株式日記と経済展望

ページを繰り越しましたのでホームページからどうぞ。


ノンバンク苦境のしわ寄せは、借り手である中小・零細企業に来ます。改正
貸金業法は、猛烈な信用収縮を生み、中小企業の資金繰りを直撃します。


2009年9月30日 水曜日

「コード71」削除に大懸念!銀行が消費者金融業界を駄目にした 9月30日 サーチナ

■消費者金融大手5社が金融庁に異例の要望書提出!

  消費者金融大手5社が金融庁に要望書を出すという異例の事態が起こっている。当局の指導に沿い、正常化に向かって取組んできた同業界の異例の出来事だが、『コード71問題』、倫理観を欠く弁護士等の跋扈など、その背景には業界存亡をかけた危機感があるようだ。

■理不尽なコード71問題

  「007」と云えば知らぬ人もいないが、「コード71」は耳慣れない、謎めいた符丁に思える。だがその道の専門家にとっては、いまや大騒動の種、「関ヶ原の戦い」にも例えられるほどの言葉になっている。

  実はこの「コード71」、消費者金融などの債務者が、利息返還請求(過払い返還)を行った際、信用情報機関である日本信用情報機構(JICC)が、「その債務者を識別するため」に付けるコードのことだ。即ち、過払い返還請求の結果債務が無くなった債務者がその後新たな融資を受けようと場合、カウンセリング等を慎重に行うなど、再び多重債務に陥らないよう防止策として設けられたものである。

  特に、過払い返済請求する債務者とは、当初の契約を履行できなかった債務者であり、支払に行き詰まった債務者が多いと云われているだけに、このコードは重要な意味を持ち改正貸金業法の主旨に適う制度なのだが、改正貸金業法の柱「指定信用情報機関」を金融庁が認定する際の条件として請求記録の消去、「コード71」の削除を求めているというので騒ぎとなっているのだ

  今後、認可制度に移行し、貸金業者や信用情報機関が「指定信用情報機関」として監督下におかれるわけだが、認可の条件として「個人情報の内容まで操作するに等しい」ことを強行するのは如何なものかと疑問が生じるのも当然だ。

  貸金業者は無担保、無保証で融資する以上、正確な与信情報を必要とする。「コード71」は各社の債権を護り良質化させるに止まらず、社会問題化した多重債務の撲滅に業界がまじめに取り組んでいる証拠でもある。

  ある貸金業者は「コード71などのマークがなければ、債務者の区別はできない。過去に多重債務であっても、過払い返還により現在は債務がなくなった者が新規申し込みにどんどん来る」と不安を隠さない。言い方を変えれば、新たに多重債務者を「創り出す機会」を、こともあろうに金融庁が与える格好だ。極論すれば、「新たな多重債務者急増へのお墨付きを金融庁自らが与える」ことに等しいということだ。

  最近「過払いバブル弁護士、司法書士」の存在が採り上げられ社会問題になっているが、皮肉にも広告攻勢は一段と増え、目に余るものも見かける昨今、「コード71」の削除は倫理観に欠ける諸氏の跋扈を加速させることが明らかだ。健全な資金需要者への資金供給を使命とする唯一の金融機関、消費者金融が彼等の食い物にぶされてはたまらないとの悲鳴が聞こえる。その叫びがこの度の消費者金融業者の金融庁への要望書提出とみられ、今まで当局の指導通りに業務を遂行してきた消費者金融業界にとっては、まさにこの危機への対応として異例中の異例のことだ。

■銀行が消費者金融業界を駄目にしたと主張

  異例の要望書提出の背景には、今回の改正貸金業法が貸金業者だけに適用される法律となり、銀行の行う無担保ローンには適用されない。それだけに当局に対する反発には根強いものがあるようだ。

  本来消費者金融は、リスクヘッジを念頭におきながら、無担保だが小口融資で対応し商売をしてきた。そこへ銀行が参入すると、銀行法を楯に貸付額を500万円程度にまで拡大した。これが消費者金融を駄目にしたという主張の根拠のようだ。

  確かに、万一何かの事情で1ヵ月でも延滞することになれば、いくら利息制限法以内の金利だといっても返済は厳しい。普通のサラリーマンでは給料の大半が金利に消えることになる。消費者金融とは比べものにならない。

  その辺に、日頃からの銀行保護行政があらゆる面で徹底しているのに比べ、「消費者金融だけが三重苦といわれる仕打ちを受けるのは納得がいかない」というのが根底にあるようだ。

  せめぎ合う世界であってみれば、「土俵だけは同じに」という思いは当然だろう。保護行政の陰で、利益追求のために銀行が行ってきた所業は何度も問題になってきた。今回の要望書を切っ掛けにして、小口金融制度のあらゆる面での見直しを行い、真の消費者保護について問い直すことが必要であろう。ここは一つ、脱官僚を掲げる民主党政権にお出まし願って、ひと肌脱ぐのも一案と思えるが、如何?(情報提供:日本インタビュ新聞社 Media−IR)


ノンバンク苦境のしわ寄せが中小・零細企業の大量倒産へと進みかねない 3月3日 話題のトレンドワード

東京地裁に民事再生法の適用を申請した東証1部上場の商工ローン大手、SFCG(旧商工ファンド)の大島健伸会長は2月23日、東京証券取引所で記者会見し、経営破たんの理由について「昨今の過払い金返還請求の著しい増加、商工ローン業務を取り巻く環境の劇的な悪化」などを挙げました。

 逼迫していた資金調達については「サブプライムローン問題の影響が大きく、新規調達がほとんど不可能になり、最終的に決済資金の調達も困難になった」と説明しました。

 実はSFCGと同じようなビジネスモデルを展開してきたアイフル、アコム、武富士、プロミスといった消費者金融大手でさえ、取り巻く状況は深刻さを増しているのです。

 消費者金融業界に詳しい東京情報大学の堂下浩准教授の調査によりますと、大手7社への過払い金返還請求額は、昨年12月に479億円と過去最大規模に達しました。 昨年春頃は各社とも「いずれ峠を越す」と見ていましたが、予想が大きく外れたうえに、現在は増える傾向に拍車がかかっています。

 その大きなきっかけとなったのが、1月22日に最高裁判所が消費者金融の東日本信販に下した判決です。

 この判決により、過払い金返還請求権の消滅時効が事実上、認められなくなりました。 これまでは、権利の消滅時効は10年が1つの判断基準として考えられていましたが、今回の最高裁判決で、過払い金については事実上、何年前でも返還請求が可能になったのです。


 この結果、消費者金融は過払い金の引当金積み増しを余儀なくされ、経営を揺るがす問題となっています。

 「調達した資金は瞬間的に過払い金の返還へと消えていく」と、ある大手消費者金融幹部は窮状を訴えます。 別の関係者は「自転車操業をはるか通り越して、パンクしたタイヤの自転車を必死にこいでいるようなもの」と言います。

 もはや、消費者金融もメガバンクのような巨大な資本をバックにした業者以外は生き残る術を失いつつあり、再編・淘汰は避けられない情勢です。

 こうしたノンバンク苦境のしわ寄せは、借り手である中小・零細企業に来ます。 ノンバンクの淘汰や改正貸金業法は、猛烈な信用収縮を生み、零細・中小企業の資金繰りを直撃します。 帝国データバンクの調査によると、今年1月に入って企業倒産は前年同月比約3割増の1156と高水準になっていて、特に中小・零細企業では、資金繰り難による倒産が増加していることを理由に挙げています。

 「SFCGの借り手の多くは、2000万〜3000万円程度のつなぎ融資を受けていた中小企業。特に、建設や運輸が多く、今後は破綻が増加するだろう」とあるノンバンクの幹部は語ります。

 元来、中小・零細企業の事業資金の担い手であった事業者ローンや消費者金融業者が、改正貸金業法を機に次々と破綻。 大手企業の融資で手いっぱいのメガバンクには、中小・零細企業に回す資金はなく、結果として資金の出し手が消滅。 大量倒産という最悪の結果につながりかねない構図が現実味を帯びてきました。

 昨年秋に欧米発の世界金融危機が勃発した当初は、日本経済への影響は限定的と言われていました。 しかし、いまや実質GDP(国内総生産)成長率の落ち込みは欧米よりも深刻です。 外需依存経済の崩壊ばかりではなく、国内中小企業向けの猛烈な信用収縮が事態を悪化させているのは間違いありません。

 国内景気後退は世界経済悪化だけで説明できない日本経済の問題点の多さを物語っています。



(私のコメント)
最近のテレビにおいて弁護士事務所のコマーシャルが目につきます。どうしてなのかと言うとノンバンクに対する過払い金返還訴訟などで弁護士事務所はウハウハらしい。グレーゾーン金利などでも一時話題になりましたが、最高裁の判決で過払い金返還訴訟において10年の消滅時効が認められなくなり、ノンバンクはさらなる引当金を積まざるを得なくなってしまった。

亀井金融大臣がモラトリアム発言で金融業界はテンヤワンヤの大騒ぎですが、銀行の貸し渋りや貸しはがしも大きな問題ですが、中小企業や零細企業にとっては頼りにしていたノンバンクが経営危機でカネが借りられなくなっている。この事のほうが中小企業にとっては大きな問題なのですが、政治家達はこの認識があるのだろうか?

ノンバンクは金利は高くても無担保でカネを貸してくれるから最後の拠り所でもあるのですが、都内からノンバンクの店舗が次々閉鎖されている。私も都内でオフィスビルを経営しているのですが、6月に消費者金融の店舗が引っ越して行ってしまった。家賃の遅れなど時々起こすようになったので経営が厳しくなった事は認識していた。

確かにグレーゾーン金利問題は問題なのでしょうが、過払い金返還訴訟において10年以上前のものまで請求が出来るという事になるとやりすぎではないかと思う。だから過払いバブル弁護士や司法書士が問題になっていますが、最近の裁判官などは世間知らずが多くて混乱を招いている。

例えば私は不動産賃貸業者なのですが、最近では更新料の問題が裁判で認めない判決が出るようになって、将来的な大問題になるだろう。過払い金返還訴訟みたいに10年の消滅時効などが認められなければ過去にさかのぼっていくらでも返還請求が認められるようになると大変な事になる。今の最高裁ではどんな判決が出るか分からない。

ノンバンクは中小企業や個人にとっては一番身近な金融機関なのですが、そのノンバンクが軒並み経営危機に陥っている。それに対して民主党政権で何の手も打たれないようですが、過払いバブル弁護士をどう思っているのだろうか? もっとも国会議員の先生方には弁護士が沢山いるからどうにもならない。

あるいは銀行が消費者金融へシフトしてきているので、意図的にノンバンク潰しをしているのかもしれない。アコム三菱UFJフィナンシャルグループ、プロミス三井住友銀行グループに属し、超低金利時代で儲けるには銀行も消費者金融で儲けないといけないのだろう。その為には独立系の消費者金融を潰す必要があるのだろう。

最近では銀行のキャッシュカードを持っているだけでも50万円までのカネが借りられるとかなりましたが、金利は十数パーセントでとても高い。中には300万円まで借りられるものがありますが、私は利用しようとは思わない。いったん借りると癖になって借金体質になっていくからだ。

ノンバンクは中小企業にとっては最後の拠り所であり、銀行へのモラトリアムよりもノンバンクを何とかして欲しいと思う人が多いのではないかと思う。政府も保証枠で補正予算を組みましたが条件が厳しくてなかなか使いづらいものだ。それよりも金利は高くてもノンバンクなら無担保で貸してくれる。ネットゲリラ氏の話では郵便局が消費者金融に乗り出すという事の伏線だというのですが、郵貯が消費者金融をやるのだろうか?


亀井戦略の裏を読む 9月28日 ネットゲリラ

亀井というのは、「郵政担当大臣」でもあるわけですね。郵政といえば郵貯なんだが、何百兆とかいわれる郵貯マネーは、かつては特別会計で公共事業にジャブジャブ注ぎ込まれていたんだが、公共事業は返ってこないカネなので、結果としては国債を乱発して帳尻合わせるしかない。それが行き詰まったのを見透かして手を突っ込んで来たのがアメリカなんだが、米国債は年率5パーセントだったか、今はもっと少ないのかも知れないが、とりあえず戻って来る、というわけだ。ホントに戻って来るのかどうかは知らないがw 

ところが、アメリカの倒産が目前にまで迫った昨今、いまさらアメリカにカネ貸すなんざ馬鹿のやることなので、さて、そうなると巨大な郵貯マネーが宙に浮いてしまうわけだ。ケヶφはじめ、売国奴どもは相変わらずアメリカ様に貢げ、とうるさいんだが、キチガイの言うことなので、気にしなくてよろしい。で、数百兆の郵貯マネー、そして、その郵貯マネーを運用するのは亀井大臣である。・・・と、そうした関係性を考慮して考えないと、この件の真相はわからない。で、ネットの書き込みなんだが、

郵貯のカネを、一般人に貸し出すつもりなんじゃないか、という見方なんだが、確かにそれもあり得るんだが、問題は郵貯そのものには、相手の資産状況とか担保能力とか、そういうのを調べる能力というのが決定的に欠けているわけですね。金融用語で「与信」というんだが。で、確かに、近所の郵便局でカネ借りられれば便利ではあるんだが。


(私のコメント)
私やネットゲリラ氏のように中小企業の経営者なら、郵貯で無担保で500万円ポンと貸してくれるようになれば経営も大分楽になる。何しろ相手は国営だから無茶な貸しはがしや貸し渋りはしないだろうし、おっかないヤクザが取り立てに来る事もなくなる。目の玉売れとか腎臓を売れとか言ってノンバンクは叩かれましたが、やりすぎれば酬いは当然やってくる。

小泉・竹中もあまりにも阿漕な事をやりすぎたから自民党は野党に転落したのであり、数年間は冷や飯を食って出直して欲しいものだ。「株式日記」を読んでもらえれば中小不動産業の実情も分かるから政治家達も読んで、政策に取り入れて欲しいものです。




大企業や銀行が公的資金で救済されてきたのに、中小企業に対して、
亀井大臣の中小企業へのモラトリアムをなぜマスコミは批判するのか


2009年9月29日 火曜日

亀井金融大臣のモラトリアムを支持する 9月29日 原野辰三

亀井金融大臣は中小・零細企業の救済策として、借入金の返済を向こう3年間猶予する政策を打ち出している。

これに対して全国銀行協会は反発して次のように述べた。

その中で貸し出しの原資が顧客の預金であることや株主の理解を得る必要があることを挙げている。

かつてバブル崩壊後、金融業界は軒並み破綻状態に陥った。

その際、銀行救済のために政府は12兆円の巨額の資金を投入した。いわゆる公的資金だ。

公的資金と言う曖昧模糊とした表現を使っている。

国民を言葉のマジックで誤魔化しているが、我々が支払った税金を注ぎ込んで銀行を救済したのである。

銀行は、バブルに火をつけ、バブルに乗りまくり、我々の預金を湯水の如く、投機に注ぎ込み、挙句の果ては、バブルがはじけ、経営を破綻させた。

銀行自らが無茶苦茶やった尻拭いを、我々国民にさせ、税金を食って立ち直ったのだ。

それだけではない。不良債権処理のために、預金利息を0ないし低金利を長年つづけてきたのだ。国民の損失は計り知れない。

ここで「ゼロ金利で得したのは誰か」という記事があったので紹介しておきたい。

第三に、ゼロ金利は巨額の預金者から銀行への所得移転だったということだ。バブル崩壊によって生じた富の損失は1200兆円といわれるが、そのうち600兆円は投資家が売り逃げた。残りの600兆円がネットの損失だが、これを誰かが負担しないかぎり、危機は終わらない。三菱総研の試算によれば、1992年から2005年までの家計の利子所得の機会損失は283兆円にのぼる一方、企業の利子負担は264兆円減少した。

つまり日本の金融危機が終わった原因は単純だ。ゼロ金利によってあなたの預金金利が銀行に移転され、その追い貸しによってゾンビ企業が息を吹き返して、バブルによる損失の穴埋めが行なわれたのである。本来はバブル崩壊の直後に企業の破綻処理によって株主が負担すべきだった損失を、15年かけて預金者が負担することで、日本経済は表面的には回復したのだ。それを「ゼロ金利で日本経済は回復した」などと喜んでいる人々は、つくづくお人好しである。池田信夫のblogより アンダーラインと赤字は筆者:原野

そのようにして救済してもらった銀行は、今、国民から集めた預金をどこにどのように融通しているのか、といえばサラ金屋に巨額を融資している。

一方で、汗水たらして働きづめに働いて苦しんでいる中小・零細企業には貸し渋り、貸しはがし。

これでも銀行は公器として社会的役割を果たしていると言えるのか。

亀井大臣が「銀行も反省してもらわないいかん」というのは、ご尤もな話だ。

ところで、日本の製品の優秀性は世界が認めている。トヨタ・パナソニックなどの日本の大企業は世界に進出して華々しい。

しかし、高品質を陰で支えているのは、実は中小・零細企業の町工場である。

中小・零細の工場で働いている人々の精緻かつ高度な職人技によって、大企業は優秀な製品を作ることが出来ているのだ。

また、国民の7割が中小・零細企業で働いている。

いわば、日本経済・国民経済は、その7割が支えているのである。

自民党は大企業中心の政治をやってきた。そして中小・零細企業や国民のことは無視に近い政策をやってきたである。だから負けたのだ。

ところで、亀井大臣は、苦しんでいる中小・零細企業の救済に乗り出そうとしている。

借金の返済猶予策だ。

私はメガバンク出身者で財務はプロだと自認している。現在も経営コンサルタントとして活動しているので、中小・零細企業の実態はよく理解している。

そして最も効果的な経営支援策は何かについても分かっている。

だから亀井大臣の言っていることは良く分かる。


亀井大臣が「黒字倒産」という意味はこうだ。

損益計算書では「当期純利益」が出ているのに、つまり利益をだしているのに、倒産してしまうことだ。

案外、黒字倒産が多いのだ。むしろ赤字倒産よりは多いのだ。

何故か。つまり、借入金(負債)の返済は「当期純利益」(黒字額)から支払うのだ。

それ以外に返済財源はない。

今、仮に100万円の利益が出たとしよう。ところが借金の返済が150万円だったら、50万円足りなくなる。

これを「勘定合って銭(ぜに)足らず」といい、そうして倒産することを「黒字倒産」というのである。

「勘定合って銭足らず」はキャッシュフローの計算をすれば、一目瞭然だ。

現在、私は中小・零細企業から「融資」の相談を絶えず受けている。その時に、私が必ずいうことは、資金繰りの為に「融資を受ける」ことより、まず「出血を止めなさい」と言っている。

つまり、借金の返済を繰り延べて貰いなさい、と指導している。

仮に融資を受けても、それは借金払いに消えてしまうからだ。

これが中小・零細企業の実態なのだ。

ところが銀行はそれには応じない。

だから亀井大臣がそれをやる、と意気込んでいるのだ。

マスコミは亀井大臣の発言を「徳政令」などと批判しているが、仮に徳政令であろうと、何と言われようと亀井大臣の政策は間違ってはいない。

また、徳政令という言葉が悪い印象を与えるのは、政府また国家の借金(国債など)を棒引きする場合につかわれたからだ。

亀井大臣がいうモラトリアム※は「国家が国債(国の借金)をちゃらにする」というものではなく、銀行に対して中小・零細企業への貸付金の返済を待ってやれ、というもので、徳政令という批判はあたらない。

徳政令などといきまいているのが、マスコミゴロの田原総一郎だ。


こんな悪人を使ってワーワー言わせている朝日テレビの“朝生”や“サンプロ”など、何の価値もない番組だ。

頑張れ!亀井。


モラトリアムの話 9月28日 経済コラムマガジン

Aさん達はこれまでのように実情を説明した。すると亀井氏は即座に「それは金融庁の検査マニュアルとその運用が問題なのだ」と指摘した。亀井さんは完全に問題の核心を理解していたのである。Aさん達は半年の間、数多くの政治家に会ってきたが、初めて思いが通じたのである。

金融庁の検査マニュアルは、土地投機に走った、いわゆるバブル紳士の企業を念頭に作った。それを店鋪を自社ビルに立替えた個人営業企業にも適用しようとするから問題になったのである。全く返すあてもない不動産投機会社と、地道な商売をやっている人々への債権を同等に扱っていたのである。


最後に亀井静香氏がAさん達に「よし分かった!」と言ってお開きになった。これでAさん達の半年に渡る政治家巡りも終わった。後に金融庁の検査マニュアルの運用が改善されたと聞く。ただこれに亀井さんがどれだけ関与したかは不明である。

またAさん達の中には、リスケだけでは十分ではなく、数年の返済猶予(モラトリアム)を強く希望する人が多かった。景気も悪く商売も最悪の頃であり、銀行借入金の返済額の減額だけでは間に合わないのである。おそらく亀井氏との面談の中でモラトリアムの話も出たはずである。ただAさん達もこれが難しいことは分っていた。今回、亀井さんが「モラトリアム」と言い出したことを、単なる「思いつき」という風なマスコミの解説がある。しかし少なくともAさん達と会った6年以上前から、亀井さんは「モラトリアム」を真剣に考えていた可能性が強い。


(私のコメント)
私は十数年間銀行勤めをしていましたから、銀行の融資部や客の中小企業の雰囲気は体験上よく分かります。銀行の支店に大蔵検査が入る時など支店長などは朝からそわそわしてナーバスになっていた。それくらい銀行は監督官庁に神経質であり、日銀や大蔵省の指導は絶対的なものだった。バブルにしても日銀の窓口指導のせいではないかと思います。

例えば富士銀行のようなところは中小企業や個人などは相手にしていなかったのですが、ある時から融資先を賢明になって探し始めた。たぶん監督官庁から融資を拡大しろと指導されたのだろう。それがバブルの大きな原因となった。まさに当時は護送船団そのものであり、景品で配るものまで指導の対象だった。

そして、2001年の自民党の総裁選挙で亀井氏は小泉氏に敗れて、亀井氏は小泉総理に自民党から追い出されて、そして竹中氏が金融担当大臣になった。この頃から竹中金融大臣の不良債権の厳格査定が行なわれて、銀行の条件変更の申し出をしようとすれば不良債権に分類されるので、借り手は返済が厳しくても条件変更など出来なくなってしまった。

銀行にとっては、不良債権になるよりも条件変更に応じて返済してもらった方がいいから、条件変更は以前はよく行なわれていた。しかし竹中ポルポト金融大臣は不良債権の厳格査定という事で銀行を追い込んでいった。それが最近までの金融行政として続いてきた。小泉竹中内閣はカンボジアのポルポト政権なのであり、日本の銀行や企業を潰して外資に売りさばく事が目的の内閣だった。


竹中平蔵は「平成のポルポト」だ --- 「不良債権処理強行」の即時中止こそが王道だ 2004年2月16日  株式日記

(私のコメント)
よく「失われた十年」と言われますが、97年ごろまでは金融機関もまだ機能しており、単なる大型不況と見られていた。銀行が抱える不良債権は今までにない巨額なものでしたが、信用創造機能は失われてはいなかった。ところが1997年を境に銀行は株式などの資産を処分し始め、株価はさらに暴落を続け、大型の銀行倒産が現実化していった。

橋本内閣のビックバン政策がこれまでの護送船団方式から、弱肉強食政策に変わったからだ。なのに不良債権の額と銀行の貸出額とには関連性がないにもかかわらず、不良債権処理が強行されるようになったのだろうか。それは不良債権が銀行経営の癌であるとして、不良債権処理を最優先とする政策が決定されたからだ。

私はリチャード・クー氏の主張するように、不良債権は時間をかけて解消させていく方針を支持してきました。もしどうしても早期に不良債権を解消させるのなら、不良債権を公的資金で買い取る方法を提案してきた。しかしこれらの方法は構造改革推進論者により葬り去られ、金融庁による銀行が持つ不良債権の厳格査定により、日本の銀行は次々と潰され外資に売られていった。

竹中金融大臣はまだ日本の銀行を潰し足りず、メガバンクの処分を考えているようだ。そのモデルともいえるのが韓国であり、一連の構造改革支持論者も韓国を見習えといっている。そういえば自衛隊のイラク派遣と言い、韓国の3000人の軍隊派遣と言い、最近は驚くほど韓国と日本の政治構造が似てきている。二つの国を背後で操っているのが同じアメリカだからだ。国会における竹中大臣の答弁はそれを裏づけしているが、以下の通りです。

最近の経済政策に関しては私と共産党とは驚くほどよく似ている。韓国では大銀行9行のうち7行が国有化され、その内の6行が外資に売却されました。小泉・竹中内閣が企んでいるには日本の韓国化であり、ブッシュ政権を後ろ盾にしたアメリカの植民地化の推進である。最近はドルの買い支えをして1年で20兆円もの円をアメリカに献上した。

しかしこのような政策はアメリカにとっても良い戦略と言えるだろうか。アメリカがこのように露骨な経済侵略を行った場合、日本の反米感情は韓国のように激しくなり、ノ・ムヒョン大統領のような反米政権を生み出すだろう。私はその意味で警告しているのですが、小泉・竹中内閣は不良債権処理を強行しようとしている。

アメリカもハバード委員長をクビにして小泉・竹中内閣に「あまりやりすぎるな」と警告しているのですが、小泉首相はそれに気がつかないようだ。もっともブッシュ大統領自身が再選に覚束なくなり小泉内閣を道連れにして失脚するのでしょう。



(私のコメント)
2004年の株式日記を紹介しましたが、この後に亀井氏は郵政選挙で自民党を追い出されて、ホリエモンが刺客として選挙に立った。リチャード・クー氏も竹中大臣にテレビから追放されて画面から消えた。その頃から思うと、まさに現在は隔世の感があり、亀井氏は金融郵政担当大臣となり、リチャード・クー氏も先週のサンプロに出るようになりました。

田原総一郎も竹中平蔵に合わせて「ゾンビ企業は潰せ」と毎週のように言っていた。小泉総理も青木建設が潰れて「構造改革が進んでいる」と平気で言っていた。一国の総理が企業が潰れて喜ぶような異常な首相に支配されていた。韓国は主要銀行が潰れて外資に売却され主要企業は外資の傘下になった。その事が左翼政権のノムヒョン政権誕生のきっかけとなった。

日本もこの時の反動が来て民主党政権が出来たのであり、小泉・竹中が自民党野党転落の犯人なのだ。もし小泉首相の代わりに亀井氏が首相だったのならば自民党は野党に転落する事もなかっただろう。今も変わらないのはマスコミであり、亀井大臣のモラトリアム発言に対して一斉攻撃を続けている。マスコミは未だに小泉竹中政治を引きずっているのだ。鳩山政権ではそれを変えようとしているのだ。




何十年経っても完成しない公共事業は必要性の低い事業であり、
中止すべきものだ。ダムを作るより護岸工事と河の浚渫を優先せよ。


2009年9月28日 月曜日

前原国交相:全国ダム事業の順次見直しを表明 9月18日 毎日新聞

前原誠司国土交通相は18日の閣議後会見で、国交省が全国で実施中のダム事業について「順次見直しをしていく」と表明した。見直しに際しては、改正河川法に住民参加の理念が盛り込まれたことを念頭に、地方の住民や自治体の議会、首長などから反対意見が出ている事業を優先的に見直すとした。そのうえで「完成間近なものについては継続するという判断も含む」との考えも示した。

 国交省は今年度、前原国交相が中止を明言した八ッ場(やんば)ダム(群馬県)と川辺川ダム(熊本県)を含め、全国で143のダム事業を実施しており、すべてが見直しの対象になる。【石原聖】



ダム建設は、一旦すべてを凍結すべきだ 2007年10月19日 前原誠司の直球勝負

去る10月10日、衆議院予算委員会で質問に立った。70分という限られた時間ではあったが、税金の無駄遣いをなくすための具体的な提案と、対北朝鮮外交について、主に福田総理に質問した。税金の無駄遣いをなくすためのテーマは3点に絞った。一つは無駄な公共事業、二つ目は未だに解消されていない天下り公益法人に対する随意契約、そして多重行政によるコストの無駄だ。天下り公益法人に対する随意契約は次回に譲るとして、この稿では無駄な公共事業を取り上げたい。

今から約8年前の平成11年、民主党は初めて「次の内閣」という仕組みを作った。イギリスの「影の内閣(シャドーキャビネット)」を模した政策決定機関を作ることによって、2大政党の流れを作り、建設的な政策論争が与野党で行われることを目指したのだ。私は社会資本整備ネクスト大臣に任命されたが、初代「次の内閣」では最年少の「入閣」だった。社会資本整備ネクスト大臣は、今の国土交通省、当時の建設省と運輸省を所管とする。

私の大学時代の指導教官である恩師・高坂正堯(こうさかまさたか)先生は、私への遺言として主に3点のことを仰った。一つは、日米関係は色々と困難はあってもうまくマネージメントしなければならないということ。二つめは、集団的自衛権の憲法解釈は変えなければならないこと。そして、もう一つは、外交や安全保障の話ではない。増えすぎた公共事業を抑制しなければ、国力が大きく損なわれることになる、という点だった(先生曰く「膨らみ過ぎた公共事業費を減らさんと、大変なことになるぞ」)。その遺言を受けて、衆議院議員1期目から入札制度の見直しなど、公共事業改革に積極的に取組んできた。公共事業改革は外交・安全保障と共に、私のライフワークの一つである。

鳩山由紀夫代表(当時)の下で「公共事業を見直す委員会」を作った。鳩山さんが座長、私が事務局長を務め、公共事業に詳しい大学教授や市民運動家などに加わってもらい、2年近く議論を積み重ねた。その間、長良川河口堰、諫早干拓、川辺川ダム、中海干拓、吉野川第十堰など、問題視されていた様々な公共事業の現場にも足を運んだ。そして、出された答申を元にして、4本の議員立法を国会に提出した。「公共事業基本法案」「国の公共投資関係費の量的縮減を図る法律案」「公共事業一括交付金に関する臨時法案」「緑のダム法案」である。要は、道路整備、河川整備、土地改良事業、空港整備など、それぞれが中長期計画を持って既得権益化している公共事業費を一本化し、量的縮減を毎年図るとともに、一定期間の後、情報公開を徹底した上で再評価の仕組みを作り、本当に必要な公共事業のみ、行われるような仕組みを作ろうとしたのである。

公共事業は、一旦動き出せば、如何に状況が変わろうとも、止まらない。まさに役所の既得権益そのものなのだ。特にダム建設は、計画策定時から長い年月が経て、当初、想定されていた環境が大きく変わっても、国は方針を代えようとしない。国土交通省は現在、149基のダムを建設中だが、工期は延長され、実際の総工費(見込みも含む)は当初見積もりの約1.4倍(約9兆円)にまで膨れ上がっている。「緑のダム法案」では、現在建設中のダムを一旦すべて凍結し、必要性の再評価を行うことになっている。費用対効果、代替性、当該地域住民への影響、環境への影響などの観点から、ゼロベースで検討を加えるのだ。

今回の質問では、二つのダム建設を取り上げた。一つは球磨川水系の川辺川ダム、もう一つは淀川水系の大戸川ダムである。川辺川ダムは1976年に計画が策定されたが、当初の総工費見積もりは約350億円だった。しかし、30年以上経った今、未だにダム本体の工事には着手できていないにもかかわらず、移転費用などで現在までに約2043億円が費やされている(平成18年度まで)。しかも、当初は治水、農業利水、水力発電の機能を併せ持つ多目的ダムという触れ込みだったが、農業利水は受益者の賛同が法定の3分の2以上集まらず、農水省は死者の名前まで寄せ集めて強行しようとしたが裁判に負けて断念。水力発電を計画していた電源開発も今年、発電事業からの撤退を決めた。つまり、ダム建設の目的が大きく変わったのである。多目的ダムでなくなれば国の補助率も変わり、地元負担も大きくなる。地元自治体も、国が行うことだからといって、おいそれとは「イエス」といえない財政状況にある。

また、水質、水流など環境面での影響もさることながら、治水面でも新たなダムを作ることに、むしろ不安を感じる地域住民も多い。球磨川上流には市房ダムがあるが、下流の住民で、「ダムが出来た後、水の流れが変わった。ある時点を過ぎれば急に水嵩が増えるようになった」と証言する方も多い。ダムが満杯になれば、決壊を防ぐため、もはや水を貯めることはできなくなり、放流を始めるからである。もし川辺川ダムが出来れば、ある時点まで洪水調整はできるだろうが、仮に二つのダムが満杯になればもはや統合管理は出来なくなり、合流地点の人吉から下流は、一挙に球磨川、川辺川の水が流れてくることになる。ダムが結果的に、より甚大な洪水を引き起こす可能性もあるのだ。

私は、決してダムがすべて無用だ、無駄だといっているのではない。一定の洪水調整は出来るだろう。しかし万能ではない。そして、国土交通省の「ダム建設ありき」「情勢変化があろうが止めない」という姿勢ではなく、平成9年に改正された河川法の趣旨に則り、「環境への配慮」「水域住民の意見の尊重」といった点も考慮されなければならないのだ。片山善博・前鳥取県知事は、前任者が計画していた中部ダムの建設中止を2000年に決めた。「長い行政経験から、中部ダムの必要性を説く言葉には、どこかまやかしがあると感覚的に分かっていた。しかし、数字のトリックは私だけでは分からない。担当者に『本当のことを言って結論を出そう』と説得して、その気になってもらった」。片山・前知事の手法は、徹底的に情報公開条例を活用することだった。ダム建設の試算など、素人には分かるはずがない。しかし専門家は国民の中にも大勢いる。情報公開を行うことにより、行政の試算を白日の下に晒そうという手法を採ったのだ。当初、県の試算はダムが140億円で、ダムと同等の治水効果が期待される堤防強化などの護岸工事は147億円だった。試算をやり直した結果、ダムは230億円かかる一方、堤防強化などは78億円で済むことが明らかになった。とにかく徹底した情報公開が必要だ。行政の無謬性を突いて、税金の無駄遣いをやめさせるには、情報公開が大きな威力を発揮する

淀川水系の大戸川ダムも、おかしな方針転換がなされた。たった2年で国土交通省は凍結から建設に梶をきったのである。一旦建設を中止したダムの復活例は、これが初めてである。平成17年7月に国土交通省近畿地方整備局が発表した「大戸川ダムの調査検討(とりまとめ)」には、こう記されている。「保津峡、岩倉峡の開削は、桂川、木津川及び淀川における水害の危険性を増大させるおそれがあるため当面実施することはできません。保津峡、岩倉峡を開削するまでは、天瀬ダム再開発実施後においては、大戸川ダムの洪水調節により宇治川及び淀川での洪水調節効果は小さいです」「大戸川下流においては、河道への土砂堆積の軽減も含め、大戸川ダムの洪水調節による効果は大きいですが、治水単独目的の事業となることで治水分の事業費が増加し経済的にも不利になり、河道改修等のダム以外の対策案のほうがコストの観点から有利です」。にもかかわらず、たった2年で方針は転換された。その理由は、中流域での新たな河川改修の影響を挙げている。改修で川底を掘れば下流へ流れる水量は増大するので、下流域の安全のためには上流で水を堰き止めるダムが必要だ、と。しかし、国土交通省のこの論理だと、河川改修をするたびに新たなダムや手当てが必要になり、事業が事業を生むという構図を浮かび上がらせる。淀川水系においても、ダムと河川改修に関する治水効果と費用を情報公開して、専門家に精査してもらうことが必要だ。

淀川水系には、改正河川法の趣旨に則り、淀川水系流域委員会が作られている。今本博健・京都大学名誉教授などが歴代委員長を務め、できるだけダムに頼らない治水を提言してきた。しかし本年2月、近畿地方整備局はダムの原則中止を提言していた流域委員会を休止し、半数の委員を入れ替えた。第3者委員会を「御用委員会」に変えるようなやり方は、改正河川法の趣旨に反する違法行為との批判を免れない。私は福田総理に質した。ダム以外の治水方法とそのコスト比較を、情報公開法の下で行うこと。さらに、改正河川法の趣旨に合致した「環境配慮型」「地元住民参加型」の治水対策を行うこと。総理からは明快な答弁はなかったが、私は徹頭徹尾、このような公共事業の見直しを国会で取り上げ続けていく。



(私のコメント)
前原大臣のダム建設工事中止のニュースが連日にぎわっていますが、このような事は政権の交代が起きなければできない事だ。八ツ場ダムだけでもすでに3000億円以上もの事業費が使われている。自民党政権がこれを中止すれば決めたのも自民党だから責任問題が生じてしまうから中止できない。この3000億円を他の事に使っていればどれだけの事が出来ただろうか?

政権交代した民主党がすべきことはパンドラの箱を開けることであり、公共工事の名の下にいかに無駄な事が行なわれてきたかを暴露する事だ。このような事を書くと公共工事に反対なのかという人がいるかもしれないが、財政出動はしなければならない。ただし無駄な公共事業は止めるべきだ。

全国では143箇所のダム工事の見直しが行なわれていますが、一ヶ所に数千億円もの巨費が使われるのだから、いかに無駄な工事が日本全国で行なわれているかが分かるだろう。熊が出るような所に高速道路が作られるのも問題ですが、ダムはそれこそ山奥に作られる。必要と思われるダムはすでに作られているのだし、八ツ場ダムのように何十年かかっても作られていないのは必要が無いからだ。

しかしダム建設は地方においては利権となってしまって中止する事は簡単ではない。しかしダムを作る事は山奥に数千億円捨てる事と同じであり、ダムは直ぐに土砂に埋まってしまう。それよりも治山や治水事業に使うべきであり、荒れた山や荒れた河が放置されている。だから集中豪雨があると河の堤防が決壊して民家が水没してしまう。

地方はなぜ適切な公共事業が行なわれないのだろうか? それはすべて国や中央官庁が決めてしまうからであり、ダム事業に使われた費用は建設会社を経由して政治家にキックバックされる。ダム関連事業には多くの天下り役人を抱え込む事で既得権益化していく。だから自民党政府は天下り役人を野放しにしてきた。自民党では天下り禁止は出来ない。


家計および企業の金融資産の合計だけで、一年間で百七十兆円 2007年5月21日 株式日記

(私のコメント)
土曜日にNHKの特別番組で「地方の衰退」について討論されていましたが、例によって例のごとくの硬直した意見ばかりで直ぐに見るのを止めましたが、小泉財政改革と称する緊縮財政のあやまりをどうして指摘しないのだろうか? 公共事業は無駄遣いの代名詞にもなりましたが、視点を変えれば、やらなければならない公共事業は山ほどある。

集中豪雨があるたびに河が決壊して大洪水を起こしますが、河川の堤防などの補強工事はなぜ行なわれないのでしょうか? 山林などは荒れ放題で放置されていますが整備事業はなぜ行なわれないのでしょうか? 大地震が起きるたびに老朽化した家屋が倒壊して犠牲者が出ますが、国や地方が率先して老朽化した住宅の建替え事業はなぜ行なわれないのだろうか?



(私のコメント)
昨日のサンプロでは、リチャード・クー氏が出ていましたが、日本の景気対策としては住宅の建替えなどを提案していましたが、老朽化した木造住宅が地震の度に倒壊して犠牲者が出ている。ダムに使われる数千億円のお金を住宅の建替えにどうして使えないのだろうか? 住宅立替補助金として一軒に付き500万円を補助したら、日本全国の住宅建設会社は大忙しだろう。

ダム建設など止めて河川の堤防を強化すれば集中豪雨が来ても大丈夫だし、ダム工事よりかは安くなる。前原国土交通大臣のブログにも書かれているように、ダム工事では役人は140億円かかると試算して実際は230億円だった。それに対して護岸工事では147億円かかると役人は言っていたのに実際は半分の78億円だった。

自民党政権ではこのような見直しは無理であり、小泉内閣で公共事業のカットは方法そのものが間違っている。かっとする事よりも事業内容を見直して、何十年かかっても出来ないダム工事は中止して、使われない空港は作るべきではない。一つの空港に何千億円もかけていたら国が破産するのは当たり前だ。

前原大臣のブログを読んでもらえばわかるように、日頃から各地のダム建設現場を見て歩いて問題を把握している。だから大臣に就任して八ツ場ダムや川辺川ダムを中止を決定した。歴代の国土交通大臣は何をしてきたのだろうか? 山奥に数千億円も棄てるような工事をずっと続けてきたのだ。必要もない工事をだ。

民主党政権が出来てネットウヨたちは発狂して「株式日記」のコメント欄を荒らしまわっている。ネットウヨは自民党に雇われた工作員だとは言わないが、長文の読解力がないようだ。だから書いてある事が支離滅裂で、「株式日記」を民主党支持者だと決め付ける。バックナンバーを読むだけの読書力も無いのでしょうが、「株式日記」が言っている事は政策一つ一つについて是々非々を論じているだけだ。




自民党が野党に転落した原因を作った御手洗経団連は責任を取るべきだ。
経済財政諮問会議に消費者や労働者、中小企業の代表は排除されました。


2009年9月27日 日曜日

財界総本山、立ち往生 民主と疎遠、鮮明 「利益団体」と敵視され 9月15日 毎日新聞

自民党との密接なつながりでさまざまな経済政策を実現してきた日本経団連。だが、自民党との近さが災いし、新政権との関係作りの糸口を見いだせない状況に追い込まれている。14日、民主党への政策要望を発表したが、自民党時代と同じ影響力を発揮できそうにはない。政権交代を前に、「財界総本山」の焦りは募るばかりだ。【後藤逸郎、三沢耕平】

 「利益団体は絶対にダメだ。日本経団連は今のような姿勢を改めない限り入れさせない」。政治家主導で作る新しい政府税制調査会の民間メンバーの人選について民主党幹部が9月上旬、記者団にまくし立てた。

 一方、鳩山由紀夫代表は8日、東京都内で京セラの稲盛和夫名誉会長と面談。横浜市で2、3日に開かれた稲盛氏主催の「盛和塾」には別の民主党議員が駆けつけた。経団連の表舞台には立たず、古くから民主党を支援してきた稲盛氏との頻繁な接触が一層、経団連と民主党との疎遠さを浮かび上がらせている。

 経団連も雰囲気を察しているが、民主党との距離感を積極的に詰める動きは見られない。民主党が「利益団体」と敵視する以上、正面から向かい合えばかえって「抵抗勢力のレッテルを張られかねない」(幹部)との危機感があるためだ。

 1946年に発足した経団連は、戦前の統制経済への反省を踏まえ、企業が自由に経済活動できる環境作りを最優先課題に据えてきた。冷戦下では、社会主義陣営に対抗するための保守合同を働きかけ、自民党誕生のきっかけを作った。54年に起きた造船疑獄をきっかけに、政治献金のあっせんに乗り出し「透明性の高いカネ」を「自由主義経済を守る保険料」として自民党に献金する仕組みを築く。

 自民党が初めて下野した93年、当時の平岩外四会長が献金あっせん中止を決断。しかし、細川連立政権が短命に終わり、政権に返り咲いた自民党との関係修復に苦労する結果になった。今回の衆院選後、民主党にかじを切れないのは、この時のトラウマがあるためだ。

 03年に奥田碩会長(当時)は、献金を「企業による社会貢献」と位置づけ、あっせん再開に踏み切る。さらに「カネは出すけど口も出す」と自民党への政策提言を積極化。政治献金額は07年に自民党29億1000万円、民主党8000万円と大きく開いた。奥田氏は経済財政諮問会議の民間メンバーに就任し、小泉改革のけん引役にもなった。後任の御手洗冨士夫氏は「政治と経済は車の両輪」として諮問会議民間メンバーを務めたほか、安倍晋三首相(当時)の外遊にしばしば同行し、政権を支えた。

 だが、政権交代がこの図式を崩す。民主党は3年後の企業献金廃止を主張。子ども手当や最低賃金の引き上げなど内需重視の政策は、輸出型企業が要職を占める経団連の方針とは食い違う。民主党内には「経団連と友好関係を」との声もあるが、政・官・財の癒着を批判することで、来夏の参院選に勝とうという声の方が大きい。

 民主党と経団連の距離感が定まらない中、格下と見られがちだった経済同友会の相対的な地位が押し上げられている。同友会が07年にまとめた行政改革の提言「国家戦略本部の新設」は、民主党の国家戦略局構想の下敷きになったとみられる。14日には桜井正光代表幹事が国会内で民主党の直嶋正行政調会長と会談し、鳩山内閣への要望書を提出。民主党内には桜井氏を政府税調で起用したいとの声もある。政権交代が、財界の構造も揺るがそうとしている。



経団連も自民党と一緒に「下野」ならぬ「出直し」を 9月18日 JANJAN

政治と一体化して大手企業ばかり優遇したことのツケは大きい

自民党が野党に転落。政権とのパイプが切れてしまった日本経団連。御手洗会長が、安倍政権時代に入っていた「経済財政諮問会議」も民主党は解散してしまいます。

 当然ですが、経団連幹部たちの狼狽ぶりが報道されています。

 日本が変わる:財界総本山、立ち往生 民主と疎遠、鮮明 「利益団体」と敵視され (毎日新聞)

 民主党は、3年後には企業献金を廃止することも公約にしていますし、「国民の生活が第一」「家計支援」を主張し、総選挙で圧勝しています。民主党が経団連に安易に擦り寄ることはないでしょうし、すべきではないでしょう。

■調子に乗りすぎた「自業自得」

 それにしても、経団連を代表してくれていた自民党政権をつぶしたのは他でもない経団連幹部ではないでしょうか?

 すなわち、経団連が調子に乗りすぎて自民党と一体化してしまった。そして、日本経済全体ではなく『一部大手企業の利益団体』に堕してしまった。そのつけが今回っているだけではないでしょうか?

 民主党は、資本主義経済も日米安保も肯定する政党です。それでも、「今の経団連」は、叩いておいたほうが政治的に得、ということになってしまいます。

(中略)
■小泉以降は自民と一体化

 1994年、自民党は社会党を巻き込み、政権に復帰しました。自民党や財界にとっては批判勢力がひとつ減りました。小選挙区制もあって、社会党が瓦解した(財界がそう仕向けた)こともあり、財界は向かうところ敵なしになりました。特に小泉政権以降、暴走を加速します。

 また、財界としても自民党が政権に返り咲いた際に、自民党との関係を修復するのに苦労した経緯もあり、自民党と財界の一体化が進みます。

 経団連と日経連が合流した日本経団連は、2003年、自民党への政治献金斡旋を事実上再開しました。

 その献金の斡旋の仕方は、経団連が優先政策事項を定め、各政党を採点し、企業に参考にしてもらうものでした。もちろん、自民党が一番評価が高いですから、献金は自民党に集中します。

 「優先政策事項」と「企業の政治寄付の意義」について

 このシステムでは、昔のような「体制維持」が目的ではなく、財界が自民党の「政策を買収」するということです。

 おかげで、労働法制の規制緩和、社会保障や地方交付税の削減の一方、大手企業やお金持ち減税は維持・強化されました。

 それより先、経団連や同友会トップが、『小泉・竹中』ネオコン路線の象徴である経済財政諮問会議入り。

 一方で消費者や労働者、中小企業の代表は排除されました。さらに『規制改革会議』ではオリックス会長・宮内義彦さんが議長に就任。

 大手企業、とくにトヨタやキヤノンなどの輸出大手や大手金融などが、我が世の春を謳歌しました。(後略)



(私のコメント)
今度の総選挙における自民党の野党転落は、前回の参院選挙でも自民党が大敗した事で前兆があったのですが、自民党は今回の総選挙でもそれに対する政策変更が出来なかったのが大きな原因だ。前回の参院選挙では小沢民主党は「国民の生活が第一」と選挙キャンペーンを張った。

それに対して自民党は小泉構造改革路線を変更しなかった。むしろ「改革を止めるな」と民主党に対抗したのですが、国民の支持は集められなかった。小泉チルドレンが今回の衆院選挙で82名から10名に減ってしまった事からも証明が出来る。小泉構造改革が国民に支持されていたのならこれほどの大敗はしないだろう。

小泉首相は「聖域なき構造改革」と称して福祉や医療に切り込んでいきましたが、象徴的なのは後期高齢者医療制度であり、自民党議員ですら内容を把握しないまま法律が成立してしまった。さらに診療報酬点数を減額したために病院の収入が減少して地方の医療はガタガタになってしまった。そして妊産婦のたらい回しが頻発するようになり、小児科医と産婦人科医がいない病院が多数出来てしまった。

このような改革に対して安倍、福田、麻生総理と修正を試みる動きがありましたが、80名を越える小泉チルドレンがネックになって選挙で大敗するまでずっと来てしまった。新しい自民党総裁選挙が行なわれていますが、候補者の演説を聴いてもピンと来ない。何でこれほどの大敗をしたのかと言った反省点がはっきりしないのだ。

原因の一つをはっきりといえば、あまりにも経団連よりの政策を取り入れすぎたのであり、輸出産業依存の経済政策を行なって、消費者中心の内需を振興する政策が疎かだった事だ。小泉構造改革というのは郵政を民営化すれば日本は何でもかんでも良くなるといったメチャクチャナ論理であり、実際に良くなったのは経団連に加盟しているような大企業ばかりだった。

御手洗経団連会長がホワイトカラーエグゼンプション等を言い出したときは、「株式日記」でも大反対しましたが、400万円以上の年収のサラリーマンは管理職として残業代をカットしようという法案だった。キヤノンにとっていい事は日本にとってもいいことだと言うのでしょうが、大企業は好業績なのに労働者の平均賃金はどんどん減って行った。世するに経団連は驕っていた。


税負担が上がれば企業は外国に逃げ出すなどと国民を脅迫する、経団連や経営者に、愛国心を持てなどと説教されるいわれはない 2007年1月29日 株式日記

(私のコメント)
昨日書いたように最近の経団連は消費税を上げろとかホワイトカラーエグゼンプション法案を成立させようとか、何かと国民を苦しめるような事ばかりやっている。経済コラムマガジンで書かれているように日本企業は「共生派」と「競争派」に分かれていたが「共生派」の企業が多かった。

ところが最近の経団連の企業は「競争派」が圧倒的に多くなり、トヨタの奥田前会長やキヤノンの御手洗会長などは「競争派」の典型だ。多かった「共生派」の企業は失われた15年不況で消え去り、残ったのは「競争派」の構造改革派ばかりになった。

昔は高度成長時代であり企業と言う組織の拡大には「共生派」の方が有利であった。系列企業や社員との関係を重視して拡大して行った。しかし拡大路線が限界に来て、さらにバブルの崩壊で高度成長が止まると「競争派」の方が有利になり、トヨタやキヤノンといった勝ち組企業が残った。

このような「競争派」」企業は従業員にも厳しく、系列企業にも平気で厳しい条件をつけてきて、長年の系列企業でも従わなければ関係を切る。だから国内の生産子会社を切り捨てて中国に工場を移転する事など平気でする。さらには正社員を派遣社員に切り替えて賃金を引き下げる。


(私のコメント)
自民党議員が「株式日記」を読んで政策を変更していれば、あるいは野党に転落する事もなかったのでしょうが、自民党議員にとっては選挙で敗れても野党に転落する事までは想像できなかったのだろう。経団連にしてみれば野党になった自民党に献金しても意味が無いから献金は止めるだろう。民主党は企業献金廃止だから経団連はカネも出さないが口も出せなくなり自力で生き残りを図るしかなくなる。

グロ−バル企業は景気が良い時は国家の事など意に介しませんが、GMやクライスラーのように企業が危機に瀕したときは国に救済を頼まなければならない。トヨタやキヤノンにしてもいつ経営がダメになって国に救済を求める時が来るかも知れませんが、「工場をたたんで出て行く」ような根無し草企業は日本の政治に口出しをさせるべきではないのだ。

その反面では、小泉竹中内閣は不良債権を処理を銀行に強制的にやらせて、多くの中小企業を潰して行った。経済財政諮問委員会には消費者や中小企業の代表は入っていなかった。いわば消費者や中小企業は小泉竹中内閣では切り捨てられたのだ。だから今回の衆院選挙では都会でも自民党は敗れた。自民党はこれからの数年間は野党の悲哀を十分に味わって反省すべきだろう。




米国は一貫して、表向きだけ日本重視といいつつ、実態は日本無視だった。
多極主義が強くなっていったのに、日本は対米従属の姿勢を変えなかった。


2009年9月26日 土曜日

米国のリードを自在に引っ張るプードル 9月24日 英フィナンシャル・タイムズ

ワシントンの一部の人たちが鳩山政権について話しているのを聞けば、日本人がベネズエラのウゴ・チャベス大統領を自分たちの最高指導者に担ぎ上げたところかと思うだろう。

 総選挙で勝利を収めた鳩山由紀夫氏率いる民主党の、「対米依存の少ない」外交政策を行うという公約や、新首相が「米国主導の市場原理主義」と呼ぶものに対して抱く疑念は、米国の石油資産を差し押さえるという決定に対してあわや見せかねなかった冷静さを欠いた態度で受け止められた。

 保守的なヘリテージ財団は、非常ボタンを押した多くの調査機関の1つだった。民主党が半世紀に及ぶ自民党の政権支配を断ち切った日、同財団は「太平洋の反対側でガラガラと崩れ落ちる音」と、「反資本主義的、反米主義的なレトリックを長く駆使してきた中道左派政党」の台頭を感じ取った。

 オバマ政権内部の高官でさえ、今なお戦時中の恨みが充満する地域の平和維持に60年間貢献してきた日米同盟への影響について内心神経質になっていた。

日本をプードルと呼ぶのは間違いで、実のところは猫である(中略)

米軍基地の展開についても、日本はこれまで全く従順ではなかった。沖縄のヘリコプター基地を移設するという長年の取り決めは一度も実施されていない(これに比べれば、合意を再検討するという民主党の決定は劇的とは言えない)。

 米国の高官は、表向きは日本の忠誠心を十分称賛しているが、内心では日本の頑固さに苛立ってきた。一方、日本の高官は、米国がごく最近、日本の強い反対を押し切って、北朝鮮をテロ支援国家のリストから外した時、米国の政策に歯ぎしりした。

 このような無言の緊張を考えると、米国は、より対等で開かれた同盟関係を構築するという民主党の約束を大いに喜ぶべきだろう。米国は、言いなりになることをいつもぼやく同盟国ではなく、自信を持って合意を交わし、それらの合意を確実に守る同盟国を必要としている。

 23日に初めて鳩山首相と会談したオバマ大統領は、小泉政権時代の中国との悲惨な関係とは全く対照的に、アジアの近隣諸国とより緊密なつながりを築くという民主党の狙いも歓迎すべきである。

実は米国の考えに即している鳩山プラン

 民主党は、対米関係を貿易や基地問題を超えた領域まで引き上げるというビジョンも持っている。鳩山首相が取った最初の行動の1つは、温室効果ガスの排出量を2020年までに1990年の水準から25%削減し、中国を含む発展途上国がエネルギー効率を改善する手助けをするという大胆な(無謀と言う人もいる)公約をすることだった。

 また鳩山政権は、消費需要を喚起することによって、輸出の上に築かれた数十年来の経済政策からも脱却しようとしている。これは、世界経済の再均衡化に関する米国の考え方に沿った政策である。

 公正を期すために言えば、オバマ政権は賢明にも現実的なスタンスを取った。オバマ政権は鳩山首相に、沖縄に関して一息つける時間を与えた。

 米国の東アジア・太平洋担当国務次官補で知日派のカート・キャンベル氏は、新政権の論調に対して温かい反応を示し、「日本が自信を持ち、独立を自覚することが重要だ」と語っている。

 それは正しいアプローチだ。確かに、「友愛」や東アジアの統合に関する鳩山首相の型破りなレトリックを馬鹿にするのは簡単だ。UFOに乗って金星に行ったという鳩山夫人――くだらないことで有名な日本の昼間のテレビ番組のスター――の発言は、日本の新政権をばかにしたい人にとっては格好の材料だ

 ただ、一般に反資本主義的と思われている鳩山首相のレトリックに関しては、次のように考えてみるといい。もし鳩山氏が、自分の政権は米国主導の市場原理主義を喜んで受け入れる準備ができていると言ったとしたら、どうか? その方がずっと恐ろしいだろう。


多極化に対応し始めた日本 9月25日  田中 宇

民主党の鳩山首相が、就任から10日後の9月23日に米オバマ大統領と会談した。たまたまニューヨークでの国連総会に両者が出ていたので、その傍らでホテルで25分会っただけで、鳩山オバマ会談は大した出来事ではないと思う人もいるかもしれない。しかし、鳩山政権は就任前から反米的とみなされる方針や言動を発しており、米政府から悪意あるメッセージを何も受けず、鳩山がすんなりオバマと会談したことは意外感がある。

 思い起こせば、先代の麻生首相と安倍首相は、米大統領と会談できるまるでに、就任から半年待たされている(福田は就任2カ月後に会談した)。特に安倍は、米国に対して対米従属の尻尾を思い切り振っていたにもかかわらず、訪米の前に訪中・訪韓せねばならない屈辱を(おそらく米国の差し金で)味わった上、半年たってようやく訪米し、ブッシュ大統領と会談させてもらったものの、晩餐会も開かれず冷たくあしらわれた。この先例から考えると「反米」の鳩山政権は、オバマに会えるまでに1年待たされても不思議ではなかった。それが、就任からわずか10日で会談が実現してしまった。意味がなくなる日本の対米従属

 今回の国連総会でも、少し前まで世界で最も米国と親しい国のはずだった英国のブラウン首相は、オバマ大統領との正式会談を断られている。オバマは、ブラウン政権がパンナム機事件の容疑者をリビアに帰してしまったことに怒って面会を拒否したという。英国の報道によると、英政府は条件を変えて5回もオバマとの会談の要請したが断られ続け、仕方がないのでブラウンは、国連本部内をオバマが移動する時、人混みを避ける裏道として厨房内を通った際にオバマをつかまえて10分ほど立ち話した。英米両政府は「米政府が会談要請を5回も断ったというのは事実無根だ」と発表したが、厨房会談については否定していない。(New low for US-UK ties as Obama meets Brown in a New York kitchen

 オバマは国連総会を機に鳩山のほか、中国、ロシアの首脳とも2者会談を行った。オバマが親米のはずの英国との会談を断る一方、反米的な中露とは会談したのは、いかにも「隠れ多極主義」的だが、会談相手の中に反米的な日本の鳩山が入っているのは、新政権になった日本がようやく世界の多極化に対応して「非米同盟」の方向に傾いたことを象徴しており、興味深い。

 鳩山政権では、岡田外相が就任時に、米国に「核の先制攻撃をやめる」と言わせることを試みる件で質問され「私の持論は、先制使用すると明言する国に核軍縮や核の不拡散を言う資格があるのかということだ」と答えている。また岡田は、FT紙の取材に対して「自民党政権の外交政策は、過度に対米従属だった。私は、日本独自の考え方に基づいた外交をやりたい」と述べている。これらの発言は、従来の日本外交の常識からすると、米国に対して言ってはいけない「不敬罪」にあたる暴言である。世の中のしきたりを知らない子供が「王様は裸だ」と叫ぶようなもので、子供を政権に就かせるべきではない、というのが「大人」の自民党や外務省やマスコミの従来の考えだった。(Okada seeks to redefine Japan-US relations

「子供じみた反米論者」とレッテルを貼られる民主党政権の言動からすると、鳩山首相や岡田外相が国連総会出席のために訪米しても、米政府から冷たい仕打ちを受けて終わるという予測が出て当然だ。ここ数年、対米従属一本槍のプロパガンダ体制が組まれている日本のマスコミでは、鳩山政権が就任早々、ニューヨークでオバマ政権から冷や飯を食わされるのを受けて、いっせいに「無能な鳩山・岡田」と大合唱するつもりだったのだろうが、その目論見は外れた。

 反米のはずの岡田は、反米を許さないタカ派のはずのクリントン国務長官と会談して笑顔で写真を撮り、鳩山政権がインド洋での海上自衛隊の給油活動を中止しそうなことに対して、クリントンは容認する姿勢を見せた。東アジア担当の国務次官補であるカート・キャンベルは、日本の民主党が望む日米の対等関係は、日本が自信を持って自律的に行動することを意味するので悪いことではないとFT紙に語っている。

▼日本を冷戦思考や対米従属中毒から引き離す「脱官僚」

 すでに短く書いたが、私が見るところ、オバマ政権が鳩山政権に対して意外な親密さや理解を示しているのは、今の米中枢が隠れ多極主義の戦略を採っているからだ。日本は小泉政権の時代に、対米従属を強化するか、もしくは対米従属を薄めてアジアとの関係を強化するかという選択肢があったが、小泉は対米従属強化の方に進み、次の安倍政権以後はそれが踏襲された。福田政権はアジア重視をやろうとしたが、小泉時代から強まった中韓朝露に対する敵視プロパガンダに阻まれ、動けなかった。その後の麻生政権まで、米国は一貫して、表向きだけ日本重視といいつつ、実態は日本無視だった。それは、米国中枢で米英中心主義より多極主義が強くなっていったのに、日本は対米従属の姿勢を変えたがらなかったためだ。(後略)

(私のコメント)
英国のブラウン首相が、オバマ大統領との会談を望んだのに出来なかったそうですが、麻生前首相がサミットで会談を望んでも出来なかった事を思い起こさせる。アメリカにとって英国と日本は外交上重要な国なのですが、その時々によってアメリカの外交戦略は変わるから注意が必要だ。ネオコンがアメリカ政権の主導権を持っていた頃は対米一辺倒の外交でよかったのでしょうが、オバマ政権では外交姿勢はかなり違うようだ。

ネオコンのようにロシアや中国を日米英で封じ込めていくというのは冷戦時代の戦略であり、アメリカにはもはやそれだけの力は無い。しかし日本は麻生政権まで対米一辺倒であり、アメリカとの外交がギクシャクする事は日本の政権にとっては命取りになる。特に自民党においてはアメリカに対して「対等な外交関係」を言うだけでも憚られた。

しかし最近のアメリカは、軍事的にもイラクやアフガニスタンで行き詰まってきており、経済的にも金融危機の直撃で内憂外患を抱えており、一極主義的外交から多極的外交戦略に切り替えている。その事に気がつかなかったのは日本であり英国であった。アメリカは近い将来に海外の軍事基地を大幅に縮小して、軍事予算も大幅にカットしないと財政が持たない。

オバマ政権では日本や中国がドルを買い支えたり国債を買ったりするのは、口では感謝しても本音では違うのかもしれない。このような事は田中宇氏が前から言っていたことですが、日本の外務官僚たちはこのような変化に気がつかなかったようだ。財務省もドルや米国債を買い続けてグリーンスパンに止めろと叱られるまで止めなかった。アメリカの複雑な本心を探るのはかなりの注意を要する。

「株式日記」でも自主独立外交を主張してきたのですが、自民党の対米一辺倒の外交はアメリカにとっても大迷惑なのだ。だから日本で民主党政権が誕生したのは流れとしても当然のことなのだろう。インド洋の給油問題も沖縄の基地移転問題もアメリカ政府から一喝されると覚悟していたのでしょうが反応は違うようだ。

鳩山論文に対する日本の識者達の反応は、鳩山は日本のチャベスかと怒りのコメントを紹介していましたが、内容的には至極当然の事を書いただけに過ぎない。日本の識者は鳩山論文をアメリカを怒らせるものだと過剰に反応したが、外交評論家達はアメリカの権力中枢の事などまるで分かっていないのだ。

確かにアメリカは日本の首相の首を挿げ替えさせたり、スキャンダルをリークして政治家を失脚させたりしてきた。しかしネットの普及によって、内政干渉すれば「株式日記」も黙ってはいないから、そのような事をすれば日本国民を怒らせて反米的にすることは注意している。ブッシュが北朝鮮に対してテロ支援国指定を解除したのは日本国民を怒らせた。だから自民党は面子を潰されて選挙で負けた。

小沢代表に対しても「第七艦隊で十分」と言った事に対して、スキャンダルをリークさせて民主党代表から降ろさせましたが、露骨にやれば日本国民を怒らせる。自民党は対米一辺倒の政党であり自主独立を主張する政治家はほとんどいない。むしろ民主党の方が鳩山論文で見られるように対等なアメリカとの外交関係を主張している。

9月16日の「株式日記」でも「日本の政治家はアメリカの大統領に話を伺いに行くだけでなく、説教することが大事です。きちんと諭してやらないと気の毒です。」と題して書きましたが、アメリカ政府は鳩山政権を潰すのは簡単なのでしょうが、国民を怒らせるような事は出来ないはずだ。だからオバマ大統領は中国やロシアの首脳に続いて日本の総理大臣と会談した。ここで鳩山首相が小泉総理のようなおべっか外交をすれば自民党と変わらなくなり政権交代の意味が無い。

民主党の脱官僚政治は外交にも言えることであり、外務官僚に任せっぱなしでは自民党と変わらなくなる。トップ同士の外交では政治家個人の力量が問われるのであり、自民党には最早トップ会談が出来るような人材がいなくなってしまった。演説原稿も官僚任せでは外交の相手に対しても失礼になるのであり、麻生総理もサミットでは誰も会談に応じてくれなくなってしまった。

オバマ大統領の政治の一番大きな課題は内政であり、国民皆保険制度など日本もバックアップしてあげれば感謝されるだろう。軍事的な大リストラも、日本から日本は自分で守りますから米軍は引き揚げてくれといえば感謝されるかもしれない。そのような複雑なアメリカの内部事情が分かるような外務官僚がいない。三沢基地のF16部隊が引き揚げる打診が来たが日本政府は賛成すべきだ。


米、三沢基地F16撤収を打診 ことし4月、日本難色で保留 9月12日 共同ニュース

米政府がことし4月初旬、米軍三沢基地(青森県三沢市)に配備しているF16戦闘機約40機すべてを早ければ年内から撤収させるとともに、米軍嘉手納基地(沖縄県嘉手納町など)のF15戦闘機50機余りの一部を削減させる構想を日本側に打診していたことが分かった。複数の日米関係筋が11日、明らかにした。

 オバマ米政権の発足に伴う国防戦略の見直しを反映した動き。日本側は北朝鮮情勢や在日米軍再編への影響を懸念し、いずれにも難色を示して保留状態になっているという。日米両政府は現在の米軍配備を前提として在日米軍再編案に合意した。鳩山新政権の発足に伴い、この問題をめぐる協議が始まり、停滞している米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の嘉手納基地への統合案などが再浮上する可能性もある。

 三沢基地のF16は冷戦末期の1980年代に旧ソ連をにらんで配備され、冷戦終結後は北朝鮮への外科的先制攻撃(サージカルアタック)を想定しているとされてきた。ただ日米両政府内には、実際に先制攻撃する公算は小さい上、仮に攻撃せざるを得ない事態でも空母やグアムからの攻撃が可能で、三沢基地に配備する価値が低減しているとの指摘があった。

 日本政府関係者はF16を撤収させた場合「グアムの米軍基地から次世代型戦闘機F35を巡回の形で駐留させる可能性がある」と予測している。ただF35は量産態勢にまだ入っていない。これを配備するとしても5年以上先で、三沢基地から常駐の米戦闘機がなくなる公算が出てきた。





記者クラブという制度で、取材するプレーヤーが固定化されて慣れ合い
が生まれる。記者個人と取材される側の間でも緊張関係は失われる。


2009年9月25日 金曜日

総理大臣の外遊に見る、記者クラブの生態 9月24日 anti-monosの新メディア論

鳩山総理がニューヨークに行っている。今回がどうかはしらないけれど、これまでだと総理大臣が海外に行く際、記者クラブではこんな光景が繰り返されている…。


記者クラブの室内には張り紙が。「○×総理 国連総会出席 同行記者募集」。総理の大まかな日程が書かれていて、記者クラブの加盟社につき1名が参加申込枠に名前を書くことができる。名前を書けば、官僚がホテルの手配、現地での移動まですべて手配してくれるのだから、まさに至れり尽くせり。

申し込みが終わると、数日後には同行記者を対象に官僚による事前の記者レクチャーというのがある。国際会議での議題だけではなく、会議の前なのに既にほとんど決まっている(!)という共同宣言の文案まで教えてくれる。

政治記者の99%は「政局」という名の権力闘争の取材のプロであって、実は政策には詳しくはない。なので、官僚による記者レクの内容が、ほとんどそのまま記事になることが多い。実際には記者レクの他にも、ちゃんとした記者は専門家に話を聞いたり周辺取材をするのだが、そもそも政治記者の本業は政局取材なので、一夜漬けで官僚の書いた報道させたいシナリオを崩せるはずもなく、記事の基本線は官僚の記者レクに引っ張られることが多い。記者レクが出発直前までずれ込むと、「記事が書けないだろ!」と騒いで抗議する記者まで実在するのだ!役人のレクを待たずに自分で取材するなり、勉強するという気にはならないらしい…。

そして、いざ出発の日。羽田空港近くのホテルの一室に同行記者ご一同が集まる。ホテルの会議室が取ってあって、コーヒーなどの飲み物や軽食まで置いてある。記者はもちろん1円も払わない。部屋代もホテルのコーヒー代や軽食代もすべて税金だ。

集合時間が来て、飛行機に乗り込む。だが飛行機といっても、JALだのANAではない! 政・府・専・用・機。つまり、総理大臣と同じなのだ。機内では、同行記者向けに総理の記者会見もあったりする。

現地に着けば、入国審査も何もない。そのまま政府が手配してくれたバスに同行記者ご一同で乗り込んで、滞在先のホテルに向かう。ホテルではご一同のために、大きな部屋が抑えられていて、記者クラブ加盟社ごとに記事を書いたりするためのブースが既に設置されている。各社ごとに専用の電話やFAXまで引かれている。費用は各社一応払うのだが、実費以下の、気持ち程度。もちろん、これらの手配もすべて政府があらかじめやってくれている。まさに完璧、JTB以上じゃないか…。

現地では同行記者が総理大臣を囲んでの「懇談」。さらに懇談とは別に総理、あるいは総理と同行の官房副長官あたりが記者を一堂に集めてのお食事会だ。その国を代表する高級ホテルでの食事。ここでも費用はもちろん、税金だ!

そして、2泊3日くらいの滞在が終わり、同行記者ご一同は政府専用機で帰路に。ところが、まだ終わらない!

旅のクライマックス(?)は最後に待っている。最後は何と政府専用機内で記者と総理の記念撮影だ。しかも記念写真は後日「200×年 国連総会」とかの名称までしっかりと彫りこまれたフォトフレームに入って、海外の同行取材の思い出にと、ひとりひとりに配られる。もちろん、最後まで税金だ…。


ここまで政府に面倒見てもらっても、ちょっと辛口のコメントも言わないと「ジャーナリスト」としてかっこつかないからなのか。現地からの中継や「政治取材歴○年」のテレビコメンテーターが、政府に「庶民の声」として意見を言ってくれる。

産経新聞出身の歴戦の政治記者が言われるように、記者クラブを解放すれば、素晴らしい記事がどんどん世に出るわけではないというのは、その通りでしょう。記事を書いたり取材したりという行為は、ある程度の職業訓練が必要なので、読むに耐える記事を書ける人だって、それほど多くはないはず。ただ記者クラブの問題は、産経出身の方が言われるように、個々の記者が、頑張っているとか、工夫しているとか、そういう次元ではないのでは。

取材現場の構造として、新規参入が常にありうるかどうか、出入りが自由かどうか、これこそ記者クラブ制度の論点ではないかと思う。

記者クラブという制度で、取材するプレーヤーが固定化される。そのことで、取材する側とされる側の慣れ合いが生まれる。記者個人と取材される側の間でも緊張関係は失われる。海外同行取材で当時の中川財務大臣と女性記者が酒を飲んで、そのまま大臣がもうろう会見に挑んだというのは、記憶に新しいはず。大臣も問題だけれど、緊張関係のなさは、こんなところにも表れる。

さらに、取材する記者が所属する会社との慣れ合いを生んでしまう。何しろ記者といってもサラリーマン。会社ごと押さえておくほうが話も早い。新聞の再販制度であったり、電波行政がその典型だ。こうして、事業会社としてのマスコミもまた、政府によって守られる。名目は文化の維持だの、適当に何でもつけられる。かくして、新聞社は大手町にある本社ビルの敷地を国から安く払い下げられ、テレビ局のサラリーマンとしての、記者やコメンテーターの年収は平均で1500万を超えることになる。

ところが、記者クラブがなくなって、いつでも新規参入があるようになったら、もはや報道される側も限られた個人や事業会社だけを抱え込んでいても仕方がない。

野党の記者会見というのは言い方は悪いけど、ただの「遠吠え」。与党を批判したところで、何かの政策が実現されたりするわけでもない。発言したところで、何もないのだ。だからこそ野党は目立ってナンボなので、報じてくれる人は千客万来になる。ところが、扱ってもらうのが当然という与党になったら、急に態度を変える。政権維持のためにマスコミという既得権を取り込もうとしていると同時に、またマスコミに取り込まれているということなのだろうか。

この相互依存の関係、意識的にどちらかが言葉に出して形作られるものではなく、慣例として暗黙のうちに成り立っているのだから、また始末が悪いのだけれど。


メディアの既得権を崩す方法 9月22日 anti-monosの新メディア論

記者会見のオープン化は象徴的だが、記者会見自体は取材する側から言うと、実はそれほど意味がない。全社の記者が聞いているし、今では質疑応答を除けば、ネットで公開もされている。既得権は記者会見への出席権ではなく、情報への半ば独占的なアクセスという広範な問題だろう。それが記者個人の実力や努力ではなく、記者クラブ加盟社の社員記者ということで保障されているところに問題がある。感覚的だが、既存メディアが報道している内容の9割は政府や官庁(警察、検察も含む)が情報源だと思う。

取材させる側のメリットというのも、実は大きい。記者を囲い込めるからだ。自分の気に入らない取材をする記者を懇談から締め出す。あるいは、記者クラブと取材される側が、出入りも自由の、渾然一体となった運営がされているので身内意識もある。渡邊恒夫とか海老沢勝次なんていう政治記者出身のメディア企業社長はまさに取材対象の身内となって、その力を盾に出世した典型だと言われている。慣れ合いと言われても仕方のないような話も多い。

取材される側から「このように報道しろ」という指示などあるはずもない。ただ、何となく「書きづらい」空気が記者クラブ全体を覆ってしまうのだ。普段から記者クラブを通して付き合いのある政治家などに、よほどのことでもない限り、厳しい突っ込みなど入れづらい。あるいは、普段から記者クラブという閉鎖空間で接している官僚や政治家の論理に染まりやすくなってしまう。

特に顕著なのはテレビ記者への影響だ。テレビの記者は、かなり若い。記者としても社会人としても経験不足な場合が多い。総理大臣が立ち話をしている「総理ぶら下がり」の映像を見れば、ほとんどが20代だとわかるだろう。しっかりとしたものを求めるのも、厳しいものがある。その政治家の論理、官庁の論理にすっかり取り込まれてしまっているのは、珍しいことではない。若い女性記者が「官公庁用語」で話しているのを聞いて、唖然としたこともあった。

あるいは「あの有力政治家は美女に弱い」なんて噂がたつと、その政治家の番記者の大多数が女性になるということもある。かなり以前に週刊誌にも書かれた話だが、郵政民営化大反対の政治家が、全盛期に高級ホテルのプールに、女性記者「だけ」を集めて「懇談」したことが何度かあった。当然、全員水着姿だ。毅然と「参加しない」と言い切ってしまってもいいものだが、有力政治家が「重要情報」をプールでの懇談で話すかもしれない。だから、渋々参加せざるをえない。取材する側とされる側、微妙な関係というのが実態だ。

思いつくまま書いたので、まとまりがない文章になってしまった。いずれにしても、取材される側の「囲い込み」、取材する側の「当局情報へのアクセス独占」。この2つの思惑が重なりあって存続しているのが、「記者クラブ制度」だと思う。

ネットのいいところは、こういう議論が公になってきたことだ。記者クラブのオープン化問題も、新・総務大臣が民放とズブズブな関係なのも。新聞やテレビが書けるはずもない問題だ。ちなみに、テレビのコメンテーターが本業の政治家が要職に就く場合は要注意だ。大臣ともなれば、メディアの社員だって気楽に会うこともできないが、元コメンテーターなら番組のプロデューサークラス(=普通の会社だと課長クラス)でも親しい関係にある。携帯に電話一本で「意見」できるのだ。政治家の側にも大臣になれるまで有名にしてくれたという「義理」がある。

かつては、何をしているか分からないけど、どこか怪しくて、うまい汁を吸っているに違いないと思われていた「悪の帝国」というのは、政治家だった。それが、2ちゃんねるやネットの話題をみると、政治家や官僚よりも「マスコミ」自体になってきたのだとわかる。マスコミはマス「ゴ」ミと揶揄されるがごとく、権力を監視している正義の味方ではなく、政治家以上に怪しい、既得権層になっているのだ。

数々の汚職事件や情けない事件の数々、誰が見ても頼りない世襲政治家の氾濫で政治の権威は失墜し、もはや叩く権威にすらなれていない。マスコミが叩くべき利権は、もはや失墜し、気がつけばマスコミ自体が叩かれるべき最後の既得権になってしまっている。しかも、記者クラブの問題、新聞社の押し紙、テレビ局の電波の独占など、その指摘は間違ってはいない。そのことにマスコミ自身はあまりに無自覚なようにも見える。

では、政治にしろ、既存メディアにしろ、ネット空間で問題が指摘されまくっているにもかかわらず、いまだに彼らの論理がまかり通ってしまうのはなぜだろうか。理由は単純で、ネットの影響力がまだまだ小さいからだ。

「はてな」を新宿で聞いて回ったところで、1%の知名度があるかどうか。「アルファブロガー」なんて、道を歩いていても、振り返られもしないはずだ。言論だけではなく経済面でも、そうだ。ネットの広告費で圧倒的なシェアを誇るヤフーですら、売り上げは3000億弱。キー局中堅のテレ朝と変わらない。相対的に影響力の強い集団の論理が勝ってしまうのは当たり前だ。

では、ネット空間で文句を言っているだけで仕方がないのかというと、そうは思わない。民主主義、資本主義を生きる人間には、2つの「杖」がある。ひとつは投票権、そしてもうひとつは「おカネ」だ。

投票権は言うまでもなく、既得権保護の政治家や政党に投票しないということ。「おカネ」というのは、所得に個人差があるにせよ、ほとんど毎日、コンビニで、スーパーで、量販店で、誰しもおカネを使っている。既存メディアの生命線は「広告費」。既存メディアへ広告費を大量に使っている商品は(できるだけ)買わないと決めてしまうことだってできる。テレビや新聞の広告費におカネを使っていない、コストパフォーマンスの良い商品を中心に、消費生活を過ごす。問題意識を持った人間が電凸以外にもできることはあるはずだと思う。


(私のコメント)
記者クラブの事については「株式日記」でも書いてきましたが、記者クラブと権力との癒着問題は、中川財務金融大臣と読売系の美人記者との関係でも書いた事があります。大臣が女好きだと分かると新聞社やテレビ局は選りすぐりの美人記者を配属して大臣から情報を得ようとする。中には枕取材までする美人記者もいるそうです。

だから、元テレビ局のディレクター氏の言うように、水着姿の美人記者たち「だけ」を相手に記者会見をするふざけた政治家が出てくる。ここまで来ればマスコミは権力の監視役ではなくて権力の飼い犬だ。記者クラブ制度は権力とマスコミの癒着の象徴であり、民主党政権が出来たらこのような悪習慣は廃止されるものと思った。

ところが記者会見の開放は外務省などの一部に留まるようだ。民主党でも野党でいるうちは記者会見を開放しても与党に比べると注目度は低いから開放しても問題は起きないのでしょうが、与党の記者会見になると実際の政治動向が掴めるからマスコミの注目度は高まる。大臣の一言で政治が動くからだ。

民主党にしても政権を奪取してしまえば、自民党が行なってきたような記者クラブを使ったマスコミ操作をしたくなるのは当然の話だ。元テレビ局のディレクター氏が言うところでは、総理大臣の外遊や主要大臣の外遊には政府専用機が使われて、記者クラブ加盟の記者たちも同乗が許される。官邸が顎足つきで外遊ができるように手配してくれるのだから、こんなに美味しい話は無い。

これで記者クラブが骨抜きにされるのは当たり前の事であり、政府に批判的な記事を書けば記者クラブ内においても村八分にされるだろう。記者クラブの同行記者たちは外国に行っても特別待遇であり、入国審査も無くバスで高級ホテルに直行だ。ホテルではブースが用意されて電話やFAXまで専用で使える。

だから中川大臣が各社の美人記者をはべらせて昼食をかねた慰労会まで行なわれても不思議ではない。それだけ大マスコミの記者たちと政府権力とはズブズブの関係になってしまっている。もし記者会見が開放されれば記者クラブの特権はなくなるのであり、総理との懇談会も出来なくなる。はたして民主党がこのような悪習を捨てる事ができるのだろうか?

記者クラブというのは政府権力から見ればマスコミ報道を囲い込む手段であり民主党がこれを継承しようとしても不思議ではない。特に民主党の議員は若い人が多いから美人記者に誘惑されれば何でもしゃべってしまうかもしれない。山本モナと不倫関係にあった民主党の若手有力議員もいましたが、中国に行けばハニートラップの罠が待ち受けている。

記者会見自体はネットでも内容が公表されているから大きな違いはありませんが、記者会見の内容が馴れ合いになって知りたい質問が出来ないのが問題だ。大臣にしてみれば知り合いの記者ばかりで和気藹々とした記者会見のほうがいいだろう。激しく追及されて大臣のクビが飛ぶような事になったら大変だ。田中角栄のクビが飛ぶきっかけとなったのが外人記者会見であり、外人は記者クラブに入れないようだ。

記者会見というのは、元々それだけ緊張感のあるものであり、民主党にとっても記者クラブの記者たちだけと和気藹々とする方がいいのだろう。しかしこれでは政権が交代した意味がないのであり、民主党が第二自民党になるだけだ。いずれは記者クラブの美人記者を水着姿ではべらせて記者会見する大臣も出て来るかもしれない。

大マスコミがこのように腐敗しきってしまったのも記者クラブの政府権力との馴れ合いであり、大マスコミを脅かす存在がなかったからだ。雑誌や週刊誌は新聞やテレビなどの大マスコミには太刀打ちできない。時間的制約でかなわないからだ。しかしネットとなると新聞やテレビよりも早く内容も充実した報道が可能だ。大マスコミでは書けない事もネットでなら書く事が出来る。

元テレビ局のディレクター氏が言うように、まだネットは影響力がほとんど無い。「株式日記」の毎日のアクセス数も2万足らずであり、新聞テレビなどは数千万人が見ている。だから政府も新聞テレビをいかに取り込むかを考えている。その手段が記者クラブであり、記者たちに対する至れり尽くせりのサービスだ。これではまともな報道など期待する方がおかしいのであり、本当の事が知りたい時は国民はネット情報を見るようになった。


なぜ記者はバカになるか 9月21日 田中良紹

そして戦いの武器は情報である。敵に不利な情報を流し、自分に有利になるよう情報を操作する。それは当然の話である。だから悪意はなくとも政治の世界は嘘だらけである。記者の仕事は嘘から真相を読み解く事だが、新聞にもテレビにも、読み解いた報道にお目にかかった事がない。誰かの話を鵜呑みにして政治解説が作られている。

 権力は常に世論を意識する。だから報道機関を世論操作の道具と考える。思い通りの情報を流す報道機関は有り難い。しかし権力の言いなりになっている事が見破られては意味がない。だから論説委員、テレビ司会者、コメンテーターはバカな方が良い。言いたいように権力を批判させながら権力の思い通りに操作する。バカは最後までその操作に気がつかない。「年金未納問題」も「居酒屋タクシー」も権力がリークして、それにバカな報道が乗せられ、未だにそれに気づいていない。

 「この世に正しい報道などあるはずがない」と私は思うが、この国には「正しい報道をすべきだ」と考える国民が多い。独裁国家ならいざ知らず、アメリカやイギリスなど普通の民主主義国家で新聞やテレビを頭から信じ込む国民はいない。ところが日本人は新聞やテレビを信じたがる。外国と何が違うのかを考えるとNHKの存在に行き着く。

 この放送局は日頃から「不偏不党で公正中立の報道」を宣伝している。養老孟司氏が「バカの壁」で喝破したように、この世に「不偏不党で公正中立の報道」などない。しかし日本人はそれを信じ込まされている。NHKがそう宣伝するのは国民全員から受信料を徴収するためだが、それによって国民はこの世に「不偏不党で公正中立な報道」があると信じている。



(私のコメント)
田中良紹氏は、「論説委員、テレビ司会者、コメンテーターはバカな方が良い。言いたいように権力を批判させながら権力の思い通りに操作する。バカは最後までその操作に気がつかない。」と書いていますが、テレビや新聞ばかり見ていると本当に馬鹿になる。「株式日記」は新聞やテレビを見て馬鹿にならないように解毒剤として書いているのですが、世の中を動かせるほどにはならない。

しかし時代は少しずつ変わってきているのであり、民主党は先取りして記者会見を開放するのかと思いましたが、やはり従来どおり記者クラブを継承するようだ。大マスコミも民主党を抱き込んでしまえば、今まで通りの美味しい利権にありつける。官僚とマスコミを敵に回せば田中角栄といえども失脚するし、民主党は政権をとれば官僚とマスコミを味方にしたほうがいいと考えるだろう。それに対してネットは非常に微力な存在に過ぎない。




東北、北海道、九州まで、農水族がたくさんいるところほど、
自民党=農協がわーっと崩れて、今度は小沢一郎支持に回った。


2009年9月24日 木曜日

009年の総選挙を振り返って(1) 9月4日 参加者:副島隆彦、古村治彦、日野貴之、中田安彦

古村 今回、このようにランドスライド(地滑り的勝利)で、民主党が勝ったわけですけれども、自民党で通った人たちの顔ぶれと、民主党を見ますと、「ばらまき」というのが一つキーワードになるのかなと思っています。

 中田 ばらまき。予算をばらまくということですね。

 古村 そうですね。僕が思うに、自民党型のばらまきのやり方が終わって、「民主党型のばらまき」の方法、「ばらまき」という表現が悪ければ、再分配、がこれから実行されていくんだろうと思っています。

 自民党のばらまきというのは、基本的に政治学的にいうと、ジャパニックモデルですね。俗に「鉄の三角形」(アイアン・トライアングル)と言われるように、政と官と業界、経団連とか、農協とか、医師会とかの利益団体が結びついていた。

 それで、これまでやってきました。地方への所得の再分配として、ばらまいていたわけです。しかし、この大不況では、このトリクルダウンがうまくいかなくなった。トリクルダウンとは「しずくが下にしたたり落ちる」という意味です。まず、これまでのやり方ですと、公共工事などでまず財界やゼネコンに予算を回して、そのおこぼれを一般大衆に行き渡らせていました。しかし、その政策がうまくいかなくなった。

 下に行かなくて人々の生活が疲弊しているので、民主党は、間に入れないで直接皆さんに上げますということになったわけです。自民党のやり方とは違いますね。日本研究者である、ケント・カルダーの議論でもありましたけれども……

 中田 ちょっとそこは難しいですね。要するに、今の話をまとめると、自民党政権のときは、政・官・業ということでトライアングルができていていた、と。

 古村 そうですね。そのおこぼれが下に行っていて。

 中田 自民党は、公共事業とか公共工事を通して予算を地方に配分していた。

 古村 そうですね。

 中田 それが今回、不況ということもあり、確かに公共事業をばらまきましたけれども、それ以前に、地元の経済界が疲弊していて、とても自民党を支えられなくなった。そういう要素があって、自民党の従来の支持組織、土建屋連合とか、医師会とか、農協が駄目になっていた。そこに、かわって、民主党が新しい金のばらまきをしてきたということですね。

 古村 そうです。

 中田 それで、この「民主党形のばらまき」というか、所得再配分ですか。あるいは、民主党の選挙対策の景気対策といっても良いと思います。これはどういったものですか。

 古村 民主党は、基本的には内需を喚起して、人々の可処分所得(家系が自由に使えるお金)をふやして、子供たちの教育費とか一番お金のかかるところにお金を出していくことにした。それが、ひと世帯当たり年間で30万円とか40万円とか余分にもらえるわけです。その分を少しでも消費に回してもらっていこうと。つまり、国内需要をそうやって喚起しようと、もっと消費して暮れよ、ということです。そのやりかた、つまり「内需型」で日本の景気をよくしようと思ってやっているわけですね。

 中田 要するに、家庭の主婦がお金を使いたいと思うような。

 古村 家計ですね、経済学的にいうと。

 中田 今回民主党は、農家に対する「戸別所得補償制度」と、一般の家庭に対する「子ども手当」ということで、(景気の下支えを)やったわけです。

 そこを考えたのは恐らく小沢一郎、今度民主党の幹事長になると発表されましたけれども、こちらのところはどのようにごらんになりますか。今までの自民党と比べて。

 古村 そういう疲弊しているところとか、今、「勝ち組」「負け組」という言葉がありますが、負け組と言われるような人たちに補てん、補償するというのは、実は、もともと自民党がやってきたことなんです。

 今の中国とか韓国を見ればわかりますけれども、高度経済成長のときには、否応なしに生活の格差が出てくる。先に豊かになる人と、ずっと豊かになれない人がいる。けれども、日本は、政治学的にいうと、高度成長をしながら、同時に比較的平等な社会をつくり上げてきたというので評価をされていまして、ディストリビューティブ(分配的)というか、再分配を自民党がうまくやってきた。

 多分それは田中角栄首相に象徴されると思うんですが、それを彼ら(アメリカの日本研究者たち)はコンペンセーションポリティクス(=補償による政治)と呼んでいます。それで自民党が勝ってきた。自民党はもともと農村型政党だったんです。その田中元首相の弟子であるところの、民主党の小沢一郎は、コンペンセーションということを、自分のプリンシプル(原則)にしていたと僕は思います。ばらまきと言われるかもしれないけれども。

(中略)

副島 そういう話はずっと私が書いてきた。そういう思想的な話も良いけれども、今は、もっと実際的にどうなっていたかという話を私がしなければならないね。

 大きくは8月に入ってから波が変わったんだよ。7月12日の都議選で負けて、民主党の政権ができるという流れに変わった。

 しかし、自民党内の勢力各派は全然自覚がなかった。司令官クラスだから。末端の動きが見えなかったのかもしれない。例えば、小池百合子さんが、昔の自分の選挙区の神戸で一生懸命自民党の候補の応援演説をやっていたら、支持者の人から、「あなた、自分の選挙区に帰らなくていいの」と言われた。その時に、小池以下、自民党の幹部どもは、はっと気づいたというんだ。でも、もう遅かったんですよ

 これが、8月の頭だったんだけども、一つ大きな波が後から襲いかかった。国民新党だって体質は一緒だから、渡辺喜美だってねらっていたし、自分のほうに自民党から20人ぐらいは崩れてくると思っていたんですよ。

 8月までは、国民新党系と鳩山邦夫系は、自分たちが波頭だと思っていたわけですよ。何しろ、弟の鳩山邦夫が信念を貫いて総務大臣をやめて、郵政民営化反対の旗柱を立てたとき、自分たちが最大の波だと思ったんです。

 ところが、その波から、民主党に勝たせろという大きな国民の波が起こったんですよ。亀井静香が言ったとおり、大きな波が押し寄せてきて、自分たちがのみ込まれていったんですよ。

 中田 鳩山邦夫は、選挙後に自分で新党をつくるみたいなことを言っていましたからね。

 副島 じゃなくて、核になれると思っていたわけですよ。
 
中田 政界再編の。
 
副島 もっと言えば、民主党とは違う反自民党の勢力ですよ。やがてできる大きな勢力の核に自分たちがなれるんだと思っていた。

 しかし、そこはもう小沢にばれていたんですよ。小沢はそれを許さなかったということですよ。

 それがどこであらわれたか。私はじっと見ていた。そうしたら、8月17日に選挙の公示日です。選挙はそこから2週間ですから、公示日直前というか、まさに最後のぎりぎりの日に、「比例単独59人」というリストを小沢がぱんと出した。これが小沢戦略だった。この日まで手の内を見せなかった。

 その中味は、ほとんどが小沢直系の、小沢親衛隊の「小沢政治塾」の人たちだったんです。私は、この顔ぶれを見たときにぞっとした。川島智太郎(かわしまともたろう)、それから中川昭一にぶつけた元書生の石川知裕(いしかわともひろ)。それから、樋高剛(ひだかつよし)という人たちがいるんです。

 樋高は、神奈川18区だけど、彼らは狂信的な小沢一郎主義者です。彼らは、秘書グループとかそんな甘いもんじゃない。私は、単独比例に名前がついていただけの連中が次々に受かって(当選して)いったあたりが、今回の選挙で一番大事なところだと実は思っている。

  他に、民主党にもすでに農林族というのがいまして、新潟の筒井信隆(つついのぶたか)というのと、篠原孝(しのはらたかし)というのがいるんです。

 農協(JA)とその最上級の幹部たちの集まりである全中(ぜんちゅう、全国農業協同組合中央会)というが、FTA(フリートレード・アクト、自由貿易協定)に反対した。これで民主党をつぶせると思うぐらいの大集会を、8月1日に東京に結集してやったんです。

 古村君がさきほど言ったとおり、彼ら農協の大幹部たちは農業なんかやっていない。全国の駅前の、ビル持ち、土地持ち、アパート経営者で、金融資産家みたいなやつらです。一人で数百億円の資産を持っているような連中です。年がら背広を着て、会議ばかりで、農業(百姓)なんか全くやっていない人たちだ。

 こいつらがFTA反対で、これで民主党をつぶせると思って、民主党農林族をたたきのめそうとしたわけです。

 北海道の松木謙公(まつきけんこう)が、北海道グループですが、JA、全中の強い抗議に対して、ヘイコラして妥協しようとした。そのときに菅とかは反対した。民主党は政策調査会というのがありまして、そこが頑強に抵抗した。

 そこにも小沢一郎の直系がいまして、彼らが小沢に直言、直訴した。ここで、小沢が一発、「農協(の幹部たち)なんか相手にするな」という重要な言葉が生まれた。「あんなやつらは自分たちの利権のことしか考えていないんだ」ときっぱりと発言した。


そうしたら、この農協の、腐れきった大幹部たちは、一斉に黙りこくってしまった。この時、全中(ぜんちゅう)が、歴史的な大敗北を喫したのです。 これで、農協・全中は、崩壊します。小沢一郎のこの時の発言は、非常に重要なものだと思います。

 今度の選挙は、民主党がマニフェストの中で「五つの約束」をはっきり打ち出して、次第に国民にはっきりしてきた。

 まず、子ども手当を年間31万円あげる。つまり、若い夫婦に2人目の子供をつくりなさい、とやった。その次に、最低保障年金を7万円とした。 老人にはだれでも月7万円を上げると言った。3番目が、農業をやっている人で、農業所得が年間本当に、50万円以上ある人は、だれでも45万円をあげる。農協を通さない。農協に途中で天引きされて、手数料とかで、中抜きされるから、それを阻止した。これが、戸別の所得補償制度ですね。すばらしい制度だ。

4番目が、高速道路を無料化する。これも、すばらしい政策だ。地方の高速道路は、お金がかかるから誰も使わないで放置している。本当にもったいない。それもこれも自民党と官僚たちが、自分たちの利権にしているからだ。 5番目が、月に10万円の手当つきの職業訓練。職のない人たちにお金を出しながら職業訓練を与える。それこそば、らまきなんだけど、全部で15兆何千億円かかる。それでも、すべて国民思いの、非常にいい政策だ。どんどんやるべきだ。

 中田 17兆円ぐらいかな。

 副島 これでも最低限度だ。これらの財源をどこから探し出して、持ってくるかが問題なのだけども。農家の貧しそうなおばあさんたちが、私がテレビを見ていたら、「小沢さんが(私たちに、ひとり)45万円ずつくれるんだって」とはっきり言っていたからね。私は、小沢は本当に偉い政治家だと、思った。貧しい老人たちが、小沢一郎に、全国各地で、すがりついていたもの。 これが本当の政治だ。

 東北、北海道、九州まで、農水族がたくさんいるところほど、自民党=農協がわーっと崩れて、今度は小沢一郎支持に回った。日本国民に、それこそあした食えない人たちが本当にいるんですよ。彼らが小沢一郎に「助けてくれ」と直訴し始めた。その波が8月17日から起きたんです。この新しい波が、その前の小波たちを乗り越えていったわけ。(後略)

(私のコメント)
八ツ場ダム建設中止問題では前原国土交通大臣が中止の決断を下しましたが、当初は地元が建設反対でゴタゴタして、今度は国が建設中止を決断すると地元が反対している。もめるのは仕方がないにしても構想から現在に至るまで60年も時間がかかっている。60年も経てば当時は必要だった事業でも時代が変われば必要なくなり自然を守る事が大切になってきている。

同じような問題は成田空港でも同じであり未だに完成していない。国の政治力の無さと一坪地主の反対で滑走路がなかなか完成しない。八ツ場ダムにしても成田国際空港にしてもどうしてこれほど揉めるのだろうか? 以前は全学連の反政府運動の象徴となりヘルメット姿の学生が反対運動を繰り広げた。マスコミはそれを煽ってTBSなどは全学連に協力して処分されたほどだ。

建設を決めても予定年度内に出来なければ途中でも建設を中止して止めるようにしないと、出来た時には必要がなくなっている事になるだろう。橋や道路も同じであり50年60年経っても出来ないものは元々必要も無いから出来ないのだ。成田空港もパンク状態なのですが地元が反対するのならば途中でも建設を中止して東京湾のど真ん中に作ればいいのだ。

地元も地元でゴネまくれば補償金が積み上げられて地元にばら撒かれる。八ツ場ダムにしても当初は2100億円のダムが工事の延期で4800億円に膨らみ、完成した頃には1兆円になっているだろう。だから建設するといえば反対し、建設を中止すればそれにも反対するのだ。要するに地元に国から補償金をどれだけ引っ張ってくるかが問題なのだ。成田だって国が廃港にすると決断したら地元は反対するだろう。


前回の参院選挙や今回の衆院選挙で自民党が大敗したのは、公共事業によるバラマキ政策が限界に来ているということであり、国がいくらカネをばら撒いても建設業者や農協などの中間利益団体が吸い取ってしまって末端に届かないから地方が疲弊してしまっている。つまり所得の再分配システムが自民党方式では上手く行かなくなって来ていると言うことだ。

トリクルダウンとは「しずくが下にしたたり落ちる」という意味ですが、中間利益団体がみんな吸い上げてしまって途中で消えてしまう。企業減税で大企業はバブル期以上の利益を上げても従業員の給与には反映せず株主報酬や役員報酬に消えてしまう。小泉竹中内閣では派遣の規制緩和をしたからよけいに格差が広がってしまった。

民主党が選挙で大勝利するようになったのは、自民党のバラマキ方式が上手く行かなくなったからであり、民主党のバラマキ方式は中間利益団体を経由せずに直接国民にばら撒くという方式だ。農家への戸別所得補償もそうだし子育て手当てによる年間31万円の給付も同じだ。消費が低迷している以上は国民に直接配った方が消費は増える。

自民党のバラマキ方式の公共工事も法人への減税も景気には機能しなくなった。それに対して民主党方式のバラマキはいくらでも出来る。問題は財源ですが、今まで利益を得てきた中間利益団体に吐き出してもらう必要があるだろう。天下り団体への予算配分も減るだろうし公共事業も減る。だから農協も土建屋も倒産するが農民は戸別所得補償で利益を得る。

この戦略を編み出したのが小沢一郎であり、自民党の弱点を突く戦略だった。農協や土建業者はもはや集票組織としては弱体化してしまった。農業補助金はみんな農協に消えてしまうし公共事業は土建業者に行ってしまって地方は疲弊してしまった。それに対して戸別所得補償や子育て支援は景気対策であると同時に選挙対策としても非常に上手く行った。

自民党も補正予算を組んで15兆円の景気対策を打ちましたが、自動車メーカーや家電メーカーは潤っても国民には直接は回っては来ない。自動車メーカーも家電メーカーも利益を独占してしまって派遣切りなどで従業員などの平均給与は下がる一方だ。

自民党議員は二世議員や古手議員ばかりになって民衆の怒りに鈍くなってしまって、真剣に雇用対策に手を打っているとは思えない。副島氏が指摘しているように小池百合子議員のように地元の選挙区でも危なくなっていることに気がつくのが遅すぎた。自民党はどうして国民の怒りに気がつかないような政党になってしまったのだろうか?

農協の幹部達は農業などやってはおらず、全国の駅前の、ビル持ち、土地持ち、アパート経営者で、金融資産家みたいなやつらだそうです。だから専業農家と農協との利害対立は大きくなっているのであり、農協は兼業農家のための団体だ。兼業農家にしても一人45万円ずつ配ると言えば民主党に票が流れる。

このように民主党のバラマキ方式で選挙で大勝利しましたが、本当に子供一人に31万円も配れるのだろうか? 農家にも45万円ずつ配れるのだろうか? もし実行できなければ嘘をついたとして叩かれるだろう。今まで自民党が配ってきたところから財源を回して捻出する必要がある。それが八ツ場ダムの建設中止の意味だ。




キリスト教は他宗教に対してきわめて攻撃的だった反面、権力には
従順そのものだった。布教のためには権力を肯定し、これに接近した。


2009年9月23日 水曜日

地球人の歴史  10.唯一の神と地上の国

「選ばれた民」の戦い

 アウグストゥスがローマの初代元首となってから100年目の紀元73年、泰平が続く帝国に衝撃を与えた属州ユダヤ(現在のパレスティナ)の反乱は8年目をむかえ、最終局面にさしかかっていた。

 反乱軍の中心だったエルサレムは3年前に数十万の犠牲者を出して陥落し、この時点で蜂起の失敗は決定的であった。それでも、死海西岸の岩山に築かれたマサダ要塞には女子供を含む967人がたてこもり、絶望的な抵抗を続けていた。ローマ軍は包囲陣を築いて要塞を封鎖し、攻城塔から雨のように石と矢を浴びせかけた。ついに城壁が破れると、籠城者はほぼ全員が自殺して果てた。

 この反乱は、パレスティナの地で多数を占めていたユダヤ教徒たちがローマからの独立をめざしておこしたものだったが、玉砕も辞さないという過激さは当時の常識からすればかなり異様であった。しかも、ローマはユダヤ教徒を過酷に扱ったわけでもなければ、ユダヤ教を禁止したわけでもない。

 前章でみたように、帝国という広域支配システムではふつう、無用の摩擦を避けるために様々な信仰が認められる。帝国がもたらす平和の中で人やモノが活発に動くようになれば、一般庶民の間でも宗教の違いはあまり問題にならなくなる。多くの神々を崇めることは人々にとってあたりまえのことだったから、その中に他の土地の神がまぎれこむことも珍しくない。たとえば、エジプトの女神イシスや、ゾロアスター教の太陽神ミトラはローマ領内で爆発的に流行している。

 ようするに、ローマの支配者にとって、帝国の一角にユダヤ教徒が存在することはべつに異存がなかった。悲劇の原因はむしろ、「帝国の臣民」に甘んじることをよしとしないユダヤ教の特異性にあったといえよう。

 ユダヤ教は、「ヤハウェ」を唯一絶対の神とし、それ以外の神を認めない「一神教」という形態をとっている。しかも、ユダヤ教徒は自分たちこそがヤハウェから繁栄を約束された「選ばれた民」だと自負していた。もともと、他の宗教に対しては非妥協的な態度を示す傾向にある。

 「選ばれた民」であるにもかかわらず、現実にはユダヤ教徒は大国に翻弄される苦難の歴史を歩んできたのだが、それは過去に神の命令に従わなかった「罪」のためであると考えられた。「罪」をつぐなうことさえできれば、「救世主」があらわれて自由と繁栄をもたらしてくれるはずであった。そのためには、エルサレムのヤハウェ神殿における祭祀を絶やしてはならないとされたから、ユダヤ教徒はどこに住んでいても毎年かならず神殿に税を送り続けていた。

 つまり、ユダヤ教徒にとって、神殿を中心とする自治を守ることはたんなる政治の問題ではなく、救われるか否かを左右する重大事だったわけである。実際、ローマ当局が他の属州なみに納税を要求し、滞納者の分を神殿から取り立てたことが大反乱の引き金となったのであった。蜂起の鎮圧後にエルサレム神殿は跡形もなく破壊されたが、過激派の残党は60年後にふたたび立ち上がり、最終的に壊滅した。

 もっとも、これによってユダヤ教徒が消え去ったわけではなかった。ローマが台頭するはるか前から、数百万におよぶ信者が地中海や西アジアの諸都市に住んでいたからである。

 神殿を失った彼らが「罪」をつぐなう手段としてもっとも重視したのが、「律法」にのっとった生活であった。

 律法とは、前5世紀頃に成立し、絶対的権威を持つとされた戒律である。分量は膨大で、死語となっていたヘブライ語で書かれ、物語の体裁をとっているため、誰でもすぐに理解できるというものではない。そこで、学者(ラビ)に師事して学習することが信者のつとめとなる。会堂(シナゴーグ)に集まって教えを学び、義務を守って暮らしていくことで、ユダヤ教徒は独自性を維持し続けたのである。

 ただし、彼らはどの地でも「少数派」であり、「救世主」があらわれるまで地上の権力者による支配を堪え忍ぶしかなかった。支配者側も、同化を拒み続けるユダヤ教徒に不快感を抱きつつも、反乱をおこさない限りにおいて独自の信仰生活を認めた。

 結局、ユダヤ教徒は律法をよすがとしつつ、多数派住民との共存への道を模索することになった。

不寛容の時代

 ユダヤ教の主流派がマイノリティとしての生き残りを余儀なくされた一方で、東地中海全域に急速に拡大しつつあるユダヤ教の分派が存在した。彼らは、後30年頃にパレスティナ活躍したイエスという宗教家こそ待望の「救世主」(ギリシア語でクリストス)であると考えており、その教えはやがて「キリスト教」とよばれることになる。

 イエスはユダヤ教の祭司集団に危険視され、ローマ総督によって処刑されたのだが、それによって人類が背負っていた「罪」は消え、あらゆる人々に「救い」への道が開かれたとキリスト教徒は考える。しかも、この事実はあらゆる人々に伝え知らせなければならないとされたから、布教は広範囲に及び、しかもきわめて熱心なものとなった。

 このような態度はしばしば他宗教からの嫌悪と迫害をまねいたが、キリスト教側は信者の組織化と理論武装でこれに立ち向かった。信者は難解な経典を読んだり面倒な義務を守ったりすることを求められないかわりに、「教会」という団体に属し、「聖職者」(司教、司祭など)の指導に従わねばならないとされた。そして、聖職者は教義を一本化し、思弁の限りをつくして論敵に挑んでいった。

 キリスト教は他宗教に対してきわめて攻撃的だった反面、権力には従順そのものだった。戒律の遵守などの「行為」ではなく神を信じる「心」こそが重要であり、「救い」はこの世ではなく、死後にもたらされるとされたので、体制を変革するような意図を持たなかったのである。むしろ、布教のためには権力を肯定し、これに接近することが効果的だと見抜いていたらしい。

 とくに、ローマ帝国が危機にみまわれ(第9章参照)、従来の諸宗教が動揺した3世紀頃から、キリスト教は権力機構の内部に改宗者を増やしつつ、「帝国の精神」の乗っ取りをめざすようになる。曲折を経ながらも、この戦略は功を奏した。392年、キリスト教は帝国唯一の公認宗教の座をえるにいたった。

 その背景には、ローマの支配者側が「権力の正当化」を求めていたという事情もある。宗教的寛容が帝国統治の原則ではあるが、帝国のサイズにあわせて広範囲に信者を持つ宗教があらわれれば、それに権力を支えてもらったほうが得策だと考えてもおかしくない。こうして、帝国政府がキリスト教に便宜をはかる一方、教会は皇帝を「神の代理人」とみなして統治に協力するという、相互依存関係ができあがったのである。

 様々な宗教や思想が共存していたローマの精神風土は一変した。キリスト教会は権力を笠に着て多くの宗教を迫害しただけでなく、内部の対立者を「異端」として弾圧することもいとわなかった。

 このような特定宗教の「国教」化は、ローマの東隣に位置する強敵ササン朝で一足先に進行していた現象であり、ローマはそれにならったのだとも考えられる。ササン朝は3世紀にはゾロアスター教の祭司集団と結びつき、権力を強化しつつキリスト教など他宗教を攻撃していたのである。

 ビザンツ=ローマがキリスト教を、ササン朝がゾロアスター教を奉じて覇を競う中においては、権力の後ろ盾を持たない他の宗教は衰退への道をたどるしかなかった。「マニ教」は、そのような宗教のひとつであった。

 マニ教は、3世紀中頃ササン朝治下のバビロニアで活動した思想家マニの教えであり、ゾロアスター教、ユダヤ教、キリスト教、仏教などの要素が取り込まれている。これらの信者にとってはとっつきやすかったために大いに広がったが、まもなくササン朝とローマ双方で弾圧された。

 マニ教が最後に生き残ったのは、中央アジアと中国であった。7〜8世紀にこの地域を支配した唐(とう)王朝は「諸宗教の楽園」であり、仏教、ゾロアスター教、キリスト教などとともにマニ教が流行した。また、モンゴル高原の遊牧帝国ウイグルではマニ教が国教とされるほどだった。

 しかし、最後の楽園にも不寛容の波が押し寄せた。9世紀中頃にウイグル帝国が瓦解し、唐でも民間信仰を基盤とした「道教」を奉じる皇帝によって迫害がはじまった。13世紀頃には、マニ教は地球上からほぼ姿を消した。



(私のコメント)
日本においてはキリスト教徒の割合は1%にもなりませんが、日本には多くの宣教師が来日して布教に努めている。どうしてキリスト教はそれほど布教に熱心なのだろうか? それはキリスト教の歴史を見なければ分からないことでもあり、また欧米人を理解するにはキリスト教の本質を理解しないと彼らの精神が理解できない。

キリスト教というユダヤ教の分派が出来ましたが、ローマ帝国によってユダヤ王国は滅ぼされましたが、ローマ帝国は宗教には寛容な帝国だった。しかしユダヤ教徒は帝国の臣民である事を好としなかったが為に弾圧されるようになった。神によって選ばれた民であるとする意識が帝国の臣民である事を拒否した。

簡単に言えば、ローマ帝国の皇帝とユダヤ教の「ヤハウェ」はどちらが偉いかということが問題になるからだろう。日本人から見れば国家権力の長と、精神世界の長とを比較する事がナンセンスなのですが、ユダヤ教は、「ヤハウェ」を唯一絶対の神とし、それ以外の神を認めない「一神教」という形態をとっている。

日本人は死ねば神となり仏となる事に何の違和感も持たないのですが、だから日本各地には偉人を祀った神社がある。これは先祖を崇拝する意味からいえば当然にも思えるのですが、ユダヤ教やキリスト教から見れば人が「神」となる事などはとんでもない事だ。彼らにとっては「神」が七日間で世界を作ったと言う世界観であり、人から神になるという発想そのものが無い。

ローマ帝国の頃はローマ皇帝が即位すれば先帝が神格化されて、自らを神の子と称する事で権威を持った。ローマ帝国には30万もの神様がいたと言うことですが、800万もの神様がいる日本人から見れば不思議でもなんでもない。つまり日本は古代社会の宗教観がそのまま引き継いでいるのに対して、欧米人(ユダヤ教徒とキリスト教徒)は「神」は唯一絶対の神であり、一神教である限り人が神になるという事は論理的にあり得ない。

太古の昔から人にとっては自然を神として崇拝して来た。太古の昔は生きるも死ぬも自然任せだったから自然を神と崇拝するのは当然の事です。その中からユダヤ教は、「ヤハウェ」を唯一絶対の神とし、それ以外の神を認めない「一神教」が出来たのですが、人の脅威が自然よりも他の人であると言う事から自分たちの守り神が一神教となって現れたのだろう。

ユダヤ人こそ神に選ばれた民族という事は、他民族に対して排他的な性格を持つようになる。ローマ帝国のような大帝国は様々な宗教に対して寛容でしたが、ユダヤ人は帝国の民とはならないで唯一の神のみに従った。だからローマ帝国もユダヤ教徒の反乱に対しては弾圧してユダヤ人の国は滅んでしまった。

ユダヤ人である限り国家の一員とはならないと言うのだから、現代においてもユダヤ人は国家によって弾圧の標的になりやすい。なんとも因果な神様を信じているものですが、神に選ばれた民族という事は他の民族は神に選ばれていないということになる。ここにユダヤ教の根本的な問題があるわけですが、その中から分派としてキリスト教が生まれてきた。

ユダヤの国が滅ぼされてしまった以上は、彼らの救世主としてキリストが現れてキリスト教が生まれた。キリスト教は国家権力には逆らう事はせず、むしろ国家権力に迎合して他宗教を弾圧する方向に向かった。だからキリスト教徒が増えるにしたがって国家権力もキリスト教を精神的な支えとして利用するようになった。だからキリスト教がローマ帝国の国教となるのも自然の流れだ。

だからキリスト教をローマ帝国の国教としてからはかつての寛容さは失われて、様々な宗教や思想が共存していたローマの精神風土は一変した。それは多様さへの否定となり弱小の民族や宗教に対する弾圧を正当化する精神的な支えとなった。キリスト教とはそう言う宗教であり、現在のローマ帝国のアメリカの国教もキリスト教である。

国家権力と宗教とが結びつけば排他的になり宗教と宗教とが戦争で決着をつける事も当然起きてくる。ヨーロッパのキリスト教同士の宗教戦争は血で血を洗うような凄惨なものであり、国家権力と宗教とが結びつけば異教徒や外国との争いは避けられなくなるだろう。布教の名の下に外国を侵略すれば正当化されるのであり、キリスト教に改宗しない他民族は野蛮人として殺しても罪の意識からは逃れられる。アメリカ人が原子爆弾を広島や長崎に落としても罪の意識が無いのはその為だ。

ユダヤ教やキリスト教に対して日本人が違和感を感じるのは、自然観や先祖の対する崇拝意識に差があるからだろう。日本人にとっては自然=神であり、自然の一部である人が死んで神になる事に対しても矛盾は感じないが、ユダヤ教やキリスト教のように神が世界を作り人間を作ったという論理からすれば人間が死んで神になるという論理は成り立たない。

ユダヤ教やキリスト教では人間は神が作ったものであり、神の僕に過ぎない。しかし日本人は死ねば神や仏になるのだから、欧米人には理解に苦しむところだろう。だから宣教師が日本にやってきて布教しようと思っても「罪は許される」と言ったところで、人間は神の被造物と思っていないのだからピンと来ないのだ。欧米人にとっては自然も神が創ったものですが、日本人にとっては自然=神である。

日本人にキリスト教が受け入れられないのは、キリスト教の先祖に対する扱い方が日本人の先祖崇拝とは相容れないからだ。


日本でプロテスタントとカソリックを合わせても、1パーセント以下にしかならないのは、「神道破斥」という思想にあるからだと思います。 2006 年 8 月 20 日 株式日記

私は宗教学者でもないので詳しいことは分かりませんが、日本でキリスト教が広まらないのは祖先に対する感覚がキリスト教の教えと日本人の伝統的な考えとが相容れないものがあるからだろう。この事は以前にも書きましたが、日本人はキリスト教の洗礼を受けても違和感を感ずるようになるらしい。

戦国時代に始めてキリスト教が日本に来ましたが、信長も秀吉も家康も最初はキリスト教の宣教師達を歓迎した。そしてキリシタン大名も生まれるようになり日本にキリスト教が定着するかに思われたのですが、キリシタン大名の領地で神社や寺の打ちこわしが始まるようになって秀吉を初めとして日本人は違和感を持ち始めたのだろう。

キリスト教は「個」の宗教であり先祖崇拝といった「家」の論理とかみ合わない部分があるのだろう。日本人はお盆やお彼岸などに墓参りの習慣がありますが、欧米のキリスト教国では墓参りといった習慣はないようだ。霊魂が現世に戻ってくるといった話しをキリスト教では信ずるわけにはいかないだろう。

欧米人にとってはキリスト教=文明と信じられていて、日本などは先祖崇拝とか群像を崇拝する未開の宗教を信じていると見下しているようだ。しかし江戸時代の新井白石とローマ教会の宣教師のシドッチとの討論などを書いた「西洋紀聞」を読むとどちらが文明人だか分からなくなる。例えば信長は地球が丸い事を直ぐに理解したが、ヨーロッパでは地動説は排撃された。新井白石はその点をついたのだろう。

現在のアメリカでもキリスト教原理主義では進化論や地動説などのように、聖書にかかれた事以外は信じない人たちがいるが、どちらが文明人なのだろう。ヨーロッパのカトリックなどは宗教戦争に疲れ果てて洗練されてきて、先祖崇拝にも理解を示し始めたところもあります。日本の靖国神社が焼かれずにすんだのもローマ教会の判断ですが、西洋よりも東洋の方が精神文化が進んでいる事に気がついているのだ。





『巨龍・中国がアメリカを喰らう』 エ−モン・フィングルトン:著 西洋人は
中国の台頭の持つ重大性を完全に理解することがなかなかできずにいる


2009年9月22日 火曜日

日本は1995年からGDPは減少し続けているが・・・

日本の発電電力量増加率はアメリカ並みに増加し続けている???
発電量がGDPのバロメーターとすれば日本は米国並みに成長している。


巨龍・中国がアメリカを喰らう―欧米を欺く「日本式繁栄システム」の再来 エーモン・フィングルトン:著

シーシュポスの神話再びー日本の「失われた一〇年」

アメリカの対中戦略に対して楽観的な考えを持つ人たちは、アメリカ政府が八0年代に陥っていた、日本恐怖症の話を持ち出すことが多い。かれらの主張は、当時の「ジャガiノートの日本」(訳注/圧倒的破壊力を誇るヒンズー教の神)への恐れと同じで、今日の、「止めようのないドラゴン」への恐れも、急速に氷解するだろうというものだ。フーバー研究所のエコノミスト、ラッセル・ロバーツはこんな風に言っている。「中国のことが心配で眠れない夜には、かつて日本のことを心配していたが・・・結局は万事うまく行ったことを思い出せばいい」

またかれは二〇〇七年の《ウォールストリート・ジャーナル》の社説面の記事の中で、次のようにも述べている。「日本がアメリカ経済を大いに脅かしていたときのことを覚えているだろうか。八○年代を思い起こしてほしい。当時、政治家は経済音痴につけ込んで、日本がわが国の雇用を奪い、対日貿易赤字がアメリカ経済を破壊するという懸念で不安を煽り立てた。だがその後日本経済は支障をきたし、成長を続けるアメリカを尻目に、一〇年もの問リップ・ヴァン・ウィンクルのように昏々と眠り続けたのである」

コロンビア在住の経済学者ジャグディッシュ・バグワティは、さらに辛辣だ。かれは二〇〇七年に中国経済の台頭について言及した際、八○年代のアメリカが日本経済に対して抱いていた懸念は「いま思い返すとびっくりするようなものだ」と述べている。《ニューヨーク・タイムズ》の記事の中で、かれはこうも述べている。「日本は一〇年以上にわたってマクロ経済の失敗から抜け出せずにおり、日本のかつて恐れられた優位は、いまや退屈な凡庸と化してしまった」

こうしたコメントは、自己満足の主張に対する納得の行く説明であるようにも思われる。だが実は、評論家が何生言おうとも、アメリカが九〇年代に突如「よみがえって」日本と形勢を逆転したという考えは、ナンセンスなのだ。

日本の経済的苦境に関する著しく誇張された説明を広めるにあたって、アメリカの観察者は一番大事な問題を見落としていた。それは貿易だ。貿易はもちろん日米経済競争における長年の主要な問題であり、つきつめれば日本の経済政策がそもそもアメリカ政府内で問題視されるようになったきっかけでもあった。八○年代になると日本の貿易黒字が急拡大する一方で、アメリカは赤字の悪化に悩まされた。

そして八○年代後半になってアメリカ人は、強引なほど拡張主義的な日本の輸出企業が、アメリカの実業界を打ちのめしていたことを、正しくとらえるようになった。また少なくともアメリカの主要な輸出品に対して、日本の市場が閉鎖的であることが(またしても正しく)認識されていたこともあって、アメリカの産業空洞化をもたらした元凶が、「すべてを征服する」日本であると広く考えられていた。

日本の九〇年代の貿易実績の驚くべき真実について考える前に、わたし自身の立場を明らかにしておきたい。わたしは八○年代からこの方、日本経済をテーマに執筆を続けているが、早くも当時から東京在住の金融研究家としてただ一人、日本の金融の内部崩壊を公の場で予言していた。一九九五年に発表した『見えない繁栄システム』の中で、わたしは日本が大暴落からよみがえったときには、かつてないほど強力になっているだろうと主張した。この本の副題「それでも日本が二〇〇〇年までにアメリカを追い越すのはなぜか」は誤りだったが、読者が考えるような意味で誤っていたのではない。

わたしの過ちは、日本を読み違えたことではなく、アメリカ、いやもっと正確に言えばアメリカ政府を読み違えたことにあった。アメリカの恒常的な貿易赤字が製造業の競争力を壊滅的に損なうことを認識していたわたしは、ドルが大幅に下落する必要があると確信していた。一九八五年から八七年までレーガン政権下で誘導された、五〇%ものドル安に匹敵する下落が必要だと考えたのだ。このような下落が実際に起こっていたなら、アメリカ産業は本当の再起を果たす態勢を整えることができただろう。またアメリカの経済産出量が突如としてそれまでよりはるかに低い為替レートで評価されていたならば、日本は少なくとも一時的にアメリカを大きく引き離していただろう。かくして、この副題が実現していたはずだった!

副題はさておき、『見えない繁栄システム』の中でわたしが行なった分析は、それ以外のすべての側面で正しかったことが疑いなく証明されている。たとえば日本の輸出型経済は(ジャグディッシュ・バグワティいわく)「後退」するどころか、九〇年代に入っても快進撃を続けた。しかもこれは、東アジアのすべての地域の輸出企業が停滞していたとは言い難い時期にあっての、いやそれどころか韓国、台湾、シンガポール、そしてもちろん中国が、世界市場でのシェアを猛烈に拡大する中での快進撃だったのだ(これらの国のシェア拡大は、日本ではなく、アメリカとヨーロッパを犠牲にして行なわれた)。(P106〜P108)


このような証拠から明らかになるのは、「失われた一〇年」なるものは存在しなかったということだ。確かに東京の株式市場は暴落した。不動産市場も然りだ。そして日本の銀行システムは大きな痛みを味わった。だがこうした問題は、金融システム内に留められた。実際問題として、たとえば銀行の顧客はだれ一人として不便を被ったわけではなかった(銀行は債務不履行に陥るどころか、閉鎖すらされなかった)。そして金融を除けば、経済はおおむね順調に推移した。

アメリカの特派員はなぜこれほどまでに誤った報道を続けたのだろうか? 実のところ、かれらは東京の情報提供者に、日本の問題を誇張するよう仕向けられたのだ。このことは、東京の株式市場暴落のニュースがアメリカの反日感情を大きく和らげたことに気づいた日本の政府当局の、隠れた意図を示している。機を見るに敏な日本の官僚は、日本経済の好材料を隠す一方で、悪材料を強調し始めたのである。中でもかれらは特に日本の経済成長率を実際より低く示す戦術を使った。

ワシントン州にあるアメリカン大学のスティーヴン・D・コーエンは、東京市場の暴落がアメリカ政府内におよぼした心理的影響は、特に大きいものだったとしている。アメリカで日本経済に対する懸念が最高潮に達した一九九八年に、かれはこう述べている。「日本経済の先行きに対するこの悲観的な見方が暗に発しているメッセージは、日本の貿易相手国は批判を慎み、要求を和らげ、弱った不安定な日本経済につけ込むべきではない、ということだ」

この策略は功を奏した。なぜなら西洋の経済専門家は、日本政府が何十年にもわたって西洋の経済法則を軽んじ続けたがゆえに、とうとう天罰が下ったのだと、なんとしても信じたかったからだ。その一方で、日本の大蔵省(当時)と癒着した西洋の大手証券会社は、いわゆるキャリートレードで莫大な利益を手にした。これは複雑な外国為替操作で、西洋の特別待遇の企業が円安によって一貫して利益を上げていた。西洋の投資銀行は、全社的な(また明らかに大蔵省に強要された)方針に沿って、一貫して円安を誘導したばかりか、日本の経済ハルマゲドンが起こるという極端な風説に、広く信憑性を与えたのだ。

「失われた一〇年」説の最も意味深長な側面は、日本の財界トツプの行動である。一九九八年四月、ソニーの大賀典雄会長の「日本経済は崩壊寸前である」という発言が、世界中を駆けめぐった。その数カ月後トヨタの奥田碩社長は、日本の問題が「世界的な金融崩壊」への引き金となりかねない、という見解を示した。企業トップがこのような発言をすれば、当然かれらの企業自体も苦しんでいると考えるのが妥当だろう。ところが実はその年の両社の業績は、国内外ともに好調だった。実際、一九九八年のトヨタは一九八九年(東京株式市場の好況の最後の年)に比べ五六%の増益、ソニーは同一三一%の増益を果たしている。

「失われた一〇年」説の矛盾を最も明白に指摘したのは、ニューヨーク在住の《アメリカン・コンサーバティブ》の寄稿者、ロバート・ロックだろう。ロックは著書『現実世界の経済学』の中で、西洋人が、一方では日本の官僚や企業経営者が、他方では西洋のグローバリストや自由貿易の観念論者が画策した、手の込んだ偽装工作の犠牲になってきたと示唆している。「これは金、技術専門家、国境を越えた影響力、そして国家権力を従えた、恐るべき潜在的嘘つき集団なのだ」日本政府の社会に対する権威主義的支配に言及して、かれはこうも述べている。

「アメリカやヨーロッパであれば、その〔政府の〕経済体制に異議を申し立てたであろうジャーナリストや研究者が、ここでは体制の批判者ではなく忠実な協力者となっている。日本の観点からすれば、日本の経済パフォーマンスを誤り伝えることは、不道徳なことでも、異例なことでも、あるいはひどく困難なことでもない。実際、これは国益にかなうことであり、それに反すれば非愛国的だということになる」もちろんロックの、日本の官僚が数字を程造したという示唆は正しい。

だが日本と言えども、統計の中にはごまかしにくいものもある。中でも特に考慮する価値のある統計系列が、電力生産だ。電力会社の石油、ウラン、石炭などの輸入量が、他国の輸出量と照合されるだけでなく、西洋の専門家によって詳しく監視されている、日本のようなエネルギー不足の国では、電力統計を大幅にごまかすことはできない。したがってレスター・サローが指摘するように、国の経済成長に関する統計の正確さが疑わしいとき、現在では真の経済成長まで厳密にたどることができる電力生産が、非常に意義深い検証材料となる。

そんなことから、日本の電力生産量の統計が「失われた一〇年」説とはっきりと矛盾するのは、興味深いことだ。国際エネルギー機関(IEA)によれば、日本の電力生産は九〇年代に三〇・○%増加したが、これは当時好況だと考えられていたアメリカの二三・九%という伸び率を考えれば、驚くほど好調な実績だった。日本の実績に比べれば、多くの先進国、特にドイツ、スウェーデン、スイスですら目立たなくなる。これらの国は強力な資本財産業を擁し、さらには日本に非常によく似た経済的側面を持っている。これらの国の電力需要の伸びが、省エネ努力によって抑制されたのは確かだ。だが同時期の日本もそうだった。

日本はきわめて人口密度の高い豊かな国として、たとえばリサイクルの強力な推進や、溶錬や板金といった電力集約的な産業からの段階的撤退などを通じて、昔から電力の伸びを抑制してきた。八○年代の日本とアメリカが電力生産ではほぼ同じような伸び率を示していたことを考えれば、こうしたことのすべてがさらに大きな意味を持ってくる。この時期に日本の電力生産が三五・七%の伸びを示したのに対し、アメリカは三三・三%だった。

おそらくこの物語の最も意味深長な側面は、日本の官僚が電力統計の証拠をどのように扱ったかということに表われている。かれらはうやむやにしてしまったのだ。他の国でなら、これほど正反対の指標が明らかになれば、官僚や選出議員、メディアの評論家などによって幅広く議論されるはずだ。だが九〇年代の日本では、静寂あるのみだった。それだけではない。この統計系列が『英文国際比較統計集』の中でどのように扱われたか、という興味深い問題もあった。これは当時西洋の報道機関や外交機関の観察者のほぼ全員が頼りにしていた、半公式の便利な統計資料集だった。

この刊行物には昔から過去数年間の電力生産の上昇傾向を示す、詳細な時系列データが掲載されていた。だがこの慣行は一九九五年版をもって中止された(一九九二年のデータで終わっている)。その後の版には入手可能な最新データが掲載されていたが、単年度のデータだったため、生産量がどれくらいのぺースで伸びているかがまったくうかがえなかった。電カデータは最終的に完全に除外され、今では小冊子自体の刊行が中止されてしまったのだ。

まとめとして、わたしが東京またはワシントンで、「失われた一〇年」説に関する討論をいつでも歓迎する、という申し出を行なったことを、ここに特記しておきたい。まず一九九九年、「日本が壁に当たった」説の東京在住の発信源として当時最も有名だった二人、株式アナリストのピーター・タスカとアレキサンダー・キンモントに対して申し出を行なった。後にかれらの同僚である、ケネス・カーティスとロバート・フェルドマン、そしてジャスパー・コールをも招待した。かれらは八○年代の日本を知っている。だがそれでいて、まだだれも議論を始める準備ができていないのだ。

本題に戻ろう。本章で見てきたように、西洋人は中国の台頭の持つ重大性を完全に理解することがなかなかできずにいる。「心配するな、ハッピーで行こう」のメッセージを広めることで私利を図る観察者が多いうえに、中国経済の実態は部外者にとって本質的に理解するのが難しいからだ。次の章ではまずこの実態を理解するところから始めよう。最初に東アジア型経済モデルが、そもそもどのようにして生まれたかについて見ていくことにしよう。(P114〜P118)



(私のコメント)
中国が発表するGDPの数字などは発電電力量などを見て判断すべきだと以前書きましたが、日本についてのGDPも発電量の伸び具合から判断するとおかしなズレがある。これは日本政府が意図的にGDPの数字を押さえて発表している可能性を感じさせるものだ。もちろんドル円の為替の変動を考慮してもおかしい。

エーモン・フェングルトン著「巨龍中国がアメリカを喰らう」という本を読んでみると、「日本の失われた10年」という言葉は本当なのかと疑問を指摘している。私も調べてみると確かに日本の発電量の推移と日本のGDPの推移とは矛盾した動きだ。ドル建てだけではなくて円建てで見たGDP推移を見ても動きは一致しない。

本当の経済成長の推移を見るには発電電力量の推移から見ないと経済の動きを見誤るかもしれない。「日本の失われた10年」という言葉は日本経済の終焉を迎えたようなイメージをもたらしますが、金融不動産業界がバブル崩壊で不況に立たされたというだけであり、日本経済そのものは電力消費量から見れば拡大し続けている。

むしろ本当に「失われた10年」を送ったのはロシアであり、90年代から現在まで発電電力量の伸びはマイナスであり、ロシア経済はインフレと不況のダブルパンチで失われた10年を体験している。それに比べると日本はドイツよりも倍以上の伸びでありアメリカと同じ増加率で増えてきている。東京を始めとして超高層のビルが続々と建てられているし、連休には行楽客で高速道路は渋滞している。

確かに金融業界と不動産業界は株や不動産市況の低迷で日本経済の足を引っ張っていますが、ロシアのようにデフォルトするような状況ではない。ロシアは石油を売って経済が成り立っている経済だから90年代のように石油市況が低迷するとロシア経済は破綻してしまう。

去年9月のリーマンショック以降の世界各国の発電電力量の動きが気になりますが、アイスランドやイギリスやアメリカのような金融立国では金融不動産業が不況に陥ると製造業が空洞化しているから立ち直るにはバブル前に戻すしかない。しかしそんな事は不可能だ。アメリカの自動車産業もGMもクライスラーも潰れてフォードしか残ってはいない。失業者をどのように吸収するのだろうか?

日本のバブル崩壊は金融や不動産業が逝かれても製造業は世界一の強さを持っている。冒頭のGDPグラフを見ても日本は95年をピークにジリ貧ですが、円高も95年の79円をピークに2007年までに120円台にまで円安になったからだ。つまり12年間も円はじりじりと下がり続けてきたわけであり、輸出産業は為替差益でバブル期以上の高収益を上げた。

現在の円高は元の状態に戻っただけであり、アメリカは金融立国バブルが破裂して円ドルは元に戻った。95年のドル安円高はアメリカのクリントン政権がドル安でアメリカの製造業を回復させようとしたのですが、ルービン財務長官は金融立国戦略からドル高はアメリカの利益として世界からドルをかき集めて再投資して利益を上げる戦略に切り替えた。

オバマ大統領は就任演説で金融立国戦略の誤りを認めましたが、90年代初期のようなドル安で製造業を復活させる事ができるだろうか? すでに中国が世界の工場となり中国から工場を引き揚げさせて失業者を吸収できるだろうか? そうしようとすれば中国はドル債を売り浴びせてくるだろう。刷り散らかされたドル札の信用が無くなればドルは紙切れになる。

「巨龍・中国がアメリカを喰らう」という本を読めば、今後の米中関係を考える上で参考になりますが、フィングルトン氏は東京在住のエコノミストであり、日本経済のことも詳しく触れている。台湾も韓国も日本をモデルに経済発展をしてきましたが、中国も日本の経済発展をモデルに高度成長を続けている。だからアメリカの人民元の切り上げを拒んでいるのですが、アメリカもドルや国債を買ってもらわなければならないから強い要求は出来ない。

しかしアメリカも失業者の増大で労働者の不満が高まれば、失業者を雇用する為に製造業を国内に引き戻す必要が出てくる。フィングルトン氏も日本がアメリカを追い越すという予測も95年ごろまでの動きを見れば不自然ではないのですが、アメリカは製造業の復活を目指そうとすれば思い切ったドルの切り下げが必要だ。しかし世界がそれを容認するだろうか? ドル基軸通貨体制も崩れるだろう。ユーロが基軸通貨を目指して虎視眈々と狙っているからだ。

アメリカは、中国も日本のようにバブルが崩壊すればアメリカを脅かすような事にはならないと言う楽観主義がありますが、日本は死んだふりをしていただけなのだろう。金融不動産も不良債権の処理が済めば再び活気を取り戻すかもしれない。それに対してアメリカはどれくらいあるか分からない不良債権を処理しなければならない。日本のように年月をかけて処理するか、デフォルトして一気に片付けるのかわかりませんが、オバマ大統領は難しい決断を求められるだろう。


中国製タイヤに追加関税、オバマ政権初の輸入制限 9月12日 読売新聞

【ピッツバーグ(米東部)=岡田章裕】オバマ米大統領は11日、中国製タイヤの輸入急増に対する緊急輸入制限措置(セーフガード)として、最大35%の上乗せ関税を3年間課すと発表した。オバマ政権下でのセーフガード発動は初めてだ。これを受けて、中国商務省は「強い不満と断固たる反対を表明する」とのコメントを発表しており、深刻な米中貿易摩擦に発展する可能性がある。

 輸入制限の対象は乗用車用と小型トラック用の中国製タイヤ。現行の関税率4%に、1年目は35%、2年目は30%、3年目は25%をそれぞれ上乗せする。

 オバマ大統領は11日の声明で「調査の結果、最も適切な措置として決断した」と述べた。



(私のコメント)
アメリカと中国の貿易摩擦はこれからが本番を迎えるのだろうか? 中国製の格安タイヤに関税をかけて中国に対して人民元の切り上げを迫るのだろうか? 中国もアメリカに輸出できなければ輸出産業は大きな打撃を受けますが、日本のように通貨の切り上げには耐えられないだろう。日本は円高に対しては技術力の向上で競争力をつけてきましたが、アメリカも中国も価格の安さで売ろうとするから通貨を切り下げようとする。

しかし価格の安さではインドも台頭してきたから厳しい競争を迫られる。このままではアメリカと中国は共倒れするだろうと予測してきましたが、技術競争力の強いところが最終的には勝者となるだろう。アメリカや中国の製造業において技術開発競争で欧州や日本に勝てるのだろうか? それともアメリカはなりふり構わず自由貿易体制を棄てるのだろうか? タイヤの動きが気になりますが日本製品にも関税をかけてくるかもしれない。




『待ったなし!日本経済』 日本人はいくら働いても暮らしはよくならず、
輸入先に富を奪われ、輸出先にコスト増分を押し付けられない。


2009年9月21日 月曜日

日本国内ではパート、派遣労働により労働コストを抑制する構造が定着した


「待ったなし!」日本経済 V字回復それともL字回復か!? 田村秀男:著

ユー口の支配者はドイツ

ドイツがユー口成立までこぎつけたのは、やはり国富は通貨次第で左右されることを見抜いていたフランスと利害が一致し、連合したからである。フランスもドイツの通貨マルクを母体とすべきというドイツの言い分を受け入れた。

ユー口のひな形になった79年の欧州通貨単位以来、試行錯誤を重ねてきた通貨統合への動きはブラックマンデー前後の米独の亀裂以降、加速し99年に共通通貨ユー口による決済が始まり、ユー口は統一通貨として機能し始めた。そして02年にユー口加盟圏でユー口貨幣が導入された。

ではユー口はどこまで、覇権国通貨であり基軸通貨であるドルに肉薄できたのか。

国際通貨基金(IMF)の調べでは08年3月末時点で、各国金融当局が保有する外貨準備は米ドル換算で合計約4兆3200億ドル(当時の換算レートで約475兆円)。このうち米ドルで保有されているのは約2兆7200億ドルで、その比率は63%、07年末に比べ1ポイント低下した。米ドルの比率は、ユー口が発足した99年当時は70%を超え、01年6月には73%に達し、ユー口を寄せ付けなかったが、73%をピークに下落を続けている。

ユー口の比率は当初の18%前後から徐々に上昇し、08年3月末に27%に達した。円の比率はこの間に6%から3%に半減した。円も国際的な準備通貨に数えられるが、国際金融市場ではみる影もない。中国人民元がIMFのSDR(特別引き出し権)構成通貨にでもなれば、国際準備通貨として認知される。そのときは、人民元が準備資産通貨として円を抜いてしまうのは時問の問題になるだろう。

もちろん、国際的な準備通貨と基軸通貨の違いは大きい。いくらユー口が準備通貨としての存在感を高めても、原油、穀物、鉱物などの1次資源相場はドルで表示され・ドルで取り引きされ、ドルで決済される。国際金融市場の中心はロンドンとニューヨークであり、金融商品の大半はドル建てである。金融面でユー口は公社債市場でシェアを伸ばしているものの、いつでもいくらでも自由に取り引きできる、金融用語で言うと多様性と流動性に富んだドル建ての金融の足下にも及ばない。

この現実があらわになったのが、世界金融危機で、米国で天文学的に創出された信用マネーによる金融商品を欧州の金融機関が大量に抱えていた。ドイツを含む欧州はユー口導入地域であろうとなかろうと、巨大な津波に襲われた。

米国の問題金融商品総額は23兆2100億ドルに比べ、ユー口圏は7兆8300億ドル、英国を含めた欧州合計で8兆9250億ドルに上る。GDP比でみると、ユー口圏GDPの約6割、欧州全体で53%に相当する。これらの金融商品の不良債権化は時問を追うごとに進んでおり、30%の損失になればGDPの18%相当の不良資産償却が必要になる。90年代の日本の金融機関の不良債権処理とほぽ同じ水準の負担がユー口圏に襲いかかることになる。

だが、ドイツの自信は揺るがない。金融危機に対しては08年10月、「金融市場安定化法」を成立させ、金融機関への資本注入・不良債権の買い取りをさっさと決めた。11月には総額500億ユー口(約6兆5000億円一の総合経済対策を発表し、自動車税の期間限定免除、中小企業向け減税、建物の改築・省エネ支援などを打ち出した。

09年4月2日、ロンドンで開かれた主要20カ国首脳による金融サミツトでは米国から強く財政支出の上積みを求められたが、ドイツのメルケル首相は「すでに打った対策で十分」と動じなかった。

対照的に日本の麻生首相は英国のテレビのインタビューでメルケル首相を激しく批判し、米国の要請に合わせて打ち出した15兆円の追加経済対策を誇示した。「日本は米国に依存し過ぎている」「ドイツは米国の圧力に屈しない」という前出のティートマイヤー氏の独立自尊のゲルマン精神は、メルケル首相らドイツの指導者に行き渡っていることを麻生氏は知る由もないだろう(※注2)。

経済危機はユー口圏も深刻で、09年の経済成長率見通しはマイナスだが、日本ほど悪くはない。

ユー口効果でドイツを中心にするユー口圏の経済体質は明らかに強化されてきた。通貨が単一化されると、ユー口加盟国(09年で16カ国)の間で競争意識が高まる。一物一価の法則が加盟圏全域に貫かれるようになるからだ。すると、産業は活性化する。

日本の内閣府の分析によれば、05年の労働生産性は米国を100とすると、日本は71で主要国中最低の水準であるのに対し、ユー口圏は87で、英国も83と高い。ユー口圏は勤勉さでは日本国民と並び称せられるドイツばかりでなく、イタリア、スペインなど生産性に問題があるとみられがちな諸国も含まれるが、飲食、小売り、運送などサービス業を中心に競争が高まり、労働者-人当たりの生産量が大きく改善しているわけである。

ドイツは輸出大国である。GDP比でみると、ドイツの輸出はGDPの45・6%を占める。中国の45.8%と同水準だ。これに比べると、日本の輸出依存度は16・3%で、ドイツや中国をはるかに下回る。ところが主要国中で、08年9月の「リーマン・ショック」に始まる世界大不況の影響を最も深刻にかぶっているのは日本である。ドイツも輸出は減り、GDPもマイナス成長に陥っているが、日本ほどひどくはない。

実は、ドイツの輸出の75%は欧州向け、65%はユー口圏を中心にした欧州連合(EU)向けである。ドイツの対外直接投資の6割近くがEU向けである。つまりドイツはユー口圏を中心に欧州をみずからの経済圏に組み入れている。ユー口非加盟のEU加盟国でも共通通貨ユー口は決済通貨になるので、ドイツは欧州での貿易と投資の大半をユー口で決済できる。

この特徴は、国際的な価格変動に強いことだ。つまり、企業は原材料コストが急騰しても、値上がり分をそのまま輸出価格に転嫁しやすい。輸出先の多くがユー口建ての決済に応じるのだから、自国での販売価格と同じ価格を輸出用にも適用すればよい。要するに、市場経済では常識の一物一価の法則」を貫ける。

日本企業の場合、自社系列企業の多い東南アジア向け貿易は円建て決済できるが、米国向けはドル建て、欧州向けはマルク建てでそれぞれ輸出し、中国向けはやはりドル決済というふうに、円建てにするわけにいかない。現地通貨建てでのビジネスだから、輸入原材料コストが上がってもただちに転嫁できない。中国や韓国製品との競合も激しいから、輸出価格はむしろ引き下げるしかない。

09年になって原油価格は米国のドル垂れ流しの影響で高騰し始めたが、08年前半でもドルの過剰流動性が原油価格を高騰させた。このとき輸出価格を引き上げられない日本は年間で数十兆円の国富を喪失した(※注3)。

ものごとは1枚のグラフで説明できる。」輸出、輸入の単価を示すのが次ぺージのグラフである。

ドイツは輸入単価の上昇分に劣らず、輸出単価を引き上げることに成功している。日本の輸入単価はドイツと同様、急上昇しているが、輸出単価は上げられない。日本国内ではパート、派遣労働により労働コストを抑制する構造が定着、あとは円安で輸出ドライブをかけるしかない。このパターンは一貫して続き、原油価格上昇以降はさらに頼るわけである。つまり、日本人はいくら働いても暮らしはよくならず、輸入先に富を奪われ、輸出先にコスト増分を押し付けられない。

ドイツは、ユー口圏の拡大で、大きく受益しているわけである。円圏を持たない日本は、近隣アジアと同様、莫大な交易損失(輸出入価格の変動の差による損失)に苦しんでいる。日本の交易損失額は、2008年前半で国内総生産の26%、消費税に換算して10数%に相当する。

ドイツにとっては、金融危機に巻き込まれ、息絶え絶えになった周辺国を共通通貨「ユー口」圏に取り込む好機である。旧東欧を経済圏に組み込んでいるドイツの場合、製造業から不動産開発など直接投資を増やしてきた。対象国はユー口に加盟しようと自国通貨を切り上げる。するとドイツの対外資産はユー口換算でかさ上げされる。

たとえば09年にユー口に加盟したスロバキアの通貨はドイツなどからの資本流入を受けて3年間で24%切り上がった。隣国のチェコも加盟に向け通貨切り上げに躍起となっている。ユー口圏に入ればドイツ企業はそこで為替変動リスクに煩わされず、低コストで製品を現地生産し、ドイツ国内と同じ価格で売って高収益を上げられる。さらにユー口圏の実力を背景にドイツ企業はユー口建てで貿易し、日本企業のようにドル相場の下落で巨額の損失を被ることがないし、日本のようにデフレ病にかかることもない。

政府がエコカーへの購入補助など消費者の背中を押すだけで成果を挙げている。オバマ政権にいくら強要されても、無駄な財政支出は一切しないという、ドイツの自信の背景には共通通貨ユー口を安定した強い国際通貨として維持して行けば、ドイツ国民は不当に富を収奪されることなく、国家を発展させられるという確信に基づいている。

残念ながら、日本にはそんな国家戦略はない。また対ドル依存、対米依存で無思考、輸出の回復待ち。当面は赤字国債を大量発行し、一時しのぎにばらまき、あとは消費税増税で財政の帳尻を合わせるという安易さである。

この日独の大きな差はやはりプラザ合意以降の対米関係の過程の中で増幅されてきた。(P181〜P188)


(私のコメント)
読書の秋という事で私が最近読んだ本を紹介していますが、田村秀男著「待ったなし!日本経済」は為替などの日本経済の基本構造から分析して書かれている。しかしこのような社会科学系の本を読む人は少なく、グーグルで探してみても書評のようなものは見つからない。円やドルやユーロといった為替の問題はFXをやっている人しか興味が無いのだろう。

冒頭のグラフを見ても分かるように、日本政府の失政によって日本の富が海外に流出してしまっているのですが、ドイツと日本とを比べて見ればその違いがはっきりする。ドイツが輸出がGDPの45%にも達して輸出大国ですが、日本ほど大きな影響を受けていないと指摘しています。日本は輸出依存度が16%と低いのにドイツ以上の打撃を受けている。

ドイツは75%がヨーロッパ向けであり大半をユーロで決済が出来る。世界の為替相場が大変動してもユーロ圏内ではその影響を受けない。それに対して日本は円決済はわずかでありほとんどがドル建てだ。輸入も石油などが上がればコストが上昇し、輸出も韓国や中国との競争で引き上げる事ができない。日本もアジア圏では円経済圏を広げてドルの乱高下の影響を受けないようにすべきですが、日本政府は円経済圏を作るつもりは無いようだ。

アメリカのバーナンキ議長は昨日も書いたようにドルの暴落する危険性を認識していないようだ。だから日本もドイツを見習って円経済圏を作るべきなのでしょうが、ヨーロッパのようなわけには行かない。しかしドル基軸通貨体制はアメリカ経済が危機的状況になって紙切れに成る可能性がある。だからドルを外貨準備として大量に持たされているわけですが、EU諸国は大量のドルを持つ必要が無い。

リーマンショックでユーロに加盟していないヨーロッパ諸国は通貨が暴落して経済危機がおきましたが、ユーロに加盟していた国は通貨の暴落から逃れる事ができた。だから今度の経済危機でもユーロ経済圏を広げるチャンスでもあるのですが、ユーロ経済圏は人口も経済規模もアメリカを上回る規模になっている。問題は石油がロシアや中東に頼っているからロシアや中東をユーロで決済できればドルの影響はより少なくすることが出来る。

日本は輸入も輸出もドル建てが圧倒的であり、ドルの変動の影響をもろに受ける。アメリカよりも多くなった対中国との貿易でもドル決済なのはどうしてだろう。人民元は為替が自由化されていないから中国に輸出して人民元を受け取っても、その人民元でオーストラリアやインドネシアやアメリカとの貿易に使えない。中国も円で受け取っても円の流通量が少ないから使い勝手が悪い。

中国にしてもドルの暴落に備えてSDRを基軸通貨にするようにG20などの会議に持ち出そうとしていますが、アメリカもドルの基軸通貨体制を守るのに必死だ。ドルが基軸通貨である限りバーナンキ議長は安心してドルをばら撒ける。要するに基軸通貨は使い勝手が良いからドルが使われている訳であり、ユーロが外貨準備としての割合を18%から27%に拡大しているのに、円は6%から3%に半減している。

つまり国際通貨として円はますます小さくなり、中国の人民元にとって代わられる日が来るかもしれない。世界経済が拡大を続けているのに日本のGDPは全く停滞してしまっているから割合が小さくなってしまっているのでしょう。世界第二位の経済大国という文句は今年から使えなくなりましたが、国内の消費が伸びないからGDPが停滞してしまっているのだ。

800兆円もの国債を発行して景気対策も打たれましたが、そのカネはどこに消えたのだろう。それは企業も個人も借金の返済などに消えているのだろう。公共事業で建設会社に金が渡っても建設会社は借金の返済で手一杯だ。そこのサラリーマンも住宅ローンなどの返済に追われてる。高度成長時代に借金漬け経済になりバブル崩壊でカネの流れが逆流している。

その事が世界経済が拡大し続けているのに日本だけが停滞した原因なのですが、今度は世界中がバランスシート不況になってしまった。だからアメリカは日本の例を見習って財政で莫大な借金の穴を埋め続けなければならない。しかしアメリカはドルが基軸通貨なので借金の穴を日本の円や中国の人民元で埋めようとしている。ドルは印刷すればいいだけだからバブル崩壊も日本のようにはならないかもしれない。

85年のプラザ合意はドルの借金の踏み倒しですが日本もドイツも踏み倒された。だからドイツはユーロ経済圏を作って防衛しようとしている。中国も第二のプラザ合意に遭わない様にアメリカに対して警告しているのですが、ドイツも中国もアメリカに対しては対抗策を取ったり取ろうとしていますが、日本だけが何もせずアメリカに踏み倒されっぱなしだ。なぜ日本政府は中国のように警告したりSDRを国際通貨にしろとか言わないのだろうか。

90年代から最近までアメリカが刷り散らかしたドルを日本が一手に買ってきましたが、その分だけ日本の富がアメリカに移転してしまう。中国はそのような目に遭わないように通貨の多極化を模索している。鳩山論文ではアジアでも経済圏を作って共通通貨を作ろうと構想しているようですが、日米会談でそのような話ができるのだろうか? 

自民党政権ではアメリカの言いなりになる事で政権を維持してきましたが、アメリカの国力の衰退が日本にも政権の交代をもたらしている。アメリカはもはや85年のプラザ合意のような真似をすればG20で叩かれるだろう。ユーロがドルに代わって基軸通貨の座を狙っているからだ。アメリカはそれに対してアメーロのような新たなる通貨を作ってドルを御破算にするのだろうか? 


北米連邦(North America Union)の発足と3国の新通貨であるAmeroの導入。 2008年12月26日 dabo-gc

北米3国(米国、カナダ、メキシコ)を統合した連邦を作り、新通貨アメーロを発行するという構想をブッシュが持っていたという噂は以前から流れていた。もう新通貨は印刷さえ終わっていると言う情報通もいる。

私には残念ながらヨーロッパにおいてユーロが導入された背景、またその過程はよくわからない。しかし、北米でもそれが起こっても不思議ではないとは思う。またNSU、新通貨アメーロ構想を知る人も多いと言われ、それがいつ導入されるのか、あるいはされないのかは別にして、単なる噂ではないレベルの話の様に思えてくる。ただどうもNSU構想には、国境の撤廃(自由な行き来)という一面もあるようで、これが実現可能なのか私の頭では到底考えられない。

もしアメーロが導入された場合、旧通貨と新通貨がどの様に交換され(10対1とも言われる)、世界の為替市場でどうなるのかも私にはさっぱりわからないけれど今の米ドルは急落するであろうとは言われている。結果として、デフォルト宣言に似たインパクトがあり、その影響は計り知れないものがあるだろうとは思う。



(私のコメント)
要するに新ドル札を発行して旧ドル札は10:1で交換するという事も考えられます。90%も踏み倒すという事ですが中国が承知するだろうか? 日本政府は例によって泣き寝入りでしょう。だから中国では金を買う人が増えているようです。ユーロならそのまま使えるから影響はないのですが、日本の円はドルが踏み倒されて安くなるかもしれません。アメリカ国内では新ドルも旧ドルも1ドルは1ドルで流通すれば問題は無い。それはアメーロとも言われるかもしれませんが、日本も民主党政権が出来たのだからドルは売り飛ばしてユーロに変えておきましょう。




バーナンキという人物が、これまでアメリカのトップが共有してきた危機感
や発想を持っていないかがよく分かる。石油のドル表示も気にしない。


2009年9月20日 日曜日

世界同時バランスシート不況 金融資本主義に未来はあるか リチャード・クー/著 村山昇作/著

中央銀行のバランスシートを毀損させるのはきわめて危険

しかもその一方で、中央銀行のバランスシートが急速に劣化していることを見逃してはならない。中央銀行が民間のリスクアセットを購入した後にそれらのアセットの価値が下がれば当然中央銀行の財務内容も悪化するからだ。ところがこれまでは中央銀行のバランスシートの健全性はほとんど話題にならなかった。中央銀行が民間のリスクアセットを購入することはなかったし、また以前にそのような購入が必要になったときは、中央銀行ではなく政府(=財務省)が購入していたからだ。つまり民間のリスクアセットを購入するのは本来財政政策の一部であり、金融政策の一部ではないのである。バーナンキたちはそれを承知の上でやっていると思うが、彼らの議論を見ていると、「どうせ中央銀行と財務省は同じ政府なのだから、どちらがやっても同じだ」というところで話を進めているように見える。

しかし私は、中央銀行がバランスシートを使うのと、財務省がバランスシートを使うのとでは、全く意味が違うと考えている。中央銀行がバランスシートを使うと直接、通貨の信認につながるリスクがあるが、財務省のバランスシートを使う場合はそのリスクが大幅に減少するからだ。いまの通貨というのは金でバックされているわけでも、銀でバックされているわけでもない。人々が中央銀行を信用しているからという信用によって支えられているのである。

そういうなかで、「どうも中央銀行は債務超過じゃないか」とか、「FRBはシティバンクよりもひどい不良債権を抱えてるようだ」とか、そういうことが民間で言われ始めたときに、何が起きるかは誰にも予測できない。世界中の投資家がドルから逃げ出し、ドルが暴落するかもしれない一方で、FRBのバランスシートとFRBの金融政策は関係ないということで何も起きないかもしれない。しかし人類が一九七一年まで何千年も貴金属のバックのある通貨しか信用してこなかったという歴史を見ると、全く何も起きないと考えるのは危険だろう。

本来、民間のリスクアセットを買うというのは財政政策であって金融政策ではない。したがってトマトケチャップを買う、あるいはCP(コマーシャルペーパー)を買うのだったら財務省が買うべきなのである。それでバランスシートが膨らんだ財務省を中央銀行が国債の購入増などでサポートするというのなら、まだ一つクッションがあって、購入したリスクアセットが発行体の破綻などで不良債権化しても中央銀行のバランスシート自体は段損されない。

レーガン時代のアメリカや九〇年代以降の日本が膨大な財政赤字を出しながらも通貨の信用を失わずに、これまでやってこられたのは、金融政策と財政政策が分離されていたことで、どんなに政府が財政赤字を出しても、中央銀行が国民の信認に値する行動をとってきたからである。つまり中央銀行さえしっかりしていれば財政赤字はそれ以上の問題にはならない。ところが両者が一体で運営されてしまったら、中央銀行は国民の信認に応えられないこともやらされることになりかねず、そうなると第一次世界大戦後のドイツとかオーストリアが経験した悲惨な状態になってしまう可能性が高いのである。

中央銀行の独立というのは、人類の知恵の産物である。三権分立ということはよく言われるが、私は実は四権分立だと思っている。司法・立法・行政に加えて四つ目が中央銀行なのである。立法・行政府と司法は同じ政府といえば同じ政府に違いないが、分かれているから人々は信用しているのであって、分かれていることにこそ意味がある。同様に財務省と中央銀行が分かれているから、中央銀行は国民の信認が得られているのである。

ところが実際に財務省のバランスシートで民間のリスクアセットを購入しようとすれば、すぐにその財源をどこから持ってくるかという政治問題が起こる。つまりこれは本来、財源がいる話であり、そこにはどうしても政治という時間のかかるプロセスが不可欠となる。ところがいまの金融危機は一分一秒を争う世界であり、何週間も何か月も与野党が救済策を立法化するまで待ってくれない。つまり財務省のバランスシートには機動性がないのである。その一方で、中央銀行はやろうと思えばすぐにできるから、いまのような局面ではどうしても機動性ということで中央銀行のバランスシートを使わざるを得ないところがあるのである。

もしこの問題が短期的に片付く問題ならば中央銀行がやつても目をつぶれる。しかし、今回のバブル崩壊でダメージを受けた銀行のバランスシートをきれいにするためには何年もかかる、下手をすると十何年かかるかもしれない。ということは緊急避難的に中央銀行のバランスシートを使うだけでは不充分であり、できるだけ早い時点でこれらのリスクアセットを政府のバランスシートに移すか、または政府の保障をこれらのリスクアセットにつけるという処置が必要だろう。

バーナンキに代表される学界の金融政策万能論者には四権分立という発想は全くなく、中央銀行のバランスシートは無限に拡大してもそれで景気が回復すればよいと考えている人たちが多い。しかしこの考え方は、それこそ一つ間違えて国民の信用を失ったら通貨が大暴落に陥る恐れがあるのである。

私はバーナンキがこのような政策をとり始めた○八年秋から直近まで、アラブ、ヨーロッパ、アメリカ、中国の大手投資家を多数回ってきたが、彼らのドル大暴落に対する懸念はものすごく大きいものがあった。

バーナンキの実験は、いまのところみんな「実」の部分ばかり見ているから、まずまずいい方向に向かっているという印象を持っているようである。だが、同時に「虚」の部分も一緒に積み上げているのであって、FRBの抱える不良債権がある水準を超えた時点で、みんなの目が一気に「虚」の部分に向いたら、それこそ考えるのも恐ろしい事態になりかねないのである。

ドル暴落の危険性に無神経なバーナンキFRB議長

もう一つわれわれが認識しておくべきことは、よくヨーロッパやアジアではアメリカは基軸通貨国だという言い方がされるが、アメリカ人にはこれらの地域で言われているほど、自分たちのドルが基軸通貨だという認識はないということである。確かに一九七一年まではドルが金とつながっていて、ドルを買うと間接的に金につながっているという意味で基軸通貨と呼べたかもしれない。しかし、それ以降については、アメリカの金融当局者からすると、「ドルがずっと使い勝手のいい通貨であった結果としてみんなが使っているだけであって、われわれがお願いしてドルを使ってくださいと一言ったことは一度もない」ということになる。自然にそういう形になったから人はそれを基軸通貨と呼んでいるが、「ドルだってワン・オブ.ゼムの通貨にすぎない」と彼らは言うのである。

彼らは、もしも日本人が円を基軸通貨にしたければ円をもっと使い勝手のいい、税制も分かりやすいものにしていけば、みんなが円を使い始めるわけで、それでいいじゃないかと考えているのである。

ただアメリカが唯一気にしているのは石油である。それまでのアメリカのトップは石油のドル表示だけは、絶対に守っていきたいという強固な意志を持っていた。イラン革命に端を発した一九七九年の第二次オイルショックのとき、アメリカ経済は深刻な二桁のインフレーションに直面して、まったく行き詰まっていた。そのときにアラブの人たちは、「なぜわれわれはイスラエルを支持している敵国の通貨で石油を売らなければいけないのか」と声をあげたことがある。

当時は米国内のインフレが原因でドルが急落しており、それが石油産出国の不満を募らせたのである。そこで彼らが考えたのが、SDR(IMF加盟国が利用できる通貨バスケット。日本語では特別引出権と訳されている)建てで石油を売ろうということであった。果たして彼らがどれだけ本気でそうしたことを考えたか分からないが、実際にそういう研究会を立ち上げたのは確かであった。

それを察知したアメリカは真っ青になった。慌てたカーター政権はポール・ボルカーをFRBの議長に据え、短期金利を一気に二二%まで引き上げてドル防衛に回った。表向きはインフレ対策だったが、実際はドル防衛も重要な政策目標だった。もし石油とドルの関係が切れたら、アメリカはあの時点ですでに巨額の貿易赤字国だったから、石油を買うのに別の通貨で買わなければならなくなる。

SDRで決済するということになろうものなら、あの当時はSDRの半分ぐらいをドルが占めていたから半分はなんとかなるけれど、残りの半分は外貨を調達しなければならない。ということは、各国の石油購入のために世界中からとてつもないドル売り、他通貨買いが発生して、ドル暴落のシナリオにつながりかねなかった。そこでボルカー議長はアメリカの不動産業界が大きな打撃を被ることを承知で短期金利を二二%まで持っていき、インフレ率を落として、アラブに石油価格のSDR建てを思いとどまらせたのである。

いまのアメリカの貿易赤字はあの当時の何百倍もある。いまは石油はドルで買えるから、アメリカにとって石油の購入は一種の国内取引みたいなものだが、これが円で買わなければならない、ユー口で買わなければならないとなったら、その分だけドルを為替市場で売って、円なりユー口なりを買わなければならなくなる。ということは、ドルが急落する。したがってアメリカの国益という観点から見れば、とにかく石油のドル建てだけはなんとしてでも守らなければいけないのである。

ところが、あのバーナンキFRB議長は○八年二月の議会の公聴会で、ドル安を心配する議員から「石油がドル建てでなくなったらどうするのか」という質問に対して、彼は「どんな表示だって関係ない。あれはシンボリックなものだ」と答えている。

この返答だけを聞いても、いかにバーナンキという人物が、これまでアメリカのトップが共有してきた危機感や発想を持っていないかがよく分かる。石油のドル表示も気にしない。FRBのパランスシートが民間のリスクアセット購入で劣化することも気にしない、とにかくそれらの手段で景気が回復すればすべてが正当化されるというのが彼の発想の根底にあるのである。しかし、いくらバランスシートを拡大しても、いいものが入っているのなら心配ないが、これからとんでもないものがたくさん入ってくる。それが不良債権化したときにどうなるかというのは、まことにもって予測がっかないほど怖い話なのである。(P102〜P109)


(私のコメント)
秋晴れになって5連休真っ盛りですが、読書の秋でもあります。しかし若者の読書離れは酷くなる一方であり雑誌の休刊廃刊が相次いでいる。単行本でも10万部売れればベストセラーであり、多くの本は2,3万部出ればいいほうなのでしょう。出版される単行本は多くなっても買う読者は減ってきているようだ。小さな町の本屋は廃業が相次いで本屋の無い商店街が出来ている。電車の中を見ても以前は本を読んでいた人たちが今では携帯電話を見ている。

原因としては若者が貧しくなって本が買えなくなってきているのだろう。携帯料金だけでも5000円かかるしネットだけでも3000円かかる。だからニュースなどは新聞は取らずにネットや携帯で見る若者が多くなっている。これでは月に何冊もの本を買う金は無いだろう。しかしネットだけではレベルの高い知識が限られているから、専門的な知識は本を読まないと手に入らない。

このように普段から本を読まないと時代の流れが読めなくなり、ネット情報に振り回されるようなことが起きる。だからこの本は読んだ方がいいと思える本を「株式日記」で紹介しているのですが、経済や金融の事はリチャードクー氏の本が一番おもしろい。経済学者の中には彼を地底人と呼んで馬鹿にする人がいるが、彼の言い続けてきた「バランスシート不況」は世界でもスタンダードな見方になりつつある。

つまり金融をいくら緩和しても借り手が現れず、金利が低下してしまう現象だ。あるいは過剰な債務を解消する為に返済を最優先するようになる現象を「バランスシート不況」と呼ぶ。日本は90年代から世界に先駆けてバランスシート不況に突入してしまったわけであり、世界はどのようにして日本がバランスシート不況に対処してきたかを注目している。

個人も企業も過剰な債務を背負っている状態では、消費は停滞してGDPは伸び悩むだろう。アメリカも消費が極端に落ち込んでしまって、その穴を政府の財政が支えている。G20の会議でも世界的な公共投資の増大が打ち出されて景気は何とか踏みとどまっていますが、日本の経験では消費減少の穴を政府の財政で支えないとGDPそのものが落ち込んでしまう。

アメリカ政府はなりふり構わずAIGやフレディマックなどの金融機関を救済して、政府とFRBがリスクを直接引き受ける事でパニックを防いだ。そうしなければ金融機能そのものがストップしてしまって世界経済そのものがショック死する寸前だったのだ。もし日本の経験が無ければアメリカもヨーロッパも大規模な財政出動をためらって世界経済はショック死していたかもしれない。

残念ながら日本の経験を世界に話せる経済学者はリチャード・クー氏しかいないのであり、日本の経済学者は全員落第だ。特に小泉竹中内閣では財政再建が最優先されて景気対策を行なおうとはしなかった。公共投資は悪とされて公共投資を善とするリチャード・クー氏は悪の黒幕としてテレビにも出られなくなり、ライバルの竹中平蔵氏が金融大臣となって構造改革こそ景気対策として進められた。

確かに経済は年々変化しているから日本の構造も変えて行く必要がありますが、基本認識が間違っているととんでもない結果をもたらす。小泉竹中構造改革ではアメリカ流の市場原理主義を取り入れて規制をどんどん撤廃していった。そのために利益を受けたのは大企業であり輸出企業だ。しかし地方への公共投資は減らされて地方交付税も減らされて地方は切り捨てられてしまった。

アメリカも消費が激減して輸出頼みの日本経済も大打撃を負ってしまった。おかげで自民党の失政が選挙での大敗北に繋がったのですが、自民党政府がリチャード・クー氏を切り捨てて竹中氏を重用した事が野党転落の引き金になった。ようやく麻生内閣になって15兆円の景気対策が打たれるようになりましたが、民主党政権ではその補正予算の執行を止めている。

民主党政権では経済ブレーンとしては榊原英資氏がいますが、元大蔵財務官でありビックバンの中心となった人だ。とんでもない最悪の時期に金融ビックバンを強行した事で日本の金融は大混乱して三洋証券や山一證券や北拓銀行などがバタバタと倒産して混乱をもたらした人物だ。竹中氏も榊原氏も日本を金融立国にしようとしたのだろう。

「世界同時バランスシート不況」においてリチャード・クー氏は、竹中氏が天下を取っている時はマスコミに出る時がなかったと書いていますが、このようなパージは学者のすることではない。誰が正しい事を言っているかは時間が経てばわかることだ。そして小泉竹中構造改革が間違っていると国民が判断したから自民党は選挙で大敗北したのだ。

ブログなどを読んでもリチャード・クー氏を高く評価してきたのは「株式日記」ぐらいであり、日本中が小泉改革を支持して熱狂していた。最近になってようやく政府の財政出動の正しさを理解する人が増えましたが、テレビによる田原総一郎などによる扇動は酷いものだった。


市場原理主義者は金融テロリストだ 2001年11月11日 株式日記

小泉首相の「構造改革なくして景気回復なし」は日本経済を破壊しようとする市場原理主義者達に吹き込まれたスローガンだ。銀行やゼネコンや流通を潰すことが構造改革を進めることだというとんでもない論理を言う学者がいても、だれも疑問に思わず聞いている。日本国民の思考が停止状態になってしまったのだろう。リチャード・クー氏は「日本経済生か死かの選択」で次のように言っている。

日本に関する英文報道を書いている人たちの多くは、日本人を含めてアングロサクソンの市場原理に基づくやり方が正しくて、アジアの日本は変なことをやってきたのだろうという先入観を持っている。しかも、日本は構造改革が必要という文章を書く人は、一種の優越感に浸ることになる。相手の構造を非難すると言うことは、相手の全てを否定しているのに近いからだ。この傾向は、それ以前の日本やアジアの躍進を好ましく思っていなかった人々の中に特に強い。

これまでの10年間、全世界が日本の構造改革の必要性に洗脳されていたのである。日本でも一部、竹中氏みたいに何が何でも構造改革という人がいて、話を複雑にしてしまっている。



(私のコメント)
「世界同時バランスシート不況」という本によれば、アメリカの政財界や学会においても、今回の世界同時不況がバランスシート不況である事を理解していない人が沢山いるようだ。ノーベル賞をもらったポールクルーグマン教授も最近になってその誤りを認めましたが、90年代から日本経済が直面してきた事は現在の全世界で起きていることであり、それを説明できる日本の経済学者はいない。

リチャード・クー氏を地底人と貶すぐらいだから意地でも彼を認める訳にはいかないのだろう。日本の経済学者の多くはアメリカの経済学者たちの受け売りであり、竹中平蔵氏や野口悠紀雄氏などが典型だろう。日本経済の現状を研究する事こそ世界が直面している事の解決策を見出すチャンスなのですが、日本の経済学者の馬鹿さ加減は救いようがない。

ベン・バーナンキFRB議長もアメリカの経済学会の最高権威ですが、彼が今行なっている金融政策も適切なのだろうか? ドルが基軸通貨なのだからドル札をいくらでも印刷してばら撒けば景気が回復するという学説の持ち主ですが、ドルが暴落する危険性を認識しているのだろうか? 

リーマンショック以降アメリカの消費は急速に落ち込んでいる。金融立国戦略も破綻してアメリカ経済は空洞化が進み、財政赤字と経常赤字でドルの信認が落ち込んでも不思議ではない。ドルが基軸通貨でいられるのは石油とリンクしているからですが、バーナンキ議長はそれを認識していない。中国ですら外貨準備をドルからユーロに切り替えている事にアメリカ政府は気がついているのだろうか?


中国の急速なユーロ買いは望ましくない=欧州委員 9月18日 ロイター

[マドリード 18日 ロイター] 欧州連合(EU)欧州委員会のアルムニア委員(経済・通貨問題担当)は18日、外貨準備を分散するために中国が急速にユーロ購入に動けばユーロ高につながり、欧州にマイナスの結果をもたらすとの認識を示した。 

 同委員は会合で、ドルに代わる主要準備通貨として、国際通貨基金(IMF)の特別引き出し権(SDR)を採用する中国の案は実現不可能だとの認識も示した。

 その上で、世界では外貨準備をドルから通貨バスケットに分散する緩やかな動きが出てくるとみていると話した。

 「時間がかかるプロセスだが、そういう方向に進んでいると思う」と述べ、主要準備通貨としてのドルの役割に終止符を打つのは政府ではなく市場だろうと続けた。

 ロシアのプーチン首相はこの日、将来の金融安定を確保するためには、世界にとってさらなる準備通貨か、経済的行動に関する国際ルールが必要と指摘。「米国で全世界に向けてドル紙幣が刷られた場合、誰もそれをコントロールできず、問題が生じる」と述べた。

 しかしアルムニア委員は、ドル資産が大半を占めている2兆ドル規模の中国の外貨準備について、同国が分散に向け大量かつ急速にユーロを購入した場合、欧州の利益に反する結果がもたらされる可能性があるとの見方を示した。

 「中国が外貨準備の急速な分散化を望んだ場合、それを助ける第一候補となるのはユーロであり、ユーロ高につながってわれわれの利益に完全に反する。われわれの利益は中国の利益と一致しない」と述べた。





実質的な兼業農家の比率は9割にも及ぶ。所得補償の行く先は、コメの
生産意欲を持たない、零細な兼業農家ばかりになってしまう可能性が高い。


2009年9月19日 土曜日

主要穀物の完全自給まで公約! 鳩山民主党“農政改革”の幻想と矛盾 9月18日 山下一仁

民主党の鳩山政権が9月16日発足し、農相には選対委員長の赤松広隆氏が就任した。赤松氏は、旧社会党グループのリーダー格で、ウルグアイラウンド交渉の最中の1993年には、党の方針に反して「コメ関税化」を肯定する発言をした人物である。果たして今回、農相として民主党がマニフェストで示した当初の方針のまま動くのか、それとも軌道修正を図っていくのか、興味をそそられる人事である。

 そもそも、筆者は、民主党がマニフェストに盛り込んだ農業に関する公約は、すべては実現できないと考えている。端的に言えば、農家にも消費者にも好い顔をしてしまった結果、整合性を失い、目標のどちらかを立たせると、どちらかが立たないという隘路にはまり込んでいる。よく言われているとおり、民主党の中に、行政経験の豊富な人たちが少ないということの証左であろう。

 では、抽象論はさておき、マニフェストをベースに、具体論で問題点を検証したい。

 周知のとおり、民主党が掲げる農業関連の公約の中で最も注目されているものは、農家への戸別所得補償政策だ。馴染みのない人に改めて説明すれば、これは農家に対する財政からの直接支払のことであり、具体的には、農家ごとに「生産目標数量」を定め、この目標を達成した農家に生産費と市場価格の差に相当する支払いを行うというものである。

  誤解を恐れずに言えば、この所得補償そのものは害悪ではない。欧州連合(EU)も公然と行っていることであるし、「価格から直接支払いへ」というのは世界の農政の流れだ。問題は、民主党が戸別所得補償の支払い条件や方法を間違えていることである。

 民主党の考え方では、コメの場合、「生産目標数量」とは、10トン作れる農家が自給率向上のために、15トン作ったら補償するというものではなく、10トン作れる農家が減反をして6トン作ると補償をするというものだ。つまり、生産調整に参加するか否かの判断を各農家に任せる減反選択制への移行であるとはいえ(現在の完全減反制も現実には有名無実化しているが)、補償というニンジンをぶら下げて、減反にとどめようとしている。

むろん、減反に参加したくない農家もあるだろうから、今よりもコメの生産は少しは増えて米価もある程度下がるかもしれない。ただ、それでも「ある程度」だろう。コメの生産意欲を持たない零細な兼業農家は全国に数多あり、彼らが補償を捨ててまで価格の下落を覚悟して生産拡大に動くとはとても思えない。

 ちなみに、日本の兼業農家の数は250〜300万戸で、全農家の6割強を占める。また、勤め先を定年退職したために、専業に区分された高齢農家も含めれば、実質的な兼業農家の比率は9割にも及ぶ。その大半は引き続き減反参加者となるだろう。したがって、所得補償の行く先は、コメの生産意欲を持たない、零細な兼業農家ばかりになってしまう可能性が高い。

 零細な兼業農家に対して、財政からの補てんで現在の米価水準を保証してしまえば、彼らは農業を続けてしまう。これでは、農業だけで生計を立てようという主業農家に農地は集まらない。価格もコストも下がらないし、国際競争力はつかない。

 では、どうすればいいのか。

 本連載で筆者が繰り返し述べてきたとおり、減反を廃止した上で、所得補償を主業農家に限って提供すればよい。これならば、兼業農家の多くは、主業農家の生産拡大に伴う価格下落で採算割れが深刻化し、農業から退散せざるをえなくなり、農地が主業農家に集約されていくことになる。

 ちなみに、そのための財政負担額は、筆者の試算では、現在減反維持にかかっている年間2000億円と同じ程度で済む。しかも価格を大きく下げることができるので消費者に大きなメリットが及ぶし、WTO・FTA交渉にも対応できるようになる。むろん、攻めの農業を目指す筆者案に対して、減反維持を前提としている民主党案は、結局は、消費者の利益にも沿わないし、日本の農業の競争力向上にはつながらない出費である。

 民主党はなぜ減反に拘泥するのか。そもそも減反維持の自民党に対抗して減反廃止をうたっていた民主党が妥協を繰り返してしまった経緯については、本連載の第9回を参照されたいが、端的に言えば、数に勝る兼業農家の票を欲するがあまりにバラマキの戸別所得補償をぶちあげてしまったためだ。

 簡単な論理である。民主党のように、兼業や主業の区別なくバラマキの直接支払いを約束した上で、減反を廃止すれば、生産拡大で価格が下がったらその分補償額が膨らみ財政負担が雪だるま式に増えてしまう。しがたって、コメの高価格政策を維持する必要があり、減反を完全に廃することができないわけだ。

また、これは推測だが、票田確保もさることながら、今回のプランを練った民主党農林族の思惑も減反維持の方向に恐らく大きく影響したのだろう。財源を捻出しようとすると、農林水産省の中からも応分の負担が必要となる。

 直接補償に合わせて減反を廃止することで必要額が大きくなれば、例えば、1兆円という農水省の部局の中でも群を抜く農業公共事業にも手を突っ込まなければならなくなると恐れたのではないか。民主党農林族のなかにも農水省の個別事業に対する利害関係者がいるのだ。彼らも既得権益を持っている。

 いずれにせよ、このような発想では、日本の農業の規模は拡大しないし、コストは下がらない。ひいては、WTOやFTA交渉にも対応できない。FTAとはそもそも関税をゼロにするという自由貿易協定だ。減反すなわち高米価政策をやめなければ、関税をゼロにすることなど望むべくもなく、民主党が目指す日米FTAの締結などは夢のまた夢となる。

 ちなみに、民主党はマニフェストに書かれた日米FTAの締結について、農協から農業を滅ぼすと抗議されたので、「交渉を促進する。その際、国内農業・農村の振興を損なうことは行わない」と表現を変えている。いじわるな見方をすれば、整合性を取ろうとしたのか。

 振り返れば、小沢一郎代表代行はかつて著書で戸別所得補償政策によって「関税ゼロでも食料自給率100%」と唱えていた。あの主張はどこに行ってしまったのだろうか。報道によれば、赤松農相は17日未明の就任記者会見で、減反政策について「もちろん見直していく。減反で展望があるのか」と述べたらしいが、その発言の真意はどこにあるのか。規定路線の減反選択制への見直しを言っているだけなのか、それとも筆者案の減反廃止を指しているのか今後に注目したい。(後略)



(私のコメント)
農業問題が民主党政権誕生の大きな要因になりましたが、民主党の農業政策の根幹が見えてこない。「株式日記」では減反政策に反対し、大規模専業米農家に所得補償をして米作の国際競争力をつけるべきと主張してきました。しかし日本の米作りはほとんどが兼業農家であり、農業収入が世帯収入の15%にしかならない農家だ。これは農家ではなく農地を持っているサラリーマンなのだ。

もし民主党の戸別所得補償制度が全農家が対象だとすると、我も我もとコスト無視で米を作り、差額が国からもらえるという事になり、とんでもない事になってしまう。戸別所得補償が農家に直接配られるというのが支持された大きな理由ですが、一定規模以上の米作り専業農家に限るべきだ。そうしなければ農業の近代化は進まない。

兼業農家は農地という土地を持った不動産業者でもあり、農地でありさえすれば固定資産税は只のように安く相続税も安い。これでは米作りのコストダウンは進まずいつまでも減反政策を続けて補助金をばら撒く事になる。この仕組みが農協にとってもうまみのある制度であり、農協は金融と商社の独占的商売で農家から利益をピン撥ねする。

兼業農家の多くは自給自足的な農業であり、米を始めとして他の食糧を自給している生活形態であり、これを農家と呼ぶ事は日曜大工を建設業者と認定するようなものだ。いわは日本の農業は日曜大工的な超零細な農家を保護しているから農作物の自給率は年々下がりコストダウンは進まない。

もちろん国内で何でもかんでも自給しろというのは間違っている。日本の農業では米作りが一番合っていますが、良質で価格が安ければ余剰生産した米は海外に輸出する事もできる。飼料米もコストダウンが進めば酪農用の飼料として自給する事ができる。米は小麦の代わりとしてパンとしても供給が出来るから、海外で小麦が不作でも米を転用する事ができる。

日本の米の消費が年々減ってきているのは米が高すぎるからであり、スーパーでは米は5キロ2000円以上する。高級品だと5000円以上しますが、これではパンや麺類に行ってしまうだろう。米が安ければ小麦のように製粉してパンや麺類の材料になるし多様化して売れる米作りを目指すべきだ。

国内産の米は国際価格の3倍もしますが、米作りの大規模化と近代化が進めば半値にはなるだろう。そうなれば品質や輸送コストを考えれば国際競争に耐えられる米作りが出来る。減反政策は米を高く維持する為の政策であり、長くは続けられない事は明らかなのですが1970年からズルズルと続けられている。

現在の兼業農家にしても高齢化が進み平均年齢が65歳になっている。農作業のほとんどは請負会社に任せて実質的な大規模化が進んでいる。これではとても農家とは言えないのであり兼業農家は農家ではない。だから農業政策の適用外とすべきであり、大規模専業米農家のみを戸別所得補償の対象とすべきだ。そうすればコストダウンと近代化が進む。

しかしこのような大規模化が出来るのは平地の優良農地のみであり中山間地では大規模米農業は難しい。しかし耕作放棄地の多くが中山間地の農地であり、そのような耕作放棄地を活性化させるには戸別所得補償のような直接的な支援が必要だ。中山間地域等直接支払制度は日本の農業活性化の為に大きな成果を生んでいるのですが、知る人は少ない。


農政史上初の中山間地域等直接支払いの運命−価格支持から直接支払いへ 山下一仁

中山間地域等直接支払制度はわずか300億円程度の国の予算で実施されたが、全国の関係者の努力により中山間地域の活性化と農地の保存に制度の設計者の予想をはるかに上回る成果を挙げている。財務省担当者が座右に掲げる‘小額多効'の模範例である。規模の上では比較にならないが、1930年代昭和農業恐慌に対処するため‘隣保共助'‘自力更生'をスローガンとして官民一体で大きな盛り上がりをもって推進された農政史上特筆される“経済更生運動”の平成版といってもよいかもしれない。

ア.多面的機能を実現するための政策
佐伯尚美東大名誉教授は「日本にはこれまで国際交渉の場では農業の非経済価値とか、多面的機能とかを強調してきたが、しかし国内的にはそうした政策はきわめて手薄だった。それがこれによって、ようやくそうした政策が本格的にスタートすることになったわけです。そこにこの政策の画期的意味があると思います。」と述べている。

イ.農地を維持管理する耕作者に対する支払い
この直接支払いはコメの転作奨励金と異なり所有者ではなく農地を実際に維持管理する耕作者に交付することとした。これは農地の借り手の地代負担能力を高め、農地の集積による構造改革効果をも持つことになった。

ウ.制度の5年間固定
制度がくるくる変更されるようだと、農家も集落も安心して農地を維持管理できなくなる。過去に猫の目農政という批判があった。このため、直接支払いの単価、制度を5年間固定した。所要額についても集落協定の締結数が徐々に増加することを考慮し、都道府県に基金を設け年度ごとの支出額の変動を吸収できるようにした。国の予算単年度主義に事実上の修正を加えた。

エ.5年間の協定期間と交付金の遡及返還
協定のうちの一部でも耕作放棄・転用した場合は遡って交付金を返還してもらうこととした。局長その他の幹部はことごとく反対したが、私は譲らなかった。ある野党機関紙が5年間の維持管理義務は厳しすぎるという記事を書いたとき、私は大臣に「5年間の内に耕作放棄するといっているような人に直接支払いをするのでは国民は納得しません。」と説明した。大臣は君の言うとおりだと理解していただいた。今回の見直し検討会では、この仕組みは耕作放棄の発生防止に効果を上げていると評価されたようである。

オ.地域からのボトムアップと地域裁量主義
本制度検討会報告は「直接支払い類似の対策は国に先行する形で各地の地方公共団体により実施されてきている。従来の農業政策の多くは国レベルで決定したものを地方が実施するというものであったが、今回導入されようとする直接支払いは地方で草の根的に実施されてきた政策をいわばボトムアップにより全国レベルで展開しようとするものであり、画期的な意義を有するものと考えられる。」と述べている。

また、実現された制度についても、都道府県、市町村、集落の判断・発想が最大限発揮されるよう、広範な地域裁量主義を認めている。(例えば、対象地域・農地についても全国的な基準だけではなく、一定の面積の範囲内で知事が独自の基準を設けられるようにした。)これにより、各地で独創的な活発な取り組みが展開されてきている。注目されるのは、直接支払いの使途に限定はないため、これを活用して担い手への直接支払いを行っている地域が出ていることである。国がモタモタしている間に地方から新しいボトムアップが発生しているのだ。(後略)



(私のコメント)
平野部の優良農地は大規模化が可能ですが、中山間地の農業については国や地方が耕作者に直接補助する事で大規模化や新規参入を促して耕作放棄地をなくしていくことが出来る。中山間地では耕作機械も小型機しか使えないしコスト高になる。それを戸別所得補償すればいいわけであり、補償対象者を特定すべきだろう。

減反政策は全国一律に施行しているから米作りの大規模化と専業化が進まない。兼業農家は農家とは言えないのであり、農業政策の対象から外すべきだ。兼業農家は自給分+アルファを市場に出すだけなので、その分を国際価格の3倍の値段で流通させる事自体が間違いなのだ。ところがテレビの前では私は農民ですといった顔で減反政策の維持を主張する。もちろん戸別所得補償制度の対象外にすべきだ。




『中国が世界をメチャクチャにする』 ジェームズ・キング:著 「アメリカは
強欲さから内部分裂するだろうとレーニンは言った。レーニンは正しかった」


2009年9月18日 金曜日

中国が世界をメチャクチャにする キング,ジェームズ :著

もちろん、ソ連がロックフォードに心理的な衝撃を与えることは、もはやなくなった。永久にその影響を残すよう定められていたのは、もう一つの共産主義の怪物、中国だった。私が来る前の二年間ほどは、この町は静かな危機に陥っていた。中西部一帯に広がり、何十もの中小企業を一掃してきた危機に。倒産した企業の多くは伝統ある同族会社で、戦争と景気後退を乗りきり、日本や韓国の台頭にも耐えていた。なぜこれほど多くの企業が破綻したのか総合的に理解したかったが、全体像はっかみにくかった。倒産の多くは、従業員が地元民で数百人というより数十人の規模なので、全国紙にはまず載らなかった。

それでも非公式の調査から驚くべき事実が明らかになった。一つには、オハイオ州キャントンの〈エクセル成型機械〉社長、ブルース・ケインが、オハイオの一般エリアにあたる一〇州の金属加工業者の廃業に伴う設備の売却広告を集めていた。連邦議会の公聴会で証言した。二〇〇三年五月から二〇〇四年九月にかけて、一八○件の競売の広告ビラを集めた。平均して三日に一件の割合である。ほとんどの廃業やリストラにきっかけがあった。新しい中国の競争相手が前ぶれもなく、アメリカの会社には精いっぱいの価格の三分の一かそれ以下をひっさげて進出してきたらしかった。

とりわけダメージが大きかったのが工作機械だ。これは工業部門の土台であり、ロックフォードの専門でもあった。それは部品を機械にする機械だ。車のエンジン部品をつくる工作機械がなければ、エンジンはつくれない。精密機械がなければ、ハイテク製品はつくれない。工学部出身者が圧倒的多数を占める中国政府は、はるか昔に気づいていた。強い産業基盤を築くためには、工作機械が重要な役割を果たす。戦略的に工業を優先し、入手、吸収できるテクノロジーを世界から買い集めるように国有企業をつついた。中西部一帯の多くの廃業に伴う競売に、中国の買い手が現われた。償却された機械、設計図、操作ノウハウをあさるためである。ロックフォードでも貧欲な中国企業の足跡がそこかしこに見られた。

私はロックフォードに会食に来ていた。ただの食事ではなく、ロックフォードの商工会議所の年中行事だった。地区のおもだった実業家が六〇〇人ばかり、町いちばんのイベント会場、レストラン〈クリフブレーカーズ〉でいくつもの大テーブルを囲んでいる。主賓はアル.フリンクだ。ジョージ・W・ブッシュ政権で新たに任命された「製造業の親玉」製造・サービス業担当商務次官補。ブッシュが大統領の座についてから三〇〇万近い雇用が失われた製造業を、再生させる役割を担っている。イリノイ州第一六区の下院議員で、連邦議会へ小企業の発展を訴えている、ドン・マンズーロも来るはずだ。当夜の公式テーマは、曖昧でつまらなかった。「アメリカ製造業の現状」。とはいえ、中国からの挑戦にワシントンはどう対処するっもりなのか、端的にいえば、ロックフォードは滅びる運命にある町なのか、誰もが知りたがった。

この夜の〈クリフブレーカーズ〉は、私がこれまで一週間を過ごしてきた堅苦しく信心深い土地柄とは、いささか趣を異にしていた。ラスヴェガスの雰囲気でいっばいだった。きらきら光るシャンデリア、噴水のあるロビー、ギリシャ・ローマ風の石膏細工と、フランク・シナトラをはじめ、ここで公演したことのある有名ゲストの写真が飾られた廊下。しばし自分は場違いではないかと思ったが、そのとき、ちらほらと知った顔が見えてきた。前に会った男性がいた。火星まで行った宇宙探査機用の特殊な歯車をつくっている工場のオーナーだ。その近くにいる若いエンジニアは、一セント硬貨に描かれたリンカーンの鼻に収まるほど小さな歯車の歯をつくっていた。エンジニアに話しかけている女性の工場では、工員が顕微鏡で見なければならないほど細かいフィラメントを溶接していた。

最初に挨拶してきたのは、トム・マクダンだった。数日前に義兄の五〇歳のバースデー.パーティで着ていたのと同じ黒いスリーピース姿。あれは楽しく穏やかな夜だった。長いテーブルの席に着き、ピザをかじり、レモネードを飲んだ。明るく礼儀正しい会話を交わした。楽しい集まりの話題には、中国はふさわしくなかった。触れられたのは、たしか一度だけ。マクダンが身を寄せてきて打ち明け話をした。中国の製鋼所がくず鉄を猛烈に欲していて、近所のマンホールのふたが消えだした、というのだ。

「考えてもみてくれ。地元のガキがマンホールのふたを取って、くず鉄として売ってくるのだそうだ。我々はくず鉄と不要の段ボールを中国に売ることができるが、商品は中国のほうがずっと安くつくれるんだ」

マクダンは〈インガソル〉社の上級経営者だったが、二〇〇三年に同社は倒産し、その輝かしい歴史に幕を閉じた。廃業する前から、中国の買い手はチャンスをうかがっていた。この由緒ある会社で最初に売却されたのは〈インガソル・プロダクションシステムズ〉。自動車用の工作機械部門だった。中国の巨大な国有企業〈大連工作機械〉が買収した。数十年に及ぶ最先端の自動車製造技術の設計図と工業規格の書類の山が、ただちに中国本社へ送られた。やはり〈大連〉もテクノロジーの次の高いハードルを越えようと必死の中国企業だった。

すなわち、国産の高性能自動車エンジンの開発である。〈インガソル・プロダクションシステムズ〉を買収した〈大連〉は、これを当て馬として、核心に迫ろうとした。〈インガソル・ミリングマシン(切削機)〉である。同社は第一次世界大戦以前からアメリカ軍の重要な請負い業者だったばかりか、倒産時にも機密度の高いプロジェクトに関与していた。アメリカの戦闘機の翼を研磨する機械をつくったり、ロケットの燃料タンクの性能を高める技術を開発したりした。原子カ発電所のタービンを動かす装置や、Bー2ステルス爆撃機をレーダーに映らないようにする素材を塗る機械もつくった。

こうした機密は北京政府にはとりわけ貴重なもので、〈大連〉はそれを手に入れる寸前までいった。国防総省や中央情報局(CIA)などの防衛機関は、この中国企業が〈プロダクションシステムズ〉を通じて〈ミリングマシン〉をねらっていることにまったく気づいていなかった。書類上はそうした買収は内輸のことに見えたろう。だが、ある地元の起業家がこの件をマンズー口下院議員に耳打ちし、マンズー口が技術・防衛政策・武器拡散防止担当の国防副次官、リサ・ブロンソンに警告した。かくしてこの買収は阻止され、〈インガソル・ミリングマシン〉は結局イタリアの〈カモッツィ〉社が買いとった。

マクダンはあからさまに口にはしなかったが、中国が脅威というイメージは強かった。しかしロックフォードの誰もが、その点を暖昧にしているわけではない。私は宴会が始まる少し前に、ディーン・オルソンに会った。この白髪交じりの陽気な紳士は、何日か前に、自分の自動車部品工場を案内してくれた。ショッキングな出来事が二年前にあった。信じがたいほど低価格の中国の部品が、市場シェアに食いこんできたのだ。

「そこでだ、倒せない相手とは手を結ぶほかない」とオルソン。中国の部品を輸入して、自社製の比較的ハイテクな部品と合わせ、顧客ネットワークに販売していった。中国製品の質はまずまずで、商売はうまくいった。だが、オルソンはつねにその時が来るのを待ち受けていた。中国の技術がさらに進歩し、オルソンがそのために熟練工をかかえてきた高性能の製品をつくりだすのを。そうなったら、中国の価格はこちらの数分の一まで下がる。その状況では、オルソンに残されるビジネス上の財産は販売網だけだ。いつか中国製品を販売するしかなくなる可能性はあるのかと、私は訊いてみた。オルソンは少し怒った顔をして、「それは大いに疑問だね」と言った。

スピーチが始まる前に会った最後の人物は、〈ダイアル・マシン〉社のエリツク.アンダーバーグ、金髪でいかにも正直そうな顔つきをした、頭の回転が速い三〇代の男性だ。マンズー口と下院議長デニス・ハスタートの率いる訪中団に加わったことがあり、連邦準備制度理事会(FRB)にアメリカ産業の状況にっいて諮問するシカゴの委員会に名を連ねていた。ロックフォードの苦境をミクロとマクロ、両方の観点から見ていた。ここ数年で〈ダイアル・マシン〉は従業員七〇人のうち三〇人の解雇を余儀なくされていた。その経験に深く心をえぐられたようだった。

「わが社でずっと働いてきた人たち、家族もよく知っている人たちに、もう仕事はないと告げるのはたまらない気分です。もはやロックフォードには時給一六ドル、一七ドルを稼ぐ熟練工に働き口がないことは誰もが知っています」とアンダーバーグは言う。元工員の行きっく先は、たいがいイースト・ステート通りの安売り店のカウンターだ。〈ロウズ〉〈ホームデポ〉〈ターゲット〉〈サムズクラブ〉〈メンズウェアハウス〉または〈ウォルマート〉で、時給七ドルで、年金もなしに働くのだ。「それが製造部門から去った人たちの雇用を創出していると政府は一言う。でも、これが雇用だというんですか。実質賃金が経済全体で落ちているのも無理はない」

アンダーバーグは、公平であれば、自由貿易も大いにけっこうだと考えている。しかし、中国との競争は構造的にも質的にも不公平だ。中国は、対ドルの通貨価値を割安に固定して、輸出の大きな競争力としていた。労働者にほとんど、またはいっさい福利厚生を与えないから、原価が人為的に低く抑えられている。独立した組合はなく、中国の工場で見てきた安全基準は、アメリカでなら違法ものだった。国有銀行は国有企業に低利で融資しているが、あっさり債務不履行になることもある。中央は輸出業者に対して、アメリカにはない気前のいい付加価値税の払い戻しを行なっている。排ガス規制は手ぬるく、環境保護のための企業負担は、そのぶん小さい。企業は外国の知的所有権を当然のように侵害しているが、法廷が腐敗しているのか中央の支配下にあるからなのか、起訴はされにくい。最後に、国が電気や水など、さまざまな資源の価格を人為的に抑えることで、工業を助成している。

こうした中国のコストの有利さと対照的に、アメリカ企業はお役所のやり方や法律の混乱と格闘し、公式の試算で二〇パーセント増の営業費用を強いられている。フリンクの演説を聴きにきたアンダーバーグをはじめ多くの人たちは思っていた。いまこそアメリカは断固として、中小企業を保護すべき時だと。中小企業こそが、アメリカ経済の屋台骨として雇用の七〇パーセントほどを生みだしてきた。アメリカの製造部門は衰退してはいても、なおも巨大であって、それだけで世界六位か七位の経済規模を誇っている。換言すれば、現在のアメリカの製造業者が生む価値は、中国の経済全体が生む価値よりわずかに少ないだけだ。それらがフリンクの支持基盤なのだった。

ディナーのメインコースが来ると、フリンクは立ちあがって口を開いた。初っぱなから部下の官僚ならぬ聴衆に挨拶するのに苦労した。短いジョークから始めた。数カ月前にこの仕事を受けたときは、まだ髪がふさふさだった。だが演壇のライトに照らされた頭はもはや見る影もない。「GTMY」とグレート・トウ・ミート・ユーフリンクは言った。「GTMY……えーと、政府用語で『お会いできて嬉しい』のことです。政府はなんでも略すものでね」

簡単な自己紹介を述べた。メキシコ国境の南で生まれ、四歳半のときにアメリカに渡り、カリフォルニアで育った。ゼロから興した会社を売却するころには、工業の分野で全米で表彰され、従業員を四〇〇人かかえるまでになっていた。フリンクの立場は、商務省の効率第一の方針に対する中小メーカーの批判に応じて築かれていった。なぜ政府はこれまで工業の支援者を長官に任命しようとしなかったのか。農業など、GDPに占める割合はニパーセントにすぎないのに、専門の長官がいるではないか。しかるに製造業は、GDPの一五パーセントを占め、さまざまな要素をかけ合わせると、経済への影響力は三O〜四〇パーセントに広がった。それが、いまようやく、アメリカは製造業の親玉を召しかかえたわけだ。「新聞がつけた呼び名ですが、どうやら気に入ってきましたよ。理由はわからないが……なにせ『親玉』だから、しばらくするとくせになるね」

ともあれ、いまや製造業の代表が、ホワイトハウスにいた。製造業の痛みを知る者が。「夜、天井をじっと見っめ、どうやって給料を払ったものかと思案した」経験者が。福利厚生に血道を上げる「カリフォルニア人民共和国」でも、きちんと給料を支払ってきた者が。ワシントンの儀礼や道具立てに目をくらまされないで、権カ者の顔をまともに見て現状を訴えられる者が。

そのときまでフリンクは聴衆を手中におさめていた。深いうなずき、どっとわく笑い声、おもしろがる笑顔があった。「弱き者の王」らしい展開は、いい知らせへの期待を高めていた。万事は順調に運ぶとの約束、誓い、見通しへの期待を。だが、何も出てはこなかった。それどころか、フリンクは寝返ったかに見えた。アウトソーシングを、すなわちロックフォードの沈滞の要因を、いいことだと考えているのが明らかになつたのだ。

「八○年前には東海岸にあった企業が、カリフォルニアに移っていきました。それはアウトソーシングらしきことでした。これから一〇〇年後には銀河系問コミュニティで、ほかの惑星にアウトソーシングしていることでしょう。先のことはわからない。だが保護主義になってはいけません」

ワシントンはお役所流すぎると認め、法律や事務手続きの煩雑さを滅らすと約束した。だが中国のことになると、聴衆はいらだった。中国は低コスト品の製造者にすぎない、とフリンクは主張した。中国にブランドはない。アメリカ企業はブランドカを高めることで対抗できる。フリンクがカリフォルニアで、絨毯の会社を経営していたときのように。ホワイトハウスの納入業者である事実を頼みにして、フリンクは中国で指折りの「重要な建造物」に絨毯を売ったという。中国人は絨毯一平方メートルと引きかえに、ビルが建つ土地代より多くを支払ったのだ。

当局は、中国を変動為替相場制に近づけるよう働きかけている、とフリンクは言う。しかし、わが国のメーカーが要求してきた大幅な人民元の切り上げは約束できない。そう、中国の知的所有権の侵害は問題と認識しているが、ホワイトハウスはできるだけのことはしている。優秀な専門家を集めて北京の大使館付の反著作権侵害チームに任命し、フリンク自身も北京に行って、メッセージを強めてきた。訪中で具体的な成果があったかどうかは計りがたいが、相手の反応から判断するに、率直なアプローチに好意をもったのではないか。「中国人は言いましたよ、『あなたは単刀直入ですなあ、白人さん』と」

しかし、ここでは聴衆は笑うのをためらい、噛み殺した。食事がすんでホールからぞろぞろと出ていく客から、がっかりしたつぶやきと不満の声が聞かれた。なんでアメリカ工業の王ともあろう者が、全米の中小企業を倒産させ、三〇〇万人を求人市場に放りだしたアウトソーシングの波を支持できるのか?

マンズー口は私の理解を助けてくれた。このロックフォードの食事会には欠けているものがある。『フォーチュン』の五〇〇社ランキングに出るような大企業だ。アメリカの巨大多国籍企業は、アウトソーシングから利益を得ている。また製造部門に対する国の政治的態度をコントロールしている。連邦議会のほぼ全員に選挙資金を提供している。多国籍企業がアウトソーシングはアメリカにとって望ましいと言えば、それは望ましいのだ。一般の有権者が望ましくないと投票によって思い知らせるまでは。

「市場シェアをたっぷり中国に食われ、ここの連中の多くが廃業に追いこまれたのはそのせいだ」とマンズー口。「それでも〈ボーイング〉社は、イリノイの北部に、二億五〇〇〇万ドル企業として君臨している。そして〈ボーイング〉機の最大の顧客は中国だ。この件で争うためには、正しい戦略を立てなければならない。なぜなら、中国は〈ボーイング〉のような企業の製品を買えるほど好景気なはずなのだから」

問題なのは、その〈ボーイング〉が多国籍企業のつねで、製造過程の一部を中国やほかの低コスト国に移管することで、大いに経費節減できるよう働きかけてきたことだ。それは株主へのリターンを最大限に高めるのに必要なことだった。だが、そうすることで、ロックフォードの食事会に集まった長年つき合ってきた小規模な納入業者の多くを、廃業の危機に追いやっていた。そのプロセスはますます強化されていくものだ。〈ボーイング〉がアウトソーシングを増やすと、そのぶん早く下請けの工作機械メーカーが倒産し、中国の競争相手に必要な技術を、そして〈ボーイング〉のような企業に有利な供給元を買うチャンスを与えてしまう。〈ボーイング〉は利益を得るものの、結局はアメリカ中西部を支える産業と雇用を犠牲にしている。エリック・アンダーバーグの考えでは、資本主義は共食いに陥ったのだ。

「アメリカは強欲さから内部分裂するだろう、とレーニンは言った。知っている? レーニンは正しかったんだよ」(P125〜P134)


(私のコメント)
昨日のクローズアップ現代では例によって中国進出大キャンペーンを行なっていましたが、題して「アジアのボリュームゾーンを狙え」と言うことです。国谷キャスターが言うにはもはや欧米の市場は狙えないから中国に活路を見出せという事です。番組ではダイキンが中国市場に本格参入するために中国企業と合弁すると言うことですが、代償としてインバーターの技術を提供するそうです。

しかし中国企業は技術を手に入れたらダイキンを追い出して、新技術の新型クーラーを格安で売り出すだろう。このようにして中国は13億の巨大市場を餌にして世界の先進企業の技術を手に入れてきた。中でも中国の経済発展にもっとも貢献しているのはアメリカのグローバル企業であり、「中国が世界をメチャクチャにする」ではボーイング社を例にあげている。

アメリカのロックフォードは東京や大阪の下町にあるような機械工業部品の生産地だった。多くが数十人規模の中小企業であり自動車のエンジンを作る精密工作機械など高い技術力を持っていた。そこに中国企業が三分の一の価格で部品の販売攻勢をかけてきて、一つまた一つと伝統ある金属加工会社が倒産して行った。そして倒産した会社の機会や設計図や操作ノウハウを中国が買いあさっていった。

アメリカ政府はこのような国防上も影響のある中小企業を保護する事もなく見捨てて、300万人もの雇用が失われていった。GMやクライスラーが新世代の自動車が作れなくなったのは、このような中小企業が倒産してなくなってしまったからであり、GMやクライスラーは中国の安い部品で自動車を作るようになった。

ボーイング社も世界最大の航空機メーカーですが、安い部品は中国から輸入して組み立てている。GMやボーイング社のようなグローバル企業から見れば、国内で生産するよりも人件費がただのような中国で部品を作ったほうが合理的だ。中国は広い国土と膨大な人口を持つから自動車や航空機の巨大市場になる可能性がある。事実中国は世界一の自動車大国になった。

中国の自動車メーカーは400社もあるそうですが、自動車が国産化できるようになったのも早くからアメリカのメーカーの下請工場として部品を作ってきたからであり、アメリカのグローバル企業は日本やヨーロッパと対抗するには中国の安いコストで対抗する必要があった。だからアメリカは中国の人民元の切り下げにも協力した。80年代は1ドル2元が90年代には1ドル8元にまで切り下げられた。GMやボーイングにとってはその方がいいからだ。

アメリカ政府は国家戦略として製造業は切り捨てて金融立国を目指した。1997年のアジア金融危機はアメリカが仕掛けたものであり、アメリカ資本は倒産したアジアの企業を買いあさった。韓国の主要銀行はすべて外資に買収されて経済植民地になってしまった。物作りは中国や韓国や台湾に任せて金融で稼ぐのが一番効率がいい・・・はずだった。

しかしアメリカはバブルは破裂して金融立国戦略は破綻した。しかし製造業はロックフォードの例を見るまでも無く会社は倒産して熟練工もいなくなった。新製品を作ろうと思っても国内では作る事が出来ない。製造工場がいったん無くなれば元に戻す事はできない。工場は海外に自由に移転させられるが、人は移す事ができない。失業した熟練工は時給7ドルのウォルマートの販売店員になるしかなかった。

この光景は現在に日本で起きている光景と同じであり、トヨタやキヤノンといったグローバル企業は工場を中国に移転して国内は空洞化してしまった。経済的にはそれが合理的なのでしょうが、中国はアンフェアな国だ。技術を手に入れたら格安で販売攻勢をかけてくるだろう。NHKはアジアの巨大市場を手に入れるには技術を移転させていくしかないと言うのでしょうが、アメリカと同じ道を行けと言うのだろうか? 




鳩山民主党政権は、会見開放という自分の足下の改革すらできない
のであれば、霞が関全体の官僚打破なんて到底できるはずがない。


2009年9月17日 木曜日

鳩山内閣早くも公約違反? 隠れた官僚支配の温床壊せず 9月17日 日経ビジネス

2002年、当時幹事長だった岡田克也氏(外務大臣に就任)が、週刊誌やスポーツ紙、海外報道機関、フリージャーナリストなど広くに記者会見を開放し、以降「どなたでも参加いただけます」とのスタンスを貫いてきた。

 そのスタンスは民主党が政権を取ることが確実となった総選挙以降でも変わらない。投開票日の開票センターの会見や、連日、民主党本部で開かれた会見は、広く、国内外のメディアに開放された。

 しかし、場所が官邸に移った途端、事情が変わった。会見への参加が許されたのは、内閣記者会に加盟する各社の記者、海外メディアの記者10人程度、そして、日本雑誌記者会に加盟していて、国会記者証を持つ5人の雑誌記者である。上杉氏は、官邸の外にいた。

 断っておくが、この話は「大手メディアvs在野メディア」という対立構図で描こうとしているわけではない。「新政権vs官僚」という対立構図が、早くも透けて見えるのだ。

「就任会見はこれまでとは違って官邸主催になりますので。えっ、雑誌は5人なんですか? 知りませんでした…。一応、従来の党本部での会見のように、雑誌、海外、ネットを入れてくれと要求はしたんですがね…」

 つまり、今回の就任会見では、“主権”が民主党ではなく、内閣官房という組織に属する官僚の手に渡ってしまった。その結果、オープンな会見が実現されなかったということである。

 なぜ、オープンな会見が必要なのか。記者クラブ加盟社以外の媒体やジャーナリストによる恨みつらみだととらえると、本質を見誤る。上杉氏は、語る。

 「別に記者クラブが悪いという話じゃない。政府の会見を開放してくれと言っているんです。記者クラブに限定した会見が、官僚とメディアの馴れ合いを生み、メディアは官僚に都合がいいように利用されてきた。その体質から脱却することが、脱官僚の入り口なんです」

「官僚制の中に記者クラブが組み込まれている」

 上杉氏の見立ては、こうだ。

 日本の官僚組織は、首相官邸から省庁に至るまで、記者クラブという組織に独占的に取材をさせる「特権」を与えて来た。そうすることで、役人の思惑に即した発表を横並びで一斉に国内外へ流布することができ、コントロールもしやすい。会見以外の個別の「リーク」を利用すれば、意に反する報道を抑えることもできる、と。

 具体的に、どういうことなのか。上杉氏はこう説明する。

 「例えば、国土交通省が道路建設の需要統計の紙を記者クラブに出すわけですね。だから、道路建設が必要なんだと。役所が記者クラブに紙を投げた以上はそれが事実で、それがニュースになる」

 「普通、世界の報道機関は、需要統計が事実かどうか、道路が本当に必要かどうか役人を疑うわけですけど、日本の場合は官僚制の中に記者クラブが組み込まれているので、批判や検証はなかったわけです。政治家もそれに乗っかった」

 「農水省の戸別補償だって、民主党はできると言っていたのに、役人ができないと発表して、どんどんとできない雰囲気を広めていく。そうすると政治家も、データを持っている役所がそう言っているんだからと、気付かないうちに、マインドコントロールされてしまう。こんなことは、海外では100%起らない」

上杉氏の言うように、報道機関による自主組織、記者クラブに限定して会見や情報公開を行う政府は、先進国の中で日本くらいである。

 例えば米国では、ジャーナリストであれば誰でもホワイトハウスに取材申請をすることができ、ホワイトハウスやシークレットサービスによる身分確認が終われば、フリージャーナリストだろうがパスが与えられ、会見への参加や政府内での取材活動が認められる。

 上杉氏は、閉ざされた会見は、官僚支配の温床という弊害を生むだけではなく、国民の「知る権利」を毀損していると続ける。

 「国民の知る権利、情報公開の見地からいっても、より多くの記者、あらゆる価値観を持った人が質問の機会を持ち、権力側に問う方が、情報が出てくるわけです。多様化した質問が出れば、それだけ権力の思惑、あるいは隠そうとしていることを知るチャンスが増える。それを、役人は記者クラブを利用して防いでいるわけです」

「政府自ら身分確認をしない今の方が、よほど危険」

 上杉氏は、10年間、政府の会見の開放を訴え続けてきた。民主党の幹部から直接、「開放」の言質も取った。いよいよ政権交代。万感の思いで、鳩山内閣発足の日を迎えたが、その思いは裏切られた。特に、最初の会見に、大きな意味と意義があると考えていただけに、裏切りの気持ちは強かった。

 「日本の官僚組織は横並びなので、その頂点である官邸が会見を開放するとなれば、雪崩を打ってその下にある各省庁の会見も開放されるはずです。そうすれば、地方自治体や警察組織など全国に3000も5000もあると言われている記者クラブに限定した会見も、順次、開放される。だから、10年前から、官邸、そこしか狙っていません」

 だが、内閣官房の内閣報道室は、決まって記者クラブに限定する理由を、スペースの問題と危機管理の問題に求めてきた。しかし、これは詭弁だと、上杉氏は訴える。

 「スペースの問題は、今の民主党の代表会見の場より、官邸の会見場の方がよっぽど広いわけですし、いざとなったら2回に分けてもいいわけですよね。危機管理は、むしろ今の方が危ない」

 「例えば僕が米国でオバマ大統領の会見に参加したいと申請したら、ホワイトハウスが、こいつはどういう人物か、本当にジャーナリストか、過去の記事はどうか、犯罪歴などブラックリストに載ってないか、というのを調べてパスを出す。ところが日本は、官邸が精査せず、人選は各報道機関に投げちゃっている。中には、下請けや契約社員の人間もいるわけで、その方が、よほど危険だと思います」

「一気に開放するわけにはいかなかった」

 そして、上杉氏は、こう言い捨てる。

 「民主党政権は、会見開放という自分の足下の改革すらできないのであれば、霞が関全体の官僚打破なんて到底できるはずがない」

 ただ、民主党としても、言い訳がある。民主党本部の報道担当は、こう話す。「初日から一気に開放するわけにはいかなかった。とにかく、今後とも、内閣官房などと交渉しながら、開放の要求をしていきたい」。

 確かに、風穴は空いた。日本雑誌協会の渡辺氏によると、「記憶の限り、雑誌記者が首相の就任会見に入ったことはないと思う」。今回は、結果として、朝日新聞社から、アエラと週刊朝日、新潮社から週刊新潮の記者が入った。だが、質問は禁じられた。渡辺氏は語る。

 「今回は、フリーの記者から見れば、雑誌記者会が特権を利用したことになるし、国会記者証という制限や、質問禁止という障壁も残った。これから本当にオープンな会見を求めて、ちゃんと交渉をしていきたい。これからです」

 現時点で「公約違反」だと断じるのは早計かも知れない。が、このまま来年の参院選まで事情が変わらないのであれば、それは1つの裏切りを国民の前でしたことになる。

 「会見も政府主導に変えました」――。何と分かりやすい変化だと思うのだが、行く末いかに。



(わたしのコメント)
昨日は鳩山新総理大臣の記者会見が行われましたが、特にこれといった変った点もなく終わりましたが、記者クラブ解放はどうなったのかという点が気になったので見ていましたが、外人記者が2,3人見られた程度で、いつもの調子の記者会見だった。質問する記者もいつもの大手新聞社の記者たちであり、官邸官僚が仕切っていたから同じなのだろう。

一番最初の仕事から官僚任せの記者会見をやっているのだから、小沢幹事長や鳩山新首相の以前の話はどうなったのだろう? これでは官僚主導の政治を打破すると言っても結局だめでしたということになるのが目に見えている。大手マスコミも記者クラブ制度がないと既得権が無くなるので必死に既得権を守ろうとする。つまり官僚と大マスコミは利害が一致している。

民主党にしても官僚と大マスコミを敵に回すのは得策ではないと考えているのだろう。しかし国民に対しては官僚と戦っていますというポーズはとり続けなければならない。そうしなければ鳩山内閣の支持率が落ちてきて自民党内閣と同じ事を繰り返す事になる。公務員制度改革にしても民主党がどれだけ切り込んでくるか官僚たちはじっと見守っているのでしょうが、骨抜きに出来ると見ているのだろう。

記者会見の開放はそれから見れば小さなことであり、記者クラブ以外にも解放しますという民主党が発表すればいいだけの話だ。問題は平野官房長官が開放に否定的な態度なので一部外人記者や雑誌記者に開放したに止めた。記者会見場で記者クラブの記者しか会見できないと言うのはおかしな事であり、他のメディアの記者にも開放するのが常識だ。つまり記者クラブというのが大手メディアの利権になってしまっている。

官僚たちも記者クラブを通じて情報を統制しやすくなり、掟破りをする新聞社が現れれば排除する事で統制することが出来る。昔ならそれで情報を独占して記事にしていればよかったのでしょうが、ネットは新聞やテレビよりも情報を早く流す事ができる。だから大マスコミはネットを目の仇にする。

「株式日記」のブログでも大きな出来事が起きるとアクセスが増えますが、読者も大マスコミが報道しない情報を求めてアクセスしてくるのだろう。速さや質や量においても新聞テレビよりもネットの方が有利なのであり、新聞は時間やスペースの制約があるしテレビは映像や音声などの材料が無いと番組にならない。だから何か大事件が起きるとネットにアクセスが集中する。

今回の選挙で民主党が勝利したのも、自民党ではしがらみがあって改革できないからですが、民主党が政権をとったら記者会見もオープンにすれば国民に対して大きなメッセージになったはずだ。しかし昨日の記者会見は従来の首相会見となんら変わるところがなかった。権力を持ってしまえば攻めから守りに変わるから自民党政治を踏襲するのだろうか。

民主党が官僚主導の政治を打破するというのなら、広報も民主党主導でなければ出来ないのでしょうが、官邸に丸投げしてしまったようだ。細川内閣の細川首相は記者会見でも自分で質問者をボールペンを使って指差していましたが、鳩山首相は官邸の司会者任せで仕切られていた。

結局は大マスコミを敵にすれば叩かれるということで民主党は妥協してしまったのだろう。これでは官僚に対しても妥協に妥協を重ねて官僚丸投げ政治になってしまう。そうなれば天下りどうのこうのは国民の失望に変わるだろう。上杉隆氏に寄れば官邸の記者会見が変われば各官庁の記者会見もオープンになって行くと見ていましたが、官邸の記者会見が変わらなければ他も変わらない。

もし記者クラブの独占からオ−プンな記者会見が実現されればブロガーも参加できる事になり、ネットのジャーナリズムも活性化されるだろう。自分でハンディのビデオカメラを持ち込んでの実況中継も出来るし、ネット中継は世界に配信が出来る。それが出来れば報道を通じて民主党の新しい政権で日本が変わる事を世界にアピールできる事になる。

民主党は事務次官会議を廃止して、事務方の記者会見も行わない事にしましたが、大臣がどの程度会見に対応できるかにかかりますが、これからの記者会見を注目して見なければなりません。




日本の政治家はアメリカの大統領に話を伺いに行くだけでなく、
説教することが大事です。きちんと諭してやらないと気の毒です。


2009年9月16日 水曜日

小泉・竹中構造改革路線を問う 2008年6月13日 藤原正彦 城内実

城内 今日の話の中心は、小泉・竹中構造改革路線は一体何だったのかになろうかと思います。振り返れば、目茶苦茶な郵政解散選挙で、小泉チルドレンが大量に当選して衆議院で自民党が三分の二以上を占め、郵政民営化法をはじめ重要法案を強行採決で通しました。今回の後期高齢者医療制度もその流れです。しかし、今だに小泉待望論が根強いのが不思議です。

藤原 そこです。国民につける薬はありません。

城内 自分で自分の首を締めるような選択を先の総選挙でさせられておきながら、まだ気がつかない。

藤原 私は、テレビ出演はほとんど断っていますが、たまたまお付き合いで出演したテレビで、今の日本人を「我が国史上最低の国民」と言ったのです。そうしましたら、もの凄い反響があり、「よくぞ言ってくれた」というのが大多数でした。

城内 猛反発されたのかと思いましたが。

藤原 良識ある人は分かっているのです。

城内 小泉・竹中構造改革の路線について話を伺います。私はいろいろな機会に、この構造改革はインチキだから、改革を片仮名でカイカクと言っています。また、オウム真理教、イスラム原理主義をもじって、「カイカク真理教」、「カイカク原理主義」と称しています。また、私が尊敬しているノンフィクション作家の関岡英之先生は、「改革」は英語で「リフォーム」だから、「リフォーム詐欺」と呼びました。まったくやる必要のない改革を国民を騙して行い、結局は国民にツケを回しているのです。小泉・竹中構造改革路線とは、一体何だったのか怒りさえ感じます。バブルのような小泉チルドレンたちによる強行採決で何でも法案を通しました。今ごろになって、「何でこんなことになっているのだ」と自民党の国会議員でさえも嘆いています。郵政民営化についても、良識ある議員が「何でこうなったんだ」と小泉・竹中さん達が宣伝した内容とあまりの違いに今頃になって気づいて、一生懸命勉強し始めたようです。

藤原 大体、気がつくのが遅いですよ。

城内 私も当時は森派でしたから、郵政民営化は世の中の流れとして当然なのかなと最初は思っていました。しかし、勉強すればするほど、株主主権の一私営企業ではなく、国民共有の公社のままにしておいた方が良いというあたり前のことに気がついたのです。
それでも国民は何か変えると思っても、まだ気づいてはいません。最近、私が言っていることは、民営化して市場に出せば早晩外資に乗っ取られるということです。百歩譲って民営化するにしても分社化の経営形態は最悪です。
私はやはり三事業一体の郵政公社の経営形態が最善と考えています。

藤原 公社でやっていくとまずいことでもあったのですかね。国家公務員といっても税金は一円も使っていない。何のために民営化したのか意味不明です。

城内 問題のすり替えです。民営化すれば税金をとれる、サービスがよくなるとの言に屈したのです。

藤原 あの時の国会は印象的でした。私もテレビを見ていましたが、安倍さんが土壇場の投票の時に、城内さんを本会議場の隅に呼んで説得していましたね。テレビがそれを追っていて、私もその時初めて城内さんの名前を知りました。安倍さんは本心はともかく立場上、郵政民営化に賛成せざるをえないと思っていましたが、城内さんは相当厳しい選択を迫られたと思います。それでどうなるかとテレビを見ていたら、城内さんは意志を通して反対票を投じた。その時から、私の家族全員、城内ファンになりました。
郵政改革をはじめ小泉・竹中構造改革のことを、リフォーム詐欺というのは素晴らしい表現ですが、私は一つの革命だと思っています。共産革命みたいなもので、いわば市場原理主義による革命です。リフォームというより、よくぞこれだけ日本を壊したなとの想いだけです。
ただ私は、小泉氏が憎いというより、国民が憎い、そして小泉・竹中両氏を徹底して支援したマスコミが憎い。その中でも許せないのは、解散総選挙で同じ党でありながら城内さんはじめ郵政民営化反対議員を公認しなかったばかりか刺客まで送り込んだことです。日本人の精神的支柱である武士道精神の中核ともいうべき、、相手を思いやる「惻隠(そくいん)の情」にまったく欠けたことをしたのです。さすがに当初はマスコミも「そこまでやるか」の論調でした。ところがきれいな女性や受けの良い候補者を送り込んできたので、今度はマスコミも批判するでもなく、劇場型のワイドショーのような選挙になってしまった。国民もそれに浮かれた。教育に良くないことが現実に行われたのです。
今まで党で一緒にやってきた仲間を、公認しないまではいいとして、刺客まで立てるとは言語道断です。こんなところを子供に見せたら、子供のいじめなんか無くならないのも当然です。それを国民が支援した。とんでもないことです。郵政問題も教育問題も本当に悪いのは国民で、よくぞここまで祖国ニッポンを壊してくれたと、国民は私にとって真の敵になってしまいました。
郵政民営化で成功している国はどこにもありません。他の構造改革と称するものもみな同じです。市場原理主義だって、それ一本槍で長期繁栄している国があるかというと、そんな例はどこにもありません。アメリカだってサブプライム問題で転び始めました。郵政改革は国民が支持した間違った革命なのです。

城内 郵政民営化にしても、このままいくとおいしいところはみんな外資に持っていかれてしまいます。結局、郵便事業という赤字体質の事業だけが取り残されて、国民の血税で賄わざるを得ないということになりはしないかと心配しているのです。ニュージランド、ドイツなど失敗例がいくらでもあるのにそれを学ぼうとせず、強行に押し通してしまいました。
もう一つ私が恐れているのは、やはりアメリカの圧力によって日本の国民皆保険制度が壊されないかということです。アメリカの社会問題になっているのは、銃と麻薬と医療保険です。そのアメリカですら、日本の国民皆保険制度を視野に入れる学者や政治家がいるほどです。それがアメリカ政府をバックに医療保険会社が規制緩和を迫り、規制緩和という美辞麗句のもとに医療分野に止まらず、他の分野も規制緩和しようとしています。諸外国で失敗した例がいくらでもあるのに、それに学ぼうとしないのです。

藤原 私が不思議に思うのは、そういった勢力が郵政民営化に関して城内さんたちと賛成、反対に分かれたのは分かりますが、その他の問題でも城内さんたちとは正反対の立場をとっているということです。医療改革しかり、教育問題しかりです。普通はデコボコがあって、あるところでは共感し、あるところでは志を異にするというものです。

城内 意識していませんでしたが、言われてみれば確かにそうですね。

藤原 それは祖国に対する想い入れの差かなと思います。
医療のことに話を戻しますが、二〇〇〇年のWHOの調査では、日本の医療は世界一位、アメリカは十五位でした。アメリカの国民一人当たりの医療費は日本の倍以上です。聞こえてくる話では、アメリカでは五千万人が保険に加入してないという。赤ん坊が病気をしようものなら自宅での看病で精一杯です。アメリカ人は日本人の半数は貧乏だから皆保険に頼らざるを得ないのだろうという。それはとんでもない間違いなのです。日本の国民皆保険制度が壊れるなんてとても信じられない話ですけど、「そんなにひどいことにならないよ」と呑気に構えている、実に困った国民です。
私の昔の同僚で、ペンシルバニア州立大学の教授をやっている人が私の家に泊まりに来たことがありました。彼の奥さんが喉の大手術をされたそうです。そうしたら、奥さんの入院代は一日二、三十万かかるのですぐに退院せざるをえませんでした。仕方なく病院近くのホテルに夫婦で泊まり、毎日ホテルと病院を往ったり来たりということになりました。ホテルも安くはないのでしばらくして自宅に戻りました。気管の病気で一晩中咳きこむものですから彼も眠れない。それで数学を教えるどころの騒ぎではなくなって、とうとう大学を一年間休職することになりました。その人は六十代の世界的にも有名な教授です。そんな人でさえ入院費、治療費は大変で、大学を休職せざる得なくなるほどなのです。もちろんその教授は保険に入っていました。ただ、保険にはいろいろな制約があって、ここまでは保険でカバーするが、これ以上はカバーできないという取り決めがあるのです。保険料もどこまでカバーするかによって違い、彼もかなりの保険料を払っていたにもかかわらず、いったん病気をすると医療費の自己負担は相当のものなのです。

城内 国民のための仕組みではなく、あくまでも保険会社のための仕組みなのですね。
私はまだ世界の三十数か国ほどしか訪問していませんが、間違いなく日本の郵政の郵便局ネットワークサービスは世界第一位であったし、あるいはまだかろうじて一位かもしれません。医療制度にしてもダントツの一位だし、治安も世界第一位だったはずです。それなのに不思議なのは、自らが壊し、折角の世界第一位の座を譲ろうとする。まさに悲劇というか喜劇です。

藤原 日本人が分かっていないのは、日本は世界の中で、非常に変わった特殊な国であるということです。医療にしても、外国がこれを真似して採り入れようとしてもほとんどやっていけません。たとえば、医者が金儲けに走ったら、頭が痛いというだけの人にCTスキャンなど高額な検査を片端からして何十万円と請求します。しかし、日本の医者はそれはしません。中には悪らつな医者もいることはいるけれども、ほとんどの医者はそうした利己心がないのです。そうした医者がいて、日本の医療制度が保たれてきたのです。
日本人は医者の人格を信用する。要するに医者は神様のような人という前提の下で皆保険が成立しています。これは日本にしかできません。会社の雇用にしても会社への忠誠心と引き換えに終身雇用する。これも世界にほとんど例はありません。また、郵政だってそうです。郵便局で働く人は、汗水たらして山奥のおじいちゃん、おばあちゃんのところへ行って、千円の貯金をもらってくる。中には、いろいろ人生相談にのってあげたりする。
日本というのは何もかもが特異な国で、日本人にしか適応できないやり方で何もかもうまくやってきたのです。ある意味では、日本は国柄だけでやってきた国で、他には何もありません。そうした特殊性を忘れて世界のスタンダードに合わせようとすると、日本のよさが全て失ってしまうのです。国柄を壊したら何もかも目茶苦茶です。
日本人は生物学的能力から言えば、中国や朝鮮と同じと思います。それなのに、文学にしても数学にしても理論物理にしても、日本がダントツに抜きんでています。ノーベル賞の受賞者を見ても明白です。それは、日本の特殊な国柄がもたらしたものなのです。(中略)


藤原正彦先生との対談の後編をアップします。 2008年7月7日 藤原正彦 城内実

城内 農業の振興は先生のおっしゃるとおりです。それにしてもヨーロッパの食料自給率は高いですね。私が十年近く生活したドイツなどは九八パーセントです。

藤原 そのドイツにして、一九六〇年当時は今の日本のようにせいぜい四〇?五〇パーセントでした。そこでドイツは一念発起してそれまでになりましたが、イギリスもフランスも自給率を高める努力をしてきたのです。

城内 私は外国での生活が長い中で、ヨーロッパの豊かな田園風景は特に印象的です。日本に戻ってきて、私の選挙区であり祖父母のふるさとでもある浜松の自然が破壊されていくのは、本当に心苦しい限りです。後継者がいないから休耕田は荒れ放題になっている。日本のこれまでの農地、田園風景が何ものにも代えがたいことをほとんどの人が気づいていない。どうしたらよいか胸が詰まります。

藤原 六、七年前に竹中氏などは「シンガポールを見習え、経済発展が目覚しい」と言っていました.。しかし、シンガポールからはノーベル賞受賞者はでていないですね。行ってみれば分かりますが、全くのコンクリート・ジャングルで美しい自然は見当たりません。コンクリート・ジャングルからは美しい文学や詩や数学は出てこないのです。日本が見習う国ではないのです。
いかに美しい自然が大事かということです。日本が世界に誇るべき美しい自然、美感が文学や数学を育ててきたのです。知能指数も偏差値も関係ない、美的感受性が最も重要なのです。ですから、国家の在り方を百年スパンで考えて、えこひいきをしても農業を、美しい田園を守るべきです。
しかし、政治家も官僚も国民もその重要性を分かっていません。目先のことばかりを追いかけ、より効率的な産業に参入すれば国際収支が良くなるだろうと考える。五年先、十年先だけなら結構ですが、百年スパンとなると国は確実に潰れます。
二十一世紀になったばかりですが、城内さんの言われるとおり、国内の農業を振興して自給率を高めるべきです。そうすれば食糧問題も環境問題も真剣に考えるようになります。自然が豊かになれば健康も良くなり、美しい情緒に満たされれば惻隠の情も一挙に蘇ります。

城内 今、世界の情勢に目を転じると、中国のチベット問題があり、アメリカはアフガニスタン、イラクに次いでイランに戦争を仕掛けようとしています。
そろそろ二十一世紀の世界をリードしてくれる良識あるリーダーがでてほしいです。

藤原 日本人は自信と誇りを失っているから何もできないですが、 それよりも、日本の政治家はアメリカの大統領に話を伺いに行くだけでなく、説教することが大事です。
私は先ごろ外国人記者クラブで講演をしました。その時、「欧米は最近、図に乗っている」と、先程話したようなことを相当強く説教しました。説教しないと気がつかない。きちんと諭してやらないと気の毒です。
アメリカ人にしてみれば、これほど善意を持って接しているのに、どうして世界中から嫌われているのかと思っています。ロシア人の一人ひとりは素晴らしいのに世界中から嫌われている。それはともに政治が悪いからです。
アメリカやロシアがどうして世界中から嫌われているのかを友人として諭すことが大事なのです。
やはり、二十一世紀の中心になるのは、アメリカ、イギリス連合でしょう。二十一世紀を見据えてアメリカを説得することが何よりも求められていると思います。

城内 それが土下座外交では情けないと思います。まず、政治家から目覚めるべきだということですね。

藤原 今回のサブプライム問題について、その大元であるデリバティブは六京円になっている。デリバティブのうちリスクの高いものを専門家に聞くと「四、五パーセントくらいかな」と軽く答えるが、六京円の五パーセントは、三千兆円です。世界経済はすぐさま崩壊です。
第一次産業とは全く離れたこのような危険なものを野放しにすることは許されません。しかし、残念ながら現在、世界をリードする指導者、大政治家はおりません。共産主義に勝利してその余勢をかって市場原理主義を推し進めたのはいいけれど、振り子のように振れ出してそのうちに綻んできた。資本主義は欠陥だらけで、かといって共産主義は論外です。
今、待望されるのは、経済、政治の分野におけるアインシュタイン級の天才が世界をリードして二十一世紀に合った体制を作って欲しいということです。環境とか、健康、福祉などにも目が行き届いた体制です。

十九世紀だったら慌てる必要はありませんが、現在は科学技術が進み過ぎてゆっくりしていると地球が壊されかねません。緊急を要する問題に全体がシフトする方向転換が必要なのです。
霊性を念頭においた世界の方向転換ということでは、日本は、主導的な立場をとるべき国なのです。

城内 日本の使命はそこにしかないと思えるくらいの特徴を持った国なのですね。私は最近、家族に自給自足のための農作業をしようと話しています。食料は、理屈抜きに自給自足にしないと日本は駄目になってしまうのではないでしょうか。

藤原 それには「たかが経済」という価値観の転換が必要です。経済成長はあったほうが良いが、それよりも大切なものがあるという視点が今の経済学者やエコノミストにほとんど欠けている。いかにして不況を脱するか、そればかり考えている。小さな視点でやろうとするから泥沼にはまり込む。それで十年です。イザナギ景気を越えたなどというのは大嘘です。大きな視点で考え直し、農業振興、環境保全に力を入れて世界の見本になることです。日本には、江戸時代というモデルがあります。

城内 先生がおっしゃるとおり価値の転換こそ大事です。長期的な視点から、土地で取れたおいしい食べ物、豊かな自然、澄んだ空気、清らかな川の流れ、トンボが飛ぶのどかな田園など、みんなが毎日享受できるような社会が二十一世紀に求められているのではないでしょうか。

藤原 竹中氏は日本を金融大国にしろといいますが、あきれてしまいます。日本は、歴史的に見てもモノづくり大国です。工夫力、独創力、そして美的感受性が超一流で、世界でも図抜けています。一五四三年に種子島に鉄砲が伝わりました。それから僅か三十年後には、信長が鉄砲を大量生産している。あっという間に工夫し、独創力を加えて、当時世界でも最高水準の鉄砲を造りだしたのです。
要するに日本は金融大国や外交大国になれません。国民性に合わないからです。日本の真の強さの発揮を壊すような策謀に流されないように、日本の国柄を守っていくべきです。(後略)



(私のコメント)
民主党の鳩山内閣が今日発足しますが、自民党が野党に転落するきっかけを作ったのが小泉竹中構造改革路線です。マスコミを巻き込んでの大キャンペーンに国民もそれに踊ってしまった。小泉改革を支持した小泉信者達はどこへ消えたのだろう? そして民主党政権が出来て、窓際に立たされていた亀井静香氏が郵政金融大臣に復帰しましたが、政治の世界は何が起きるか分かりません。

城内実議員も、小泉首相に反旗を翻して自民党から追放されて、郵政選挙では刺客まで送られて落選してしまった。藤原正彦氏も小泉首相を武士道精神に反するとお怒りですが、マスコミはその刺客をもてはやして当選させてしまった。まさに城内候補を落選させて刺客を当選させた選挙区の人は日本の恥なのです。

マスコミは毎週のように世論調査しては小泉内閣の高い支持率を報道し続けた。小泉内閣を批判すれば抵抗勢力とみなされる事を皆恐れるようになった。小泉チルドレン達は意味の分からない法律を次々成立させていって日本をおかしくしてしまった。郵政民営化法案もその一つなのですが、四分社化して郵貯と簡保を外資に売りさばくのが法案の目的だ。

竹中大臣は日本を金融立国になるべきとして市場原理主義を日本に取り入れようとした。市場原理主義に則ればダメな銀行は潰せということですが、長銀や日債銀は潰されて外資に売り飛ばされた。郵政の民営化もその流れにあり、最終的には健康保険制度もアメリカのように国民皆保険は廃止されて民営化された保険会社の保険に入らされるようになる油になったのかもしれない。

しかしアメリカのオバマ大統領は国民皆保険を取り入れようと苦労している。郵便制度も国営だし、アメリカ政府がやろうとした事は自分たちが理想とする国民皆保険制度をぶち壊し、郵便制度を民営化して地方の郵便局を無くそうとしていた。そこまでアメリカ政府に日本が引っ掻き回される必要がどこにあるのだろうか? 

食糧問題にしてもミニマムアクセス米をアメリカから輸入していますが、輸入する必要の無い米だ。食料自給率が年々下がり続けているのに減反政策で休耕田は広がり続けている。農業だけが近代化から取り残されて兼業農家が八割を占めていては農業の近代化は進まない。専業化して最先端の技術を取り入れた農業を目指すべきなのだ。

竹中平蔵は日本を金融国家にしようとしましたが、アメリカのような国家的なネズミ講が出来るようなペテン師国家なら金融立国もいいのでしょうが、真正直な日本人には向かない。小泉純一郎や竹中平蔵やホリエモンなどは日本人には珍しいタイプの日本人であり、最終的には信用されなくて選挙でも民主党に大敗北を喫するきっかけとなった。

アメリカは日本が見習ってはいけない見本のような国ですが、石油は掘りつくされつつあり、農業も地下水の汲み上げすぎで農地は乾燥化が進み、カリフォルニアでは毎年のように山火事が発生して被害を出している。オーストラリアもそうだ。彼らは自然を破壊しつくして国土を砂漠化させてしまう。市場原理主義を取り入れれば金がすべてだから金の為なら自然を破壊して砂漠にしてしまう。

藤原正彦氏が言うように、21世紀をリードする良識ある国家の出現が望まれていますが、日本の政治家にそれだけの見識があるだろうか。小泉首相のようにブッシュ大統領の前でプレスリーの真似をしておべっかを使うような政治家を日本国民は支持したのだ。だから藤原氏は日本人を真の敵と呼んだ。



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