株式日記と経済展望

ページを繰り越しましたのでホームページからどうぞ。


2003年に日本の株式市場は長期下落トレンドから
長期上昇トレンドに転換した可能性が非常に高い。


2005年10月15日

2020年に日経平均が10万円 10月7日 ケンミレ株式情報

日経平均が10万円になるための条件は、第一に米国経済と米国株式市場の本格的な後退、第二に円が1ドル=50円になることの2つです。

1990年代の世界の動きを見ますと、株式市場と政治に特筆される動きがありました。政治では東西ドイツの統合やソビエト連邦の崩壊、東欧の民主化、そして現在の発展の基礎となった中国の民主化などでした。
これによって、政治体制に関する対立である東西対立から、民族・宗教の対立である南北対立の時代に入り、本格戦争時代からテロの時代に入りました。

主義の対立と宗教の対立では、当然ですが宗教の対立の方が厳しくなります。
南北対立が増殖し始めた理由のひとつに、東西対立がなくなって次のターゲットが必要(独断と偏見ですが)な米国が、南北対立を仕掛けたことがあると思います。そして、その仕掛け通りに21世紀は『南北対立=テロの時代』に入りました。

株式市場の世界も1990年以降の動きとして見ると、1989年には世界の時価総額の30%近くを占めていた日本の株式市場とごく一部の小さな株式市場が下落トレンドに入り、米国や欧州など主要先進国中心に世界の時価総額の70%を占める多くの株式市場が、米国のドル高政策とIT革命によって上昇し続ける時代になりました。

特に1995年にクリントン大統領とグリーンスパンFRB(連邦準備制度理事会)議長が行ったドル高政策への転換は『米国経済にとっては歴史的快挙』でした。当時1ドル=80円を割り込んで、日本は円高デフレによって崩壊すると言われていた時期、7月初めに米国がドル安政策からドル高政策に転換した時には『神風が吹いた』と言われました。

米国は日本のためにドル高政策に転換したわけではありません。当時の米国経済はインフレと景気悪化が同時に起こりそうであり、グリーンスパン議長は金利を引き下げて景気回復を狙う政策が採れませんでした。このため、ドル高によって輸入物価の価格を引き下げてインフレを防ごうとしてドル高政策に踏み切ったのでした。

このようにインフレを防ぐためのドル高政策でしたが、途中からドルを買って米国の株式市場に投資する資金、ドルを買って米国に企業進出する資金が大量に米国に流れ続けたことで、ドル高政策は全く違った、そして大きな経済効果を米国に与えました。
更に当時のクリントン大統領のスーパーハイウェイネットワーク構想によって、米国にニューエコノミー産業が誕生してITバブルが発生、シリコンバレーが米国経済の中心になりました。

日本の株式市場が10年以上も下げ続け、米国の株式市場が10年以上も上げ続けるという逆相間になったのは戦後始めてのことです。株式市場は短期・中期・長期のトレンドで動いています。
今回は10年以上(2003年としますと14年)にわたって、日本の株式市場が下げ続けて、他の国の株式市場が上げ続けました。

これは、日本の市場から日本以外の市場に投資資金が移動したことになります。
言い換えると、投資価値の高い市場に資金が移動し続けて、日本の株式市場が下落し続け、他の株式市場が上昇し続けたのです。「上がれば下がる」という相場の法則に従えば、ここまで上げ続けた日本以外の先進国は『これから長期に下落』して、長期に下落していた日本の株式市場が『長期に上昇する』ことになります。


他の株式市場が本格的な、そして歴史的な調整に入れば、そこに流入していた資金がその国から流出して、巨大市場で14年も景気が停滞して割安になっている日本の株式市場に資金が持続的に流入し続ける可能性は十分考えられるのではないかと思います。

このシナリオになると、円が買われ続けて『円高が続く』ことになりますし、オールドエコノミー企業のうちの輸出関連企業は、一時の米国と同じように厳しい環境に置かれる可能性が高いと言えます。今回の長期不況で日本の企業は『小泉総理の政策の結果、自己責任意識が芽生えて、不況抵抗力が強くなっている』と思いますが、それでも世界を相手にしている輸出企業は全体として売上高が減少しますので苦戦すると思います。

円高が続けば株式市場だけでなく、海外企業の日本進出も活発になると思います。
つまり、海外企業の日本進出が相次ぐことで更に円高が進む可能性が高くなります。1ドル=50円というのは根拠はありません。前回が1ドル=79円でしたので、次の大きな節目が1ドル=50円ですから申し上げたのですが、言えることは日本の時代が来れば、今の時点では異常とも思える円高が起こる可能性があるのではないかということです。

つまり、輸出企業によって日本経済が支えられる時代が終わって、日本の内需が活性化して日本経済が上昇する新しい時代が来るのではないかと思います。

米国の株式市場は1982年に底を打って上昇に転じました。そして米国人が株式投資に積極的ななってきたのは1984年からと言われています。1984年当時、本屋さんには株式投資の本が山積みとなり、多くの米国人が株式投資の本を買いあさったと言われています。米国民の間で株式投資が盛んになったのは1970年代に『401k』が誕生したからでした。

株式市場が上昇した時に、確定給付型年金では株式市場の値上がり分は国や企業に入りますが、確定拠出型年金(401k)では株式投資の値上がり分は国民に入ります。つまり、株式市場がこれから上昇すると思った米国では、確定給付型年金から確定拠出型年金に移行する人が急増し、株式投資が米国人にとって非常に身近になったのが1984年でした。株式投資で勝つためには知識が必要なので、皆が株式投資の本を買ったわけです。

日本でも確定拠出型年金制度が誕生ました。そこで、日本国民が「株式市場は今後長期間にわたって上昇する」と考えて、米国民と同じように確定拠出型年金に移行する国民が増えれば、今の実用的でない確定拠出型年金制度は改善されてくると思います。そうなると、米国と同じように国民の金融資産が大きく株式投資に移動することになります。

米国では個人金融資金に占める株式投資の比率が50%を突破しました。これは401kと投資信託、個人投資家の直接投資の合計ですが、日本の比率はわずかに10%台前半です。しかし、景気回復と株式市場の上昇に対する信頼性が高まれば、これらの巨額の資金が日本の株式投資に入ってくることになります。

この海外の投資資金の流入と海外企業の日本進出、日本人の金融資金の株式市場への移動によって、想像を絶する資金が日本の株式市場に流入すれば、日経平均の10万円も不可能ではないと思います。

米国の株式市場は777ドルから11750ドルまで15.12倍になりました。日本の市場は米国に対して10〜20年遅れて正確にトレースしていますので、この倍率を日経平均の安値7197円に掛けますと108834円になりますので、アバウトで10万円前後と申し上げました。

そして、2003年に日本の株式市場は長期下落トレンドから長期上昇トレンドに転換した可能性が非常に高いと言えます。つまり、これまでの下降トレンドの株式投資手法から上昇トレンドの株式投資手法に転換しなければならないところにきており、今後は頭を切り換えて株式市場の動きを見続けなければならないと思います。

つまり、下値を切り下げるために『持っていれば持っているほど損をする=失敗が許されない株式市場』から、『持っていれば高値で買っても、そのうちに買値を突破する株式市場=失敗が許される株式市場』に転換しましたので、今後の株式投資手法のキーは儲けることから『資金効率をアップさせて、儲けを大きくすること』に変わってくると思います。

レポート担当:森田謙一


(私のコメント)
9月27日にオールドエコノミー株が暴騰していることを書きましたが、これは外人が底値のオールドエコノミー株を買い続けてきたからであり、国内のマスコミは日本沈没と書きたてて総弱気になって銀行などの機関投資家の投売りを外人がみんなかっさらっていった。それだけ日本の将来性を外人はかっているのでしょうが、株価が下がり続けても買い続ける外人投資家の底知れない巨大な資本力には不気味さを感じます。

バブルの崩壊前の三万円台の株価のころまでは外人は売り続けていた。もちろん目先で動く外人は売ったり買ったり激しいのですが、長期資金を運用する超大金持ちの国際金融資本は逆張り投資が基本で、そうしないと資金が巨額なだけに自分の売り買いだけで相場が動いてしまう。基本的に言えば通貨が高くなる国に資本は集まり、安くなる国からは逃げてゆく。

今から思うとバブルの崩壊は株と土地の値上がりが激しすぎたために起きた現象であり、その清算に15年もかかったということでしょう。日本企業は株式を持ち合って外人が日本企業を乗っ取ろうとしても出来なかったのですが、バブルの崩壊という構造改革で銀行は所有している株や土地を手放させてそれを外人が只同然で買い捲っている。株だけではなくゴルフ場やリゾート施設なども買っている。

さらには東京を中心にして外資系のホテルが次々とオープンしているのは不思議ですが、ビルなどの不動産にも外人買いが目立つようになった。村上ファンドなどが今話題ですが、外人が買えない規制銘柄を村上ファンドなどが代理人となって買わせているのだろう。そのうちに規制撤廃となって黒幕が出てくるはずだ。

それだけ外人は日本の将来性を買っているのですが、マスコミを動員してネガティブな情報を流し続けて日本人が持っている資産を手放させているのだ。そのうちにインフレが再燃して土地や株が大暴騰し始めたときはもう手遅れになっているだろう。

株にしても2003年に大底を打って上げ始めると調整はあっても長期で持ち続けたほうがリターンは多くなり、今までのようにいったん売りそこなうと地獄へ道連れということは少なくなる。企業にしても安値で放置していると株の買占めにあう世の中だから自社株買いなどで適正価格以上の株価を維持することが必要になってくる。

アメリカや中国のバブルがはじけると資金がいっせいに逃げ出してEUや日本に避難してくると、2020年ころは株価が10万円になっているかもしれない。アメリカの例を当てはめるとそれくらいになるらしい。マスコミでは中国やインドの時代がやってくると書き立てていますが、EUや日本の復活のほうが可能性は高い。

大局的に見るとアメリカやソ連というのは文明のあだ花であり、石油の文明がアメリカを中心に栄えましたが、石油の枯渇とともにアメリカは没落し、中国やインドも高度成長は難しい。結局は文明の流れは変わらずEUや日本が文明の中心となって進むだろう。




小泉内閣が発行した国債が250兆円にも及び、小渕内閣
時代の「世界一の借金王」の3倍は軽々と突破している。


2005年10月14日

新・世界一の借金王、小泉デフレ政権の正体 10月12日 立花隆

財政の現実はいかなる逃げも許さない段階に

歴代の政権が、財政再建のための増税を持ち出したとたん、国民の激しい反発をくらって、政権を失うにいたった数多くの事例を見てきたので、同じ失敗を犯すまいとしているのだろう。

その結果小泉首相は、「入るをふやす」の努力を何もせず、結局のところ逃げに逃げてきただけなのだ。しかし、財政の現実は、もはやいかなる逃げも許さないところまできている。最大の問題は、年金だ。団塊の世代の引退の時期を迎えたことで、いまや年金会計の破綻状況はいかなる塗抹も許さないところまできている。

年金会計の政府支払部分が、すでに40兆円を突破しており、歳入の主要部分である国税収入(45兆5900億円)とはほぼ等しいところまできてしまっているのだ。

いまの日本の財政構造は、一言でいえば、国に入ってくる税金をすべて年金の支払にまわしてしまい、残りの政策経費はすべて借金(国債)でまかなっているというに等しいことになっているのだ。このような無理なとりつくろいが長続きするわけがない。

このような待ったなしの異常事態に直面しているというのに、小泉首相はなおも人気取りのために逃げの姿勢に徹しつづけ、それでいて、見せかけだけは、「改革」の騎士のごとき風を装いつづけてきた。このような小泉首相の政治姿勢は、ズルを通りこして、ほとんど詐欺かペテンの域にまで達しているといっていいだろう。

「小さな政府」だけでは危機的状況は乗り切れない

もうひとつの財政再建策であるはずの、経済を成長させて税の自然増収をはかるというほうの戦略はどうかというと、これまた小泉首相はいっさい拒否してきた。

財政がこれだけ悪化している現状では、公共事業拡大などの景気刺激策をとる余地は全くないとしてきたのである。小泉首相のこれまでの経済政策は、景気に関してはひたすら消極策に徹してきた。

小泉首相の頭の中には、「大きな政府」は諸悪の根源という発想が抜きがたくある。逆に大きな政府を小さくすることはすべて正しいと小泉首相は考えるから、「民でできることは民にまかせる」が聖なる大原則となる。

官は民ではできないこと、民では不都合なことだけをやればいいから、「小さな政府」にするのがいちばんいい。予算も、これまでの「大きな政府」の使いすぎをあらためるために、予算はすべてゼロ・シーリングで切りつめていって、財政規模をどんどん縮小していくのが正しいということになる。

だがその結果どうなったかというと、この通りのデフレ経済(経済の縮小再生産過程)になってしまったのである。

デフレ経済下では財政再建はできない

考えてみればそれは当たり前の話である。世界大恐慌以来、その原因分析をしていったところ、経済を市場原理にまかせてただ放っておくだけ(自由放任)では、必ず破綻してしまうから、政府の介入が必要だということがわかってきたので、そうするようになったというのが20世紀の資本主義経済の基本的なあり方である。

20世紀の資本主義は自由放任(市場まかせ)から政府介入型(規制あり)経済に移行することでうまく走ってきたのである。特に、投資の面で、政府が積極的な公共投資を行わないと、有効需要の不足からまた「デフレ→恐慌」の繰り返しになってしまう恐れがある。そこで、政府が実体経済の主要なアクターとして登場してきて、需要不足(デフレギャップ)を補うために公共投資、公共事業を積極的に展開していくというのが20世紀の資本主義国家運営の基本である(ケインズ経済学の教え)。

ところが、小泉首相の頭の中はケインズ以前で固まってしまっていた。そのため、デフレをどんどん進行させてしまったというのが日本経済をここまでの苦境に追いこんだ最大の原因だと思う。このデフレは自然現象などでは全くなく、明らかに小泉首相の経済失政が原因なのである。

デフレ経済下では、税は自然増収ではなく、自然減収になる。そのおため財政赤字は一層悪化する。財政再建などできっこない。

日本経済の苦境はデフレ・トラップにはまった苦境

20世紀の資本主義は、ある程度大きな政府を前提にしてはじめてまわっている。

ソ連経済のような「大きすぎる政府」はむろん誤りだが、小さすぎる政府も同様に誤りである。デフレにトラップされた場合、小さな政府では、そこから抜け出すことができない。ここ数年の日本経済が陥っていた苦境は、デフレ・トラップにはまりこんでしまったがための苦境である。

デフレというのは、ブラックホールのように、経済の総体が下方に向かう超巨大な引力にとらわれてしまった状態のことだから、そこから抜けだすためには、逆向きの巨大な力をかける必要がある。

しかし、小泉首相はそのような努力を一向に払わなかった。小泉首相がやったことは、

「改革のためには痛みに耐えることが必要です」

と次々と非情に言い放つことだけだった。

日本国民には、一種マゾヒスティックなストイシズムがあるのか、苦痛に耐えることに一種の美学のようなものを感じてしまう人が多いのか、小泉首相の「改革のためには、痛みに耐えることが必要です」の一言に易々と騙されてしまった。そして、小泉改革の夢を信じて(苦しみの向こうに喜びがあるに違いない)、それぞれの生活の中で、耐えられるかぎりの痛みに耐えてきたのである。といっても耐えられない人々が少なからずいたため、その間に、日本は先進国中最大の自殺大国になってしまった。

新「世界一の借金王」になった小泉首相

それでその結果がどうなったのかというと、金子勝慶応大学経済学部教授が「週刊文春」(10月6日号)に書いているように小泉首相は新たに「世界一の借金王」になってしまったのである。そして国民はそれに怒りもせず、小泉首相を許しているのである。

「世界一の借金王」とは、98年から1年8カ月にわたり総理大臣をつとめていた小渕恵三首相が、経済苦境から逃れようとして、一大バラまき経済刺激策を取った結果、84兆円もの国債を発行するはめに陥ったことをさしている。

しかし、このとき小渕内閣が発行した国債の実に3倍以上もの国債を発行したのが、小泉首相なのである。小泉首相が首相をしてきたこの4年間に、小泉首相は財政赤字を540兆円から796兆円にふくれあがらせ、その間に発行した国債が250兆円にも及び、小渕時代の「世界一の借金王」の3倍は軽々と突破しているのである。

まことに小泉首相は「世界一の借金王」というしかない。小渕が、自分のことを「世界一の借金王」といったとき、そこには、自嘲の響きがあったが、小泉首相は、そんな認識もなく、いけしゃあしゃあとしているだけである。

小泉首相はいったい何を考えているのかと思うが、一方で、小泉首相はもしかしたら、この危機的状況を誰よりもよく認識しているのかもしれない。

それを認識しているからこそ、「あと1年で絶対にやめる」をきっぱり断言しつづけているのかもしれない。

1年以上つづけたら、大破綻が必至(いわゆる07年危機による破綻の到来)だし、それに対応しようと思ったら、小泉首相があれほど逃げて逃げて逃げまくってきた大増税を自分の年でやらなければならなくなることが必至だということを見こしているのではないか。

先の衆院選で小泉首相にバカ勝ちさせた国民は、いったい小泉首相の上にどんな幻影を見ていたのだろう。



(私のコメント)
株式日記では小泉内閣発足当初から経済政策には異論を挟んできましたが、財政再建するには景気が回復しなければ出来ないことを主張してきました。ところが小泉首相は「構造改革なくして景気回復なし」として、4年半の長きにわたって財政支出をカットして、景気対策はまったく行わなかった。その結果は本格的なデフレ経済となり税収が減って歳入赤字は大きくなるばかりです。その結果、小泉首相は250兆円もの借金王となりました。

押し小渕内閣からの景気回復政策を続けていれば、かなり景気は回復していて税収も増えて借金残高は今よりも減っていたかもしれない。しかし景気回復政策といっても公共事業の内容を変えないと景気波及効果が小さくなってしまう。中国が人間が乗った宇宙衛星を打ち上げましたが、日本はなぜ宇宙開発に消極的なのだろうか。やろうと思えばかなりのことが出来るだろうし、技術的な波及効果も大きいだろう。

バブルの崩壊した以降の日本の閉塞感というのは、このような思い切った大プロジェクトが出来なくなってしまったことだ。財政赤字の問題も切るべきところと支出を増やすべきところのメリハリがなくなり、官僚任せの経済政策が政府の政策を硬直化させて、結局は一律削減という公平を重んじた政策で身動きが取れなくなってしまった。ましてや公務員の賃金カットなど、真っ先にやるべきことがやられていない。

アメリカではハリケーンのカトリーヌの災害で財政難となり市や州が3000人もの職員のレイオフを行って財政の再建をはかっていますが、日本の中央や地方の公務員はデフレでも定期昇給が行われていた。しかも首切りもないから全く景気に対する緊張感もなく、中央官庁や地方の役所の建物は豪華になる一方で、東京都や文京区など超高層ビルまで建てるほどになっている。

民間企業などでは本社ビルを売り払ってまでリストラしているのに、赤字財政で悩む政府や地方は庁舎ビルを売り払ったという話は聞かない。小泉首相が言う構造改革などまやかしであり、民間のみの構造改革なのだ。その反面では増税の話が目白押しですが、これも何度も書いてきたように増税すれば消費が減り景気は悪化して、余計に税収は落ち込んでしまう。だから小泉内閣だけで250兆円も赤字が増えたのだ。

現在の日本は家庭にたとえれば、亭主の稼ぎが減って金持ちの奥さんから借金をして家計をやりくりしているようなもので、今のところはサラ金から借金しているわけではない。亭主の稼ぎが元に戻れば返せばいいだけのことだ。返せなくても定年退職で退職金で返してもらえばいい。それも無理なら踏み倒しても夫婦間の問題であり家計上は問題ではない。

ところが郵政の民営化は奥さんのへそくりを亭主に貸すのではなく自分で使えということで、奥さんはそれでいいが亭主や子供の生活が行き詰まってしまう。そこで亭主はサラ金から借りるようにならざるを得なくなる。奥さんのへそくりから借りればゼロ金利ですが、サラ金から借りれば18%以上の超高金利を払うことになる。こんなバカなことが郵政の民営化で行われることになる。




9・11衆議院議員選挙で日本の民主主義は死んだ。
政府提案になんでも賛成するロボット議員だけになった


2005年10月13日

<郵政法案>信念より「復党したい」 自民系無所属反対1人

 7月の通常国会で5票差の衆院通過だった郵政民営化法案は11日、200票の大差を付けて可決された。郵政民営化を争点にした「小泉自民党」の衆院選圧勝が、反対派をねじ伏せた結果だ。通常国会で同法案に反対し、当選した「自民系無所属」のうち今回も反対を貫いた議員はわずか1人。残り12人は11人が賛成に転じ、1人が欠席した。「信念」を押し通すより自民党復帰に期待をかけ、党に従順姿勢を示す「白旗戦術」になびいた格好だ。
 「選挙中、有権者に向かって(法案の)非を説いてきた。民意が出ただけで(賛成に転じるのは)ぜい弱な理由だ」。通常国会に続き反対票を投じた平沼赳夫前経済産業相は本会議終了後、記者団にそう語った。
 だが、自民系無所属で反対を貫いたのは平沼氏ただ一人。なぜ態度を変えたかについて、大半の議員は「選挙を通じて国民の意思が明確になったから」と説明し、反対派の中核メンバーだった山口俊一氏は「(小泉純一郎首相が退陣する)1年後をにらみつつ、現実的な対応をせざるを得ないと判断した」とのコメントを発表した。
 反対組が雪崩を打つように賛成に転じたのは、自民・公明両党で衆院の3分の2を占める状況では、反対を続けても何の展望もないからだ。それより党の処分をできるだけ軽く切り抜け、自民党復帰への望みをつなぐ方が得策との判断があったとみられる。
 党本部に反旗を翻した各県連も、選挙後は本部との関係修復に躍起となっており、岐阜県連では古屋圭司会長が法案賛成に転じるとともに「党本部と県連が友好的な関係を再構築し、党勢拡大することが最善の方法だ」として11日付で会長を辞任。恭順の意を表した。
 ただ、武部勤幹事長は同日の記者会見で「党紀を乱したという意味では、公認候補を妨害したことが非常に大きな問題だ」と述べ、法案への対応とは切り離して処分が行われるとの見通しを示した。また同党幹部は同日夜、「綿貫民輔、亀井静香両氏は間違いなく除名。国民が(処分の行方を)見ており、いいかげんなことはできない」と強調した。【中西拓司】
(毎日新聞) - 10月12日1時34分更新


意外や意外、平沼赳夫前経済産業相が、「あくまで反対」と節を曲げず「真の政治家」を証明した 10月12日 板垣英憲

郵政民営化関連法案が11日の衆院本会議で、自民・公明両党などの賛成多数で可決、参院に送られた。民主、共産、社民など野党各党は、反対した。賛成三三八、反対一二八の二〇〇票差だった。参院で可決成立するのはもう目前である。
 小泉首相が、「郵政民営化」をライフワークとし、しかも「節を曲げず」に孤軍奮闘してきた執念の結果であり、信念を貫いて、ここまでもってきたことに敬服する。
 ドイツの社会科学者・マックスウェーバーが、「職業としての政治家」という著書のなかで、政治家の資質について「しつこさ」であると書いているけれど、小泉首相は、「しつこさ」にかけては、天下一品である。まさに政治家中の政治家といえよう。

 「しつこさ」というのは、コツコツと巨岩に穴を開けて行くような、大変な作業である。それを「まだやっているよ」というように皆から呆れられ、馬鹿にされても、諦めず、ただ一人になっても、「しつこく」コツコツと打ち砕いていく。ときには絶望的になりそうな作業である。「しつこさ」というより、「執念深さ」と言い換えてもよかろう。
 それに引き換え、情ないのは、郵政民営化法案に反対し、「刺客」まで送り込まれて、「自民党から除名処分」や「支部長剥奪」などの脅しをかけられて、今度は、やすやす「賛成票」に投じた議員たちである。「反対」を公約として有権者に訴えて、当選してきていながら、このザマは何だ。信念のカケラもないではないか。
 無所属の前回反対票組12人のうち、野田聖子、堀内光雄、保利耕輔、江藤拓、今村雅弘、武田良太、古川禎久、保坂武、森山裕、山口俊一ら11人があっさりと、今回賛成票を投じて、小泉首相の「軍門」に下り「恭順の意」を明らかにしたのである。投票してくれた有権者に対してではなく、「小泉首相一人」に色目を使う「卑しい態度」である。この「変節」をどう見るか。
 マックスウェーバーのいう「政治家の資質」からみて、まったく「資質欠如」というしかないだろう。「政治家としての資質に欠ける」のであり、その証明が本会議場で、天下の衆目が集中しているなかで、証明されたからには、即刻、議員辞職してもらわなければ困る。こんな議員は、政治家ではない。
 これに反して、あくまで「反対」を貫いた「平沼赳夫前経済産業相」が、意外にも男を上げた。首相候補の一人との下馬評を受けながら、一方で「グズ」という批判を浴びて、首相には相応しくないと悪評も受けてきたけれど、今回の投票行動では、小泉首相とは正反対の立場ながら、あくまで「反対」を貫き、「節を曲げない政治家」を実証してみせたのである。「しつこさ」という政治家の資質を持っていることが、国民の目に明らかになり、一気に「株」を上げたようである。
 それに引き換え、小泉首相の「言いなり」「右向けと言われれば右に向く」ようなまるで金魚の糞のような政治家が、いかに多いことか。それも若い「小泉チルドレン」たちの「金魚の糞」ぶりは、目を覆いたくなるほどの体たらくである。
 これからのこのように、「命令」されるままの政治行動を取っていくつもりなのであろうか。これでは、前途が暗くなってしまう。これからは、これら「小泉チルドレン」を「金魚の糞組」と呼ぼうではないか。
 この点、あくまでも反対の姿勢を通した「国民新党」「新党日本」の老人議員たちに喝采のエールを送ろう。「偉い!」
 老体にムチ打って熱い湯に使って、じっと痩せ我慢を続けている姿こそ、美しい。まさしく「マックスウェーバー」の「しつこさ」を実践する姿であり、「真の政治家」と言えるからである。
 ちなみに、11日夜、日本テレビ番組で「日本のシンドラー・杉原千畝」を放映していた。リトアニア領事としてヒトラーに迫害されたユダヤ人2000人のビザを発給し、6000人の生命を救った外交官である。外務省本省のファシストたちの反対を押し切って「人道」を貫いた「正義の人」として描かれていた。
 戦後、外務省は杉原千畝を「解雇通告」して迫害している。にもかかわらず、いまや「日本の名誉」「日本の誇り」として自慢のタネにしている。なんたる「変節!」ここでも「恥を知れ」と言いたい。
 他人の作品だが、ここで一句。
 「物言えば唇寒し、秋の風」


(私のコメント)
戦前の日本がなぜ戦争にまで暴走したかについては、言論人や識者ははっきり言いませんが、国民全体が戦争を選択したとしか言いようがない。その原因としては日本人の国民性として新聞などが戦争を煽ればそれに同調してしまうのだろう。数としては低IQのB層が多いから仕方がないのですが、事態がわかっている識者も「仕方がない」と口をつぐんでしまう。

小泉首相はしきりと「改革」を言いましたが、戦前も「聖戦」とか「神国日本」とかの呪文が日本人の思考停止状態を導いてしまった。ネットのサイトやブログを見ても小泉チルドレンもどきの発言をするところが増えて「小泉改革バンザイ」を叫んでいる。日本人の国民性として「長いものには巻かれろ」とばかりに、日本人全体が小泉チルドレン化してきている。

私は郵政の民営化が郵貯簡保の350兆円の資金を狙うハゲタカ外資の陰謀だと反対してきましたが、小泉チルドレンたちは「そんなことはありえない」と信じきってしまっている。しかし四季報を見てもらえばわかるとおり主要企業の大株主には外資のファンドの名前が並ぶようになった。やがては重役を送り込んできて経営の主導権を握ってしまうところも出てくるだろう。

平沼赳夫議員も民営化された郵政会社が外資に乗っ取られることを主張していましたが、小泉チルドレン化した有権者を説得できなかった。日産自動車のような一企業なら外資に乗っ取られても問題はないのでしょうが、世界一の資産を持つ巨大銀行が乗っ取られることは日本が丸ごと乗っ取られるのと同じことになる。そうなれば韓国と同じようになり、かえって反米の世論が強くなって日本にもノムヒョン大統領が出てくるかもしれない。

テレビ放送局も20%の外資規制がかけられていますが、スポンサーに外資企業が増えれば実質的に外資に乗っ取られたのも同じになり、テレビの民放5社はみんな外資系様様だ。これでは公正な報道が行われなくなって民族主義的な言論は統制されて洗脳されてしまった。森田実氏も同様の指摘をしていますが、小泉チルドレンはヒトラーユーゲントとよく似ている。

戦前においては国民が戦争に反対していたのならなぜ戦争に反対の意思表示をしなかったのだろうか。むしろ挙国一致で戦争に賛成したのはなぜなのか。戦前や戦中にも選挙が行われましたが、政府批判派の議員たちも立候補していたのに大政翼賛会は成立してしまった。立花隆氏は次のように書いている。


戦時下の大政翼賛選挙と酷似した政敵抹殺の手法 9月27日 立花隆

小泉政治をふりかえってみると、政権成立当初から、政敵を殺すことに熱中してきたという側面がある。

政敵を容赦なく徹底的に殺してきたから、ついに対立派閥は事実上ひとつもなくなり、小泉首相の一人天下になった。選挙が終わったあと、永らく日本の政治をウォッチしてきたある外人記者が、「これでコイズミは日本のエンペラー(皇帝または天皇)になった」

と評したというが、本当に小泉首相は、日本の政治地図の中で、それに近いポジションを占めるにいたったようである。

この選挙を見て、私が思い出したのは、東条英機首相が昭和17年に行った大政翼賛選挙である。当時、すべての政党が解散させられて、大政翼賛会に吸収されてしまっており、日本の社会から政治的自由はほとんどなくなっていた。国会が開かれても、議員には、政府を批判したり、政府提案に反対したりする自由は事実上なく、戦争遂行という大政を翼賛するために、政府提案になんでも賛成するロボット議員たることだけが求められていた。

それでも大政翼賛会ができる以前から議員になっていた政府批判派の議員が多少はいたため、東条は、それを選挙ですべて落としてやろうと考えて、当時の468選挙区のすべてに、翼賛政治体制協議会という政府御用の選挙運動団体を作り、そこが推薦する候補者を各選挙区に一名づつ立てた。その選挙運動を役所から警察までが支援して、ほとんど政府直営選挙のごとき状態にした。

自由選挙の体裁を保つために、翼賛政治体制協議会の推薦を受けない人間も立候補することを自由にしたが、非推薦候補の選挙運動は役所も警察も徹底的に妨害して、落選させようとした。

そこまでしても、推薦候補は381名しか当選できず、非推薦候補の中から85名が当選した。非推薦候補の得票を全部合わせると、実に35%にも及ぶ得票を集め、東条の心胆を寒がらしめた。

◆反対派を完全封殺したあとに残るものは

今回の選挙における、小泉首相の郵政反対派に対する扱いは、このときの東条の非推薦候補に対する扱いとそっくりである。

要するに、法の許す範囲で自民党ならびに政府が与えられる影響力を駆使して、すべての反対派議員の政治生命を抹殺しようとしたのである。

政治というのは、せんじつめれば、「あいつは敵だ。あいつを殺せ!」の一言に集約されると喝破したのは埴谷雄高だが、小泉首相は05年選挙においてそれをやってのけたといえる。そして、昭和17年の大政翼賛選挙以上の成功をおさめたといえる。

なにしろ昭和17年選挙では、非推薦議員が85名も残り、大政翼賛会による議員の完全制圧はならなかったのだが、05年選挙では、自民党内部にかぎっていえば、反対派は、非公認あるいは除名によって、完全に排除され、いまや18名の無所属(あるいは6名の新党所属)議員が残るのみである。

要するに自民党の内部は、完全大政翼賛会状態になってしまったのだ。その状態に国民大衆が無邪気に喝采を送っているというのは、危険な状態だと思った。昨日の小泉首相の所信表明演説に拍手喝采を送る小泉チルドレン議員たちの姿を見ながら、私は、いま日本の政治はとても気味が悪い状態になりつつあると思った。





シュワ知事の拒否で、加州の「反日教科書」法成立せず
中国人留学生は活発に議論し日本人留学生は沈黙する


2005年10月12日

ありがとうシュワちゃん 10月9日 依存症の独り言

以下、引用

いわゆる「南京大虐殺」など、旧日本軍の残虐行為をカリフォルニア州の教科書に書き込むことを目的とした法案に、シュワルツェネッガー知事が署名を拒否しました。

この法案は、州の中学高校で使用される教科書について、第二次大戦中にアジアで起きた出来事に、もっと分量を割くことを求めるもので、先月、州議会を賛成多数で通過していました。
提案者の議員は教えるべき具体例として、いわゆる「南京大虐殺」を挙げていました。法案を後押ししたのは、日本の常任理事国入り反対の署名活動を展開した在米の
中国人団体
らで、「南京大虐殺」などの旧日本軍の残虐行為をアメリカで歴史的事実として定着させることが、推進派の最大の目的でした。
しかし、拒否権を持つシュワルツェネッガー知事は7日、「アジア諸国の役割について
学習することは、すでに認められている」として署名を拒否し、法案は成立しませんでした。

シュワ知事の拒否で、加州の「反日教科書」法成立せず
( 2005年10月8日 ANNニュース)

このニュースは、私にとって非常にうれしい知らせだ。華人系米国人の団体が、カリフォルニア州当局に働きかけて、既に中学・高校の世界史で「南京大虐殺」を教えるよう
「ガイダンス」を出させている
ことを知っていたからだ。
今回の法案が通れば、行政指導である「ガイダンス」ではなく、強制力のある「法律」で「南京大虐殺」を教えることが教育現場で求められることになる。

マイノリティが住民の多数を占めるカリフォルニア州の議会は、上下院とも民主党が多数派である。9月6日には「同性間の結婚を認める法案」を可決し、シュワルツェネッガー州知事が今回同様、拒否権を行使している。
参照:米カリフォルニア州、同性婚法案可決(2005年9月7日 ロイター)
本当に共和党の知事でよかったと思う。民主党の知事だったら間違いなく「南京大虐殺」を教えることが教育現場で義務化されたはずだ。
駐米日本大使館も、議会や知事に「反対」を働きかけていたようだが、まずは一安心である。(ただ、来年11月に予定されている州知事選の結果次第では、また問題がぶり返すが・・・)

中国というのはとにかく手ごわい。世界中にネットワークを張り巡らせており、相互の
連携も強い。4月の中国における反日デモは、「日本の常任理事国入り反対」が最大のテーマだった。ここにおいても、カリフォルニアの華人系米国人の団体が主導的役割を果たした。
これらの団体は、「第二次大戦史実維護会」や「世界抗日戦争史実維護会」と称している。
彼らは、
「日本が歴史に真摯に直面し、南京虐殺、731部隊、慰安婦問題などを含む罪行を認めない限り、日本を常任理事国にさせてはならない」
とか
「日本政府は歴史を尊重し、その過去の行いを反省しないばかりか、中国を侵略した
歴史も捏造しつつある。また、中国の海洋国土(東シナ海)をかすめ取ろうと企んでいる。このような国が常任理事国になる権利はない」
などとネット上で呼びかけている。

まさに、偏狭なナショナリズムを剥き出しにしているのである。

これらの団体が、今年の2月28日に始めたインターネットを使ったオンライン反対署名は、今年3月末には1160万に達し、このうち1143万が中国本土からのものだった。
また、この運動には280ものウエブサイトが参加した。
これらの団体の代表は、カリフォルニア州選出の2人の上院議員にも会い、日本の常任理事国入りに反対するのが、米国内のアジア人社会の総意であると伝えている。
世界史で「南京大虐殺」を教えるよう州当局に「ガイダンス」を出させたのも、これらの
団体である。
一方、中国国内では、「南京大屠殺記念館」の敷地面積を3倍にし、世界文化遺産に
登録する運動が、官民を挙げて行われている

日本政府も、世界各地の大使館や領事館を通じて、中国や韓国の一方的な主張に
反論・反対する動きを強めている。しかし、人員・予算とも十分ではない。
それに「お公家様集団」の外務省である。ちょっと頼りない。
が、最近のニューヨークタイムス紙の記事に対する対応に見られるように、外務省も
事実誤認に対しては強硬に抗議し、反論文を掲載させる行動を強めている。今回の
シュワルツェネッガー知事の拒否権発動もそうだが、小泉内閣に合わせて、外務省も
少しは変わってきたということか?


在米中国パワーの歴史観  産経・ワシントン・古森 義久

米国での中国のプレゼンスの拡大をいやでも感じさせられる。首都ワシントではとくに議会や研究所での中国がらもの議会や研究所での中国がらみの公聴会、セミナーの数がますます多くなった。その種の集いに顔を出す中国人の数がこれまたいつも増えている。日本と比べると、その存在はずっと活発で大規模にみえる。
 
 ブッシュ政権の中国への警戒を反映して議会では批判的な公聴会や討論会が多い。常設の関連委員会に加えて、超党派の「米中安全保障調査委員会」は十二人の民間専門家が議員とともに、三月に一度ぐらいの割で中国の経済拡大がその軍事力にどう影響するかの公聴会を開く。上下両院合同の「中国に関する議会執行委員会」は毎月二度ほど専門家を証人として招き、中国の人権状況を論じる。
 
 民間のシンクタンクとなると、ヘリテージ財団、外交評議会、ブルッキングス研究所など中国関連のシンポジウムなどの開催はさらに頻繁となる。この種の集いで目立つのは傍聴者も証人も中国人がきわめて多くなっている点せある。
私は1998年にワシントンから北京に転勤し、2001年にまたワシントンに戻ったのだが、98年以前は公開の場で中国人が発言や質問をするという場面は皆無に近かったのに、いまやごく普通なのだ。
 
 米国全体でも中国人の学生や学者がものすごく増したのである。大学生以上の正規の留学では中国人はもう六万人を超えて世界第一、日本人留学は四万六千人ほどで第三位にすぎない。中国からの学生も学者も本国にはまず帰ろうとしなでがんばる点が日本人とは対照的である。いわば背水の陣で勉学するせいか、ワシントンでも米国の大学の博士号を持ち、米側の集会で証言する中国人専門家の活動が目立つ。
米国の各主要大学でも中国人の教授が急速に増えてきた。大多数は中国研究を専門とする中国人教員も多い。
 
 ワシントンではアメリカ大学の日本政治の趙全勝教授の日本歴史の楊大慶教授が知られる。日本人留学生にとっては皮肉なことに米国の大学に留学して、日本の政治や歴史を中国人から学ぶという現象がおきているのだ。
ワシントンでの中国パワーの実態は日本の中国専門外交官としてワシントンに三年在勤して昨年、東京に戻った片山和之氏(現外務省国際エネルギー課長)の著書『ワシントンから眺めた中国』に詳しい。片山氏はワシントンの大学の日本史クラスで日本人学生がかなりいるのに黙ったまま、中国の米国の学生たちだけが活発な討論を展開する、というような話を紹介している。
 
 さて、こうした米国定住の中国人たちが北京政府とはどんな関係にあるのか。以前は天安門事件などで追われてきた民主派と共産党側の人との区別が簡単についたのだが、最近は微妙である。グレーにみえる人たちが多いのだ。だが個別に注意してみると、いまも中国へ定期的に戻っている人たちは自国の政府や共産党を正面からは決して批判しないようだ。この点も在米日本人とは対照的である。
 
 ワシントン在住の中国人は中国共産党の意向を反映する向きが多く、日本に対しても歴史』問題で追及する構えを常時、とっている。「戦争の真実を追及する連盟」とか「ワシントン慰安婦連合」という組織があり、大学や図書館の構内で「慰安婦展」「南京大虐殺展」を開催するのだ。こういう中国人たちの長期目標は米国の首都ワシントンに中国版「ホロコースト博物館」を開設することのようだ。ワシントンにはすでにユダヤ系米人が主になって米国政府を動かし開設したホロコースト博物館がある。在米中国人や中国系米人の一部はこれに似せて、日本軍の中国での行動を展示する公共施設をつくろうとしている。

 前述の片山氏の著書も、中国人たちの間でのそういう博物館開設のための宣伝や集会、寄付の活動が展開されていることを伝えている。
日本としてはこれまでの中国側の一方的で、よく変わる「戦争記録」をもとに廬溝橋にあるような記念館を米国の首都に開かれたのでは、たまらない。在米中国パワーの動向に細かかな注意を払い、そうした一方的な行動が米側には受けいれないように当事者としての日本側の主張をも述べ続けるべきだろう。産経・ワシントン・古森 義久


(私のコメント)
アメリカの民主党がなぜ親中国的であり反日的であるかは、共和党が反共産主義であるからそうなったのでしょうが、アメリカ在住の中国人や韓国人などの活動の影響もあるようだ。特にカリフォルニアでは中国人の政治団体活動が活発で、アイリス・チャンなどの作家が反日活動を行ってきた。特に中国人や韓国人は二世三世になっても祖国へのアイデンティティを失わない人が多い。

そのことは在日の二世三世たちにも言えることであり、特に中国人たちは東南アジアでも彼らはひとつに固まって華僑社会を形成してその国へ同化しようとはしない。華僑社会は世界にネットワークを形成して中国本土と連携を保っている。韓国人も同じくアメリカやヨーロッパで韓国人社会を形成して活動している。

それに比べると日本人はアメリカやブラジルには日系人団体はあるが緩やかなものであり、中国や韓国と比べると活動は穏やかだ。中国人や韓国人はなぜ世界各国で一つに固まるのか、原因としては彼らはプライドが高く自己主張が強くて現地人とトラブルを起こしやすいからだろう。それに比べると日系人は周りとトラブルを起こすことは少ないから一つに固まる必要も少ない。

特に問題にしなければならないのはアメリカにおける中国系の団体の政治活動であり、最近は反日活動を祖国からの指令で強めている。4月の反日デモなども発生源はカリフォルニアであり、国外における反日活動の拠点になっている。カリフォルニアは日系人も多いところでもあり、日本からの留学生も多いところだ。ところが日本人留学生はおとなしく中国人や韓国人などとの論争には加わらないようだ。

それだけで収まっているうちはいいが、最近のニュースのようにカリフォルニア州で反日教育が行われようとしたのを、シュワルツネッガー知事が拒否権で防いだニュースがありましたが、もし民主党の知事だったら法案が成立していただろう。このような動きに対して日本人団体や日系人団体は目立った動きはしていない。あまり周囲とトラブルを起こしたくないと言う臆病な国民性が出てくるのだろう。

むしろ日本は言論の自由が保障されているから、日本国内の反政府勢力と中国や韓国と一緒に連帯して活動しているから、ますます世界における日本の立場は誤解される一方だ。日本人ですら南京大虐殺を信じている活動家がたくさんいるし、日本の立場や国益を主張することは愛国主義的で良くないという人すらいる。現に日本の教育界では愛国心教育は否定されてきた。

中国や韓国などでは愛国心教育が高揚されているのになぜ日本では否定されるのか。日の丸君が代すら否定する学校の先生はたくさんいる。このようなことを言うだけでネット右翼と呼ばれるくらいだから日本はおかしいのですが、日本の既存のジャーナリズムも左翼的であったのがネットジャーナリズムの登場で風向きが変わってきた。ネットの世界では中国や韓国の言論戦では決して負けてはいない。

だから在米日本人や日系人たちともネットで連携して、中国系政治団体などの活動に対して反撃していければ、アメリカにおける反日活動は押し返せるのではないかと思う。たとえばアイリス・チャンなどの出版物も間違いを指摘した英語の本を出すことによって封じ込めることに成功した。しかし中国や韓国は国家ぐるみで言論戦を仕掛けてくるのに、日本では私のように手弁当で戦わなければならない。




現在のペンタゴンには、"戦争担当省〃と"戦争以外の
あらゆるもの担当省〃があり、反目しあったままである。


2005年10月11日

「戦争はなぜ必要か」 トマス・バーネット著

システム・アドミストレーター

九・一一から一カ月も経たないある日、昔の上司であるセプロウスキーから電話をもらった。元海軍大学学長で、現在は国防長官の上級相談役として防衛改革に取り組んでいる人物。彼が欲しかったのは、Y2K問題が片づいた直後に私が書いた記事のコピーだった。その記事で私は、我が国のネットワーク化された経済が狙われて壊滅的な被害を受けたら国防総省がどうなるかを予測していた。

真珠湾攻撃クラスの大惨事によって、今日のインターネットよりはるかに広域で活躍する媒体、名づけて"エヴァーネット"が実現不可能になるというシナリオだった。私の仮説では、壊滅的打撃を受けた結果、大規模の戦闘しか視野に入れていなかったペンタゴンは、「間近に迫った国際安全保障問題に対してまるっきり時代遅れであることを暴かれ」、結果として軍は二つに分裂する。一つは大規模戦闘用で、"世界の抑止カ"に主眼を置いた破壊性の高い軍、もう一つは危機管理用で、対応が早く"ネットワーク安全保障"に主眼を置いた防衛軍である。

前者がアメリカにとって二十一世紀の"キラー・アプリケーション”あるいは、現れた敵を一方的に叩き潰すために抜く棍棒のようなものであるのに対し、後者はアメリカ出身の巡回警官として、合衆国政府の各機関や国連、連合軍と息を合わせ、日常的に世界に目を配る。これら二つの軍は、それぞれ異なる軍規のもとに機能し、異なる任務と目的を果たす。そして、陸軍省と海軍省とに二分化されていた、かつてのアメリカの国家安全保障構造を復元する。

ところで、セブロウスキーはなぜ記事を読みたがったのだろうか。本人の弁によれば、国防長官室では現在、まさにこの問題について真剣な話し合いがなされているという。九・一一で突然あらわになった世界に対して、上層部もついにペンタゴンの体制が整っていなかったことを理解し始めたよ・つだった。

思うに軍のこの二分化は、ただの先祖返りではなく、ソ連との数十年にわたる一触即発のにらみ合いという異常な状況から、国家安全保障の本来あるべき姿への回帰である。軍部は長い間、アメリカ社会から離れ、誰もが知っている世界から離れ、そしてアメリカの技術的進歩に必死で追いつこうとする同盟国からも離れる一方だった。"離れる"とはつまり、なぜアメリカが世界中に兵力を送り込むのかという現実的な問題をなおざりにしてきたということである。

世界的な核戦争について想定に想定を重ねてきたせいで、兵力の用途に関する考証は、"国益""国の意志"といったあいまいな観念へと逃げ込んでしまった。"大物"に目を奪われたペンタゴンは、"いかに"に固執するあまり、"なぜ"を失念してしまった。アメリカ国民への説明の仕方については何をか言わんやである。防衛機関は"なぜ"を説明するのがあまりにも下手なので、この話題を完全に避けて通るようになっていた。

時が経つにつれ米軍は戦略的環境を超えて進化し、真の好敵手など現れようがない状態に至ったが、ポスト冷戦時代のアメリカは、リバイアサンなる地位をどう捉えるべきか頭を悩ませる代わりに"対等なライバル"を探し求め、我が国のハイテクな軍備と、常日頃強いられるローテクな任務との間に生じる食い違いから目を背けてきた。

戦争は短く、容易になったが、危機対応はより長く、複雑になる一方だった。この状況に対しペンタゴン内で不満がくすぶった九〇年代末になると、変革派に属する専門家は口をそろえて、もういい加減、中国を擬似ライバルに据えた起こりもしない戦争を想定するのはやめるべきだと言うようになった。

輝かしいリバイアサン軍も、9・11に際してはまったくの役立たずだった。攻撃を食い止められもせず、反撃する力もなかった。何週もの間、戦闘機がニューヨークとワシントンの上空を我が物顔で飛び回り、とうに牛が逃げた後の家畜小屋をいたずらに封鎖していた。いろいろな意味で痛ましい光景だった。アメリカが不意打ちを食らって地面に倒れ込む姿を前にして、無敵軍には為す術がなかったのだから。その後アメリカの国家安全保障体制は、毎度おなじみの、民族国家に対する報復をおこなったが、これもまた特殊作戦軍とCIAの準軍組織を用いた奇妙な戦争だった。

アフガニスタンでの戦闘にはまったく備えていなかったペンタゴンだが、持ち前の調整プランニング能力を発揮して、兵力の約五分の一に戦闘の五分の四をやらせて作戦を完遂した。快勝によって戦士魂は再確認されたようで(「軍隊はこのためにあるんだ!」)、国土安全保障省の設立が提案されたときには、ペンタゴンがつまらない問題回避をしているように私には映った。アメリカの国家安全保障をペンタゴンの内部で分化させようというのではなく、それを国内と海外とに分けて済ませようというのだから。

しかし、私が常々予言していた分化は立ち消えになったのではなく延期されただけだった。ペンタゴンは、国土安全保障省がつくられたことによって、重大な損失をこうむっていた。沿岸警備隊は戦闘要員の役割を本質的に失い、国土の防衛に集中するべく、海軍が嫌がるアメリカの海岸線警備に回った。州軍と予備軍はどちらも、さまざまな面で戦闘要員としての役割を大幅に削られた。「イラクの自由作戦」と連携する形で生まれ、国土安全保障に警鐘を鳴らした「自由の盾作戦」にはこれらの兵力が大量に投入された。数の上では「砂漠の嵐作戦」に投入されたのと同じくらいに。しかしこのときには、兵士の多くが世界各国の軍事施設、また、アメリカ国内の重要建造物や名所旧跡の警備に当たった。

評論家の中には、ラムズフェルド国防長官がイラクでの戦争を"安く上げようと"している、すなわち、現地に十分な数の兵を送り込んでいないと責める者もいた。ペンタゴンは持論を実証するだけのために"変革戦争"をおこない、自国民を危険にさらしていると糾弾されもした。"専門家"の多くが、一ブロックずつ潰していくスターリングラード式攻囲でバグダッドは血の海になると予言した。

この戦争に勝つには、ペンタゴンはあまりに準備不足だと述べる(たいていはテレビのネットワーク局で)退役司令官も大勢いた。実際、思うように同盟国の同意を得られず、中央司令部は思うようにイラク入りできず(サウジァラビァとトルコのおかげで)、ペンタゴンはもっと重装甲部隊が必要だと主張して譲らずといった具合で、勝利はできるにせよ、途方もない代価を支払わされるのは必至と思われた。

ベトナムより後は常にそうであったように、戦争は米軍の大勝利に終わった。戦死者は驚くほど少なく、敵軍は完膚なきまでに叩きのめされ、戦闘は速やかに占領へと移行した。ここからが地獄だった。どん底の経済、虐げられた社会、そして、主権委譲の勝手がわからない上に現地を離れたくてたまらない駐留軍に対し、戦後の混乱に乗じてここぞとばかりに非対称戦争を挑んでくる、おびただしい数のゲリラやテロリストたち。戦闘部隊は即座に、自らの意志にも、特性にも、技術形態にも反して「占領軍」へと変貌した。

リバイアサンはシステム・アドミストレーターへと変わり、一国主義的な外交政策は多面的な自省へと変わり、ブッシュ大統領が晴れがましく祖国への凱旋を告げた五月のスピーチは重苦しい九月のスピーチヘと変わった。"戦闘行為の終結〃は、瞬く間に"長期にわたる辛苦"に移行した。ペンタゴンが認めようと認めまいと、とうとう分化が始まったのである。

現在のアメリカには、"戦争担当省〃と"戦争以外のあらゆるもの担当省〃がある。どちらも、かなり宙ぶらりんな状態のまま、ペンタゴンに籍を置いている。そしてどちらもが一人のリーダー、国防長官によって管轄されている。しかし、これら二つの〃省"は、根本的に反目しあったままである。

一方は社会からも、連合軍からも、国連からも距離を置きたがる。他方は、州軍と予備軍のためには社会と新たな協定を結ぶ必要があるし、平和の番人を立てるためには連合軍と新たな協定を結ぶ必要があるし、今後数年にわたって我が国がかかりきりになるはずの国家建設を国際化するためには、国連と新たな協定を結ぶ必要があると承知している。

また、一方の軍隊はイラクでの任務を完壁にこなしたと自負し、なるべく早く帰国したいと願っている。もう一方の軍隊は、イラクでの任務に全力で取り組んでいると自覚し、新たな資源、新たなスキル、新たなパートナーを切に待ち望んでいる。両軍とも、自分たちが過小評価されていると感じているが、同時に両軍とも、イラクの戦後処理がどれほど順調に進んでも、今後アメリカが対テロ世界戦争で介入するたびにこの分裂が何度となく起こるだろうことを承知している。

"戦争以外の軍事行動"は、もはやかつてのように些末なものとして通り過ぎることはできず、アメリカの軍備を拡大すべきか否かについて息詰まる討論を巻き起こした。当然、緊急支出として、事実上、他国の全防衛予算を上回るほどの額の特殊債を発行すべきかどうかについても。戦争に取り懸かれたペンタゴンが常々警戒してきた"対等なライバル〃が、ついに現れたのである。ただし内部から。(P297−P301)


(私のコメント)
日本の学者や評論家たちはアメリカの戦略家たちを過大に評価しすぎているように思える。この「戦争はなぜ必要か」という本の解説を書いている村田教授もジョージ・ケナンやボール・ニッツやジョン・F・ダレスやロバート・マクナマラなど、現役ではキッシンジャーやブレジンスキーの名前を挙げて「大戦略家」と評価しているが、イラク戦争に関する限りキッシンジャーやブレジンスキーは適切な解説をしていたとは思えない。

そもそも9・11のような事態すら予想もしていなかった。国家対国家の外交や戦争なら今までの大戦略家の提言も参考になったのでしょうが、国家対ゲリラやテロリストになると大国アメリカはまったくの無能ぶりをあらわにする。対ゲリラ戦闘ではベトナムで痛い目にあいながら、イラクでまたその過ちを繰り返している。

トマス・バーネットも指摘しているように戦闘は大勝利で終わっても、その後の占領政策はまったくお粗末で、主権の移譲もままならず混乱を重ねている。ネオコンの戦略家たちは日本の戦後統治を例に挙げてイラクも民主主義を根付かせることを目指していましたが、イラクは世界中のテロリストの養成所となり、米軍の将兵は生きた標的となって彼らに貢献している。

昔なら騎兵隊がインディアンを見つけ次第撃ち殺していればよかったのでしょうが、現代のイラクではそうもいかない。アメリカは何時からこのようなバカな国になったのか、ケナンやニッツがイラク戦争を批判していたのにキッシンジャーやブレジンスキーは適切な提言をしていない。もっと若手の戦略家となるとネオコンが日本とイラクを並べてイラクに民主主義を根付かせるなどと馬鹿なことを言っている。

バーネットはペンタゴンをリバイアサンとシステム・アドミストレーターとに二つに分けているが、純粋な軍隊と世界の警察官としての軍隊とに性格が異なる軍隊を使い分けなければならない。「戦争はなぜ必要か」という本の題名は適切ではなく、共産主義に代わる新たなる敵として「ペンタゴンの新しい地図」を表したものだ。しかしこのようなグローバル経済に取り残された地域に対して、アメリカが世界の警察官として駐留するのは国力的に無理がある。

むしろ、イラクやアフガニスタンではアメリカ軍の駐留が新たなるテロを招いている。ペンタゴンではシステム・アドミストレーターという警察官的な軍隊は可能なのだろうか。むしろアメリカ本国の防衛にも手を割かねばならずアメリカの国力ではとても無理だと思える。ハリケーンのカトリーヌに対する国防軍はイラクに割かれて手遅れになり多くの犠牲者を出した。これはアメリカの限界を示している。

アフリカや中南米や東南アジアといったグローバル経済に取り残された地域を、国連などと手を合わせて巡回警察のような役割をペンタゴンは出来るのだろうか。イラクなどのような資源のある国には出来ても、北朝鮮のような何もない国にはアメリカは手も出そうともしない。中国に任せようとしているが中国は北朝鮮を裏から炊きつけてアメリカを翻弄している。

北朝鮮をやっつけるのは簡単だがその後の占領政策ではイラク以上に厄介な問題を抱えることになり、アメリカは北朝鮮に手を出すに出せないでいる。アメリカはちょうど古代ローマ帝国の末期のようになってしまった。各地の反乱に手も足も出なくなり、本土に蛮族が侵入してきても無敵のローマ軍は各地に釘付けであったように、アメリカ軍も9・11やカトリーヌには抵抗できる軍隊を持たなかった。

ラムズフェルドのトランスフォメーション戦略もリバイアサン的発想であり、ゲリラやテロリストには金がかかりすぎる戦略だ。むしろテロやテロリストにはローテクにはローテクで世界各地に砦のような基地を設けたほうが有効だろう。しかしそれには政治的な壁がありゲリラやテロリストは国家の壁を平気で乗り越えてくる。それらに対する新しい戦略はまだ出来ていない。




「参拝してはいけない」と外国の内政干渉に屈した事が
我が国が六〇年前の敗戦国から立ち直れない理由だ。


2005年10月10日

劇場が過ぎ去れば、やはり、歴史観が基軸になる 10月7日 西村眞悟

朝夕に冷気を感じる季節。
 つい最近の、あの猛烈な残暑の中の総選挙が、過ぎ去って久しいように感じてしまう。
 しかし、「劇場」が過ぎ去ったのは確かだ。
 滑稽なのは、舞台は既に過ぎ去ったにもかかわらず、
未だライムライトを浴びて舞台を歩いているつもりの厚化粧の「マドンナ」達か。

 マスコミの人士も、表面に流れている相変わらずの番組とは別に、着実に新しい衆議院の取材を始めている。
 毎回の選挙が終われば、初当選議員全員を取材するあるマスコミ人に、「どうだ、感想は」と逆に取材した。彼曰く、
「前回の民主党の大量の新人議員よりも、まだひどいですわ。
前回は、キンダーガーデンつまり幼稚園でしたが、
今回は、ワンダーランドです」

 とは言え、確かに「けったいな」新人がいるかもしれないが、今は隠れていて表面に現れない「真人」もいることは確かだ。
そして、この人達に議席が与えられたということは、今回の選挙にも国政上の意義があったということだ。
 
 問題は、我が国の政治が、これから国政の真の課題に取り組み始めるか否かである。
 仮に、従来通りの、政策論争に似せた「行政技術」の範囲だけで小泉流の「改革だ、改革だ」とやっているだけならば、如何なる人材も腐らせてしまうだろう。そしてあらゆる選挙が、劇場であろうがなかろうが、単なる政党という「政治集団」のリクルートの場つまり「私」に堕っしてしまう。

そこで、この現在の状況に立脚しながらも、我々日本国の政治家がもたねばならない基本的な視野を提示したい。
 
 この時、ブッシュというアメリカ大統領とアメリカという国家のもつ構想力を見くびってはならないと思う。
 
 日本の総理大臣には、「先を越された」と感じるセンサーもなかったのだが、ブッシュ大統領は、本年六月、モスクワで開催される対独戦争勝利六十周年式典に出席するに先立って、リトアニアの首都リガでヤルタ密約の虚偽と誤りを表明したのである。
 
 (ヤルタ密約とは、第二次世界大戦最末期、アメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相とソ連のスターリン書記長が一同に会し、ソ連を対日戦に参戦させる為の見返りとして、ソ連領の西側は東ヨーロッパ諸国への勢力拡大を、東側は旅順・大連の租借権から樺太・千島の領有を約束し、はてはスターリンに北海道から本州北半分のソ連領有への期待感を与えた会談である。
 従って、戦後日本の運命を決めた会談と言える。)


 他方、同じモスクワの式典に小泉総理も急遽出席するのであるが、歴史観は何も表明せず、何のために行ったのか、極めて影が薄かった。
 ちなみに本年、小泉総理が国際的に表明した歴史観は、インドネシアのバンドン会議五十周年における「村山富市総理談話」の繰り返し、つまり、日本は悪い国で迷惑をかけましたと言う表明であった。

 しかし、ヤルタ密約の欺瞞を指摘しそれを否定することは、
むしろ日本の総理大臣こそ世界に率先してしなければならなかったのである。
 何故なら、我々日本人は、ヤルタ密約の枠組みの中で戦後六十年間封印されたように生きてきたのである。憲法も教育基本法も東京裁判も、戦後的な全ては、ヤルタ体制の中から生み出された。
 この体制の枠組みを嵌められた中で、我が日本は、拉致を防げず、拉致された国民を救い出すこともできない国家であるという実態が明らかにされているのである。
 従って、我が国家の、国民や国土を守ることができるという普通の国、まっとうな国への再興つまり真の「戦後からの脱却」は、あの敗戦後の枠組みを創ったヤルタの否定から始まることになる。

 そう考えれば、アメリカ大統領と我が国の真の政治家は、
同盟国としての歴史観と価値観を共有していることになるのである。ある意味では、厳しい東アジア情勢を乗り切るための、真の日米同盟関係構築の絶好のパートナーがアメリカに存在しているといえる。

 しかし、普天間基地問題においても、総理は事務方に「丸投げ」して関心を示していないようである。
 大きな石にはつまずかないが、小さな石にはつまずく。
「劇場」の終わった後も、総理の頭の中には郵政民営化だけしかないならば、我が国家が極めて危うい、といわねばならない。

 本年の夏の前、日米首脳は共に歴史観を表明した。
 そして、ヤルタ密約の廃棄を表明した大統領と、
村山富市謝罪談話を繰り返した総理大臣との落差を見るとき、
政治家における歴史観の死活的重要性を改めて痛感せざるをえない。
 歴史観は、具体的には拉致された同胞の救出にも関わっている。もちろん、国防にも、自主憲法制定問題にも関わってくるのである。
 そして今、日本は、まさに、国防問題に直面している。
 
 選挙の度ごとに、玉石ともに当選し、玉石共に落選して、人は入れ替わる。従って、この変化が単なる「徒党」の人数の増減という軽佻浮薄なものに終わることのないようにするためには、
「歴史観の表明」という一点が必要となる。
 
 歴史観とは、別に、抽象的で難しいことではない。
 最も身近な先祖への慰霊、政治(まつりごと)に不可欠な国家の為に戦没した方々の慰霊に現れる。
 これを、大切にするのが政治である。

 アメリカのワシントンに、ナショナル・シュラインとアメリカ人が呼ぶ神社がある。
 全ベトナム戦争戦死者五万八千二百二十九名の名前を刻んだ黒い大理石の壁である。この壁に年間百万人のアメリカ人が訪れ、親しい人の名前を確認して涙をにじませる。
 仮に、ベトナム政府が、
「その壁には殺人鬼の名が刻まれている、そこを訪れ涙を流すとはけしからん」、と抗議すれば、
全アメリカ人は激怒してベトナムへの援助禁止どころか経済制裁をせよと立ち上がるであろう。
 仮に、アメリカの議員が、ベトナム政府と同じようなことをいえば、二度と再び議員になれないであろう。

 ここに、アメリカ合衆国が、十五年に及ぶベトナム戦争の打撃と精神的荒廃から立ち上がった所以がある。
 即ち,一九八二年に建てられたナショナル・シュライン(国の神社)とアメリカ人が呼ぶ黒い大理石の壁が、その象徴である。

 では、日本は、
 あるではないか昔から、ナショナル・シュラインが。
本当の意味でのシュラインである靖国神社が。
 しかし、我が国では、ナショナル・シュラインがアメリカとは正反対の扱いを受けている。
 ここに、アメリカが立ち直った理由があり、我が国が未だ六〇年前の敗戦国から立ち直れない理由がある。

 個々の日本人が、靖国神社に、参拝するしないは個々人の領域であるから別にしても、「参拝してはいけない」という外国の内政干渉には激昂して二度と再び言わせない日本人であること、

また「参拝してはいけない」と言う議員は日本に一人もいない、何故なら国民は議席を与えないから、
 私は、このような日本を目指したい。


(私のコメント)
株式日記の今年の5月10日と11日にヤルタ協定について触れましたが、ヤルタ協定は秘密協定であり条約でもなんでもないから日本はこれに拘束されないのですが、現実には戦後の日本を決めてしまった。ブッシュはこれを誤りだったとリトアニアで演説しましたが、暗にルーズベルトを批判したものだ。日本は朝鮮半島や台湾を放棄させられましたがサンフランシスコ講和条約で確定しましたが、ソ連は講和条約にサインはしておらず北方領土はソ連が不法占拠した形になっている。

ロシアにはロシアの言い分があるのでしょうが、国際法的には北方領土は中に浮いた存在になっている。西側の国境問題ではバルト三国が独立を回復したからヤルタ協定以前に戻されましたが千島樺太の問題は日露間で話し合いで決着しなければならない。そうしなければロシアとの平和条約が結べないからですが、不当に連れて行かれた60万人もの抑留者はポツダム宣言違反だ。

ところが日本は敗戦ボケしてどうすることも出来ず、6万人もの犠牲者を出した。これは大統領同士の密約だから、マッカーサーですらどうすることも出来ず、スターリンのなすがままになった。その英霊が祀られているのが靖国神社であり、そこへ慰霊に訪れる事こそ首相の役割なのですが、特定三国の妨害でなかなか行くことが出来ないでいる。

このような現状こそ憂いなければならないのですが、民主党の代表の前原氏ですら靖国へは参拝しないといっているのだから、民主党は政権をとることは不可能だ。もし岡田前代表が8月15日に靖国神社に参拝するような人物なら、国民も小泉劇場に踊らずに民主党も勝てたかもしれない。選挙戦でも「私は8月15日に参拝したが小泉首相は参拝しなかった」と攻撃材料が出来て勝てたかもしれない。ところが岡田代表は左翼のクルクルパーだったから歴史的大敗を喫してしまった。

大阪高裁の判決に見られるように、日本はいまだにマッカーサー憲法の下にあり、アメリカの占領期間は終わってはいない。日米安保とマッカーサー憲法とがある限り日本は独立国家とは言えず、日本は参政権のないアメリカの植民地のままなのだ。しかし税金だけはアメリカに巻き上げられているが、日本人のほとんどはこれに気づいてはいない。

郵政民営化法案をアメリカがしつこく迫っているのも、郵貯の350兆円をアメリカが税金として巻き上げようとするのであり、その実態はほとんどの人は知らない。日本が本当の独立国ならばブッシュに言われる前にヤルタ協定は秘密協定だから無効だと言うべきであり、ポツダム宣言の8項の「カイロ宣言の履行」もそのカイロ宣言の文書すらないのだから、ポツダム宣言そのものの実効性も疑問を持つべきなのだ。

吉田首相が言ったように「戦争に負けても外交で勝つ」ということが出来るはずですが、日本にはそれだけのことが出来る政治家が出てこなかった。それどころか、中国や韓国に靖国神社参拝はけしからんと言われて中曽根総理以降の歴代首相は参拝を見合わせてしまった。日本の首相から国民にいたるまでいまだに敗戦ボケがとれずに、憲法改正や再軍備すらとれないでいる。

もし日本に軍隊と核装備があれば中国や韓国は靖国参拝にクレームをつけてきただろうか。今の日本なら何を言っても大丈夫という侮りが中国や韓国に内政干渉を許しているのだ。これでは靖国神社に眠る260万の英霊は浮かばれないだろう。




ソ連共産党が一番軽蔑してたのは社会党の親ソ派の
連中で、ソ連からお金もらっていたから尊敬しないんです


2005年10月9日

『国家の自縛』 佐藤優(著)

ソ連共産党は原則なき日本社会党と日本共産党を軽蔑した

《 日本は外交原則を忘れたような行動が目立ちますね。 》

ソ連時代、ソ連共産党が一番軽蔑してたのは社会党の親ソ派の連中でした。ソ連からお金もらっていたから尊敬しないんです。その次に軽蔑していたのは共産党。自分たちも信用してないようなマルクス・レーニン主義をまだ本気で信用しているからという理由です。

ソ連共産党はある時期から日本の自民党との与党問交流ということを言い出したんですよ。その中でもとくに重視したのは「北海のヒグマ」と言われた故・中川一郎衆院議員みたいな人なんですよ。一番の右派だから。われわれソ連共産党はソ連という国家を愛してる。あなたたちは日本という国家を愛してる。だからそういう政治家とは話ができるんだということで、安倍晋太郎さん(元外相)がなぜあれだけロシアに好かれたかというと、中川一郎さんの流れを汲む清和会(旧福田派)にその伝統があるからなんです。

一九九一年夏にゴルバチョフ大統領を一時失脚させたクーデター未遂事件の時、首謀者のソ連共産党守旧派の幹部連中というのは、とんでもない連中だというイメージが日本ではあるんですけれども、私は周辺で見ていて、国家に対してはすごくまじめな連中だった。彼らはゴルバチョフ路線でそのままいったらソ連はなくなってしまうと見通していた。確かにそうだったんですよ。ペレストロイカ(再編)というのはソ連国家を強化するためでしょう。社会主義を放棄するためではないと。

ところが主権ソビエト共和国連邦なんて形で社会主義を外した形の連邦条約を作ったら、ソ連国家はなくなるという危機感にかられて彼らは決起したんです。自分たちのやったことは全然悪いと思ってないんですよ。だから謝らない。エリツイン元ロシア大統領が「ごめんなさいと言ったら許してやる」と共産党幹部たちに言ったら、ペッといって全然謝らない。ところが頭を下げたこともあるんです。タイピストとか運転手とか共産党にいたでしょう。彼らは政治と関係ないから再就職させてやってくれと、それで頭を下げたんです。そこのところをエリツインはなかなか粋に思うわけなんですよね。

だから日本とちょっと、私の経験したところだと大分違うなと思って。日本外務省の上司は比較的簡単に謝るんだけども、下僚に責任をかぶせる。逃げちまうとか、こういう文化とロシアの文化は若干違う。それで、このロシア人たちに言われたことがあるんですね。ロシアで本当に人脈をつくりたいのだったら遠慮せずに北方領土問題のことを言いなさい。しかしその時は日本政府のパンフレットにあるような文言じゃだめだと。

あなた自身が徹底的に考え抜き、調べ上げ、北方領土を返還してもらうことが日本人にとって、日本の国家にとっていかに重要かということを自分の言葉で言いなさい。そうすれば、われわれの中で人脈は広がるよと。外交官というのはそれが仕事だし、祖国に忠誠を誓うという人間だったら信用できると。事実、私はある時からそれを始めて驚くほど人脈が広がった。だからフニャフニャしている日本人をロシア人は尊敬しない。とくにロシアからゼニもらうやつは絶対尊敬しない。

その意味ではロシアの場合には、友だち、ロシア語でドゥルーグというんですが、特別の意味があるんです。要するに「あいつは友だちだから、この件についておれは協力できない。あいつを売るようなことになるから」と言えば、ロシアでは通用する。その場合、秘密警察ですら深追いしてきませんよ。ロシアの場合は、例えばスターリン時代に四、五人で話していて、ちょっとでもスターリンの悪口を言って誰かに密告されれば、すぐこれはシベリア送りですからね。その時、あいつが密告したからといってロシア人は怒らないんです。ああ、おれの人を見る目がなかったんだなと。余計な奴のところで余計なことをしゃべってしまったんだと、こう考えるんですね。

こういうロシア人の性格を金日成はよくわかっていました。『金日成著作集』を読むと、金日成自身がソ連や東欧の崩壊を分析してるんですよ。例えば、金日成は東ドイツの指導者だったホーネッカーと仲良かったのですが、東西ドイツが統一された後、ホーネッカーは「平壌に逃げたい。このままだと逮捕されるかもしれない」と金日成にすがりついてきた。

金日成は盟友がそこまで頼んでくるならと、滞在先のモスクワにイリューシン62型機を出した。ところがゴルバチョフ・ソ連大統領が乗せようとしないわけですよ。それで金日成は「かつての同志を裏切るようなゴルバチョフはとんでもない奴だ」と怒るんですが、「ホーネッカーにも問題がある」と言い出して、東ベルリンで流行ったこんなアネクドート(笑話)を金日成自身が紹介するんです。

ホーネッカーがベルリンで傘をさしていた。「街は晴れてるのになんで傘をさしてるんだ」と市民が聞くと、彼は「モスクワでは雨が降ってる」と答えたと(笑)。

そこまでクレムリンに忠実に仕事をしていたから亡国などという下手を打ったのだと。ロシアなんかの言うことを聞いていたらろくなことにならないということを俺はよく知ってるぞと金日成は言うわけですよ。(P138−P141)


(私のコメント)
日本では「愛国者」というと保守反動右翼のように良いイメージはありませんが、ロシアでは愛国者でなければ信用されないということです。これはアメリカでもおんなじだし中国でも世界のどこでも同じでしょう。ところが日本では愛国主義的な教育が日教組教育で否定されて教え込まれてきたから、私のような民族主義的保守派は変人扱いされて右翼呼ばわりされた。

アメリカであろうと中国であろうとロシアであろうと、日本に対する不当な要求は跳ね除けなければなりませんが、ぽち保守派と呼ばれる人たちは、何らかの形でアメリカの世話になったり利権で潤っている人たちであり、左翼といわれている人たちは何らかの形で中国の世話になり利権を持っている人たちなのでしょう。それでもなければ中国やアメリカのプロパガンダをそのまま信じてしまうお人好しだ。

その意味では小泉純一郎や竹中平蔵といった人は東ドイツのホーネッカーと同じ部類の人物であり、ワシントンで雨が降っていれば東京が晴れでも傘をさしている。同じように民主党の岡田代表のように中国に慮ってばかりいる人もいますが、このような人物は宗主国から三行半を下されればたちまち失脚するし、岡田代表のように国民からも三行半を下されてしまう。

自民党はCIAから金をもらって政治をしていたし、社会党はソ連から金をもらって政治をしていた。だから日本の国会はアメリカの代理人とソ連の代理人とが主導権争いをしていたのですが、そのために日本は自主独立の精神を失ってアメリカや中国に媚びへつらう国民が多くなり、大国の言いなりになることが日本の平和のためには良いことだと思い込んでいる人が国会の議長や経団連の会長をしている。

大国にとっては周辺諸国の小国のナショナリズムは反抗的としてしか見ないから、さまざまな方法でプロパガンダしてきますが、ソ連は共産主義を旗印にしたし、アメリカはグローバリズムを帝国主義に置き換えて使っている。これらは従属国のナショナリズムを押さえ込むための道具なのですが、代理人に対しては地位や利権や権力を与えて服従させる。しかし大国から見れば代理人は代理人に過ぎず尊敬はされない。

ソ連共産党が日本の右派の中川一郎に接近してきたのも、日本社会党のように平気で金をもらうような政党は政権を取れないと見限ったからだろう。中国もタカ派の安倍晋三に接近しようとしているのも、民主党では政権を取れないと見限っているからだ。その意味ではアメリカは日本のナショナリズムをうまく封じてきましたが、これらは戦後の教育で愛国主義を否定する教育を行ってきたからだ。その意味では左翼はアメリカに利用されてきた。

いずれにしろ日本の政治家が世界から信用されないのは、あまりにもアメリカに従属的であり日本の国益を考えないからですが、日本国民自身もアメリカを信頼していれば大丈夫という思い込みがあるのだろう。だから「アメリカが郵貯の350兆円を狙っている」などと言えば「まさか」と思い込んでしまう。このように騙されやすい国民はアメリカからも中国からもバカにされているのですが、佐藤氏が指摘するように大国も本当に信用するのは大国の圧力に屈しない愛国者たちなのだろう。




日本が開戦を決意した最大の動機は石油だった。にもか
かわらずハワイ作戦の計画の中で石油は忘れられていた


2005年10月8日

山本五十六 昭和海軍とその悲劇3 福田和也 「諸君」9月号

チャーチルは、燃料転換の方針を定めるとともに、海軍省内に石油の供給間題にたいする委員会を設置し、ついでそれを政府の委員会に格上げしている。同時に、国際資本のロイヤル.ダッチ.シェルに吸収されそうになっていたイギリス系石油会社、アングロ・ペルシャの独立をイギリス政府が大株主になることで守った。この件についてチャーチルは、開かれた国際市場などという通念は、お笑い種でしかない、と議会で演説し、帝国海軍は、石油の供給源を所有するか、そうでなくても供給源にたいする、強い影響力を持たなけれぱならない、と力説している。

あれほど、イギリス海軍に憧れ、模倣したとされるわが帝国海軍に、チャーチルのように考え、行動する海軍大臣がいたのか。不勉強のため私は一人の名前も挙げることができない。

.第一次世界大戦の帰趨は、石油が決めることになった。海路、石油を輸入していたイギリスは、Uポートによる攻撃にあって、燃料枯渇の危機にあったが何とかしのぎきった。連合軍は、自動車を多用して前線への兵員、物資の輸送を行い、鉄道への依存度が高いドイツを圧倒した。一九一四年八月、高名なパリ防衛に、タクシーが一役買ったというエピソードは、燃料のパラダイム転換を象徴するものである。戦車(もちろんガソリンで動く)の前線への投入も、イギリスが主導したものである。「ガソリンの一滴は血の一滴」という言葉は、第二次世界大戦下、日本でもスローガンとして流布したが、もともとこの言葉は、石油の供給を求めて、フランスのクレマンソー首相が、ウィルソン米大統領にたいして語ったものであった。

ドイツが最終的に降伏を決意したのは、一九一八年三月、ソビエト.ロシアとの講和によって入手可能になったパクー油田からの石油が、イギリス軍部隊の占領によって途絶えてしまったからだった。これにより、ドイツは継戦能力が画期された、つまり軍事産業の操業が維持できなくなったからである。

こうした、第一次世界大戦の戦訓は、帝国海軍において、どのように考えられていたのだろうか。たとえぱ、ドイツの場合、第二次世界大戦の時に、軍が使用した燃料の半ばは、合成石油だった。日本でも、そうした設備は稼動していたが、供給力は微々たるものにすぎなかった。

海外の石油会社を買収するなり、代替燃料を大量生産するなり、その態勢を整えるために十分な時間が(費用があったかどうかは議論の分かれるところだろうが)第一次世界大戦から真珠湾攻撃まであったにもかかわらず、なぜ、帝国海軍は燃料の確保ができず、その結果として、望まぬ戦いに踏み切らなければならなくなったのか。詐欺師のもたらす「天恵」に一縷の望みを託さざるをえなかったのか。

もちろん、第一次世界犬戦中にイギリス支援のためインド洋から地中海にわたるまで艦隊を運用し、油槽船の払底により原油不足に悩んだ海軍は、あらゆる日本の組織のなかで、石油問題についてもっとも鋭敏ではあった。大正七(一九一八)年、海軍省は、「軍事上の必要に基づく石油政策」を起草した。日本においてはじめての石油政策の提言であったが、閣議決定にはいたらなかった。

海軍は、この政策案で石油会社の官営化、国内石油会社の統合による国策会社化を提案しているが、実施には至らなかった。

石油の確保に関して海軍は、シェル傘下のライジングサン石油との長期契約によりポルネオ石油の購入権を獲得し、ロシア時代から久原鉱業が保持していた北樺太油田開発権に、六十万円の資金を提供し、鈴木商店、三井鉱山などの参加を仰いで、オハ油田の試掘に成功している。

また、自前の石油精製設備を持ち、海軍煉炭製造所を海軍燃料廠に改組した。海軍としては相応に、取り組んでいるのだが、イギリスに較べると真剣さ、切実さに著しく欠けているように見えてしまう。チャーチルが笑った、「国際市場」なるものを信じ、あるいは甘えていたように見えないでもない。無論、それは現在も(社会全体のこととして)同じことなのだけれど。エネルギーは、金さえだせぱいつでも買えるといったようなものではない、ということを、私たちは六十年前、痛切な思いで味わったはずなのだけれど。

石油問題について、山本五十六も、盲目だったわけではない。むしろ海軍の将校のなかでは、鋭敏だったといっていいだろう。反町栄一は『人間・山本五十六』において、山本は語学将校としてハーバード大学に留学中、テキサスをはじめとする、アメリカ各地の油田や精製施設を視察しただけでなく、「石油に関するあらゆる文献著書を読破し、毎日米国新聞四十幾種類を閲読せられた。これが為め、睡眠時間は一日平均三時間であったといわれている。/その頃山本中佐を訪問すると、水嚢を頭にして勉強しておられる姿を時々見掛けた、との思出話も、今知友の間に残って居るのである」と書いている。

アメリカの石油事情に通暁した山本は、メキシコ旅行を志す。山本のメキシコ旅行というと、反町が紹介した、旅費がないために水とパンとバナナだけですごした、余り貧しい暮しぶりなのでメキシコ政府から日本大使館に問い合わせが来た、というエピソードが有名で、阿川弘之、工藤美代子の両氏もその山本伝のなかで紹介している。

けれども、一番興味深いのは、当時のメキシコの状況だろう。この時期、メキシコの石油産業は、大転換期にさしかかっていた。二十世紀はじめから、本格的な油田開発がはじまったメキシコは、アメリカ企業の参入により大発展を遂げ、第一次世界大戦中にアメリカからの需要が爆発的に増えたためもあって、世界第二位の原油産出国になっていた。

そのうえ、大正六(一九一七)年、メキシコ革命憲法が制定され、天然資源の国有化が宣言されたのである。当然のごとく、。国際資本からなる石油会社は強硬に抗議し、それをアメリカ、イギリスの両政府が後押しするという展開になった。

最初、メキシコ政府は柔軟であった。所有権をとりあえず名目上確保し、操業は国際資本の好きにさせて、一定の税金を納めるだけでよしとした。けれども、国際資本は、その状態に満足せず、アメリカはメキシコ政府に強く抗議をし、軍事介入も辞さない構えを示した。この間、いや気がさした石油会社が撤退するなどの動きがあり、ついに昭和十二(一九三七)年に、石油産業の完全国有化が行われた。メキシコ革命による石油産業の国有化は、第二次世界大戦後の、中東諸国の油田国有化のモデル・ケースとなった。

つまり、山本が誌れた当時、メキシコの石油産業は、国際大資本から離脱しかかる、大混乱期にあったわけで、もしも、日本政府なり帝国海軍なりが、長期的な視野をもって取り組んでいれば、既存の油田を入手できる可能性がないとはいえない状態だったのである。

もちろん、アメリカがいつでも介入できる近隣の土地では、対米戦争時にはさほど意味を持たない。けれども、アメリカの対日石油禁輸に際しては、一定の補償どなりえたのではないだろうか。

山本が、そこまで読んでいたかどうかは分からない。メキシコ原油の獲得といっても、実際に行うならば、全国家的な取り組みと、後藤新平クラスの人材が必要であって、海軍の石油政策程度の提言が通らない状態では、到底国策化は難しかったろう。一留学生にすぎない、山本五十六には、どうにもできないことだったろう。山本が、兄季八に宛てた絵葉書には、新潟の石油業者がメキシコまで試掘に訪れていたことが記されている。

《 石油視察の為めタンピコ市に参り候。一日一井の産額五百余石と云ふ井戸あり、噴出十三年継続と云ふもあり一石の原油一円転出税一円と伝う相場なり。越後あたりでは本当とは受取れぬ話に候。日本石油、宝田石油技師の来ると云ふ太平洋沿岸の地は有望なるも未試掘の地。肝っ玉の太き人に来て貰はずば物.に相成まじく国家的見地から微力ながら推奨申し上候。 》

当時、日本国内の石油資源が、思いのほか少ないことが分かり、有力な石油会社は海外に油田を求めて、海外進出を試みていた。政府の燃料調査委員会の資料「本邦人海外油田利権獲得運動一覧表しによると、大正五年から十五年まで、スマトラ、ジャワ、ボルネオ、フィリビン、ビルマ、インド、アメリカ、カナダ、メキシコ、ペルー、ポリビア、中国、ソビエト、トルコ、マダガスカルなどで四十五件が記録されているが、形になったものははとんどなかった。

翻って、やはり帝国海軍の「死にいたる病」は、石油戦略が決定的に欠けていたことに求めざるを得ないのではないか。

兵頭二十八氏は、『日本の海軍兵備再考』のなかで、海軍のエネルギー戦略を「陸軍を凌駕したノーテンキ」とし、蘭印の油田に.たいして官民あげて買収交渉をすべきだったのに、肝心要の海軍はまったく関心を示さなかった、と批判し、その後ずっとその課題を、陸軍とともに意識することなく(前述した北棒太は別として)、対米対決まで来てしまったことを跡付けている。昭和十四年二月、海軍陸戦隊は、海南島を占領した。この占領はアメリカにたいする重大な挑発行為だが、挑発するだけでそこから生じるリスクにたいする処置を何もしなかった。

《 もしも海軍が、占領した海南島に特別陸戦隊と根拠地を整備したならば、いつでもそこから、空母の支援を受けつつ、直接蘭印を衝くことができた。しかし海軍には、燃料地政学の見識を有するフィッシャーなく、また蘭印武力進駐が唯一の選択肢であることを確信し、その案行のための絵の描ける"石原莞爾。も欠いていた。 》

文中のフィッシャーは、海軍大臣チャーチルに、軍艦の全面的な石油燃料化をすすめた後に、政府の委員となり、イギリスの、独自の燃料確保のために辣腕をふるった提督のことである。さらに、兵頭氏は云う。

《 西太平洋地域で最大の油田がある蘭印(インドネシア)の宗主国がドイツに占領され、政府と元首が亡命したということは、日本にとって干載一遇の大チャンスだったはずである。この時いきなり蘭印に軍隊を送り込み、強行進駐してしまえば、海軍の問題はすべて解決されたであろう。しかし、海軍人にキンタマは無かった。 》

即時の進駐に踏み切れなかったばかりか、海軍は、蘭印植民地政府と日本政府の、石油供給に関する交渉に際してプレゼンスを示すために近衛首相が懇請した艦隊派遣も断っている、と兵頭氏は指摘している。

兵頭氏の想定は、事態を真剣に考えれば考えるほど、それしかなかったシナリオと思われてくるが、同時に日露戦争以降、艦船燃料が石油に変っていくなかで、ひとたびもその隘路を正面突破しようとしなかった帝国海軍の姿は異様であり、むしろ哀しく思われてくる。

こうした視点から見ると、山本五十六の石油に対する感覚は、多少意識的ではあったものの、海軍全体の趨勢と大差はないのではないか、と思われてくる。ダニエル.ヤーギンは石油争奪を軸とした二十世紀史『石油の世紀』のなかで、真珠湾攻撃について、このように書いている。

《 真珠湾攻撃を発案した山本が、日露戦争での一九〇四年の旅順港奇襲の失敗点として指摘していたのは、攻撃の徹底を欠いたことだった。失敗は真珠湾で再び繰り返された。日本が開戦を決意した最大の動機は石油だった。にもかかわらずハワイ作戦の計画の中で、石油は忘れられていた。山本と彼の参謀たちは、石油に関してアメリカが圧倒的な擾位に立っていることを充分に承知していながら、オアフ島にある石油貯蔵基地の重要性を把握していなかった。・石油基地への攻撃は作戦計画になかった。

戦略的失敗だった。ハワイの石油はすべてアメリカ本土から運ばれていた。日本軍がアメリカ艦隊の石油備蓄基地と貯蔵タンクを破壌しておけば、アメリカ太平洋艦隊のすべての艦船は行動不可能に陥っていたはずである。被害は真珠湾で撃沈された軍艦にとどまらなかった。石油は数千マイル離れたカリフォルニアにしかなかった。真珠湾攻撃の後、アメリカ太平洋艦隊司令長官となったチェスター・ニミッツ提督は、こう語っている。「日本軍の攻撃を受けた当時、艦隊の燃料はすぺて地上のタンクに貯蔵されていた。その量は四五〇万バレルに達していたが、タンクはどれも機銃掃射で燃え上がるような代物だった“もし日本軍が石油基地を破壊していたら、戦争はもう二年長く続いていたかもしれない」 》
(『石油の世紀上』日高義樹、持田直武共訳)

真珠湾攻撃については、日本のなかでも多様な議論のあるところで、その点からすれぱ、ヤーギンのきめつけにたいして異論はあるかもしれないけれど、石油を中心として現代世界の歴史を見ている著者の、「石油基地への攻撃は作戦計画になかった。/戦略的失敗だった」という一言葉は、かの奇怪な実験を想起すると、いや増して重い。(以下次号)


(私のコメント)
9月21日の株式日記で「太平洋に消えた勝機」という本を紹介しましたが、日本帝国海軍の間の抜けた戦いぶりは不思議というほかない。もっと真剣に作戦を立てて、徹底的に敵をたたくという行動が見られなかった。それは真珠湾攻撃から始まっており、一次攻撃で作戦を終えて帰ってきたしまったのは不可解であり、帝国海軍は本当にやる気があるのかと思うほどですが、たぶん臆病風に吹かれたのだろう。

二次攻撃ともなればアメリカ軍も待ち構えているから大損害を恐れたのでしょうが、燃料タンクなどは動くものではないから戦闘機の銃撃だけでも大爆発を起こして使用不能になっただろう。その反面、軍艦などは被害を受けてもすぐに引き上げられて修理して復帰したから、真珠湾を奇襲攻撃した戦果は大成功というほどでもない。

帝国海軍が備蓄していた燃料は、一年も動き回れば尽きてしまうことがわかっていながら、燃料の確保に死に物狂いになったという形跡が見られない。政府が決断しなければどうにもならないことでしょうが、燃料がなければ戦争も出来なくなり負けるとも言えなかったのは無責任だ。代替燃料の開発なども研究はしていたのでしょうが、泥縄式の研究だった。

巨大な戦艦や空母は燃料がなければ動かないのだから、いくら軍艦を建造しても燃料がなければ無意味なのだ。開戦当初から確保したインドネシアの石油は日本に運ぼうにもタンカーがアメリカの潜水艦にやられて来なくなり、護送船団を組んで物資を運ぶという発想も帝国海軍にはなかった。フリゲード艦という護送船すらなかったのだ。

日露戦争のときのような艦隊決戦を夢見ていたのでしょうが、それならどうしてガダルカナルまで進撃してしまったのか、自分で自分の首を絞めるような作戦ばかりしている。いずれにしても石油がなければ戦争も出来ないのだからルーズベルトから石油禁輸された時点で勝敗はついていた。ならば海軍首脳はなぜ戦争に最後まで反対しなかったのだろう。だから最初から負けるとわかっていたから真珠湾攻撃のときから一次攻撃で引き上げるやる気のなさだ。

考えてみると武蔵大和などの巨大戦艦は、現代に当てはめると公務員たちの公社公団のようなものであり、実際何の仕事をしているのかわからないが、国から予算をもらうために戦艦を作り自分たちの職場にしていた。しかし巨大戦艦は燃料がなく大東亜戦争でもたいした戦果を挙げることもなく、燃料がなければ存在そのものが無意味だったのだ。




ルーズベルトが中国を、アジアの指導的大国に盛り立て、
日本を弱い立場におとそうとしていたことはうかがえる。


2005年10月7日

島盗り物語(下) 10月5日 熊田 亨 東京新聞朝刊

「真珠湾」からニカ月、日本軍によるシンガポール陥落は、七つの海に君臨して、太陽の没することなかった大英帝国の覇権の終幕を告げる出来事であった。

米にゆだねた英国

このあと、米英連合陣営のアジア太平洋における戦略の主導権はアメリカ。の手にゆだねられた。熱烈な愛国者であり、同時に、骨の髄まで帝国主義者であった英国宰相チャーチルは「アジア戦略の指導権は君にあずける」と、ルーズベルトにたのんだ。

アメリカはおのずから「民主主義の兵器廠」となった。ソ連をふくめて、連合国陣営は、アメリカから供与された新型武器や船艦を使って、たたかった。

だからチャーチルは、ヤルタ会談で極東の将来について話し合ったルーズベルトとスターリンの密約の会合にも参加しなかった。つねに全面的な賛成ではないが、大筋でアメリカのまとめた戦略にしたがった。

ルーズベルトが戦争後のアジア太平洋について、どのような将来構想を描いていたかはよくわからない。

アメリカが伝統的に後見役をつとめてきた中国を、アジアの指導的大国に盛り立て、その分、日本を弱い立場におとそうとしていたことはうかがえる。ルーズベルトからみれば、中国人は数世紀に及ぶ文明国家の民であるのに、日本人は人間の生命の価償をもかえりみない心性未開の民族である。

日本人の荒々しい好戦的な性格を変えるために、南太平洋ポリネシアのおだやかな島民とさかんに交配させて、平和な気質の民族を培養してはどうかと「迷案」を語ったこともある。

関心薄いルーズベルト

ルーズベルトは千島をソ連に引き渡すと約束したとき、千島諸島について深く知らないし、知ろうともしなかった。ソ連が参戦して、最も精鋭な満州の関東軍とたたかい、早い終戦と勝利に貢献してくれるならば、日本に千島をつぐなわせるのはお安い御用であった。

それにルーズベルトは、千島の由来についてくわしくないが、真珠湾攻撃の機動部隊が千島の択捉島の単冠湾から出発したことは忘れ得なかったであろう。

アメリカにとって呪わしい記憶の列島をソ連に引き渡し、スターリンを喜ばせ、勇んで参戦に応じてくれるならば「これ程、結構なことはないという算段があった。

スターリンは、ヤルタで約束したとたがおり、一日も違わず、ドイツ降伏の日から三カ月目、八月八日、日本に対して宣戦を布告した。「広島」の翌々日、「長崎」の前日である。

ソ連の参戦は、南樺太と千島の占領には間に合ったが、スターリンが野望をいだく北海道の占領には時間的にも軍事的にも問に合わなかった。

新大統領のトルーマンから北海道占領をにべもなく拒絶されて、大いに怒りをあらわしたものの、参戦してたった七日間のソ連と、四年間も日本と死闘をつづけてきたアメリカとでは、肩を並べようもないことも実感していた。

ソ連もまた、アジア戦略におけるアメリカの指揮権に従うほかはない。スターリンは北海道をあきらめ、南千島を奪いとる賭けに成功して、満足するほかはなかった。

冷戦告げる小手調べ

千島列島を手中におさめたあと、スターリンは八月三十日の手紙でトルーマンにつたえるのである。

「占領の期間、アメリカの航空機が千島のソ連飛行場を緊急使用する権利をみとめます。ただし、相互主義で、ソ連機がアリューシャン列島にあるアメリカの飛行場に着陸する権利をもみとめていただきたい…」

冷たい戦争を告げる最初の小手調べとなった米ソ巨頭の間の怒気をはらんだやりとりは、これをもって沙汰やみとなった。

アメリカの黙認のもとに、南千島はソ連の占領下におかれた。北太平洋の列島に軍事基地をおく問題は自然に立ち消えになった。

(欧州駐在本社客員)


(私のコメント)
アメリカがなぜ北方領土問題に口出ししないのかは不思議だったのですが、ルーズベルトとスターリンとの密約による協定があったのだろう。もしルーズベルトが4月に死ななければ日本は南北二つに分断されて北海道と東北の一部も占領されて分断されていた可能性がある。さいわい反共的なトルーマンに代わったおかげで早期に大戦が終わり、ソ連が北海道にまで上陸作戦は出来なかった。

以前の株式日記においてもトルーマンとチャーチルがソ連に上陸用舟艇を供与しなかったことを述べましたが、ルーズベルトが生きていればその作戦は実行されて日本は二つに分断されていただろう。ルーズベルトが如何に日本を憎み、中国に対しては多くのアメリカ軍将兵を犠牲にしてまで救おうとしたのか、原因はわかりませんがルーズベルト自身が中国で大きな利権を持っていたからであろう。

アメリカのアジア戦略としては日本と中国とをけしかけては、双方から利権をもぎ取ってゆくのがアメリカの戦略なのだろう。だから蒋介石もルーズベルトに対して中国の利権を与えて救ってもらうことに成功したのでしょうが、結局はスターリンが漁夫の利を得て中国は丸々共産圏入りしてしまった。そしてアメリカは中国における利権のすべてを失った。

結果的にルーズベルトの野望は失敗したわけですが、中ソとの共産主義陣営との冷戦となり、朝鮮戦争やベトナム戦争に直面して、さらなる犠牲を強いられる結果となった。アメリカは長期的な戦略を元に政策を立てて行動しているといわれていますが、単純に有り余る国力で拡大をしてきただけであり、朝鮮半島やベトナムが勢力範囲の限界を示したことになる。

しかしアメリカは朝鮮半島やベトナムで失敗したのにもかかわらず、イラクに軍隊を進めましたが失敗するのは目に見えている。日本やフィリピンのような島国なら強力な海軍で制圧することも出来ますが、ユーラシア大陸においては海軍ではどうにもならず、アメリカの陸軍力は発展途上国の中国軍やベトナム軍にすら苦戦してしまうほどだ。アフガニスタンでも爆弾をばら撒くだけで米軍は基地から出ないで閉じこもっている。

ルーズベルトの親中政策はクリントンにも引き継がれて、アメリカの親中国派は相変わらず多く、ブッシュ政権も国務省のゼーリック副長官などは親中国派であり通商代表のころはジャパンバッシャーとして有名だった。これがアメリカの外交戦略の変更なのかはわかりませんが、アメリカの定まらないアジア政策は日本を翻弄させますが、いつまたルーズベルトやクリントンのような反日大統領が出てくるとも限らない。

アメリカの考え方としては中国と日本とどちらがアメリカの国益になるかということですが、イギリスと異なりアメリカは中国との国交は歴史が無い。だから中国そのものをアメリカ人はよく知らず、パールバックの「大地」的な幻想を抱いている。だから中国にはアメリカは何度も騙されるだろう。だからルーズベルトも結局は中国の利権のすべてを失ったし、クリントンも90年代の中国への投資を全て失うことになるだろう。

利口者なら一度失敗したら二度と同じ失敗は繰り返さないものですが、アメリカは馬鹿だから何度でも同じ失敗を繰り返す。北朝鮮との交渉も裏に隠れた中国に翻弄されて一度騙されてもまた騙されようとしている。今度の六カ国交渉も武力行使はしないと北朝鮮に文書で約束してしまった。喜んだのは中国であり、日本は日米安保は空文化してしまった。日本と北朝鮮とが戦争になってもアメリカは中立を保つことにしたのだ。

このことは増田敏男氏も指摘していますが、日本政府はあまり危機意識は持っていないようだ。日米安保も空文化して基地を提供して思いやり予算をつぎ込んでもアメリカは日本を守ってくれるのだろうか。守ってくれないとしたら日本は憲法を改正して自主防衛体制を築くしかないだろう。アメリカ軍はイラク戦争を見ても張子の虎であることがわかった。




佐藤優(著) 『国家の自縛』 「東アジア共同体」構想
は大東亜共栄圏の論理構成がそのまま使われている


2005年10月6日

佐藤優氏の『国家の自縛』が平成17年9月30日に発売。240ページ、1575円。発行・産経新聞出版、発売・扶桑社

「東アジア共同体」には中国の周辺世界「解放」意図が見える

《 今、「東アジア共同体」構想なるものが浮上していて論議を呼んでいますが、あれは私には中国が東アジアから米国を排除し、日米同盟を弱体化させて、中国主導の秩序をつくっていこうとする策謀としか思えません。佐藤さんはどう考えていますか。》

私は、東アジア共同体の環境が整ってないと思うんです。二つの点から。

まず第一に、アジアにおいて国民国家システムを超えるような共通の価値観があるのかという点についてです。私はないと思う。冷戦構造と変わったのは、韓国を中国とロシアが国家承認しただけ。あとはまったく変わっていない。その状況下で、アジア、北東アジアなどという地域でつなぐような共通の原理があるのか、現実的に考えなくてはいけないと。

かつて日本は大東亜共栄圏構想の中で、アジアの植民地解放を思い描いたわけですが、当時の日本は後発資本主義国だから基礎体力が強くならないと植民地解放はできない。そこで一時的に中国を植民地にすることによって力をつけねばならないと考えたわけです。そういう世界史的な使命感があった。大川周明も高山岩男もそのように考えた。これは主観的には日本帝国主義の拡大じゃないんですね。国家を超えた新しい共同体をつくろうという、すごく先駆的な欧州連合(EU)の拡大みたいな試みだったわけなんです。ところが基礎体力をつくるために中国を植民地にするということに日本の民族的な自己欺瞞があったと私は思うんです。

東アジア共同体構想は、中国が周辺世界を「解放」するという特別な使命感が見え隠れする。そのために日本を含めて周辺国は一時的に自已主張を抑えなさいと。こういう論理構成のように私には見える。われわれが失敗して大顰蹙を買った大東亜共栄圏の論理と基本的には同じだぞということになるんです。あの戦争について日本が「お詫びと反省」をしてるんだったら、東アジア共同体みたいな発想は出てこない。これが一点目。

もう一つはリアリズム。唯一の超大国である米国を抜きに何ができますか。米国と共通の価値観を完全に持っているかどうかっていうことが重要じゃないか。しかし価値観っていうのは二重底なんですよ。一つは広義の共通の価値観で、ロシアとも米国とも日本は一応、共通の価値観なんですね。ヨーロッパとも韓国とも。それは国家指導者が一応、自由な選挙によって、民意に基づいて選ばれてると。それで市場経済ができると。統制経済ではないと。そこがポイント。あと自由なメディアが一応あると。

そこまではいいんだけど、その先、細かいところまで価値観を完全に米国と一致させる必要はないと思うんです。それは固有の文化の否定になると思うんですよね。しかし米国は圧倒的に強い。なぜその米国を意図的にはずし、強いものと喧嘩するような選択をしないといけないのかと。

東アジア共同体という選択によって、米国ともぶつかるし、それから図式的にはプレイヤー、位置は違ってますけど、かっての大東亜共栄圏で失敗したところの論理構成がそのまま使われているし、全然私には、魅力がないんですよね。

大川周明の『米英東亜侵略史』を読んでいって、理論的にはあれだけ優れているものがどうして実践的に破綻してしまったのかと。かつてわれわれはアジアの人々を解放してやると善意のつもりだったが、結果的には人を踏みつけることもしたと。今度は中国は一応、善意に基づいて周辺を踏みつけるという論理構成になる。ある人が他の人を「善意で」踏みつけるっていう論理構成って異常なんですよ。踏みつけるのは悪い。踏みつけられるのは不愉快だ。だから東アジア共同体は全然魅力がない構想だなと思うんですよ。それから東アジア共同体構想には、その底流に無意識な反米ナショナリズムがあります。

実は「朝日新聞」のおもしろいところは、ある意味では「産経新聞」よりも時に極端なナショナリズムに針が振れることです。六〇年安保がそうだったと思う。それからもう一つはわれわれがやられたんですけれども、まず「朝日新聞」や『アエラ』が音頭をとり、それに「産経新聞」や「読売新聞」が続いた。「二島先行返還論」はけしからんと。しかも鈴木宗男がやってることが事実上の「二島返還論」だと。

最初、二〇〇〇年秋の時点で「朝日新聞」は日本政府は「二島返還論」に方針を転換したという誤報をやるわけですよ。これがもとになって二〇〇二年には鈴木宗男さんや私に対する国賊キャンペーンが展開されました。そうやって旗を振ったのは「朝日新聞」の一部の人たちですよ。

この人たちは、かつて「朝日新聞」が書いていた北方領土交渉の経緯と矛盾する記事を書いて、「二島よりも四島の方がいい」という国民の素朴なナショナリズムに訴えました。「鈴木宗男と佐藤優が、独断専行で国是に反するおかしな交渉をロシア側と進めている」というキャンペーンにおいて、朝日新聞が発行する『アエラ』が二〇〇一年春に先駆的役割を果たしたことは事実です。

もっともその後『検証日露首脳交渉』(岩波書店二〇〇三年)を著し、鈴木宗男さんや私が進めた北方領土交渉が、当時の官邸の指示に基づき、外務省首脳部の了解の下に行われたもので、国策に反する事実はなかったことを深い取材で明らかにしたのも、朝日新聞政治部(当時)の佐藤和雄さんと駒木明義さんでした。この本は斎藤勉さんの『日露外交』(角川書店二〇〇二年一と並ぶ、北方領土交渉についての一級の参考書です。

「朝日新聞」イコール左翼で国際協調主義、「産経新聞」イコール右翼でナショナリズムという図式は、間違えています。ここでも個別の報道に基づいて判断するという唯名論が重要です。(P231−P234)


(私のコメント)
佐藤優氏の「国家の自縛」は産経新聞の斉藤勉氏との対談を本にまとめたものですが、さすがは外交のプロであっただけに評論家では知りえないことがたくさん書かれている。前著の「国家の罠」や今回の「国家の自縛」などを読むと、マスコミで作り上げられた国政を捻じ曲げるラスプーチンといったイメージとは異なることがわかるだろう。

佐藤氏は鈴木宗男議員の引き立てで外務省の職員でありながら秘書のような政策秘書の役割をして、鈴木宗男議員の手足となって働いた。外務省の一職員が外交で一仕事しようと思ったら鈴木宗男議員のような有力議員と組まないとできないだろう。北朝鮮とのパイプ役で有名になった田中均参事官も有力議員の後ろ盾があるから出来る事なのだ。

今回は「国家の自縛」の中から「東アジア共同体」についての事を紹介してみます。私自身も東アジア共同体は中国版の大東亜共栄圏であり、内容は佐藤氏が指摘するように同じような論理構成なのだ。それに対して日本とアメリカは東アジア共同体構想にどのようなスタンスを取るのか、日本としては中国中心となるような東アジア共同体は認められないだろう。

アジアにも欧州共同体のようなものが出来れば理想ですが、欧州のような共通した価値観というものがアジアにあるのだろうか。中国にしても自由な選挙などは夢のまた夢であり、政治形態も異なっては緩やかな連合体すら無理だ。またアメリカを除いた共同体は単なる反米ナショナリズムしかないだろう。私としては以前にも書きましたが海洋国家連合と大陸国家連合のような形でまとめたほうが安定すると思う。




憲法58条の条文を利用して自分たちに反対する
野党議員を1人ずつ除名してゆけばどうなるか?


2005年10月6日

佐藤優さん講演会 9月34日 喜八ログ

先日(09-21)佐藤優さんの講演会に行ってきました。

佐藤優さんは同志社大学大学院神学研究科修了後、1986年に外務省入省、三等書記官を経て国際情報局分析第一課主任分析官(現在休職中)。衆議院議員鈴木宗男さん関連の事件で2002年5月背任容疑で逮捕され512日にわたり起訴拘留。2005年2月「懲役2年6ヵ月執行猶予4年」の有罪判決を受け現在控訴中。この体験を書いたノンフィクション『国家の罠』新潮社(2005)がベストセラーとなっています。

講演の会場はJR東京駅近くの「八重洲ブックセンター」8階ギャラリー。講演者席の後ろは全面が窓となっていて、高層ビルやJR路線の夜景が眺め渡せます。小粋な演出です。会場の定員は60名。6時開場の前から続々と客がつめかけ、6時半の開始時刻には満員となり、立ち見客も出現しました。

佐藤優さんは背はあまり高くなく、168cm の私(喜八)と同じくらいでしょうか。「ラスプーチン」という異名から大男を連想していたので、ちょっと意外でした。ちなみにこの「ラスプーチン」は鈴木宗男氏による命名で、もともとは悪意からくる仇名ではありません。

佐藤さんは顔色がよく実際の年齢(1960年生まれ)より若く見えます。濃紺のスーツ、ライトイエローのYシャツ、サーモンピンクのタイ。第一印象は「シャイな感じの人」でした。が、話し出すと両手を振りながらの熱弁・能弁。声から受ける印象は「話しなれている人」。1時間の予定を15分オーバーして、休みなく話し続けました。

講演は主にファシズム(全体主義)について語られました。それは佐藤さんが現在の日本社会がファシズムに移行する危険を強く感じられているためであると、私(喜八)には思えました。大変な学識の持ち主である講演者の話についていくのも困難であったがゆえの誤解かもしれませんが・・・。

以下に講演の中で印象的だった話をいくつか紹介します。ただし大雑把なメモと記憶をもとに書いていますので誤りが含まれているかもしれません。その場合の責任は総て私(喜八)にあります。

■ 憲法58条の2
先日の衆議院選挙の結果、自民・公明を合わせた与党は2/3以上の議席を獲得した。この結果、合法的に一党独裁が実現される可能性が生じてしまっている。というのは憲法58条の2には「両議院は、各々その会議その他の手続及び内部の規律に関する規則を定め、又、院内の秩序をみだした議員を懲罰することができる。但し、議員を除名するには、出席議員の3分の2以上の多数による議決を必要とする」とあるからだ。もし与党がこの条文を利用して自分たちに反対する野党議員を1人ずつ除名してゆけばどうなるか? この事態をマスメディアが伝えないのはどうしたことか?

■ 鈴木宗男さん
鈴木宗男さんは知的好奇心が非常に強い「地アタマ」のいい人。自分(佐藤)は鈴木さんと付き合うことで啓発される点が多い。
今回、鈴木宗男さんが衆議院議員に復活したが「1人で何ができるのか?」という声もある。実際にはかなりのことができる。
国会議員は質問主意書で内閣に対して質問を行なう権利をもつ。
たとえば以下のような質問をしたらどうだろう。

 「モスクワ勤務の外務省一般職員は住宅手当をいくら支給されているのか? それに対して課税はなされているのか?」

この質問に内閣は7日以内に答える義務がある。ちなみに世間の一般常識から遠く離れた高額の手当が支給されているし、課税も行なわれていないはずだ。

■ スパイは本屋が好き
スパイは本屋を頻繁に利用する。これは日本だけでなく世界的な傾向だ。たとえば八重洲ブックセンター洋書売り場のドイツ語本の棚にはずらりとカントの著作が並んでいる。ここにヘーゲルを2冊だけ入れておくのを合図として、その5日後に日本橋丸善で会うというようなことを日常的に行なっている。

■ ロシア人
ロシア人は真面目に自分たちのことを考えている。こちらが真剣につきあえば真剣に応える。またロシア人は自分たちからカネを受け取るような外国人を絶対に信用しない

「佐藤優さん講演会(2)」に続く)



(私のコメント)
ネットを利用しているブロガーにとって著明人の講演会は絶好の一次取材の機会でもあり、私も田中宇氏や西尾幹二氏の講演会などを株式日記で報告したりしました。しかしどのような方法で記事にするかは未経験だから難しい。私もカメラやICレコーダーを持参して記録したのですが、どのようにして記事にしてゆくかで壁に突き当たってしまう。何度も聞きなおして、まとめていたら時間ばかりかかる。

9月の21日に「国家の罠」の著者の佐藤優氏の講演会があったそうなのですが、私は知らなくて参加することができなかった。この講演会の模様を「喜八ログ」というサイトで記事がありましたので紹介します。60名程度の小さな講演会は質問時間もあって取材には絶好の機会なのですが、小さな講演会は宣伝が行き届かないから見逃しやすい。

私は年に数回このような講演会に参加してレポートを書いていますが、金がかかるのと時間も制約があって講演会に行くことは少ない。書店などが主催するようなミニ講演会は費用も安くてねらい目なのだろう。佐藤氏の講演会も八重洲のブックセンターが主催したものですが、ノンフィクション系の著者の講演会は非常に少ない。

最近では宮崎正弘氏の講演会に行きましたが、やはりICレコーダを聞きなおすのが面倒でお蔵入りになってしまった。それよりかは読んだ本を紹介しながら評論したほうが記事にしやすい。本は最初から文字になっているから論点をまとめやすいのだ。その点で講演会の話していることはあちこちに話が飛んでまとめにくい。




映画『亡国のイージス』の評判がいま一つよくないのは、
某国在日機関の組織的な「悪評」投稿による可能性?


2005年10月5日

亡国のイージス〜週刊アカシックレコード051005 佐々木敏

映画『亡国のイージス』の評判がいま一つよくないのは、某国在日機関の組織的な「悪評」投稿による可能性がある。

映画『亡国のイージス』(いきなり音の出る公式サイト < http://aegis.goo.ne.jp/ > 音の出ない紹介サイト < http://moviessearch.yahoo.co.jp/detail?ty=mv&id=321024 > )は日本映画界としては初めて軍隊(自衛隊)の全面協力を得て、ほんもののイージス艦、潜水艦や戦闘機を登場させた画期的な軍事アクション大作映画であるから、当然、記録的な大ヒット…………と思いきや、そうでもなさそうである。

少なくとも、イージス艦も戦闘機も登場しない、つまり超アクション大作でない『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』(以下『踊る2』)ほどの超特大ヒットでないことだけは確かである。

これは困ったことだ。すくなくとも筆者のように、「ほんもの」を必要とする危機管理系の小説を書く作家にとっては、そういう小説を原作とするスケールの大きな映画ヒットせず、ほどほどの規模の映画ヒットする、ということになると、今後出版社から「あまりスケールの大きな作品は書かないように」と言われかねない(というか、そういう注文はすでに来つつある)。

そこで、この目で確かめようと思い、上映館を探すため05年8月、Yahoo映画コーナーの『亡国のイージス』の情報( < http://moviessearch.yahoo.co.jp/detail?ty=mv&id=321024 > )を見た。すると、「ユーザーの採点」( < http://review.messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=movies2&action=l&tid=m321024&sid=2077605574&mid=699 > )があまりに低いので驚いた:

映画をなめているのか…」(2点)( < http://review.messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&tid=m321024&sid=2077605574&mid=312 > )
「原作読んでないとわからないのでは」(1点)( < http://review.messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&tid=m321024&sid=2077605574&mid=141 > )
「某国のイージス?」(1点)( < http://review.messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&tid=m321024&sid=2077605574&mid=176 > )

など酷評が多く、カスタマーレビューの平均点も5点満点で3.2点だった。『踊る2』のときはほとんど5点満点ばかりで「絶賛の嵐」だったから、一瞬、いったいこの差はなんなんだ、と思ってしまった。

なかには、映画プログラムに単なるおまけで脚本が付いていることを取り上げて「パンフレット(プログラムのこと)を作った人はこの映画の台本の出来の悪さに気がついている(から脚本を掲載した)」だの「解説が必要な映画は欠陥映画」だのと、意味不明な「へりくつ」をこねまわして、挙げ句の果てに「この映画を作った人は素人ですか?」( < http://review.messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&tid=m321024&sid=2077605574&mid=281 > )と毒づいているレビュー(1点)もあり、開いた口がふさがらない。

べつにこの映画を理解するのに解説は要らないし、事前に原作を読んでいる必要もない(筆者は読まずに見た)。

それに、脚本の出来が悪いと思う人が、その出来の悪い脚本をわざわざプログラムに載せるはずはない。むしろ、これはセリフに出て来る軍事用語、たとえば「そうかん」や「せんむちょう」の意味(操艦、船務長)を知りたい人へのサービス、と見るべきだ。

もちろん、そんな専門用語の意味(漢字)がわからなくても、映画の理解にはなんの支障もない。セリフに専門用語が出て来るのは、リアリティ(迫力)を出すためであって、べつに観客はその用語の意味をすべて理解する必要はない。この「常識」は、映画『E.T.』の、ETとエリオット少年が並んでベッドに寝た状態で医療スタッフの治療を受ける場面で、医師役の俳優たちが正確な医学用語を矢継ぎ早にしゃべっている(が、観客はほとんどその意味を理解できない)場面を想起すれば、だれでも容易に理解できるであろう。

上記の酷評のなかには、映画そのものを見なくても書ける「とにかくつまらない」式の「悪口のために悪口」も多々ある。世の中には、なんの文才もないくせに投稿で揚げ足取りをすることだけには異様に長けた「投稿オタク」(投稿依存症?)がいることはよく知られているが、それにしてもこの映画レビューには酷評が多すぎる。
なかには、映画公開の3か月以上も前から、まだ映画が完成してもいない段階で、もちろん映画自体もまったく見ずに「5点満点で2点」と採点するなど、平均点を引き下げるための「妨害」としか言いようのない投稿まである(「映画化ってなぁ…」 < http://review.messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&tid=m321024&sid=2077605574&mid=18 > )。
いったい、なぜだろうか。

●投稿ジャック●
そこで、ふと思い出されるのが、05年4月頃に愛知県在住の小誌読者の方から頂いた投書である。それによれば、愛知県下で人気のラジオ番組、CBC『つボイノリオの聞けば聞くほど』(毎週月〜金曜日9:00〜9:32AM放送 < http://hicbc.com/radio/kikeba/index.htm > )では、中国国内で反日暴動がピークを迎えていた4月頃、日中関係、日韓関係についての意見を視聴者(でなくて聴取者)から募集したところ、「日中、日韓関係の悪化はすべて日本側が悪い」「尖閣諸島も竹島もさっさと外国に譲ってしまえ」式の、およそ日本人が書いたとは思えないような、反日的な投書(メールまたはFAX)が多すぎる、ということであった(筆者は05年6月に愛知県に旅行したが、残念ながら、この番組を聴くことはできなかった)。

思い当たることがある。筆者が小誌上(02年1月17日「狂言通報者に背後関係?」 < http://www.akashic-record.com/dragon/kyogen.html > )で、北朝鮮を批判し、参考資料として在日関係機関のWebを引用してリンクを張ったところ、即座にリンク先のWebページ( < http://www.korea-np.co.jp/ > の中の「各地の朝鮮学校、制服を変更/生徒の安全を最優先」の記事)が削除されたことがあったのだ。

別の小誌記事(02年1月31日「『同じ日本人として恥ずかしい』は考えもの」 < http://www.akashic-record.com/dragon/kyogen.html#shame > )でも指摘したとおり、北朝鮮の在日情報機関関係者は小誌を愛読しているようなので(ご購読有り難うございます。(^^;) )、彼らは当然、小誌が拙著新刊発売の際に行う「桶狭間の奇襲戦」キャンペーン( < http://www.akashic-record.com/dragon/okehaz.html#okehaz > )を知っている。

とすると、上記の「反日日本人?」による人気番組への投書殺到も、『亡国のイージス』への多数の酷評投稿も、北朝鮮の在日機関関係者が人気のあるラジオ番組やWebサイトをねらい撃ちにした、北朝鮮版「桶狭間の奇襲戦」ではないか、と思えて来るのだ。

とくに上記の「某国のイージス?」(1点)という投稿は、映画に登場する「某国」(北朝鮮)という言葉にこだわって(映画会社でなく海上自衛隊映画を製作したと思い込んで!?)一種の「憎しみ」を表明しており、北朝鮮国籍を持つ者かそのシンパ(手先)によって書かれた疑いが濃厚だ(「政府(自衛隊)が映画の中のセリフ(敵もみんな生きろ!)をいちいち検閲し許可した」と考えるのは独裁国家の国民)。

●反北朝鮮映画
上記の投稿を見るまでもなく、北朝鮮という国を批判的に描く映画小説では、北朝鮮の国名をどう表現するか、という問題が常にある。在日機関関係者に攻撃されると困るので、北朝鮮を描きつつも描いていないフリをしないと、まずいだろう。

だから、麻生幾原作の映画『宣戦布告』( < http://www.toei.co.jp/sensenfukoku/ > )では「北東共和国」といい、上記の『亡国のイージス』では「某国」といっていたのだ。しかし、その「北東共和国」も「某国」も、東アジアに位置していて日本海に面しており、棲んでいるにんげんの顔は日本人によく似た東アジア系で、しかも公用語がハングルの独裁国家、と来れば、両作品とも北朝鮮を描いていることは明らかだ。在日情報機関関係者が「北朝鮮の国名が出ないから見逃してあげよう」などと思うはずがない。

たとえば、いまや「北朝鮮の手先」(?)が政権を握り言論統制を狙う韓国では(産経新聞05年6月1日付朝刊1面「韓国大統領『新聞権力は規制必要』 世界新聞協会会長が真っ向対立」、中央日報Web版05年4月29日「『韓国の言論の自由は54.6点』 新聞法など影響」 < http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/04/29/20050429000080.html > )、『007ダイ・アナザー・デイ』( < http://www.foxjapan.com/movies/dieanotherday/ > )のような「反北朝鮮的な」映画は不買運動を引き起こしかねず、米国映画『ステルス』( < http://www.sonypictures.jp/movies/stealth/site/ > )では北朝鮮のシーンがカットされるなど修正措置が必要とされ、当然『亡国のイージス』も公開できないのだから(産経新聞05年8月13日付朝刊7面「緯度経度 ソウル・黒田勝弘 平壌に限りなく接近!?」)。

北朝鮮政府機関(朝鮮中央TV)は(金正日総書記の意向で?)上記の『007』を非難したことがあるので(02年12月21日放送のNTV『ウェークアップ』 < http://www.ytv.co.jp/wakeup/news01/bn/2002/n01_021221.html > ) 、当然『亡国のイージス』を「攻撃」する可能性もある。】

そういうこともあるだろうと思って、筆者は小説ではそもそも北朝鮮を描かない主義をとっている。『宣戦布告』では原作者自身が「北東共和国とは北朝鮮のこと」と週刊誌などではっきり述べているが、筆者は『ラスコーリニコフの日』( < http://www.akashic-record.com/raskol/cntnt.html > )や『中途採用捜査官 SAT、警視庁に突入せよ!』(以下『中途2』 < http://www.akashic-record.com/fort/cntnt.html > )に出て来るテロ国家「K国」のことを北朝鮮と言ったことは一度もない。

じじつ、北朝鮮ではない。『ラス…』でも『中途2』でも、K国を「かつて旧ソ連の勢力圏だった、ユーラシア大陸に位置する独裁国家」としているが、旧ソ連圏でイニシャルがKで始まる国は北朝鮮(Korea)のほかに、キルギス(Kyrgyz)もカザフスタン(Kazakhstan)もある。『ラス…』では、K国の上流階級はみなロシア語を話すことになっており、国内でハングル(朝鮮語)が使われているという記述は一切ないし、『中途2』では、K国の空港の位置は「ユーラシア大陸の内陸」になっている。

筆者は、小説の中で北朝鮮批判をする意志は一切ない。理由は、小説で批判したぐらいであの国が変わるとは思えないからだ。
そんな「無駄な抵抗」をするぐらいなら、在日朝鮮人や、日本語に堪能な北朝鮮工作員を含む大勢の方々に、エンターテイメントとして拙著をお楽しみ頂いたほうがよいと考えているので、拙著には北朝鮮と思われる国は原則的に登場しないのである。

【但し、小誌ではしばしば北朝鮮を(批判的に)取り上げる。小誌読者には永田町・マスコミ関係者が多く、そういう方々のニーズがあるからだ。】

【ちなみに、今月(05年10月)文庫化されたばかりの『龍の仮面(ペルソナ)』( < http://www.akashic-record.com/dragon/cntnt.html > )には、中国は登場するが、北朝鮮はほとんど登場しない。この作品は中国を描くことが目的であり、北朝鮮は筆者(この場合は著者)の眼中にはなく、べつに批判の対象にもなっていない。】

もちろん、雑誌や新聞などで筆者(著者)が「K国は北朝鮮のこと」などと麻生式に発言することもない。
どうか、国籍や思想信条にかかわらず、日本語の読める方々はみな、拙著を娯楽作品としてお楽しみ頂きたい。

●大画面向き●
尚、念のために申し上げるが、映画『亡国のイージス』は傑作である。
ぜひ(ビデオ、DVDでなく)映画館の大画面でご堪能頂きたい。それだけの迫力のある作品だ。

どうあがいても対日イメージのよくならない某独裁国家の「手先ども」の言い分など、鵜呑みにしてはいけない(イメージをよくしたければ、さっさと「日本人拉致事件」の被害者を全員返せばよいのだ。くだらん小細工はするな、手先ども!)。


超映画批評『亡国のイージス』45点(100点満点中) 前田有一

福井晴敏の人気小説を海上自衛隊全面協力で映画化。「ローレライ」「戦国自衛隊1549」と、今年続々公開されている邦画軍事アクション大作のひとつだ。

あるとき、東京湾沖で訓練航海中のイージス艦が、某国工作員と副長(寺尾聰)ら裏切り者の自衛官との合同チームにのっとられてしまう。艦には沖縄米軍から盗み出した強力な化学兵器がつみこまれ、それを搭載したミサイルは東京各地に標準をあわせてある。日本政府に激震が走る中、犯人らの退避命令に背き、ただ一人艦内に残った先任伍長(真田広之)の孤独な戦いが始まった。

『亡国のイージス』の見所は、本物のイージス艦でのロケや、実物大に近いセットを組んで撮影した艦内での人間ドラマだ。各登場人物については、決して十分に内面描写を尽くしたとはいえないが、なんといっても役者がいいので見ごたえがある。膨大な小説を映画化したことによる人物描写の浅薄化を、よく補っているといえる。

ただし、原作を読んでいないものにとっては、誰が何の役職なのかすらさっぱりわからないだろう。途中で出てくる女工作員の存在意義も感じにくい。この点はやや不親切だ。

これは私のみならず、防衛政策に造詣が深いジャーナリストの西村幸祐氏も帰り道で同じ事をいっていたから、多くの方が同様に感じると思われる。これだけ登場人物が多いのだから、せめてテロップで場所と役職の説明くらい入れる配慮があってもよかった。……というより、こうした軍事もの映画ではそれ自体が緊迫感を高める演出にもなる。積極的にやるべきだった。

艦内での先任伍長の動きを中心に追っていくので、艦隊戦などの大掛かりなアクションはあまりないが、唯一別の護衛艦との艦上戦闘の場面は、CGを駆使した大きな見せ場になっている。しかし、ここに残念ながら期待したほどの迫力がないのは、基本的にアクションの見せ方が下手だからだ。

たとえば、技術的に難しかったからなのかはわからないが、主砲が敵弾頭を打ち落とす場面や、敵艦沈没というキモを一切描かずにすませてしまったのはいただけない。結果、ほぼ唯一の軍事アクションらしいこの場面の迫力は、なんだかテレビゲーム程度のレベルにとどまってしまった。なんとも残念至極だ。

この映画では本物のイージス艦を使っているのだから、誰が撮ったってそれなりに立派に見えるのは当たり前。しかし、同じ自衛隊全面協力の『戦国自衛隊1549』が色々と工夫して、製作費以上にスケール感を出しているのに比べ、こちらはその逆だ。あれと比べると、こうした軍事アクションの見せ場演出における監督の力量の差は一目瞭然だ。この事については、とくにラストシーン近くのある場面において決定的に露見する。あの東京湾におけるシーンのできの悪さは、それまで物語に没頭していた観客を一気にどっちらけさせる程の破壊力がある。

各台詞には、はっとさせるものがいくつかあるが、ストーリー全体としてはまだまだ不満が残る。あらすじから予想されるような、憂国的な内容、問題提起としてのテーマ性は相当薄味で、リアリティも少々難ありといったところだ。なんといっても反乱自衛官の目的や動機の説明が不充分だし、某国工作員についてはなおのこと、である。

これについては、日本の有事における法体制、または政治家や行政官たちの危機管理の薄さなどに警鐘を鳴らすような、骨太な主張を強くこめていたら現在のような中途半端な印象にはならなかったのではないかと想像する。しかし、映画化にあたっても北朝鮮の国名を名指しできなかったくらいだから、それは無理な相談というものか。

結論として、『亡国のイージス』は(悪くはないが)やや期待はずれの部類に入る。きっとVFXや軍事もの、アクションに強い監督を起用したらもっとよくなっただろう。また、この映画の政治的立ち位置のあいまいさはいかにも日本的といえなくもないが、できればもっと作り手の立場をハッキリさせた、見ごたえのある軍事娯楽作品を次は見てみたいものである。



(私のコメント)
今年の夏に「亡国のイージス」を見ましたが、選挙戦が始まってしまって、映画批評を書こうと思っていたのですがそれどころではなくなってしまった。映画自体は劇画調のアクション映画であって、国策を憂えるような重い映画ではない。真田弘之が演ずる主人公が不死身なのは、まさに劇画ですが、印象としては、いろいろな映画評を見ましたが前田氏の映画評に近い印象を持ちました。

いわゆる近未来の架空の世界の物語だから北朝鮮と名指ししたところで物議をかもすはずがないのですが、国内にいる北朝鮮の世論工作員が妨害活動をするので「某国」と言い直しているのだろう。しかし韓国や中国では架空の近未来映画でも東京に核ミサイルを撃ち込む映画を作ったりしているが、日本人は文明度が高いからいちいち映画ごときでクレームをつけるようなことはあまりない。

しかしテレビや映画は非常に洗脳効果が高いので、工作員達はテレビや映画をチェックしてはクレームをつけることにしているようだ。つい2年前ぐらいまではテレビでも北朝鮮を「北朝鮮民主主義人民共和国」といちいち言い換えていたのは工作員からのクレームによるものだった。それだけ韓国・北朝鮮や中国などでは国策として映画などに力を入れている。

日本でも戦前はこのような国策映画は作られましたが、戦後は極端にナーバスになって、国策を主張するような映画作りは避けられてきた。それでも最近は東条英機を主人公にした「プライド」と言う映画がありましたが、例によって中国や韓国は非難攻撃をしていた。このような文化的なものに対して他国がいちいち干渉するのは文化レベルの違いからですが、発展途上国はしかたがないのだろう。

外国にも日本をぼろくそに描いた映画が沢山ありますが、ハリウッド映画は本当にひどいものが多い。「パールハーバー」と言う映画がありましたが、大本営が戦国武将みたいな旗を立てて作戦をしていたのは笑ってしまったが、これはコメディー映画だったのだろう。このような映画を見ただけでもアメリカと言う映画の文化レベルの低さを世界に知らせるだけなのですが、アメリカ人はそれを自覚していない。

「亡国のイージス」と言う映画は国策的なメッセージを含んではいますが、アクション映画として作られている。娯楽性もあるから見て楽しむには良く出来た映画だ。しかし憂国的な問題提起の映画としては高い評価は出来ない。工作員達からの妨害を恐れたのだろうが、対馬海峡から西は野蛮な荒野と思ったほうがいいのだろう。

この映画は実物のイージス艦や戦闘爆撃機も出てきて、艦内も本物そっくりに作られていて、海上自衛隊員の服や装備が良くわかってマニアにはたまらない映画だろう。先任伍長などと言う階級も始めて知る人も多いだろう。先任伍長は艦長も一目を置くべき存在であり、主人公はその先任伍長だった。陸軍における鬼軍曹ですが、艦長が殺されて青年士官が役に立たない時に指揮を取って危機を乗り越えますが、そんなことが出来るのだろうか。




「NHK番組の改変報道」は、北朝鮮−朝日新聞−NHK
の左翼偏向グループ
という繋がりの中で起こされた


2005年10月4日 火曜日

NHK特番問題:朝日、新事実示せず幕引き 身内も批判 毎日新聞 2005年10月1日

「取材や記事のあり方に対する指摘は一つひとつ反省したい」「総括報告(7月25日朝刊の検証記事)までに半年以上かかったことをおわびします」。NHK特集番組改変問題で30日、記者会見した朝日新聞の秋山耿太郎(こうたろう)社長は、一部取材の不備を認めたが、記事訂正の必要性は否定した。取材の際の録音テープの有無についても明らかにしなかった。識者からは、新たな事実を提示しないまま幕引きを図る朝日の姿勢を批判する意見が出た。

 ◇「録音問題なぜ明かさぬ」識者

 津田正夫・立命館大教授(メディア論)は「7月の朝日の検証で、安倍晋三氏の『呼んだ事実はない』との反論などを覆せなかったことや、朝日が録音テープを出さないことなどから、『NHK報道』委員会が『取材が十分であったとは言えない』と指摘したのはおおむね妥当だと思う。それに対して朝日の対応は腰砕けと言わざるを得ない」と厳しく指摘した。

 田島泰彦・上智大教授(メディア法)は「検証記事や各種インタビュー記事などを読むと、『圧力』『改変』といった基本的な事実関係は明らかになっていると思う。委員会がさらなる裏づけや表現を緩やかにするよう求めているのは、今後の取材活動に無理を強いることになる」と語り、委員会の見解は厳しすぎるとの見方を示した。しかし、田島教授は「朝日は委員会の指摘を受け入れたが、訂正は出さないという。これでは一貫性がないし読者にも分かりづらい」と批判した。

 一方、朝日がこの日「原則として無断録音はしない」と、録音テープについて従来の主張を繰り返したことに疑問の声が相次いだ。

 社内資料流出問題のきっかけとなった「月刊現代」の記事を執筆したジャーナリストの魚住昭さんは「朝日は録音テープを含む取材記録をすべて公表すべきだったのに、社内資料流出という問題にわい小化してしまい、新聞社として読者に必要不可欠な情報を提供する任務を忘れてしまった。公表していれば、自分たちの記事の正当性を裏付けられたはずだ」と指摘。そして「そもそも昨年、無断録音したMDを第三者に渡したとして記者を退社処分にしたのが間違いだった。無断録音があり得ることを認めない姿勢に疑問を感じる」と話した。

 大石泰彦・東洋大教授(メディア倫理)も「無断録音はあり得る取材手法だということは多くの人が感じている。取材過程を明らかにしないという理由で録音したかどうかを明かさない朝日の判断は誤りだ」と語った。

 取材の際に無断録音し、MDを第三者に渡したとして朝日新聞を退社処分になったジャーナリストの辰濃哲郎さんは「録音記録があれば最初から公開すべきだった。そうすれば一定の事実が明らかになり、NHKなどとの不毛な戦いをすることもなく、一連の問題はそもそも存在しなかったのではないか」と語った。

 ◇「取材甘かった」秋山社長

 秋山社長と吉田慎一前編集局長との主な質疑応答は次の通り。

 −−朝日新聞の考え方の中に「1月の記事に不確実な情報が含まれていた」とあるが訂正しないのか。

 吉田氏 7月25日の検証記事の中でも、訂正の必要はないとしている。委員会もそのような意見が大勢を占めた。

 −−取材者が処分されてないが。

 吉田氏 社内規定で情報管理者は所属長になっている。

 −−問題はこれで決着すると考えるか。

 秋山氏 誠意は尽くした。納得できないなら法的対応を取って頂いても結構だ。(取材対象の)安倍晋三議員らについては、この見解を知らせ、どう対応されるのか見守りたい。

 −−訂正の必要がないというなら、反省することはないのでは。

 秋山氏 委員会も「報道には真実と信じた相当な理由がある」と認定してくれたが、取材に甘さがあった。調査報道では、発言が翻されても大丈夫な裏付けが必要で、その意味で深く反省しなければいけない。

 −−取材テープの存在の有無は確認したのか。

 吉田氏 取材のプロセス、方法、中身は明らかにしないというのが社の基本姿勢。あったかなかったか、またそうした調査をしたのかについても答えられない。

 −−この問題以降、朝日新聞で武富士問題や、長野総局の情報ねつ造事件など不祥事が相次いでいるが。

 秋山氏 いずれも社の信頼を傷つけるもので、読者に申し訳なく思っている。社内の体制にたがの緩み、構造的な問題があったのではないか。社として解体的な出直しを進めている。

 ◇私に資料開示を NHK・松尾氏

 朝日新聞記者の取材を受けた松尾武・元NHK放送総局長は30日、NHKを通じ「朝日新聞の取材の内容を確認するために、取材を受けた当人である私に取材の原資料を開示してくれるよう改めて強く求める」とのコメントを出した。

 ◇「問題の本質うやむやに」 現役朝日記者

 朝日新聞のこの日の会見について、朝日の記者からは厳しい批判が相次いだ。

 30代の男性記者は「NHKと政治の関係について取り上げて指摘したことは間違っていないし、意義のあることだったと思う。『事前に説明した』とか『呼びつけた』という部分が間違っていたならば、早く謝ってしまえばよかった。うちがずるずるとやっていてNHKと政治の問題自体がうやむやになってしまったことが残念。社内では会社の対応の遅さに『もういいかげんにしてくれ』という声が多かった。これで何か大きく変わることになるのか疑問だ」と悔しそうに話した。

 社会部経験のある中堅記者は「肝心な部分で取材の不備があったのは明らかだが、安倍氏ら政治家に抗議されるたび、実質的には釈明する内容の反論を繰り返す朝日の姿勢は、政治家にこびていると感じる。今回の調査結果は、早く問題を収束させたいという思いがありありだ」と話す。

毎日新聞 2005年10月1日 2時54分



朝日の陰に北朝鮮工作員 10月3日 依存症の独り言

(前略) 筆者自身は、問題の月刊「現代」九月号:『衝撃スクープ「政治介入」の決定的証拠』を読んでいない。したがって、それを読んだジャーナリストの記事から引用させてもらう。JANJANの中で、木走まさみず氏は以下のように述べている。

ジャーナリスト魚住昭氏の手による21ページに渡る膨大な記事であるが、いろいろなことがはっきりと見えてきて実に興味深い記事である。
そして、この現代の記事は興味深い3つのことを教えてくれている。

(1)記事タイトルとは裏腹に新事実などは一切なかった

はっきり言って、目新しい新事実は一切ない。すでにメディアで報道されている内容を裏付けるものばかりで、読み解いた限り衝撃的な新事実などはなく、当記事のなかでも魚住氏自身が「朝日が想定した直接的で露骨な圧力」はなかったことを認めている。
47ページからそこのくだりを抜粋する。

番組改編問題の最大のナゾは政治的な圧力があったかどうか、ということだった。松尾氏の証言記録などを読めば、その答えは明らかだ。そういう意味では朝日の報道は間違っていない。しかし実際に圧力がかかった経緯となると、
朝日が想定した、直接的で露骨な圧力というより、もう少し複雑な構図があったのではないかと私は考えている。

つまり、魚住昭氏は、朝日新聞から取材資料や録音テープの提供を受けて告発記事を書いたものの、逆に政治家からの直接的で露骨な圧力などなかったことを認めざるを得なかったのだ。
また、木走まさみず氏は以下の記述から録音テープの存在を確信する。

(2)やはり録音テープは存在していた!

このスクープ記事には、理由は不明だが興味深いことに「証言記録」を入手と
あり21ページに渡る記事文章の中で、「テープ」とは一切書かれてはいない。
おそらくリークした朝日側との約束事でもあったのかもしれないが、魚住氏は
完璧に「録音」とか「テープ」という言葉を慎重に避けている。
しかしながら、魚住氏は1カ所だけ朝日幹部の発言を引用する形で言及している。

46ページからそこの下りを抜粋する。

だが、取材記録を読んでおわかりのように、彼が安倍氏の言うようなひどい取材をした形跡はまったくない。この件で社内調査に携わった朝日新聞の幹部はこう語っている。
「安倍さんの発言は事実に反することだらけです。まず、本田記者の取材が
『夜遅かった』というのは嘘です。実際には6時すぎで、これは取材に使った車の運行記録でも確認されています。
それに取材経過を録音したものを聞くと、安倍夫人が『主人は風邪で寝込んでいます』と言った事実はありません。『ちょっとお待ちを』とごく普通に取り次いでもらっています。もちろん本田記者も『会ってもらえなければ取材拒否』だとか『右翼団体と関係あるんですね』『街宣車を回すように指示したんですか』なんてことは一切言ってません」

朝日新聞の幹部が「取材経過を録音したものを聞くと」と語っている。まさに「藪をつついて蛇」の構図なのだ。そして、この記述によって、木走まさみず氏がいう三つ目の問題、「(3)朝日新聞幹部が取材に協力していた」ことが明らかにされているのである。

これは驚くべきことなのであるが、上述したとおり、この魚住氏のスクープ記事の取材自体に、朝日新聞の幹部が全面的に協力しているのである。
(中略)
はっきり疑えるのは、朝日は自分のところで記事にできないネタを別のメディアである講談社にリークして故意に記事にさせる手法をとったのではないのか、ということだ。

ここで、魚住昭氏が言うところの「朝日が想定した、直接的で露骨な圧力というより、
もう少し複雑な構図があったのではないか」というのは、どういう状態かを筆者の想定で書く。

NHKの左翼偏向のプロデューサーが、2001年1月30日のシリーズ番組「戦争をどう裁くか」の2回目で、旧日本軍の慰安婦問題を裁く市民団体の「女性国際戦犯法廷」を取り上げようとした。
この「女性国際戦犯法廷」は、法的に法廷としての根拠がない私的集会であり、人民裁判であるとする見方が強かった。なにしろ被告人も弁護人もいない「欠席裁判」である。
取材できるメディアも限られ(産経新聞は取材を拒否された)傍聴人は「法定内の秩序を保つため」、事前に誓約書を書かせて厳選するなど、公平性とはほど遠いものであることは誰の目にも明らかであった

当然、NHK内部の良識のある人たちが問題にする。政治家の耳にも入る。政治家が
機会を捉えて、NHKの上層部に実情を訊くのは当たり前である。
NHK上層部も、政治家の言動に関係なく、裁判の形式を借りた反日運動・反体制運動であることが余りにも明白なので、公平性を保つ上で番組内容のバランスを取ろうとする。結果、当初に左翼偏向のプロデューサーが意図したものとは、かなり様相の違った番組になった。
NHKの現場は、番組に明らかな偏向が見られなければ、上層部の圧力にそう簡単には屈しない(むしろ必要以上にバランスを取ろうとする)。もし、理不尽な形で政治家の
圧力に屈したのであれば、NHKの労組である日放労が黙っていない。
以上が事実に近いところではないか。
ちなみにNHKの調査によれば、「NHKの幹部が中川氏に面会したのは放送前ではなく放送の3日後である」ことが確認された

それよりも2001年の1月に起こったことが、なぜ4年も経った2005年1月に朝日新聞に
スクープされたのか?そちらの方が問題である。
注目に値するのは、今年の1月は、ちょうど拉致被害者・横田めぐみさんの「ニセ遺骨」問題で、世論が経済制裁に傾き始めていた時期に重なるということだ。
朝日新聞の記事が出た直後に、月刊現代と同じ出版社の週刊現代が、安倍氏が北に密使を送って二元外交を主導した、という事実と異なる記事を掲載している。
北朝鮮に毅然とした姿勢を貫く安倍、中川両氏を狙い撃ちするようにして報道がなされた裏に、こういう背景があったのだ。

週刊現代のネタ元となった韓国のニュースサイトの記事を、朝鮮総連幹部が新聞社やテレビ局に売り込んでいたことは、公安当局も確認しており、「安倍氏を傷つけるマスコミ工作」と分析ている。

ちなみに、「戦争をどう裁くか」の製作を下請けしたNHKエンタープライズ21のプロデューサー・池田恵理子氏は、「女性国際戦犯法廷」の主催者である「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク (VAWW-NET Japan) の運営委員である。
また、国際実行委員会・共同代表の一人である松井やより氏は、元・朝日新聞記者であり、裁判に北朝鮮から検事として参加した鄭南用、黄虎男の両名は「北の工作員」であることが判明している。

つまり、「女性国際戦犯法廷」→NHKの番組「戦争をどう裁くか」の2回目→朝日新聞の「NHK番組の改変報道」は、北朝鮮−朝日新聞−NHKの左翼偏向グループという繋がりの中で起こされた事件であるということだ。
その狙いは、北朝鮮による拉致問題を沈静化させるためのプロパガンダ工作であり、反北朝鮮の急先鋒・安倍幹事長代理の追い落としである

今回の問題で重要なことは、朝日新聞が虚偽の報道をしたか否かもあるが、NHKの番組から朝日新聞の報道に至る背後に何があったのかを検証することである。
毎日新聞が指摘する、取材記者の意図が「NHKと政治の関係を批判する」ことではなく、本当は、「安倍氏らの歴史認識を批判したかったのではないか」という疑問。
産経新聞が言うように、「昭和天皇を弁護人なしで裁いた民間法廷を取り上げたNHK番組の再検証も済んでいない」状況において「まだ、幕引きは許されない」。



(私のコメント)
大阪高裁の違憲判断の陰に隠れた形ですが、朝日新聞の捏造報道問題の総括が朝日新聞の秋山新社長から発表されましたが、結局はうやむやのまま取材方法に問題もあったが、録音テープなどの存在は曖昧なままで誤魔化してしまった。あちらが立てばこちらが立たないと言うことで、MDを講談社に流して記事にさせたようですが、朝日新聞の幹部も絡んでいるようで、朝日新聞の腐敗体質が明らかになった。

武富士からウラ広告費として5000万円もらった事件については株式日記で3月31日に書きましたし、長野総局の捏造報道など、たて続けに事件が起きているのは朝日新聞の経営姿勢に根本的な問題があるからであり、幹部を二人処分してだけではなおる問題ではない。なぜ朝日新聞にこのような不祥事が起きるのかは社員全体のモラルの低下と質の低下が現われてきているのだろう。

朝日新聞でも本当に問題のある記者は一部なのでしょうが、それに対するチェックが効かなくなって来ていることが問題の本質だ。大阪高裁の違憲判断にしても、朝日新聞の捏造報道の調査結果も最終判断と調査内容とが矛盾した結果を示して、曖昧な形の決着をとっている。朝日新聞は最後まで録音していたのか、さらに誰が録音を横流ししたのか不明としていて、これでは調査とはいえない。

しかし朝日新聞の目論みどうりになならず、安倍、中川氏の失脚工作は失敗して、講談社にリークして記事内容が正当であったかのような工作をしようとして墓穴を掘っている。本人の了解を得ずに録音をした本田記者は個人の違反行為として罰する事は出来ても、講談社へ録音を横流しして記事にさせたことは幹部が絡んだ会社ぐるみの犯罪だ。

月刊現代に記事を書いた魚住昭氏も録音したものを聞いたと記事で書いているのだから、録音レープがあることは明らかなのに表に出せないのは、朝日新聞に不利な内容が録音されているから朝日新聞も録音を表に出せないのだろう。つまり取材方法が誘導質問や詐欺的な方法で取材しているから表に出せないのだ。

同じ講談社から出ている週刊現代が安倍幹事長代理が北朝鮮に対して二元外交をしている記事もあり、記事は両方とも阿部氏の失脚を狙ったもので、すなわち記事の出所は同じであり、朝鮮総連が朝日新聞と講談社に炊きつけて記事にさせたのだろう。朝日新聞にしても月刊現代や週刊現代は、少しでもセンセーショナルで売れる記事ということで飛びついたのでしょうが、筋が悪かったのだ。

9・11の衆議院選挙で見られたようにB層の人たちはIQが低くてマスコミが言う事は素直に信じてしまう。だから朝日新聞などの大新聞が書けばそのまま事実として通用してきたのでしょうが、最近はC層の人が増えてきてインテリジェンスの高い人が朝日新聞を攻撃するようになった。なぜならばC層に人はネットを手に入れてA層に対して反撃するようになったからだ。だから朝日新聞は短期間に20万部も購読者が減ってしまった。NHKも信用を失って不払いが増えている。

朝日新聞もNHKもあまりおかしな社員を抱えてイデオロギーに偏った記事や番組を作っていたら大マスコミはどんどん地位は失墜してゆくだろう。私が見てもテレビや新聞の質の低下が明らかであり、かぎられたB層の人しか見ないようになるだろう。最近は自民党だって記者クラブを見限ってブロガーとの懇談会を持つようになっている。


9・11衆院選で朝日新聞が見た夢

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              ((@∀@-/^)
              /⌒朝   ノ
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  ミンシュトウ     i,_,ノ  |||
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      ∧_∧ / 中\  ∧_∧   ∧_∧
   (^<丶`∀´>) `ハ´)(ヽ    >')((´∀`)/')>
   ヽ    /ヽ    ノ ヽ   ノ  ノ    ノ

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         O
    ZZZzzz 。 エヘ…エヘヘ…♪     / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
        _∧_∧_____,,     <. 社民を絶やすな・・・
      /( ( -∀- ) (() /@-@¬  .| 民主は第2の社民党・・・ムニャムニャ
     /  ⊂ 朝  つ ./           \___________
   / ̄⌒(ヘヽ (へ) /
  / ※※\  ⌒⌒く
 (_____(___,,ノ


   イイ夢みたなぁ〜♪
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
      ガバッ!___/())_,, | 民主党新代表 めざせ「日本のブレア」
       Σ.∧___∧ (()/ /<. http://www.asahi.com/paper/editorial20050918.html
      / ( @∀@ )   ./   |
    /⌒\( 朝  )  /     |> 首相の靖国神社参拝には明確に反対している前原氏である。
   / ※※∪⌒ ∪⌒丿    .|> 自民党などに広がりつつある国家主義的な空気には
  (_______ノ_,,       |> 断固として対抗してもらいたい。
                    \__________________





ギリシャ神話はゼウス神を信ずるギリシャの民族宗教
の物語であり、日本の古代神話(神道)に相当する。


2005年10月3日 月曜日

大阪高裁・大谷正治裁判長は、最高裁判所が設置している「正義の像」(テミス像)を「違憲だ」と叫べ! 10月2日 板垣英憲

 大阪高裁の大谷正治裁判長が9月30日下した判決の傍論で、小泉首相の靖国神社参拝に対して、「憲法20条3項」が禁止している「宗教活動」に当たるとして「憲法違反」と述べた。
 日本憲法第20条(信教の自由)は、こう規定している。

 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
 何人も宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない。

 「憲法20条3項」は、第1項と相まって、「国家の非宗教性の原則」を要請している。この原則を確保しようとする規定としては、さらに第89条がある。
 大谷正治裁判長は、小泉首相が秘書官、SPらを従え、公用車を使い靖国神社に参拝したことについて、
 「国は靖国神社との間にのみ意識的に特別のかかわりを持ったというべきで、一般人に対して、国が靖国神社に特別に支援し、ほかの宗教団体とは異なり特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすといわざるを得ず、その効果が特定の宗教に対する助長、促進になると認められる。
 これらによってもたらされる国と靖国神社とのかかわり合いは、わが国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるというべきだ。
 したがって、本件各参拝は憲法20条3項の禁止する宗教的活動に当たると認められる」
 と述べている。
 「小泉首相の参拝」が、「国は靖国神社との間にのみ意識的に特別のかかわりを持った」もので「宗教的活動」であるというのである。すなわち、「特別のものであるとの印象」が与える「特定の宗教に対する助長、促進」が生み出す「効果」が、「宗教的活動」だという論法である。
 しかし、何か変である。というより、「粗雑」であり、「情緒的」にすぎる。
 「小泉首相の参拝」が、「宗教的活動」というものなら、年頭に行われている「伊勢神宮参拝」も、「宗教的活動」というのであろうか。また、明治天皇を祀っている明治神宮、東郷平八郎を祀った「東郷神社」、乃木希典の「乃木神社」に参拝しても、やはり「宗教的活動」と言えるのか。そうだとすれば、通りかがりに町の小さな神社、たとえば、神田明神などに立ち寄り、お賽銭を上げて手を合わせる行為も、「トゲ抜き地蔵」にお参りすることも、「宗教的活動」ということなる。神式の結婚式に列席して、神官からお払いを受けたり、仏式の葬式に参列して、「ご霊前」とは別に、お寺に「ご供養」したり、キリスト教の教会の礼拝に出席して、寄付をしたりしても、「宗教的活動」ということになる。
 国や自治体が新たな建物を建てるときの「地鎮祭」を行うことが憲法違反だとして裁判に訴えるケースがある。しかし、工事に携わる人々にとって「地鎮祭」は、「無事に工事が完了するように」との願いも含まれており、これをなくすれば、現場の人々に潜在的な不安を抱かせることになり、この風習を無碍にカットするわけにいくものではない。それでも「憲法違反」というのであろうか。
 そもそも、最高裁判所には、ギリシャ神話に出てくる秤を持った「女神テミス」を由来とする「正義の像」を設置していなかったか。ギリシャ神話はゼウス神を信ずるギリシャの民族宗教の物語であり、日本の古代神話に相当する。国家機関ではないけれど、弁護士のバッチのなかにこの「秤」がデザインされている。
 全国の地裁・家裁・簡裁、高裁の頂点に立っている最高裁判所は、この「テミス」像を建物・敷地内に設置することにより、「国家の非宗教性の原則」に違反して「違憲」を自ら犯していると思える。「テミス」は、ギリシャ民族宗教のレッキとした神様であり、最高裁判所内に鎮座させることにより、「宗教的活動」(宗教宣伝)に加担、「チンドン屋」を務めていると断じられる。

 日本の司法という「国の機関」が、ギリシャの民族信仰を受け入れ、これこそ、「国家権力」による「特定の宗教に対する助長、促進」になる。
 「テミス」像を飾るくらいなら、どうして日本の民族宗教の最高の神である「天照大神」を祀らないのであろうか。よほど西欧かぶれしているとしか思えない。これなら、最高裁裁判官の国民審査のとき、全員を「×」にすべきであった。
 最高裁判所長官に抗議する! 即刻、違憲の存在である「テミス」像を撤去せよ!
 そもそも、日本国憲法の「法の支配」の背後に「神の支配」という思想があることは、法学者の認めることである。この「神」とは一体、どこの神のことをいうのか。「ギリシャの神」か、「キリスト教」の神か。すでに日本国憲は、「第20条」において、自己矛盾を起こしているといわざるを得ない。
 そもそも、「政治」は、「まつりごと」と言われるように、「お祭りごと」、すなわち、「祭政一致」から始まり成り立ってきているものなのである。だが、国やその機関が、国民の自由な信仰と宗教活動を妨げたり、差別や迫害を受けたりないようにするために、わざわざこの規定を設け、「政教分離」をうたい、国やその機関の権力行使を制限しているのである。政治に携わる権力者が、参拝することを禁じているものではない。
 宮沢俊義東大教授は、「日本国憲法」(コンメンタールT)のなかで、「宗教的活動」とは「宗教の宣伝を目的とするすべての活動をいう。そうした活動のうちで、『教育』の性質を有するものが、『宗教教育』なのである」と定義している。
 小泉首相は、果して、「靖国神社」が奉ずる「神道」の「宣伝マン」、いわば「チンドン屋」のつもりで、参拝しているとでもいうのすか。到底思えない。大谷裁判長の目には、「チンドン屋」に見えているのであろうか。


<神道と憲法> 太田述正コラム#889(2005.10.3)

1 首相靖国参拝大阪高裁違憲判決

 小泉純一郎首相の靖国神社参拝は憲法違反であり、精神的苦痛を受けたと
して、台湾人188人が国と首相、靖国神社に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判
決で、大阪高裁は9月30日、首相の靖国神社参拝について(1)公用車を使用し
秘書官を伴った(2)首相就任前の公約として実行した(3)私的参拝と明言せ
ず、公的参拝を否定していない(4)主な目的が政治的−など参拝前後の状況も
含めて検討し、首相の職務としての「公的性格」を持つと認定し、参拝が憲
法20条3項が禁止する宗教的活動に当たり、違憲であると判決しました(http
://www.tokyo-np.co.jp/00/sei/20050930/eve_____sei_____003.shtml。10月
1日アクセス)。
 この判決に私は二つの点で強い違和感を覚えます。
 首相ともなれば、プライバシーの権利こそ主張できるものの、それが主張
できる以外の場においては、その言動は多かれ少なかれ「公的性格」を帯び
るであって、(1)とか玉串料を公費から出したか否かといった客観的メルクマ
ールや、(2)〜(4)のような主観的メルクマールでもって、その言動が「公的
性格」を持つかどうかを判定することなどナンセンスだ、というのが第一点
です。

 このように、首相が外出して人前で行う信仰活動は多かれ少なかれ「公的
性格」を帯びることから、首相が行う「公的性格」を帯びた宗教的活動は違
憲だ(注1)ということになると、首相になったとたん、その人の信仰の自由
が著しく制約される、ということになりかねない、というのが第二点です。

 (注1)上記高裁判決は、首相が「国内外の強い批判にもかかわらず参拝を
    実行、継続している」とし、「一般人に対し国が靖国神社を特別に
    支援しているとの印象を与え、特定の宗教に対する助長、促進にな
    る効果が認められる。社会的、文化的条件に照らし相当とされる限
    度を超えている」とした上で違憲であるとしているので、「公的性
    格」を帯びておれば即違憲だとしているわけではないが、「」内は
    事実上、「公的性格」を帯びておれば即違憲だとしているに等し
    い。

 つまり、この高裁判決に照らすと、首相になれば、新春に伊勢神宮を参拝
することはもとより、近所の神社に初詣に行くことも、或いは近所の神社の
お祭りに参加することもダメだ、ということになりかねないわけです。


2 神道と憲法

 このような、神道と憲法に係る問題はたくさんあります。
 天皇の即位の礼・大嘗祭が神道行事的色彩があることが、平成天皇の即位
の礼の時に問題になりましたが、これは「「公的性格」を帯びた宗教的活動
は違憲か」という第一点と「高位高官は信仰の自由の制約を甘受すべきか」
という第二点どちらにも係わるという点で、首相の靖国参拝問題と基本的に
同じ問題です。
 また、地鎮祭への地方自治体の関与、忠魂碑建立への公費支出、自衛艦等
の公有艦船への神棚の設置、等の問題は、第一点のみに係わる問題です。
 このほか、殉職自衛官の護国神社への合祀や外国人「英霊」の靖国神社へ
の合祀等の問題があります。これは、故人やその遺族が憲法の信仰の自由規
定を援用して神社への合祀を拒否できるか、という問題です。
 これらの問題をめぐって、現行憲法制定以来繰り広げられてきた違憲論議
や違憲訴訟沙汰をきれいさっぱり解消するためには、方法は一つしかありま
せん。
 神社神道(注2)は宗教ではなく社会儀礼・・日本国民にとって普遍性をも
つ習俗・・であると割り切ることです。


 (注2)戦前内務省所管の神社、及び陸軍省と海軍省共管び靖国神社と護国
    神社、のうち現存する神社に係る諸宗教法人が行っている活動。

 その根拠は次の三つです。
ア 「日本<は>天皇を首長とする祭政一致の統一国家<として始ま
 る。・・天皇は、「水穂の国」の稲作りの主宰者として、年穀豊穣・天下
 泰平の神道的祭礼を行うようになり・・奈良時代初期、天武天皇は各氏
 族・皇族の記録や伝承を編纂し、神道のもととなる神話を整理し、ここに
 神道は国家神道として完成する」と以前(コラム#826)で申し上げたとこ
 ろだが、聖武天皇によって仏教が日本の国教化して以来というもの、神道
 儀礼の元締めとも言うべき天皇でさえ、19世紀の廃仏毀釈までの長きにわ
 たって敬虔な仏教信者であり続け、13世紀から19世紀までの歴代天皇墓
 所は菩提寺の真言宗の泉涌寺に設けられた(コラム#451)ことからして
 も、神道は祭祀(社会儀礼)であり、宗教(信仰の対象)ではない、とい
 う認識が日本人の間でおおむね確立していた、とみなしうること。

イ 明治維新後、祭政一致への復帰・国家神道の復活が図られるが、神官は
 説教や葬儀に関与することが禁じられる等、祭祀と宗教は分離され、神社
 神道は信仰の対象ではなく国民が義務として「崇敬」する対象とされて、
 一般の宗教とは別次元のものとされたこと(http://jp.encarta.msn.com/
 encyclopedia_1161530582/content.html。10月2日アクセス)。
ウ 大嘗祭は、即位した天皇陛下が新穀を天照大神と神々に供え、共に食べ
 て国家・国民の安寧と五穀豊穣を祈る神道儀式であるところ、今上天皇の
 大嘗祭にあたって、宮内庁は、これがわが国の古代農耕社会に根ざした伝
 統的な収穫儀礼・・すなわち社会儀礼・・であると説明したこと(http://
 nippon.zaidan.info/seikabutsu/2003/01291/contents/103.htm。10月2日
 アクセス)。

 最高裁が、このようなスタンスの判決を下すこと、かつその機会ができる
だけ早期にやってくることを期待することにしましょう(注3)。

 (注3)その暁には、神社は宗教法人ではなく、NGOの一種、ということに
    なる。


(私のコメント)
最近のマスコミの記者などの質の低下が著しいのですが、司法界にもそれが及んできているようだ。昨日も書いたように憲法20条の信教の自由は自由を保障するものであり自由を制約するものではないはずだ。それが大阪高裁の大谷裁判長は神社が宗教であると断定して、サラの公務であると断定した上で違憲だと判断した。

しかし訴訟そのものは損害賠償をめぐる争いであり、判決効力のない傍論で違憲判断を下した。しかし損害賠償を認めなかったのだから違憲判決まで触れなければならない理由がない。これまでの同じ訴訟もそれで回避されていたのですが、福岡に次いで大阪で高裁では初めて違憲判断を下した。

もしその論理が通用するのならば、板垣氏が指摘するように最高裁判所に飾られたギリシャ神話のテミス像もギリシャの古代宗教の神の像であるから、裁判所自ら憲法20条に違反して宗教宣伝をしていることになる。もっとも古代宗教が現代でも息づいているのは日本ぐらいなもので、ほとんどがキリスト教やイスラム教などの現代宗教が世界では一般的だ。

神道は教祖も経典もないような神話の世界の古代宗教だから、キリスト教などの現代宗教と同一視するのは、世間知らずの裁判官だからなのでしょうが、最高裁判所に飾ってあるギリシャ神話の女神テミスの像は憲法20条違反ということになる。西洋の古代宗教はかまわないが日本の古代宗教は違反と言う論理は通らない。

公務についても総理大臣ともなればボディーガードの都合で私用だからタクシーを使えともいえないでしょう。総理大臣が私用で出かけて何処にいるかわからないということだと国家の安全保障にもかかわる。だから公用車で靖国神社に参拝したから公務だと言えるのか。

また公約だから公務だと言う意見もあるが、朝日の新聞記者がしつこく聞くから答えたまでで、結果的にマスコミが靖国神社の宣伝をしているようなものだ。中国や韓国ももっと靖国参拝批判をすればするほど、8月15日の靖国参拝者は増えるのではないだろうか。今年は20万人も8月15日に参拝しましたが、いずれは国民的行事になるのではないだろうか。

正月にはひとつの神社だけでも200万人もの人が参拝する神社もありますが、キリスト教徒や仏教徒も何の抵抗もなく参拝しているが、これは神道が社会儀礼であり宗教では無いからだ。ところが靖国神社をはじめ多くの神社は宗教法人として税務署に届け出ているから厄介な事になる。これは政治の不備であり、太田氏の言うごとくNGOとしての届出をすべきなのだろう。


靖国参拝を批判する朝日新聞は反日新聞だ!


ヽ  ノ       `ヽ r´      ヾ ソ
  ~ヽヽ        U       /ノ
   ヽノ
           ∧_∧
            (;@Д@)
-´⌒二⊃   ._φ 朝 ⊂)   ⊂二⌒丶
 _ソ.   /旦/三/./|     ヾ__
.        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| .|
.        | 偏向捏造 |/





大谷正治氏は国家機関の裁判長という職権でもって、
小泉純一郎氏の靖国参拝に干渉しているのである。


2005年10月2日 日曜日

何をやれば違憲か 10月1日 国際派時事コラム「商社マンに技あり!」

  9月30日に大阪高裁が、小泉首相の靖國参拝についての民事訴
訟の判決を出した。

  原告が負けた。小泉首相が勝った。

  ……という大見出しになるべきところ、
                  
                  「首相の靖國参拝は違憲」

という文字が新聞に躍るところが、なんとも異常ではないか。


■ 自由主義社会は何をめざすか ■


  小泉首相は、国民の誰に対しても
「靖國神社を参拝しましょう」
と呼びかけてはいないし、ましてや
「靖國神社を参拝せよ」
と強制してはいない。

  この一点でもって、じつは「勝負あり」なのである。


  自分の後任者(次期首相)となる可能性のある人々に対して
「首相たるもの、靖國神社を参拝すべきだ」
とすら言っていない。

  つまり、
「首相職として、靖國神社は参拝すべきところだ」
などと強制めいた発言はしていない。


  参拝するかしないかは、要すれば「政治家たる小泉純一郎の好
みの問題」なのだ。
  だからこそ、参拝する日付も首相が好みで選んでいる。

  この一点に本質がある。


  われわれが多くの犠牲を払って築こうとしている自由主義社会
とは、まさにこういう「好みの問題」に国家権力が干渉しない社
会のことではないのか。


■ 国家権力機関を私(わたくし)する大谷正治氏 ■


  首相の靖国参拝は違憲だ、と独り言(傍論)をつらつらと書き
連ねた大谷正治裁判長には、おそらく、

        「裁判官自らもまた国家権力そのものである」

という意識が欠落しているのではないか。


  小泉純一郎氏は、他人が靖國神社に参拝するかどうかについて、
まったく干渉したことがない。

  靖國参拝をしなかったからといって不利益を蒙った(国家権力
から嫌がらせをされた)日本国民は、おそらく1人もいないだろ
う。
(「精神的苦痛を受けた」と言っている人は、勝手に もだえて
いるだけだ。)


  ところが大谷正治氏は、
大阪高等裁判所という国家権力機関を巧みに利用して、
その国家機関の裁判長という職権でもって、
小泉純一郎氏の参拝に干渉しているのである。

  これこそ、日本国憲法の第20条に反するものと言わなければな
らない。


  憲法第20条は、
≪信教の自由は、何人(なんぴと)に対してもこれを保障する。≫

と定めている。

  ところが、大谷正治という権力者が言う理屈によれば、

小泉純一郎氏は
た ま た ま 首相であったがために、
要すれば、いかなる宗教施設に行っても、
その宗教施設に行くこと自体が、
国による特別の支援が行われているという印象を与えてしまうか
ら、違憲なのである。

  伊勢神宮はおろか、近所の八幡さまへ参るのも違憲だというの
が、大谷正治権力者がふりかざす理屈の帰結である。

(コラム子の解釈が違っていたら、指摘してほしいものだ。)


■「すること」の強制と「しないこと」の強制 ■


  もちろん、国家というのはそれなりにうまくできている。
 
  大谷正治という権力者がいくらわめいても、小泉純一郎氏の個
人の好みに基づく行為を禁止することができない。

  罰金も徴収できない。


  まあ、当たり前ですね。

  憲法第20条第2項は、
≪何人(なんぴと)も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参
加することを強制されない。≫
と、うたっている。

  当然ながら、逆も然(しか)りであって、
≪何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加 し な い
ことを強制されない。≫
のである。


  これに限りなく違反しているのが、大谷正治裁判長という権力
者の行為ではないか。

  裁判所という国家権力機関の構成員が、小泉氏の宗教上の好み
の問題に立ち入ってはならない。

  それが日本国憲法の基本思想であるはずだ。


■ ここが線引きだ ■


  憲法上、何をやったらいけないか。
  コラム子が引く境界線は、これだ。


「政府広報で 『靖國神社に参拝しましょう』と呼びかける」
  これは違憲である。
  まあ、異論はないでしょう。

  しかし、たとえば自民党が意見広告を打ち「自民党の小泉総裁」
に「靖國神社に参拝しましょう」と呼びかけさせるのは、違憲で
はない。
(ただし、これをもしやるとしたら、政治的には愚劣。)


  政府広報番組の座談会で小泉首相が
「国民の皆さんも、もっと靖国神社に参拝すべきだと思います」
と言うのは違憲に近い軽率発言。

  だが、小泉首相が記者団に囲まれて
「首相にお聞きします。もっと多くの国民が靖國神社に参拝した
ほうがいいと思いますか」
と聞かれたときに、
「そうだと思います」
と言ったからといって、それは違憲ではない。

  個人の意見を、人に聞かれたから答えたまでである。
(ただし、こういうとき、政治家ならもっと答え方というものが
ある。政治的には軽率発言に属する。)


  この辺の微妙なところが、「国家」と「政党」と「個人」の線
引きだと思うのだ。


■ そもそもこれはイベントか? ■


  歴代首相の靖國参拝は、簡素に、さらりと行われてきた。

  並み居る大臣そろい踏みで行くわけでもなく、ましてや首相の
参拝のために数十人、数百人の参拝者を動員した催し物でもない。

「首相と一緒に参拝しましょう」などという案内状(=ある意味
では「強制」)をもらう人はいないのである。


  ほんらい、新聞記事なら数行のベタ記事、ないしは首相動静欄
で1行触れられるていどのものだ。

  これを一大イベントのようにあおりたて、まさに一大イベント
にしてしまった立役者は、マスコミのほうでしょうよ。


  たまたま首相の行く先が九段の靖國神社だから世間は騒ぎ立て
る。
  しかし、もし首相が近所のお稲荷さまや八幡さまに行ったとし
たら、ニュースにもなるまい。
  ただの老人の神社詣(もう)でである。

  いわゆる違憲・合憲にかかわる議論を前にして忘れてはならな
いのは、この点だ。
  これを忘れると、愚かなマスコミに踊らされてしまう。


  隣邦は、マスコミに踊らされる馬鹿者が、ことのほか好きなの
である。


「首相の靖国参拝は違憲」大阪高裁判決、賠償は認めず 9月30日 朝日新聞

《 判決はまず、参拝が首相の職務にあたるかを検討。公用車を使用し首相秘書官を伴っていた▽公約の実行としてなされた▽小泉首相が私的参拝と明言せず、公的立場を否定していなかったこと――などから、「内閣総理大臣の職務と認めるのが相当」と判断した。

 さらに、3度にわたって参拝し、1年に1度の参拝をする意志を表明するなど参拝実施の意図が強固だったと認定。「国と靖国神社の間にのみ意識的に特別にかかわり合いを持ち、一般人に国が靖国神社を特別に支援している印象を与えた」とした。

 そのうえで、参拝の効果について「特定の宗教に対する助長、促進になると認められ、我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超える」として、憲法20条3項の禁止する宗教的活動にあたると結論づけた。 》


.  ∧_∧
  ( ´m`)  これが有名な”アサピーの眼鏡”か・・・ドキドキ
  /O-@∀@O
  し―-J ●~

.   ∧_∧
   (-@∀@)  ムズムズ・・・・裁判官の個人的見解が・・・
(( / つ O ))
  し―-J ●~

.   ∧_∧
  ∩-@∀@)  違憲判決!!・・・見える!!見える!!そう見える!!!!
  /   ノ
  し―-J ●~


(私のコメント)
昨日の続きになりますが、判決の言い渡しの時に裁判官の個人的な意見を述べて、それが判決と同じような効果をもたらす行為は許されていいのだろうか。もしこれが自衛隊の違憲訴訟などの時にも応用すれば、自衛隊も違憲であると意見を述べても判決として拘束力がなくても出来ることになる。

その他の裁判でも裁判官で意見が異なる事がありますが、傍論として説明されます。その中での違憲判断であり拘束力がないということで無責任な判断をしていいものだろうか。無罪だけれどもその行為は許されないというような事は矛盾している。

民事裁判なのだから、違憲であり精神的な苦痛を受けたと言うのだから1万円の賠償金は認めなければ筋が通らなくなる。憲法の第20条の信教の自由とは自分の信教を守るためのものであり、他人の信教自由をどうのこうのと制限するものであってはならない。ところが判決では公用車で靖国神社へ行ったから公務だとして憲法違反と判断した。

一国の首相ともなれば身辺の安全の為に自由に出歩く事もままならず、私用でも公用車を使わざるを得ない。別に行事として行っているのではなく、思いついたときにいっているのだから、それすらも認めないとすると首相個人の信教の自由は無いことになる。だから伊勢神宮は良くて靖国神社は悪いと言う事は裁判官によって善悪を判断される事になる。

憲法20条の信教の自由の主旨はコラム氏が指摘するように、靖国参拝を国民に強制しているものではない。個人的にこっそり参拝しているのに、マスコミ各紙が大騒ぎをしているから、靖国参拝を行事であるかのような印象を与えてしまっているが、テレビや新聞で小泉首相が参拝を呼びかけてはいない。

伊勢神宮の参拝も毎年恒例化して行事に近いのにどうして伊勢神宮参拝は違憲ではないのか筋が通らない。伊勢神宮参拝も秘書などを伴っているし靖国神社よりも問題のはずですが裁判で訴え出た人はいるだろうか。むしろ中国や韓国が靖国神社参拝を因縁をつけることで問題になっているのだ。

昨日も書いたように中国や韓国などでは、靖国問題を叩く事で日本人に対する精神的ダメージを与えるが為の工作活動であり、これは非戦闘的言論活動による侵略行為であり内政干渉である。それに朝日新聞などの反日メディアがのって活動している。

日本の総理大臣が中国の外務大臣から「靖国に行くなと厳命された」から行かないとなれば、日本は中国の属国と言うことになり外交的イメージは失墜する。このような時点で大阪高裁の大谷裁判長は、外国の工作活動の一翼をになって違憲判断を下した。これからは判決の傍論によって国政が左右されるような事も起きてくるようになるだろう。




小泉首相の靖国参拝は違憲…大阪高裁が高裁初判断
日本人の顔をした異国人支配が始まっている事を痛感する


2005年10月1日 土曜日

小泉首相の靖国参拝は違憲…大阪高裁が高裁初判断

小泉首相の靖国神社参拝を巡り、台湾人や日本人の戦没者遺族ら188人が「政教分離原則を定めた憲法に違反し、信教の自由などを侵害され、精神的苦痛を受けた」として、国と小泉首相、靖国神社を相手に、1人1万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が30日、大阪高裁であった。

 大谷正治裁判長は「参拝は内閣総理大臣としての職務行為で、憲法で禁止された宗教的活動にあたる」と述べ、違憲と判断した。小泉首相の靖国参拝訴訟の違憲判決は、昨年4月の福岡地裁に続くもので、高裁レベルでは初めて。

 判決は、慰謝料を求めた損害賠償について「原告らの法的利益が侵害されたとはいえない」として、訴えを退けた昨年5月の1審・大阪地裁判決を支持、原告側の控訴を棄却した。勝訴した国や小泉首相側は上告できないため、原告が上告しなければ判決は確定する。

 判決によると、小泉首相は2001年8月13日と02年4月21日、03年1月14日に秘書官を伴って公用車で靖国神社を訪れ、私費で供花料を支払い、「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳して参拝した。

 1審・大阪地裁判決は、私的参拝と判断したが、大谷裁判長は〈1〉総理大臣就任前の公約の実行〈2〉参拝が私的なものと明言せず、公的な参拝であることを否定していない〈3〉首相発言や談話に表れた参拝の動機は政治的――と指摘。「参拝は内閣総理大臣の職務行為」と公務性を認めた。

 そのうえで「参拝は極めて宗教的意義の深い行為で、一般人に対し、国が靖国神社を特別に支援しているとの印象を与え、特定の宗教に対する助長、促進になると認められる」と言及。「国と靖国神社とのかかわり合いが、我が国の社会的・文化的諸条件に照らして相当とされる限度を超える」と踏み込み、「津地鎮祭訴訟」の最高裁大法廷判決(1977年)が示した「目的・効果基準」に照らし、「憲法20条3項が禁止する宗教的活動にあたる」と、明確に違憲とした。

 一方、慰謝料請求については「参拝を奨励したり、祭祀(さいし)に賛同を求めたりしたものではなく、控訴人らの権利や利益が侵害されたとはいえない」として退けた。

 小泉首相の靖国参拝をめぐる憲法判断は、福岡地裁判決が「違憲」としたが、それ以外の6件の1審判決や、大阪、東京高裁での2件の控訴審判決は、判断に踏み込まなかった。

 靖国参拝を巡る訴訟では、首相らに公式参拝を求めた岩手県議会決議と岩手県の玉ぐし料支出が憲法に違反するかどうかで争われた「岩手靖国訴訟」で、仙台高裁が1991年、首相の公式参拝を「明白な宗教的行為」として、初めて違憲判決を下した。85年の中曽根首相(当時)の参拝についても、92年の大阪高裁が「違憲の疑い」を指摘した。

 ◆靖国参拝訴訟の大阪高裁判決の骨子◆

 ▽小泉首相の参拝の動機は政治的なもの

 ▽参拝は内閣総理大臣としての職務行為

 ▽参拝は憲法20条3項の禁止する宗教的活動にあたる

 ▽国内外の強い批判にもかかわらず実行される小泉首相の参拝は、国が靖国神社を特別に支援しているとの印象を与えている

 ▽内閣総理大臣は、参拝が私的行為か公的行為かを明確にすべきだ
(読売新聞) - 9月30日13時45分更新


着々進む「日本解放工作」 10月1日 軍事評論家 佐藤守

貴重なコメントを多くの方々から頂き恐縮している。既に60万件のカウントを超えたから、私の駄文を1日あたり5〜6000人の方々がご覧になっているという計算になる。

多くの方々が、日本の現状を憂えておられる様子が伝わってくるが、肝心の我が「選良たち」には伝わっているのかどうか??

ところで一番私が心配しているのは、この国の「安全保障体制」を如何に確立するか、ということである。勿論憲法を変えることが最優先事項だが、そう一気に物事は運びそうにない。憲法を変え、教育基本法を変え、スパイ防止法を制定するなど、世界各国の「普通の国」並に早くならなければ、国民が汗水たらして稼いだ金を、みすみす「後進国」にふんだくられるだけである。

国内のモラル欠如、教育の荒廃、大人の堕落…等など、我国に迫る危機感は数えれば切りがないが、もっとも危険なのは『外国の支配下』に入る事だろう。直接侵略よりも、間接侵略の方が数段恐ろしいが、既にそれは始まっているという気がしてならない。

首相の靖国参拝に関する『裁判』は、台湾人が起こし、それを日本人?弁護士たちが支え、更に日本人?裁判官が「憲法違反だ」と判決を下す。その裏には何が隠されているのか?

『そんな非常識な事が通用するのがおかしい。この判決はおかしい。裁判官はどうかしている』などと評論家達が判決批判しても、決定された事実は変わらない。この国の「悪印象」だけが世界に進出する。朝日新聞とNHKを巡る争いも、極めて不自然な事が多過ぎる。この程度の「結論」しか得られない連中が、社会のリーダーになっているという事の方が不自然ではないか?

国会での討論にしてもどこか「小学校のホームルーム並」に程度が低く、産経抄が指摘するまでもなく、円議員の演説などは、小学校のホームルームでも通用しまい。これが我々が選んだ「選良」の実態なのである。

1、基本戦略

 我が党の日本解放の当面の基本戦略は、日本が現在保有している国力の全てを我が党の支配下におき、我が党の世界戦略に奉仕せしめることにある。

2、解放工作組の任務

 日本の平和解放は、左の3段階を経て達成する。

 イ、我国との国交正常化(第一期工作の目標)

 ロ、民主連合政府の形成(第二期工作の目標)

 ハ、日本人民民主共和国の樹立・天皇を戦犯と首魁として処刑(第三期工作目標)

 田中内閣の成立以降の日本解放(第二期)工作組の任務は、右の第ロ項、則ち「民主連合政府の形成」の準備工作を完成する事にある。

3、任務達成の手段

 本工作組の上記の任務は、工作員が個別に対象者に接触して、所定の言動を、その対象者に行わしめる事によって達成される。則ち、工作員は最終行動者ではなく、隠れたる使嗾者、見えざる指揮者であらねばならない。以下に示す要領は、すべて、対象者になさしめる言動の原則を示すものである。

 本工作の成否は、終始、秘密を保持し得るかどうかにかかっている。よって、工作員全員の日本国身分の偽装、ならびに、工作上の秘密保持法については、別途に細則を以って指示する。

政・官・民各界の各種行動を、上記「A,基本戦略・・・」と照合して分析すれば、摩訶不思議な「判決」や、NHKの「天皇批判番組」報道や、それと連携した「朝日の捏造社説問題」などの不自然さが解明されるはずである。

日本人の顔をした異国人支配が、徐々に始まっている事を痛感する。



(私のコメント)
選挙が終わるのを待っていたかのようなニュースのラッシュですが、昨日は大阪高裁が総理の靖国参拝は違憲だとする判決が下された。違憲なのだから原告が勝ったのかというとそうではなく原告への慰謝料は認められなかった。実害はないが憲法違反だとする意見ですが、靖国神社は明治以来の戦死者を祀る慰霊施設であり、そこへは憲法上参拝できないとする判決は間違っている。

毎年8月15日には武道館では天皇陛下や総理を招いての慰霊の行事がおこなわれますが、憲法を気にして無宗教の形で行われている。しかし日本では古来より死者を祀る施設として各地に神社が建てられて死者を弔っていた。それが戦後の憲法によって禁止されないまでも、後ろめたい想いで参拝せざるを得なくなるような大阪高裁の判決だ。

もっとも靖国神社を宗教施設とみなせば首相が公務として参拝すれば憲法違反とするのも当然なのですが、靖国神社参拝問題が日本の歴史と伝統を破壊する目的で中国や韓国が仕掛けて来ていることは明らかだ。それに国内の反政府勢力が乗って運動をしている。先日も教科書問題で活動家が盛んに運動している結果、扶桑社の歴史教科書は0,5%しか採用されなかった。しかしこれは営業妨害ではないか。

<首相靖国参拝>中国外務省「反対の立場に変わりない」

中国外務省の秦剛報道副局長は30日、小泉純一郎首相の靖国神社参拝を違憲と判断した大阪高裁判決について「反対する立場に変わりはない」という短いコメントを発表し、公的・私的を問わず、靖国参拝に反対する姿勢を改めて示した。中国は今回の違憲判断で、参拝への圧力が高まることを期待しているとみられる。
(毎日新聞) - 10月1日1時24分更新

靖国参拝違憲判決を「歓迎」=韓国与党

【ソウル30日時事】韓国の与党・開かれたウリ党は30日、小泉純一郎首相の靖国神社参拝を違憲と判断した大阪高裁判決について「一歩進んだ判断で、歓迎する」とのコメントを発表した。
 コメントは「今回の判決を契機に、神社参拝問題がこれ以上韓日関係や北東アジアの平和に悪影響を及ぼさないことを期待する」として、小泉首相の参拝中止を改めて求めた。 
(時事通信) - 9月30日21時1分更新



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