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 平成8年度(1996)夏〜秋 吹奏楽コンクール

 課題曲  作曲

     

 自由曲  作曲

     Music For Greenwitch

 ※全国大会(所沢市民文化会館ミューズ…銅賞)

 

  平成9年度(1997)夏〜秋 吹奏楽コンクール

 課題曲  作曲

     はるか大地へ

 自由曲  作曲Elic Osterling

     Bandology

 ※全国大会(倉敷市文化会館…銅賞)

 

  平成10年度(1997)夏〜秋 吹奏楽コンクール

 課題曲  作曲

     ブラジリアン・ポートレート(With Latin Dancing Team)

 自由曲  アルフレッド・リード作曲

     音楽祭のプレリュード

 ※全国大会(びわこホール…銅賞)

  平成10年度(1997)秋〜冬 アンサンブルコンテスト

 ※全国大会 (北九州市アクロス・・・銅賞)

 

 

平成11年度三年連続全日本吹奏楽コンクール全国大会出場と国民文化祭

 

 その後も色々あったけれども、何とか全国大会の出場は途切れる事無く、続いています。そして、都市対抗野球の東京ドームや社会人野球大会の大阪ドームも今となっては、会社を挙げた、当バンドの恒例行事となっております。  

 このまま突き進むことが出来れば良いのですが、そうは問屋が下ろしません。時代は動いているのです。全国大会の連続出場の規定が毎年のように変わって、ついに3年連続出場した団体は、(私達のようにいくら銅でも)一回お休みという事になりました。五金から、三金になって、ついには三出になったのです。

 お休みの団体は、と言えば。そういう団体だけ集めて東京文化会館で、記念特別演奏会か、今年は岐阜で行われる国民文化祭への推薦出場のどちらかのチョイスができることになっていました。

 我が企画のメンバーに、どちらに出るかを決定するために、会議を開いた所、やっぱり考える事は皆同じで、どうせだったら遠くに行った方が良いんじゃないの?という私達らしい安易な意見ですんなり決定してしまいました。

 さて選曲についても、大体ヘッタクソなんだから、大がかりな曲をやった所で、ボロが出るのがオチだから、ウケる曲とお決まりのマーチをやって15分で終わりましょう。という話で大筋がまとまりました。

 この話が大筋で決まった時点で、主要メンバーの頭の中は、結構似通ったプログラムが構成されていました。それは・・・。野球の応援で使っているような曲でバリバリ吹いて盛り上げて、ウチらしさを出そうという事だったのです。

 

 このころ、というか初めて東京ドームに出た時からのお付き合いで、トランペットにJeisの平井さんというメンバーが加入していました。彼は、大学のバンドでトップを張っていた人で、もちろん彼はコンサートにも燃えましたが、それ以上に野球の応援やドラムコーに燃える人だったのです。そして七夕パレードや野球の応援に使う曲も、段々と彼の色に染まって来ていたのも事実です。

企画の面々がそれぞれの思いで持ってきた曲は・・・

 Are You Ready To Rock (ジャズロック) 佐賀推薦

 Brass Fever(ディスコサウンド) 棚橋推薦

 Am Parito Roca(スパニッシュマーチ) 平井推薦

 Mercury(コンサートマーチ) 企画推薦

  の4曲でした。

 

 そして、この年は新入団員も多量に入ったのも特筆事項ですね。男女雇用機会均等法のおかげで、わがJRにも駅などに女性が進出することになり、その恩恵で、仙台駅に配属された女性社員のうちの5名が楽器経験者という事で、バンドに入団したのです。これで今まで品薄だったパーカッションと木管が一気に倍になったのです。(何せ今までの絶対数が少なかったので、倍というのはあながちウソではありません。)

 そのほかにも、若手の活躍に刺激されて、今まで二の足を踏んでいた者も、二名加入してきました。

 

 何はなくても、先ずは野球の応援や七夕パレードの練習です。初見大会の時から反応が良く。4曲とも一気に仕上がりました。ボルテージも一気に上がりました。

 東京ドームも大阪ドームも、もうレパートリーの中から選んでできるようになったので、今までよりは楽になりました。

 ところが、七夕パレードに関してですが、この不況のあおりでJRが撤退するという方向で今年は進んでいたのです。

 しかし、この情報が入るや否や商工会議所が黙っていません。金のかかる花フロートの撤退は止む無しとしても、バンドを使ってのパレードだけは何とか続けて欲しいとの事だったのです。これで困ったのは、僕たちを含めた総務部の担当だったのです。

 

「佐賀さん(;_;)何が出来ますか?」

「うーん(>_<)、何がと言われても。。。県警や自衛隊のようにドリル出来るわけじゃなし・・・。うーん(>_<)。そうだ、東京ドームのチアガールのアトラクションのような物だったらできると思いますよ。」

「それがいい。それで行きましょう。(^o^)」

 

 と言うことで、話がトントンと進み、行進がAm Parito Roca。停止演技がAre You Ready To Rock とBrass Feverという構成で決定しました。

 でもこれかなり、カッコイイです。今までのようにただ演奏して行進するのではなくて、チアガールの踊りのバックでブリブリ吹くわけですから、目にも耳にもオイシイです。そのわりには今までの私達の演奏形態を崩したり、過剰な練習が加わるわけではありません。

 

 もう平井さんからは、ソロはこうして下さい。終わったら敬礼ですよ。戻って帰ってくる時にはガッツポーズですよ。と鋭い注文が即座に付け加えられました。

 いざ練習がはじまると、これがまたうちのバンドに、はまるはまる!もうノリノリです。そのうち、こんなにノルのだったら、東北大会の招待演奏や国民文化祭もこの選曲の路線で行けば、うちらしさが出て盛り上がるんじゃないの?と言う声が高まって来たのです。もちろん異を唱えるメンバーなどいるわけがありません。

「小難しい曲ばっかりの後だから、ガンガン吹いでクンノッシャァー。」と言うメンバーが殆どだったのです。

 あっと言う間に、曲が決定してしまいました。

 Are You Ready To Rock (ジャズロック) 佐賀推薦

 追憶のテーマ(スクリーンミュージック) 高橋推薦

 Am Parito Roca(スパニッシュマーチ) 平井推薦

 Mercury(コンサートマーチ) 企画推薦

 それに加えて、一曲目の冒頭には、JBを導入として演奏するという極めて、娯楽性の高いプログラムになったのです。

 さて東京ドームや大阪ドームの応援や本番の七夕パレードも東北大会の招待演奏や国民文化祭も本番は全て大受け。

 

ミレニアム

 

 それからこの年の会津若松のSLイベントでは、若手の考えを積極的に取り入れようという事で、次・次年度のコンクールの自由曲も選曲しようと言うことになりました。

 ネットを利用したアンケートで企画が提案した5曲の中から以下の二曲に絞られました。

 <軽騎兵序曲>と<カルミナブラーナ>

 インヴィクタとは隔世の感があります。

 大方の予想に反して、カルミナブラーナが大差で軽騎兵序曲をしりぞけ、自由曲として選出されてしまいました。ははは。大丈夫かなぁ。

 練習指揮は僕がやったのだけれど、思ったよりみんな付いてきた。そして意外に良かった。鳴りは抜群だった。とは思いました。

 まぁ、ゆっくり二年かけてでかしましょう。

 

 一安心していたのも、つかの間。

一部団員および企画から課題曲が4分30秒、それから自由曲が3分30秒あわせて8分強。

 4分もあまる。そして、決定済みの自由曲「エスパニアカーニ」は吹いていても充実感が無いという苦情が噴出したのです。

 前段の企画会議では、またしても軽騎兵が候補曲として上がってきました。でも企画のメンバー全員が「有名すぎる」「弦楽器の雰囲気が出ない」「軽さが出ない」という理由で拒否しました。

 変わりの曲も「また選曲しなおす時間が無い」「混乱させる」という理由で良い曲がありません。代案として私が出したのは「カルミナブラーナ」でした。

 カルミナブラーナは別に新曲でもありません。そして2001年度は一部がメインです。2000年は二部(酒場にて)をメインでやったらいかが?という案です。苦肉の策ですが、二年をかけてカルミナブラーナをやるというコンセプトにも確かに合ってはいます。

結局は3/18の職場バンドフォーラム(アンコンの全国大会にあわせて行う懇親会)の前にメンバーが集まって練習する前に団長から説明をしてもらい、メンバーからは了承されました。

それにしても自由曲の変更なんて前代未聞ですよ。

 

 職場バンドフォーラムin Sendaiはアンサンブルの全国大会と言うことで人数は少なかったのですが、その割には盛り上がりました。  

 各社のバンドの方々が一様に「予算が減らされた」「クラブに格下げだ」という不況という経済情勢を話題にしておりました。僕達にしてみれば指揮、指導全てを自分達でやっていて、毎年の決まった予算など無くて、突発の予算(金が余りそうだから使って良いよ)(それも年度末の)(しかも当該年度で除却できる10万円未満の物限定)だけで食い繋いで来たわけですから、あまり実感は無かったのですが、逆にそれだけ彼等は今まで恵まれていたと言えるのかも知れません。

 そんな彼等にJR東日本東北吹奏楽団を変えて来た私たちは一言、言いたかった。

 不況のせいにするなんて「この不況者(卑怯者)!」それから不況で商業構造や社会構造や会社組織が変わる(CHANGE)のは当たり前だ「CHANGEはCHANCEだ」しかも「Gの中にある小さなTはTABOOの頭文字だ」「これを取り払えばCHANCEなのだ」とね。

 僕達はできないと思っていた事をタブーを取り払うことで勝ち得て来た。

 君たちも考え方を変えて活動したら?

 等身大の活動をしたら?

 本当の職場バンドになったら?

 当たり前の事だけれども、与えられた環境の中でやるのだよ。与えられる環境があるだけ幸せなんだよ。とね。

 

 しばらくしてまたまた激変です。

恒例のJR杯少年サッカー大会の後の練習で、なんとか「カルミナブラーナ」の二部「酒場にて」の演奏に目鼻がついたと思ったら。。。

 まずは今年度の厳しい日程では(8/5〜8/8が七夕パレード、8/6がコンクール、その前には野球以外のイベントが全くない!)川村君の指揮による練習日程が取れないという事で、彼による指揮を見送らざるを得ないということ。

 それから、吹連の理事会で、規約が改正になり、3出のシードがなくなったということ。などが飛び込んできました。

 吹連のバンドメンバーが指揮をしながら吹く事は可能か、という事を問い合わせたところ、「規約」上では特別な制約もないので、不可能ではないが、「混乱を招く」という理由で却下されてしまいました。という事で、指揮は僕、ソロは勝則さんがやる事になりました。

 もちろんシードが無くなったということなので、今年度は自主練を組むことにもなったのです。

 

 何とか練習をこなして、まずは七夕パレードに臨みました。今年の七夕パレードの曲、スクリームマシーンはトランペットのソロとカルテットがあり、金管パート、特にトランペットがしっかりしていないと、できない曲です。ですから、この曲を持って来た事それ自体で、自衛隊も県警も「おおっ」と言う驚きの声を上げました。そして、殆ど完璧にこなした我々に対して、観客はもちろん前述の他のバンドの面々も拍手大喝采を送ってくれました。かなり激しいインパクトを与えたようです。これは三日間通して我々が肌で感じた反応です。

 

 これに対して、コンクールは何かバタバタとした感じの演奏に終始してしまいました。アインザッツもあまり合わず、本当にNTTさんか僕達かどちらが選ばれるか分からない状態でした。川村君も聞きに来てくれていましたが、「どっちかわからん」というのが第一声でした。チューバの音が潰れている。吹き方が乱暴。色々問題はあったようです。考えさせられました。

 幸運にもなんとか代表権を獲得しましたが2点差で薄氷を踏む思いでした。

 後から思うと、今年は都市対抗野球が地区予選で負けてしまったので、本戦の東京ドームでの吹き込みが出来なかったのが、大きな原因だと思われます。

 あっと言う間に東北大会。フットワークとネットワークを駆使して盛岡支社6Fの大会議室を取ったのです。おかげで前日と当日に充分な練習が可能になりました。まずは、何と木管と金管打楽器を分けての分奏です。楽器を鳴らす事を主眼に置いた練習です。

 分奏が終わってからの合奏では、本当に息をのむほど、木管の鳴りが良くなっていました。またやりたいですね。その甲斐あってか、アインザッツも乾杯の演出も決まり。めでたく代表です。あー東北大会からは、川村君が指揮をしてもらってます。なんせ人手が足りなくて、僕がラッパとサスペンドシンバル、銅鑼、大太鼓、スネアドラムと各種楽器を八面六臂でこなさなくてはなりませんでしたから。

 

 バンドピープルのネット上の聴衆からのレポートを掲載します。

 JR東日本東北吹奏楽団 課題曲2「カルミナブラーナ」より1,2,8,9

 数少ない課題曲2の中では、ベストの演奏でした。出だしのTrpをびしっと決めたら、そこには笑いあり、和の心あり、祭りあり。Bass兄さんは弦バス回しを今年もまたやってくれました。

 カルミナブラーナは、このあとに上山吹奏楽団が演奏したように、通常は13(運命の女神よ)で終わるように選曲されます。が、JRでは上記のように選曲して、編成のハンデを補っていただけではなく、演奏もパフォーマンスも新解釈で爆笑しそうになるくらい面白かった。

 Euph Solo(A.Hrの誤)の力演とクタッとしたり、足を思いっきり伸ばして体でも表現するBass兄さんのコントラスト、マウスピースや金属製グラスで出していた効果音が良い。コミカルに演奏する技術は大したものです。洛南高のような強烈な個性を放っていました。。。

 

 全国大会も同様にこなし、また会場に笑いの渦を巻き起こしたのは、想像に難くないでしょう。

 更にコンクールが終わった後に早速上野駅の会議室に移動して、昼食と練習をして、三時からの上野駅文化まつりに備えました。

 この年は、上野駅がリニューアルの為に、広小路側の吹き抜けコンコースでこのイベントを行うのが最後という事で、運良く私達も出演が決定したものです。

 そこでもコンクールと同じプログラムと来年に備えてカルミナブラーナの第3部を演目として掲げたのです。そこそこの出来ではあったのですが、何よりも聴衆と一体になれたのが一番の収穫でした。

 一曲目のスクリームマシーンでは最前列のおっちゃんが立ち上がってソロが終わると大喜び。アンコールのアムパリート・ロカではおばちゃんも大興奮。終了後は興奮したスペインのお兄さんがフルート席に乱入するというオマケまでついたのでした。このようにこの年のメインイベントは無事にめでたく幕を閉じたのでした。