0歳前半


平成15年11月7日、パパの仕事が休みの日に無事安産で生まれてきてくれて、おりこうさんだったたける君。
これから寒くなるので、少し暖かくなるまで実家で過ごす事となった。たちまち実家でも、赤ちゃん中心の生活となった。母は、特に忙しくなってしまった。しかし、初孫の誕生に張り切ってくれていた。私が母乳を時間かけて飲ませている間に、母が足りない分のミルクを作ってくれて飲ませてくれたりしていた。やっぱり私の母乳だけでは、物足りないのだろう。ミルクもほとんど残す事なく飲んでいた。それが毎日2、3時間おきぐらいに行っているのだから、それだけでも大変。そして、もちろん夜間にも繰り返される。
たけるは、夜泣きがひどく実家に帰った日からそれは始まった。想像はしていたものの、実際想像以上の疲労感を味わう事となった。少し眠ったかと思いきや、30分くらいで起きてギャーギャー泣いてはずっと何時間も抱っこしてあやしていた。それが毎日毎晩続くのだから、母も私も眠いのを我慢してひたすら頑張るしかなかった。そして、こんな事をボーっと思っていた。昔、テスト勉強とかで夜遅くまで頑張っていた時もつらかったけど、テストが終わればゆっくり眠れるのだ。しかし、今回はそういうわけにはいかない。子育ては、始まったばかりだ。夜眠くても、眠る事ができないのってこんなにつらいとは思ってなかった。いつになったらもっと寝てくれるのかなぁ?今思えば、この頃は夜泣きと授乳が一番大変だったように思う。少し慣れてくると、夜間は私と母が交代で睡眠をとるようにしたし、私も昼間子どもが眠っている間、一緒に眠ったりしていた。そうしなければ、体がもたないのだ。母も、よっぽどしんどい時は昼寝もしたが家事にも忙しく、今思えばよく倒れなかったなぁと笑いあっている。子育ては、気力と体力が必要。もちろん、忍耐力もね。
たけるは、どんどんミルクの量も増えると同時に私が見てもあきらかに大きくなっていった。主人の休みの日には、時々会いに行っていたのだけれど、「会うたびに大きくなってるね。」と驚いていた。生後1年未満の乳児の発育ぶりは、本当に感動するものがある。
入浴も気持ちいいのか、あまり泣く事なくスムーズに出来た。最初は、湯ぶねの中に落とさないかと母が心配して見に来ていたのだけれどいくらなんでもそれは大丈夫。
看護士さんにへその緒は、生後1週間から10日くらいで自然に取れると聞いていたのだけれど、入浴の際は特に気をつけていた。9日目だったろうか、お風呂から上がったたけるの体を拭いていた時、へその緒がなくなっている事に気づいた。確か、洗っている時まであったはず。あわててベビーバスの中を探す。「あった、あった。」と母が見つけてくれた時は、一安心。もし、ベビーバスの栓を抜いた後だったらもう見つからないところだった。セーフ!!
12月初め、1ヶ月検診の日はとてもしんどかったのを思い出す。前の晩は、私も母も1時間半しか眠れなかったのだ。いつもの夜泣きの為だった。それも、母と交代でやっととれた睡眠だった。なかなかやってくれるねぇー、たける!おかげで、病院ではほとんど眠ってくれていた。待合で近くに座っていた若いお母さんが、誰かにこんな事を話しているのが聞こえた。「赤ちゃんって寝ている時は天使だけど、起きてる時は悪魔だよね。」なるほど、そのとうりだ。皆同じなのだ。
経過は順調だった。
生後4ヶ月になる頃には、3時間くらいはまとまって眠ってくれるようになり、私もだいぶ慣れてきてもうそろそろパパの所に帰ろうかなと思っていた。しかし、そろそろ離乳食を始める時期になっていた。ここで、少し不安になった。ちゃんと食べさせる事が出来るかな?もう少し、食事の世話に慣れてから帰る事にしようっと、甘い考えが浮かんだ。
最初は果物をしぼったジュースや、野菜を細かく切ってスープを作ったり味噌汁を薄めたものなどを与えていくのだけど、ちゃんと口元に持っていけない事もあった。じっと動かないで座っていてくれるなら、まだ何とかなったのだけど子どもがじっとしているわけがない。離乳食の後は、いつもベビー服を濡らしては毎回のように着がえさせるはめになった。しかし、最初のうちからわりとよく食べてくれていた。でも、眠い時や、機嫌の悪い時などは口から出してしまったり、ほとんど食べなかったりと日によっても違った。今思えば、無理に食べさせなくても次の食事の時は食べてくれるのだから、無理して食べさせなくてもよかったのになぁと思う。
さて、そろそろ帰らなくては。ウンチ交換の時と、食事の世話にまだ不安が残るものの用は、慣れる事だ。結局、4ヶ月半も実家でお世話になり主人の待つ我が家に帰る事にした。
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