業すれば良いだけで、なんで若者に起業させようとするのか分かんないですけど。


勝:起業しなくても良いということであれば、逆に若い人たちはずっと高齢者の人たちが作ったビジネスの下で粛々と仕事をしていると良いんでしょうか?

ひ:起業したければすれば良いと思いますし、起業したくなければしなくてもいいと思います。それは選択の問題なので若い人が勝手に決めればいいんじゃないですか。

勝:若い人たちが起業する自由というのが今どんどん減ってきていると思いませんか?

ひ:いや、自由はあるんじゃないですか。起業を制限する法律とかあればそれは自由は無いと思いますけど、年齢制限無いじゃないですか。


勝:実際規制とかが日本の場合はかなり高いですよね。

ひ:いや、年齢による規制は無いですよね?

勝:いや、年齢による規制ではなくて、新規ビジネスをやろうと思った場合に小規模で事業を始めようとした場合に、例えばアメリカと日本で比べて同じビジネスアイデアを持っていた場合に、どっちの方がエンジェルが集まりやすいかというと、

ひ:いや、エンジェルなんか集まるのってほとんどないですよ。日本で中小企業10万社とかありますけど、エンジェルつきましたって多分1000社も無いんじゃないですか。そんな少ない例を出してあたかも言われるとちょっとどうかなと思いますけど。

勝:じゃあ、エンジェルではなくて例えば1000万円くらいの資本で起業した場合にどうでしょう。それはもうほとんどハードル同じということですか?

ひ:1000万円持っているっていう時点でもう若者じゃないと思いますけどね

勝:じゃあ、借り入れにしましょう。

ひ:1000万円借りれる若者なんていないですよ。

勝:そうですよね。そういう話です。だからみんなエンジェルを探したりVC(ベンチャーキャピタル)を探したりするんですよね。

ひ:いやいや、日本にある会社でVCとかエンジェルとか付く会社なんてほとんどないですよ。

勝:あとは死ぬ気で貯めますよね、小資本で数百万円とか貯めて小さな事務所を借りたりして、

ひ:普通って会社とか入って、例えばなんか会社の仕事をやって、その職種とか知り合いとか取引先を連れてって独立するとかありますけど、なんもないところで1000万集めて会社作りますとか普通って、ちょっとおかしくないですか?

勝:普通とは言ってないです。

ひ:あ〜、だからそれを例として出すのはちょっとずれていると思う。

勝:じゃあ逆にですね、企業勤めをして何かビジネスチャンスを見つけて、賛同者を募って独立する、このパターンは今までとまだまだ変わっていないということですか?

ひ:いや、それが一番安全じゃないですか? だってもともと回っているその職種、取引先、お客さんがいて、それをずらすだけじゃないですか。

勝:でもその中でもう少し議論を深めますと、ここ20年間で例えば新しいベンチャービジネスとして建った会社、例えばあの時価総額の上位何十社とか見ますとソフトバンクくらいしか新しい会社として建ってないわけですよ。それはそれで良いんですかね?

ひ:だって孫さん優秀ですからね。あんな、孫さんほど優秀な人いないっすよ、あんまり日本に。

勝:でも逆にある程度アメリカとかに比べますと新陳代謝が遅いという傾向があるわけですよ。それはもうそういうものだから仕方ないと?

ひ:いや別に新陳代謝とか、要は良い商品を作ればお客さんは買うけど、お客さんがいらないから買わないわけで、でそれは別に社会がどうこうじゃなくて必要な物を作っていないってだけだと思うんですけど。

勝:では必要な物を作っていないので、若者の起業が少ないことが問題ではないということですか?

ひ:ええ。だって需要があって、それを老人が作ろうが若者が作ろうが、欲しい人は別に作者がだれかなんてどうでもいいわけでじゃないですか。今だってシャネルの商品をシャネルのデザイナーが誰かなんて分かってないで買ってるじゃないですか。

勝:じゃあ日本は何故ですねそういったような、新製品ですとか、起業とか成長ができないのでしょうか?

ひ:大企業が優秀だからじゃないですか?

勝:そこがね、私と価値観の違いだと思うんですよ。私はね大企業がちっとも優秀じゃないと思ってるんですよ。

ひ:いや、大企業は商品を毎年出してますよ。例えばポッキーとか毎年変わってるじゃないですか。

勝:正確に言うと大企業は優秀なんですけれども、ある程度の一つの枠組みの中での競争ではものすごく優秀なんですが、そのサラリーマンとしての、その枠組みを超えたようなビジネスが出てこないのが日本の停滞の一つ・・・

ひ:いや、例えば缶ジュースっていうのを若者が作っても、大企業が作った缶ジュースほど売り上げあげられないと思いますよ。

勝:若者は大企業の中でビジネスアイデアをもっともっと採用されて作ってもらう方が効率的ですよね。

ひ:いや別にそれでも良いですし、別にその大企業の缶ジュースよりも良い缶ジュースを作れる若者がいれば、それは缶ジュース作って売れば良いと思うんですよ。

勝:でも、缶ジュースの市場に参入するのにそれこそ100万、200万じゃ全く無理ですよね?

ひ:はいはいはい。

勝:その場合に、だってできないじゃないですか?

ひ:いや、でも缶ジュース自体は作ろうと思えば安く作れますよ。で、その別に日本中に配ろうと思わないで、じゃあ知っている商店だとか知っているコンビニに入れてもらうとかっていうので、徐々に広げていくのは不可能ではないと思いますよ。

勝:でも、例えば今一本缶ジュース120円くらいですよね。で原価率考えると1本儲って、ディストリービューション考えるとせいぜい50円、60円マックスしか儲らないと、それをそれこそ何万本という単位で売らないとできないことを考えると、やっぱり今現在若者が小資本で缶ジュースの資本に入るのは現実的な解ではないですよね。

ひ:まあ、缶ジュースは例として出しましたけど。それだったらやっぱり大企業が大資本で安く提供できているわけだから、大企業の商品生産能力って高いからすごいよねっていう話で良いじゃないですか。

勝:でもその割には、

ひ:だって、みんな缶ジュース安くおいしく飲めて良かったと思っているわけだから。


勝間さん対談の睡眠不足の反省と、幸福論 ひろゆき@オープンSNS

そんなことは、当たり前のことだと思ってたんですが、
番組の構成上なのか、
本気なのかわかりませんが、
働いてお金を稼ぐことだけが幸せで、
それが出来てない人は、
不幸だと考えるのは、どうかと思うわけです。


顔が悪いとか、金が無いとか、頭が悪いとか、病気持ちとか、歌が下手とか、
欠点を積み重ねていったら、
誰だって不幸な気がしてくるわけですよ。

欠点の無い完璧な人以外は、
楽しいことを追求して、楽しい面をみて、面白く暮らすほうが、
幸せな生活が出来ると思うわけで、
結果としては、そのほうが、
幸せな人の数は増えると思うんですよね。


ってことで、
日本人の幸福度を上げたいんだったら、
「お金が無い=不幸」 みたいな考え方を
他人に強要しないほうがいいと思うんですよね。



(私のコメント)
ユーチューブなどの動画サイト上では勝間和代と西村博之の討論が話題を呼んでいますが、勝間和代の価値観の押し付け的な主張に対して、ひろゆきが反論を加えてボコボコにしている。テレビなどを見ていれば「勝ち組」だの「負け組」だのと煽り的な価値観の押し付けがありますが、だからテレビを見ていると馬鹿になります。

テレビは一方的なメディアだから視聴者からの反論は受け付けない。しかしネットの世界は双方向的だから反論があれば反論する事が出来る。テレビに限らず新聞やラジオも一方的な価値観を押し付けてきますが、知らず知らずの間に洗脳されてしまうのです。

10人いれば10通りの意見があってもおかしくは無いのですが、少しでも意見が違うと噛み付いてくる人がいますが、そういう人は優秀なのでしょうが狂っているのでしょう。幸福論にしても10人いれば10通りの幸福論があるはずですが、働いてお金を稼ぐ事ばかりが幸福なのではない。

テレビなどのマスコミはよくアンケート調査をしますが、答える人は「やっぱり・・・」と答える事が多い。このように既成の価値観に閉じ込められてしまうと閉塞感に囚われるのであり、異なる価値観を持てば閉塞感など関係ないだろう。勝間和代氏も売れっ子の経済評論家ですが、価値観の旗振り役としてはもってこいの役者なのでしょう。

日本人は紳士が多いから女性が言って来た事に対して、真向から反論することは少ない。ましてやテレビの前でボコボコに論破されたら立つ瀬がなくなります。言う事すべてに根底からひっくり返されたのでは、想定されていた討論が成り立たなくなってしまいます。

頭の良い人は正解のある問題に対しては非常に強いから先を読むことが出来ますが、正解のない幸福論的な問題に対しては弱さを見せてしまう。しかし幸福論でも教育などによって統一してしまえば人間を画一的に扱えるようになってしまう。学校や会社などでも価値観を統一させられてしまって会社人間になってしまえば、管理する側も扱いやすくなる。

勝間和代氏は外資系のエリートコースを歩んできたキャリアウーマンの代表であり、ひろゆき氏はフリーターの代表的人物ですが、価値観や幸福論でも噛み合うはずが無い。このような価値観のぶつかり合いは家庭内でも起きていて妻は夫の出世を望んでいるが、夫の方はテレビでナイターを見るのが唯一の楽しみかもしれない。これらはどちらが正しいとはいえない問題だ。

男と女の価値観や幸福感の差かもしれませんが、勝間氏の決め付けてきな発想に対してひろゆき氏は徹底的に反論する。これらの答えは教科書にも書いてない問題だから勝間氏は立ち往生してしまう。日本のGDPが世界で第何位であろうと幸福とは何の関係も無い問題だ。

アメリカは何でも世界第一位でなければ気がすまない国民であり、戦争をして勝たなければ気がすまないからイラクやアフガニスタンで勝つまで戦い続けるだろう。しかしこんな生き方がアメリカ国民にとっても幸せになるのだろうか? ビジネスでも投資会社で働いて何億もの金を稼ぐ事が幸せと言えるのだろうか? 

勝間和代といえば自己啓発本の著者でもあり、日本には多くの勝間信者も多くなりました。同時にひろゆき氏もネット界のカリスマとして信者も多く、既成概念に囚われない行動は話題を呼ぶ。二人の対決は両極端の対決でもあり、勝間氏が話をひっくり返されても意地を張ってしまう。自己啓発的な生き方は一つの行き方であり、こうでなければならないと言う事は無い。

全ての人が勝ち組になる事は論理的にありえませんが、勝ち組負け組という分け方も間違っているのだろう。勝ち組と言われた人も後でボコボコにされた例は多い。マスコミでは日本は負け組に仕分けされていますが、勝ち組の中国も今にアメリカのように世界中からボコボコにされる時が来るだろう。金に奢れるものは今に金に泣く。アメリカも中国も歴史が無いから金に拘るのでしょうが、昔も今も変わらない代表の日本は歴史があるから物事の見方も幸福感も金には拘らない価値観を持っている。




中国の海軍事力増強に対して周辺アジア各国は危機感を高めている。
今までの圧倒的な米海軍力は中国経済水域では通用しなくなっている。


2010年5月5日 水曜日

中韓の攻勢に苦慮=「普天間」影落とす−鳩山外交 5月4日 時事通信

アジア外交重視を掲げる鳩山政権が、中国・韓国からの「圧力」に苦慮している。中国海軍は日本周辺海域の訓練を実施して存在感を誇示。韓国は日韓が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)の実効支配を強めている。日本外交の基軸である日米関係が米軍普天間飛行場移設問題の影響で揺らぎ、「中韓から足元を見られている」(外務省筋)側面があるようだ。

 中国海軍の10隻の艦隊は4月、沖縄本島と宮古島の間を南下、日本最南端の沖ノ鳥島の西方海域まで進出する訓練を行った。訓練中、8日と21日に海上自衛隊の艦船に中国のヘリが異常接近する行為が発生、日本側関係者を慌てさせた。

 最初の接近飛行に日本側が抗議したのは4日後。12日の日中首脳会談でも鳩山由紀夫首相はこの問題を提起しなかった。2回目の近接飛行の際に政府は即日抗議したが、中国側は「日本の警戒監視活動に対する必要な防衛措置」と正当化。程永華駐日大使は「日本の艦艇が付きまとっていた」と日本の対応を逆に批判した。

 今月3日には、中国の海洋調査船が日本の排他的経済水域(EEZ)内で海上保安庁の測量船を追尾するなど、洋上での示威行動が続いている。

 一方、韓国政府系機関は15日、竹島周辺海域で地質調査を行うと発表。韓国の金炯◆(日ヘンに午)国会議長が18日、同国議長として初めて竹島を訪問する出来事もあった。地質調査に対し、日本側は直ちに抗議したものの、岡田克也外相は同議長については「(政府関係者ではないので)どう言うべきか、なかなか難しい」と言葉を濁した。

 日本政府が厳しい対応を取れない背景について、外務省幹部は「普天間にエネルギーを吸い取られ、他の課題に手が回らない」と明かす。普天間問題の5月決着が絶望的な状況の中、中韓との関係悪化を招けば、政権の命取りになりかねないとの判断もありそうだ。

 首相が指導力を発揮する動きも見られない。政府内からは「ますます中韓の行動がエスカレートするのではないか」との懸念が強まりつつある。(


Chinese Military Seeks to Extend Its Naval Power By EDWARD WONG 地政学を英国に学ぶ

(前略)
●2009年の米国防省のレポートによれば、中国海軍は260隻をもっており、そのうちの75隻は「主要戦艦」であり、潜水艦は60隻以上ある。このレポートでは空母が建造されており、中国はロシアから艦載戦闘機を購入することについて「引き続き大きな関心を見せている」と記している。

●米海軍286隻の戦闘用艦船と3700機もの海軍機を持っており、しかも船ごとに比べても質的には中国のものよりははるかに勝るものだ。


●米国防省は中国を敵国としては分類していない。しかし元米海軍士官でワシントンにある国防大学の教授であるバーナード・コール(Bernard D. Cole)は、アメリカは最近になって中国の国力増大に対応する形で潜水艦部隊を大西洋から太平洋側に移動させており、彼らのもつ攻撃型の原潜のほとんどは現在太平洋に配備されたという。

●また、アメリカは冷戦後には中止していたグアムからの三隻か四隻でまわす潜水艦のパトロールのローテーションを復活させたとコール教授は言っている。

●アメリカの艦船は海南島の潜水艦基地の監視を強化しており、これが中国の船との摩擦を時おり引き起こす結果となっている。昨年の米艦船インペッカブルによる調査は中国の漁船による妨害にあい、中国側はその海域が「経済排他地域である」という理由から調査を中止させる権利を持つと言っていた。

●アメリカと中国はこのような「地域」(国連では沿岸から200海里となっている)の範囲について合意ができておらず、アメリカ側はその沿岸国はその地域内で特別な商業権を持っているだけだと主張しているが、中国側はその地域内だったらほぼ全ての活動をコントロールできると主張している。

中国の軍部の人々は中国海軍が完全に自衛的な目的のための軍隊であるという立場を崩していないが、三月に中国の提督たちが主張したように、中国の「自衛」という定義は海洋/経済分野にまで拡大しつつあるのだ。

東シナ海艦隊の副司令官であるザン・フアチェン海軍少将は、国営の新華社通信のインタビューに対して「われわれの海軍戦略が変化しつつあるように、われわれは沿岸防衛から遠洋防衛に移りつつあるのだ・・・国家の経済面での権利が拡大しつつあり、中国海軍は国家の運搬ルートを保護し、われわれの主要なシーレーンの安全のさらなる確保を求めているのだ」と答えている。

●また彼は、「この目的を達成するためには、中国海軍はさらに大規模な艦船とさらに全体的な能力を向上させる必要がある」と言っている。

●中国海軍の予算は中国軍全体の予算の三分の一を占めており、コール教授によれば、これは「北京政府が海軍を国家安全保障の一手段として優先順位を高くしていることを示すもの」なのだ。

中国の2010年度の公式の軍事予算は780億ドルであるが、米国防省はそれ以上の額を使っていると言っている。たとえば去年、米国防省は中国の軍事費の支出は1050〜1500億ドルであると見積もっているのだが、それでもこれはアメリカの国防費よりは遥かに低い。

●たとえばオバマ政権は国防省の次年度の基礎予算として5489億ドルを要求している。

●先述のシンガポール大学の学者であるフアン氏は「中国海軍がその発展に最も力を入れているのは潜水艦部隊である」と言っている。

●たとえば最近になって中国海軍は宋級の潜水艦を少なくとも二隻建造しており、これらは弾道ミサイルを持っている艦隊にすでに所属して活動をはじめており、他にも新しく二隻が建造中なのだ。最近も二隻の( Shang-class )級の攻撃型原潜が活動を開始している。

●オーストラリア国防大学教授のカーライル・セイヤー(Carlyle A. Thayer)は、この動きに対して独自の兵器調達に動きはじめたと言っている。

まず12月にはベトナムがロシアからキロ級の潜水艦を含む兵器購入の契約を交わし、これによってベトナムは東南アジアにおける最も強力な潜水艦部隊を持つことになった。

●また去年にはマレーシアがフランスから購入した初の潜水艦を受けとり、シンガポールはスウェーデンから購入した二隻のアーチャー級の潜水艦を就航させている。


●去年の秋にシンガポールの元首脳であるリー・クワン・ユーは、中国海軍の力の上昇に従って不安が広がっていることを述べつつ、アメリカがこの地域でプレゼンスを維持するよう求めている。

●彼は「太平洋において圧倒的な優位を維持するのはアメリカの国益の核をなすものだ。この立場を諦めてしまえば、アメリカが世界中で果たしている役割を減少させることになる」と言っている。


(私のコメント)
ゴールデンウィークも今日で終わりますが、一気に初夏の陽気となり天候に恵まれたゴールデンウィークになりました。しかしながら東アジアの海域は波が高くなり始めています。中国海軍の台頭により示威的な活動が目立ち始めています。それに対してアメリカ海軍はそれに対しては中国を刺激するような活動は控えているようだ。

日本の鳩山政権が普天間の基地問題で中国海軍の動向にまで手が回らないのと同様に、アメリカ政府もイラク戦争やアフガニスタン戦争で手が一杯なのと同様のようだ。しかしこれは身から出た錆であり、イラクやアフガニスタンで殺戮をやりたい放題やってきたのだから思わぬ反撃を招く事もある。

ニューヨークにおける自動車爆弾テロ未遂事件はパキスタン系アメリカ人によるもののようですが、いよいよイスラム系武装勢力もアメリカ本土内でのテロ実行を始めたのだろうか? 今回の自動車爆弾はお粗末な花火のようなもので嫌がらせ程度のものだった。もともとアルカイダのようなアフガニスタンの山岳武装勢力が9・11テロのような緻密な作戦が出来るのか疑問を持たせるものだ。

メキシコ湾の海底油田の爆発も泣きっ面に蜂のような災害ですが、アメリカにはもはや中東で長期の戦争が出来るような状況ではないのは確かだ。北朝鮮も韓国の哨戒艦を魚雷で沈めたようですが、アメリカの出方を探っているのだろう。しかしアメリカは今書いたように新たなる戦争が出来るような状況ではない。

さらに日本政府が沖縄の普天間基地問題で大きく揺れていますが、問題が拗れれば日米同盟にも影響が出てくるような問題が起きている。在日米軍基地が存在するからこそ東アジアにおけるアメリカのプレゼンスが保たれているのですが、日本政府も在日米軍に多額のもいやり予算を計上している。

自民党政権が続いていれば、このような日米体制は続いていたのでしょうが、親中国的な民主党政権が出来て日米関係も転機が来つつある様だ。最近のオバマ政権はG2などと言い出して中国と手を組む事で21世紀の世界を仕切っていこうと中国に呼びかけた。しかし中国はこれを拒否して新興国の旗頭としての道をとるようだ。

アメリカは日本のような従来からの同盟国は切り捨てて中国と組んだ方がいいという学者も増えてきましたが、ブレジンスキーやキッシンジャーはその中心的存在だ。日本から見ても経済的にはアメリカよりも中国との関係が大きくなっている。日本としてもアメリカ一辺倒の外交から多極的な外交が求められるようになって来たようですが、軍事的にも独自のスタンスを持たないと米中の狭間に翻弄されてしまう事になるだろう。

自主独立外交に切り替えるにしても日本には政治家も官僚もそのような体制になっていない。自衛隊は装備などがアメリカ軍の下部組織になってしまって船も飛行機もアメリカ軍から情報を貰わないと動けなくなってしまった。だから今から自主独立の体制を整えるにしても10年から20年の長期の計画を立てないと体制は整わないだろう。

アメリカが中国の巨大市場に目を奪われるのは仕方の無い事であり、台湾のように日本もいずれは切り棄てられるだろう。中国もアメリカに対して中国を取るか日本を取るかの二者択一を迫ればアメリカは中国を取るだろう。軍事的には中国の経済水域においては中国海軍に勝てなくなって来ている。アメリカの調査船が入ると中国の軍艦が出て来て追い出されるのだ。日本に対しても同じだ。


<中国>調査船が日本のEEZ内で海保船に測量中止を要請 5月4日 毎日新聞

海上保安庁は4日、鹿児島県奄美大島の北西約320キロの日本の排他的経済水域(EEZ)で3日、海上保安庁の測量船「昭洋」(98メートル、3000トン)が、中国の国家海洋局の海洋調査船「海監51」(88メートル、1690トン)に約1キロの距離まで接近、追跡されたと発表した。海監51は無線で「中国の規則が適用される海域だ」と測量中止を要請してきたという。測量船に中国船が接近し、調査の中止を要請したのは今回が初めて。外務省は4日、「日本のEEZ内での正当な調査だった」として中国政府に抗議した。

 海上保安庁によると、現場は両国の地理的中間線から約40キロの日本側海域。昭洋は海底に設置した地殻構造の観測用機器を引き揚げる作業中だった。海監51が3日午後2時ごろから約3時間にわたって追跡したため、昭洋は調査を断念して同海域を離れた。

 海上保安庁によると、EEZの海域を巡っては日中間に隔たりがあり、今回の現場海域は中国が自国のEEZと主張している。他国のEEZ内で調査をする場合、相手国の事前了承を得る必要がある。

 東シナ海では4月にも中国海軍のヘリコプターが2回にわたり海上自衛隊の護衛艦に近接飛行。外務省が「安全航行上、危険な行為」として抗議したばかりだった。【池田知広、石原聖】



(私のコメント)
中国の嫌がらせ行為はますます露骨になってくるだろう。それに対して日本もアメリカも戸惑いを隠せませんが、戦前の中国の態度を見れば不思議でもなんでもないのであり、挑発行為を繰り返しながら列強の反撃を食らって中国はボロボロにされた。現代では西太平洋を舞台にそれが行なわれているが、日本はアメリカも頼りにならなければ独自に対応しなければならなくなるだろう。




紙の本が電子書籍化することで、有名作家と無名のアマチュア作家との
差別化は無くなり、単行本が100円から500円で売られるようになる。


2010年5月4日 火曜日

電子書籍の開放を阻むべきではない 4月14日 佐々木俊尚

プラットフォーム戦争に敗走している日本

だがこうしたアンビエントなネットワーク環境という方向性においては、日本の産業界はほとんど壊滅状態だ。日本産業界が標準化戦争において優位を占めていたのはVHSやDVD、SDカードといった規格のレイヤーだけで、残念ながらネットワーク化されたサービスを構築することにはほとんど成功していないし、たまに見られるその方向への取り組みはたいていが的外れだ。「ものづくり」に拘泥するあまり、あいかわらず単体の製品をていねいに作ることにしか目が向いていないのである。

もちろん、それでも高品質にていねいに作られた製品を好む人はいなくはならないだろう。でもそれはしょせんはピュアオーディオみたいなもので、極小ニッチな市場にしかならない。「それでも日本人はそういう高品質製品を好む」というような主張は、いまの格差社会化から目を背けた視点でしかない。 

ブルーレイもそうだ。ブルーレイの規格化でも日本のベンダーは主導的な役割を果たしたが、しかしグローバル市場で見れば映像市場は徐々にネット配信に向かいつつある。そしてその方向の先に曲がりなりにも食い込めているのは、Googleと組んでSTBを仕掛けようとしているソニーぐらいしかいない。日本企業はブルーレイの映像の美しいハードディスクレコーダーは作ることができるけれども、iTunesやKindleは作ることができないのだ。

たぶん今後は日本メーカーからもKindleやiPadのような電子書籍リーダーは次々と出てくるだろう。特にKindleのような製品は既存の部品を組み合わせるだけでごく簡単に作ることができるから、すでに市場には類似製品があふれかえりはじめている。1月にアメリカで開かれたCESでは台湾などのメーカーから大量に似たようなタブレットが出品されていたし、昨年末に発売された大手書店バーンズアンドノーブルのnookにいたっては、何から何までKindleそっくりだ。

つまりは現行の白黒Einkベースの電子書籍リーダーなんて、しょせんはパソコンと同じぐらいコモディティ化した製品にすぎないのである。

問題は、そうした電子書籍リーダーというハードウェア単体ではない。リーダーと書籍購入サービス、書籍管理アプリケーションなどもふくめたアンビエントな環境をどう構築できるかということである。だから多くの類似製品は淘汰され、ほとんどが消えていくだろう。

そしてこのプラットフォームのレイヤーにおいては、標準はデファクト(事実上)しかない。工業規格は多くの場合、たとえばJISやISOなどの団体が策定して定めるデジュリ(規定された、という意味)スタンダードとなることが多い。しかしVHSやブルーレイのようにデジュリではなく、デファクトでスタンダートなった例もある。そしてプラットフォームのレイヤーではこれはもっと徹底的で、デジュリは皆無だ。WindowsにしろiTunesにしろKindleにしろ、どこかの団体が「今後はWindowsを標準として定める」などと決めたわけではない。あくまでもさまざまな競争が行われた結果、その帰結としてデファクトスタンダードが決定したのである。

念のために言っておくと、とはいえこうした工業規格のレイヤーとアプリケーションのレイヤーはあちこちで融解していて、たとえばHTML5は規格だが、アプリケーションのプラットフォームにもなっている。これがAdobe Flashと対立構図を作っていることなどは非常に興味深いが、それはまた別の話だ。

AppleやAmazonを排除するな、堂々と戦え

先ほどの電書協の話に戻ろう。「スタンダードを整備していきたい」というのが、単にePubの日本語化だけを指しているのなら、それは何の問題もない。とはいえ、ePubの日本語化作業にまたとんでもない長い時間をかけてしまうようならそれはそれで問題なのだが……。

だが電書協の記者会見のみならず、私が知る限りで最近の出版業界の動きを見ていると、どうも自分たちで大同団結してAmazonやAppleを排除し、独自のプラットフォームで日本の読者を囲い込もうとしているように見えてならない。

これがいったい何をもたらすのか。歴史上の前例から予測してみよう。

日本では1980年代、日本電気のPC9800シリーズが圧倒的なデファクトスタンダードだった。これをひっくり返したのが90年代に登場したWindows 3.1と後継のWindows 95。1990年代には日本国内でもPCのデファクトスタンダードとなった。マイクロソフトとインテル、いわゆるウィンテル帝国がもたらした市場支配にはさまざまな弊害もあったかもしれないが、しかし少なくとも消費者に多くの利便性をもたらしたことは間違いない。

日本電気のPC9800シリーズが、仮にデジュリスタンダードとして策定されて国内市場支配を続け、国策的にWindowsの侵入を退けていたらどうなっていただろうか? 日の丸パソコンとして誇るべき市場構造になっていただろうか? そういうバラ色の未来は想像しにくい。可能性の話でしかないが、あり得ないほど高い価格、使いづらいインタフェイス、少ないソフトウェア資産、海外市場との圧倒的な格差――。そうした状況が続き、日本国内のコンピュータ環境はかなり不幸なものになっていた可能性がある。

ただ幸いなことに、80年代のPC市場はPC9800シリーズがあまりにも独占支配していたため、当たり前のことだが他のPCメーカーがそうした状況を喜ばず、だからそうしたメーカーは喜んでWindowsの侵入を受け入れた。最近の幕末ブームにあやかっていえば、幕府を倒すために薩長土肥が英国と手を結んだようなものである。

もちろん、実は最も大事なのはそうした政治的駆け引きの話ではない。大切なのは消費者の目線だ。Windows3.1やWindows95が国内発売され、それらを利便性が高く安価なシステムであるとして消費者が受け入れたということが、結果としてPC9800からWindowsへの市場の移行を促したのである。デファクトスタンダードとなるかどうかを決めるのは、徹底的に消費者なのだ。

だから電子書籍の分野においても、AppleやAmazonなど海外勢の侵入を阻みたいのであれば、KindleやiPadと互角にわたりあえるアンビエントな優れたサービスを提供し、そこで消費者の信頼を勝ち取るしかない。つまり日本国内におけるデファクトスタンダード競争に参加するしかないのだ。その競争で、日本の消費者の選択を仰ぐというのが健全なあり方だ。コンテンツを囲い込んでデジュリスタンダード化を推し進め、AppleやAmazonを排除しようというのは、あまりにも読者を無視したバカげた戦略だし、そもそもそんな戦略は長続きしない。いや仮に長続きしてしまったら、日本の読者や書き手はあまりにも不幸な状態に置かれ続ける結果となるだろう。

だから電書協が何を考えようと勝手だが、iBookStoreやKindleStoreへの書籍コンテンツの提供を拒否し、自前のプラットフォーム用にとっておくようなことだけは断固としてやめていただきたい。海外サービスにも国内サービスにも同じようにコンテンツを提供し、その上で読者の選択を仰ぐべきである。

このまま出版業界の意固地な態度を放置しておくと、パブリのチープな本棚から電子書籍を購入し、それをFLEPiaで読むというような何とも愚かで暗い読書空間の未来が待ち受けているような気がしてならない。そんな未来は本の書き手のひとりとしても、そしてもちろん読者のひとりとしても、まっぴらごめんだ。



(私のコメント)
書籍販売市場は1兆円あまりで、さほど大きな産業ではない。その内のアマゾン一社で1800億円の売上げだそうですから書籍のネット販売割合は大きくなって来ている。最近は駅前商店街がシャッター通り化している所が多くなりましたが、ネット販売が可能な商品を扱う商店が厳しくなるのは当然なのだろう。

私自身もネットで物を買うことが多くなりましたが、専門店でも無いような商品を買うことが出来て自宅で決済が出来る。本などもネット販売が主流になるのも近い事だろう。ネット販売の利点は無店舗販売であり流通センターを用意するだけで出来る。アマゾンなども地方に巨大流通センターを作って本の発送作業を行なっている。

駅前商店街があればその内の一店は本屋がありましたが、今では本屋の無い商店街が増えました。だから余計にアマゾンのようなネット販売の割合が増えて来ているのだろう。しかし本を買う場合に買う本を探して本屋に行く事は少なく、ぶらっと立ち寄って新刊書などを見て欲しくなったら買うことが多い。

しかし大きな本屋が無いところではそのような本の買い方が出来ないからネット販売に頼らざるを得ない。そしてどのような動機で本を買うかというとネット上の書評などで話題になった本を買う事が多いだろう。本屋の様に店頭でパラパラッと見ることが出来ないから書評などに頼らざるを得ない。

「株式日記」も多くの本を紹介しているのですが、著作者はもとより出版社から感謝される事は無く、PHP社の様に著作権の侵害だと削除を要求してくるところもあるくらいだ。しかし最近ではPHP社の雑誌の記事を全文無料公開しているのはどういう訳なのだろうか? 

本を紹介する上では一部公開せざるを得ないのですが、それでも著作権法違反だと抗議してくる事がありますが、アマゾンなどでも数ページ分を無料公開しているものがありますが、アマゾンも著作権法違反だと言うのだろうか? グーグルだって一部公開しているが違法だと言う人はいない。にもかかわらず違法だと抗議してくる人は嫌がらせなのであり私に対する言論活動を妨害する事が目的なのだ。

有名な書評ブログなどでは出版社や著作者から献本される事が多いようですが、紹介されただけでベストセラーになる事もあるから、ネットでの書評は出版社にとっても有力な宣伝販売手段になっている。出版不況で本の売れ行きが落ちて来ていますが、書店の減少も原因の一つですが、ネットを上手く利用が出来ないのも原因のひとつだ。

書籍のネット販売からダウンロード販売に移っていくのは時代の流れなのでしょうが、既得権業者がそれに抵抗してなかなか進まない。最近ではキンドルやアイパッドなど専用端末なども普及し始めていますが、携帯やアイフォーンなどでも読める電子書籍が売られている。

佐々木俊尚氏の「電子書籍の衝撃」と言う本も、サイトで110円でダウンロード販売が行なわれましたが、注文が殺到してサーバーがダウンしてしまったそうです。今では音楽もCDを買う時代からアイポッドにダウンロードして聞く時代になってきましたが、書籍もそうなりつつあります。

ソニーのウォークマンは全世界に売れた音楽端末だったのですが、いつの間にかアップルのアイポッドに市場を奪われてしまった。ソニーが音楽業界と利害調整が出来なかったからですが、電子書籍でも出版業界と利害調整が出来なくてアマゾンやグーグルなどに市場を奪われてしまうのでしょう。動画などにおいてもダウンロード視聴がこれからの主流になるのでしょうが、テレビ業界などとの利害調整でも同じ問題が起きるだろう。

このように新しい産業を興すには既存の産業界との利害調整が必要なのですが、日本では法律を楯に新しい産業の芽を潰してしまう事が多い。日本にグーグルのような検索サイトが出来なかったのは著作権法違反だという行政当局の判断があったからだ。音楽のネット販売にしても著作権管理団体が利権を握ってしまって天下り団体になってしまった。

出版業界でも電子書籍に対する会合が出来ましたが、おそらく文化庁や経済産業省の天下り団体を作って規制で固めてしまって、コンテンツの囲い込みで電子書籍化は遅れるだろう。その結果アマゾンやグーグルが世界的な電子書籍を支配するようになって、気がついた時は主導権を奪われている事になりかねない。

佐々木氏はパソコン業界を例に上げていますが、日本のパソコンはPC9800シリーズが主流になりましたが、世界標準はIBMマシンだった。パソコン自身は一企業でも出来る事ですがOSやアプリケーションソフトは一企業だけでは絶対に出来ない。そんな事は分かっていながらもNECはPC9800を作り続けた。私も50万円もするPC9800マシンを買って大損害を受けた。

連休中は私もパソコンを弄り回しているのですが、秋葉原などで中古のパソコンを買って来ては改造して動かしてみたりしています。最近のパソコンの値下がりは異常なほどであり、クワッドマシンが3万円台で売っている。コア2デュオマシンは1万円台で売っていた。もちろんOS付だ。それにビデオキャプチャーボードを取り付けて自家製ビデオレコーダーを作ってみましたが、このようにパソコンは只みたいに安くなった。

このようにパソコンは安くなりOSやソフトの方が高いという産業構造が日本経済の不振の元になっている。ウイルス対策ソフトだけでも6000円から1万円以上もする。このように電子書籍も端末は安くなる一方でしょうがコンテンツを支配しないと儲からなくなるだろう。アップルは音楽ソフト流通を独占してしまいましたが、書籍でも同じ事が起きるだろう。


コンテンツ産業が衰退する電子化時代なんておかしい 角川歴彦

──電子書籍サービスの提供主体として、アマゾンやアップル、グーグルの存在感が増すなかで、日本の会社からは今のところ有力なサービスが出そうにない。

 アップルのiTunesやiPhoneは大成功しているわけだけれども、そこに音楽やアプリケーションを提供する会社はどれだけ儲けているだろうか。iPhone向けのアプリケーションで成功した会社も、せいぜい、年間数千万円とか数億円というレベルだろう。

 一方で、任天堂のファミリーコンピュータやNTTドコモのiモード向けにソフトやサービスを提供した会社のなかには上場した会社がいくつもある。

 アップル自身が数兆円という規模で拡大するなかで、コンテンツ産業が衰退していくのはおかしい。コンテンツという卵を産むニワトリは、きちんと生かしておく必要がある。

──では、日本の出版業界は何をすべきなのか。

 独自のプラットフォームも模索するべきだし、アップルのような会社に対しては強い交渉力を持つべきだ。

──しかし、出版業界は縮小が続いている。新たな分野で生き延びる余力はあるのか。

 これからは1億総クリエーター時代がくる。そういうことに編集者は敏感になる必要がある。そういうことは、本当は得意なはずだ。じつはこれまでの出版業界も「少年ジャンプ」や芥川賞など、大衆のなかから才能を見出す媒体や仕組みを持ってきたからだ。

 ところが、現在の出版社の組織は硬直化し過ぎている。大衆からの情報発信を受け取る新しい仕組みが、社長よりも上位にくるような組織に改編するくらいの発想の転換が求められるのではないか。

──著作権法も変えるべきだと唱えている。事前に許諾を取ったものだけ掲載することを許された現行の著作権法を、インターネット時代に合うように、原則自由にして、問題がある場合に事後に削除する形式に変えるべきだと。

 ある出版社が写真のアーカイブのサービスを始めようとした。旅費などの経費はすべて負担したのだから、その出版社が誌面で使った写真をアーカイブにして読者に見せたいと思うのも不思議はない。

 ところが、そのサービスが開始すらされていないのに、その出版社は裁判で負けて、カメラマンに200万円を支払うことになった。出版社が大儲けしてカメラマンに1円も入らないならわかるが、これは、まだ開始前の話。

 こんな状況では、皆萎縮して新しいビジネスに挑戦しなくなるだろう。



(私のコメント)
「株式日記」ではネット時代における著作権法の問題点を指摘してきましたが、著作権者の権利が歪な形で肥大化して行って、著作活動を萎縮させる方向に向かっている。小さなライブハウスで曲を演奏しただけで著作権料を取るのは行き過ぎだ。本やブログを数ページコピーしただけでも著作権違反だと抗議してくる人がいる。そのような過剰な権利意識が新しい産業の芽を潰してしまっている。

角川氏は日本のコンテンツ産業の中心人物ですが、過剰な著作権の拡大解釈によって過去の作品の再利用もままならなくなっている。その為にカメラマンに裁判で負けて200万円も払う事になってしまった。電子書籍でも同じような問題が起きるだろう。電子化しようとしても著作権者が許可しなければ出来ないからだ。裁判所も時代の流れが読めないからこんな事が起きるのだ。




日本は歴史で初めて、東洋に「隣合ってはいるが、決してその一部
ではない」という認識に立って行動すべきときを迎えているのである。


2010年5月3日 月曜日

高坂正堯著「海洋国家日本の構想」(『中央公論』1964年9月号初出)


中国との対し方  高坂正尭著「海洋国家日本の構想」 5月3日 リアリズムと防衛を学ぶ

 戦後日本の針路をどう考えるべきか。それを世に問うた名著が高坂正尭先生の「海洋国家日本の構想」です。これは冷戦中に書かれた本なのです。しかし今これを読み直せば「なんと、これは今現在の問題じゃないか」と思わせる記述が多くあります。

「東洋の離れ座敷」から「極西の国」へ

 日本は特殊な位置にあります。中華文明から近からず、遠からずの場所です。ために中華文明を大いに輸入しながら、漢化されることがありませんでした。中華に近すぎるが故に中華のフルコピーを目指さねばならなかった地域には到底不可能だったことです。この傾向ははるか古代からある、と著者はいいます。

『日本に入ってきた最初の中国文明を代表するものとして、銅鏡がいかに日本化されたかという過程は、その後のすべての日本と中国の交流を象徴しているように思われる。

日本人は、中国人にとっては宗教的な意味があった怪獣紋を純粋に装飾として扱い、それがいつのまにか幾何紋に変り、やがて家屋紋や樹木紋のように自然主義化されていったのである。』(p54 「海洋国家日本の構想」高坂正尭)


 このようなことが可能であったのは、日本にとって中華までの距離が比較的遠く、かつその間に荒海が横たわっていたことによります。距離と海は日本にとって文明的のみならず、軍事的にも防波堤となりました。

『日本は中国周辺の国のなかで、はっきりとした貢納国とはならなかった唯一の国となった。……なぜなら中国はあまりにも遠い存在であり、決して日本にとって現実の脅威とはなりえなかったのである。日本は自分の好みに応じて、かつ、朝鮮人や越南人のような大きな代償を払うことなしに、高度に発達した中国文明を取り入れることができたのであった。』(p54 高坂)

 こうして日本は「東洋の離れ座敷」という立ち位置で営々と発展してきました。しかし太平洋から西洋文明をもってペリーがやってきたことでこれが一気に変わります。西洋文明を大急ぎで受容したことで、日本の立ち位置はむしろ「極西」というべきものに変化します。脱亜入欧ということが言われたのは明治時代ですが、太平洋戦争後にアメリカ陣営に入ることにより、日本はますます極西の国として発展にいそしむこととなった、と高坂先生はまとめます。

なぜ中国問題は重要か

 こうして「極西」の国として興ってきた日本にとって、現中国の台頭は重大な意味をもちます。それは政治的にどうこうというよりももっと根本的に、日本の文明としての立ち位置に再びの修整を求めることだからです。

『中国問題の日本にとっての重要性は、「極西」の国日本のあり方に疑問を投げかけたところにあるのだ。中国の台頭は、日本に再び「極東」の国としての性格を与え始め、それによって、東洋と西洋のアンビバレンス(両面性)という悩みを復活させたのであった。』(p63 高坂)

 これはややすれば、もはやアメリカの時代ではないのだから、アメリカに従属するのを止めて、米中のあいだで中立を保とう、あるいは今後は中国に従属しよう、はたまたそれらを避けるため自ら核武装して強くなるしかない、というような種々の意見を成立させます。

 そこまで極端ではないとしても、中国の台頭によって日本の立ち位置が大きく揺さぶられていることは否定し難いでしょう。かつまた、中国に対抗する選択肢をとるかどうかを別としても、中国の台頭が日本にとって脅威の側面をもっていることもまた否定し難いところです。

『中共は平和的であり、中共と協力させすればよいと考えることはまちがっている。中印国境の紛争における中共の行動派、少なくとも防禦的とはいえないものであったし、また、中共のチベットに対する政策は新帝国主義と呼んでさしつかえない。中国が東南アジア諸国をその支配下におこうとすることも考えられないではない。

力に満ち、活気にあふれた文明はひとつの波のようなものである。それは、同じように力に満ち、活気にあふれた別の波とぶつかるところまで広がって行くであろう。』(p64)


 ある文明が、あるいは国家が著しく興隆するとき、そこには歴史を動かす勢いとでもいうべき力が働きます。それは経済、軍事、文化らさまざまな要素の合力であって、人知で抑えられるものではありません。

 例えばかつてドイツ帝国が成立したとき、初代宰相のビスマルクは「ドイツはすでに飽和した」と考えていました。統一が拡大の限界点であって、これ以上を求めるべきだとは考えていなかったのです。しかしドイツ国民はまさにこれからドイツの拡大が始まるのだと思っており、活火山のようにエネルギーを放出し、勢いに乗って勇躍挑戦するところ、世界大戦に二回も敗北するまで収まることを知りませんでした。

 中国も恐らく波を起こす国です。これは中国が必ずしも侵略的だと言っているのではなく、その国の意図や性質とは無関係に、ただパワーが増大しているという現象は周辺に大波を起こす、ということです。それが必ずしも戦争にまで至るとは限らず、また国際社会の環境は戦争の蓋然性を著しく引き下げています。とはいえ、大国の劇的な出現が波乱を呼ぶということそれ自体は過去と同様で、周囲の国は大波とどう向き合うかを考えねばならないでしょう。

日本はどうすればいいのか?

 フランスの核戦略家ガロアは、中国の核武装はアジア情勢を一変させる、と分析しました。ガロアは中国の核戦力がますます増大し、東北アジアでアメリカの核に拮抗するようになると予想しました。そして1970年以降、アジア情勢に決定的な変化をもたらす、と考えました。

 「中共が米大陸に核攻撃をくわえうるようになったとき、米国は果たして台湾防衛のために米大陸自身の破滅という擬製も受け入れるだろうか」とし、さらに同じことは韓国、フィリピン、日本らにも選択をつきつけます。そして日本としてはアメリカに従属してその核の傘に保護されるか、中立主義を標榜しつつ中国に追従するかのジレンマに追い込まれる、といいます。そしてこのジレンマから抜け出すには日本自身の核武装を含む防衛力強化しかない、というのがガロアの主張です。

 高坂先生はこのガロアの主張を退けながらも、核兵器という側面からなされたこの大胆な分析が、その単純さにも関わらず、あるいはそれゆえにか、実に核心を衝いていることを指摘します。

『ガロアの発言は軍事力や核兵器というところを、きわめて広義で、異質で、捉えがたい力と置き換えて読めば、まさに問題の核心を衝いたものなのである。だから、対米従属と対中従属というジレンマは実在し、それを逃れる道は日本自らの力を強める他はないのだ。』(p64 高坂)

 しかし高坂先生が主張する「日本自らの力を強める」には、ではただちに核武装だというような、軍事的力のみについて語った議論とは異なります。力をもっと多面的に捉えているからです。まずは文明的に、日本は西洋の一部ではないが、さりとて東洋の一部でもない、ということを再発見すべきことを説きます。

『十八世紀の政治家であり、その著書『愛国王』においてイギリスの対外政策の基礎を示した文筆家でもあるボーリングブロックは「わが国は大陸に隣合ってはいるが、決してその一部ではないということを、われわれはつねに忘れてはならない」と書いている。この認識こそ、イギリスがヨーロッパの縁辺の二流国から偉大な国家へ変化させたものとして注目されなくてはならない。

 同じように、日本も中国を中心とする東洋に隣り合ってはいるが、しかし、その一部ではない。……これまでこの事実をわれわれは認識してこなかった。なぜなら……中国以外の世界が日本を訪れたとき、それはあまりにも大きな脅威として現れた。したがって、われわれは東洋的なものにわれわれの精神的基盤を求め、それによって西力東漸に抵抗しようとしたのであった。だから、中国と日本の相違は強調されないことにんってしまった。福沢諭吉はその数少ない例外の一人ということができるであろう。

 しかし、いまやこの事情は変わった。正当に「東洋」と呼びうる中国が復活し、自己を主張するようになった。その場合、日本がその独自の偉大さを築きうる方法は、中国との同一性ではなく、それとの相違に目ざめ、東洋でも西洋でもない立場に活きることなのである。……日本は歴史で初めて、東洋に「隣合ってはいるが、決してその一部ではない」という認識に立って行動すべきときを迎えているのである。

 もちろん、われわれは中国と政治的、経済的に友好関係を保たなくてはならない。しかし、それと同時に、東洋に隣合いながら、独自の立場にあることを認識し、その難しさをかみしめなくてはならないのである。』(p66 高坂)


 高坂先生はその上で、アメリカとの軍事的関係を減らしつつ、自衛力を整備する選択を提唱されています。その内容は当時の中国がもっていた程度の軍事力を念頭においたものなので、今日に適用することは難しいでしょう。またアメリカの戦略、およびその拠点となる海外基地の事情も、当時と現在では大いに変わっています。

 しかしながらこの発想の大本の見方は、今日ますます重要となってくるのではないかと思います。文明史的な視点から日本を「東洋でも西洋でもない国」と自己規定しておいて、いずれかへの片思いやコンプレックスを退けること。中国との同一性ではなく相違に着目した上で、必ずしも中国との対立を目指すわけではないけれど、より遠くにあるアメリカと近しく結んでバランスをとりつつ、日本自身の力を穏やかに高めていくという選択です。

 この著作には無い言葉ですが、高坂氏は日本の針路について「アメリカとは仲良く、中国とはケンカせず」と語っていたと聞きます。「仲良く」と「ケンカせず」のニュアンスの違いをかみ締めつつ、いたずらに中国と対抗対立するではなく、さりとて対中従属してアメリカとの仲を捨てるでもない、このバランス感覚に注目すべきではないか、と改めて思いました。



(私のコメント)
「海洋国家日本の構想」(高坂正尭:著)は私が学生時代に読んだ古い本ですが、中国との関係を考える上でもう一度読んでみるべき本なのだろう。「株式日記」では自主防衛を基本としてアメリカとは駐留なき安保を主張しているのですが、外国の軍隊がかくも長きにわたって存在し続ける事は日本に国益にとって有益とは思えない。

日本政府は日米地位協定すら改定を切り出す事が出来ないでいる。民主党政権に変わって少しは動きが出るかと思ったのですが、沖縄の普天間基地問題も最初の日米合意である辺野古に修正を加える程度の決着で終わりそうだ。中国から見れば沖縄の米軍基地は中国の膨張政策にとっての障害であるのですが、オバマ政権は中国を抑え込むつもりは無いらしい。

このことで一番危機感を感じているのは台湾ですが、アメリカは中国が武力で台湾を併合しようとしても動かないだろう。つまり沖縄の米軍は動かない可能性が高い。いったん武力衝突になれば戦争は拡大して行って核ミサイルを打ち合うレベルにまで行ってしまうからだ。だから既に沖縄の米軍基地は中国を封じ込める為には意味が無くなっている。

台湾関係法はアメリカの国内法であり台湾との外交条約ではない。台湾はカーター政権によって中国との国交樹立で切り捨てられたのだ。アメリカは台湾の独立を認めないことはクリントン声明でもはっきりしている。台湾海域で中台の武力衝突が起きてもアメリカはこれに介入しない事は法解釈上でもはっきりしている。

アメリカ政府は日本政府に対して在日米軍は日本を守る為と口では約束しているが、中国の核ミサイルが日本に落ちたらアメリカは中国に核による報復をしてくれるのだろうか? フランスの戦略家であるガロワが言うように米国本土の危険性を冒してまで核による報復はしないだろう。なぜならば私がアメリカ大統領であったとしても日本が核攻撃されても核による報復は控えさせるからだ。それが常識だ。

もちろん1996年の台湾海峡危機の時は二隻の空母を派遣して中国の軍事演習に対抗しましたが、中国も最近の海軍力増強で米空母の威力がなくなって来ている。台湾や韓国はアメリカや日本の支援が無ければ存在が難しくなって来ていますが、アメリカは経済状況から軍縮が不可避になっている。

中国との軍事バランスを保つ為には日本が軍事力を強化するしかバランスは保てなくなるのは常識であり、アメリカに防衛力を頼る事は出来なくなって来ている。既に在日米軍は中国軍への威嚇力としては機能しなくなって来ているのであり、だからこそ10隻の中国艦隊が琉球列島を横断する形で航行するようになっている。

昨日はフィリピンの事について書きましたが、フィリピン人はアメリカを信用していない。フィリピン人は何度もアメリカに裏切られて利用されてきた。だから冷戦崩壊後は米軍基地を撤去させましたが、アメリカという国を誰よりも知っているからだろう。しかしフィリピン軍の国防力は弱く中国の軍事拡大には脅威を感じているだろう。

問題は中国が台湾にどう出てくるかですが、平和裏に台湾を併合してしまう可能性が非常に高い。台湾でも北京語が話されるようになり経済的には切り離せないものになってしまった。台湾にどうして親中派の馬政権が誕生したのか不思議ですが、台湾がチベットやウイグルのようになってしまうのも時間の問題だろうか。


馬総統、米国の出兵は「永遠に求めず」=台湾海峡が戦争状態化しても―台湾紙 5月3日 レコードチャイナ

2010年5月2日、台湾紙・中国時報によると、馬英九(マー・インジウ)総統は米CNNのインタビューで、米国が台湾のために戦争することを「永遠に求めない」と述べた。黒竜江省のニュースサイト・東北網が伝えた。

記事によると、台湾の総統が「永遠に」という単語を用いて米国に対し、台湾海峡の緊張に際し出兵することを求めないことを、これほど明確に意思表示したのは今回が初めて。

台湾海峡が戦争状態に突入した場合、米国が台湾を防衛するために介入するかどうかについては、中国本土、台湾、米国の3者間で長年の敏感な議題になっていた。CNNは馬総統へのインタビュー後、この発言をただちにウェブサイトにトップニュースとして掲載した。

馬総統はまた、米国からの武器購入について、「あくまでも防衛のため。台湾海峡の平和を維持する上で重要な役割を果たしている」と説明した。


(私のコメント)
日本人が国防について無関心でいられるのは日米安保があるからだろう。政治家や官僚が外交や防衛をほったらかして利権漁りに夢中になれるのも在日米軍のおかげだ。だから政治家の多くや官僚が在日米軍が無くなる事について不安に思うのは当然なのでしょうが、鳩山首相が米海兵隊はグアムに行ってくれと米政府に言えないのは政治家として当然なのだろう。

思いやり予算も従来どうりに予算が可決されて出ている。結局は民主党政権が出来ても外交と防衛は対して変わりがないようだ。しかし大局的に見れば中国の台頭とアメリカの衰退は明らかなのであり、高坂正尭教授が言うように対米従属と対中従属から逃れるには自主防衛力を強化するしか道は無い。




日本軍政当局は、タガログ語の使用、教育を奨励するとともに、タガ
ログ語及びフィリピン史の学校教育はフィリピン人教師に行わせた。


2010年5月2日 日曜日

白人のフィリピン蹂躙 2008年3月25日 反日ワクチン

スペイン植民地統治と革命

今日の引用本はフィリピン人、ダニエル・H・ディソン氏著の「フィリピン少年が見たカミカゼ」からです。

氏は1930年生まれで、少年時代に日本軍将兵と出会い、戦後特攻隊と日本の歴史研究に没頭。1974年に特攻隊が初めて発進した地、マバラカットにその記念碑を建立。自宅に開設した「カミカゼ博物館」で地元の子供達に特攻隊の精神と意義を説いているという方です。

コラムから引用します。

アメリカの同化政策

 マニラから閉め出されたフィリピン人のアギナルド率いる革命軍は1899年2月にアメリカ軍と衝突し米比戦争が勃発。アギナルドは日本に援助を仰いだ。それを受けて有志の義勇軍が出発、武器弾薬は布引丸に乗せたが、途中台風に遭って沈み、革命も潰えてしまった。

 1901年3月アギナルドが逮捕され、7月にアメリカは軍政を廃止し植民地政治を始めた。この時まで軍政長官だったのがアーサー・マッカーサーで、ダグラス・マッカーサーの父である。

 スペインが教会で植民地支配をしていったのに対し、アメリカは教育を用いて支配していった。

 独立運動のくすぶりは徹底的に弾圧し、拷問・虐殺によって消し尽していく反面、「友愛的同化」政策を掲げて、フィリピン人に英語によるアメリカ式教育を徹底していった。これにより、アメリカ精神を吹き込んでアメリカ化を進め、親米感情を植え付けていった。また、フィリピン議会を発足させ、間接的な支配体制を作っていった。

 1916年には独立の基礎となるフィリピン自治法であるジョーンズ法がアメリカで成立した。

 この後、英語が公的に使われるようになり、人々はアメリカにあこがれ、まさにフィリピン人はアメリカ文化に急激に同化していった。

 しかしジョーンズ法成立後、15年以上もアメリカは独立の明確な時期などを示さずにいた。

 40数年に亘るアメリカ時代の経済は、アメリカが要求するものを作りアメリカに輸出して行くという完全な依存体制で、この時代もフィリピンの経済・産業の発展はなかった。

 1930年代、大農園では換金産物を大量生産し営利主義的経営を進め、それが小作人達を圧迫していった。一方、アメリカにとってフィリピンは安い労働力や農産物の流入で厄介な存在となった。これを背景にして、フィリピン独立は自治政府成立後10年という時期がようやく示された。

 フィリピンは日本の敗戦後の1946年7月4日にアメリカから独立するが、その内情は、アメリカ市場に依存し植民地的支配構造を温存するもので、独立とは名ばかりのものだった。

 その弊害は現在も続き、フィリピンは公的場面や学校での英語使用から抜けきれず、また、自国の歴史もアメリカ史観に偏っている。
引用終わり


フィリピンにおける米国の植民地政策 2003年12月2日 太田述正

(1)経済の従属化
 「戦前のフィリピンはアメリカの自由貿易政策によって工業化をはばまれ、・・農産物のアメリカへの輸出と、アメリカからの工業製品の輸入に基礎をおく従属的な経済システムを押しつけられていた。」(コンスタンティーノ)(95頁)
 「アメリカ合州国(ママ。以下同じ)の植民地となったフィリピンでは、砂糖、ココナツ油、タバコ、マニラ麻などの対米輸出用の農産物の生産・加工業が飛躍的に発展したのに反比例して、フィリピン人の日々の生活をささえる米穀生産は急速におとろえた。植民地に特有のモノカルチュア型経済の成立である。しかも、その肝心の農産物輸出でさえアメリカ経済の都合にあわせて勝手に制限され、・・フィリピンの大部分をしめる農村の生活はきわめて不安定なものになっていった。この過程でスペイン統治時代以来の地方ボス支配がますます強化され、小作農民は重税と借金のために息もたえだえの状態においこまれてしまう。」(220頁)
 ((上記とほぼ同じ記述の後、)過度に輸出志向の農業となったため、本来食糧輸出国であってしかるべきフィリピンは、食糧輸入国になってしまった。(PP362))

(2)精神の従属化
 「われわれは自分たちだって工業化できるのだとは決して考えなかった。地理的条件と民衆の生来の性格からいってフィリピンは農業国である、と学校で教えられてきたからである。だからこそわれわれは、戦前の日本がすでに欧米と対等の商品を生産できるようになっていたのに、日本商品を軽蔑したのであった。アジアの一国である日本が米国、ドイツ、イギリスなどと並ぶ優秀性を獲得できるなどとは、とてもわれわれには信じられなかった。」(コンスタンティーノ) (96頁)
 (利潤追求を内に秘めた、鳴り物入りのアメリカの利他主義(altruism)は、フィリピン人に自らのものは軽侮し、アメリカのものなら何でも賞賛する、という習性を植えつけた。(PP377-382))
 「フィリピンの民話・・の多くが「すこぶる陰惨で、倫理に乏しく、とりとめのない」ことに嫌悪感をもった、<また、>「私は比島人の性格に一種の残忍性があるのだらうかなどとも考へた。・・友人<のフィリピン人>は、・・それは支配者の虐政に対する風刺であるといった。・・人をうまくだますことのできる者がいちばんえらいのである。」(火野葦平)(146-147頁)
 (警察が武器の供出を日本軍に命ぜられるや否や、日本軍の姿がまだ見えないうちから、マニラでは老若男女を問わず、またその教育程度を問わず、市民が略奪合戦を繰り広げた。略奪はマニラ以外にも広がった。非倫理的行為が蔓延した。医者は身内でないフィリピン人には重症であっても薬を投与せず、その薬を転売して金儲けにいそしんだ。(PP399-400))
 「エリート・・は無用の流血をさけるという名目で、<スペイン、アメリカ、日本と>新しい支配者<がやってくるたびに、そ>の命令にあわせて民衆の欲求をコントロールし、そのことによって従来の経済的、社会的、文化的な特権を維持しつづけようと<してきた>。」(184頁)
 「1960年代のなかばごろから、・・フィリピンの歴史家たちは日本占領下のさまざまな「レジスタンス神話」・・がじつはマッカーサーとアメリカ合州国にたいする忠誠心の表明にすぎなかったのではないかという疑問を提出しつづけてきた。」(34頁)
「他のアジア諸国の抵抗運動とちがって、フィリピン人の抵抗は、ほとんど完全といえるほどに、米軍作戦の必要性、さらには太平洋地域で指揮をとるダグラス・マッカーサー将軍の指令に服従するものであった」(コンスタンティーノ)(35頁)

2 日本の占領がフィリピンにもたらしたもの

 (1)米国の矮小さの露呈
 「マッカーサーの逃走に失望したフィリピン人・・のあいだ<で>マッカーサーとアメリカ合州国の「裏切り」にたいする失望感がひろがっていた。」(38-39頁)
 「アメリカ政府・・は・・アメリカ人の犠牲を最小限にとどめたまま戦争を終わらせるために、マニラその他の都市を無差別爆撃して、・・多くのフィリピン人を殺してしまった」(レクト)(190頁)
 (戦後アメリカはフィリピンに経済・財政援助を行う条件として、フィリピン憲法に、アメリカ人に対し、フィリピンの天然資源採掘権に関し内国民待遇を与える規定を盛り込むことを要求した。(PP427))
 
 (2)フィリピン自立化への動き
 (スペイン人はフィリピン人にスペイン語を習得させないようにしたが、アメリカはフィリピン人に英語の習得を義務付け、政府の行う試験はすべて英語でおこなわれた。(PP371-372)やがてフィリピン人の多くは、フィリピンが東洋唯一のキリスト教国であるだけでなく、東洋で最も西洋化した国であることを自慢に思うようになった。(PP381)アメリカの上面だけを見て、フィリピンは物質主義に染まってしまい、詩人や思想家は馬鹿にされるようになった(PP383))
 「<日本>軍政当局は、日本軍と大東亜共栄圏理念にたいする直接の批判でないかぎりフィリピン人の民族意識をみとめる、と公言した。・・タガログ語の奨励という占領行政のたてまえを文字どおりのかたちでつらぬく努力を惜しまなかった・・。」(122頁)
 (日本軍政当局は、タガログ語の使用、教育を奨励するとともに、タガログ語及びフィリピン史の学校教育はフィリピン人教師が行わなければならないこととした。(PP397))
 (タガログ語で文学作品が生み出されるようになると、田舎を舞台にするものが数多く出現した。これは以前には見られなかったことだった。(PP409))
 「たしかに日本人は利己的な動機によってわれわれを東洋化しようとした。それはアメリカがかれら自身の動機によってわれわれを西洋化しようとしたことと同様である。しかし、われわれを人工的な西洋文化からひきはなそうとする動きにかぎっていえば、それはわれわれにとって正しく、よいものであった。
」(コンスタンティーノ)(186頁)
 (日本軍政当局は、フィリピン人のためのフィリピンの確立、を推進した。(PP395))
 
3 とりあえずの結論

 総力戦を戦っていた日本には本格的なフィリピン占領政策、とりわけ経済政策を展開する余裕などなく、また日本がフィリピン占領を占領していた期間も余りにも短いものでした。
それでも以上からだけでも、どうやら、日本の異民族(フィリピン)統治の方法が、異民族(フィリピン)を宗主国(日本)に従属させる方向性を持っていなかったという点で、米国の異民族(フィリピン)統治の方法とは決定的に違っていたらしいこと、は分かります。
 この日本の異民族統治のユニークさが、台湾人や朝鮮人の自立心と自尊心を確立ないし強化し、そのことが日本からの独立後の台湾と韓国の経済発展につながった、と私はとりあえず考えています。
 それにしても、(フィリピンもイラクも、(日本ではない国を宗主国とする)植民地歴の長い国ですが、)日本の占領当時のフィリピンとフィリピン人の姿は、現在米国等の占領下にあるイラクとイラク人の姿とそっくりですね。どうやらその後のフィリピンが苦難の道を歩んだように、イラクもまた主権回復後、苦難の道を歩むことになりそうな予感がします。



(私のコメント)
テレビなどでは上海万博の開会式の実況や紹介などが多くなっていますが、今年中に中国が世界第二位の経済大国になるそうです。しかし中国が大きく経済発展するようになったのは改革解放後であり特に90年代半ば以降のことだ。アメリカの伝統的な西進政策で中国をアメリカの巨大市場として育てようとしたからだ。

戦前において日本の南下政策とアメリカの西進政策がぶつかったのがフィリピンであった。フィリピンはアメリカがスペインとの戦争で勝ち取った植民地であり、中国への橋頭堡でもあった。アメリカの植民地政策がどのようなものであったかを理解すれば、日本におけるアメリカの占領政策の原型のようなものが理解できるだろう。それは教育政策に大きな特徴が見られる。

フィリピンは長い間スペインの植民地であり、スペインはキリスト教でフィリピンを支配して来た。それに対してアメリカは徹底した英語教育で親米感情を植えつけていった。日本はこのようなフィリピンの事情をを知っているから、徳川幕府はキリスト教を禁止して鎖国に踏み切った。秀吉や家康はキリスト教が帝国の支配手段だと見抜いたからだろう。

明治維新以降は開国に踏み切りましたが、欧米列強と対抗して行かなければならず軍事大国化へまっしぐらに突き進んだ。一番の圧力となったのはソ連の共産主義であり、その脅威は1991年のソ連崩壊まで続いた。それと同時に米英主導の帝国主義ともアジア市場をめぐって戦争になった。フィリピンもその市場の一つですが、日米が衝突する場所でもあった。

アメリカのフィリピン植民地支配は四十数年の長いものではなりませんが、英語が公用語として定着している。今でも小学校から英語が教えられて高等教育は英語で行なわれている。それに対して日本のフィリピン支配は数年の僅かな期間でしたが、タガログ語の奨励やフィリピン人教師による歴史教育など民族主義を高揚させるものだった。

このように日本も台湾や朝鮮半島の植民地への教育政策も大きく変わるものではありませんが、植民地への日本語教育が批判の対象に今でもなっている。フィリピンへのタガログ語の奨励にも見られるように、台湾の台湾語や朝鮮の朝鮮語やハングルの使用などを奨励してきたのですが、高等教育は日本語で行なわれてきた。

しかし世界大戦で勝ったのは米英であり、負けたのは日本とドイツであり、世界の公用語としても英語が認められるようになった。言葉の戦争は文化の戦争でもあり、言葉の戦争で負ければ、その国民はその国の歴史を失う事になる。フィリピンが英語圏に組み入れられて現地語が忘れられていくのだろうか?

ヨーロッパにおいてもドイツやフランスの大学では経営学などの理数系の教育は英語でも行なわれるようになってしまった。まさに17世紀頃のキリスト教のような世界的広まりですが、言葉は単なる語学ではなくイデオロギーでもある。インドやフィリピンのように英語を公用語とする限りにおいては米英の文化支配を受け入れざるを得ないのだろう。

最近における日本人の内向きな姿勢は徳川時代初期の鎖国政策にも似ている状況なのだろうか? 最近ではアメリカへの留学生も大きく減って来ていますが、これも日本人の鎖国意識の現われなのだろうか? テレビ番組や映画やヒット曲などを見てもアメリカのものが少なくなっている。日本人の英語離れはハリウッド映画や洋楽離れが原因ではないだろうか?

しかしこれだけグローバル化が進めば世界的に英語が公用語となる流れは進む一方だ。それに対して日本では知的鎖国主義が広がり始めている。携帯電話などではガラパゴス化が言われていますが、文化全体にガラパゴス化が進んでいるような気がする。日本はキリスト教と共産主義を排除してきたように英語文化そのものも排除しようとしているのだろうか?

戦前なら英語もドイツ語もフランス語も外国語として受け入れてきましたが、現代のグローバル化時代になって英語が世界の公用語となり、国際会議でも英語で発言する事が慣例のようになってきた。しかし日本における知的エリートでも英語で対等な議論が出来る人は極めて少ない。これでは国益を損なうのではないかと思うのですが、これでいいのだろうか? 日本人はなぜ英語を拒否するようになったのだろうか?

江戸時代の鎖国も現代の文化鎖国も時代に逆行しているように見える。英会話学校が次々潰れて行くのはなぜだろうか? アメリカ留学帰りの学生は色がついていると企業から敬遠されるのはなぜだろうか? 結論的にはアメリカ文化には日本人には受け入れられない文化があるからだろう。英語自体に責任はないがキリスト教にもそのような受け入れられないものがあった。

それが何であるか、フィリピンの歴史を見れば分かるのではないかと思う。フィリピン人はキリスト教を信じ、英語を公用語とすることで自分たちの民族文化を失ってしまった。フィリピン文化といわれて思いつくものがあるだろうか? 対抗すべき自分たちの文化が無ければ結局はアメリカ人の言いなりにならざるを得なくなるだろう。

大東亜戦争によって日本人がアジアにもたらしたのは独立自尊の精神だった。それまではアジア人は西洋のような工業国になれるとは誰も思ってもいなかった。そのように西洋人から教育されてしまったからだ。しかし最近では日本人がアメリカ式教育に侵されて独立自尊の精神を忘れてしまっている。外交から防衛にまでアメリカに依存するようになってしまった。だから最近ではアジアでは日本よりも中国の方に期待が集まるようになってしまった。




オバマ米政権がアフガニスタンやイラクで、無人航空機を飛ばし
武装勢力を掃討する「無人機戦争」を推し進めている。


2010年5月1日 土曜日

米無人機空爆で9人死亡=パキスタン 4月26日 時事通信

【ニューデリー時事】パキスタン北西部、部族地域の北ワジリスタン地区で24日から26日にかけて、米無人機が武装勢力の拠点を複数回空爆し、同勢力のメンバー9人が死亡した。地元部族関係者が明らかにした。死者はさらに増える可能性がある。
 無人機が空爆したのは同地区の主要都市ミラムシャーから約20キロ離れた町。パキスタン治安当局者がAFP通信に語ったところによると、26日の標的は地元武装勢力指導者の部下が使用していた施設で、3発のミサイルが撃ち込まれたという。(2010/04/26-19:05)


オバマの無人機戦争/1(その1) 4月30日 毎日新聞

◇無人機爆撃、本土で操縦 民間人の被害拡大

 オバマ米政権がアフガニスタンやイラクで、無人航空機を飛ばし武装勢力を掃討する「無人機戦争」を推し進めている。「米兵士が死なない」「低コスト」とされる軍事策だが、巻き添えとなる民間人の被害が深刻化、その手法を疑問視する声も噴出している。現実感が希薄となっている最新のテロとの戦いの問題点を報告する。【ワシントン大治朋子】

 ◇自宅から出勤「午前はアフガン、午後イラク」

 米国本土の基地から衛星通信を使い、1万キロ以上離れた戦地で無人航空機を飛ばす。兵士は自宅で家族と朝を迎え、基地に出勤。モニター画面に映る「戦場」で戦い、再び家族の待つ家に帰る−−。

 「午前中3時間はアフガンで飛ばし、1時間休憩する。午後の3時間はイラクで飛ばす。米国にいながら、毎日二つの戦場で戦争をしていた」。イラク戦争が始まった03年、米西部ネバダ州ネリス基地で無人機のパイロットをしていたジェフリー・エガース大佐(48)が振り返る。

 「迫撃弾が発射された。やつらを仕留めてくれ」。04年、戦闘が激化したイラク中部のファルージャ。大佐は現地からの要請に応え、無人機「プレデター(捕食者)」の操縦席で、レーダーの示す発射地点を確認、操縦かんを倒し航行させた。

 巨大なプラモデルのような機体(翼幅約17メートル、長さ約8メートル、重量約512キログラム)の時速は約130キロ。現場上空に到着し、モニターに浮かぶ男たちに照準を定めるまで、わずか9分。左手で安全ロックを解除し、右手の操縦かん頭頂部にある赤いミサイルボタンを押す。画面いっぱいに土煙は広がり、「武装勢力は、姿を消した」(エガース大佐)。

 「瞬きしない目」。空軍は無人機をそう呼ぶ。24時間の連続飛行も可能。夜間は赤外線カメラが、武装勢力を探す。プレデターの機体価格は約450万ドル(約4億3000万円)でF22戦闘機の約85分の1だ。昨夏、空軍が作成した長期計画書によると、「2012年をめどに、一人で同時に4機の操縦を目指す。人件費56%の削減が可能」。最終的に目指すのは「無人機を操縦するロボット」の開発だ。

 「無人機はなぜ、罪のない人々を殺すのか」。昨年末、米南部ニューメキシコ州で開かれた講演会で、反戦市民団体が空軍幹部に食ってかかった。観客席にいた空軍中佐が振り返る。「立ち上がって叫びたかった。『無人機の攻撃は正確だ。照準の3メートル近くの人が無事なのを、この目で見てきた』と」

 だが、米陸軍士官学校のゲーリー・ソリス元教授は「軍服を着ない武装勢力と市民を映像だけで区別するのは難しいはず」と指摘する。国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)によると、09年に戦闘に巻き込まれて死亡した市民は2412人。4人に1人は、米軍の無人機を含む空爆などの犠牲になっている。

 毎日新聞が入手した空軍の集計値によると、オバマ政権が発足した09年、アフガンで無人機プレデターと新型の「リーパー(死に神)」が投下した爆弾は219個。08年(183個)の1・2倍で、07年(74個)の約3倍だった。今年1〜3月末は計52個で、昨年と同ペースとなっている。

 オバマ大統領は、パキスタンでの米中央情報局(CIA)による無人機空爆も拡大。米シンクタンクによると、04年から今年4月16日までに最大1314人が死亡し、うち3割(378人)は民間人で、民間人の約半数がオバマ政権下で犠牲になった。国連人権理事会のフィリップ・アルストン特別報告者は、民間人被害を重視。「国際人道法に違反する疑いがある」と話し、6月の同理事会で改善を求める方針だ。

◇「標的殺害」根拠に疑問 CIA、人違いでも秘密に処理

 01年9月の米同時多発テロをきっかけに、ブッシュ前政権は無人航空機でテロリストを暗殺する「ターゲテッド・キリング(標的殺害)」を開始した。オバマ大統領は、その対象や地域を拡大させている。だが、法的根拠や効果を疑問視する声は強く、武装勢力の報復など「新たな脅威」を招く危険性や、米国民の戦争への無関心化も指摘されている。

 米同時多発テロの数日後、ブッシュ大統領(当時)は一通の「覚書」に署名した。米中央情報局(CIA)に対し、国際テロ組織「アルカイダ」幹部らの暗殺を許可する文書だった。米メディアによると、CIAの無人機は02年2月、アフガニスタンでアルカイダ指導者のウサマ・ビンラディン容疑者とみられる「背の高い男」ら3人を殺害したが、別人だったという。

 「(誰を殺すかという)判断は、本質的に、何者かに対する死刑宣告と同じだ」。ポール・ピラーCIA元テロ対策担当が指摘する。だが「人違いと判明しても、秘密情報として処理されるだけ」(元CIA職員)だ。

 CIAは誰を、どのような根拠で殺害しているのか、民間人被害も含め一切説明しない。ブッシュ前政権は批判を受けると、同時多発テロの直後、議会が承認した「武力行使容認決議」が法的根拠だと訴えた。「米国に対する国際テロを防ぐため、大統領に必要な軍事力の使用を認める」との規定があるからだ。

 しかし国際法の観点からは、その軍事力も無制限ではない。世界各地の非合法殺害(処刑)について国連人権理事会に報告するフィリップ・アルストン特別報告者は、昨年6月と10月、米のパキスタンでの無人機攻撃が、市民と戦闘員を区別し過剰な民間人被害を回避するよう定めた国際人道法に「違反する疑いがある」と報告した。オバマ政権は前政権と同じ説明をするだけで、アルストン氏は「オバマ大統領には変化を期待したが、失望している」と話す。

 ◇兵士は死なず、国内の関心低下 オバマ政権で拡大

 「オバマ政権による無人機を使った標的殺害は、その地域も対象者の数も、ブッシュ政権時代を上回る規模だ」。元米海軍幹部(情報担当)のウェイン・マドスン氏が指摘する。

 オバマ大統領は就任以来、アフガンに計5万人余りを増派した。だが09年の戦闘による米兵死者(263人)は、08年(132人)の2倍。今年3月末までにすでに76人が死亡し、過去最悪のペースを更新し続けている。

 治安の悪化に歯止めがかからない状況の中、オバマ大統領は「米兵の死なない」無人機への依存をさらに強めている。

 昨年末、「テロリストの本拠地がある」としてパキスタン南西部バルチスタン州にCIAの空爆を拡大したが、人口密集地のため、民間人被害が急増している。

 最近は、アルカイダ幹部が「ソマリアやイエメンの武装勢力と連携している」として、無人機の本格的な派遣を検討している。

 アルストン氏は「米国のやり方は、中国やロシアなど他国にも都合のよいものになる」と懸念する。国際人道法を無視し、過剰な民間人被害を伴う標的殺害をエスカレートさせる米国の姿勢が、他国に同様の攻撃を正当化させる根拠を与えることになると危惧(きぐ)する。

 無人機戦争の拡大が、むしろテロリストを米本土に呼び寄せる危険性も指摘されている。インド人イスラム教徒で米ブルッキングス研究所の元研究員、ムバシル・アクバル氏は「米兵が怖がって戦場で戦わないなら、むしろこちらから米国に乗り込んで殺そう、と考えるテロリストが増えるのではないか」と予測する。

 米兵被害の減少が、米国内における戦争についての関心や議論を低下させる可能性もある。メアリー・ダジアック南カリフォルニア大教授は「民主主義国家としてのチェック機能を低下させるだろう」と指摘している。【ワシントン大治朋子】



(私のコメント)
日本のニュースではイラク戦争やアフガニスタンの戦争はほとんど報道されないのですが、アメリカ経由の断片的なニュースしか入ってこない。無人機による空爆で地元武装勢力9人を殺したというニュースも小さな記事でしかない。しかしどうして地元武装勢力が殺されなければならないのかよく分からない。どうやって一般市民と反米ゲリラを判別しているのだろうか?

おそらく車などの出入りの多い家を反米武装勢力と勝手に判断してゲリラのアジトだとみなしているのだろう。このような地域をマスコミの記者が入っていて取材するのは不可能だし、テレビカメラをRPGと間違えて殺されたロイターの記者もいました。オバマ大統領はこのような作戦を強化してロボット戦争を進めているのだ。

このように相手を確かめもせずに反米武装勢力とみなして殺害していますが、無人機を操縦しているのは1万キロ以上も離れたアメリカ本土の空軍基地からなのだ。無人機はパイロットがいないから機体を軽く機能的に作ることが出来る。24時間も上空に滞空して目に見えないほどの高度からミサイルを撃ち込んでくる。

それに対して武装勢力は反撃する事ができないし、このような非合法的な殺害事件を世界に批判してもマスコミは取り上げてくれない。たとえゲリラが対空ミサイルを手に入れて無人機を撃墜したとしてもアメリカ軍は痛くも痒くもないのだ。

無人機は有人機に比べてきわめて安く作ることが出来る。F22は一機200億円とも300億円とも言われますが、無人機は一機数億円で作ることが出来る。パイロットも一人養成するには数十億円もかかりますが、無人機はオペレーター操作をする人がいれば誰でもいい。ゲームセンターで高得点を取れるような人なら誰でも出来る。

近い将来において戦争は無人機や無人戦車で行なわれるようになるかもしれない。まさに将来の戦争はゲームセンターにあるような戦争ゲームと同じようなロボット同士の戦争になるかもしれない。それは宇宙空間なら誰にも気がつかれずに戦争は始まりそして終わるような戦争かもしれない。

数年前に中国は人工衛星を打ち落とす実験を行いましたが、宇宙空間にはGPSなどの衛星や偵察衛星や通信衛星など軍事的に重要な衛星が沢山飛んでいる。宇宙戦争はそれらの衛星を打ち落とす戦争になるだろう。無人機などはGPSや通信衛星があるから遠隔操作ができるのですが、それらの衛星が打ち落とされれば無人兵器は役に立たなくなる。

将来の国防軍は兵士の数よりも無人兵器の質と量が決めるのかもしれない。核ミサイルなどは使えば人類の滅亡をもたらすから使うに使えませんが、無人機などはアフガニスタン戦争のような限定戦争には使えることが証明された。敵は市民も兵士も見分けがつかないからロボット兵器に殺させれば市民が死んでも事故扱いに出来る。

しかしこのような無人兵器は諸刃の剣であり、安くどこの国でも作ることが出来るから、国籍不明の無人機が大統領暗殺に使われることもあるかもしれない。ミサイルを発射した後で自爆させてしまえば証拠は残らない。無人機はアルカイダの幹部を殺す事もできればアメリカ大統領も殺す事ができるだろう。

9・11のテロ事件も一説には無人機のよるテロだという説もあります。ペンタゴンを破壊したのは爆弾を搭載した無人機だとしか考えられない。そうだとすればアルカイダが無人機を操作する事は考えられず、実行犯はアメリカ軍部内部にいる事になる。ペンタゴンに残された機体の残骸が写真すら公開されないのはどういう事なのだろうか?

9・11テロの飛行機も無線操縦されたものだという説もありますが、無人機の技術を使えば旅客機を無線操縦する事はわけないだろう。GPSで目標位置をセットすれば自動操縦されて目標に衝突する。つまり9・11テロとアフガニスタンで行なわれている無人機による攻撃には共通性があるのかもしれない。

イラクやアフガニスタン戦争でこのような一般市民を巻き添えにするような無人機によるミサイル攻撃は非難されてしかるべきだ。もしテロリストがこのような無人機やミサイルを手に入れてホワイトハウスを攻撃する事もあるかもしれない。非常に小型の無人機も作れるからガレージの中で組み立てる事もできるだろう。


ヤマハ発動機ヘリ不正輸出…9カ月間の輸出禁止の行政処分 2007年5月14日 レスポンス

経済産業省は、ヤマハ発動機が外国為替及び外国貿易法に違反していたとして、同社に対して無人ヘリコプターの輸出禁止9カ月間の行政処分を行うと発表した。処分に関連し、輸出管理体制の改善を求める警告も行った。

ヤマハ発動機は、軍事用途に使われる可能性がある無人ヘリコプターを本来なら許可が必要だった中国の人民解放軍と関係のある会社に輸出したとして同法違反に問われ刑事告発されたが、社員3人は起訴猶予、会社は罰金刑となった。

同省では、同社が輸出管理意識・体制の点で問題があったとして、無人ヘリコプターとその付属品及び部品について5月18日から2008年2月17日までの9カ月間、輸出禁止の処分を実施する。

ヤマハ発動機では行政処分について「当社としては、輸出管理体制が不十分であった事を重く受け止め、昨年5月に設置した安全保障貿易管理本部のもと、今後、輸出管理体制の更なる強化に努めてまいります。また、コンプライアンス体制の推進など、社会の信頼を回復するための諸施策について、全社を挙げて取り組んでまいる所存です」とのコメントを発表した。



(私のコメント)
米軍の無人機ほどではないにしても民間でも無人操縦の飛行機を作ることは可能だろう。テロリストが米本土に忍び込んで無人飛行機を組み立てて爆弾を積んでGPSで目標を設定すれば安価な巡航ミサイルを作ることが出来る。イラクなどでは自動車に爆弾を積んで自爆テロが頻発していますが、自爆テロだと米本土内でも防ぎようがないだろう。

だからアメリカは出入国を厳正に管理するようになり、もとの大らかなアメリカに戻る事はないだろう。テロとの戦いを始めたら最終決着がつく事はなくテロリストとの報復合戦は止む事はないだろう。イラク戦争やアフガニスタン戦争はテロリストを作り出しているようなもので、家族を失った遺族がテロリストになっている。アメリカ人やイスラエル人はもはや永久にテロとの戦いを止めることが出来なくなった。



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