Intermezzo

 

 いったん自分達のスタイルというか、コンセプトが決まってしまえば恐いもの無しでした。そして前の章でも言及したように、一回曲の感じ方、吹き方や合わせ方を体験してしまえばどんな曲にもその体験が生きてくるのです。お陰様でそれ以来吹奏楽コンクールにもアンサンブルコンテストにも欠かさず出場できるようになりました。その時、その時のエピソードにも事欠きませんが、それはまたの機会に取って置くことにして、今のバンドのことを少し話しましょう。

 

 平成4年度(1992)夏〜秋 吹奏楽コンクール

 課題曲 坂本 智 作曲

     ゆかいな仲間の行進曲

 自由曲 Richard Wagner 作曲

     歌劇「ローエングリン」より大聖堂へのエルザの厳かな行列

 ※全国大会出場(仙台サンプラザ…銅賞)

 

 平成4年度(1992〜93)秋〜冬 アンサンブルコンテスト

 自由曲 Criss Hazel 作曲

     組曲三匹のねこ より Mr Jums

 ※全国大会出場(京都会館…銅賞)

 

 平成5年度(1994)夏〜秋 吹奏楽コンクール

 課題曲 川辺 真 作曲

     ターンブルマーチ

 自由曲 James Bearns 作曲

     アパラチアン序曲

 ※東北大会(山形県民会館…金賞)

 

 平成5年度(1993〜94)秋〜冬 アンサンブルコンテスト

 自由曲 Bobby Timons 作曲

     Moanin’

 ※全国大会(愛知県芸術劇場…銀賞)

 

 平成6年度(1994)夏〜秋 吹奏楽コンクール

 課題曲 櫛田鉄之介 作曲

     雲のコラージュ

 自由曲 Sergey Rakhmaninov 作曲

     前奏曲作品3−2

 ※全国大会(アクトシティ浜松…銅賞)

 

 平成6年度(1994)秋〜冬 アンサンブルコンテスト

 自由曲 Hoagey Carmichel 作曲

     スターダスト

 ※全国大会(松山市民会館…銅賞) 

 

 平成7年度(1995)夏〜秋 吹奏楽コンクール

 課題曲 野村正憲 作曲

     アップルマーチ

 自由曲 Ralf Vaughan Williams 作曲

     イギリス民謡組曲

 ※全国大会(和歌山県民文化会館…銅賞) 

 

 平成7年2月の定期異動で大きな人事異動があり、主要メンバーがバラバラになってしまいました。しかも木管楽器がまたまた少なくなったので、ついに自由曲はブリティッシュスタイルの編曲を使用することになったのです。10年後にはどんな形をとって演奏しているのでしょうか。いずれにせよ、いろいろなイベントが私達のスケジュールを埋めて行きます。どんな形にでも変化できるアメーバのようなバンドを目指さなくてはならないでしょう。そして出てきたメンバーが何人であっても楽しく演奏活動ができる楽譜とアイディアを兼ね備えたバンド活動を目標にしたいと思います。

 

 またいつの日にか楽しいエピソードをお話する機会が来ると思います。その時までの間奏曲としてバンドのメンバーの一言を掲載させて頂き、このドキュメントを締め括りたいと思います。また、余りにも個人的な視点と体験からのみの側面しか表現できておりませんので、その部分を割り引いてお読み頂ければ幸いに存じます。

 

 勤 務 箇 所      氏   名  パートと一言

 

 総務部人事課      及 川  斉  Trb.Fg

  サークルの基本は人ト人の和です。大丈夫、今日は5人でも明日はロく(練習)。仕事よりブラスバンドに精を出し。名簿には載ってるこの人どこの誰?パレードは七夕まつりの華なのだ!ブラバンと家庭とどっちが大事なの?

 

 運輸部輸送課      相 良 俊 美 A.Sax

  音楽を通しての仲間が出来た事、大変嬉しく思います。これからもどうぞよろしくお願い致します。

 運輸部輸送課      佐 藤  功  Hrn

 運輸部輸送課      棚 橋 秀 行 Tuba.Euph.Fl

  会社が同じでも、知り合える機会が無かった人達と音楽を通じて知り合えた事は素晴らしい事だと思います。これからも、この出会いを大切に音楽を楽しんで行きたいと思います。

 運輸部運用課      山 内 信 男 Trp

 

 仙台研修センター    佐 賀 卓 真 PiTrp.Trp.Euph.

  うーん。あちら立てればこちらが立たず。なかなか上手く事が運ばない。 

 一度でいいから丸一日全員で練習してみたいなぁ。

 

 JR仙台病院      佐々木 千賀子 Cl

  数年前にクラリネットを持っただけの団員と言えるかどうか分からない私ですが、25周年記念派、盛大に喜びを表したいと思います。たりらーらら・たらりらららー(本当におめでとうという意味です。)

 JR仙台病院      及 川 幸 子 Cl

    初の女性団員として先輩の皆様からは色々な面でお世話になりました。クラリネットのことが分からない私が吹奏楽コンクールに出場できたのも凄いことだと今更ながら感激しています。もっともっと女性が入団してくれればラッキーですし、吹奏楽を楽しめる人がいっぱいになることを願っています。

 JR仙台病院      厚 木 由 紀 Piano.Per

  25周年おめでとうございます。以前一度お手伝いという形で参加させていただきました。何分素人同様で皆さんの足を引っ張ったのではないかと思いだし、これからは、聴く側に徹したいと思います。JR東日本東北吹奏楽団の今後のより一層のご活躍を期待しております。

  小牛田地区指導センター 田 島 正 幸 Fl

 

 東京地区へ転勤中    小野寺 恵 二 T.Sax

 本塩釜駅        岩 沢 理 恵 Trb

     5年目も笑ってすます、いわさわりえ。でいかがでしょうか。

 古川駅         笠 松 安 一 Trb

 

 びゅうプラザ仙台    両 国 宏 子 Fl

  欠席日数が多くてスミマセン…もっとフルートを練習して復帰します、ウン!

 びゅうプラザ古川    高 橋 浩 恵 Trp

    25周年おめでとうございます。30周年に向けて皆さんがんばりましょう

 仙台車掌区       佐 藤  宏  Trp

 仙台車掌区       須 藤 忠 雄 Trb

 仙台車掌区       松 崎 光 邦 Per

 東京地区に転勤中    池 野  淳  Trp.Flg.Eup

 東京地区に転勤中    三 浦  司  Trp

 山形車掌区       八 巻 俊 之 Trp

  ヨーシ今年は昨年程参加出来ないかも知れないが、参加した時は超頑張るぞ。

 

 会津若松運輸区     中 里 正 夫 B.Sax

 

 会津若松運輸区     増 井 幸 一 Eup

  音楽は楽しいはずが…。練習不足の賜物です。精一杯頑張ります。

 

 福島運輸区       増 子  稔  B.Trb

 仙台電車区       渡 辺 豊 彦 A.Sax

 仙台電車区       遠 藤 秀 一 Hrn

 仙台電車区       内 海 勇 二 Eup

 仙台電車区       高 橋 利 明 Trb.Eup

 仙台新幹線運転所   猪 俣 和 広 Hrn

 

 仙台運転区       阿 部 幸 生 Cl

  音色なんて汚くていい。まして音程なんか合うはずもない。少ない人数、どでかい音量、それがクラリネットパートの誇りです。

 

 新庄運転区       米 川 秀 紀 Cl

 郡山工場        遠 藤 政 伸 Cl

 郡山工場        上 松 宏 昌 Tub.Eup.Trp

 郡山工場        箭 内 正 輝 Ob.A.Sax.Cl

 

 仙台総合車両所     高 橋  功  Cl

  業務と吹奏楽の両立は難しい。でも皆で創り出す曲は楽しいので、ついつい練習に行ってしまう。

 

 仙台総合車両所     佐々木 正 三 T.Sax

    練習は辛いけど、団員との交流があり楽しい。本番一発勝負

 仙台総合車両所     大 川 勇 俊 Trp

 仙台総合車両所     門 間  寿  Per

 東塩竈保線区      富 田 千 春 Trp

 仙台第一電力区     黒 崎 淳 郎 Cl

 昭和57年から約10年間、クラリネットパートに在籍していました。生まれながらのリズム音痴と練習嫌いで団の皆様やパートの方々に幾度と無くご迷惑をお掛けしました毎年暑い中で続けた七夕パレードと初めて全国大会に出場  した広島の思い出です。緊張の連続で足がガタガタとふるえた事が、まるで  昨日のように想い出されます。仕事をしながら、音楽活動を続ける事は、端  で見ている事より、ずーと難しい事を身を持って経験しました。この経験を  これからの人生に生かして行きたいと思っています。

 郡山電力区       菅 野 耕 一 Trp

  いつも足を引っ張っている菅野でーす。でも好きなのでやめられません。よろしく御指導の程お願い致します。

 

 岩切電力区       橋 本 一 弘 Cl.T.Sax

  継続は力なり。よくぞここまで続けて来られました。幾多の感動と音楽の楽しさを享受させてくれたメンバーに感謝します。

 

 福島第一電力区     高 橋 勝 則 Hrn.Eup.Flg

  初めて「仙鉄吹奏楽団」の演奏を聞いた時、胃が痛くなった。「このバンドには絶対入らない。」と思っていた。それが今では…。演奏の完成度は小学生以下でも、個性豊かな大人のこのバンドを今後も続けて行きたい。プラス思考でガンバロー!!

 

 東北鉄道整備      太 田 文 孝 A.Sax

 東北新幹線整備     砂子沢 康 人 A.Sax

 東北総合サービス    佐々木 忠 広 Per

 

 東北総合サービス    上 野  誠  Per

 

 ジェイアール東日本情報システム  沼 沢  学  Trb.E.Bass

  団員全員マルチプレイヤーになろう!!

 

 ジェイアール東日本情報システム  佐 藤 一 夫 Tub

 

 ジェイアール東日本情報システム  折 居 宏 一 Trp

  入団して3年目ですが、下手の横好きです。

 

 JRバス東北      中 村 法 子 Hrn

 JRバス東北      佐 藤 千 秋 Hrn

 仙台ターミナルビル   佐 藤 史 郎 Fl.Tub

 JR貨物東北支社    高 橋  正  Trb

 

 この記念誌の原稿を書いている最中にも色々な情報が飛び込んで来ます。

「佐賀さん、CS放送って知ってるすか。」勝則くんです。

情報によれば、1995年、12月17日、日曜日12時から14時まで、2時間枠のラッパ吹きの休日という番組の中で、衛星放送のCSがJR東日本東北吹奏楽団の1994年の吹奏楽コンクールでの演奏を放送するというのです。曲目はセルゲイ・ラフマニノフの前奏曲作品4の3です。世界は動いているなあ。

 

1995年 夏 都市対抗野球 番外編 「ブラスバンド東京ドームで奮戦す」

 

 今年の私のスケジュール帳にはあまり野球の応援についてのメモがありませんでした。又どうせ東北大会止まりだろう。いや、ひょっとすると県大会も危ないかも知れない。

 でも、相変わらず下馬評は5月までは良かったのです。社会人野球の東北大会では三菱重工横浜や鷺宮製作所等の超強豪を撃破して朝日生命に次ぐ準優勝をしたり、ホームランをポンポン打っちゃったり、本当に本番前は威勢が良いなぁ、と感心していたのです。

  あまり期待しないままに、県大会の準決勝でいつも目の前に立ちはだかるJTさんと対戦することににりました。いつものパターンだと、ここで負けて敗者復活戦に回り、七十七銀行さんと最後の東北大会行きのキップを争うドロ試合を展開するはずでしたが。何を勘違いしたか、それこそポンポン打ってひ弱な投手陣でも安心出来るくらいに点差を広げてくれたので、後半打ち込まれたものの、終わってみれば、楽勝という大変有り難い結果となりました。

 

 さて、応援には一応ブラスバンド全員の出張書面を出すのですが、そこは一ヶ月前に、もはや勤務が決定している当社のことですから、いつも5名程度の参加しか望めません。こんな事では応援もやってられないということで、7年前に一大決心をして、応援団の鈴木進団長と打ち合わせして、選手1人ひとりのテーマソングを決めて新しい応援方法をつくったのです。

 しかし、前述の通り応援に駆けつける事が出来るメンバーが少ない為に、楽譜をどのような形で揃えるかが最大のネックとなりました。

 色々と考えた末に、野球の応援に、うまさが必要なのかという究極の選択を迫られて、一も二もなく、音量をとったのです。つまりユニゾンです。

次に記譜の方法ですが、総て私の手作業になるため、あまり面倒な事はしたくありませんし、メンテナンスも複雑にするのをさけるため、次の3通りの楽譜を用意することにしました。

1. C調のト音記号で記譜したもの。 フルート、キーボード用。

2. Eフラット調のト音記号で記譜したもの。 アルトサックス、ヘ音記号用

  (この楽譜のト音記号をヘ音記号で読み変えると、あら不思議、C調のヘ音

  の楽譜になってしまうのです。)

3. Bフラット調のト音記号で記譜したもの。  クラリネット、テナーサック

  ス、トランペット用。

 F調のホルンはどうした。と思われるかもしれませんが、基本的に野球の応援の時は、ホルンの人は、コルネットかフリューゲルホルンに持ちかえることが通例となっておりますので、ご心配無く。

 このような苦心の策が過去7年間実る事もなく、無念の東北大会で終わることが多かったのです。然るに私のフラストレーションばかりが蓄積されていき、反動の具体的現れとしてとして・・・

 1.長距離電話はいち早く、関連会社の日本テレコムに加入して、NTT対策。

 2.七十七銀行の定期は解約して、仙台銀行へ。七十七銀行対策。

 3.もちろん禁煙して、JT対策。

 4.ガソリン給油はカメイ系列以外のスタンドで。

 5.イトーヨーカドー、ヨークベニマル、セブンイレブンでは買い物をしない。 

 6.音楽テープ、フロッピーディスクはTDKを使わない。

という、屈折した行動に及んだのです。   

  さて話を県大会の決勝に戻しましょう。案の定NTTさんにはボロ負けして、なぁんだやっぱりいつもの年と同じじゃないか、と嘆かせて、第二代表として東北大会へと駒を進めることになったのです。

 初戦の相手は、山形しあわせ銀行さんです。思いもかけない投手戦となり、薄氷を踏む思いの2−1での辛勝でした。たぶんこれで締まったのでしょう。次の試合は3年前の東北大会で私たちのチームのドーム行きに待ったをかけたTDKが相手ですが、不安を感じながらも、県大会のJTさんと同様の展開で打ち勝ち、なんと決勝にあれよあれよと言うまに勝ち進んでしまったのです。

 これは、今年は本当に勝ってしまうかも知れないという期待を大いに持たせてくれました。こうなると現金なのは応援団もブラスバンドもみな同じ。決勝にはものすごい人数があづま球場に押し掛けました。ブラスバンドも20名といつに無くというか、いつもの4倍の音量です。

期待が大きければ大きいほどやってくれるのが、うちのチーム。絵に描いたような大逆転劇をNTTさんに演じられ

3年前の悪夢を思い出してしまいました。

今年も眼前で紙吹雪が舞いました。応援団の心には、ここで勝たなきゃまただめだなぁ、という無力感が漂っています。敗者復活戦の最終戦に回ったJR東日本東北野球部はTDKと七十七銀行に敗者復活戦で勝ったヨークベニマルと最後の決戦を行います。雨で一日順延となったので、どちらのチームも投手は肩が戻っているはずです。問題はこの降り続いている雨がどちらのチームに味方するかです。実はうちの野球部は雨に強いというジンクスがあるのです。6年前に遡りますが、時の強豪チーム、岩手県経済連と55時間30分の雨中の激戦を行い8点差を跳ね返して大活躍をした経緯があるのです。

 今日のブラスバンドは総勢7名。前回よりは寂しいですが勢いはあります。選手ばかり雨の中でやらせておくわけには行かない、とばかりに濡れネズミになりながらも屋根のない最前列で吹きまくりました。

 小細工するような応援の余裕もありませんから、最初から最後まで各選手のテーマソングをやっていました。テンポ良く演奏することだけ考えていましたから、いつもよりも間があく事も無く応援のボルテージも終始上がりっぱなしの状態です。この日のために取っておいた秘密兵器の盛り上げ用ファンファーレ(マカレーナの乙女の冒頭部分)が功を奏しました。初回から調子良く得点を重ねて行きます。点は取られるものの、序盤に獲得した5点差は縮まりません。そのまま気が付けば最終回。最後の相手バッターも、ぬかるんだフィールドにおあつらえ向きのゴロを放ち、ダブルプレーでゲームセットです。

 

 なんとあのTOKYO DOMEが目の前に転がり込んで来たのです。歓喜歓喜の渦の中、私は事業部の中條応援リーダーと抱き合ってうるうるしながら、この長かった瞬間を噛みしめていました。みんな目が真っ赤です。

 ここで応援団長の鈴木進さんが一言ポツリ。

 「行ってしまえば、野球部は楽だなあ。」

 その通りです。それからはとんでもないことが待ち受けていたのです。それから一週間も経たないうちに私は、東北地域本社総務部勤労課の兼務発令を受けたのです。要するにTOKYO DOMEプロジェクトのブラスバンドの演出、仕切り、応援団とのすり合わせ、移動手段等の一切を他のメンバーと協力して成功させろ、とのお達しだったのです。

  今までと同じ応援では桧舞台にふさわしくない。演出等はゼロからの再構築を要求されました。かといってあまり複雑に組み立てると、一般のお客さまが応援に参加出来にくくなってしまいます。その上ブラスバンドの各メンバーが一同に会しての練習など不可能です。今年など7月の声を聴いたのに、まだコンクールの曲さえ一回も合奏したことが無いのに、何おか謂わんやです。その上チアガールとの共同演技と要求項目だけは日を追って増えて行きます。自分のデスクは勤労課にあるものの、部室での楽譜選びが当座の仕事、それも一番重要な仕事となってしまいました。

 それから基本的な応援方法やそれに合わせた曲の選定の為に応援団長の鈴木進さんとの綿密な打ち合わせも欠かせません。遂に兼務期間中の大部分をデスクに座ることなく過ごしたのは私だけだったようです。そのほかにも、バンドの人数が増えた為、楽器の修理品の見積もりやら、学院大のチアガールとの打ち合わせ、おまけに楽譜の購入と本当に自分はJR社員なのかと疑いたくなるような一ヶ月ではありました。

 その中での決定事項を列挙すると・・・

1.宇宙戦艦ヤマトのテーマは止める。 

  昔は、これを吹くと必ず得点出来たが、去年位から神通力が無くなってきた。2.代わりに、コンバットマーチを演奏する。

  疲れるのでやりたくないが、鈴木応援団長の、たっての願いで断れない。

3.各選手のテーマソングは曲の調整を再度して、バージョンアップさせる。

 補強選手分の追加及び、新曲のリクエストがありました。

4.間合いを無くす為に東北大会で使用したマカレーナの乙女のファンファーレを本戦でも採用して音の切れ目を極力防ぐ。

 やっぱり応援は音だよ音、音が主導権を握らなきゃね。応援団には悪いけど。5.チェンジしてから攻守交代の時に1〜2分の曲をやりたいがチアガールが踊れる曲をやって欲しい。

 結局、学院大のチアガールがいつも踊っている曲でやることになってしまった。楽譜は、カセットを聴いて私が手書きの物を準備せざるを得なくなってしまった。間に合うのだろうか。

6.得点したときは、線路は続くよどこまでもを演奏し応援団はジェンカを踊る。7.アトラクションでチアガールと合わせる曲は次の曲とする。総て2分以内のカットが必要。

 ・ブロードウェイマーチは学院大のチアガールと。

  ・フォルテシモはJR東北の即席チアガールと。

 ・ダイアモンドもJR東北の即席チアガールと。

 ・オブラディ・オブラダはJR東京地域本社のチアガールと。しかも楽譜が手元に無いのに頼むの一点張り。これで最後まで私は東奔西走することになる。

8.更にダメ押し。パターンが少ないのでコンバットマーチのような景気の良い曲 をもう一曲要求されたのです。

  この件については、ここ3年間の懸案でしたが、楽譜として存在する今までうちのバンドがやったことのある曲は全て、鈴木団長の「うーん、今一だね。」という言葉のもとに拒否され続けて来たので、遂にこれも私が作曲せざるを得なくなってしまったのでした。

 

 今まで、JR社員が業務として、五線譜を目の前にして頭をかきむしりながら、作曲や編曲をした事があったでしょうか。しかも時には、ピアノが無いという理由で在宅勤務まで命ぜられたのです。かくして、にわかミュージシャンは二週間足らずでこの膨大な知的作業をこなす事を余儀なくされたのです。

 

 話は変わりますが、以前野球応援用のユニゾンの譜面の事をお話しましたが、意外にもこれが今年の吹奏楽のコンクールに役だったのです。木管楽器が非常に少ない編成なので、どうしても練習や本番の人集めに苦労がつきまといましたので、今年はブリティッシュスタイルの編成で参加しようと話し合っておりました所、そのブリティッシュスタイルの楽譜は、全てBフラットのト音記号とEフラットのト音記号で表されているというのです。そうです。正に野球の応援用の楽譜と同じ記譜の方法だったのです。何という偶然、何というラッキーなのでしょう。私は密かにこちらの楽譜も用意して、七夕パレードにも活用出来る曲でコンクール用にも転用できるマーチが多い組曲を選び、その方面に詳しい棚橋君のコネで探しておいてもらいました。今年は本当に嬉しい誤算のドーム出場でコンクールのことなどかまっていられないというのが本音でしたが、可能性の芽だけは残しておきたかったのです。もちろん企画のメンバーも賛同してくれました。何をって、ドーム優先をですよ。指揮者の川村君も快く受け入れてくれました。今年の七夕パレード兼コンクールの自由曲は、ラルフ・ボーン・ウィリアムズ作曲の「イギリス民謡組曲」です。

 

 さてさて、水面下でこのような動きをこなしながら、ドームプロジェクトはあっと言う間に終盤戦を迎えたのです。

 攻撃用の曲はなんとか単純なオーケストレーションでの作曲と編曲が終わりました。曲のイメージは、鉄腕アトムとウルトラマンと宇宙少年ソランを足して二で割ったような8小節の曲です。勿論作詞もやってしまいました。一昔前の言葉で言えば、シンガーソングライターみたいな感じでしょうか。曲のノリはグンバツなので、就学前児童から棺桶前老人まで男女を問わず一回耳にすれば歌えるハズです。これは自信があります。なんていったって応援団が30秒で覚えてしまったのですから。突然東京の応援団が来ても大丈夫でしょう。

 攻守交代の幕間でやる曲も、在宅勤務で単純なオーケストレーションにしてみました。要するにビンビン鳴ってドームに負けなければいいわけですから、華麗にとか多彩なとか技術的に難しい事は逆にしなくても良いわけです。お手本は勿論ブリティッシュスタイルの編成です。

 その間にもドームの下見があり、ステージの状況とセッティングの位置等を詳しく決めて来ました。JR東日本東北の野球部も練習し、感覚に慣れてきたようです。しかし、他のチームと違い、バッティングピッチャーが悪い。なんと味方のバッターにぼこぼこ当てているのです。これでは効率的なバッティング練習になりません。これでは先がおもいやられるなあ、やっぱり一回戦でボロ負けかぁ等と思いながら、席を立ち帰路につこうとした瞬間、快音が耳を突き刺しました。「ドガン。」なんと朝日生命の看板広告を直撃した打球があったのです。だれだあいつは。テーマソングをガラガラヘビからラッキーマンに変えた丹野純一ではないですか。本番でもそれくらい打ってよ。不安の中にも一縷の望みを感じながら下見を終えて来ました。

 後は応援団の総合練習です。それまで私は楽譜のコピーマシンと化して全員分の作業マニュアルとも言うべき楽譜を作成しましょうか。楽譜さえ揃えば後はこっちの物だ。ブラスバンドにとって練習の機会はたったの二回。以前からお話のあった、ツーデーマーチイン猪苗代にからめた郡山工場会食場での応援団との合同練習と東京地域本社の大会議室で試合前日に行う予定の最終総合練習です。

それまでの応援団との練習は、東北地域本社にいる連中でなんとか回して応援団のメンバーには感覚を掴んでもらうから良いでしょう。ちょっと待ってよ。何か忘れていませんか。ゲッ、東京のチアガールとやる予定のオブラディオブラダの楽譜がまだ入手できていないんだった。これがないと困るんだよ、非常に。ということで、サンリツの平山さんに電話をかけて楽譜を持っていそうな学校を全て教えてもらいました。なんと言っても20年前に刊行された楽譜ですから、全部が完璧な姿で残っているほうが奇跡でしょう。案の定かける所かける所皆思わしくない答えが返ってくるばかりです。どうしようかと途方にくれていましたが、応援団の仙台での合宿の場所が決まったのでブラスバンドの方も人を集めて欲しいという要請です。メンバーは前にお話したとおり、東北地域本社にいる連中に声をかけて5、6人は集めましょう。でも楽譜がまだ完璧ではない。追い打ちをかけるように。人事課の秋元さんが「場所は若林区民センターの大ホールだからね。」

と言い残して久しぶりに戻ってきたプロジェクトの部屋から出て行ってしまいました。半ば諦めて何か別の曲で合わせてもらうしかないか、とボンヤリ考えていましたが思考がまとまりません。まずは若林区役所に務めている我らが指揮者、川村君に隣のホールを使わせてもらうよぐらいはご挨拶してもバチは当たらんべということで、コンクールの打ち合わせも兼ねてとりあえず電話をかけました。

 「久しぶり、お元気でしたか。」

  「あっ、佐賀さんどうしたの。」

  「いや、隣のホールを今度借りるから先ずは御機嫌伺いをしてからと思っ

  て。」 

 「ふーん。で、何で借りるの。」

そこで、今までのいきさつを話してストレスを解消することにしました。話は当然オブラディオブラダのことにまで及びます。

 「じゃ、今も捜索中なんだ。」

 「そうなんだ。川村さんどこか持っていそうな所知らない。」

 「知ってるよ。」

  「エッ。それって何処。」

  「家。」

  「え゛え゛っっ。何それっっ。」

  「同じ編曲かどうか分からないけど、ヤマハからビートルズのリバイバルヒ

  ットに便乗して復刻出版されたシリーズのひとつでうちのバンドで買った 

  のがあったはずだなあ。」

  「それが何で川村さんの家にあるの。」

  「そういう細かい事は聞くもんじゃないよ。ところで持って来ようか。」

 「ワァーオ、サンキュー。で、いつ。」

 「あしたでもいいよ。でも佐賀さん来られる。部室に置いとく?。」

 「いいえ、それはもう、喜んで、是非伺わせて頂きます。」

 

 何という事でしょうか。人のネットワークはどんな問題でも解決してしまいます。そしてこのバンドに関わってから何度目の灯台下暗しでしょうか。いずれにせよこれで問題は全て解決しました。後は本当にコピーと練習と応援団との連携、楽器運搬に、当日の人集めだけです。

 本番に向けて強力な助っ人も確保しました。東京地域本社のメンバーを要請したのです。トランペット3名トロンボーン3名クラリネット3名。そして元秋田支店のバンドRMCの団長で現在JEIS東北支店長の木村さんからも温かいご支援を頂きました。JEIS東北支店から3名がJR東日本東北吹奏楽団のメンバーとしてやっていますが、東京の本社にも楽器を吹ける社員が9名ほどいるとの事。更に手続きとしては、通常の出張書面に名前を追加するだけで良いとの事。これでバンドも東京ドームから許された最大編成の60名程度は確保できそうです。東京のチームが出場したときは、部外のエキストラを10名程度依頼したようですが。今回は完全自前の関係者で編成が組めました。改めてJRの力はすごいと感じました。

 

 壮行式、出発式、と何だかんだやっているうちに最後の総合練習も終わってしまいました。応援から応援の移り変わりがまだぎこちなく、時間がかかりますが、なんとか見られる応援になりそうです。バンドのほうはもちろん完璧です。私の曲も、私の編曲も単純だから野球の応援にはピッタリでしょう。後は二万人の大応援団が乗ってくれるか、「ウォー」と叫んでくれるかにかかっています。

 明日はいよいよ本番です。それぞれの想いを包み込んで、夜の帳はおりてきます。

 

 翌日は快晴。バンドのメンバーも、予定していた人は全て集合場所に集まりました。ドーム脇の待機場所に移動してからが長かった。応援団は何となく不安そうです。振り付けの練習をしたり。服装のチェックをしたり。していますが。我がブラスバンドはコンクールなどで、遠征には慣れっこですから余裕があります。

 楽器は既に到着していますから、出入口付近のスペースに楽器を仮移動します。

応援団のメンバーも手伝ってくれますから、あっと言う間にかたずきました。本当に人海戦術とは恐ろしい威力を発揮するんですねえ。

 サリン事件があった年、しかも毎日新聞社がオウム真理教の標的の一つである為、入場には厳しいボディチェックがありました。気圧の変化があるので、密閉入り口内部で耳がツーンとなります。いざバトルゾーンへ突入です。

 ドームでは前の試合が専用モニターで中継されていますので、いやが上でも緊張感が高まるはずなのですが、団長の鈴木進さん以外は全員が腹ごしらえに奔走して緊張感のかけらも見えません。外では既に二万人の大応援団が待機しているはずです。チョット私も中の雰囲気を確かめに行ってきます。

 意外に点差が開いて少し相手チームが可哀想な気もしますがこれが現実なのですね。せめてJR東日本東北チームは、野球の試合になって欲しい、と今から願わずにいられません。応援のバンドも自前ではなく、外注のようなのでとてもバランス良く聞こえます。実に揃っているし、休む暇無く音楽が応援とゲームを盛り上げています。

 しかし応援で、難しい事を観客に要求しても実行に移すのは、たとえ日本石油でも困難なのだということがよくわかりました。実際に小道具のうちわを使ったウエーブを模した応援は応援団が意図したように動いてくれませんでした。もしかしたら、私たちが考えた応援の方法は一番エネルギッシュでドームには合うかも知れません。今からワクワクします。

 試合の方は、あっけなく日本石油がコールドゲームで勝ってしまい、予期せずに私たちの出番がやって来ました。怒涛のごとくセッティングの開始です。お客様のほうも内野席はほぼ埋まり、エールの交換に入ります。でも外野席は一番遠い所から着席していますから、全員が座り終わるまでにはまだ30分位かかりそうです。3階席まで満席になりました。住金和歌山は三千人程度、応援だけでも負ける訳には行きません。

 

 さあ試合開始です。

 先攻のJR、あっと言う間にツーアウト。各選手のテーマソングを吹く前に討ち取られてしまいます。応援団の言葉が多すぎるよ。でもつなぎのファンファーレは上手く機能しています。この分で行けば、慣れてくれば応援の流れが出てくるはずです。おっと黒木がヒットだ、突撃ラッパにマカレーナの乙女のファンファーレ、次は丹野だからラッキーマンのテーマか。早くやらないとまた打っちゃうよ、ほら打っちゃった。えぇーっデカイよこれ。うそだろ。入っちゃった。線路は続くよどこまでもだぞ、早くプラカード出せよ。次は軽騎兵序曲のファンファーレで締めくくりだ。次は遠山だから必殺のテーマか、あっもう打っちゃった。

 ドタバタしながらも、あっという間に一回の表の攻撃が終わってしまいました。しかも訳がわからないうちに二点もとってしまったのです。一点も取れないまま試合終了になってしまったのでは、格好が付かないから、まぁいいか。 

 それからは、中盤でついた8点差を怒濤の応援と良いところで放ったホームランでシーソーゲームに持ち込みました。ついに延長11回ですよ。しかもまぐれ当たりの更なるホームランを打ち、その裏を守り切って、何と名門の住友金属和歌山を下してしまったのです。

 そしてそのままの勢いで、二回戦は大阪の暴れん坊と異名をとるデュプロを一回戦に続く二度目の怒濤の攻撃で19対9でコールド勝ち。

 

 準決勝では惜しくも破れはしましたが、川崎製鉄千葉を相手に終盤にはまたしても三度目の怒濤の攻撃によるホームラン攻勢で同点に追い付き、追い詰めると言う快挙を成し遂げたのです。

 その活躍により、応援団は前期のトップ賞と応援団特別賞を、チームは小野賞をいただくというまさに緑の疾風が東京ドーム中を駆け巡るという嵐を巻き起こしたのです。